東 香名子(あずま かなこ、1983年10月2日 - )は、… 東 香名子(あずま かなこ、1983年10月2日 - )は、日本のコラムニスト、著作家である。血液型A型。 鹿児島県南九州市出身。幼少時代は神奈川県横浜市、埼玉県飯能市で過ごす。所沢高等学校、東洋大学文学部を経て、東洋大学大学院修士課程修了。大学在学中に、独マールブルグ大学への留学を経験している。 編集プロダクション勤務、外資系企業での受付嬢を経て、女性サイト編集長を歴任。独立後は自称コラムニストとして鉄道、旅行、恋愛、ライフスタイル等のコラムを執筆している。 父親が好きだったFC版桃太郎電鉄をきっかけに鉄道ファンになる。乗り鉄を自称し、鉄道関連の仕事をこなす。学生時代は成田エクスプレスで車内販売のアルバイトをしていた。
西村 亨(にしむら りょう、1977年2月26日 - )は、… 西村 亨(にしむら りょう、1977年2月26日 - )は、日本の小説家。鹿児島県枕崎市生まれ。東京都在住。鹿児島県立鹿児島水産高等学校卒業。 2023年、「自分以外全員他人」で第39回太宰治賞を受賞してデビュー。同年、第74回南日本文化賞奨励賞受賞。
吉見 マサノヴ(よしみ まさのぶ、1976年 - )は、日本… 吉見 マサノヴ(よしみ まさのぶ、1976年 - )は、日本の作家・詩人・エッセイスト。鹿児島県鹿屋市生まれ。 東京福祉大学福祉心理学部卒業。本業は専門学校講師・看護師・精神保健福祉士・公認心理師。 2002~2003年 ファッション情報誌「CROWD」にて恋愛系コラム連載。 2004年 「恋愛歪言」がネオブックオーディション優秀賞受賞。 2005年 フリーペーパー「東京働女100」創刊号~7号 短編小説連載。 2006年 作家春乃れぃとコラボレートしたケータイ書籍「桃色浮世草子」を出版。 2006年3月 恋愛ブログランキング1位「月刊男心」が書籍化。「月刊男心」は眞鍋かをりも愛読しており、ブログ普及委員会で眞鍋かをり認定を受けた。
中山 智幸(なかやま ともゆき、1975年8月26日-)は、… 中山 智幸(なかやま ともゆき、1975年8月26日-)は、日本の小説家。鹿児島県鹿屋市出身。 熊本市立高平台小学校、熊本市立京陵中学校、熊本県立熊本北高等学校英語科を経て、西南学院大学文学部卒業[要出典]。 2005年、「さりぎわの歩き方」で第101回文學界新人賞受賞しデビュー。2008年、「空で歌う」で第138回芥川賞候補。2016年、第47回福岡市文学賞小説部門受賞。
藤井 太洋(ふじい たいよう、1971年 -)は、日本の小説… 藤井 太洋(ふじい たいよう、1971年 -)は、日本の小説家、SF作家。日本SF作家クラブ会員・第18代会長。 鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋(奄美大島南部)出身。瀬戸内町立古仁屋中学校、鹿児島県立錦江湾高等学校卒業。 志望の東京藝術大学芸術学部に不合格で、国際基督教大学教育学科に入学。青年団に舞台美術スタッフとして携わり、大学を中退。印刷会社のDTP制作、フリーランスのデザイナー・イラストレーターなどを経て、ソフトウェア開発会社イーフロンティアに入社。勤務の傍ら、2011年秋より小説の執筆を開始。 2012年7月26日、電子書籍によるセルフ・パブリッシングで『Gene Mapper -core-』を発表する。
岩根 央(いわね おう、1968年12月3日 - )は、日本… 岩根 央(いわね おう、1968年12月3日 - )は、日本のイノベーション・コンサルタント、ビジネスクリエイター、絵本作家、作曲家、教育者。鹿児島県鹿児島市出身。 学校法人鹿児島めぐみ学園幼保連携型認定こども園めぐみ幼稚園を卒園後、鹿児島県立鹿児島南高等学校、鹿児島経済大学経済学部経営学科卒業する。
有村 肯弥(ありむら こうや、1966年4月10日 - )は… 有村 肯弥(ありむら こうや、1966年4月10日 - )は、日本の舞台芸術作家、パフォーマンス・アーティスト、舞台演出家、舞台美術家、女優。 Et in terra pax主宰。鹿児島県鹿屋市出身。 1970年 4歳でファッションモデルとして初舞台を踏む。 1980年 14歳で鹿屋市教育委員会主宰「劇団かんな」に入団。県内唯一の新劇プロ劇団「風見鶏」のオーディションに史上最年少で合格。 1984年 地元FMラジオ局 C-BOY Station において、毎週日曜の音楽番組の企画とパーソナリティーを担当。 ・同年、単身で初の野外パフォーマンス『LIFE OF PERFORMANCE』を上演。 1985年 サウンド・パフォーマンス・ユニット「Field Works」を結成。
鬼塚 忠(おにつか ただし、1965年 - )は鹿児島県鹿児… 鬼塚 忠(おにつか ただし、1965年 - )は鹿児島県鹿児島市出身の作家。株式会社アップルシード・エージェンシー代表取締役。 鹿児島市生まれ。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校、鹿児島大学水産学部海洋社会学科卒業。 大学1年次から、授業そっちのけで世界各地でバックパッカーの旅をはじめた。大学2年次には、旅をしていた韓国で大規模な民主化デモが始まり、たまたまそこに滞在していた鬼塚も、催涙弾と石礫、火炎瓶の飛び交うデモに巻き込まれ、九死に一生を得た。「自分たちの手で自分たちの社会を変えてやろうという熱い意気込みを感じた」と言う。 大学在学中、2年間、イギリスへ語学留学。世界中から集まる同年代の若者たちに触れ、刺激を受けた。
にわの まこと(1964年5月1日 - )は、日本の漫画家、… にわの まこと(1964年5月1日 - )は、日本の漫画家、同人作家。鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)出身、栃木県那須塩原市在住。 アッパー系ギャグを基本としたヒーローアクション及びスポーツ漫画のジャンルを得意とする。 1981年、鹿児島県立川内商工高等学校在学中の17歳の時に『週刊少年ジャンプ』(集英社)へ投稿した野球物の読切作品「迷勝負!?」で第14回(昭和56年度上半期)赤塚賞佳作を受賞。1986年に「THE MOMOTAROH -村上伸一君の場合-」で第25回(昭和61年度下半期)赤塚賞佳作を再び受賞し、ジャンプ編集部の茨木政彦に誘われ上京。翌1987年9月15日発売の『週刊少年ジャンプ 第42号』より「THE MOMOTAROH」で連載デビュー。
柳田 理科雄(やなぎた りかお、本名同じ、1961年(昭和3… 柳田 理科雄(やなぎた りかお、本名同じ、1961年(昭和36年)6月21日 - )は、日本の作家、漫画原作者、大学教員、ラジオパーソナリティ、YouTuber。 明治大学理工学部 兼任講師。株式会社『空想科学研究所』主任研究員。 鹿児島県熊毛郡南種子町出身。父は南種子町長を2007年まで4期16年務めた柳田長谷男。「理科雄」は、ペンネームではなく本名である。彼が生まれる2ヵ月ほど前(1961年4月12日)にユーリイ・ガガーリンが世界初の宇宙飛行に成功しており、これに感激した父が「これからは科学の時代だ」と考えて命名した名前であるという。「理科雄」という変わった名前で父が出生届を出した際、町役場の係員からは「本当にこれでいいんですね?」と繰り返し念を押されたという。
大石 英司(おおいし えいじ、1961年4月8日 - )は、… 大石 英司(おおいし えいじ、1961年4月8日 - )は、日本の小説家。本名:未公表、鹿児島県鹿屋市出身、現在は川崎市在住。既婚。 経済誌の記者などを経て、1986年の『B-1爆撃機を追え』でデビュー。以降、架空戦記、軍事サスペンスを中心に執筆する。作家としての活動の他に海外エアショーのレポートや、日刊のメールマガジンで時事全般を論評し発行している。 日本ペンクラブ、日本冒険作家クラブ所属。かつて日本推理作家協会の会員だったが、退会している。 自衛隊の特殊部隊を軸にしたシリーズや、近未来のサイバーSF的な作品が多い。 部隊創設者(元一等陸佐・音無誠二)の名字から「サイレント・コア」と呼ばれる、陸上自衛隊の秘密特殊部隊の活躍を描いた作品群。
松富 かおり(まつとみ かおり、1959年2月17日 - )… 松富 かおり(まつとみ かおり、1959年2月17日 - )は、日本のキャスター、ジャーナリスト、作家で、元駐ポーランド日本大使松富重夫の夫人である。旧姓、有村(ありむら)。身長158センチメートル。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校、東京大学文学部卒業後、アメリカ合衆国・マカレスター・カレッジに1年間留学。ニュージーランド・ヴィクトリア大学ウェリントン国際関係学修士号取得。 1983年4月、TBSにアナウンサーとして入社。1999年3月、TBSを退社。2011年、松富 かおりに改名。 1983年4月にアナウンサー第20期生としてTBSに入社(同期には浦口直樹・野口雅子・牧嶋博子)。
梨木 香歩(なしき かほ、1959年 - )は、日本の小説家… 梨木 香歩(なしき かほ、1959年 - )は、日本の小説家、絵本作家。 鹿児島県鹿児島市出身。同志社大学神学部卒業。イギリスに留学し、児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事する。ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』を愛読書の一つに挙げており、新潮社版『ガルシア=マルケス全小説』では同作の解説を担当した。カヤックの愛好者でもある。時に宗教への思いが強く表れるが、特定の宗教には帰依していない。
蔵前 仁一(くらまえ じんいち、1956年1月2日 - )は… 蔵前 仁一(くらまえ じんいち、1956年1月2日 - )は日本のイラストレーター、旅行作家、編集者、装幀家。 鹿児島県生まれ。実家は鹿児島・霧島温泉にある1917年(大正6年)創業の老舗旅館。現在は旅行人山荘として営業している。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 インド旅行の体験を楽しいイラスト入りでまとめた『ゴーゴー・インド』(凱風社)でデビュー。1990年代にヒット作を連発。若い旅行者から支持を得た。 バックパッカーを対象とした月刊誌『旅行人』(のちに季刊、さらに年2回刊に)を主宰したが、同誌は2011年12月発売号をもって休刊。編集長を務めた『旅行人』からは、岡崎大五、グレゴリ青山、宮田珠己、田中真知、大倉直らの若手作家が登場した。
大場 惑(おおば わく、1955年5月13日 - )は、日本… 大場 惑(おおば わく、1955年5月13日 - )は、日本の作家、SF作家。息子の是枝俊悟は大和総研研究員。 鹿児島県鹿児島市に生まれる。熊本マリスト学園高等学校、東京理科大学理工学部を卒業。 大学を卒業した1982年にナムコへ入社。開発部へ配属となり、プログラマーとしてアーケードゲームの開発に従事。同社には4年ほど勤める。ナムコ在籍中の1984年、中編『コンタクト・ゲーム』(同作はSFファンジン大賞・創作部門も受賞)によって徳間書店の『SFアドベンチャー』からデビューした。以後、1980年代は主に同誌へ、1990年代前半は主に『SFマガジン』へ短編小説を寄稿。また、ナムコ在籍中には同社が発行していた『NG』でショートSFを数編執筆しているほか、後年ナムコがスーパーファミコンで発売した『ミリティア』のノベライズを手がけている。
武上 純希(たけがみ じゅんき、1955年2月26日 - )… 武上 純希(たけがみ じゅんき、1955年2月26日 - )は、日本の脚本家・小説家。鹿児島県出身。 ラ・サール高等学校、日活芸術学院技術科卒業。主にテレビシリーズのアニメーションや特撮ヒーロー物の脚本、或いはシリーズ構成等を手掛けている。過去には、本名の山崎 昌三()や谷本 敬次()の筆名を用いた事もあり。 アニメーション製作会社葦プロダクションの社員として編集に携っていたが、1981年には初期の企画時から文芸スタッフも兼ねていた同社のTVシリーズ作品『戦国魔神ゴーショーグン』の第6話「光る眼の悪魔」にて、本名の山崎昌三名義で脚本家としてのデビューを果たすことになる。翌年の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』においても本名、もしくは谷本敬次の名義で脚本を担当。
原 浩一郎(はら こういちろう、1955年(昭和30年) -… 原 浩一郎(はら こういちろう、1955年(昭和30年) - )は、日本の小説家。また詩人として近江詩人会に所属。「魂の文学」というキャッチフレーズにて自身の活動を広報している。投稿文芸誌文芸エム編集責任者。鹿児島県川内市生まれ。 立命館大学法学部(政治学専攻)卒業。元家庭裁判所調査官。家裁から弁護士事務所を経て編集プロダクションに勤務。その後独立し、ソフト開発工房を自営し、並行して中学校非常勤講師、就労困難者支援講師、刑務所非常勤職員としても勤務。PFI方式の刑務所で使用する教育教材として、小説の執筆を始める。 2015年、投稿作「アクリル板」にて雑誌『文芸思潮』主催の第11回銀華文学賞(アジア文化社)最優秀賞受賞。
桐野 作人(きりの さくじん、1954年 -)は、作家、歴史… 桐野 作人(きりの さくじん、1954年 -)は、作家、歴史研究家。武蔵野大学政治経済研究所客員研究員 鹿児島県出水市出身。鹿児島県立出水高等学校卒業。1979年立命館大学文学部東洋史学専攻卒業。歴史関係出版社の編集長を経て、編集プロダクションを設立。戦国史、主に薩摩島津氏の研究が多く、『真説 関ヶ原合戦』(学習研究社,2000年)、『真説 本能寺』(学習研究社2001年)などの実証的な書籍も執筆している。 在野の研究者ではあるものの、桐野の研究は歴史学界でも肯定的に評価されている。本能寺の変について朝廷黒幕説を唱えていることで知られていたが、後に明智光秀の単独犯行であるものとして黒幕説を否定するようになった。
盛岡 茂美(もりおか しげみ、1952年10月26日 - )… 盛岡 茂美(もりおか しげみ、1952年10月26日 - )は、日本の小説家、エッセイスト。鹿児島県名瀬市(現奄美市)出身。鹿児島県立大島高校、1978年早稲田大学第一文学部社会学専攻卒業。日本文藝家協会会員。 大学卒業後、地方公務員として神奈川の県立高校で英語教諭として勤務。勤務の傍ら1983年シナリオ講座に入学、研修科卒業。 1980年代以降、奄美大島の南海日日新聞を中心に、徹底して奄美にこだわり執筆活動を展開。 2018年県立高校を退職。
みづしま 志穂(みずしま しほ、1952年 - )は、日本の… みづしま 志穂(みずしま しほ、1952年 - )は、日本の児童文学作家、絵本作家。 鹿児島県曽於郡志布志町(現志布志市の一部)出身。小学6年生のときに毎日小学生新聞に応募した詩が西日本代表に選ばれる。鹿児島県立志布志高等学校で文芸部に所属。九州女子大学栄養士学科卒業。西本鶏介の童話スクールで学ぶ。 『好きだった風 風だったきみ』で 第32回毎日児童小説賞と第17回日本児童文学者協会新人賞を、『つよいぞポイポイきみはヒーロー』で第7回毎日童話新人賞を受賞。代表作の『ほうれんそうマン』シリーズ(ポプラ社)は、大人気の『かいけつゾロリ』のゾロリが敵役で初登場した作品としても有名。 NHKの番組で原ゆたかが証言したところによると、原は次第に面白くないと感じていった『ほうれんそうマン』の構成についてみづしまに口出しするようになり、みづしまが「そこまで口出しするなら全部君がやってくれ!」と切り出したことで原は『かいけつゾロリ』の制作を始めたという[要出典]。
恒松 郁生(つねまつ いくお、1951年(昭和26年) - … 恒松 郁生(つねまつ いくお、1951年(昭和26年) - )は、著作家、筆名、サミー・恒松。 ロンドン夏目漱石記念館主宰、館長。崇城大学図書館長、副学長を経て教授。 鹿児島県薩摩川内市出身。桜美林大学文学部英語英米文学科卒業後、1974年から在英。海外でホテルマン、旅行代理店のオーナー等を経て、大英博物館前で稀覯本専門の古書店や、ギャラリーを経営。 2004年に夏目漱石ゆかりの地、熊本にある崇城大学で教鞭をとる。 月刊誌JCB 「GOLD」、JAL CARD「Agora」などに英国特集を執筆。共同通信のコラム「海外手帳―英国」を無署名で3年以上担当。 現在月刊イギリス旅行と生活雑誌「mr partner」に連載「イギリス人も知らないロンドン案内」、「英国紳士クラブ案内」執筆中。
宮内 勝典(みやうち かつすけ、1944年10月4日 - )… 宮内 勝典(みやうち かつすけ、1944年10月4日 - )は、日本の小説家、エッセイスト。早稲田大学、大阪芸術大学の教授を歴任。世界各地を渡り歩き、経験と想像力をもとにスケールの大きな小説世界を構築。人はいかに「アイデンティティー」という名のくびきから逃れられるかという問いを根底に創作を重ねてきた。 終戦前年に旧満洲国のハルビンにて生まれ、終戦後の引き揚げにより鹿児島県指宿市旧山川町で育つ。鹿児島県立甲南高等学校に進学し、部活動の文学部(文芸部)に所属。1963年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業し、働きながら国内を4年かけて放浪。1967年にアメリカ合衆国へ渡り、カリフォルニアとニューヨークで2年ずつ暮らした後、ヨーロッパからインドへの旅を経て日本に帰国。
相星 雅子(あいほし まさこ、1937年10月23日 - 2… 相星 雅子(あいほし まさこ、1937年10月23日 - 2019年3月12日)は、日本の小説家、エッセイスト、コラムニスト。日本ペンクラブ会員、『九州文学』同人。鹿児島県を中心に活動し、地方文芸誌『小説春秋』や鹿児島ペンシルクラブを主宰した。 関東州(満洲国の日本租借地)大連市生まれ。父は南満洲鉄道勤務だった。奉天市で終戦をむかえ、1946年に父母の故郷鹿児島市に引き揚げ。1956年に鹿児島県甲南高等学校を卒業。家庭の事情で大学進学を断念し、九州電力に勤務した後、結婚して退職し3人の子を育てる。1973年に鹿児島の文芸同人誌『原色派』で小説を書き始める。1989年、短編小説集『みなみのポプラ』を出版。
久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の… 久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の教育者、作家。都立高等学校校長等を歴任。 鹿児島県いちき串木野市出身。鹿児島県立串木野高等学校卒業。1962年東京大学理学部地学科を卒業し、都立高校教諭となる。都立北園高校教頭などを経て、都立足立高校校長に就任する。その後、都立日比谷高校校長となり、1993年~1997年まで全国高等学校体育連盟会長を兼務した。退任後は警視庁教育参与を務めるなど要職を歴任した。 また、松崎陽平名義の小説『狂いだすのは三月』で1977年第14回文藝賞を受賞した。
太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 … 太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 - )は、日本の作家。 鹿児島県肝属郡内之浦町(肝付町)出身。本名・順一。週刊誌記者、PR誌編集、出版社等に勤務。『新潮』『すばる』他の文芸誌に作品を発表。1974年(昭和49年)『季刊藝術』に掲載した「『父』の年輪」で芥川賞候補になる。1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙・鹿児島選挙区に進歩党公認で出馬、落選した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
谷口 茂(たにぐち しげる、1933年2月1日 - 2019… 谷口 茂(たにぐち しげる、1933年2月1日 - 2019年)は、日本のドイツ文学者、宗教学者、小説家。明治学院大学名誉教授。 鹿児島県大崎町生まれ。鹿児島県立志布志高等学校を経て、1959年東京大学文学部ドイツ文学科卒業。1964年同大学院宗教学科博士課程満期退学。大学院ではマルティン・ルターの宗教改革について研究した。 明治学院大学一般教育部講師、助教授を経て教授となる。2001年に定年退任し、名誉教授。 大学在学中から文学サークルで活動し、1959年には季刊誌「雙面神」の同人となって長編「彼岸花」の連載や椎名麟三論の発表をおこなっていた。1961年「めじろ塚」で芥川賞候補となり、1968年に作品集『若き医師の告白』を刊行。
渋谷 昶子(しぶや のぶこ、1932年3月8日 - 2016… 渋谷 昶子(しぶや のぶこ、1932年3月8日 - 2016年2月1日)は、日本の映画監督、記録映画作家、ルポルタージュ作家。 1932年3月8日、関東州大連市に生まれる。本名、前畠昶子。両親は3月生まれにちなみ「春の陽のように日永にのんびりと成長するように」と日が永いという昶子と命名した。 大連弥生女学校1年在学のとき敗戦。2年間の棄民生活で人間形成の原点が形成される。 1947年に「最後の引き揚げ船」で帰国し、父親の出身地だった鹿児島県に移る。1951年、鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業。 弁護士たらんと大志をいだいて中央大学法学部に入学。しかし、スクリプターに関心をもち、大学は3年で中退し、2年後にスクリプターになる。
泉 大八(いずみ だいはち、1928年8月25日 - )は、… 泉 大八(いずみ だいはち、1928年8月25日 - )は、日本の小説家。本名は百武 平八郎(ひゃくたけ へいはちろう)。鹿児島県出身。 職業軍人の家庭に生まれ、自身も陸軍予科士官学校へ進学したが終戦後は電電公社(NTTの前身)で組合活動をしながらプロレタリア文学を執筆し、芥川賞候補となる。 1960年代後半に電電公社を退社して専業作家となってからは官能小説に転じ、宇能鴻一郎や川上宗薫と並ぶ「ポルノご三家」と評されていた。 1928年(昭和3年)8月25日、鹿児島県出水郡出水町(現在の出水市)に生まれる。祖父は肥前国佐賀藩の出で、出水へ移り鍛冶屋を営んでいた。元海軍大将・侍従長の百武三郎は祖父の親類に当たる。
一色 次郎(いっしき じろう、本名:大屋典一(すけかつ)、1… 一色 次郎(いっしき じろう、本名:大屋典一(すけかつ)、1916年5月1日 - 1988年5月25日)は、日本の小説家。 鹿児島県にある沖永良部島の大島郡知名村(現知名町)余多で生まれ、すぐ鹿児島市に移る。幼少期に1年程、現在の兵庫県加古川市に居住。1919年、3歳の時に父が無実の罪で獄死し、母親と別居して親戚の家で育つ。 1936年に鹿児島朝日新聞(現・南日本新聞)で「隠密薩摩相」の連載小説を執筆。同年上京する。佐佐木茂索に師事、はじめは本名で執筆活動を行った。1945年西日本新聞東京支社に入社。1949年「冬の旅」で直木賞候補、1955年に児童読物で一色次郎の筆名を用いる。1961年「孤雁」で再度直木賞候補。
勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 … 勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 (大正4年) 3月5日 - 1944年 (昭和19年) 3月21日)は、日本の小説家。『九州文学』同人。鹿児島県立第二高等女学校卒業。 鹿児島県薩摩郡入来村(現・薩摩川内市)生まれ。実父と実母の結婚が認められず、母方の祖父母の戸籍に入り彼らの娘として育てられる。入来尋常小学校卒業後、鹿児島県立川内高等女学校(現鹿児島県立川内高等学校)に進学。その1年後に鹿児島市の戸籍上の兄の元へ移り、鹿児島県立第二高等女学校(現鹿児島県立甲南高等学校)へ転校。第二高等女学校では、文学好きな友人に恵まれ充実した学校生活を過ごす。1932年(昭和7年)に第二高等女学校を卒業。
八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 199… 八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 1994年6月30日)は、日本とアメリカとで活躍した日本人画家、絵本作家である。本名 : 岩松 淳(いわまつ じゅん)。鹿児島県肝属郡小根占村出身。作家の伊佐千尋、俳優のマコ岩松は息子。
海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治3… 海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治34年〉11月5日 - 1977年〈昭和52年〉12月1日)は、日本の小説家・作家。本名は末冨 東作(すえとみ とうさく)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。次女は日本テレワークの社長を務めた末冨明子。 1901年、鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市大口里)の山師の家に生まれる。幼い頃に体が大きかったことから、1年繰り上げで小学校に入学。実際は何をするにも1歳年上の同級生たちに及ばず、学校生活は苦労の多い辛いものだった(のちにこれが文学を志すきっかけとなったと語っている)。國學院大學高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら創作を始める。
きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月1… きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月11日 - 1975年(昭和50年)7月25日) は、鹿児島県奄美大島出身の小説家、翻訳者。代表作『気違い部落』シリーズは映画化もされた。
羽生 操(はぶ みさお、男性、1891年5月20日 - 19… 羽生 操(はぶ みさお、男性、1891年5月20日 - 1976年8月21日)は、日本の作家、翻訳家。 鹿児島県種子島の西之表松畠出身。1905年3月榕城尋常高等小学校高等科3年修了。1910年3月第一鹿児島中学校卒業。同年5月から翌年7月まで国上小学校や榕城小学校の代用教員を務める。1911年9月には第七高等学校造士館に入るが、病気で中退し、郷里に戻って静養。 1918年上京し、同年博文館に入社して雑誌編集者を務め、1921年5月退社。1922年4月から1924年3月まで日本女子高等学院教授(国文学担当)。1928年10月から1933年7月まで萬朝報特派員として西欧を、1935年12月以降商工省貿易局編纂図書資料調査のため香港・東南アジア・ハワイ・北米を回る。
萬造寺 齊(まんぞうじ ひとし、1886年(明治19年)7月… 萬造寺 齊(まんぞうじ ひとし、1886年(明治19年)7月29日 - 1957年(昭和32年)7月9日)は、日本の歌人、小説家、英文学者。鹿児島県生まれ。 鹿児島県日置郡串木野町羽島(現在のいちき串木野市)の裕福な地主の家に生まれる。旧制川内中学から旧制第七高等学校を経て東京帝国大学英文科卒業。東京で与謝野鉄幹に師事し、「明星」、「スバル」に参加、堀口大學から「短編実作者の第一人者」と評された。また石川啄木、高村光太郎、北原白秋、森鷗外らと親交し、東大卒業後は愛媛県西条中学校などで教鞭をとった。 28歳の時、加世田の私有地を売った資金で「我等」を創刊するも下宿の火事により原稿が消失、廃刊。京都に移り住み、「街道」を発行して再起を図るも1944年、戦時統制による紙不足でまたも廃刊、戦後は農地改革により地主としての地位を失い、故郷に戻る願いも叶わず1957年、京都で70年の生涯を終えた。