村岡 崇光(むらおか たかみつ、1938年2月9日 - 20… 村岡 崇光(むらおか たかみつ、1938年2月9日 - 2026年2月10日)は、オランダ在住の日本人の言語学者、聖書学者。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
筑波大学:1,276人
村岡 崇光(むらおか たかみつ、1938年2月9日 - 20… 村岡 崇光(むらおか たかみつ、1938年2月9日 - 2026年2月10日)は、オランダ在住の日本人の言語学者、聖書学者。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桑沢 清明(くわさわ きよあき、1938年 - 2014年6… 桑沢 清明(くわさわ きよあき、1938年 - 2014年6月27日)は、日本の生物学者。専門は、神経生物学。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年東京教育大学(現・筑波大学)理学部生物学科卒業。1967年同大学大学院理学研究科博士課程修了。東京都立大学理学部助手を経て、1975年同大学理学部助教授。1983年同大学理学部教授。同大学大学院理学研究科長。2001年同大学定年退官後、同大学大学院名誉教授。2003年岡山理科大学理学部教授。
小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 20… 小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 2010年9月20日)は、日本の実業家。学習研究社(現・学研ホールディングス)代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年に東京教育大学(現・筑波大学)文学部を卒業し、同年に学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に代表取締役社長を務めた。2001年6月に相談役に就任。
杉原 一昭(すぎはら かずあき、1937年9月29日 - 2… 杉原 一昭(すぎはら かずあき、1937年9月29日 - 2008年6月9日)は、日本の教育心理学者。 福島県生まれ。1961年東京教育大学心理学科卒業、1966年には同大学院博士課程教育心理学専攻単位取得退学、横浜国立大学教育学部講師、助教授。1977年筑波大学心理学系助教授、1984年「論理的思考における構造の発達に関する研究」で教育学博士、同年教授。2001年定年退官、名誉教授、東京成徳大学心理学研究科科長。現代の子供は現実感覚を失っているとしてこれを「不思議の国のアリス」になぞらえ「アリス・シンドローム」と名づけた。 2008年6月9日、癌のため死去。
山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は… 山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は、日本の洋画家、筑波大学名誉教授、日本藝術院会員、美術団体の一般社団法人二紀会常任理事である。茨城県牛久市在住。 1937年に東京で生まれる。疎開によって約10年間、現在の長野県佐久市で過ごした。長野県野沢北高等学校を経て、1961年東京教育大学 (現在の筑波大学) 教育学専攻科芸術専攻修了。1961年千葉県立長生高等学校教諭となる。1969年山口大学助教授となる。1985年筑波大学芸術学系教授となる。1996年NHK教育テレビ 趣味百科「油絵を描く」の講師となる。2000年定年退官し、筑波大学名誉教授となる。2010年日本藝術院会員となる。
小平 克(こだいら まさる、1936年 - )は、日本の教育… 小平 克(こだいら まさる、1936年 - )は、日本の教育者。専門は、森鴎外研究。 茨城県出身。本籍は長野県であり、諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京教育大学文学部倫理学専攻(現・筑波大学人文・文化学群)卒業。香川県立高等学校教諭、 東京都立両国高等学校など東京都立高等学校教諭を務め、倫理・社会を担当。森鴎外を研究。
洲崎 惠三(洲崎 恵三、すざき けいぞう、1935年12月9… 洲崎 惠三(洲崎 恵三、すざき けいぞう、1935年12月9日 - )は、日本のドイツ文学者。筑波大学名誉教授。 福井県敦賀生まれ。富山県立富山中部高等学校から東京教育大学文学部を経て、東京大学大学院人文科学研究科修士課程独文科修了。金沢大学講師および九州大学助教授を務めた後、筑波大学教授(現代語・現代文化学系)に就任。 1967年、旧・西ドイツのミュンスター大学(ドイツ学術交流会)、1977年にシュトゥットガルト大学およびスイス・チューリッヒ大学に留学したほか、1991年にテュービンゲン大学で文部省在外研究を行った。1999年に論文「トーマス・マン 神話とイロニー」で筑波大学より文学博士号を得た。
廣川 洋一(ひろかわ よういち、1935年1月19日 - 2… 廣川 洋一(ひろかわ よういち、1935年1月19日 - 2019年11月8日)は、日本の哲学者。筑波大学名誉教授。専攻は西洋哲学。古代ギリシア哲学が専門。 新潟県出身。1954年新潟県立長岡高等学校卒業。1958年東京教育大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。田中美知太郎、松平千秋、藤沢令夫らに学ぶ。1977年京都大学で博士号を取得。同年から翌年までロンドン大学研究員。 東海大学文学部助教授、教授を経て、1988年筑波大学哲学・思想学系教授、1999年定年退官、名誉教授。龍谷大学文学部教授。2005年退任。 2019年11月8日、前立腺がんのため死去。83歳没。
野口 幸弘(のぐち ゆきひろ、1935年 - )は、西南学院… 野口 幸弘(のぐち ゆきひろ、1935年 - )は、西南学院大学人間科学部社会福祉学科元教授。元人間科学部長。大学院人間科学研究科非常勤講師。教育学修士、LD教育士スーパーバイザー。福岡市保健福祉審議会 障がい者保健福祉専門分科会委員。福岡市強度行動障がい者支援調査研究会座長。福岡市障がい者等地域生活支援協議会会長として福岡市の強度行動障がい者集中支援事業を実施する拠点「障がい者地域生活・行動支援センターか~む」の開設、運営に尽力した。 この項目は、教育に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
渡部 清(わたなべ きよし、1934年 - )は、日本の教育… 渡部 清(わたなべ きよし、1934年 - )は、日本の教育者、書家、書道史研究家。長野県諏訪市出身。NHK番組や大河ドラマの題字制作に従事し、のちに横浜国立大学教授を務めた。 長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京教育大学教育学部芸術学科を卒業し、同大学院教育学研究科修士課程を修了した。大学時代には西川寧の影響を受け、古典を中心に学んだ。また、仮名については森田竹華から学んだと述べている。 大学在学中からNHKのタイトル制作に関わり、卒業前から同局と契約して仕事を始めた。東京教育大学附属中学校・高等学校の講師も務め、のちに横浜国立大学教授を歴任した。 その後も古筆・古文書に関する活動を続け、室町時代から江戸時代までの書状を中心とする「ふみを読む会」の講師を務めている。
小林 彌六(こばやし やろく、1933年 - )は、日本の経… 小林 彌六(こばやし やろく、1933年 - )は、日本の経済学者。筑波大学名誉教授。専門は、現代資本主義論、現代社会主義論、新従属理論。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1956年東京大学経済学部卒業、1961年同大学大学院経済学研究科修了。1966年東京教育大学(現・筑波大学)非常勤講師。1969年立正大学経済学部教授、法政大学経済学部非常勤講師。1974年筑波大学社会科学系助教授を経て、同大学教授。退官後、同大学名誉教授、明海大学経済学部教授、国際地球環境大学客員教授、和光大学講師。
中村 宏(なかむら ひろし、1933年 - 2022年)は日… 中村 宏(なかむら ひろし、1933年 - 2022年)は日本の彫刻家。横浜国立大学名誉教授。 1933年(昭和8年)栃木県足利市生まれ。東京教育大学で彫刻を学び日展の評議員、日本彫刻会 の運営委員、白日会の常任委員を務め、横浜国立大学の教授として学生に教えた。 内閣総理大臣賞、吉田賞、長島美術館賞、白日賞などを受賞。1993年(平成5年)から彫刻家仲間とともに視覚障害者向けの「触れる彫刻展」を始める。 横浜市保土ケ谷区に自宅兼アトリエを構えていた。2022年(令和4年)没。 没後、中村のゼミ生だった若鍋寛が中村の作品を筑波大学附属視覚特別支援学校に寄贈した。中村は「触れる彫刻展」で同校を含め盲学校の教員や生徒との交流を行っていた。
湊 吉正(みなと よしまさ、1931年11月17日 - )は… 湊 吉正(みなと よしまさ、1931年11月17日 - )は、日本の国語教育学者、筑波大学名誉教授。
吉江 信夫(よしえ のぶお、1931年 - )は、日本の医学… 吉江 信夫(よしえ のぶお、1931年 - )は、日本の医学者。筑波大学名誉教授。 1931年(昭和6年)長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校 を経て、1956年(昭和31年)信州大学医学部医学研究科卒業。1964年(昭和39年)「条件瞬目反応による聴力測定」の論文で信州大学より博士号。 筑波大学助教授、教授を経て、1994年(平成6年)筑波大学名誉教授(臨床医学系)。 1970年代初期、蝸牛の臨床的研究法として電気生理学的検査法である蝸電図(EcoG:electrocochleography)を開発したことで知られる。
野口 昌三(のぐち しょうぞう、1930年5月31日 - 2… 野口 昌三(のぐち しょうぞう、1930年5月31日 - 2017年4月14日)は、佐賀県出身の日本のバスケットボール選手。 旧制佐賀中学(佐賀西高校)在学中に学徒動員される。終戦後米軍に接収された学校の体育館でバスケットボールを楽しむ米軍兵を見て競技を始め、学制改革により佐賀第一高校(翌年佐賀高校に改称)となった母校に3年生として編入すると第3回国民体育大会高校の部で準優勝。進学した東京教育大学(現・筑波大学)では吉井四郎の指導を受け、主将として臨んだ4年次に関東大学選手権、関東大学リーグ戦、インカレの3冠を制し、全日本選手権大会では大学チームを準優勝に導いた。 卒業後の1954年、バスケットボールの縁で田辺製薬に入社。
佐々木 宏幹(ささき こうかん、本名・宏幹=ひろもと 193… 佐々木 宏幹(ささき こうかん、本名・宏幹=ひろもと 1930年5月17日 - 2024年2月26日)は、日本の宗教人類学者。駒澤大学名誉教授。専門は宗教人類学・宗教文化論。シャーマニズム研究の第一人者。 1930年、宮城県気仙沼市で生まれた。宮城県気仙沼高等学校を卒業し、駒澤大学文学部英米文学科に進学。1955年に卒業し、旧・東京都立大学大学院に進んだ。1965年、博士課程を修了[8]。 1962年、大学院博士課程進学と同時に駒澤大学講師となった。1967年、駒澤大学助教授に昇格。1973年に同教授昇格。1981年、学位論文『シャーマニズムの宗教人類学的研究』を筑波大学に提出して文学博士号を取得。
小澤 俊夫(おざわ としお、1930年4月16日 - )は、… 小澤 俊夫(おざわ としお、1930年4月16日 - )は、日本のドイツ文学者、昔話研究者。筑波大学名誉教授。有限会社小澤昔ばなし研究所・社長。 弟は世界的な指揮者小澤征爾で、息子は歌手の小沢健二。 日本から中国に宣撫官として赴任した父に母も帯同し、満洲で生まれた。小さい頃に火傷を負い、それが原因でいじめを受ける。 ドイツのメルヒェンと呼ばれる口承伝承による昔話の研究が特に専門で、文学研究から民俗学にまたがる分野で幅広い研究を行っている。1998年、川崎市の自宅に「小澤昔ばなし研究所」を設立、昔話、メルヒェンの選集を多数出版している。 「子どもの本・九条の会」代表団員を務め、「たま九条の会」の呼びかけ人でもある。
井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 201… 井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 2011年4月19日)は、日本の歴史学者。専門はアメリカ史。特にアメリカ南部史専攻。筑波大学名誉教授。静岡市出身。 1929年、静岡市に生まれる。1947年、静岡県立静岡中学校卒業。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院修士(西洋史)課程、フロリダ大学博士課程修了。Ph.D. 日本女子大学教授、立教大学教授、筑波大学教授を歴任。筑波大学名誉教授。筑波大学を離れた後、共立女子大学においてアメリカ研究を含む地域研究新学部を設立し、国際文化学部長に就いた。その後、女子教育に従い城西大学女子短期大学部副学長、定年後一年間、客員教授。アメリカ学会会長(1990年〜1992年)。
岩崎 卓也(いわさき たくや、1929年7月9日 - 201… 岩崎 卓也(いわさき たくや、1929年7月9日 - 2018年2月4日)は、日本の考古学者、筑波大学教授を歴任。 この間、早稲田大学客員教授(1991年~2000年)、国立歴史民俗博物館客員教授 (1992年~1995年)などを併任。文化財保護では、長野県文化財保護審議会委員、更埴市文化財審議会委員、森将軍塚古墳保存整備委員・発掘調査団長、流山市文化財保護審議会委員、史跡埼玉古墳群保存整備協議会委員などを歴任。
中嶌 邦(なかじま くに、1929年3月10日 - )は、日… 中嶌 邦(なかじま くに、1929年3月10日 - )は、日本史学者、日本女子大学名誉教授。1948年日本女子大学校文学科卒、1952年東京文理科大学文学部卒業。日本女子大学文学部助手、助教授、教授、1999年名誉教授。日本近現代史専攻。日本女子大学女子教育研究所員。日本女子大学の創立者成瀬仁蔵や大学の歴史に詳しい。
花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7… 花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7月17日)は日本の教育者。 熊本県に生まれる。小学2年生の時に両親を失う。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1947年卒業)を経て、東京高等師範学校(現・筑波大学)を卒業した。 卒業後は熊本県の理科の教員となり、母校である熊本県立玉名高等学校に勤務した。1970年から熊本県教育委員会指導主事、主幹を務めたあと再び教職に戻り、熊本県立南関高等学校(1978年着任)・熊本県立玉名高等学校・熊本県立熊本高等学校で校長を歴任した。熊本県教育委員会に戻って教育次長を務める。最後の教職となったのは1988年に新設された熊本県立東稜高等学校の初代校長で、学校のコンセプト作りからかかわり、校歌の作詞・作曲も手がけている。
沢田 昭夫(澤田昭夫、さわだ あきお、1928年10月5日 … 沢田 昭夫(澤田昭夫、さわだ あきお、1928年10月5日 - 2015年3月24日)は、日本の歴史学者。筑波大学名誉教授。専門は近世イギリス史・ヨーロッパ史で、思想家トマス・モアの研究者。カトリック信徒で洗礼名は「パウロ」。 1928年(昭和3年)10月5日、米国・ワシントンD.C.で生まれる。代父を務めたのは当時駐米フランス大使であったポール・クローデルで、洗礼名「パウロ」は彼に因む。 米国、フランス滞在約5年を経て日本に帰国し、暁星、成城に通った。 1940年代にはロゲンドルフ神父に勧められて、ロンドン大学のチェインバズ教授の『モア伝』を熟読し、これがトマス・モア研究へとつながった。太平洋戦争(大東亜戦争)中の1945年(昭和20年)5月25日は、米軍による東京大空襲で家族とともに青山墓地に避難。
池原 謙一郎(いけはら けんいちろう、1928年7月6日 -… 池原 謙一郎(いけはら けんいちろう、1928年7月6日 - 2002年3月15日)は、日本の造園家。環境デザイナー。ランドスケープデザインの研究者。 筑波大学芸術専門学群で教壇にたちデザインを指導する一方で、公園等の作品を残す。造形美を追求したアート感覚の公園を設計、さらに同世代の造園・環境デザインを担う仲間と活動を積極的に展開し、戦後造園設計界の中心的存在となった。 また一方で、サッカー日本代表のサポーター組織「日本サッカー狂会」を立ち上げ、長く日本のサッカーを支援、現在はバレーボールの応援で有名なフレーズ「日本チャ、チャ、チャ」の応援スタイルを考案した。 愛知県名古屋市に生まれ、津島で育つ。
山口勝弘(やまぐち かつひろ、1928年4月22日 - )は… 山口勝弘(やまぐち かつひろ、1928年4月22日 - )は日本の前衛芸術家。戦後まもなく造形作家として活動を開始し、その後ビデオメディアを用いた表現へと移行。日本におけるメディアアートの先駆者として知られている。筑波大学名誉教授、神戸芸術工科大学名誉教授。
佐藤 英一郎(さとう えいいちろう、1928年〈昭和3年〉 … 佐藤 英一郎(さとう えいいちろう、1928年〈昭和3年〉 - 1983年〈昭和58年〉9月7日)は、日本の教育学者。 東京生まれ。1950年(昭和25年)東京文理科大学(現・筑波大学)教育学科卒。1952年(昭和27年)同大学院研究科中退。埼玉大学教育学部助手、東京都立教育研究所研究員、専修大学文学部助教授、教授。妻は川嶋孝彦の二女・豊子。
亀淵 迪(かめふち すすむ、1927年 - 2023年11月… 亀淵 迪(かめふち すすむ、1927年 - 2023年11月19日)は、日本の物理学者。専門は場の量子論、特に繰り込み理論の研究で知られる。学位は、理学博士。筑波大学名誉教授。坂田昌一に師事。石川県出身。 旧制小松中学、旧制四高を経て、1950年に名古屋大学理学部物理学科を卒業後、名古屋大学大学院理学研究科に進学。1951年 梅澤博臣と協力して、近似によらない荷電繰り込みの一般論を作り、副産物として、電磁場に対する電流(カレント)の応答公式(後に「線形応答理論の久保公式」と呼ばれる式の原型)や、カレントの応答関数の相対論的不変な表示公式(後の「レーマン Lehmann のスペクトル表示」と呼ばれる式と同等)を導入した(梅澤・亀淵、久保、レーマンの研究成果の位置付けについては、高橋康「昔話 名古屋における場の理論」素粒子論研究 2007年 114巻 6号 pp.35-48 の p.47 の記述も参照)。
北 茂(きた しげる、1926年2月2日 - 2011年9月… 北 茂(きた しげる、1926年2月2日 - 2011年9月14日)は、日本の経営者。阪和興業社長を務めた。大阪府出身。 1945年に東京農業教育専門学校(現在の筑波大学)を卒業し、1947年4月に阪和興業の創立に携わる。1957年5月に取締役に就任し、1960年5月に常務、1971年5月に専務を経て、1983年6月には社長に就任。1994年1月に取締役相談役を経て、同年10月には相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章。 2011年9月14日死去。85歳没。
松島 鈞(まつしま ひとし、1925年(大正14年)3月10… 松島 鈞(まつしま ひとし、1925年(大正14年)3月10日 - 2011年(平成23年)12月17日)は、日本の教育学者。筑波大学名誉教授。 静岡県生まれ。1952年東京文理科大学教育学科卒、1966年「フランス革命期における公教育組織の成立過程とその思想に関する研究」で東京教育大学教育学博士。千葉大学助教授、東京学芸大学助教授、東京教育大学教授、筑波大学教授、教育学系長、1984年副学長。1989年定年退官、名誉教授、大正大学教授、1996年聖徳大学教授、東京成徳学園理事、副学長。在任中に死去。2003年春、勲三等旭日中綬章受勲。没後正四位。
パトリック・オダノヒュー(P.F.オダナヒュー:Father… パトリック・オダノヒュー(P.F.オダナヒュー:Father Patrick Francis O'Donoghue, MM, 1924年9月13日 - 2005年4月2日)は、メリノール宣教会神父。英語教育者。大学教授。 1924年9月13日、アメリカ合衆国の首都・ワシントンジョージタウンで生まれる。1950年、叙階。メリノール宣教会の神父として1954年来日。英語教育者としてノートルダム女子大学(京都)やYBU(よき牧舎運動本部、心のともしび運動)イングリッシュセンター(京都市中京区河原町三条及び四条通り御幸町)で指導活躍。一方、比較宗教の研究者として筑波大学で講義する。博士号取得 メリノール宣教会日本管区長(東京都千代田区紀尾井町)として終生活躍 2005年4月2日、帰天(死去)。
仲川 翠(なかがわ みどり、1924年8月20日 - 200… 仲川 翠(なかがわ みどり、1924年8月20日 - 2005年3月13日)は、日本の教育者。北海道高等学校体育連盟、北海道高等学校野球連盟の元会長。元プロ野球選手。北海道小樽市出身(札幌市生まれ)。 北海道札幌市に生まれ、4歳で小樽市に移住。旧制小樽中学校から東京高等師範学校(現・筑波大学)に進学。在学中は東都大学リーグで活躍し、母校の一部昇格に貢献した。卒業後東和ゴムに入社したが、プロ野球再編問題によるセ・リーグ誕生に伴い新設され、選手が不足していた新球団国鉄スワローズの誘いに応じて入団。シーズン途中の入団だが、同期に金田正一がいる。投手として国鉄に2年在籍後に引退。本人は後に当時を振り返って、「プロで食べていこうという心づもりは無く、野球の大学をちょっと覗いてみようというぐらいの気持ちだった。
丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年〈大正13年〉6… 丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年〈大正13年〉6月25日 - )は、日本の女優。東京市本所区両国(現・東京都墨田区両国)出身。本名:金子 谷津子、旧姓:丹阿弥。身長157cm、血液型はO型。村上事務所所属。父は日本画家の丹阿弥岩吉、妹はメゾチント作家の丹阿弥丹波子。夫は金子信雄(1995年、死別)。 1937年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。東京府立第十高等女学校卒業。1942年、文化学院文学部卒業。1942年文学座研究生となる。同年「富島松五郎伝」で初舞台。1945年新劇合同公演「桜の園」のアーニャ役で注目され、以後「シラノ」のロクサーヌ、「マリウス」のファニーなど美貌と演技をかね備えた女優としての地位を確立。
白山和久(しらやまかずひさ、1924年- )は、日本の建築構… 白山和久(しらやまかずひさ、1924年- )は、日本の建築構造学者。建築材料学者。筑波大学名誉教授(構造工学系)。日本学術振興会委員、建築研究所長、建築住宅国際機構会長など歴任。東京生まれ。 1947年、東京大学第二工学部建築学科卒業。1951年、旧建設省建築研究所入所。第二研究部に。1975年、建築研究所長就任。1977年、筑波大学構造工学系教授就任。1985年、退官。同年、工学院大学工学部教授。 主な著書に『建築施工技術ハンドブック』 (1979年)『建築新素材・新材料』(1991年)『気泡コンクリート』 (1964年)など。受賞歴にセメント協会論文賞、日本建築学会賞論文賞および大賞など。
幡谷 祐一(はたや ゆういち、1923年10月6日 - 20… 幡谷 祐一(はたや ゆういち、1923年10月6日 - 2018年1月11日)は、日本の実業家。茨城県東茨城郡小川町(現在の小美玉市)生まれ。 その他、茨城県特別功績章、自治大臣表彰、警察協力章、警視総監章、暴力追放栄誉金章、交通栄誉章緑十字金章など。
永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月… 永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月4日 - 2000年 <平成12年> 3月17日)は、日本の教育社会学者。文部大臣(第95代)。位階は正三位。 戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。 東京に生まれる。東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)卒業。当時の同級生には哲学者の鶴見俊輔、中央公論社社長の嶋中鵬二、作家の中井英夫らがいる。東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制武蔵高校を経て、京都帝国大学文学部を卒業。京都大学人文科学研究所助手、米国へ留学し、1952年オハイオ州立大学で教育社会学のPh.D.を取得。
池田 修三(いけだ しゅうぞう、1922年(大正11年)4月… 池田 修三(いけだ しゅうぞう、1922年(大正11年)4月30日 - 2004年(平成16年)11月10日)は、秋田県由利郡象潟町(現在のにかほ市象潟)生まれの版画家。 父は開業医で、姉のほか男4人兄弟の3男として生まれる。 秋田県立本荘中学校(現:秋田県立本荘高等学校)を卒業後、1942年に東京高等師範学校(現:筑波大学)芸能科に入学。学業途中で陸軍工兵学校に入隊するが、敗戦で東京高等師範を繰り上げ卒業した。 1946年、秋田県立由利高等学校に美術科教諭として赴任し、1952年には聖霊高等学校(現:聖霊女子短期大学付属高等学校)に移る。たまたま秋田を訪れていた画家の近藤良悦夫妻の知遇を得て、1955年同校を退職。
沢田 文吉(さわだ ぶんきち、1920年7月18日 – 20… 沢田 文吉(さわだ ぶんきち、1920年7月18日 – 2006年6月12日)は、日本の棒高跳び選手。 1940年代から1950年代にかけて活躍、日本陸上競技選手権大会優勝9回、アジア大会金メダル2回。1952年ヘルシンキオリンピックでは6位入賞を果たした。 岐阜市出身。1938年、旧制岐阜中学校(現在の岐阜県立岐阜高等学校)在学中、全国中等学校選手権(全国高等学校陸上競技対校選手権大会の前身)で110mハードル走に出場し優勝している(16.8秒)。 東京文理科大学(東京教育大学を経て筑波大学の前身となる官立大学)に進む。1942年、日本学生陸上競技対校選手権大会で優勝(4m00)。同年、日本陸上競技選手権大会で初優勝(4m10)。
吉井 四郎(よしい しろう、1919年3月20日 - 199… 吉井 四郎(よしい しろう、1919年3月20日 - 1992年10月20日)は日本のバスケットボール指導者である。埼玉大学教授。日本バスケットボール協会理事。勲三等瑞宝章。
小口 正七(おぐち しょうしち、1918年10月7日 - 2… 小口 正七(おぐち しょうしち、1918年10月7日 - 2006年10月16日)は、日本の化学者。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1943年東京文理科大学(現・筑波大学)化学科卒業。東京学芸大学教授。同大学名誉教授。文教大学教授。1977年東京学芸大学附属大泉中学校(現・東京学芸大学附属国際中等教育学校)校長。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
張香山(ちょう こうざん、1914年-2009年10月10日… 張香山(ちょう こうざん、1914年-2009年10月10日)は、中華人民共和国の外交官、政治家。中華人民共和国の建国後、対日工作を担った政治家で、日中国交正常化では中華人民共和国外交部顧問として日本側と交渉した。党対外連絡部副部長や中国国際交流協会副会長・顧問のほか、日中友好21世紀委員会の中国側座長、中日友好協会顧問などの要職を歴任している。 1914年、 浙江省寧波市に生まれる。1933年に日本へ留学、東京高等師範学校(現筑波大学)で学ぶ。 帰国後の1934年に延安において 八路軍に参加。1938年に中国共産党へ入党、1941年に八路軍129師団敵工作部副部長、1943年に大行軍区敵工作部長となる。
田島 英三(たじま えいぞう、1913年4月28日 - 19… 田島 英三(たじま えいぞう、1913年4月28日 - 1998年10月10日)は、日本の物理学者。立教大学名誉教授。原子力安全研究協会元理事長。原子力の研究と平和利用に生涯を捧げ、日本における「放射線影響」の概念の普及に貢献するとともに、日本人初の国連職員(原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)初代科学担当官)として海外においても活躍した。 1913年(大正2年)、埼玉県行田市に生まれる。1938年(昭和13年)、東京文理科大学(現・筑波大学)物理学科卒業。 理化学研究所で仁科芳雄に師事し、原子核、原爆の研究に従事する。戦後まもなく、日本学術研究会議による「原子爆弾災害調査特別委員会」の一員として広島原爆と長崎原爆の被災直後の被災地調査を行う。
立原 元夫(たつはら もとお、1913年1月14日 - 没年… 立原 元夫(たつはら もとお、1913年1月14日 - 没年不明)は、東京市品川区出身のサッカー選手。 法曹の雄と呼ばれた花井卓蔵の五男として生まれた。卓蔵の生家であった立原家に跡継ぎが無く断絶していたため、1928年(昭和3年)4月に立原姓を名乗り、立原家を死跡相続した。 東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属高校)在学中よりサッカーを始め、1933年に早稲田大学に入学し、在学中はア式蹴球部に所属した。1934年に開催された第10回極東選手権競技大会の日本代表に選出され、5月13日のオランダ領東インド(現:インドネシア)代表戦で日本代表として初出場した。1935年にはア式蹴球部の主将を務めた。
倉沢 栄吉(くらさわ えいきち、旧字:倉澤榮吉。1911年1… 倉沢 栄吉(くらさわ えいきち、旧字:倉澤榮吉。1911年1月25日 - 2015年1月24日)は、日本の国語教育学者。学位は、教育学博士(筑波大学・論文博士・1991年)(学位論文「昭和戦後期における読むことの学習指導論の展開」)。東京教育大学教授・千葉大学教授を歴任。 栃木県今市市出身。12歳の時、興津に移り、1923年、静岡県立静岡中学校に入学、1年の秋から寄宿舎生活を送った。1928年、静岡中学卒業。東京文理科大学卒業。1947年、千葉師範学校教授、新制大学移行に伴い千葉大学教授。1949年、大学教授の職を辞して東京都教育委員会(教育庁)指導主事、1951年1月から4ヶ月間、GARIOA(占領地域救済政府資金)による奨学金により米国国語教育を視察。
吉岡 隆徳(よしおか たかよし(または「たかのり」)、190… 吉岡 隆徳(よしおか たかよし(または「たかのり」)、1909年(明治42年)6月2日 - 1984年(昭和59年)5月5日)は、昭和初期に活躍した日本の陸上短距離選手。東京高等師範学校(現在の筑波大学)を卒業、元東京女子体育大学教授。名前は「たかよし(たかのり)」のほか、通称で「りゅうとく」とも呼ばれた。身長165cm、体重61kg。 1909年6月、島根県簸川郡西浜村(後の湖陵町、現・出雲市湖陵町大池)にある彌久賀神社の宮司、春日千代主の四男(春日隆徳)として生まれ、小学校卒業後に斐川町(現・出雲市)の吉岡家の養子となる。自宅と学校(尋常小学校と中学校)との間には砂丘があり、そこを歩いたり遊んだりすることで足腰が鍛えられたという。
葛巻 義敏(くずまき よしとし、1909年(明治42年) -… 葛巻 義敏(くずまき よしとし、1909年(明治42年) - 1985年(昭和60年)12月16日)は、東京市(現在の東京都)出身の作家、文芸評論家。芥川龍之介の甥。 芥川龍之介の次姉ヒサと獣医葛巻義定の長男として、東京市新宿(現在の東京都新宿区新宿)の耕牧舎牧場に生まれる。1910年に両親が離婚したため、東京市芝区銭座町(現在の東京都港区浜松町)の新原家(母の実家)で育てられる。ヒサはその後、西川豊と再婚し、龍之介の長男芥川比呂志の妻となる瑠璃子(1916年 - 2007年)を設けている。 1922年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。在学中、新しき村への参加を望んで家出した。
倉田 貞美 (くらた さだよし、1908年12月1日 - 1… 倉田 貞美 (くらた さだよし、1908年12月1日 - 1994年5月5日)は、日本の教育者、中国文学者。博士(文学)。元香川大学学長。香川大学名誉教授。 香川県三豊郡大見村(現 三豊市三野町)出身。旧香川県立三豊中学校、第一臨時教員養成所卒業、東京高等師範学校研究科を経て、1934年、東京文理科大学文学科に入学。同大学漢文学専攻卒業。在学中は諸橋轍次に師事した。卒業論文は「中国現代詩の研究」。1937年(昭和12年)同大学卒業後、福井師範学校に赴任。間もなく盧溝橋事件が起こり、同年12月に応召。翌年1938年(昭和13年)4月に除隊。終戦まで3回応召を受けた。 1949年(昭和24年)香川大学教授に就任。
太田 和彦(おおた かずひこ、1905年5月20日 - 19… 太田 和彦(おおた かずひこ、1905年5月20日 - 1984年7月5日)は、日本の文部官僚、図書館情報学者。図書館短期大学(現・筑波大学情報学群知識情報・図書館学類)学長を務めた。 長野県飯田市出身。旧制長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制第一高等学校を経て、京都帝国大学文学部哲学科卒業。文部省(現・文部科学省)入省。教科書調査官を務めた。 旧制浪速高等学校教授、群馬大学教授、獨協大学文学部教授を歴任し、1969年図書館短期大学(のちの図書館情報大学を経て、現・筑波大学情報学群知識情報・図書館学類)学長に就任。時代に即した文献情報学科の新設、筑波移転に伴う四年制大学昇格(図書館情報大学)の基礎固めに尽力した。
海後 勝雄(かいご かつお、1905年3月11日 - 197… 海後 勝雄(かいご かつお、1905年3月11日 - 1972年11月1日)は、日本の教育学者、埼玉大学名誉教授。茨城県出身。
後藤 基胤(ごとう もとたね、1903年または1904年 -… 後藤 基胤(ごとう もとたね、1903年または1904年 - 1959年1月4日)は、日本の教育者、サッカー選手。 東京高等師範学校附属中学(現:筑波大学附属中学校・高等学校)ではサッカー部に所属。東京高等師範学校に進学後も蹴球部に所属し、主将も務めた。また、1921年に開催された第5回極東選手権大会の日本代表にも選出され、2試合に出場。2戦2敗に終わったが、フィリピン代表戦で得点を決めた。 1923年に東京高師を卒業して、神奈川県立湘南中学校(現:神奈川県立湘南高等学校)に赴任。同時期に創設された同中蹴球部の指導も行った。 その後、学習院に移り学習院初等科などで教育に携わった。 1959年1月4日、東京都新宿区で肺癌により死去した。
梶 和三郎(かじ わさぶろう、1903年 - 1983年11… 梶 和三郎(かじ わさぶろう、1903年 - 1983年11月6日)は、日本の教育者。灘中学校・高等学校第3代校長。 香川県三豊郡上高瀬村(現 三豊市高瀬町)出身。 旧制香川県立三豊中学校に進学後、恩師から数学教師になることを諭されて東京高等師範学校数学科に進学。同高等師範学校を卒業後、1926年(大正15年)旧制愛媛県立大洲中学校に数学科教諭として赴任。1927年(昭和2年)旧制神奈川県立湘南中学校に転任。1938年(昭和13年)から1941年(昭和16年)まで旧制群馬県立太田中学校教頭を務める。その後、兵庫県立福崎高等学校、兵庫県立洲本高等学校、兵庫県立姫路東高等学校、兵庫県立星陵高等学校の校長を歴任。
岩代 吉親 (いわしろ よしちか、1901年3月18日 - … 岩代 吉親 (いわしろ よしちか、1901年3月18日 - 1982年10月17日)は日本の教育家。戦後新制中学発足時に活躍した。「火の国旅情」を作詞作曲した岩代浩一は長男、現在活躍中の作曲家岩代太郎は直系の孫(浩一の長男)で、元日本テレビアナウンサーで現フリーアナウンサーの松本志のぶは太郎の妻にあたる。 1901年、熊本県南阿蘇の素封家の二男に生まれた。父一吉は漢学者、郡会議員も務める。1916年熊本第二師範学校入学,阿蘇郡長陽小学校訓導をへて、1924年東京高等師範学校入学。熊本県立人吉中学校教諭、その後旧大阪府立今宮中学教諭を経て、大阪府立汎愛中学校教頭になった。1945年、熊本に帰郷。熊本県立第二高等女学校、女子師範学校教頭をへて、1946年小国高等女学校校長。