印幻(In Hwan seunim いんげんぜんじ、1931… 印幻(In Hwan seunim いんげんぜんじ、1931年-)は、韓国の曹渓宗の僧侶。ソウル市の慶国寺(キョングクサ)会主。仏教学者。元東国大学校仏教大学学長。文学博士。 蔡 印幻(Chae, In Hwan チェ・インファン)といい、法名が印幻、本名は蔡 澤洙(チェ・テクス)。 咸鏡道元山市(現在の北朝鮮)に生まれ、本籍は韓国釜山市。実兄は元東亜大学校人文科学大学日本語日本文学科教授の蔡楨洙(チェ・ジョンス)。 18歳から曹渓宗の禅を修行し、40歳で東京大学大学院印度哲学博士課程に入学。同大で文学博士号を取得した最初の韓国僧侶。 主著『新羅仏教戒律思想研究』に「当時の韓国では、仏道は理論の追求のみにあるのではなく、どこまでもその真髄は実践躬行にあり、仏道実践の枢要は持戒の生活にあるとの認識が強く生き続けている」と述べているとおり、持戒堅固の坐禅実践を第一として仏教を研究している。
平井 俊榮(平井俊栄、ひらい しゅんえい、1930年〈昭和5… 平井 俊榮(平井俊栄、ひらい しゅんえい、1930年〈昭和5年〉11月20日 - )は、日本の曹洞宗の僧侶、仏教学者。駒澤大学名誉教授。中国仏教専攻。 岩手県岩手郡雫石町出身。盛岡中学、駒澤大学仏教学部卒。東京大学大学院印度哲学博士課程中退。1974年「吉蔵を中心とする三論学派の研究」で東大文学博士。1964年に駒澤大学仏教学部講師、1970年仏教学部助教授、1976年教授、1986年副学長を経て、1990年学長に就任。2001年名誉教授となる。以後山田町に住所を移し現在に至る。 1979年より岩手県山田町豊間根の鞍東山宝珠院(あんどうさん ほうじゅいん)の住職を務める。 1980年「阿毘達磨倶舎論索引」(平川彰ら全5名での共同研究、全3巻、大蔵出版)で日本学士院賞受賞。
茨木 兆輝(いばらぎ ちょうき、1930年5月11日 - )… 茨木 兆輝(いばらぎ ちょうき、1930年5月11日 - )は、日本の僧侶。曹洞宗西蓮寺東堂。アジア仏教徒協会会長などを歴任。 佐賀県生まれ。1953年駒澤大学仏教学部禅学科卒業。すぐに永平寺で修行。1978年、長崎県佐世保市西蓮寺住職。 大学時代、児童教育部というサークルに所属し全国をまわる。人形劇グループ「こぐま」を永年にわたって主宰。佐世保空襲の体験記や戦争の背景を探る論文などを収めた1973年発行「火の雨」(佐世保空襲の記録編集会編)の編集委員。 2011年6月、アジア仏教徒協会会長。アジア仏教徒協会は、2011年に正力松太郎奨励賞、2014年に本賞を受賞した。 保護司、教誨師、老人ホームの生涯教育講師を長年つとめる。
赤根 祥道 (あかね しょうどう、1930年 -2001年 … 赤根 祥道 (あかね しょうどう、1930年 -2001年 )は、日本の曹洞宗の禅僧、作家。 中国大連市に赤根祥一として生まれる。東北大学を卒業後、駒澤大学大学院博士課程で禅を学ぶ。酒井得元老師に師事し、得度して慧光祥道の名を与えられる。その後、現代禅研究所を設立。「禅は人間の本性にかかわるもの」で「生活即禅である」ととらえ、「ビジネス禅」を提唱し、主にビジネスマンのために禅を教える活動を行っている。 ヨーガ講師で作家の赤根彰子は娘。 禅関係のほか、ビジネスマンのための啓発書を多く執筆し、200冊近い著書を出版。主な著書に『2時間で元気が出る本 上手に生きる200のヒント』『心が晴れる禅の言葉』『鈴木正三・石田梅岩・渋沢栄一に学ぶ不易の人生法則』『男30代、今これだけはやっておけ!この“夢”があなたの器を大きくする』。
西村 輝成(にしむら きじょう、1930年 - )は、日本の… 西村 輝成(にしむら きじょう、1930年 - )は、日本の僧侶、文筆家。八王子市の曹洞宗信松院住職。 東京都生まれ。1953年駒澤大学仏教学部仏教科卒業。1961年曹洞宗信松院住職となる。参禅会、写経会、読経会などを実施し檀信徒教化につとめる。また、東南アジアを中心に大乗仏教と上座(小乗)仏教との相互理解を目的とした海外活動も行う。大本山總持寺国際部長、全日本仏教会副会長を歴任。曹洞宗立世田谷学園評議員、東京ブディストクラブ会員、曹洞禅渓山居士林主管。 著書に「般若心経を知る」「写経の心得」「はじめてのやさしい写経」など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
上村映雄(うえむら てるお、1929年2月22日–2012年… 上村映雄(うえむら てるお、1929年2月22日–2012年10月11日)は、曹洞宗の僧侶、児童教育者。東京府(現東京都中野区)曹洞宗保善寺に生まれる。1951年駒澤大学文学部仏教学科卒、中野区立桃丘小学校教諭等をへて鶴見大学女子短期大学部教授、同附属三松幼稚園園長。1985年退職。保善寺住職、学校法人保善寺学園理事長、ほぜんじ幼稚園園長、社団法人日本仏教保育協会理事長、仏教文化講座主宰。
小島 昭安(こじま しょうあん、1929年 - )は、日本の… 小島 昭安(こじま しょうあん、1929年 - )は、日本の僧侶、口演童話家。曹洞宗永源寺住職。 静岡県富士市生まれ。駒澤大学文学部仏教学科卒業。大本山總持寺、永平寺に安居。 童話研究を進める傍ら、真の人づくりは仏教的情操教育以外にはないとの考えから、1948年「子ども会」を開設。1954年「永源寺日曜学校」を開設。1968年から、全国に先駆けて2泊3日の「子ども禅の集い」を開設。坐禅を中心に多彩なプログラムによる教化活動を行う。また、自坊だけでなく全国各地で、口演童話や紙芝居、人形劇、手品、絵話し、ゲームなどの児童文化財を駆使し、バラエティに富む児童教化活動を長年にわたって展開。 1986年に正力松太郎賞奨励賞、2005年同賞本賞を受賞。
須田 道輝(すだ どうき、1929年 - 2008年4月24… 須田 道輝(すだ どうき、1929年 - 2008年4月24日)は、日本の僧侶、文筆家。曹洞宗天祐寺住職。 茨城県久慈町生まれ。1949年澤木興道老師に就いて得度。1956年駒澤大学仏教学部卒業。1958年曹洞宗教化研修所に入所し、3年間「仏教と教化」について研修。1964年パーリ仏教学の権威水野弘元博士に就いて転衣嗣法。1967年に水野弘元が住職をつとめた長崎県諫早市天祐寺に入り副住職、1983年同寺住職。寺門の復興に尽力し、導きにより虚空蔵堂を建立。講演、著述を通して衆生教化につとめた。2008年4月24日心不全のため遷化、世寿78。 著書に「禅僧が贈る言葉」「禅からの出発」「ブッダの瞑想」「因縁 - 人生をひらく道」「法華経にしたしむ」など。
荒崎良徳(あらざき りょうとく、1928年10月21日- 2… 荒崎良徳(あらざき りょうとく、1928年10月21日- 2014年10月13日)は、曹洞宗の僧、福祉事業家、鉄道模型研究家。 金沢で生まれる。父は荒崎良道。1951年駒澤大学文学部国文科卒業。公立高校教員を務める。1976年実家の雲龍寺住職となる。児童養護施設林鐘園々長。鉄道模型のレイアウトで雲竜寺模型と呼ばれるものを製作。
江川 辰三(えがわ しんざん、1928年〈昭和3年〉8月29… 江川 辰三(えがわ しんざん、1928年〈昭和3年〉8月29日 - 2021年〈令和3年〉9月19日)は、日本の曹洞宗の僧侶。總持寺独住第25世貫首。曹洞宗管長、学校法人総持学園主を歴任。 山梨県生まれ。駒澤大学文学部東洋学科卒業。山梨県立の高校に教諭として17年勤めたほか、山梨県清光寺、愛知県宝泉寺、愛知県正栄寺、愛知県吉定寺、石川県芳春院の住職を歴任する。 1996年(平成8年)1月から1999年(平成11年)2月まで、大本山總持寺監院。1999年(平成11年)10月から2003年(平成15年)4月まで、大本山總持寺祖院監院。1999年(平成11年)12月から2003年(平成15年)6月まで、大本山總持寺祖院専門僧堂堂長。
佐橋 法龍(さはし ほうりゅう、1928年2月17日 - 2… 佐橋 法龍(さはし ほうりゅう、1928年2月17日 - 2007年4月7日)は、曹洞宗の禅僧、作家。 神奈川県横浜市生まれ。駒澤大学専門部仏教科を経て、1951年東京大学文学部国史学科卒業。長野県松代町にある真田氏の菩提寺・長国寺住職。推理小説も書いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
片桐 大忍 (かたぎり だいにん、1928年1月19日 - … 片桐 大忍 (かたぎり だいにん、1928年1月19日 - 1990年5月1日)は、日本の曹洞宗の僧侶で、ミネソタ禅センターの開山。 アメリカ中部での日本からの禅の拡大に大きく貢献した。 泰蔵院(福井県)の林ダイチョウの下で出家し、永平寺の橋本恵光の下で3年間修行した。その後、駒澤大学に入学した。 1963年に、曹洞宗務庁よりロサンゼルスの禅宗寺に派遣された。 1965年にサンフランシスコの桑港寺に行き、鈴木俊隆と、後の1969年に分離設立されたサンフランシスコ禅センターの活動を助けた 。 サンフランシスコでの勤務中、彼は自分の坐禅会を作ることを考え始めた。その後ほどなくして鈴木老師が亡くなり、モントレーに坐禅会を結成した。
南澤 道人(みなみさわ どうにん、1927年(昭和2年)9月… 南澤 道人(みなみさわ どうにん、1927年(昭和2年)9月14日 - )は、日本の僧侶。曹洞宗管長。永平寺第80世貫首。駒澤大学卒業。道号法諱・祖苗道人 長野県更級郡桑原村(現在の千曲市大字桑原)の龍洞院という寺の長男として生まれる。長野県屋代中学校(旧制中学)を経て、1945年に海軍兵学校、1948年に駒澤大学専門部仏教科卒業。1949年、大本山永平寺僧堂に安居。 2003年まで長野県龍洞院住職。その間、1982年に大本山永平寺の副寺(ふうす)、副監院、監院、並びに道元禅師七百五十回大遠忌奉修の総監を務める。札幌中央寺住職。 2008年より大本山永平寺副貫首。2020年9月29日、永平寺貫首に就任。
無着 成恭(むちゃく せいきょう、本名同じ、1927年3月3… 無着 成恭(むちゃく せいきょう、本名同じ、1927年3月31日 - 2023年7月21日)は、日本の教育者、禅宗の僧侶。生活綴方の代表的な文集『山びこ学校』を刊行し、『全国こども電話相談室』の回答者を28年間務めた。 山形県南村山郡本沢村(現在の山形市本沢)沢泉寺に長男として生まれる。山形県立山形中学校(現在の山形県立山形東高等学校)卒業。1948年、山形師範学校(現在の山形大学地域教育文化学部)卒業し、山形県南村山郡山元村(現在の上山市)立山元中学校(僻地1級校)に赴任した。国語教育として須藤克三からの助言を得て、「生活綴方運動」に取り組む。クラス文集『きかんしゃ』所収の「母の死とその後」(江口江一作)が文部大臣賞を受賞する。
雲輪 瑞法(うんりん ずいほう 1926年 -2019年12… 雲輪 瑞法(うんりん ずいほう 1926年 -2019年12月23日)は、日本の曹洞宗の尼僧、作家。愛知県南知多町大宝寺7代目住職。 愛知県大宝寺6代目住職の子として生まれる。愛知専門尼僧堂で修行。1950年、駒澤大学卒業。東京都三鷹市の観音寺尼僧専門道場で修行。愛知県知多郡南知多町の大宝寺住職を務める。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
佐藤 達玄(さとう たつげん、1924年 - )は、日本の仏… 佐藤 達玄(さとう たつげん、1924年 - )は、日本の仏教学者、禅僧。駒澤大学名誉教授。曹洞宗圓通寺東堂。 愛知県生まれ。駒澤大学大学院博士課程修了。同大学教授。1978年博士論文「中国仏教における戒律の研究」で博士号(文学、駒澤大学)取得。のち名誉教授。曹洞宗圓通寺東堂。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
篠原 壽雄(しのはら ひさお / じゅゆう、1923年〈大正… 篠原 壽雄(しのはら ひさお / じゅゆう、1923年〈大正12年〉11月29日 - 2003年〈平成15年〉4月15日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。駒澤大学名誉教授。群馬県伊勢崎市生まれ。 1923年(大正12年)、群馬県伊勢崎市に生まれる。 1947年(昭和22年)に駒澤大学文学部東洋学科を卒業後、1954年(昭和29年)に東方文化研究所助手に就任。翌1955年((昭和30年)に駒澤大学文学部講師となり、1966年(昭和41年)に助教授、1971年(昭和46年)に教授に昇任。1994年昭和50年1975年)から日本大学文理学部非常勤講師、1981年(昭和56年)には台湾大学・淡江大学で併任教授を務める。
渡部 賢宗(わたべ けんしゅう、1920年11月10日 - … 渡部 賢宗(わたべ けんしゅう、1920年11月10日 - 1998年3月4日)は、日本の仏教学者・僧侶。専門は禅学。駒澤大学文学博士。北海道出身。 北海道中富良野町祥雲寺住職を経て、1953年駒澤大学仏教学部卒業。1955年同大学院人文科学研究科修士課程修了。その後、曹洞宗宗学研究所研究員、駒澤大学仏教学部助手を経て、1959年駒澤大学仏教学部専任講師。1960年同仏教学部助教授。1964年駒澤大学の北海道教養部が創設されると助教授として着任。1968年同北海道教養部教授。1972年駒澤大学にて「道元禅師の戒学儀軌の基礎的研究」で文学博士を受く。1976年苫小牧駒澤短期大学学長・駒澤大学附属苫小牧高等学校校長・駒澤大学苫小牧学園理事長(〜1980年)。
若月 正吾(わかつき しょうご、1916年11月8日 - 2… 若月 正吾(わかつき しょうご、1916年11月8日 - 2001年12月)は、日本の仏教学者・僧侶。専門は禅学。山梨県東山梨郡牧丘町出身。 1942年駒澤大学文学部仏教学科卒業。その後、世田谷学園中学校教諭や曹洞宗宗学研究所研究員、学校法人駒澤大学職員を経て、1963年駒澤大学仏教学部専任講師。1964年同仏教学部教授。1965年駒澤大学教務部長。1973年同附属図書館長。1975年苫小牧駒澤短期大学学長・駒澤大学附属苫小牧高等学校校長・駒澤大学苫小牧学園理事長。1976年駒澤大学北海道教養部3代部長・岩見沢駒澤短期大学3代学長・駒澤大学附属岩見沢高等学校3代校長・駒澤大学岩見沢学園3代理事長・駒澤大学保育専門学校初代学校長(講師兼任)。
武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 … 武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 - 2008年〈平成20年〉12月17日)は、日本の小説家、児童文学作家、僧侶。群馬県出身。本名・中村一雄。『ビルマの竪琴』の水島上等兵のモデルとなったとされることで知られる。 碓氷郡松井田町(現 安中市)生まれ。13歳で僧となる。旧制高崎中学校(現 群馬県立高崎高等学校)を経て、1936年駒澤大学専門部仏教科卒業。卒業後ただちに高崎第15連隊に入隊。1938年に北支に出征した後1941年に帰国。福井県の永平寺で2年間修業するが再び召集され、フィリピン、タイなど東南アジアを転戦後、多くの死者が出たインパール作戦に参加し、ビルマ(今のミャンマー)で終戦を迎える。
佐藤 俊明(さとう しゅんみょう、1916年 - 1997年… 佐藤 俊明(さとう しゅんみょう、1916年 - 1997年6月2日)は、日本の僧侶、曹洞宗大教師。 山形県生まれ。1936年、山形県宝泉寺の住職となる。1939年、駒澤大学文学部仏教学科を卒業。1974年から1981年まで、曹洞宗大本山總持寺の出版部長、布教師会事務局長、副監院を歴任。1985年、千葉県龍光寺住職。1988年、曹洞宗大教師に補任され、布教活動に専念。1995年、龍光寺住職を引退。 著書に『禅のはなし』『続・禅のはなし』『禅語と教育』『禅のこころ』『こころ自由自在』『心のお経』『修証義に学ぶ』『禅語百話』『古教照心』『とらわれない心』『心にのこる禅の名話』など多数。 1997年6月2日逝去、享年80。
中世古 祥道(なかせこ しょうどう、1916年 - 2019… 中世古 祥道(なかせこ しょうどう、1916年 - 2019年1月1日[要出典])は、日本の歴史学者、曹洞宗の僧侶(三重県正泉寺14世住職のち東堂)。道元禅師・愛洲氏の研究で知られる。号は興国。 北海道に生まれる。1937年に大連第一中学校(旧制)を卒業後、駒澤大学仏教学部に入学。道憲寮にて衛藤即応博士に師事。1940年に卒業。 大学の舎監を辞して1941年より天津に赴任し、道元の研究を重ねる(「道元禅師の歩み」)。戦中・戦後の中、研究活動は幾度も中断。1948年、度会郡小川郷中学校の教諭となり、以降、1975年まで五ヶ所小学校・中学校で教鞭を取る。研究の方では1967年に小川弘貫博士の「唯識研究会」に参加したのを契機とし、1970年に『道元禅師伝ノート』を刊行。
吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1… 吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1997年3月31日)は、日本の僧侶、作家。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長を歴任。 福島県福島市生まれ。福島師範学校、駒澤大学卒業。1956年「しのぶ保育所」園長、1967年「宗教法人福島ルンビニー幼稚園」初代園長。小説「椿の系譜」(1979年)で福島県文学賞受賞。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長などを歴任。日本ベトナム文化協会長としてテト休戦を提唱、両国間の友好に尽力。1995年5月12日外務大臣表彰。歌と評論同人。 著書に「小説 黄色い椿」「人間としていかに生きるべきか: 曹洞宗教典「修証義」を読む」「般若心経で意識革命を」「ベトナム仏教体験シリーズ」など。
藤本 幸邦(ふじもと こうほう、1910年8月29日 - 2… 藤本 幸邦(ふじもと こうほう、1910年8月29日 - 2009年12月4日)は、曹洞宗の僧、福祉事業家。 長野県長野市出身。曹洞宗円福寺住職。駒澤大学仏教学科卒。渡辺薫美に師事。戦後、長野市篠ノ井地区に篠ノ井文化協会を設立し、劇団「たんぽゝ」などの文化活動を始める。1948年養護施設円福寺愛育園を設立、「一寺院一孤児」を提唱する。曹洞宗大本山布教師、同北信越管区教化センター統括。アジア難民救済事業も行いカンボジアに小学校校舎を寄付した。1984年仏教伝道文化賞受賞。
石田 豪澄(いしだ ごうちょう、1910年 - 2005年)… 石田 豪澄(いしだ ごうちょう、1910年 - 2005年)は、天台宗の僧侶、仏教学者。名城大学教授、岩屋寺住職を務める。 明治43年、愛知県平和町に堪忍堂老年画伯を父として生まれる。9歳で天台宗円興寺豪鉄法印の得度を受ける。11歳で曹洞宗雲居寺恵光老師の会下に参じる。その後、20歳で良寛和尚に私淑。四国山中で修行。1935年に駒澤大学入学。大学卒業後、名古屋覚王山日泰寺仏舎利泰安塔奉仕殿司、名城大学教授、同大学図書館初代館長を歴任。 1973年、インドビハール州日本寺本堂天井画を揮毫。国際仏教興隆協会より「日本画僧」の称号を贈られた。 1976年、岐阜県土岐市に法王山中道寺を結ぶ。1983年、山海山根本中院金剛宝寺を結ぶ。
斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - … 斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - 1940年9月5日)は、日本の言語学者、僧侶。エスペランティスト、ローマ字論者。別名に森馥、鳥海昇、北島三郎、野沢愛蘭。 明治41年、山形県東田川郡山添村(現:鶴岡市櫛引地区)泉流寺の長男として生まれる。鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)、1931年駒澤大学文学部東洋文学科卒業。大学在学中、日本エスペラント学会、カナ文字会、秋田雨雀らのソビエトの会の会員となる。 大学卒業後、朝日村大泉小学校教員となり、大平や八久和などの分校に勤めていたが、軍国主義教育に批判的であり、児童にローマ字を教えていたことが問題視され、赤化教員の疑いで鶴岡警察署に1度目の逮捕。
若槻 修道(わかつき しゅうどう、1907年2月26日 - … 若槻 修道(わかつき しゅうどう、1907年2月26日 - 1999年10月11日)は、日本の政治家、僧侶。島根県飯梨村長、島根県議会議員(2期)、全国社会福祉協議会会長などを歴任。安来市萬松院十四世。号は活禅。 明治40年、能義郡飯梨村(現: 安来市)生まれ。1934年、曹洞宗大学(現: 駒澤大学)仏教学科卒業。曹洞宗研究生修了。 宗議会議員、飯梨村長(1947年4月から時期不明)、島根県議会議員(1951年5月から1959年4月まで)、県共同募金会会長、県社会福祉協議会会長、全国社会福祉協議会会長、仏教年鑑編集長などを務める。著書に「大乗経典の概説」など。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。
小川 弘貫 (おがわ こうかん、1905年12月26日 - … 小川 弘貫 (おがわ こうかん、1905年12月26日 - 1974年4月10日)は、日本の曹洞宗の僧侶、駒澤大学教授、駒沢女子短期大学初代学長。専門は如来蔵思想。
鈴木 俊隆(すずき しゅんりゅう、1905年5月18日 - … 鈴木 俊隆(すずき しゅんりゅう、1905年5月18日 - 1971年12月4日)は昭和の曹洞宗の僧侶。アメリカに禅を広め、欧米では、鈴木大拙と並んで「2人の鈴木」と呼ばれている。 神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれる。12歳で静岡県森町の蔵雲院の玉潤祖温に弟子入り。駒澤大学在学中に蔵雲院住職となる。1930年同大卒業。永平寺、總持寺で修行。1936年に静岡県焼津町(現、焼津市)林叟院住職に転任。 1959年に55歳でアメリカに渡り、サンフランシスコの桑港寺の住職となる。桑港寺はそれまで主に日系人向けに教化活動をしていたが、当時の社会運動により、非日系アメリカ人の参禅者が増加。日系人との間で軋轢を生むようになり、鈴木は彼らのために1962年にサンフランシスコ禅センターを設立。
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体: 廣川 弘禪、190… 広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体: 廣川 弘禪、1902年〈明治35年〉3月31日 - 1967年〈昭和42年〉1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。 衆議院議員。農林大臣(第12・14・16代)、行政管理庁長官(第6代)、自由党総務会長・幹事長、民主自由党幹事長、財団法人青葉学園理事長、青葉学園短期大学初代学長を歴任した。位階・勲等は正三位勲一等瑞宝章。 福島県石川郡玉川村生まれ。生家は曹洞宗の寺院大安寺。苦学し曹洞宗大学(後の駒澤大学)仏教学部中退。当時広川は、藤田俊訓らと共に同大学の単科大学昇格運動に積極的に参加していたため「風紀を乱す」として大学に目をつけられており、退学理由についても「当時の学長である忽滑谷快天の怒りを買った」ためとする説がある。
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902… 広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902年(明治35年)3月31日 - 1967年(昭和42年)1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。農林大臣、国務大臣行政管理庁長官、日本自由党総務会長を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。
増永 霊鳳(ますなが れいほう、1902年(明治35年)3月… 増永 霊鳳(ますなが れいほう、1902年(明治35年)3月5日 - 1981年(昭和56年)12月29日)は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶。駒澤大学名誉教授。仏教学専攻。 福井県福井市出身。駒澤大学仏教学部卒。同研究科卒。文学博士。駒澤大学仏教学部教授、駒澤大学短期大学部長を歴任。
水野 弘元(みずの こうげん、1901年11月19日 - 2… 水野 弘元(みずの こうげん、1901年11月19日 - 2006年1月1日)は、日本のパーリ語仏教(原始仏教)の研究者、僧侶。駒澤大学総長を務めた。同大名誉教授、東京大学文学部教授。学位は、文学博士(東京大学)。インドナーランダ大学名誉文学博士。 1901年、佐賀県に生まれた。曹洞宗第四中学林(現高川学園高等学校・中学校)、山口高等学校経て、東京帝国大学に進学。1928年、東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業し、同大学大学院に進んだ。 1935年、駒澤大学講師に就任。1940年、教授に昇進。1959年から1962年には、東京大学教授を兼任した。1976年より駒澤大学副学長、1982年より駒澤大学総長をつとめた。
谷口節道(たにぐち せつどう、1901年 - 1986年)は… 谷口節道(たにぐち せつどう、1901年 - 1986年)は、日本の曹洞宗の僧侶、福祉事業家。霊眼寺(富山県富山市中布目)住職。児童養護施設ルンビニ苑(富山県富山市中布目)初代園長。 駒澤大学専門部を女性として初めて卒業した、5人の尼僧のひとりとしても知られる。尼僧の地位向上にも貢献した。駒澤大学での勉学を終えて、郷里の富山に戻る折、複数の戦争孤児らを見るに見かねて、ともかくも一緒に連れ帰ったのが、福祉事業の最初とされる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。
千葉 省一(ちば しょういち、1900年〈明治33年〉10月… 千葉 省一(ちば しょういち、1900年〈明治33年〉10月14日 - 1988年〈昭和63年〉10月18日)は、日本の政治家、僧侶。宮城県本吉町長、曹洞宗布教師、宗議会議員などを歴任。勲五等双光旭日章綬章 本吉郡御嶽村(現・気仙沼市)生まれ。1927年(昭和2年)、曹洞宗大学(現: 駒澤大学)卒業。愛知中学校舎監、曹洞宗布教師、軍人布教師、中国吉林市の日満寺を開設し吉林省強化興亜禅林、九台布教所を設立。磐石県禅宗寺を設立。南満鉄道巡回布教師、宗議会議員などを経て、本吉町長を務める。1963年(昭和38年)4月30日に町長に就任した。1967年(昭和42年)4月に無投票で再選を果たした。1975年(昭和50年)4月に4選を果たした。
藤田 俊訓(ふじた しゅんくん、1898年2月8日 - 19… 藤田 俊訓(ふじた しゅんくん、1898年2月8日 - 1975年2月25日)は、日本の僧侶(曹洞宗)、大学経営者。佐賀県杵島郡大町町出身。 賢崇寺第29代住職、駒沢女子学園学監、駒澤大学学監などを歴任。「駒大中興の祖」と呼ばれる。 佐賀県神埼郡城田村の光円寺住職の父・亮雄と母センの長男として生まれる。1925年、曹洞宗大学(今の駒澤大学)卒業。大学在学中、学内誌「第一義」の編集に携わる(1922年から卒業迄)。1923年、夏休みを早めに切り上げて上京したため、関東大震災に遇う。広川弘禅や安藤文雄らと共に曹洞宗大学の単科大学昇格運動に積極的に関わった。 苦学して大学卒業後、曹洞宗総務院に務めるが程なく帰郷し宗侶として活動。
佐々木 雄堂(ささき ゆうどう、明治30年(1897年) –… 佐々木 雄堂(ささき ゆうどう、明治30年(1897年) – 昭和39年(1964年))は、大正から昭和期の曹洞宗の僧侶。平安山龍泰寺(佐賀県佐賀市)の住持職(方丈)。郷土史家、教育家、思想家。 佐賀県佐賀市赤松町にある平安山龍泰寺の住職をつとめる佐々木家の長男として生まれる。佐々木家は代々、佐賀県神埼市の吉祥山泰蔵院住持職を世襲する寺家であり、佐賀県曹洞宗の名刹・龍泰寺の住職に晋山したものである。生母は佐賀藩士石井探玄(新蔵)の娘チカ。母方の家系は、佐賀藩祖鍋島直茂の正室陽泰院の甥石井茂成の子孫の家であった。 長じて、駒澤大学仏教学部に学び、卒業後、父の跡を継いで龍泰寺に仕え、住持職に就任。神埼市の泰蔵院の住持職をも兼務した。
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月… 中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人、天台宗僧侶。文化功労者。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。 1895年(明治28年)、石川県金沢市長町に生まれ、富嗣と命名される。祖父は加賀藩士。父親は海軍軍楽隊教官だったが、悟堂の生後まもなく病死し、母は長崎の実家に帰ったまま行方不明となり、父の兄で中西家十代の当主元治郎(悟玄)の養嗣子となる。3歳頃より四書五経を学び千字文を書写する。
榑林 皓堂(くればやし こうどう、1893年10月1日 - … 榑林 皓堂(くればやし こうどう、1893年10月1日 - 1988年1月6日)は、日本の曹洞宗の僧侶、仏教学者、駒澤大学総長。 1893年に静岡県榛原郡菅山村(現牧之原市)の華厳院、榑林拡道の長男として生まれる。 1915年、曹洞宗大学林(現、駒澤大学)を卒業し、永平寺で丘宗潭について修行。1918年から1921年には岸沢惟安について修行。 1927年に駒澤大学助手に就任、講師、助教授を経て教授、仏教学部長に。1958年に『道元禅の研究』で駒澤大学文学博士。1968年から75年に駒澤大学総長。76年に名誉教授。73年に曹洞宗権大教正に補任。
山田 霊林(やまだ れいりん、1889年1月20日 - 19… 山田 霊林(やまだ れいりん、1889年1月20日 - 1979年7月15日)は、曹洞宗の僧侶・禅思想家。駒澤大学総長を務めた。 岐阜県高山市天性寺町生まれ。別名号・鷲峰霊林、仏真宏照禅師。1915年曹洞宗大学(現・駒澤大学)卒業。曹洞宗宗学研究生、1918年 - 1925年總持寺宗学研究員。雑誌『禅の生活』の編集主幹となり、講話やラジオ放送に活躍した。1926年世田谷中学校教頭、1938年校長、1941年駒澤大学学監、1942年同大教授、1953年曹洞宗宗学研究所副所長、1960年北米開教総監、1961年「道元禅の基本的性格とその正修行」で駒澤大学文学博士、1964年駒大総長に就任。1968年永平寺副貫首、1975年永平寺75世貫首となる。
安藤 文英(あんどう ぶんえい、1883年7月15日 - 1… 安藤 文英(あんどう ぶんえい、1883年7月15日 - 1958年4月13日)は、日本の仏教学者、僧侶。駒澤大学教授、總持寺顧問、学校法人総持学園理事長などを歴任。号は哲山。 明治16年、尾張国熱田(愛知県)生まれ。秋野孝道に参道。1910年(明治43年)曹洞宗大学(現: 駒澤大学)卒業。4年間、内地留学生として宗学研究を行う。1910年から可睡斎にて参禅学道。1921年に曹洞宗第一中学林教頭、1926年に同校長。1944年より總持寺監院。駒澤大学教授、神奈川県仏教会顧問、静岡県周智郡大洞院独住八世、崇信寺44世などを務める。 著書に「修証義通解」「永平大清規通解」、共著に「正法眼蔵註解全書」「禅学辞典」など。
岡田 宜法(おかだ ぎほう、1882年4月7日 - 1961… 岡田 宜法(おかだ ぎほう、1882年4月7日 - 1961年12月29日)は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶。駒澤大学学長。 明治15年(1882年)4月7日、埼玉県北埼玉郡上会下村(鴻巣市)に生まれる。同村の雲祥寺にて出家。 明治39年(1906年)に曹洞宗大学林(駒澤大学)を卒業し、布教使となり各地を歴訪。世田谷中学(世田谷学園)教頭を経て、大正14年(1925年)に駒澤大学教授に就任。昭和19年(1944年)に『日本禅籍史論』で文学博士となる。 戦後は、昭和22年(1947年)から28年(1953年)まで駒澤大学長となる。 昭和36年(1961年)12月29日に遷化。
木村 泰賢(きむら たいけん、1881年8月11日 - 19… 木村 泰賢(きむら たいけん、1881年8月11日 - 1930年5月16日)は、日本の曹洞宗の僧侶(岩手県東慈寺住職)で、インド哲学者・仏教学者。日本における近代仏教学の確立に貢献した。学位は、文学博士。東京帝国大学教授。 1881年に岩手県滝沢村一本木(現在の滝沢市一本木)に、父亀治と母リツの次男として生まれる。幼名二蔵。一家は1984年に大更村(現在の八幡平市大更)へ移り住み、父は当地で酒造業を営む工藤家の家事手伝いを勤めた。1891年に父が亡くなった後、母の労苦を見かねて酒造店で小僧修業していたところ、東慈寺の住職であった十九世村山実定に見込まれて養子となり出家。実定の号である泰山から一字を与えられ、泰賢と称した。
孤峰 智璨(こほう ちさん、1879年8月16日 - 196… 孤峰 智璨(こほう ちさん、1879年8月16日 - 1967年11月1日)は、日本の曹洞宗の僧侶。神奈川県最乗寺住職、總持寺独住18世貫首。俗姓は奥田。号は瑩堂。 明治12年富山県生まれ。1892年13歳で得度、石川県永光寺の孤峰白巌の法をつぐ。1901年から臨済宗円覚寺の釈宗演、長国寺の杉本道山、西宮海青寺の中原南天棒、原劉洲らに師事。1904年曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。1909年教導講習院卒業。 1905年から千葉泉福寺、長野県頼岳寺、石川県永光寺、神奈川県最乗寺各住職。1928年師家となり、最乗寺専門僧堂長、長野県専門尼僧堂長、曹洞宗総持寺副監院、藍院、副貫首を経て1957年貫首。
山上 曹源(やまがみ そうげん、1878年10月12日 - … 山上 曹源(やまがみ そうげん、1878年10月12日 - 1957年3月21日)は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶。第13代駒澤大学学長、駒澤学園創立者。号は霊岳。別名、天川(てんせん)。 佐賀県藤津郡能古見村(現・鹿島市)大野生まれ。1889年嬉野市永寿寺で出家得度。曹洞宗第一中学林(現・世田谷学園)、1906年(明治39年)曹洞宗大学(現・駒澤大学)卒業。同年11月曹洞宗海外研究生としてインド、セイロン(スリランカ)に留学。1907年よりインド・カルカッタ大学大学院で梵語(サンスクリット)、インド宗教、インド哲学、インド文学を研究。1910年同大学で仏教思想系統論を講じる。1913年(大正2年)帰国。
来馬 琢道(くるま たくどう、1877年11月28日 - 1… 来馬 琢道(くるま たくどう、1877年11月28日 - 1964年7月10日)は、日本の僧侶、政治家。参議院議員(1期)。仏前結婚式の創始者ともされる。 東京出身。来馬立道、西有穆山に師事。1900年、浅草の曹洞宗万隆寺に晋山し、翌年曹洞宗大学を卒業。仏教青年伝道会に携わり、自坊で「仏前結婚式」の導師を務めるなど多彩な活動を行なう。1911年にはシャムの皇帝戴冠式に出席。曹洞宗宗議会議長、教学部長、庶務部長、顧問など宗内の重要ポストに就き、『曹洞宗全書』の編纂に尽力。1932年には大陸に渡り満洲、内蒙古の宗教事情を調査した。日朝親善協会会長なども務めた。晩年には大本山永平寺の西堂となった。1945年、紺綬褒章受章。
丘 球學(おか きゅうがく、旧姓:山田、1877年10月17… 丘 球學(おか きゅうがく、旧姓:山田、1877年10月17日 - 1953年10月14日)は、愛知県出身の日本の曹洞宗の僧侶。 明治10年(1877年)10月17日、愛知県碧海郡筒針村(現・岡崎市)山田栄助の三男として生まれる。1891年、静岡県磐田郡井通村(現・磐田市)の正医寺住職榑松賢童に就いて出家得度。可睡斎で修行し西有穆山・丘宗潭に師事して後を継ぐ。 1902年(明治35年)に曹洞宗大学林(現・駒澤大学)を卒業、1915年(大正4年)に修禅寺38世住職・安泰寺住職を継ぐ。 曹洞宗大学林副学監、永平寺後堂、總持寺西堂、ソウル博文寺住職を歴任し、1947年(昭和22年)に帰国後、永平寺西堂、永平寺東京別院監院、永平寺副貫首となる。
高階 瓏仙(たかしな ろうせん、1876年12月15日 - … 高階 瓏仙(たかしな ろうせん、1876年12月15日 - 1968年1月19日)は、日本の仏教学者、僧侶。曹洞宗大学(現駒澤大学)教授。總持寺独住第12世貫首、永平寺第71世貫首、曹洞宗第18代管長、全日本仏教会長を歴任。道号は玉堂。 福岡県嘉穂郡臼井村生まれ。1890年永泉寺の高階黙仙住職について得度。1901年曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。同年より曹洞宗の内地留学生として京都で仏教研究。1903年福岡県の永泉寺住職。1904年可睡斎の日置黙仙に4年に渡り随待参禅し、1905年静岡県の崇信寺住職となる。1909年曹洞宗大学教授に就任。1910年曹洞宗特選議員となり、以後宗議会議長、宗務院総務を歴任。
伊藤 道海(いとう どうかい、1874年5月18日 - 19… 伊藤 道海(いとう どうかい、1874年5月18日 - 1940年7月16日)は、日本の曹洞宗の僧侶。最乗寺住職、曹洞宗管長、總持寺独住9世貫首。別名、無辺光照禅師。号は天祐。 新潟県生まれ。幼少から肺肋膜を病む。1882年(明治15年)新潟広大寺の横木卍元(まんげん)に師事して得度。闘病と仏道修行に励む。1893年能登の総持寺僧堂に掛錫し、杉本道山に師事。1895年卍元に嗣法。一雲水として修行中の1898年、寺が全焼。猛火の中を宝物や重要文書を運び出し、優れた功績をあげた。1900年26歳のとき、選ばれて曹洞宗大学林(現駒澤大学)に入学。1904年同大学林卒業。同年7月、山形県宝鏡寺住職となる。
熊澤 泰禅(くまざわ たいぜん、1873年5月1日 - 19… 熊澤 泰禅(くまざわ たいぜん、1873年5月1日 - 1968年1月7日)は、日本の仏教学者、僧侶。曹洞宗大学林(現駒澤大学)教授。曹洞宗總持寺独住16世貫首、永平寺73世貫首。道号は祖学。諡号は大光円心禅師。 明治6年愛知県丹羽郡丹陽村(現一宮市)生まれ。1880年郷里の文殊院石原泰豊師について出家、1886年滋賀県慈眼院諏訪周禅師につき得度、1891年同師より嗣法。1892年永平寺に転じる。1901年曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。1902年宗門内地留学生となり、京都浄土宗専門学院(現学校法人佛教教育学園)に入り、唯識学を研究した。1905年師席を継ぎ慈眼院住職、1908年母校の曹洞宗大学林教授に就任。