池田 善吾(いけだ ぜんご、1946年 - )は、福岡県出身… 池田 善吾(いけだ ぜんご、1946年 - )は、福岡県出身の元アマチュア野球選手(投手)日本で初めてキューバを抑えた投手。 博多工業高等学校では、同期にエース橋本孝志がおり、主に一塁手として起用される。投手としても1963年秋季九州大会決勝で日南高に完封勝ちを記録している。1964年春の選抜に出場。2回戦で池永正明を擁する下関商を降し準決勝まで進出するが、尾道商の小川邦和に0-4で完封負け。しかし同年6月の新潟国体では、決勝で尾道商を降し初優勝。同年夏は県予選準々決勝で、末永吉幸のいた小倉工に日没引き分け再試合の末に敗退。1学年下に遊撃手の倉田晃がいる。 芝浦工業大学に進学。東都大学野球リーグでは、エースとして1968年秋季リーグで7年振りに優勝。
近森 克彦(ちかもり かつひこ、1945年9月24日 - )… 近森 克彦(ちかもり かつひこ、1945年9月24日 - )は、日本のハンドボール選手。山口県出身。 芝浦工業大学時代の1967年にスウェーデンで開催された世界男子ハンドボール選手権に出場、大学卒業後の大崎電気に所属していた1970年にもフランスで開催された世界選手権に出場した。同じ1970年10月、ハンドボール・ブンデスリーガのHSVハンブルクに移籍し、レギュラーとして1971年までプレーした。帰国後の1972年にはオリンピックの正式種目としてハンドボールが復活したミュンヘンオリンピックにコーチ兼選手として出場した。 引退後は全日本実業団ハンドボール連盟の理事長などをつとめた。
増田 千次郎(ますだ せんじろう、1945年7月1日 - )… 増田 千次郎(ますだ せんじろう、1945年7月1日 - )は、日本の建築家。芝浦工業大学工学部建築学科特任教授。静岡市出身。 1964年、静岡県立静岡高等学校卒業。芝浦工業大学工学部建築学科卒業。1978年に増田千次郎建築事務所を設立。専門分野は、伝統的建造物調査や木造建築の設計。2000年に日本建築学会業績賞、文化財保護法制定50周年記念文化功労文部大臣賞、静岡県都市景観賞、2005年にUNESCO太平洋アジア地区文化遺産保存賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は… 大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は日本の元プロ野球選手(内野手)。
切通 猛(きりとおし たけし、1944年4月21日 - 20… 切通 猛(きりとおし たけし、1944年4月21日 - 2015年6月15日)は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ。 姫路南高では明治大学時代に杉下茂とバッテリーを組んだ安藤邦夫監督の指導を受け、3年次の1963年に4番・左翼手として夏の甲子園兵庫大会決勝に進出するが、市西宮高に5-6で惜敗し甲子園出場を逸する。2年後輩の黒田正宏は、切通が凄い筋肉で打球をポンポン飛ばしていたのを見て、一流になるにはあのぐらいの筋力がないといけないのかと思い、足腰を徹底的に鍛えた。切通は黒田に「何でもええから走っとけ」とアドバイスし、黒田が野球人生で最初に影響を受けた人になった。 高校卒業後は1964年に芝浦工業大学へ進学し、田部輝男監督の指導を受ける。
小澤 良明(おざわ よしあき、1943年〈昭和18年〉8月2… 小澤 良明(おざわ よしあき、1943年〈昭和18年〉8月2日 - )は、日本の政治家。元神奈川県小田原市長。旭日中綬章。 神奈川県小田原市生まれ。 1965年、芝浦工業大学工学部建築学科卒業。その後建設大臣登録一級建築士免許取得。 1971年4月小田原市議会議員に27歳で初当選。以後4期連続当選。1983年5月第34代小田原市議会議長就任。1987年4月神奈川県議会議員初当選。1991年に再選。1992年5月第16代小田原市長初当選。以後4期連続当選。この間、全国史跡整備市町村協議会会長、全国特例市連絡協議会会長などを歴任。2008年5月小田原市長を引退。2013年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。
浦口 醇二(うらぐち じゅんじ、1943年 - )は、日本の… 浦口 醇二(うらぐち じゅんじ、1943年 - )は、日本の都市計画家。地域プランナー。株式会社かいアソシエイツを主宰、芝浦工業大学非常勤講師、東京芸術大学非常勤講師で専門はまちづくり、地域環境計画。東京都生まれ。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
畑 聰一(はた そういち、1943年 - )は、日本の建築学… 畑 聰一(はた そういち、1943年 - )は、日本の建築学者・建築家。芝浦工業大学名誉教授。専門は建築計画・比較住居論。 石川県出身。 1960年代後半 兄事する鈴木恂は「実測小論」という論文を『都市住宅』に寄稿したが、「そのなかで使った触知するという言葉が脳裏に焼きつき、実際に実物をみて、空間を体験し、触って測り録ってきたいと思うようになった」。その後1971年10月キクラデス諸島へ行ったのが最初のフィールドワークとなった。 1975年から2008年まで学生たちと、日本では伊勢湾の離島漁村集落、都市低層集合住宅団地、および都市高密度居住地、九州離島と沿岸の農漁村集落、東アジアでは韓国・台湾の集落、地中海沿岸ではギリシャ・チュニジアの集落、東南アジアではタイの集落、マレーシア・インドネシアの集落、ラオスの集落、南アジアではネパールの集落 の フィールドワークをおこなった。
鈴木 宣之(すずき のぶゆき、1942年12月8日 - )は… 鈴木 宣之(すずき のぶゆき、1942年12月8日 - )は、日本の実業家、作家、アマチュア野球指導者。愛知県名古屋市熱田区出身。東海中学校・高等学校、芝浦工業大学工学部二部卒業。 高校在学中は外野手として野球部で活動。3年生のとき、夏の愛知県大会ベスト4進出。大学卒業後は、東京都品川区西中延の伯父の会社に勤務。1970年、愛知県西春日井郡にて実兄の世話で、機械部品製造の自営を始める。 イチローの実父で、イチローの個人事務所「オフィス・イチロー」の代表も務める。イチローの父親であることから、「チチロー」と呼ばれることもある。また、元ファッションモデルの鈴木来海は孫に当たる。 イチローが小学校の3年生の時から中学に入るまで、学校から帰宅して日が沈むまで毎日、野球の練習に付き添い、また練習後は毎晩イチロー選手の足の裏をマッサージをしていた。
当銀 長太郎(、1941年〈昭和16年〉11月28日 - )… 当銀 長太郎(、1941年〈昭和16年〉11月28日 - )は、日本の俳優。旧名は當銀長太郎。旧芸名・別名はジャング当銀。 趣味・特技は乗馬、殺陣、ゴルフ、スキー。双子の弟は元俳優の当銀長次郎。 東京市(現東京都)荒川区に生れ、1957年に芝浦工業大学高等学校に入学する。1958年、高校在学中に大映にスカウトされて、映画『俺たちは狂っていない』に出演。その後、ニューフェースで東宝に入社。同期に伊吹徹などがいる。 1962年、『日本一の若大将』に出演して以来、戦争映画、時代劇など数多くの東宝映画作品に出演。1964年、『宇宙大怪獣ドゴラ』への出演を皮切りに東宝怪獣映画でもお馴染みの顔となる。1966年、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』ではゴジラシリーズに初出演を果たし、大学生・市野役を演じている。
茅野 智行(ちの ともゆき、1941年10月24日 - )は… 茅野 智行(ちの ともゆき、1941年10月24日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(内野手)。 北海高等学校では1959年にエース荻野一雄を擁し、夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け。卒業後は芝浦工業大学へ入学。東都大学リーグでは1961年秋季にリーグ初優勝を経験。同季の最高殊勲選手であった岩下光一が卒業した後の正遊撃手となり、1963年秋季リーグでは打率.389で首位打者を獲得、全試合連続安打や無失策も記録した。ベストナイン(遊撃手)2回選出。 1964年に西鉄ライオンズに入団。同年はトニー・ロイの控えながら、遊撃手として13試合に先発出場する。
飯田 久彦(いいだ ひさひこ、1941年8月23日 - )は… 飯田 久彦(いいだ ひさひこ、1941年8月23日 - )は、日本の音楽プロデューサー・歌手。東京都出身。日本大学高等学校卒業。芝浦工業大学工学部電子工学科中退。歌手時代の愛称はチャコ。デビュー当時は第一プロダクション所属。ビクター音楽産業在籍時代に、『スター誕生!』に出場したピンク・レディーを発掘した。 サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」の“チャコ”とは、彼のニックネームを桑田佳祐が歌詞にしたもの。幼少時、ヒサヒコが呼びにくいためヒチャヒコとなり、縮めて“チャコ”が愛称になった。歌手引退後のビクター音楽産業ディレクター時代も"チャコ"と呼ばれ、その頃桑田と知り合っている。
北川 良和(きたがわ よしかず、1941年 - )は、日本の… 北川 良和(きたがわ よしかず、1941年 - )は、日本の建設技官・地震工学者。学位は、工学博士。建設省建築研究所部長、広島大学教授、慶應義塾大学理工学部教授、日本地震工学会会長を歴任。 1965年芝浦工業大学建築学科卒業。1971年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士。同年建設省建築研究所研究員。1979年建設省建築研究所第3研究部構造研究室室長。1980年建設省建築研究所第3研究部振動研究室室長。1987年建設省建築研究所国際地震工学部第二耐震工学室室長。1989年建設省建築研究所建築試験室室長。1990年建設省建築研究所第4研究部部長。1991年建設省建築研究所国際地震工学部部長。
中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は… 中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は、日本のバスケットボール指導者である。鶴鳴女子高校、共同石油(後のENEOSサンフラワーズ)、浜松・東三河フェニックス(後の三遠ネオフェニックス)などの監督・ヘッドコーチを歴任し、全国優勝に導いた。またバスケットボール女子日本代表、秋田ノーザンハピネッツ、新潟アルビレックスBBのヘッドコーチも務めた。退任後、秋田県体育協会のゼネラル・アドバイザーとして秋田県のスポーツ振興に取り組む。 渋谷センター街バスケットボールストリートの入り口には、中村の座右の銘である「心をこめて」という言葉が刻まれたモニュメントが設置されている。また日本工学院八王子専門学校が主催する高校バスケットボールの大会「KAZU CUP」は、中村の名前を由来としている。
三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月… 三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月23日 - 2021年(令和3年)7月8日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。 熊本県体育協会顧問、熊本県障害者スポーツ・文化協会会長、濟々黌上塚周平顕彰会会長、熊本県柔道整復師連盟顧問、芝浦工業大学校友会熊本支部長、九州・トルコ協会会長、熊本城顕彰会会長、熊本県神社庁総代会副会長を務めた。
酒巻久(さかまき ひさし、1940年3月6日 - )は、日本… 酒巻久(さかまき ひさし、1940年3月6日 - )は、日本の経営者。キヤノン電子代表取締役社長。
岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は… 岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
五十嵐 久也(いがらし ひさや、1940年1月11日 - 2… 五十嵐 久也(いがらし ひさや、1940年1月11日 - 2019年12月10日 )は、日本の実業家。三井住友建設代表取締役社長を経て、芝浦工業大学理事長。 北海道出身。芝浦工業大学工学部建築学科卒業。 1964年4月 鹿島建設入社。1996年10月 関西支店副支店長を経て、1997年6月 取締役に昇格。2001年6月 常務取締役。2002年6月 常務取締役横浜支店長。2005年6月 顧問。 2006年2月より大和証券SMBCプリンシパル・インベストメンツの顧問に就任。 2006年6月から三井住友建設代表取締役社長兼執行役員社長を務め、経営再建にあたった。2010年4月 三井住友建設 取締役相談役。
三井所清典(みいしょ きよのり, Kiyonori Miis… 三井所清典(みいしょ きよのり, Kiyonori Miisho 1939年2月7日- )は、日本の建築家。株式会社アルセッド建築研究所代表取締役。公益社団法人日本建築士会連合会名誉会長。芝浦工業大学名誉教授。佐賀県生まれ。 佐賀県立佐賀西高等学校から東京大学工学部建築学科に進学し1963年卒業。1965年、同大学大学院数物系研究科建築学専攻修士課程修了。1968年、同大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。工学博士。 1963年、RAS建築研究同人に参加。1968年から芝浦工業大学講師。1970年にアルセッド建築研究所を設立。1982年に芝浦工業大学教授就任。2007年に東京建築士会会長。
小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - 2009年… 小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家。総会屋。「最後の総会屋」と呼ばれた。 広島市の歓楽街・弥生町の入口、下柳町(現中区銀山町)生まれ。当地は証券街で、かつ遊郭もあり、ヤクザの多い街でもあった。1945年、7歳国民学校二年の夏、爆心地から1.1キロの自宅で被爆。薫は釣りに行くため自宅を出る直前だった。幸い家族もみな軽傷で済んだ。1946年、戦場から父親が復員。戦前から経営していた電器店を再開したが、父は博徒岡組(のちの共政会)組長・岡敏夫と親しく野球賭博を始め店を潰し、その後は食堂を営んだ。 小川の兄・義夫と弟・明男の三人は喧嘩が滅法強く「小川三兄弟」と恐れられたが、叔父の田部武雄がプロ野球選手だったこともあり、野球もうまく、みな野球強豪高校でレギュラーとなった。
小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、… 小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、日本の自動車工学者、芝浦工業大学名誉学長。専門は自動車工学、マンマシンシステム。日本自動車ジャーナリスト協会 (AJAJ) 顧問、日本自動車研究者ジャーナリスト会議 (RJC) 前会長。NPO法人「日本自動車殿堂」会長。工学博士。 長野県下諏訪町生まれ。1959年芝浦工業大学工学部機械工学科卒業。東京大学生産技術研究所を経て、1968年芝浦工業大学工学部助教授、1982年同教授。1991年システム工学部長を経て、1997年から2000年まで学長を務めた。名誉学長。2005年退官。中国の武漢工学院の客員教授も務めた。 マン・マシンシステムの立場から、自動車の運転性能の試験研究、4WSの基礎理論と開発、安全運転に関する研究に従事し、AJAJ議長を務め、日本の自動車殿堂の創設にも尽力した。
梶栗 玄太郎(かじくり げんたろう、1937年〈昭和12年〉… 梶栗 玄太郎(かじくり げんたろう、1937年〈昭和12年〉 - 2012年〈平成24年〉12月26日)は、日本の宗教家、政治活動家。世界平和統一家庭連合の日本統一教会第12代会長、世界日報社社長、国際勝共連合会長、世界平和連合会長、国際ハイウェイ財団理事長などを歴任した。 福岡県宗像郡東郷町(現・宗像市東郷町)生まれ。玄太郎の名前は漢字は異なるが、日露戦争時の参謀の陸軍大将児玉源太郎にあやかったという。1960年、芝浦工業大学土木工学科卒業。 1963年11月、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に入信。1964年、全国大学連合原理研究会初代副会長に就任。 1969年5月1日、渋谷区松濤の教団本部で22組(12組と既成10組)の男女が文鮮明・韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した。
高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )… 高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )は、英文学者、電気技術者、童話作家、大正大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。旧制川口中学校(現・埼玉県立川口高等学校)に入学後、15歳で就職し、31歳まで民間の工場や会社に電気技術者として勤務。その間、夜間課程の川口市立県陽高等学校卒、芝浦工業大学2部電気工学科卒業。1964-82年東京都立港工業高等学校定時制に電子科教諭として勤務。本務の傍ら、法政大学で英文学、中央大学でドイツ文学と法律学の学科を卒業し、東京大学医学部の研究生として6年間医用工学の研究に従事。法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位修得退学。1982年大正大学に勤務。
佐藤 六朗(さとう ろくろう、1929年 - 2025年1月… 佐藤 六朗(さとう ろくろう、1929年 - 2025年1月5日)は、福島県郡山市出身の日本の漫画家。本名は佐藤 六郎。 福島県立安積高等学校を卒業し上京、1950年、芝浦工業専門学校(現、芝浦工業大学)卒業。 薬品会社に就職するが会社が倒産。郡山市にもどり実家のうなぎ屋の手伝いをしながら、福島民友、福島民報のマンガ欄や『アサヒグラフ』の漫画学校などに投稿する。 1955年10月に再び上京。加藤芳郎の世話で「漫画集団」に参加する。1959年、文藝春秋社の『漫画読本』に掲載した「動物記」で文藝春秋漫画賞の候補となる。同年、『漫画サンデー』にて「ゆるふん太平記」を連載する。以後、雑誌、新聞の連載漫画や挿絵や一コマ漫画で多数活躍する。
岡村 崔(おかむら たかし、1927年12月13日 - 20… 岡村 崔(おかむら たかし、1927年12月13日 - 2014年2月4日)は、日本の写真家。 東京府下吉祥寺に生まれる。5歳の頃、両親の故郷静岡県に転居。幼少期は相良、その後静岡市内に移り、1945年、静岡県立静岡中学校卒業。 1948年に芝浦工業専門学校(現、芝浦工業大学)を卒業し、日本大学旧工学部(現、理工学部)建築学科に入学(のち中退)。 中学在学中より登山を始め、山岳風景の写真にも取り組むようになる。1958年、登山の国際大会に参加するため初めて渡欧。この頃より専攻した建築から関心を広げ、ロマネスクの彫刻などヨーロッパの文化、美術に興味を持ち、渡航を重ねる。1965年にはローマに移住、ヨーロッパ各地の美術作品や教会建築などの撮影を中心に美術写真の専門家として活動するようになった。
横山 修二(よこやま しゅうじ、1925年(大正14年)11… 横山 修二(よこやま しゅうじ、1925年(大正14年)11月23日 - 2018年(平成30年)5月6日)は、日本の実業家、馬主。株式会社大京創業者であり、同社初代社長・会長を務めた。東京都出身。 東京都生まれ。麹町小学校 - 芝浦高等工学校卒業。戦後はシベリアに抑留されるが、1949年(昭和24年)にようやく帰国。 田辺工機で勤務などを経て、1960年(昭和35年)に大京商事、1964年(昭和39年)には大京観光を相次いで創業し、同社社長に就任した。 ライオンズマンションの名称で高層住宅の建設及び分譲により業績を伸ばした。 1997年(平成9年)には同社会長に就任し、その他、社団法人住宅産業開発協会(現・社団法人日本住宅建設産業協会)会長や第6代日本体操協会会長などを歴任した。
大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 200… 大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 2008年10月15日)は、日本の電気工学者。工学博士。 1925年4月1日、岡山県上房郡有漢町(現在の高梁市)出身。1944年に関西中学校を卒業後、旧制第六高等学校を経て芝浦工業専門学校に入学。主に電気工学を専攻とする。 戦後の学制改革により芝浦工業大学となった後に卒業。その後はアメリカ合衆国へ渡り、マサチューセッツ工科大学客員研究員、アメリカ航空宇宙局(NASA)客員研究員などを務める。NASA時代にはアポロ計画に参画、人工衛星取付用太陽電池の開発に携わっている。 1973年に芝浦工業大学工学部教授に就任。1991年から1997年までの6年間、芝浦工業大学学長を務めた。
石田 次男(いしだ つぎお、1925年〈大正14年〉2月24… 石田 次男(いしだ つぎお、1925年〈大正14年〉2月24日 - 1992年〈平成4年〉2月4日)は、日本の政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員、創価学会理事、初代九州総支部長を務めた。 のちに、創価学会の反対派(批判者)になり、創価学会への批判活動を行っていた。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1925年(大正14年)2月24日、秋田県鹿角市生まれ。芝浦工業専門学校を卒業後、1950年1月、創価学会に入会する。創価学会秘書室を経て、聖教新聞編集長、1951年7月11日、男子部第一部隊長(小岩、向島、城東各支部青年部担当)、1953年1月2日、創価学会小岩支部長に就任し、特に教学方面を担当する。
三越 左千夫(みつこし さちお、1916年〈大正5年〉8月2… 三越 左千夫(みつこし さちお、1916年〈大正5年〉8月24日 - 1992年〈平成4年〉4月13日)は、日本の詩人、児童文学作家。本名は三津越幸助(みつこし こうすけ)。千葉県香取郡大倉村(現:香取市)出身。 昭和20年頃より神保光太郎、高橋新吉、山之口貘らと交流があり、戦後現代詩の書き手の1人として活動。1950年に江口榛一と童謡詩誌『キツツキ』を創刊。詩誌『薔薇科』などに同人として参加。また、NHKのプロデューサーであった三枝健剛(三枝嘉雄)と知り合い、ラジオ番組の台本の執筆の他、『音楽夢くらべ』という番組の詩の選と補選を十数年担当した。 主な詩集に『柘榴の花』『夜の鶴』、童話集に『あの町この町、日が暮れる』『ぼくはねこじゃない』『かあさんかあさん』などがある。
伊達 篤郎(だて とくろう、1911年 - 2007年)は、… 伊達 篤郎(だて とくろう、1911年 - 2007年)は、日本山岳協会最高顧問、仙台藩士会会長、瑞鳳殿顧問。伊達政宗の末裔(藩主一門分家の岩出山伊達家出身)。 宮城県大崎市に生まれる。大崎市立岩出山中学校、宮城県古川高等学校、東京高等工学校(現・芝浦工業大学)卒業。宮城県庁、仙台市役所勤務を経て、1968年仙台市博物館館長となる。1974年から瑞鳳殿再建期成会事務局長を務め、第二代・第三代の霊廟再建に当たる。1986年より財団法人瑞鳳殿顧問を務めた。 1972年藍綬褒章受章。
三並 義忠(みなみ よしただ、1908年(明治41年)1月8… 三並 義忠(みなみ よしただ、1908年(明治41年)1月8日 - 1966年(昭和41年)9月1日 )は、昭和期の工学技術者。自動電気釜の開発者として知られる。 愛媛県新居郡中萩村(現・新居浜市)出身。小学校を卒業後鉄道省に入省。鉄道機関士を目指し働きながら大阪市立都島工業専修学校(現・大阪府立都島工業高等学校定時制課程)で学ぶ。1928年に鉄道省を退職して上京。芝浦工学校(現・芝浦工業大学)を卒業。 ドイツ系の機械商社アンドリュウス社に入った。1932年または1934年に独立し光伸社を設立。精密測定器を製作した。戦後はテープレコーダーや16ミリ映画のトーキー、圧力釜などを作った。 1952年に東京芝浦電気(東芝)と関係し、自動電気釜を発明した。
田岡 信樹 は、日本の建築写真家、デジタルフォトグラファー、… 田岡 信樹 は、日本の建築写真家、デジタルフォトグラファー、建築プロデューサー。
田丸 篤志 は、日本の男性声優。埼玉県出身。マウスプロモーシ… 田丸 篤志 は、日本の男性声優。埼玉県出身。マウスプロモーション所属。
石丸 博也 は、日本の声優、俳優、ナレーター。2023年に一… 石丸 博也 は、日本の声優、俳優、ナレーター。2023年に一度芸能活動から引退したが、2025年に復帰を果たした(後述)。宮城県仙台市出身。ぷろだくしょんバオバブ所属。旧芸名は石出 博昭。
柏木 正義 は、北海道小樽市出身のアルペンスキーヤーである。… 柏木 正義 は、北海道小樽市出身のアルペンスキーヤーである。1972年の札幌オリンピックに出場した。
くり ひろしは、日本の漫画家。 北海道虻田郡倶知安町出身、日… くり ひろしは、日本の漫画家。 北海道虻田郡倶知安町出身、日高地方育ち。北海道札幌開成高等学校、芝浦工業大学卒業。技術系の分野を中心に活躍する漫画家。スタジオぬえの佐藤道明に師事し、日本SF大会スタッフとして活動。イラストレーターの加藤龍勇、後藤啓介と同じ大学・サークルの後輩でもある。 1985年マイコンBASICマガジン8月号の企画ページで「パソコン・レクチャー」でデビュー。同年より『マイコンBASICマガジン』(電波新聞社)にて、17年間休載なく「パソコンレクチャー」シリーズ全212回を執筆した。レクチャー形式漫画家の元祖。「○○レクチャー」という言葉もこのシリーズが初とされている。 デビューのきっかけは、先にベーマガのライターとして活動していた断空我が、挿絵の描ける漫画家として彼を編集部に紹介したことからであるため、一般漫画誌への投稿歴や連載歴は無い。
藤倉 茂起(ふじくら しげき)は、日本の地方公務員、土木技術… 藤倉 茂起(ふじくら しげき)は、日本の地方公務員、土木技術者。川崎市建設緑政局長等を経て、川崎市副市長。 1981年芝浦工業大学工学部土木工学科卒業。1982年に土木職で川崎市役所に入庁。建設緑政局計画部広域道路課長や、総合企画局担当部長、まちづくり局交通政策室長等を経て、2016年建設緑政局長。 2018年に加藤順一とともに副市長に起用され、まちづくり、建設緑政、上下水道、交通、港湾局を担当し、新百合ヶ丘駅周辺の整備や、羽田連絡道路整備事業の推進などにあたった。また、中学校、高等学校、大学、市役所を通じて野球部に所属し、少年野球のコーチを長年務めた。2022年に川崎市副市長を再任される。
三木 なずな(みき なずな)は日本のライトノベル作家・漫画原… 三木 なずな(みき なずな)は日本のライトノベル作家・漫画原作者。台湾生まれ、台湾育ちであり、母語は中国語(台湾国語)だが日本語で作家活動を行っている。日本推理作家協会員、日本漫画家協会員。 両親ともに台湾人。弟の余書農(中国語版)は台湾プロ野球や日本の独立リーグチームでプレーした元プロ野球選手。ペンネームは水樹奈々のアナグラム。 台北市出身。芝浦工業大学大学院出身。 本人の語るところによると、高校生の頃から声優を目指すようになり、大学留学を機に2002年に来日した(日本語学校を経由して大学に入った)が、さまざまな事情から断念し、2004年からライトノベル作家を目指し始めたという。2013年、『チェリッシュ! 妹が俺を愛しているどころか年上になった』を上梓して集英社スーパーダッシュ文庫よりデビュー。
真渕りか(まぶちりか)は、日本の女優、シンガーソングライター… 真渕りか(まぶちりか)は、日本の女優、シンガーソングライター、モデル、MC、映画監督。本名は米井智子。埼玉県春日部市出身。 父は元芝浦工業大学電子工学部教授、母は自宅ピアノ講師。 尚美学園短期大学ピアノ科卒業後 中学校音楽教師に。教えることより表現する事に目覚め退職後芸能界入り。 1991年、タレント養成所・テアトルアカデミーにて 歌や芝居、ダンスの稽古をしながらタレント・モデル活動を開始。ミス日本ビューティーエリートとしてミス日本劇団に所属。 1999年、ピアノ演奏のアルバイトをしていたクラブで「CDを出さないか」と声がかかり、歌手デビュー(デビュー曲「Bayside Love」) 2008年〜2018年、結婚・出産・離婚を経て埼玉県草加市でミュージックBar スイングRikaを経営。