石飛 香織(いしとび かおり、1983年7月30日 - )は… 石飛 香織(いしとび かおり、1983年7月30日 - )は、日本のフリーアナウンサー、政治家。立川市議会議員(2期)。 福岡県に生まれ、大分県で育つ。 2006年に拓殖大学を卒業。学部は外国語学部英米語学科だった。 2007年、NHK長野放送局でアナウンサーとなる。2008年に宮崎放送のアナウンサーに転じる。 2010年にエフエム佐賀に移り、県政記者クラブに所属した。 2011年にテレビ大分に入社、県庁広報番組でメインキャスターを務める。テレビ大分には2012年まで在籍した。 2016年には群馬県安中市の「観光大使」に選任された。 2016年からyoutubeで「香織の東京ブログ」、「石飛香織の品川チャンネル」を放送している。
小野田 紀美(おのだ きみ、1982年〈昭和57年〉12月7… 小野田 紀美(おのだ きみ、1982年〈昭和57年〉12月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、経済安全保障担当大臣、外国人との秩序ある共生社会推進担当大臣、内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策、人工知能戦略、経済安全保障)。 防衛大臣政務官(第2次岸田第1次改造内閣)、法務大臣政務官(菅義偉内閣)、参議院内閣委員長、参議院外交防衛委員長、東京都北区議会議員(2期)、自由民主党副幹事長を歴任した。 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにて出生。父はアメリカ人、母は日本人。1歳から岡山県邑久郡邑久町虫明(現在の瀬戸内市)にて生活。2歳時に父は蒸発し養育費はなかったという。
福田 玄(ふくだ げん、1981年〈昭和56年〉12月6日 … 福田 玄(ふくだ げん、1981年〈昭和56年〉12月6日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、岡山県浅口市議会議員(1期)を歴任した。 岡山県浅口郡鴨方町深田(現・浅口市)生まれ。広島市出身の父を持つ被爆三世にあたる。岡山県立倉敷商業高等学校入学後、父の仕事の都合で神奈川県小田原市に転居し、2000年に横浜市立横浜商業高等学校卒業。拓殖大学北海道短期大学から編入して、拓殖大学政経学部を卒業。 国際連合広報センターインターン、江田五月参議院議員国会事務所インターンを経て、株式会社トランスコスモス(IT関連企業)に入社。その後柚木道義衆議院議員公設第一秘書を務める。 2014年、浅口市議会議員選挙に初当選する。
鴨田 秋津(かもだ あきつ、1981年11月11日 - )は… 鴨田 秋津(かもだ あきつ、1981年11月11日 - )は、日本の政治家。京都府舞鶴市長(1期)。元舞鶴市議会議員(2期)。 京都府舞鶴市出身。舞鶴市立中筋小学校、舞鶴市立城南中学校、2000年、私立京都共栄学園高等学校卒業。2004年、拓殖大学経済学部卒業。 卒業後、警視庁に警察官として勤務する。2年後に退職、退職後は帰郷し、父親が創業した建設会社に入社した。母校の小学校のPTA会長や舞鶴青年会議所副理事長などを歴任した。 2018年11月執行の舞鶴市議会議員選挙で初当選。新会派市民クラブ舞鶴議員団に所属した。 2022年2月、日本維新の会に入党。京都維新の会舞鶴市支部を立ち上げ、支部長に就任する。
石坂 太(いしざか まさる、1980年〈昭和55年〉12月2… 石坂 太(いしざか まさる、1980年〈昭和55年〉12月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。栃木県議会議員(2期)を務めた。 真岡市出身。父は元真岡市長の石坂真一。拓殖大学政治経済学部卒業。 卒業後は衆議院議員渡辺喜美の秘書を務め、その後は衆議院議員佐藤勉の秘書に転じる。2009年、佐藤が国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣になるとその秘書官となる。2010年、総務大臣秘書官となり、2015年には佐藤勉の政策担当秘書となる。 2019年の栃木県議会議員選挙で初当選(自民党公認)。2023年の栃木県議会議員選挙では無投票で再選した(自民党公認)。 2026年2月の第51回衆議院議員総選挙で栃木4区から自民党公認で立候補し、中道改革連合の藤岡隆雄らを破り初当選した。
高橋 英行(たかはし ひでゆき、1972年1月17日 - )… 高橋 英行(たかはし ひでゆき、1972年1月17日 - )は、日本の政治家。愛媛県議会議員(3期)。元衆議院議員(1期)。衆議院議員時代は民主党に所属していた。愛媛県八幡浜市出身。 元八幡浜市長の高橋英吾は父。元衆議院議員の高橋英吉は祖父。 愛媛県立八幡浜高等学校、拓殖大学工学部情報工学科卒業。丸三産業大洲本社に勤務。 2009年の第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で愛媛4区から出馬。選挙区では自由民主党の山本公一に敗れ落選したが、比例復活で初当選。民主党は世襲政治家の問題点から、2009年衆院選を前に3親等以内の親族の政治家が選挙区から連続して立候補することを禁止しており、高橋は祖父の選挙区が旧愛媛3区で重複しているが、1972年の祖父落選から37年間の空白期間があるため民主党候補として立候補できた。
東野 秀樹(ひがしの ひでき、1971年11月25日 - )… 東野 秀樹(ひがしの ひでき、1971年11月25日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。 1971年、北海道上川郡風連町(現名寄市)に生まれ、北海道名寄高等学校を経て、拓殖大学北海道短期大学農業経済科卒業。 2003年に風連町農協青年部長、2009年にJA道北なよろ理事、2015年にJA道北なよろ代表理事専務、2017年にJA道北なよろ組合長、2021年に北海道厚生農業協同組合連合会理事、2023年にJA道北なよろ会長理事、ホクレン農業協同組合連合会代表監事、2024年に全国農業者農政運動組織連盟顧問などを歴任。2011年度には北海道指導農業士にも認定されている。 2024年3月に全国農業者農政運動組織連盟の予備選挙の結果、第27回参議院議員通常選挙において自由民主党から比例区で組織内候補として立候補することが決定した。
岸本 健(きしもと たけし、1970年(昭和45年)8月3日… 岸本 健(きしもと たけし、1970年(昭和45年)8月3日 ‐ )は、日本の政治家。和歌山県紀の川市長(2期)。和歌山県議会議員(4期)、衆議院議員(1期)。 和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市)出身。和歌山県立粉河高等学校を経て、1993年3月、拓殖大学商学部貿易学科卒業。和歌山県立那賀高等学校講師を経て、和歌山県中学校社会科教諭。2002年、父で自由民主党衆議院議員の岸本光造が死去。これに伴う衆議院議員和歌山県第2区補欠選挙に自民党公認で出馬しようとしたが、後継をめぐり海南市長の石田真敏との公認争いに敗れ、無所属(民主党・自由党・無所属の会推薦)で立候補。石田に敗れ落選。2002年、補欠選挙後、自由党に入党。
山下 政樹(やました まさき、1966年〈昭和41年〉5月1… 山下 政樹(やました まさき、1966年〈昭和41年〉5月11日 - )は、日本の政治家。山梨県笛吹市長(3期)。元山梨県議会議員(4期)。 山梨県東八代郡石和町四日市場(現在の笛吹市石和町四日市場)出身。石和町立石和南小学校、石和町立石和中学校、山梨県立石和高等学校(現在の山梨県立笛吹高等学校)卒業。1989年(平成元年)3月、拓殖大学政経学部政治学科卒業。同年4月、富士急行に就職。1993年(平成5年)7月、衆議院議員の堀内光雄の公設秘書となる。 2003年(平成15年)4月の山梨県議会議員選挙に東八代郡選挙区から無所属で出馬し初当選。 2004年(平成16年)10月12日、東八代郡石和町・御坂町・一宮町・八代町・境川村・東山梨郡春日居町の5町1村が合併して笛吹市が発足。
西田 三十五(にした さんご、1964年〈昭和39年〉10月… 西田 三十五(にした さんご、1964年〈昭和39年〉10月15日 - )は、日本の政治家。千葉県佐倉市長(2期)。千葉県議会議員(4期)、佐倉市議会議員(3期)を歴任。 千葉県佐倉市生まれ。佐倉市立臼井小学校、佐倉市立臼井中学校、千葉県立成田北高等学校を経て、1988年(昭和63年)3月、拓殖大学政経学部卒業。1991年(平成3年)、佐倉市議会議員に初当選。市議を3期務めた後、2003年(平成15年)に千葉県議会議員に初当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2018年(平成30年)11月19日、任期満了に伴う佐倉市長選挙に立候補する意向を表明。 2019年(平成31年)4月21日執行の市長選は現職の蕨和雄が自由民主党の推薦を得たが、石井準一参議院議員や三原じゅん子参議院議員が西田を支援。
舩後 靖彦(ふなご やすひこ、1957年〈昭和32年〉10月… 舩後 靖彦(ふなご やすひこ、1957年〈昭和32年〉10月4日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、れいわ新選組副代表兼両院総会長兼参議院会長を務めた。全身麻痺で人工呼吸器装着の筋萎縮性側索硬化症 (ALS) 患者。「全身麻痺ギタリスト」を名乗る。 岐阜県岐阜市生まれ。10歳の頃より千葉県千葉市に移り住み、千葉県立千葉南高等学校を経て、拓殖大学政経学部卒業。 大学卒業後はプロミュージシャンを目指すも断念し、1982年、酒田時計貿易株式会社に入社。28歳のときに結婚。 1999年夏(41歳)突然、箸・歯ブラシ・ペンがうまく握れなくなる。2000年5月、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の告知を受ける。
鈴木 有(すずき ゆう、1956年(昭和31年)9月23日 … 鈴木 有(すずき ゆう、1956年(昭和31年)9月23日 - )は、日本の政治家。千葉県野田市長(3期)、元野田市議会議員。 千葉県野田市出身。野田市立中央小学校、野田市立第一中学校卒業。父親は野田市議会の議長を務めた人物。習志野市立習志野高等学校、拓殖大学政経学部卒業。 1994年(平成6年)5月、野田市議会議員選挙に初当選。市議会の議長、副議長を務めた。 2016年(平成28年)3月2日、根本崇野田市長が次期市長選に出馬しない考えを表明。同年3月初旬、野田市長選挙への出馬を決断。同年6月12日に行われた市長選において、前市議の遠藤達也、元市議の高梨守ら3候補を相手に戦い、初当選した。7月4日、市長就任。
プリティ 長嶋(プリティ ながしま、本名:片岡 馨<かたおか… プリティ 長嶋(プリティ ながしま、本名:片岡 馨<かたおか かおる>、1954年10月2日 - )は、日本のものまねタレント、政治家。プリティ長嶋事務所所属。血液型O型。千葉県長生郡白子町出身。拓殖大学大学院修了。千葉県議会議員(4期)。元市川市議会議員(1期)。 拓殖大学大学院で地方行政について学んだ。 2007年の第16回統一地方選挙で市川市議会議員選挙への出馬を表明。政策は自動体外式除細動器(AED)の普及。これは、2004年8月に、自らが役員を務め、息子が所属する少年野球チームの対戦チームの選手が試合中、胸に打球を受け心臓発作(心臓震盪)を起こし、治療の甲斐なく死亡したため「AEDがあれば救える命がある」との思いからであるという。
本間 進(ほんま すすむ、1954年8月17日 - )は、日… 本間 進(ほんま すすむ、1954年8月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の千葉県議会議員(8期)。元千葉市議会議員(1期)。元俳優。千葉県銚子市出身。拓殖大学大学院修了。
二階堂 馨(にかいどう かおる、1952年〈昭和27年〉2月… 二階堂 馨(にかいどう かおる、1952年〈昭和27年〉2月15日 - )は、日本の政治家。新潟県新発田市長(4期)。元・新発田市議会議員(8期)。 新潟県新発田市出身。新発田市立菅谷中学校、新潟県立新発田商工高等学校(新潟県立新発田商業高等学校と新潟県立新発田南高等学校の前身)卒業。1973年(昭和48年)、拓殖大学政経学部中退。 1979年(昭和54年)、新発田市議会議員選挙に初当選。以後、8期つとめ議長などを歴任。 2010年(平成22年)11月21日に行われた新発田市長選挙に無所属で出馬。二階堂は、片山吉忠市長が主要政策として進めたJR新発田駅橋上化の是非を問い、財政負担が過大だとして中止を訴えた。
下地 昌明(しもじ まさあき、1951年 - )は、日本の政… 下地 昌明(しもじ まさあき、1951年 - )は、日本の政治家。元沖縄県多良間村長(2期)。 1951年(昭和26年)、多良間村字仲筋に生まれる。1976年(昭和51年)3月、拓殖大学を卒業。1981年(昭和56年)6月 多良間村議会議員当選。以後、5期連続当選。1997年(平成9年)6月、同村議会議長に就任。2001年(平成13年)7月、同村長選挙に出馬するが落選。2005年(平成17年)7月、同村長選挙で現職の兼浜朝徳を17票差で破り初当選。2009年(平成21年)、村長選挙で再選。2013年(平成25年)、村長選挙で伊良皆光夫に敗れ落選。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
工藤 正司(くどう まさじ、1950年(昭和25年)6月25… 工藤 正司(くどう まさじ、1950年(昭和25年)6月25日 - )は、日本の政治家。元埼玉県行田市長(3期)。 埼玉県行田市出身。埼玉県立熊谷高等学校定時制を経て、1974年(昭和49年)3月、拓殖大学政経学部政治学科卒業。同年4月1日、行田市役所に入庁。2005年(平成17年)4月1日、上下水道部長に就任。2006年(平成18年)1月1日、市民生活部長に就任。同年4月1日、消防長に就任。 2007年(平成19年)4月22日に行われた行田市長選挙に立候補し3候補を破り初当選。 2011年(平成23年)、無投票により再選。2015年(平成27年)、無投票により3選。 2018年(平成30年)9月、4選出馬を表明。
坂元 裕一(さかもと ゆういち、1948年11月22日 - … 坂元 裕一(さかもと ゆういち、1948年11月22日 - )は、日本の政治家。自民党所属の元宮崎県議会議員(6期)。 宮崎県日南市生まれ。宮崎県立日南高等学校、拓殖大学政経学部政治学科卒業。在学中は雄弁会に所属し、学生自治会委員長を経験した。1974年に日南市議会議員に当選し3期務めた後、1987年より宮崎県議会議員。 2003年から2007年まで宮崎県議会議長を務めた。元タレントの東国原英夫が宮崎県知事に当選後、初登庁して議長室を訪れた模様がテレビ放映された。その際の対応が「横柄だ」などと県民から非難の電話を受けた。 その一方、このことはテレビ局の編集による印象操作であったと主張している。 2007年5月、議長退任後に自由民主党宮崎県連会長に就任した。
鈴木 宗男(すずき むねお、1948年〈昭和23年〉1月31… 鈴木 宗男(すずき むねお、1948年〈昭和23年〉1月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。地域政党新党大地代表。 北海道開発庁長官(第66代)、沖縄開発庁長官(第35代)、沖縄担当大臣(第2次橋本改造内閣)、内閣官房副長官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、防衛政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣・宮澤改造内閣)、外務政務次官(第2次海部改造内閣)、参議院懲罰委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院外務委員長、同議院運営委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(8期)、日本維新の会国会議員団副代表、同北海道総支部代表、自由民主党総務局長、同副幹事長、同国防部会長などを歴任。
朝山 毅(あさやま つよし、1947年(昭和22年)1月24… 朝山 毅(あさやま つよし、1947年(昭和22年)1月24日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県奄美市長(3期)、元笠利町長(3期)。 鹿児島県立大島高等学校を経て、1969年(昭和44年)3月拓殖大学商学部卒業。同年4月、鹿児島県信用保証協会に就職。 1994年(平成6年)12月24日、笠利町長に就任。1998年(平成10年)に2期目の当選。2002年(平成14年)に3期目の当選。2006年(平成18年)3月20日、笠利町は、名瀬市および住用村と合併し奄美市となり、自治体として廃止される。それ伴って、同日、奄美市長職務執行者に就任。4月22日、新市長就任により同職を退職。6月3日、奄美市の助役に就任(のちに副市長に役職名が変更される)。
椿原 紀昭(つばきばら のりあき、1946年4月22日 - … 椿原 紀昭(つばきばら のりあき、1946年4月22日 - )は、日本の政治家。元北海道夕張郡栗山町長(3期)。旭日双光章受章。現参議院議員、元衆議院議員の鈴木宗男とは親友。
新井 哲二(あらい てつじ、1944年(昭和19年)2月10… 新井 哲二(あらい てつじ、1944年(昭和19年)2月10日 - )は、日本の政治家。元香川県丸亀市長、日本財団評議員。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
中島 真人(中嶋 眞人、なかじま まひと、1935年 <昭和… 中島 真人(中嶋 眞人、なかじま まひと、1935年 <昭和10年> 1月1日 - 2008年 <平成20年> 5月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、山梨県議会議長、山梨県議会議員(3期)を務めた。位階は正四位。旭日重光章。 山梨県甲府市出身。山梨県立韮崎高等学校、拓殖大学商学部卒業。大学卒業後、山梨県立高等学校の教諭となる。1979年の山梨県議会議員選挙に立候補し初当選。3期務めた。在職中、1993年12月15日から1994年9月29日まで議長を務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で山梨県選挙区から自由民主党公認候補として立候補し、現職の磯村修(民主改革連合)や新進党の赤池誠章らを破り初当選。
渡辺 秀央(渡邉 秀央、旧本名:渡邉 秀雄、わたなべ ひでお… 渡辺 秀央(渡邉 秀央、旧本名:渡邉 秀雄、わたなべ ひでお、1934年〈昭和9年〉7月5日 - 2024年〈令和6年〉7月31日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 郵政大臣(第54代)、内閣官房副長官(第3次中曽根内閣)、衆議院商工委員長、衆議院議員(6期)、参議院経済産業委員長、参議院議員(2期)、新党改革最高顧問、改革クラブ代表、自由民主党全国組織委員長、日本ミャンマー協会会長、同理事長などを歴任。 新潟県栃尾市(現・長岡市)出身。東京都立目黒高等学校、拓殖大学政経学部卒業。中曽根康弘の秘書を務める。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に、旧新潟3区(定数5)から自民党公認で立候補し初当選。
村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月2… 村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月21日 - 2020年〈令和2年〉9月10日)は、日本の政治家。 福岡県嘉穂郡出身。拓殖大学卒業後、参議院議員秘書を経て、1980年、参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選。参議院議員を4期務め、労働大臣、自由民主党参議院議員会長、同党参議院幹事長、志帥会会長(初代)などを歴任した。在職中は参議院自民党において多大な影響力を持ち、「タカ派」「参院のドン」と呼ばれていた。 1932年、福岡県嘉穂郡に生まれる。父・要蔵、母・タネヨの次男。両親とも愛媛県西条市の出身であった。のちに地元の支持者が調べたところによると、先祖は西条藩に仕えた村上四郎左衛門忠朝という人物で、さらにさかのぼると村上水軍に発しているという。
案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日… 案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日 - )は、日本の政治家。日本社会党に所属し、参議院議員(1期)を務めた。 福岡県久留米市生まれ。1945年(昭和20年)、旧制久留米商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)を卒業した。1946年(昭和21年)、拓殖大学専門部経営科を卒業した。同年、郵政省福岡貯金局に入省した。1972年(昭和47年)に退職した。 1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。1期務める。在任中は、決算委員会委員などを務めた。 1980年(昭和55年)6月の第12回通常選挙にも立候補の予定であったが、病気を理由に公認を取り消された。
小野寺 信雄(おのでら のぶお、1925年(大正14年)7月… 小野寺 信雄(おのでら のぶお、1925年(大正14年)7月25日 - 2003年(平成15年)5月13日)は、宮城県議会議員(6期)。気仙沼市長(1期)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 宮城県本吉郡気仙沼町(現 気仙沼市)出身。宮城県気仙沼中学校(現 気仙沼高等学校)、1948年(昭和23年)拓殖大学商学部卒業。1971年(昭和46年)宮城県議会議員に初当選。以来6期連続務める。1991年(平成3年)議長に就任。翌1992年、栗村和夫の死去に伴う第15回参議院議員通常選挙宮城県選挙区補欠選挙に自民党公認で立候補したが、連合の会公認の萩野浩基に敗れて落選した。1993年(平成5年)の気仙沼市長選挙に立候補して当選。
後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年… 後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年6月5日)は、日本の政治家である。衆議院議員(6期)。原子燃料政策研究会理事、エネルギー・情報工学研究会議(解散)理事長を歴任した。
金 在植(キム・ジェシク、朝鮮語: 김재식、1923年11月… 金 在植(キム・ジェシク、朝鮮語: 김재식、1923年11月20日 - 2016年3月1日)は、大韓民国の政治家、陸軍軍人(陸軍大領)、実業家。元水産庁長、第16代全羅南道知事、第10代韓国国会議員。 本貫は金海金氏、号は老農(ノノン、노농)。円仏教徒。 日本統治時代の全羅南道の長城郡に生まれた。1944年に拓殖大学を卒業後、1955年に工兵基地廠長を務め、1960年に陸軍大学校を卒業した。1963年に農林部水産局長を務め、1964年に水産業協同組合中央会長、1968年に水産庁長を歴任した。1969年10月25日から1973年9月25日まで第16代全羅南道知事を務め、1972年に全南大学校行政大学院を修了し、1973年より東立産業振興公社株式会社の社長を務めた。
高橋 盛吉(たかはし もりよし、1923年〈大正12年〉9月… 高橋 盛吉(たかはし もりよし、1923年〈大正12年〉9月20日 - 2007年〈平成19年〉7月23日)は、日本の政治家。岩手県北上市長(4期)。 岩手県北上市(旧和賀町)生まれ。1947年〈昭和22年〉紅陵大学(現・拓殖大学)商学部卒。卒業後は経済安定本部に入り、貿易局に勤務する。その後、経済審議庁計画部、日本原子力研究所、水資源開発公団に勤める。1963年〈昭和38年〉岩手県庁に入り、企画開発局、企画部開発課長、企画部次長心得、総務部次長、商工労働部長、企画開発室長、総務部長、企業局長を歴任する。 1980年〈昭和55年〉の第12回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から無所属の野党候補として立候補したが落選した。
玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987… 玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987年1月25日)は、日本の政治家。参議院および衆議院議員、総務庁長官を務めた。和歌山県御坊市出身。 五人兄弟の三男として生まれ、中学入学直前に父親を亡くす。御坊商業学校(現・和歌山県立紀央館高等学校)卒業後中国大陸に渡り、華北交通の給費学生として1941年北京中央鉄路学院本科を修了。1943年に満鉄に入社。終戦後、製塩業、ゴム工場などの様々な仕事に就く。その後、上京し自由民主党本部に就職、党職員になる。和歌山県選出の早川崇衆議院議員に見出され、早川が労働大臣に就任した際、大臣秘書官となった。 生長の家政治連合の支援を得て、1965年の第7回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補し、当選する。
鍵田 忠三郎(かぎた ちゅうざぶろう、1922年(大正11年… 鍵田 忠三郎(かぎた ちゅうざぶろう、1922年(大正11年)7月25日 - 1994年(平成6年)10月26日)は、日本の政治家。奈良市長、衆議院議員(1期、自由民主党)。剣道家でもあり、奈良県剣道連盟会長、奈良県なぎなた連盟会長も務めた。鍵田忠兵衛は次男。 1922年(大正11年)、奈良県奈良市生まれ。1943年(昭和18年)、拓殖大学専門部卒業。 1951年(昭和26年)、奈良県議会議員に当選、新若草山自動車道や三笠温泉開発の事業に携わる。38歳のとき、胸を患って余命2か月と診断、人生を終えるつもりで四国八十八箇所参りを行った後、体調は快復。1960年(昭和35年)、終戦の日である8月15日に慰霊するため、奈良東山の高円山に奈良大文字を創始する。
改井 秀雄(かい ひでお、1919年(大正8年)7月10日 … 改井 秀雄(かい ひでお、1919年(大正8年)7月10日 - 1983年(昭和58年)3月31日)は、昭和期の地方公務員、労働運動家、政治家。1971年から1983年まで富山県富山市長(4期)を務めた。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 富山県出身。1943年(昭和18年)拓殖大学商学部卒業後、富山県庁に入庁し、同県職組委員長、全日本自治団体労働組合富山県本部委員長などを歴任。富山県議会議員(日本社会党公認、1963年から2期)をへて、1969年(昭和44年)の県知事選に挑戦するも落選(当選は自民党公認で新人の中田幸吉)。 その後、1971年(昭和46年)2月に行われた富山市長選挙にて、社共統一候補として立候補し初当選。
郷田 實(ごうだ みのる、1918年 <大正7年> 9月26… 郷田 實(ごうだ みのる、1918年 <大正7年> 9月26日 - 2000年 <平成12年> 3月21日)は、日本の政治家。元宮崎県東諸県郡綾町長。在任期間は6期24年(1966年~1990年)。位階は従五位。 宮崎県綾町出身。拓殖大学南方専門科卒業。兵役から復員後、綾町農協に就職。1954年に綾町助役、1966年から1990年まで綾町長を務めた。 自然を生かした町おこしの成果で全国的に知られる。長女の郷田美紀子は薬剤師、環境保護団体代表。 1996年、勲四等旭日小綬章を受章。2000年3月21日、心不全のため死去。死没日付をもって従五位に叙された。 死後、ドキュメンタリー映画『未来からの町づくり先駆者 郷田實』が製作された。
染谷 誠(そめや まこと、1918年3月3日 - 1992年… 染谷 誠(そめや まこと、1918年3月3日 - 1992年1月22日)は日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(5期)。
岩崎 正三郎(いわさき しょうざぶろう、1901年〈明治34… 岩崎 正三郎(いわさき しょうざぶろう、1901年〈明治34年〉1月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の社会運動家、政治家、参議院議員(1期)。位階は正五位。 栃木県下都賀郡藤岡町(現栃木市)で生まれた。1924年、拓殖大学を卒業。同年、報知新聞社に記者として入社し、1925年に退社した。 1927年、日本労農党に加わり、同党関西事務局書記長、全国労農青年同盟書記長、全国大衆党中央委員、日本大衆党中央委員、社会大衆党中央委員などを歴任し、労働運動、農民運動を指導。1934年、社会活動から身を引き東京製鐵社員となる。 戦後、日本社会党に入党し、栃木県労働組合協議会の結成に関わった。
平野 力三(ひらの りきぞう、1898年11月5日 - 19… 平野 力三(ひらの りきぞう、1898年11月5日 - 1981年12月17日)は、日本の農民運動家、政治家。位階は従三位。 国家社会主義者。のち反資本・反ファッショ・反共農民運動の指導者となる。数々の政党結成に関わり「政界の策士」と呼ばれ、戦後も衆議院議員として活動し、片山内閣の農林大臣を務めた。 兄に平野増吉、夫人の平野成子は日本社会党参議院議員。二女の平野義子は「呼び屋」と呼ばれた神彰の後妻となった。三女の平野照子は、民社党で活動した。自由民主党衆議院議員から岐阜県知事を務めた平野三郎は甥にあたる。 1898年(明治31年)11月5日岐阜県郡上郡大和村(現郡上市)に生まれる。1920年(大正9年)拓殖大学中国語科を経て、1923年(大正12年)早稲田大学政経科を卒業する。
薩摩 雄次(さつま ゆうじ、1897年12月1日 - 196… 薩摩 雄次(さつま ゆうじ、1897年12月1日 - 1966年8月4日)は、日本の政治家・新聞記者。衆議院議員。福井県おおい町出身。 地主・薩摩三蔵の二男。第三高等学校を経て、1922年に拓殖大学支那語科を卒業。学生時代から猶存社に出入りし、拓大魂の会を組織した。 1923年から1928年まで大東文化協会幹事となり、同協会の副会長であった政友会代議士・小川平吉の秘書役を務めた。 国民新聞に入社し、経済部長、主筆、論説委員を歴任した。 海軍大将の加藤寛治とは親戚であったことから、ロンドン海軍軍縮会議の結果をめぐって表面化した統帥権干犯問題の際に、北一輝らの民間右翼と加藤ら海軍艦隊派とのつなぎ役となる。
近藤 銕次(こんどう てつじ、1882年(明治15年)7月2… 近藤 銕次(こんどう てつじ、1882年(明治15年)7月29日 - 1951年(昭和26年)7月26日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。電気化学工業(現デンカ)社長、貴族院勅選議員。 東京府本郷区本郷弓町二丁目21(現東京都文京区本郷)で、官僚・近藤鎮三の二男として生まれる。12歳で父を亡くし母の手で養育された。1904年(明治37年)台湾協会学校(現拓殖大学)を卒業。1905年(明治38年)2月、三井物産に入社し台北支店に配属され、支店長の藤原銀次郎と出会う。その後、本店営業部受渡主任に転じたが、上司との関係などにより、1916年(大正5年)2月に退社し、明正社常務取締役に就任し、また、度量衡器販売の藤沢商会を設立して店主となった。
門田 新松(もんでん しんまつ、1876年(明治9年)9月7… 門田 新松(もんでん しんまつ、1876年(明治9年)9月7日 - 1959年(昭和34年)4月11日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 広島県沼隈郡水呑村(水呑町を経て現福山市)で、門田伝吉の三男として生まれる。1892年(明治25年)鞆高等小学校(廃校)を卒業。1894年(明治27年)水呑小学校雇教師となり、1896年(明治29年)准訓導に進み、1898年(明治31年)呉高等小学校に異動した。1903年、東洋協会専門学校を卒業。 日露戦争に海軍嘱託として従軍。その後、大連市で日清興信所を設立。その他、関東州経済調査委員、大連株式商品取引所理事長、大連郊外土地監査役、大連株式信託ハルピン取引所監査役、教育貯蓄銀行監査役、大連商品信託取締役、満州不動貯金取締役、第一無尽社長、日清印刷所社長などを務めた。
升田 世喜男 は、日本の政治家。
須藤 元気 は、日本の政治家、総合格闘家、レスリング指導者、… 須藤 元気 は、日本の政治家、総合格闘家、レスリング指導者、ダンスパフォーマー、作家、書家、居酒屋二代目、英会話学校代表。参議院議員(比例区、1期)を務めた。