伊吹 武彦(いぶき たけひこ、1901年1月27日 - 19… 伊吹 武彦(いぶき たけひこ、1901年1月27日 - 1982年10月12日)は、日本のフランス文学者。京都大学名誉教授。 大阪府生まれ。旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学文学部仏文科卒。第三高等学校教授、京都帝国大学文学部講師、1950年京都大学文学部仏文科教授。1964年に定年退官、関西学院大学教授を務めた。戦後まもなくは、文芸誌『世界文学』(を編集し、近現代フランス文学を紹介した。 ラクロ、フローベール、アナトール・フランス、プルースト、サルトルなどを訳し、生島遼一、桑原武夫とともに京大フランス学を形成した。後年は『仏和大辞典』の編纂にも尽力した。 京都市とパリの姉妹都市の結成など日仏文化交流に貢献し、1961年にレジオンドヌール勲章を受章した。
望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 -… 望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 - 1991年9月8日)は、ドイツ文学者、信州大学名誉教授。
石川道雄(いしかわ みちお、1900年10月23日 - 19… 石川道雄(いしかわ みちお、1900年10月23日 - 1959年2月25日)は、日本のドイツ文学者、詩人。 大阪府生まれ。東京帝国大学独文科卒業。山宮允の主宰する文芸誌『鈴蘭』に詩を発表。上京して日夏耿之介に師事し、1924年詩誌『東邦芸術』(のち「奢灞都」)を編集。その他、日夏の個人誌『パンテオン』『游牧記』『半仙戯』『豊葦原』などの雑誌に関わる。1929年東京府立高等学校教授。戦後國學院大學教授、山梨大学教授、1957年北海道大学教授。 ホフマンを研究、翻訳した。中央大学の校歌の作詞も担当した。墓所は多磨霊園。
草野 貞之(くさの ていし、1900年9月4日 - 1986… 草野 貞之(くさの ていし、1900年9月4日 - 1986年1月11日)は、白水社社長、フランス文学者。福岡県生まれ。東京帝国大学文学部印度哲学科卒。中央大学教授、1931年教授のまま白水社に入り、33年取締役。ルナールの『にんじん』を岸田国士の訳で出版、映画化上映もありベストセラーとなる。1943年社長。51年文庫クセジュを創刊。墓所は多磨霊園。
吉田 賢抗(よしだ けんこう、1900年〈明治33年〉5月1… 吉田 賢抗(よしだ けんこう、1900年〈明治33年〉5月10日 - 1995年〈平成7年〉4月28日)は、日本の漢文学者。学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1961年)(学位論文「北宋における心性論の研究 契嵩と王安石を中心として」)。東北大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。第八高等学校卒、東京帝国大学文学部支那哲学科卒。 松本高等学校教授、第二高等学校教授、戦後東北大学教養部教授、1961年「北宋における心性論の研究 契嵩と王安石を中心として」で東洋大学文学博士。 1964年東北大を定年退官、名誉教授、東北工業大学教授、名誉教授、桜美林大学教授。
石中 象治(いしなか しょうじ、1900年4月28日 - 1… 石中 象治(いしなか しょうじ、1900年4月28日 - 1981年11月12日)は、ドイツ文学者、九州大学名誉教授。 熊本県生まれ。東京帝国大学独文科卒、戦後九州大学教授、1964年定年退官、名誉教授、千葉商科大学教授。
森本 治吉(もりもと じきち、1900年1月10日 - 19… 森本 治吉(もりもと じきち、1900年1月10日 - 1977年1月12日)は、日本の歌人・国文学者。学位は、文学博士。二松学舎大学名誉教授。歌人の槇弥生子は子の妻。歌人の森本平は孫。 1900年(明治33年)、熊本県熊本市新町に生まれる。1920年(大正9年)、第五高等学校在学中に短歌雑誌「白路」を創刊、この年「アララギ」に入会。「白路」の名は当時第五高等学校の教授であった高木市之助の命名という。1923年(大正12年)、東京帝国大学文科へ進学し、佐佐木信綱、久松潜一、高木市之助に学ぶ。1946年(昭和21年)「白路」を復刊し社主となる。1929年(昭和4年)二松学舎専門学校教授となり、のち二松学舎大学教授となる。
重友 毅(しげとも き、1899年12月25日 - 1978… 重友 毅(しげとも き、1899年12月25日 - 1978年8月11日)は、日本の国文学者。 1899年、山口県吉敷郡山口町で生まれた。1917年に早稲田大学部学部予科に入学するも、同年7月に中退し、第一高等学校に入学。1920年に同校を卒業後、東京帝国大学文学部国文科に進学。1924年に卒業。 同1924年、旅順工科大学予科教授に就いた。1933年、東京体育専門学校教授に転じた(1941年まで)。1938年より武蔵高等学校教授も兼ねた。 1949年に武蔵大学教授となり、法政大学教授を兼任。1952年、学位論文『雨月物語の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1956年に武蔵大学を辞任し、法政大学および同大学大学院教授のみとなった。
佐山 済(さやま わたる、1899年8月4日 - 1965年… 佐山 済(さやま わたる、1899年8月4日 - 1965年5月14日)は、日本の国文学者。 東京府生まれ。東京帝国大学国文科卒。日本女子大学教授。古典を中心に日本文芸全般を論じた。
木村 太郎(きむら たろう、1899年4月29日 - 198… 木村 太郎(きむら たろう、1899年4月29日 - 1989年11月6日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、画家、書家。南山大学名誉教授。 父・粂市は実業家、母・いつ(銉次)は永井家の出身で、永井荷風は従兄弟にあたる。叔父の大島久満次は台湾総督府民政長官、神奈川県知事、衆議院議員を歴任。 東京市中央区賽町(京橋)生まれ。1924年東京帝国大学文学部仏文科卒業。日本大学、法政大学、日仏学院などで教えた後、1947年南山外国語専門学校に赴任、南山大学創設に寄与。1971年まで南山大学仏文科教授、文学部長。 1950年、名古屋日仏文化協会を創設。敬虔なカトリック信者で、ジョルジュ・ベルナノス、ポール・ブールジェ(fr:Paul Bourget)などを多数翻訳した。
山本 政喜(やまもと まさき、1899年〈明治32年〉4月2… 山本 政喜(やまもと まさき、1899年〈明治32年〉4月20日 - 1960年〈昭和35年〉4月7日)は、日本の英文学者・翻訳家。筆名・柾 不二夫(まさき ふじお)。息子にロシア文学者の川端香男里、娘に美術史家の若桑みどりがいる。 福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市)出身。山本荒吉の四男。旧制第一高等学校を経て、1924年に東京帝国大学文学部英文学科を卒業。卒業後4年間滿洲において兵役を務め、その後、中等学校教員、講座編集のほか、雑誌寄稿、翻訳書等の出版に従事。1929年ごろから、「柾不二夫」のペンネームで『戦旗』『ナップ』にアメリカの左翼活動記事を翻訳紹介した。1932年、プロレタリア科学研究所マルクス主義芸術学研究会同人となった。
吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)… 吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。
神吉 三郎(かんき さぶろう、1899年(明治32年) - … 神吉 三郎(かんき さぶろう、1899年(明治32年) - 1952年(昭和27年))は、英文学者、翻訳家。長男は直木賞作家の神吉拓郎。 栃木県生まれ。1923年(大正12年)東京帝国大学文学部英文科卒。卒業論文は「ウィリアム・ブレイク論」。同期卒業した本多顕彰(英文学者、評論家)によると、在学中は小説を書き、同人雑誌を出しており、「辛辣な皮肉屋」との評があったという。 卒業後は陸軍大学校の語学教師として勤務し、教授になる。 伝記文学の傑作とされる『サミュエル・ヂョンスン伝』を翻訳し、1941年6月、上巻を刊行(岩波文庫)。戦局が厳しくなる中、中巻の出版は果たせず(陸軍の文官だったため参謀総長の許可が必要であったが不許可とされた。
片山 敏彦(かたやま としひこ、1898年(明治31年)11… 片山 敏彦(かたやま としひこ、1898年(明治31年)11月5日 - 1961年(昭和36年)10月11日)は、日本の詩人、文学研究者、ドイツ文学者、フランス文学者、翻訳家。 ロマン・ロラン、ヘッセ、リルケ、ハイネ、ゲーテらの翻訳も多く、『著作集』全10巻がある。 1898年11月5日、高知県医師会会長・片山徳治の長男として高知市帯屋町に生まれる。母の名は「歌」で、姉・佐栄との4人家族であった。1905年、高知市立第三尋常小学校へ入学、1911年、高知県立第一中学校(現在の追手前高校)に進んだ。多感で、詩に牽かれ、短歌を投稿するなどした。 1916年、岡山市の第六高等学校第3部(医科)に入学し、西欧の哲学、文学を耽読した。
西下 経一(にしした きょういち、1898年5月10日 - … 西下 経一(にしした きょういち、1898年5月10日 - 1964年1月17日)は、日本の国文学者、東京教育大学名誉教授。旧姓は岡村。 岡山県西北条郡津山町(現・津山市)出身。1922年東京高等師範学校国漢科卒業後、佐賀中学校教諭。東京帝国大学国文科選科を経て、1927年に本科卒。東大国文学研究室副手として源氏物語などの書誌研究を行う。 第六高等学校教授を経て、1953年「古今集の伝本の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。戦後は岡山大学教授、東京教育大学教授、上智大学教授。平安朝文学、特に古今集の和歌を専門とする。蔵書は没後に国文学研究資料館に収蔵された。
大和 資雄(やまと やすお、1898年3月25日 - 199… 大和 資雄(やまと やすお、1898年3月25日 - 1990年1月12日)は、日本の英文学者、翻訳家。日本大学、武蔵野女子大学名誉教授。 山形県出身。1921年東京高等師範学校卒、香川県師範学校教諭、1925年東京帝国大学英文科卒業、高野山大学教授。1927年日本大学予科教授、1931年日本大学法文学部教授、1958年日本大学文理学部教授、1968年定年、同年勲三等瑞宝章受章、1944年日大名誉教授。1970年武蔵野女子大学教授、1978年まで務め、退任後名誉教授。 イギリス文学を専門とし、『嵐が丘』の翻訳がよく読まれた。ほか著書多数(「大和資雄先生の略歴」『英文学論叢』1990)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中村 為治(なかむら ためじ、1898年1月17日 - 19… 中村 為治(なかむら ためじ、1898年1月17日 - 1991年6月30日)は、日本のイギリス文学者。 東京銀座に生まれる。第一高等学校で川端康成と同級。1923年東京帝国大学英文科卒。関西学院英語講師、1926年東京商科大学(現一橋大学)予科教授。同僚の上原専禄と親しかった。1943年、45歳で辞職し、長野県乗鞍高原に隠棲した。農業と翻訳で暮らすが、1967年中部女子短期大学(現中部学院大学)教授となり、1972年まで務めた。 ロバート・バーンズを専門とし、キップリング詩集の翻訳などがある。大江健三郎は少年時代に中村の訳した岩波文庫の『ハックルベリー・フィンの冒険』を愛読した。
柏倉 俊三(かしわくら しゅんぞう、1898年 - 1996… 柏倉 俊三(かしわくら しゅんぞう、1898年 - 1996年)は、日本の英文学者。 山形県生まれ。1927年東京帝国大学英文科卒。北海道大学助教授、教授、1959年定年退官、名誉教授、相模女子大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 197… 呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 1977年12月28日)は、日本の西洋古典学者で古代ギリシア・ラテン文学者。 1897年、東京帝国大学医科大学教授(精神病学講座)を務めた呉秀三・みな夫妻の長男として東京市本郷区に生まれた。第一高等学校医科をへて、1919年東京帝国大学医学部に入学したが、1922年に文学部英文科へ転じた。有島武郎を崇敬し、生前しばしば訪ねており、また父と同じく精神科医の歌人斎藤茂吉とも終生交流があった。 1925年に大学卒業した後、東京帝国大学文学部言語学科副手に採用された。1926年にヨーロッパ留学し、古代ギリシア文学・ラテン文学を修めた。1929年に帰国し、文学部講師に昇格。
倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年〈明治30年〉… 倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年〈明治30年〉9月21日 - 1975年〈昭和50年〉11月14日)は、日本の中国語学者、中国文学者。文学博士。東京大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1897年、新潟県高田町(現・上越市)に、十三人兄弟の四男として生まれる。倉石家は地元の名家で、一族には漢学者の高田藩校教授の倉石侗窩がいる。 高田第二尋常小学校(現上越市立東本町小学校)、新潟県立高田中学校(現新潟県立高田高等学校)、第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学文学部支那文学科卒。一高時代は三木清や瀧川政次郎とともに岩元禎らの下で学び、東大では塩谷温・服部宇之吉・岡田正之らの下で学ぶ。卒業論文では中国天文学(英語版)を扱う。
萩原 雄祐(はぎはら ゆうすけ、1897年3月28日 - 1… 萩原 雄祐(はぎはら ゆうすけ、1897年3月28日 - 1979年1月29日)は、日本の天文学者。大阪府大阪市南区(現中央区)出身。旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部卒業。日本学士院会員。勲一等瑞宝章・文化勲章受章。贈正三位(没時叙位)
富田 彬(とみた あきら、1897年1月25日 - 1971… 富田 彬(とみた あきら、1897年1月25日 - 1971年3月26日)は、日本の英文学者、翻訳家。立教大学名誉教授。 栃木県出身。東京帝国大学英文科卒。1926年に立教大学教授。アメリカ文学研究の先駆者の一人で、立教大学において同研究の基礎をつくり、エマソンやメルヴィル、ジェイン・オースティンなどの作品を翻訳した。 1929年(昭和4年)から1930年(昭和5年)には立教大学野球部長を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
片岡 良一(かたおか よしかず、1897年1月5日 - 19… 片岡 良一(かたおか よしかず、1897年1月5日 - 1957年3月25日)は、日本の日本文学者。日本の近代文学をアカデミズムで論じた初期の人物である。法政大学教授・北京師範大学教授を歴任。 神奈川県藤沢町生まれ。1925年、東京帝国大学文学部国文学科を卒業し、旧制姫路高等学校の教員となる。1926年刊行の『井原西鶴』で注目され、1929年『現代文学諸相の概観』で近代文学を論じて自我史観を示し、近代文学研究の基礎を据えたとされる。1930年、旧制府立高等学校の教員となる。府立高校時代の教え子に小田切秀雄がいる。小田切に自宅を会合の場として提供したとして辞職。1934年法政大学教授、1941年北京師範大学教授、1946年に再び法政大学教授となる。
池田 亀鑑(いけだ きかん/戸籍名・いけだ かめのり、明治2… 池田 亀鑑(いけだ きかん/戸籍名・いけだ かめのり、明治29年〈1896年〉12月9日 - 昭和31年〈1956年〉12月19日)は、日本の国文学者。小説家。号は桃園(とうえん)。平安文学専攻で、特に『源氏物語』の研究(源氏学)で知られる。1948年(昭和23年)、学位論文『古典の批判的処置に関する研究』により、論文博士(東京大学)。兼任で多くの学校で教壇に立った。 名前の読みについて、一般には「きかん」とされているが、「かめのり」とする資料もある。 1896年(明治29年)、鳥取県日野郡福成村(現・日南町)で、宏文(父)と母・とら(母)の間に生まれる。1916年(大正5年)に鳥取師範学校を卒業し、溝口尋常高等小学校訓導。
麻生 磯次(あそう いそじ、1896年〈明治29年〉7月21… 麻生 磯次(あそう いそじ、1896年〈明治29年〉7月21日 - 1979年〈昭和54年〉9月9日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京帝国大学・論文博士・1944年)(学位論文「近世文学の支那的原拠と読本の研究」)。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。正三位勲一等瑞宝章没後追贈。 1896年、千葉県武射郡睦岡村(現在の千葉県山武市)出身。1917年第一高等学校英法科卒業、1920年東京帝国大学文学部を卒業。 同1920年より、朝鮮総督府編集書記。1923年、東京帝国大学大学院へ入学。愛知県第一高等女学校高等科教授、第六高等学校教授を経て、1925年に京城帝国大学教授に着任した。
菊池 武一(きくち たけかず、1896年3月28日 - 19… 菊池 武一(きくち たけかず、1896年3月28日 - 1972年4月24日)は、日本の英文学者、翻訳家。 高松市出身。第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学文学部英文科卒業。國學院大學教授を務め、戦後になって古代文学、歴史研究に重きを置く方向付けに尽力する。また代々木ゼミナールの校長を務めた。子息菊池映二はフランス文学者で明治大学教授を務めた(1929-2002)。 日本の文芸、特に室町時代の謡曲文学、仕舞に造詣が深く、笛もよくした。スコット『アイヴァンホー』訳は、文庫上巻刊行後の1965年に入院し、退院後も執筆を続けたが、下巻の原稿を残して没し、菊池が國學院に迎えた高見穎治が校訂し刊行された。
内山 貞三郎(うちやま ていざぶろう、1896年3月4日 -… 内山 貞三郎(うちやま ていざぶろう、1896年3月4日 - 1976年10月2日)は、日本のドイツ文学者。 新潟県出身。1920年東京帝国大学文学部独文科卒。第三高等学校教授、1949年大阪大学文学部ドイツ文学科初代教授。1956年「工匠歌人ハンス・ザックスとその舞台」で東京大学文学博士。1960年阪大を定年退官、名誉教授、関西大学教授、1967年京都外国語大学教授。ドイツ戯曲を研究した。 ドイツ文化の普及に尽くしたとして西ドイツ政府からゲーテ・メダルの贈呈を受けた。1976年10月2日、老衰のため京都府向日市の自宅にて死去。80歳。
加藤 猛夫(かとう たけお、1896年1月31日 - 197… 加藤 猛夫(かとう たけお、1896年1月31日 - 1976年1月21日)は、日本の英文学者。大阪大学名誉教授。 岡山県倉敷市出身。別名・東知。1922年東京帝国大学文学部英文科卒。1949年「十七世紀英国社会思想の史的考察」で法政大学文学博士。1924年日本大学教授、東洋大学教授、法政大学教授、1951年お茶の水女子大学教授、1955年大阪大学文学部教授、1959年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授、南山大学教授。
及川 奥郎(おいかわ おくろう、明治29年(1896年)1月… 及川 奥郎(おいかわ おくろう、明治29年(1896年)1月1日 - 昭和45年(1970年)12月27日)は、第二次世界大戦前に小惑星を複数発見した日本の天文学者。 岩手県盛岡市出身。大日本帝国海軍海軍大将の及川古志郎は兄。 岩手縣立盛岡中學校を卒業。1920年に東京帝国大学理学部天文学科を卒業後、1922年より当時麻布区板倉から北多摩郡三鷹村大澤へ移転を進めていた東京天文台に技手として勤務し、ブラッシャー社製20センチ天体写真儀を使って天体の位置観測に従事した。東京天文台の移転に当たってはその経度差を測定している。ブラッシャー写真儀による観測で、1927年から1929年にかけて共同発見1つを含む計8つの小惑星を発見。
深瀬 基寛(ふかせ もとひろ、1895年10月12日 - 1… 深瀬 基寛(ふかせ もとひろ、1895年10月12日 - 1966年8月21日)は、日本の英文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 高知県吾川郡春野町(現高知市)生まれ。1916年第三高等学校卒、1919年東京帝国大学卒。1920年京都帝国大学大学院入学、中学校教諭ののち、1922年松江高等学校教授、1925年三高講師、1927年教授、49年京大教養部教授、1958年10月定年退官、名誉教授、南山大学教授。1966年大手前女子大学教授。没後従三位贈位勲三等瑞宝章受勲。 マシュー・アーノルドやT・S・エリオットの紹介、研究に努めた。1955年、『エリオット』で第6回読売文学賞受賞。若いころ湯浅芳子に恋していたことが瀬戸内寂聴『孤高の人』に書かれている。
関根 秀雄、關根 秀雄(せきね ひでお、1895年(明治28… 関根 秀雄、關根 秀雄(せきね ひでお、1895年(明治28年)9月17日 - 1987年(昭和62年)7月27日)は、日本のフランス文学者。昭和期のモンテーニュ研究の第一人者。 国文学者関根正直の子として東京に生まれる。東京帝国大学選科修了。東京都立大学教授、青山学院大学教授を歴任。はじめフランス語学を研究、生涯を通じ『モンテーニュ随想録』などを研究翻訳した。 1936年5月26日、第2回文藝懇話会賞を受賞する。1980年、モンテーニュ出身地のフランスジロンド県・ボルドー市より、第1回モンテーニュ賞が贈られる。 1987年7月27日、肺炎により死去。享年91歳。墓所は染井霊園。 国文学者の関根慶子は妹、聖書学者の関根正雄は弟。
阿部 孝(あべ たかし、1895年8月22日- 1984年)… 阿部 孝(あべ たかし、1895年8月22日- 1984年)は、英文学者、高知大学名誉教授。岩手県花巻川口町(現:花巻市)出身。 現在の花巻市鼬弊(いたちべい)にある稲荷神社神主の家に生まれる。花城尋常小学校(現・花巻市立花巻小学校)から旧制岩手県立盛岡中学校に進学。小学校では宮沢賢治より1学年上、中学校では同窓で、中学時代には親交を結んだ。賢治が詠んだ短歌には「這ひ松のなだらを行きて息吐ける 阿部のたかしは がま仙に肖る」という一首がある。 第一高等学校を経て、東京帝国大学英文科卒、旧制高知高等学校教授、戦後高知大学教授、学長を務めた。1966年『ばら色のばら』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年6月3日 - 1… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年6月3日 - 1970年3月4日)は、フランス文学者、日本芸術院会員。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年(明治28年)6… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年(明治28年)6月3日 - 1970年(昭和45年)3月4日)は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、日本芸術院会員。 1895年(明治28年)、神田川の川口に近い神田佐久間町で米問屋を営んでいた富裕な家庭に生まれた。父・鈴木政次郞の二男。東京女子師範附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)に通った。1908年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業し、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進学・中学校では、諸橋轍次が担任であった。1913年に卒業し、直ちに第一高等学校第一部丁類(仏語法科)に進み、翌年よりボードレールの『悪の華』翻訳に取り組んだ。
奥津 彦重(おくつ ひこしげ、1895年4月28日 - 19… 奥津 彦重(おくつ ひこしげ、1895年4月28日 - 1988年3月13日)は、日本のドイツ文学者。東北大学名誉教授。 滋賀県出身。1920年東京帝国大学文学部独文科卒。東北帝国大学法文学部助教授、東北大学教養部教授、1959年定年退官、名誉教授となった。主としてゲーテを研究した。
相良 守峯(さがら もりお、1895年(明治28年)4月14… 相良 守峯(さがら もりお、1895年(明治28年)4月14日 - 1989年(平成元年)10月16日)は、日本の独文学者。 東京大学名誉教授、鶴岡市名誉市民(第一号)、勲二等瑞宝章受章、文化勲章受章。贈従三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。山形県鶴岡市出身。幼名は鈇太郎(おのたろう)だったが、鉄太郎(てつたろう)と間違えられることが多かったため、数え23歳の年の瀬に郡長の許可を得て守峯と改めた(『茫々わが歳月』p.7)。 木村謹治とともに編纂した独和辞典は「キムラ・サガラ」と呼ばれた。 大独和辞典の編纂やゲーテの研究等でも有名。日本独文学会の創設に貢献した。
伊藤 武雄(いとう たけお、1895年4月9日 - 1971… 伊藤 武雄(いとう たけお、1895年4月9日 - 1971年2月24日)は、日本のドイツ文学者。 1895年、神奈川県横須賀市生まれ。東京帝国大学文学部独文科で学び、1918年に卒業した。 卒業後は第四高等学校教授となった。戦後の1949年7月、第14代第四高等学校校長となった(1950年3月まで)。一方で、同1949年は国立学校設置法の施行による新制金沢大学が設置され、包摂されることとなったことから金沢大学教授となった。1960年に金沢大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は桃山学院大学教授として教鞭をとった。 なお、1909年生まれのドイツ文学者に名古屋大学教授を務めた伊藤武雄がいるが、全くの別人である。
実吉 捷郎(さねよし はやお、1895年(明治28年)1月2… 実吉 捷郎(さねよし はやお、1895年(明治28年)1月20日 - 1962年(昭和37年)2月15日)は、日本の独文学者、翻訳家。 1895年に実吉安純の六男として東京に生まれる。東京帝国大学卒業後、水戸高等学校(旧制)、府立高等学校などで教師生活を経て、1949年旧・東京都立大学教授となる。後に桐朋学園大学教授、立正大学教授。トーマス・マンなど近代ドイツ文学の紹介で貢献的な役割を果たした。 一時期は伯爵・日野資秀の三女と結婚し、婚姓から「日野 捷郎」という名前で著作活動をした。義兄日野資謙の死去に伴い、1925年6月1日に伯爵を襲爵するも、1931年2月27日に隠居し、同年4月10日に離婚したため復姓した。
神田 茂(かんだ しげる、1894年〈明治27年〉2月21日… 神田 茂(かんだ しげる、1894年〈明治27年〉2月21日 - 1974年〈昭和49年〉7月29日)は、日本の天文学者。元横浜国立大学教授。大阪府出身。アマチュア天文家の指導者として有名。 1894年(明治27年)大阪に生まれる。麻布中学、二高を経て、1920年(大正9年)東京帝国大学理学部天文学科を卒業、東京天文台(国立天文台の前身)の技手となる。同じ年の8月20日にはくちょう座に新星を発見している。 東京天文台では『理科年表』や日本天文学会の会誌『天文月報』の編集に当たった。また星の古記録を組織的に収集し『日本天文史料綜覧』(1934年)や『日本天文史料』(1935年)をまとめた。 1943年(昭和18年)に天文台を退官すると湯河原に移住し、1945年(昭和20年)「神田天文学会」を創立、翌年には日本天文研究会と改称した。
阿藤 伯海(あとう はくみ、1894年(明治27年)2月17… 阿藤 伯海(あとう はくみ、1894年(明治27年)2月17日 - 1965年(昭和40年)4月4日)は、日本の中国文学者、漢詩人。本名は簡。 1894年(明治27年)2月17日、岡山県浅口郡六条院村相部(現・浅口市鴨方町六条院東)の大地主の家に生まれる。旧制矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)、第一高等学校、級友の難波準平と共に東京帝国大学に進む。多くの人は仏蘭西文学を専攻すると思っていたが、西洋哲学に進んだ。1924年(大正13年)東京帝国大学を卒業し、倉石武四郎同様に京都帝国大学大学院に入学する。藤代禎輔、朝永三十郎両教授の指導を受けるが、漢学に傾倒して狩野直喜に師事、鈴木虎雄、上田敏にも私淑した。
山岸 徳平(やまぎし とくへい、明治26年(1893年)11… 山岸 徳平(やまぎし とくへい、明治26年(1893年)11月25日 - 昭和62年(1987年)5月22日)は、日本の国文学者。中古文学専攻。東京教育大学教授、実践女子大学教授、中央大学教授などを務めた。 1893年、新潟県西蒲原郡(現新潟市西蒲区・旧西川町)で生まれた。新潟師範学校で学び、1914年(大正3年)に卒業した後に、東京高等師範学校本科に進んだ。東京高師時代は徒歩部(今の筑波大学陸上競技部)に所属していた。先輩に金栗四三がおり、一緒にマラソン選手として数々の大会に出場。1918年に同校を卒業し、東京帝国大学文学部国文科に入学。1924年卒業後は、同大学大学院に進んだ。 1925年より学習院教授。
舟木 重信(ふなき しげのぶ、1893年〈明治26年〉7月2… 舟木 重信(ふなき しげのぶ、1893年〈明治26年〉7月27日 - 1975年〈昭和50年〉4月29日)は、日本の小説家、ドイツ文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 ハイネやゲーテの研究をおこない、多くの作品の邦訳を手掛けた。 1893年、広島県江田島にて海軍少将舟木錬太郎の次男として生まれる。東京帝国大学を卒業し、早稲田大学教授を務めた。 1919年、短編集『楽園の外』を刊行。同年学芸自由同盟を結成し、書記長をつとめた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山田 珠樹(やまだ たまき、1893年2月26日 - 194… 山田 珠樹(やまだ たまき、1893年2月26日 - 1943年11月24日)は、日本のフランス文学者。東京帝国大学の助教授および司書官を務めた。フランス文学者として、辰野隆、鈴木信太郎らと東大仏文科を興し、司書官として、関東大震災後の東大図書館の復興に力を尽くした。また、森茉莉の最初の夫としても知られる。
石川 錬次(いしかわ れんじ、1893年1月22日 - 19… 石川 錬次(いしかわ れんじ、1893年1月22日 - 1945年7月8日)は、日本のドイツ文学者。 東京都出身。東京帝国大学独文科卒。 立教大学教授、第六高等学校教授、第八高等学校教授、旧制浦和高等学校教授、1929年府立高等学校教授。
岡崎 義恵(おかざき よしえ、男性、1892年12月27日 … 岡崎 義恵(おかざき よしえ、男性、1892年12月27日 - 1982年8月6日)は、日本の国文学者・文芸学者。文学博士。日本学士院会員。 高知市生まれ。東京帝国大学卒、1923年東北帝国大学助教授、のち東北大学教授、1955年共立女子大学教授。1965年日本学士院会員。 美学に基づく日本文芸学を唱えた。1937年谷崎潤一郎が『源氏物語』の現代語訳を出した際、光源氏と藤壺の密通の場面が削除されたことを批判した。『岡崎義恵著作集』全10巻がある。 墓所はさいたま市西区三橋の青葉園。
成瀬 正一(なるせ せいいち、1892年4月26日 - 19… 成瀬 正一(なるせ せいいち、1892年4月26日 - 1936年4月13日)は、日本のフランス文学者。ロマン・ロランの翻訳・紹介を行った。大学卒業後まもなく創作から研究の道に転じ、九州帝国大学法文学部教授として仏蘭西浪漫主義思想を専門とした。43歳で病死したが、この時代の良き知識人として、後世の文学や美術研究に大いに寄与した。パリ留学中の1921年、松方幸次郎のアドバイザーとして松方コレクション(国立西洋美術館)の絵画彫刻の蒐集購入に協力した。 成瀬正恭(十五銀行頭取)の長男として、神奈川県横浜市に生まれる。 麻布中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学文科大学英文科卒業。大学在学中に芥川龍之介、久米正雄、菊池寛、松岡譲と第4次『新思潮』を創刊する。
上田 穣(うえた じょう、1892年2月6日 - 1976年… 上田 穣(うえた じょう、1892年2月6日 - 1976年11月13日)は日本の天文学者。
松浦 嘉一(まつうら かいち、1891年(明治24年)9月1… 松浦 嘉一(まつうら かいち、1891年(明治24年)9月1日 - 1967年(昭和42年)8月7日)は、英文学者。 1891年、愛知県名古屋市で生まれた。第八高等学校を経て、東京帝国大学英文科に進学。大学では、夏目漱石門下として学んだ。1916年に東京帝国大学を卒業。 1920年、法政大学予科教授となった。1925年に東京高等学校教授となり、続いて第一高等学校教授となった。 1946年、学位論文『ダンの修辞的映像に現れたる彼の世界観及び将来の英帝国に対して彼の抱きたる幻想』を東京帝国大学に提出して文学博士号を取得。1949年、東京大学教養学部教授に就いた。1951年からはお茶の水女子大学教授として教鞭をとり、1956年に定年退職した。
頼 成一(らい せいいち、1891年〈明治24年〉8月31日… 頼 成一(らい せいいち、1891年〈明治24年〉8月31日 - 1951年〈昭和26年〉7月21日)は、日本の国文学者、漢文学者。 旧制東京高等学校教授、東京高等師範学校教授。頼山陽5世子孫。号は楳崖(ばいがい)。広島県士族。 東京帝国大学卒業。旧制愛知県立第一中学校教諭、旧制東京高等学校教授、東京高等師範学校教授。 戦後、地元広島の旧制尾道市立女子専門学校校長、尾道短期大学初代学長。 同じく漢文学者の頼惟勤は息子。
長谷川四郎(はせがわ しろう、1891年6月24日 - 19… 長谷川四郎(はせがわ しろう、1891年6月24日 - 1982年3月19日)は、英文学者、教育者。長谷川五郎の父。オセロ (ボードゲーム)の名付け親。別名・長谷川朝暮。 東京本郷生まれ。1914年旧制一高英語文科卒、1917年東京帝国大学文科大学英文科卒。 現在は廃校となった旧制水戸高等学校の元教授。1921年4月、水高の最年少教授となり、以降水高廃校まで29年教壇に立った水高を代表する名物教授であった。教え子に後藤田正晴などがいる。この時代に四郎宅での句会に出席していた金子兜太によると、四郎は変わった髪型(前頭部に後ろの髪をかき集めてきて束ね、とぐろに巻いて油で固定している)にピーマン形の鼻、大きな目にしゃれた小さな縁なし眼鏡をかけ、エドガー・アラン・ポーの心酔者だったという。