佐藤 勝也(さとう かつや、1904年4月10日 - 198… 佐藤 勝也(さとう かつや、1904年4月10日 - 1988年3月19日)は、日本の政治家、官僚、弁護士。長崎県知事などを務めた。退任後は東京にて弁護士活動をする。趣味の囲碁は2段の腕前だった。 旧制福岡高校を経て東京帝國大学(現・東京大学)法学部に入学。在学中に高等文官試験に合格し、台湾総督府、拓務省などに務めた後、内務省に移り大阪府経済部長、官選の徳島県知事などを歴任した。戦後は岡山県副知事を経て長崎県副知事を6年間務めたが、次期県知事を狙っているとみなされて1957年に西岡竹次郎(西岡武夫の父)に解任された。翌1958年に西岡の死去を受けて長崎県知事選挙に出馬し、前県会議長の金子岩三を破り当選。
日沖 憲郎(ひおき のりお、1903年7月2日 - 1993… 日沖 憲郎(ひおき のりお、1903年7月2日 - 1993年4月8日)は、日本の刑法学者、裁判官、弁護士、法学博士。 三重県出身。小野清一郎らに師事、刑法学者として改正刑法準備草案、ついで改正刑法草案の作成に関わる。戦後政財界の主な汚職事件で弁護団に参加、ロッキード事件では全日空の若狭得治の主任弁護士として活動した。訳書にイェーリング著『権利のための闘争』(岩波文庫)がある。
太田 耐造(おおた たいぞう、1903年(明治36年)5月1… 太田 耐造(おおた たいぞう、1903年(明治36年)5月16日 - 1956年(昭和31年)3月21日)は、日本の検察官、司法官僚、弁護士。 東京出身。東京帝国大学法学部卒業。 東京地方裁判所検事、司法省刑事局第六課長、司法省会計課長、甲府地方裁判所検事正、満州国司法部刑事司長を歴任し、1944年、大審院検事となった。 この間、司法省刑事局第六課長時代の1941年、治安維持法改正に関わり、長年の懸案事項であった予防拘禁制を立案し盛り込んだ。さらに国防保安法の立案立法化も手がけた。また、ゾルゲ事件捜査に関わった。 塩野季彦を頂点とする思想検事の主流「塩野閥」において、佐藤祥樹、岸本義広、佐野茂樹らとともに「塩野閥四天王」の一人に数えられ、戦後も岸本派はその実、太田派とされた。
関 之(せき いたる、1903年3月19日 - 2001年4… 関 之(せき いたる、1903年3月19日 - 2001年4月25日)は、検事、弁護士。 長野県諏訪郡湖南村(諏訪市)出身。小学校卒業後、専門学校検定試験(専検)合格。第一高等学校を経て、1932年東京帝国大学法学部卒。1934年検事となり、東京控訴院検事などをへて、1948年発足した人権擁護局の第一課長。1949年東京高検検事、1952年公安調査庁総務部長となり、破壊活動防止法や人権擁護委員法の草案を作成する。1963年最高検察庁検事、1966年総務部長。同年弁護士に転じ、中央学院大学教授。1974年定年退任。墓所は多磨霊園(17-1-8)
色川 幸太郎(いろかわ こうたろう、1903年1月30日 -… 色川 幸太郎(いろかわ こうたろう、1903年1月30日 - 1993年8月5日)は日本の弁護士、最高裁判所裁判官。 千葉県出身。旧制土浦中学校(現在の土浦第一高等学校)、旧制第二高等学校卒業。東京帝国大学在学中に高文司法科試験に合格。1927年4月に大学卒業とともに弁護士となった。大阪の農民組合から法律顧問の水谷長三郎の後任を依頼されて大阪で開業し、関西で住むことになった。1947年、色川法律事務所を開設。 戦前は日本農民組合顧問として小作争議を支援。労働法に精通し、リベラル派として知られた。 戦中は陸軍に召集され法務将校として勤務。最終階級は法務中尉。 戦後は大阪地方公共企業体等調停委員、大阪市人事委員などを長く務め、大阪弁護士会会長も歴任。
下村 三郎(しもむら かずお、1903年1月2日 - 198… 下村 三郎(しもむら かずお、1903年1月2日 - 1980年8月4日)は。日本の裁判官、弁護士。最高裁判所判事を務めた。東京都出身。 1920年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業[要出典]。附属中学の同級生には、市原豊太(元獨協大学学長)、菊池正士(物理学者)、坪井忠二(東京大学名誉教授)、中島健蔵(フランス文学者)などがいた[要出典]。 旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業[要出典]。 裁判官生活と司法省への出向を2度繰り返した後、松江地方裁判所所長、東京高等裁判所判事、最高裁判所事務総長、仙台高等裁判所長官、東京高等裁判所長官を経る。東京高裁判事時代にチャタレイ事件で一審無罪を有罪に逆転させた。
馬場 元治(ばば もとはる、明治35年(1902年)12月2… 馬場 元治(ばば もとはる、明治35年(1902年)12月21日 - 昭和43年(1968年)6月23日)は、昭和時代の政治家、弁護士。自由民主党の衆議院議員で建設大臣を務めた。正三位勲一等瑞宝章。長崎県南高来郡南串山村出身(現雲仙市)。旧制長崎中学、第五高等学校、東京帝国大学法学部卒。三男は英国在住の俳優、トーゴ イガワ。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月… 迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月5日 - 1977年(昭和52年)7月25日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 いわゆる「玉音放送」を起草した人物の一人として知られる。 内閣書記官長(第51代)、総合計画局長官、貴族院議員、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、経済企画庁長官(第9・10代)、郵政大臣(第17代)、鹿児島工業短期大学学長(初代)などを歴任した。
八並 達雄(やつなみ たつお、1901年(明治34年)11月… 八並 達雄(やつなみ たつお、1901年(明治34年)11月4日 - 1981年(昭和56年)6月5日)は、日本の裁判官、弁護士、政治家。衆議院議員。 大分県出身。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 東京地方裁判所兼同区裁判所判事、横浜地方裁判所兼同区裁判所判事、前橋地方裁判所兼同区裁判所判事、東京刑事地方裁判所判事、東京民事地方裁判所判事、東京控訴院判事、横浜地裁部長、東京控訴院部長などを務めた。その後、弁護士となる。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で東京都第7区から民主党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 1981年6月、急性心不全により東京都品川区上大崎の自宅で死去した。
竹谷 源太郎(たけや げんたろう、1901年(明治34年)2… 竹谷 源太郎(たけや げんたろう、1901年(明治34年)2月14日 - 1978年(昭和53年)9月12日)は、日本の政治家、内務官僚、弁護士。衆議院議員。 宮城県伊具郡角田町(現角田市)で呉服商・竹谷源平、いち夫妻の長男として生まれる。1918年、宮城県立角田中学校を卒業し、東京高等商業学校に入学したが、体操教官(陸軍中佐)の態度に反発し退学。同年、第一高等学校に編入し、1924年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。卒業後はアメリカ合衆国でデパートメント・ストアの研究を希望していたが、友人が相談もなく手続きをした高等試験行政科試験を受けて1924年11月に合格。同年、内務省に入省し静岡県属となる。
小田 成就(おだ しげなり / じょうじゅ、1901年(明治… 小田 成就(おだ しげなり / じょうじゅ、1901年(明治34年)1月1日 - 1975年(昭和50年)6月12日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選奈良県知事。海軍司政長官。妻・英子は樺山資英の三女。位階は正四位。勲二等瑞宝章。 兵庫県出身。小田半平の二男として生まれる。第八高等学校を卒業。1923年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し奈良県属となる。 以後、奈良県警察部保安課長、大阪府監査官・保安課長、神奈川県社会課長、同地方課長、同庶務課長、和歌山県書記官・学務部長、愛知県書記官・学務部長、文部書記官、文部省社会教育局成人課長などを歴任。
齋藤 朔郎(さいとう きたろう、1900年〈明治33年〉1月… 齋藤 朔郎(さいとう きたろう、1900年〈明治33年〉1月31日 - 1964年〈昭和39年〉8月9日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所判事。大阪府出身。 1923年(大正12年)12月東京帝国大学法学部在学中に高等文官試験行政科・司法科の双方に合格し、翌1924年(大正13年)に東京帝国大学を卒業。 戦前、大阪地方裁判所民事部に勤務した後に、司法省民事局に出向して会社更生法の基礎を作成。1941年(昭和16年)8月に司法大臣官房人事課長となり、1945年(昭和20年)5月に満州国にて最高法院次長、司法部次長を務めた。敗戦によりシベリア抑留となる。 帰国後は一旦は弁護士になるが、1949年(昭和24年)4月に再び裁判官となり、東京高裁刑事部に勤務した。
阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 198… 阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 1988年3月14日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。徳島県知事を務めた。 1899(明治32)年に麻植郡鴨島町牛島に生まれる。旧制徳島中学校を卒業後、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業。 在学中に高等文官試験行政科に合格し、卒業後内務省に入省。戦前においては、石川県河北郡長、大阪府警察部調停課長、兵庫県都市計画課長・学務部学務課長、鹿児島県経済部長、内務省土木局道路課長、愛知県内務部長、三重県書記官・総務部長などをつとめ、戦後は 1951年、公選第二代目の徳島県知事に就任する(在任期間1951年 - 1955年)。高度経済成長期の産業構造を見通した県政運営を行った。
近藤 綸二(こんどう りんじ、1899年10月8日 - 19… 近藤 綸二(こんどう りんじ、1899年10月8日 - 1982年4月12日)は、日本の弁護士、裁判官。東京高等裁判所長官などを務めた。 東京市生まれ。父は駿河台病院の創立者として知られる近藤次繁であった。兄弟には作家の近藤経一や東京女子医科大学教授の近藤台五郎がいる。1923年に東京帝国大学法学部を卒業した。 1924年に弁護士登録をし、原嘉道の事務所に入った後にフランスへ2年ほど留学した。帰国後は、有馬忠三郎の事務所に入ったが、後に独立し、帝人事件の弁護なども担当した。この間、1947年に、第一東京弁護士会の副会長となり、司法修習制度と弁護士法制定をめぐってGHQと折衝を重ねた。同年には、海野普吉らとともに自由人権協会を創設し、以降、専務理事や副理事長などを務めた。
小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 19… 小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 1988年1月10日)は、弁護士、日本の政治家。法務大臣。帝国弁護士会理事、 第一東京弁護士会常議員。位階は正三位。 自由党衆議院議員(1946年から10期)。日本自由党では政務調査会理事、司法部部長、民主党では総務委員、政務調査会理事、議員運営部部会長を務めた。自民党では芦田均派→岸信介派→福田赳夫派に所属した。 兵庫県養父郡八鹿町(現・養父市)出身。造り酒屋の小島久右衛門の三男として生まれる。八鹿小、豊岡中、第一高等学校、東京帝国大学法学部仏法科卒業。 1922年(大正11年)、高等文官試験外交科及び行政科に合格。その後弁護士を開業。 1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙に兵庫2区から初当選。
風早 八十二(かざはや やそじ、1899年8月10日(戸籍上… 風早 八十二(かざはや やそじ、1899年8月10日(戸籍上は8月24日) - 1989年6月19日)は、日本の法学者、弁護士(登録は1949年12月8日)。専門は刑事法、社会政策。衆議院議員(1949年1月-1952年7月)。岡山県都窪郡山手村(現・総社市)出身。1922年、東京帝国大学法学部卒業。 日本の刑事法学において、罪刑法定原則(罪刑法定主義)復活の重要性をいち早く唱えた。ベッカリーアの不朽の名著『犯罪と刑罰』の完訳を成し遂げたことで有名である(単独翻訳は1929年出版の刀江書院版。後1938年、岩波文庫の一冊として出版。戦後の1959年、妻・風早二葉との共訳として改版された)。 日本における新派刑法学(近代派)の巨頭・牧野英一の刑法研究室(東京帝国大学法学部)の助手になる(1922年-1924年3月)も、師説から離れ、日本における、いわゆるマルクス主義法学の先駆者の一人となる。
黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 198… 黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 1986年10月21日)は、日本の農民運動家、政治家、弁護士。1948年結成の労働者農民党の初代主席。元衆議院議員。 岡山県津高郡金川村(のち御津郡金川村→金川町→御津町、現・岡山市北区)出身。第六高等学校を経て東京帝国大学法学部に入学。在学中に新人会で活動し、学生連合会を結成、委員長となる。法曹資格を得て後は自由法曹団で労働運動・農民運動を支援。労農党、労農派に参加した。1929年(昭和4年)には東京無産党を結成して書記長に就任、翌年に全国大衆党に合流した。 1936年(昭和11年)に行われた第19回衆議院議員総選挙に岡山県第1区から全国農民組合の支援を受けて出馬。
清原 邦一(きよはら くにかず、1899年(明治32年)3月… 清原 邦一(きよはら くにかず、1899年(明治32年)3月27日 - 1967年(昭和42年)11月11日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。 和歌山県那賀郡(現紀の川市)で、清原英三の長男として生まれる。旧制・和歌山県立粉河中学校、旧制・第一高等学校を経て、1924年4月、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。 1923年12月、高等試験行政科試験に合格し、1924年5月、裁判所書記兼司法属に任官し東京地方裁判所書記兼大臣官房調査課に配属された。同年12月、高等試験司法科試験に合格し、1925年3月、司法官試補に任官し大阪地方裁判所詰となる。1926年11月、検事に任官し大阪地裁予備検事となる。
上田 誠一(うえだ せいいち、1898年(明治31年)11月… 上田 誠一(うえだ せいいち、1898年(明治31年)11月10日 - 1969年(昭和44年)1月7日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 石川県出身。小学校長・上田誠文の長男として生まれる。石川県立金沢第二中学校を卒業。金沢医学専門学校中退を経て、第四高等学校を卒業。1921年10月、高等試験行政科試験に合格。1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年4月、内務省に入省し、宮城県属となり内務部地方課に配属された。 1923年2月、宮城県警視・警察部警務課長に就任。以後、同保安課長兼工場課長、兵庫県警察部保安課長、同特別高等警察課長、京都府警察部特別高等警察課長、警視庁警視・特別高等警察課長、兼外事課長、警視庁衛生部長を歴任。
岩上 夫美雄(いわかみ ふみお、1898年(明治31年)4月… 岩上 夫美雄(いわかみ ふみお、1898年(明治31年)4月25日 - 1986年(昭和61年)12月28日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選秋田県知事。 東京府出身。岩上照雄の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し内務属となる。 以後、山梨県理事官、大阪府工場監督官、奈良県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、愛知県書記官・警察部長、警視庁警務部長、北海道庁総務部長などを歴任。 1940年7月、秋田県知事に就任。戦時下の体制整備に尽力。1943年7月に知事を退任。同年に退官し、大日本産業報国会常務理事となる。
石井 政一(いしい まさかず / せいいち、1898年(明治… 石井 政一(いしい まさかず / せいいち、1898年(明治31年)2月28日 - 1997年(平成9年)2月24日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選福島県知事。 奈良県出身。石井庄太郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し京都府属となる。 以後、大阪府監察官、岡山県書記官・警察部長、内務事務官兼内務書記官、内務省土木局港湾課長、同道路課長、大臣官房文書課長、神社局総務課長などを歴任。 1944年4月、福島県知事に就任し終戦を迎えた。1945年10月27日、知事を依願免本官となり退官。1946年1月に公職追放となった。
岡崎 源一(おかざき げんいち、1898年〈明治31年〉2月… 岡崎 源一(おかざき げんいち、1898年〈明治31年〉2月26日 - 没年不明)は、日本の弁護士、検察官。東京弁護士会理事。 三重県河芸郡一身田村字上津部田(現・津市)出身。岡崎和吉の長男。1918年、第二高等学校を卒業。1921年、東京帝国大学法学部独法科を卒業し、司法省に入り司法官試補となり、同年12月に判事に任官する。 裁判所に勤務する。1926年1月に官を辞し、弁護士となる。日本橋区本銀町四丁目に事務所を開く。高木益太郎の長女と結婚する。 1929年12月11日に高木益太郎が亡くなると、その法律事務を岡崎法律事務所が引き継ぐ。また法律新聞社長となる。1952年5月から1954年4月まで司法研修所教官をつとめた。
久保田 畯(くぼた たおさ、1897年(明治30年)8月4日… 久保田 畯(くぼた たおさ、1897年(明治30年)8月4日 - 1991年(平成3年)5月27日)は、大正から昭和期の内務・警察官僚、弁護士。官選福井県知事、陸軍司政長官。 熊本県阿蘇郡山西村(現在の西原村)出身。久保田愿の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格。1921年(大正10年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し地方局属となる。 以後、北海道庁理事官、愛知県警視、内務事務官兼関東庁事務官、千葉県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、岐阜県書記官・学務部長、群馬県書記官・警察部長、愛媛県経済部長、山梨県総務部長、神奈川県書記官・総務部長などを歴任。
柴山 博(しばやま ひろし、1897年(明治30年)5月9日… 柴山 博(しばやま ひろし、1897年(明治30年)5月9日 - 1991年(平成3年)12月29日)は、日本の鉄道・内務官僚、弁護士。官選鹿児島県知事。 愛知県出身。柴山重幸の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。鉄道省に入り鉄道局副参事となる。1924年、内務省に転じ復興局勤務となる。 以後、宮崎県事務官、埼玉県事務官、新潟県書記官・学務部長、茨城県書記官・経済部長、徳島県書記官・警察部長、山梨県書記官・総務部長、神奈川県書記官・総務部長、内務省勅任監査官などを歴任。 1943年4月、鹿児島県知事に就任。
安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月… 安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月4日 - 1986年(昭和61年)1月20日)は、日本の外交官、弁護士、政治家。位階は従三位、勲等は勲二等。衆議院議員(2期)。 岐阜県可児郡御嵩町出身。1922年東京帝国大学法学部卒業、外務省入省。1925年パリ大学卒業(法学博士)。 外務省調査部第3課長、欧亜局、大東亜省総務局長、1942年11月条約局長、同省政務局長、1945年退官。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に岐阜2区から当選。衆議院では外務委員長を務める。1949年1月の第24回衆議院議員総選挙では落選するが1952年10月の第25回衆議院議員総選挙で返り咲き。
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1… 薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 秋田県出身。薄田正美の長男として生まれる。函館中学、旧制第二高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年7月、内務省に入り大阪府属兼警部として警察部特別高等警察課に配属された。 1921年11月、香川県警視となり警察部に勤務。1923年2月、朝鮮総督府に転じ総督官房庶務部に勤務し、警務局に異動。 1926年12月、地方事務官として栃木県農商課長に就任。以後、内務事務官・警務官、岡山県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。
生島 五三郎(いくしま ごさぶろう、前名・敏治、1896年〈… 生島 五三郎(いくしま ごさぶろう、前名・敏治、1896年〈明治29年〉11月27日 - 1973年〈昭和48年〉5月13日)は、日本の検事、弁護士。石川島播磨重工業顧問。 兵庫県神戸市出身。先代五三郎の長男。 1920年、東京帝国大学法学部仏法科を卒業。1933年、家督を相続し、前名敏治を改め襲名する。大阪、神戸各検事を経て1940年、京都地方裁判所検事。神戸保護観察所長。 1944年、高松地方検察庁検事正。1945年、福岡地方検察庁検事正。後に退官し弁護士となる。 1973年、心臓弁膜症のため大阪府豊中市内の自宅で死去。満76歳没。 生島五郎兵衛の養甥。多額納税者である。著書には『皇陵巡拝記』がある。
木村 清司(きむら せいじ、1896年〈明治29年〉10月1… 木村 清司(きむら せいじ、1896年〈明治29年〉10月12日 - 1980年〈昭和55年〉10月18日)は、日本の内務・厚生官僚、弁護士。官選福井県知事。 新潟県出身。長岡市長・木村清三郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1920年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。農商務省に入省し工務局属となる。 以後、工場監督官、鉱務監督官、国際労働会議政府代表顧問(1926年)、秋田県書記官・総務部長、内務省地方局財務課長などを歴任。 1939年4月、福井県知事に就任。戦時体制の整備に尽力。1940年12月、厚生省保険院社会保険局長に転任し、1942年4月まで在任。
山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1… 山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1961年9月26日)は、日本の内務官僚、弁護士。第32代京都府知事(最後の官選知事)、陸軍司政長官。 鳥取県鳥取市出身。山本吉太郎の長男。東京帝国大学法科卒業。 大阪市警察署長、北海道庁・兵庫県・警視庁各特高課長、大阪府工場課長、長野県書記官・警察部長、千葉県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、熊本県経済部長、秋田県書記官・総務部長、ジャカルタ州長官、京都府知事を歴任。その後、公職追放となる。 1946年弁護士を開業。追放解除後の1953年の第3回参議院議員通常選挙において出身地の鳥取地方区から緑風会公認で立候補したが落選した。
正木 ひろし(まさき ひろし、 1896年〈明治29年〉9月… 正木 ひろし(まさき ひろし、 1896年〈明治29年〉9月29日 - 1975年〈昭和50年〉12月6日)は、日本の弁護士。 第二次世界大戦前より軍国主義批判を繰り広げ、戦時中には官憲による拷問を告発した首なし事件で有名となった。戦後も多くの反権力裁判、冤罪裁判に関与した。1953年に発生した八海事件の弁護を担当。同事件についての著書『裁判官』はベストセラーとなり、『真昼の暗黒』という題名で映画化された。 敬虔なキリスト教徒としても知られていた。 本名は旲(ひろし)であるが、自ら「正木ひろし」「まさき・ひろし」の表記を好んで用いた。 1896年(明治29年)、東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区)林町に生まれる。
伊藤 久松(いとう ひさまつ、1896年(明治29年)9月2… 伊藤 久松(いとう ひさまつ、1896年(明治29年)9月28日 - 1983年(昭和58年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選大分県知事。 山口県出身。伊藤政吉の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し熊本県属となる。 以後、熊本県飽託郡長、1935年9月、秋田県学務部長、1938年1月、埼玉県学務部長、1939年5月、奈良県総務部長、1941年6月、大阪府学務部長などを歴任。 1942年6月、大分県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1943年7月、知事を退任。同年に退官。戦後に公職追放となる。
中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月 … 中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月 - 1972年(昭和47年)12月21日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 東京府出身。中野政方の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し内務属となる。1921年11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、奈良県書記官・学務部長、栃木県書記官・警察部長、社会局書記官・労働部労務課長、神奈川県総務部長などを歴任。 1939年4月、高知県知事に就任。同年12月、文部省普通学務局長に転任。1942年5月、岐阜県知事となる。満州報国農場の設置、中小商工業再編、授産事業などを推進した。
村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日 - 1… 村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日 - 1972年5月12日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 宮城県仙台市出身。1923年東京帝国大学独法科、1925年同大学経済科卒。司法官試補、検事代理、名古屋地方裁判所判事を経て、弁護士となる。1932年の第18回衆議院議員総選挙で宮城2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選する。民政党解党後は大政翼賛会国民生活動員本部長に就任、翼賛選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選。当選後は翼政会政調厚生委員となった。 戦後、公職追放となり、1951年に追放解除。翌年の第25回衆議院議員総選挙で自由党公認で立候補して当選し、政界に復帰した。
濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 193… 濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 1935年10月29日)は、日本の検事、弁護士、探偵小説家。子爵。貴族院議員。戦後の版では「浜尾四郎」表記が一般的である。作家活動は実働足かけ6年に過ぎず、作品量は長短20篇に及ぶだけだが、戦前派作家として逸することのできない足跡を残している。
柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6… 柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6日 - 1981年(昭和56年)7月21日)は、大正・昭和期の外交官、弁護士。 東京 で医師・柳井貴三の二男として生まれる。1913年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業、第一高等学校を経て、1919年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 1919年7月、外務省に入省し外務属として電信課に配属された。同年10月、高等試験外交科試験に合格。以後、シャム、フランス、ベルギー、ブラジル、外務省アジア局第一課などで勤務した。1931年1月、領事に任じられ奉天在勤となり満州事変に遭遇した。以後、アジア局第三課長、東亜局第三課長、兼東亜局第二課長、ドイツ大使館一等書記官、同参事官、ジュネーヴ総領事兼国際会議帝国事務局次長、興亜院経済部長などを歴任。
打出 信行(うちで のぶゆき、1895年(明治28年)7月1… 打出 信行(うちで のぶゆき、1895年(明治28年)7月12日 - 1963年(昭和38年)6月25日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員、熊本県議会議員、熊本市議会議員を歴任した。 熊本県出身。第五高等学校から東京帝国大学法学部に学び、弁護士資格を取得。弁護士活動の傍ら立憲民政党から熊本県議・熊本市議となり、民政党県支部政調副会長を務めた。 1946年の総選挙で進歩党から衆議院議員に立候補するも次々点、翌1947年の総選挙で熊本県第一区から民主党公認で出馬して初当選し衆議院議員を一期務める。落選後は熊本市議に返り咲き、1954年に熊本県弁護士会長となり1959年6月〜1961年3月に熊本市議会議長を務めた。
高野 源進(たかの げんしん、1895年(明治28年)3月1… 高野 源進(たかの げんしん、1895年(明治28年)3月15日 - 1969年(昭和44年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。 福島県北会津郡北会津村で農業を営む高野源八の長男として生まれる。 会津中学・一高を経て、1923年3月東京帝国大学法学部法律学科(独法学)を28歳で卒業した。卒業前の1922年11月に高等試験に合格しており、卒業後の1923年4月に内務省に入省、警視庁警部(警務部警衛課)となった。その後神田外神田警察署・神田万世橋警察署・本郷駒込警察署の各署長を歴任したのち、警視庁警務部長(1939年9月 - 1941年1月)を経て、山梨県知事となる(1941年1月 - 1942年7月)。
高橋 潔(たかはし きよし、1895年1月16日 - 196… 高橋 潔(たかはし きよし、1895年1月16日 - 1961年12月29日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。青森県出身。 1921年(大正10年)3月に東京帝国大学法学部を卒業。同年5月にいったん司法官試補となるが、1922年(大正11年)9月に依願退官し、すぐ弁護士登録をした。1952年4月から2年間、司法研修所の教官を務めた。 弁護士としては湯浅倉平内大臣暗殺計画事件や人民戦線事件などを扱い、極東国際軍事裁判で旧制一高・東京帝大時代の友人である岸信介の弁護人をした。 子供が無く、夫人と二人暮らしであった。楽しみは若い相撲取りや弁護士たちの面倒を見ることで、特に相撲が好きで若い力士を子供のようにかわいがっており、学生時代は仕度部屋に通いづめだったほどである。
森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12… 森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12月17日 - 1956年(昭和31年)6月9日)は、大正から昭和前期の法制官僚、政治家、弁護士。貴族院勅選議員、法制局長官。 現在の三重県桑名市で、伊藤伊右衛門の三男として生まれ、森山兵介の養子となる。1914年(大正3年)7月、第八高等学校一部丙を首席で卒業。1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、同月、内務省に入り内務属・土木局工営課に配属された。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格。 その後、兼警察講習所教授、埼玉県視学官、帝都復興院計画局制度課、復興局事務官・長官官房計画課などを歴任。
花井 忠(はない ただし、1894年〈明治27年〉12月3日… 花井 忠(はない ただし、1894年〈明治27年〉12月3日 - 1973年〈昭和48年〉10月5日)は、弁護士・検事総長。茨城県生まれ。従三位。勲一等瑞宝章受章。岳父は花井卓蔵(元衆議院副議長・法学博士・弁護士)。 茨城県行方郡麻生町(現:行方市麻生)にて福田病院の院長・福田安次郎の四男三女の次男として誕生する。麻生町立尋常小学校、県立水戸中学校、第八高等学校を経て、1919年7月東京帝国大学法学部(独法兼修)を卒業。 1921年7月に弁護士名簿に登録。著名な弁護士であった花井卓蔵の法律事務所に入る。1925年5月、花井卓蔵の次女・稲子と結婚し、花井卓蔵の養子となる。1929年よりベルリン大学、ウィーン大学にて刑事学を研究、帰国後、海軍軍人と民間人が政財界人を暗殺した五・一五事件や神兵隊事件の弁護人を務める。
小河 正儀(おがわ まさのり、1894年〈明治27年〉12月… 小河 正儀(おがわ まさのり、1894年〈明治27年〉12月2日 - 1977年〈昭和52年〉1月7日)は、日本の内務・警察・拓務官僚、弁護士。官選県知事、樺太庁長官、海軍司政長官。 山口県山口町今道町(現山口市)出身。第五高等学校を卒業。1918年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し和歌山県属となる。 以後、内務属・警保局図書課勤務、静岡県警視、関東庁事務官兼同参事官、関東庁警視、朝鮮総督府秘書官、同事務官・殖産農務課長、拓務省書記官・朝鮮部第一課長、台湾総督府事務官、拓務省大臣官房会計課長などを歴任。 1936年10月、青森県知事に就任。腸チフス流行への対処などを行う。
飯塚 友一郎(いいづか ともいちろう、1894年(明治27年… 飯塚 友一郎(いいづか ともいちろう、1894年(明治27年)11月11日 - 1983年(昭和58年)4月21日)は、日本の演劇研究家、弁護士である。妻は日本舞踊家の飯塚くに。 東京の生まれ。1919年(大正8年)東京帝国大学(現在の東京大学)法学部卒業後、約10年間弁護士として活動しその傍らとして在学中からの歌舞伎等の演劇研究に携わった。その後は弁護士としての活動を辞め、1932年(昭和7年)には日本大学芸術学部の教授となる。 その後は二松學舎大学にて教鞭を執り、日本演劇学会の設立にも携わった。また松竹歌舞伎審議会の専門委員や国立劇場の評議員、鎌倉アカデミアの初代校長、鎌倉市教育委員等も歴任した。
木崎 為之(爲之、きざき ためゆき、1894年(明治27年)… 木崎 為之(爲之、きざき ためゆき、1894年(明治27年)9月1月 - 1980年(昭和55年)10月15日)は、日本の弁護士、政治家、右翼活動家。衆議院議員。旧姓・伊賀。 兵庫県菟原郡本山村(武庫郡本山村を経て現神戸市東灘区本山)で、伊賀平内左衛門の二男として生まれ木崎新逸の養子となる。1920年(大正9年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 1921年(大正10年)から1923年(大正12年)女子学習院(現学習院女子大学)教授を務めた。1924年(大正13年)大阪市で弁護士を開業。 1940年(昭和15年)10月、大日本翼賛壮年団総務に就任。則天塾から1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に兵庫県第5区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選し翼賛政治会に参加し、その後、無所属倶楽部に所属して衆議院議員を1期務めた。
森部 隆(もりべ たかし、1894年(明治27年)5月27日… 森部 隆(もりべ たかし、1894年(明治27年)5月27日 - 1965年(昭和40年)4月10日)は、日本の内務・台湾総督府官僚、弁護士。官選島根県知事。 福岡県出身。森部隆三の四男として生まれる。第五高等学校を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。東洋拓殖株式会社を経て、内務省に入省し社会局に配属された。 以後、岩手県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、社会局書記官・労働部労政課長、ジュネーヴ国際労働会議政府代表顧問(1936年出張)、愛知県総務部長などを歴任。 1939年4月、島根県知事に就任。山林造林計画の策定、干ばつへの対策などに尽力。
安倍 源基(あべ げんき、1894年〈明治27年〉2月14日… 安倍 源基(あべ げんき、1894年〈明治27年〉2月14日 - 1989年〈平成元年〉10月6日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。警視庁特別高等警察部長、警視総監、内務大臣を歴任した。山口県出身。 1894年(明治27年)、山口県熊毛郡曾根村(現平生町)に生まれた。山口県士族安倍半次郎の長男。 山口県立山口中学校、山口県立徳山中学校、第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部入学。 1920年、東京帝国大学法学部法律学科卒業、内務省入省(警保局配属)。 1932年、警視庁において初代特別高等警察部長となり、赤色ギャング事件や日本共産党スパイ査問事件を通じて「赤狩り安倍」の名 が付いた。安倍が特高部長であった1933年には、19人が特高警察の過酷な取調べで死亡しており(19人は戦前で最多)、その中にはプロレタリア文学作家の小林多喜二も含まれている。
江原 三郎(えはら さぶろう、1894年(明治27年)1月3… 江原 三郎(えはら さぶろう、1894年(明治27年)1月30日 - 1965年(昭和40年)3月4日)は、日本の政治家、弁護士。栃木県宇都宮市長、衆議院議員などを歴任。 栃木県下都賀郡絹村(桑絹村、桑絹町を経て現小山市)に塚原金吾の三男として生まれ、衆議院議員江原節の養子となった。東京帝国大学独法科を卒業し弁護士となる。宇都宮市会議員を経て、1935年(昭和10年)9月から1937年(昭和12年)5月まで宇都宮市選出の栃木県会議員を務める。1937年から栃木1区選出の立憲政友会の衆議院議員を1期務めた。 1944年(昭和19年)12月31日、宇都宮市長に就任。1945年(昭和20年)7月、宇都宮大空襲により同市は甚大な被害を受け市役所も焼失した。
鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 196… 鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 1963年8月25日)は、日本の政治家、法学者、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)、司法大臣・法務総裁を歴任。日本国憲法における生存権の制定・平和主義の誕生に寄与した。 1894年(明治27年)1月17日に福島県西白河郡白河町で生まれる。その後、東北学院普通科に進学し、同学校の第2代院長のD.B.シュネーダーら宣教師たちからキリスト教に基づく教育を受けた。同校卒業後は、仙台の第二高等学校(旧制二高)に進学した。そして1915年に東京帝国大学法科大学法律学科に進学し、美濃部達吉・吉野作造・牧野英一らのもとで学んだ。卒業後は同大の助手を務め、任期満了後の1921年(大正10)年から2年8ヶ月にわたり、欧米留学に向かった。
松村 光磨(まつむら みつま、1894年(明治27年)1月8… 松村 光磨(まつむら みつま、1894年(明治27年)1月8日 - 1970年(昭和45年)4月10日)は、戦災復興院次長などを務めた内務官僚で弁護士。名前は、光麿とも表記される。義父は明治・大正・昭和の外交官の本多熊太郎。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
李家 弘(りのいえ ひろし、1893年(明治26年)3月23… 李家 弘(りのいえ ひろし、1893年(明治26年)3月23日 - 没年不明)は、日本の弁護士。大阪特殊製鋼取締役。 李家隆介の長男として生まれ、後に家督を相続する。1917年(大正6年)、東京帝国大学獨法科を卒業後、三井銀行に入行する。入行後は、本店本部外国課に勤務する。その後上海支店を経て、1924年(大正13年)大連主席出張員となり、1930年(昭和5年)3月外国営業部輸出係長に転じ、1932年(昭和7年)計算係長に就任した。 退行後は、大阪特殊製鋼取締役、日華製紙監査役を務めた。 趣味はゴルフ。宗教は真宗。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松沢 竜雄(まつざわ たつお、1893年(明治26年)3月9… 松沢 竜雄(まつざわ たつお、1893年(明治26年)3月9日 - 1970年(昭和45年)1月25日)は、日本の内務官僚、朝鮮総督府官僚、弁護士。 山形県飽海郡北平田村(現在の酒田市)出身。第四高等学校を経て、1919年(大正8年)に東京帝国大学法学部独法科を卒業した。三井物産に入社するが、1923年(大正12年)に高等試験行政科に合格し、内務属となる。島根県美濃郡長、同八束郡長、島根県事務官、岡山県事務官、千葉県書記官・学務部長、福井県書記官・警察部長、群馬県書記官・経済部長を歴任。1936年(昭和11年)、朝鮮総督府に転じ、農林局農務課長、総督官房外事部長を経て、1940年(昭和15年)に専売局に就任。