石見 尚(いわみ たかし、1925年5月7日 - )は、日本… 石見 尚(いわみ たかし、1925年5月7日 - )は、日本の農業経済学者、協同組合運動家。 和歌山県生まれ。1950年東京大学農学部農業経済学科卒、全国指導農協連合会、1953年国立国会図書館調査局、1962年「「経済学批判」体系における「土地所有」論の構成にかんする研究」で東大農学博士。1973年農村開発委員会、のち日本ルネッサンス研究所を設立、主宰。
東京大学:458人
石見 尚(いわみ たかし、1925年5月7日 - )は、日本… 石見 尚(いわみ たかし、1925年5月7日 - )は、日本の農業経済学者、協同組合運動家。 和歌山県生まれ。1950年東京大学農学部農業経済学科卒、全国指導農協連合会、1953年国立国会図書館調査局、1962年「「経済学批判」体系における「土地所有」論の構成にかんする研究」で東大農学博士。1973年農村開発委員会、のち日本ルネッサンス研究所を設立、主宰。
佐藤 経明(さとう つねあき、1925年4月23日 - 20… 佐藤 経明(さとう つねあき、1925年4月23日 - 2014年8月5日)は、日本の経済学者、横浜市立大学名誉教授。比較経済体制論専攻。 日本領朝鮮平壌生まれ。旧制第六高等学校を経て、1952年東京大学経済学部卒、1954年同大学院修了。堤清二は友人。1956年愛知大学専任講師、1957年東京都立商科短期大学講師、助教授、1970年横浜市立大学商学部助教授、1972年教授、1988年定年退官、名誉教授、日本大学経済学部教授、1995年定年退職。 2012年胃癌のため胃を全摘出する。2014年8月5日、89歳で死去。
稲田 献一(いなだ けんいち、1925年〈大正14年〉3月8… 稲田 献一(いなだ けんいち、1925年〈大正14年〉3月8日 - 2002年〈平成14年〉5月17日)は、日本の経済学者、大阪大学名誉教授。 群馬県桐生市に生まれる。旧制群馬県立桐生中学校(現・群馬県立桐生高等学校)、旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部数学科卒業、同大学院理学研究科数学専攻修了。 1948年(昭和23年)獨協高等学校教諭となり、1953年(昭和28年)東京都立大学講師、助教授を経て1965年(昭和40年)教授に就任。1966年から1969年にかけてニューサウス大学、スタンフォード大学の客員教授に招かれる。1969年(昭和44年)年に大阪大学社会経済研究所教授となり、後に所長。
加藤 譲(かとう ゆずる、1924年11月7日 - 2005… 加藤 譲(かとう ゆずる、1924年11月7日 - 2005年11月2日)は、日本の農業経済学者。 岡山県出身。東京帝国大学農学部農業経済学科卒業、のち東京大学農学部助教授、教授、85年定年退官となり、名誉教授、東京経済大学教授を務めた。日本農学賞、NIRA政策研究・東畑記念賞、読売農学賞受賞。2003年11月瑞宝中綬章受章。
石川 博友(いしかわ ひろとも、1924年10月20日- )… 石川 博友(いしかわ ひろとも、1924年10月20日- )は、日本の政治経済学者、文筆家。神奈川大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。『週刊ダイヤモンド』編集長などを経て、神奈川大学教授。1996年、定年退任、名誉教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤田 晴(ふじた せい、1924年10月2日 - 2022年… 藤田 晴(ふじた せい、1924年10月2日 - 2022年7月6日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。 京都市出身。1949年東京大学経済学部卒業、1961年「財政政策と経済安定」で、大阪大学より経済学博士の学位を取得。名古屋市立大学助教授、大阪大学経済学部助教授、教授、1988年定年退官、名誉教授となり、近畿大学教授を務めた。1972年『日本財政論』でエコノミスト賞受賞。
土屋 圭造(つちや けいぞう、1924年7月12日 - 20… 土屋 圭造(つちや けいぞう、1924年7月12日 - 2013年11月9日)は、日本の農業経済学者。 静岡県駿東郡長泉町出身。1950年、東京大学農学部を卒業した。1962年、論文「農業経済の計量的分析」で農学博士号を取得。東大助手、九州大学農学部助教授を経て、1973年に教授に就任した。1988年に定年退官し、名誉教授となる。同年より流通経済大学教授に就任。日本農業経済学会会長を務めた。
暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6… 暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6月26日 - 2023年〈令和5年〉12月22日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。学位は、農学博士(東京大学・論文博士・1984年)(学位論文『日本農業問題の展開』)。東京教育大学教授・信州大学教授・宇都宮大学教授・東亜大学教授を歴任。 暉峻義等の次男。妻は暉峻淑子。長男は暉峻創三。 岡山県倉敷市出身。1943年東京帝国大学に入学。1944年学徒動員により入隊し、陸軍経理学校に入る。1945年8月12日、原爆投下後の広島市に入る。 1947年東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。1984年『日本農業問題の展開』で東京大学より農学博士の学位を取得。
長 幸男(ちょう ゆきお、1924年(大正13年)6月14日… 長 幸男(ちょう ゆきお、1924年(大正13年)6月14日 - 2007年(平成19年)1月30日)は、日本の経済学者。 東京出身。東京帝国大学経済学部卒。妻は武田清子。高崎市立短期大学助教授、専修大学助教授、教授、1970年東京外国語大学教授。1985-1989年学長。1993年多摩大学教授。1999年秋、勲二等瑞宝章受勲。 大塚久雄の影響を受け、近代日本の経済思想史、金融論を研究、東洋経済新報社刊の『石橋湛山全集』を編纂した。
守田 志郎(もりた しろう、1924年4月3日 - 1977… 守田 志郎(もりた しろう、1924年4月3日 - 1977年9月6日)は、日本の農業経済学者。 シドニー生まれ。1943年成城学園成城高等学校卒業。1946年東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。1950年まで農林技官。1954年東京大学大学院農業経済学科修了。1952年財団法人協同組合経営研究所研究員。1961年「明治期における地主経済の展開と地方資本」で、農学博士(東京大学)の学位を取得。1968年暁星商業短期大学(現・新潟中央短期大学)教授。1972年名城大学商学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
日高 普(ひだか ひろし、1923年10月28日 - 200… 日高 普(ひだか ひろし、1923年10月28日 - 2006年10月16日)は、日本の経済学者、文芸評論家。元法政大学経済学部教授、名誉教授。専攻は経済原論。経済学博士。 宇野学派のマルクス経済学者の一人。経済学の著作として『銀行資本の理論』『再生産表式論』や教科書『経済原論』『経済学』などがある。浜田新一の筆名で文芸評論・映画評論を執筆し、中村稔、吉行淳之介、いいだももらが参加した文芸同人誌「世代」(1946年7月創刊、1952年12月に17号で廃刊)の中心的存在だった。1953年に「第三の新人」と呼ばれた作家・批評家が『文學界』編集部のすすめで結成した「一二会」に参加した。書評家としても知られる。
勝原 文夫(かつはら ふみお、1923年(大正12年)9月2… 勝原 文夫(かつはら ふみお、1923年(大正12年)9月20日 - 2017年(平成29年)4月24日[要出典])は、日本の風景学者、景観論者、農業経済学者、農学者、俳人。 東京府に生まれる。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)卒業後、1年の浪人を経て旧制東京府立高校に入学し、2年生のとき学徒出陣で輜重隊に入隊した。[要出典] 復学後に府立高校を卒業して[要出典]東京大学経済学部に進学し、農業経済学を専攻した。[要出典]1948年の大学卒業後、創立時の国立国会図書館調査局に入り、39年間在職して1987年に退職した。同年、農村風景論に関する著述活動により、第8回国立公園協会田村賞を受賞した。
山本 弘文(やまもと ひろふみ、1923年(大正12年)7月… 山本 弘文(やまもと ひろふみ、1923年(大正12年)7月28日 - 2012年(平成24年)8月28日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。 1923年(大正12)東京都生まれ。東京帝国大学経済学部在学中に学徒動員。敗戦で4年に渡りシベリア抑留された。ウィーン大学研究所、法政大学博士号(経済学博士)。法政大学学生部長、法政大学経済学部長、法政大学常務理事、法政大学名誉教授を歴任。 2012年(平成24)8月28日死去、89歳没。 近世交通史と比べるとやや遅れがちであった近代交通史の研究を牽引し、薩摩藩政改革史、とりわけ琉球沖縄の近世経済史に初めて科学的なメスを入れ、優れた先駆的な業績を数多く残した。
内田 忠夫(うちだ ただお、1923年(大正12年)7月25… 内田 忠夫(うちだ ただお、1923年(大正12年)7月25日 - 1986年(昭和61年)10月15日)は、日本の経済学者。専門は計量経済学。学位は、経済学博士(東北大学、1962年)(学位論文「計量経済学の方法とその日本経済への適用」)。東京大学名誉教授。正四位勲三等旭日中綬章。三重県川越町生まれ。 日本初のマクロ計量モデルを開発(渡部経彦(元大阪大学教授)らとの共同開発) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
杉岡 碩夫(すぎおか せきお、1923年7月25日 - 20… 杉岡 碩夫(すぎおか せきお、1923年7月25日 - 2011年4月6日)は、日本の経済学者。専門は中小企業論。日本でいち早く地域主義を唱えた。 三重県生まれ。東京大学経済学部卒業。読売新聞社勤務、千葉大学法経学部教授、獨協大学経済学部教授、兵庫大学経済情報学部教授(1995年 - 1999年)などを経て、フリーの経済評論家。
二階堂 副包(にかいどう ふくかね、1923年6月28日 -… 二階堂 副包(にかいどう ふくかね、1923年6月28日 - 2001年8月23日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。専攻は数理経済学。理学博士(東京大学、1961年)。 東京府生まれ。工業専門学校卒業後、東京物理学校を経て、旧制高等学校出身者以外にも門戸を開いていた東北帝国大学理学部数学科に入学した。ところが太平洋戦争末期に徴兵で東京の連隊に入隊し、首都防衛のための高射砲部隊に配属され、仙台に戻ることが困難となった。そのため日本の降伏後は、新たに旧制高等学校出身者以外にも門戸を開いた東京大学理学部数学科を卒業。 卒業後は大蔵省に入省するも、数カ月で退官し高等学校教員に転じ、のち母校東京理科大学から招かれて大学教員となった。
服部 文男(はっとり ふみお、1923年6月28日 - 20… 服部 文男(はっとり ふみお、1923年6月28日 - 2007年12月30日)は、日本のマルクス経済学者。東北大学名誉教授。 大阪府生まれ。父は服部英太郎。第二高等学校卒、父英太郎の予防拘禁で東京に移り、1949年東京帝国大学経済学部卒、1962年「マルクス主義の形成と発展」で東北大学経済学博士。1955年東北大学経済学部講師、1957年助教授、1970年教授、経済学部長、1986年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授。
富塚 良三(とみづか りょうぞう、1923年5月15日 - … 富塚 良三(とみづか りょうぞう、1923年5月15日 - 2017年1月12日[要出典])は、日本のマルクス経済学者、中央大学名誉教授。千葉県生まれ。 千葉県生まれ。旧制第三高等学校を卒業し、京都大学文学部西洋史学科に入学。その後1949年東京大学経済学部卒業、指導教授は大河内一男。利潤率の傾向的低下の法則を証明したことでも有名。また、著書である「恐慌論研究」において均衡蓄積軌道論を提示し、再生産論および恐慌論の発展に寄与した。 東京大学在学中に山田盛太郎の再生産論を、大原社会問題研究所では久留間鮫造から資本論を学ぶ。福島大学に所属していたときに熊谷尚夫との間で繰り広げられた、「相対的過剰人口」での討論は、近代経済学、マルクス経済学の有意義な論争の一つである。
江村 稔(えむら みのる、1923年〈大正12年〉5月5日 … 江村 稔(えむら みのる、1923年〈大正12年〉5月5日 - 2017年〈平成29年〉11月6日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。1999年に勲二等瑞宝章授与。位階は正四位。専門は監査会計。東京都杉並区出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
逸見 謙三(へんみ けんぞう、1923年5月 - )は、日本… 逸見 謙三(へんみ けんぞう、1923年5月 - )は、日本の農業経済学者。農学博士(1961年)。東京大学名誉教授、東洋英和女学院大学名誉教授。 1923年5月、東京都生まれ。1947年10月、東京大学農学部農業経済学科卒業。同1947年、農林省農業総合研究所。 1962年「世界農業の構造的不均衡」で農学博士の学位を取得。1962年1月東京大学助教授、1972年7月同大教授、1984年定年退官、名誉教授。亜細亜大学経済学部教授。1989年、東洋英和女学院大学社会科学部教授。
尾上 久雄(おのえ ひさお、1923年3月20日 - 201… 尾上 久雄(おのえ ひさお、1923年3月20日 - 2014年10月23日)は日本の経済学者。兵庫県姫路市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
石垣 博美(いしがき ひろみ、1923年2月10日 - 20… 石垣 博美(いしがき ひろみ、1923年2月10日 - 2013年7月6日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。専門は国際経済学。経済学博士。 北海道に生まれる。1948年東京帝国大学経済学部卒業。同年、北海道大学法文学部助手。後に、北海道大学法経学部助手。1952年北海道大学法経学部助教授。1953年北海道大学経済学部助教授。1968年北海道大学経済学部教授。1973年北海道大学評議員に就任。1980年北海道大学経済学部長に就任。1981年文部省大学国際交流調査研究プロジェグト委員会委員。1984年大学基準協会国際交流委員会委員。1986年3月北海道大学停年退官。同名誉教授。北星学園大学経済学部教授。
竹浪 祥一郎(たけなみ しょういちろう、1923年- )は、… 竹浪 祥一郎(たけなみ しょういちろう、1923年- )は、日本の経済学者、桃山学院大学名誉教授。 青森県北津軽郡板柳町出身。弘前中学校(現青森県立弘前高等学校)、旧制弘前高等学校卒、1947年東京帝国大学(現・東京大学)経済学部卒、大学院、東京大学社会科学研究所助手、中部日本新聞の記者をへて、1963年桃山学院大学経済学部助教授、1965年教授、1969年経済学部長、図書館長、1992年定年退任、名誉教授。
青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29… 青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29日 - 2016年(平成28年)1月27日)は、日本の経済学者、政治家、参議院議員(1期)、サラリーマン新党代表。妻は生活経済評論家の青木淑子。次女はノンフィクション作家の青樹明子(1955年7月5日 - )。長男はテレビ朝日プロデューサーの青木吾朗(1958年12月21日 - 2022年8月21日)、その妻はテレビ朝日元アナウンサーの坪内純子。 愛知県豊橋市生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。愛知教育大学教授、大妻女子大学教授を歴任。 1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補したが落選した。1983年(昭和58年)5月8日、サラリーマン新党を結成し、代表となる。
大石 泰彦(おおいし やすひこ、1922年7月21日 - 2… 大石 泰彦(おおいし やすひこ、1922年7月21日 - 2014年1月16日)は、日本の経済学者。専門は、近代経済学(厚生経済学・交通問題)。学位は、経済学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。元東京大学経済学部長。日本会議代表委員。勲二等瑞宝章受章者。位階は正四位。 大分県中津市生まれ。旧制水戸中学校、旧制水戸高等学校を経て、1943年、東京帝国大学経済学部卒業。 1948年、東京帝国大学大学院特別研究生を退学し、東京大学経済学部助教授に就任。1960年、東京大学経済学部教授に昇任。1969年から1970年まで東京大学経済学部長。1983年、東京大学を退官し、東京大学名誉教授となる。
時永 淑(ときなが ふかし、1922年2月9日 - 1990… 時永 淑(ときなが ふかし、1922年2月9日 - 1990年4月26日)は、日本の経済学者。元法政大学教授。古典派経済学、マルクス経済学を研究。 岡山県赤磐郡赤坂町(現・赤磐市)出身。1951年東京大学経済学部卒業。1952年法政大学経済学部助手、1955年助教授、1963年教授、1975年経済学部長となる。1990年、急性腎不全のため逝去。
久留島 陽三(くるしま ようぞう、1922年 - )は、マル… 久留島 陽三(くるしま ようぞう、1922年 - )は、マルクス経済学者。岡山大学名誉教授、福山平成大学名誉学長。 広島県生まれ。東京帝国大学在学中の1943年12月に学徒出陣で軍に入隊。1945年12月復学。1947年東京帝国大学経済学部卒業。学部で大河内一男のゼミに所属し、職工農家の調査を実施。ゼミ生の田添京二、大塚斌とともに学生労働問題研究会をつくり、労働組合の実態調査を実施。前者は「「職工農家」に関する研究――N工場における調査を中心として」、後者は「戦後日本労働組合の動向」として大河内一男編『戦後社会の実態分析』(日本評論社、1950年)にまとめられた。1949年東京帝国大学特別研究生(前期)修了。
館 龍一郎(たち りゅういちろう、1921年9月11日 - … 館 龍一郎(たち りゅういちろう、1921年9月11日 - 2012年2月11日)は、日本の経済学者(金融論・財政学)。勲等は勲二等。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。日本学士院会員。 日本銀行での勤務を経て、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、青山学院大学国際政治経済学部教授、財政金融研究所所長などを歴任した。 父は館哲二(内務官僚・参議院議員)。長男は館直彦(医学者・精神科医)。 館哲二(内務官僚・参議院議員)の長男として横浜市で生まれる。1944年、東京帝国大学経済学部卒。戦後すぐ日本銀行勤務経験もあった。1950年、東京大学助教授。1961年、東京大学教授。1984年、東京大学を退官し青山学院大学教授。
横山 保(よこやま たもつ、1921年5月28日 - 199… 横山 保(よこやま たもつ、1921年5月28日 - 1996年7月30日)は、日本の経済学者・統計学者。大阪大学名誉教授、高岡短期大学初代学長・名誉教授。博士。数理経済学者として日本の戦後初期の経済学発展に大きく貢献した。 神奈川県生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。第七高等学校造士館 (旧制)理科甲類に1940年4月入学、1942年9月卒業。東京帝国大学理学部数学科に1942年10月入学、1945年9月卒業。1946年2月1日に関東学院中学部講師嘱託となり、6月1日に関東学院工業専門学校講師に転任、12月1日に同校教授に昇任し1949年3月31日まで務める。1949年度は新制静岡県立富士高等学校に教諭として勤務。
塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - … 塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - 2009年3月20日)は、日本のマルクス主義経済学者、社会運動史・労働運動史研究者。学位は経済学博士(立命館大学、1987年)。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授、立命館大学名誉教授。 昭和34年労働運動史研究会を設立。40年日本科学者会議常任幹事。平和・大衆運動にも参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐藤 武男(さとう たけお、1921年3月31日 - )は、… 佐藤 武男(さとう たけお、1921年3月31日 - )は、日本の経済学者、東京学芸大学名誉教授、関東学園大学名誉学長。 愛知県名古屋市出身。1942年東京帝国大学経済学部卒、東京学芸大学助教授、教授、1984年定年退官、関東学園大学教授、1994年学長を経て、名誉学長となる。1997年勲三等旭日中綬章受勲。近代経済学が専門。
入江節次郎(いりえ せつじろう、1921年2月9日- )は、… 入江節次郎(いりえ せつじろう、1921年2月9日- )は、日本の経済学者、同志社大学名誉教授。 岡山市生まれ。1944年東京帝国大学法学部卒。1980年「帝国主義論への道」で大阪市立大学経済学博士。同志社大学経済学部助教授、教授、92年定年退任、名誉教授。
古谷 弘(ふるや ひろし、1920年12月9日 - 1957… 古谷 弘(ふるや ひろし、1920年12月9日 - 1957年8月23日)は、日本の経済学者。元・東京大学教授。専門は線型分析。静岡県御殿場生まれ。
和泉 雄三(いずみ ゆうぞう、1920年〈大正9年〉11月1… 和泉 雄三(いずみ ゆうぞう、1920年〈大正9年〉11月13日 - 2001年〈平成13年〉4月25日)は、日本の経済学者。専門は、港湾経済学・交通学。函館大学名誉教授・元函館大学学長。北海道出身。 この他、青函連絡船を守る会会長も務めた(1981年から1988年まで) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
氏原 正治郎(うじはら しょうじろう、1920年8月2日 -… 氏原 正治郎(うじはら しょうじろう、1920年8月2日 - 1987年8月21日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。愛知県出身。 東京帝国大学経済学部卒。同助手、1949年東京大学社会科学研究所助手、1951年助教授、1962年教授、1968年所長事務取扱、1969-1970年所長、1981年定年退官、名誉教授。雇用促進事業団雇用職業総合研究所長。1987年死去。叙正四位、勲二等瑞宝章追贈。 実態調査によって戦後の労働問題を追究、労使慣行の解明、社会保障や高齢者雇用の政策立案に尽くした。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 20… 井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 2001年7月1日)は、日本の農業経済学者、マルクス主義者、日本共産党員。 東京府豊多摩郡生まれ。父は井野碩哉。1942年東京帝国大学経済学部卒、農林省に入り応召。1946年日本農業研究所勤務、日本共産党に入る。1958年東京経済大学専任講師、1961年助教授、1965年教授。1973年退職、日本農業研究所に戻る。農民運動全国連合会顧問。野呂栄太郎賞を二度受賞した。墓所は多磨霊園。
儀我 壮一郎(ぎが そういちろう、1919年12月7日 - … 儀我 壮一郎(ぎが そういちろう、1919年12月7日 - 2009年12月8日)は、日本の経済学者。商学博士(大阪市立大学・論文博士・1970年)(学位論文「中国社会主義企業の研究」)。大阪市立大学名誉教授。 陸軍軍人・儀我誠也の長男。東京帝国大学経済学部卒。大阪市立大学助教授、教授、1970年「中国社会主義企業の研究」で商学博士(大阪市立大学)の学位を取得。1983年定年退官、専修大学教授。1990年常葉学園浜松大学教授。1996年退職。張学良と交友があった。 2009年12月8日没、墓所は東京都港区の高徳寺。
城島 國弘(じょうじま くにひろ、1919年8月4日 - … 城島 國弘(じょうじま くにひろ、1919年8月4日 - 2001年3月9日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。元四日市大学学長。 満州国大連市生まれ。大連第二中学校を経て、1942年第二高等学校文科乙類卒業。1945年に東京帝国大学経済学部経済学科卒業後、大蔵省入省。1950年名古屋大学経済学部助教授。1964年名古屋大学経済学部教授。1968年名古屋大学経済学部長。1975年名古屋大学経済学博士。退官後、中部工業大学教授、四日市大学学長。1995年勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
今井 則義(いまい のりよし、1918年8月2日 - 199… 今井 則義(いまい のりよし、1918年8月2日 - 1997年4月15日)は、マルクス経済学者。法政大学経営学部名誉教授。元東京交通短期大学学長。専攻は産業論、景気変動論。筆名・西原文夫。 広島県生まれ。1935年広島高等師範付属中学校卒業。1938年広島高等学校文科乙類卒業。1941年東京帝国大学経済学部経済学科卒業。石油統制会社調査課勤務(1946年石油公団に改組)。1951年運輸調査局経済調査部勤務。1957年法政大学経営学部助教授。1960年「戦後循環の分析」で経済学博士(法政大学)。1961年法政大学経営学部教授。1967-68年法政大学経営学部長。1968-72年法政大学常務理事。
大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 200… 大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 2009年4月18日)は、日本の経済学者。専門は、経済理論・経済政策。学位は、経済学博士(東京大学・1961年)。東京大学名誉教授、信州大学名誉教授。日本学士院会員。勲等は勲二等。 財団法人日本農業研究所研究員、東京大学社会科学研究所助教授、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、東京大学総長特別補佐、信州大学教授、大東文化大学教授、全国大学生活協同組合連合会会長などを歴任。 東京府出身の経済学者である。マルクス経済学の経済理論、経済政策を専攻し、宇野弘蔵理論の立場から日本の農業問題を研究。また近代経済学の成果を柔軟に取り入れ、1970年の『国家独占資本主義』では、宇野理論における現状分析として、管理通貨体制下における金融政策(インフレ政策)による賃金上昇抑制と、それによる恐慌への対処を現代国家の本質的機能であるとした。
伊藤 長正(いとう ちょうせい、1918年4月29日 - 没… 伊藤 長正(いとう ちょうせい、1918年4月29日 - 没年不詳)は、日本の経済学者。 東京出身。1942年東京帝国大学経済学部商業学科卒。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 その後、横浜国立大学助教授、上智大学経済学部教授を歴任。1975年「日本的経営の特質に関する研究」で上智大学経済学博士。90年定年、名誉教授。
山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 19… 山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 1999年3月20日)は、日本のマルクス経済学者。 佐賀県佐賀市出身。東京帝国大学経済学部卒。立命館大学産業社会学部教授、1983年定年、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日中友好協会会長を務めた。1999年、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安藤 良雄(あんどう よしお、1917年7月12日 - 19… 安藤 良雄(あんどう よしお、1917年7月12日 - 1985年5月6日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、成城大学学長。 1917年、大蔵省の役人であった父の任地の広島市で生まれた。1935年3月、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。旧制弘前高等学校に入学して学んだ。 1939年4月、東京帝国大学経済学部に入学し、土屋喬雄のゼミナールに学ぶ。1941年12月、東京帝国大学経済学部を卒業し、同大学助手となるが、1942年1月、応召。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年1月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年5月、経理学校を卒業し、1943年11月、主計大尉に進み、戦時中を通して海軍省に勤務し、戦時統制経済の実務に当たった。
美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日… 美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日 - 1992年(平成4年)11月29日)は、日本の農業経済学者・教育学者・家政学者。専門は農業経済学・農民教育論・農業家政学・農業協同組合経営論など。農産物市場論において市場構造分析の基礎を築き、農協の経営主義を批判するなど、研究領域は多岐に渡る。教育学博士(北海道大学)。名寄女子短期大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1938年第一高等学校 (旧制)卒業。1942年東京帝国大学農学部卒業。同年、日本勧業銀行に入社。1945年東京帝國大学大学院(旧制)特別研究生修了。その後、病気療養。1955年協同組合短期大学協同組合科助教授に就任。
横山 正彦(よこやま まさひこ、1917年〈大正6年〉4月2… 横山 正彦(よこやま まさひこ、1917年〈大正6年〉4月20日 - 1986年〈昭和61年〉3月8日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。旧姓は伊藤。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。旧制伊那中学(現長野県伊那北高等学校)、松本高等学校文科乙類を経て、1941年東京帝国大学経済学部卒。 大河内一男にマルクス主義経済学を学ぶ。社団法人銀行調査会事務局調査課、全国金融調査会調査部調査課勤務、1946年東大経済学部助教授、1955年教授、1961年「重農主義分析」で経済学博士。1978年定年退官、名誉教授、1982年駒澤大学教授。日本科学者会議の設立に参加した。
音田 正巳(おんだ まさみ、1917年1月 - 1985年3… 音田 正巳(おんだ まさみ、1917年1月 - 1985年3月)は、日本の経済学者。専門は社会政策の研究。帝塚山大学元学長。 1917年生まれ。大阪府立今宮中学校、大阪高等学校を経て、1936年東京帝国大学経済学部に入学。 1939年(昭和14年)短期現役海軍主計科士官(2期)を志願。同年5月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。龍驤に配属。以後、第8駆逐隊付、第8駆逐隊主計長、呉鎮守府付呉海軍工廠長承命服務、呉工廠砲熕部員兼会計部員を歴任し、1943年(昭和18年)7月、予備役に編入。同年11月応召して横須賀鎮守府出仕兼海軍航空技術廠出仕となり、1944年(昭和19年)4月、高座海軍工廠会計部員兼総務部員に転じ、同年11月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた。
三宅 義夫(みやけ よしお、1916年12月14日 - 19… 三宅 義夫(みやけ よしお、1916年12月14日 - 1996年10月19日)は、日本の経済学者。マルクス経済学における金融論専攻。立教大学名誉教授。元経済理論学会代表幹事。 立教大学では山本二三丸(景気論専攻)、小林昇(経済学史専攻)らと並び戦後の経済学部を引っ張ることとなったが、このことは立教大学経済学部にマルクス経済学講座派の牙城を築くこととなり、欧米の主流派経済学の導入を妨げる一因となった。経済学への貢献と言う観点から見ると、カール・マルクス資本論3巻の理解を基にした、貨幣の本質や信用論の深化が挙げられる[要出典]。一部にではあるが資本論への回帰が叫ばれている[要出典]。
小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日… 小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日 - 2010年〈平成22年〉6月3日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。学位は、経済学博士(東京大学・論文博士・1955年)。福島大学名誉教授、立教大学名誉教授。日本学士院会員。 東京海上保険会社での勤務を経て、福島高等商業学校教授・福島大学経済学部教授・立教大学経済学部教授・立教大学経済学部学部長・大東文化大学教授などを歴任。 経済学史を専攻する京都市出身の経済学者である。東京帝国大学卒。1940年、福島高等商業学校講師。途中3年間の兵役を挟み、福島大学経済学部の設立などに尽力する。1955年から82年まで立教大学経済学部教授。ドイツ経済学史に新地平を開き、特にフリードリッヒ・リストの研究で名高い。
隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26… 隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26日 - 2003年(平成15年)2月22日)とは、日本の経済学者。専門は労働経済学。1982年日本学士院会員。東京大学名誉教授、北京大学名誉教授、遼寧大学名誉教授、東北師範大学名誉教授、中国社会科学院名誉高級研究員。昭和36年、東京大学経済学博士。博士論文は「日本賃労働史論」。キリスト教功労者。
遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - … 遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - 1975年10月19日)は、日本の経済学者。東京大学教授。専攻は財政学、学位は経済学博士(1962年)。実兄に東大野球部で投手として活躍した遠藤洋吉がいる。 北海道に生まれる。京都府立京都第一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第一高等学校を経て1940年東京帝国大学経済学部卒業。同年東京帝国大学経済学部助手、1949年東京大学社会科学研究所助教授、1958年同教授。1963年東京大学経済学部教授に移り、1970年から1972年まで同経済学部長。