伊藤 亘行(いとう のぶゆき、1921年(大正10年)2月6… 伊藤 亘行(いとう のぶゆき、1921年(大正10年)2月6日 - 2002年(平成14年)11月10日)は日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、作曲家。 三重県四日市市京町生まれ。伊藤家はタイル業、万古焼業を営み父が仕事中にヴァイオリンを弾くのを聞いて、叔母の家でオルガンを弾いたりして幼少年時代を過ごす。旧制富田中学校(現在の三重県立四日市高等学校)卒業。父や親戚を説得して東京音楽学校声楽科(現在の東京芸術大学)へ進学し、木下保や中山悌一に師事して1941年(昭和16年)に卒業。大東亜戦争中で音楽関係の仕事がないことから、郷里の東海地方に帰り現在の愛知県立旭丘高等学校や愛知県立明和高等学校の音楽担当の教師となり音楽を教えた。
中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 200… 中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 2001年4月9日)は、日本の作曲家、指揮者、ファゴット奏者。童謡や宗教曲(キリスト教)などの作曲で知られる。筆名は楫山つとむ。 東京府豊多摩郡(後の東京市、現在の東京都渋谷区)出身東京音楽学校卒業。山形大学音楽科教授を経て、昭和音楽大学短期大学部名誉教授も務めた。日本フィルハーモニー交響楽団、東京管楽器協会などでファゴットとコントラファゴットを演奏、晩年は日本ファゴット(バスーン)協会会長を務めた。バッハ等古典作品のダブルリード合奏のための編曲も多く、またNHKラジオ「音楽の泉」テーマ曲として昭和30年代から40年代に流れたシューベルト「楽興の時」の編曲者でもある(番組テーマは後にピアノ独奏のものに変更。
坂 坦道(さか たんどう、1920年(大正9年)11月6日 … 坂 坦道(さか たんどう、1920年(大正9年)11月6日 - 1998年(平成10年))は、日本の彫刻家。本名は青嵐(せいらん)。 北海道女子短期大学名誉教授。 1920年(大正9年)11月6日、石川県珠洲郡内浦町恋路で生まれた。父は油彩画家の坂寛二、祖父は日本画家の坂靄舟という画家一家で、坦道も当初は画家を目指した。しかし、色覚異常であったため彫刻の道に進んだ。1930年(昭和5年)小学校3年の時に父の死亡により、母とともに北海道札幌市に移住した。1938年(昭和13年)北海中学校(現在の北海高等学校)卒業。1939年(昭和14年)東京美術学校彫刻科に入学、在学中の1943年(昭和18年)新文展(のちの日展)に初入選した。
横井 輝男(よこい てるお、1920年(大正9年)11月3日… 横井 輝男(よこい てるお、1920年(大正9年)11月3日 - 2000年(平成12年)12月20日)は、日本のバリトン歌手。大阪音楽大学名誉教授。 東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)卒業。香川県出身。妻はソプラノ歌手で徳島文理大学名誉教授の横井順子。 香川県出身。1940年(昭和15年)4月、東京音楽学校甲種師範科に入学。酒井弘、木下保に師事し、1942年(昭和17年)に同校を卒業。東京音楽学校を卒業後は大阪音楽大学で講師となり、教授を経て同大学を退官後は名誉教授に就任した。 1948年(昭和23年)に関西における戦後初のベートーヴェン「交響曲第9番」の演奏となった関西交響楽団の結成一周年を記念した定期演奏会に出演した。
上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 19… 上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 1996年2月29日)は俳人、随筆家。熊本県人吉市生まれ。本名・武喜。東京美術学校卒。『ホトトギス』同人。松本たかしに師事。『みそさざい』主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
王馬 熙純(おう・ま・きじゅん、1920年9月1日 - 20… 王馬 熙純(おう・ま・きじゅん、1920年9月1日 - 2018年6月11日)は、中国出身の日本の料理研究家。日本に帰化、本名・王城純子〈おうき・じゅんこ〉。 中国・ハルビン出身。水運業、酒精工場、イースト工場、銀行業などを手がけた実業家である馬延喜の長女として生まれる。レオ・シロタに師事することを希望し、母を伴って三兄と妹とともに日本に留学した。1937年に東京音楽学校予科に入学。1938年から同校本科器楽部ピアノ専攻で学び1941年3月に卒業。同年4月に同校研究科器楽部ピアノ専攻に進学した。1942年に東京音楽学校の満州国建国十周年慶祝音楽使節団にピアニストとして参加し、満洲、朝鮮の各地を巡って演奏した。
稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - 202… 稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - 2021年3月23日)は、日本画家、文化功労者。東京芸術大学名誉教授。女子美術大学大学院客員教授。創画会会員。 和歌山県西牟婁郡田辺町(現・田辺市)生まれ。父はデザイナーの稗田耕一(号・彩花)。その後大阪に転居、9歳から阿倍野橋洋画研究所に通う。1933年、大阪市立工芸学校工芸図案科に入学。卒業後上京、東京美術学校日本画科に入学。1943年、戦時体制のため繰上げ卒業。その後山本丘人に師事。 戦後1948年、丘人、上村松篁らが創造美術を結成し、第1回展より出品、奨励賞受賞。1951年、創造美術と新制作派協会が合併し新制作協会日本画部が発足、会員に推挙される。
内田 るり子(うちだ るりこ、1920年8月8日 - 199… 内田 るり子(うちだ るりこ、1920年8月8日 - 1992年5月1日)は、日本の声楽家、民俗音楽研究者。 東京生まれ。1942年東京音楽学校声楽科卒。1952年山形大学助教授、1954年日本女子体育短期大学助教授、1956年国立音楽大学助教授、教授。1962年ウィーン大学哲学科中退。83年『奄美民謡とその周辺』で第1回志田延義賞受賞。91年国立音大名誉教授。91年「奄美民謡とその周辺」で國學院大學文学博士。門下にペギー葉山がいる。
的場 徹(まとば とおる、1920年〈大正9年〉7月10日 … 的場 徹(まとば とおる、1920年〈大正9年〉7月10日 - 1992年〈平成4年〉)は、日本の特撮監督、撮影技師、ドキュメンタリー監督。東京市(現・東京都)麹町区有楽町出身。 1920年(大正9年)7月10日、東京の有楽町に生まれる。幼少時より映画に憧れを持つ。 1937年(昭和12年)、旧制中学時代にP.C.Lのエノケン物の映画を観て、「数十人に分身したエノケンの孫悟空」などといった、トリック撮影の魅力にはまる。父親、兄ともに絵描きで、母親は別方面への進学を望んだが、結局、東京美術学校 (現:東京芸術大学)に進む。 1938年(昭和13年)、東京美術学校を卒業。撮影助手募集の新聞公募を見て、日活多摩川撮影所の「技術部」に姫田真佐久と共に入社。
駒井 哲郎(こまい てつろう、1920年(大正9年)6月14… 駒井 哲郎(こまい てつろう、1920年(大正9年)6月14日 - 1976年(昭和51年)11月20日)は、昭和期の日本の銅版画家、東京藝術大学教授。 油絵や色彩版画の作品も少数あるが、生涯にわたり一貫してエッチングを制作し、モノクロームの世界で、自己の内面、幻想、夢などを表現し続けた。作風は、パウル・クレーの影響が濃い抽象的・幻想的なもの、樹木や風景を繊細で写実的なタッチで描いたものなどがある。大岡信(詩人、評論家)、安東次男(詩人)ら文学者との交流も多く、安東とのコラボレーションによる詩画集『からんどりえ』(1960年)は、版画と詩を同じ紙に刷った、日本では初の試みと言われている。棟方志功、浜口陽三など、同時代の版画家に比べやや地味な存在ではあるが、日本美術界では長らくマイナーな分野であった銅版画の普及と地位向上に貢献した作家として高く評価されている。
栗本 尊子(くりもと たかこ、1920年(大正9年)5月9日… 栗本 尊子(くりもと たかこ、1920年(大正9年)5月9日 - 2019年(平成31年)1月22日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)・音楽教育者。二期会名誉会員(2017年時点)本名、栗本 尊(くりもと たか)。旧姓は、小鳥居。 福岡県筑紫郡大宰府町(現:太宰府市)にて、安楽寺五別当の小鳥居家の五女として生まれる。福岡女学校(現:福岡女学院中学校・高等学校)卒業。1941年(昭和16年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)卒業。リア・フォン・ヘッサートに師事。1946年(昭和21年)長門美保歌劇団プッチーニ『蝶々夫人』のスズキ役でデビュー以来、長門美保歌劇団で活躍。1952年(昭和27年)に旗揚げされた二期会に参加。
弦田 英太郎(つるた えいたろう、1920年5月1日 - 2… 弦田 英太郎(つるた えいたろう、1920年5月1日 - 2014年9月21日)は日本の洋画家、日展会員、一水会常任委員を務めた。 舞妓や裸婦、バレリーナなどを得意とし、神秘的色香を追求した。 1920年、東京都大森区新井宿(現大田区中央)に生まれる。 東京美術学校(現東京芸術大学)に入学し、油絵科(藤島武二教室)を1942年に卒業する。卒業する年から1949年まで第二次世界大戦のためヨーロッパに戻れずにいたスイス人画家コンラッド・メイリ(Conrad Meili, 1895年-1969年)に師事する。1942年には第6回一水会展で初入選している。また、1949年には有島生馬にも師事している。 1950年に裸婦画「マヤ」で日展の特選となる。
近藤 啓太郎(こんどう けいたろう、1920年(大正9年)3… 近藤 啓太郎(こんどう けいたろう、1920年(大正9年)3月25日 - 2002年(平成14年)2月1日)は、日本の作家。 三重県四日市市生まれ。第一東京市立中学校(現東京都立九段高等学校)を経て、東京美術学校日本画科卒業。戦後、千葉県鴨川で1年ほど漁業に従事する。その後鴨川中学校の図工科教師となり、教職のかたわら創作を行う。1952年、「遭難」を『早稲田文学』に発表してデビュー、1956年、「海人舟」で芥川賞受賞。第三の新人の一人に数えられ、阿川弘之、吉行淳之介、安岡章太郎らとは終生親しくつきあった。 愛犬家で中学生の頃からの日本犬保存会の会員であり、鴨川で家を建てた後は「八色犬舎」という犬舎号を登録して柴犬や紀州犬の繁殖を行い井上靖、遠藤周作ら作家仲間に柴犬の仔犬を譲ったり、安岡章太郎に紀州犬の仔犬を世話したりした。
甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920… 甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920年)3月15日 - 1997年12月26日)は、日本の画家、曹洞宗の僧侶(大分県中津市崇禅寺の13世住職)。白日会会員で油彩、日本画、彫刻をよくした。 大正9年、大分県宇佐市清水の清水寺に生まれる。地方画家であった祖父、叔父の絵画を見、また兄の作画する姿に接し、幼少時より絵画に憧憬を抱く。その後、兄から自分の果たせなかった夢を託され、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科に進学し、小林萬吾、南薫造、伊原宇三郎、石橋犀水、川﨑小虎、矢澤弦月、関野聖雲に学び、1941年に卒業した。 1948年の創元展に「渓流」が初入選。1951年には「石彿」により受賞。
小林 福子(こばやし ふくこ、1920年3月6日 - 201… 小林 福子(こばやし ふくこ、1920年3月6日 - 2012年8月9日)は日本の作曲家、音楽教師。桐朋学園大学附属子供のための音楽教室で長年教師としてソルフェージュを指導した。 1920年、東京に生まれる。成城小学校6年生のときに成城学園教師の岡本敏明から作曲の手ほどきを受けた。1938年に東京音楽学校予科に入学。橋本國彦、ヘルムート・フェルマー、井口基成に師事し、作曲とピアノを学んだ。1942年9月に同校本科作曲部を卒業。同年の『著作権者名簿』に、小林は「作曲」家として掲載され、1948年と1949年の紳士録にも「作曲家」として掲載されている。 小林はピアニストとしても活動し、1949年11月22日には声楽家柴田睦陸の伴奏者としてフォーレ、ショーソンなどの作品を演奏した。
佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 20… 佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 2005年6月30日)は日本の洋画家。大正9年3月4日に山形県酒田市中之口町12番地(現-本町)に生まれる。旧制琢成第一小学校、山形県立酒田中学校、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。山形師範学校(現・山形大学地域教育文化学部)助教授となる。山形大学を退職後、東京へ移住。上京後は美術団体展や個展等で作品を発表。昭和34年に同志とともに洋画の公募美術団体「蒼騎会」を創立。1978年には第18回蒼騎会展が文部大臣賞を受賞。練馬区文化事業功労者表彰。
秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)… 秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)3月2日 - 1990年(平成2年)2月7日)は、日本の声楽家(バリトン、バス)・オペラ歌手・音楽教育者・翻訳家(訳詞家)。二期会の創設メンバーの一人。本名は秋元清一(あきもと せいいち)。旧字体秋元淸一。 作曲家の関口孝明は孫にあたる。 東京府(現: 東京都)出身。1945年(昭和20年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)研究科修了。本科では戸田敏子、畑中良輔らと同級。木下保に師事。 第二次大戦後まもなくの1946年(昭和21年)4月に藤原歌劇團 ビゼー『カルメン』エスカミリオでデビュー。その後オペラへの出演を続け、20年足らずの間に約90本ものプロダクションに出演している。
高田 信一(たかた しんいち 1920年1月24日または19… 高田 信一(たかた しんいち 1920年1月24日または1921年11月5日 - 1960年1月16日)は、日本の作曲家、指揮者である。元広島大学教授。日本交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)、東京フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務めた。 実業家の息子(4人兄弟の長男)として、1920年(大正9年)に東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区)で生まれた。1926年(大正15年)に成城小学校(現在の成城学園初等学校)に入学、8歳から上野耐之に音楽の初歩を学び、1932年(昭和7年)に成城高等学校(現在の成城学園中学校高等学校)尋常科に入学後は、12歳から藤田喜与子にピアノを、16歳から作曲を長谷川良夫に師事した。
山田 浅蔵(やまだ あさぞう、1919年12月19日 - 2… 山田 浅蔵(やまだ あさぞう、1919年12月19日 - 2008年8月21日)は、日本の音楽教育者・学者。 滋賀県出身。東京音楽学校卒。東京都立白鴎高等学校音楽教諭、武蔵野音楽大学教授。90年定年退職。
川崎 静子(かわさき しずこ、1919年(大正8年)12月3… 川崎 静子(かわさき しずこ、1919年(大正8年)12月3日 - 1982年(昭和57年)10月4日)は、昭和期の声楽家(アルト)・歌手・オペラ歌手・音楽教育者。旧姓は千葉。旧字体表記は靜子。二期会の創設者の一人。 1919年(大正8年)、東京府(現: 東京都)に生まれる。 在学中から東京音楽学校(現: 東京藝術大学)による信時潔『海道東征』のアルトソロを務め、全国で演奏旅行を行なう。 1941年(昭和16年)に東京音楽学校を卒業。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒ、田中伸枝、リア・フォン・ヘッサートに師事。 同年に新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会でモーツァルト『フィガロの結婚』のマルチェルリーナを歌い、東京音楽学校以外でのデビュー。
大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月2… 大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月20日 - 2012年(平成24年)6月15日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。桐朋学園大学音楽学部名誉教授。 台湾台北市において、動物学者の父・大島正満と、東京音楽学校卒の母・イマコの五男として生まれる。 1940年(昭和15年)東京音楽学校予科を経て本科器楽科卒業。1942年(昭和17年)同校研究科修了。田中規矩士、レオ・シロタ、井口基成に師事。 1947年(昭和22年)フェリス女学院(当時の校名は「横浜山手女学院」と変えられていたが、1950年(昭和25年)に「フェリス女学院」に戻される)専門学校音楽科創設と共にピアノ講師となる。
加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1… 加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1995年9月24日)は、日本画家。日本芸術院会員。俳人・建築家の加倉井秋を(加倉井昭夫)は兄。 神奈川県横浜市に生まれる。1938年、茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)卒業。1944年、東京美術学校日本画科卒業。山口蓬春に師事。第8回日展(1952年)から第13回日展(1957年)まで入選を重ねる。1981年、「青苑」で日本芸術院賞受賞。1989年、日本芸術院会員。1990年、日展常務理事。1992年、勲三等瑞宝章受章。1995年春、ニューヨークで「私の映像 - 加倉井和夫展」を開催。 同年9月24日、急性心不全のため横浜市内の病院で死去。
渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日… 渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日 - 1990年(平成2年)6月22日)は、日本の指揮者、教育者。鳩山一郎は義父にあたる。 1919年、巣鴨のルーテル教会の日本人牧師・渡邉忠雄を父とし、フィンランド人の声楽家・渡邉シーリを母として、東京府で生まれた。兄は共同通信社で重責を歴任したジャーナリストの渡邉忠恕。妻の信子は鳩山一郎の五女。長男の渡邉康雄(指揮者)、次男の渡邉規久雄(ピアニスト)とも芸術系の大学教授を務める音楽家。声楽家の母に幼少時から音楽の手ほどきを受けたほか、5歳でピアノを、10歳でヴァイオリンを始める。1940年、東京音楽学校(現東京芸術大学)本科器楽科(ヴァイオリンを専攻)卒業後、研究科に進みヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動。
佐々木 成子(ささき さだこ、1919年(大正8年)5月27… 佐々木 成子(ささき さだこ、1919年(大正8年)5月27日 - 2017年(平成29年)5月15日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、歌手、オペラ歌手、音楽教育者。二期会の結成メンバーの一人。本名: 内田 成(うちだ さだ)。 東京府(現: 東京都)出身。東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)卒業。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。卒業後まもなく大量のSPレコードの吹込みを行なう。 戦後は、マーラー交響曲第8番の日本初演のソロを務めるなど、第一線のクラシックの声楽家として活躍している。 1952年(昭和27年)2月15日に二期会結成披露・基金募集の「ヴォーカル・コンサート」が行われた。
飯塚 小玕斎(いいづか しょうかんさい、1919年5月6日 … 飯塚 小玕斎(いいづか しょうかんさい、1919年5月6日 - 2004年9月4日)は、日本の竹工芸家。東京市本郷区生まれ。本名は成年。1942年、東京美術学校油画科を卒業。同じく竹工芸家の飯塚琅玕斎の次男であり、彼に師事。1982年、竹工芸で人間国宝 (重要無形文化財保持者) となった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
建畠 覚造(たてはた かくぞう、1919年4月22日 - 2… 建畠 覚造(たてはた かくぞう、1919年4月22日 - 2006年2月16日)は日本の彫刻家。第二次世界大戦後の日本で抽象彫刻制作を推し進めた第一人者であった。 1919年東京生まれ。彫刻家・建畠大夢の長男で、1941年に東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科を卒業。同年、第4回新文展には「黙」を出品して特選を受賞するなど若い時期から期待された。将来の留学に備えてアテネフランスでフランス語を習っていたことから、昭和19年(1944年)に、仏領インドシナのサイゴン日本文化会館の派遣職員に任命され、新妻とともに赴任、敗戦後現地で4か月の抑留生活ののち、1946年に帰国した。 彼は彫刻を構成する実体とそれをとりかこむ何もない空間との関係に関心を持ち、アカデミックな具象彫刻から前衛的な抽象彫刻へ移行していった。
渡邊 高之助(わたなべ たかのすけ、1919年(大正8年)3… 渡邊 高之助(わたなべ たかのすけ、1919年(大正8年)3月3日 - 2003年(平成15年)7月1日)は、日本の声楽家(テノール)・音楽教育者。新字体で、渡辺 高之助と表記されることがある。 東京府四谷区生まれ。1941年(昭和16年)東京音楽学校声楽科卒業。木下保に師事。東京放送合唱団などで活躍。1952年(昭和27年)の二期会創立以来のメンバー。オペラ歌手として、二期会、グルリット・オペラ協会、長門美保歌劇団等、数多くのオペラに出演し、昭和音楽大学オペラ研究所に記録されているだけでも出演回数は58回にのぼる。 音楽教育面においては1958年(昭和33年)東京芸術大学助教授となり、1960年(昭和35年)声楽科主任、1969年(昭和44年)教授。
岡部 多喜子(おかべ たきこ、1919年(大正8年)2月24… 岡部 多喜子(おかべ たきこ、1919年(大正8年)2月24日 - 2020年(令和2年)10月15日)は、日本の声楽家(ソプラノ、メゾソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。 東京府出身。東京音楽学校卒業。長坂好子に師事。 1942年(昭和17年)2月6日 第13回全日本新人紹介演奏会(夜 日比谷公会堂)でヴェルディ『ドン・カルロス』よりエボリ姫の詠唱、清水脩『春の寺』(記録は『メツォソプラノ』である)を歌う。また、レコードの吹込みも行うなど、戦時中も途切れず音楽活動を行う。 戦後、オペラにおいて、1950年(昭和25年)6月11日に長門美保歌劇團公演 日比谷公会堂 モーツァルト『フィガロの結婚』ケルビーノ(指揮:金子登)、1954年(昭和29年)12月24日、25日、26日、28日 俳優座劇場 二期会 メノッティ『アマールと夜の訪問者』アマールの母(指揮:伊藤栄一)を演じている。
関 主税(せき ちから、1919年1月4日 - 2000年1… 関 主税(せき ちから、1919年1月4日 - 2000年11月1日)は、日本画家、日本芸術院会員。 千葉県出身。1941年東京美術学校卒。戦後日展に出品、1986年日本芸術院賞受賞。1992年日本芸術院会員。1994年勲三等瑞宝章受章。1999年日展理事長。
松本 筑峯(まつもと ちくほう、1918年(大正7年)9月2… 松本 筑峯(まつもと ちくほう、1918年(大正7年)9月25日 - 2009年(平成21年)12月22日)は日本の書家。現代破体書道の第一人者。石川県羽咋市に生まれ、茨城県下妻市で育つ。本名は磐祐。東洋書道芸術学会会長。松本書道会名誉会長。月刊書道誌『方円』・季刊書道誌『破体』発行。『破体書道史(中国編・日本編)』他著書多数。 世界各地で個展や破体展を開催。海外でも究極の書芸術「破体」に対しての評価は非常に高く、精力的に破体書道の普及に取り組んだ。大韓民国社会教育文化大賞・中国南京市文化功労者、中国鎮江市文化交流貢献賞等を受賞し、破体書法国際展審査長を歴任した。 茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)卒業 1941年(昭和16年)、東京美術学校(現在の東京芸術大学)師範科卒業 1918年(大正7年)、9月25日に松本源祐の五男として石川県羽咋市(現在の白山市)に生まれる 1923年(大正12年)、父親の松本源祐が石川県羽咋市(現在の石川県白山市一里野)で生祠され、開成社と命名 1941年(昭和16年)、東京美術学校師範科卒業在学中、書道漢字は石橋犀水、仮名は比田井小琴、油絵は小林万吾、井原宇三郎、日本画は矢沢弦月に師事 1941年(昭和16年)、愛知県豊橋中学校(現在の時習館高校)の図画の教師として赴任。
久保 克彦(くぼ かつひこ、1918年9月5日 - 1944… 久保 克彦(くぼ かつひこ、1918年9月5日 - 1944年7月18日)は、日本の画家。東京美術学校工芸科図案部(現・東京芸術大学デザイン科)を首席で卒業した後、太平洋戦争の中国戦線に出征し、戦死した戦没画学生。東京美術学校卒業生の戦没者はわかっているだけで167名おり、久保はそのうちの1人である。卒業後直ちに応召した後、ほどなく戦死しているので目立った作品が多いわけではないが、1971年 (昭和46年) に東京芸術大学芸術資料館に展示された「図案対象」は、戦没画学生の作品発掘のきっかけの1つになった。 久保克彦は、1918年(大正7年)に山口県熊毛郡佐賀村佐合島(現平生町)の醤油醸造業を営む家で女4人男2人の6人兄弟の末っ子として生まれた。
田村 耕一(たむら こういち 1918年(大正7年)6月21… 田村 耕一(たむら こういち 1918年(大正7年)6月21日 - 1987年(昭和62年)1月3日)は、日本の陶芸家。1986年(昭和61年)に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。 栃木県佐野市富岡町出身。昭和16年(1941年)東京美術学校工芸科図案部を卒業し、大阪府下で楽焼を学ぶが翌年応召する。戦後の昭和20年(1945年)京都市の松風工業株式会社松風研究所に入所して陶磁器の本格的研究を開始し、富本憲吉に師事した。昭和23年(1948年)栃木県佐野市へ帰り、赤見窯の築窯に加わる。翌年新匠工芸会展に出品、昭和25年(1950年)には濱田庄司の勧めで「栃木県窯業指導所」(現在の「栃木県産業技術センター 窯業技術支援センター」)技官となり、ココ工芸の結成に参加、のち生活工芸集団結成に加わった。
寺島 龍一(てらしま りゅういち、1918年4月27日 - … 寺島 龍一(てらしま りゅういち、1918年4月27日 - 2001年10月26日)は、洋画家、日本芸術院会員。寺島竜一とも。 東京府出身。東京美術学校卒。寺内萬治郎らに師事。1979年まで筑波大学教授。1997年「アンダルシア讃」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。1998年芸術院会員。日展理事、顧問。光風会理事長。 人物画、特にエキゾチックな女性像で知られた。ほか児童書の挿絵・表紙画でも知られ、特にJ・R・R・トールキンの作品の挿画が名高い。また自身でも子供向けの著作を著した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体: 三宅 春惠、旧姓:豊田… 三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体: 三宅 春惠、旧姓:豊田、1918年〈大正7年〉3月13日 - 2005年〈平成17年〉12月9日)は、日本の声楽家(ソプラノ)・オペラ歌手・音楽教育者。二期会の創設者の一人。夫はピアニストでフェリス女学院短期大学教授兼学長の三宅洋一郎。 福岡市生まれ。父は英文学者・九州帝国大学教授の豊田実。1939年(昭和14年)東京音楽学校を卒業する。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 実質的なデビューは1939年(昭和14年)12月の新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会のベートーヴェン『フィデリオ』マルツェリーネである。 戦時中の1945年(昭和20年)1月においても新交響楽団の演奏会に出演しているのが確認できる。
小宮山 俊(こみやま しゅん、本名:込山俊男、1918年1月… 小宮山 俊(こみやま しゅん、本名:込山俊男、1918年1月29日 - 2006年9月12日)は 日本画家である。代表作にヒマール連作シリーズがある。 1918年(大正7年)1月29日に東京市月島(現東京都中央区)で込山熊太郎、母千代次の長男として生まれる。1941年(昭和16年)に東京美術学校日本画科に入学する。同級生に渡辺学(創画会)、太田歳、田所量司がいた。師は結城素明、川﨑小虎、川合玉堂、常岡文亀、矢沢弦月。元新美術協会理事長である。 1955年(昭和30年)頃から千葉県船橋市金杉に居住し、船橋ヘルスセンターの内装デザインを手掛けた。 2006年(平成18年)9月12日に逝去。千葉県立美術館、山梨県南部町立美術館などに作品が収蔵されている。
浜田 知明(はまだ ちめい、本名の読みはともあき、1917年… 浜田 知明(はまだ ちめい、本名の読みはともあき、1917年(大正6年)12月23日 - 2018年(平成30年)7月17日)は、日本の版画家・彫刻家。日本の版画家が国際的に注目されはじめたのは1950年代からであるが、浜田も棟方志功、浜口陽三、駒井哲郎らと並び、第二次大戦後の日本を代表する版画家の一人に数えられる。 1917年(大正6年)、熊本県上益城郡高木村(現・御船町)生まれ。教育者の次男である。旧制御船中学校(現在の熊本県立御船高等学校)では、東京美術学校を卒業後すぐに美術教師として赴任していた富田至誠に指導を受ける。16歳の時には飛び級で東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科に入学し、洋画家藤島武二の指導を受けた。
清宮 質文(せいみや なおぶみ、1917年〈大正6年〉6月2… 清宮 質文(せいみや なおぶみ、1917年〈大正6年〉6月26日 - 1991年〈平成3年〉5月11日)は、日本の木版画家。父は版画家・清宮彬(ひとし)。ガラス絵、モノタイプ、水彩画技法など、数多くの作品を残した。 1917年(大正6年)東京府豊多摩郡内藤新宿北裏町(現:東京都新宿区)に生まれる。 1935年(昭和10年)麻布中学校卒業。1937年(昭和12年)東京美術学校(現:東京芸術大学美術学部)油画科に入学。藤島武二に師事し、4年からは田辺至の指導を受ける。1942年(昭和17年)、東京美術学校を卒業。同年6月、長野県上田中学校の美術教師となるも、翌年3月に辞職した。 1944年(昭和19年)慶應義塾工業学校の美術教師となるが、同年中に応召される。
山口 健作(やまぐち けんさく、1917年4月28日 - 2… 山口 健作(やまぐち けんさく、1917年4月28日 - 2012年7月25日)は、昭和時代中期から平成時代日本の作曲家。長崎大学名誉教授。 長崎市出身。1938年(昭和13年)4月に東京音楽学校甲種師範科に入学。下総皖一、城多又兵衛、伊藤武雄、今井治郎らの師事を仰ぐ。1941年(昭和16年)3月に同校を卒業後、台湾に渡り台中師範学校に赴任。終戦後に帰郷し、長崎師範学校教諭に就く。 戦後は学制改革により長崎大学学芸学部助教授となり、1961年(昭和36年)制定の県民歌「南の風」を始め県内各地の校歌を作曲、教育学部名誉教授に至る。 2012年(平成24年)7月25日死去。享年96(満95歳没)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
安西 愛子(あんざい あいこ、本名:志村 愛子(しむら あい… 安西 愛子(あんざい あいこ、本名:志村 愛子(しむら あいこ)、1917年4月13日 - 2017年7月6日)は、日本の童謡歌手、声楽家、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)、安西音楽研究所名誉会長、杉の子こども会名誉会長、日本会議副会長などを歴任。 東京府出身。杉並第七小学校、府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒業後、東京音楽学校声楽科に入学。在学中には浅野千鶴子、長坂好子、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 1942年、同校研究科卒業。コロムビアレコード専属の歌手となる。 1949年には松田トシと共にラジオ番組『うたのおばさん』(NHKラジオ第1放送)に出演、1964年まで番組を担当する。
西垣 勇蔵(にしがき ゆうぞう、1917年2月9日 - 19… 西垣 勇蔵(にしがき ゆうぞう、1917年2月9日 - 1988年1月2日)は、長唄唄方。教育者。 1917年(大正6年)大阪府に生まれる。1936年(昭和11年)東京音楽学校邦楽科に入学。この年、邦楽科は選科から本科へ昇格しており第一期生となった。1939年(昭和14年)同校を卒業。1957年(昭和32年)東音会創立に参加し、1970年(昭和45年)からは会長も務めた。 その後、東京芸術大学教授、同大学名誉教授。
石桁 真礼生(いしけた まれお、旧字体: 石桁 眞禮生、19… 石桁 真礼生(いしけた まれお、旧字体: 石桁 眞禮生、1916年〈大正5年〉11月26日 - 1996年〈平成8年〉8月22日)は、日本の作曲家。和歌山県生まれ。作曲家石桁冬樹は子息。石桁真礼生門下生によって結成されている作曲家のグループとして、グループ<環>がある。 東京音楽学校で下総皖一に師事。1943年の第12回音楽コンクールに「小交響曲」で入賞。後、グループ新声会に参加、ドイツ古典派に規範をおく作品を発表するが、「箏のための協奏三章」(1951年)、「箏のための組曲」(1952年)などの現代邦楽にも手を染めていく。やがて、無調や十二音技法に接近し、三好達治の詩による歌曲「鴉」(1956年)や、十二音を用いた日本最初のオペラとされる「卆塔婆小町」(1957年)、「嬰ヘとハを基音とする交響曲」(1965年)などを生み出す。
井手 則雄(いで のりお、1916年8月25日 - 1986… 井手 則雄(いで のりお、1916年8月25日 - 1986年1月3日)は、日本の彫刻家、美術評論家、詩人。別名は矢野 則雄。 朝鮮京城府生まれ、長崎県北松浦郡佐々村出身。1939年東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科卒業、1941年研究科修了。 在学中から二科展などに出品、1943年銀座で個展を開く。戦後、前衛美術会を結成。1972年12月宮城教育大学教授。1981年退官。『純粋詩』『造型文学』『新日本詩人』『列島』などに詩や評論を発表。 1986年1月3日、福島県双葉郡富岡町の小浜海岸を散歩中に転倒して、怪我によって起きられなくなったまま凍死した。墓所は多磨霊園。 元妻は、女性史研究家の井手文子。
山崎 正(やまざき ただし、1916年〈大正5年〉8月20日… 山崎 正(やまざき ただし、1916年〈大正5年〉8月20日 - 1968年〈昭和43年〉1月19日)は、日本の作詞家。代表作の『お富さん』は春日八郎の歌唱により戦後日本の復興を代表するヒット曲のひとつとなった。 東京市亀戸町に生まれ、母親の再婚を機に群馬県高崎市に転居、旧制高崎中学卒業後、東京美術学校に入学、高橋掬太郎門下で作詞を学び、歌謡同人誌「幌馬車」の同人となる。 1937年、日中戦争による召集で高崎歩兵第15連隊に入隊、同年9月20日、傷病により現地の野戦病院に収容、翌10月4日に満州チチハル陸軍病院に転院。病院で作詞を続け『踊る支那兵』を「幌馬車」に発表。帰還後に前橋市の料亭「鳥辰」の長女ふみ子と結婚、1942年に作詞した『暁の門出』『茶作り次郎長』『軍歌千里」がレコード化されプロの作詞家としてデビューするも、1944年に再び召集、東部軍管区宇都宮師管区歩兵第三補充隊(東部第38部隊)の兵長として内地で終戦を迎える。
米倉 美枝(よねくら みえ、1916年(大正5年)5月15日… 米倉 美枝(よねくら みえ、1916年(大正5年)5月15日 - 1977年(昭和52年)8月3日)は、昭和時代の合唱指揮者。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。東京音楽学校師範科卒業後、福岡県に戻り高等女学校教師となる。 1948年(昭和23年)の第1回全日本合唱コンクール全国大会学生部門に旧制福岡高等女学校(現:福岡中央高校)を指揮して出場、優勝を果たす。教職を退いた後は石丸寛らとともに九州の合唱隆盛に尽力し、福岡合唱協会、RKB女声合唱団、八幡製鉄合唱団などを指揮・指導する。九州合唱連盟理事長、全日本合唱連盟常任理事、熊本音楽短期大学教授などを務めた。
北爪 利世(きたづめ りせい、1916年4月28日 - 20… 北爪 利世(きたづめ りせい、1916年4月28日 - 2004年6月30日)は、日本クラシック音楽界の草分け的クラリネット奏者で、その黎明期から長年にわたり第一人者の一人として演奏・教育など多方面において重要な役割を果たした。 旧制成城学園オーケストラでクラリネットを始め、同時に成城合唱団に属して新交響楽団(現・NHK交響楽団)とも共演する。同窓に作曲家の柴田南雄などがいる。 1937年に東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)入学。同級生には千葉 (後の川崎) 静子、佐々木成子、中山悌一、栗本正、高田信一、中田一次、中山冨士雄らがいた。1943年に卒業後、東京放送管弦楽団、東京都フィルハーモニー管弦楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)を経て、東宝交響楽団(現・東京交響楽団)首席奏者を務める。
山本 忠敬(やまもと ただよし、1916年4月9日 - 20… 山本 忠敬(やまもと ただよし、1916年4月9日 - 2003年1月14日)は、挿絵画家、アートディレクター。 東京生まれ。東京美術学校工芸科図案部卒業後、東京シネマ漫画映画研究所員、チューデザイングループ主宰。児童文学に関する挿し絵、絵本多数。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
加古 三枝子(かこ みえこ、1916年3月22日 - 200… 加古 三枝子(かこ みえこ、1916年3月22日 - 2002年12月17日)は、日本の声楽家。本名・小泉三枝子。兵庫県高砂市生まれ。東京音楽学校声楽料卒業。 1940年から1971年までお茶の水女子大学講師、1957年から1972年まで東京芸術大学講師を務めた。1957年、ヒンデミット「マリアの生涯」を日本初演。30代の時、11歳年下の音楽学者・小泉文夫と恋におち、周囲の反対を押し切って結婚し、小泉が50代で死んだ後その思い出を刊行した。自身の詩「碧い部屋」に柴田南雄らが曲をつけ、自作自演を行っており、CDも製作された。墓所は渋谷区法雲寺 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
近藤 良三(こんどう りょうぞう、1916年(大正5年)1月… 近藤 良三(こんどう りょうぞう、1916年(大正5年)1月20日 - 没年不詳)は、日本の作曲家。元徳島大学学芸学部教授。東京音楽学校卒業。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。1943年(昭和18年)に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)を卒業。作曲を下総皖一と田中規矩士に師事した 。 徳島大学学芸学部で教授を務める傍ら、徳島県内の小中学校で数多くの学校歌を手掛け、とりわけ保科千代次が作詞を務めることが多かった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
加藤 東一(かとう とういち、1916年(大正5年)1月6日… 加藤 東一(かとう とういち、1916年(大正5年)1月6日 - 1996年(平成8年)12月31日 )は、日本画家、日展理事長。岐阜県岐阜市出身。
中村 登一(なかむら とういち、1915年(大正4年)12月… 中村 登一(なかむら とういち、1915年(大正4年)12月25日 - 1969年(昭和44年)6月28日)は、日本の建築指導者、建築家で、戦後の日本建築界を席捲した民主化運動の中心的存在。日本初の分譲マンション「九段コーポラス」を設計し、艮衆のための住宅設計に力を注いだ。東京本所生まれ。 1938年、東京美術学校建築科卒業。東京市役所建築部に就職。12月兵役によって満州に渡る。1944年、陸軍建築研究所勤務。 1945年、吉田五十八建築研究所員。東京美術学校専任講師。1947年、新日本建築家集団(NAU)の結成に参加。1949年、東京芸術大学文部教官。1950年、東京芸術大学を辞任、匠建築研究所所長となる。