和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 19… 和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 1992年6月29日)は、日本の人類学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。第三高等学校を経て、1945年京都大学理学部卒業。京大教授時代には京都大学アフリカ学術調査隊に参加。梅棹忠夫とは三高の同級生で京都大学アフリカ学術調査隊に参加した良き友人だった。その後は富山大学人文学部教授、中部大学国際関係学部教授を歴任した。 実の息子にWOWOW代表取締役社長の和崎信哉、文化人類学者で中部大学国際関係学部教授の和崎春日がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961… 伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961年1月16日)は日本の編集者、出版社経営者。書肆ユリイカ代表。 釜山広域市生まれ。旧制京城中学校卒業まで、京城で過ごす。旧制福岡高等学校を経て、1943年、京都帝国大学経済学部卒業。出征して北支や内蒙古で転戦し、戦後に上京して前田出版社に勤務。 原口統三『二十歳のエチュード』の出版を手がけ、同書をベストセラーとする。1948年、同書の紙型を持って独立し、書肆ユリイカを創立。1950年頃から主に詩書を出版。1956年、詩誌『ユリイカ』を創刊。没後の1962年に遺稿集『ユリイカ抄』が刊行され、その業績により第1回藤村記念歴程賞を受けた。
杉山 茂樹(すぎやま しげき、1920年9月9日 - 199… 杉山 茂樹(すぎやま しげき、1920年9月9日 - 1992年12月20日)は、日本の映画プロデューサー。松竹大船撮影所で活躍後、国際放映に転じ、テレビ映画を手がけた。 静岡県立静岡中学校、京都大学文学部哲学科卒業。松竹京都撮影所で日活出身の市川哲夫監督の映画『我輩は探偵でアル』(1949年(昭和24年)5月23日公開)を、マキノ正博監督の『非常線』(1947年)のプロデューサー・小倉浩一郎のもとで製作、プロデューサーとしてデビュー。1960年(昭和35年)11月30日に公開された番匠義彰監督の映画『浮気のすすめ 女の裏窓』で初めて松竹大船撮影所作品を手がけた。1961年(昭和36年)8月6日に公開された、酒井辰雄監督の映画『ひとり寝』を最後に、12年間で79本を製作してきた松竹京都を去り、大船撮影所へ異動。
源 了圓(みなもと りょうえん、源了円、1920年7月27日… 源 了圓(みなもと りょうえん、源了円、1920年7月27日 - 2020年9月10日)は、日本の日本思想史学者。東北大学名誉教授、北京外国語大学名誉教授。日本学士院会員。 1920年、熊本県宇土市にて、浄土真宗住職の三男として生まれた。第五高等学校を経て、京都大学文学部哲学科に進んだ。1948年に同大学を卒業し、同大学大学院に進学。京都学派の田辺元や西谷啓治に学び、梅原猛と親交を結んだ。 日本女子大学文学部教授を経て、東北大学文学部教授に就任。1981年、学位論文『近世初期実学思想の研究』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1984年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は国際基督教大学教授として教鞭をとった。
林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月… 林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月25日 - 2010年(平成22年)2月28日)は、日本の物理学者(天体物理学)・天文学者。学位は理学博士(京都大学・論文博士・1954年)。京都大学名誉教授。位階は従三位。文化勲章受章者。 天文学と原子核物理学・素粒子物理学とをつなぐ学問である宇宙物理学の日本における先駆者の一人。京都大学理学部物理学科・天体核物理学研究室の教授を27年にわたって務め、研究の一方で数多の優秀な理論物理学者や宇宙物理学者、天文学者や惑星科学者を育てた。 京都府京都市上京区紫竹西南町(現・京都市北区紫竹西南町)に林誠次郎・ムメ夫妻の四男として生まれる。生誕翌年の1921年(大正10年)7月12日、大叔父・林寛次郎の養嗣子となる。
伊藤 冨雄(いとう とみお、1920年6月27日 - 200… 伊藤 冨雄(いとう とみお、1920年6月27日 - 2003年11月25日)は、日本の土木工学者。工学博士(京都大学)。大阪大学名誉教授。大阪工業大学名誉教授・第8代学長。土木学会名誉会員。地盤工学会関西支部元支部長。日本地下水理化学研究所元理事長。日本学術会議元会員。勲二等旭日重光章受章。 専門は、地盤工学・土質工学、建設工学(特にトンネル工学)。 1920年神奈川県横浜市生まれ。1943年京都帝国大学工学部土木工学科卒業。のちに、工学博士(京都大学)。1947年大阪大学工学部講師となり、助教授を経て、1962年教授。1984年に大阪大学名誉教授。 同年、大阪工業大学工学部土木工学科教授。1987年から1994年まで大阪工業大学第8代学長を務めた。
前野 直彬(まえの なおあき、1920年5月18日 - 19… 前野 直彬(まえの なおあき、1920年5月18日 - 1998年2月5日)は、日本の中国文学者。東京大学文学部名誉教授。多くの漢詩研究・注解を出版した。 1920年、東京生まれ。東京帝国大学文学部中国文学科で学び、1947年に卒業。大学院は京都大学大学院中国文学専攻に移り、1952年に修了。 1976年、学位論文『中国小説史考』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1976年から1977年まで外務省特別研究員として中国に滞在。帰国後は、名古屋大学講師に就いた。東京教育大学助教授を経て、東京大学文学部中国文学科の教授をつとめた。1981年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。
上田 薫(うえだ かおる、1920年(大正9年)5月17日 … 上田 薫(うえだ かおる、1920年(大正9年)5月17日 - 2019年10月1日)は、日本の教育学者。東京教育大学教授、立教大学教授、都留文科大学学長を務めた。「社会科の初志をつらぬく会」名誉会長。 大阪府にて出生。兵庫県立第一神戸中学校から、旧制武蔵高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科に進むが、1943年12月に仮卒業となり学徒出陣し、南京に送られる。敗戦により国民党軍の捕虜になった後、1946年1月日本に帰国した。1946年9月に文部省に入省し、新教育の小学校社会科の学習指導要領と教科書の作成にあたった。続いて「道徳教育のための手引書要綱」を作る。1951年9月名古屋大学教育学部、東京教育大学教育学部、立教大学文学部で教員生活を送り、最後は都留文科大学学長を務めた。
篠原 晃(しのはら あきら、1920年5月7日 - 2010… 篠原 晃(しのはら あきら、1920年5月7日 - 2010年2月24日)は、日本の経営者。電気化学工業社長を務めた。 神奈川県出身。1943年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に電気化学工業に入社。1972年11月に取締役に就任し、1974年11月に常務、1977年10月に専務を経て、同年12月に副社長に就任し、1981年6月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1990年6月に相談役に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1999年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2010年2月24日に急性心不全のために死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2… 萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2000年12月17日)は、静岡県出身の東洋史学者。京都大学名誉教授、文学博士。 静岡県生まれ。1938年、静岡県立静岡中学校卒業。静岡高等学校 (旧制)を経て、1946年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。大学院修了後、京都大学副手となったが郷里に戻り、1950年、静岡県立教員養成所教授、静岡大学教育学部講師となった。1955年、再び京都大学に戻り、1958年、京都大学文学部講師となり、『明代満蒙史料』(京都大学文学部刊)の編纂にあたった。1962年、助教授。1977年、『明代蒙古史研究』で京都大学文学博士。1978年、京都大学文学部教授。
新田 伸三(にった しんぞう、1920年(大正9年)3月6日… 新田 伸三(にった しんぞう、1920年(大正9年)3月6日 - 1997年(平成9年)7月)は、日本の造園学者・造園家・造園教育者。専門は、緑化工学・種子吹付での緑化工法・法面緑化手法・運動場の土質構造など。農学博士。九州芸術工科大学名誉教授。九州芸術工科大学学生部長・日本造園学会理事・同学会副会長・日本緑化工学会会長他を歴任。京都府京都市東山区出身。 (審議会委員歴)愛知県自然環境保全審議会委員、名古屋市都市景観審議会委員北九州市都市景観審議会委員、佐賀県名護屋城跡保存整備委員会委員、他
山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 20… 山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 2022年8月20日)は、日本の歴史学者。神戸女子大学名誉教授。専門は日本近代史。 京都府出身。1939年12月、陸軍士官学校卒業。1949年3月、京都大学文学部史学科卒業。1971年5月、京都大学文学博士。神戸女子大学教授を経て、同大学名誉教授。 2022年8月20日、老衰のため死去。102歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
矢口 洪一(やぐち こういち、1920年〈大正9年〉2月20… 矢口 洪一(やぐち こういち、1920年〈大正9年〉2月20日 - 2006年〈平成18年〉7月25日)は、日本の裁判官。第11代最高裁判所長官を務めた。父の矢口家治も裁判官。 裁判官生活の3分の2を法服ではなく背広姿で過ごした人は、矢口以外にはなく、事務総長をはじめ、総務・人事・行政・民事・経理と7局のうち、5局までを経験した。普通は、この中の1局でも担当すれば、最高裁行政の専門家として重きをなすのだが、矢口の場合は想像を超える最高裁の表裏のすべてに通じていた。そのため、「ミスター司法行政」の異名を取った。 熊本水俣病(チッソ)、新潟水俣病(昭和電工)、イタイイタイ病(三井金属鉱業)、四日市ぜんそく(昭和四日市石油・三菱化成・三菱樹脂・三菱モンサント(前記3社は現:三菱ケミカル)・中部電力・石原産業)の四大公害訴訟のときは、民事局長として、被害者の立証の難しさを緩和する理論を提唱し、早期解決に尽力した。
大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2… 大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2014年3月11日)は、日本の地理学者(文化地理学)。文学博士。関西学院大学名誉教授、元帝塚山学院大学教授。太平洋学会第三代会長。 地理学者として学術探検にも赴き、島嶼地理学、文化人類学者としても有名である。愛知県名古屋市生まれ。 以降快方に向かい、近江兄弟社中学校・高等学校、同志社高等学校で教鞭を執る(1953年まで)。
蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年… 蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年9月18日)は、日本の教育学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1941年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院(旧制)、1981年「生活指導における集団指導の理論的考察」で京都大学教育学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、1972年奈良女子大学教授、京都大学教育学部教授、83年定年退官、名誉教授、光華女子大学長。92年退任。1958年『子どもらが道徳を創る』(宇野登共著)で毎日出版文化賞受賞。
本田 済(本田 濟、ほんだ わたる、1920年1月7日 - … 本田 済(本田 濟、ほんだ わたる、1920年1月7日 - 2009年9月21日)は、中国哲学者。 三重県生まれ、京都府宇治市出身。1942年京都帝国大学文学部哲学科卒。1964年「易経の思想史的研究」で京都大学文学博士。1949年高槻高等学校教諭、1952年大阪市立大学文学部助教授、1965年教授、1980年定年退官、名誉教授、梅花女子大学教授、1983年学長。号は鬳斎(けんさい)。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。
荒木 修(あらき おさむ、1920年(大正9年)1月2日 -… 荒木 修(あらき おさむ、1920年(大正9年)1月2日 - 2002年(平成14年)12月13日)は、昭和から平成時代の政治家。教育者。熊本県菊池市長。 菊池市出身。1944年(昭和19年)京都帝国大学法学部卒業。 1945年(昭和20年)9月、隈府女子技芸学校(隈府女子専門学校を経て現菊池女子高等学校)校長代理に就任。1963年(昭和38年)7月、学校法人菊池女子学園、菊池女子高等学校を設立し、理事長兼校長に就任した。ほか、熊本県私立学校審議会長を歴任した。 1989年(平成元年)菊池市長に当選し、1期務めた。
舟喜 順一(ふなき じゅんいち、1920年 - 2010年4… 舟喜 順一(ふなき じゅんいち、1920年 - 2010年4月13日)は、日本の牧師、神学校教師。兵庫県神戸市まれ、群馬県前橋市育ち。福音派の神学教育者で福音派の指導者の一人。新改訳聖書の生みの親の1人とされる。元・聖書宣教会教師(晩年は常任顧問)、元・聖書同盟主事、元・新改訳聖書刊行会編集主事、同理事長。 父は舟喜麟一、弟に舟喜拓生、舟喜信、妻は翻訳者としても有名な舟喜晃子。 1920年、神戸平野教会の牧師であった舟喜麟一の長男として生まれる。生まれてすぐに、銚子福音伝道館の牧師に就任した父と共に転居する。(旧制)前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)で学ぶ。その時同級生だった羽鳥明をキリスト教に導く。
小谷 豪冶郎、ないし、小谷 秀二郎(こたに ひでじろう、19… 小谷 豪冶郎、ないし、小谷 秀二郎(こたに ひでじろう、1920年 - 2002年12月18日)は、日本の国際政治学者。著作活動においては、1980年ころまでは小谷 秀二郎と名乗り、以降は小谷 豪冶郎の名義を用いた。 長崎市生まれ。大連の旧制中学校を経て兵庫県立神戸高等商業学校を卒業。学徒出陣で短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、横須賀軍需部に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官し、第1海軍衣料廠に転じて特殊糧食の調達に従事。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 京都大学農学部卒。米国で学び、南山大学講師、防衛研修所所員、京都産業大学、京都外国語大学教授などを務めた。
高井 太郎(たかい たろう、1920年(大正9年) - 20… 高井 太郎(たかい たろう、1920年(大正9年) - 2010年(平成22年)1月23日)は、日本の海軍軍人、実業家。海兵70期。岐阜県出身。 海軍兵学校卒業後すぐに実戦配備となり測的士として「古鷹」に乗組となり第一次ソロモン海戦を経験する。サボ島沖海戦で「古鷹」が撃沈されるも「初雪」に救助される。その後「雪風」乗組となりケ号作戦に参加、ガダルカナル島撤退作戦において陸兵輸送を行う。撤退作戦が終わると一度は内地に戻され横須賀鎮守府付となるが、本人の希望もあり見張分隊長として「瑞鶴」乗組を命ぜられマリアナ沖海戦などを歴戦する。レイテ沖海戦にて「瑞鶴」が撃沈されると、4時間にわたる漂流ののちまたも僚艦に救助される。
吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 201… 吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 2011年7月19日)は、日本の生態学者。本名は龍夫。理学博士。大阪市立大学名誉教授。元日本生態学会会長。初代日本熱帯生態学会会長。 大阪市生まれ。父は大阪府四條畷市の曹洞宗寺院龍尾寺の住職で貝類研究家の吉良哲明。父の薫陶を受けて、生態学者としての素養を身につけた。旧制大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を、1940年に第三高等学校を卒業し、1942年京都帝国大学農学部農学科を卒業。京都帝国大学在学中には、今西錦司、森下正明、さらに1年後輩の梅棹忠夫とともに、大興安嶺山脈、ポナペ島の探検に参加した[要出典]。 1948年、新制の京都大学農学部農学科園芸学教室の助教授に着任。
柴山 廣(しばやま ひろし、1919年12月15日 - )は… 柴山 廣(しばやま ひろし、1919年12月15日 - )は、日本の電気工学者。大阪工業大学名誉教授。元電気工学教室担当。工学博士(京都大学)。電気学会関西支部元評議員。 専門は、電気工学・電力工学(電動機含む)・パルス工学、非線形理論。 京都府出身。1942年京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。のちに、工学博士(京都大学)。三菱電機研究所(現:先端技術総合研究所)に技師として入社。1946年京都市立第一工業学校教諭などを経て、1950年大阪工業大学工学部電気工学科に着任し、電気工学教室を担当。その後、1957年に助教授、1962年に電気工学科教授。1975年同大学図書館長。1992年大阪工業大学名誉教授。
平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 20… 平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 2013年5月14日)は、浄土真宗の仏教学者。学位は、博士(文学)(龍谷大学・2009年、学位論文「親鸞の生涯と思想」)。 1919年(大正8年)三重県津市生まれ。静岡高等学校卒、1943年(昭和18年)京都帝国大学文学部史学科卒、同大学院修了、1946年(昭和21年)郷里の一身田郵便局に勤め局長、1980年(昭和55年)龍谷大学文学部特任教授、教授、1990年(平成2年)定年退任。2009年(平成21年)「親鸞の生涯と思想」で龍谷大学より博士(文学)の学位を取得。
兵藤 正之助(ひょうどう まさのすけ、1919年12月2日 … 兵藤 正之助(ひょうどう まさのすけ、1919年12月2日 - 1995年10月1日)は、文芸評論家。 長崎県生まれ。京都帝国大学哲学科卒。久松真一に仏教を学ぶ。戦後、京都の生活社に勤め、文学者たちと交流、文芸評論を書く。1950年代に関東学院女子短期大学助教授、のち関東学院大学教授、1985年定年、名誉教授。関東学院大学では兵藤奨学金を出している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7… 木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7日 - 1999年〈平成11年〉2月13日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。財政政策、国民所得などの研究で知られる。位階は正四位。 福岡県大牟田市生まれ、八女市出身。1942年京都帝国大学経済学部卒。1958年「租税の経済理論」で関西学院大学経済学博士。 1948年大阪帝国大学経済学部助教授、1954年大阪大学教授。同大財政研究所長、経済学部長、1983年定年退官、名誉教授。1983年紫綬褒章、1990年前島賞、勲二等瑞宝章受勲。地方財政審議会会長など各種審議会の委員を務めた。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
松平 乗武(まつだいら のりたけ、1919年(大正8年)10… 松平 乗武(まつだいら のりたけ、1919年(大正8年)10月26日 - 1945年(昭和20年)5月29日)は、日本の海軍軍人(海軍大尉)。岩村松平家9代当主・子爵松平乗長の次男。10代当主・松平乗文の弟。鷹司家28代当主・鷹司尚武の父。妻は鷹司信輔の次女・章子(ふみこ)。 学習院高等科、京都帝国大学経済学部卒業。1942年(昭和17年)9月、海軍予備学生となり、東港海軍航空隊に入隊。1943年(昭和18年)4月、海軍機雷学校に入校。1945年(昭和20年)2月20日、海軍対潜学校特修科学生となり、5月29日、総合実習のため附属艇第一敷設艇(曳船公称第七七六号)に乗船し、千葉県安房郡富崎村(現・館山市)布良沖を航行中、アメリカ軍のB-24機と交戦し、左舷に至近弾を受けて沈没、戦死。
武田弘道(たけだ・ひろみち、1919年9月 - 1984年6… 武田弘道(たけだ・ひろみち、1919年9月 - 1984年6月)は日本の哲学者、論理学者。北海道旭川市生まれ。 戦後の哲学界に分析哲学と記号論理学を紹介した第一世代の一人。カール・ポパーの主著で浩瀚なる『自由社会の哲学とその論敵』を翻訳出版して(1963年、1973年)令名を高める。海外の哲学者との交友も多く、学会では海外研究者の講演のときには、通訳をした。 三宅剛一の言葉「多く考え、少なく書け」を地でいった人であった。 武田ひろ子編『会議は踊る・ただひとたびの――武田弘道追悼集』ミネルヴァ書房、1985年
林 竹男(はやし たけお、1919年8月23日 - 1992… 林 竹男(はやし たけお、1919年8月23日 - 1992年9月18日)は、大阪府出身の日本の物理学者。京都大学名誉教授。理学博士(京都大学)。元京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所, KURNS)第4代所長。日本原子力学会強力中性子源研究専門委員会構成委員。 専門は、原子核物理学・核融合炉開発。 1943年に京都帝国大学理学部物理学科を卒業し、1944年京都府立高等農林学校講師。1949年西京大学(現:京都府立大学)の発足により同助教授兼任となり、1958年同教授に昇格する。1964年に京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所, KURNS)教授となり、1980年から1983年まで同実験所第4代所長を務めた。
富家宏泰(とみいえ ひろやす、1919年〈大正8年〉7月1日… 富家宏泰(とみいえ ひろやす、1919年〈大正8年〉7月1日 - 2007年〈平成19年〉12月21日)は、戦後日本を代表する建築家。香川県生まれ。 1919年7月、香川県に生まれて間もなく、一家は朝鮮半島へと移住した。しかし、富家の幼少時、外地でまん延したチフスが原因で一家は子供を除いて全滅してしまった。引き揚げた富家は京都下鴨にある親族の家庭に引き取られて育った。その後、京都府立第一中学校を1937年(昭和12年)に卒業、第三高等学校(理科甲類、1942年卒業)を経て京都帝国大学建築学部(現・京都大学工学部建築学科)へ進学した。入学後ほどなく徴兵され北満州への従軍を余儀なくされたものの、終戦後は復学して建築学科を卒業。
山口 吉雄(やまぐち よしお、1919年6月24日 - 19… 山口 吉雄(やまぐち よしお、1919年6月24日 - 1999年10月29日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、1948年に中央信託銀行(のちの安田信託銀行)に入行。1968年5月に取締役に就任し、1972年5月に常務、1976年6月に専務を経て、1980年6月には社長に就任。1986年6月に会長に就任し、1992年4月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1999年10月29日に肺炎のために死去。80歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 201… 樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 2015年4月2日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。文学博士(京都大学・1962年)。 福岡県田川郡添田町に生まれる。小倉中学校、第一高等学校を経て、1943年京都帝国大学文学部史学科卒。 1957年京都大学文学部助教授、同年より敦煌を調査。1959年以降、京都大学学術調査隊に参加してインド、アフガニスタン、パキスタンなどの仏教遺跡を調査。1975年教授。1983年定年退官、名誉教授。泉屋博古館館長、奈良県立橿原考古学研究所長。なら・シルクロード博覧会・総合プロデューサー代行、シルクロード学研究センター所長、京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長を歴任。
沢田 敏男(さわだ としお、1919年〈大正8年〉5月4日 … 沢田 敏男(さわだ としお、1919年〈大正8年〉5月4日 - 2017年〈平成29年〉10月18日)は、日本の農学者(農業農村工学)。農学博士(京都大学・論文博士・1955年)。京都大学名誉教授、国立工科大学名誉教授、福井県立大学名誉教授、仁愛大学名誉教授。階級は陸軍技術中尉。勲一等瑞宝章受章。日本学士院会員、文化功労者、文化勲章受章。 京都帝国大学農学部研究嘱託、岡山農業専門学校教授、京都大学農学部教授、京都大学農学部学部長、京都大学総長、農業土木学会会長、滋賀総合研究所理事長、日本学術振興会会長、国際高等研究所所長などを歴任した。 農業土木・ダム工学を専攻する農学者・工学者である。三重県伊賀市出身。
岩猿 敏生(いわさる としお、1919年4月30日 - 20… 岩猿 敏生(いわさる としお、1919年4月30日 - 2016年4月9日)は、図書館学者。 福岡県田方郡方城町(現:福智町)生まれ。1943年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1948年福岡県立高校教諭、1950年九州大学図書館司書官、1956年京都大学図書館事務長・事務部長、1976年関西大学文学部教授、1990年同大学退職。1995年から2013年まで日本図書館協会顧問。
内海 洋一(うつみ よういち、1919年4月24日 - 20… 内海 洋一(うつみ よういち、1919年4月24日 - 2009年5月5日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。 1919年、兵庫県生まれ。京都帝国大学経済学部を卒業。 大阪大学経済学部助教授となり、後に教授昇進。1962年に大阪大学にて経済学博士号を取得。1982年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大阪学院大学教授として教鞭をとり、1995年に退職した。 学界では、1988年~1990年、1992年~1994年の2期にわたって経済社会学会会長を務めた。また、「憂国忌」発起人にも加わった。
服部 謙太郎(はっとり けんたろう、1919年 <大正8年>… 服部 謙太郎(はっとり けんたろう、1919年 <大正8年> 4月6日 - 1987年 <昭和62年> 9月1日)は、日本の経営者。服部時計店(現・セイコーグループ)の第4代社長・会長を務めた。位階は正四位。 東京都出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾大学予科を経て、1940年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 終戦後の1946年4月、京都帝国大学文学部に入学。1949年に京都大学文学部国史学科卒業。卒業後、日本中世史の研究を継続するために京大3年次から東京に戻り、通い続けてきた東大史料編纂所への入所を希望したが、採用者がなく、紆余曲折の末に1950年、母校の慶大経済学部副手に採用。1951年、同経済学部助教授に昇格するも、翌1952年度限りで辞職した。
原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年… 原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年8月21日)は、日本の哲学研究者。 宮城県亘理郡生まれ。第二高等学校卒、1941年京都帝国大学経済学部卒、大阪商船入社。1942年応召、1944年召集解除、大阪商船退社、宮城県築館中学校嘱託、1949年東北大学法文学部哲学科卒、同大学院中退、東北大学教養部講師、1961年助教授、1965年教授。1982年定年退官、名誉教授となる。没する直前に、師の河野与一の新訂再刊も行った。
田川 亮三(たがわ りょうぞう、1919年〈大正8年〉3月8… 田川 亮三(たがわ りょうぞう、1919年〈大正8年〉3月8日 - 1995年〈平成7年〉9月18日)は、日本の官僚、政治家。三重県知事を務めた。 神奈川県横須賀市生まれ。旧制神奈川県立横須賀中学(現:神奈川県立横須賀高等学校)卒業。1942年(昭和17年)京都大学農学部卒業。農林省から三重県秘書課長、企業庁長、三重県副知事を歴任。1971年(昭和46年)9月、副知事を退任した。 退任後は三重テレビの副社長となった。その後、1972年(昭和47年)、次期衆院選に旧三重1区から民社党公認で立候補することを表明した。しかし、知事の田中覚が同じ三重1区から立候補を表明。これを受け、急遽離党して三重県知事選挙に立候補することになった。
鈴木 祥蔵(すずき しょうぞう、1919年2月17日 - 2… 鈴木 祥蔵(すずき しょうぞう、1919年2月17日 - 2009年7月30日)は、日本の教育学者。関西大学名誉教授。専門は教育哲学、部落解放教育。部落解放教育運動の全国的指導者で、教職員組合運動や幼児教育運動などにも影響を与えた。 宮城県白石市生まれ。1943年京都帝国大学文学部哲学科卒業。同大学大学院に入学するが、兵役のため休学、中国東北部に派遣され、敗戦後はシベリア抑留を経験。復員後の1949年京都大学大学院に復学。1951年同大学院教育学研究科退学、関西大学文学部助教授、1957年同教授。1967年の教育学科創設の中心となり、文学部長、部落問題委員会委員長、部落問題研究室(1974年創設、1985年人権問題研究室に改組)初代室長を歴任。
直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - … 直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - 2019年2月2日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1969年)。日本古代史研究を代表する研究者。 1919年、兵庫県神戸市で生まれた。1936年、兵庫県立第一神戸中学校を卒業。1938年、第一高等学校文科乙類へ入学。1941年に第一高等学校を卒業し、 京都帝国大学文学部史学科に進んだ。太平洋戦争の時局悪化に伴い、1943年に京都帝国大学文学部国史学科を卒業。卒業後は、海軍土浦海軍航空隊に入隊した。 1945年、終戦により復員。最終的な階級は海軍中尉であった。翌1946年、京都帝国大学特別研究生として研究の道に戻った。
堀内 宗心(ほりのうち そうしん、1919年1月20日 - … 堀内 宗心(ほりのうち そうしん、1919年1月20日 - 2015年5月27日)は、表千家の茶人。 京都府京都市出身。堀内家・10代堀内宗完・不仙斎の三男、本名吉彦。1944年京都帝国大学理学部卒業、同副手。1946年2月長兄・幽峯斎宗完死去により長生庵を継ぎ、同年4月 表千家不審菴入門、内弟子として表千家第13代家元・即中斎千宗左に師事。同年12月建仁寺竹田益州より兼中斎の斎号を受ける。1953年12代堀内宗完を襲名。1997年甥の堀内國彦が宗完を継ぎ、宗心を名のる。1999年表千家家元より皆伝を受ける。2015年5月27日、前立腺癌のため死去。
竹内 良知(たけうち よしとも、1919年1月10日 - 1… 竹内 良知(たけうち よしとも、1919年1月10日 - 1991年8月22日)は、日本の哲学者。関西大学名誉教授。 大分県出身。京都帝国大学卒。旧制松本高等学校教授、戦後は名古屋大学助教授、1977年関西大学教授。1989年定年退任。スピノザ、西田幾多郎を研究、戦後はマルクス主義に傾いた。
梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 200… 梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 2008年5月21日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党参議院議員(3期)。兵庫県神戸市出身。1990年勲一等瑞宝章受章。 1942年京都帝国大学農学部農林工学科卒業後、農林省に入省。農地局建設部長を退官後の1971年、参議院議員選挙に全国区から全国土地開発事業団を支持団体に自民党公認で出馬し初当選。 なお、この選挙を通じて選挙違反で関係者が17人逮捕されたほか、岡山県和気町議会副議長、町議員ら3人が被供応(料亭で梶木派関係者からもてなしを受けたもの)、文書頒布による選挙違反の疑いで逮捕されている。 その後比例代表区に回り連続当選3回。自民党内では佐藤栄作→田中角栄→竹下登派に所属し、大蔵政務次官(三木武夫内閣)、環境庁長官(第1次中曽根内閣)、自民党参議院幹事長などを歴任した。
鈴木 照雄(すずき てるお、1919年 - 2008年5月9… 鈴木 照雄(すずき てるお、1919年 - 2008年5月9日)は、日本の哲学研究者、大阪市立大学名誉教授。ギリシア哲学専攻。プラトン「饗宴」の訳者である。 静岡県生まれ。1942年、京都帝国大学卒業、大学院修了。関西大学教授。大阪市立大学教授。1981年、定年退官、名誉教授、神戸学院大学教授。1988年、『ギリシア思想論攷』で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。1991年、神戸学院大特任教授。
金 宅述(キム・テクスル、朝鮮語: 김택술/金宅述、1918… 金 宅述(キム・テクスル、朝鮮語: 김택술/金宅述、1918年12月2日 - 1981年10月28日)は、大韓民国の公務員、政治家、実業家。第2・3代韓国国会議員。本貫は道康金氏(朝鮮語版)、別名は春江。 日本統治時代の全羅北道井邑郡七宝面(現・井邑市)出身。中央大学法学部、京都帝国大学(現・京都大学)経済学部卒。全羅北道労働課長、大韓労働総連盟全羅北道副委員長などを歴任し、1950年の第2代総選挙に井邑乙選挙区より大韓労働総連盟所属で出馬して初当選した。第3代国会議員の退任以降は全羅商工社、全南商工新報社、大韓旅客自動車株式会社の社長を歴任し、1967年頃は民主共和党に所属しながら韓国貨物車会社の社長を務めた。
小野 義一郎(おの ぎいちろう、1918年〈大正7年〉11月… 小野 義一郎(おの ぎいちろう、1918年〈大正7年〉11月2日 - 2007年〈平成19年〉11月4日)は、日本の実業家、工学者、陸軍軍人。工学博士(京都大学・1970年)。小野測器創業者。 1918年、日本統治下の朝鮮半島平安北道新義州(現在の朝鮮民主主義人民共和国新義州市)に生まれる。旅順工科大学予科、旅順工科大学電気工学科卒業。1942年4月、陸軍兵技中尉任官。最終階級陸軍技術大尉で終戦を迎える。 戦後、1954年、小野測器製作所を設立。1957年、会社を株式会社に改組し社長に就任。1970年11月24日、京都大学工学博士(論文博士、機械工学科)。1983年、「微小角変位のディジタル変換とそのトルク計への応用」で、計測自動制御学会技術賞を受賞。
岡庭 益男(おかにわ ますお、1918年10月8日 - 19… 岡庭 益男(おかにわ ますお、1918年10月8日 - 1998年9月24日)は、日本の経営者。住友倉庫社長、会長を務めた。兵庫県出身。長女は写真家の岡庭加奈(聖心女子大学英文科卒業)。 1941年に京都帝国大学法学部を卒業し、1942年に住友倉庫に入社。1966年11月に取締役に就任し、1971年5月に常務、1974年11月に専務、1976年6月に副社長を経て、1981年6月には社長に就任。1987年6月に会長に就任。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1988年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1998年9月24日心不全のために死去。79歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 19… 福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 1998年1月9日)は、日本の化学者。京都大学・京都工芸繊維大学名誉教授。日本学士院会員、ローマ教皇庁科学アカデミー会員、全米科学アカデミー外国人客員会員。工学博士。奈良県奈良市出身(大和郡山市出身の説もある)。大阪市西成区育ち。
松尾 保司(まつお やすじ、1918年(大正7年)9月28日… 松尾 保司(まつお やすじ、1918年(大正7年)9月28日 - 2015年(平成27年)5月9日 )は、日本の銀行家。七十七銀行頭取を務めた。 岐阜県出身。1942年に京都帝国大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。外為局調査役、高松、福岡各支店次長、青森支店長を歴任。 1965年10月、七十七銀行に迎えられ、常務に就任。1967年4月に専務、1972年4月に副頭取、1982年4月には頭取に昇格。1987年4月に常任相談役に退き、1992年4月に非常勤相談役。 2015年5月9日、誤嚥性肺炎のため死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
片山 光生(かたやま てるお、1918年(大正7年)9月27… 片山 光生(かたやま てるお、1918年(大正7年)9月27日 - 1985年(昭和60年)8月16日)は、日本の建築家。官庁営繕と民間の建築家として活躍。建設省近畿地方建築局時代の奈良県庁舎が代表作。 名古屋市生まれ。愛知県立第五中学校、奈良中学校、旧制第六高等学校(岡山)を経て、1943年京都帝国大学工学部卒業。海軍に入り、高知で終戦を迎える。 1946年以降、運輸技官、建設技官として高松、大阪に赴任。1956年以降、建設省近畿地方建設局(課長職)、関東地方建設局(同)、中国地方建設局(部長職)を経て、1969年、建設大臣官房庁舎営繕部建築課長。 1973年に退官し、京都の内藤建築事務所の代表取締役社長に就任。
杉村 敏正(すぎむら としまさ、1918年9月26日 - 2… 杉村 敏正(すぎむら としまさ、1918年9月26日 - 2011年9月13日)は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士(京都大学・1982年1月23日)(学位論文「法の支配と行政法」)。京都大学名誉教授。 1918年(大正7年)大阪府出身。1939年(昭和14年)大阪高等学校 (旧制)文科を卒業後、京都大学政治学科へ入学。卒業後は、同大助手を経て1947年(昭和22年)助教授、1954年(昭和29年)京都大学法学部教授に就任。 その後は京都大学法学部長・大学院法学研究科長(在任:1972年10月22日~1974年10月21日)、龍谷大学法学部教授、宮崎産業経営大学法学部教授を務めた。国民主権・平和・人権尊重を基調とする法理論体系の構築に取り組んだ。