村田 昇(むらた のぼる、1926年5月5日 - 2017年… 村田 昇(むらた のぼる、1926年5月5日 - 2017年3月28日)は、日本の教育学者、滋賀大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1951年広島文理科大学教育学科卒。「シュプランガー政治教育思想の研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。滋賀大学学芸学部講師、助教授、教育学部教授。1990年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授。滋賀オペラ協会会長、大津管弦楽団指揮者。
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寺西 忠成(てらにし ただしげ、1926年4月25日 - 1… 寺西 忠成(てらにし ただしげ、1926年4月25日 - 1999年1月14日)は、広島県広島市出身の元サッカー選手・サッカー指導者。元八幡製鉄サッカー部監督、東福岡高等学校コーチ。 広島一中(現広島県立国泰寺高校)から広島高等師範学校(現広島大学)を経て1949年、当時サッカー不毛の地といわれていた九州の八幡製鉄サッカー部に入団。まだ発足二年目の八幡製鉄サッカー部は同好会レベルで、企業内スポーツ部がまだレクリエーションとしか見られていなかった時代、引き抜きや本社転勤話を断り、無名だったチームの主力フォワード(FW)として活躍した。入社二年目の1951年監督就任。同年日本代表候補となるが、社用が忙しくなり合宿に参加できず、この年インド・ニューデリーで第1回が行われたアジア競技大会には出場出来なかった。
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蓼丸 博文(たでまる ひろふみ、1925年〈大正14年〉12… 蓼丸 博文(たでまる ひろふみ、1925年〈大正14年〉12月 - )は、日本の教育者、文部省職員。 国立オリンピック記念青少年総合センター元次長。国立吉備少年自然の家(現:国立吉備青少年自然の家)初代所長。福山大学元学務局長。 広島県出身。福山市在住。1951年(昭和26年)広島文理科大学を卒業し、シカゴ大学大学院に留学。1961年(昭和36年)7月、日本ユネスコ国内委員会事務局に勤務。1963年(昭和38年)4月、日本ユネスコ国内委員会科学課社会科学係長。 1966年(昭和41年)6月、名古屋大学学生課長。1967年(昭和42年)10月、文化庁国際文化課専門員。1969年(昭和44年)4月、文化庁芸術課長補佐。
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小林 重順(こばやし しげのぶ、1925年10月10日 - … 小林 重順(こばやし しげのぶ、1925年10月10日 - 2010年5月9日)は、デザイン研究者。 愛媛県今治市に生まれる。旧制広島工業専門学校電気工学科(現広島大学)を卒業後、早稲田大学第二文学部、同大学院で心理学を修了。東洋美術学校、武蔵工業大学講師などを経て、1966年、(株)日本カラーデザイン研究所を創設、代表取締役に就任。1973年以降1997年迄、国際色彩学会で研究発表、国内外の色彩研究者と広く交流を重ねる。1978年、カラーイメージスケール特許公開、1982年、特許認可。論文発表、講演活動、執筆などを通じ、色の見方や配色テクニック、カラーイメージスケールの啓蒙、普及に努める。 2002年日本色彩学会名誉会員に推挙。
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茶園 義男(ちゃえん よしお、1925年7月28日 - 20… 茶園 義男(ちゃえん よしお、1925年7月28日 - 2010年代)は、日本の歴史家、昭和史研究家。 徳島県美馬郡(のち三好郡を経て三好市)西祖谷山村出身。広島文理科大学哲学科卒。同大学院倫理学研究科四修。阿南工業高等専門学校教授。パシフィック・ウエスタン大学名誉教授、文学博士(未確認)。平成昭和研究所を主宰、戦争犯罪を研究。1994年、TBSテレビ「わたしは貝になりたい」の考証主幹。 没年は不詳だが、阿南市の広報誌で2010年3月にインタビューを受けた時点では84歳で存命だった。その後、徳島新聞の2015年10月25日付記事では「戦犯問題の著名な研究者だった故茶園義男さん」と記述されており、この間に死去したことが知られる。
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ハジ・アブドル・ラザク・ビン・アブドル・ハミド (マレー語:… ハジ・アブドル・ラザク・ビン・アブドル・ハミド (マレー語: Haji Abdul Razak Bin Abdul Hamid、1925年7月7日 - 2013年7月18日)は、マレーシアの教育者。 広島市への原子爆弾投下で被爆した南方特別留学生。マレーシア国内でマレー語教育、ルックイースト政策下で日本語教育に尽力した。息子が3人おり、その一人がズルキフリ・アブドゥル・ラザク(マレー語版)。 イギリス領マラヤのペナン島ジョージタウン出身。10歳のときに父親を亡くす。そこで母とともに兄がいるセランゴール州クアラルンプールへ移り住む。そこで母も亡くしている。 クアラルンプールの中学校を卒業後、1941年クアラルンプールの小学校で補助教員として勤務する。
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稲田 浩二(いなだ こうじ、1925年6月7日 - 2008… 稲田 浩二(いなだ こうじ、1925年6月7日 - 2008年4月3日)は、日本の国文学・民俗学者、京都女子大学名誉教授。 岡山県出身。広島文理科大学文学部卒業。親和女子大学助教授、京都女子大学助教授、教授、1991年定年、名誉教授、梅花女子大学教授。昔話の調査、採集に携わり40数年、6万話にのぼる話を収集、『日本昔話通観』全31巻としてまとめられた。妻は絵本作家の稲田和子。 2008年4月3日、肺炎のため死去。
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坪井 直(つぼい すなお、1925年〈大正14年〉5月5日 … 坪井 直(つぼい すなお、1925年〈大正14年〉5月5日 - 2021年〈令和3年〉10月24日)は、日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原爆被害者団体協議会理事長。広島市名誉市民。元中学校教諭。 1925年、広島県音戸町(現・呉市)生まれ。 広島市に原爆が投下された1945年8月6日、広島工専(現在の広島大学工学部)への通学途中、爆心地から1.5kmの地点で直接被爆し、顔や両腕に大やけどを負いながら生き延びた(原爆投下から3時間後、中国新聞カメラマン松重美人が御幸橋西詰めの欄干付近を撮影した写真に、救援を待ちながら坐っている坪井の姿が写っている)。NHKスペシャル『きのこ雲の下で何が起きていたのか』(2015年8月6日放送)でその時の様子を語っている。
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河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011… 河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011年6月5日)は、日本の倫理学者。広島大学名誉教授。 鳥取県八頭郡智頭町出身。1951年広島文理科大学哲学科卒業、同助手。1962年「シェリングにおける現実的世界の実践的構造」で広島大学文学博士。1965年広島大助教授、1974年教授、文学部長、1988年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授、1989年副学長、1990年学長。2004年退任。同年秋、瑞宝中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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兼頭 吉市(かねとう よしいち、1925年(大正14年) -… 兼頭 吉市(かねとう よしいち、1925年(大正14年) - )は、日本の裁判所調査官、青森大学名誉教授。愛媛県生まれ。広島文理科大学卒業。東京家庭裁判所主任調査官(科学調査室長)、山形家庭裁判所・横浜家庭裁判所次席調査官、富山家庭裁判所首席調査官、青森大学社会学部教授。1996年定年、名誉教授。交通事故、少年非行などについて著述がある。
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沖原 豊(おきはら ゆたか、1924年9月1日 - 2004… 沖原 豊(おきはら ゆたか、1924年9月1日 - 2004年8月16日)は、日本の教育学者。 ハワイ生まれ、山口県出身。1939年山口師範学校入学、1944年熊本陸軍予備士官学校に入学。天草で敗戦を迎え、1951年広島文理科大学教育学科卒。1968年「日本国憲法の教育規定に関する研究」で広島大学より教育学博士の学位を取得。1953年広島大学教育学部助手、講師、1961年助教授、1972年教授、1984年教育学部長、85年学長。名誉教授。1972年総理府青年の船団長を務めた。1981年日本ユネスコ国内委員。広島文理大での学生時代に長田新による『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』の編集に協力した。
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添田 喬(そえだ たかし、1924年(大正13年)2月10日… 添田 喬(そえだ たかし、1924年(大正13年)2月10日 - )は日本の工学者。徳島大学名誉教授。広島文理科大学数学学科数学専攻卒業。 1949年に広島文理科大学数学学科数学専攻を卒業。1962年に京都大学で工学博士を授与。1978年に徳島大学工学部長に就任。1982年から1988年まで徳島大学学長・徳島大学工業短期大学部学長を務めた。 1986年から1990年まで日本学術会議会員、1988年から2000年まで徳島文理大学学長を歴任。2002年から徳島工業短期大学学監に就任、2006年から2011年まで倉敷芸術科学大学学長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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吉本 均(よしもと ひとし、1924年1月15日 - 199… 吉本 均(よしもと ひとし、1924年1月15日 - 1996年3月29日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。教育学博士。 広島県比婆郡東城町(現・庄原市)生まれ。1952年(旧制)広島文理科大学教育学科(現・広島大学)を卒業。1956年広島大学教育学部に着任。そのころ、ペスタロッチ研究者長田新のもとでペスタロッチ全集の編集翻訳作業に携わる。日本における教育方法学の確立に貢献したといわれる。1987年に広島大学を退官。その後は、神戸女子大学教授となった。 1996年3月29日、脳梗塞のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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横山 英(よこやま すぐる、1924年(大正13年) - 2… 横山 英(よこやま すぐる、1924年(大正13年) - 2006年(平成18年)1月6日)は、中国史学者。兵庫県生まれ。広島文理科大学卒業、1957 - 58年ハーヴァード大学東洋研究所外来研究員。1975年「中国初期立憲思想の研究」で名古屋大学法学博士、広島大学文学部助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。
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本郷 次雄(ほんごう つぐお、1923年11月1日 - 20… 本郷 次雄(ほんごう つぐお、1923年11月1日 - 2007年4月2日)は、日本の菌類学者。滋賀大学名誉教授。理学博士(京都大学)。専門は菌類分類学。 滋賀県出身。1946年、広島文理科大学生物学科卒業。大学では、堀川芳雄の指導を受ける。 1951年、滋賀大学学芸学部助手。講師、助教授を経て、1968年、滋賀大学教育学部教授。1989年、名誉教授。この間、滋賀大学教育学部附属小学校長や同附属幼稚園長事務取扱併任。元日本菌学会会長(1987年~1989年)。アメリカ菌学会名誉会員。 ハラタケ目を中心に、日本の多くのキノコを分類し学名をつけた。その功績により、2003年に第13回南方熊楠賞(自然科学の部)を受賞した。
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池田 諭(いけだ さとし、1923年〈大正12年〉5月18日… 池田 諭(いけだ さとし、1923年〈大正12年〉5月18日 - 1975年〈昭和50年〉6月9日)は、文筆家。 広島県生まれ。広島文理科大学卒業。高校教諭、雑誌編集などを経て、文筆活動に入る。
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加計 勉(かけ つとむ、1923年〈大正12年〉3月27日 … 加計 勉(かけ つとむ、1923年〈大正12年〉3月27日 - 2008年〈平成20年〉4月30日)は、日本の教育者であり実業家、学校の設置者。広島県出身。本人は実業の立場および現場教員への配慮から自らを教育者とする事をよしとせず「教育実業家」を名乗った 加計学園グループの創始者。同学園および関連学園の設立した各学校の初代理事長・初代学長・初代総長。学校法人加計学園および学校法人順正学園の名誉理事長、名誉総長。学校法人英数学館の名誉理事長。 設立した学校や学園の詳細は加計学園グループおよび各学校の項を参照。 1923年、広島県賀茂郡三津町(のち豊田郡安芸津町三津、現在の東広島市安芸津町)に10人きょうだいの末っ子として生まれる。
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磯貝 英夫(いそがい ひでお、1923年1月2日 -2016… 磯貝 英夫(いそがい ひでお、1923年1月2日 -2016年1月13日)は、日本近代文学の研究者。広島大学名誉教授、ノートルダム清心女子大学名誉教授。 愛知県生まれ。広島文理科大学卒業。広島大学附属高等学校教諭、1957年広島女子短期大学講師、1960年助教授、1962年広島大学文学部助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、ノートルダム清心女子大学教授、のち退職し名誉教授。近現代日本文学を研究した。
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長井 和雄(ながい かずお、1923年 - 2008年)は、… 長井 和雄(ながい かずお、1923年 - 2008年)は、日本の教育学者、東京学芸大学名誉教授。 奉天生まれ。第六高等学校、1947年広島文理科大学卒業。高校はドイツ語科であったため、英語よりもドイツ語に堪能だった。したがって、ドイツの思想家・教育学者を研究対象にしていた。1964年「エドゥアルト・シュプランガーの教育思想体系」で広島大学教育学博士。神奈川大学助教授、教授、1970年東京学芸大学教授、1987年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授。1992年退職。1992年~94年帝京大学文学部教育学科教授。
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小倉 貞秀(おぐら さだひで、1922年(大正11年)11月… 小倉 貞秀(おぐら さだひで、1922年(大正11年)11月29日 - 2013年(平成25年)12月11日)は、日本の哲学研究者。 愛知県豊川市生まれ。1947年広島文理科大学卒、1949年同助手、1954年広島大学文学部助教授、1968年教授。1965年「カント倫理学研究」で文学博士。1986年定年退官、名誉教授。1999年勲三等旭日中綬章受勲。
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岡村 繁(おかむら しげる、1922年7月23日 - 201… 岡村 繁(おかむら しげる、1922年7月23日 - 2014年12月26日)は、古典中国文学者、九州大学名誉教授。 滋賀県甲賀郡甲賀町生まれ。1947年広島文理科大学文学科卒、同副手、助手、広島大学文学部助手、兵庫県立星陵高等学校教諭、1959年名古屋大学文学部助手、1962年「後漢三国の評論に関する研究 とくに人物評論を中心として」で名大文学博士。 1964年東北大学教養部助教授、1966年九州大学文学部助教授、1968年教授、1972-1974年文学部長、1977-1980年附属図書館長、1986年定年退官、名誉教授、久留米大学文学部教授、1992年文学部長。1997年、勲二等瑞宝章受章。
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部谷 孝之(へや たかゆき、1922年7月10日 - 200… 部谷 孝之(へや たかゆき、1922年7月10日 - 2004年10月20日)は、昭和期における日本の政治家である。民社党衆議院議員(2期)、民社党山口県議会議員(3期)を務めた。 広島県出身。1943年9月、旧制広島高等工業学校(現・広島大学工学部)工作機械学科を卒業。同年10月に海軍予備学生となった。1946年6月に徳山曹達に入社した。同年12月には同社労働組合青年部長専従となった。1955年4月に、受田新吉の秘書となった。1960年、民社党結党に参画した。1967年4月に山口県議会議員選挙に民社党公認で徳山市選挙区から立候補して、初当選した。1975年4月、山口県議会議員選挙に徳山市・都濃郡選挙区から立候補して再選を果たした。
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上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 -… 上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 - 2011年5月21日)は、日本の農芸化学者。九州大学名誉教授。専門は発酵工学、醸造工学。 福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館、広島高等工業学校を経て、1945年九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業する。 1945年九州帝国大学副手、1947年九州大学助手、1959年助教授を経て、1967年教授に就任する。1958年農学博士の学位を得る。 1985年九州大学を退官し名誉教授となり、同年熊本工業大学教授に就任する。 1986年紫綬褒章、1992年勲三等旭日中綬章を受章。
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永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 20… 永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 2012年10月26日)は、日本の比較教育学者、社会科教員。 大阪市生まれ。広島高等師範学校、学徒動員をへて1945年広島文理科大学卒、広島大学附属中学校・高等学校教諭、広島大学教育学部助教授、84年「国際理解教育に関する研究 国際的協同研究をとおして」で広島大学より教育学博士の学位を取得。定年退官、名誉教授、鳴門教育大学教授。
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新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 20… 新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 2014年3月24日)は、日本の教育学者・社会学者。学位は、文学博士(広島大学・1961年)。広島大学名誉教授、武庫川女子大学名誉教授。 神戸市出身。第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)・広島高等師範学校を経て、1942年10月広島文理科大学に入学。卒業直前の1945年8月6日に広島市への原子爆弾投下により被爆。同年9月広島文理科大学教育学科を卒業。稲富栄次郎に師事。卒業の翌日、広島女子高等師範学校教諭に就任、翌年広島高師助教授に転任。1951年、広島大学教育学部助教授に配置換えとなり、1971年同教授。1968年からは広島大学助教授併任のまま文部省社会教育官として3年間つとめ、広島大学では教育学部長・大学教育研究センター長などの役職を歴任。
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上寺 久雄(かみでら ひさお、1920年11月21日 - 2… 上寺 久雄(かみでら ひさお、1920年11月21日 - 2018年5月19日)は、日本の教育学者。兵庫教育大学名誉教授。本籍は広島市。 広島大学大学院博士課程。1964年「デューイ教育哲学の根本問題 質的経験の形成理論」で広島大教育学博士。小学校、中学校、高等学校教諭ののち、大阪市教育研究所所長、大阪教育大学教授、1984年定年、兵庫教育大学学長、1992年退任。文部省「高等学校教育の改革の推進に関する会議」座長。聖徳学園岐阜教育大学学長。1999年、岐阜県公文書公開審査会長として、いじめに関する公文書非公開を妥当と判断した。1997年、勲二等瑞宝章受章。没後従七位から従四位に進階。
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野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 201… 野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 2016年5月15日)は、日本の国語教育学者、広島大学名誉教授。愛媛県大洲市出身。
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越智 春美(おち はるみ、1920年4月11日 - 2001… 越智 春美(おち はるみ、1920年4月11日 - 2001年5月2日)は、日本の蘚苔類学者。ハリガネゴケ科の分類学的研究を行った。 北海道枝幸郡頓別村(現、浜頓別町)に生まれた。北海道旭川師範学校で学んだ。北海道時代に植物採集を行い、1100枚の標本を作った。1939年に広島高等師範学校に進み、1943年に広島文理科大学(広島大学の前身)生物学科に入学した。卒業研究では、戦時下の研究で、ヌルデに、ヌルデシロアブラムシ(Schlechtendalia chinensis)がに寄生してできる、虫こぶ(虫癭)をタンニンの増産のために増やす研究を行い、この研究でアブラムシの生態とコケの関係からコケの研究に入ることになった。
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石坂 富司(いしざか とみじ、1919年8月17日 - )は… 石坂 富司(いしざか とみじ、1919年8月17日 - )は、日本の教育者。東京都立八王子東高等学校初代校長。群馬県沼田市出身。勲四等瑞宝章。専門分野は歴史。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月2… 頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月21日 - 2024年4月7日)は、日本の化学工学者である。広島大学名誉教授。 広島大学学長、広島県立大学学長、比治山大学学長、日本伝熱学会副会長などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 広島県生まれ。1937年広島県立広島第一中学校(のちの広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1941年広島高等工業学校(のちの広島大学工学部)機械工学科卒業。 1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)化学工学科卒業。東京工業大学の研究助手などを経て、1951年文部教官任官、広島大学講師。1955年広島大学助教授。 1961年には東京工業大学から工学博士の学位を取得。
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細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 199… 細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 1996年1月1日)は、日本の化学者、仏教学研究者。 福岡市生まれ。1944年広島文理科大学化学科卒業、広島師範学校助教授、47年教授。1949年福岡学芸大学久留米分校助教授。東京大学へ内地留学し、1955年「浅海底土の化学的研究」で東京大学理学博士。58年福岡学芸大学教授、1968年東京水産大学教授併任。75年福岡教育大学を退職、名誉教授。 「ひかり幼育園」を設立し、仏法に基づく幼児教育を行い、特に浄土真宗系の仏教研究を進めた。92年勲三等瑞宝章受勲。
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石田 寛(いしだ ひろし、1919年3月1日 - 2019年… 石田 寛(いしだ ひろし、1919年3月1日 - 2019年1月22日)は、日本の地理学者、広島大学名誉教授。岡山県出身。 岡山県熊山村(後の熊山町→赤磐市)に生まれ、岡山県第二岡山中学校(後の岡山県立岡山操山中学校・高等学校の前身)から広島高等師範学校地歴科に進み、1940年3月に文科第三部乙を卒業、さらに京都帝国大学文学部で地理学を学んだ。1942年9月、文学部史学科地理学専攻を繰り上げ卒業後、大学院に進んだが、召集を受け10月に中部第48部隊(歩兵第10連隊留守隊)に入隊した。1944年8月兵科見習士官として陸軍中央通信調査部に配属され、アメリカ軍の暗号解読に従事した。1945年1月陸軍少尉に昇進したが、敗戦を受け、9月に召集解除となった。
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松岡 久人(まつおか ひさと、1918年8月5日 - 200… 松岡 久人(まつおか ひさと、1918年8月5日 - 2009年2月12日)は日本の歴史家。広島大学名誉教授。専攻は日本中世史。 大分県出身。広島高等師範学校を経て1942年10月に廣島文理科大学史学科国史学専攻を卒業。1949年の広島大学発足時から国史学教室助手となり、1954年に講師、1958年に助教授、1972年に教授となった。広島史学研究会理事長、日本学術会議会員も歴任した。 中世史研究者として厳島神社や大内氏の研究をすすめ、史料編集を行った。1972年に「大内氏領国制の展開」により広島大学から文学博士の学位を授与される[要出典]。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
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村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 20… 村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 2002年2月9日)は、日本の教育学者、郷土史家。元広島大学附属福山中学校・高等学校教諭。勲四等旭日小綬章受章。後に従四位に叙せられた。 「東洋のポンペイ」と呼ばれる草戸千軒遺跡の発掘に尽力した。個人的な調査と資料をもとに草戸千軒集落の発掘と保存を粘り強く行政に訴えつづけ、1961年に福山市が行った発掘調査に続き、1973年に広島県により調査所が、1976年調査研究所を発足させるに至った。これ以降、1990年までに行われた全面的な調査と研究が継続され、草戸千軒遺跡の全貌が明らかになり、広島県立歴史博物館の創設をもたらすことにもなった。 また、姫谷焼について、日本陶磁協会誌『陶説』を場として、当時まだ地方窯(じかたよう)としか見られていなかった色絵姫谷焼の貴重性を広く世に広めた。
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今堀 宏三(いまほり こうぞう、1917年(大正6年)11月… 今堀 宏三(いまほり こうぞう、1917年(大正6年)11月20日 - 2001年(平成13年)2月20日)は、日本の生物学者。大阪府大阪市出身。広島文理科大学卒業。父は教育者・心理学者の今堀友市、兄は東洋史学者・今堀誠二、弟は生化学者・今堀和友。
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宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 20… 宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 2003年12月31日)は、日本の歴史学者・家政学者・家庭科教育学者。 滋賀県出身。1941年、広島文理科大学史学科国史学専攻に入学し、1944年に卒業。兵役ののち、1947年から京都大学大学院在籍。1950年滋賀県立短期大学助教授、1953年大阪学芸大学助教授、大阪教育大学(校名変更)教授、1983年定年退官、名誉教授。1961年「太閤検地論」により広島大学から文学博士の学位を授与される。1984年羽衣学園理事長、羽衣学園短期大学学長。
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吉田 弘重(よしだ ひろしげ、1916年(大正5年)10月1… 吉田 弘重(よしだ ひろしげ、1916年(大正5年)10月10日 - 2014年5月)は、日本のアメリカ文学者、広島大学名誉教授。広島県佐伯郡生まれ。広島文理科大学卒、1967年「シンクレア・ルイスの言語の構造と組織」で広島大学文学博士。広島大学文学部助教授、教授、1980年定年退官、名誉教授、広島修道大学教授、ノートルダム清心女子短期大学教授。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
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鈴木 重吉(すずき じゅうきち、1916年9月14日 - 2… 鈴木 重吉(すずき じゅうきち、1916年9月14日 - 2002年11月30日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 北海道利尻島出身。1945年広島文理科大学卒、北海道庁通訳官、小樽商業学校教諭、札幌文化専門学院(現・札幌学院大学)教師、1947年北海道帝国大学文学部助手、1949年北海道大学法学部講師、1951年同文学部講師、1952年助教授、1965年「ホーソーン研究」で立教大学文学博士。1968年教授、1980年定年退官、名誉教授、立正大学教授、1986年定年退職。1992年秋、勲三等旭日中綬章受勲。
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村上 孝太郎(むらかみ こうたろう、1916年(大正5年)6… 村上 孝太郎(むらかみ こうたろう、1916年(大正5年)6月29日 - 1971年(昭和46年)9月8日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員(1期)。位階は従三位、勲等は勲二等。 本籍地は愛媛県越智郡宮窪村(宮窪町を経て現・今治市)。東京で村上常太郎の長男として生まれる。広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属中学校)、旧制第一高等学校を経て、1939年(昭和14年)東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大在学中の1938年(昭和13年)10月、高等試験行政科試験に合格。卒業後は大蔵省に入省。配属先は専売局長官官房書記兼大臣官房文書課。神戸税関総務部長、神戸税関業務部長兼税関長官房主事を経て1942年(昭和17年)1月、大蔵事務官・理財局勤務となり第四艦隊司令部付が発令されラバウルに赴任。
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中村 末男(なかむら すえお、1915年11月18日 - 1… 中村 末男(なかむら すえお、1915年11月18日 - 1996年3月9日)は、日本の物理学者、物性学者。鹿児島大学第4代学長・名誉教授、大分大学(旧)第5代学長、鹿児島女子大学(志學館大学)第3代学長。理学博士。専門は固体物性学。 長崎県出身。広島文理科大学(広島大学の前身)理学部物理学科へ1939年春に入学し、1941年12月に卒業。勝山小学校訓導兼旧制長崎県立長崎中学校物理学非常勤講師を経て、1944年、旧制第七高等学校造士館教授に就任。勤労動員で長崎の三菱工場へ行って、原子爆弾に被爆し、偶然トンネルに入っていたため自身は一命をとりとめる。 学制改革により、1950年3月31日、新制鹿児島大学文理学部助教授に就任。
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西治 辰雄(にしじ たつお、1915年5月1日 - 1988… 西治 辰雄(にしじ たつお、1915年5月1日 - 1988年8月1日)は、統計学者、数学者、商学博士。関西学院大学名誉教授、第九代関西学院大学学長、元関西学院大学商学部長。 数理統計学、オペレーションズ・リサーチを経済、経営の数量化の研究において数多くの研究、業績を残した。兵庫県生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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今堀 誠二(いまほり せいじ、1914年10月27日 - 1… 今堀 誠二(いまほり せいじ、1914年10月27日 - 1992年10月9日)は、中国史学者、原水爆禁止運動家。父は教育者・心理学者の今堀友市、弟は生物学者・今堀宏三、生化学者・今堀和友。
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横山 和夫(よこやま かずお、1914年〈大正3年〉10月2… 横山 和夫(よこやま かずお、1914年〈大正3年〉10月2日 - 1999年〈平成11年〉5月13日)は、日本の官僚、政治家。横須賀市長(1973年 - 1993年、5期20年)。位階は従四位。 広島県比婆郡東城町(現・庄原市)出身。1942年(昭和17年)広島文理科大学卒業。翌1943年(昭和18年)高文行政科合格後、消防庁総務課長、自治庁官房調査官、滋賀県教育長を歴任した。1961年(昭和36年)10月20日に横須賀市助役となった。長野正義市長下で3期務め1972年(昭和47年)、米国側から出された空母ミッドウェイの母港化要望に対して、外務省その他関係機関との交渉を担当し、米軍提供水域の返還などを条件に、米軍母港化受け入れ決定の中心的役割を果たした。
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野澤 晁(のざわ あきら[要出典]、1914年8月15日ー2… 野澤 晁(のざわ あきら[要出典]、1914年8月15日ー2000年5月13日[要出典])は、広島県出身のサッカー選手、日本代表選手(全日本)。フォワード。野澤正雄は実兄。 広島高等師範附属中学(現広島大学附属高校)から1933年、早稲田大学へ入学。早稲田大学ア式蹴球部で、川本泰三、堀江忠男、加茂健、加茂正五、西邑昌一らと関東大学リーグを四連覇、東京大学ア式蹴球部黄金期後の早稲田大学黄金時代に貢献した。 大学在学中の1934年には日本代表に選出され、第10回極東選手権大会(マニラ)出場。足を痛めていた川本に次ぐフォワードとして全3試合にフル出場。第2戦のフィリピン代表戦では、相手に胸を蹴られて肋骨が折れ、意識を無くすほどの重症を負ったが、逆転の決勝ゴールを叩き込むなど3試合3得点を決めた。
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花房 英樹(はなふさ えいじゅ/ひでき、1914年8月14日… 花房 英樹(はなふさ えいじゅ/ひでき、1914年8月14日 - 1998年1月9日)は、日本の漢文学者。京都府立大学名誉教授。 1914年、鳥取県鳥取市で生まれた。広島文理科大学大学院を修了。 1949年、西京大学助教授に就いた。後に教授昇格。1959年に校名変更となり、以降京都府立大学教授。1961年、学位論文『白氏文集の批判的研究』を広島大学に提出して文学博士号を取得。在職中は学部長も務めた。停年を迎え、名誉教授となった。その後は京都産業大学教授として教鞭をとり、図書館長も務めた。1985年に京都産業大学を退職。 1998年、肺炎のため死去。
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河合 正治(かわい まさはる、1914年5月10日 - 19… 河合 正治(かわい まさはる、1914年5月10日 - 1990年3月7日)は、日本の日本史学者。学位は文学博士。広島大学の名誉教授。専門分野は日本の中世史。 三重県鳥羽町に生まれる。1939年に広島文理科大学の史学科を卒業し、佐賀県女子師範学校の教員となり、愛知第二高等師範学校助教授・教授を経て、1946年9月に広島高等師範学校に赴任。同校の教授、広島大学文学部の助教授、教授。その後、1979年4月から1988年3月まで福山大学一般教育部教授を務めた。 中世武家社会の研究が専門であり、1965年1月25日付けで、博士論文「中世武家社会とその精神構造」で広島大学から文学博士の学位を授与される。その一方、廣島高等師範学校に赴任したことで、1947年以来数年間、魚澄惣五郎の指導を受け、共に瀬戸内海各地の実地調査を行い、毛利氏をはじめとする地域史研究にも取り組んだ。
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桝井 迪夫(ますい みちお、1914年(大正3年)5月4日 … 桝井 迪夫(ますい みちお、1914年(大正3年)5月4日 - 1992年(平成4年)6月11日)は、日本の英語学者・英文学者。 1914年、鳥取県生まれ。広島文理科大学で学び、1938年に卒業。卒業後は、広島高等師範学校教授に就いた。1945年被爆。 学制改革に伴い広島高等師範学校が1947年より広島文理科大学となると同大学助教授。1949年に広島文理科大学が広島大学に包摂されて以降は、同大学文学部教授。文学部長も務めた。1961年、学位論文『チョーサーの脚韻語の構造研究』を東京大学に提出して文学博士を取得。1978年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。 学界では、日本英文学会の評議員、理事を務めた。
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山﨑 芳樹(やまさき よしき、1914年(大正3年)4月8日… 山﨑 芳樹(やまさき よしき、1914年(大正3年)4月8日 - 2014年(平成26年)3月10日)は、広島県広島市出身の実業家。 マツダ5代目社長。元広島商工会議所会頭。元サッカー選手・東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)創設者、初代監督。 広島県安芸郡仁保島村大河(現・広島市南区北大河町)生まれ。生家は広島の旧家、父も技術者。 広島高等師範学校附属小学校(現広島大学附属小学校)5年生からサッカーを始め、広島県立第一中学校(現広島県立広島国泰寺高等学校)でもサッカー部に所属する。二浪した後、広島高等工業学校機械工学科(現広島大学工学部)に入学。 1938年(昭和13年)、東洋工業へ入社、以降生産技術畑を歩む。
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松岡利夫(まつおか としお、1914年1月18日ー1994年… 松岡利夫(まつおか としお、1914年1月18日ー1994年2月6日)は、日本の民俗学者。 奈良県出身。1947年広島文理科大学史学科卒、九州大学大学院修了(旧制)。公立学校教諭をへて、1951年山口大学人文学部助教授、教授、77年定年退官、名誉教授、山口女子大学教授、1979-89年岩国短期大学学長。89年秋、勲三等旭日中綬章受勲。
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後藤 陽一(ごとう よういち、1913年11月2日 - 20… 後藤 陽一(ごとう よういち、1913年11月2日 - 2002年3月17日)は、日本の歴史学者。専門は日本近世史。広島大学名誉教授、広島修道大学名誉教授。 大正2年(1913年)、熊本県に生まれる。昭和12年(1937年)、広島文理科大学を卒業。昭和15年(1940年)から1年間は旧制崇徳中学校歴史科嘱託教員。昭和18年(1943年)からは広島県立広島女子専門学校教授。昭和23年(1948年)から広島文理科大学助教授を務めた。昭和29年(1954年)から新制広島大学教養部教授。昭和49年(1974年)から昭和52年(1977年)まで広島大学大学総合科学部教授を務める。その後は、平成元年(1989年)まで広島修道大学教授を務める。
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