成島 和久(なるしま かずひさ、1941年度生まれ)は、東京… 成島 和久(なるしま かずひさ、1941年度生まれ)は、東京都出身の元野球選手。 東京都品川区出身で、品川区立大崎中学校、明治高校、明治大学を経て、社会人野球の日本コロムビアで野球選手として活躍した。明治高校では春、夏1度ずつ2度の甲子園出場を果たした。第40回全国高等学校野球選手権大会東京都代表決勝戦では、王貞治が投手だった早稲田実業学校と戦い、1対1で延長戦に入り、延長12回表に早稲田実業に4点を取られたが、その裏明治が5点を奪い劇的な逆転サヨナラ勝利で、甲子園出場を果たした。この時成島は2年生でショートを守っていた。王貞治は今でもこの時のことを生涯忘れられないと語っている。 卒業後は明治大学に入り、東京六大学野球で活躍し、東大戦でホームランも打っている。
浅川 征一郎(あさかわ せいいちろう、1941年 – )は、… 浅川 征一郎(あさかわ せいいちろう、1941年 – )は、太平書屋社長、編集者。斎田作楽の筆名でも、解題翻刻を手がける。 福岡県生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1963年明治大学商学部卒業。在学中より有光書房のアルバイトをしていた縁から同書房の社員として残り、高橋鉄・林美一らの知遇を得る。1977年、有光書房社主坂本篤の死去をきっかけに太平書屋を創立した。 近世江戸の軟派文学・狂歌狂詩・川柳などの稀書に光を当て、正確に解題・翻刻・校註した出版刊行の成果は高く評価されている。第1回岩瀬弥助記念書物文化賞を受賞。
大塚 和義(おおつか かずよし、1941年 - )は、日本の… 大塚 和義(おおつか かずよし、1941年 - )は、日本の文化人類学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員。専攻はアイヌ考古学・北方考古学・民族考古学・博物館学。 東京都出身。明治大学文学部(考古学)卒業後、立教大学大学院修士課程(民俗学)修了。埼玉県立博物館学芸員を経て、1976年に国立民族学博物館第一研究部助教授、1992年に同第五研究部(後に民族文化研究部)教授を経て、2005年3月末に定年退職。同年4月より、大阪学院大学国際学部部長・教授を2017年3月末まで務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
工藤 寛正(くどう ひろまさ、1941年 - )は、歴史家、… 工藤 寛正(くどう ひろまさ、1941年 - )は、歴史家、随筆家。 神奈川県川崎市生まれ。筆名・岩井寛。明治大学文学部史学科卒。雑誌・PR誌編集に携わり、雑誌『歴史と旅』(秋田書店)編集長を経て文筆業に。歌誌『藻』同人。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山本 洋子(やまもと ようこ、1941年 - )は、日本の脚… 山本 洋子(やまもと ようこ、1941年 - )は、日本の脚本家。 主に、記録映画の監督・劇映画・アニメ映画などの作品を手がける脚本家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
萱生 統(かよお みのる、1940年12月30日 - )は、… 萱生 統(かよお みのる、1940年12月30日 - )は、日本の経営者。エスエス製薬社長、会長を務めた。 神奈川県出身。1964年に明治大学政治経済学部を卒業し、同年にエスエス製薬に入社した。1984年に取締役、1994年6月に常務、1998年2月に専務、1999年7月に副社長を経て、2001年6月に社長に就任した。2005年6月に相談役に退いた。
今井 清二郎(いまい せいじろう、1940年〈昭和15年〉1… 今井 清二郎(いまい せいじろう、1940年〈昭和15年〉12月28日 - )は、日本の政治家。富岡市長を務めた。群馬県出身。 高校卒業後に東京ガス株式会社に就職し、夜学で明治大学商学部産業経営学科で学び、1965年に卒業。1969年にタルヤ建設に入社する(のち専務取締役)。その後、青年会議所での活動を経て、1991年9月8日の富岡市市長選に立候補する(当時50歳)。当時現職で3選をかけて立候補した広木康二との一騎打ちとなった。選挙戦は保守系同士の争いとなり、福田康夫、中曽根康弘両元総理大臣、小渕恵三自民党幹事長(当時)の3系列が入り混じる乱戦であったが、広木は小渕系と中曽根系の大半から支持を受け、「市政の継続」を訴え、3期目を「8年間の市政の集大成」として、工場の誘致実績や計画中の美術館、博物館の建設といったこれまでの成果を市民にアピールした。
辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 198… 辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 1989年4月25日)は、福井県敦賀市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。
加藤 誠(かとう まこと、1940年12月13日 - )は東… 加藤 誠(かとう まこと、1940年12月13日 - )は東京都出身の実業家、商社員。元伊藤忠商事株式会社代表取締役副社長。明治大学商学部卒業 1940年に東京で生まれる。1964年に明治大学商学部卒業後、伊藤忠商事へ入社する。主に繊維・アパレル部門で活動し、ニューヨーク駐在などを経て、1995年にアパレル部門長、取締役となる。2001年に当時社長であった丹羽宇一郎のもとで副社長・繊維カンパニープレジデントに抜擢され、さらに社長補佐(営業分掌役員)に就任する。その後、2006年に副会長(関西担当役員)となり、07年に相談役へ退いた。また、大阪商工会議所副会頭、関西経済同友会常任幹事を歴任した。後に株式会社大阪繊維リソースセンター代表取締役社長を務めた。
中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は… 中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は、千葉県市川市出身(兵庫県武庫郡鳴尾村 (現・西宮市)生まれ)の元調教助手・元調教師。父は元調教師の中野吉太郎。 父・吉太郎は青森県上北郡大深内村(現・十和田市)出身の騎手で、中野は最初の子供であった。後に妹、弟、妹と続き、四人兄弟の長男となる。バリアー式スタートの競馬場で天神乗りによってレースに出ていた吉太郎を、中野は記憶している。とはいえ、それは鳴尾競馬場で見た記憶ではなかった。中野が2歳であった1942年に、吉太郎は家族をあげて市川の中山競馬場のすぐ近くに引っ越した。中野の記憶の中に生まれた鳴尾の出来事は一切残らず、市川市立中山小学校で5年まで学んだ。
梶 幹雄(かじ みきお、1940年〈昭和15年〉11月4日 … 梶 幹雄(かじ みきお、1940年〈昭和15年〉11月4日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元ニッポン放送アナウンサー。 台北州(現在の台湾台北市)で生まれ、すぐに東京都に転居。東京都立第一商業高等学校を経て1965年3月に明治大学商学部商学科卒業。大学在学中はグリークラブに所属していた。 同年4月、ニッポン放送に入社。入社同期は同じ大学出身で、元同じくアナウンサーで現・フリーアナウンサーである高嶋秀武。 1968年にリリースされた高石ともやのシングル『受験生ブルース』にて、この曲中に出て来る「ラジオ講座」のアナウンサーとして出演している。 1992年、ニッポン放送を早期退社し、フリーアナウンサーに転向。
巻山 晃(まきやま あきら、1940年〈昭和15年〉10月2… 巻山 晃(まきやま あきら、1940年〈昭和15年〉10月28日 - 2022年〈令和4年〉11月26日)は元札幌テレビ放送アナウンサー。
笹森 清(ささもり きよし、1940年10月21日 - 20… 笹森 清(ささもり きよし、1940年10月21日 - 2011年6月4日)は、日本の労働運動家。日本労働組合総連合会長(第4代)、内閣特別顧問を歴任した。位階は従三位。 東京都出身。埼玉県川越市に転居し、埼玉県立川越高等学校卒業。東京電力入社後に東京電力労働組合に入り、組合活動などを行った。1989年には委員長になる。1993年からは全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)の会長に就任。 2001年に日本労働組合総連合会会長(第4代)に就任、2005年まで務めた後に、連合顧問に就任。2010年には、当時内閣総理大臣の菅直人に請われて、内閣特別顧問を務めた。 2011年6月4日午前5時56分、膵臓癌のため東京都の病院で死去。
片山 修(かたやま おさむ、1940年10月21日- )は、… 片山 修(かたやま おさむ、1940年10月21日- )は、日本の経済ジャーナリスト、経営評論家。 愛知県名古屋市に生まれる。 明治大学経営学部を卒業し、名古屋タイムズ記者を経て、1970年以降はフリーランスのジャーナリストとして活動する。 2001年から2011年にかけて、学習院女子大学客員教授であった。日本ペンクラブ会員。
田野井 一雄(たのい かずお、1940年10月12日 - )… 田野井 一雄(たのい かずお、1940年10月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の横浜市会議員(10期)。第37代横浜市会議長。 神奈川県横浜市港南区生まれ。横浜市立桜岡小学校、関東学院六浦中学校・高等学校、明治大学文学部を卒業。 青年会議所に所属しており、1983年には横浜青年会議所理事長に就任している。政界入りを考えはじめたのは、横浜市会議員の松村千賀雄に市議選への出馬を打診されたことがきっかけだが、青年会議所の活動に専念するために一度は辞退をしている。その後1983年に、横浜市会議員選挙に港南区から立候補し、定数6のうち5番目の得票数(8642票)で初当選。1999年には横浜市会議長に就任し、2002 FIFAワールドカップの誘致に尽力した。
東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2… 東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2日 - 1994年11月9日)は、東京都新宿区西新宿出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は星野 栄三郎(ほしの えいざぶろう)。現役時代の体格は173cm、132kg。最高位は東前頭15枚目(1962年9月場所)。得意手は左四つ、吊り、寄り。 実家は豚カツ屋で、兄2人は共に明治大学付属中野高校から明治大学に進学し、野球で活躍。三男の栄三郎も、中学校卒業後は兄達と同じ高校に進学するつもりであった。だが、栄三郎の体躯の良さに目を付けた高砂部屋の幕内力士・藤田山が同部屋の横綱・東富士(後、年寄・錦戸)に彼の事を伝え、東富士の再三に亘る勧誘もあって高校進学を諦める事になった。
八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県… 八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県出身の元プロ野球選手。現役時代のポジションは投手、外野手。
岡部 道夫(おかべ みちお、1940年(昭和15年)9月10… 岡部 道夫(おかべ みちお、1940年(昭和15年)9月10日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 明治大学出身。1964年東京オリンピックで男子トーナメントに出場した。 岩橋邦雄 | 岡部道夫 | 加奥成雄 | 木原征治 | 高島昭男 | 滝沢健治 | 武田守洋 | 田中博司 | 橋本征治 | 松本紀彦 | 三輪宏 | 山岡敏彦 | 山口順一 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 吉村実 | 若林徹也 | 渡辺寛 | 監督: 小林定義 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
山口 敏夫(やまぐち としお、1940年〈昭和15年〉8月2… 山口 敏夫(やまぐち としお、1940年〈昭和15年〉8月29日 - )は、日本の元政治家。埼玉県東松山市出身。父は元衆議院議員の山口六郎次。ニックネームは「政界の牛若丸」「珍念」「隙間政治家」。 衆議院議員(10期)、労働大臣(第47代)、新自由クラブ幹事長(第3代)を経て、政治団体国民主権の会代表。 埼玉県立松山高等学校を経て、明治大学法学部法律学科に進学するが、在学中に父・六郎次が死去。1963年に卒業し、労働省職員を経て、石田博英の秘書を務める。 1967年の第31回衆議院議員総選挙に父・六郎次の後継者として旧埼玉県第2区から無所属で出馬し初当選するが、当時最年少の26歳で話題になった。
石川 道政(いしかわ みちまさ、1940年〈昭和15年〉8月… 石川 道政(いしかわ みちまさ、1940年〈昭和15年〉8月28日 - )は、日本の政治家。実業家。元岐阜県美濃市長。美濃市名誉市民。旭日中綬章受章。 岐阜県武儀郡美濃町(現・美濃市)出身。明治大学商学部卒業。美濃市議会議員を経て、1995年(平成7年)美濃市長に当選。5期目の途中で辞職した。ほか、石川紙業社長を務めた。 在任中は市町村の合併問題や学校再編、伝統的建造物群保存地区の整備、美濃病院の移転・安定経営、テクノパークへの企業誘致、道路や上下水道、ケーブルテレビなどの基盤整備、道の駅美濃にわか茶屋の整備などに尽力した。
大槻 哲也(おおつき てつや、1940年8月 - )は日本の… 大槻 哲也(おおつき てつや、1940年8月 - )は日本の社会保険労務士。2009年6月から全国社会保険労務士会連合会最高顧問。 京都府京都市出身。1963年に明治大学商学部を卒業後、東京都食品健康組合に勤務。同組合にて業務課長、総務課長を歴任する。同組合に10年程勤務後、1973年10月に大槻経営労務管理事務所を開設。3ヶ月だけ先輩の社労士事務所に見習いで勤務。その後、仲間の社労士と共に共同事務所を構える。2年後には独立し、銀座のビルに事務所を構えた。1999年に東京都社会保険労務士会会長に、2001年には全国社会保険労務士会連合会の初のプロパーの会長に就任。 後発士業である社労士業界を、早く他の士業に追い付かせたいとの思いから、様々な制度改革に取り組む。
別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、… 別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手、捕手。
一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - … 一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - )は、大阪府大阪市天王寺区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。
三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - … 三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - )は、広島県広島市己斐(現西区己斐)出身の高校野球指導者である。広島県山陽高校野球部元監督。
倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - … 倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - 2013年7月3日)は、長野県出身のプロ野球選手(捕手・内野手)。 長中3年生の時に野球を始め、上田松尾高では1年生の時、神津進投手とバッテリーを組み、1957年夏の甲子園に捕手、六番打者として出場。前年度優勝校の平安高を降し準々決勝に進出するが、この大会に優勝した広島商の山中英明(法大)に完封負けを喫した。同年秋の静岡国体は1回戦で 早実高を降すが、準々決勝で法政二高の延藤謙吉(三重交通)らに抑えられ完封負け。翌1958年春季北信越大会に進むが、準決勝で小松実に敗退。1959年夏は県予選準々決勝で小諸商に敗れる。 卒業後は明治大学へ進学。
依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27… 依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27日 - )は、日本の男性実業家で、ドリーミュージック代表取締役会長、エイベックス元会長兼社長。元日本レコード協会(RIAJ)会長、元音楽産業・文化振興財団理事長。業界、政界や海外への強い影響力を持っている。エイベックスの実質的な創業者として経営の中心を担ってきたが、同じく創業者である松浦勝人との経営方針の確執が深刻化、2004年8月3日付けで会長兼社長を辞任。同日、日本レコード協会の会長も辞任し、エイベックス名誉会長に(2004年中に退任)。
山口 順一(やまぐち じゅんいち、1940年(昭和15年)3… 山口 順一(やまぐち じゅんいち、1940年(昭和15年)3月30日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 明治大学出身。1964年東京オリンピックで男子トーナメントに出場した。 岩橋邦雄 | 岡部道夫 | 加奥成雄 | 木原征治 | 高島昭男 | 滝沢健治 | 武田守洋 | 田中博司 | 橋本征治 | 松本紀彦 | 三輪宏 | 山岡敏彦 | 山口順一 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 吉村実 | 若林徹也 | 渡辺寛 | 監督: 小林定義 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2… 阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2007年5月4日)は、日本の俳優、芸能プロモーター。本名、阿知波 信雄(あちは のぶお)。元妻は女優の多岐川裕美、娘はタレントの多岐川華子。元娘婿は俳優の仁科克基(俳優の松方弘樹と女優の仁科亜希子の息子)。 島根県益田市出身。島根県立益田高校卒業。明治大学政治経済学部卒業。 俳優活動の後マネージャーへ転身、田中プロモーション副社長、アクターズプロモーション副社長、兼アクターズエージェンシー社長を務めた。 元々は司会者志望で、大学卒業後に同郷である漫談家の徳川夢声に弟子入りを希望したが、徳川の勧めでテレビタレントセンターに所属。この間、美容研究家である竹腰美代子の体操の門下生となり、竹腰のリサイタルに出演する。
窪田 芳郎(くぼた よしろう、1940年2月28日 - )は… 窪田 芳郎(くぼた よしろう、1940年2月28日 - )は、日本の実業家、馬主。 電子部品の製造機器の製造から販売までを手がける株式会社東京ウエルズの代表取締役会長を務める。株式会社AKSの元社長などを務めた窪田康志は息子。 1940年、静岡県出身。1962年に明治大学経済学部を卒業し、4月に株式会社寺田商会に入社。1964年11月に寺田工業株式会社の設立に参画し同社取締役営業部長に就任。1971年7月に株式会社東京ウエルズ設立に参画し12月に同社代表取締役社長就任。その後三星通商株式会社(閉鎖)、東京コイルエンジニアリング株式会社各社を創立し社長就任。現在は東京ウエルズ代表取締役会長を務める。
沼田 爆(ぬまた ばく、1940年〈昭和15年〉2月22日 … 沼田 爆(ぬまた ばく、1940年〈昭和15年〉2月22日 - 2024年〈令和6年〉8月)は、日本の俳優、リポーター。本名:沼田 知治。 東京府(現東京都)出身。明治大学中退。I・T企画に所属。身長167 cm、血液型はA型。 大学中退後、劇団四季に入団。 四季退団後、仲間と劇グループ「仮面座」を結成して主宰を務めていた。 その後、25歳でテレビの世界へ飛び込んだ。 芸名は爆弾に由来するもの(「本名は平凡だから、せめて芸名はパンチを効かせたい」として名付けたという)。 代表作は『鬼平犯科帳』シリーズでの同心・村松忠之進(猫どの)役。役柄の影響から、自身も料理番組に時折出演していた。 本人の人柄からなのか「編集の際には尺が合わないと真っ先にカットを頼まれる」と語っていた。
唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11… 唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2024年〈令和6年〉5月4日)は、日本の劇作家・演出家・俳優。本名:大靏 義英(おおつる よしひで)。位階は従四位、勲章は旭日中綬章。劇団「唐組」主宰、文化功労者。紅テントの「状況劇場」を結成。アングラ演劇の始祖。日本戦後演劇を再構築。 東京府東京市下谷区下谷万年町(現:東京都台東区)出身。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。作家としても活躍、『佐川君からの手紙』(1981年)で芥川賞を受賞。俳優として自作以外の映画やテレビドラマに出演することもある。他の演出家への戯曲提供も多い。2012年4月より明治大学客員教授に就任。戦後現代演劇は「唐以前、唐以後」と言っても過言ではない。
城之内 邦雄(じょうのうち くにお、1940年2月3日 - … 城之内 邦雄(じょうのうち くにお、1940年2月3日 - )は、千葉県佐原市(現:香取市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 小学校時代は陸上部に所属し、中学校入学と同時に野球を始めるが、中学時代は控え一塁手で3年春には野球部を退部。進学した佐原一高では入学時にバレーボール部へ入部したが、部員不足の野球部から勧誘を受けて同年6月に移る。入学当初は一塁手であったが、秋から肩の強さを見込まれて投手となる。最初はオーバースローで投げていたが、高校に野球を教えに来ていた明治大学の選手から勧められて2年生の6月頃からサイドスローに転向した。同年秋からエースになると一念発起し、毎朝10キロのランニング、ハンドグリッパーを握り続けながら登校などの努力を続ける。
川田 達男(かわだ たつお、1940年1月27日 - )は、… 川田 達男(かわだ たつお、1940年1月27日 - )は、日本の実業家。セーレン株式会社代表取締役会長・最高経営責任者、北陸電力社外取締役、ダイキン工業社外取締役、元福井商工会議所会頭(2009年3月1日 - 2019年10月31日)、北陸経済連合会常任理事(元副会長)。 福井県福井市生まれ。福井県立高志高等学校、明治大学経営学部卒(土屋喬雄ゼミ)。 平成27年秋の叙勲にて、旭日中綬章を受章 。創業120年を超える地元大手企業であるセーレン株式会社がかつて経営不振にあえいでいた1987年、47歳の若さで創業家から経営を託され、代表取締役に就任。 赤字続きで存続の危機にあった同社を再生させたことで知られる。
田中 直隆(たなか なおたか、1940年1月8日 - )は、… 田中 直隆(たなか なおたか、1940年1月8日 - )は、日本の経営学者。 京都府京都市生まれ。別名・池ノ上直隆。1962年明治大学経営学部卒、1970年同大学院経営学研究科博士課程修了。その後「経営は実践である」という信念のもと、20種類以上の職種を経験。東京家政大学非常勤講師を兼務しながら経営者として15年実務に奮闘。事業を後継者に譲り、第一経済大学教授に就任。帝京大学経営研究科教授を経てコロンビア大学客員研究員。スタンフォード大学客員研究員を歴任。経営学博士。聖パウロ国際大学心霊治療学教授。心理相談員。
川元 祥一(かわもと よしかず、1940年 - )は、日本の… 川元 祥一(かわもと よしかず、1940年 - )は、日本の作家、ルポライター。 兵庫県神戸市に生まれ、岡山県津山市で育つ。曾祖父は津山城下で屠畜場を経営していたが、1873年、賤民解放令に反対する農民の一揆で家屋を破壊され廃業に追い込まれた。自らも被差別部落に育ち、自らの被差別体験に基づき部落問題研究をライフワークとして「部落学」を提唱している。 18歳で上京し、働きながら明治大学文学部に学ぶ。1965年に卒業。筑波大学非常勤講師や立教大学非常勤講師として部落学を担当。伝統芸能研究・千町の会代表、東日本部落解放研究所会員。
権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 -… 権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 - )は、日本の編集者、出版社経営者、随筆家、漫画評論家、映画評論家、文具店経営者。本名でも、著作活動を行っている。特につげ義春にこだわり、つげ作品の多くを世に出すべく奔走したことでも知られる。出版社 北冬書房を主催。貸本漫画史研究会会員。つげの『ねじ式』の原稿の「××クラゲ」を「メメクラゲ」と誤植し、のちにつげが「その方がいいね」といったことから、「メメクラゲ」のまま出版が続けられ流行語となるなど誤植の歴史に名を残したことでも知られる。 元々は白土三平のファンで、その後、水木しげるのファンとなりさらにつげ義春のファンとなった。1961年頃に白土の『忍者武芸帖』を読み、その後貸本漫画で全作品を読んでいく。
堺 鉱二郎(さかい こうじろう、1940年 - )は、日本の… 堺 鉱二郎(さかい こうじろう、1940年 - )は、日本の法学者。労働法学者。社会保障法学者。法社会学者。また、中国の労働法も研究。法学博士(明治大学)。現在、作新学院大学名誉教授。札幌大学名誉教授。 静岡県静岡市に生まれる。1962年明治大学法学部卒業。1967年明治大学大学院法学研究科博士課程修了。同年、札幌大学経済学部助手。1968年同経済学部講師。1971年同経済学部助教授。1976年同経営学部教授。1979年アメリカ・スタンフォード大学ロー・スクール研究員(~1980年)。1981年札幌大学産業経営研究所所長。1989年札幌大学法学部教授。1991年札幌大学法学部長(~1997年)。
清水 健二(しみず けんじ、1940年 - )は、福岡県出身… 清水 健二(しみず けんじ、1940年 - )は、福岡県出身の合気道家である。明治大学卒。合気道開祖植芝盛平の内弟子、合気道8段を経て清水道場として独立。現在、天道流合気道天道館管長。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
中村 裕(なかむら ゆたか、1940年 - )は、日本の実業… 中村 裕(なかむら ゆたか、1940年 - )は、日本の実業家。東京都出身。ロイヤルパークホテル社長、社団法人日本ホテル協会会長等。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 -… 漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 清水東高校では1957年春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年の夏の甲子園に四番打者、遊撃手として出場。2回戦(初戦)で、この大会に準優勝する法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封を喫する。1年後輩のチームメートに捕手の鈴木悳夫がいた。 1958年に明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは後藤晃吾、八木孝両投手を擁し、1961年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。
村井 洋(むらい ひろし、1939年9月15日 - ?)は、… 村井 洋(むらい ひろし、1939年9月15日 - ?)は、日本の食品開発者。 秋田県出身。株式会社永谷園取締役(研究部長)、取締役(生産副本部長)。 秋田県出身。1963年3月明治大学農学部卒業後、株式会社永谷園本舗に入社。 1988年4月に研究第一部次長、同年6月に取締役(研究第一部長)に就任する。1994年2月に取締役(研究部長)に就任する。1999年4月より取締役(生産副本部長)。 「さけ茶漬け」(1970年11月発売)、「すし太郎」(1977年発売)、「納豆汁」(1977年6月発売)などの製品を開発した。
坂口 光男(さかぐち みつお、1939年9月8日 - 201… 坂口 光男(さかぐち みつお、1939年9月8日 - 2011年6月)は、日本の法学者。専門は、商法・保険法。法学博士(明治大学)。北海道出身。 1963年明治大学法学部卒業。1968年同大学院法学研究科博士課程退学(指導教授:保住昭一 )。1968年同法学部助手。1971年同法学部専任講師。1975年同助教授。1982年同教授。1995年に論題「保険者免責の基礎理論」で明治大学より法学博士の学位を取得。1998年東京都八王子労政協議会委員。2000年明治大学大学院法学研究科委員長。2004年同法科大学院兼任教授。2011年同定年退職。同名誉教授。 この他、東京経済大学・國學院大學法学部・福島大学・静岡大学・専修大学法学部・清和大学・国際基督教大学・姫路獨協大学法科大学院の非常勤講師や、東京法経学院司法書士講座商法兼任講師も務めた。
草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日… 草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日 - 1991年〈平成3年〉2月27日)は、日本の俳優。台湾・台中市出身。妻は元女優の田島和子。 鹿児島県で幼少期を過ごし、1958年に明治大学に入学するが、すぐに中退した。 1961年、文学座附属演劇研究所に入所する。同期に岸田森、樹木希林、小川真由美、寺田農、橋爪功、北村総一朗らがいた。翌年に準座員として文学座に入団、1966年に座員へと昇格する。文学座の看板・杉村春子にも可愛がられたという。1963年に文学座の内紛に発展した『喜びの琴』では主役に抜擢されていたとされる。1967年に文学座を退団し、その前年に草野に先駆けて文学座を離れていた岸田らが結成していた「六月劇場」に参加、以降は映画・テレビドラマへの出演も多くなる。
宗 肖之介(そう しょうのすけ、1939年8月25日 - 2… 宗 肖之介(そう しょうのすけ、1939年8月25日 - 2011年5月5日)は、日本の文芸評論家・著作家。 本名は重岡 重雄(しげおか しげお)。
辻 征夫(つじ ゆきお、1939年8月14日 - 2000年… 辻 征夫(つじ ゆきお、1939年8月14日 - 2000年1月14日)は日本の詩人。東京都出身。東京都立墨田川高等学校を経て明治大学文学部卒業。俳号は貨物船。 15歳から詩を投稿し始め、大学在学中に第1詩集『学校の思い出』(1962年)を発表。日常の微細な発見を軽妙な語り口で詩にした。詩集に『かぜのひきかた』(1987年)、『河口眺望』(1993年)など。 1939年(昭和14年)8月14日、浅草に生まれる。1954年、14歳の頃から詩を読み始め、翌年には詩作に没頭するようになる。雑誌への投稿もこの頃に始める。 1957年春に書かれた小品「美しいもの」は、言葉がいかに詩人を魅了したか、詩的体験の魅惑的な相貌を、読む者に明白に追体験させる力に満ちている。
佐藤 征治郎(さとう せいじろう、1939年7月11日 - … 佐藤 征治郎(さとう せいじろう、1939年7月11日 - )は、日本の政治家、さいたま市議会議員(1期)、元埼玉県岩槻市長(第13代・第14代〈最終〉)、元社会民主党埼玉県議会議員(4期)、元日本社会党岩槻市議会議員(3期)。 秋田県出身。明治大学法学部卒。1971年に岩槻市議選に日本社会党公認で立候補して初当選。1975年でも再選したが、1979年に岩槻市議を2期目の途中で辞して埼玉県議選に東8区(当時・選挙区域は岩槻市)から社会党公認で立候補して落選、1983年に再び埼玉県議選に東8区から立候補して落選する。だが、1987年に岩槻市議選に8年振りに立候補して復帰当選した。1991年、岩槻市議を通算3期目の途中で辞して、埼玉県議選に東8区から3度目の立候補で初当選を果たし、1995年でも再選。
柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日… 柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日本の実業家。東京都江戸川区出身。 東京都立江東商業高等学校卒業。1957年に内山甚一商店に入社。1963年に兄とともに内山コンクリート工業(後に内山アドバンス)を設立し、生コンクリートメーカーとして成長させる。1985年に副社長に就任。 1969年に建設資材の総合商社・山一興産株式会社の設立に参画し、1984年に代表取締役社長に就任。1994年に社団法人ニュービジネス協議会の理事に就任し、女性経営者委員会の委員長を務めた。1998年より社会福祉事業にも取り組む。2004年に浦安商工会議所会頭に就任し、全国初の女性会頭となる。学校法人草苑学園学園長、社団法人浦安観光コンベンション協会特別理事。
甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、… 甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、大分県別府市生まれの日本の作曲家・編曲家・明治大学マンドリン倶楽部音楽監督・常任指揮者・OB会会長。古賀政男音楽文化振興財団理事。 1958年、明治大学法学部入学、明治大学マンドリン倶楽部に入部する。1962年に卒業後、大学の先輩にあたる古賀政男に作曲を、佐伯亮に編曲を師事する。 1965年に日本コロムビアに専属作曲家として迎えられ、藤山一郎・島倉千代子・都はるみ・舟木一夫・大川栄策・ペギー葉山・大月みやこ・キム・ヨンジャなどの楽曲、日本相撲協会練成歌(作曲)、器楽曲アルバム、カラオケなどを合わせると、これまでに6,000曲以上の楽譜を制作。
中山 尚三(なかやま しょうぞう、1939年(昭和13年)6… 中山 尚三(なかやま しょうぞう、1939年(昭和13年)6月21日 - )は実業家。豊田自動織機相談役。同社元代表取締役副会長。 1939年、三重県に出生。 明治大学工学部卒業。 1962年、明大を卒業し、トヨタグループの本家にあたる株式会社豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)に入社。後に、同社の事業の中核を形成することになるコンプレッサー事業の立ち上げを担う。同社コンプレッサーは、ダイムラー、フォルクスワーゲン、ゼネラルモーターズなど、国内外の主要自動車メーカーから採用され、世界No.1シェアを獲得するに至り、同社の事業発展に大きな貢献を果たした。
なべ おさみ(本名:渡辺 修三、1939年〈昭和14年〉5月… なべ おさみ(本名:渡辺 修三、1939年〈昭和14年〉5月2日 - )は、日本のコメディアン、俳優、タレント。ラジオパーソナリティ、司会者、放送作家、著作家、声優。2024年末まで吉本興業所属。2026年1月1日よりゴッデス・エンターテイメント所属。 東京府東京市大森区(現:東京都大田区)出身。明治大学文学部卒業。 妻は笹るみ子、息子はお笑い芸人で元パワーリフティング日本代表のなべやかん。