檜山 四郎(ひやま しろう、1926年 - )は、犯罪学者。… 檜山 四郎(ひやま しろう、1926年 - )は、犯罪学者。茨城県生まれ。明治大学法学部卒業。東京家庭裁判所調査官、水戸家庭裁判所、前橋家庭裁判所で総括主任調査官、次席調査官、1986年退官。
明治大学:197人
檜山 四郎(ひやま しろう、1926年 - )は、犯罪学者。… 檜山 四郎(ひやま しろう、1926年 - )は、犯罪学者。茨城県生まれ。明治大学法学部卒業。東京家庭裁判所調査官、水戸家庭裁判所、前橋家庭裁判所で総括主任調査官、次席調査官、1986年退官。
宮崎 繁樹(みやざき しげき、1925年10月21日 - 2… 宮崎 繁樹(みやざき しげき、1925年10月21日 - 2016年4月10日)は、日本の国際法学者。明治大学名誉教授、財団法人人権教育啓発推進センター顧問。法学博士(明治大学、1962年)(学位論文「ザールラントの法的地位」)。
藤芳 誠一(ふじよし せいいち、1925年5月26日 - 2… 藤芳 誠一(ふじよし せいいち、1925年5月26日 - 2012年2月19日)は、日本の経営学者。経営学博士(論文博士・1971年)。明治大学名誉教授。 熊本県出身。1949年明治大学商学部卒、1971年「経営管理の体系的研究」で経営学博士の学位を取得。 1949年明大商学部助手、1953年経営学部専任講師、1956年助教授、1962年教授となり、1971年 - 1979年経営学部長を務める。1966年千葉経済短期大学教授を兼任した。1995年明大を定年退任、名誉教授、東亜大学教授・副学長となる。 子に経営学者・高千穂大学教授の藤芳明人(1957年 - )がいる。
山本 進一(やまもと しんいち、1925年(大正14年)2月… 山本 進一(やまもと しんいち、1925年(大正14年)2月5日 - 2013年(平成25年)1月25日)は、日本の法学者・裁判官・弁護士だった人物。法学博士(明治大学)。明治大学学長。専門は民法全般。 東京出身。1942年、慶應義塾商業学校卒業。1944年、明治大学専門部法科卒業。赤紙で召集を受ける。1945年、復員。1947年、高等試験司法科試験合格。1949年、明治大学法学部卒業。東京地方裁判所判事補に任官。1952年、東京簡易裁判所判事を併任。1953年、退官。明治大学法学部助教授(民法担当)。弁護士登録。1954年、明治大学法学部教授。1962年、博士(法学)。論文の題は「無効行為転換の理論」。
堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5… 堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5月29日)は日本の東洋史学者。明治大学名誉教授、東洋文庫研究員。『世界史の基本法則』の唐代担当、『均田制の研究』など西嶋定生と共に東京学派を代表する研究者として活躍し、退任後は『漢の劉邦-ものがたり漢帝国成立史』など一般向けの著書を多く出した。
水越 潔(みずこし きよし、1922年7月26日 - 199… 水越 潔(みずこし きよし、1922年7月26日 - 1999年12月22日)は、日本の経営学者・会計学者。経営学博士(論文博士・1973年)(学位論文「オーストラリア株式資本の一考察」)。明治大学名誉教授。 東京出身。明治大学経済学科卒、1973年「オーストラリア株式資本の一考察」で経営学博士の学位を取得。明治大学経済学部助教授、教授を務め、1991年退任、名誉教授となり、文京女子大学副学長を務めた。
橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう、1922年1月1日… 橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう、1922年1月1日 - 1983年12月17日)は、日本の政治学者、評論家。弘文堂社員などを経て、明治大学政治経済学部教授。在任中に没した。 長崎県上県郡峰村(現・対馬市)の生まれ。父祖の地は広島県。橋川家は、代々対馬の海産物や木炭などを広島まで運ぶ商いをしていた。 文三3歳の時、父親の故郷・広島県安芸郡仁保村(現・広島市南区仁保)に一家で帰郷。安芸郡海田町などで育つ。青崎尋常小学校(現・広島市立青崎小学校)、広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属高等学校)を経て上京、第一高等学校文科乙類に入学。文芸部に所属。1942年卒業。 同年、東京帝国大学法学部入学。
溝口 一雄(みぞぐち かずお、1921年(大正10年)4月1… 溝口 一雄(みぞぐち かずお、1921年(大正10年)4月12日 - 1994年(平成6年)9月23日)は、日本の会計学者。神戸大学名誉教授。 1921年、東京都品川区生まれ。1943年、明治大学商学部卒。神戸大学経営学部助教授を経て、1957年、同教授。1972年、学部長。1985年に退官して名誉教授となり、広島修道大学教授を務めた。第13期日本学術会議会員。
片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997… 片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997年3月18日)は、日本の実業家、起業家。マルマングループ創業者。 岡山県出身。島根県立隠岐水産高等学校卒業。明治大学商学部卒業。 大学卒業後、日本水産入社。気性が強く、入社半年後に、経営方針を重役に手紙で送りつけたエピソードなどがある。工場長などを務めたのち、1950年に独立し、日本ゴールドメタル工業株式会社を設立(1962年に株式会社マルマンに商号変更)。1959年に国産第一号のガスライターを販売開始し、後にゴルフ用品の製造販売も始め、1971年にはゴルフ用品部門を独立させてマルマンゴルフ株式会社を設立。1977年からはゴルフトーナメントの開催を開始。
朴 瓚鉉(パク・チャニョン、朝鮮語: 박찬현、1917年9月… 朴 瓚鉉(パク・チャニョン、朝鮮語: 박찬현、1917年9月23日 - 1991年9月24日)は、大韓民国の法学者、警察官僚、政治家、実業家、外交官。保健社会部次官、第12代交通部長官、第23代文教部長官、制憲・第4・5・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は密陽朴氏。号は霞庭。 釜山出身。釜山第二公立商業学校を経て、1941年明治大学法学部卒。同大法律特別研究室での国際司法研究を経て、1955年ミズーリ州立大学大学院政治科修了。満洲国奉天省での農場経営を経て、光復後は釜山水上警察署長、大学講師、第7管区警察庁・慶尚南道警察局公安課長、釜山東亜大学政治科副教授・教授(1951年、国際司法を担当)、国際新報社長、釜山日報社長(1951年)、釜山女子大学長、第4代国会財経委員、保健社会部政務次官、第12代交通部長官(1961年5月3日~1961年5月18日)、国民の党幹事長(1963年)、京郷新聞社長(1966年)、駐トルコ大使(サウジアラビア・ヨルダン兼任)、駐インド大使(アフガニスタン・バングラデシュ兼任)、韓インド協会長、第23代文教部長官(1977年12月20日~1979年12月13日)、韓国外国語大学校大学院教授(1981年)、世宗大学校財団理事長(1990年)を歴任した。
江川 友治(えがわ ともじ、1917年9月2日 - 2012… 江川 友治(えがわ ともじ、1917年9月2日 - 2012年8月8日)は、日本の土壌学者。元農林水産省農業技術研究所長・明治大学教授。日本の畑土壌の改善に関わる研究に従事した。 現在の静岡市清水区に生まれる。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1941年、東京帝国大学農学部農芸科学科卒業。同年4月、農林水産省農事試験場助手、三井進午研究室に配属。1942年2月、農事試験場技手となった後、同年4月、臨時召集された。福知山連隊、中国保定、武昌、鹿児島の知覧・万世特攻隊基地、東京の立川、大阪府の貝塚飛行場と転戦・移動し、1945年8月、敗戦、復員した。 1946年4月、復職。同年9月、農事試験場勤務、1947年、農事試験場土壌肥料部、1950年4月、農業技術研究所化学部土壌第1科土壌化学第2研究室長、1964年8月、農林水産省北海道農業試験場農芸化学部長、1973年、農林水産省農業技術研究所長。
宮坂 保清(みやさか やすきよ、1916年3月28日 - 1… 宮坂 保清(みやさか やすきよ、1916年3月28日 - 1981年5月22日)は、日本の公認会計士、会計学者。 長野県諏訪市出身。旧制成立商業学校を経て、1937年明治大学商学部卒業。1939年計理士開業。1949年公認会計士開業。同年から1972年まで母校講師。1971-1977年日本公認会計士協会会長、同相談役。第一監査事務所代表社員。
島田 正郎(しまだ まさお、1915年9月29日 - 200… 島田 正郎(しまだ まさお、1915年9月29日 - 2009年11月23日)は、日本の東洋史学者・法制史学者。学位は、法学博士(明治大学・論文博士・1951年)(学位論文「遼令の研究」)。元明治大学総長。東京市麹町区生まれ。 旧制明治中学校(現:明治大学付属明治高等学校)を卒業し、1939年に東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業。北京に留学し、41年に帰国。 1942年、東方文化学院(東京研究所)研究員。1947年、東京大学東洋文化研究所所員。1948年、明治大学専門部法律科講師。明治大学専門部法律科助教授。1951年、明治大学法学部教授。同年、「遼令の研究」で法学博士(明治大学)の学位を取得。
金指 正三(かなさし しょうぞう、1914年〈大正3年〉6月… 金指 正三(かなさし しょうぞう、1914年〈大正3年〉6月14日 - 1989年4月24日)は、日本の歴史家。法学博士。法制史、海事慣習制度の研究者。 1914年6月14日、静岡県富士市に生まれる。静岡県立富士中学校、福岡高等学校文科丙類を卒業。1941年3月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。1943年、同経済学部経済学科卒業。のち、同大学院経済学研究科修了。1962年、「江戸時代の海難救助制度の研究」により明治大学から法学博士の学位を取得。1952年、海上保安大学校教授。1973年4月から1975年4月まで教頭。1976年11月、海上保安大学校退官、名誉教授の称号を授与される。山陽女子短期大学教授、呉市立図書館長。
高柳 金芳(たかやなぎ かねよし、1910年 - 1985年… 高柳 金芳(たかやなぎ かねよし、1910年 - 1985年5月)は、在野の歴史家、江戸時代研究家。 埼玉県川越市生まれ。1931年明治大学政治経済学部卒業。会社生活のかたわら、江戸時代史に関する研究と執筆を続ける。
渡辺 操(わたなべ みさお、1908年3月28日 - 197… 渡辺 操(わたなべ みさお、1908年3月28日 - 1970年2月20日)は、日本の地理学者。北海道の地域研究で知られる。 1908年、北海道根室市で生まれた。小学校を卒業後、北見や小樽などで小学校教員となった。幼少の頃から地理学に関心をもっており、勤務の傍ら18歳ごろからほぼ独学で北見のハッカ、羊蹄山麓の農業など北海道各地の実態調査を行っていた。1938年、研究を深めるために明治大学専門部文科に入学。1942年に卒業し、文部省図書局勤務に勤務した。 戦後、1946年に明治大学講師に就いた。同時に農林省開拓研究所研究員も兼任し、その調査結果はその後の開拓行政の大きな指針となった。1948年に教授昇格。
麻生平八郎(あそう へいはちろう、1906年5月25日 - … 麻生平八郎(あそう へいはちろう、1906年5月25日 - 1998年11月15日)は、日本の商学者。商学博士(明治大学)。元明治大学総長。従四位勲二等旭日重光章。千葉県出身。 この他、東京農業大学、立正大学、法政大学、中央大学、福岡大学などで兼任講師。 石井常雄『人物点描 麻生平八郎先生の追憶』(紫紺の歴程 4号、2000年)
今泉省三(いまいずみ せいぞう、1905年10月4日 - 1… 今泉省三(いまいずみ せいぞう、1905年10月4日 - 1978年12月14日)は、日本の歴史家。 新潟県長岡市生まれ。1929年、明治大学政治経済科専門部卒業。長岡市役所に勤務し、厚生課長、秘書課長等を務める傍ら、長岡地方の郷土史研究を行い、『長岡の歴史』の執筆や資料集『越佐叢書』の編纂を行う。1955年には長岡市立互尊文庫館長となり、1965年退職。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丸山 邦雄 (まるやま くにお、1903年〈明治36年〉6月… 丸山 邦雄 (まるやま くにお、1903年〈明治36年〉6月2日 - 1981年〈昭和56年〉10月17日)は、日本の経済学者、社会運動家、明治大学教授。 終戦直後、安全の確保や飢餓、流行病に苦しむ旧満洲在留邦人救済のため新甫八朗、武蔵正道らとともに日本国政府や連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)などとの交渉や働きかけに奔走。旧満洲に取り残された旧満洲在留邦人の祖国引揚げ(葫芦島在留日本人大送還)に貢献する。(170万人のうち実際に引き揚げできた者は約105万人とされる )。 長野県下水内郡柳原村(現 飯山市)に生まれる。旧制高校卒業と同時に明治大学法科に入学、法律を学ぶ。 1930年(昭和5年) 明治大学卒業。
野間 繁(のま しげる、1902年10月15日 - 1978… 野間 繁(のま しげる、1902年10月15日 - 1978年8月12日)は、日本の法学者、裁判官、弁護士。明治大学名誉教授。民事訴訟法が専門。勲二等正四位。 1902年、広島県広島市生まれ。1921年明治大学予科に入学。雄弁部に所属する。1926年明治大学法学部を卒業。卒業後は裁判官となり、東京区裁判所判事、東京地方裁判所部長判事、函館地方裁判所部長判事、東京控訴院判事・勅任部長、裁判官訴追委員会事務局長を歴任、1958年に退官。 1947年、「上訴法の基礎理論」を明治大学に提出して法学博士号を取得。1958年明治大学教授となる。國學院大學教授も兼任。1974年、明治大学を定年退職し、名誉教授となった。
春日井 薫(かすがい かおる、1900年1月26日 - 19… 春日井 薫(かすがい かおる、1900年1月26日 - 1981年2月10日)は、昭和期の日本の経済学者・教育学者。専門は金融論。学位は、商学博士(明治大学・1939年)。元明治大学マンドリン倶楽部部長。元明治大学総長。 1900年、愛知県西加茂郡小原村上仁木(豊田市小原大倉町)生まれ。1921年、明治大学専門部商科を卒業。1923から1926年までアメリカ、イギリスに留学した。 1928年、明治大学商学部教授に就任。1939年、学位論文『英國に於ける兌換銀行券發行の原則論議の研究』を明治大学に提出して商学博士号を取得。1949年 より明治大学商学部長。1951年、明治大学学長に就任。1970年からは明治大学総長。
田中 斉(田中 齊、たなか ひとし、1897年10月4日 -… 田中 斉(田中 齊、たなか ひとし、1897年10月4日 - 1966年12月27日)は、昭和時代前期日本の政治家、実業家、経営学者。衆議院議員(当選1回)。旧姓・鈴木。 1897年(明治30年)、愛知県東春日井郡坂下村(現在の春日井市)で鈴木実太郎の長男として出生する。名古屋商業学校を経て、1920年(大正9年)に明治大学専門部商科を卒業。1923年(大正12年)、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院修了。 帰国後は母校の明治大学で講師を経て商学部教授に就いていたが、1925年(大正14年)に田中仁三郎の長女・とみ子に入婿する。仁三郎の実父は新愛知新聞社を創業した大島宇吉であり、外戚として同紙の経済部長に迎えられた。
山田 積善(やまだ かつよし 通称: せきぜん、1897年7… 山田 積善(やまだ かつよし 通称: せきぜん、1897年7月25日 - 1976年12月1日)は、法律家、詩吟家。 本業は弁護士であったが、己の修養のため若いころから培ってきた詩吟が有識者の耳にとまり、ラジオで放送されたりレコード化されたりで著名となる。その声量と独特な高音の節まわしによる「修養のための詩吟」が知られるようになり、本業の弁護士の傍ら「包容会」を創設、会誌発行とともに後進の指導にも当たった。 積善は、詩吟は余興や芸能ではなく “祈りであり行(ぎょう)である” として「吟行(ぎんぎょう)」という言葉を用いて指導した。つまり、詩吟は心ある日本人の祈りであり、己を磨き強固な精神を養う修行として吟ぜよ、ということである。
尾崎 卓爾(おざき たくじ、1893年(明治26年)11月2… 尾崎 卓爾(おざき たくじ、1893年(明治26年)11月20日 – 1958年(昭和33年)10月13日)は、高知県出身の歴史家・記者。号は吸江(ぎゅうこう)。中岡慎太郎の伝記を日本で初めて著した人物。陽明社の創始者・尾崎旦は兄。 1893年(明治26年)11月20日、尾崎旦爾(手島熊吉)の四男として高知県安芸郡北川村野川番地に生まれる。母は尾崎旦信(折蔵)の長女・亀。 旧制高知商業学校を経て明治大学へ進む。卒業後、土陽新聞の速記部長、のち徳島日日新聞の東京支局長などを務める。 文壇「博浪沙」に参加、大町桂月、田中貢太郎らと交わる。土佐人の典型のような、豪放磊落で気骨のある性格で、あるとき貢太郎を伴って北川村の実家に帰ったが、議論伯仲し、両人とも酒豪であったため、二人で一斗樽を飲み空かしたと言われる。
趙 欣伯(ちょう きんはく、1890年〈清光緒16年〉 - … 趙 欣伯(ちょう きんはく、1890年〈清光緒16年〉 - 1951年7月20日)は、中華民国・満洲国の政治家・法学博士(刑法)。北京政府では奉天派と目され、後に満洲国や南京国民政府(汪兆銘政権)に参加した。 清末、禁衛軍で衛兵となる。その後、省立天津北洋大学で学んだ。辛亥革命後は北京文明新劇団で旦角(女形)を演じている。また、この頃に国民党に加入した。1913年(民国2年)に二次革命(第二革命)に参加したが、敗北したために大連に逃れる。劉笑痴と改名して、日本人への中国語教師をつとめた。 1915年(民国4年)、日本に留学する。1920年(民国9年/大正9年)、明治大学法科を卒業し、併せて法学士の称号を取得している。
趙 素昻(チョ・ソアン、1887年旧暦4月10日 - 195… 趙 素昻(チョ・ソアン、1887年旧暦4月10日 - 1958年9月10日)は、朝鮮の独立運動家、政治家、法学者、政治思想家。第2代韓国国会議員。京畿道坡州出身。本貫は咸安趙氏。本名は趙 鏞殷(チョ・ヨンウン)。字は敬仲、素昻は号である。 生六臣(朝鮮語版)の趙旅の17世孫で、共に独立運動家である趙鏞夏は兄、趙鏞周、趙鏞漢、趙時元(元国会議員、本名・趙鏞元)は弟、趙鏞済は妹。独立運動家の趙時済と趙仁済は息子。 両班の家系に生まれる。1902年に成均館に入学し、同年に申采浩などと声討文を作って李夏栄などに抗議した。1904年に成均館を修了後、大韓帝国皇室派遣留学生として来日し、東京府立第一中学校に入学した。
近藤 民雄(こんどう たみお、1885年(明治18年)11月… 近藤 民雄(こんどう たみお、1885年(明治18年)11月30日 - 1967年(昭和42年)7月20日)は、日本の商法学者。
藤沢 衛彦(ふじさわ もりひこ、1885年8月2日 - 19… 藤沢 衛彦(ふじさわ もりひこ、1885年8月2日 - 1967年5月7日)は、日本の小説家、民俗学者、児童文学研究者。 明治18年(1885年)8月2日、東京生(埼玉県、福島県の説もあり)。 1907年明治大学卒業、藤沢 紫浪の筆名で通俗小説などを刊行する。1914年日本伝説学会を設立し、1917年から『日本伝説叢書』13巻を編纂、1921年より『日本歌謡叢書』を編纂、1926年から1927年まで雑誌『伝説』を刊行。 1922年、日本童話学会を創設。1926年童話作家協会、日本風俗史研究会を設立。 1932年より明治大学に新設された専門部文科で教授に就き、風俗史・伝説学などを講じた。1946年社会科、新聞科専任となり、1958年定年退職。
尾佐竹 猛(おさたけ たけき、1880年〈明治13年〉1月2… 尾佐竹 猛(おさたけ たけき、1880年〈明治13年〉1月20日 - 1946年〈昭和21年〉10月1日)は、日本の法学者(専門は法制史)、明治文化研究者。学位は法学博士。大審院判事。号は雨花子。 1880年1月20日、石川県金沢に旧加賀藩の儒者の子として生まれる。上京後、明治法律学校(現:明治大学法学部)に学び、1899年に卒業。同年、第1回判事検事登用試験に合格し、1924年、司法官試補。福井地方裁判所、東京控訴院・名古屋控訴院の判事を務める。1924年から1942年まで大審院判事。 判事の地位に留まらず、憲政史や刑罰史など法制史の研究を手がけた。研究姿勢は、史料を重視した実証主義、洒脱な着眼点、談話調で達意な文章を特徴とする。
岡田 庄作(おかだ しょうさく、1873年(明治6年)3月6… 岡田 庄作(おかだ しょうさく、1873年(明治6年)3月6日 - 1937年(昭和12年)5月4日)は、日本の裁判官、弁護士、法学博士。 1873年3月、島根県邇摩郡波積村生まれ。 島根県師範学校を卒業後、小学校校長となるが、1900年に上京し、1902年に明治法律学校を卒業。大分、熊本、水戸、東京の各地方裁判所検事を歴任。1909年、ドイツに留学してミュンヘン大学に学び、帰国後東京控訴院判事となる。 1919年、裁判所を退職して弁護士を開業。東京弁護士会会長となり、のちに明治大学教授。1924年、明治大学より法学博士号を取得(論文タイトルは『錯誤論』)。 1937年5月4日死去。65歳。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
志田 鉀太郎(しだ こうたろう、1868年10月5日(慶応4… 志田 鉀太郎(しだ こうたろう、1868年10月5日(慶応4年8月20日) - 1951年(昭和26年)3月13日)は、日本の法学者。第5代明治大学総長。 1868年、東京府(後の東京市牛込区、現・東京都新宿区)の一橋徳川家剣術指南番の家に生まれる。東京府尋常中学校、私立東京英語学校などを経て、1894年(明治27年)、東京帝国大学法科大学卒業、同大学院入学。1898年(明治31年)、学習院大学科教授に就任。 1897年(明治30年)から1919年(大正8年)まで新設の東京高等商業学校(のちの東京商科大学、現一橋大学)専攻部初代商法教授。ドイツ留学中に石川巌・石川文吾・神田乃武・瀧本美夫・津村秀松・福田徳三・関一とともに東京高商の大学昇格運動を始め、1920年(大正9年)から東京商科大学保険学担当講師。
勝田 孫弥(かつだ まごや、1867年9月22日〈慶応3年8… 勝田 孫弥(かつだ まごや、1867年9月22日〈慶応3年8月25日〉 - 1941年〈昭和16年〉8月21日)は、鹿児島県出身の教育家・歴史家である。元士族。 薩摩国給黎郡喜入(現在は鹿児島市に編入)出身。 1885年、鹿児島県師範学校中等師範学科卒業。同年、喜入小学校(現在の鹿児島市立喜入小学校)に四等訓導として就任した。1887年3月、喜入高等小学訓導に任命されたが、4月に依願免職。1887年9月 - 1890年6月、私立明治法律学校(現・明治大学)で法律科・行政科・仏語科を修業。 この頃から明治維新史の研究を行い、三上参次が校閲した伝記「西郷隆盛伝」(全5冊、1895年)や「大久保利通伝」(全3冊、1911年、 同文館)、「甲東逸話」(冨山房、1928年)などを著した。
岸本辰雄(きしもと たつお/ たつゆう、1852年12月18… 岸本辰雄(きしもと たつお/ たつゆう、1852年12月18日(嘉永5年11月8日) - 1912年(明治45年)4月4日)は、日本の法学者。明治大学の創設者。 因幡国南本寺町(現在の鳥取市)に鳥取藩士岸本平次郎の三男として生まれる。幼名、辰三郎。当初藩校尚徳館で蘭式兵法を修める。 戊辰戦争に従軍後、1869年(明治2年)、箕作麟祥の共学塾に入門。翌年、貢進生として鳥取藩の推薦を受け、大学南校(後の東京大学)に入学。1872年(明治5年)、新設の司法省明法寮(後に司法省法学校)に第一期生として入学。ジョルジュ・ブスケ、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードらにフランス法を学び1876年(明治9年)卒業。
宮城 浩蔵(みやぎ こうぞう、1852年6月2日(嘉永5年4… 宮城 浩蔵(みやぎ こうぞう、1852年6月2日(嘉永5年4月15日) - 1893年(明治26年)2月13日)は、日本の刑法学者、政治家。明治法律学校(のちの明治大学)創設者の一人。衆議院議員。 ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子。ボアソナード起草にかかる旧刑法下で、フランスの刑法理論である新古典派・折衷主義を日本にもたらすことに大きく貢献し、「東洋のオルトラン」と呼ばれた。なお、オルトランはボアソナードの師である。 その後、宮城の刑法理論は、資本主義の発達に伴う累犯の増加に対応できないとして新派刑法理論の立場から批判された[誰によって?]。 民法典論争では、梅謙次郎と共に施行断行派に与したが、その最中腸チフスのため42歳で急死した。
井上 正一(いのうえ せいいち、1850年4月7日(嘉永3年… 井上 正一(いのうえ せいいち、1850年4月7日(嘉永3年2月25日) - 1936年(昭和11年)10月3日)は、日本の法学者、衆議院議員、大審院判事。 長門国大津郡伊上村(山口県大津郡菱海村、油谷町を経て現在の山口県長門市油谷伊上)生まれ。1866年の四境戦争に際して長州藩諸隊の一つ鐘秀隊に加わり、芸州口と石州口を転戦。その後許可を得て隊を離れ、萩明倫館と山口文学寮で学ぶ。維新後に単身上京して箕作麟祥の下でフランス学を修めた。1870年開成学校に入った後、長州藩の貢進生に選ばれ、大学南校を経て1875年に司法省法学校を卒業。同年秋にフランスに留学し、法学博士の学位を取得。1881年に帰国するとただちに司法省雇となり、開校間もない明治法律学校(のちの明治大学)にも講師として迎えられた。
関 利恵子(せき りえこ)は、日本の会計学者。信州大学経法学… 関 利恵子(せき りえこ)は、日本の会計学者。信州大学経法学部教授。専門分野は会計学、経営学。特に、管理会計、経営分析、環境管理会計。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
江藤 隆之(えとう たかひろ)は、日本の法学者。桃山学院大学… 江藤 隆之(えとう たかひろ)は、日本の法学者。桃山学院大学法学部教授。専門は刑法。
原田 晃樹(はらだ こうき)は、日本の行政学者。立教大学コミ… 原田 晃樹(はらだ こうき)は、日本の行政学者。立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科教授。 主要研究テーマは「自治・協働」(NPOとのパートナーシップ、地域自治)、「政府間関係」(特に都道府県と市町村の関係、権限移譲)、「地方制度」(市町村合併、地域自治組織、大都市制度、府県制度)である。特に地方分権や規制緩和・民営化への流れの中で、政府間関係や官民の役割分担はどうあるべきかについて考察している。 2010年-2013年の科研費基盤研究では「地域協働における非営利組織の現実-インフラストラクチャー組織と自治体の視角から」を課題とした。イギリスの協働政策が中央地方関係や官民関係に及ぼす影響の分析を通じて、社会的排除問題に取組む非営利セクターが、地域の政策形成やサービス供給において一定の影響力を行使できるようになるための基盤条件を考察するものである。
大矢 政徳(おおや まさのり)は、日本の言語学者、明治大学国… 大矢 政徳(おおや まさのり)は、日本の言語学者、明治大学国際日本学部専任教授。専門はコーパス言語学と依存文法。
天江 富弥(あまえ とみや、1899年(明治32年)3月 -… 天江 富弥(あまえ とみや、1899年(明治32年)3月 - 1984年(昭和59年6月22日)は、日本の児童文化研究家、郷土史家、こけし収集家。本名は「天江富蔵」。日本最初の炉端焼きとされる飲食店を太平洋戦争後に開き、その店主であった事績でも知られる。 宮城県仙台市出身。大崎八幡宮の御神酒の蔵元「天賞酒造」を営む7代目天江勘兵衛の三男として生まれる。本名の「富蔵」は生まれた年に大きな蔵が建設されたことから付けられた(その蔵は「富蔵(とみぐら)」と呼ばれたという)。年齢的にはまだ子どもだった1910年に、天賞酒造は買収した近隣の酒造場を富弥(富蔵)の名義で操業開始した。 市立仙台商業学校(現・仙台市立仙台商業高等学校)を経て、1920年(大正9年)に明治大学商科を卒業し、翌1921年(大正10年)に仙台市でスズキヘキとともに結成したおてんとさん社から童謡雑誌『おてんとさん』を創刊した。
伊藤 重行(いとう しげゆき)は、日本の政治学者、経済学者、… 伊藤 重行(いとう しげゆき)は、日本の政治学者、経済学者、松蔭大学教授。 1943年、北海道阿寒郡鶴居村に生まれる。1968年明治大学政治経済学部卒業後、同大学修士課程を経て、1973年同大学大学院政治経済学研究科博士課程単位取得退学。ローマ・クラブ研究員を経て、九州産業大学経営学部国際経営学科設置時に就任する。九州産業大学経営学部教授を経て現職。その間、1976年ローマ・クラブ研究員・日本チームディレクター、1989年アジア・太平洋プロジェクト・ディレクター、1989年仏International Space University客員教授、1991年米Nova Science Publishers編集顧問、1993年米南カリフォルニア大学客員研究員、1994年ウイルソン・センター会議招聘教授、1996年台湾・淡江大学『未来研究』編集委員、1997年伊Rockefeller Bellagio Conference Center会議招聘教授、2000年露極東国際ビジネススクール名誉教授などを歴任した。
小野田 摂子(おのだ せつこ)は、日本の政治学者。専門は政治… 小野田 摂子(おのだ せつこ)は、日本の政治学者。専門は政治学、国際関係論、アジア・ヨーロッパ関係を基盤とした平和学。本来の目的から外れたアディショナル・パーパスとその方向付けに関与する「敵意」や「感情」が集団や組織、環境を破壊するとしたソーシャル・キャンサー(Social Cancer)を提唱。従来は非科学的なものとして軽視されてきた「感情」を目的設定における科学的分析に取り込んだ。 東京都出身。1986年、明治大学文学部文学科独文学専攻卒業。1995年、同大学院政治経済学研究科修了。ハンブルク大学博士研究留学後1996年に博士(政治学)取得。 明治大学非常勤講師、島根県立大学大学院助教授、青山学院大学を経て岩手県立大学教授。
高 一涵(こう いちかん)は中華民国・中華人民共和国の政治家… 高 一涵(こう いちかん)は中華民国・中華人民共和国の政治家・政治学者・ジャーナリスト。旧名は夢弼。 日本に留学し、1916年(民国5年・大正5年)に明治大学政治科を卒業した。1916年(民国5年)に帰国し、『晨鐘報』の編輯(編集員)となる。翌1917年(民国6年)、章士釗に招聘され、『甲寅日報』で論説委員となった。1918年(民国7年)からは『毎周評論』の編集を担当し、あわせて国立北京大学教授となる。1919年(民国8年)、雑誌『新青年』において、陳独秀らと共に輪番制編集者の1人となった。 1925年(民国14年)、教育界公理維持会に参加し、『現代評論』の論説委員となった。同年、中国国民党に加入したが、翌年には中国共産党に転じている。
古賀 洋吉(こが ようきち、1975 - )は、アメリカ合衆… 古賀 洋吉(こが ようきち、1975 - )は、アメリカ合衆国・シリコンバレーを拠点に活動する日本人実業家、起業家、投資家。本田技研工業の役員、Drivemode社のCEO。 東京都新宿区出身。明治大学政治経済学部卒業。ハーバード・ビジネス・スクールMBA。 1999年、明治大学在学中にオレゴン大学に留学し、コンピュータ・サイエンスを学ぶ。帰国後、ITベンチャーのアルトビジョンを起業、エクスペリアンに売却。2000年に明治大学を卒業し、マイクロソフトやネットエイジ(現ユナイテッド)などを経て、2001年にアクセンチュア入社。戦略コンサルタントとして5年間従事した後、2006年にハーバード・ビジネス・スクールに入学。
長吉眞一(ながよし しんいち、1950年- ) は、日本の会… 長吉眞一(ながよし しんいち、1950年- ) は、日本の会計学者。明治大学名誉教授、熊本学園大学大学院会計専門職研究科非常勤講師。 大分県生まれ。1973年明治大学商学部卒、80年同大学院商学研究科博士後期課程単位取得満期退学。大手の監査法人に勤務し、約20年間にわたって大企業の財務諸表監査業務に従事した後、1999年九州大学経済学部助教授、2002年立正大学経営学部教授を経て、2005年4月から2021年3月まで明治大学専門職大学院会計専門職研究科教授。2005年「公認会計士監査の有効性の確立に関する基礎理論研究 監査一般基準を中心として」で明治大学商学博士。公認会計士。
山中 弘美(やまなか ひろみ)は、日本の知的財産学者・著作権… 山中 弘美(やまなか ひろみ)は、日本の知的財産学者・著作権法学者。大阪工業大学知的財産専門職大学院教授。元文部科学省文化庁長官官房著作権課著作物流通推進室長および著作権分科会法制問題小委員会司法救済ワーキングチームメンバー。 専門は、著作権法(特にコンテンツ著作権、CCライセンス) 栃木県生まれ。1984年明治大学法学部卒業。文部省に入庁し、同省大臣官房政策課情報処理室、文部科学省文化庁文化部著作権課、文化庁長官官房著作権課著作権調査官などを経て、2005年同庁長官官房著作権課課長補佐。2011年同庁長官官房著作権課著作物流通推進室長。2014年千葉大学アカデミックリンクセンター副センター長などを経て、2024年大阪工業大学知的財産専門職大学院教授。
李 棟(り とう、生没年不詳)は、中華民国の司法官・法学者。… 李 棟(り とう、生没年不詳)は、中華民国の司法官・法学者。字は寄耘。北京政府・国民政府時代に司法官として各職を歴任した。中華民国臨時政府や南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会にも参加している。 清末に日本へ留学し、1909年(宣統元年/明治42年)、明治大学法科を卒業した。帰国後は、同年の己酉留学生卒業試験を受験して及第し、法政科挙人となる。翌1910年(宣統2年)の庚戌廷試では二等籤分となり、大理院で勤務した。 中華民国成立後は北京政府に出仕した。1913年(民国2年)5月に山西高等審判庁推事署理となり、1915年(民国4年)3月、推事として正式任命を受けた。翌1915年(民国5年)1月、大理院及京師高等検察庁上士の位を授かり、同年10月、大理院推事に任命されている。