市川 祐三(いちかわ ゆうぞう、1950年7月3日 - )は… 市川 祐三(いちかわ ゆうぞう、1950年7月3日 - )は日本の官僚。 1974年、通商産業省に入省した。 資源エネルギー庁長官官房総務課長。
埼玉県立春日部高等学校:90人
市川 祐三(いちかわ ゆうぞう、1950年7月3日 - )は… 市川 祐三(いちかわ ゆうぞう、1950年7月3日 - )は日本の官僚。 1974年、通商産業省に入省した。 資源エネルギー庁長官官房総務課長。
秋尾 敏(あきお びん、1950年4月29日 - )は、埼玉… 秋尾 敏(あきお びん、1950年4月29日 - )は、埼玉県吉川市出身の俳人、俳論家。本名は河合章男。全国俳誌協会会長(5代目)、現代俳句協会副会長。父は俳句結社「軸」を主宰した河合凱夫。 1950年、埼玉県吉川町(現・吉川市)に生まれ、千葉県野田市に育つ。埼玉県立春日部高等学校、埼玉大学教育学部国語国文学科卒業、図書館情報大学大学院博士前期課程 、筑波大学大学院博士後期課程修了、修士(図書館情報学)、博士(情報学)。 1971年、「軸」に入会して俳論を連載する。1991年、第11回現代俳句評論賞受賞。1992年「軸」同人。1999年、凱夫の死去に伴い「軸」主宰を継承。元・大妻女子大学社会情報学部非常勤講師、日本女子大学人間社会学部・家政学部非常勤講師、メディア教育開発センター客員助教授。
北村 薫(きたむら かおる、本名 宮本 和男、1949年12… 北村 薫(きたむら かおる、本名 宮本 和男、1949年12月28日 -)は、日本の小説家、推理作家。ミステリをはじめとする小説の執筆に加え、エッセイやアンソロジー編纂も手がける。早稲田大学元教授。 高校の国語教師をしながら『空飛ぶ馬』(1989年)でデビュー。日常の謎を鮮やかに描く推理小説で人気を博す。『鷺と雪』(2009年)で直木賞受賞。ほかに『盤上の敵』(1999年)、『リセット』(2001年)、『ひとがた流し』(2006年)など。 埼玉県北葛飾郡杉戸町生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。卒業後、母校である埼玉県立春日部高等学校の国語教師をしながら(1980年 - 1993年)、創元推理文庫の「日本探偵小説全集」(1984年から1996年刊行)の編集委員となる。
清原 當博(きよはら まさひろ、1949年1月18日 - )… 清原 當博(きよはら まさひろ、1949年1月18日 - )は、日本の実業家。ホテルオークラ東京代表取締役社長総支配人や、同社代表取締役会長を務めた。観光関係功労者国土交通大臣表彰受賞。 1967年埼玉県立春日部高等学校卒業。1971年学習院大学経済学部卒業、大成観光(現ホテルオークラ)入社、料飲部門配属。コーネル大学留学を経て、2001年京都ホテル出向。2005年京都ホテル総支配人。2007年ホテルオークラ上席執行役員。2008年京都ホテル代表取締役専務取締役。2009年からホテルオークラ東京代表取締役社長総支配人を務めた。2014年ホテルオークラ東京代表取締役会長。2016年ホテルオークラ東京取締役会長。
日森 文尋(ひもり ふみひろ、1948年12月3日 - 20… 日森 文尋(ひもり ふみひろ、1948年12月3日 - 2022年6月9日)は、日本の政治家。 衆議院議員(2期)、与野市議会議員(4期)、与野市議会副議長、社会民主党国会対策委員長(第7代)、朝鮮の自主的平和統一を支持する日本委員会議長を務めた。
中野 和信(なかの かずのぶ、1945年〈昭和20年〉12月… 中野 和信(なかの かずのぶ、1945年〈昭和20年〉12月14日 - )は、日本の政治家、行政書士。元埼玉県蓮田市長(4期)。元蓮田市議会議員(1期)。 埼玉県蓮田市出身。埼玉県立春日部高等学校、法政大学卒業。大学卒業後、蓮田市役所に勤務。都市整備部長、蓮田市教育委員会事務局教育部長、蓮田市シルバー人材センター事務局長などを務めた。 2002年(平成14年)5月19日投開票の蓮田市長選挙に立候補したが、210票差で現職の樋口曉子に敗れ落選。※当日有権者数:人 最終投票率:59.68%(前回比:pts) 2003年(平成15年)1月、埼玉県行政書士会登録。同年、蓮田市議会議員に初当選。 2006年(平成18年)5月21日投開票の蓮田市長選挙に立候補。
大塚 勝久(おおつか かつひさ、1943年4月27日 - )… 大塚 勝久(おおつか かつひさ、1943年4月27日 - )は、日本の実業家。匠大塚代表取締役会長。 大塚家具創業者で、同社代表取締役社長、代表取締役会長を歴任。 埼玉県春日部市出身。1963年に家業の手伝いをしながら埼玉県立春日部高等学校定時制を卒業。幼少時から桐箪笥職人だった父・大塚千代三の仕事を手伝い、中学校までに調達、販売、資金調達、経理、税務などの業務を一通り経験した。1969年、父が1928年に春日部に作った工房をもとに、社員24名で株式会社大塚家具センター(現大塚家具)を創業し、春日部駅西口に春日部店を開店させた。1978年には株式会社大塚家具が株式会社大塚家具センターを吸収合併し、東京店を開店。
芝山 努(しばやま つとむ、1941年〈昭和16年〉3月9日… 芝山 努(しばやま つとむ、1941年〈昭和16年〉3月9日 - 2026年〈令和8年〉3月6日)は、日本の男性アニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督。亜細亜堂コンテンツ代表取締役。東京都台東区浅草出身。 浅草で4代続いた三味線付属部品の卸・販売業の次男として生まれ、母方の祖母は歌舞伎役者の髪結いをなりわいとしており、幼少期から芸事や芝居など下町文化に触れることが多かった。 埼玉県立春日部高等学校、明治大学文学部演劇学科を卒業後、演出家を志望して、東映本社のCMの企画・演出の募集に応募するも不合格。そこで「アニメーションは演出の勉強になるから」と紹介された東映動画(現:東映アニメーション)の採用試験を受けたのがアニメ業界入りのきっかけだった。
佐久間 実(さくま みのる、1940年〈昭和15年〉9月17… 佐久間 実(さくま みのる、1940年〈昭和15年〉9月17日 - )は日本の政治家・元埼玉県議会議員(9期)。元自民党県議団長。会社社長。 埼玉県立春日部高等学校卒業。会社役員、春日部市議会議員、同議長、自民党埼玉県連青年部長を経て、1979年4月実施の埼玉県議会議員選挙に東7区(春日部市、のち東8区)から立候補し、初当選。以後、9回連続当選。 埼玉県議会第90代議長に就任(1989年3月から1990年6月)。 1992年に埼玉県知事に就任した土屋義彦と対立。議長退任後の1993年5月、過去の埼玉県議会議長選挙をめぐる汚職事件が発覚し、佐久間は収賄容疑で逮捕された。佐久間は自民党県議団を離団し、議員辞職した。
小原 敏彦(おばら としひこ、1939年9月7日 - )は日… 小原 敏彦(おばら としひこ、1939年9月7日 - )は日本の教育者、スポーツライター。埼玉県生まれ。埼玉大学教育学部卒業。埼玉県立春日部高等学校教諭、県立高校長などを経て、スポーツライターとして活躍している。 元埼玉陸上競技協会理事長、副会長。読売新聞社「彩の栞」、埼玉新聞社「標点」元執筆者。現朝日スポーツネツト編集委員。 埼玉県体育協会顧問・評議員。埼玉県スポーツ協会100周年特別委員。日本スポーツマンクラブ所属。日中友好体育懇話会代表。埼玉大学陸上競技部OB会長。 人見絹枝研究の第一人者。戦争で失われた多くの記録を集め、書籍としてまとめ上げ「人見絹枝」の名をより世に知らしめた功績をもつ。
田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -201… 田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -2011年9月11日 )は、日本の生物学者。 埼玉県出身、埼玉県立春日部高校卒。1959年北里衛生科学専門学院卒業、1965年ペンシルベニア大学教養学部微生物学科卒業。北里大学衛生学部微生物学教室助手を経て、1977年に同大学衛生学部教授となった。アメリカ合衆国のウイスター研究所、フランスのパスツール研究所、ドイツのロベルト・コッホ研究所などへ留学し、1979年同大学院教授を併任。2003年より同名誉教授、微生物管理機構理事長となった。H2J株式会社取締役、特定非営利活動法人燃料電池・水素エネルギーネットワークの顧問などを勤める。 シロアリから分離させた水素生成菌やパンダの糞から分離した廃棄物処理菌など、地球環境へ配慮した微生物の有効利用研究の第一人者として知られ、2009年10月1日、同研究でイグノーベル賞・生物学賞を受賞した。
関口 安義(せきぐち やすよし、1935年9月23日 - )… 関口 安義(せきぐち やすよし、1935年9月23日 - )は、日本近代文学の研究者。都留文科大学名誉教授。
飯山 平一(いいやま へいいち、1935年2月3日 - )は… 飯山 平一(いいやま へいいち、1935年2月3日 - )は、埼玉県南埼玉郡春日部町(現:春日部市)出身の元プロ野球選手。 春日部高校から1954年に毎日オリオンズへ入団。 1956年に高橋ユニオンズへ移籍し、1957年は合併した大映ユニオンズに在籍し同年引退。
麦倉 忠彦(むぎくら ただひこ、1935年 - 2025年1… 麦倉 忠彦(むぎくら ただひこ、1935年 - 2025年1月26日)は、日本の彫刻家。九州産業大学大学院芸術研究科教授。 埼玉県草加市出身。1954年埼玉県立春日部高等学校卒業。1959年東京芸術大学芸術学部彫刻科卒業。1961年東京芸術大学研究科彫刻専攻修了。同大学研究室副手。 1963年日本美術家連盟会員に推挙。 アメリカ合衆国サウスダコタ州K・ジョーロコフスキー彫刻研究所に留学。1968年新制作協会会員に推挙。 1997年新宿パークタワー・ギャラリー1にて東京ガス都市開発主催による記念個展を開催。1999年新制作協会委員長。2000年草加市文化会館にて草加市文化賞受賞記念展開催。その後、埼玉県美術家協会運営審査員を歴任。
松橋 功(まつはし いさお、1933年4月16日 - )は、… 松橋 功(まつはし いさお、1933年4月16日 - )は、日本の実業家。東京都出身。株式会社日本交通公社元代表取締役社長、会長。現在JTB相談役。 埼玉県立春日部高等学校を経て、1956年4月早稲田大学商学部卒業後、財団法人日本交通公社に入社。人事部次長、新宿支店長、国内旅行部長、関西営業本部長などを経て、1990年6月から株式会社日本交通公社代表取締役社長、1996年6月から同代表取締役会長、1998年フランス共和国よりレジオン ド ヌール シュヴァリエ勲章受章。2004年6月からJTB相談役に就任。他にも、成田国際空港(NAA)取締役会長、日本経済調査評議会「調査専門委員会」委員長、日本観光通訳協会会長などを歴任。
斎藤 伝吉(さいとう でんきち、1932年〈昭和7年〉12月… 斎藤 伝吉(さいとう でんきち、1932年〈昭和7年〉12月4日 - 2016年〈平成28年〉1月22日)は、日本の政治家、埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)長(第9代 - 第12代)。 現在のさいたま市岩槻区に生まれる。埼玉県立春日部高等学校卒。岩槻町役場に入り、市制施行後は土木課長、産業建設、総務の各部長、助役を経て、1985年の岩槻市長選挙に立候補し、元市長を破って初当選した。以来1998年まで市長を4期務めた。1997年に4回目の当選を果たして半年後の1998年1月、市内の再開発に関し、納入業者から200万円を受け取ったとして、収賄容疑で逮捕された。逮捕後に市長を辞職。同年6月、浦和地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予3年、追徴金200万円の有罪判決を受けた。
高林 隆(たかばやし たかし、1931年8月2日 - 200… 高林 隆(たかばやし たかし、1931年8月2日 - 2009年12月27日)は、埼玉県さいたま市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 埼玉県立春日部高校時代に頭角を現し3年次に高校選手権埼玉県予選優勝。1950年に立教大学へ進学し3年次の1953年に大学選手権優勝に貢献すると、4年次に日本代表に選出された。また関東大学選抜にも1年次から選出されている。 1953年に、日本学生選抜に選出され西ドイツのドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場。この選抜員には長沼健、岡野俊一郎らといった日本サッカーの中枢となる人物が多数参加していた。 卒業後の1954年に田辺製薬に加入、3度の全日本実業団選手権優勝(1954年、1955年、1957年)に貢献した。
秋谷 昭治(あきや しょうじ、1931年3月11日 - 20… 秋谷 昭治(あきや しょうじ、1931年3月11日 - 2022年2月19日)は、日本の医師・医学博士、政治家。日本医師会代議員であり埼玉県医師会参与。元埼玉県議会議員(議長経験のある自由民主党議員)。 医療法人社団彩優会の元理事長で、現在は社会福祉法人昭仁会及び北葛北部医師会の学校法人橘心学園の理事長を務める。 2011年、医療法人社団彩優会の理事長を辞任した。後任は吉岡利孝が理事長で、現在は、弟である秋谷行男。 2013年、秋谷昭治氏及びその家族が、医療法人社団彩優会から多額の資金を流用しているとの報道が一部の雑誌に掲載される。 また、幸手市が旧香日向小学校の校舎の賃貸借契約において学校法人橘心学園への賃料を格安に設定したことから、市民より幸手市に対して住民監査請求が提出されるなど、地元住民と幸手市政を巻き込む問題に発展している。
関根 祥六(せきね しょうろく、1930年(昭和5年)10月… 関根 祥六(せきね しょうろく、1930年(昭和5年)10月28日 - 2017年(平成29年)2月22日)は、シテ方観世流能楽師。埼玉県越谷市(旧・南埼玉郡蒲生村)出身。
後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 201… 後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日は、日本画の画家。 昭和5年(1930年)、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現野田市)に生まれる。昭和7年(1932年) に埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)へ転居。昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章受章。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。 歌人の米川千嘉子は姪。 2016年10月18日、敗血症により死去。86歳没。
村山 吉広(むらやま よしひろ、1929年12月9日 - )… 村山 吉広(むらやま よしひろ、1929年12月9日 - )は、日本の古典中国文学者、早稲田大学名誉教授。日本詩経学会会長・日本中国学会顧問・斯文会参与。専門は中国古典学(特に詩経学)漢文学、江戸・明治漢学。
三枝 安茂(みえだ やすしげ、1928年〈昭和3年〉10月2… 三枝 安茂(みえだ やすしげ、1928年〈昭和3年〉10月24日 - 2025年〈令和7年〉2月28日)は、日本の政治家。位階勲等は従四位旭日中綬章。埼玉県春日部市長(5期)等を歴任した。 埼玉県出身。旧制埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を経て、海軍通信学校に入る。戦後、明治大学商学部に入り、1949年(昭和24年)に卒業する。卒業後は幸手町(現在の幸手市)の肥料店に勤務する、1955年(昭和30年)、春日部市議会議員に当選。市議を6期務め、副議長、議長になる。6期目途中の1978年(昭和53年)、春日部市助役となる。1986年(昭和61年)春日部市長に当選。春日部市長を5期務める。
坂本 友雄(さかもと ともお、1924年(大正13年)12月… 坂本 友雄(さかもと ともお、1924年(大正13年)12月16日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県久喜市長。久喜市名誉市民。 埼玉県南埼玉郡久喜町(現久喜市)出身。1942年 (昭和17年) 3月、埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を卒業。久喜市助役を経て、1981年(昭和56年)9月、久喜市長に当選。4期16年務めた。久喜駅西口再開発事業、各都市計画道路の整備促進、公共下水道・農業集落排水事業などに尽力した。1998年(平成10年)3月、久喜市名誉市民に推挙された。 2013年(平成25年)1月20日、多臓器不全のため死去した。
厚見 峻(あつみ たかし、1921年(大正10年)11月23… 厚見 峻(あつみ たかし、1921年(大正10年)11月23日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。第2期海軍甲種飛行予科練習生。空母「蒼龍」戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加。戦死による二階級特進で最終階級は海軍飛行特務少尉。 埼玉県北葛飾郡幸松村(現・春日部市)に、7男3女の末っ子として生まれた。 粕壁小学校を経て埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)に学び、1938年(昭和13年)4月1日、第2期海軍甲種飛行予科練習生として横須賀海軍航空隊に入隊した。海軍航空隊への入隊に先立ち、厚見は母に「母さん、これで僕の第一希望は達せられた。この上は戦闘機に乗りたいと思います。
野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 201… 野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 2015年2月25日)は、日本の政治家。勲章は勲一等瑞宝章。 国土庁長官(第18代)、衆議院議員(6期)、埼玉県議会議員(3期)等を歴任した。 衆議院議員の野中厚は孫。 埼玉県加須市生まれ。旧制粕壁中学校、慶應義塾大学法学部卒業。 大越村議会議員、埼玉県議会議員を経て、1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区(定数3)から無所属で出馬したが、次点で落選した。1969年、第32回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区から再び無所属で出馬し、得票数2位で当選した(野中に代わり、日本社会党の板川正吾が落選し、保守系で3議席を独占した)。当選後、自由民主党に入党。
鈴木 泰治(すずき たいじ、1919年(大正8年)7月14日… 鈴木 泰治(すずき たいじ、1919年(大正8年)7月14日 - 2015年(平成27年)4月15日)は、昭和から平成時代の政治家。埼玉県八潮市長。位階は正五位。 埼玉県出身。1937年(昭和12年)、埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を卒業する。1947年(昭和22年)南埼玉郡八条村収入役、1956年(昭和31年)合併により八潮村収入役となり、1964年(昭和39年)町制、1972年(昭和47年)市制施行後も連続7期務める。同年助役を経て、1973年(昭和48年)八潮市長に当選し、4期務めた。2015年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
木津 三郎(きづ さぶろう、1914年(大正3年)6月12日… 木津 三郎(きづ さぶろう、1914年(大正3年)6月12日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県三郷市長(第4代 – 第6代)。 実子は現三郷市長の木津雅晟。 埼玉県北葛飾郡早稲田村(現・三郷市)出身。埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)、東京専修学院卒。卒業後は早稲田村役場に奉職する。その後は三郷村、三郷町、三郷市に勤務し、市制施行後に収入役、助役となる。1982年、三郷市長選挙に立候補して当選する。市長を1994年までの3期務めた。1995年、勲四等旭日小綬章を受章した。
奥貫 一男(おくぬき かずお、1907年(明治40年)1月2… 奥貫 一男(おくぬき かずお、1907年(明治40年)1月25日 - 1999年(平成11年)5月29日)は、日本の生化学者。大阪大学名誉教授。位階は正四位。 埼玉県に生まれる。旧制埼玉県立粕壁中学校、旧制山形高等学校を経て、東京帝国大学理学部に入学。1929年(昭和4年)に卒業後は徳川生物学研究所に入所し同所の研究員として活動した。その後は柴田桂太が主催した岩田植物生理学研究所に入り、後にわかもと製薬創業者の長尾欽弥が設立した長尾研究所に転勤する。 第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)には大阪大学の教授となり、同大学で教鞭を執る傍らでミトコンドリアの電子伝達系や生体の酸化還元反応等主に細胞呼吸の仕組みの研究に携わった。
佐野 喜智平(さの きちへい、1904年(明治37年) - … 佐野 喜智平(さの きちへい、1904年(明治37年) - 1979年(昭和54年))は、日本の実業家。粕壁宿で慶長年間創業15代400年の老舗伊勢屋当主。 佐野喜智平は1904年(明治37年)、埼玉縣南埼玉郡粕壁町に生まれる。旧制縣立粕壁中學校を1922年(大正11年)に卒業後、老舗伊勢屋に勤務。1934年(昭和9年)に伊勢屋代表取締役社長を継承した。 戦後の高度成長時代には、スーパーマーケット・プラスを立ち上げた。1968年(昭和43年)に伊勢屋代表取締役会長に就任した。 氏は、1970年代に将来移転予定の春日部薬草園の跡地に、文化施設を提案。および、粕壁三枚橋の薬草園の隣接地に商業施設を誘致した。
金澤 理康(かなざわ まさやす、1903年(明治36年)3月… 金澤 理康(かなざわ まさやす、1903年(明治36年)3月28日 - 1948年(昭和23年)1月17日)は、日本の法学者。早稲田大学教授。専門は日本法制史、西洋法制史、英国法。 1903年3月28日、埼玉県北葛飾郡吉田村(現・幸手町)において、金澤理三郎・あゑの長男として生まれる。吉田小学校尋常科、粕壁中学校、第一早稲田高等学院文科を経て、1926年3月に早稲田大学法学部英法科を卒業する。 1926年4月から早稲田大学法学部大学院に進学して法制史を専攻し、早稲田大学法学部の助手となる。論文『明治初期に於ける消費貸借法の変遷』により学会デビューを果たす。同年、文官高等試験司法科に合格する。 1931年5月から早稲田大学在学研究員として、ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク、フンボルト大学ベルリン、ロストック大学に留学し、西洋法制史を研究する。
金子 丑之助(かねこ うしのすけ、1903年(明治36年) … 金子 丑之助(かねこ うしのすけ、1903年(明治36年) - 1983年(昭和58年))は、日本の医学者、解剖学者。日本医科大学名誉教授、埼玉医科大学教授。解剖学の権威として知られた。1977年、勲三等瑞宝章受賞、松伏町初代名誉町民。 埼玉県北葛飾郡金杉村(現・松伏町)出身。埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)を大正10年に卒業した後、日本医科大学に入学。1928年 日本医科大学専門部卒業。東京帝国大学解剖学教室に入室。1929年から1931年日本歯科医専教授。1929年昭和医専教授。1930年日本医科大学講師、1936年助教授。1944年教授。1971年定年退職。その後1975年-1978年に埼玉医科大学の教授も務めた。
山崎 清(やまざき きよし、1901年6月30日 - 198… 山崎 清(やまざき きよし、1901年6月30日 - 1985年2月22日)は、日本の歯科医、画家、顔の研究家。 埼玉県越谷市生まれ。春日部中学校を経て、1923年に日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)卒業。 1920年に風景画で二科展に入選。1924年から1930年にかけてフランスで歯科と絵画を学ぶ。 1937年に「日本人下顎骨の増齡殊に齒牙発生脱落に伴ふ形態変化の研究」で新潟医科大学より医学博士を授与される。 1931年日本歯科医学専門学校講師、助教授、教授、外科部長、1964年鶴見大学教授、1972年定年、名誉教授。
清水 重夫(しみず しげお、1894年(明治27年)1月8日… 清水 重夫(しみず しげお、1894年(明治27年)1月8日 - 1982年(昭和57年)10月13日)は、日本の内務官僚。官選県知事、海軍司政長官。旧姓・針谷。 埼玉県出身。農業・針谷重太郎の長男として生まれ、清水家の養子となる。埼玉県立粕壁中学校卒、第五高等学校中退を経て、1918年7月、明治大学専門部法科を卒業。三井銀行に入社し1920年6月まで在職。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年5月、内務省に入省し北海道庁属となり拓殖部に配属。 1923年4月、京都府属兼警視・警察部巡査教習所長に就任。以後、同警察部保安課長、同警務課長、欧米出張(1928年12月)、地方事務官・京都府勤務、同府建築監督官県工場監督官、警察講習所教授兼内務事務官・警保局勤務、朝鮮総督府警務局図書課長、内務書記官・警保局防犯課長、同局外事課長、同局保安課長、兼同局経済保安課長を歴任。
三ッ林 幸三(みつばやし こうぞう、1893年〈明治26年〉… 三ッ林 幸三(みつばやし こうぞう、1893年〈明治26年〉9月24日 - 1977年〈昭和52年〉5月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(当選1回)。埼玉県会議員、同議長。衆議院議員を務め、国会議員として国政に参加したが、主には埼玉、幸手等地方政界で活動した。 埼玉県北葛飾郡行幸村千塚(現幸手市千塚)に生まれる。三ッ林安五郎の二男。粕壁中学校に学んだ。農業を営んだ。1917年(大正6年)、北葛飾郡行幸村収入役。1924年(大正13年)、行幸村会議員。1928年(昭和3年)、埼玉県会議員(立憲政友会に所属)。1939年(昭和14年)、兼行幸村長。行幸村農会長、県参事会員などを務めた。 1942年(昭和17年)、第46代埼玉県会議長(-1944年)。
田村 新蔵(たむら しんぞう、前名・章四郎、1892年〈明治… 田村 新蔵(たむら しんぞう、前名・章四郎、1892年〈明治25年〉11月13日 - ?)は、日本の政治家、資産家、実業家、埼玉県多額納税者。粕壁町会議員(立憲政友会)。東武商事代表取締役。粕壁町学務委員。粕壁町体育会会長。 埼玉県南埼玉郡粕壁町(現・春日部市)出身。先代・田村新蔵の四男。1910年、粕壁中学校(現・春日部高等学校)を卒業。1914年、早稲田大学大学部商科を卒業。同年麻布入隊、従七位陸軍二等主計。 粕壁銀行専務取締役、同行取締役を務め、一切の行務を統宰する。1936年、父・退隠の後を承け家督を相続し、前名・章四郎を改め襲名した。 農業並びに洋紙、砂糖、小麦粉販売業を営む傍ら、東武商事代表取締役および公職を務めた。
三上 於菟吉(みかみ おときち、1891年2月4日 - 19… 三上 於菟吉(みかみ おときち、1891年2月4日 - 1944年2月7日)は、大正・昭和時代の小説家。大衆文学の流行作家となり、文壇の寵児と呼ばれた。代表作に『雪之丞変化』など。活躍期にはその作風から「日本のバルザック」とも呼ばれた。内縁の妻は作家の長谷川時雨。 埼玉県中葛飾郡桜井村生まれ(現在の春日部市木崎)。代々儒医(漢方医)家業で、祖父はまた漢詩人大沼枕山門下の詩人でもあった。旧制粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を経て田山花袋に私淑。父純太郎も於菟吉を医師に進ませようとしたが、中学校時代から文学少年となり白夜のペンネームで『文章世界』『中学世界』などに投稿していた。 1911年早稲田大学文学部英文科予科に入学し、広津和郎や谷崎精二らと交友を持ち、ロシア文学で片上伸に認められて「片門十哲」の一人とも言われた。
飯野 喜四郎(いいのきしろう、慶応4年6月28日(1868年… 飯野 喜四郎(いいのきしろう、慶応4年6月28日(1868年8月16日) - 昭和15年(1940年)3月21日)は、埼玉県出身の政治家・実業家。埼玉県会議員・埼玉県会議長。 武蔵国埼玉郡蓮田村(現・埼玉県蓮田市)生まれ。粕壁中学校(現埼玉県立春日部高等学校)卒業。1887年に飯野運送店を開業し、東北本線でサツマイモを東北地方に販売した。1894年から埼玉県会議員を通算11期務めた。この間、1918年から1919年までと、1921年と1922年までの2度に渡って埼玉県会議長を務めた。また、教育の普及にも尽力し、粕壁中学校や旧制浦和高校(現埼玉大学)の設置に力を注いだ。元荒川、中川、古利根川などの河川改修や耕地整理にも尽力した。
阿部 司 は、日本の政治家、日本維新の会所属の衆議院議員(3… 阿部 司 は、日本の政治家、日本維新の会所属の衆議院議員(3期)、日本維新の会国会議員団政務調査会長代行、東京維新の会代表。日本維新の会総務会長(第3代)を務めた。
小池 修(こいけ おさむ)は日本の実業家。リハプライム株式会… 小池 修(こいけ おさむ)は日本の実業家。リハプライム株式会社代表取締役。 1965年、埼玉県さいたま市生まれ。埼玉県大宮のさいたま市立桜木小学校、さいたま市立桜木中学校 卒業。 埼玉県立春日部高等学校卒業。在学中は野球部に所属。 早稲田大学法学部卒業後、野村不動産を経て、上場フィットネスクラブで執行役員を務め、2011年、リハプライム株式会社を創業。介護事業以外に移動スーパーなど多種類の事業も展開、「コンパスヴィレッジ」を形成し、施設に入居するのではなく、生活してきた実家で過ごし続けるために必要なサービスをワンストップで提供するサービスを行っている。「コンパス」とは「羅針盤」の意味である。 創業のきっかけは、2010年の両親の闘病で、両親を安心して預けることができる介護施設が見つからなかったことであった。
宮下 宏紀(みやした ひろき、1979年1月17日 - は、… 宮下 宏紀(みやした ひろき、1979年1月17日 - は、埼玉県岩槻市(現在のさいたま市岩槻区)出身の躰道選手、医師。湯島道場所属。男子個人法形競技では、2001年那覇世界選手権で金メダル、2013年ヘルシンキ世界選手権で銀メダルを獲得。段位は錬士五段。 埼玉県岩槻市(現:さいたま市)出身。春日部高校体操部を経て、東京医科歯科大学医学部医学科卒業。大学入学後躰道部に入部して躰道を始める。大学在学中、第3回世界躰道選手権大会(那覇)男子個人法形競技に出場し金メダリストとなる。卒業後も全日本選手権で優勝を果たすなど実績を挙げ、現役生活を続けている。2013年、第6回世界躰道選手権大会(ヘルシンキ)にて12年ぶりに日本代表復帰を果たし、男子個人法形競技にて銀メダルを獲得した。