槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 20… 槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 2011年5月31日)は、ジャーナリスト、日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。
筑波大学附属高等学校:473人
槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 20… 槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 2011年5月31日)は、ジャーナリスト、日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。
黒澤 洋(くろさわ よう、1926年12月2日 - 2000… 黒澤 洋(くろさわ よう、1926年12月2日 - 2000年1月2日)は、日本の銀行家。日本興業銀行(現・みずほ銀行)頭取、同会長を歴任。 1944年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同期には、星新一(小説家)、槌田満文(武蔵野大学名誉教授)、今村昌平(映画監督)、大野公男(元北海道情報大学学長)、児玉進(映画監督)、星野英一(東京大学名誉教授)などがいる。 一高を経て1950年に東京大学法学部を卒業し、日本興業銀行に入行。入社11年目にドイツ銀行に出向して以来、長年にわたり国際畑を歩み、日本で数少ない世界に名の通った国際派バンカーだった。 1990年、第6代頭取に就任。
児玉 進(こだま すすむ、1926年(大正15年)10月23… 児玉 進(こだま すすむ、1926年(大正15年)10月23日 - 1987年(昭和62年)1月12日)は、日本の映画監督。 東京府東京市(現・東京都)出身。児玉氏の末裔で、曽祖父は台湾総督や陸軍参謀総長などを務めた児玉源太郎陸軍大将、祖父は貴族院議員、内閣書記官長を務めた兒玉秀雄である。父は秀雄の婿養子児玉忠康、母は秀雄の長女貞子。 1939年(昭和14年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1944年(昭和19年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同期には、星新一(小説家)、槌田満文(武蔵野大学名誉教授)、今村昌平(映画監督)、大野公男(元北海道情報大学学長)、黒澤洋(元日本興業銀行会長)、星野英一(東京大学名誉教授)などがいる。
今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年〈大正15年〉9… 今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年〈大正15年〉9月15日 - 2006年〈平成18年〉5月30日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、日本映画学校(現:日本映画大学)の創設者。同姓同名の別人で映画関係者(小道具関連)がいる。日本映画監督協会会員。 カンヌ国際映画祭で2度の最高賞を受賞した日本を代表する映画監督の一人。松竹、日活を経て、独立プロダクションの株式会社今村プロダクションの代表取締役を務めていた。映画監督の長谷川和彦は正社員として所属した。 性格的には家父長志向が強く、そのことは一面では教育者としての顔も持ち合わせ、長谷川和彦を育て、映画人を育成する横浜映画専門学院を創立、後に日本映画学校となり、日本映画大学の母体となった。
桐敷 眞次郎(きりしき しんじろう、1926年8月31日 -… 桐敷 眞次郎(きりしき しんじろう、1926年8月31日 - 2017年12月7日)は、日本の建築史家・建築評論家。東京都立大学名誉教授、工学博士。東京府東京市神田区東神田生まれ。 敗戦後の混乱のなか、一年上級の飯田喜四郎、堀内清治の二先輩とともに西洋建築史研究を志す。当時は海外渡航が不可能であったため、旧敵国の留学生制度を利用し、飯田がフランス(1953-56)へ、桐敷がイギリス(1955-57)へ渡航、次いで堀内が東大イラン・イラク発掘調査隊(1953-56)に参加。当時から、ごく自然に堀内が古代、飯田が中世、桐敷が近世・近代を分担し、研究や出版に万事協力し合う態勢をつくる。
星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 201… 星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 2012年9月27日)は、日本の法学者。専門は民法。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。
大野 公男(おおの きみお、1926年(大正15年)6月4日… 大野 公男(おおの きみお、1926年(大正15年)6月4日‐ 2017年(平成29年)7月24日)は、日本の化学者。学位は、理学博士(東京大学)。北海道大学名誉教授・北海道情報大学名誉学長。2004年瑞宝中綬章受章。東京都出身。 父の大野龍太は元大蔵次官、弟の大野正男は弁護士で元最高裁判事、長男の大野英男は物理学者で東北大学総長。 専門は量子化学。原子分子の波動関数などの非経験的計算。 『北海道人物・人材リスト 2004 あ-お』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)p390を参照
森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4… 森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4月1日)は、日本の病理学者、東京大学名誉教授・元総長。元国立大学協会会長。元日本医学会会長。医学博士(1957年)。東京生まれ。2012年4月1日、肺炎のために、東京大学附属病院で死去。86歳没。叙従三位
石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11… 石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11月5日 - 2005年(平成17年)12月14日)は、日本の実業家。鹿島建設名誉会長、日本商工会議所第15代会頭。妻・ヨシ子は鹿島の第4代社長・鹿島守之助の娘。父は石川一郎初代経団連会長。 学位は工学博士(東京大学)。鹿島建設の社長・会長のほか、日本商工会議所及び東京商工会議所の名誉会頭、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)監査役、日本卓球協会第7代名誉会長、日本を守る国民会議顧問、日本会議顧問、東京メトロポリタンテレビジョン会長などを務めた。 東京府北豊島郡滝野川大字西ヶ原(現在の東京都北区西ヶ原)に生まれた。石川一郎、冨美子の六男。
嘉治 元郎(かじ もとお、1925年8月13日 - 2011… 嘉治 元郎(かじ もとお、1925年8月13日 - 2011年7月23日)は、日本の経済学者。専門は経済学。東京大学名誉教授。嘉治隆一の長男。 53-54年フルブライト奨学生としてハーヴァード大学大学院に学ぶ。55年東大専任講師、58年助教授、60-61年フルブライト研究員としてスタンフォード大学に学ぶ。68年教授、68-69年イェール大学に留学、1974年から1975年まで東京大学評議員、1978年から1979年まで東京大学教養学部長、 84-86年アメリカ学会会長。財団法人放送大学教育振興会理事、財団法人国際文化会館理事長、財団法人グルー基金理事長、財団法人アメリカ研究振興会常務理事、財団法人政策科学研究所理事、財団法人渋沢栄一記念財団理事、財団法人日本ユニセフ協会評議員、財団法人ラボ国際交流センター評議員を歴任した。
芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Ak… 芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Akutagawa、1925年7月12日 - 1989年1月31日)は、日本の作曲家、指揮者。JASRAC元理事長。 作風は大きく分けて3つに分かれる。東京音楽学校を卒業後、快活な旋律とリズムで彩られた作風が魅力の第1期。それらの要素を削ぎ落とし、減衰、静的な要素を取り入れた前衛的作風に転換した第2期。そして第1期の快活明朗なるリズムを用いつつも、第2期以来の作風とクロスオーバーさせ、新たな世界への転換を図った第3期。この区分においても共通するものに、彼自身の生涯のテーマとなるオスティナートの使用がある。リズムを失った音楽は死ぬ、と述べているように、リズムこそ彼の音楽そのものであった。
渡辺 金一(わたなべ きんいち、1924年12月14日 - … 渡辺 金一(わたなべ きんいち、1924年12月14日 - 2011年2月6日)は日本の歴史学者、経済学者。主専攻は東ローマ帝国史、古典古代史。一橋大学名誉教授。
金森 久雄(かなもり ひさお、1924年4月5日 - 201… 金森 久雄(かなもり ひさお、1924年4月5日 - 2018年9月15日)は、日本の経済官僚・経済評論家。 1924年 、岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の憲法担当国務大臣を務めた 金森徳次郎の子として東京都に生まれる。弟金森博雄は地震学者。1937年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、同級生に柳谷謙介(外務事務次官)がいた。1942年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業する。昆虫採集に夢中になり、水泳、剣道、相撲もやったが上達しないので、将棋に没頭した。大川周明の『日本二千六百年史』、福澤諭吉の『福翁自伝』、斎藤茂吉『万葉秀歌』に感銘、張遷碑の書を習う。
鷹司 平通(たかつかさ としみち、1923年(大正12年)8… 鷹司 平通(たかつかさ としみち、1923年(大正12年)8月26日 - 1966年(昭和41年)1月27日)は鉄道研究家。日本交通公社交通博物館調査役。五摂家の一つだった鷹司家の27代目当主。
嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年〈昭和7年〉2月7日… 嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年〈昭和7年〉2月7日 - 1997年〈平成9年〉4月3日)は、中央公論社社長。総合雑誌『中央公論』を中心に戦後の出版界に大きな業績を残したが、晩年は経営危機を招いた。嶋中雄作の次男。妻雅子(1924年 - 2004年)は政治学者蠟山政道の長女。子に中央公論社社長の嶋中行雄、エコノミストの嶋中雄二がいる。 1935年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。同級生に鶴見俊輔や永井道雄、中井英夫がいた。 1940年、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。旧制府立高校を経て東京帝国大学文学部独文科卒業。太平洋戦争中は、勤労動員で中島飛行機(現在の富士重工)の研究所に勤務。
諸橋 晋六(もろはし しんろく、1922年7月13日 - 2… 諸橋 晋六(もろはし しんろく、1922年7月13日 - 2013年6月23日)は、東京府北豊島郡出身の実業家、サッカー選手。
穂積 重行(ほづみ しげゆき、1921年12月11日 - 2… 穂積 重行(ほづみ しげゆき、1921年12月11日 - 2014年11月3日)は、日本の西洋史学者。
山崎 升(やまざき のぼる、1921年(大正10年)3月31… 山崎 升(やまざき のぼる、1921年(大正10年)3月31日 - )は日本の化学者(高分子工学)。工学博士。東京工業大学名誉教授。東京市赤坂区青山北町(現東京都港区北青山)で誕生。名前の英文表記: Noboru Yamazaki
芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - … 芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - 1981年10月28日)は、日本の俳優、演出家。 東京府東京市滝野川区(現・東京都北区)田端出身。作家・芥川龍之介の長男。母は海軍少佐の塚本善五郎の娘・文。妻は、龍之介の次姉・ヒサの長女で、従姉にあたる芥川瑠璃子。 3人兄弟で、長弟・多加志は第二次世界大戦中、22歳でビルマにて戦死、末弟・也寸志は作曲家。名の由来は龍之介の親友・菊池寛(表記同じで筆名ではカン、本名ではヒロシと読む)の名の読みを万葉仮名に当てたもの。ちなみに、多加志は小穴隆一の「隆」から、也寸志は恒藤恭の「恭」から取られている。 1926年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学。
戸田 順之助(とだ じゅんのすけ、1918年(大正7年)12… 戸田 順之助(とだ じゅんのすけ、1918年(大正7年)12月1日 - 2013年(平成25年)10月9日)は日本の実業家、元戸田建設社長・会長。東京都出身。
大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 200… 大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 2009年4月18日)は、日本の経済学者。専門は、経済理論・経済政策。学位は、経済学博士(東京大学・1961年)。東京大学名誉教授、信州大学名誉教授。日本学士院会員。勲等は勲二等。 財団法人日本農業研究所研究員、東京大学社会科学研究所助教授、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、東京大学総長特別補佐、信州大学教授、大東文化大学教授、全国大学生活協同組合連合会会長などを歴任。 東京府出身の経済学者である。マルクス経済学の経済理論、経済政策を専攻し、宇野弘蔵理論の立場から日本の農業問題を研究。また近代経済学の成果を柔軟に取り入れ、1970年の『国家独占資本主義』では、宇野理論における現状分析として、管理通貨体制下における金融政策(インフレ政策)による賃金上昇抑制と、それによる恐慌への対処を現代国家の本質的機能であるとした。
村山 雅美(むらやま まさよし、1918年3月28日 - 2… 村山 雅美(むらやま まさよし、1918年3月28日 - 2006年11月5日)は、元南極観測隊隊長で国立極地研究所名誉教授。
安藤 良雄(あんどう よしお、1917年7月12日 - 19… 安藤 良雄(あんどう よしお、1917年7月12日 - 1985年5月6日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、成城大学学長。 1917年、大蔵省の役人であった父の任地の広島市で生まれた。1935年3月、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。旧制弘前高等学校に入学して学んだ。 1939年4月、東京帝国大学経済学部に入学し、土屋喬雄のゼミナールに学ぶ。1941年12月、東京帝国大学経済学部を卒業し、同大学助手となるが、1942年1月、応召。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年1月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年5月、経理学校を卒業し、1943年11月、主計大尉に進み、戦時中を通して海軍省に勤務し、戦時統制経済の実務に当たった。
澄田 智(すみた さとし、1916年9月4日 - 2008年… 澄田 智(すみた さとし、1916年9月4日 - 2008年9月7日)は、群馬県出身の第25代日本銀行総裁、元大蔵事務次官。
中村 彰(なかむら あきら、1916年4月7日 - 1969… 中村 彰(なかむら あきら、1916年4月7日 - 1969年12月9日)は、日本の俳優である。本名同じ。 1916年(大正5年)4月7日、東京府北多摩郡巣鴨村大字池袋(現在の東京都豊島区池袋)に、成蹊学園の創設者である中村春二の五男として生まれる。 1929年(昭和4年)、東京高師附属小学校(現在の筑波大附属小)、1934年(昭和9年)に東京高師附属中学校(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。同級生には澄田智(第25代日本銀行総裁)がいた。旧制第一高等学校(1950年廃止)を経て、東京帝国大学(現在の東京大学)文学部美学科へ進学し、父・春二とほぼ同じ学校歴をたどる。 東京帝国大学在学中から、後に映画監督となる家城巳代治や堀川弘通、同じく後に映画評論家として活躍する登川直樹や清水晶と交流し、1940年(昭和15年)、大学を卒業と同時に東宝に入社した。
東郷 文彦(とうごう ふみひこ、旧姓:本城、 1915年(大… 東郷 文彦(とうごう ふみひこ、旧姓:本城、 1915年(大正4年)8月18日 - 1985年(昭和60年)4月9日)は、日本の昭和時代の外交官、官僚。旧姓は本城。外務省事務次官、駐アメリカ大使を務めるなど日本の戦後外交におけるアメリカスクール外交官の重鎮の一人であった。
石川 馨(いしかわ かおる、1915年 <大正4年> 7月1… 石川 馨(いしかわ かおる、1915年 <大正4年> 7月13日 - 1989年 <平成元年> 4月16日)は、日本の化学工学者。工学博士。東京大学名誉教授、東京理科大学教授、武蔵工業大学(現東京都市大学)元学長。位階は正四位。旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長の石川一郎は父。鹿島建設会長、日本商工会議所会頭の石川六郎は弟。 東京都出身。1928年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1933年に同附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、中村光夫(文芸評論家)、島田秀夫(日本サッカー協会名誉会長)、小川平四郎(初代駐中国大使)などがいる。
島田 秀夫(しまだ ひでお、1915年6月27日 - 200… 島田 秀夫(しまだ ひでお、1915年6月27日 - 2005年11月3日)は、岡山県出身の会社役員、サッカー選手、第7代日本サッカー協会会長。 1928年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1933年に同附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、石川馨(東京大学名誉教授)、中村光夫(文芸評論家)、小川平四郎(初代駐中国大使)などがいる。 旧制水戸高校(現・茨城大学)を経て、1936年に東北帝国大学法文学部に入学。1940年3月に大学を卒業して三菱重工業に入社した。1941年に太平洋戦争の召集を受けて従軍、1945年にシベリア抑留に遭い、1947年に帰国。
衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年〈大正4年〉2月23… 衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年〈大正4年〉2月23日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士48期・陸大55期恩賜。最終階級は帝国陸軍では陸軍少佐、陸自では統合幕僚会議議長たる陸将。第9代陸上幕僚長、第6代統合幕僚会議議長。 陸軍中佐・衣笠寛(陸士18期)の長男。陸軍士官学校(第48期)。陸軍大学校(第55期)恩賜の軍刀組でもある、陸士卒業時の兵科は航空兵。航空軍や航空総軍の参謀などを歴任。 戦後は公職追放を経て、警察予備隊に入隊、陸上自衛隊発足直後に戦時中、「空の神兵」と謳われた帝国陸軍挺進団(陸軍落下傘部隊)の元隊員達とともに(但し、第1次研究員は落下傘降下未経験者であった)、落下傘降下の研究を開始し、初代空挺教育隊隊長として第1空挺団の創設に尽力し、同空挺団の初代団長となる。
立原 元夫(たつはら もとお、1913年1月14日 - 没年… 立原 元夫(たつはら もとお、1913年1月14日 - 没年不明)は、東京市品川区出身のサッカー選手。 法曹の雄と呼ばれた花井卓蔵の五男として生まれた。卓蔵の生家であった立原家に跡継ぎが無く断絶していたため、1928年(昭和3年)4月に立原姓を名乗り、立原家を死跡相続した。 東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属高校)在学中よりサッカーを始め、1933年に早稲田大学に入学し、在学中はア式蹴球部に所属した。1934年に開催された第10回極東選手権競技大会の日本代表に選出され、5月13日のオランダ領東インド(現:インドネシア)代表戦で日本代表として初出場した。1935年にはア式蹴球部の主将を務めた。
中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28… 中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者、比較思想学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。 1912年 (大正元年) 11月28日、島根県松江市殿町にて生まれる。元年生まれだったことから、元と名付けられた。 1925年 (大正14年)、東京市立誠之小学校(現・文京区立誠之小学校)を卒業。1930年 (昭和5年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を腎臓病により1年間休学後、4年で修了。1933年 (昭和8年)旧制第一高等学校を卒業。在学中、須藤新吉と亀井高孝から学問の基本を学び、ブルーノ・ペツォルトから仏教の話を聞く。
澤柳 大五郎(沢柳 大五郎、さわやなぎ だいごろう、1911… 澤柳 大五郎(沢柳 大五郎、さわやなぎ だいごろう、1911年8月23日 - 1995年11月3日)は、日本の美術史家。東京教育大学名誉教授。 東京生まれ。父は明治・大正期の教育官僚、教育者の澤柳政太郎。 西洋美術研究を開拓した児島喜久雄(東北帝国大学・東京帝国大学教授)の弟子の一人で後継者。 木下杢太郎(太田正雄)の研究・著作画集の編集を行った。新書などを除き歴史的仮名遣いで著訳書を刊行した。 弟子・同僚らによる『アガルマ 澤柳先生古稀記念美術史論文集』(同編集委員会編、同朋舎出版、1982年)がある。 (古田光、藤田健治、木田献一、屋形禎亮、澤柳大五郎、廣川洋一、中野幸次、秀村欣二、兼岩正夫、清水富雄、裾分一弘、下村寅太郎、西沢龍生、永井博による共編著) (澤柳大五郎、関根正雄、村治能就、浅野順一、中野幸次、秀村欣二、兼岩正夫、清水富雄、渡辺金一、下村寅太郎、西沢龍生、藤田健治、永井博による共編著)
中村 光夫(なかむら みつお、1911年(明治44年)2月5… 中村 光夫(なかむら みつお、1911年(明治44年)2月5日 - 1988年(昭和63年)7月12日)は、文芸評論家、作家。本名、木庭一郎(こば いちろう)。第6代日本ペンクラブ会長、文化功労者、日本芸術院会員。私小説批判で有名。
市田 左右一(いちだ そういち、1910年12月30日 – … 市田 左右一(いちだ そういち、1910年12月30日 – 1986年6月30日)は、日本の実業家。国際サッカー連盟 (FIFA) 常任理事を日本人としてはじめて務めた。著名な切手収集家でもあり、日本の手彫切手の収集・研究に努めるとともに、多くの著作を通じてその成果を海外に紹介した。 1910年(明治43年)、市田幸四郎・四寿子夫妻の長男としてとして、東京に生まれる。父は日本におけるオフセット印刷の創始者と呼ばれる人物。母はキリスト教伝道者金森通倫の娘。市田家は神戸元町通で著名な写真館「市田写真館」を営んでおり、幸四郎は明治初年に神戸で活動した写真家市田左右太(1843年 - 1896年)から数えて3代目にあたる(ただし市田家は男子に恵まれず代々を養子で継いでおり、幸四郎も養子である)。
宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5… 宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者・中国哲学研究者・国語学者。 学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学名誉教授。尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。斯文会理事長、日本中国学会理事長、日本会議顧問、スパイ防止法制定促進国民会議議長、世界平和教授アカデミー常任理事、国際勝共連合代表世話人、全国勝共教授団副会長などを歴任。 1910年(明治43年)、宇野哲人の長男として東京に生まれる。1923年(大正12年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1928年(昭和3年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
阿部 主計(あべ かずえ、1909年5月22日 - 2006… 阿部 主計(あべ かずえ、1909年5月22日 - 2006年6月27日)は、日本の随筆家、翻訳家。日本推理作家協会名誉会員。 東京都生まれ。1927年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。慶應義塾大学国文科卒業。
佐佐木 治綱(ささき はるつな、1909年2月20日 - 1… 佐佐木 治綱(ささき はるつな、1909年2月20日 - 1959年10月8日)は、昭和期の歌人、国文学者。 佐佐木信綱の三男として東京に生まれる。東京高等師範学校附属中学校、旧制第八高等学校を経て、1935年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。父と斎藤瀏に師事し、1940年「鶯」を創刊。1944年「心の花」と合併し、1952年から編集責任者。白百合短期大学教授。中世和歌、特に玉葉和歌集・風雅和歌集を専門とした。1959年、転落事故により急逝。父よりも早い死であった。 妻の佐佐木由幾(旧姓・鈴木、理化学研究所研究員鈴木庸生の次女)も歌人。長男は歌人の佐佐木幸綱。孫に佐佐木頼綱、佐佐木定綱。
葛巻 義敏(くずまき よしとし、1909年(明治42年) -… 葛巻 義敏(くずまき よしとし、1909年(明治42年) - 1985年(昭和60年)12月16日)は、東京市(現在の東京都)出身の作家、文芸評論家。芥川龍之介の甥。 芥川龍之介の次姉ヒサと獣医葛巻義定の長男として、東京市新宿(現在の東京都新宿区新宿)の耕牧舎牧場に生まれる。1910年に両親が離婚したため、東京市芝区銭座町(現在の東京都港区浜松町)の新原家(母の実家)で育てられる。ヒサはその後、西川豊と再婚し、龍之介の長男芥川比呂志の妻となる瑠璃子(1916年 - 2007年)を設けている。 1922年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。在学中、新しき村への参加を望んで家出した。
勝田 守一(かつた しゅいち、1908年11月10日 - 1… 勝田 守一(かつた しゅいち、1908年11月10日 - 1969年7月30日)は、日本の教育学者。 東京市に生まれる。ロシア研究者・横浜国立大学教授の勝田昌二(1911年生[要検証 – ノート])は弟。 1926年、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。(宗像誠也とは同級生) 一高を経て、1932年京都帝国大学文学部哲学科卒業。 京大卒業後、松本高等学校 (旧制)教諭、学習院大学教授などを経て、1951年から東京大学教授。日本教職員組合教研集会の講師を、その発足当初から長く務め、教育科学研究会(略称:教科研)の中心メンバーとして活躍、その機関誌『教育』の編集長の任にもあたった。
尾高 邦雄(おだか くにお、1908年10月17日 - 19… 尾高 邦雄(おだか くにお、1908年10月17日 - 1993年9月11日)は、日本の社会学者。東京大学文学部名誉教授。子爵・渋沢栄一の孫にあたる。 1908年、実業家・尾高次郎の五男として東京市根岸に生まれた。1926年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、勝田守一、宗像誠也(共に「東大教育の3M」)らがいた。第二高等学校を経て、東京帝国大学文学部社会学科に入学。次第にマックス・ウェーバーに関心を持つようになった。1932年に卒業論文『社会学における了解的方法』を提出して卒業。 卒業した同1932年に、母校・東京帝国大学文学部副手に採用された。
宗像 誠也(むなかた せいや、1908年4月9日 - 197… 宗像 誠也(むなかた せいや、1908年4月9日 - 1970年6月22日)は日本の教育学者、東京大学名誉教授。同僚の勝田守一(教育学)、宮原誠一(社会教育学)と並び、「東大教育の3M(スリー・エム)」と称された。
金森 九郎(かなもり くろう、1907年(明治40年)5月2… 金森 九郎(かなもり くろう、1907年(明治40年)5月26日 - 1977年(昭和52年)6月23日)は、日本の実業家。富士製鉄常務取締役、日本原色押花協会会長を務めた。位階は正四位。勲四等旭日小綬章。 姪・和子の長男は、第28代自由民主党総裁・第102代内閣総理大臣の石破茂である。 東京都渋谷区出身。牧師・金森通倫の四男。5歳の時に母が亡くなり、長姉の三寿子が母代わりとなる。 1925年、旧制東京高等師範学校附属中学校を卒業した。その後、旧制静岡高等学校を卒業した。1932年、東京帝国大学工学部冶金学科を卒業した。日鉄、八幡製鉄所に入り、広畑製鉄所研究所各勤務の後、1942年に東京帝国大学第二工学部冶金学科助教授となり、1945年には教授に就任する。
下田 武三(しもだ たけそう、1907年 <明治40年> 4… 下田 武三(しもだ たけそう、1907年 <明治40年> 4月3日 - 1995年 <平成7年> 1月22日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐米大使、最高裁判所判事、日本野球機構コミッショナー。東京府出身。位階は従二位。 外交官、外務省官僚としてポツダム宣言の翻訳を初め、日米安全保障条約、沖縄返還、日米繊維交渉など、戦後の日米交渉に深く関与した。プロ野球のコミッショナーとしては、時代の求めていたプロ野球と野球界の近代化に手腕を振るった。 教育学者の下田次郎の三男として東京に生まれ、東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)、1925年に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
西園寺 公一(さいおんじ きんかず、1906年(明治39年)… 西園寺 公一(さいおんじ きんかず、1906年(明治39年)11月1日 - 1993年(平成5年)4月22日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)、外務省嘱託職員、太平洋問題調査会理事などを歴任した。ゾルゲ事件に連座して逮捕、有罪となり、公爵家を廃嫡となった。 1906年(明治39年)11月1日、西園寺家の嫡男として神奈川県に誕生した。祖父は元老・西園寺公望、父は公望の婿養子となった西園寺八郎(実父は旧長州藩主の毛利元徳)で、母は公望の長女・新子である。 学習院初等科を経て、1924年(大正13年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、朱牟田夏雄(東京大学名誉教授)、春山泰雄(サッカー日本代表)などがいた。
朱牟田 夏雄(しゅむた なつお、1906年6月29日 - 1… 朱牟田 夏雄(しゅむた なつお、1906年6月29日 - 1987年10月18日)は、日本の英文学者。東京大学名誉教授。
磐瀬 太郎(いわせ たろう、1906年5月3日 - 1970… 磐瀬 太郎(いわせ たろう、1906年5月3日 - 1970年2月28日)は、日本の蝶学の研究者・愛好者・アマチュア研究の指導者。 東京都文京区出身。日本鱗翅学会会長(1967-70年)。妻は浜口吉右衛門長女文子。従姉妹に童謡歌手の平山美代子。妻の従姉妹に嵯峨浩がいる。 1906年、文京区駒込西片町(現・文京区西片)に東京帝国大学名誉教授、宮内庁御用掛侍医、医学博士磐瀬雄一の長男として生まれる。1919年東京高等師範学校付属小学校を卒業。同付属中学を卒業。父雄一より標本、採取道具等を譲り受け、東京谷中墓地等で蝶の採取を経験する。 中学在学中の1921年、初めての論文「アゲハ蝶類の草食及び食物に就いて」を「昆虫世界」(第25号)に発表。
春山 泰雄(はるやま やすお、1906年4月4日 - 198… 春山 泰雄(はるやま やすお、1906年4月4日 - 1987年6月17日)は、東京都出身の会社役員、新聞記者、サッカー選手である。
加藤 誠平(かとう せいへい、1906年2月7日 - 196… 加藤 誠平(かとう せいへい、1906年2月7日 - 1969年5月7日)は、日本の林学者・造園家・登山家。森林利用学の分野で活躍、索道の技術研究、自然保養林制度制定にかかわり、また観光学や風景学、さらに橋梁の美学についても研究を重ねた人物。学位は、農学博士。東京大学名誉教授。放物線索理論による架空索理論の研究や伐木運材技術についての研究で業績をあげ、1957年日本農学賞受賞。著書に「林業土木学」「森林土木」などがある。元ヒマラヤ登山隊長。1963年夏、東大カラコルム遠征隊長を務めた。登山で全身リューマチにかかり、国立伊東温泉病院に入院し治療を受けていた。 父は宗教学者加藤玄智。東京生まれで、東京高等師範学校附属中学校を経て、1926年(大正15年)に旧制静岡高等学校卒業。
山根 銀二(やまね ぎんじ、1906年1月27日 - 198… 山根 銀二(やまね ぎんじ、1906年1月27日 - 1982年9月14日)は日本の音楽評論家。ベートーヴェン研究家として知られる。1934年から『朝日新聞』に音楽批評を執筆し、続いて『東京日日新聞』、1946年から再び『東京新聞』『讀賣新聞』の音楽批評を担当。『東京新聞』での批評は1961年まで続いた。
相馬 勝夫(そうま かつお、1904年11月26日-1983… 相馬 勝夫(そうま かつお、1904年11月26日-1983年1月31日)は、専修大学理事長、専修大学総長。専修大学創立者の相馬永胤の孫。経済学博士。専門は保険論。岡山県岡山市出身。 1924年東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。1930年(昭和5年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、専修大学講師。1932年東京商科大学旧制大学院修了。1938年専修大学教授。その後、学生部長・就職指導部長・を歴任。1955年商経学部長。1957年体育部長。1961年経営研究所長。1961年専修大学にて論題「新価保険」で経済学博士を受く。 1961年(昭和36年)専修大学第10代学長。