スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日… 三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日 - )はタレント、作詞・作曲家、音楽評論家。 本名は松岡寿夫(まつおか かずお)。ペンネーム:佃清風(つくだ せいふう)。 神奈川県横浜市出身。 東京府南葛飾郡吾嬬町(のち東京市向島区、現墨田区立花)にて鉄筋業 松岡工業(廃業)を経営していた松岡滋忠の子として、9人兄弟の長男として生まれる。 「司会の神様」の異名を持っていた。 1945年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業。 1946年東邦楽劇団バンドマスターを経て、美空ひばり、江利チエミ、藤山一郎等の専属司会者として活動を始める。 1953年最初の民放テレビ「私も出まショー」のレギュラー司会となる。
稲垣 富士男(いながき ふじお、1925年2月12日 - )… 稲垣 富士男(いながき ふじお、1925年2月12日 - )は、日本の経営学者・会計学者。商学博士(論文博士・1969年)。青山学院大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 東京市(現江東区)出身。1942年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒、1945年陸軍経理学校卒、1947年中央大学商学部卒、同大学院商学研究科博士課程中退、1969年「連結財務諸表論 アメリカにおける発展を中心として」で、商学博士の学位を取得。 中央大学助教授、日本大学商学部助教授、青山学院大学経営学部教授。1993年定年、名誉教授。 2002年、勲三等旭日中綬章受章。
斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Sa… 斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Saito、1924年12月8日 - 2004年4月11日)は、東京府(現・東京都)生まれの作曲家、指揮者、幹部自衛官。自由作曲家協会会員であり日本吹奏楽指導者協会理事・日本国民音楽振興財団理事も務めた。長男はチェロ奏者の斎藤章一、長女はバイオリニストの内藤景子、長女の夫はホルン奏者の内藤貴司、孫は俳優の内藤光佑。 1924年、東京・深川の酒屋の次男として生まれる。1942年に日本大学第一中学校(旧制、現・日本大学第一高等学校)を卒業。1943年に東京音楽学校(旧制、現・東京芸術大学)に入学し、1947年に卒業。1949年に同校の研究科を修了。
飯田 鼎(いいだ かなえ、1924年<大正13年>9月24日… 飯田 鼎(いいだ かなえ、1924年<大正13年>9月24日 - 2011年<平成23年>5月10日)は、日本の経済学者。 1924年9月24日、千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷村(現:鎌ケ谷市)中沢に飯田粲・いゐ夫妻の二男として生まれる。1942年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、1949年慶應義塾大学経済学部を卒業し、同経済学部助手。1957年助教授に就任。1958年イギリス労働組合の生成により慶應義塾賞を受賞。慶應義塾労働組合三田支部委員長、慶應義塾労働組合委員長などを歴任。1966年10月教授に昇任。慶應義塾大学より経済学博士の学位を取得。1967年法政大学経済学部講師(社会政策論担当)を兼任(任期1年)。
三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 19… 三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 1999年1月25日)は、日本の俳優・演出家・コメディアン。日本喜劇人協会第5代会長。本名は田沼 則子()。長男は、コメディアンの小林のり一。 東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)生まれ。母は待合「芳柳」を営んでいた。 1942年、旧制日本大学第一中学校を卒業。日本大学法文学部芸術学科に入学し、同期生には映画科に小沢茂弘・沼田曜一がいた。大学には当初画家を目指して入学したが、その後舞台美術に興味を持ったことで演劇学科に転籍し、1947年に同学科を卒業。 その後慰問公演の俳優に欠員が出てその穴埋めとして出演を頼まれたのを機に、新劇の世界に入ることになった。
角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 20… 角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 2000年9月20日)は、日本の会計学者。 東京市小石川区(現東京都文京区)出身。1942年旧制日本大学第一商業学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。1949年明治大学商学科卒、1977年「営業費分析の研究」で経営学博士の学位を取得。明大経理研究所研究員、1957年明治大学経営学部専任講師、1960年助教授、1966年教授となる。1980-1982年経営学部長を務め、1993年定年、名誉教授。
四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助… 四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助、本名: 若林 英次、1922年1月5日 - 2010年8月7日)は、東京市芝区宇田川町出身の長唄囃子方、篠笛演奏家・作曲家。福原流鳴物六代目宗家、福原流百之助派四代目家元。東京芸術大学客員教授、国立劇場養成所講師。 長唄囃子方五代目福原百之助の跡取りとして生まれ、母親も長唄の師匠。幼い頃より芸の薫陶を受けた。 1939年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。 第二次世界大戦中は駆逐艦の建造等に動員されたが、戦後邦楽界の再建に携わり、1940年に福原英次を名乗る。1964年に六代目百之助を襲名。1981年に長唄協会理事。
石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 20… 石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 2004年7月9日)は、北海道出身の俳人。本名は和郎(かずろう)。1938年、旧制日本大学中学校(現、日本大学第一中学校・高等学校)卒業、國學院大學中退。戦後、結核のため清瀬の国立東京病院に入所。1952年、東京療養所俳句サークル誌「松濤」の加藤楸邨の選を受け、翌年、「寒雷」に入会。また石田波郷に師事し、1954年、俳誌「鶴」に入会。「鶴」支部句会で小林康治からも学んだ。波郷没後、1974年、小林康治の「泉」創刊に参加、編集を担当、1980年より「泉」を辞した小林に代わり選を務める。1988年、俳人協会評議員。1990年、健康上の理由で「泉」主宰を綾部仁喜に譲る。
保田 隆芳(やすだ たかよし、1920年3月18日 - 20… 保田 隆芳(やすだ たかよし、1920年3月18日 - 2009年7月1日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会(JRA))、調教師(日本中央競馬会)。 1936年に騎手デビュー。10代の頃から名門・尾形藤吉厩舎の主戦騎手として頭角を現し、数々の大競走を制する。1958年、アメリカ遠征を機に、従来の日本では見られなかったアメリカ式のモンキー乗りを習得し、日本における騎手の騎乗フォームに大きな変革をもたらしたことから、モンキー乗りの先駆者とされている。1959~1961年、中央競馬全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)。1963年、中央競馬史上初の通算1000勝を達成。
鵜澤 義行(うざわ よしゆき、1920年 - 2012年4月… 鵜澤 義行(うざわ よしゆき、1920年 - 2012年4月21日)は、日本の政治学者、日本大学名誉教授。 東京都生まれ。1938年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・日本大学第一高等学校)卒。1938年、日本大学第一高等学院(予科文科)入学。1942年、日大法文学部法律学科卒。1948年、同講師、1953年、同法学部助教授、1958年、教授。1973年、「幕末政治思想の史的展開」で日大法学博士。1978年、日大副総長。1980年、日本大学第一学園8代同窓会長。1990年、定年退任、名誉教授。1994年、勲三等旭日中綬章受章。
結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 198… 結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 1984年10月26日)は、日本の小説家である。 東京府生まれ。1933年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。早稲田大学英文科卒。国際学友会の日本語学校の教師を経て、1948年、「秋祭」で作家デビュー。以後、『早稲田文学』ほかの文芸雑誌、年に二作程度の短篇を発表する寡作で地味な作家だったが、1980年、老人と少女の交流を描いた「空の細道」で日本文学大賞受賞。没後の2000年、未知谷より全3巻の『結城信一全集』(串田孫一、郡司勝義、結城信孝責任編集)が刊行された。アンソロジスト、エッセイストの結城信孝は息子。墓所は荒川区西日暮里の本行寺。
井狩 正司(いかり まさし、1916年 - 2011年)は、… 井狩 正司(いかり まさし、1916年 - 2011年)は、日本の国文学者。1934年、旧制・日本大学中学校(現・日本大学第一高等学校)卒業。元日本大学文理学部教授、元隅田川神社宮司。
桂 章太郎(かつら しょうたろう、1914年5月8日 - 1… 桂 章太郎(かつら しょうたろう、1914年5月8日 - 1935年5月13日)は、日本の俳優である。本名松田 秀雄(まつだ ひでお)。日本映画データベースにおける「柱章太郎」は、単純な誤記である。満18歳で映画主演して以降、サイレント末期の剣戟映画における青年スターであったが、満21歳で戦死した。 1914年(大正3年)5月8日、東京府東京市京橋区八丁堀(現在の東京都中央区八丁堀)に生まれる。 1926年(大正15年)3月、旧制小学校を卒業し、同年4月、旧制・日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)に進学したが、満15歳になる1929年(昭和4年)、同校を中途退学して京都に移り、等持院の東亜キネマ京都撮影所に入社する。
斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913… 斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913年6月19日 - 2000年7月9日)は、日本の政治家、経済評論家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、 科学技術庁長官(44代)。東京出身。早稲田大学商学部卒業。商学博士、法学博士、文学博士。 1931年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1936年早稲田大学商学部卒業後、日本経済新聞社に入社。上海支局長、シンガポール支局長などを歴任した。 1949年には「一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究」にり早稲田大学から商学博士、1959年には「賠償の実証的研究」により中央大学から法学博士、1965年には「イスラムの社会思想」により東洋大学から文学博士を、それぞれ論文博士として取得した。
安藤 正一(あんどう しょういち、1912年8月20日 - … 安藤 正一(あんどう しょういち、1912年8月20日 - 1995年3月22日 )は日本の歯科医師、歯学者。 東京出身。1930年、旧制日本大学中学校(現・日本大学第一高等学校)卒業、1934年日本大学専門部歯科卒業。1964年、日本大学歯学部歯科放射線学講座第3代教授。1973年から1977年まで日本大学歯学部付属歯科病院長。 日本歯科放射線学会会長、総務理事、日本歯科医学会副会長などを歴任した。 1995年3月22日、心筋梗塞のため死去。
多田 勇(ただ いさむ、1911年(明治44年)2月8日 -… 多田 勇(ただ いさむ、1911年(明治44年)2月8日 - 1990年(平成2年)3月12日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 千葉県香取郡佐原町(佐原市を経て現香取市)で生まれる。1931年(昭和6年)日本大学商業学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業した。 房総新聞記者となる。以後、千葉県砂糖卸商業組合専務理事、同日用品配給統制組合常務理事、千葉県生活用品販売副社長、東日本産業社長、多田印刷社長、千葉県印刷工業組合理事長、全日本印刷工業組合連合会理事、同常務理事、同副会長、日本印刷工業会理事、全国印刷工業健康保険組合理事、千葉印刷団地協同組合理事長、関東五県印刷工業厚生年金基金理事、千葉陸上競技協会会長、千葉県体育協会副会長、同顧問などを務めた。
明田川 孝(あけたがわ たかし、1909年6月22日 - 1… 明田川 孝(あけたがわ たかし、1909年6月22日 - 1958年8月13日)は、日本の彫刻家・音楽研究家。 新制作協会彫刻部創立会員。東京美術学校在学中より気鳴楽器オカリーナを研究・制作し、「12穴式オカリーナ」の開発に成功。日本にこの楽器を広め根づかせた「アケタオカリーナ」の創始者であり、「日本のオカリーナの父」と呼ばれている。長男はジャズ・ピアニストの明田川荘之。
岸上 慎二(きしがみ しんじ、1908年3月26日 - 20… 岸上 慎二(きしがみ しんじ、1908年3月26日 - 2002年1月29日)は、日本の国文学者。専門は日本中古文学。『後撰和歌集』『枕草子』の研究で知られ、特に『枕草子』の作者とされる清少納言の伝記を解明した。 岐阜県養老郡出身。1925年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1928年、日本大学高等師範部国語漢文科卒業。1931年、日本大学法文学部文学科卒業。1943年、日本大学農学部予科教授。1949年、日本大学文学部教授。1960年、「清少納言傳記攷」で日本大学より文学博士の学位を取得。同年、日本大学文理学部教授。1978年、定年退職、名誉教授。1980年、勲三等瑞宝章を受章。
遠山 景光(とおやま かげみつ、1906年〈明治39年〉7月… 遠山 景光(とおやま かげみつ、1906年〈明治39年〉7月16日 - 1980年〈昭和55年〉12月20日 )は、日本の政治家。東京都議会議員、東京都千代田区長などを務めた。千代田区名誉区民。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 弟にアールエフラジオ日本会長を務めた遠山景久がいる。 父親は京浜実業家名鑑 寄与者:遠山景澄。 神田神保町出身。1924年に神田三崎町の旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)卒業。1936年中央大学専門部商科卒業。その翌年に東京市神田区議会議員に当選。2期務め、区議会副議長にも就く。1947年に東京都議会議員・千代田区議会議員に当選。 1960年5月20日、第4代官選千代田区長に就任。
楠美 省吾(くすみ せいご、1905年〈明治38年〉9月13… 楠美 省吾(くすみ せいご、1905年〈明治38年〉9月13日 – 1980年〈昭和55年〉1月13日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。 青森県北津軽郡七和村大字高野(現五所川原市)出身。1925年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。同年旧制弘前高等学校入学。1931年東北帝国大学法律科卒。翌年満洲国大同学院卒。卒業後は満洲国に勤務する。1942年の翼賛選挙では郷里の青森県から非推薦で立候補して当選した。戦後、公職追放となり、追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙で青森2区から改進党公認で立候補したが落選、翌年の第26回衆議院議員総選挙で当選した。石橋、第1次岸内閣で行政管理政務次官に就任した。
富田 常雄(とみた つねお、1904年(明治37年)1月1日… 富田 常雄(とみた つねお、1904年(明治37年)1月1日 - 1967年(昭和42年)10月16日)は、日本の小説家。柔道五段。東京府生まれ。明治大学商学部卒。初め心座文芸部に入って新劇運動に参加したのち、『姿三四郎』が大変な人気を呼んで流行作家となる。戦後『面』『刺青』で直木賞受賞。映画化、ドラマ化された作品も多く、大衆文学の大家として人気を博した。 柔道家富田常次郎の子として東京府に生まれる。永田町小学校(現千代田区立麹町小学校)、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、明治大学商学部。在学中、詩誌『感情革命』を創刊する。1928年、河原崎長十郎らの心座文芸部に参加する。他のメンバーに舟橋聖一、村山知義らがいた。
實川 清之(じつかわ きよし、1903年10月6日 - 19… 實川 清之(じつかわ きよし、1903年10月6日 - 1980年9月11日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 1903年、千葉県山武郡千代田村(現:芝山町)で農家の子として生まれる。父伊三郎は、村の信用組合理事のほか、村会議員や村役場助役などの公職を勤めたが、實川がまだ幼い頃に肺結核により他界した。本業の農業を人任せにしていた、大酒飲みの伊三郎は、實川家の資産を半減させてしまっていた。 千代田尋常高等小学校ののち旧制成田中学校で学ぶが、3年生のときに生徒によるストライキに関わり、退学。その後上京して日本大学中学校に転入し、ここでも身体検査に反対して停学処分を受けている。 1922年に中学を卒業して日本大学法文学部社会学科に入るが、社会主義運動に参加して千葉県での農民組合結成や日本学生社会科学連合会の活動家として軍事教練反対などの活動を行い、1926年に治安維持法違反で逮捕・収監され、授業料を納められず大学中退となる。
川﨑 千春(かわさき ちはる、1903年〈明治36年〉4月5… 川﨑 千春(かわさき ちはる、1903年〈明治36年〉4月5日 ‐ 1991年〈平成3年〉6月6日)は、日本の実業家。京成電鉄第5代代表取締役社長、京成百貨店代表取締役社長、オリエンタルランド初代代表取締役社長、北総開発鉄道代表取締役社長、成田空港交通代表取締役社長、日本民営鉄道協会会長を務めた。また、日本大学第一学園の第6代同窓会長も歴任した。茨城県出身。趣味はゴルフ、邦楽、古いヴァイオリンの修理。 日本にディズニーパークを誘致する構想を提案した人物であり、東京ディズニーランドの建設計画にも中心的に関わった。京成電鉄では21年間にわたり社長を務め、京成グループの発展に尽力した。 尾張徳川家に仕えた絵師の家系の出身で、従兄に川﨑小虎、小虎の長女・川﨑すみの夫に東山魁夷がいる。
青柳 信雄(あおやぎ のぶお、1903年3月27日 - 19… 青柳 信雄(あおやぎ のぶお、1903年3月27日 - 1976年5月17日)は、日本の映画監督、プロデューサー。 1903年(明治36年)横浜市生まれ。1915年(大正4年)に神奈川師範附属小学校を卒業。同級生に江川宇礼雄、国木田虎雄、岡田時彦(高橋英一)らがいた。旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・日本大学第一高等学校)を卒業。明治大学卒業後、心座、美術座、前進座、芸術座、猿之助一座、東宝劇団といった新劇の舞台演出を手がけていた。 1933年(昭和8年)には、演出を手掛けた『源氏物語』が風教を害するという理由で上演直前に禁止命令を受ける憂き目に遭った。1937年(昭和12年)、34歳の時に東宝へ制作者として入社。
平井 呈一(ひらい ていいち、1902年(明治35年)6月1… 平井 呈一(ひらい ていいち、1902年(明治35年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月19日)は、日本のイギリス文学翻訳者・編集者で、多くの訳書を通じ海外怪奇小説を紹介した。 1902年、神奈川県中郡平塚町(現・平塚市)で生まれる。本名は程一。江戸下町育ちで、没時まで和服で通した。 東京府東京市日本橋区浜町(現・東京都中央区日本橋浜町)の養家で居住。浜町尋常小学校から1920年に日本大学附属中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を経て早稲田大学文学部英米文学科中退。河東碧梧桐に師事して俳句に親しむ。永井荷風と佐藤春夫に師事し、江戸文学に造詣が深い翻訳者となった。中菱 一夫の筆名で、小説「真夜中の檻」「エイプリル・フール」を著している。
菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-19… 菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-1982年4月16日)は、日本の作家、編集者、翻訳家。「芸術新潮」初代編集長。 宮崎県臼杵郡北方村(現在の延岡市) で生まれる。1920年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、1925年、立教大学文学部英文科を卒業。1925年から3年間、麻布中学校の英語教師を務め、1928年渡欧し、1930年帰国。 研究社、春秋社、新潮社に勤務し、傍ら文筆活動にも努める。 新潮社では、1950年「芸術新潮」初代編集長となり、創刊から62号まで携わり、1955年退職。 晩年の島崎藤村と交流があり、1947年の木曾馬籠の藤村記念館の設立に尽している。
高野 弘正(たかの ひろまさ、1900年〈明治33年〉10月… 高野 弘正(たかの ひろまさ、1900年〈明治33年〉10月31日 - 1987年〈昭和62年〉5月27日)は、日本の剣道家。称号は剣道範士、一刀流中西派(または小野派一刀流中西派)宗家。 小野派一刀流の剣道家高野佐三郎の次男として東京に生まれる。6歳より父の道場明信館で剣術を修行し、後に小野派一刀流を継承する。小野派一刀流の中西子定から数えて8代目にあたる。 1918年(大正7年)、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・日本大学第一高等学校)を卒業。1923年(大正12年)、東京高等師範学校体育科を卒業。1926年(大正15年)、大日本武徳会から精錬証を授与される。 昭和に入り、早稲田大学に奉職する一方、修道学院を運営、さらに劇団を作って主演もした。
神田 久太郎(かんだ きゅうたろう、1897年12月20日 … 神田 久太郎(かんだ きゅうたろう、1897年12月20日 - 1977年6月15日)は、日本の柔道家。講道館9段。 柔術を修行して肩車や双手刈といった技に長じ戦前の全日本選士権大会や明治神宮競技大会柔道競技で優勝、戦後も50歳で全日本選手権大会に出場するなど永く選手として活動した、昭和初期を代表する柔道家の1人である。警視庁柔道師範や福島県警柔道師範を務めたほか、1964年の東京五輪柔道競技での強化委員や福島県柔道連盟会長等も歴任した。 福島県出身で本籍地は福島市荒町。幼少時より宏道館道場の渡辺峰松の元で約3年、さらに大日本武徳会福島支部にて学んだ。 上京して日本大学中学校(現:日本大学第一中学校・高等学校)に進学するも中退し、時を前後し千葉の武徳殿で戸塚派揚心流山本欽作範士の門下となって1915年には武徳会の初段を取得。
会 一太郎 は、日本の声優、落語家。落語家としての高座名は三… 会 一太郎 は、日本の声優、落語家。落語家としての高座名は三遊亭一太郎。東京都墨田区出身。
あやかんぬ、 石塚彩花 1997年5月22日 - )は、日本… あやかんぬ、 石塚彩花 1997年5月22日 - )は、日本の女優、タレント 千葉県市川市出身。日本大学第一中学・高等学校卒業。ワンダーヴィレッジ所属。 DHCのプロテインダイエットWEBCM「救え!ウツボ怪人」、YouTubeチャンネル「KAWAIIPATEEN」の動画出演、「素麺エンジェルズ」のメンバーとして南島原市のPR動画「マイメンいつメン島原手延素麺」に出演した。
渋谷 恒男(しぶや つねお)は、東京都出身の、日本の柔道選手… 渋谷 恒男(しぶや つねお)は、東京都出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長188cm。体重120kg。 入谷中学から日大一高を経て日本大学へ進学した。1年の時から3年連続で優勝大会で3位に貢献して優秀選手にも選ばれた。3年の時には正力国際95kg超級の決勝で秋田経済法科大学3年の渡辺浩稔を腕挫腕固で破って優勝した。4年の時には優勝大会で村上修司、金野潤、持田達人などとともに活躍して優勝を飾った。一方、正力杯では3位、正力国際では決勝で世界選手権3位であるソ連のグリゴリー・ベリチェフに崩上四方固で敗れて2位にとどまった。大学を卒業後は帝京大学の教員となった。 (出典、JudoInside.com)。
湯浅 篤(ゆあさ あつし)は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロ… 湯浅 篤(ゆあさ あつし)は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。 東京都出身。日本大学第一高等学校、日本大学芸術学部音楽学科卒。同学科の情報音楽コースの講師を務めている。
石井 久至(いしい ひさし)は、日本の元アマチュア野球選手、… 石井 久至(いしい ひさし)は、日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは内野手。 日本大学第一高等学校では、エースとして1963年に春夏連続で甲子園へ出場。春の選抜は、2回戦で東田正義、元田昌義を擁する御所工に敗退。夏の選手権では、1回戦で徳島商のエース三好幸雄に抑えられ大敗を喫する。高校の1年下に小林正之がいた。 日本大学に進学し、内野手に転向。東都大学野球リーグでは、同期のエースである森内一忠の好投もあって1966年春季リーグで優勝。最高殊勲選手、ベストナイン(遊撃手)に選出される。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で山下律夫、有藤通世らのいた近大を降し優勝。他の大学同期に二塁手の田草川伸生(日本生命)、外野手の正垣泰祐がいた。