スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
久能 靖(くのう やすし、1936年2月13日 - )は、日… 久能 靖(くのう やすし、1936年2月13日 - )は、日本のジャーナリスト、アナウンサー。 元日本テレビアナウンサー、同局専属ニュースキャスター。千葉県出身。妻は元宝塚歌劇団の女優の久美かおる。 少年時代を長野県北信地域で過ごす。神奈川県立小田原高等学校、東京大学文学部卒業後、1960年、アナウンサーとして日本テレビへ入社、ニュース、スポーツ、舞台中継などを担当。同期に久保晴生・宮尾俊輔がいる。 1972年、連合赤軍あさま山荘事件では長時間にわたって実況報道を担当した。事件報道を機に報道部へ異動を志願し、記者に転じる。 1988年9月19日、「昭和天皇重体」の一報を聞きつけ、報道局に詰めて取材にあたる。
天野 郁夫(あまの いくお、1936年1月7日 - )は、日… 天野 郁夫(あまの いくお、1936年1月7日 - )は、日本の社会学者・教育学者。専門は教育社会学。東京大学名誉教授。元日本学術会議会員。元日本教育社会学会会長。元日本高等教育学会会長(初代)。2004年から2010年まで神戸大学経営協議会学外委員、2006年から2012年まで一橋大学経営協議会学外委員。横浜国立大学経営協議会委員、京都大学外部評価委員、九州大学外部評価委員等も歴任した。日本の高等教育の構造分析、歴史社会学的分析で知られる。 神奈川県足柄下郡真鶴町の魚屋の父、助産婦の母の下に、5人兄弟の次男として生まれる。1958年一橋大学経済学部卒業後富士通に約1年勤務。1959年同社を退職、高校教師を志し東京大学教育学部3年に編入し清水義弘に師事。
岡部 進(おかべ すすむ、1935年(昭和10年)11月21… 岡部 進(おかべ すすむ、1935年(昭和10年)11月21日 - )は、日本の数学者。神奈川県小田原市鴨宮出身。 1935年(昭和10年)11月21日、神奈川県小田原市鴨宮に生まれる。1954年(昭和29年)神奈川県立小田原高等学校を卒業、一浪した後、1955年(昭和30年)4月、横浜国立大学学芸学部数学科に入学。同大学を1959年(昭和34年)3月に卒業し、同年5月より1994年(平成6年)3月まで、東京都・神奈川県公立高校数学科教諭、教頭を勤める。この間、数学者・小倉金之助の数学教育論を研究し、授業実験を通して、その理論を検証、同時にこの理論を現代へ生かすべく、授業・単元の三段階論及び「日常性の数学」を提唱した。
山田 太一(やまだ たいち、1934年〈昭和9年〉6月6日 … 山田 太一(やまだ たいち、1934年〈昭和9年〉6月6日 - 2023年〈令和5年〉11月29日)は、日本の脚本家・小説家。本名:石坂 太一(いしざか たいち)。 松竹で木下惠介の助監督を務めた後、フリーランスとなり、テレビドラマの脚本家に転身。社会的弱者を主題としたり、テレビドラマのタブーに挑戦したりするなど、数々の話題作を次々と生み出した。 小説では『飛ぶ夢をしばらく見ない』『異人たちとの夏』『遠くの声を捜して』の三部作を著し、小説家としても活動した。『異人たちとの夏』では1988年(昭和63年)に山本周五郎賞を受賞し、同作の映画や舞台も手掛けている。 東京市浅草区出身。浅草六区で大衆食堂を経営していた愛知県出身の父親と栃木県真岡市出身の母親の子として誕生。
内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 201… 内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 2013年以前)は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(インサイドライト)。 神奈川県立小田原高等学校を1953年に卒業。中央大学ではサッカー部に所属。卒業後は古河電工サッカー部に入団。1960年度天皇杯にて、実業団チームとして初となる天皇杯優勝に貢献した。翌1961年度、1964年度にも天皇杯優勝。 学生時代から日本代表に選出され、1956年のメルボルンオリンピック予選では韓国代表との1戦目で貴重な先制点を挙げた。2戦目は韓国に敗れたものの、抽選で本大会出場が決定。本大会でのオーストラリア代表戦にも出場した。
大内 秀明(おおうち ひであき、1932年10月 - 202… 大内 秀明(おおうち ひであき、1932年10月 - 2024年1月9日)は、日本の経済学者・マルクス経済学研究者。東北大学名誉教授。 1932年、東京市(現・東京都)に生まれる。神奈川県立小田原高校、東京大学経済学部を卒業、東京大学大学院社会科学研究科博士課程を修了し、1963年に 『価値論の形成』で東京大学より経済学博士の学位を受ける。その後、東北大学教養部教授を務める。 1993年に東北大学を退官して名誉教授となる一方、東北科学技術短期大学学長に就任した。この年、社会党シャドーキャビネットで「経済企画庁長官」に任じられた。 1999年より、東北文化学園大学総合政策学部で教授を務める(2003年まで)。
中村 哲(なかむら さとる、1931年5月17日 - )は、… 中村 哲(なかむら さとる、1931年5月17日 - )は、日本の経済史学者。京都大学・福井県立大学・鹿児島国際大学名誉教授。堀江英一門下。 1931年、愛知県岡崎市出身。神奈川県立小田原高等学校を卒業後、1951年4月、京都大学文学部入学。1955年4月、同文学部史学科国史学専攻卒業。1957年3月、京都大学大学院文学研究科修士課程国史学専攻修了。1959年3月、京都大学大学院文学研究科博士課程国史学専攻退学後、京都大学人文科学研究所助手を1966年まで務める。同年4月、龍谷大学経営学部助教授。1969年4月、京都大学経済学部助教授に就任。1970年7月、経済学博士学位取得。1976年7月、同経済学部教授。
宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 20… 宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 2014年8月20日)は、日本の彫刻家。本名・磯崎愛子。旧姓・荒木。夫は建築家の磯崎新。 静岡県出身。熱海の資産家(商家)の一人娘として生まれ、幼少期より病弱のため戦時中も自宅療養し、丈夫になるようにと貴子、幹子と改名を繰り返した。 1945年に広津和郎が近所に転居して以降、家族ぐるみの交流が始まる。1946年に小田原高等女学校(現、神奈川県立小田原高等学校)卒業後、日本女子大学文学部史学科へ入学、東京大学西洋史学科の学生だった宮脇俊三との交際が始まり、俊三を広津に紹介する。在学中に俊三と結婚し(1960年に別居し1965年離婚)、1952年に大学卒業。
武井 良平(たけい りょうへい、1925年10月7日 - 2… 武井 良平(たけい りょうへい、1925年10月7日 - 2020年3月26日)は、日本の実業家。元帝国繊維社長。 神奈川県南足柄市のみかん農家に生まれた。旧制県立小田原中学(今の神奈川県立小田原高等学校)、慶応義塾大学経済学部卒業後、1952年富士銀行入行、1972年に浜松支店長を務めた。帝国繊維の社長、会長を務め、72歳で退職。日本における麻織物の発展に努めた。日本工業倶楽部俳句会で稲畑汀子に師事し、2001年第18回朝日俳壇賞受賞。2020年3月26日94歳で死去。
戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日… 戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日 - 2005年2月14日)は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(4期)。 1919年(大正8年)、現在の神奈川県小田原市に生まれる。小田原中学校(現:小田原高等学校)を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学法学部卒。同年、内務省に入る。翌年厚生省に転じる。1970年(昭和45年)保険局長。1972年(昭和47年)社会保険庁長官。1973年(昭和48年)厚生事務次官。翌1974年(昭和49年)厚生省を退官。翌年、神奈川県知事選挙に立候補するが落選。1976年(昭和51年)から神奈川3区から立候補して4回当選した。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選。
磯部 健雄(いそべ たけお、1918年 - 没年不明)は、神… 磯部 健雄(いそべ たけお、1918年 - 没年不明)は、神奈川県出身のプロ野球選手。 小田原中学校から國學院大學を経て、1938年秋に名古屋金鯱軍へ入団。1940年に退団。
普川 茂保(ふかわ しげやす、1913年5月13日 - 19… 普川 茂保(ふかわ しげやす、1913年5月13日 - 1995年5月30日)は日本の実業家。元日本信託銀行社長・会長。 神奈川県出身。旧制神奈川県立小田原中学校(神奈川県立小田原高等学校の前身)、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を経て、第百銀行に入行。 三菱銀行で総務部長や常務を務めたのち、1974年に日本信託銀行社長就任。日本列島改造論後の不動産不況で多額の不良債権が生じていた同行のたてなおしにあたった。また労働組合との関係改善も進め、のちの三菱銀行との経営統合の基盤を作った。1981年に社長を退任し、会長に就任。1987年6月、会長を退き、取締役相談役に就任。1988年6月には取締役を退任し相談役に就任。
永山 時雄(ながやま ときお、1912年〈明治45年〉2月1… 永山 時雄(ながやま ときお、1912年〈明治45年〉2月11日 - 1999年〈平成11年〉7月11日)は、神奈川県出身の官僚。旧通商産業省初代大臣官房長。位階は従三位。 神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、第一高等学校 (旧制) を経て、1935年に東京帝国大学法学部卒業。同年、商工省入省。入省同期に、斎藤正年(特許庁長官)、小出栄一(共石社長、経済企画事務次官)、鹿子木昇(アジア経済研究所所長、大阪通産局長)、小山雄二(中小企業庁長官)、油谷精夫(東京通産局長)など。 戦後、商工省外局の貿易庁に、時の貿易庁長官に就任した白洲次郎が貿易庁と共に商工省も解体し新制・通商産業省へと改組する構想を松田太郎商工次官が掴み、当初その動向を監視するため、当時商工省物資調整課長であった永山が筆頭課長である貿易課長として送り込まれた。
内藤 誉三郎(内藤 譽三郎、ないとう たかさぶろう、1912… 内藤 誉三郎(内藤 譽三郎、ないとう たかさぶろう、1912年1月8日 - 1986年3月16日)は、昭和期の政治家、文部官僚。文部大臣(第100代)、参議院議員(3期)。大妻女子大学学長。 神奈川県中郡西秦野村渋沢(現秦野市)に、葉タバコ農家を営む諸星喜之助の四男として生まれる。神奈川県立小田原中学校(現神奈川県立小田原高等学校)、東京高等師範学校を経て、1936年東京文理科大学英語英文科を卒業、文部省社会教育局に嘱託として入省する。また同年に内藤春子と結婚し、内藤家の養子となった。文部省入省後の1942年に高等文官試験に合格し、大臣官房文書課総務掛長となる。 戦後は省内随一の英語力を武器に、GHQとの折衝で活躍し頭角を顕した。
岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - … 岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - 1982年10月8日)は日本の出版経営者。マガジンハウス創業者。娘にノンフィクション作家の新井恵美子。 神奈川県出身。新聞記者を志し、小田原中学から明治大学に入学。新聞部に所属するも退学処分となり、後に日本大学法学部に途中入学し、卒業。1933年に時事新報社に入社。後に退社し、1945年凡人社設立を経て、1954年に平凡出版(現マガジンハウス)設立。1982年死去。
中井 一郎(なかい いちろう、1907年 <明治40年> 4… 中井 一郎(なかい いちろう、1907年 <明治40年> 4月6日 - 1998年 <平成10年> 9月18日)は日本の政治家。神奈川県小田原市長(4期)。17代全国市長会会長。位階は従四位。 現在の神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学卒。足柄下郡片浦村会議員を経て、神奈川県会議員を連続6期、同議長なども歴任した。県議時代は自由民主党に所属した。 1969年に小田原市長に初当選。4期務めた。市長在職中は市民に「市長と話し合う会」の開催、市役所の日曜開庁、浄水場や清掃工場、給食センターなどの開設、小田原城跡の一部開放や公園化、「緑を豊かにする条例」の制定など数々の業績を上げた。1983年から全国市長会会長に就任した。
北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 19… 北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 1973年9月29日)は、日本の小説家。 神奈川県小田原市の医家に生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、家業を継ぐべく旧制新潟高等学校理科に入学するが父に反抗して中退し、慶應義塾大学予科に入学。慶應義塾大学文学部仏文科に進むが国文科に転じ、1932年に卒業。在学中に、井上友一郎、田村泰次郎らの同人誌『桜』に参加。 都新聞社に入社。横浜支局に勤務。1934年、都新聞社本社に転勤。この間、1933年に宇野千代と知り合う。1936年、宇野千代と共に日本最初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。1938年、『妻』を発表して芥川賞候補となり文壇にデビュー。
閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902年〈明治… 閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902年〈明治35年〉8月3日 - 1988年〈昭和63年〉6月18日)は、日本の旧皇族、陸軍軍人、居合道家、剣道家。閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第2男子。閑院宮第7代当主にして最後の当主。軍人としての階級は陸軍少将。全日本居合道連盟第2代会長。栄典は大勲位・功四級。戦後は皇籍を離脱し、姓を閑院とし、「閑院 春仁(かんいん はるひと)」と名乗った。のちに「純仁(すみひと)」と改名した。 1902年(明治35年)8月3日 、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第2男子(第5子)として誕生。 学習院初等科を健康上の理由で長期休学し、その後神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、1924年(大正13年)7月陸軍士官学校(36期、兵科・騎兵)を卒業。
薮田義雄(やぶた よしお、1902年4月13日‐1984年2… 薮田義雄(やぶた よしお、1902年4月13日‐1984年2月18日)は、日本の詩人。 神奈川県小田原市生まれ。旧制小田原中学三年の時、その地に住む北原白秋の門人となる。法政大学に学ぶ(卒業したかは不明)。詩のほか、白秋の初の本格的伝記などを書いた。 関連資料が小田原文学館に展示されている。
川崎 長太郎(かわさき ちょうたろう、1901年11月26日… 川崎 長太郎(かわさき ちょうたろう、1901年11月26日 - 1985年11月6日)は、日本の小説家。 神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市)出身。神奈川県立小田原中学校中退。初めアナーキストの周辺で詩作をしていたが、その後、徳田秋声、宇野浩二に出会い、その系譜を継承する私小説作家となる。1935年に「余熱」で一度芥川賞候補になるも、長く不遇の時代が続き、実家の物置小屋を住処にして貧しい生活を続けた。1950年代に「抹香町」「鳳仙花」などの作品で、物置小屋で暮らしながら私娼街に通う初老の男と娼婦との触れ合いを哀感をもって描いて好評を博し、一時のブームとなる。晩年の1970年代に出版が盛んになり、1977年に菊池寛賞、1981年に芸術選奨文部大臣賞を受賞して文学的な評価も定まった。
河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月1… 河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月14日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 参議院議員(5期)、衆議院議員(1期)、参議院議長(第11・12代)を歴任した。 神奈川県足柄下郡豊川村(現在の小田原市成田)に河野治平、タミ夫妻の三男として生まれる。河野一郎は兄、河野洋平は甥に当たる。 神奈川県立小田原中学校(現在の神奈川県立小田原高等学校)時代から長距離選手として活躍し、早稲田大学在学中は競走部(陸上競技部)に入り、兄一郎と共に箱根駅伝の選手として活躍、2度の総合優勝を経験した。第3回大会では区間2位の選手に10分37秒差をつけた。
河野 一郎(こうの いちろう、1898年〈明治31年〉6月2… 河野 一郎(こうの いちろう、1898年〈明治31年〉6月2日 - 1965年〈昭和40年〉7月8日)は、日本の政治家。副総理、日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。春秋会(河野派)会長、領袖。 新聞記者を経て1932年に政友会の代議士となり、戦後、自由党結成に参加。自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」 と呼ばれた。農林大臣、建設大臣、経済企画庁長官、行政管理庁長官、副総理、国務大臣(東京五輪担当)を務め、日ソ国交回復交渉及び漁業交渉に尽力した。総理総裁を狙い、1964年、池田首相退陣後の総裁の座を佐藤栄作と争ったが敗れ、翌年急死した。
小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 19… 小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 1984年2月11日)は、日本の政治家・官僚。郵政大臣。 神奈川県足柄上郡酒田村(現・開成町)に、酒造業・小金仁左衛門の四男として生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、一高を経て、1922年東京帝国大学法学部を卒業、農商務省に入省する。特許局属。商工省鉱山局長、鉄鋼局長、燃料局長官を歴任した。 戦後の1949年第24回衆議院議員総選挙に旧神奈川3区から無所属で立候補し当選する(当選同期に佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・木村俊夫・藤枝泉介・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・有田喜一など)。
相田 二郎(あいだ にろう、1897年(明治30年)5月12… 相田 二郎(あいだ にろう、1897年(明治30年)5月12日 - 1945年(昭和20年)6月22日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学史料編纂官。専門は日本中世史、日本古文書学で、生涯にわたって古文書学の研究・教育につとめた。 神奈川県足柄下郡早川村(現在の神奈川県小田原市)に生まれる。神奈川県立小田原中学校、第四高等学校を経て、1923年、卒業論文「土地沽却上の支拂品より見たる銭貨の流通状態 王朝時代鎌倉時代」をまとめ、東京帝国大学文学部国史学科を卒業。同大大学院進学とともに、同大学文学部史料編纂掛嘱託となる。1927年に史料編纂官補(同年、有栖川宮奨学金を受ける)、1930年から、東京帝国大学文学部講師として古文書学を講義、1933年に史料編纂官となった。
牧野 信一(まきの しんいち、1896年〈明治29年〉11月… 牧野 信一(まきの しんいち、1896年〈明治29年〉11月12日 - 1936年〈昭和11年〉3月24日)は、日本の小説家。神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市)出身。 自然主義的な私小説の傍流としてみなされることが多く、17年間の作家生活の中で珠玉の短編十数編を残して早逝した「マイナー・ポエット」といわれている。「ギリシャ牧野」とも呼ばれた中期の幻想的な作品で新境地を拓いたが、小田原の生家で悲劇的な最期(縊死自殺)を遂げた。享年39歳。 牧野信一は、決して大作家とはいえない一詩人的な作家ではあるが、その「内発的な自我破り、想像力の開放、分裂に処するパロディの方法の発見」などは文学史的には重要な意味があると磯貝英夫は考察し、その後継者的な作家として、井伏鱒二、坂口安吾、石川淳、太宰治らの名を挙げている。
鈴木 十郎(すずき じゅうろう、1896年〈明治29年〉4月… 鈴木 十郎(すずき じゅうろう、1896年〈明治29年〉4月8日 - 1975年〈昭和50年〉5月4日)は、日本の政治家。小田原市長(5期)。歌舞伎研究家 。位階は正五位。 現在の神奈川県小田原市出身。 1909年(明治42年)、神奈川県立第二中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)に入学。同級に終生の友となる牧野信一(のち小説家)がいた。早稲田大学英文科中退。早大時代、同人誌「金と銀」「象徴」などを主宰した。読売新聞、朝日新聞、歌舞伎座支配人、松竹系の役員を務めた。 1949年(昭和24年)に小田原市長に初当選し5期務めた。この間、全国市長会副会長、関東市長会会長、国保中央会理事などを務めた。1969年に市長を引退。
吉見 信一(よしみ のぶかず、1894年(明治27年)5月2… 吉見 信一(よしみ のぶかず、1894年(明治27年)5月22日 - 1988年(昭和63年)5月18日)は、日本海軍の軍人として太平洋戦争を戦った海軍少将。戦後は慶應義塾大学医学部を卒業し、医師として活躍した。娘の夫は後宮虎郎。 海軍中将・吉見乾海の長男として江田島に生まれる。弟の吉見博之は後に主計大尉となった。祖父の吉見雲台は越後長岡藩医で戊辰戦争で戦死している。小田原中学、広島一中を経て海軍兵学校入校。1915年(大正4年)12月同校卒業(第43期)。同期生に矢野志加三、中澤佑、高木惣吉らがいる。 海軍砲術学校高等科学生を卒業し、「帆風」砲術長、「霧島」分隊長、「対馬」砲術長、「陸奥」分隊長等を経て海軍少佐に進級。
大田黒 元雄(おおたぐろ もとお、1893年1月11日 - … 大田黒 元雄(おおたぐろ もとお、1893年1月11日 - 1979年1月23日)は、日本の音楽評論家である。日本における音楽評論の草分けとして知られる。 1893年(明治26年)1月11日、東京府(現・東京都)に生まれる。 大田黒の父は、日本の水力発電の先駆者で、芝浦製作所(現・東芝)の経営を再建し、財をなした大田黒重五郎(-じゅうごろう)である。父・重五郎は、幕府の御家人出身で、小牧(こまき)が本姓であった。熊本藩出身の大田黒惟信(-これのぶ、砲術家)の次女・らく(1925年没)と結婚し、以後大田黒姓を名乗ることとなった。 元雄は長男で一人っ子、幼時について、父・重五郎は、 「元雄は、幼い時から一度だって、頭なんか叩かないで済んで来た。
永見 俊徳(ながみ としのり、1888年2月19日 - 19… 永見 俊徳(ながみ としのり、1888年2月19日 - 1971年3月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 永見松太郎陸軍大尉の長男として東京で生まれる。小田原中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第27連隊付となる。1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(33期)を優等で卒業。 1922年(大正11年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、参謀本部付仰付(南京駐在)を経て、1925年(大正14年)3月、歩兵少佐に昇進。1926年(大正15年)5月、参謀本部員となり、馮玉祥顧問、参謀本部付仰付(漢口駐在)を歴任し、1928年(昭和3年)8月、歩兵中佐に進級。
郷田 ほづみ は、日本の声優、俳優、音響監督、YouTube… 郷田 ほづみ は、日本の声優、俳優、音響監督、YouTuber。名古屋芸術大学芸術学部芸術学科声優アクティングコース特別客員教授。東京都練馬区出身、神奈川県小田原市育ち。尾木プロ THE NEXT所属。本名は合田 穂積(読み同じ)。
合田 雅吏 は、日本の俳優。神奈川県出身。スターダストプロモ… 合田 雅吏 は、日本の俳優。神奈川県出身。スターダストプロモーション所属。
小宮 邦安(こみや くにやす)は、日本の実業家。神奈川県小田… 小宮 邦安(こみや くにやす)は、日本の実業家。神奈川県小田原市出身。株式会社テレビ神奈川特別顧問・元代表取締役社長。 神奈川県小田原市出身。神奈川県立小田原高等学校卒業。上智大学文学部新聞学科卒業。大学卒業後、株式会社テレビ神奈川に入社。その後、同社報道部長、東京支社次長、取締役営業本部長等を経て、2008年に同社代表取締役社長(7代目)に就任。同社初のプロパー(生え抜き)としての社長就任となった。その後、同社特別顧問や公益財団法人放送番組センター理事等を歴任。
鈴木 正(すずき ただし)は、青山学院大学理工学部化学・生命… 鈴木 正(すずき ただし)は、青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授。博士(理学)。 レーザーを用いて分子の構造や反応・緩和過程(エネルギーの流れ)を研究をしている。例えば、DNA/RNA塩基の光反応や光線過敏症を引き起こす医薬品の反応について、物理化学の視点から研究を行っている。さらに、マイクロリアクターを用いた光反応や光不斉反応、光触媒反応への応用についても研究している。