スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
濱田 篤則(はまだ あつのり、1960年 - )は元アメリカ… 濱田 篤則(はまだ あつのり、1960年 - )は元アメリカンフットボール選手、現審判・解説者。 関西学院高等部時代はクォーターバック(QB)、関西学院大学ファイターズではランニングバック(RB)で活躍する。息子の濱田大地も、関西学院高等部のアメフト部に所属している。(ポジションはLB) 関西学院大学在学中、甲子園ボウルには、京都大学ギャングスターズにリーグ初制覇を許した1982年のシーズン以外の3回出場。1983年に関西学院大学を卒業し、関学OBを中心に結成されたNACL(関西社会人リーグ(Xリーグ・ウェストディビジョンの前身)所属) 現役引退後は関西アメリカンフットボール協会審判部に所属。現在は日本アメリカンフットボール審判協会副理事長も務める。
入江 たのし(いりえ たのし、1959年(昭和34年)8月2… 入江 たのし(いりえ たのし、1959年(昭和34年)8月25日 - )は、日本のプロデューサー。本名は入江 太乃士(読みは同じ)。 オールナイトニッポンで現場を共にしたデーモン小暮閣下は、『怒った時も顔や口調が笑っているように見えるので、怒っているのかどうか解るのに時間がかかったことがあった』と評していたことがあった。その『デーモン小暮のオールナイトニッポン』で、生まれたばかりの娘の名前を『狸穴(まみあな)』という言葉から『“狸”一字だけで“まみ”ってダメかな』と話していたことを、番組中で笑い話にされたことがあった(閣下は「学校でいじめられるよ」「親がタノシで娘はタヌキ」と揶揄した)。また、この関係で、閣下が『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した時に、閣下の顔のメイクをし、「にせデーモン」の一人として出演したことがあった。
齋藤 真哉(さいとう しんや、1959年〈昭和34年〉 - … 齋藤 真哉(さいとう しんや、1959年〈昭和34年〉 - )は、日本の会計学者。 横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授を経て、同大名誉教授。財務会計基準機構理事。元内閣府公益認定等委員会参与。 1959年神戸市生まれ。兵庫県西宮市出身。関西学院中学部・高等部を経て、1982年関西学院大学商学部卒業。平松一夫ゼミ出身。 1984年関西学院大学大学院商学研究科博士課程前期課程修了。1986年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、商学修士。1989年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。 1989年青山学院大学経営学部専任講師。1993年青山学院大学経営学部助教授。2000年青山学院大学経営学部教授。
渡辺 完(わたなべ かん、1958年(昭和33年)8月14日… 渡辺 完(わたなべ かん、1958年(昭和33年)8月14日 - )は、日本の政治家。兵庫県宝塚市長(1期)、兵庫県議会議員(3期)を歴任した。県議時代は都市計画に関する役職や自由民主党兵庫県連広報委員長を歴任した。
芦川 淳平(あしかわ じゅんぺい、本名:井間淳大、1957年… 芦川 淳平(あしかわ じゅんぺい、本名:井間淳大、1957年(昭和32年)10月19日 - )は、浪曲作家、浪曲歌謡実演家、浪曲親友協会監事。浪曲・演芸評論家、作詞家、日本脚本家連盟・日本放送作家協会会員。 兵庫県芦屋市生まれ。父親は地方公務員の家庭に育つ。 浪曲に関心を持ったのは中学2年生の時に三波春夫「俵星玄蕃」のレコードを購入したのがきっかけ。 関西学院高等部から関西学院大学経済学部卒業。大学では古典芸能研究会に所属、三波春夫、広沢瓢右衛門との面識を得る。 「岬あつし」名義で公演を行った後、1976年に雑誌「浪曲展望」を創刊。研究と取材を通して浪曲評論や脚本執筆に携わり、広告代理店勤務を経て浪曲作家・浪曲司会者となる。
広瀬 康夫(ひろせ やすお、1957年(昭和32年)9月19… 広瀬 康夫(ひろせ やすお、1957年(昭和32年)9月19日 - )は、日本の合唱指揮者。関西学院グリークラブ技術顧問。新月会、コール・セコインデほか多くの合唱団の指揮・指導に携わるほか、ソリスト、カルテットとしても活動する。 兵庫県神戸市出身。関西学院高等部を経て関西学院大学経済学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに在団して学生指揮者を務める。指揮法を北村協一に、声楽を大久保昭男、井上和世、畑中良輔に師事。 卒業後、白鶴酒造にて勤務する傍、コール・セコインデを結成し、同団を指揮して1999年(平成11年)の第52回全日本合唱コンクール全国大会一般部門、2001年(平成13年)の第54回と2度、金賞に導く。
亀岡 剛(かめおか つよし、1956年10月18日 - )は… 亀岡 剛(かめおか つよし、1956年10月18日 - )は、日本の実業家。元昭和シェル石油代表取締役社長兼グループ最高経営責任者。元出光興産代表取締役副会長。元石油連盟副会長。 兵庫県垂水区塩屋町生まれ。塩屋幼稚園、関西学院中学部・高等部を経て、1979年関西学院大学経済学部卒業、シェル石油(のちの昭和シェル石油、現出光興産)入社。1987年エディンバラ大学経営大学院修了。2003年製品貿易部長。2005年理事近畿エリアマネージャー。2006年執行役員に昇格。2009年常務執行役員。2013年執行役員副社長石油事業COO。2014年執行役員石油事業COO。2015年から代表取締役社長兼CEOを務め、2018年には出光興産との間で同社の子会社化するかたちで経営統合を行うことで合意した。
村上 知彦(むらかみ ともひこ、1951年11月29日 - … 村上 知彦(むらかみ ともひこ、1951年11月29日 - 2024年12月22日)は、日本の編集者、漫画評論家。元神戸松蔭女子学院大学文学部教授。手塚治虫文化賞選考委員。日本マンガ学会理事、日本漫画家協会参与。 父は「具体」のメンバーだった画家の村上三郎。かつてのニックネームは「ギャーさん」。 兵庫県芦屋市に生まれ、1歳から西宮市で育ち、関西学院中学部・高等部に進学した。高校の文化祭で、阪神間の高校生が作った自主映画の上映を企画。同学年の大森一樹と知り合う。関西学院大学社会学部卒業。 1967年に創刊された漫画雑誌『COM』に衝撃を受け、特に、峠あかね(真崎守の筆名)の漫画評論の影響を受ける。
佐々木 一樹(ささき かずき、1951年8月31日 - )は… 佐々木 一樹(ささき かずき、1951年8月31日 - )は、兵庫県出身のサッカー関係者。 1951年(昭和26年)8月31日、兵庫県神戸市生まれ。市立の山手小学校(現在の山の手小学校)を経て生田中学(現在の神戸生田中学)卒業。 関西学院高等部に進学。 1974年、関西学院大学卒。日産自動車に入社。選手経験はなく、日産サッカー部マネジャーとしてチーム強化に携わった。 1988年に日本サッカーリーグ事務局長。1991年にそれを発展した日本プロサッカーリーグに移り、1997年同事務局長に就任。2002年からJリーグ理事就任。2003年日本サッカー協会理事。2010年、羽生英之の東京ヴェルディ1969社長専念に伴い空席となったJリーグ事務局長に就任することになった。
水木 純一郎(みずき じゅんいちろう、1950年11月11日… 水木 純一郎(みずき じゅんいちろう、1950年11月11日 - )は、日本の物理学者。関西学院大学名誉教授。 関西学院中学部・高等部、関西学院大学理学部物理学科卒業。1980年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。日本学術振興会奨励研究員などを経て、1985年にNEC基礎研究所に入所。1996年に日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)に転じ、SPring-8の放射光を用いて物質の研究を行った。2011年4月より、関西学院大学理工学部教授。2017年4月より同大学理工学部長。2019年3月同大学を退職し名誉教授に。2011年から2013年の間、日本放射光学会会長を務めた。放射光X線を利用した構造物性研究が主たる業績。
竹田 邦夫(たけだ くにお、1950年 - )は、大阪府大阪… 竹田 邦夫(たけだ くにお、1950年 - )は、大阪府大阪市出身の日本の経営者である。 関西学院高等部を経て、 関西学院大学法学部に入学し、アメリカンフットボール部主将として活躍し、2度の日本一を果たした。1972年に大学を卒業し、阪神電気鉄道に入社した。 人事部、事業部を経て、1982年に阪神タイガースへ出向し、甲子園球場長、秘書部長などを経て、2000年から球団常務兼球団本部長に就任し、監督の野村克也、星野仙一、岡田彰布を支えた。2004年に阪神タクシー社長に就任し、2012年をもって退任。2012年にシャープ産業の社長に就任、2022年に退任した。著書に『甲子園が育んだプロ野球フロント魂』(2012年、たる出版、ISBN 978-4-905277-04-0)がある。
水野 明人(みずの あきと、1949年8月25日- )は、日… 水野 明人(みずの あきと、1949年8月25日- )は、日本の実業家。ミズノ代表取締役社長。兵庫県芦屋市出身。 祖父はミズノ創業者の水野利八。父はミズノ元会長・社長の水野健次郎。兄はミズノ会長の水野正人。 関西学院中学部・高等部を経て、関西学院大学在学中に米国イリノイ州ウエスレイアン大学に留学し、1974年に同大学経営学部卒業、1975年ミズノ入社、1976年に関西学院大学商学部卒業。1984年6月に取締役に就任し、1986年5月に常務、1990年6月専務、1994年6月に副社長、1996年6月に専務、1998年6月に副社長を経て、2006年6月から現職。2020年旭日中綬章受章。
則定 隆男(のりさだ たかお、1949年3月19日 - )は… 則定 隆男(のりさだ たかお、1949年3月19日 - )は、日本の経営学者、関西学院大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。関西学院高等部卒業、1971年関西学院大学経済学部卒、1973年同大学院文学研究科修士課程修了。1994年「契約成立とレター・オブ・インテント 契約成立過程におけるコミュニケーション」で商学博士。1973年兵庫県立神戸北高等学校教諭、1977年平安女学院短期大学講師、1980年助教授、1984年関西学院大学商学部専任講師、1986年助教授を経て、1992年教授。2017年退任、名誉教授となる。これまでに国際ビジネスコミュニケーション学会理事長などを務める。国際ビジネスをコミュニケーションや文化の面から研究。
村上喜堂(むらかみ よしたか、1948年2月12日 - )は… 村上喜堂(むらかみ よしたか、1948年2月12日 - )は日本の財務官僚。国税庁次長などを歴任。血液型はB型。 兵庫県神戸市生まれ(父は和歌山県出身、母は大阪府出身)。関西学院中学部・高等部、東京大学経済学部経済学科卒業。東大在学中はバスケ部に所属。1972年 大蔵省入省(主計局調査課)。1977年7月 米子税務署長。1980年7月 東京国税局総務部総務課長。1990年7月 東京国税局査察部長。同年7月 東京国税局直税部長。1991年6月 北海道開発庁予算課長。1993年7月 東京国税局総務部長。1996年7月12日 国税庁長官官房人事課長。1998年7月 国税庁調査査察部長。2000年6月 国税庁課税部長。
柏岡 富英(かしおか とみひで、1948年 - )は、日本の… 柏岡 富英(かしおか とみひで、1948年 - )は、日本の社会学者。 兵庫県出身。関西学院高等部を経て、1973年関西学院大学経済学部卒業。1979年にデューク大学大学院社会学研究科博士課程修了。 関西外国語大学助教授、国際日本文化研究センター助教授、京都女子大学現代社会学部教授・部長を経て、2007年より京都文教大学総合社会学部教授を務めた後、2018年3月をもって退職。
村上 公久(むらかみ きみひさ、1948年 - )は、日本の… 村上 公久(むらかみ きみひさ、1948年 - )は、日本の林学者、聖学院大学政治経済学部教授。専門は森林資源学。
平松 一夫(ひらまつ かずお、1947年8月10日 - 20… 平松 一夫(ひらまつ かずお、1947年8月10日 - 2020年12月2日)は、日本の会計学者。専門は、財務会計・国際会計。関西学院大学名誉教授。学校法人関西学院理事長を歴任。兵庫県川西市出身。
佐川 泰宏(さがわ やすひろ、1947年 - )は、日本の実… 佐川 泰宏(さがわ やすひろ、1947年 - )は、日本の実業家、東京アカデミー代表取締役、テレコムスタッフ代表取締役社長である。 1966年関西学院高等部卒業、1970年関西学院大学を卒業、同年東京アカデミーに入社。 1987年同社代表取締役に就任。就任後、従来からの公務員試験対策講座、看護学校受験対策講座に続き、教員採用試験対策講座、看護師国家試験対策講座など、後に人気となる講座を次々に開講。また、積極的に全国展開し、32拠点にまでその数を伸ばしている。同社は2020年6月に創業53周年を迎えた。 1993年にはテレコムスタッフの代表取締役社長に就任している。テレコムスタッフはテレビ朝日系列で1987年に始まり現在も続く長寿番組「世界の車窓から」の制作を行っている。
村上 一平(むらかみ いっぺい、1945年3月3日 - )は… 村上 一平(むらかみ いっぺい、1945年3月3日 - )は、日本の実業家。第9代日清製粉グループ本社代表取締役社長。第16代関西学院理事長。妻は経済学者の村上睦(大阪学院大学教授)。 大阪府出身。関西学院中学部・高等部を経て、1967年関西学院大学経済学部卒業。加藤秀次郎ゼミ及び小寺武四郎ゼミ出身。また中学部時代から大学まで関西学院グリークラブに参加した。大学卒業後日清製粉に入社し、経理・財務を担当した。1995年取締役企画部長兼財務部長に昇格。2000年常務取締役。2001年日清製粉グループ本社常務取締役経理・財務本部長。 2007年から日清製粉グループ本社代表取締役社長を務め、2011年に取締役相談役に退いた。
杉原 左右一(すぎはら そういち、1945年 - )は、日本… 杉原 左右一(すぎはら そういち、1945年 - )は、日本の統計学者。関西学院大学商学部名誉教授、第7代学長。 1945年11月、和歌山県に生まれ、まもなく尼崎市に移る。関西学院中学部・高等部を経て1964年に関西学院大学理学部入学。物理学科で数学を専攻し1968年に卒業。その後、同大学大学院商学研究科へ進学。統計学を研究し1970年に商学修士取得。1973年の博士課程単位取得後、同大学商学部にて専任講師に就任。1977年に助教授、1983年に教授に昇任。1987年には商学博士号取得。同大学にて学生部長(1994年~1996年度)、商学部長(2000~2001年度)、総合教育研究室長(2002~2006年度)、図書館長(2007年度)を歴任し、2008年4月から2011年3月まで関西学院大学学長。
早藤 貴範(はやふじ よしのり、1944年4月16日 - )… 早藤 貴範(はやふじ よしのり、1944年4月16日 - )は、日本の計算科学者、情報科学者。ソニー中央研究所計算物性研究部長、材料解析センター長、関西学院大学理工学部教授などを歴任、同大学名誉教授。 兵庫県伊丹市出身。関西学院中学部(1960年卒業)・高等部(1963年卒業)を経て、1967年関西学院大学理学部物理学科卒業。1969年同大学院理学研究科物理学専攻修了。1969年ソニー(株)入社。1971年同社中央研究所。1989年同研究所計算物性研究部統括部長。1993年同社超LSI研究部基盤技術研究部統括部長、1996年同社材料解析センター長。1999年関西学院大学理学部物理学科教授。2002年同大学理工学部情報科学科教授。
継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - … 継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - 1978年6月2日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 神戸市出身で実家は材木商を営んでいて、裕福であったとされる。関西学院中学部サッカー部では3年次の1955年に主将を務めた。関学高等部でもサッカー部に所属して関学高等部の黄金時代の中心的な役割を担った。 1959年に関西学院大学に入学しサッカー部に所属し、この年に開催されたAFCユース選手権1959の日本代表に選出された。また、大学3年次の1961年8月15日にはインドネシア代表戦で日本代表として初出場した。大学4年次は主将を務めた他、1962年のアジア大会の代表に選出され出場も果たした。
入川 保則(いりかわ やすのり、1939年〈昭和14年〉11… 入川 保則(いりかわ やすのり、1939年〈昭和14年〉11月10日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の俳優、司会者、声優、ナレーター、タレント。 兵庫県神戸市東灘区出身。関西学院高等部卒業。関西学院大学中退。身長は171cm。体重は70kg。 学生時代から俳優活動を在阪のテレビにて開始。数年後に活躍の場を広げるために上京した。現代劇と時代劇の両方で、主に脇役として活躍。刑事ドラマや時代劇の悪役、男性的な役どころが多かったが、喜劇的な役も洒脱にこなしていた。初期と中期は地元関西でのタレント・俳優活動が多かった。 3度の離婚歴があり、2度目の妻との間には娘が2人、3度目の妻であるホーン・ユキとの間には3人の息子がいる。
畑 道也(はた みちや、1939年7月2日 - 2008年3… 畑 道也(はた みちや、1939年7月2日 - 2008年3月25日)は、日本の音楽学者。関西学院大学文学部教授、同学院院長(第14代)を歴任した。 西欧音楽史、および音楽を中心とする文化変容が専門。父は畑歓三。 大阪府生まれ、兵庫県西宮市で幼少期を送る。関西学院中学部・高等部卒業後、1964年に関西学院大学文学部を卒業。1970年、関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1982年より関西学院大学文学部美学科教授、2004年4月から2007年3月まで、関西学院第14代院長を務めた。この他に、関西学院大学交響楽団で、名誉顧問と常任指揮を務めた。2008年3月25日、気管支肺炎のため死去。
安達 貞至(あだち さだゆき、1938年4月4日 - )は、… 安達 貞至(あだち さだゆき、1938年4月4日 - )は、日本の兵庫県出身のサッカー選手、サッカークラブスタッフ。選手時代のポジションはゴールキーパー。次男の安達亮もサッカー選手および指導者 関西学院大学から1961年にヤンマーディーゼルに入社、ヤンマーディーゼルサッカー部でプレーした。大学の後輩にあたる加茂周は、安達に誘われる形でヤンマー入りした。釜本邦茂がヤンマーに加入すると、安達はマネージャーに身を転じて裏方としてチームを支えるようになった。社業においては1986年から1995年までヤンマー東日本の代表取締役社長を務めた。 1995年から1996年まで地元兵庫県のヴィッセル神戸(当時JFL)の強化部長、ゼネラルマネージャーを歴任。
村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日… 村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日本の実業家。兵庫県芦屋市出身。米カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)経営学部大学院修士課程修了。米国IBM入社(1962年)N.Y.ミッドタウンオフィス勤務。1960年春、UCLAの入学手続きに行った際、受付の隣にはIBM社が寄付したウェスターンデータセンターがあり、中にはIBM7090が稼働していた。そのそばには江崎ダイオードが飾られていた。世界初の半導体コンピュータを目の当たりにして、深い感動を覚え、コンピュータ業界に骨をうずめる決心をした。当時、コンピュータの実物を目の当たりにした数少ない日本人であったろう。卒業後、米国IBMに入社し、30年間日米はじめ、カナダ、中南米、オーストラリア、アジアなどを担当した。
宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年(昭和10年)9月… 宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年(昭和10年)9月13日 - )は、日本の実業家。兵庫県神戸市出身。米ワシントン大学経営学部大学院修士課程修了。 オリックス社長、会長、グループCEOを歴任した。プロ野球・パ・リーグに加盟するオリックス・バファローズの前オーナー。著書もいくつか書いており、『“明日”を追う【私の履歴書】』『グッドリスクをとりなさい!』『私の経営論』『私の中小企業論』『私のリーダー論』などがある。 父の義作は神戸の米国人商館に出入りする木材輸入商社に勤務する貿易商だった。 神戸市立成徳国民学校(現神戸市立成徳小学校)を経て、山口県玖珂郡大畠町に疎開。鳴門国民学校(現柳井市立鳴門小学校)、佐用町立佐用小学校、関西学院中学部・高等部を経て、1958年関西学院大学商学部卒業。
森中 蕃(もりなか しげる、1934年11月29日 - 20… 森中 蕃(もりなか しげる、1934年11月29日 - 2022年10月17日)は日本の実業家、馬主。兵庫県神戸市出身。 神戸市中央区にある証券会社である光証券株式会社の前代表取締役会長。 中央競馬、地方競馬の馬主で、小田切有一、細川益男らとともに珍馬名の名付け親として知られる。勝負服は緑、赤星散、赤袖。冠名には「シゲル」を用いる。かつて宝石の卸売りをしていたことがあり、その時の仲間で馬を持とうということになったことから、1970年代より馬主としての活動を始めた。阪神馬主協会の会長を経て、日本馬主協会連合会の相談役を歴任。モットーは「安くて走る馬を見つける」。馬を選ぶポイントについて、「一番大切にしているのは歩様。
今田 寛(いまだ ひろし、1934年5月30日 - )は、日… 今田 寛(いまだ ひろし、1934年5月30日 - )は、日本の心理学者。関西学院大学名誉教授。文学博士。専門分野は、学習心理学、基礎心理学、感情心理学。関西学院大学文学部教授、同大学学長(1997年4月から2002年3月まで)を歴任した。父は今田恵。 1934年、兵庫県西宮市生まれ。関西学院中学部・高等部、関西学院大学文学部心理学科卒業。同大学院文学研究科修了(心理学専攻)。1959年に同大学心理学科助手に就任、1963年アイオワ大学でPh.D.取得。1964年に関西学院大学心理学科専任講師、1968年に助教授、1975年に同大学教授に昇任した。1977年に関西学院大学で文学博士を取得。論文の題は「恐怖・不安の実験心理学的研究」。
矢形 勝洋(やがた かつひろ、1934年 - 2016年1月… 矢形 勝洋(やがた かつひろ、1934年 - 2016年1月4日)は、日本のプロ野球選手(投手)。引退後、フロントに入り、阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブスの球団取締役を務めた。
戸田 博之(とだ ひろし、1933年11月18日 - 202… 戸田 博之(とだ ひろし、1933年11月18日 - 2023年10月30日)は、日本の会計学者。神戸学院大学名誉教授、元日本簿記学会会長。 大阪府大阪市生まれ。1952年関西学院高等部卒業。1956年関西学院大学経済学部卒業。1961年神戸大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学、大阪医薬相互販売取締役。1964年大阪府立大学経済学部専任講師。1967年京都産業大学経営学部専任講師。1968年京都産業大学経営学部助教授。1972年京都産業大学経営学部教授。1975年京都産業大学経営学部長。1985年神戸学院大学経済学部教授。1989年神戸大学経営学博士。1993年日本簿記学会副会長。2002年日本簿記学会会長。
宮田 満雄(みやた みつお、1933年4月14日 - 202… 宮田 満雄(みやた みつお、1933年4月14日 - 2025年1月12日)は、日本のアメリカ文学者。関西学院大学名誉教授。関西学院大学社会学部教授、関西学院大学院長、聖和大学学長を歴任した。 1952年3月に関西学院高等部を卒業、1956年3月に関西学院大学文学部英文科を卒業し、同年4月から関西学院高等部教諭に就いた。 1960年7月から1962年3月まで、ペンシルバニア大学大学院に留学し、帰国後の1966年4月、甲南女子大学文学部専任講師(英語・米文学)に就任。1968年4月、関西学院大学社会学部専任講師、1970年4月同学部助教授、1976年4月同学部教授にそれぞれ就任する。 1989年4月から1998年3月まで、公募制復活後初の学校法人関西学院院長を務める。
武田 建(たけだ けん、1932年1月19日 - )は、日本… 武田 建(たけだ けん、1932年1月19日 - )は、日本の心理学者、社会福祉学者。関西学院大学教授、同大学学長、理事長を歴任した。関西学院大学名誉教授。関西福祉科学大学名誉教授。関西学院大学の定年退職後は関西福祉科学大学教授を務めた。関西学院大学ファイターズ元監督。東京都出身。 関西学院中学部・高等部を経て、1952年関西学院短期大学英文科卒業、1954年同大学文学部社会事業学科卒業、1956年同大学院文学研究科教育学専攻修了。カナダ、アメリカ合衆国に渡り、1958年トロント大学大学院社会福祉専攻修了(M.S.W)、1962年にはミシガン州立大学大学院カウンセリング心理博士課程修了(Ph.D)。
団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月… 団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。 SMものなどの官能小説の第一人者として著名である。代表作に『花と蛇』。多くの作品が映画化された。作家活動の他、鬼プロダクションを設立して、ピンク映画やSM雑誌を手掛けた。将棋雑誌の出版も行った。 本名は黒岩幸彦(くろいわ ゆきひこ)。初期のペンネームに黒岩松次郎、花巻京太郎。なお、本人の弁によると“鬼六”の読みは、“おにろく”でも“きろく”でもどちらでも構わないとのこと。 滋賀県彦根市の映画館「金城館」を経営する父のもとに生まれ、幼い頃から映画を楽しむと同時に実家の映画館は遊び場でもあった。
藤江 清志(ふじえ きよし、1931年2月13日 - )は、… 藤江 清志(ふじえ きよし、1931年2月13日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
キダ・タロー(1930年〈昭和5年〉12月6日 - 2024… キダ・タロー(1930年〈昭和5年〉12月6日 - 2024年〈令和6年〉5月14日)は、日本の作曲家、ピアニスト、タレント、ラジオパーソナリティ。本名、木田 太良(きだ たろう)。兵庫県宝塚市出身。財団法人箕面市文化振興事業団理事。昭和プロダクションを経て、オフィスとんで最終所属(2022年7月1日より)。数多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業の社歌、学校の校歌、歌謡曲を作曲し、「浪花のモーツァルト」の二つ名を持つ。妻はタレントの木田美千代。 1930年12月6日午前2時56分、兵庫県武庫郡良元村(現・宝塚市)にある宝塚警察署官舎において、五男一女の末っ子として産まれる。父親は刑事。西宮市立今津小学校を卒業(1973年の同小学校100周年記念に卒業生・来賓として来校)。
キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年1… キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年12月6日 - )は、日本の作曲家、タレント、ラジオパーソナリティ。元財団法人箕面市文化振興事業団理事。所属事務所は昭和プロダクション。
高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27… 高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27日 - 2019年〈令和元年〉6月26日)は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者、映画解説者。東宝芸能最終所属。 兵庫県神戸市東灘区御影出身。本名は髙嶋 忠夫(読み同じ)。血液型はO型。 4人姉妹弟の長男。妻は女優でタレントの寿美花代。息子は俳優の髙嶋政宏と髙嶋政伸。弟は音楽プロデューサーの髙嶋弘之。姪はバイオリン奏者でタレントの高嶋ちさ子。 兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影)で、姉妹弟のいる4人姉弟の長男として出生。祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を自称していたが弟子もおらず、生涯定職につくことのない有閑階級の家庭であった。
菅井 基裕(すがい もとひろ、1929年6月15日 - 20… 菅井 基裕(すがい もとひろ、1929年6月15日 - 2022年6月9日)は、日本の実業家。阪急電鉄(現阪急阪神ホールディングス)代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 兵庫県出身。関西学院高等部を経て、1953年に関西学院大学経済学部卒業。同年に京阪神急行電鉄(現阪急阪神ホールディングス)入社。1983年6月に取締役に昇格。1986年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月には副社長に就任した。 1993年から阪急電鉄代表取締役社長を務めた。社長在任時には、1995年の阪神・淡路大震災で被災した神戸線などの路線の復旧の陣頭の指揮を執り、流通事業の参入などを行い、従来の鉄道事業に依存したビジネスモデルの脱却を図った。
田中 千里(たなか ちさと、1924年9月11日 - 199… 田中 千里(たなか ちさと、1924年9月11日 - 1998年8月11日)は、日本のアヴェロエス(イブン・ルシュド)研究者。近畿大学教授。日本のイスラーム哲学研究のパイオニア世代の1人。[要出典] 1924年、兵庫県神戸市に生まれる。関西学院中学部(旧制)を卒業。山口県で教師となるが、1年で辞職。実兄がいた東京へ移住し、東京の大学予備校へ入学する。神戸高等商船学校(後に神戸商船大学、現在 神戸大学 海事科学部)へ入学。 終戦後、大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在 大阪大学 外国語学部)英米科へ編入し、卒業する。続いて京都大学文学部哲学専攻(旧制)に入学し、1951年 卒業(美学専攻で受験したが不合格であったため、1年浪人して入学した。
彭 明敏(ほう めいびん、1923年8月15日 - 2022… 彭 明敏(ほう めいびん、1923年8月15日 - 2022年4月8日)は、台湾の国際法学者。総統府資政(中国語版)(上級顧問)。元台湾大学教授・政治学系主任。台湾独立運動の代表人物で、李登輝と総統選を争ったこともある。 台中市大甲で高雄市鳳山区客家の家系に生まれる。建成小学校、高雄中学、関西学院、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部入学。第三高校でフランスの自由思想を学び、またフランス文学に興味を持ち、東大では政治学を専攻した。 東京帝国大学在学中に日本政府に徴兵され、長崎に向かう途中の船上で米軍の爆撃を受け左腕を失った。長崎到着後は兄宅で療養していたが、原爆投下に遭った。終戦後、台湾に戻り、1948年に台湾大学政治系を卒業した。
小林 信雄(こばやし のぶお、1922年(大正11年)10月… 小林 信雄(こばやし のぶお、1922年(大正11年)10月 - 2014年(平成26年)3月)は、日本の新約聖書学者。 牧師・竹林拙三の子に生まれる。 関西学院高等部卒、九州帝国大学卒、1947年関西学院文学専門部専任講師、1950年関西学院大学文学部専任講師、1952年神学部専任講師、トロント大学大学院神学修士課程修了、イマヌエル神学校卒。関西学院大学神学部助教授、教授。1991年定年退任、名誉教授。
島尾 永康(しまお ながやす、1920年11月12日 - 2… 島尾 永康(しまお ながやす、1920年11月12日 - 2015年1月6日)は、日本の科学者。専門は科学史。 2015(平成27)年1月6日逝去
青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )… 青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。
岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年… 岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手。
小寺 武四郎(こでら たけしろう、1912年7月9日 - 2… 小寺 武四郎(こでら たけしろう、1912年7月9日 - 2004年7月23日)は、日本の経済学者。第10代学校法人関西学院院長、元関西学院大学学長および経済学部教授。専門は金融論、国際金融論。日本金融学会第5代会長。 大日本紡績(後のユニチカ)社長・小寺源吾の四男。実弟はユニチカ社長を務めた小寺新六郎。元関西学院高等商業学部教授・小寺敬一は叔父。
木村 一夫(きむら かずお、1909年6月28日 - 198… 木村 一夫(きむら かずお、1909年6月28日 - 1987年11月4日)は、日本の陸上競技(走高跳)の選手。 1920年代後半から1930年代にかけて活躍し、日本陸上競技選手権大会優勝5回、1929年から1933年にかけて日本記録保持者。1928年アムステルダムオリンピックと1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。 兵庫県加古郡加古川町(現在の加古川市)出身。関西学院中学部に進み、1927年の第8回極東選手権大会(上海)の走高跳で2位。1926年・1927年の日本陸上競技選手権大会で優勝。 早稲田大学に進学。1928年の日本陸上競技選手権大会で優勝(以後、1929年・1931年と早稲田大学所属で優勝)。
稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1… 稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。 1920年代(大正末)から1970年代(昭和後期)にかけて、抽象志向と飛行願望、メカニズム愛好、エロティシズム、天体とオブジェなどをモチーフにした数々の作品を発表した。代表作は『一千一秒物語』、『少年愛の美学』など。 稲垣は1900年(明治33年)の年末、大阪市船場に歯科医の次男として生まれた。7歳の頃から謡曲、仕舞を習う。小学生の時に祖父母のいる明石に移住し、神戸で育った。小さいころから映画や飛行機などに魅了され、その経験を後の作品に昇華させている。1914年、関西学院普通部に入学。同院では今東光と同級になる。
野口 弥太郎(のぐち やたろう、野口 彌太郎、1899年10… 野口 弥太郎(のぐち やたろう、野口 彌太郎、1899年10月1日 - 1976年3月23日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。 東京本郷区生まれ。その後朝鮮の仁川、東京、長崎県諫早市、神戸と移り住む。1920年、関西学院中学部卒後、川端画塾に学び、1922年、二科展で初入選。1926年、「一九三〇年協会」会員となる。1929年、フランスに渡り、サロン・ドートンヌに出品。1933年、帰国、独立美術協会会員となる。戦後、1949年から日本大学芸術学部教授。以後独立展に出品を続け、1962年、国際形象展同人。1964年、「セビラの行列」で毎日芸術賞受賞、1970年、日大を辞める。1972年、紺綬褒章受章。
今 東光(こん とうこう、1898年〈明治31年〉3月26日… 今 東光(こん とうこう、1898年〈明治31年〉3月26日 - 1977年〈昭和52年〉9月19日)は、横浜生まれの小説家、天台宗大僧正(法名 春聽)、中尊寺貫主、参議院議員。大正末期に新感覚派の作家として出発。その後出家し、長く文壇を離れたが復帰。住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など奥州を題材にした作品で人気を得た。週刊誌やテレビでも活躍し、毒舌和尚としても知られた。 作家・評論家で初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。