スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
舞田 敏彦(まいた としひこ、1976年7月12日 - )は… 舞田 敏彦(まいた としひこ、1976年7月12日 - )は、日本の教育社会学者(博士(教育学))。専門は教育社会学、社会病理学、社会統計学。 1995年3月に鹿児島県立甲南高等学校を卒業、東京学芸大学教育学部に進学し小学校教員養成課程を1999年3月に卒業。2001年3月、鹿児島大学大学院教育学研究科修士課程修了。2005年3月、東京学芸大学連合大学院博士後期課程で教育社会学研究室で陣内靖彦に師事し修了。「高等教育就学機会の地域間格差に関する実証的研究」で博士(教育学)、甲種取得。 武蔵野大学、杏林大学、武蔵野学院大学で非常勤講師を務めた。自身のブログで記事を発表しながら、日本教育新聞や各ニュースサイトなどに寄稿や連載をおこなう。
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松田 忠大(まつだ ただひろ、1971年9月-)は、日本の法… 松田 忠大(まつだ ただひろ、1971年9月-)は、日本の法学者。法学博士。商法、特に海商法が専門。鹿児島大学教授・法文学部長(2020年度現在)。 鹿児島県姶良郡姶良町(現姶良市)出身で、姶良町立重富中学校を経て、1990年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。 1994年3月、早稲田大学法学部卒業。大学で先輩に誘われて中村眞澄の海商法のゼミに入り、海洋や船舶上の法に関心を持つようになる。同大学院法学研究科に進学し、そこで箱井崇史から研究者の道を勧められたため、1996年9月に修士課程修了して、1997年4月より宇部工業高等専門学校講師を務めながら研究を続ける。2000年4月に鹿児島工業高等専門学校講師となり、2002年4月より同校助教授。
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北薗 幸一(きたぞの こういち、1971年8月 - )は、日… 北薗 幸一(きたぞの こういち、1971年8月 - )は、日本の工学者。博士(工学)。専門は材料工学、航空宇宙工学。2020年度現在、東京都立大学教授。 鹿児島県生まれ。ガンダム世代で小さい頃からロボットや宇宙が好きで、材料からロボットにアプローチするため材料工学の道に進む。1990年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1994年3月、京都大学工学部金属加工学科卒業。1996年3月東京大学大学院工学系研究科材料学専攻修士課程修了。1999年3月に同専攻博士課程修了し、「内部応力超塑性に関する研究」で博士(工学)取得。 1998年4月から1999年6月まで日本学術振興会特別研究員。1999年7月より文部省宇宙科学研究所宇宙輸送研究系助手、2003年10月より宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部宇宙構造・材料工学研究系助手。
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遠藤 美奈(えんどう みな、1965年 - )は、日本の法学… 遠藤 美奈(えんどう みな、1965年 - )は、日本の法学者・政治学者。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専門は憲法学・政治学・比較憲法学・比較政治制度論・社会科教育内容学・公共市民学。憲法政治学研究の第一人者。早稲田大学教育学部、早稲田大学大学院教育学研究科で「政治学」の講義、演習(ゼミナール)、研究指導を担当。「政治学」の中で憲法問題、憲法事象を取り扱う。早稲田大学で憲法学者・政治学者の渡辺重範に師事した。
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恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月2… 恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月21日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、スポーツ科学者。学位は修士。お笑いコンビホンジャマカのツッコミ担当。相方は石塚英彦。愛称は、恵(めぐ)ちゃん。 鹿児島県鹿児島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。 鹿児島大学教育学部附属小学校、鹿児島市立甲南中学校、鹿児島県立甲南高等学校卒業。3年間の浪人を経て、東放学園専門学校に就職。 1986年(昭和61年)、当時渡辺プロダクションが立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY()」のオーディションに合格し、芸能界に入る。1988年(昭和63年)6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL.1」を開催する。
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床次 眞司(とこなみ しんじ、1964年11月2日 - )は… 床次 眞司(とこなみ しんじ、1964年11月2日 - )は、日本の物理学者。専門は保健物理学。 学位は、博士(工学)(早稲田大学・1995年)。弘前大学副学長(被ばく・防災、国際連携担当)及び被ばく医療総合研究所・教授。 出典はresearchmap。 鹿児島県生まれ。1983年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1988年早稲田大学理工学部資源工学科卒業。1992年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程物理学及び応用物理学専攻原子核工学専門分野修了。早稲田大学理工学研究所助手。 1994年早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程物理学及び応用物理学専攻原子核工学専門分野単位取得退学[要出典]。科学技術庁放射線医学総合研究所環境衛生研究部研究員。
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船津 公人(ふなつ きみと、1955年12月3日 - )は、… 船津 公人(ふなつ きみと、1955年12月3日 - )は、日本の化学者。理学博士。東京大学名誉教授。ケモインフォマティクス、データ駆動型化学を専門とする応用化学者。 1974年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。1978年3月九州大学理学部(化学)卒業、1983年3月九州大学大学院理学研究科博士後期課程修了。豊橋技術科学大学物質工学系助手(1984年3月-1990年3月)、講師(1990年4月-1992年3月)、同大学知識情報工学系助教授(1992年4月-2004年3月)を経て、2004年4月から東京大学工学系研究科化学システム工学専攻教授。2011年ストラスブール大学招聘教授。2017年10月から東京大学とのクロスアポイントメントにより奈良先端科学技術大学院大学データ駆動型サイエンス創造センター(DSC)研究ディレクターを兼任。
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石井 恵子(いしい けいこ、旧姓・久村、1955年10月 -… 石井 恵子(いしい けいこ、旧姓・久村、1955年10月 - )は、日本の生理学者。理学博士(生物学)。専門は感染免疫学。東北大学医学系研究科および医学部(保健学専攻基礎検査医科学講座感染分子病態解析学分野)准教授(2018年現在)。 日本臨床細菌学会、東北院内感染対策研究会、日本ウイルス学会、日本免疫学会、日本分子生物学会、日本臨床検査医学会、日本細菌学会、日本環境感染学会、アメリカ免疫学会、日本生体防御学会、日本リウマチ学会、日本感染症学会
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倉元 綾子(くらもと あやこ、1955年-)は、日本の家政学… 倉元 綾子(くらもと あやこ、1955年-)は、日本の家政学者・生活科学者。医学博士。西南学院大学教授を務めた。 鹿児島県出身で、1973年鹿児島県立甲南高等学校卒業、1977年奈良女子大学家政学部食物学科卒業、1980年同大学院家政学研究科食物学専攻修了(家政学修士取得)、1984年大阪市立大学大学院医学研究科生理系専攻生化学修了(医学博士取得)。生化学若い研究者の会(生化若手の会)で活動。1984年神戸女学院大学家政学部食物学科助手、1990年湊川女子短期大学助教授、1994年、鹿児島県立短期大学助教授(2007年より准教授)。2018年4月より西南学院大学人間科学部児童教育学科教授。2019年10月より日本家政学会代議員。
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有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行… 有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行政学者。宮崎公立大学第8代学長・名誉教授。専門は行政学、地方自治論。博士(学術)。日本地方自治研究学会常任理事。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1974年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校での部活動は化学部。1975年4月明治大学経営学部経営学科入学、1979年3月に卒業し、商業の高校教員免許を取得。1980年12月鹿児島県庁(鹿児島県上級行政職)に入職し、以降23年間勤務。県庁では高齢者福祉、過疎対策などを担当。その間に、自治省(現・総務省)財政局での「地方財政白書」の執筆や、鹿児島県大口市役所(現・伊佐市)での勤務を経験する。1996年4月鹿児島大学大学院法学研究科法学専攻へ入学して1998年3月修了し、修士(法学)の学位を授与される。
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津止 正敏(つどめ まさとし、1953年11月 - )は、日… 津止 正敏(つどめ まさとし、1953年11月 - )は、日本の福祉学者、立命館大学名誉教授。介護・障害児保育。 鹿児島県生まれ。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1977年立命館大学産業社会学部卒、95年同大学院社会学修士課程修了。京都市社会福祉協議会をへて、立命館大学産業社会学部教授。2009年に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を起ち上げ、事務局長を務める。2019年定年退職、名誉教授。
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畠中 宗一(はたなか むねかず、1951年1月10日- )は… 畠中 宗一(はたなか むねかず、1951年1月10日- )は、日本の家族社会学者。大阪市立大学名誉教授、博士(学術)。専門は、家族社会学・臨床社会学・家族福祉学。 鹿児島市生まれ。1969年3月に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。1973年、鹿児島大学教育学部卒業。1975年、立教大学大学院社会学研究科応用社会学修士課程修了(社会学修士)。1980年、筑波大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。沖縄キリスト教短期大学講師、中国短期大学幼児教育科助教授、大阪市立大学生活科学部助教授を経て、大阪市立大学生活科学部・大学院生活科学研究科教授。1999年3月に大阪市立大学より博士(学術)の学位を取得。
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塩田 邦郎(しおた くにお、1950年8月19日-)は、日本… 塩田 邦郎(しおた くにお、1950年8月19日-)は、日本の農学者・生物学者。農学博士。東京大学名誉教授。元早稲田大学上級研究員・教授(客員)。 1969年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1973年春に宮崎大学農学部獣医学科を卒業して東京大学大学院農学系研究科獣医学専門課程に入学し、1975年に修士課程を修了して博士課程へ進学。在籍中の1977年2月から翌年3月の間、ワシントン大学医学部生化学部に留学。1979年3月に東京大学大学院農学系研究科獣医学専門課程博士課程を修了し農学博士号を取得。同年4月に武田薬品工業株式会社へ入社し中央研究所に勤める。1987年に退職し、4月より東京大学大学院農学生命科学研究科応用動物科学専攻および獣医学専攻の助教授に就任して、1998年4月に教授へ昇任。
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湯之上隆(ゆのうえ たかし、1949年8月2日 - )は、日… 湯之上隆(ゆのうえ たかし、1949年8月2日 - )は、日本史学者、静岡大学名誉教授、博士(文学)。専門は日本中世の宗教・文化と国家・地域社会の関係についての研究。東海地方・静岡県における古代・中世の交通史についても研究した。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1968年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1972年静岡大学人文学部人文学科卒業。鹿児島県立出水工業高等学校教諭、1974年退職[要出典]。九州大学大学院文学研究科史学専攻修士課程を修了し、文学修士の学位を取得。1977年九州大学大学院文学研究科史学専攻博士課程を中退し、静岡大学人文学部助手に就く。後に静岡大学人文学部助教授就任。1995年「日本中世の仏教徒文化」で九州大学より博士(文学)を授与される。
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嶺井 正也(みねい まさや、1947年5月10日 - )は、… 嶺井 正也(みねい まさや、1947年5月10日 - )は、教育政策・教育行政学者。鹿児島県鹿屋市生まれ。東京教育大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。山梨県立女子短期大学講師、助教授、専修大学経営学部助教授、教授を経て、現在は専修大学名誉教授。2023年より東京聖栄大学特任教授。1998年、全国私立大学教職員組合書記長。
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谷川 道子(たにがわ みちこ、1946年7月 - 2024年… 谷川 道子(たにがわ みちこ、1946年7月 - 2024年1月9日)は、日本のドイツ文学者、東京外国語大学名誉教授。専門はドイツ演劇、特にブレヒトとハイナー・ミュラー。岩淵達治に師事。鹿児島県出身。
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村野 健太郎(むらの けんたろう、1946年 - )は、日本… 村野 健太郎(むらの けんたろう、1946年 - )は、日本の環境学者、理学博士。法政大学生命科学部環境応用化学科元教授。酸性雨や大気汚染などを専門とする。鹿児島県鹿児島市出身。
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前田 芳實(まえだ よしざね、1945年1月30日 - )は… 前田 芳實(まえだ よしざね、1945年1月30日 - )は、日本の農学者、畜産学者。鹿児島大学第12代学長・名誉教授。農学博士。日本の畜産学における遺伝子や蛋白質制御についての研究が業績として挙げられ、地元鹿児島の肉用牛の研究やトカラ馬の調査などもおこなった。 鹿児島県立甲南高等学校を1963年3月に卒業し、在学中は生物部で部活動をおこなっていた。同年4月、鹿児島大学農学部に新設の畜産学科へ1期生として入学し、自主研究会も立ち上げ学業に取り組む。1967年3月、同学科を卒業。1969年3月、鹿児島大学大学院農学研究科(畜産学)を修了し農学修士。1969年3月鹿児島大学農学部助手となり、1981年10月助教授に就任。
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村田 秀一(むらた ひでかず、1943年12月10日 - )… 村田 秀一(むらた ひでかず、1943年12月10日 - )は、日本の工学者、土木工学者。山口大学名誉教授、工学博士。専門は、地盤工学、岩石力学。 鹿児島県出身。川内市(現薩摩川内市)で育ち、小学6年生の時に鹿児島市へ移る。1962年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1967年、九州大学工学部土木工学科卒業。大学院で、防災工学的見地から九州南部のシラス地盤を研究し、1969年に九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程を修了。同年、鹿児島工業高等専門学校の助手となり、翌年、講師に就く。1974年、鹿児島工業高等専門学校助教授に就任。九州大学研究員として「地山シラスの破壊機構と斜面安定に関する研究」に取り組み、1978年10月3日に工学博士の学位を授与される。
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上村 直己(かみむら なおき、1939年(昭和14年)-)は… 上村 直己(かみむら なおき、1939年(昭和14年)-)は、日本のドイツ学者、比較文化学者。学位は、博士(文学)。ドイツ学史および日独文化交流史が専門。熊本大学名誉教授。 鹿児島県出身。言語学者上村孝二鹿児島大学名誉教授の二男。兄は、比較文学者の上村和也(鹿児島大学名誉教授)。 幼少期、父・孝二の鹿児島県師範学校赴任にともない満洲国から鹿児島市へ移る。鹿児島県立甲南高等学校卒業。九州大学文学部ドイツ文学科卒業。九州大学文学研究科ドイツ文学専攻博士課程中退。富山大学助教授(ドイツ語)の後、熊本大学教養部教授を経て、1997年(平成9年)の教養部解体にともない熊本大学文学部教授(地域科学科空間地理学講座所属)。
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濱島 敦俊(はましま あつとし、1937年-)は、日本の歴史… 濱島 敦俊(はましま あつとし、1937年-)は、日本の歴史学者、東洋史学者。文学博士、学術博士(博士(学術))、大阪大学名誉教授。専門は宋代から清代までの中国社会経済史で、また中国でフィールドワークをおこない未解明の民間信仰も研究した。 鹿児島県喜入村瀬々串(現・鹿児島市喜入瀬々串町)出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1962年に東京大学文学部を卒業し、同大学院に進む。1965年に東京大学東洋文化研究所助手となり、高知大学文理学部助教授と北海道大学文学部助教授を経て、中国社会科学院近代史研究所客員研究員。1980年1月、論文「均田均役法の研究」により東京大学から文学博士の学位を授与される。1985年、大阪大学文学部助教授(東洋史学)となり、1987年に教授へ昇任して2001年まで務めた。
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南野 知惠子(のおの ちえこ、1935年〈昭和10年〉11月… 南野 知惠子(のおの ちえこ、1935年〈昭和10年〉11月14日 - )は、日本の看護学者、政治家。勲等は旭日大綬章。「惠」ではなく「恵」を用いて南野 知恵子とも表記される。 山口大学医療技術短期大学部看護学科教授、日本赤十字看護大学看護学部教授、自民党参議院議員(3期)、参議院文教科学委員長、法務大臣(第74・75代)、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)、日本ユネスコ国内委員会委員などを歴任。 1935年、満洲国の竜江省斉斉哈爾市(現:中華人民共和国チチハル市)にて生まれ、1946年に日本に引き揚げる。その後は鹿児島県にて育つ。1954年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1958年3月、大阪大学医学部附属助産婦学校卒業。
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山口 定(やまぐち やすし、1934年1月2日 - 2013… 山口 定(やまぐち やすし、1934年1月2日 - 2013年11月17日)は、日本の政治学者。専門は、政治学、とくに戦間期ドイツを中心としたヨーロッパ政治史。大阪市立大学名誉教授、立命館大学名誉教授。
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有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は… 有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は、日本の音楽家、指揮者、音楽学者。都留文科大学名誉教授。専門はルネッサンス音楽と合唱で、日本古楽界の第一人者。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科を1958年に卒業。NHKの「歌のメリーゴーランド」のレギュラーや都留文科大学の講師を務めた。1972年、ノッティンガム大学大学院音楽学専攻修士課程修了。1983年~1984年、再度渡英してオクスフォード大学に留学。都留文科大学文学部教授を経て、上野学園大学国際文化学部教授。 日本合唱指揮者協会会員、日本古楽協会代表。東京プロ・ムジカ・アンティカ指揮者を務めた。
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櫻井 英樹(さくらい ひでき、1931年5月16日 - 20… 櫻井 英樹(さくらい ひでき、1931年5月16日 - 2024年7月17日)は、日本の有機化学者。専門は有機合成化学、有機ケイ素化学。細見・櫻井反応の開発者として著名である。理学博士、東北大学名誉教授、文化功労者、日本学士院賞・恩賜賞受賞者。東北大学理学部長、日本化学会会長、日本学術会議会員などを歴任。 奈良県出身。父の櫻井精兵が奈良県立吉野林業学校(後の奈良県立吉野林業高等学校)校長を務めていたため、その任地の吉野郡川上村で生まれた。父が徳島県立徳島農業学校(後の徳島県立城西高等学校)校長、次いで岐阜高等農林学校(後の岐阜大学農学部、応用生物学部)教授に転じたため、徳島、岐阜と転居し、小学生時代のほとんどの期間岐阜で育つ。
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荒川 規矩男(あらかわ きくお、1929年7月15日 - 2… 荒川 規矩男(あらかわ きくお、1929年7月15日 - 2026年1月23日)は、日本の医学者、内科学者。ヒト・アンジオテンシンの単離および構造同定、キニン・テンシン系の発見、高血圧の運動療法の研究などの功績がある。医学博士、福岡大学名誉教授、国際高血圧学会第12代理事長(the 12th President of the International Society of Hypertension)、日本高血圧学会名誉会員、日本高血圧協会元理事長。 鹿児島県曽於市の旧末吉町出身。末吉小学校(国民学校)を経て、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校 (鹿児島県立甲南高等学校の前身)に入学。戦時のため海軍鹿屋航空隊などに勤労動員され、四年生のときに終戦。
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有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 202… 有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 2022年12月12日)は、日本の医師、医学者。小児科学と神経科学が専門で、小児神経学、障害児医学(障害者医学)のパイオニア。国立精神・神経医療研究センター病院(旧:国立精神・神経センター武蔵病院)名誉院長、東京都立東部療育センター名誉院長、日本重症心身障害学会名誉理事長、日本発達障害学会第4代会長。学位は、医学博士。 1971年に乳幼児に発症する常染色体劣性遺伝性疾患「有馬症候群」を報告したことで知られる。 1929年に鹿児島県鹿児島市で生まれる。父方の故郷は同県日置郡伊集院町(現:日置市)。幼少期より鹿児島、伊集院、佐世保、呉、杉並、木更津、逗子と、転居・転校を繰り返し、1942年に旧制神奈川県立湘南中学校(現:神奈川県立湘南高等学校)へ入学。
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赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年〈昭和4年〉1月30日… 赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年〈昭和4年〉1月30日 - 2021年〈令和3年〉4月1日)は、日本の半導体工学者。位階は従三位。 学位は工学博士(名古屋大学・1964年)。名城大学大学院理工学研究科・特別栄誉終身教授、名城大学先端科学技術研究所所長、名古屋大学特別教授・名誉教授、名古屋大学赤﨑記念研究センターフェロー。京都大学名誉博士。日本学術会議栄誉会員、日本学士院会員。恩賜賞、文化勲章、文化功労者受章。『 高輝度青色発光ダイオードの発明 』で2014年度ノーベル物理学賞を受賞。 京都大学理学部卒業後、株式会社松下電器東京研究所基礎第4研究室長、松下技研株式会社半導体部長、名古屋大学工学部教授などを歴任した。
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村田 洋次郎(むらた ようじろう、1929年-)は、日本の物… 村田 洋次郎(むらた ようじろう、1929年-)は、日本の物理学者。理学博士。東京大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市南林寺町生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を赤崎勇とともに四年修了して第七高等学校造士館 (旧制)理科に入学し、1949年に卒業。旧制七高では天文班班長も務めた。大阪大学理学部に進学し、物理学科卒業。大阪大学大学院を経て、1955年に大阪市立大学助手となり、2年後、東京大学原子核研究所の電子シンクロトロンに計画段階から参加。1964年9月、論文「Investigation of cascade showers in lead with X-ray films(X線フィルムを用いた鉛中のカスケードシャワーの研究)」で大阪市立大学より理学博士号授与。
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大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - … 大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - 2013年8月15日)は、日本の文芸評論家、武蔵野大学名誉教授。専攻は日本近代文学の研究、特に日本近代文学への仏教の影響(他力思想の影響について)及び近代日本文学と風土との関わりについての研究。 鹿児島県鹿児島市生まれ(本籍宮崎県都城市)。 丹羽文雄主宰の同人誌『文学者』に所属して評論を書いた。同じ雑誌の吉村昭とは親友関係。 1981年から2008年12月号まで雑誌『文學界』の同人誌評を担当し、現代文学に取り組む全国の多くの文学愛好者への指導的役割、作品誕生への励ましを続け、新たな書き手として村田喜代子ら多くの作家の誕生を手助けした。 雑誌『食食食』(みき書房)、『食の文学館』(紀伊国屋書店)など文学と食を結ぶ季刊誌を主宰して、風土と食の文学の研究を20年以上継続。
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林 宗明(はやし むねあき、1927年7月26日-2009年… 林 宗明(はやし むねあき、1927年7月26日-2009年4月29日)は、日本の工学者。京都大学名誉教授。専門は電力工学。正四位瑞宝中綬章。 宮崎県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1948年に第七高等学校造士館 (旧制)理科を卒業し、京都大学工学部電気工学科に入学。1952年3月に同学科を卒業して住友電気工業株式会社に勤務した後、1955年に京都大学に転職して工学部電気工学科発送配電研究室(大久保達郎教授)の助手となる。その後、講師を経て、1959年4月1日に助教授に就任。大久保教授が1963年11月9日に退官したため発送配電研究室を引き継ぎ、1967年5月1日に教授に昇任。
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赤崎 正則(あかざき まさのり、1927年-)は、日本の工学… 赤崎 正則(あかざき まさのり、1927年-)は、日本の工学者。工学博士。専門はプラズマ工学。九州大学名誉教授。九州大学総合理工学研究科長や福岡工業大学学長を歴任。高電圧工学や放電現象から雷やプラズマの研究に長年取り組んだ。 鹿児島県知覧町(現・南九州市)生まれで鹿児島市育ち。半導体分野の工学者・赤﨑勇は実弟。 鹿児島市立大龍小学校から鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)へ進む。大龍小出身の鹿児島二中生徒有志の団体「敬天会」で活動。戦時下の第七高等学校造士館 (旧制)に入学したが、学徒勤労動員により朝霞市の陸軍士官学校で終戦を迎え、旧制七高が空襲で全焼したため第五高等学校 (旧制)に転校。旧制五高を出て、1952年に九州大学工学部電気工学科を卒業。
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中村了昭(なかむら りょうしょう、1927年 - )は、日本… 中村了昭(なかむら りょうしょう、1927年 - )は、日本のインド哲学・古典インド文学者、鹿児島国際大学名誉教授。専攻はインド古代・中古の文化・哲学史。『ラーマーヤナ』原典完訳刊行を行った。 鹿児島県生まれ。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1944年海軍兵学校第76期入校(1945年学校解散により修了)。1949年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)文科卒業。1953年旧制東北大学文学部卒業。卒業論文は「数論偈諸註の比較対照の研究」。東北大学大学院文学研究科博士課程印度哲学専攻満期。金倉円照が恩師。後に、1977年「サーンクヤ哲学の研究」で文学博士(立正大学)。
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橋村 三郎(はしむら さぶろう、1926年1月30日 - 2… 橋村 三郎(はしむら さぶろう、1926年1月30日 - 2013年6月7日)は、日本の医学者、生理学者。専門は神経生理学、電気生理学。鹿児島大学名誉教授、医学博士。 鹿児島県鹿児島市の谷山地区出身。4人兄弟の次男。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1944年に旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科を卒業。1948年九州大学医学部を卒業。1953年から2年間、アメリカのロチェスター大学に留学。帰国後、九州大学医学部助教授(生理学教室第一講座所属)。論文「日本産トノサマガエルならびにヒキガエルの血液におけるK及びCaの含有量の季節的変動について」により、1956年8月九州大学から医学博士の学位を授与される。
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植之原 道行(うえのはら みちゆき、1925年9月5日 - … 植之原 道行(うえのはら みちゆき、1925年9月5日 - 2007年12月19日)は、日本の電子工学者(電気工学者)、技術経営者。Doctor of Philosophy、工学博士。日本電気(NEC)の中央研究所所長、各取締役、副社長・最高技術経営者、特別顧問、顧問を歴任し、半導体デバイス分野などで多くの実績をあげた。多摩大学名誉教授、IEEEフェロー。 鹿児島県生まれ。同県日置郡串木野村(後の日置郡串木野町、串木野市、いちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1943年広島陸軍幼年学校卒業、1945年陸軍航空士官学校(59期)卒業。1949年日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)電気工学科卒業し、同学科の助手となる。
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外西 寿彦(ほかにし ひさひこ、1925年2月5日-1993… 外西 寿彦(ほかにし ひさひこ、1925年2月5日-1993年7月21日)は、日本の産婦人科医、産婦人科学者。周産期医療、母子救急医療の権威。鹿児島県の周産期医療・新生児医療の改善と発展に尽力した。鹿児島市立病院第5代院長。 宮崎県出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1951年に旧制県立鹿児島医学専門学校(後の旧制県立鹿児島医科大学、現・鹿児島大学医学部)卒業。1958年4月、旧制県立鹿児島医科大学より医学博士号授与。鹿児島大学産婦人科(町野碩夫教授)に入局し、1958年1月より助手、1961年5月より講師。1966年2月に鹿児島大学助教授となるが、鹿児島市立病院に招かれて7月に退職。
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岡本 巌(おかもと いわお、1924年5月2日 - 2011… 岡本 巌(おかもと いわお、1924年5月2日 - 2011年12月4日)は、日本の地球物理学者。陸水学・湖沼学が専門で、長年琵琶湖を調査研究し、琵琶湖の環境保全のための住民運動を行ったことで知られている。滋賀大学名誉教授。 鹿児島県谷山村(現:鹿児島市の一部)出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1945年に第七高等学校造士館 (旧制)を卒業。進学した京都大学理学部(旧制)では海洋物理学を学び、1948年に卒業。卒業後、別府市にある京都大学地球物理学研究所に勤務したがあまり気乗りがしていなかったため、人に勧められて滋賀大学学芸学部(後に教育学部に改称)に移り、以来琵琶湖の調査研究に取り組む。
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本田 睦(ほんだ むつみ、1924年(大正13年)1月10日… 本田 睦(ほんだ むつみ、1924年(大正13年)1月10日-1991年(平成3年)2月16日)は、日本の工学者。専門は高速空気力学。東北大学名誉教授、工学博士。東北大学高速力学研究所(現東北大学流体科学研究所)所長を務めた。 鹿児島県日置郡串木野村(現・いちき串木野市)出身。父は後に串木野市議会議長を務める本田戸助。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)四年修了を経て、1942年(昭和17年)9月に旧制第七高等学校造士館理科を卒業。1945年(昭和20年)9月東京帝国大学第一工学部航空学科卒業。終戦直後で職がないため、卒業後一時帰郷してカライモ(サツマイモ)づくりや戦災で焼けた自宅の建て直しをおこなった。
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有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 20… 有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 2007年12月10日)は、日本の生理学者。医学博士。チューレーン大学名誉教授。慶應義塾大学医学部客員教授。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校および第七高等学校卒業。1951年名古屋大学医学部卒業後、イェール大学での研究生活を経て、1965年からチューレーン大学でアンドリュー・ウィクター・シャリー博士の下で、視床下部ホルモンの研究に従事した。ノーベル生理学医学賞(1997年)を受賞したシャリー博士の研究には、3人の日本人(有村章、馬場義彦、松尾寿之)が直接的に貢献したと言われているが、有村博士は、そのうちの1人。その後、有村博士は、1985年日本の財界の協力を得てチューレーン大学・日米協力生物医学研究所(U.S.-Japan Biomedical Research Laboratories)を設立、同研究所長となり、そこを拠点として、神経科学の発展に貢献した。
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江口 篤寿(えぐち あつひさ、またはあつとし)1923年4月… 江口 篤寿(えぐち あつひさ、またはあつとし)1923年4月5日-2010年5月20日)は、医師、健康教育学者。 鹿児島県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1947年東京帝国大学医学部卒、1961年順天堂大学医学博士。学位論文の題は「新生児及び幼若乳児における二、三の反射の消長について 」。 医師。1959年立教学院診療所医師。1974年東京大学講師、1976年筑波大学教授、87年定年退官、名誉教授、和洋女子短期大学教授。日本健康情報科学協会会長。
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福島 正人(ふくしま まさと、1922年12月15日 - … 福島 正人(ふくしま まさと、1922年12月15日 - 2004年3月12日)は、日本の建築工学/建築構造学者、建築材料/建築生産学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(東京大学)。 専門は、建築工学・建築構造、建築材料・建築生産(特にコンクリート工学)。 福島 万沙塔(読みは本名と同じ)の俳号で俳人としても活動した。 鹿児島県に生まれる。1940年に旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を、1942年9月に旧制第七高等学校造士館理科を、それぞれ卒業した。1945年、東京帝国大学第二工学部(現:東京大学工学部)建築学科を卒業する。のちに、東京大学より論文「南九州産軽量骨材の利用に関する研究」にて工学博士号を取得している。
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福島 徳壽郎(ふくしま とくじゅろう、1922年7月29日 … 福島 徳壽郎(ふくしま とくじゅろう、1922年7月29日 - 1995年6月3日)は、日本の政治学者。京都大学名誉教授。 鹿児島県生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)(1940年3月卒)、第七高等学校造士館 (旧制)文科(1944年9月卒)、京都大学法学部(旧制)(1949年3月卒)をそれぞれ卒業。1949年4月に京都大学法学部大学院特別研究生となった後、1950年4月に京都大学助手に、1953年1月に神戸商科大学助教授に就任する。1957年4月に京都大学法学部助教授に就任し、1962年5月に同教授へ昇任し、1986年3月31日の定年まで務め、同年4月1日付けで名誉教授となる。京都大学法学部教授在任中、法学部長(1976年10月22日~1978年10月21日)や評議員(1972年3月19日~1974年3月18日)も務めた。
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岩崎 松之助(いわさき まつのすけ、1919年 <大正8年>… 岩崎 松之助(いわさき まつのすけ、1919年 <大正8年> 7月1日 - 2006年 <平成18年> 6月17日)は、日本の工学者。工学博士。専門は航空力学。九州大学名誉教授、熊本工業大学(崇城大学)名誉教授。位階は正四位。プロペラの研究や、ショックチューブとショックネンタルを用いた流体力学研究が特に知られており、日本の航空力学の基礎を築いたと評価されている。 朝鮮総督府の養蚕試験場で生まれ、間もなく父・岩崎行高が鹿児島高等農林学校教授に就任したため鹿児島県鹿児島市で育つ。なお、祖父の岩崎行親は鹿児島県における中高等教育草創期の中心的人物。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)に進学し、模型飛行機づくりに熱中する。
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金久 正弘(かねひさ せいこう、1916年 <大正5年> 1… 金久 正弘(かねひさ せいこう、1916年 <大正5年> 11月3日‐2022年 <令和4年> 9月12日)は、日本の電気工学者、電子工学者。神戸大学名誉教授、鹿児島大学教授(元)、福岡工業大学教授(元)、工学博士(学位)。 鹿児島県出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1937年に旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科を卒業。1941年3月に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、東京計器製作所(東京計器)入社。1944年2月より海軍技術研究所勤務、終戦により1945年9月嘱託解除。その後住友通信工業(日本電気)に入社し研究所無線研究室勤務。1949年6月住友通信工業を退社し、12月旧制神戸工業専門学校教授着任。
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金久 卓也(かねひさ たくや、1914年6月7日 - 200… 金久 卓也(かねひさ たくや、1914年6月7日 - 2008年6月26日)は、日本の医学者、内科学者。医学博士。内科疾患の精神身体医学的側面について研究した、日本における心身医学の草分け。鹿児島大学名誉教授。 鹿児島県瀬戸内町生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)四年修了を経て、第七高等学校造士館 (旧制)理科を1934年に卒業。1938年、九州帝国大学医学部を卒業。学部では操坦道のもとでデング熱やワイル病について研究した。金子廉次郎教授の第一内科に入局し九大講師。1945年11月、「黄疸出血性レプトスピラ病における出血の成因に関する実験的研究」で九州大学より医学博士取得。また戦後は稲田竜吉東京大学教授が主催するインフルエンザ研究会にも参加した。
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久保田 尚志(くぼた たかし、1909年11月8日 - 20… 久保田 尚志(くぼた たかし、1909年11月8日 - 2004年1月1日)は、日本の化学者。理学博士。大阪市立大学名誉教授。有機化学の権威。日本化学会名誉会員。 鹿児島県鹿児島市出身。鷹師町で生まれて1914年に市内の上竜尾町に転居し、鹿児島市立大龍小学校を出る。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、第七高等学校造士館 (旧制)理科甲類を1929年に卒業。東北帝国大学理学部化学科で真島利行に師事して1932年に卒業し、東北大の助手となって藤瀬新一郎の下で研究に従事。1936年に大阪帝国大学理学部小竹無二雄研究室の助手に転じて、1939年に大阪大学助教授。同年「白茶に含まれるフラパノール、アンペロプチンの構造研究」で理学博士。
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平野 春逸(ひらの しゅんいつ、1909年10月1日-199… 平野 春逸(ひらの しゅんいつ、1909年10月1日-1992年8月23日)は、日本の医学者。医学博士。専門は生理学、解剖生理学。福岡大学名誉教授。クラシック音楽レコードの愛好収集する音楽評論家でもあり、また、ツバキの愛好収集家としても知られた。 鹿児島市出身で医師の長男。鹿児島女子師範学校附属小学校から旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)に入学し、1927年卒業。県立鹿児島病院研究補助員を務めた後、九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)に入学。九州医学専門学校を1933年に卒業して、一度鹿児島へ戻り県立鹿児島病院の医員を翌年まで務める。1934年には九州医学専門学校内科に入局して、1936年には放射線科へ転じ、1937年に医局長となる。
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鮫島 眞男(さめしま さねお、1909年9月2日 - 199… 鮫島 眞男(さめしま さねお、1909年9月2日 - 1995年10月2日)は、日本の国会職員、日本の法学者。第4代衆議院法制局長。衆議院法制局退官後は、城西大学と近畿大学の教授を務めながら商法を研究。位階は正三位。 鹿児島県日置郡東市来村長里(現・日置市東市来町長里)にて生まれ、1922年3月鶴丸尋常小学校卒業。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)へ入学し、2年次から修了まで首席。1926年に同中を4年修了して、第七高等学校造士館 (旧制)へ進学し同校文科でも首位の成績。1930年3月第七高等学校造士館文科卒業。同年東京帝国大学法学部法律学科に入学、1933年、同学科を卒業。 1932年の高等試験司法科に合格し、1933年大学卒業後函館地方裁判所司法官補に任じられ、1934年12月より判事(東京地方裁判所、水戸地方裁判所)。
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鰺坂 二夫(あじさか つぎお、1909年2月8日 - 200… 鰺坂 二夫(あじさか つぎお、1909年2月8日 - 2005年5月12日)は、日本の教育学者。京都大学名誉教授。 鹿児島県加世田市(南さつま市)出身。教育者小原國芳の長兄の次男として誕生し、叔父國芳の養子となる。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、國芳が校長を務めた旧制成城高等学校を卒業した。1932年京都帝国大学文学部教育学科卒業。その後國芳の娘と結婚し、國芳が養子に入っていた鰺坂家を代わって相続した。静岡県視学官、東京農業教育専門学校教授、鹿児島大学教授を経て、1959年京都大学教育学部教授。1972年に定年退官、名誉教授となる。その後、甲南女子大学学長、文部省教育職員養成審議会会長を務めた。
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竪山 利忠(たてやま としただ、1907年1月15日-199… 竪山 利忠(たてやま としただ、1907年1月15日-1993年12月6日)は、日本の労働運動家・社会学者(労働社会学)。創価大学名誉教授・拓殖大学元教授。戦前は社会主義運動から日本共産党で活動し、転向後は寧ろ反共・右派の労働運動の理論家となった。電機労連委員長から民間連合会長になった竪山利文は弟。 鹿児島県谷山村(現・鹿児島市の一部)松崎に生まれる。1924年3月、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。1926年3月に第七高等学校造士館 (旧制)文科を卒業し、同4月に東京帝国大学経済学部経済学科入学。帝大入学と同時に新人会に入り、浜松日本楽器大争議に派遣される。新人会幹事長を経て日本共産青年同盟に加盟。
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