鮎川 哲也(あゆかわ てつや、1919年2月14日 - 20… 鮎川 哲也(あゆかわ てつや、1919年2月14日 - 2002年9月24日)は、日本の小説家。本名、中川 透(なかがわとおる)。東京府に生まれ、大連に育つ。拓殖大学商学部卒。 アリバイ崩しを得意とし、『ペトロフ事件』『黒いトランク』『人それを情死と呼ぶ』など、鬼貫警部を探偵役とする本格推理小説を発表。ほか『りら荘事件』『死者を笞打て』などの長編小説や多数の短編小説を執筆し、さらにはアンソロジーの編纂や、新人の育成などにも力を尽くした。 1919年2月14日、東京府巣鴨に生まれた。父が南満洲鉄道地質調査所の測量技師となったため、小学3年生のときに一家で満洲大連に移り住み、旧制中学を卒業するまでここで過ごした。
国友 忠(くにとも ただし、1919年〈大正8年〉2月14日… 国友 忠(くにとも ただし、1919年〈大正8年〉2月14日 - 2005年〈平成17年〉5月22日)は、東京府(現・東京都)出身の浪曲師。本名は大熊国一。 浪曲師として舞台、放送、レコード等で活躍。浪曲台本はオリジナルが百数十席、脚色も二千数百席に及び、連続ラジオ小説「銭形平次」を日曜日を除き毎日、5年間続けたことは放送ドラマの記録となっている。1980年代には私財を投げ打ち中国残留邦人らの帰国や日本定住の支援活動に尽力した。
前田 和雄(まえだ かずお、1919年2月13日 - 200… 前田 和雄(まえだ かずお、1919年2月13日 - 2009年10月7日)は、日本の経営者、工学博士。三井造船社長を務めた。山口県出身。 1943年に九州帝国大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1968年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1979年6月に社長に就任。1986年6月には会長に就任し、1993年に相談役を経て、1998年7月に特別顧問に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2009年10月7日、骨髄異形成症候群のために死去。90歳没。
大宮 守人(おおみや もりと、1919年2月13日 - 20… 大宮 守人(おおみや もりと、1919年2月13日 - 2000年4月29日)は、日本の料理人。ラーメン店『味の三平』初代店主。 札幌の味噌ラーメンの発明者。 北海道旭川市出身。戦前 - 戦中は南満州鉄道に機関士として勤務し、戦後の1948年(昭和23年)より札幌でつぶ貝とうどんを出す屋台を始めた。隣には後に有名なラーメン店『龍鳳』を出す松田勘七が、ラーメンの屋台を出して繁盛していた。松田の薦めもあり、大宮も松田の店での修業を経て、1950年(昭和25年)には札幌市中央区南7条西3丁目のすすきのに『味の三平』を開店。同じ敷地に同じ頃、松田も『龍鳳』を始める。 その後大宮は、雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された、スイスの食品メーカー・マギー社の社長の文章を目にして衝撃を受ける。
三谷 吾一(みたに ごいち、1919年2月13日 - 201… 三谷 吾一(みたに ごいち、1919年2月13日 - 2017年7月12日)は、日本の漆芸家。位階は正四位。勲等は勲四等。日本芸術院会員、文化功労者。本名は三谷 伍市(みたに ごいち)。 社団法人日展理事、社団法人現代工芸美術家協会常務理事、輪島塗技術保存会副会長などを歴任した。 石川県の現輪島市(当時の鳳至郡)出身。本名・伍市。 1933年、14歳で沈金師・蕨舞洲に師事、1938年前大峰に師事、1941年沈金職人として独立。 1942年新文展出品の「沈金漆筥」が初入選、1965年日本現代工芸美術展出品の「飛翔」が現代工芸大賞読売新聞社賞受賞、1966年日展出品の「集」が特選北斗賞受賞、1970年改組日展出品の「翼」が特選北斗賞受賞、1977年輪島塗技術保存会会員となる。
原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 -… 原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 - 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(14期)、運輸大臣、郵政大臣、経済企画庁長官を歴任した。長男は衆議院議員の原田憲治。 大阪府出身。父親は大阪府議会議長を務めた。大阪府立第十三中学校(現・大阪府立豊中高等学校)、関西大学予科を経て、1942年(昭和17年)明治大学専門部政治科を中退。池田産報協力工業労務課長、農工社勤労人事課長、原田印刷工業社長、阪神毎朝新聞社長などを務めた。 1946年(昭和21年)27歳で大阪2区(当時)より第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補したが落選。翌1947年(昭和22年)旧大阪3区より第23回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補し初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
吉村 眞一(よしむら しんいち、1919年2月12日 - 1… 吉村 眞一(よしむら しんいち、1919年2月12日 - 1996年9月7日)は、日本の経営者、銀行家。四国銀行頭取を務めた。 高知県出身。1940年に高文行政科に合格し、1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大蔵省での勤務を経て、1968年5月に四国銀行に転じ、副頭取に就任し、1971年8月には頭取に昇格した。1985年6月に会長を経て、1987年8月に再び頭取に就任し、1988年6月には会長に退いた。 1989年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1996年9月7日、胃癌のために死去。77歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
馬場 元二(ばば もとじ、1919年2月11日 - 2015… 馬場 元二(ばば もとじ、1919年2月11日 - 2015年5月14日)は、日本の経済学者。経済学博士。元札幌大学及び札幌大学女子短期大学部学長。 福岡県八女市出身。1940年横浜専門学校高等商業科卒業。南満州鉄道調査部入社。1941年大日本帝国陸軍入隊。1945年復員。1951年九州大学経済学部卒業。1954年同大学院特別研究生修了。久留米大学商学部講師。1965年市邨学園短期大学商経科教授。1967年九州共立大学経済学部教授。1968年札幌大学経済学部教授。1969年学校法人札幌大学理事。1971年学校法人札幌大学理事長代理。1975年札幌大学学長に就任。1987年札幌大学学長・札幌大学女子短期大学部学長。
中道 風迅洞(なかみち ふうじんどう、1919年2月11日 … 中道 風迅洞(なかみち ふうじんどう、1919年2月11日 - 2011年4月15日)は、青森県八戸市出身の日本放送協会職員、どどいつ作家、詩人。本名・中道定雄(なかみち・さだお)、 早稲田大学卒。1941年東京中央放送局(後のNHK)に入局。バラエティー番組「とんち教室」や、ドキュメンタリー番組、テレビ文芸部部長、芸能局長などを歴任。退職後は詩人、どどいつ作家となる。 NHKラジオ第1放送のリスナー参加の番組「文芸選評」で「どどいつ」の選者として参加。著書に「新編・どどいつ入門」がある。 2011年4月15日、心不全のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
秋山 澄夫(あきやま すみお、1919年2月10日 - 19… 秋山 澄夫(あきやま すみお、1919年2月10日 - 1993年7月12日)は、日本のフランス文学者。早稲田大学名誉教授。 マラルメ、シュールレアリスムなどを研究した。 岡山県生まれ。早稲田大学仏文科卒。早稲田大学教養部助教授、教授。1989年に定年退任、名誉教授。
大和 英成(やまと ひでしげ、1919年2月8日 - 197… 大和 英成(やまと ひでしげ、1919年2月8日 - 1973年5月30日)は、日本の地理学者。理学博士(東京大学・1959年)(学位論文『低湿地の農業地理学的研究』)。駒澤大学教授等を歴任。 東京都出身。1936年東京府立八中(現・都立小山台高校)、1940年 駒澤大学専門部歴史地理科卒業。日本学園、都立武蔵丘高校で教鞭をとる。1948年 東京外国語専門学校専修科独語科卒業。1951年 法政大学文学部(旧制)地理歴史学科卒業。1951年 駒澤大学文学部兼任講師。1955年 東京大学大学院数物系研究科修士課程を修了し、駒澤大学専任講師。1958年 東京大学大学院博士課程修了し、駒澤大学文学部助教授。
高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、19… 高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、1919年2月8日 - 2016年5月4日)は、日本の政治家、医学者。北海道大学名誉教授、参議院議員(2期)。医学博士。位階は従三位、勲等は勲一等。 長兄は熊本県知事、参議院議員の桜井三郎。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の8番目として生まれる。新潟県立巻中学校を経て北海道帝国大学医学部卒業。同大学院博士課程修了。1945年札幌在住の親戚である高桑家の養子となる。1956年より北海道大学へ赴任。医学部長・大学院環境科学研究科長を経て、1980年より公害研究所(現国立環境研究所)所長として筑波研究学園都市で過ごす。同年、紺綬褒章受章。
岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982… 岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982年8月24日)は日本の技術者、経営者、実業家である。第4代ソニー社長。トランジスタに着目し、日本における半導体産業の基盤を創った男ともいわれた。愛知県名古屋市出身。
やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読み同じ〉、1919年〈大正… やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読み同じ〉、1919年〈大正8年〉2月6日 - 2013年〈平成25年〉10月13日)は、日本の漫画家・絵本作家・詩人。有限会社やなせスタジオ社長。高知県出身(後述)。妻は編集者の小松暢。 『アンパンマン』の原作者として知られる。社団法人日本漫画家協会代表理事理事長(2000年5月 - 2012年6月)、社団法人日本漫画家協会代表理事会長(2012年6月 - 2013年10月)を歴任。 作曲家としてのペンネームは「ミッシェル・カマ」。壮年期までは「やなせ・たかし」と中黒が付された表記をされていた。 絵本作家・詩人としての活動が本格化する前までは頼まれた仕事はなんでもこなし、編集者・舞台美術家・演出家・司会者・コピーライター・作詞家・シナリオライターなど様々な活動を行っていた。
大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年〈大正8年〉2月… 大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年〈大正8年〉2月5日 - 2018年〈平成30年〉3月29日)は、日本の外交官、外務省官僚。駐米大使、駐豪大使、世界平和研究所理事長などの重職を歴任した。位階は正三位。勲一等瑞宝章、紺綬褒章受章者。 群馬県安中市中宿に生まれる。埼玉県立浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)、台中州立台中第二中学校[要出典]、第一高等学校を経て、1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部卒業。 1942年(昭和17年)に外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第8根拠地隊司令部付兼ラバウル民政部庶務主任となる。
吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 19… 吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 1995年6月14日)は、日本の工学者。土木工学者。福岡県出身。工学博士。九州大学元教授。有明工業高等専門学校元校長。教育者。 1919年、福岡県福岡市生まれ。1941年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。構造力学及び橋梁工学の理論的研究を専門とする。 1945年、内務省九州土木出張所に就く。民間を経て、1947年、福岡高等工業学校、1950年熊本工業専門学校、1951年熊本大学工学部、1952年同大学助教授に就き、1954年、工学博士となる。 1955年同大学工学部教授に就任。1973年九州大学工学部教授となる。1980年有明工業高等専門学校校長。
鈴木 正一(すずき しょういち、1919年(大正8年)2月1… 鈴木 正一(すずき しょういち、1919年(大正8年)2月1日 - 1998年(平成10年)8月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 福島県出身。1936年福島県立蚕業学校(現福島県立福島明成高等学校)普通科卒。戦後、農業協同組合に入り、青年連盟を結成し、委員長を7期、農協組合長を8期務める。同時に信夫郡大庭村(のち吾妻村→吾妻町、現・福島市)議を3期、福島県議を5期、同議長を2期務める。他、自民党福島県連幹事長なども務めた。 1977年の第11回参議院議員通常選挙において福島県選挙区から自民党公認で立候補して当選した。参議院自民党副幹事長、同農林部会副部会長、第1次中曽根内閣農林水産政務次官などを歴任した。
奥田 教久(おくだ のりひさ、1919年2月1日 - 201… 奥田 教久(おくだ のりひさ、1919年2月1日 - 2010年)は、大日本帝国陸軍大尉。戦後は科学ジャーナリスト、エンジニアとして活動した朝日新聞社論説委員。科学技術庁原子力局長期計画専門部会総合文化会委員・核燃料分科会委員。後に朝日カルチャーセンター社長。1939年、第一高等学校、1942年、東京帝国大学工学部卒。陸軍第三期航空技術候補生出身。カトリック教徒。 朝日新聞社が他社に先駆けてネルソン法方式を採用する際の主幹を務め、コンピュータ製版化を達成。 村松藩主堀家の末裔として1919年2月1日、福島県に生まれ、宮城県仙台市で育つ。父・武二郎は公務員、母・愛子は関義臣の庶子。奥田教朝は兄。旧制仙台第一中学校に進むが、家庭の事情で東京に転居することとなり、旧制東京第一中学校に編入。
小原 元(おはら げん、1919年(大正8年)2月1日 - … 小原 元(おはら げん、1919年(大正8年)2月1日 - 1975年(昭和50年)4月30日)は、日本の文芸評論家、国文学者。元法政大学教授。 1919年(大正8年)2月1日、朝鮮に生まれる。法政大学を卒業する。 戦後一時期は新日本文学会の事務局に勤めていた。その後、リアリズム研究会の結成に参画する。 1962年(昭和37年)に法政大学教授に就任する。小林多喜二、中野重治、宮本百合子らのプロレタリア文学の研究を中心に、森鷗外や樋口一葉らの明治期の文学も研究する。 1975年(昭和50年)4月30日に死去、56歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
和歌ノ海 忠次郎(わかのうみ ちゅうじろう、1919年2月1… 和歌ノ海 忠次郎(わかのうみ ちゅうじろう、1919年2月1日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。和歌山県田辺市出身。本名は峰 忠次郎(みね ただじろう)。身長180cm、体重92kg。最高位は東十両6枚目。得意技は左四つ、押し。 1937年1月場所に初土俵を踏む。1943年5月場所に十両に昇進。この場所は5勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下に陥落した。1945年6月場所に十両に復帰したが、3勝4敗と負け越した。翌11月場所は初日から全休、この場所限りで26歳で廃業した。左四つの相撲が得意だったが、押し相撲でも良く、組んでも離れても巧さが光る取り口であった。
岩渕 克郎(いわぶち かつお、1919年〈大正8年〉2月 -… 岩渕 克郎(いわぶち かつお、1919年〈大正8年〉2月 - 2001年〈平成13年〉4月28日)は、岩手県東磐井郡猿沢村(現・一関市)出身の教育者。満州国にあった建国大学を卒業。在学中は学内の緑化を推進した。1946年(昭和21年)8月農業に就くかたわら「鶏鳴塾」を開く。1948年(昭和23年)8月、「鶏鳴塾」を閉じ、国家公務員(法務官)に就職。退職後、白河市で公証人を務める。晩年に福島県白河市の「(財)立教志塾」の初代塾頭に就任。 旧制中学校を2年で中退した後、師範学校を目指したが、二度受験に失敗したため水沢農学校(現・岩手県立水沢農業高等学校)に進学。1938年(昭和13年)3月に卒業後、同年5月満州国立建国大学政治学科に第一期生として入学した。
直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - … 直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - 2019年2月2日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1969年)。日本古代史研究を代表する研究者。 1919年、兵庫県神戸市で生まれた。1936年、兵庫県立第一神戸中学校を卒業。1938年、第一高等学校文科乙類へ入学。1941年に第一高等学校を卒業し、 京都帝国大学文学部史学科に進んだ。太平洋戦争の時局悪化に伴い、1943年に京都帝国大学文学部国史学科を卒業。卒業後は、海軍土浦海軍航空隊に入隊した。 1945年、終戦により復員。最終的な階級は海軍中尉であった。翌1946年、京都帝国大学特別研究生として研究の道に戻った。
鈴木 権平氏(すずき ごんぺいし、1919年1月29日 - … 鈴木 権平氏(すずき ごんぺいし、1919年1月29日 - 1993年9月10日)は日本の実業家である。京阪百貨店・元代表取締役社長、京阪電気鉄道・元相談役。「権平氏」という名前は敬称を含んでいるわけではなく、それで一つの名前である。 1939年昭和高等商業学校(現大阪経済大学)卒業、京阪電気鉄道入社、1966年同社取締役、1972年副社長。1985年京阪百貨店代表取締役社長、京阪電気鉄道相談役を兼務。大阪マーチャンダイズ・マートビル社長なども務めた。 社長在任中の1991年3月期で同百貨店の累積損失を一掃。正五位、勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2… 北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2013年5月19日)は、日本の政治家。環境庁長官(第24代)、衆議院議員(6期)、大阪府議会議員(5期)、寝屋川市議会議員(1期)等を歴任した。位階は従三位。 長男北川法夫は元・寝屋川市長。次男北川知克は元衆議院議員。 大阪府寝屋川市生まれ。関西大学第二商業学校、大阪工業専修学校応用化学科を卒業。関西大学法学部中退。 1951年、寝屋川市議会議員選挙に出馬し、初当選した。1955年には大阪府議会議員選挙に鞍替えし、当選。以後5期連続で当選し、1970年には大阪府議会議長に就任する。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧大阪府第3区から出馬するが、落選。
西原 康(にしはら こう、1919年1月28日 - 1983… 西原 康(にしはら こう、1919年1月28日 - 1983年12月25日)は、劇作家、児童文学作家。 東京出身。別名・阿久津光。東洋大学文学部東洋文学科卒。在学中から斎田喬宅に下宿して児童向け台本、劇団テアトル・ピッコロの脚本を書き、20歳で児童劇集『花ひらく』を刊行。1946年NHK児童番組部嘱託。
成田 啓二(なりた けいじ、1919年1月27日 - 198… 成田 啓二(なりた けいじ、1919年1月27日 - 1985年3月29日)は、鳥取県米子市出身のプロ野球選手(投手)。1950年の登録名は「敬二」。 米子中学校4年次の1935年、1級先輩の清水秀雄-井上親一郎のバッテリーの活躍で、一塁手として春夏連続で甲子園に出場した(ちなみに井上とは、その後、大学、ノンプロ、プロと共に過ごすことになる)。1936年は山陰大会決勝で鳥取一中に敗れる。 卒業後慶應義塾大学野球部で活躍したのち、大阪鉄道局米子に入る。シベリア抑留を経験したが、その後米鉄に戻り、1949年までプレーする。 1950年、国鉄スワローズ結成に伴い入団。球団結成初戦の開幕投手を務めたが、惜しくも敗戦投手となった。
折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 -… 折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 - 1986年10月20日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期)、延岡市長(2期)。 鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身。1935年旧制宮崎県立妻中学校(現:宮崎県立妻高等学校)卒業。1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)卒業。1941年京都帝国大学法学部卒。延岡市総務課長を経て、同市長三浦虎雄によって助役に起用。1960年の延岡市長選挙に立候補。現職の青木善祐を1139票差で破り初当選。延岡市長を戦後初めて2期務める。1965年、助役に房野博(後に延岡市長)を起用。1966年、衆議院議員総選挙立候補のため延岡市長退任。
青木 和彦(あおき かずひこ、1919年1月25日 - 20… 青木 和彦(あおき かずひこ、1919年1月25日 - 2007年3月7日)は日本の自動車工学者。元曙ブレーキ工業副社長。 日本の自動車や輸送機器のブレーキに対する草分け的な研究者・技術者として貢献。ブレーキのアンチロック・ブレーキ・システムやスキッド・コントロールなどを研究、ディスクブレーキを開発、曙ブレーキ工業で代表取締役副社長などとして活躍。ブレーキが、自動車における最も大事な要素の一つであることを強調するとともに、国際的にもSAE (米国自動車技術会) のブレーキ部会委員として活躍した。 また、下記の翻訳書により、日本に「人間工学」の概念を紹介した。また、自身の著書「ブレーキ」においても、「ブレーキの人間工学」という章を設けて解説している。
園田 天光光(そのだ てんこうこう、1919年1月23日 -… 園田 天光光(そのだ てんこうこう、1919年1月23日 - 2015年1月29日)は、日本の政治家。日本初の女性代議士の一人。夫は園田直。旧姓は松谷。
矢野 純一(やの じゅんいち、1919年1月23日 - 20… 矢野 純一(やの じゅんいち、1919年1月23日 - 2002年12月22日)はプロ野球選手(野手)、元横浜大洋ホエールズ取締役球団代表。山口県出身。
三井 美代子(みつい みよこ、1919年1月23日 - 20… 三井 美代子(みつい みよこ、1919年1月23日 - 2007年4月28日)は、日本の陸上競技選手。結婚後の姓は井上(いのうえ)。走高跳から始めて障害走(ハードル)に転向し、80mハードルで1936年ベルリンオリンピックに出場した。東京府生まれ、静岡県育ちで、競泳の古田つね子と並ぶ静岡県初の女子オリンピック選手である。 「日本陸上競技界の至宝」、「ミス陸上」の異名を持っていた。 1919年(大正8年)1月23日、東京にて3人きょうだい(兄・姉)の末っ子として生まれる。父・三井純一は慶應義塾大学卒の電力会社社員で、三井家はたびたび引っ越しし、美代子が小学4年生の時に静岡県沼津市に居を移した。学生時代野球部員だった純一は、沼津市体育協会理事を務めるなどスポーツに熱心な人物であった。
卞 鍾捧(ピョン・ジョンボン、朝鮮語: 변종봉、1919年1… 卞 鍾捧(ピョン・ジョンボン、朝鮮語: 변종봉、1919年1月22日 - 2000年6月19日)は、日本統治時代の朝鮮の銀行員、大韓民国の外交官、政治家。第6代韓国国会議員。本貫は草渓卞氏。 日本統治時代の慶尚南道陜川郡出身。釜山第2産業学校(現・開成高等学校(朝鮮語版))、横浜専門学校(現・神奈川大学)経済科卒。朝鮮殖産銀行調査部責任者を13年間務めたほか、外務部交易課長、駐日代表部大阪出張所長、忠州肥料工場次長、民主共和党慶南第9地区党委員長、国際連合総会韓国代表などを歴任した。1963年の第6代総選挙に山清・陜川選挙区から民主共和党所属で出馬して当選し、国会においては外務委員長を務めた。1966年には学校法人槿花学院を設立して理事長を務めた。
細井 卓(ほそい たかし、1919年1月22日 - 1990… 細井 卓(ほそい たかし、1919年1月22日 - 1990年12月24日)は、日本の経営学者。 東京出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、三井本社、三井信託に勤務ののち、西南学院大学助教授、1956年名古屋大学経済学部助教授、60年教授、62年「配当政策」で名大経済学博士、69年から70年まで学部長。77年から83年まで日本経営財務研究学会初代会長。82年名大を定年退官、名誉教授となり、南山大学教授を務めた。ゼミの指導学生に岩間弘三十三フィナンシャルグループ会長など。
武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 19… 武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 1998年4月23日)は、日本の作家、翻訳家、アンソロジスト。蘭 妖子としても活動した。 東京出身。早稲田大学専門部政経学科卒業。 詩人の岩佐東一郎の紹介で岩谷満と知りあいとなり、1946年に岩谷とともに『宝石』の創刊に携わり、武田自身の作品も掲載された。1948年に『宝石』の編集長となったあとも、推理小説家としての活動も並行して行なった。1950年に編集長を退任すると、翻訳や子供向けリライト、アンソロジーを手掛けた。熱心な宝塚歌劇のファンでもあった。
柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月… 柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月21日 - 2007年6月10日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。小学校入学前から新聞配達を行う。私立石川島造船所青年学校卒業(6期)。その後、パプアニューギニアのラバウルに従軍。 戦後、石川島播磨重工業に入社し、同社労働組合委員長、造船重機労連委員長を務める。 1977年の第11回参議院議員通常選挙全国区初当選(民社党)。1979年、民社党組織局長。1983年、第13回参議院議員通常選挙比例区再選。 1989年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)。同年の第15回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界引退。
木川 達爾(きがわ たつじ、1919年1月20日 - 200… 木川 達爾(きがわ たつじ、1919年1月20日 - 2008年10月5日)は、日本の教育者・教育学者。文教大学名誉教授。 長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、1940年東京府師範学校卒、同附属小学校、1949年東京学芸大学附属豊島小学校教諭、1957年東京都教育委員会指導主事、東京都立教育研究所研究教育部長など、1975年文教大学付属中学校・高等学校、小学校校長、文教大学教授、1990年定年、名誉教授。文教大学学園理事。木川達郎住友大阪セメント取締役常務執行役員の父。
李 鍾南(イ・ジョンナム、朝鮮語: 이종남/李鍾南、1919… 李 鍾南(イ・ジョンナム、朝鮮語: 이종남/李鍾南、1919年1月20日 - 2000年5月17日)は、大韓民国の公務員、政治家。初代慶尚南道議会(朝鮮語版)議員、第4・5・8代韓国国会議員。 本貫は徳水李氏(朝鮮語版)。号は白岩(ペガム、백암)。漢字表記は李 種南とも。 日本統治時代の全羅南道光州郡(現・全羅南道長城郡南面三台里)出身。光州高等普通学校(現・光州第一高等学校(朝鮮語版))、大阪経営大学卒、延世大学経営大学院修士課程履修。外務部文書課長、公報部経理課長、大韓行政新聞社論説委員、大韓労働組合総連合会本部事務局長、韓国民主社会主義研究会幹事長、対日屈辱外交闘争委員会組織委員長、民主党慶南道党宣伝部長、民推協発起人などを務めた。
堀内 宗心(ほりのうち そうしん、1919年1月20日 - … 堀内 宗心(ほりのうち そうしん、1919年1月20日 - 2015年5月27日)は、表千家の茶人。 京都府京都市出身。堀内家・10代堀内宗完・不仙斎の三男、本名吉彦。1944年京都帝国大学理学部卒業、同副手。1946年2月長兄・幽峯斎宗完死去により長生庵を継ぎ、同年4月 表千家不審菴入門、内弟子として表千家第13代家元・即中斎千宗左に師事。同年12月建仁寺竹田益州より兼中斎の斎号を受ける。1953年12代堀内宗完を襲名。1997年甥の堀内國彦が宗完を継ぎ、宗心を名のる。1999年表千家家元より皆伝を受ける。2015年5月27日、前立腺癌のため死去。
村山 貞雄(むらやま さだお、1919年1月20日 - 20… 村山 貞雄(むらやま さだお、1919年1月20日 - 2000年10月以前)は、日本の幼児教育学者、日本女子大学名誉教授。 広島県、奈良市、京都府宮津市出身。1943年東京帝国大学文学部教育学科卒、45年同大学院修士課程修了。恩賜財団愛育研究所所員、東京理科大学助教授、教授、日本女子大学文学部教授、文学部長。87年定年退任、名誉教授、東京保育専門学校校長、聖心学園理事長。日本学術会議会員、国際幼児教育学会会長、名誉会長。村山ビネー式知能検査を提唱した。
村上 速水(むらかみ としみ/そくすい、1919年1月20日… 村上 速水(むらかみ としみ/そくすい、1919年1月20日 - 2000年3月14日)は、日本の仏教学者。浄土真宗の僧。 岡山県出身。龍谷大学真宗学科卒。1947年永照寺に入寺、住職。1952年龍谷大学助手、助教授、65年教授。87年定年、名誉教授。
大久保 婦久子(おおくぼ ふくこ、1919年(大正8年)1月… 大久保 婦久子(おおくぼ ふくこ、1919年(大正8年)1月19日 - 2000年(平成12年)11月4日)は、日本の芸術家、皮革工芸家。下田市名誉市民。本名は大久保 ふく。勲三等瑞宝章(1989年)、文化功労者(1995年)、文化勲章(2000年)。日本芸術院会員。皮革造形美術グループ「ド・オーロ」代表。モンゴル芸術大学名誉教授。日本の皮革工芸の第一人者として知られた。 静岡県賀茂郡下田町生まれ。下田尋常高等小学校(現在の下田市立下田小学校)を経て、1935年に静岡県立下田高等女学校(のちの静岡県立下田南高等学校、現在の静岡県立下田高等学校)を卒業。同郷の日本画家・中村岳陵の絵画に魅せられて画家を志し、同年、女子美術専門学校(現在の女子美術大学)師範科西洋画部入学。
朴 忠勲(パク・チュンフン、朝鮮語: 박충훈 / 朴忠勳、P… 朴 忠勲(パク・チュンフン、朝鮮語: 박충훈 / 朴忠勳、Park Choong-hoon、1919年1月19日 - 2001年3月16日)は、大韓民国の商工官僚、軍人、政治家を務めた人物である。本貫は密陽朴氏。 全羅南道済州郡(現在の済州特別自治道)出身。京城第一公立高等普通学校、日本の同志社高等商業学校をそれぞれ卒業後、韓国へ帰って大韓民国陸軍歩兵学校(朝鮮語版)を卒業した。 大韓民国空軍軍人として国防部経理局長などを務め、1961年に空軍少将を最後に予備役へ編入となり軍を離れた。予備役編入後に商工部に転じ、貿易局長、次官を歴任。 1963年に朴正煕大統領による第三共和制政権が発足すると商工部長官に就任し、張基栄(朝鮮語版)国務副総理とコンビを組み、大韓民国経済の市場自由化や輸出政策振興に取り組んだ。
羽倉 信也(はぐら のぶや、1919年〈大正8年〉1月17日… 羽倉 信也(はぐら のぶや、1919年〈大正8年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉4月12日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取、第42代全国銀行協会会長、神社本庁理事。位階は従三位。 京都府生まれ。羽倉家の家系は千年前に迪ることができ、先祖代々京都伏見稲荷大社の社家(社務を司る家)であった。 慶應義塾大学予科に進み、英文学を極め、1941年(昭和16年)に同大経済学部卒業後、特殊銀行であった日本勧業銀行に入行。学生時代に培った英語力を活かし、アメリカの金融制度の翻訳や調査、戦後はGHQに提出する資料の作成に携わる。銀行員生活の大半を国際畑で過ごし、ニューヨーク支店長などを歴任し、1968年(昭和43年)に取締役丸の内支店長。
中林 賢二郎(なかばやし けんじろう、1919年1月17日 … 中林 賢二郎(なかばやし けんじろう、1919年1月17日 - 1986年1月11日)は、日本の歴史学者。労働運動史を研究した。法政大学教授。 横浜市生まれ。1944年9月、東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。翌1944年10月-1946年3月、財団法人東亜研究所に勤務。1946年10月-1951年11月、財団法人政治経済研究所に勤務。のち、1956年5月まで世界労働運動研究協議会事務局に勤務。1957年7月、社会主義経済研究所に入所。1959年10月より学校法人中央労働学園講師を兼任、1976年まで「労働運動と統一戦線」「国際労働運動史」を担当。東京都立大学 (1949-2011)法経学部講師、労働者教育協会理事、中央労働学園理事・常務理事を歴任。
石井 冨士雄(いしい ふじお、1919年1月16日 - 20… 石井 冨士雄(いしい ふじお、1919年1月16日 - 2007年9月5日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。岩手県和賀郡沢内村(現西和賀町)出身。 1943年9月に東北帝国大学法学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1946年3月に大蔵省に入省。1968年4月に岩手銀行常務に就任し、1974年11月に専務を経て、1977年12月には頭取に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に退いた。 2007年9月5日、心不全で死去。
岩男 頴一(いわお ひでかず、1919年(大正8年)1月15… 岩男 頴一(いわお ひでかず、1919年(大正8年)1月15日 - 1976年(昭和51年)8月9日)は、昭和期の医師、政治家。参議院議員、大分県大分郡湯布院町長。 大分県速見郡、のちの由布院村(由布院町、大分郡由布院町、湯布院町を経て現由布市)で生まれた。大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1943年(昭和18年)日本大学医学科を卒業した。同年に応召し陸軍軍医として従軍した。 復員後に帰郷し岩男医院を継承した。由布院町青年団長、大分郡連合青年団長なども務め、1952年(昭和27年)の由布院盆地ダム化計画に対して反対運動を行い、計画の中止に貢献した。 1955年(昭和30年)湯布院町の発足に伴い初代町長に就任して5期在任した。
佐藤 静夫(さとう しずお、1919年1月12日 - 200… 佐藤 静夫(さとう しずお、1919年1月12日 - 2008年5月6日)は、日本の文芸評論家である。東京出身。上智大学文学部卒。 戦後まもなくから、新日本文学会に所属し、雑誌の編集をしながら、評論を書く。このころ、宮本百合子の知遇をうけたという。1950年代後半から、リアリズム研究会の創立に参画し、機関誌『現実と文学』に「戦後民主主義文学運動史」(のち啓隆閣から刊行)を連載、知名度を高める。1965年の日本民主主義文学同盟創立の際には、機関誌『民主文学』の初代編集長をつとめ、その後は、文学同盟の副議長をつとめた。 戦後文学史の研究と、宮本百合子研究を仕事の中軸にすえ、『戦後文学の三十年』(光和堂、多喜二・百合子賞受賞)、『宮本百合子と同時代の文学』(本の泉社)などの著書がある。
大谷 隆三(おおたに りゅうぞう、1919年1月11日 - … 大谷 隆三(おおたに りゅうぞう、1919年1月11日 - 2000年2月23日)は、松竹株式会社社長。同社創業者の子。放火事件を起こし退任した。 松竹創業者大谷竹次郎の次男。1941年、慶應義塾大学経済学部卒業後、松竹に入社。1971年から1984年まで社長を務めた。妻の道子は大谷光瑩の孫(庶子瑩韶の娘)。 1971年に妻を亡くして以来、アルコール依存症となり、1984年2月8日、長男の信義に飲酒に出かけようとしたところを窘められ、激昂して東京都品川区東五反田の自宅に灯油をまいて放火した。この結果、荷物を取りに戻ろうとした住み込みの手伝いの女性が焼死した。 隆三は建造物放火容疑で逮捕起訴され、松沢病院に入院、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受ける。
天城 一(あまぎ はじめ、1919年1月11日 - 2007… 天城 一(あまぎ はじめ、1919年1月11日 - 2007年11月9日)は、日本の小説家、推理作家、数学者(解析学)、大阪教育大学名誉教授。本名中村 正弘。 別筆名に「高天原 アリサ」「青山 狂介」がある。 東京生まれ。東北帝国大学数学科卒業。 1947年、探偵小説雑誌『宝石』2・3月合併号(岩谷書店)掲載の短編「不思議な国の犯罪」(後に「不思議の国の犯罪」に改題)でデビュー。摩耶正を探偵役とした密室ものの作品を発表し、寡作ながらも学者独特の観察眼からの作品は人気が高い。 1955年に長編「圷家殺人事件」執筆後、長らく作品がなかったが、1975年に復活。アリバイを重視した島崎警部を探偵役とした作品を発表した。
上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日… 上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日 - 平成11年(1999年)1月15日)は、日本の俳人、随筆家。高浜虚子の六女で上野泰の妻。 1919年、高浜虚子の六女として鎌倉市に生まれる。フェリス和英女学校卒。1936年、在学中に虚子の渡欧に随行する。1942年、『ホトトギス』同人の上野泰と結婚する。戦後は夫婦で結社「春潮」を立ち上げるも1973年、泰の急逝により主宰となる。俳人協会会員。俳句の他、高浜家や虚子、夫の泰のことなど多くの随筆も残している。1999年1月15日、心不全により79歳で死去。