山村 昌(やまむら さかえ、1918年(大正7年)2月26日… 山村 昌(やまむら さかえ、1918年(大正7年)2月26日 - 2005年(平成17年)6月7日)は、日本の電気工学者。リニアモーターの理論的研究で知られる。日本学士院会員(1988年12月12日-2005年6月7日)。長女は化学者の松本和子。 1918年、鳥取県鳥取市で生まれた。父は第9代鳥取市長を務めた山村栄太郎。 1936年に鳥取県立鳥取第一中学校(現:鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業し、1940年に東京大学工学部電気工学科を卒業。1941年より同大学工学部に助手として奉職。1943年から同学部講師を経て、1944年から助教授を務め、助教授在職中の1950年にオハイオ州立大学に留学し研究を続け、1953年に同大学から博士号(Ph.D)を授与された[要出典]。
藤田 晴子(ふじた はるこ、1918年2月25日 - 200… 藤田 晴子(ふじた はるこ、1918年2月25日 - 2001年10月20日)は日本のピアニスト、音楽評論家、法学者。選挙制度審議会委員。
長谷川 泉(はせがわ いずみ、1918年2月25日 - 20… 長谷川 泉(はせがわ いずみ、1918年2月25日 - 2004年12月10日)は、日本の国文学者。近代文学専攻。 千葉県山武郡生まれ。1942年、東京帝国大学国文科を繰り上げ卒業。在学中に「帝国大学新聞」の編集に携わる。 医学書を刊行する医学書院に入社。これは妻の兄が創業者・金原一郎の女婿だった縁故である。1944年、母校の大学院に入学し、1949年まで在籍。その間に最初の著書『近代への架橋』を刊行。戦中戦後にかけて「東京大学新聞」を編集し、1945年に青年文化会議の事務局長となる。 学習院大学講師、國學院大學講師、東京大学講師、清泉女子大学教授を歴任するが、その間、医学書院勤務を続け、1979年に社長就任。
本田 早苗(ほんだ さなえ、1918年2月25日 - 没年不… 本田 早苗(ほんだ さなえ、1918年2月25日 - 没年不明 )は、日本の官僚、経営者。丸善石油社長を務めた。香川県出身。 1942年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に高文行政科に合格し、通商産業省に入省した。1969年7月に企業局長に就任し、1972年6月までに務めた。1976年6月に丸善石油副社長に就任し、1977年11月から1981年3月までに社長を務めた。 1991年4月に勲二等瑞宝章を受章。
国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉… 国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉2月23日 - 1986年〈昭和61年〉11月14日)は、日本の宗教哲学者、明治大学教授。 群馬県邑楽郡千江田村(現・明和町)生まれ。千江田村の小学校で学んだ後、同郡館林町(現・館林市)へ引っ越す。1935年(昭和10年)旧制館林中学校を卒業。明治大学予科を経て、1944年(昭和19年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1947年(昭和22年)同大学院修了。 1947年(昭和22年)明治大学予科講師となり、翌年同教授。1949年(昭和24年)に新制明治大学が誕生すると文学部助教授となり、1958年(昭和33年)教授。1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけてドイツ・イギリスへ留学。
内田 宏(うちだ ひろし、1918年(大正7年)2月23日 … 内田 宏(うちだ ひろし、1918年(大正7年)2月23日 - 2014年(平成26年)8月25日)は日本の外交官。駐フランス大使などを歴任。山梨県出身。 同期に西堀正弘(国連大使)、魚本藤吉郎(駐ソ連大使)、吉野文六(駐独大使)、奈良靖彦(駐加大使)、人見鉄三郎(駐コスタリカ大使)など。
山科 直治(やましな なおはる、1918年〈大正7年〉2月2… 山科 直治(やましな なおはる、1918年〈大正7年〉2月22日 - 1997年〈平成9年〉10月28日)は、日本の経営者。バンダイの創業者。位階は正五位。 石川県金沢市出身。1935年に金沢商業学校を卒業し、兵役予備役中尉を経て、1948年に繊維業の万代産業に入社。 1950年に萬代屋(後のバンダイ)を設立し、社長に就任し、1980年6月には会長に就任。社長時代には、おもちゃ業界で初めて保証玩具制度を実施するなど品質を重視した堅実な経営により、同社を業界トップに育て上げた。1984年に日本おもちゃ図書館財団を設立し、日本玩具協会会長も務め、業界の発展に尽力した。 1979年11月に藍綬褒章を受章し、1989年4月に勲三等瑞宝章を受章。
田中 徹雄(たなか てつお、1918年2月22日 - 昭和5… 田中 徹雄(たなか てつお、1918年2月22日 - 昭和54年(1979年)12月21日)は、日本の陸軍軍人(大尉)、地方公務員。山梨県副知事。 山梨県出身。上海の東亜同文書院を出て、南満州鉄道本社に勤めているうちに応召となり、日中戦争に参加した。 戦後、上海連絡班として中国に残った。総連絡班長は南京にいた今井武夫少将である。昭和21年(1946年)12月に上海発の最後の引揚船に今井少将たちと乗船し、翌月日本に帰国した。その直前に上海に拘束されていた嵯峨浩(満州国皇弟・溥傑夫人)・愛新覚羅嫮生母娘を救出した。 引揚後、郷里の山梨県庁に勤務し、のちに副知事まで務めた。1967年の第31回衆議院議員総選挙で山梨県から自民党公認で立候補したが落選した。
カン・タガミ(Kan Tagami、漢字:田上 寛、1918… カン・タガミ(Kan Tagami、漢字:田上 寛、1918年2月21日 - 2005年11月24日)は、アメリカ合衆国の軍人。連合国軍占領下の日本において、ダグラス・マッカーサーの個人通訳を務め、昭和天皇と一人で謁見した唯一の日系2世として知られる。 また、樫葉章(英語版)付きの青銅星章をはじめとして、アメリカ従軍記章、アジア・太平洋従軍章(英語版)、進駐軍記章(英語版)、第二次世界大戦戦勝記念章、戦闘歩兵バッジ(英語版)、朝鮮従軍記章(英語版)、国土防衛従軍章、国連朝鮮戦争従軍章(英語版)、予備軍年功記章(英語版)、キャリア・インテリジェンス・メダル(英語版)など、全部で11の勲章を授与された。
永瀬 隆(ながせ たかし、1918年2月20日 - 2011… 永瀬 隆(ながせ たかし、1918年2月20日 - 2011年6月21日)は、日本の英語教師、社会活動家、元陸軍通訳。 岡山県都窪郡福田村(現:岡山県岡山市南区福田地域)生まれ。 1941年青山学院文学部英語科を卒業。同年12月、英語通訳として陸軍省に入省する。1943年、婚約者を置いてタイに赴き泰緬鉄道の建設にあたり、『建設作戦要員』として通訳に従事する。6万2千人ちかくのうち約1万3千人が死んだといわれる連合軍捕虜(en:Far East prisoners of war)虐待(泰緬鉄道建設捕虜虐待事件)の現場に出くわし、戦後において、この一件についての証言活動に至る。1945年9月、イギリス軍の墓地捜索隊の通訳となる。
小林 国夫(こばやし くにお、1918年2月19日 - 19… 小林 国夫(こばやし くにお、1918年2月19日 - 1979年6月19日)は、日本の地質学者。 1918年、静岡県に生まれる。 1942年に東京帝国大学理学部地質学科卒業。後に信州大学講師、信州大学助教授を経て、1959年に信州大学教授に就任。 この年には研究グループとともに放射性炭素年代測定を用いて日本列島の成立時期(約2万年前)を提唱した。また、長野県内の地質を研究する中で日本アルプスの地質、自然に関する著作も多く執筆。1963年には氷河地形の研究で日本地質学会賞を受賞した。 1979年、心臓発作のため長野県松本市の自宅で死去。61歳。戒名は羣氷院釈浄國居士。墓所は東京都調布市の深大寺墓地。
篠原 康次郎(しのはら こうじろう、1918年2月17日- … 篠原 康次郎(しのはら こうじろう、1918年2月17日- 2018年2月7日)は、日本の実業家。広島相互銀行頭取や広島総合銀行会長を務めた。藍綬褒章受章、オーストリア共和国有功大栄誉報賞受賞、広島経済大学名誉博士。 福岡県福岡市出身。福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)、長崎高等商業学校を経て、1941年12月に旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、1942年1月日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官し、秋田県田沢湖付近の補給工場で終戦を迎える。 1945年福岡に復員し、1945年10月から1年間広島支店に配属。
黒江 保彦(くろえ やすひこ、1918年(大正7年)2月17… 黒江 保彦(くろえ やすひこ、1918年(大正7年)2月17日 - 1965年(昭和40年)12月5日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。日本陸軍航空隊で戦闘機操縦者として日中戦争、ノモンハン事件、太平洋戦争で多数の空戦に参加して、エースパイロットの一人となった。航士50期。最終階級は、日本陸軍では陸軍少佐、戦後に奉職した航空自衛隊では1等空佐。 鹿児島県日置郡中伊集院村(現:日置市)にて、陸軍砲兵大尉・黒江敬吉の四男として生まれる。伊集院中学を経て陸軍士官学校予科(後の陸軍予科士官学校)に進んだ。日本統治時代の朝鮮の平壌における飛行連隊での隊附勤務を経て、1938年(昭和13年)6月に陸軍航空士官学校(航士)卒業・航空兵少尉任官(航士50期)。
金関 寿夫(かなせき ひさお、1918年2月17日 - 19… 金関 寿夫(かなせき ひさお、1918年2月17日 - 1996年7月6日)は、日本の英文学者・翻訳家。東京都立大学名誉教授。専門はアメリカ現代詩、先住民の詩。数多くの翻訳で知られる。 1918年、島根県松江市で生まれた。同志社大学文学部英文科に入学し、アメリカ文学および文化を専攻した。 神戸大学教授、旧・東京都立大学教授、駒澤大学教授を務めた。 アメリカの現代詩、口承詩に関する著作を多く書いており、詩人の谷川俊太郎と友人であった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
堀内 俊夫(ほりうち としお、1918年2月16日 - 20… 堀内 俊夫(ほりうち としお、1918年2月16日 - 2009年10月26日)は、日本の政治家。環境庁長官(第19代)、参議院議員(3期)、奈良県天理市長(第3代)。 奈良県天理市生まれ。1938年、奈良師範学校(現奈良教育大学)専攻科卒業。 1966年、奈良県天理市長に初当選。天理市長在任中は近畿市長会会長も務める。1975年秋の褒章で県議会議員や市長として公共の福祉に奉仕し地方自治の発展に貢献したとして藍綬褒章受章。1976年、参議院奈良県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で立候補し、当選。以後参議院議員を3期務める。1982年、参議院文教委員長に就任。1987年、竹下内閣で環境庁長官に任命される。
千代 賢治(ちしろ けんぢ、1918年2月16日 - 201… 千代 賢治(ちしろ けんぢ、1918年2月16日 - 2017年3月14日)は、日本の経営者。住友生命保険社長、会長を務めた。 鳥取県西伯郡西伯町(現南部町)出身。旧制鳥取県立米子中学校、旧制松江高等学校文科乙類を経て、1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年住友生命保険に入社。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、1941年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業し摩耶に配属された。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進み、海軍艦政本部付で終戦を迎えた。 1946年1月に終戦により復職。1963年1月に経理部長に就任し、人事部長、取締役、常務、専務を経て、1978年7月に副社長に就任し、翌年7月に社長に昇格した。
玉 朝南(オク・チョナム、朝鮮語: 옥조남、1918年2月1… 玉 朝南(オク・チョナム、朝鮮語: 옥조남、1918年2月16日 - 1997年7月26日)は、大韓民国の教授、実業家、政治家。第6代韓国国会議員。 平安南道順川生まれ、ソウルまたは慶尚南道統営出身。平壌公立中学校、山口高等学校文科、東京帝国大学法律学科卒。株式会社朝鮮ポンプ製作所重役、新興大学校・慶熙大学校法科大学教授、漢陽大学校政経大学講師、国家再建最高会議交逓委員会諮問委員、高等考試委員、民主共和党京畿第13区党委員長・国会対策委員、民主共和党所属の第6代国会議員を務めた。 1997年7月26日、持病によりソウル大病院で死去。享年79。
須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - … 須之部 量三(すのべ りょうぞう、1918年2月15日 - 2006年2月14日)は、日本の外交官・外務事務次官・杏林大学名誉教授。東京府出身。 旧制浦和中学(浦和高校)、旧制静岡高校文科甲類(静岡大学)を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1941年12月、外務省に入省。1950年ガリオア基金にて米国留学。経済局第四課長(イギリス連邦担当)、1955年在連合王国大使館一等書記官、1958年大臣官房人事課長、1961年条約局外務参事官、1964年在ソ連大使館参事官、1966年駐米公使、1968年外務省アジア局長。駐オランダ大使、駐インドネシア大使、駐韓国大使を経て、1981年に外務事務次官に就任した。
水川 八重子(みずかわ やえこ、1918年2月15日 - 1… 水川 八重子(みずかわ やえこ、1918年2月15日 - 1976年7月25日)は、日本の女優。本名:目黒 やゑ(旧姓:角西)。東京市浅草区(現在の東京都台東区)生まれ。夫は近衛十四郎、長男は松方弘樹、次男は目黒祐樹。孫に目黒大樹、仁科克基、仁科仁美、近衛はながいる。 大正7年(1918年)、浅草の象牙職人の娘として生まれる。 上野高等女学校(現:上野学園高等学校)卒業後の昭和10年(1935年)、大都映画に入社。同年「御存知猿飛佐助」に脇役でデビュー。以後、主に時代劇の相手役として可憐な姿を見せるようになり、売れっ子になる。 昭和14年(1939年)、軍隊帰りの近衛十四郎主演作品に助演し、その後も相手役をつとめ、昭和16年(1941年)、近衛と結婚。
有馬 頼義(ありま よりちか、1918年〈大正7年〉2月14… 有馬 頼義(ありま よりちか、1918年〈大正7年〉2月14日 - 1980年〈昭和55年〉4月15日)は、日本の小説家。中間小説、社会派推理小説の分野で活躍した。旧・筑後国久留米藩主有馬家の第16代当主。 伯爵有馬頼寧の三男として東京市赤坂区青山(現・東京都港区青山)に生まれる。母貞子は北白川宮能久親王の第2王女。 頼寧の母・寛子(頼義の祖母)は岩倉具視の五女。頼義の妹の澄子は足利惇氏の妻。姉の正子は亀井茲建の妻であり、衆議院議員亀井久興は甥にあたる。 兄2人の早世と病弱により早くから伯爵家を嗣ぐことを決められる一方、有馬家と母の実家・北白川宮家の複雑な家庭環境を肌で感じる多感な幼少期を過ごした。
三縄 一郎(、1918年〈大正7年〉2月14日[要出典] -… 三縄 一郎(、1918年〈大正7年〉2月14日[要出典] - 2017年〈平成29年〉12月16日[要出典])は、日本映画の音響効果技師。東京都文京区本郷真砂町[要出典]出身。 日本映画における効果音の基礎を築いた人物とされる。 歌手を目指し東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で声楽を学んだ。新協劇団の女優であった姉の手伝いで[要出典]陰歌を手伝ったことをきっかけに、舞台音効の道へ進む。ミリオンレコード社へ入社するも[要出典]日中戦争の激化で同社が解散となり、自身も召集を受ける。 中国から帰国後の1942年(昭和17年)、東宝に入社し効果係となる。半年ほど助手を務めたが、再び召集を受け、戦後から映画の音響効果を本格的に携わるようになる。
佐竹 五三九(さたけ ごさく、1918年2月14日 - 19… 佐竹 五三九(さたけ ごさく、1918年2月14日 - 1977年10月12日)は、昭和時代の労働運動家。全国金属労働組合(全金)委員長、日本労働組合総評議会(総評)副議長。 大阪府三島郡富田村(現高槻市)生まれ。1933年高等小学校卒業。洋服屋の店員を経て、1934年大阪毛織に入社。同年11月の日本労働組合全国評議会(全評)結成に参加。1935年全評関西繊維労働組合淀川分会長。同年12月に検挙・拘留されて退職。1936年大阪市の日の出鉄工所に入社。働きながら野田職工学校(二部)を卒業。同時に全評金属関西地方協議会青年部長として活動。1937年12月人民戦線事件で再検挙。1939年高野実、柳本美雄と連絡をとり上京。
伊藤 拾郎(いとう じゅうろう、1918年〈大正7年〉2月1… 伊藤 拾郎(いとう じゅうろう、1918年〈大正7年〉2月13日 - 2003年〈平成15年〉3月19日)は、日本のハーモニカ演奏者。 兄は詩人の中原中也であり、中也の兄弟で最後の存命者であった。日本ハーモニカ芸術協会理事を務めた。 名前が中也、亜郎(亜は2番目の意)、恰三、思郎(四)、呉郎(五)ときて急に飛んで拾郎(十)になったのは長年謎に包まれている。最近の研究では恐らく親は十という数字が好きなのだろうと考えられている。 山口県山口市において、中原医院を営む父・中原謙助、母・フクの六男として生まれる。出生名は中原拾郎。6人兄弟の末弟であり、長兄の中也は11歳年上であった。拾郎が5歳の頃に中也は郷里を離れており、末弟の拾郎にとっては時折山口に帰省してくる「兄様」であった。
今岡 謙次郎(いまおか けんじろう、1918年2月13日 -… 今岡 謙次郎(いまおか けんじろう、1918年2月13日 - 生没不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手。 北予中学校から1936年に東京セネタースへ入団。1938年秋のシーズン終了後に応召された。
笹井 醇一(ささい じゅんいち、1918年(大正7年)2月1… 笹井 醇一(ささい じゅんいち、1918年(大正7年)2月13日 - 1942年(昭和17年)8月26日)は、日本の海軍軍人。海兵67期。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。太平洋戦争におけるエース・パイロット。
池部 良(いけべ りょう、1918年〈大正7年〉2月11日 … 池部 良(いけべ りょう、1918年〈大正7年〉2月11日 - 2010年〈平成22年〉10月8日)は、日本の俳優、随筆家。 東京市大森区(現・東京都大田区)出身。身長174センチメートル。立教大学文学部英文科卒業。昭和中期の代表的な映画スターの一人。甘いマスクとスマートさで「万年青年」の異名をとった。 大学では富田彬などから学ぶとともに、映画監督になるのを夢見て在学中の1940年に東宝撮影所のシナリオ研究所に研究生として入り、1941年に卒業すると同時にシナリオ研究所を卒業して東宝に入社する。監督希望だったが、戦時下の作品制作数の大幅減少で助監督の空きがなく、文芸部に配属されて早々部長に面食いだからと言われ、当時は子役の大スターだった中村メイコの子守を命じられ、彼女の大絶賛を聞いた映画監督・島津保次郎に請われて『闘魚』に脇役で出演する。
南沢 宣郎(みなみさわ のぶろう、1918年2月11日 - … 南沢 宣郎(みなみさわ のぶろう、1918年2月11日 - )は、事務処理の研究家。 東京市本郷区千駄木生まれ。1950年東京大学経済学部卒業、小野田セメントに入社、経理部、企画調査室長、1953年総務部情報処理担当部長として事務処理の一貫機械化を推進した。のち顧問。白鴎女子短期大学教授。1958年『オートメーションと会計学』で日経・経済図書文化賞、日本図書文化賞受賞。1959年NONA経営文献賞、1978年経営科学文献賞、日本コンピュータ・ユーティリティ協会理事長、日本データ・プロセッシング協会副会長。
坂本 貞雄(さかもと さだお、1918年(大正7年)2月10… 坂本 貞雄(さかもと さだお、1918年(大正7年)2月10日 - 2012年(平成24年)2月18日)は日本の政治家。東京都三鷹市長。革新市長会参与。 山形県新庄市出身。高等小学校卒業後、1955年から三鷹市議を4期務め、1959年から62年までは同市議会副議長に就任。1975年の三鷹市長選に日本社会党公認で出馬し、保守系無所属の指田正治、革新系無所属の寒川道夫をやぶり初当選を果たす。 その後、市長を4期務め、1991年に引退を表明する。 2012年2月18日に脳梗塞のため死去、94歳没。死没日をもって従四位に叙される。
春日 通眼(かすが みちあき、1918年(大正7年)2月9日… 春日 通眼(かすが みちあき、1918年(大正7年)2月9日 - 2007年(平成19年)10月15日)は、日本の実業家。長野県下高井郡中野町(現・中野市)出身。名前の正式な表記は「通䀶」。 中野商工会議所(現・信州中野商工会議所)会頭、社団法人信濃中野法人会初代会長を務めた。勲八等瑞宝章を授けられた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
世良 正利(せら まさとし、1918年2月8日 - 2008… 世良 正利(せら まさとし、1918年2月8日 - 2008年7月31日[要出典])は、日本の心理学者、中央大学名誉教授。人格心理学、社会心理学専攻。ソビエト心理学、日本人論などを研究した。 広島県生まれ。1942年東京帝国大学文学部心理学科卒業。海軍技術研究所、東京女子経済専門学校勤務を経て、中央大学文学部助教授、教授。1979年度から1984年度まで同大学人文科学研究所長。1989年定年退任、名誉教授。2008年7月31日没。[要出典]
永野 藤夫(ながの ふじお、1918年2月8日 - 2002… 永野 藤夫(ながの ふじお、1918年2月8日 - 2002年6月6日)は、日本のドイツ文学者、横浜国立大学名誉教授。ドイツ演劇、キリスト教文学が専門、文芸評論も書いた。 福島県生まれ。1941年、東京帝国大学独文科卒。横浜国立大学助教授、教授。1964年、「宗教改革時代のドイツ演劇 その史的発展の考察」で東京大学文学博士。1976年、定年、名誉教授。 1991年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年6月6日、肺炎のため死去。
岩井 慶光(いわい よしみつ、1918年2月6日 - 198… 岩井 慶光(いわい よしみつ、1918年2月6日 - 1983年11月2日)は、日本の英語学者。 名古屋生まれ。東海中学校卒、1940年早稲田大学文学部英文科卒、44年まで兵役で北支那などに転戦。岐阜県立恵那中学校、高等学校などの教諭、1957年鳥取大学講師、助教授、1961年愛知学院大学教養部助教授、66年教授。65歳で死去。恵那中学校で亀井俊介を教えた。
長瀬 彰造(ながせ しょうぞう、1918年2月5日 - 20… 長瀬 彰造(ながせ しょうぞう、1918年2月5日 - 2006年5月31日)は、日本の経営者。長瀬産業社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1942年に関西学院大学商経科を卒業。 内外製鋼所での勤務を経て、1944年に長瀬産業に転じ、1947年に取締役に就任し、1956年に常務、1962年に専務を経て、1968年に副社長に就任し、1982年1月には社長に就任。1987年6月に会長に就任し、1999年6月には相談役に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1989年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年5月31日心不全のために死去。88歳没。
広瀬 駿二(ひろせ しゅんじ、1918年 <大正7年> 2月… 広瀬 駿二(ひろせ しゅんじ、1918年 <大正7年> 2月5日 - 2006年 <平成18年> 3月1日)は、日本の大蔵官僚。位階は正四位。 山梨県出身。1941年10月 高等試験行政科を合格。同年12月に東京帝国大学法学部政治学科卒業。1942年1月 大蔵省入省。預金部兼銀行局属。1945年4月 福島税務署長。課長補佐、課長時代には主計畑を歩み、国税庁長官官房総務課長などを経て、1963年5月20日 関東信越国税局長。1965年6月18日 理財局次長。1967年8月4日 大臣官房財務調査官(大臣官房担当)。1967年11月7日 証券局長。1969年5月10日 退官。同年5月 関西経済連合会常務理事(〜1971年)。
川島 雄三(かわしま ゆうぞう、1918年2月4日 - 19… 川島 雄三(かわしま ゆうぞう、1918年2月4日 - 1963年6月11日)は、日本の映画監督。 青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)生まれ。家は代々伝わる商家(酒屋)で、もともとは近江商人の出。父・徳蔵、母・ヨシの三男として生まれる。ヨシは下北半島の大畑八幡神社の娘で、川島が5歳のとき死亡。その後は義母に育てられる。運動は駄目だったが、成績優秀で本を読むのが好きな子供だった。 青森県立野辺地中学校(現:青森県立野辺地高等学校)卒業。明治大学専門部文科文芸科に入学、学生時代は映画研究部に在籍。大学卒業後、松竹大船撮影所監督部に入社。撮影所前の松尾食堂に入り浸り、居候となる。食堂の娘と縁談話が持ち上がったが、子供を作れない体であることを理由に断る。
桑江 朝幸(くわえ ちょうこう、1918年(大正7年)2月3… 桑江 朝幸(くわえ ちょうこう、1918年(大正7年)2月3日 - 1993年(平成5年)12月16日)は、琉球政府・沖縄県の政治家である。軍用地主の団体である市町村土地特別委員連合会(現:沖縄県軍用地等地主会連合会、通称:土地連)の初代会長となった。1978年から1990年まで沖縄市の市長を務めた。1989年に泡瀬干潟の埋め立て事業を含む東部海浜開発計画市案を発表する。2014年から2024年の死去まで沖縄市長を務めた桑江朝千夫の父である。 琉球列島米国民政府(略称:USCAR)については、「アメリカ民政府」と記述する。また肩書、施設名、その他名称について、当時のもので表記する。 1918年(大正7年)に沖縄県中頭郡越来村(現:沖縄市)に生まれる。
広瀬 秀吉(廣瀬 秀吉、ひろせ ひでよし、1918年〈大正7… 広瀬 秀吉(廣瀬 秀吉、ひろせ ひでよし、1918年〈大正7年〉2月2日 - 2011年〈平成23年〉10月17日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(9期)、社民党栃木県連合常任顧問。 栃木県、現在の真岡市出身。 1941年、中央大学法学部卒業。その後、南満州鉄道に勤務、前橋予備士官学校卒業などを経る。 1946年、日本国有鉄道に勤務。国鉄労働組合の専従役員なども務めた。 1958年の総選挙で旧栃木1区から日本社会党公認で立候補するも落選。1960年の総選挙で初当選した。その後、1963年の総選挙では落選したが、1967年の総選挙から通算9期務めた。1990年の総選挙には立候補せず退いた。
小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 200… 小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 2002年11月24日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)を歴任。 岩手県和賀郡東和町(現花巻市)生まれ。岩手師範学校(現岩手大学教育学部)卒業。小学校教諭を経て、1959年に岩手県教職員組合委員長。1961年(昭和36年)に中学生の全国一斉学力テストの反対闘争を組織し、地方公務員法違反容疑で逮捕される。ほかに日本教職員組合副委員長、総評副議長、公務員共闘事務局長などを務めた。 1971年の第9回参議院議員通常選挙と1974年の第10回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から日本社会党公認で出馬したが、落選。
野中 重雄(のなか しげお、1918年2月 - 1984年5… 野中 重雄(のなか しげお、1918年2月 - 1984年5月28日)は、日本の翻訳家、外国映画字幕翻訳家。 大阪府出身。1940年慶應義塾大学法学部卒業。洋画配給会社の宣伝部長などを経て、字幕翻訳者に。
奥山 治(おくやま おさむ、1918年(大正7年)1月31日… 奥山 治(おくやま おさむ、1918年(大正7年)1月31日 - 2000年(平成12年)3月18日)は東京都・青ヶ島村の村長を五期17年3か月間務めた人物。生涯において玄米自然食(マクロビオティック)の普及に努めた。東洋哲学の思想家。位階は正六位。 奥山治の出生地青ヶ島は、1785年(天明5年)天明の大噴火で全島民が避難し無人島になった。絶海の孤島の中で、その後五十年もの歳月をかけ、1835年(天保6年)避難先の八丈島から独力還住(全島民帰還)を果たす祖先達を指導したのが佐々木次郎太夫である。柳田國男は佐々木次郎太夫を「青ヶ島のモーゼ」と称えている。 奥山治は、島の名主となった佐々木次郎太夫の末裔である。
木暮 実千代(こぐれ みちよ、1918年1月31日 - 19… 木暮 実千代(こぐれ みちよ、1918年1月31日 - 1990年6月13日)は、日本の女優。身長159cm。本名:和田 つま(わだ つま)。 父が税関で山口県下関市彦島福浦町で生まれた。英文学者・随筆家の黒川鍾信は甥。梅光女学院を経て日本大学芸術学部に入学。日本大学芸術学部在学中に田中絹代に見出されて、1938年に松竹に入社。松竹入社当時は高峰三枝子、桑野通子、水戸光子らが幹部であったが1年余りで準幹部から幹部に昇進。 日本人離れしたルックスとスタイルに加え、悩殺的でコケティッシュな色気もあり、純情可憐型が主流の松竹では恋敵役が多かった。 1944年、20歳年上の従兄・和田日出吉と結婚。マスコミの仕事に従事する夫の仕事の関係で夫妻とも満洲に渡った。
小宮山 俊(こみやま しゅん、本名:込山俊男、1918年1月… 小宮山 俊(こみやま しゅん、本名:込山俊男、1918年1月29日 - 2006年9月12日)は 日本画家である。代表作にヒマール連作シリーズがある。 1918年(大正7年)1月29日に東京市月島(現東京都中央区)で込山熊太郎、母千代次の長男として生まれる。1941年(昭和16年)に東京美術学校日本画科に入学する。同級生に渡辺学(創画会)、太田歳、田所量司がいた。師は結城素明、川﨑小虎、川合玉堂、常岡文亀、矢沢弦月。元新美術協会理事長である。 1955年(昭和30年)頃から千葉県船橋市金杉に居住し、船橋ヘルスセンターの内装デザインを手掛けた。 2006年(平成18年)9月12日に逝去。千葉県立美術館、山梨県南部町立美術館などに作品が収蔵されている。
柴田 護(しばた まもる、1918年1月27日 - 1995… 柴田 護(しばた まもる、1918年1月27日 - 1995年10月13日)は日本の内務・自治官僚。香川県出身。 京都一中、第三高等学校を経て、1941年3月に東京帝国大学法学部卒業。高等試験行政科に合格し、同年4月に内務省入省(地方局配属)。1942年1月に茨城県経済統制課長に就任。1946年7月に内務省官房調査部、1948年1月に内事局官房自治課、同年4月に地方財政委員会企画課で勤務。1949年に地方自治庁総務課長、1950年5月に地方自治庁府県税課長、1953年10月に自治庁財政課長、1958年6月に北海道総務部長、1960年1月に自治庁官房長(同年7月から自治省官房長)、1962年5月に自治省税務局長、1963年10月に自治省財務局長を歴任。
高橋 萬右衛門(たかはし まんえもん、1918年1月26日 … 高橋 萬右衛門(たかはし まんえもん、1918年1月26日 - 2004年6月5日)は、日本の植物育種学者。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。 1940年(昭和15年)北海道帝国大学農学部卒業。同年、同農学部助手(指導教授:長尾正人)。1947年北海道大学農学部助教授。1957年北海道大学農学博士(論文「稲体の花青素着色に不可欠なる[フ]先色遺伝子の分析」)。 1965年北海道大学農学部教授。1977年(昭和52年)同農学部長。1981年北海道大学停年退官、同名誉教授。同年北海道武蔵女子短期大学学長就任。1987年(昭和62年)北海道グリーンバイオ研究所(農林水産省の研究機関)所長。
石岡 繁雄(いしおか しげお、1918年1月25日 - 20… 石岡 繁雄(いしおか しげお、1918年1月25日 - 2006年8月15日)は、日本の応用物理学者、登山家。ナイロンザイル事件の追究を通じ登山用品の安全性向上に貢献した。三重県鈴鹿市の山岳会、岩稜会会長を歴任した。日本山岳会東海支部名誉会員。鈴鹿工業高等専門学校教授。日本山岳会会員(1953−1996年)。 父の移民先である、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメントにて生まれる。3歳で父の故郷である愛知県愛西市に父とともに帰国する。 愛知県立旧制津島中学校(現・愛知県立津島高等学校)、旧制第八高等学校をへて、1940年(昭和15年) 名古屋帝国大学工学部電気学科卒業。 旧制三重県立神戸中学校(現・三重県立神戸高等学校)教員、名古屋大学職員をへて、1964年(昭和39年)に豊田工業高等専門学校の助教授となる。
後藤 杜三(ごとう もりぞう、1918年1月25日 -199… 後藤 杜三(ごとう もりぞう、1918年1月25日 -1991年5月10日)は日本の眼科医、俳人、作家。北海道生まれ。本名・英三。私立岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)卒、1946年北海道帝国大学で医学博士。 1949年、「北海道文学者の会」を石塚喜久三らと結成。鎌倉で後藤眼科医院を開業し、同人誌『南北』を主宰していた。 久保田万太郎に師事し、『新誌』に連載した『わが久保田万太郎』で1974年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
足利末男(あしかが すえお、1918年 <大正7年> 1月2… 足利末男(あしかが すえお、1918年 <大正7年> 1月25日 - 2012年 <平成24年> 2月18日)は、日本の社会統計学者。京都大学名誉教授、福山大学名誉教授。勲三等旭日中綬章。 京都府出身。京都大学経済学部卒、同大学院修了、1968年「社会統計学史 ドイツ社会統計学形成過程の研究」で経済学博士の学位を取得。京都大学教養部助教授、教授を務め、1981年定年退官、名誉教授、福山大学教授となり、1988年名誉教授。1994年春の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。
須磨 未千秋(すま みちあき、1918年1月25日 - 20… 須磨 未千秋(すま みちあき、1918年1月25日 - 2008年8月21日)は、日本の外交官。外務省経済局次長、駐タンザニア特命全権大使、香港総領事、駐マレーシア特命全権大使、駐カナダ特命全権大使を歴任した。 秋田県出身。1939年第一高等学校文科甲類卒業、東京帝国大学法学部政治学科入学。1941年に高等試験外交科本試験に合格。同年大学を卒業し、外務省に入省した。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 終戦連絡中央事務局連絡官、在ビルマ日本国大使館一等書記官等を経て、1957年外務省アジア局第三課長。
岩上 妙子(いわかみ たえこ、1918年(大正7年)1月24… 岩上 妙子(いわかみ たえこ、1918年(大正7年)1月24日 - 2000年(平成12年)4月30日)は、日本の医師。政治家。参議院議員(1期、自民党)。 茨城県多賀郡平潟町(今の北茨城市)生まれ。福島県立磐城高等女学校(のち福島県立磐城女子高等学校、現在の福島県立磐城桜が丘高等学校)を経て、1939年帝国女子医学専門学校(現・東邦大学)卒。東京警察病院に勤務し、茨城県瓜連町(現・那珂市)で開業する。瓜連町教育委員、水戸家庭裁判所家事調停委員などを経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙において茨城地方区から茨城県興農政治連盟で立候補して当選する。3年後、難病の尋常性天疱瘡に罹り、参議院議員を辞職する。
井上 信一(いのうえ しんいち、大正7年(1918年)1月2… 井上 信一(いのうえ しんいち、大正7年(1918年)1月24日 - 平成12年(2000年)2月24日)は、日本の銀行家、仏教思想家。 熊本県出身。元宮崎銀行頭取。高千穂商科大学理事。「仏教経済学」を研究。 父は内務官僚(元兵庫県警察部長)の井上政信。母は元鉄道大臣小川平吉の長女。叔父井上春成は元工業技術庁長官。 小学校の五年と六年の時に、両親が続けざまに亡くなる。1930年高千穂小学校卒業、1941年東京帝国大学経済学部卒業、日本銀行に入る。1971年同行貯蓄推進部長より宮崎銀行に転じ副頭取、頭取、相談役を歴任。1983年同行を辞す。 仏教経営フォーラム会長、仏教振興財団理事長、地球主義学会会長、高千穂商科大学理事を務める。