森 光明(もり みつあき、1923年(大正12年)3月29日… 森 光明(もり みつあき、1923年(大正12年)3月29日 - 1992年(平成4年)1月11日)は、日本の実業家。オリエンタルランド第3代代表取締役社長。徳島県徳島市幸町出身。 1946年に京都帝国大学経済学部卒業と同時に三井物産に入社するも三井財閥解体のため、1年で退社。その後、1947年9月に知人の勧めで日本興業銀行に入行。1973年に仙台支店長就任。 1975年に関連会社の常和興産常務取締役に就任。1979年に同社の専務取締役を経て、1980年にオリエンタルランドの専務取締役に転身し東京ディズニーランド建設に参加。 1988年4月に高橋政知代表取締役社長の妻・弘子が心臓病の悪化した事をきっかけに、同年6月25日付で同社の3代目代表取締役社長に就任。
須藤 出穂(すどう いずほ、1923年(大正12年)3月29… 須藤 出穂(すどう いずほ、1923年(大正12年)3月29日 - 1998年(平成10年)7月10日)は、日本の脚本家。 東京出身。当時、富岡に疎開していた陸軍中野学校に入学し終戦を迎える。東京大学に入学し、1950年文学部国史学科卒業。在学中の1949年にNHK専属ライター室に入り、ラジオドラマを手がける。その後、テレビドラマにも進出。1989年には、準公選制で選ばれ中野区教育委員に就任した。「風の会」会長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年 <大正12年… 本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年 <大正12年> 3月29日 - 1999年 <平成11年> 1月6日)は、日本の東洋史学者。文学博士(ケンブリッジ大学・1957年)。京都大学名誉教授。北海道大学教授・京都大学教授・名古屋商科大学教授を歴任。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 1923年、愛知県岡崎市生まれ。1949年東京帝国大学文学部東洋史学科を経て、東京大学大学院修了。1957年、ケンブリッジ大学に学位論文を提出して文学博士(Ph.D.)を取得。 英国留学からの帰国後、モンゴル帝国史、ティムール朝史、サファヴィー朝史等のペルシア語写本を中心とする重要写本のマイクロフィルムを大量に招来した。
上口 政(かみぐち まさ、1923年3月28日 - 没年不明… 上口 政(かみぐち まさ、1923年3月28日 - 没年不明)は、茨城県出身の元プロ野球選手。 下妻中学校を経て明治大学でプレー。1943年の学徒出陣により兵役に就くと、満州・北支・台湾を転戦し、1946年正月過ぎに帰還。 上口は日本コロムビアへの就職が内定していたが、明治大学の同期であった大下弘の誘いを受けて、1946年3月にセネタースに投手兼外野手として入団。 開幕戦となる4月27日の東京巨人軍戦では6番ライトで先発出場。5月30日の中部日本戦で初登板し、明治大学の同期であった貫井丞治とバッテリーを組むが、6回0/3を自責点8と打ち込まれた。 1947年シーズン終了後に退団した。 制球力があり、球にクセがなかったことから、主砲の大下弘から好んで打撃投手に指名されていた。
嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 199… 嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 1997年5月11日)は、日本の官僚、政治家。法務大臣(第43代)、参議院議員(5期)を務めた。 現在の石川県小松市出身。旧制小松中学校時代には体格のよさから相撲部に所属、角界から入門の話があったような強さだった。旧制第四高等学校を経て、1947年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部卒業後、大蔵省入省。主税局配属。1948年8月 横浜税関監視部。1950年5月 津税務署長。1951年8月 大阪国税局総務部総務課長。1955年6月 東京国税局調査査察部次長。1960年7月 東京国税局間税部長。1961年7月 経済企画庁調整局政策課長。
芝 清之(しば きよし、1923年(大正12年)3月28日 … 芝 清之(しば きよし、1923年(大正12年)3月28日 - 1998年(平成10年)1月12日、本名: 柴 清(しば きよし))は、大衆芸能・浪曲研究家、浪曲作家。 木馬亭の実質的な支配人で、『月刊浪曲』の創刊や編集発行も務めた浪曲界の生き字引的存在であった。諸芸懇話会会員。 東京出身、東京高等工業学校(現・東京工業大学)卒業。当初は建築会社の社長で坂東玉三郎の後援者であったが、衰退期にあった浪曲の将来を案じて1970年(昭和45年)より浪曲の歴史調査や資料収集を始め、その後社長職を弟に譲り、以後浪曲の再興のために尽力した。浪曲の台本執筆や木馬亭の経営に加わり後継者育成に注力するほか、1982年(昭和57年)に『月刊浪曲』を創刊した。
遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年〈大正12年〉3… 遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年〈大正12年〉3月27日 - 1996年〈平成8年〉9月29日)は、日本の小説家。日本ペンクラブ会長。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 11歳の時カトリック教会で受洗。評論から小説に転じ、「第三の新人」に数えられた。その後『海と毒薬』でキリスト教作家としての地位を確立。日本の精神風土とキリスト教の相克をテーマに、神の観念や罪の意識、人種問題を扱って高い評価を受けた。ユーモア小説や「狐狸庵」シリーズなどの軽妙なエッセイでも人気があった。 父親の仕事の都合で幼少時代を満洲で過ごした。帰国後、12歳の時に伯母の影響でカトリック夙川教会で洗礼を受けた。
金子 信雄(かねこ のぶお、1923年〈大正12年〉3月27… 金子 信雄(かねこ のぶお、1923年〈大正12年〉3月27日 - 1995年〈平成7年〉1月20日)は、日本の俳優・料理研究家・司会者・タレント。妻は丹阿弥谷津子。愛称は「ネコさん」。 東京府東京市下谷区(現・東京都台東区谷中)出身。母方の祖父は元彰義隊で、厳しい家系で家族親族からは役者になったことをずっと「河原乞食」と蔑まれていたという。歯科医の家庭に生まれたが、小学校1年の時から結核を患っており20歳まで闘病生活を送った。中学から下谷で育ち、京華学園を卒業。 役者に興味はなく、久保田万太郎直筆の推薦状を持った友人の付き添いで文学座に行ったら、中村伸郎に軽くあしらわれたことに腹を立て、出入りしていた錦町岸の錦橋閣の息子・奥野匡から「もし、やるなら演出部に来い」と言われ、「文学座に行けば女の顔が見れるだろ」と冷やかしで、1943年(昭和18年)に文学座所属俳優として芸能界入りする。
矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年3月27日 - 20… 矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年3月27日 - 2011年12月13日)は、日本の農学者。大阪府立大学名誉教授、元学長。専門は、農業気象学、生物環境調節工学、環境学。 矢吹万寿、矢吹萬寿、矢吹万壽 とも表記される。NHKプロデューサーの矢吹寿秀は次男。 『農業気象学』文永堂 1978年、『施設園芸学』朝倉書店 1983年、『農業環境調節学』朝倉書店 1985年、『植物の動的環境』朝倉書店 1985年、『風と光合成』農文協 1990年、『稲学大成(第2巻)』農文協 1990年、他 数十冊 日本農業気象学会長、日本生物環境調節学会長、農業施設学会評議員、大気汚染研究協会理事、環境科学会顧問、CELSS研究会顧問、日本農学会評議員、(社)海外農業教育研究開発協会副理事長、(社)堺都市政策研究会副理事長、(社)国際高等研究所評議員、公立大学協会副会長、大阪府公害対策審議会会長、堺市公害対策審議会会長、大阪府原子炉問題審議会会長、地球環境関西フォーラム(地球環境100人委員会)代表委員
加計 勉(かけ つとむ、1923年〈大正12年〉3月27日 … 加計 勉(かけ つとむ、1923年〈大正12年〉3月27日 - 2008年〈平成20年〉4月30日)は、日本の教育者であり実業家、学校の設置者。広島県出身。本人は実業の立場および現場教員への配慮から自らを教育者とする事をよしとせず「教育実業家」を名乗った 加計学園グループの創始者。同学園および関連学園の設立した各学校の初代理事長・初代学長・初代総長。学校法人加計学園および学校法人順正学園の名誉理事長、名誉総長。学校法人英数学館の名誉理事長。 設立した学校や学園の詳細は加計学園グループおよび各学校の項を参照。 1923年、広島県賀茂郡三津町(のち豊田郡安芸津町三津、現在の東広島市安芸津町)に10人きょうだいの末っ子として生まれる。
海江田 鶴造(かいえだ つるぞう、1923年〈大正12年〉3… 海江田 鶴造(かいえだ つるぞう、1923年〈大正12年〉3月27日 - 2013年〈平成25年〉11月27日)は、日本の内務・警察官僚。参議院議員(1期、自由民主党)。 鹿児島県姶良郡福山町(霧島市)出身。旧制福山中学校(現 鹿児島県立福山高等学校)を経て、1941年(昭和16年)旧制第七高等学校造士館文科卒業。1943年(昭和18年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年(昭和19年)3月、経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官。第三一海軍航空隊に配属されマニラに赴任。1945年(昭和20年)3月に主計大尉に進みジョグジャカルタで終戦を迎えた。
牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 20… 牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 2012年5月)は、日本の編集者・出版社経営者。 講談社で『少女クラブ』編集部、『なかよし』初代編集長、『週刊少年マガジン』の初代編集長、『週刊現代』の第4代編集長を歴任。1974年に退社した後は、マイヘルス社、マキノ出版、わかさ出版を創立した。 講談社時代は漫画部門のトップとして業界で権力を誇った。1959年に『週刊少年マガジン』を創刊した際、トキワ荘を訪れ、藤子不二雄に執筆を依頼したが『週刊少年サンデー』の依頼の方が早かったため断られた。その後、内田勝が『週刊ぼくらマガジン』創刊で藤子・F・不二雄に『モジャ公』を依頼するまでの10年間、講談社での藤子の執筆は『たのしい一年生』連載の『てぶくろてっちゃん』だけで、『週刊少年マガジン』グループは執筆依頼しなかった。
志賀 敏男(しが としお、大正12年(1923年)3月27日… 志賀 敏男(しが としお、大正12年(1923年)3月27日 - 平成21年(2009年)10月19日)は、日本の建築構造学者。耐震工学者。東北大学名誉教授。 日本学術会議の第13期及び第14期会員として同地震工学研究連絡委員長を務め、学術の発展に尽力。この他日本建築学会副会長、日本コンクリート工学協会理事等を歴任、学術の振興また国際地震工学会の日本代表として地震工学の発展に貢献。地域の地震防災対策にも積極的に取組、宮城県や仙台市の地震対策専門部会の委員長として地震に強い街づくりに尽力。 耐震性能を被害の詳細な分析から柱と耐震壁の量に基づいて簡明に評価する「志賀マップ」の手法を創案 。この考え方は1980年の建築基準法改定における新耐震設計法に取り入れられ、我が国の建築物の耐震性を大きく向上させた。
河西乾二(かさい けんじ 1923年3月26日 - 1995… 河西乾二(かさい けんじ 1923年3月26日 - 1995年6月8日)は、日本の実業家。
吉野 和男(よしの かずお、1923年(大正12年)3月26… 吉野 和男(よしの かずお、1923年(大正12年)3月26日 - 2020年(令和2年)2月21日)は、第3代東京都府中市長。東京都市長会会長、全国市長会副会長を歴任。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
江頭 匡一(えがしら きょういち、1923年〈大正12年〉3… 江頭 匡一(えがしら きょういち、1923年〈大正12年〉3月25日 - 2005年〈平成17年〉4月13日)は、日本の実業家。ファミリーレストランロイヤルホストなどを展開するロイヤル(現・ロイヤルホールディングス)の創業者。 福岡県三潴郡城島町(現在の久留米市)に父・江頭佳造、母・照代の長男として生まれる。旧制嘉穂中学校(現福岡県立嘉穂高等学校)卒業。授業を抜け出してプールで泳いだり、買い食いをしたりと父親泣かせであり、教師泣かせであったと本人は振り返っている。中学校卒業から3か月たって米子地方航空機乗員養成所に入所する。明治大学専門部中退。 1946年、米軍春日原ベース内のPX(売店)の指定商人を始めたことを切っ掛けに、1950年、ロイヤルの前身会社・キルロイ特殊貿易を設立。
上野 重雄(うえの しげお、1923年3月25日 - )は、… 上野 重雄(うえの しげお、1923年3月25日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
平野 邦雄(ひらの くにお、1923年〈大正12年〉3月24… 平野 邦雄(ひらの くにお、1923年〈大正12年〉3月24日 - 2014年〈平成26年〉9月20日)は、日本の歴史学者。文学博士(東京大学・論文博士・1971年)。東京女子大学名誉教授。専攻は日本古代史。
大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 19… 大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 1994年1月28日)は、日本の政治家。元福井市長。福井市名誉市民。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 福井県福井市出身。1946年、名古屋帝国大学医学部卒業後、福井市に勤務し、厚生部長、総務部長等を歴任。1974年、前市長死去に伴い行われた福井市長選挙で立候補し、初当選。以後連続5期20年に亘り市長を務めた。 在任中は、30万人都市実現を目標とし、都市開発、教育文化、国際交流等を推進し、福井市の発展に寄与。また、特に、治水・利水対策には、「百年の計」との思い入れがあって注力し、九頭竜川鳴鹿大堰の建設推進等に努力した。 在任中の1994年1月28日、肝不全のため死去。
吉田 金彦(よしだ かねひこ、1923年3月23日 - 20… 吉田 金彦(よしだ かねひこ、1923年3月23日 - 2022年9月19日)は、日本の国語学者。姫路獨協大学名誉教授。 香川県満濃町(現まんのう町)生まれ。京都帝国大学文学部国語国文学科卒業。京都大学大学院博士課程(旧制)修了。静岡女子短期大学助教授、愛媛大学助教授、京都府立大学短期大学部教授、大阪外国語大学教授。1987年、定年退官、姫路獨協大学教授、退職、名誉教授。日本語語源研究会主宰。日本語語源研究所を私設。2000年勲三等瑞宝章受章。 2022年9月19日に死去、99歳没。
新妻 元春(にいつま もとはる、1923年(大正12年)3月… 新妻 元春(にいつま もとはる、1923年(大正12年)3月23日 - 2007年(平成19年)6月12日)は、日本の洋画家。 宮城県栗原郡志波姫町に生まれる。 18歳から25歳まで軍属・軍人として過ごす。 1961年38歳の時、家族を宮城に残して単身千葉に住む。昼は土木作業、夜は絵を描く生活を続け、1965年家族を千葉に迎えて画業に専念。 師は奈良岡正夫(示現会会長・日展参与)で、1970年にテレビ出演していた奈良岡正夫の芸術に対する信念に感動して1971年に弟子入りした。 1972年第25回示現会展で「現場にて」が初入選、以後入選を重ね1975年第28回展では「閑日」が佳作賞を受賞。 1978年に会員となる。
中村 拡三(なかむら こうぞう、1923年3月21日 - 2… 中村 拡三(なかむら こうぞう、1923年3月21日 - 2002年9月10日)は、日本の解放運動家・教育家。 長野県塩尻市出身。1943年長野師範学校卒業。長野県、奈良県、京都府で小中学校の教諭として勤務した後、解放教育研究所事務局長をへて、近畿大学人権問題研究所助教授、教授。1993年定年退職。部落解放運動に挺身し「解放の学力」を提唱した。
川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 19… 川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 1986年12月30日)は日本の政治家、元衆議院議員(3期)。
尾上 久雄(おのえ ひさお、1923年3月20日 - 201… 尾上 久雄(おのえ ひさお、1923年3月20日 - 2014年10月23日)は日本の経済学者。兵庫県姫路市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
長崎 誠三(ながさき せいぞう、1923年3月20日(大正1… 長崎 誠三(ながさき せいぞう、1923年3月20日(大正12年3月20日) - 1999年(平成11年)12月9日)は、日本の物理学者、金属工学者(冶金学者)出版社社長。金属に関する冶金学・材料物性学の研究を進め、合金磁石であるマンガンアルミ磁石の発明者として知られる。 1944年9月東京帝国大学第二工学部冶金学科卒業後、東京大学、東京工業大学、東北大学金属材料研究所で比熱測定装置の開発、合金状態図の研究などに携わり、東北大学を退官してアグネ技術センターを設立後、X線分析などの測定技術を駆使して文化財の真贋鑑定、事件・事故品の解明、クロム汚染の調査をはじめ各地の公害調査にも取り組んだ。
浜野 栄次(はまの えいじ、1923年〈大正12年〉3月20… 浜野 栄次(はまの えいじ、1923年〈大正12年〉3月20日 - 1992年〈平成4年〉3月27日)は、日本の写真家、昆虫研究家。 1923年(大正12年)、東京下谷に生まれる。子供の頃から昆虫に興味があり、井之頭にあった平山博物館館長の平山修次郎の教えを受ける。第一東京市立中学校卒、1945年(昭和20年)に明治大学商学部を卒業。 戦後、暮しの手帖社の松本政利に写真を学び、編集長の花森安治の勧めで昆虫写真を専門とすることを志す。1964年(昭和39年)から東南アジア各国を取材で巡り、日本に帰国後は学習雑誌や図鑑などに多くの写真を発表する。特に台湾への訪問は30数次に渡り、その成果は『台湾産蝶類生態大図鑑』としてまとめられた。
清水 徳松(しみず とくまつ、1923年(大正12年)3月2… 清水 徳松(しみず とくまつ、1923年(大正12年)3月20日 - 2013年(平成25年)5月14日)は、日本の政治家。衆議院議員。 秋田県で生まれる。1944年、早稲田大学政治経済部を卒業した。 1946年、人民新聞社に入社し、同年、日本社会党に入党。同党中央本部書記、同参議院事務局長、同国会対策委員会事務局長(両院事務局長)などを務めた。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙で埼玉県第二区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。 その他、日本社会党米軍基地返還跡地対策特別副委員長、同党埼玉県本部国民運動部長、同県本部常任顧問、日中国交回復埼玉県民会議副会長などを務めた。
稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19… 稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19日 - 2022年(令和4年)6月5日)は、日本の食品科学者。九州大学名誉教授。元カルピス食品工業(現:アサヒ飲料)常務取締役、元日本食品科学工業学会副会長。カネミ油症事件の原因を解明した。岡山県新見市出身。 1923年(大正12年)、岡山県新見市に生まれる。その後、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、天野昇(日本原子力研究所副理事長)、福田正彦(新見市長)、古米初男(丸善石油副参与)、田井庄之助(大分大学教授)がいた。1940年(昭和15年)、高梁中学校を卒業、鳥取高等農業学校獣医畜産学科へ進学する。
小森 義峯(こもり よしみね、1923年〈大正12年〉3月1… 小森 義峯(こもり よしみね、1923年〈大正12年〉3月19日 - 2022年〈令和4年〉2月1日)は、日本の憲法学者、海軍軍人、民族派。法学博士(京都大学・論文博士・1966年)。佐賀県小城郡牛津町(現・小城市)出身。大石義雄の門下。門下生は皇學館大学名誉教授の富永健。 1942年旧制佐賀高等学校文科乙類卒業。1943年大日本帝國海軍に応召。その後、中尉に昇進。1945年9月復員。1946年京都帝国大学法学部政治学科卒業。 1947年佐賀龍谷中学校教諭。1948年4月京都府立桃山高等学校教諭。1948年12月京都師範学校附属桃山中学校教諭。 1953年3月京都大学大学院法学研究科修士課程修了(指導教授:大石義雄)。
田村 隆一(たむら りゅういち、1923年〈大正12年〉3月… 田村 隆一(たむら りゅういち、1923年〈大正12年〉3月18日 - 1998年〈平成10年〉8月26日)は、日本の詩人・随筆家・翻訳家。詩誌『荒地』の創設に参加し、戦後詩に大きな影響を与えた。府立三商業学校在学中から詩を書き始めた。明治大学文芸科卒。 鮎川信夫・中桐雅夫らを知り詩誌「LE・BAL」などに参加。戦後は、黒田三郎らも加わって、第2次「荒地」を創刊。現代文明への危機意識をこめ、叙情と理知とが絶妙のバランスをなす散文詩を生んだ。処女詩集は『四千の日と夜』(1956年)。『言葉のない世界』(1962年)で高村光太郎賞受賞。アガサ・クリスティーなどの推理小説の翻訳でも知られる。 東京府北豊島郡巣鴨村(現在の東京都豊島区南大塚)に生まれる。
乾 国雄(いぬい くにお、1923年3月18日 - 没年不明… 乾 国雄(いぬい くにお、1923年3月18日 - 没年不明)は兵庫県芦屋市生まれ大阪府大阪狭山市育ちの元プロ野球選手。 1942年に京阪商業学校(現:大阪府立芦間高等学校)から、阪神に入団。2年目の1943年には62試合に出場した。1944年から登録が無く、1946年に阪神に復帰するも翌1947年シーズン前に退団し、新たに創設された国民野球連盟の大塚アスレチックスに参加した。1950年には、古沢建設から栃木県代表として都市対抗野球に出場し、2年後には明利酒類から同県代表としてサンベツに出場した。 2024年のドラフト会議でオリックス・バファローズから育成6巡目指名を受けた乾健斗は孫にあたる。
多田 公煕(ただ こうき、1923年〈大正12年〉3月18日… 多田 公煕(ただ こうき、1923年〈大正12年〉3月18日 - 2019年〈平成31年〉3月13日)は、日本の実業家。元中国電力代表取締役社長、元中国経済連合会会長。位階は従三位。 山口県生まれ。旧制山口中学、旧制山口高等学校を経て、1947年(昭和22年)九州帝国大学法文学部卒業、同年中国配電入社。 1977年(昭和52年)中国電力株式会社取締役総合企画室第一企画室長、1979年(昭和54年)中国電力株式会社常務取締役、1981年(昭和56年)中国電力株式会社取締役副社長、1989年(平成元年)中国電力株式会社代表取締役社長、1995年(平成7年)中国電力株式会社代表取締役会長、同年中国経済連合会会長、2001年(平成13年)中国電力株式会社相談役。
千野 冝時(ちの よしとき、1923年(大正12年)3月18… 千野 冝時(ちの よしとき、1923年(大正12年)3月18日 - 2004年(平成16年)8月18日)は、日本の実業家である。大和証券および日本証券業協会の会長を務めた。 東京府(現在の東京都)の生まれ。慶應義塾大学卒業後、1946年(昭和21年)に大和証券に入社した。この頃に早くも国際業務に専念し、同社の理論家として有名となる。その後は副社長を務め1980年(昭和55年)には副会長となり、1982年(昭和57年)には会長職を務め以後1991年(平成3年)までその職にあたった。 会長に就任後は理論株価(PER(株価収益率)×予想EPS(1株あたり当期純利益))を日本で初導入する事業やユーロ円債の第1号の発行に携わる等、証券市場の国際化に貢献する。
佐藤 博(さとう ひろし、1923年3月18日 - 1991… 佐藤 博(さとう ひろし、1923年3月18日 - 1991年10月26日)は、日本の病理学者、専門は、実験腫瘍学、実験動物。 岡山県に生まれ、旧制松山高校から1947年東北大学医学部卒業、同大学病理学教室助手、薬理研究所所員を経て、1956年12月 東京大学 医学博士 論文の題は 「吉田肉腫の移植性に關する研究」。 1957年佐々木研究所研究員となり、吉田富三所長の下、制がん剤のスクリーニング試験に従事、のち同所病理・臨床病理部長。吉田肉腫、腹水肝癌などを用いた膨大な実験に基づき、癌に個性があることを強調した。平成3年、心筋梗塞のため急逝、享年68。
今野 国雄(こんの くにお、今野國雄、1923年3月18日 … 今野 国雄(こんの くにお、今野國雄、1923年3月18日 - 2001年5月23日)は、日本の歴史学者。西洋史専攻。 宮城県生まれ。1950年旧制東京商科大学(現一橋大学)で上原専禄に師事。同大を卒業後、関東学院大学経済学部助教授、教授を経て、1983年青山学院大学文学部史学科教授。1991年退任。 妻は歌人の今野さなへ(国語学者山田孝雄の子女)、子息に日本語学者の今野真二(清泉女子大学教授)がいる。
江田 孝(えだ たかし、1923年3月18日 - 1978年… 江田 孝(えだ たかし、1923年3月18日 - 1978年2月11日)は、山口県玖珂郡本郷村出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 1948年から1955年までの登録名は江田 貢一 (えだ こういち)。 旧制伊丹中学校卒業後、1941年に阪急軍へ入団。同年8月2日の名古屋軍戦(西宮)で先発し7回2/3を投げて降板し、江田の2番手で1回1/3を投げた森弘太郎との継投でのノーヒットノーランを記録。 1943年に応召され、1946年にゴールドスターでプロ球界に復帰し、1947年に初の2桁勝利となる11勝を挙げる。篠崎倉庫を経て1948年に大陽ロビンスへ移籍し、1950年にはオーバースローからシュートやシンカー、カーブ、ナックルを武器に23勝を挙げ、2リーグ分立後初のリーグ優勝に大きく貢献。
永野 健(ながの たけし、1923年3月17日 - 2008… 永野 健(ながの たけし、1923年3月17日 - 2008年5月12日)は、日本の実業家。従三位勲一等工学博士。広島県安芸郡下蒲刈町三之瀬(現呉市)出身。 東京府立五中、第二高等学校を経て、東京帝国大学第一工学部卒業。父は運輸大臣を務めた永野護。元日本経済新聞編集委員の永野健二は次男。 大学卒業後の1945年、三菱鉱業に入社。コロンビア大学工学部冶金学科に留学。1962年工学博士(九州大学)。1982年に三菱金属の社長に就任。無公害などの特徴を持つ最後の銅精錬技術「三菱連続製銅法」の商業化を手がけた。また社長在任中、旧本社ビル建て替え・再開発(大手町ファーストスクエア)を主導し、大阪アメニティパークを建設した。
船越 英二(ふなこし えいじ、1923年〈大正12年〉3月1… 船越 英二(ふなこし えいじ、1923年〈大正12年〉3月17日 - 2007年〈平成19年〉3月17日)は、日本の俳優。東京都出身。専修大学経済学部卒業。 俳優の三島謙は兄(本名:船越榮太郎)、女優の長谷川裕見子は妻、長男に俳優の船越英一郎がいる。本名:船越 榮二郎(ふなこし えいじろう)。 新宿で生地問屋「船越商店」を開いた呉服商・船越栄一の次男として誕生し、四谷第五小学校から帝京中学校に入学する。当初は美術学校か写真学校への進学を希望するが、父の勧めで1941年(昭和16年)には専修大学経済学部に入学し1944年(昭和19年)に学徒出陣で繰り上げ卒業する。香川県三豊郡豊浜町(現・観音寺市)の陸軍船舶学校に入り、翌年の8月に見習士官として終戦を迎えた後、父の勧めで地元新宿に写真屋を開いた。
永澤 満(ながさわ みつる、1923年3月17日 - 202… 永澤 満(ながさわ みつる、1923年3月17日 - 2020年5月8日)は、日本の化学者。名古屋大学名誉教授。豊田工業大学名誉学長。日本学士院賞受賞。 東京出身。1946年東京工業大学工学部応用化学科卒業。1954年東京工業大学工学博士。1951年名古屋大学講師着任。名古屋大学助教授を経て、1958年から3年間フルブライト・プログラムでシカゴ大学、ワシントン大学で在外研究に従事。1962年名古屋大学教授に昇格。1978年豊田工業大学設立計画アドバイザー。1980年名古屋大学工学部長。1986年退官、豊田工業大学教授。豊田工業大学図書館長、豊田工業大学副学長を経て、1996年豊田工業大学学長。2003年豊田工業大学シカゴ校学長。
重富 健一(しげとみ けんいち、1923年3月16日 -20… 重富 健一(しげとみ けんいち、1923年3月16日 -2020年10月11日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。東洋大学名誉教授。 佐賀県生まれ。佐賀師範学校卒、1945年東京高等師範学校卒、1947年まで東京都立上野中学校(旧制)(現東京都立上野高等学校)教諭、1950年京都大学農学部卒、政治経済研究所研究員、1961年東洋大学経済学部専任講師、1962年助教授、1967年教授。1976年東洋大学理事。1979年評議員。1983年東洋大学経済研究所長。1992年退任、名誉教授。 全日本学生自治会総連合設立に関わり、日本共産党に入党した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
安齋 伸(あんざい しん、1923年3月15日 - 1998… 安齋 伸(あんざい しん、1923年3月15日 - 1998年1月1日)は、日本の宗教学者。 1923年、宮城県仙台市生まれ。1949年、東京帝国大学文学部宗教学科を卒業。ウィーン大学社会学科博士課程修了。1954年に上智大学文学部助手となり、講師、助教授を経て教授。1993年定年、名誉教授。
神尾 昌一(かみお しょういち、1923年3月15日 - 2… 神尾 昌一(かみお しょういち、1923年3月15日 - 2006年3月4日)は、日本の銀行家。埼玉銀行頭取を務めた。 東京都出身。1944年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、1946年に埼玉銀行に入行。 1974年5月に取締役に就任し、1978年8月に常務、1981年6月に専務を経て、1982年6月に副頭取に就任し、1987年6月には頭取に昇格。1989年3月に取締役に退き、同年6月に相談役、1998年4月に特別顧問を経て、同年12月から2001年10月までに名誉顧問に就任。 1990年11月に藍綬褒章を受章。 2006年3月4日急性肺炎のために死去。82歳没。
三井 脩(みつい おさむ、1923年〈大正12年〉3月15日… 三井 脩(みつい おさむ、1923年〈大正12年〉3月15日 - 1992年〈平成4年〉8月11日)は、日本の内務・警察官僚。第10代警察庁長官、日本道路交通情報センター理事長。位階は正三位。 熊本県出身。旧制大阪高等学校卒。1943年12月、佐世保第二海兵団(相浦)に入団。1944年、東京帝国大学法学部を卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願。同年2月、海軍経理学校に入学し同年9月に卒業。海軍対潜学校に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年、突撃隊(伏龍部隊)に移り終戦を迎えた。同年9月、海軍主計中尉に昇進して解員(復員)した。 1946年、内務省に入省し神奈川県に配属。以後、宮崎県総務部地方課勤務、熊本県経済部農務課勤務、国家地方警察徳島県本部警備部長、国家地方警察長崎県本部警備部長、国家地方警察本部警備部警備第一課長補佐、警察庁警備部警備第一課長補佐、警視庁第一方面本部長、山梨県警察本部長、防衛庁防衛局第二課長、警察庁警備局公安第一課長、警視庁公安部長、同警務部長、同副総監、警視庁警備局長、警察庁次長などを歴任。
石原 豪人(いしはら ごうじん、1923年3月15日 - 1… 石原 豪人(いしはら ごうじん、1923年3月15日 - 1998年6月19日)は、日本のイラストレーター。別ペンネームに林月光(はやし げっこう)。本名:石原徹。島根県簸川郡大社町出身。日本大学芸術学部中退。 18歳で満州に渡り、映画看板などを描く。体調を崩したため、1955年頃(昭和30年)から挿絵画家としての仕事を始める。以後40年間にわたって精力的に描き続けた。 テレビがなかった時代の映画の看板から始まり、光文社の江戸川乱歩シリーズの挿絵(『魔法人形』ほか数巻のみ)、立風書房のジャガーバックスシリーズを始めとする怪奇系児童書、小学館の「なぜなに学習百科」シリーズ、各社の学年誌・少年雑誌・少女雑誌の怪獣・怪人・幽霊・妖怪・怪奇現象などのイラストを手がけた。
宮川 ひろ(みやかわ ひろ、1923年〈大正12年〉3月15… 宮川 ひろ(みやかわ ひろ、1923年〈大正12年〉3月15日 - 2018年〈平成30年〉12月29日)は、日本の児童文学作家。沼田市名誉市民。 長男は児童文学研究者の宮川健郎。 1923年、群馬県利根郡東村千鳥(利根村を経て現・沼田市)に生まれる。群馬県女子師範学校に進学するが病気のため中退を余儀なくされる。東京の金華学園教員養成所を卒業後、公立小学校教員(地方公務員)となる。この時期には学童集団疎開にもかかわった。 坪田譲治の講演を聴いたことで文学を志し、1965年に日本児童文学者協会が開講した「新日本童話教室」に参加。同人誌『どうわ教室』をあまんきみこらと創刊したほか、雑誌『びわの実学校』に作品を投稿した。
松崎 仁(まつざき ひとし、1923年〈大正12年〉3月14… 松崎 仁(まつざき ひとし、1923年〈大正12年〉3月14日 - 2013年〈平成25年〉2月26日)は、日本の日本近世演劇研究者。立教大学・梅光女学院大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。父は長野県士族で官僚の松崎謙二郎。母は横浜の貿易商中村房次郎の長女。 1949年、東京帝国大学文学部国文学科卒業。学習院中・高等科教諭。1957年、清泉女子大学助教授。1959年、立教大学文学部助教授、教授。1989年、定年退任、名誉教授、梅光女学院大学教授。1998年、梅光女学院大学を退職、名誉教授。 1995年、「歌舞伎・浄瑠璃・ことば」で九州大学博士(文学)、日本演劇学会河竹賞受賞。
名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 … 名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 - 2007年4月11日)は、日本の思想史家、評論家。元高千穂商科大学教授。専攻は社会思想史。 岡山市生まれ。山口高等商業学校卒業後、新京の陸軍経理学校を経て出征。朝鮮半島で終戦を迎え、ソビエト連邦に抑留を経て1950年に帰国。岡山県に戻り高校教師となり、高千穂商科大学助教授を経て1982年に教授。1997年に退職後、著作活動に専念。 2007年4月11日、呼吸不全のため死去。 パラオでの戦没者の慰霊活動を多く行っており、その一環として南洋神社にパラオ挺身隊の顕彰碑を建立した。
堀口 星眠(ほりぐち せいみん、1923年〈大正12年〉3月… 堀口 星眠(ほりぐち せいみん、1923年〈大正12年〉3月13日 - 2015年〈平成27年〉2月2日)は、群馬県出身の俳人、医師。本名・慶次。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。旧制高崎中学、旧制新潟高校を経て、1942年に東京帝国大学医学部入学。1947年に卒業後、東大付属病院物療内科入局。 東京帝国大学在学中より水原秋桜子に師事。1949年、軽井沢に友人と共同で「森の家」と称する家を借り、翌年より大島民郎、相馬遷子、岡谷公二らと句会。「馬酔木」に新風を吹き込み馬酔木高原派と呼ばれた。1952年「馬酔木」同人。1955年、郷里の安中市にて開業。1958年馬酔木賞。1976年句集『営巣期』で第16回俳人協会賞受賞。
大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日 - 200… 大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日 - 2003年11月12日)は、日本の実業家。 盲人福祉運動家大城雪造の三男として、福岡県に生まれる。1940年福岡県中学修猷館を経て、1948年九州大学工学部土木工学科を卒業。 1948年福岡市に勤務した後、1954年防衛庁陸上自衛隊一等陸尉となる。 1959年日本道路公団に入り、福岡建設局長を経て、1980年理事。1984年8月前田建設工業顧問となり、1985年2月常務。1986年10月東京湾横断道路副社長となり、1995年6月代表取締役社長に就任。東京湾アクアラインを完成させ、1997年12月東京湾横断道路から日本道路公団に道路施設を引渡し、皇太子夫妻を招いて開通式を行った。
嶋 正彦(しま まさひこ、1923年〈大正12年〉3月13日… 嶋 正彦(しま まさひこ、1923年〈大正12年〉3月13日 - 2014年〈平成26年〉7月30日)は、日本の実業家である。元丸善石油(現・コスモ石油)社長。東京都出身。