野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 -… 野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 - )は、島根県出身の教育評論家、画家、野球指導者。元高等学校教員(美術科教諭)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属(マネジメント契約)。 島根県立大東高等学校(第22期卒)から広島大学(学校教育学部美術科)に進学。 硬式野球部では2年時に広島六大学の首位打者を獲得。4年時は主将として全日本大学野球選手権大会に初出場。四番・一塁手で出場した初戦で同志社大学に0-11で敗れた。 大学卒業後に広島県立府中東高校に美術教師として赴任。また、野球部監督ともなり、1978年秋の中国大会で準優勝し、翌年の第51回選抜高等学校野球大会の出場校に選出され監督として甲子園初出場を果たした。
川村 信子(かわむら しんこ、1951年12月14日 - )… 川村 信子(かわむら しんこ、1951年12月14日 - )は、株式会社カウカウフードシステム創業者であり、現在は同社代表取締役会長。別名「マダム シンコ(マダム しんこ)」 島根県生まれ、両親が共に韓国人の在日韓国人2世である。現在は日本国籍を取得。10歳の時、父親の仕事の都合で大阪府へ移る。 21歳の時、母親が用意してくれた50万円で喫茶店を開業。 未経験のまま、18歳で不動産業、高級クラブ、貴金属などの販売を経て、26歳の時に大阪・北新地で高級クラブをオープン。 1989年、37歳の時に上京し、4か月で銀座No.1ホステスになるも、その9か月後に独立。銀座にクラブ「銀座クラブ信子」をオープンした。
伊藤 邦雄(いとう くにお、1951年12月13日 - )は… 伊藤 邦雄(いとう くにお、1951年12月13日 - )は、日本の会計学者。学位は商学博士(一橋大学・論文博士・1996年)。一橋大学名誉教授。 一橋大学大学院商学研究科教授、中央大学専門職大学院戦略経営研究科特任教授、国立大学法人一橋大学理事、日本ベンチャー学会会長、日本インベスター・リレーションズ学会会長、一橋大学副学長、原子力損害賠償・廃炉等支援機構運営委員長、日本会計研究学会会長などを歴任。 経済産業省・東京証券取引所「DX銘柄」評価委員会委員長 経済産業省「コーポレート・ガバナンス・システム研究会」委員、内閣府「未来投資会議・構造改革徹底推進会合」委員、東京証券取引所「企業価値向上表彰制度委員会」委員長、経済産業省・東京証券取引所「攻めのIT経営銘柄」選定委員長、日本取締役協会「コーポレートガバナンス・オブ・ザ・イヤー」選考委員、経済産業省「トランジション・ファイナンス環境整備検討会」座長、TCFD(気候変動財務情報開示)コンソーシアム会長などを務める。
浅田 次郎(あさだ じろう、本名:岩戸 康次郎〈いわと こう… 浅田 次郎(あさだ じろう、本名:岩戸 康次郎〈いわと こうじろう〉、1951年12月13日 - )は、日本の小説家。 中央大学杉並高等学校卒業。陸上自衛隊に入隊、除隊後はアパレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、『とられてたまるか!』でデビュー。悪漢小説作品を経て、『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞を受賞。時代小説の他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も含め、映画化、テレビドラマ化された作品も多い。 2011年から2017年に日本ペンクラブ会長。2013年には、柴田錬三郎賞、山本周五郎賞選考委員、2022年現在、直木賞選考委員。 9歳まで東京都中野区鍋屋横丁(旧・上町)で育ち、以後、都内を転々とすること18回。
ミッキー吉野(ミッキー よしの、1951年〈昭和26年〉12… ミッキー吉野(ミッキー よしの、1951年〈昭和26年〉12月13日 - )は、日本の音楽家。ロックバンド『ゴダイゴ』のピアノ、オルガン、キーボード奏者である。バークリー音楽大学卒業。元ザ・ゴールデン・カップスのメンバー。 ゴダイゴではリーダーを務め、ほぼ全曲にわたって編曲を担当する。本名は吉野 光義(よしの みつよし)。 1951年 - 神奈川県横浜市に生まれる。4歳からクラシック・ピアノを習う。横浜市立浜中学校卒業。 1966年 - バンド「ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンド」(のちの「ベベス」)に参加。ナイト・クラブ、ダンス・パーティー、米軍キャンプや横浜本牧界隈で活動。エディ藩、ジョー山中、カシアス内藤らと交友関係を持つ。
杉本 正彦(すぎもと まさひこ、1951年〈昭和26年〉12… 杉本 正彦(すぎもと まさひこ、1951年〈昭和26年〉12月13日 - )は、日本の海上自衛官。第30代海上幕僚長。 富山県出身。1974年(昭和49年)3月、防衛大学校(本科第18期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「はるゆき」艦長など艦艇勤務を経て、2001年(平成13年)12月に第3護衛隊群司令に就任。在任中の2002(平成14年)2月から第2次インド洋派遣海上支援部隊を指揮した。 2005年(平成17年)7月、海将に昇任、潜水艦隊司令官、呉地方総監、自衛艦隊司令官等の要職を歴任し、2010年(平成22年)7月、第30代海上幕僚長に就任した。自衛艦隊司令官を経ての海上幕僚長就任は第16代長田博以来23年ぶりであった。
江崎 保男(えざきやすお、1951年12月12日-)は、日本… 江崎 保男(えざきやすお、1951年12月12日-)は、日本の生物学者。 兵庫県立大学名誉教授。兵庫県立コウノトリの郷公園第3代園長。専門は動物生態学。京都大学理学博士(1985年)。 大阪市出身。1970年(昭和45年)大阪府立大手前高等学校を卒業後、京都大学理学部に入学、京都大学大学院理学研究科に進み、川那部浩哉教授に師事し、動物生態学を学ぶ。1992年、姫路工業大学の助教授に採用され、2004年教授に昇進した。この間、兵庫県立人と自然の博物館の主任研究員を兼務した。大学の統合後は、兵庫県立大学自然・環境科学研究所の教授となり、同研究所所長を務めると同時に、兵庫県立人と自然の博物館研究部長を兼務した。
澤本 光男(さわもと みつお、1951年12月12日 - )… 澤本 光男(さわもと みつお、1951年12月12日 - )は日本の高分子化学者。京都大学名誉教授。中部大学教授。日本化学会常務理事。京都府京都市出身。 1974年京都大学工学部高分子化学科卒業。1979年同大学院博士課程修了(工学博士)。学位論文の題は「カチオン重合の生長炭素カチオンに関する研究」。1994年より京都大学教授。2008年から2010年まで高分子学会会長。 1995年、原子移動ラジカル重合をクリストフ・マテャシェフスキーと同時期に独立して報告した。2015年紫綬褒章受勲。 これまでの発表論文約350報は、2008年3月時点で総引用回数が約6400回(カチオン重合 3350回;ラジカル重合 3050回)に達し、特に金属触媒によるリビングラジカル重合の第1報 (1995) は1300回以上、リビングカチオン重合の第1報 (1984) は約300回引用されている。
森 隆男(もり たかお、1951年12月11日 - )は、日… 森 隆男(もり たかお、1951年12月11日 - )は、日本の民俗学者、関西大学名誉教授。 兵庫県出石郡(但東町を経て現・豊岡市)に生まれる。兵庫県立豊岡高等学校を経て[要出典]、1974年に関西大学文学部史学科を卒業した。引き続き同大学院文学研究科に進み、1976年に修士課程を修了した。1976年に日本民家集落博物館に就職し、その後尼崎市教育委員会を経て、2004年に関西大学文学部教授に就任した。2017年退任、名誉教授となる。 1996年に『住居空間の祭祀と儀礼』で日本民俗建築学会奨励賞を受賞した。
コンタロウ(本名:高階 光幸(たかしな みつゆき)、1951… コンタロウ(本名:高階 光幸(たかしな みつゆき)、1951年12月11日 - )は、日本の漫画家。兵庫県養父市出身。兵庫県立八鹿高等学校から岡山大学薬学部を経て、1977年、千葉大学工学部印刷工学科卒業。 1974年、大学在学中に『週刊少年ジャンプ』(集英社)のヤングジャンプ賞に『先生の日』が佳作入選。翌年の1975年、同じく『週刊少年ジャンプ』にて開催された赤塚賞に、応募した作品『父帰る!!』が入選し、同作品が掲載された後、『友情学園』で連載デビューする。 趣味は蕎麦打ち。プロレスに造詣が深く、プロレスをテーマにした作品も数多く発表している。子息は映像作家の高階匠。姪はシンガーソングライターのさぁさで、MVのコラボも行っている。
石井 道遠(いしい みちとお、1951年(昭和26年)12月… 石井 道遠(いしい みちとお、1951年(昭和26年)12月11日 - )は、日本の財務官僚、昆虫研究家。第40代国税庁長官。東日本銀行頭取・会長、コンコルディア・フィナンシャルグループ副社長を歴任した。東京都出身。趣味は昆虫採集。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
川口 浩一(かわぐち こういち、1951年12月10日 - … 川口 浩一(かわぐち こういち、1951年12月10日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 東京都で出生の後、1963年に青森県八戸市へ転居した。本人は東京都を出身地としている。 青森県立八戸北高等学校、日本大学文理学部教育学科を卒業後、1974年4月に青森テレビに入社。当初は八戸支社営業部に配属されていたが、1983年4月に本社報道制作局放送部へ異動。同局のアナウンサーを務めた後、2016年12月に定年退職した。 その後もフリーアナウンサーとして、青森テレビの番組を中心に活動している。
金森 越哉(かなもり えつや、1951年12月10日 - )… 金森 越哉(かなもり えつや、1951年12月10日 - )は、日本の文部官僚。香川県教育委員会教育長などを経て文部科学審議官を最後に退官。元一般財団法人教職員生涯福祉財団専務理事。香川県出身。 現、学校法人東京歯科大学理事、公立学校共済組合理事長。2014年6月に香川県高松市に本店のある百十四銀行取締役に就任。2024年、瑞宝重光章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
生井 けい子(なまい けいこ、1951年12月9日 - )は… 生井 けい子(なまい けいこ、1951年12月9日 - )は栃木県出身の元バスケットボール選手。栃木県宇都宮女子商業高校、日本体育大学卒業。現姓・今野。愛称は「生ちゃん」。 栃木市立東中学校2年でバスケを始めたが、当時は陸上競技との掛け持ちだったためバスケ練習は週1回程度だった。 宇都宮女子商(現宇都宮文星女子高)では2年でレギュラーになる。 高校卒業後は実業団からも誘いを受けるが断り続け、短大進学を希望するが顧問は「日体大なら許してやる」と言われ日体大へ進学。日体大のインカレ3連覇に貢献し、大学生として全日本のメンバーに選ばれる。 大学卒業後は故郷で教員を目指すが採用試験で不合格。コーチとして日体大に残る。
磯村 保(いそむら たもつ、1951年12月9日 - )は、… 磯村 保(いそむら たもつ、1951年12月9日 - )は、日本の法学者。専門は民法。京都府出身。神戸大学名誉教授。現在は早稲田大学大学院法務研究科教授。法科大学院協会常務理事や日独法学会理事長も務める。 父は、京都大学名誉教授の磯村哲。
村上 龍一(むらかみ りゅういち、1951年 <昭和26年>… 村上 龍一(むらかみ りゅういち、1951年 <昭和26年> 12月9日 - 2024年<令和6年>3月31日)は、日本の地方公務員。元大阪市副市長。 1975年3月 北海道大学法学部卒業。同年4月 大阪市採用 旭区役所勤務、1985年4月 大阪市中央卸売市場南港市場主査、1991年 (平成3年) 4月 総務局行政部総務課長代理、1993年4月 同企画主幹、1995年4月 経済局経済企画部庶務課長、1998年4月 市長室連絡調査担当部長、2000年4月 計画調整局企画調整部長、2002年4月 ゆとりとみどり振興局文化集客部長、2004年4月 財政局契約総長兼交通局理事、水道局理事、2007年4月 契約管財局長兼交通局理事、水道局理事、2008年4月 総務局長。
川本 隆史(かわもと たかし、1951年12月8日 - )は… 川本 隆史(かわもと たかし、1951年12月8日 - )は、日本の哲学者(倫理学・社会哲学)。学位は、博士(文学)(東京大学・論文博士・1997年)。東北大学名誉教授、東京大学名誉教授、国際基督教大学特任教授。 広島市生まれ。広島学院中学校・高等学校を卒業後、1970年に東京大学教養学部文科一類に入学。法学部から文学部に転部し、1975年東京大学文学部倫理学科卒業。学位論文はカントの宗教哲学。1980年東京大学大学院人文科学研究科博士課程を単位取得退学。1997年、博士(文学)(東京大学)の学位を取得。 跡見学園女子大学文学部教授、東北大学文学部教授を経て、2004年度より、東京大学大学院教育学研究科教授。
高橋 良平(たかはし りょうへい、1951年12月8日- )… 高橋 良平(たかはし りょうへい、1951年12月8日- )は、日本のSF小説及びSF映画評論家、翻訳家、フリー編集者。日本SF作家クラブ会員。 愛知県豊橋市出身。高校時代からSFファン活動を開始。1976年中央大学文学部哲学科を卒業し、すばる書房に入社。のち、SFヴィジュアル雑誌『スターログ』副編集長を経て、フリーに。 『本の雑誌』に「戦後日本SF出版史」を長期連載していたが、2021年5月号で終了。この連載は2025年4月現在、単行本化がされていない。 『本の雑誌』1997年3月号において、日本のSFが商業的に成功していない当時の状況へのいらだちから、「ここ十年のSFはみんなクズだ!」と題して鏡明と対談し、いわゆる「SFクズ論争」の口火を切った。
林 宏優(はやし ひろまさ、1951年〈昭和26年〉12月7… 林 宏優(はやし ひろまさ、1951年〈昭和26年〉12月7日 - )は、日本の政治家。岐阜県山県市長(4期)。 岐阜県山県市出身。1970年(昭和45年)3月、岐阜県立長良高等学校卒業。同年4月、高富町役場に奉職。 2003年(平成15年)4月1日、山県郡の高富町、伊自良村、美山町が合併し、山県市が誕生する。同年、山県市役所の保健福祉部長に就任。 議会事務局長や総務部長などを歴任し、2010年(平成22年)12月、山県市役所を退職。 2011年(平成23年)4月24日に行われた山県市長選挙に民主党と自由民主党の推薦を得て出馬。市民団体代表の寺町知正、元高富町長の山崎通らを破り初当選した。4月27日、市長就任。
中西 哲(なかにし さとし、1951年12月7日 - )は、… 中西 哲(なかにし さとし、1951年12月7日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、外務大臣政務官(菅義偉内閣)、高知県議会議員(4期)、宿毛市議会議員(1期)を歴任。 高知県宿毛市に生まれる。高知高等学校卒業後、中央大学法学部政治学科に入学し、日本学生同盟に参加。 大学卒業後は高村正彦法律事務所に勤務。1981年、株式会社朝日建物入社。1988年、宿毛市に戻り家業である養殖業を継ぐ。 1995年、宿毛市議会議員選挙に立候補し当選。 1999年、高知県議会議員選挙に立候補し当選。以後4回連続当選。 2015年、任期満了に伴い高知県議を退任。高知県選挙区次期参議院議員候補者に内定した。
稗田 乃(ひえだ おさむ、1951年12月7日 - )は、日… 稗田 乃(ひえだ おさむ、1951年12月7日 - )は、日本の言語学者。専門はナイル諸語研究。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所在籍時はウガンダで話されている言語の一つクマム語(英語版)の共時的記述に取り組んでいる。 東京外国語大学名誉教授。博士(文学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
隈丸 優次(くままる ゆうじ、1951年12月7日 - )は… 隈丸 優次(くままる ゆうじ、1951年12月7日 - )は、日本の外交官。2013年(平成25年)1月15日からカンボジア駐箚特命全権大使。 福岡県久留米市出身。1975年(昭和50年)慶應義塾大学経済学部を卒業後、外務省に入省。同年より外務省アジア局中国課勤務。1976年(昭和51年)6月から香港中文大学新亜書院で、同年9月から北京語言学院(現北京語言大学)で中国語研修を受けたチャイナ・スクール。 1986年7月から国際連合事務局勤務。1989年6月国際連合日本政府代表部一等書記官、1989年7月在中華人民共和国日本国大使館参事官、1992年2月外務省国際連合局社会協力課長、1993年8月外務省総合外交政策局国際社会協力部国際連合行政課長、1994年5月国際連合日本政府代表部参事官、1996年(平成8年)5月財団法人交流協会台北事務所総務部長、1999年4月国際連合日本政府代表部公使、2001年(平成13年)在中華人民共和国日本国大使館公使、2004年4月独立行政法人国際交流基金統括役。
西尾 保示(にしお やすじ、1951年12月7日 - )は、… 西尾 保示(にしお やすじ、1951年12月7日 - )は、日本の実業家。テクノプロ・ホールディングス代表取締役社長兼最高経営責任者、テクノプロ代表取締役社長。 愛知県出身。1974年名古屋大学法学部卒業、日本長期信用銀行入行。2000年日本長期信用銀行管理部長。同年山佐常務執行役員。2004年セコムメディカルリソース専務取締役。2005年あんしん会四谷メディカルキューブ常務理事。2006年昭和地所CFO兼財務部長。2007年国際興業専務執行役員兼CFO。2008年グッドウィル・グループ取締役兼CFO。2009年ラディアホールディングス常務執行役員兼CFO。2010年アドバンテージ・リソーシング・ジャパン常務取締役兼CFO。
浜田 毅(はまだ たけし、1951年12月6日 - )は、日… 浜田 毅(はまだ たけし、1951年12月6日 - )は、日本映画の撮影監督(カメラマン)。日本映画撮影監督協会理事長。北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校卒業。 明治大学在学中は演劇の製作に熱中していた。大学中退後、1971年大蔵映画に撮影助手として入社。大蔵映画、国際映画など数多くの現場に撮影助手として参加した後、三船プロダクションに移籍。その後、フリーとなる。 『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1983/森﨑東監督)で映画カメラマンとしてデビュー。2008年『おくりびと』(滝田洋二郎監督/第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞)では日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞。2014年、紫綬褒章受章。
阿部 珠理(あべ じゅり、1951年12月6日 - 2019… 阿部 珠理(あべ じゅり、1951年12月6日 - 2019年3月12日)は、日本におけるアメリカ先住民研究の第一人者。サウスダコタ州の保留地で20数年来フィールドワークを続け、現地の人々と深く交わった。立教大学名誉教授。 1951年福岡県生まれ。1975年立教大学社会学部社会学科卒業。1982年カリフォルニア大学ロスアンゼルス校応用言語学研究科社会言語学専攻修士課程修了。2007年博士(比較文明学・立教大学)。 1986年香蘭女子短期大学専任教師、1989年立教大学一般教育部助教授、1995年同教授。1998年立教大学社会学部社会学科教授。2002年同大学社会学部現代文化学科教授。2007年定年退職。
小林 和生(こばやし かずお、1951年12月5日 - )は… 小林 和生(こばやし かずお、1951年12月5日 - )は、日本のフォーク、ロックミュージシャン、ベーシスト。林小 和生(りんこ わせい、リンコワッショー)こばやし やわおとも。RCサクセション時代の愛称は「リンコ」「リンコさん」。 東京都国分寺市出身。忌野清志郎とは小学生の時からの同級生。忌野とともにRCサクセションの最古参メンバー。1966年に忌野、破廉ケンチと共にバンド「ザ・クローバー」を結成。ザ・クローバーは1968年にRCサクセションとなる。 RCサクセションの不遇時代には東京芸術大学のベース科に入学して腕と理論を強化した。実弟の小林キンスケ(一樹)もPAエンジニアとしてRCサクセションと関わっている。
松尾 清憲(まつお きよのり、1951年12月5日 - )は… 松尾 清憲(まつお きよのり、1951年12月5日 - )は、福岡県出身のミュージシャン。九州大学工学部合成化学科卒業。ソニー・ミュージックパブリッシング所属。
山田 信博(やまだ のぶひろ、1951年12月5日 - 20… 山田 信博(やまだ のぶひろ、1951年12月5日 - 2015年10月13日)は、日本の医師。内科医。筑波大学第8代学長。研究テーマは動脈硬化症の病態生理、糖尿病、高脂血症[3]。
立石 涼子(たていし りょうこ、1951年〈昭和26年〉12… 立石 涼子(たていし りょうこ、1951年〈昭和26年〉12月4日 - 2020年〈令和2年〉8月2日)は、日本の女優、声優。本名及び旧芸名は立石 凉子(たていし りょうこ)。 長崎県長崎市出身。最終所属はシス・カンパニー。文学座研究所を経て演劇集団円に所属し、蜷川幸雄演出作品の常連として活躍。名脇役として映画やドラマなど映像作品にも幅広く出演した。 長崎県立長崎南高等学校卒業。航空会社に入社し、国際線の客室乗務員を務めていた。その後「年齢制限が無く、一生これで働けると思った」ということで役者に転身することになる。文学座附属演劇研究所を経て、1974年に劇団雲の研究生となる。1975年、劇団雲の分裂で円・演劇研究所に移り、1976年に演劇集団 円の団員に昇格する。
神山 昂(かみやま たかし、1951年12月4日 - )は沖… 神山 昂(かみやま たかし、1951年12月4日 - )は沖縄県で高校野球の指導を長らく務めている指導者である。監督として3回、コーチとして4回の甲子園出場経験を持つ。 1951年糸満市に生まれる。1967年沖縄県立糸満高等学校に入学し、高校3年の夏、甲子園の県予選の決勝で糸満高校対興南高校と火花を散らした。この試合の興南高校には、後に興南高校野球部の監督に就任する我喜屋優もいた。決勝戦では惜しくも僅差で興南高校に敗れた。高校卒業後は、琉球大学に進学する。 大学卒業後、非常勤講師として沖縄高校(現在の沖縄尚学高校)やコザ高校を2年ほど勤め、1978年沖縄県立豊見城高等学校野球部にコーチ就任。糸満高校で監督をしていた栽弘義監督から声を掛けられ、1983年沖縄県立沖縄水産高等学校野球部にコーチ就任する。
立石 涼子(たていし りょうこ、1951年12月4日 - )… 立石 涼子(たていし りょうこ、1951年12月4日 - )は、日本の女優、声優。旧芸名は立石 凉子(たていし りょうこ)。長崎県長崎市出身。シス・カンパニー所属。
永井 秀和(ながい ひでかず、1951年〈昭和26年〉12月… 永井 秀和(ながい ひでかず、1951年〈昭和26年〉12月3日 - )は、日本の俳優、歌手。本名、永井 仁(ながい ひとし)。東京都出身。所属事務所はえりオフィス。 父は時代劇の名悪役で知られた俳優の永井秀明。1967年「夕陽のチャペル」でビクターレコードより歌手デビュー。同年に発売された「恋人と呼んでみたい」が大ヒットとなり、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞する。しかし、学業に専念するために歌手業を引退した。 日本大学芸術学部卒業後、芸能界に復帰。1973年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』に出演。池内淳子扮する油屋の女主人・お万阿の手代・杉丸を演じて再び人気沸騰。池内と今度は母子役で共演した『つくし誰の子』第三シーズン、霧島京弥役を演じた『旗本退屈男』など立て続けにドラマにレギュラー出演して人気を集めた。
松本 研(まつもと けん、1951年12月3日 - )は、日… 松本 研(まつもと けん、1951年12月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の横浜市会議員(8期)。第49代横浜市会議長。 神奈川県横浜市中区生まれ。横浜市立本町小学校、浅野中学校・高等学校、関東学院大学経済学部経営学科を卒業。大学卒業後は、医薬品販売会社や病院、診療所での勤務を経験した。 1996年10月に、横浜市会議員補欠選挙(中区)に立候補し、初当選した。以降連続8期当選。2017年5月には、横浜市会議長に就任した。
長州 力(ちょうしゅう りき1951年12月3日 - )は、… 長州 力(ちょうしゅう りき1951年12月3日 - )は、日本の元プロレスラー、YouTuber。山口県徳山市(現・周南市)出身。静岡県熱海市在住。北海道猿払村ふるさと納税大使。 在日韓国人2世として生まれ、2016年に日本へ帰化した。韓国名は郭 光雄(かく こうゆう、クァク・クァンウン、곽광웅)。現在の本名(日本名及び旧リングネーム)は吉田 光雄(よしだ みつお)。 ニックネームは「革命戦士」。入場曲は異母犯抄作曲のオリジナルテーマ曲『パワーホール』(後述も参照)。血液型O型。 1951年12月3日、山口県徳山市で四人兄弟の末っ子として生まれる。父親は1939年に韓国の忠清北道から来日し、廃品回収業を営んでいた。
近藤 二郎(こんどう じろう、1951年12月2日 - )は… 近藤 二郎(こんどう じろう、1951年12月2日 - )は、日本の考古学者。早稲田大学文学学術院名誉教授。専門はエジプト学、考古学。 1951年、東京都杉並区生まれ。1970年、東京都立西高等学校を卒業し、早稲田大学第一文学部に進む。西洋史を専攻し、1975年に卒業。1975~1978年、同大学大学院文学研究科修士課程。1978~1986年、博士後期課程。博士課程在学中の1981年から1983年にかけて文部省アジア諸国等派遣留学生としてエジプト・カイロ大学考古学部に留学した。 卒業後は、1986年4月より早稲田大学文学部助手。1999年より同大学文学部助教授、2004年より同大学文学部教授。早稲田大学エジプト学研究所所長。
蔵田 義雄(くらた よしお、1951年(昭和26年)12月1… 蔵田 義雄(くらた よしお、1951年(昭和26年)12月1日 - )は、日本の政治家。広島県東広島市長(3期)、広島県議会議員(2期)、東広島市議会議員(1期)等を務めた。 広島県東広島市八本松町生まれ。広島県立広島商業高等学校卒業。 1995年、東広島市議会議員選挙に出馬し、初当選。 1998年、東広島市議を任期途中で辞職。1999年、広島県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2003年の県議選は自民党公認で立候補し再選。 2006年1月、広島県議会議員を2期目の任期途中で辞職。同年4月23日に行われた東広島市長選挙に立候補し、当時自由民主党政務調査会長であった中川秀直の二男の中川俊直との一騎打ちを制し、初当選した。
稲本 隆寿(いなもと たかとし、1951年(昭和26年)12… 稲本 隆寿(いなもと たかとし、1951年(昭和26年)12月1日 - )は、愛媛県喜多郡内子町長。 喜多郡内子町生まれ。旧内子町職員時から河内紘一町長に仕え、河内町長の支持を得て町長選に出馬、無投票当選、就任した。本名の字体は「隆壽」。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
山崎 光悦(やまざき こうえつ、1951年12月 - )は… 山崎 光悦(やまざき こうえつ、1951年12月 - )は日本の工学者、工学博士(大阪大学)、福島国際研究教育機構(福島復興再生特別措置法により設置される特殊法人)理事長。金沢大学学長(第11代)、国立大学協会副会長等を歴任。専門は機械工学で、とりわけ材料力学・設計工学を中心とした研究を行っている。日本の最適化研究の第一人者である。
関口 時正(せきぐち ときまさ、1951年12月 - )は、… 関口 時正(せきぐち ときまさ、1951年12月 - )は、日本の文学者。専門は、ポーランド文学・文化論、比較文学。
五代目 柳亭 痴楽(りゅうてい ちらく、1951年11月30… 五代目 柳亭 痴楽(りゅうてい ちらく、1951年11月30日 - 2009年9月7日)は、北海道石狩郡当別町生まれの落語家。落語芸術協会所属、同協会常任理事を務めたが、病臥後は相談役に退いていた。出囃子は『将門』、定紋は「蔓結びかたばみ」、本名:澤邊 幸三。 札幌商業高校中退後、1968年1月に四代目柳亭痴楽に入門。前座名は「痴太郎」。 1972年5月に二ツ目昇進、「小痴楽」と改名。1976年にNHK新人落語コンクール優秀賞を、1979年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 1983年5月に四代目春雨や雷蔵、古今亭寿輔、三笑亭夢之助、桂京丸、五代目春風亭柳條、三遊亭春馬と共に真打昇進。 1989年、国立演芸場花形新人大賞受賞。
陣内 誠(じんない まこと、1951年(昭和26年)11月3… 陣内 誠(じんない まこと、1951年(昭和26年)11月30日 - )は、元フジテレビアナウンサー。 神奈川県横浜市出身。血液型はO型。趣味・特技はサッカー、競馬、読書。 神奈川県立多摩高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、1976年4月にフジテレビ入社。同期は福井謙二(元アナウンス担当局長)と長沢美雪。入社後にはアナウンス室に所属し、スポーツや報道などを担当した。1994年、営業局など別部署に7年間在籍した後、2001年7月にアナウンス室に室長として復帰。管理職専任のため、番組にはほとんど出演しなかった。2005年7月1日をもって番組審議室へ異動し、番組審議室長に就任。2010年7月5日付でスタジオアルタ代表取締役専務に就任し、2015年まで務めた。
神田 紫(かんだ むらさき、1951年11月30日 - )は… 神田 紫(かんだ むらさき、1951年11月30日 - )は、日本の女性講談師。日本講談協会元会長。兵庫県神戸市出身。桜美林短期大学卒業。 元々は舞台女優を志して文学座と劇団芸能座(小沢昭一主宰)で活動していたが、講談師に転向し、2代目神田山陽に弟子入りする。1989年8月に真打昇進。同年10月、落語芸術協会に所属する。 女流講談師として各地で「パープルエクスタシー」シリーズと題した講談と一人芝居をミックスした新感覚の公演を行う傍ら、引き続き舞台女優としても活動している。2008年から2009年にかけては日本講談協会会長を務めた。
原 隆仁(はら たかひと、1951年11月30日 - )は、… 原 隆仁(はら たかひと、1951年11月30日 - )は、日本の映画監督。クリエイターズエージェンシー所属。息子は映画監督の原廣利。 東京都出身で東海大学海洋学部卒。国際放映に助監督としてフリー契約した後、独立後は舛田利雄、森田芳光、村川透らに師事。この間、1984年にTVドラマ『西部警察PARTIII』で監督デビューした後、1987年に『あぶない刑事』で正式に監督昇進。1989年、『べっぴんの町』で長篇映画デビューを果たす。 デビュー当初は主にB級アクション、ハードボイルド作品を多く手掛けていたが、『夜逃げ屋本舗』の成功により独自のコメディー世界を確立。 以降は同作をはじめ、『お墓がない!』『いらっしゃいませ、患者さま。
三貴 哲成(みよし てっせい、1951年11月30日 - )… 三貴 哲成(みよし てっせい、1951年11月30日 - )は、日本の歌手、俳優。北海道赤平市出身。本名は三好 鐡夫。旧芸名は 三好 鉄生(読みは同じ)。 炭鉱夫一家の4人兄弟の末子として育つ。中学卒業後に上京。北海道へ戻って赤平炭鉱で炭鉱夫として働いた後、神奈川県相模原市へ移住。仕事の合間にバンド活動を行い、1979年のオーディションで強い個性と歌唱力が認められ、プロ歌手となる。1982年3月、アルファレコードより自作の「アイ・ラヴ・ユーこの街」でデビューした。同年8月発売の2ndシングル「涙をふいて」が中外製薬のドリンク剤『新グロモント』のCMソングに採用されヒットした。1987年にサントリー生ビールのCMソング「すごい男の唄」(CMに使用されていたのは柳ジョージによる歌唱)がスマッシュヒットした。
村上 知彦(むらかみ ともひこ、1951年11月29日 - … 村上 知彦(むらかみ ともひこ、1951年11月29日 - 2024年12月22日)は、日本の編集者、漫画評論家。元神戸松蔭女子学院大学文学部教授。手塚治虫文化賞選考委員。日本マンガ学会理事、日本漫画家協会参与。 父は「具体」のメンバーだった画家の村上三郎。かつてのニックネームは「ギャーさん」。 兵庫県芦屋市に生まれ、1歳から西宮市で育ち、関西学院中学部・高等部に進学した。高校の文化祭で、阪神間の高校生が作った自主映画の上映を企画。同学年の大森一樹と知り合う。関西学院大学社会学部卒業。 1967年に創刊された漫画雑誌『COM』に衝撃を受け、特に、峠あかね(真崎守の筆名)の漫画評論の影響を受ける。
藤沢 公也(ふじさわ きみや、1951年11月29日 - )… 藤沢 公也(ふじさわ きみや、1951年11月29日 - )は、愛媛県西宇和郡伊方町出身(大分県北海部郡佐賀関町〈現:大分市〉生まれ)の元プロ野球選手(投手)。 中学1年の時に陸上競技から野球に転向し、八幡浜高では1968年秋にエース・3番として実質予選である県大会準決勝で河埜和正のいた八幡浜工を完封。決勝では帝京五高の登記欣也に投げ勝って秋季四国大会に進出するが、1回戦で丸亀商の井原慎一朗と投げ合い、延長14回の接戦で惜敗。3年次の1969年には夏の甲子園県予選で準決勝に進出するが、井上明・谷岡潔のいた松山商に敗退。なお、松山商は甲子園で全国制覇を果たしている。 1969年のドラフトでロッテオリオンズから3位指名されるが、入団を拒否。
荒城 哲(あらき さとる、1951年11月29日 - )は、… 荒城 哲(あらき さとる、1951年11月29日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。新潟県出身。 1976年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に北越銀行に入行した。2007年に取締役に就任し、2008年に常務を経て、2013年4月には頭取に就任。2017年6月には会長に就任。
ロック岩崎( - いわさき、本名:岩崎 貴弘(いわさき たか… ロック岩崎( - いわさき、本名:岩崎 貴弘(いわさき たかひろ)、1951年11月28日 - 2005年4月21日)は、元航空自衛官、エアショーパイロットである。群馬県勢多郡赤城村(現:渋川市)出身。曲技飛行の第一人者として知られた。 1951年11月28日生まれ。1970年3月、千葉県立船橋高等学校卒業。 1970年4月、航空自衛隊に航空学生第26期として入隊。F-86F、F-104、F-15などのジェット戦闘機操縦者として飛行任務に従事する。ニックネームの「ロック」は「岩崎」の岩を英訳した在官時代のTACネームに由来する。 また、F-15戦闘機で低高度での「ナイフエッジ」飛行を成功させたほか、「横転コルク抜き」という独自の空戦機動を編み出したことでも有名である。
青山 一也(あおやま かずや、1951年11月28日 - )… 青山 一也(あおやま かずや、1951年11月28日 - )は、日本の実業家、元俳優・歌手。本名、武田 基嗣(たけだ もとつぐ)。実業家としては本名で活動している。 東京都大田区出身。東京都立芝商業高等学校卒業。 海苔の問屋業を営む両親の長男として生まれる。加山雄三に憧れ、高校3年生の時に渡辺プロの新人募集に参加し、レッスン生の一人として採用される。 やがて渡辺プロを離れ別の事務所に移籍し、1970年にグリーン・グラスのメンバーとして、シングル「一人でいるよりあなたがいれば」をリリース。また、この時期には『天皇の世紀』(朝日放送)で俳優デビューを果たしている。その後、東京ミュージックカンパニーへ移籍することとなり、それを機に「青山 一也」に改名。
あべ 静江(あべ しずえ、本名:阿部 静江(読み同じ)、19… あべ 静江(あべ しずえ、本名:阿部 静江(読み同じ)、1951年〈昭和26年〉11月28日 - )は、日本の歌手、女優。三重県松阪市中町出身。血液型はA型。高田高校卒業、東海学園女子短期大学(後年の東海学園大学短期大学部)中退。独身。 一般社団法人日本歌手協会理事。歌手デビュー時の所属事務所はシンコーミュージック(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)。現在の所属事務所はバルシカ。業務提携はフジプランニング。ニックネームは「しーちゃん」。身長158cm。B82cm、W56cm、H85cm(1974年1月)。 本人曰く、「3歳にはステージに立ってたと思います」といえるほどの頃から活動しており、小学生時代から子役として名古屋のテレビ局でドラマに出演していたが、中学時代にいったん芸能界から退く。