後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年… 後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年6月5日)は、日本の政治家である。衆議院議員(6期)。原子燃料政策研究会理事、エネルギー・情報工学研究会議(解散)理事長を歴任した。
1925年(大正14年)生まれ:937人
後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年… 後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年6月5日)は、日本の政治家である。衆議院議員(6期)。原子燃料政策研究会理事、エネルギー・情報工学研究会議(解散)理事長を歴任した。
吉村 証子(よしむら あかしこ、1925年(大正14年)7月… 吉村 証子(よしむら あかしこ、1925年(大正14年)7月3日 - 1979年(昭和54年)4月23日)は、日本の科学史家、児童科学読物作家、科学読物研究家。 農政学者・小出満二(こいで まんじ)の双子の次女として福岡に生まれ、その後、東京に移った。1947年に津田塾専門学校(現:津田塾大学)理科1期生として物理化学科を卒業、1951年に東京大学理学部地球物理学科を卒業。普連土学園、神田女学園で講師をしながら平凡社の『理科事典』『科学技術史年表』の編集・執筆に当たる。1955年弁護士・吉村節也と結婚。1956年津田塾大学講師となり亡くなるまで科学史を教える。1967年日本子どもの本研究会を設立、副会長。
江本 義理(えもと よしみち、1925年(大正14年)7月3… 江本 義理(えもと よしみち、1925年(大正14年)7月3日 - 1992年(平成4年)4月11日)は、日本の化学者である。 江本義数の長男として東京に生まれる。東京大学理学部卒業後、1948年(昭和28年)に東京国立博物館に勤務し父が調査にあたった高松塚古墳の壁画や、中尊寺金色堂に祀られている即身仏等文化財の保存や調査にあたった。 また偽作かを証明するために調査した文化財に機器分析を導入し、特に当時真偽論争下だった「永仁の壺事件」では蛍光X線の用いた分析によって偽物である事を証明した事で名を馳せた。後に昭和女子大学等の教授を務め、1975年(昭和50年)には父が研究員を務めた経験があった東京国立文化財研究所に入所し、保存科学部長を務めた。
日沼 倫太郎(ひぬま りんたろう、本名:生沼正三、1925年… 日沼 倫太郎(ひぬま りんたろう、本名:生沼正三、1925年7月3日 - 1968年7月14日)は、日本の文芸評論家。 栃木県下都賀郡(現・小山市)生まれ。国際電気通信株式会社講習所に学ぶ。1944年朝鮮に赴任。戦後は通信技官、日本電信電話公社社員。そのかたわら文芸評論家として活動した。 1968年7月14日、心筋梗塞のため千葉県柏市の病院で死去。戒名は正教院法文信士。墓所は東京都立八柱霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
奥村 三雄(おくむら みつお、1925年7月2日 - 199… 奥村 三雄(おくむら みつお、1925年7月2日 - 1998年4月19日)は、日本の国語学者。九州大学名誉教授。専門は古典語、方言学。 京都府出身。1949年京都大学文学部国文科卒。1978年「平曲譜本の国語学的研究」で九州大学文学博士。京大助手、1956年岐阜大学講師、1958年助教授、1969年九州大学文学部助教授を経て、1978年教授となる。1989年定年退官、名誉教授。
津田元一郎(つだ げんいちろう、1925年7月2日- )は、… 津田元一郎(つだ げんいちろう、1925年7月2日- )は、日本の哲学者。 静岡県伊豆長岡生まれ。1949年東京大学文学部哲学科卒、同大学院博士課程満期退学、1969年「インド教育における伝統と近代化に関する研究」で名古屋大学教育学博士。静岡県立教育指導研修所指導主事、南山大学教授、1969-73年ユネスコ教育専門家としてアフガニスタン、イランに派遣。中部工業大学教授、名古屋大学医療技術短期大学部教授、89年定年退官、京都精華大学教授。
村上 直(むらかみ ただし 1925年7月2日 - 2014… 村上 直(むらかみ ただし 1925年7月2日 - 2014年2月10日)は、日本の近世史研究者。法政大学名誉教授。大久保長安研究で知られる。 東京に生まれる。東京第一師範学校を経て1951年に法政大学文学部卒業。日本史を専攻し、東京都立大学 (1949-2011)大学院修了。法政大学文学部助教授、1973年教授。1974年に論文「江戸幕府代官制度の研究」により文学博士の学位を取得。1978年同大文学部長。1993年川崎市文化賞(学術)。1996年定年、名誉教授。 研究テーマは、江戸幕府の政治、関東を中心とした代官や幕領、江戸近郊の地域史であった。江戸時代初頭に石見銀山などの代官を務めた大久保長安に関する論文を生涯で28編書いており、そのうち15編が最後の著書『論集 代官頭大久保長安の研究』に収められた。
城戸崎 愛(きどさき あい、1925年7月1日 - 2020… 城戸崎 愛(きどさき あい、1925年7月1日 - 2020年2月13日)は、日本の料理研究家・料理家。兵庫県出身。愛称は「ラブおばさん」。 1945年、東京家政学院卒業。 結婚後、夫が食通だったこともあって東京會舘クッキングスクールで料理を学ぶ。夫の赴任先であるパリのル・コルドン・ブルーではフランス料理を学んだ。 帰国後、料理研究家として活動を始め、名前の愛に因んで「ラブおばさん」の愛称でNHK『きょうの料理』の人気講師となる。 晩年は[いつ?]「non・no」「MORE」等の雑誌で家庭料理やお菓子を紹介していたが、高齢のためかメディアへの露出も減っていた。 2020年2月13日に急性心不全で死去。
伊藤 博(いとう はく、1925年〈大正14年〉7月1日 -… 伊藤 博(いとう はく、1925年〈大正14年〉7月1日 - 2003年〈平成15年〉10月6日)は、日本の文学者(万葉学者)。筑波大学名誉教授。伊藤益(筑波大学名誉教授)は息子。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。1952年(昭和27年)京都大学文学部文学科卒業。斎藤茂吉の『萬葉秀歌』の影響により万葉集研究を志す。京都大学在学中、澤瀉久孝の下で『万葉集』などの上代文学を学ぶ。 専修大学助教授、筑波大学教授、共立女子大学学長等を歴任。その他には萬葉学会代表も務めた。 伊藤は、一首ごとに注釈を付けるという万葉研究の伝統的な研究手法に疑問を抱いており、万葉集は複数の歌からなる歌群によって構成され、全体で一つの物語となると考えていた。
荒木 茂(あらき しげる、1925年7月1日 - 生死不明)… 荒木 茂(あらき しげる、1925年7月1日 - 生死不明)は、大阪府池田市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 浪華商業ではエースピッチャー。1946年に阪急軍へ入団。1試合登板し、すぐに内野手へ転向。1950年に新球団の大洋ホエールズへ移籍。1952年に引退。 引退後は大阪でゴルフ場の支配人になった。
権堂 義幸(ごんどう よしゆき、1925年7月 - 2012… 権堂 義幸(ごんどう よしゆき、1925年7月 - 2012年2月25日)は日本の学校法人経営者、理事長、政治家。 1925年(大正14年)7月、福岡県小倉市生まれ。1944年(昭和19年)旧制常磐中学校(現・常磐高等学校)卒業(第11期生)。1943年(昭和18年)相撲部にて全国大会出場、個人戦で準優勝。1951年(昭和26年)の小倉市議選で初当選、以来小倉市議並びに北九州市議を通算5期。 会社役員を経て、1967年(昭和42年)学校法人常磐学園(常磐高等学校)理事に就任。1969年(昭和44年)には、学校法人常磐学園常磐高等学校理事長に就任し、その後、学校法人明経学園美萩野臨床医学専門学校、学校法人美萩野学園美萩野女子高等学校・小倉日新館中学校、学校法人飯塚学園飯塚日新館中学校・日新館高等学校 (福岡県)(廃校)、学校法人若松学園高稜高等学校、学校法人萩学園萩国際大学(現・至誠館大学)、財団法人創生奨学会の理事長を歴任。
太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6… 太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6月30日 - 2001年 <平成13年> 12月17日)は日本の政治家。盛岡市長(4期) 。位階は従五位。 岩手県盛岡市出身。1948年京都大学農学部卒。同年盛岡市役所に入り、経済課に配属され、産業部農林課長代理、農林課長、庶務部職員課長、財政部財政課長、産業、財政の各部長や市助役を歴任する。1979年、盛岡市長選挙に立候補して初当選した。市長は1995年まで4期務めた。市長在職中は全国市長会理事、副会長、相談役を歴任、東北市長会副会長、岩手県市長会会長も務めた。 市長在職中の主な出来事として東北自動車道盛岡IC開通(1979年)、東北新幹線盛岡開業(1982年)、盛岡市動物公園開園(1989年)、都南村との合併(1992年)が挙げられる。
藪 重夫(やぶ しげお、1925年6月30日 - 2008年… 藪 重夫(やぶ しげお、1925年6月30日 - 2008年2月17日)は、日本の法学者・弁護士。北海道大学名誉教授、元学校法人北海学園理事。専門は民法。京都市生まれ。 主に、民法の財産法全般であるが、家族法の一分野である親族法も研究対象としており、実務家からの視点の論稿を幾つも出している。 北海学園大学法学部教授退任後は、後進育成のために、北海学園大学付属図書館に所有図書を寄贈している。
小松 恒夫(こまつ つねお、1925年6月30日 - 200… 小松 恒夫(こまつ つねお、1925年6月30日 - 2000年12月8日)は、日本の文筆家、元朝日新聞記者。 長野県南安曇郡倭村氷室(現・松本市)生まれ。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て松本高等学校 (旧制)理科乙類を卒業後、東京大学理学部物理学科に進学するが同文学部国文科に転部し卒業。 1952年朝日新聞社入社、「週刊朝日」記者、科学部次長、「週刊朝日」編集長を経て、1974年教育雑誌『のびのび』を創刊、1978年の休刊まで編集に参加した。 1980年『百姓入門記』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1988年日野市教育委員。
岡 久雄(おか ひさお、1925年6月29日 - )は、日本… 岡 久雄(おか ひさお、1925年6月29日 - )は、日本の電気技術者、工学博士。三菱電機代表取締役副社長や、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長、日本オペレーションズ・リサーチ学会会長、電気学会会長、日本YMCA同盟委員長等を歴任した。 宮城県仙台市生まれ。1943年宮城県工業学校(現宮城県工業高等学校)電気工学科、1952年東北大学工学部電気工学科卒業、三菱電機入社。半導体デバイスの研究開発に従事し、1962年には東北大学工学博士の学位を取得。1972年北伊丹製作所電力半導体部長。1978年LSI開発センタセンタ長。1980年LSI研究所所長。1983年取締役LSI研究所所長。1985年常務取締役開発本部長。
謝 国権(しゃ こくけん、1925年6月28日 - 2003… 謝 国権(しゃ こくけん、1925年6月28日 - 2003年11月12日)は、日本の医師(産婦人科)。日本医科大学医学博士。著書『性生活の知恵』で知られ、奈良林祥、ドクトル・チエコと並ぶ日本の性医学評論のパイオニアとして活動した。日本赤十字社本部産院(現在の日本赤十字社医療センター産科)産婦人科医局長在任当時、同書がベストセラー(100万部)となった。元・謝国権診療所所長。 1925年(大正14年)6月28日、東京府(現在の東京都)に、台湾出身の詩人・謝溪秋(1892年 - 1959年)の三男として生まれる。 1959年(昭和34年)、「新生児の核黄疸に関する研究」で日本医科大学医学博士。 1960年(昭和35年)、『性生活の知恵』を執筆・発表し、ミリオンセラーとなる。
上村 光司(かみむら こうじ、1925年6月28日 - 20… 上村 光司(かみむら こうじ、1925年6月28日 - 2019年12月17日)は、日本の経営者。新潟日報社社長を務めた。新潟県出身。 1946年に東京帝国大学法学部政治学科を中退し、同年に新潟日報社に入社。1980年に取締役に就任し、1984年に常務、1990年1月に専務を経て、1992年1月には社長に就任。1994年12月に相談役に就任。 第四銀行非常勤監査役も務めた。 2019年12月17日脳出血のために死去。94歳没。
佐橋 薫(さはし かおる、1925年(大正14年)6月28日… 佐橋 薫(さはし かおる、1925年(大正14年)6月28日 - 2015年(平成27年)4月28日)は、日本の政治家、実業家。愛知県小牧市長(4期)、愛知県議会議員(5期)。 愛知県小牧市生まれ。小学校3年生のとき、養鶏業を営んでいた父親を亡くす。新聞配達やおけ製造職人見習いなどを経て、1952年(昭和27年)6月、味岡木毛合資会社(現・佐橋工業株式会社)を設立した。愛知県青年団協議会の会長時代に青年会館建設に奔走。これがきっかけで政治の道に入り、1959年(昭和34年)の愛知県議会議員選挙に無所属で立候補するが次点で落選。1963年(昭和38年)4月、県議選に自民党公認で立候補し初当選。同年中京大学専科を中退。
村上 三郎(むらかみ さぶろう、1925年6月27日 - 1… 村上 三郎(むらかみ さぶろう、1925年6月27日 - 1996年1月11日)は、日本の芸術家。 息子は漫画評論家の村上知彦。 兵庫県神戸市に生まれる。1943年、関西学院大学予科に入学。絵画部「弦月会」に入部する。神原浩に師事し、油絵を始める。1948年、同大学文学部哲学科を卒業。1950年、同大学大学院美学科を修了。 1952年、田中敦子、金山明、白髪一雄らと「0会」結成。1955年、田中、金山、白髪らと共に、吉原治良をリーダーとする具体美術協会に参加。木枠に張った多数の紙を突き破って通り抜けるパフォーマンス『紙破り』で知られる。 1990年、神戸松蔭女子学院大学短期大学部の教授となる。1996年1月11日、自宅で死去。
小玉 正任(こだま まさとう、1925年(大正14年)6月2… 小玉 正任(こだま まさとう、1925年(大正14年)6月27日 - 2016年(平成28年)9月6日)は、日本の官僚、民俗学者。正四位。 秋田県出身。1951年東京文理科大学卒業後、総理府に入庁。1972年の復帰時に沖縄開発庁総務局総務課長、1974年迎賓館次長、1976年沖縄開発庁総合事務局長、1978年内閣広報室長、1979年賞勲局長、1982年に沖縄開発事務次官、1984年退職、公害等調整委員会委員。1995年、勲二等旭日重光章受章。 1995年から2006年まで沖縄協会の4代目会長を務めた。国立公文書館長、統計情報研究開発センター理事長なども務めた。官僚時代には、琉球大学図書館による琉球関係資料の収集予算の確保に尽力。
杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 20… 杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 2017年5月31日)は、日本の小説家、歴史小説家、文化勲章受章者。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。旧制千代田女子専門学校(現 武蔵野大学)、文化学院卒業。 1952年、「燐の譜」で『サンデー毎日』の懸賞小説に入選、選考委員である吉川英治に師事する。吉川死去の翌年、『孤愁の岸』で第48回(1962年下半期)直木賞を受賞。以後、歴史小説家として活躍する。また、一般向けの歴史書も記している。 1985年に、『マダム貞奴』および『冥府回廊』を原作とするNHK大河ドラマ『春の波濤』が放映される。作品が舞台演劇として上演された数も多い。
新井 昌一(あらい しょういち、1925年〈大正14年〉6月… 新井 昌一(あらい しょういち、1925年〈大正14年〉6月25日 - 2012年〈平成24年〉9月26日)は、日本の農業団体役員、実業家。全国共済農業協同組合連合会(全共連)会長、全国共済農業協同組合連合会初代経営管理委員会会長。位階は従四位。 群馬県群馬郡中川村浜尻(現・高崎市)出身。旧制高崎中学校卒業。 高崎市農協代表理事組合長を務め、群馬県農協中央会会長、JA群馬信連経営管理委員会会長、JA全農群馬県本部運営委員会会長、全共連群馬運営委員会会長、JA群馬厚生連代表理事会長を歴任。 ライフアドバイザーの強化や地域住民への普及活動などを効果的に展開し、4年連続で推進目標を達成するなどの実績を上げる[要出典]。
加藤 芳郎(かとう よしろう、1925年〈大正14年〉6月2… 加藤 芳郎(かとう よしろう、1925年〈大正14年〉6月25日 - 2006年〈平成18年〉1月6日)は、日本の漫画家、放送タレント。 東京府豊多摩郡代々幡町(のちの東京都渋谷区)生まれ。8人兄弟の6番目。父親は岩手県胆沢郡水沢町(のちの水沢市→奥州市水沢区)出身で、東京市役所に勤務していた。母親は埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(のちの川口市→鳩ヶ谷市→再度川口市に復帰)の出身。加藤は幼いころから絵を描くのが好きで、父親は加藤の描く絵を見ては「美術学校に入れてやろう」とほめるのが常だったという。また、『のらくろ』『冒険ダン吉』などの児童漫画作品に親しんだ。加藤が10歳の頃に父親が定年を迎え、嘱託契約に切り替わって以降は、兄たちが家財を質入れして食料を調達するなど、生活が苦しくなり、美術学校入りの夢はいったん断念する。
長谷川 公之(はせがわ きみゆき、1925年6月25日 - … 長谷川 公之(はせがわ きみゆき、1925年6月25日 - 2003年6月15日)は、日本の脚本家、美術評論家。 東京都生まれ。旧制府立高等学校を経て、千葉医科大学医学部卒業。警視庁刑事部鑑識課法医学室に勤務した経験を活かして、科学捜査と論理的な推理を基本にした東映の『警視庁物語』シリーズ24作品やTBSテレビの『七人の刑事』など数々のテレビドラマの脚本を書いた。映画の原作となる小説や映画のノベライズ作品も書いている。一方、美術評論家としても知られる。 日本シナリオ作家協会、日本推理作家協会、東洋陶磁学会、各会員。 1950年、警視庁に入庁し、刑事部鑑識課法医学室で検死作業に従事する。一方、学生時代の著作が映画化されたことをきっかけに脚本家としての活動を並行し、警視庁総務部広報課をへて、1957年に筆業に専念するため警視庁を退職した。
鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 20… 鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 2004年3月5日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、経営者。1940年代から1950年代の日本を代表する右ウイング。 神戸市立西灘小学校、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高校)を経て、1944年に関西学院大学経済学部に入学。在学中はサッカー部に所属し、関西学生サッカーリーグなどで優勝した。 1950年3月に大学を卒業後、1950年4月に田辺製薬(現:田辺三菱製薬)に入社。サッカー部では、賀川太郎とのコンビで活躍し、全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝に貢献。また、杉本茂雄らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)で4回の優勝の優勝に貢献した。
筒井 敬三(つつい けいぞう、1925年6月24日 - 19… 筒井 敬三(つつい けいぞう、1925年6月24日 - 1959年12月6日)は、和歌山県出身の元プロ野球選手(捕手)。
中野 貞一郎(なかの ていいちろう、1925年〈大正14年〉… 中野 貞一郎(なかの ていいちろう、1925年〈大正14年〉6月24日 - 2017年〈平成29年〉2月20日)は、日本の法学者。専門は民事手続法。学位は法学博士(大阪大学・1972年)。大阪大学名誉教授。位階は正四位。勲等は勲二等。日本学士院会員。弁護士。小野木常門下。 大阪大学法学部教授、大阪大学法学部学部長、奈良産業大学法学部教授、奈良産業大学法学部学部長、京都産業大学大学院法務研究科教授などを歴任した日本の法学者・弁護士である。専門は民事訴訟法。1925年(大正14年)6月24日生まれ。大阪府出身。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1972年)((学位論文「強制執行の研究」)。1988年(昭和63年)西ドイツ・ザールラント大学名誉法学博士。
石倉 孝昭(いしくら たかあき、1925年(大正14年)6月… 石倉 孝昭(いしくら たかあき、1925年(大正14年)6月23日 - 2019年(令和元年)11月19日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。松江市長。 島根県松江市出身。中央大学法学部卒。1945年、松江市役所に入る。総務部長を経て、助役に就任する。1986年松江市総合文化センター館長になる。1989年の松江市長選挙に立候補して当選する。1993年の市長選挙で再選を目指したが、宮岡寿雄に敗れた。2011年、旭日双光章受章。 2019年11月19日、内臓疾患のため自宅で死去。94歳没。死没日をもって正六位に叙される。
川田 侃(かわた ただし、1925年6月22日 - 2008… 川田 侃(かわた ただし、1925年6月22日 - 2008年2月14日)は、日本の経済学者(国際経済学・国際関係論)。位階は従四位。勲等は勲二等。学位は経済学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、上智大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学社会科学研究所研究員、東京大学教養学部助教授、東京大学経済学部教授、上智大学外国語学部教授、フェリス女学院大学教授などを歴任した。 1925年6月22日、栃木県栃木市生まれ。父の川田準一郎は東京帝国大学法科大学卒の弁護士。旧制東京高校、東京大学経済学部卒業。高校教諭を経て、国際経済学や国際関係論を専門とする経済学者となった。東京大学社会科学研究所研究員、東京大学教養学部助手・助教授、東京大学経済学部助教授・教授、上智大学外国語学部教授、フェリス女学院大学教授を歴任。
櫟 信平(いちい しんぺい、1925年6月22日 - 200… 櫟 信平(いちい しんぺい、1925年6月22日 - 2008年6月10日)は京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
中村 弘海(なかむら こうかい、1925年(大正14年)6月… 中村 弘海(なかむら こうかい、1925年(大正14年)6月21日 - 2008年(平成20年)11月30日)は、昭和時代後期の日本の政治家、企業経営者。
浦田 勝(うらた まさる、1925年6月20日 - 2026… 浦田 勝(うらた まさる、1925年6月20日 - 2026年3月5日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。元熊本県議会議員(6期)。田中派。
濱尾 実(はまお みのる、1925年6月20日 - 2006… 濱尾 実(はまお みのる、1925年6月20日 - 2006年10月25日)は、日本の侍従、皇室解説者、作家、教育者。子爵。東宮侍従や東宮傅育官を務めた。作家としては浜尾 実(読み同じ、新字体)の名義で著書を多く残した。 東京大学工学部応用化学科卒業。熱心なカトリック信者で、1946年(昭和21年)12月21日に東京の世田谷教会で受洗した。洗礼名はセバスチアノ。 1945年(昭和20年)に兄・誠が戦死すると、爵位を継いで子爵となった。1951年(昭和26年)に東宮傅育官として皇太子明仁親王に仕え、その後東宮侍従となってからは浩宮徳仁親王・礼宮文仁親王兄弟の幼少時の教育に当たった。多忙な皇太子夫妻に代わって、親王の学校行事・面談に出席することもあった。
黒川 洸(くろかわ ひかる、1925年6月19日 - 199… 黒川 洸(くろかわ ひかる、1925年6月19日 - 1998年12月28日)は、日本の実業家。テレビ愛知の初代社長を務めた。 石川県出身。海軍兵学校卒業。戦後の1951年に、早稲田大学政治経済学部卒業。同年、日本経済新聞社に入社。ロンドン特派員、編集局次長などを経て、1976年から取締役に就任。1982年に設立されたテレビ愛知の社長を1982年12月から1991年6月までに務めた。1991年6月から1993年6月までに会長を務めた。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年12月28日、心不全のため死去。73歳没。
田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1… 田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1925年(大正14年)6月19日 - 1991年(平成3年)9月27日)は、日本の陶芸家。萩焼の第一人者。 1925年6月19日、山口県長門市に生まれる。1944年、旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。1945年、シベリアに抑留され、1948年に復員。復員後は長兄の11代田原陶兵衛に師事。1956年、長兄の急逝により12代陶兵衛を襲名する。 1969年、第16回日本伝統工芸展に「萩茶碗」を初出品。翌年、日本工芸会正会員となり、1981年から1988年まで同会理事を務める。1981年、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。
丸川 武志(まるかわ たけし、1925年〈大正14年〉6月1… 丸川 武志(まるかわ たけし、1925年〈大正14年〉6月18日 - 2007年〈平成19年〉2月19日)は、日本の電気工学者であり、教育者である。逓信省で電波研究を行った後、防衛大学校の教授を務めた。退官後、防衛大学校名誉教授となる。岡山県出身。位階は従四位、勲三等瑞宝章に叙されている。 1925年(大正14年)岡山県に出生する。1938年(昭和13年)旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1943年(昭和18年)同校を卒業を経て、茨城県にある日立製作所が設立した多賀高等工業学校(現:茨城大学工学部)へ進学する。 同校では、電気通信学を専攻し、多賀高等工業学校が途中で多賀工業専門学校と名称を変更し、電気通信科が新設され、丸川はそこに所属する。
伊藤 武(いとう たけし、1925年 <大正14年> 6月1… 伊藤 武(いとう たけし、1925年 <大正14年> 6月17日 – 1994年 <平成6年> 10月13日)は、日本の政治家、実業家。 自衛隊を経て浜松自動車学校をはじめとする浜自グループを創業し、浜松市議会議員を経て静岡県議会議員、静岡県議会議長(第74代)などを歴任した。静岡県で初の民間指定自動車教習所を立ち上げ、浜松市議会では国道一号バイパスの建設促進に努め、静岡県議会では企画商工委員会、公害対策特別委員会、交通安全対策特別委員会、産業振興対策特別委員会の各委員長を歴任し、東名高速道路の浜松西インターチェンジの建設促進や浜松医科大学の誘致に尽力した。 静岡県出身。磐田市見付中学校を卒業し、早稲田大学に進学した。
佐田 武夫(さた たけお、1925年〈大正14年〉6月16日… 佐田 武夫(さた たけお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2008年〈平成20年〉11月9日)は、日本の実業家。元佐田建設社長。佐田一郎元参議院議員の娘婿で、息子は佐田玄一郎元衆議院議員。 バブル期には勢いに乗って好調な業績を維持したが、不幸にも建設業界の不況の波に飲み込まれてしまった。スポーツ社長として知られ、特にバスケットボールには造詣が深く、自社でチームを運営する傍ら、日本クラブバスケットボール連盟では会長を長年務めていた(晩年は名誉会長)。 1925年(大正14年)、群馬県勢多郡粕川村(現・前橋市)に、松村瑳一郎の五男として生まれる。1942年(昭和17年)群馬県立前橋工業学校を卒業。
平井 俊彦(ひらい としひこ、1925年6月16日 - 20… 平井 俊彦(ひらい としひこ、1925年6月16日 - 2003年6月5日)は、日本の経済学・社会思想史学者。京都大学名誉教授。 神戸市生まれ。1948年京都帝国大学経済学部卒、1951年京都大学大学院経済学研究科修了。1964年「ロックにおける人間と社会」で京大経済学博士。1951年京都大学経済学部講師、1957年助教授、1968年教授。1975年経済学部長。1989年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学教授、副学長、2000-2002年学長を務めた。第11期、第12期日本学術会議会員。2002年勲二等瑞宝章受勲。
西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 201… 西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 2019年11月2日)は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 東京市本郷区(現東京都文京区)に生まれる。1944年、第一高等学校理科卒業。1947年、東京帝国大学理学部地理学科卒業、同副手。1949年,助手。1955年から1958年まで西ドイツのボン大学に留学。1958年、東京大学教養学部助教授。1961年、「日本における自然地域の変貌」で東京大学理学博士。1971年、教授。1986年、定年退官、名誉教授、立正大学教授。1996年、退職。その後も、富士学会名誉会長などを務めていた。2005年、瑞宝中綬章受章。 2019年11月2日13時38分、急性腎不全のため東京都多摩市の病院で死去。
加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16… 加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2020年〈令和2年〉6月14日)は、日本の俳優、声優、漁師。本名同じ。東宝を経て、新星プログループに所属していた。神奈川県出身。 1925年6月16日、神奈川県鎌倉市長谷に生まれる。 石川島航空工業青年学校(のちの石川島工業高等学校)を経て、1946年、鎌倉アカデミア演劇科に入学。1949年、卒業。卒業後は、一時漁師を務めていた。 1950年の準専属契約(同期は今井和雄、緒方燐作など)を経て、1954年に東宝と専属契約する。大部屋俳優として、ノンクレジットも含めて、多数の映画に出演。 1971年の東宝専属俳優廃止後は、新星プロに所属。
相賀 徹夫(おうが / おおが てつお、1925年〈大正14… 相賀 徹夫(おうが / おおが てつお、1925年〈大正14年〉6月15日 - 2008年〈平成20年〉12月21日)は、日本の実業家。小学館第2代社長、株式会社集英社初代会長、日本書籍出版協会理事長、日本雑誌協会理事長。昭和から平成までの54年間にわたって社長(1938年 - 1992年)を務めた小学館中興の祖。 小学館の初代社長相賀武夫とその妻ナヲの長男として東京に生まれる。1938年、父の死去に伴い13歳で社長職を継いだ。 成蹊小学校、旧制成蹊高等学校(文科甲類)卒業後、東京帝国大学文学部宗教学科で和辻哲郎に師事。在学中、1945年に小学館を株式会社へ改組。1947年に大学を中退して家業に専念する。
藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 20… 藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 2004年2月28日)は、日本の哲学者・西洋古典学者。専攻はギリシア哲学。京都大学名誉教授。京都国立博物館館長を歴任。1993年紫綬褒章。1998年叙勲二等授瑞宝章。2004年没時叙正四位。 1925年、母の実家のある長野県松本市で生まれた。国鉄官僚の父の転任にともなって各地を転々とした。旧制広島第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)に入学し、上級生だった頃に西洋絵画集を購入。ラファエロの大作『アテナイの学堂』のプラトンとアリストテレスの部分を切り取り、部屋に飾った。北村透谷の「ホメロス在りし時、プラトン在りし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり」という美文とあいまって、第三高等学校 (旧制)の受験勉強の気休めにしていたのが、哲学への憧憬の始まりだったと回想している。
近江谷 左馬之介(おうみや さまのすけ、1925年6月14日… 近江谷 左馬之介(おうみや さまのすけ、1925年6月14日 - 1999年10月11日)は、マルクス経済学者。元九州大学経済学部教授。 神奈川生まれ。小牧近江(本名:近江谷駧)の長男。1948年東京大学経済学部経済学科卒業。東京大学社会科学研究所に勤務。1949年6月-1952年3月東京大学社会科学研究所助手。1955年6月九州大学経済学部助教授。のち九州大学経済学部教授を経て、『現代の世界』編集長。 向坂逸郎の門下生で、社会主義協会に所属した。九大在職中の向坂が東京滞在中に自宅で開いていた『資本論』の研究会に参加していた。1985年6月に社会党の綱領等基本問題検討委員会の新宣言作業小委員会が宣言草案「日本社会党の新宣言――愛と知と力のパフォーマンス」を取りまとめた際、社会主義協会は機関誌『社会主義』の緊急号外「日本社会党の新宣言(草案)批判」を発行し、近江谷『社会主義』編集長を委員長とする「『新宣言』に関する小委員会」作成の論文という形で「新宣言」を全面的に批判した。
山内 静夫(やまのうち しずお、1925年6月13日 - 2… 山内 静夫(やまのうち しずお、1925年6月13日 - 2021年8月15日)は、日本の映画プロデューサー。 里見弴(小説家)の四男として神奈川県鎌倉市に生まれる。父は小津安二郎と親交があり、山内は二人の語らいを若い頃から耳にしていた。旧制湘南中学校、応召後に1948年慶應義塾大学経済学部卒業後、松竹大船撮影所に製作部として入社、小津映画の製作に当たった。1956年『早春』製作、1958年、父原作の『彼岸花』製作、1960年『秋日和』製作、1962年「秋刀魚の味」製作。 1966年から1967年にかけて東京放送(現:TBSテレビ)にて放映された青島幸男主演のテレビドラマ『泣いてたまるか』のプロデューサーを担当した。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
川添 利幸(かわぞえ としゆき、1925年〈大正14年〉6月… 川添 利幸(かわぞえ としゆき、1925年〈大正14年〉6月11日 - 2022年〈令和4年〉8月22日)は、日本の法学者。専門は憲法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。指導学生に山下威士、畑尻剛、石川敏行、工藤達朗らがいる。 新潟県出身。1950年中央大学法学部卒業。 同法学部助手。1954年同法学部専任講師。1954年同法学部助教授。1962年同法学部教授。1964年同大学院法学研究科教授。1966年ドイツ・エバーハルト・カール大学テュービンゲンにて在学研究。1969年中央大学評議員。1973年中央大学法学部長・同大学院法学研究科委員長。中央大学理事。1977年同法学部長( - 1979年)。
池田 力(いけだ つとむ、1925年6月10日 - 没年不明… 池田 力(いけだ つとむ、1925年6月10日 - 没年不明)は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生中学校から全桐生、日本大学を経て、1949年に東急フライヤーズへ入団。1951年に退団し、その後は大生相互銀行でプレーした。
石川 武(いしかわ たける、1925年6月10日 - 199… 石川 武(いしかわ たける、1925年6月10日 - 1997年4月3日)は、日本の経営者。大正海上火災保険社長、会長を務めた。東京都出身。 1950年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に大正海上火災保険(現在の三井住友海上火災保険)に入社。 1974年に取締役に就任し、1976年に常務、1978年7月に専務を経て、1982年7月には社長に就任。1990年6月に会長に就任。 1997年4月3日呼吸不全のために死去。71歳没。
山口 開生(やまぐち はるお、1925年6月8日 - 200… 山口 開生(やまぐち はるお、1925年6月8日 - 2008年12月30日)は、日本の実業家。第2代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。同社元会長。