鵜澤 飛羽(うざわ とわ、2002年11月25日 -)は、日… 鵜澤 飛羽(うざわ とわ、2002年11月25日 -)は、日本の短距離走選手。200メートル競走を専門としている。 宮城県出身。宮城県築館高等学校、筑波大学を経て日本航空所属。中学時代に野球をしていた経験がある。 2023年にアジア陸上競技選手権大会と日本陸上競技選手権大会で優勝した。同年、世界選手権にも出場し、準決勝に進出した。 2024年にはオリンピックに出場し、準決勝に進出した。 2025年にはアジア陸上競技選手権大会に出場し、20秒12の自己ベストで2連覇を達成した。
鈴木 史哉(すずき ふみや、2002年4月18日 - )は、… 鈴木 史哉(すずき ふみや、2002年4月18日 - )は、宮城県栗原市出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 ベガルタ仙台のアカデミー出身。2019年5月、トップチームに2種登録され、同月22日、ルヴァンカップ・グループステージ第6節の柏レイソル戦で途中出場し、トップチームデビューした。 2019年6月にはuー17日本代表に選出され、同月6日-16日にアルゼンチンで開催された交流大会に参加した。 2020年2月、トップチームに2種登録された。 ベガルタ仙台ユースの後は、阪南大学でプレーした。 2024年12月3日、東北社会人サッカーリーグのコバルトーレ女川に入団することが発表された。
大畑 空宇(おおはた くう、1996年10月24日 - )は… 大畑 空宇(おおはた くう、1996年10月24日 - )は、宮城県栗原市出身で、時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長186.5cm、体重160.1kg、血液型はO型。最高位は西幕下31枚目(2019年3月場所・2022年1月場所)。 初めて廻しを締めたのは小学校3年生の時だが、地元の瀬峰ちびっこ相撲クラブに入って相撲を始めたのは小学校6年生の時である。中学校は相撲部のある栗原市立栗駒中学校に通った。小牛田農林高校では1年次から高校総体などの団体戦に出場し、3年次には金沢大会で個人戦ベスト32などの成績を残している。高校在学中に、相撲部の監督の大学時代の先輩が16代時津風(元幕内・時津海)という縁で時津風部屋に入門し、2014年11月場所で初土俵を踏んだ。
小野寺 諒(おのでら りょう、1995年11月15日- )は… 小野寺 諒(おのでら りょう、1995年11月15日- )は、日本のマニピュレーター、トラックメーカー。アーティストとしての名義はDERA(でら)。愛称は「デラッチ」「デラちゃん」「デラックス」、GLAYのTERUからは「ブロッコリー」と呼ばれている。 血液型はA型。宮城県栗原市(旧栗原郡金成)出身。 実家は美容室を経営。 岩手県一関市の病院で生まれ、一時幼少期を宮城県仙台市で過ごし、学生時代の大半を同県の栗原市(旧栗原郡金成)で過ごした。 現在は東京在住で、主にコンサート現場でマニピュレーターとして活動し、数々のアーティストのツアーに参加している。 THE RAMPAGE from EXILE TRIBERMPG PEEPS -LIVE WITH YOU 2020-https://tower-s.com/works/live/276/
菅原 辰徳(すがわら たつのり、1993年1月28日 - )… 菅原 辰徳(すがわら たつのり、1993年1月28日 - )は、地方競馬の岩手県競馬組合・水沢競馬場瀬戸幸一厩舎所属の騎手。宮城県栗原市出身。 妻は同じ岩手県競馬組合・水沢競馬場に所属していた元騎手・鈴木麻優。 「辰徳」の名前は、父親がファンであったプロ野球の原辰徳にちなんで名付けられた。小さい頃から父親に連れられて水沢競馬場に通うにつれ、騎手という職業に興味を持ち、地方競馬教養センター(第88期生)を経て、2010年4月17日水沢競馬第1レースで初騎乗(ダブルフィーバー/3番人気4着)。2010年5月24日盛岡競馬第3レースで初勝利(コンゴウフクフク/4番人気)。 地方通算成績は3860戦169勝(うち重賞2勝)・2着217回・3着288回・勝率4.4%・連対率10.1% (2016年6月12日現在) この項目は、競馬に関連した書きかけの項目です。
三橋 亜記(みつはし あき、1989年9月12日 - )は、… 三橋 亜記(みつはし あき、1989年9月12日 - )は、日本の女子フィールドホッケー選手。ポジションはFW。宮城県栗原市出身。ロンドン五輪ホッケー女子日本代表。 小学校の頃は6年間、父が指導していたサッカークラブに所属した。 栗原市立築館中学校入学後、フィールドホッケーを始める。元ホッケー男子日本代表の山田健一から指導を受け当初からスピードを生かしたFWして活躍、在学中にチームを全日本中学生選手権初優勝に導いている。 高校は宮城県築館高等学校に進学する。在学中に18歳以下の日本代表に選出されている。 2008年、強豪・山梨学院大学へ進学する。在学中にさくらジャパンに選出され、大学4年時には全日本大学王座決定戦で優勝した。
リアラ(1989年3月23日 - )は、日本の女性プロレスラ… リアラ(1989年3月23日 - )は、日本の女性プロレスラー。宮城県栗原市出身。P.P.P.TOKYO所属。血液型B型。 警察官の父と銀行勤めの母の元に生まれる。歳の離れた兄が2人居り、祖父が学校長、その他親族がほぼ全員公務員という環境で育った。習字やそろばんを習い、中学時代は吹奏楽部、高校時代は茶華道部に入っていた一方、運動については体育の授業を仮病で休むほど嫌っていた。 プロレスには小学校4年生の頃、格闘技ファンの父と12歳上の兄に影響され、『ワールドプロレスリング』を見たのがきっかけでのめり込むようになる。当時は「大仁田劇場」が注目を集めていた時期で、番組を視聴をしたり、専門誌を読み漁るなどしているうちにプロレスそのものに魅了されていった。
佐藤 弘祐(さとう こうすけ、1985年11月29日 - )… 佐藤 弘祐(さとう こうすけ、1985年11月29日 - )は、宮城県栗原市出身の元プロ野球選手(捕手)、指導者。 東北高校在学中に主にバッテリーを組んでいた投手が、1学年上の高井雄平、1学年下のダルビッシュ有と、いずれも高校卒業時にドラフト1巡目指名された好投手であった。その結果、彼らの速球を捕球するために特に守備能力が鍛えられ、恵まれた体格と相まって、高校生レベルでは守備力・特に捕球能力の評価が非常に高く、また肩の強さの評価も高かった。3年生時には春、夏の甲子園に連続出場、夏の甲子園ではダルビッシュ・真壁賢守の後輩投手をリードしてチームを準優勝に導く。 2003年のドラフト会議で読売ジャイアンツに7巡目で指名を受けて入団する。
佐藤 和哉(さとう かずや、1984年4月22日 - )は、… 佐藤 和哉(さとう かずや、1984年4月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 宮城県栗原市出身。ジュニア代表として2002年のアジアジュニアに出場。東北高校から東海大学へ進学し、大学卒業後の2007年にVプレミアリーグの豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に入団した。チームではミドルブロッカーを務め、2011-12シーズンをもって現役引退し、コーチに就任した。現在はスタッフを担当している。
狩野 英孝(かの えいこう、1982年〈昭和57年〉2月22… 狩野 英孝(かの えいこう、1982年〈昭和57年〉2月22日 - )は、日本のお笑いタレント、YouTuber、ミュージシャン、俳優、神職。マセキ芸能社所属。芸風はナルシシストキャラによる1人コント、クセの強い歌ネタ、リアクション芸が特徴。ミュージシャンとしては、主に『ロンドンハーツ』のドッキリ企画から誕生した50TA(フィフティーエー)として活動。第39代櫻田山神社神主。 宮城県泉市(現:仙台市泉区)生まれ、栗原郡栗駒町(現:栗原市)育ち。弟は放送作家の狩野孝彦。幼少期を泉市、黒川郡富谷町(現:富谷市)で過ごしたが、父が神職の資格を取得したことを機に、父の実家である櫻田山神社へ転居した。 鷹乃杜幼稚園、栗駒町立尾松小学校(現:栗原市立栗駒南小学校)、栗駒町立栗駒中学校 (現:栗原市立栗駒中学校)、宮城県築館高等学校卒業。
後藤 慶悟(ごとう けいご、1977年7月14日 - )は、… 後藤 慶悟(ごとう けいご、1977年7月14日 - )は、日本のラグビー指導者。 宮城県築館高等学校、日本体育大学卒。2000年、リコーブラックラムズへと入団。2010年はアシスタントパフォーマンスコーチ兼任という形でプレーし、同年を以って引退した。 2022年、昌平高校ラグビー部監督に就任。2年間務めた。
高橋 千恵美(たかはし ちえみ、1976年2月16日 - 、… 高橋 千恵美(たかはし ちえみ、1976年2月16日 - 、現姓・市橋(いちはし))は、日本の管理栄養士。元陸上競技(長距離走・マラソン)選手。既婚。 宮城県栗原郡若柳町(現・栗原市)出身。陸上競技の名門だった聖和学園高等学校在学時には、全国高校女子駅伝に1年時の1991年と3年時の1993年の2度出場している。1991年、1年時の同駅伝大会ではエース区間1区6kmを走り、区間賞19:42をマークした宮崎安澄(筑紫女学園2年)、19:50の永井明子(西脇工業3年)に次ぐ19:51をマークし同タイムの中人幸子(市立船橋1年)をコンマ差でかわし区間3位であった。1993年、3年時の同駅伝大会でも1区を走り、同1区区間新の19:17をマークしたエスタ・ワンジロ(仙台育英2年 )を最終盤で抜き一時トップに立ったものの最後に抜き返され、5秒差の19:22で区間2位であった。
栗原 知子(くりはら ともこ、1975年 - )は、日本の詩… 栗原 知子(くりはら ともこ、1975年 - )は、日本の詩人、小説家。宮城県栗原市生まれ、千葉県在住。明治大学文学部卒業。 中学生のころから萩原朔太郎を愛読。大学では日本文学を専攻し、詩を書き文芸誌やコンクールに応募。大学在学時に世田谷文学賞で二席をとる。 『ユリイカ』誌において2001年の「ユリイカの新人」に選ばれ、2003年に初の詩集『シューティング・ゲーム』を刊行。2012年、第二詩集となる『ねこじゃらしたち』が刊行される。2013年、第11回千葉市芸術文化新人賞を受賞。 2025年、「フェイスウォッシュ・ネクロマンシー」(前田知子名義)で第41回太宰治賞を受賞して小説家デビュー。同年、「コスモス」で第5回更級日記千年紀文学賞優秀賞。
瀬川 誠(せがわ まこと、1974年11月26日 - )は、… 瀬川 誠(せがわ まこと、1974年11月26日 - )は、宮城県栗原郡築館町(現・栗原市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。 2001年限りで現役引退。2002年よりベガルタ仙台スクールコーチ、2006年よりベガルタ仙台育成部コーチを務める。また、2008年4月からは、左アキレス腱断裂の重傷を負った渡邉晋コーチの代役としてトップチームの練習にも参加した。 2010年より、ベガルタ仙台からの派遣という形で仙台大学コーチに就任。実質的にチームの指揮を執っている。公認A級ライセンス所持。 2011年3月11日、東日本大震災発生から約30分後に長男が誕生した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。
宮藤 官九郎(くどう かんくろう、1970年〈昭和45年〉7… 宮藤 官九郎(くどう かんくろう、1970年〈昭和45年〉7月19日 - )は、日本の脚本家、ラジオパーソナリティ、俳優、映画監督、演出家、作詞家、作曲家、放送作家、ミュージシャン、濡れ場評論家。劇団大人計画所属。愛称は「クドカン」「クン」。ロックバンド・グループ魂のギタリストとしての名義は暴動(ぼうどう)。パンクバンド画鋲のギタリスト。 宮城県栗原郡若柳町(現在の栗原市)出身。本名は宮藤 俊一郎(くどう しゅんいちろう)。身長176.5cm。妻は振付師の八反田リコ。 実家は文具店を経営。父は教員であり、校長を務めたこともある。年の離れた姉が2人いる。 幼少時から文才を発揮し朝日新聞主催の作文コンクールで2年連続の県予選入賞歴がある。
菅原 美話(すがわら みわ、1967年7月19日 - )は、… 菅原 美話(すがわら みわ、1967年7月19日 - )は、宮城県栗原郡栗駒町(現・栗原市)出身のローカルタレント。宮城県を中心に活動している。MOCプランニング所属。かつては菅原 美和の名で活動していた。娘は女優で元AKB48メンバーの岩田華怜。親戚に原田大二郎がいる(夫の母親の弟)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
櫻田 淳(さくらだ じゅん、1965年1月29日 - )は、… 櫻田 淳(さくらだ じゅん、1965年1月29日 - )は、日本の政治学者。東洋学園大学教授。専門は国際政治学、安全保障。日本国際フォーラム政策委員。雪斎とも。 宮城県栗原市で生まれ、南部地方で育つ。青森県立八戸第一養護学校中学部(出生時以来の脳性小児麻痺で身体障害者手帳2級と認定)から青森県立八戸高等学校に進み、北海道大学法学部を卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了。 愛知和男衆議院議員の政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科非常勤講師、東洋学園大学現代経営学部専任講師を務める。2005年9月、愛知が衆議院議員に返り咲いたため政策担当秘書に復帰し、東洋学園大学兼任講師となった。
おかやま はじめ(1964年〈昭和39年〉4月22日 - )… おかやま はじめ(1964年〈昭和39年〉4月22日 - )は、日本の俳優。宮城県栗原市出身。宮城県築館高等学校、大東文化大学経済学部経営学科1987年度卒業。 大学在学中に同大学の劇団「劇団虚構」に照明係として入り、そのうち役者としても活動した。のち、在学中に劇団ラッパ座に入団した。そのまま30歳を迎え、「今さら就職も難しい。そこでプロの俳優としてやっていこうと腹を括ったのです。」と語っている。 藤賀事務所→2023年よりファザーズコーポレーション所属。劇団ラッパ屋の団員。趣味でフットサルチームに所属している。 大学の語学ではインドネシア語を専攻していたが、インドネシア語専攻は計4人しかいなかった。
三浦 明博(みうら あきひろ、1959年5月28日 -)は、… 三浦 明博(みうら あきひろ、1959年5月28日 -)は、日本の小説家、コピーライター。 宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身。宮城県築館高等学校、明治大学商学部卒業。仙台市の広告会社でコピーライターとして勤務後、1989年に独立。現在はフリーランスで活動している。 2000年、シンククエスト@ジャパン学際部門、小学生向けのインターネット環境教育ソフト『ふしぎのとびら』でプラチナ賞受賞。同年、第46回江戸川乱歩賞最終候補。 2002年、「亡兆のモノクローム」(刊行時『滅びのモノクローム』に改題)で第48回江戸川乱歩賞を受賞しデビューする。
蘇武 幸志(そぶ こうし、1959年1月27日 - )は、元… 蘇武 幸志(そぶ こうし、1959年1月27日 - )は、元男子バレーボール選手。ロサンゼルス五輪全日本男子代表。 宮城県鴬沢町(現栗原市)出身。鴬沢町立細倉中学校(現鴬沢中学校)、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校電気科、日本体育大学体育学部のバレーボール部で活躍。 日体大時代は、1980年に関東大学リーグ戦春秋優勝、全日本大学選手権準優勝を経験。1978年と1980年に日米対抗に出場。1981年にルーマニアで開かれたユニバーシアードにも出場し3位となった。 1981年4月、実業団富士フイルムへ加入。日本リーグは1982年、1984年、1985年で優勝を経験し、山田修司らと黄金時代を築いた(84~85年は富士フイルム5連覇の最初の2年間)。
髙望山 大造(こうぼうやま だいぞう、1957年8月15日 … 髙望山 大造(こうぼうやま だいぞう、1957年8月15日 - )は、宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身で高嶋部屋と熊ヶ谷部屋に所属した元大相撲力士。本名は蓬田 光吉(よもぎだ こうきち)。最高位は西関脇(1984年1月場所)。現役時代の体格は179cm、145kg。得意手は突き、押し、もろ差し、寄り。 現在は、年寄・高島(高嶋)である。 肉牛を飼育する農家の三男として生まれた。蓬田兄弟は全員運動神経に長けていて、長兄と弟は相撲が、次兄はバレーボールが得意であった。築館中学校に入学してから本格的に相撲を始め、中学時代は2年連続して全国中学相撲選手権大会の宮城県予選の個人戦で優勝という実績を残した。
佐藤 智(さとう さとし、1957年(昭和32年)3月8日 … 佐藤 智(さとう さとし、1957年(昭和32年)3月8日 - )は、日本の政治家。宮城県栗原市長(2期)。 宮城県栗原郡築館町(現・栗原市築館)出身。1975年、宮城県築館高等学校卒業。同年築館町役場に勤務する。2005年築館町は合併により栗原市となったが、引き続き栗原市役所に勤務する。同市企画部行政管理課長、総務部人事課長、総務部財政課長、総務部次長兼財政課長、教育部長、総務部長を経て、2015年に副市長となる。 2017年の栗原市長選挙では勇退する佐藤勇の後継者として立候補したが、中学と高校の同級生だった元栗原市議の千葉健司に42票差で敗れた。4年後の2021年の市長選挙で再び立候補、前回と同じ現職の千葉との一騎打ちとなり、1484票差で雪辱を果たし初当選。
千葉 健司(ちば けんじ、1956年〈昭和31年〉9月25日… 千葉 健司(ちば けんじ、1956年〈昭和31年〉9月25日 - )は、日本の政治家。元宮城県栗原市長(1期)。元栗原市議会議員(1期)。 宮城県栗原郡築館町(現:栗原市築館)出身。祖父の千葉秋男も父の千葉徳穂もそれぞれ、築館町(2005年4月1日に9町村と合併し栗原市となる)長を務めた。築館町立築館中学校(現・栗原市立築館中学校)卒業。1975年(昭和50年)3月、宮城県築館高等学校卒業。1980年(昭和55年)3月、國學院大學法学部卒業。銀行に勤務。 2009年(平成21年)、栗原市議会議員に初当選。 2013年(平成25年)2月に市議を辞任。同年4月21日に行われた市長選挙に立候補するも、現職の佐藤勇に敗れる。
金田 諦應(かねた たいおう、1956年4月12日 - )は… 金田 諦應(かねた たいおう、1956年4月12日 - )は、日本の僧侶。曹洞宗通大寺住職。日本臨床宗教師会副会長。宮城県出身。 栗原市生まれ。1979年、駒澤大学仏教学部卒業。1982年、同大学院修士課程修了。2000年、通大寺の住職に就任。 東北大学大学院 実践宗教学寄附講座運営委員長。日本スピリチュアルケア学会会員。傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」主宰。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
柴山 育朗 (しばやま いくろう、1956年(昭和31年)1… 柴山 育朗 (しばやま いくろう、1956年(昭和31年)1月20日 - )は、日本の実業家、伊藤ハム代表取締役社長を務めた。 宮城県栗原郡若柳町(現栗原市)出身。宮城県築館高等学校を経て、1978年岩手大学農学部卒業、伊藤ハムデイリー入社。伊藤ハムデイリー東北工場製造部長を経て、2010年伊藤ハム取締役執行役員加工食品事業本部生産本部長に昇格。2015年伊藤ハム取締役常務執行役員加工食品事業本部長。 2016年から伊藤ハム代表取締役社長及び米久との経営統合で同年設立された伊藤ハム米久ホールディングス代表取締役副社長を務め、2015年にM&Aにより買収したニュージーランドの食肉企業を通じたグローバル化や、コスト削減を進めた。
佐々木 洋一(ささき よういち、1952年3月31日 - )… 佐々木 洋一(ささき よういち、1952年3月31日 - )は、日本の詩人。 宮城県栗原郡栗駒町(現・栗原市)生まれ。1969年「詩人会議」新人賞佳作入選。1971年第一詩集『4と童と永遠に』刊。1972年詩誌「野音」創刊に参加。詩誌「方」同人、「詩人会議」に加入。1994年日本現代詩人会に加入。1996年日本詩人クラブに加入。1998年第27回壷井繁治賞受賞。宮城県芸術選奨受賞。1999年第1回白鳥省吾賞選考委員となる。2000年県芸術祭文芸賞受賞。2001年H氏賞選考委員となる。
大空 遊平(おおぞら ゆうへい、1951年5月3日 - )は… 大空 遊平(おおぞら ゆうへい、1951年5月3日 - )は、日本のお笑い芸人。本名∶小野寺 正幸。宮城県金成町(現栗原市)出身。血液型:O型。出囃子は『わたり拍子』。 岩手県立花泉高等学校、東海大学中退。当初は落語家志望で、六代目蝶花楼馬楽の四番弟子として入門、前座名「楽三」と名乗るも、8か月で廃業。その後、大空ヒットに入門する。「大空遊平・泳平」のコンビで活動後となる1982年7月、大空ヒット・三空ますみ門下にて「大空遊平・大海かほり」を結成。浅草松竹演芸場で初舞台、1983年、テレビ朝日「ザ・テレビ演芸」第20代チャンピオンとなる。 1992年、落語協会に入会。1993年に第55回国立演芸場花形演芸会金賞を、1994年に第14回国立演芸場花形演芸大賞特別賞を、1996年に第51回文化庁芸術祭演芸部門芸術祭新人賞を受賞。
高橋 芳郎(たかはし よしろう、1949年8月31日 - 2… 高橋 芳郎(たかはし よしろう、1949年8月31日 - 2009年3月22日)は、日本の中国史学者。 宮城県栗原郡一迫町(現・栗原市)出身。宮城県築館高等学校卒、1972年東北大学文学部東洋史学科卒、1975年同大学院文学研究科博士課程中退、北海道大学文学部助手、1983年名古屋大学教養部講師、同助教授、1989年北海道大学文学部助教授、同教授、文学研究科教授。2002年「宋-清身分法の研究」で東北大学文学博士。
氏家 和男(うじいえ かずお、1949年 - )は、日本の弁… 氏家 和男(うじいえ かずお、1949年 - )は、日本の弁護士。仙台弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。仙台弁護士会所属。 昭和24年10月、宮城県栗原市に生まれる。昭和44年に宮城県築館高等学校卒業、昭和48年3月に東北大学教育学部を卒業し、昭和52年10月に司法試験合格する。昭和55年4月に弁護士登録し、仙台弁護士会に入会する。仙台弁護士会会長、日本弁護士連合会理事を経て平成19年4月から平成20年3月まで日本弁護士連合会副会長を務める。平成20年4月から日本弁護士連合会・民事裁判手続きに関する委員会委員、仙台弁護士会・偏在対策拠点事務所支援委員会委員長などを務めている
二階堂 正宏(にかいどう まさひろ、1948年2月10日 -… 二階堂 正宏(にかいどう まさひろ、1948年2月10日 - )は、日本の漫画家。 宮城県栗原郡若柳町(現在の栗原市)出身。宮城県若柳高等学校(現在の宮城県迫桜高等学校)、東京デザインカレッジ漫画科卒。「東京デザインカレッジ」の「漫画科」は、大人漫画の大家である近藤日出造が設立した日本初の漫画の学校で、1コママンガ・ナンセンスマンガの正統な系譜を継いでいる。 双葉社に入社後、日本初の週刊青年漫画誌である『漫画アクション』の創刊に編集者として参画する。『アクション』で3年務めた後、担当した漫画家である石森章太郎の勧めによりプロ漫画家へと転身する。 1970年代より『スーパースター・ババ』など極めて過激かつ下品な漫画を主に手掛けたが、各誌で掲載された「兵隊もの」の連作を集めて1977年にサイレントマンガ『アイアムソルジャー』を自費出版した。
松田 咲實(まつだ さくみ、1948年 - )は、日本の元声… 松田 咲實(まつだ さくみ、1948年 - )は、日本の元声優事務所・声優養成所経営者、マネージャー、芸能プロモーター。 元日本芸能マネージメント事業者協会副理事長。宮城県栗原市出身。 詩人を目指し上京、電話番のアルバイトとして東京俳優生活協同組合(俳協)に入社、マネージャー生活を送り、俳協とNHKプロモートサービス(現NHKプロモーション)との業務提携により設立された声優プロダクション「NPSテアトル」のマネージメント総責任者として兼務出向、1984年出向終了とともに俳協を退社し、アーツビジョン(アーツ)を設立。その後、1990年に付属養成所を日本ナレーション演技研究所とし、1997年には新たにグループ事務所としてアイムエンタープライズ(アイム)を設立した。
高野 ムツオ(たかの ムツオ、1947年7月14日 - )は… 高野 ムツオ(たかの ムツオ、1947年7月14日 - )は、宮城県出身の俳人。本名は高野睦夫。金子兜太の「海程」所属を経て佐藤鬼房に師事、鬼房の跡を継ぎ現「小熊座」主宰。2024年、現代俳句協会会長に就任。 岩ケ崎町(現栗原市)に生まれる。栗駒町立岩ヶ崎中学校、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校を経て、國學院大學文学部文学科を卒業。小学生のころより父に連れられて句会や吟行会に参加。10歳のころ、初の投句が句会で来町していた阿部みどり女の選に入る。中学時代には『河北新報』のみどり女選の俳句欄に投句、高校時代よりみどり女主宰の俳誌「駒草」に投句した。神奈川県の地方公務員として勤務する傍ら、国学院の夜間部では俳句研究会に入会し機関誌を発行。
星 吉昭(ほし よしあき、1946年3月16日 - 2004… 星 吉昭(ほし よしあき、1946年3月16日 - 2004年10月1日)は、日本のシンセサイザー奏者。姫神(旧:姫神せんせいしょん)としての活動で知られる。 宮城県栗原郡若柳町(現:栗原市)出身。1971年、ビクター電子音楽コンクールでグランプリ受賞。1980年、姫神せんせいしょん結成。翌年、シングル『奥の細道』でレコード・デビュー。シンセサイザーで表現した日本の原風景的音楽で注目を集める。 大学時代を東京で過ごしていた頃は、ディキシーランド・ジャズに傾倒していた。帰郷後、南部牛追唄をシンセサイザーで演奏できないかという発想を契機に、姫神せんせいしょんを結成する。 1984年、ユニット名を姫神と改め、ソロ・ユニットとして活動を始める。
みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、194… みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、1944年〈昭和19年〉12月13日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、俳優。 「らんぼう」という芸名はフランスの詩人アルチュール・ランボーにあやかったものである。 宮城県栗原郡志波姫町(現・栗原市)生まれ。プロボクシング元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平は娘婿に当たる。 1963年、宮城県築館高等学校卒業。1967年、法政大学社会学部卒業。その後、コピーライター、ラジオ台本作家を経て1971年、日活映画『ネオン警察 ジャックの刺青』の挿入歌『酔いどれ女の流れ唄』で作詞・作曲家としてデビュー。1973年に『ウイスキーの小瓶』で歌手デビューした。
能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )… 能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )は、日本の画家。東京都出身。 東京都浅草に5人兄弟の長男として生まれる。戦争のため母の実家のあった宮城県栗原郡築館町(現栗原市)に疎開し、そのまま移住した。父である能島康明は日展で活躍した日本画家であり、幼少の頃から日本画に触れる機会は多かった。少年時代から絵の才能を見出されており、当時の学校の先生から嫉妬を受け、筆を折るように言われたという話もある。 宮城県築館高等学校を卒業すると、東京に戻り多摩美術大学で日本画を学ぶ、奥田元宋に師事。大学在学中に日展に初入選、なおこれは最年少での入選記録となる。以降、日展特選を2回、日展会員賞、日展文部科学大臣賞、宮城県教育文化功労者、日本芸術院賞などを受賞した。
扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 - )… 扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 - )は、宮城県栗原郡金成町(現役当時、現・同県栗原市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 民雄(たかはし たみお)。 プロレスラーとして国際プロレスに籍を置いていた時期もあり、レスラー時代のリングネームは扇山 大五郎(おうぎやま だいごろう)であった。 大相撲時代の体格は177cm、103kg。プロレスラー時代の体格は178cm、105kg。力士としての自己最高位は、東前頭5枚目(1963年1月場所・1967年1月場所)。 中学校卒業後はパン屋で働いていたが、錣山親方(元関脇・若葉山鐘)にスカウトされた事がきっかけで時津風部屋へ入門し、1955年1月場所にて16歳で初土俵を踏んだ。
市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )… 市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。 参議院議員(3期)、農林水産副大臣(第1次小泉第2次改造内閣、第2次小泉内閣)などを歴任。 宮城県栗原郡鶯沢町(現在の栗原市鴬沢地区)出身。仙台第一高等学校卒業後、東京大学文科一類入学。1961年、東京大学法学部(私法コース)卒業と同時に建設省に入省する。国土庁防災局長、建設省都市局長、建設省総務審議官を経て、1993年に国土事務次官に就任し、翌1994年に退官。 1995年の第17回参議院議員通常選挙に無所属(新進党推薦)で宮城県選挙区から立候補し、初当選。当選後は新進党の参議院会派である平成会に所属したものの、最後まで新進党には入党しなかった。
中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉11月25日)は、日本の元男子フェンシング選手。元日本フェンシング協会会長。宮城県出身。 1927年1月17日、宮城県栗原郡若柳町にて誕生。宮城県築館中学校(現在の宮城県築館高等学校)に進学した。中嶋は走ることが子供の頃から好きであったため、中学校では陸上部へ入部する。中学校卒業後は明治大学へと入学。明治大学にて友人にフェンシングを誘われ当日明治大学にコーチをしていた森寅雄から「足が良いし、反射神経も中々良いぞ」と褒められ、その後本格的にフェンシング選手へとなった。明治大学に在学中チームの中心選手として活躍後、東北フェンシング連盟会長、日本フェンシング協会副会長などを経て、1999年から2002年に日本フェンシング協会会長を務めた。
津軽 芳三郎(つがる よしさぶろう、1923年8月26日 -… 津軽 芳三郎(つがる よしさぶろう、1923年8月26日 - 2021年1月28日)は、日本の地方公務員。宮城県副知事。 1923年、宮城県栗原郡金田村(現・栗原市)に生まれる。旧制宮城県築館中学、第二高等学校、東北帝国大学法文学部(法)卒。大学卒業後宮城県庁入り。企画、財政、人事の各部門を歴任し、教育長、総務部長を務めた。その後宮城県副知事、宮城県美術館館長を歴任。1994年、勲三等旭日中綬章を受章。2021年1月28日死去。従七位から従四位に進階。
新妻 元春(にいつま もとはる、1923年(大正12年)3月… 新妻 元春(にいつま もとはる、1923年(大正12年)3月23日 - 2007年(平成19年)6月12日)は、日本の洋画家。 宮城県栗原郡志波姫町に生まれる。 18歳から25歳まで軍属・軍人として過ごす。 1961年38歳の時、家族を宮城に残して単身千葉に住む。昼は土木作業、夜は絵を描く生活を続け、1965年家族を千葉に迎えて画業に専念。 師は奈良岡正夫(示現会会長・日展参与)で、1970年にテレビ出演していた奈良岡正夫の芸術に対する信念に感動して1971年に弟子入りした。 1972年第25回示現会展で「現場にて」が初入選、以後入選を重ね1975年第28回展では「閑日」が佳作賞を受賞。 1978年に会員となる。
富ノ山 等(とみのやま ひとし、1914年2月10日 - 1… 富ノ山 等(とみのやま ひとし、1914年2月10日 - 1945年10月30日)は、宮城県栗原郡築館町(現栗原市)出身で花籠部屋に所属した力士。本名は佐藤 等。最高位は西前頭4枚目。身長185cm、体重116kg。 1930年、花籠部屋から初土俵を踏む。序ノ口、三段目、幕下で優勝を経験し、3年で十両に昇進した。そのあと少し出世はゆっくりとなったが、1935年1月、20歳で新入幕を果たした。「富野山」に改名した1936年5月場所自己最高位となる西前頭4枚目まで上がるが、11戦全敗で終わった。「冨ノ山」に再改名した1937年5月場所十両に落ち、一時期素行不良で破門され、幕下付出で再出発したこともあった。
長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 199… 長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 1992年10月19日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。自由民主党衆議院議員。宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身。 旧制宮城県築館中学校(現・宮城県築館高等学校)、早稲田大学専門部政経科卒業後、1933年に九州日報社(現 ・西日本新聞社)に入社。記者として活躍。この頃、緒方竹虎、中野正剛との知遇を得て、両雄の下で政治のイロハを学ぶ。1945年、緒方が東久邇宮内閣の国務大臣に就任すると、その秘書官を務めた。内閣では総理大臣の東久邇宮稔彦王の「国民諸君から直接手紙をいただきたい」との意向のもとで緒方のアイデアにより国民からの投書を募っていたが、稔彦王がすべての手紙を読むわけにもいかず、「平衡感覚を持った人」たる元記者の長谷川が手紙の整理役を務めた。
御法川 正男(みのりかわ まさお、1912年または1913年… 御法川 正男(みのりかわ まさお、1912年または1913年 - 2005年1月29日)は、日本の実業家。フリーアナウンサー・みのもんたの父親にあたる。日国工業(現:ニッコク)の代表取締役会長を務めた。 宮城県栗原郡鶯沢町(現・栗原市)出身。自身は息子であるみのもんたに日国の社長を継いでもらうことを希望していたが、みのもんたは文化放送にアナウンサーとして入社。同局退社後、みのもんたは日国に入社した。 ニッコクによると、2005年1月29日8時32分、死去。92歳没。
佐藤 章(さとう あきら、1911年 - 1985年)は、日… 佐藤 章(さとう あきら、1911年 - 1985年)は、日本の素描画家。drawings Artist。素描画 エッチング画 スケッチ 元日本山林美術協会会員。 宮城県栗原郡高清水町(現・栗原市)に生まれる。 太平洋美術学校卒業。鶴田吾郎に師事。「素描は米の飯というべきもので、ぜいたくな料理がないときほど、日本人には飯の味がよくわかるものである」という鶴田の言葉に励まされ、戦前戦後を通じ素描画専門の制作を貫く。素描のもつ素朴さと、その直截的な表現力に惹かれ、20数年、日本の民家をモノクロームの世界で描き続けた。 発表は主に個展で戦前「川向う 素描展」など6回。戦中は「工場地帯」「裏街」等、工場地帯で働く少年工を描く。
菅原文哉 (すがわらぶんや、1906年-1977年4月) は… 菅原文哉 (すがわらぶんや、1906年-1977年4月) は、日本の都市計画家で、旧東京府や旧満州国で各地都市の都邑計画立案や改正都邑計画法起草に携わる。戦後は乞われて全国各地の総合都市計画立案に関わり、戦後日本の近代都市の基盤確立に従事していく。 宮城県栗原郡金田村生まれ。1923年に上京して東京府庁に入る。東京府では土木部建設事務所、都市計画課及び整地課に勤務。整地課時代は府下各地の土地区画整理基本調査と駒沢や上馬、下馬、練馬などの広範囲に及ぶ土地区画整理組合設立参画で事業実施の指導にあたる。その傍らで攻玉社工学校に進学し1927年に卒業後に東京府土木部に勤務を継続して帝都復興事業に従事しながら攻玉社高等工学校土木工学科に進学し、1931年に同校を卒業。
真砂石 三郎(まさごいわ さぶろう、1897年12月14日 … 真砂石 三郎(まさごいわ さぶろう、1897年12月14日 - 1944年3月7日)は、宮城県栗原郡栗駒町(現栗原市)出身で尾車部屋、峰崎部屋、片男波部屋、伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。本名は石川 三郎治。174cm、85kg。最高位は東前頭5枚目。 1916年5月尾車部屋より初土俵、その後兄弟子の三杦磯と行動をともにした。1920年5月十両昇進。1922年1月入幕し、この場所は優勝旗手を務めた。立合いの駆け引きがうまく、よく言えば「後の先」、悪く言えばペテン立ちの傾向があった。1927年10月に廃業してブラジルに渡り、料理店を経営。またブラジル相撲協会を立ち上げた。 陸奥ノ山→真砂石(1924年5月)
高橋 文五郎(たかはし ぶんごろう、1893年11月28日 … 高橋 文五郎(たかはし ぶんごろう、1893年11月28日 - 1978年3月19日)は、日本の実業家、政治家、参議院議員(2期、自由民主党)。 宮城県栗原郡若柳町(現・栗原市)出身。1915年早稲田大学商学部卒。卒業後は七十七銀行に入り、支店長となる。その後、家業の醸造業を継ぎ、のち栗原鉄道(株)を創立、社長に就任する。 若柳町長(1935.11.28-1943.8.15)を務めたが、戦時中に地元の大政翼賛会の役員をしていたため、戦後、公職追放となる。 宮城県議を5期務め、議長を2期務める。1965年、高橋進太郎の宮城県知事選出馬による参議院補欠選挙で当選。同年春の叙勲で勲四等瑞宝章受章。1968年の第8回参議院議員通常選挙で再選した。
白鳥 省吾(しらとり せいご、1890年2月27日 - 19… 白鳥 省吾(しらとり せいご、1890年2月27日 - 1973年8月27日)は、日本の詩人・文人。ヒット曲『星影のワルツ』で知られる、詩人で作詞家の白鳥園枝は二女。 省吾が作る詩は、民衆の内面を描いた物であり、“民衆派詩人”と称されている。ウォルト・ホイットマンの作った詩の翻訳でも著名。 旧制宮城県立築館中学校4年生頃から詩を書くようになる。早稲田大学に入学後、「夜の遊歩」などの詩を収めた詩集『世界の一人』を若山牧水、太田水穂、前田夕暮の仲介で自費出版し、詩人として文壇にデビューを果たす。『世界の一人』は好評を博し、省吾は一躍名声を高める。 早稲田大学英文科卒業後は、『新少年』・『露西亜評論』・『女学生』など、戦前に発行された雑誌の編集者で、詩人の団体「詩話会」の発行する『日本詩集』や、「詩話会」の発行する『日本詩人』の編集委員も歴任する。
千葉 あやの(ちば あやの、1889年〈明治22年〉11月1… 千葉 あやの(ちば あやの、1889年〈明治22年〉11月14日 - 1980年〈昭和55年〉3月29日 )は、日本の染色家。宮城県文字村(現栗原市)出身。 日本最古の染色技術といわれる「正藍染(正藍冷染)」の技法の保持者として、人間国宝に認定された。 1889年11月14日、文字村の佐藤善五郎・きよのの三女として生まれる。幼少より機織りに優れたといわれる。1909年6月22日、千葉彦右衛門の養子由之助に嫁ぐ。 中国大陸から日本に伝わった藍染の技術は、日本各地で行われていた。あやのの生まれた栗駒山麓の農村でも、栽培した麻を布に織り、藍で染めて衣料の自給を行っていた。明治から大正期にかけて、昔ながらの藍染めを行う家が文字村には20軒ほどあったが、近代化により、昭和20年代には千葉家を含めて2軒を残すのみとなっていた。
鈴木 文治(すずき ぶんじ、男性、1885年(明治18年)9… 鈴木 文治(すずき ぶんじ、男性、1885年(明治18年)9月4日 - 1946年(昭和21年)3月12日)は、大正から昭和期の政治家、労働運動家。友愛会創始者。日本の労働運動の草分け的存在といわれる。 宮城県栗原郡金成村(現・栗原市)の旧家鈴木益治の長男として生まれる。10歳の頃に父親とともにキリスト教に入信。宮城県尋常中学校志田郡立分校(現・宮城県古川高等学校)を卒業後、旧制山口高等学校に入学。中学卒業前後に家業が傾き、高校時代苦学するなかで、在野のキリスト教伝道師本間俊平の影響により、社会問題に目覚めていく。東京帝国大学法科大学政治学科に入学後は、同郷の先輩である吉野作造とともに、海老名弾正率いる組合派の本郷教会に所属する。