金谷 鞠杏(かねや まりあ、MARIA KANEYA、200… 金谷 鞠杏(かねや まりあ、MARIA KANEYA、2001年12月31日 - )は、日本のファッションモデル、歌手であり、男女7人組のパフォーマンスグループ・GENICのメンバーである。 秋田県大館市出身、エイベックス・クラン所属。 『BLENDA Japan』専属モデル。2020年ミス・ワールド日本代表。GU MANIA READER。 小学6年生の時に小学生向けファッション誌の読者コーディネート企画に申し込み、グランプリを獲得。 東京に同誌のキッズモデルが出演するファッションショーを見るための服を買いに行くが、たまたま乗る電車を間違えたとき、エイベックスのマネジャーにスカウトされエイベックスに所属。
大沢 風琴(おおさわ かざき、1999年8月29日 - )は… 大沢 風琴(おおさわ かざき、1999年8月29日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドルである。秋田県大館市出身。かつてJMOに所属していた。
佐藤 宏樹(さとう ひろき、1999年2月18日 - )は、… 佐藤 宏樹(さとう ひろき、1999年2月18日 - )は、秋田県大館市出身のプロ野球選手(投手)。くふうハヤテベンチャーズ静岡所属。NPBでは育成選手だった。 秋田県立大館鳳鳴高校では2年秋からエースとなるも、甲子園出場はなし。 慶應義塾大学環境情報学部にAO入試で進学。1年春からリーグ戦に登板。1年秋は9試合に登板し、3勝0敗、防御率1.03の成績で最優秀防御率のタイトルを獲得。2年次は肘痛のため春2試合のみの登板にとどまる。3年生の春から本格復帰し最高球速151kmを記録するも、その後は左肘痛に苦しみ、4年生の4月に左肘の神経移行とクリーニングの手術を受けた。 2020年10月26日のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト1巡目で指名された。
江野 麻由子(えの まゆこ、1997年10月21日 - )は… 江野 麻由子(えの まゆこ、1997年10月21日 - )は、日本のクロスカントリースキー・シットスキー選手である。2014年ソチパラリンピックの日本代表選手として、クロスカントリー女子スプリントと、同5kmフリーに出場する。
石田 健佑(いしだ けんすけ、1997年6月23日 - )は… 石田 健佑(いしだ けんすけ、1997年6月23日 - )は、日本の政治家。秋田県大館市長(1期)。元大館市議会議員(1期)。 秋田県大館市出身。父親の転勤により幼稚園年長で青森県青森市へ。青森市立南中学校、青森県立青森工業高等学校を卒業。卒業後は東京地下鉄株式会社で勤務した後、一般社団法人DMMアカデミー入社、DMM.com経営企画室等で勤務。その後20歳で渋谷にてIT・マーケティング事業を行う株式会社LaTierを起業したが、僅か半年で失敗した。同タイミングで祖父が体調を崩したことを祖母から聞き、故郷大館市へと帰郷。慶応義塾大学環境情報学部のAO入試<2018年9月第1学年入学者選考>において合格するも、入学金を払えずに断念。
秋野 紗良(あきの さら、1995年2月26日 - )は日本… 秋野 紗良(あきの さら、1995年2月26日 - )は日本の歌手、女優。 1995年、東京都世田谷区生まれ。 2000年の秋、父の提案により、母の故郷である秋田県大館市へ家族で移住(当時5歳)。 両親は夫婦でピアノバーを経営しており、音楽活動も精力的にしていたため、幼少期から様々な音楽に包まれて育った(現在BAR秋野倶楽部)。 10歳より地元の合唱団に入団し、中学校3年間は合唱部に所属(大館市立第一中学校)。 2012年の春に父が急性心臓病により[要出典]急死。母からの提案で[要出典]、父の葬儀で歌を披露したことを機に、歌手になることを決意し活動を始める(当時17歳)。 同年5月、NHKのど自慢大会に母と出場し、秋川雅史の「千の風になって」を歌唱。
立石 俊樹(たていし としき、1993年12月19日 - )… 立石 俊樹(たていし としき、1993年12月19日 - )は、日本の俳優。芸能事務所エーライツ所属。 秋田県大館市出身。高校卒業後は東京消防庁で消防士として働いていたが、歌という夢を諦めきれずに約2年間働いたのち東京消防庁を退職し、約1ヶ月後の某大手事務所の特待生オーディションに合格。演技、歌、ダンスを学ぶ。EXILE Presents VOCAL BATTLE AUDITION 4参加。 芸能事務所エーライツ所属後、2015年9月に男性ダンス&ボーカルグループ「IVVY」を結成し、2021年5月に年内での同グループからの卒業を発表した。 2017年4月にミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズンで初舞台を踏み、2021年3月にはミュージカル「黒執事」〜寄宿学校の秘密〜で初主演を務めた。
小林 快(こばやし かい、1993年2月28日 - )は、日… 小林 快(こばやし かい、1993年2月28日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は競歩。早稲田大学卒業後、ビックカメラを経て、新潟アルビレックスランニングクラブに所属。 秋田県大館市出身。秋田工業高等学校で競歩を始める。2010年インターハイ5000m競歩で2位。早稲田大学では、2014年日本インカレ10000m競歩2位、2015年元旦競歩優勝。 2015年3月に大学を卒業し、同4月、岡田久美子の所属するビックカメラに入社。ビックカメラ所属後はビックカメラ池袋本店のサングラスコーナーで接客の傍ら陸上競技活動を行っている。 第55回全日本50km競歩高畠大会 男子50km競歩 優勝 (日本歴代4位)、ロンドン世界陸上競技選手権大会3位(自己新記録)。
伊藤 正樹(いとう まさき、1989年5月19日 - )は、… 伊藤 正樹(いとう まさき、1989年5月19日 - )は、日本の陸上競技選手、専門は長距離種目。秋田県大館市出身。秋田工業高校、国士舘大学卒業。コニカミノルタに所属していた。 小学校4年生から陸上を始める。大学は国士舘大学に進学。1年目から箱根駅伝に出場する(4区-5位)。2年目の箱根駅伝では、国士舘大学は予選落ちし本戦に出場できなかったものの、伊藤は関東学連選抜の一員として出走した(2区-16位)。3年目も国士舘大学は予選落ち。前年と同じく伊藤は学連選抜のメンバーに選ばれていたが出走はなかった。4年目には駅伝主将としてチームを引っ張り、箱根駅伝予選会3位(日本人2位)の力走で国士舘大学を3年ぶりに本戦出場に導いた。
藤盛 由果(ふじもり ゆうか、1989年〈昭和64年〉1月6… 藤盛 由果(ふじもり ゆうか、1989年〈昭和64年〉1月6日 - )は、秋田朝日放送(AAB)のアナウンサー。
佐々木 裕也(ささき ゆうや、1988年4月6日 - )は、… 佐々木 裕也(ささき ゆうや、1988年4月6日 - )は、日本のプロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。2011年から2014年までbjリーグのチームに所属していた。 秋田県大館市出身。大館市立東中学校を卒業した後、大館市と県境で接する青森県の青森山田高校に進学した。 高校卒業後は八戸大学、八戸のクラブチーム「八戸クラブ」を経て、bjリーグの信州ブレイブウォリアーズに練習生として加わり、2011-12シーズン途中の2012年2月に選手契約を結ぶ。このシーズンは7試合に出場し、1つのリバウンドを記録した。 2012-13シーズンは信州の練習生として迎えたが、10月12日に契約を結び選手に復帰する。
普津澤 画乃新(ふつざわ かくのしん、1985年4月13日 … 普津澤 画乃新(ふつざわ かくのしん、1985年4月13日 - )は、日本のゲームクリエイター。スクウェア・エニックス所属。漫画家。秋田県大館市出身。弟はアニメーターの普津澤時ヱ門。 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の月例新人賞であるジャンプ十二傑新人漫画賞で2005年3月期の佳作を受賞した「JIKANGAE」が『赤マルジャンプ』2005SUMMERに掲載されデビュー。『週刊少年ジャンプ』には2007年39号に読切「ANAAKI'S」(第3回金未来杯ノミネート作品)、2012年8号に読切「DOPPELER」が掲載された。 その後、スクウェア・エニックスのCGムービー制作部門であるヴィジュアルワークス部に所属するが、『OCTOPATH TRAVELER』では漫画家だった経歴を買われ、主人公8人のうち3人分(アーフェン・トレサ・プリムロゼ)のシナリオを担当した。
菅原 拓也(すがわら たくや、1983年11月3日 - )は… 菅原 拓也(すがわら たくや、1983年11月3日 - )は、日本の男性プロレスラー。 高校を中退して闘龍門の8期生として入門。T2Pメンバーの中になんとか滑り込む。2001年12月2日にデビューを果たした。一時、ヘンリー・III世・菅原を名乗り、アンソニー・W・森らと王子様キャラのロイヤル・ブラザーズとして活動し、2003年1月に東京ドームで開催されたファンタジーファイトWRESTLE-1に出場して大舞台を経験する。菅原もその後、ヒール志望が強かったこともあり、2004年に近藤修司、"brother"YASSHIら率いるルードユニット「悪冠一色」に加入。シングルのリーグ戦ではCIMAに勝利している。
畠山 陽輔(はたけやま ようすけ、1980年7月28日 - … 畠山 陽輔(はたけやま ようすけ、1980年7月28日 - )は、秋田県大館市出身のノルディック複合選手。早稲田大学卒業後は秋田ゼロックス(現:富士フイルムBI秋田)に所属し、2006年トリノオリンピックノルディック複合日本代表。
布谷 史人(ぬのや ふみと、1979年 - )は、日本のマリ… 布谷 史人(ぬのや ふみと、1979年 - )は、日本のマリンバ奏者である。ドイツ在住。 秋田県大館市出身。大館市立東中学校、秋田県立大館高等学校を経て、1997年山形大学教育学部総合教育課程音楽文化コースに入学する。2001年3月に音楽教育の学位を得て山形大学を卒業した後、その年の9月からはボストン音楽院修士課程マリンバ・パフォーマンス科に入学し、学校から奨学金を受ける。2003年5月に修士課程を終え、同年9月からは、ボストン音楽院創立以来の初めてのArtist Diploma科のマリンバ奏者として、学費全額免除の奨学金のほか、学長からも特別賞与を授与し、研鑽を積んでいる。 これまでにマリンバ・打楽器を、ナンシー・ゼルツマン、パトリック・ホーレンベルク、岡田知之、目黒一則、須藤八汐、平下和生、三村奈々恵、池上英樹、に師事し、また、室内楽をカール・ポーニャック、マックス・レヴィンソン、武田紀代美に師事、ピアノを武田紀代美、伊藤麻里子に師事、ソルフェージュ・声楽を三沢由美子に師事した。
小坂 深和(こさか みわ、1978年6月10日 - )は、山… 小坂 深和(こさか みわ、1978年6月10日 - )は、山形テレビ (YTS) の元アナウンサー。 秋田県大館市出身。東洋大学文学部卒業。 大学を卒業後、2002年に山形テレビに入社。報道制作局報道部に配属され、同局のアナウンサーになる。 2008年、第7回ANNアナウンサー賞の「原稿のあるもの」部門で優秀賞を受賞。 2023年4月付で、アナウンサーから同局編成業務部長へ昇進。 山形テレビ#かつて在籍していたアナウンサーを参照 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
佐藤 久成(さとう ひさや、1972年1月1日 - )は、秋… 佐藤 久成(さとう ひさや、1972年1月1日 - )は、秋田県出身のヴァイオリン奏者。 大館市に生まれる。 出生後、埼玉県上尾市で過ごし、4歳より埼玉県春日部市に引越し、豊春幼稚園、春日部市立豊春小学校、春日部市立豊春中学校出身。 5歳よりピアノ、9歳よりヴァイオリンをそれぞれ学び始め、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て東京藝術大学に進学した。大学卒業後は渡欧し、ザールラント音楽大学、ブリュッセル王立音楽院、スタウファー音楽院、ベルリン芸術大学等で研鑽を積んだ。1994年にベルリン交響楽団の定期演奏会にソリストとして出演してデビューを飾った。1998年ヴィオッティ・ヴァルセージア国際音楽コンクールのヴァイオリン部門での2位入賞を含む複数の国際音楽コンクールで上位入賞を果たしている。
三澤 威(みさわ たけし、1969年11月28日 - )は、… 三澤 威(みさわ たけし、1969年11月28日 - )は、日本の元プロレスラー、現メディカルトレーナー兼トレーニングディレクター。新日本プロレス所属。秋田県大館市出身。血液型はA型。 1989年10月22日、新日本プロレスで、vs松田納戦にてデビューしたが、1990年12月1日の後楽園ホール「夢☆勝ちます」興行で獣神ライガーの浴びせ蹴りを受け頸椎損傷、その後一度は復帰したものの再度欠場、結局完治することなく引退。 現在は、新日本プロレスのメディカルトレーナー兼トレーニングディレクターを務める傍ら、等々力にミサワ整骨院を開業している。また2008年にはミサワ整骨院を主な拠点とするトレーナー育成団体として「新日本メディカルトレーナー協会」を設立し、同協会の理事長を務めている。
ディック東郷(ディックとうごう、1969年8月17日 - )… ディック東郷(ディックとうごう、1969年8月17日 - )は、日本のプロレスラー。本名:佐藤 茂樹(さとう しげき)。
宍戸 節太郎(ししど せつたろう、1969年 - )は、ドイ… 宍戸 節太郎(ししど せつたろう、1969年 - )は、ドイツ文学者、國學院大學教授。 秋田県大館市生まれ。1992年上智大学文学部ドイツ文学科卒業、ケルン大学(ドイツ)に学ぶ。 1998年上智大学大学院文学研究科ドイツ文学専攻博士課程満期退学、2009年「他在の可能性 エリアス・カネッティにおける「変身」の詩学」で文学博士。國學院大學文学部准教授、教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中村 政人(なかむら まさと、1963年 - )は、日本の現… 中村 政人(なかむら まさと、1963年 - )は、日本の現代美術家。東京藝術大学教授。 村上隆と共に「中村と村上」展や「大阪ミキサー計画」などを活動を展開した後、コンビニの看板を作品化したシリーズやマクドナルドのMサインを作品化するなど、作品展開を進め、1998年よりアーティスト・イニシアティブ「コマンドN」を主宰。「氷見クリック」(富山県氷見市)、「ゼロダテ」(秋田県大館市)、「アーツ千代田3331」(東京都千代田区)などの社会芸術家である。 「QSC+mV」 ※マクドナルドのMサイン 代表的なものは、美術と教育プロジェクトと銘打ったものである。美術家や美術系大学の職員などにインタヴューを通して、美術の解明作業とでもいうべき言説を形成し、インタヴュー集『美術と教育』(1997)、『美術の教育』(1999)、『美術に教育』(2004)の三著作として集成したものがある。
高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、… 高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。 秋田商業高校では甲子園に3回出場。2年生の時、背番号11ながらエースとして1979年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で永田利則のいた広島商に敗退。 1980年は春の選抜に出場。140km/h近い速球を投げ、1回戦では玄岡正充を擁する鹿児島商工を4安打1失点に抑え完投勝利した。チームにとって19年ぶりとなった準々決勝では帝京高の伊東昭光と投げ合い、5安打2失点で完投したものの0-2で敗れた。試合途中で右足に激痛が走り大会終了後に診察を受けたところ、親指付け根付近の骨が砕けていることが判明した。
いずみ 尚(いずみ ひさし、1962年8月9日 - )は日本… いずみ 尚(いずみ ひさし、1962年8月9日 - )は日本の男性声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合所属。秋田県出身。横浜放送映画専門学院演劇科7期卒業。旧芸名に泉 尚摯(いずみ しょうじ)、ヰズミ(いずみ)。以前はケッケコーポレーションに所属していた。身長166cm。
麓 幸子(ふもと さちこ、1962年(昭和37年)1月12日… 麓 幸子(ふもと さちこ、1962年(昭和37年)1月12日 - )は、日本の著述家、政治活動家、社会福祉士で、元編集者、元日経ウーマン編集長。 秋田県北秋田郡比内町扇田(現在の大館市比内町扇田)生まれ。秋田県立大館鳳鳴高等学校を経て、筑波大学第一学群人文学類(フランス哲学専攻)を卒業。大学卒業後は日経BPに入社し、日経ウーマン編集長、執行役員などを歴任する。のちに法政大学大学院経営学研究科を修了する。また、内閣府、文部科学省、林野庁などの有識者委員や秋田県障害者施策推進審議会委員を務める。 2019年(平成31年)に帰郷し、大館市長選挙に立候補したが、現職の福原淳嗣に敗れた。 選挙後は生まれ育った比内町を共生社会づくりの拠点として「比内ヒルズ」と名づけた。
因幡 晃(いなば あきら、1954年〈昭和29年〉3月18日… 因幡 晃(いなば あきら、1954年〈昭和29年〉3月18日 - )は、日本のシンガーソングライター。アップフロントクリエイト所属。 秋田県大館市花岡町出身。父親は鉱山技師。秋田県立大館工業高等学校時代に心を揺り動かせた音楽は、フォークソングではなく、ラジオから流れてきたシャンソンやカンツォーネだったという。高校卒業後、父と同じく鉱山技師として就職。暇を見つけては曲作りに励み、1975年に開催された『第10回ヤマハポピュラーソングコンテスト』に『わかって下さい』で出場し最優秀曲賞を受賞。また、同曲で『第6回世界歌謡祭』に入賞したことがきっかけとなり、翌年ディスコメイトレコードから『わかって下さい』でデビュー。
内田 青蔵(うちだ せいぞう、1953年〈昭和28年〉3月2… 内田 青蔵(うちだ せいぞう、1953年〈昭和28年〉3月28日 - )は、日本の建築学者・建築史家。専門は近代建築史と近代住宅史。学位は、工学博士。神奈川大学建築学部建築学科教授。 秋田県大館市出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校を経て、1975年神奈川大学工学部建築学科卒業、1983年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程中退。1986年「住宅改良会」の活動からみた大正・昭和初期(戦前)における「洋風系独立住宅」の導入と成立に関する研究」で工学博士の学位を取得。東京工業大学付属工業高等学校教諭、1995年文化女子大学造形学部助教授、教授、2006年埼玉大学教育学部教授、2009年より現職。
一ノ関 圭(いちのせき けい、1950年 - )は、日本の漫… 一ノ関 圭(いちのせき けい、1950年 - )は、日本の漫画家。秋田県大館市出身。女性。秋田県立大館鳳鳴高等学校、東京藝術大学油絵科卒。大学在学中に投稿した「らんぷの下」が第14回ビッグコミック賞を受賞(夢屋日の市名義)。一関圭名義をへて一ノ関圭名義に。 江戸・明治を舞台に、歴史の波に埋もれた人物の懸命な生き様を描く骨太な作風が特徴である。 また非常に絵の上手い漫画家としても知られ、吾妻ひでおは『DEATH NOTE』での小畑健の絵について「幻の漫画家・一ノ関圭のような自在さはない」との感想を述べ、竹熊健太郎は「美術をテーマにした漫画で納得行く漫画内絵画を描けていたのは、俺の知る範囲では一ノ関圭が筆頭」と語るなど、その画力の高さは現在でも伝説となっている。
桐ケ谷 覚(きりがや さとる、1949年(昭和24年)3月2… 桐ケ谷 覚(きりがや さとる、1949年(昭和24年)3月24日 - )は、日本の政治家、実業家。神奈川県逗子市長(2期)。 秋田県大館市出身。親は食料品の問屋を営んでいた。秋田県立大館鳳鳴高等学校を経て、立教大学経済学部経済学科に入学。在学中に現在の妻と知り合う。妻との出会いがきっかけで1882年(明治15年)創業の工務店、桐ヶ谷材木店を継ぐことになる。大学を卒業した1972年(昭和47年)、修業のため建材問屋に就職。1976年(昭和51年)、横須賀市の工務店に入社。また、小泉純一郎衆議院議員の選挙の応援を経験。 1981年(昭和56年)、桐ヶ谷材木店に入社(この年、キリガヤに社名変更)。1992年(平成4年)、キリガヤの代表取締役に就任。
石戸谷 健一(いしとや けんいち、1949年〈昭和24年〉2… 石戸谷 健一(いしとや けんいち、1949年〈昭和24年〉2月1日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。 秋田県立大館鳳鳴高等学校を経て早稲田大学卒業後、1971年入局。正職員時代には主に報道番組のキャスターを担当していた。 2009年の60歳定年制度により東京アナウンス室を退職し、現在は日本語センターで講師を務めている。
丸山不二夫(まるやま ふじお、1948年〈昭和23年〉 - … 丸山不二夫(まるやま ふじお、1948年〈昭和23年〉 - )は、日本の哲学者、IT教育者。大学院時代の専門は数理哲学。稚内北星学園大学初代学長。元早稲田大学客員教授。IT関連のコミュニティーの組織者としても知られている。日本Javaユーザ会、日本Androidの会初代会長。クラウド研究会代表。IT技術者の情報共有コミュニティー「マルレク」、学生向けのディープラーニングの開発・教育のコミュニティー「MaruLabo」を立ち上げ、現在はそれらを統合した一般社団法人MaruLaboを主な活動としている。 秋田県大館市出身。東京大学教育学部卒業。1981年(昭和56年)一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。
阿部 信泰(あべ のぶやす、1945年〈昭和20年〉9月9日… 阿部 信泰(あべ のぶやす、1945年〈昭和20年〉9月9日 - )は、日本の外交官。2014年4月から2017年12月まで内閣府原子力委員会委員長代理(常勤)。 財団法人日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター所長、外務省参与、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会諮問委員、ウィーン国際機関日本国政府代表部大使、在サウジアラビア日本国大使、国際連合事務次長、在スイス日本国大使、在リヒテンシュタイン日本国大使などを歴任した。 秋田県大館市出身。秋田県立秋田高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)にて学ぶ。東京大学在学中に外交官試験に合格。1967年外務省入省。英語研修としてアメリカ合衆国アマースト大学教養学部で政治学を専攻しを卒業。
菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、… 菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12… 昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12月14日 - 2015年8月29日)は、日本の俳優、演出家。昭和精吾事務所設立者。満州生まれ。 昭和16年(1941年)12月14日、満洲の大日本帝国陸軍大佐であった父の官舎で誕生。終戦間際、父の実家に引き揚げ、秋田県大館市の農家で育つ。県立大館鳳鳴高校卒業後上京、演劇の道へと進む。 1967年、劇団東俳演劇研究所に入所。のち東映演劇研究所に移籍。高倉健主演『網走番外地』シリーズ、渥美清主演『初詣列車』、日本テレビの東映刑事物のドラマにチンピラ等で出演。 1969年、寺山修司の演劇実験室◎天井桟敷に入団。主に詩をマイクで語るマイクアジテーションを担当。
石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980… 石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980年8月2日)は、日本のプロ野球選手(投手)。秋田県大館市出身。 長男ではあるが、6月4日に生まれたことに因んで「四六」というユニークな名前が付けられた。“六四”ではないのは、父親によると「六四だと頭が重くて、下が軽いからフラフラするだろう。四六だと下が大きくて安定する。男が一生、フラフラ生きてどうするのだ」であるためという。秋田商業高校では、エースとして1957年秋季東北大会県予選決勝に進むが、金足農に完封負け。翌1958年夏の甲子園に出場。しかし初戦(2回戦)で板東英二を擁する徳島商と対戦し、自らのエラーもあり0-3で敗れた。 社会人野球の日立製作所に進み、1962年に日本鉱業日立の補強選手として都市対抗に出場。
井上 博一(いのうえ ひろかず、1941年3月3日 - )は… 井上 博一(いのうえ ひろかず、1941年3月3日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 秋田県大館市出身。大館鳳鳴高等学校中退。舞台芸術学院卒業。現代制作舎に所属していた。 特技は殺陣、東北弁。蜷川幸雄の「現代人劇場」に参加。 映画では市川崑作品に複数回起用されていた。 (1984年、TX / 勝プロ) ※1980年製作
吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の… 吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の現代音楽作曲家。 秋田県大館市生まれ。中学卒業と同時に上京し、桜美林高等学校卒業。東京芸術大学卒業、同大学院修了。作曲を下総皖一、石桁眞禮生に師事。ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。ボリス・ブラッハー、ジェルジ・リゲティに学ぶ。在学中の69、70、72年、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加。ヴィオッティ国際音楽コンクール、ベルリン国際作曲コンクールなどの国際コンクールで入賞を果たす。同大卒業後、ベルリン工科大学電子音楽スタジオ研究員に着任。79年、スタンフォード大学コンピュータ音楽セミナーに参加。 鹿児島大学講師着任後、東京学芸大学教授、国立音楽大学講師、鹿児島大学教授を歴任。
佐々木 巌(ささき いわお、1939年〈昭和14年〉8月23… 佐々木 巌(ささき いわお、1939年〈昭和14年〉8月23日 - 1999年〈平成11年〉3月30日)は、日本人正教徒でありイコン画家。秋田県大館市に生まれ、北麓ハリストス正教会で洗礼を受ける。聖名はペトル。フィンランドにおけるローマ字表記は"Petros Sasaki"(ペトロス ササキ)。 秋田県立大館鳳鳴高等学校を卒業後、ニコライ堂境内にある日本正教会が運営する神学校を1962年に卒業。教団で伝教者として働き、『正教時報』の編集に携わった。1963年7月、大阪ハリストス正教会に赴任し、日曜学校の指導、指導者の養成を行う。ギリシアで正教神学と正教伝統のビザンティン・イコンを学ぶため、1964年8月伝教者としての職を辞し、9月にギリシアに渡り、アテネ大学、工芸大学などで学んだ。
佐藤 有文(さとう ありふみ、1939年5月27日 - 19… 佐藤 有文(さとう ありふみ、1939年5月27日 - 1999年)は、日本の怪奇作家・オカルト研究者。秋田県大館市出身。父親は作家の佐藤鉄章。茨城大学中退、「まらりあ」同人会会員。 茨城大学在学中から「水戸文学」「青い水」といった同人誌に「赤い血」「リボンが慾しい」などの小説を発表。1967年には「アポリア」に「蟷螂」を発表。 1969年から『小学四年生』などの児童雑誌に児童向けの読み物を書き始める。1970年代には、当時流行していた怪奇系児童書を主に手がける。特に妖怪や悪魔に関するものを多数執筆しているが、著書の解説には資料としての正確性において疑問が呈される内容が多いことでも知られている。
佐藤 周子(さとう ちかこ、1938年2月13日 – 198… 佐藤 周子(さとう ちかこ、1938年2月13日 – 1988年6月23日)は、日本の放射線医学者。 1938年、秋田県大館市に生まれる。1946年、教師だった父の転勤に伴い、岩手県花巻市に移住した後、秋田県秋田市に移住。秋田県立秋田高等学校卒業。1962年、東北大学医学部卒業と同時に結婚。1963年、東北大学放射線基礎医学教室助手、1970年、愛知県がんセンター研究所放射線部研究員に勤務。1972年、スタンフォード大学留学を経て、愛知県がんセンター研究所研究室長に就任。1985年、同研究所放射線部長(同センター初の女性管理職)。1988年、猿橋賞を受賞するが、その1ヶ月後に死去。 佐藤周子 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース
大矢崎 武男(おおやざきたけお、1933年2月10日 - 没… 大矢崎 武男(おおやざきたけお、1933年2月10日 - 没年不明)は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名は木越 武男。現在の秋田県大館市出身。182cm、119kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 1953年9月場所初土俵、1961年3月場所十両昇進。十両を11場所務めたが、十両中位の壁を破れず、1963年9月場所限りで廃業した。 叔父は大正から昭和にかけての十両力士の大矢崎信哉。
明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 … 明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 - )は、日本の外交官、国際公務員、政治家。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)顧問、国際教養大学名誉教授、同大学トップ諮問会議委員、名城大学アジア研究所名誉所長、群馬県立女子大学外国語教育研究所所長、京都文教学園学術顧問、神戸大学特別顧問・特別教授。国際連合事務次長や国際連合事務総長特別代表を歴任。 戦国時代のキリシタン武将の明石全登の子孫であるといわれている。母親の実家は、忠犬ハチ公の生家であった。 秋田県北秋田郡扇田町(現在の大館市比内町扇田)出身。築山小学校在学時に秋田市に移住。県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)から旧制山形高校(現在の山形大学人文学部および理学部)を経て、東京大学に進学。
牧 冬吉(まき ふゆきち、1930年11月28日 - 199… 牧 冬吉(まき ふゆきち、1930年11月28日 - 1998年6月27日)は、日本の俳優。本名、岡村 信行。 秋田県大館市出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。松竹芸能に所属していた。 父は公務員で、四男二女の次男。高校卒業後、舞台芸術学院に入学する。1951年に舞台芸術学院を中退し「前進座」に入座。その後、舞台芸術学院の仲間と劇団「舞芸座」を創設し、シェークスピア劇などを演じるが生活は苦しく、アルバイトに明け暮れていた。この間に監督の船床定男と知り合い、宣弘社制作のテレビドラマ『豹の眼』(KRテレビ)の敵役「殺し屋ジョー」役でテレビドラマにデビューする。引き続き同社制作の『快傑ハリマオ』でも敵役を演じる。
佐々木 潤之介(ささき じゅんのすけ、1929年7月16日 … 佐々木 潤之介(ささき じゅんのすけ、1929年7月16日 - 2004年1月23日)は、日本近世史学者。民衆史に着目し、「世直し状況」論、「幕藩制国家」論を提唱した。一橋大学名誉教授。一橋大学教授・早稲田大学教授・歴史学研究会編集長を歴任。 1929年、秋田県大館市で生まれた。秋田県立大館中学校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)、東京高等学校を経て、東京大学文学部国史学科で学んだ。1953年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、1960年に博士課程を修了。終了時に東京大学に提出した学位論文は『幕藩制下基礎構造の研究』であり、文学博士号を取得。 1960年より法政大学第二高等学校教諭として勤務。
山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月3… 山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月30日 - 2020年(令和2年)4月2日)は、日本のマラソン選手。1952年ヘルシンキオリンピック男子マラソン日本代表。現役時代の所属は同和鉱業花岡鉱業所。 秋田県北秋田郡大館町(現在の大館市)出身。15歳の時に満蒙開拓青少年義勇軍に志願して中国大陸・満洲国へ渡った経歴を持つ。満洲時代に2,000mや10,000mを走って自信をつけたことを語っている。 第二次世界大戦終了後に満洲から引き揚げ、秋田へ帰郷してから本格的に陸上競技に取り組むようになる。1949年の第4回国民体育大会(東京都)に秋田県代表として一般男子マラソンに出場し、この時に初めて42.195 kmのフルマラソンを走った。
中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 198… 中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 1980年1月21日)は、日本文学研究者、国文学者。 秋田県大館市生まれ。父は教育者。弘前高等学校卒、1943年東京帝国大学文学部国文科卒。池田亀鑑に師事。東京高等学校講師、48年要書房編集長。1957年獨協高等学校講師、1959年上智大学文学部助教授、66年教授。 『竹取物語』研究の新井信之の義弟。池田亀鑑没後、『池田亀鑑選集』、随筆集『花を折る』(いずれも至文堂刊)を、長野嘗一、木田園子らとともに編集・刊行した。 ・『古本竹取物語』 大修館書店 1968 ・『影印本紫式部日記』新典社、1968
佐藤 敬治(さとう けいじ、1920年(大正9年)3月10日… 佐藤 敬治(さとう けいじ、1920年(大正9年)3月10日 - 2009年(平成21年)9月16日)は、昭和から平成期の政治家、教員。衆議院議員(6期)、大館市長。 秋田県大館市出身。1944年(昭和19年)東京帝国大学文学部社会学科を卒業。秋田県立大曲高等学校教諭を経て、1951年(昭和26年)大館市長に初当選。以降4期務めた。 1972年(昭和47年)日本社会党公認で第33回衆議院議員総選挙において旧秋田1区で初当選。6期務めた。1993年(平成5年)に政界から引退した。 2009年9月16日、死去。89歳没。死没日付をもって正八位から正四位に叙され、旭日重光章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
渡会 伸(わたらい しん、1918年12月13日 - 200… 渡会 伸(わたらい しん、1918年12月13日 - 2001年5月28日)は日本映画の録音技師。秋田県大館市出身。 1938年に東宝の録音助手として入社。東宝争議の際には人生労働組合の委員長を務めた。1957年より録音技師となり、岡本喜八の独立愚連隊シリーズや暗黒街シリーズにつく。『太平洋の翼』『日本のいちばん長い日』『激動の昭和史 軍閥』『トラ・トラ・トラ!』など戦争映画も多く手がけた。 2001年4月に行なわれた黒澤版『トラ・トラ・トラ!』スタッフ座談会では、黒澤明降板前後の事情について詳しく証言している。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
石田 博英(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月1… 石田 博英(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月12日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(14期)。通称は名を音読みした「バクエイ」。所属した自由民主党では1969年から1971年まで党内派閥の二日会を率いた。 政務では労働大臣(第14・17・18・22・23・39代)、運輸大臣(第47代)、内閣官房長官(第16・17代)を、衆議院では議院運営委員長(第6代)などを歴任した。 政界引退後の晩年および死後に、ソビエト連邦のスパイであったことを指摘する情報が複数発見されたが、立件されなかった(後述)。 秋田県山本郡二ツ井町(現能代市)で生まれ、大館市で育つ。
佐藤 鉄章(さとう てっしょう、1914年1月9日 - 19… 佐藤 鉄章(さとう てっしょう、1914年1月9日 - 1990年3月20日)は、日本の小説家、古代史家。 秋田県大館市生まれ。本名・有次郎。1941年文部省中等教員検定合格。秋田県下で教育生活を送る傍ら、執筆をつづけ、1949年「北方文芸」主宰、1955年「奥羽文学」を興して主幹となる。1970年上京。息子に佐藤有文。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
田中 健吉(たなか けんきち、1909年(明治42年)12月… 田中 健吉(たなか けんきち、1909年(明治42年)12月22日 - 1955年(昭和30年)1月13日)は、日本の社会運動家、政治家。衆議院議員。 秋田県北秋田郡上川沿村(現大館市)で生まれる。 早くから労農運動に加わり、1930年、阿気村争議で検挙され懲役8ヵ月となるなど、何度も服役した。横手町会議員、秋田県会議員、同参事会員を務めた。 戦後、日本社会党に入党し、同党秋田県支部連合会長、同党中央委員、秋田県地方労働委員、同県農地改革推進協議会長、日本農民組合秋田県連合会長、同組合中央委員などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に秋田県選挙区から出馬して当選。第23回総選挙で秋田県第二区から出馬して再選され、衆議院議員を連続二期務めた。