真島 節子(ましま せつこ、昭和12年(1937年) - )… 真島 節子(ましま せつこ、昭和12年(1937年) - )は、日本の絵本作家。山形県鶴岡市出身。 現代的な絵を、日本の伝統的な色使いで描く。
山形県 鶴岡市:203人
真島 節子(ましま せつこ、昭和12年(1937年) - )… 真島 節子(ましま せつこ、昭和12年(1937年) - )は、日本の絵本作家。山形県鶴岡市出身。 現代的な絵を、日本の伝統的な色使いで描く。
御橋 廣眞(みはし こうしん、1937年(昭和12年) - … 御橋 廣眞(みはし こうしん、1937年(昭和12年) - 2026年(令和8年)3月7日)は、日本の生物物理学者。理学博士。名古屋大学名誉教授。日本福祉大学教授。財団法人天風会講師。大沢文夫の弟子の一人。山形県鶴岡市出身。
田沢 芳夫(たざわ よしお、1936年8月28日 - 200… 田沢 芳夫(たざわ よしお、1936年8月28日 - 2008年1月25日)は、山形県出身のプロ野球選手(投手)である。 鶴岡工業高校では、エースとして1954年夏の甲子園予選東北大会で決勝に進出するが、福島商に敗退し甲子園出場を逸する。 卒業後の1955年に南海ホークスに入団。同期には広瀬叔功、一期上には野村克也、皆川睦雄がいた。2年目の1956年にはチーム最多の15勝を挙げ、翌1957年も10勝を記録するなど先発ローテーションの一角として活躍した。 1957年6月24日の対阪急ブレーブス戦(大阪スタヂアム)では9回2死まで無安打無得点に抑えたものの、ノーヒットノーラン達成まであと1人の場面で滝田政治に初安打を許し阻止されている(後1人で阻止されたのはパ・リーグ史上2人目)。
佐藤 敏直(さとう としなお、1936年7月24日 - 20… 佐藤 敏直(さとう としなお、1936年7月24日 - 2002年3月18日)は、日本の作曲家。 山形県鶴岡市生まれ。山形県立鶴岡南高等学校、慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。清瀬保二に師事。当初から師・清瀬ゆずりの民族的作風を示し、1959年、日本音楽コンクールに「ピアノのための三章」で入選した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
中村 明(なかむら あきら、1935年9月9日 - )は、日… 中村 明(なかむら あきら、1935年9月9日 - )は、日本の日本語学者。早稲田大学名誉教授。 山形県鶴岡市生まれ。現在は東京都小金井市在住。山形県立鶴岡南高等学校(入学時は山形県立鶴岡高等学校)卒業、1959年早稲田大学国文科卒、1964年同大学院修士課程修了。国際基督教大学、成蹊大学教授、国立国語研究所員を経て、早稲田大学日本語研究センター教授を務め、2006年定年、名誉教授、山梨英和大学教授。
須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 20… 須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 2018年8月11日)は、日本の政治家。日本共産党参議院議員(1期)。同党山形県委員会委員長。 山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡南高等学校卒業後、電電公社職員となる。 1975年の第11回統一地方選挙で山形県議会議員となり、1980年第36回衆議院議員総選挙および1983年第37回衆議院議員総選挙で旧山形2区から立候補したが落選。1989年第15回参議院議員通常選挙からは参議院比例区へ鞍替えするも落選。1995年第17回参議院議員通常選挙では比例区で初当選し、1期務めた。この間、党では中央委員、農・漁民局長を歴任している。2000年から2004年まで党山形県委員会委員長。
宗片 邦義(むなかた くによし、1934年(昭和9年)11月… 宗片 邦義(むなかた くによし、1934年(昭和9年)11月12日 - )は、日本の学者、静岡大学名誉教授、モンゴル国際経済商科大学名誉教授、華中科技大学・広東南大専修学院名誉教授、国際融合文化学会会長。山形県鶴岡市出身。旧名・上田邦義。離婚により宗片姓にもどる。
佐藤篤士(さとう とくじ、1934年3月20日-2006年5… 佐藤篤士(さとう とくじ、1934年3月20日-2006年5月31日)は、日本の法学者。 山形県鶴岡市出身。1952年、山形県立鶴岡南高等学校卒、1958年、早稲田大学第一法学部卒、1961年、同大学大学院法学研究科修士課程修了。同年、早稲田大学法学部助手、1964年、同専任講師、1966年、同助教授、1971年、同教授。1977年、法学博士。1980年法制史学会理事。2000年早稲田大学大学史資料センター所長。2004年、定年、名誉教授。専門は古代ローマ法。 恩師は、中村吉三郎 (法学者)。門下生に西村隆誉志(愛媛大学名誉教授)、原田俊彦(早稲田大学教授)、熊丸光男(帝京大学教授)、足立清人(北星学園大学教授)、藤野奈津子(千葉商科大学教授)らがいる。
阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月2… 阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月20日 - 2009年6月12日)は日本の詩人。 山形県鶴岡市生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業。若いころは政治運動に身を投じた。代表的な詩集として、獄舎につながれた肉体的・精神的苦痛から幻影をみる詩集『眼の伝説』、『不覇者』(1982年第15回小熊秀雄賞受賞作)、故郷庄内地方の即身仏信仰をテーマとした『月の山』、難病に陥った中で病者の意識を追う迫力に満ちた作品『ベーゲェット氏』などがある。『べーゲェット氏』は1989年高見順賞を受賞した。 新日本文学会の日本文学学校の講師も務め、教え子に伊藤比呂美がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
新田 嘉一(にった かいち、1933年〈昭和8年〉10月6日… 新田 嘉一(にった かいち、1933年〈昭和8年〉10月6日 - )は、日本の実業家、馬主。平田牧場会長、東北公益文科大学理事長、自由民主党酒田支部最高顧問、平田町名誉町民(現:酒田市名誉市民)。 山形県飽海郡平田町楢橋(現:酒田市)において16代にわたり続く地主に生まれる。 父である嘉助は名士で通るも、農業より政治に現を抜かすことが多かったという。 山形県立藤島農業高校を卒業後、大学進学を希望するも父から「農家に学は必要ない」と断言され、進学を断念。 戦後の高度経済成長において、和食中心から洋食へ食文化が変遷し、庄内地方においては離農し都会に出る人々が増えつつある現状を鑑みた新田は、田畑を処分した上で就労の途につく方が暮らしも楽になるのではないかと父に進言するも聞き入れられなかった。
佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )… 佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )は、山形県鶴岡市出身の、植物学者、理学博士、東京都立大学 (1949-2011)理学部教授。
佐藤 廣士(さとう ひろし、1933年(昭和8年) - )は… 佐藤 廣士(さとう ひろし、1933年(昭和8年) - )は、山形県鶴岡市出身の、切り絵作家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松木 正利(まつのき まさとし、1933年(昭和8年) -2… 松木 正利(まつのき まさとし、1933年(昭和8年) -2018年(平成30年) )は、日本の園芸家、ダリア研究家、東北ダリア作出家協会会長、鶴岡ダリア研究会会長、元荘内日報社編集局長。 庄内農業高等学校在学中にダリアの研究を始め、卒業後は、農業荘内社『農業荘内』主幹、荘内日報社編集局長経て、1952年に「鶴岡ダリア研究会」を発足させて会長に就任、1956年には「東北ダリア作出家協会」を発足して会長に就任し、協会本部を自宅に置いた。 1947年から1965年までの間に、種苗商によって発表・発売された4874品種の全品種を、植物学者の芳賀卓(現・北海道教育大学名誉教授)と共に、カードに書き込んで「ダリア・リスト」を完成させた。
菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の… 菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の農学者、東北大学名誉教授。農学博士。専門は作物生理学。 山形県鶴岡市生まれ。1955年東北大学農学部卒業。農林省中国農業試験所勤務、1962年農林省農業技術研究所、1966年「大麦の出穂性に関する育種学的研究」で東北大学農学博士。1978年東北大学農学部助教授、82年教授。87年農学研究所長、89年遺伝生態研究センター長。96年定年退官、名誉教授。1983年日本作物学会賞受賞。
笹原 信一郎(ささはら しんいちろう、1932年(昭和7年)… 笹原 信一郎(ささはら しんいちろう、1932年(昭和7年)7月26日 - 2022年(令和4年)3月14日)は、日本の銀行家。富士銀行取締役、荘内銀行頭取、鶴岡商工会議所会頭を務めた。 鶴岡の名門である笹原家に生まれる。父の笹原儀三郎は、鶴岡南高校長等を歴任した。 東大法学部卒業後、富士銀行入行。同行時代は支店10年、大企業向けホールセール10年、本部企画業務に10年、それぞれ従事した。1986年(昭和61年)には、頭取在任14年となった玉城俊一が代表権のない会長に退いたため、招聘され荘銀頭取に就任した。 頭取在任時は、金融の自由化や国際化に対応した。一方で、庄内地方における農業経済の不振や、山形県内陸部との経済格差拡大に伴い、経営は苦戦を強いられた。
高橋 達也(たかはし たつや、本名:高橋 達朗(たかはし た… 高橋 達也(たかはし たつや、本名:高橋 達朗(たかはし たつろう)、1931年12月27日 - 2008年2月29日)は、日本のジャズ・テナーサックス奏者、バンドリーダー。 山形県鶴岡市生まれ。1951年、仙台の米軍キャンプでプロデビューしその後上京する。1964年にビッグバンド「東京ユニオン」に加入、1966年には4代目バンドリーダーに就任、「高橋達也と東京ユニオン」として名実共に日本一のビッグバンドに成長させる。 1977年、三木敏悟作品アルバム『北欧組曲』でスイングジャーナルジャズディスク大賞、日本ジャズ賞受賞。1978年・1980年、モントルー・ジャズ・フェスティバル出演。1980年代を中心にテレビ音楽を始め数々の演奏を行ってきたが、人気絶頂の1989年11月に心筋梗塞に倒れ緊急入院。
富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月1… 富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月16日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の政治家。初代鶴岡市長、旧鶴岡市12代市長。2011年旭日中綬章受章。 鶴岡市出身。東北大学経済学部を卒業後、山形県庁に入庁。企画調整部長等を歴任。 1991年、旧鶴岡市の市長選で初当選。以後5期18年にわたって市長を務めた。市長在任中には、学術研究機関の整備による地域振興を政策理念の柱にとし、慶應義塾大学先端生命科学研究所の招致などに尽力した。「官僚的な人物だった」と一部では評価されている。 2011年、旭日中綬章受章。 2018年6月18日、肺炎のため鶴岡市内の病院で死去。87歳没。
上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は… 上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 山形県鶴岡市生まれ。1945年2月に、海軍少年兵に志願して、防府海軍通信学校に入った。復員後、鶴岡市役所土木課に勤める。県立鶴岡高等学校(現・山形県立致道館高等学校)定時制在学中に社会党に入党した。1953年、高校を卒業した。同年、上京して『社会タイムス』の記者となった。『社会タイムス』が1954年に休刊すると同年社会主義協会に入局、『社会主義』編集などに携わる。明治大学法学部中退。1962年10月に社会主義協会を退職した。 1963年千葉県議に当選し4期務めた。三里塚闘争初期において小川国彦らとともに支援活動を行う。
富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 -… 富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 - 2020年11月25日)は、日本の彫刻家。成安造形大学名誉教授、櫛引町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。第47代横綱柏戸剛は再従兄弟にあたる。
船岡末利(ふなおか すえとし、1931年 - )は、日本のフ… 船岡末利(ふなおか すえとし、1931年 - )は、日本のフランス文学者。山形県鶴岡市生まれ。1954年東北大学経済学部卒業。大手商社勤務ののち、66年から68年までパリ大学に留学、フランス文明、現代文学でディプロマ取得。71年京都大学文学研究科仏語学仏文学専攻修士課程修了。仏語非常勤講師。79年東海大学外国語教育センター助教授、85年教授。97年定年退職。
五十嵐 卓三(いがらし たくざん、1931年 - )は、日本… 五十嵐 卓三(いがらし たくざん、1931年 - )は、日本の僧侶。山形県鶴岡市善寶寺第42世住職(前住職)。鶴岡市湯野浜乗慶院25世。大本山總持寺顧問。前大本山總持寺西堂。 鶴岡市生まれ。駒澤大学大学院修士課程修了。曹洞宗教化研修所研修員、乗慶院住職、京都大学特別研修員を歴任。国立鶴岡工業高等専門学校、鶴岡市立荘内看護専門学校にて哲学・心理学を20年にわたり講義を行う。発表論文多数。1983年から2000年までヨーロッパでの講義・講演に招聘された。 2010年に善寶寺42世住職となる。大本山總持寺顧問。令和4年(2022年)4月、退董し善宝寺東堂となる。 著書に『瑩山思想の本質―瑩山禅師の垂語参究』『道元思想の本質―道元禅師の垂語参究』などがある。 「国立国会図書館サーチ」を参照 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。
渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10… 渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、哲学者。歴史論・政治・教育・社会評論家。上智大学名誉教授。 専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。 山形県鶴岡市出身。旧制山形県立鶴岡中学校在学中に学制改革が実施され、1949年に山形県立鶴岡第一高等学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。なお同校は新制高等学校であるが、渡部は「私にとっての友達をつくる上で一番よかった時代は、やはり旧制高校に通っていたときだと思う」「旧制高校には各地域から選ばれた優秀な人間が集まってきていたので、周りを見渡せば『すごい』と思える人間ばかりだった」と回顧している。
板垣 昭一(いたがき しょういち、1930年(昭和5年) -… 板垣 昭一(いたがき しょういち、1930年(昭和5年) - 2014年(平成26年)[要出典])は、日本の小説家、国語教育研究者。 元中学校国語教師、機関誌『教育国語』元編集員。山形県鶴岡市宝町在住。 1930年(昭和5年)、山形県鶴岡市生まれ。 1990年、余目町立余目中学校(現・庄内町立余目中学校)を最後に教員を定年退職。 2007年、小説「北のはざま」で、第23回「真壁仁・野の文化賞」受賞。 小説家としての代表作には、歴史小説の『北辰軸』と、その続編の『北のはざま』があり、ともに主人公は庄内藩藩士の松本十郎である。小説『北のはざま』では第23回「真壁仁・野の文化賞」を受賞した。 国語教育研究者としては、長く教育科学研究会・国語部会の会員として活動し、読み方教育における「2次読み」の研究を続けている。
28代 木村 庄之助(にじゅうはちだい きむら しょうのすけ… 28代 木村 庄之助(にじゅうはちだい きむら しょうのすけ、1928年12月15日 - 2010年4月1日)は大相撲の立行司の一人である。木村庄之助としての在位期間は1991年1月~1993年11月。山形県鶴岡市出身。出羽海部屋所属。本名は後藤悟(ごとう さとる)(旧姓・赤松-あかまつ)。平成の名行司と謳われている。 史上屈指の名行司であった松翁20代木村庄之助に入門。1938年5月に9歳で木村松尾の名で初土俵を踏み、当時は「豆行司」と呼ばれて人気を博したという。のちに松翁の養子となる。松翁の死後に22代庄之助の預かり弟子となった。 1947年式守松男時代より場内アナウンスを担当。 1949年5月に師匠の22代庄之助の前名である林之助(式守林之助)を名乗る。
藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12… 藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12月26日 - 1997年(平成9年)1月26日)は、日本の小説家。山形県鶴岡市出身。本名:小菅 留治(こすげ とめじ)。 江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した。とくに、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。 山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下(現在の鶴岡市高坂)に生まれる。父小菅繁蔵と母たきゑの第四子(兄弟は順に繁美、このゑ、久治、留治、てつ子、繁治)。実家は農家で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになる。
赤木 由子(あかぎ よしこ、本名:富樫 菊、1927年11月… 赤木 由子(あかぎ よしこ、本名:富樫 菊、1927年11月1日 - 1988年9月13日)は、日本の児童文学作家。 1927年11月1日、山形県西田川郡豊浦村三瀬(現鶴岡市)に生まれる。幼少期に両親を亡くし、満州に渡り現地で戦争を体験。鞍山常盤高等女学校卒業後、上京して雑誌・新聞記者となる。その後は創作活動に専念。 主な著書に処女作『柳わたとぶ国』をはじめ、『はだかの天使』、『ひまわり愛の花』、『二つの国の物語』三部作、『草の根こぞうの仙吉』(野間児童文芸推奨作品賞受賞作品)、『ぼくら三人にせ金づくり』、『生きるんだ!名犬パール』など多数。中でも理論社大長編シリーズとして1980年に刊行された三部作『二つの国の物語』は代表作の一つであり、1995年に同社より全一冊シリーズとして新たに刊行された。
佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021… 佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021年3月2日)は、日本の政治家、教諭。山形県高校教職員組合執行委員長を経て、衆議院議員を3期務めた。1998年勲三等旭日中綬章受章。 山形県鶴岡市出身。山形師範学校、東北大学を卒業。山形県立鶴岡工業高等学校教諭、県高校教職員組合執行委員長等を歴任。1971年・1974年・1977年の参院選落選を経て、1979年の第35回衆議院選挙で旧山形2区から、安宅常彦の引退を受け日本社会党公認で立候補。トップ当選した自由民主党の加藤紘一に400票弱に迫る僅差で、初当選。以後当選3回。 旧山形2区は、1967年の第31回衆議院選挙以降、定数4議席を自由民主党と野党(日本社会党、社会民主連合)とで2議席ずつ分け合ってきたが、1986年の公職選挙法の部分改正による8増7減で減員区となった。
土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日… 土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日 - 2014年(平成26年)7月30日 )は、日本の詩人・劇作家・社会運動家。本名:吉沢四郎(旧姓堀井)。 山形県鶴岡市出身。陸軍航空士官学校在校中に終戦を迎え、復員して、旧制新潟高等学校に編入、そこから東京大学法学部卒。1962年(昭和37年)、詩「十年たったら」でデビューした。この詩は、20歳代の日本共産党員を語り手とした詩だったので、それを読んだ壺井繁治が、作者も主人公と同じ境遇だと勘違いしたというエピソードがある。その後、詩人会議運営委員長、同顧問を歴任した。 1964(昭和39)年9月より1966(昭和41)年9月まで、中国 遼寧省大連市 大連日本語専科学校(現大連外国語大学)にて日本語教師を勤めた。
梅木 壽雄(うめき としお、1927年(昭和2年) - )は… 梅木 壽雄(うめき としお、1927年(昭和2年) - )は、日本の民俗学者。庄内民俗学会・幹事。山形県鶴岡市錦町在住。 山形県鶴岡市に生れる。 鶴岡市周辺町村で中学校・社会科教諭を勤める。1982年(昭和57年)に山形県教育委員会・調査員となり、語り部の昔話を録音する。 2008年(平成20年)に鶴岡市「良い歯の長寿賞」を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮城野 由美子(みやぎの ゆみこ、1926年3月2日 -)と… 宮城野 由美子(みやぎの ゆみこ、1926年3月2日 -)とは元宝塚歌劇団花組・星組主演娘役クラスで宝塚歌劇団卒業生の元女優である。本名は關キヨ子(せき・きよこ)。夫は映画監督の蔵原惟繕。東京都小石川区(現・文京区)出身。山形県立鶴岡高等女学校(現・山形県立鶴岡北高等学校)中退。
北 廉太郎(きた れんたろう、1920年(大正9年)3月20… 北 廉太郎(きた れんたろう、1920年(大正9年)3月20日 - 1940年(昭和15年)9月15日)は昭和期の歌手。 現在の山形県鶴岡市出身。 1936年(昭和11年)タイヘイレコードから紀多寛として「男の涙」でデビュー。ポリドールレコード移籍と共に瀧廉太郎をもじった北廉太郎に改名。 「潮来夜船」の大ヒットで知られ、他にも「青春の丘」、「出船の唄」、「追憶の馬車」、「シナの町」、「ヴォルガ旅愁」などヒット曲多数。アイドル歌手として人気を得たが、1940年(昭和15年)、白血病で急逝。享年20。 後に2代目北廉太郎の名前でポリドールよりデビューした小川耕平がいる。 ビクターから「雨の夜船」でデビューした後、ポリドールに移籍。
石川 義吉(いしかわ よしきち、1918年(大正7年)- 2… 石川 義吉(いしかわ よしきち、1918年(大正7年)- 2002年(平成14年)は、日本の軍属、事業家。 太平洋戦争において東京外語大学インド語科在学中にF機関に通訳として従事、インド国民軍の編成や戦後のインド独立に影響を与えた藤原岩市を補佐した。戦後は三菱商事のインド駐在員として日印関係に尽力した。晩年は東京大学で長崎暢子教授と共にインド学の研究をしていた。 山形県鶴岡市大山町にて粂太郎、元江の子として生まれる。兄弟は12人、妹1人の大家族であった。1935年上京。この頃大川周明やA.M.サーハエの影響を受ける。東京外語大学進学時、インド人教師バルラースからヒンズー語、ウルドゥ語を学ぶ。1941年10月中旬、在学中に参謀本部からの命令により急遽タイへ送られる。
秋山 太一郎(あきやま たいちろう、1915年〈大正4年〉8… 秋山 太一郎(あきやま たいちろう、1915年〈大正4年〉8月16日 - 2006年〈平成18年〉1月5日)は、日本の医学者、医学博士(東京大学)、実業家。補綴材(エピテーゼ、プロテーゼ)の研究者。株式会社高研の創業者。株式会社荘内日報社元社長・元会長。鶴岡市行政顧問。勲四等瑞宝章。山形県鶴岡市出身。「世界にさきがけ、独創に生きる」を座右の銘とした。 医療用高分子の研究の分野で活躍し、血液樹脂、合成高分子、医用シリコーン、医療用の生体モデルなどを開発し、医療技術の向上に貢献した。略歴は以下のとおり。
佐藤 甚次郎(さとう じんじろう、1914年〈大正3年〉11… 佐藤 甚次郎(さとう じんじろう、1914年〈大正3年〉11月24日 - 2002年〈平成14年〉10月1日)は、日本の地理学者(地理学)。 山形県鶴岡市生まれ。東京高等師範学校研究科地理科卒、日本大学法文学部史学科地理学卒、日本女子大学附属高等学校教諭、1965年「日本農家の間取型に関する地理学的研究」で、東京教育大学より理学博士の学位を取得。日本女子大学教授、1985年定年、名誉教授。 1987年、勲四等旭日小綬章を受章。2002年10月1日、脳腫瘍による虚血性心不全のため死去。
北楯 修哉(きただて しゅうや、1912年11月15日 - … 北楯 修哉(きただて しゅうや、1912年11月15日 - 1997年1月31日)は、将棋棋士、九段。木村義雄十四世名人門下。棋士番号は24。山形県鶴岡市出身。 (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう… 日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう、1912年(明治45年)1月6日 - 没年不明)は、日本の平和運動家、元世界連邦建設同盟理事長。元日本ラッセル協会常任理事。山形県鶴岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 喜久井(いとう きくい、1911年(明治44年)11月… 伊藤 喜久井(いとう きくい、1911年(明治44年)11月15日 - 2002年(平成14年)6月8日)は、日本画家。山形県鶴岡市七日町出身。
佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16… 佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の植物学者。理学博士(東京帝国大学・1942年)。茨城大学名誉教授。山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身。地衣類研究の権威として知られている。
黒羽根 忠雄(くろばね ただお、1909年〈明治42年〉10… 黒羽根 忠雄(くろばね ただお、1909年〈明治42年〉10月5日 - 1996年〈平成8年〉6月17日)は、日本の医学者、内科医。医学博士(東京慈恵会医科大学)。元・黒羽根内科医院院長。山形県鶴岡市出身。 貧しい人からは診療料金を取らない事で知られ、通称は「赤ひげ先生」であった。 東京医学専門学校(現・東京医科大学)を卒業後、東京慈恵会医科大学で大脳生理や条件反射学総説大脳感応現象の研究をした。
田中 正佐(たなか しょうすけ、1908年(明治41年)11… 田中 正佐(たなか しょうすけ、1908年(明治41年)11月2日 - 2000年(平成12年)1月8日)は、日本の実業家。大丸副社長を経て、東急グループの総帥である五島昇に招かれ、東急百貨店社長に就き、東光ストア(現・東急ストア)や東急エージェンシー社長も兼任し、グループの流通事業の発展に力を尽くした。 山形県鶴岡市出身。父正造、母こえだのもと7人兄弟の次男として生まれる。田中家は庄内藩の家臣で、母方は家老の家柄だった。 鶴岡中学校、新潟高等学校、京都帝国大学経済学部を卒業。山添直(小田急不動産社長)は幼友達。 満鉄への入社を希望していたが、知人のすすめもあって1933年、大丸に入社。入社5年後の1938年、大丸が進出していた中国の蘇州店支配人を任される。
原 研吉(はら けんきち、1907年3月24日 - 1962… 原 研吉(はら けんきち、1907年3月24日 - 1962年8月10日)は、日本の映画監督である。本名、菅原謙吉。 山形県鶴岡市出身。慶應義塾大学仏文科卒業の後、松竹大船撮影所に入社。 1962年8月10日、食道癌のため神奈川県藤沢市鵠沼で死去。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
阿部 武雄(あべ たけお、1902年(明治35年)1月4日 … 阿部 武雄(あべ たけお、1902年(明治35年)1月4日 - 1968年(昭和43年)2月5日)は、日本の作曲家。 山形県鶴岡市湯野浜に旅役者の息子として誕生するも、生後間もなく両親は離別、再婚した母に伴われて横須賀に居を移したが母が病死したので、祖父母と石巻に転住。まだ小学生という頑是無い子供であるのに、町役場の給仕として働き生活の辛酸を舐めていた。 苦学の末、東洋音楽学校に入学。卒業後、神戸オリエントホテルのバンドマンとして就職。10年程、楽士として各地を転々とする。 1933年(昭和8年)、作詞家藤田まさとの紹介でポリドールに入社し、専属作曲家となる。1934年(昭和9年)、東海林太郎の歌う「国境の町」、1935年(昭和10年)「むらさき小唄」が大ヒット。
村上 与市(むらかみ よいち、1902年(明治35年) - … 村上 与市(むらかみ よいち、1902年(明治35年) - 2005年(平成17年))は、日本の教育者。藤島町町長、栄典・称号は、勲四等旭日小綬章・藤島町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)
佐藤 正能(さとう まさよし、1901年(明治34年)5月1… 佐藤 正能(さとう まさよし、1901年(明治34年)5月10日 - 1979年(昭和54年)11月14日)は、日本の教育者、ドイツ法学者、横浜国立大学教授、財団法人荘内館理事。栄典は、正四位・勲三等旭日中綬章。 ※この歌は佐高信が自著で取り上げた事で有名になった。
山本 善雄(やまもと よしお、1898年(明治31年)6月2… 山本 善雄(やまもと よしお、1898年(明治31年)6月20日 - 1978年(昭和53年)11月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県鶴岡市出身。 旧制山形県立荘内中学校より海軍兵学校第47期入校。山本は海軍大学校甲種課程卒業後は、海軍中央部に在職することが多かったいわゆる赤レンガ組士官であり、太平洋戦争中の軍政の中枢にあった人物である。最後の軍務局長を務めた後、公職追放を経て、海上自衛隊の前身、海上警備隊建設準備委員会(Y委員会)主宰を務めた。
佐藤 圓治(さとう えんじ、明治30年(1897年)8月24… 佐藤 圓治(さとう えんじ、明治30年(1897年)8月24日 - 昭和46年(1971年)7月30日)は、日本の俳優。娘は女優の三條美紀、孫は元女優の紀比呂子。 山形県東田川郡東栄村(藤島町を経た後に鶴岡市)出身。大正4年(1915年)山形県立荘内農業学校卒業。上京して慶應義塾大学に入るが中退。兵役につき、大正7年(1918年)にシベリアに従軍。大正11年(1922年)に帰還した。除隊後に会社(日本体育用品株式会社)に取締役として勤めるが、方向転換し、大正12年(1923年)に水口薇陽が設立した日本映画俳優学校に第1回目の入学生として入校した。同期には小杉勇、島耕二、森岩雄、八木保太郎等がいる。
林 信雄(はやし のぶお、明治30年(1897年)4月8日 … 林 信雄(はやし のぶお、明治30年(1897年)4月8日 - 昭和39年(1964年)12月12日)は、日本の医学者、医学博士(千葉医科大学)。放射線による内科的診断・放射線医学の先駆者。従五位・勲四等・旭日小綬章。 山形県鶴岡市出身。
松本 毅(まつもと たけし、1896年(明治29年)4月14… 松本 毅(まつもと たけし、1896年(明治29年)4月14日 - 1962年(昭和37年)5月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県鶴岡市出身。開拓使の松本十郎の孫にあたる。
山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29… 山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29年)3月30日 - 1972年(昭和47年)9月12日)は、山形県鶴岡市出身の日本画家。挿絵画家。 高校時代は、美術講師の小貫博堂に指導を受け、大学時代は、結城素明に師事した。 大学卒業後は、絵画展覧会に作品を出品したり、同人誌などで挿絵を発表する。 その後は、主に小説本などの挿絵を描き、その中でも『神州天馬侠』 吉川英治(著)の挿絵は有名。 従甥に奇人の南画家として知られる服部二柳がいる。
森 悌次郎(もり ていじろう、 1896年1月25日 - 1… 森 悌次郎(もり ていじろう、 1896年1月25日 - 1969年7月13日)は、山形県鶴岡市出身の体育学者、大学教授、サッカー選手。 1916年3月に山形県立荘内中学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。東京高等師範学校に入学し、蹴球部に入部した。在学中の1921年6月に開催された第5回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出され、2試合に出場した。 1923年3月に東京高師本科体育科甲組を卒業し、同年4月より東京高師の助手兼助教諭に任じられた。1925年4月に東京女子体操音楽学校の講師となり、1926年から1年間体操の研究のためにドイツ国に留学した。1927年8月に東京高師の助教授兼助教諭となった。