岡田 昌彰(おかだ まさあき、1967年 - )は、日本の土… 岡田 昌彰(おかだ まさあき、1967年 - )は、日本の土木史研究者である。近畿大学理工学部社会環境工学科教授。 1967年に茨城県日立市で誕生する。茨城県立水戸第一高校を経て、1991年に東京工業大学工学部土木工学科を卒業し、同大学院理工学研究科社会工学専攻で1996年に博士課程を修了する。『テクノスケープに関する研究』で博士(工学)を授与される。その後、日本学術振興会特別研究員を経て長大構造事業部・国土技術政策総合研究所沿岸海洋研究部研究員・東京大学アジア生物資源環境研究センター研究機関研究員などを歴任したのち、2003年より近畿大学理工学部社会環境工学科講師となる。2007年より准教授、2013年より教授を務める。
役重 眞喜子(やくしげ まきこ、1967年 - )は日本の行… 役重 眞喜子(やくしげ まきこ、1967年 - )は日本の行政学者。専門は地方自治、地域コミュニティ。花巻市教育委員会委員。花巻市総務部総務課長などを務めた。 茨城県日立市生まれ。その後は東京都豊島区や千葉県流山市に移る。千葉県立東葛飾高等学校では陸上部に所属。東葛飾高校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)在学中に国家公務員一種試験(行政職)をトップで合格(行政職の女性トップは史上2人目)。東大法学部第2類(公法コース)卒業。 1989年 農林水産省に入省。水野政義とともに畜産局畜政課に法律事務官として配属された。当時はバブル絶頂期であり、学部時代の友達や当時のボーイフレンドは大手の銀行や証券会社、大蔵省、通産省などを勧めていたが、小さい頃から自然が好きだったため、農水省を選択した。
大金 直樹(おおがね なおき、1966年12月13日 - )… 大金 直樹(おおがね なおき、1966年12月13日 - )は、日本の実業家、元サッカー選手。 茨城県日立市出身。1982年に茨城県立日立第一高等学校へ進学し、2年生、3年生時には茨城県選抜として国体出場。2期下に東海林毅。1985年に筑波大学へ進学し、4年生時の1988年には関東大学リーグ及び総理大臣杯で優勝。 1989年に大学を卒業し、東京ガスへ入社。社員選手として同社サッカー部(現FC東京)に入部した。ポジションは主にボランチ。1990年に大熊清、川勝良一、小林伸樹らと関東リーグ及び全国地域リーグ決勝大会で優勝を果たし、翌年からは日本リーグ及びジャパンフットボールリーグでプレーを続けた。主将を任されていたが1994年のリーグ第6節東芝戦で前十字靭帯を断裂。
沼田 憲保(ぬまた のりやす、1966年4月26日 - 20… 沼田 憲保(ぬまた のりやす、1966年4月26日 - 2007年9月4日)は、茨城県日立市出身のモーターサイクル・ロードレースライダー。雨天でのレースに強く、「雨の沼田」の異名をとった。 1988年にSP250クラスでデビュー。ノービス時代は、ミラージュ関東に籍をおき、1990年のSUGO選手権では3クラスでチャンピオンを獲得した。翌年に特別昇格で国際A級ライセンスを得ると、スズキワークスのRGV‐Γ250開発兼任で全日本ロードレース選手権250ccクラスにフル参戦を開始した。原田哲也・岡田忠之・青木宣篤ら強豪がひしめく中、まだポテンシャルの低かったマシンで苦戦を強いられ、初表彰台(3位)に立ったのは1992年第3戦だった。
KATSUMI(かつみ、1965年10月20日 - )は、日… KATSUMI(かつみ、1965年10月20日 - )は、日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター。茨城県日立市出身。血液型はAB型。本名は渡辺 克巳(わたなべ かつみ)で、作品名義に著している。 1965年10月20日、茨城県で生まれる。 1983年、茨城県立多賀高等学校を卒業、ミューズ音楽院に進学する。 1984年 - 1989年、都内のライブハウスでバンド「SIZE」(サイズ)を組んで活動。そのバンドのデモテープに音楽関係者が関心を寄せる。 1990年4月25日、パイオニアLDCのJ-POP第1号歌手として、アルバム『SHINING』、シングル「SHINING IN THE NIGHT」でデビューする。
磯崎 寛也(いそざき ひろや、1965年 - )は、日本の詩… 磯崎 寛也(いそざき ひろや、1965年 - )は、日本の詩人、画家。男性。茨城県日立市生まれ。 茨城県立水戸第一高等学校、早稲田大学第一文学部を卒業した。1989年、西武百貨店に入社し、営業企画部に配属された。1995年、新店オープンの企画担当として滞在していた兵庫県神戸市で阪神・淡路大震災に被災する。 2010年に十和田市現代美術館のGMに就任した。 2011年に茨城県水戸市で東日本大震災に被災する。公式ウェブサイトによると、これを契機に「アーティストとして活動を始め、震災を忘れないために空き店舗で地域のアーティストとアートプロジェクトを複数回企画開催」したという。 2017年12月から2018年3月まで脊椎炎を発症して入院する。
佐藤 シンイチロウ(さとう シンイチロウ、1964年〈昭和3… 佐藤 シンイチロウ(さとう シンイチロウ、1964年〈昭和39年〉8月16日 - 2026年〈令和8年〉3月23日)は、日本のドラマー。ロックバンド、the pillowsとThe ピーズのドラムス担当として活動。血液型はO型。愛称はシンちゃん。 茨城県日立市出身。駒澤大学卒業。 THE POGO、KENZI & THE TRIPSでの活動を経て、the pillowsとThe ピーズの2つのバンドを並行させて活動。詳細は後述の来歴の節を参照のこと。 thee michelle gun elephantのメンバーと親交が深い。1993年頃、当時まだ無名だった彼らに、the pillowsの所属事務所であるBAD MUSIC GROUPを佐藤が薦め、結果メジャー・デビューした。
坂口 博信(さかぐち ひろのぶ、1962年11月25日 - … 坂口 博信(さかぐち ひろのぶ、1962年11月25日 - )は、日本のゲームクリエイター、シナリオライター、映画監督。ゲーム制作会社ミストウォーカーCEO。 茨城県日立市出身。『ファイナルファンタジーシリーズ』の生みの親である。 1962年、九州出身の両親のもと茨城県日立市に生まれる。 茨城大学教育学部附属中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、横浜国立大学工学部電子情報工学科へ進学するも中退。 小学生の時はピアノを、中学生の時はフォークギターを嗜み、高校時代はミュージシャンを目指す(当時ゲームは嫌いで触りもしなかった)。 大学ではApple IIで『ウィザードリィ』『ウルティマ』の虜になり、オールBASICのアドベンチャーゲームなどを作っていた。
三五 十五(さんご じゅうご、1962年3月16日 - 20… 三五 十五(さんご じゅうご、1962年3月16日 - 2015年3月3日)は、日本のパフォーマー・お笑いタレント・ミュージシャン。人体実験パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のメンバーであり、主にMC(司会)を担当する。本名:小林 祐司(こばやし ゆうじ)。茨城県出身。茨城県立松丘高等学校卒業。
多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)… 多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)2月15日 - )は、茨城県日立市出身(本籍地は北茨城市)で鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒谷 昇(くろたに のぼる)。最高位は西関脇(1983年(昭和58年)11月場所)。現役時代の体格は178cm、139kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ。 現在は、年寄・鏡山として追手風部屋に所属。 日立市立成沢小学校時代はあまりにも元気がありすぎて、5年生の時にサッカーのゴールポストで逆上がりしてポストごと倒れ、顔に17針も縫う傷を負ったこともあるという。 日立市立多賀中学校では野球部に所属し、捕手でキャプテンを務めた。野球の腕を買われて東洋大学附属牛久高等学校への入学が一旦決定したが、経済的な事情で断念。
猿田 祐嗣(さるた ゆうじ、1957年9月4日 - )は、日… 猿田 祐嗣(さるた ゆうじ、1957年9月4日 - )は、日本の教育学者、国立教育政策研究所名誉所員。 茨城県日立市生まれ。専門は科学教育。IEA(国際教育到達度評価学会)のTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)やOECD(経済協力開発機構)のPISA(生徒の学習到達度調査)等に国内調査責任者として携わり、日本の子どもたちの学力向上のための教育施策に資する調査データを提供するとともに、日本科学教育学会や日本理科教育学会において副会長や理事を歴任し、学会の発展に寄与する。 1976年広島県立呉三津田高等学校卒業。1980年広島大学理学部物性学科卒業、1985年同大学院教育学研究科博士課程後期中退、2010年「論理的思考に基づいた科学的表現力に関する研究-TIMSS及びPISA調査の分析を中心に-」で博士(教育学)(広島大学)。
水見 稜(みずみ りょう、1957年6月30日 -)は日本の… 水見 稜(みずみ りょう、1957年6月30日 -)は日本のSF作家、評論家。 茨城県日立市出身。茨城県勝田市で育つ。高校時代は漫画研究会に所属していたという。また同時期には、伊沢昭夫名義で、筒井康隆主宰のSF同人誌『ネオ・ヌル』にも参加していた。 早稲田大学第一文学部社会学科卒業。大学在学中はワセダミステリクラブに所属。1980年、在学中の23歳に投稿した「夢魔のふる夜」が、第6回ハヤカワ・SFコンテストで最終候補作となり、《参考作》に選出された(同期に大原まり子、火浦功がいる)。翌1981年、SF専門誌『S-Fマガジン』3月号に「オーガニック・スープ」が掲載され、商業誌にデビューした。大学卒業後は出版社に勤務し、現在に至る。
妹島 和世(せじま かずよ、1956年10月29日 - )は… 妹島 和世(せじま かずよ、1956年10月29日 - )は、茨城県出身の日本の建築家(一級建築士)。横浜国立大学大学院都市イノベーション学府Y-GSA教授、ウィーン応用芸術大学教授、ミラノ工科大学教授、大阪芸術大学客員教授、日本女子大学客員教授を務める。プリツカー賞、日本建築学会賞、日本建築大賞他多数受賞。SANAAを西沢立衛と共同で運営する。 SSH No. 04
秋田 浩一(あきた こういち、英語: Koichi Akit… 秋田 浩一(あきた こういち、英語: Koichi Akita、1955年9月2日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者、体育学者。駒澤大学体育会サッカー部監督、駒澤大学教授。関東大学サッカー連盟副会長。 茨城県日立市出身。茨城県立水戸商業高等学校、駒澤大学卒業。その後、体育の教員資格を取得するため国士舘大学に編入学し、1981年3月卒業(体育学、学士)。国士舘大で2年間学びながらサッカーも続け、U23日本代表監督の山本昌邦や元日本代表の柱谷幸一らとも一緒にプレー。1979年の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで国士舘大は初優勝した。ポジションは高校大学ともセンターフォワード(CF)。1982年、駒澤大学に助手として採用され、サッカー部コーチとなる。
月田 早智子(つきた さちこ、1954年1月 - )は、日本… 月田 早智子(つきた さちこ、1954年1月 - )は、日本の細胞生物学者、分子生物学者。茨城県日立市生まれ。 タイトジャンクションの研究で知られる。夫はクローディンを発見した医学者の月田承一郎。2022年現在、帝京大学先端総合研究機構教授。2012年文部科学大臣表彰・科学技術賞、2015年東レ科学技術賞を受賞。
中村 英子(なかむら えいこ、本名:田岡英子、旧姓:中村、1… 中村 英子(なかむら えいこ、本名:田岡英子、旧姓:中村、1951年3月23日 - 1975年3月30日)は、日本の元女優。茨城県日立市生まれ。 1969年、茨城県立日立第二高等学校卒業。 1972年文化服装学院ファッションデザイン専攻科を卒業。同年、東映が賞金100万円で公募した「ポスト藤純子オーディション」の5千人の中から選ばれ、同年9月、菅原文太主演『木枯し紋次郎 関わりござんせん』でデビュー。同年11月、石井輝男監督『緋ぢりめん博徒』に主演。 1973年、『仁義なき戦い』『仁義なき戦い 代理戦争』『現代任侠史』等に出演の他、TV時代劇にも出演。 1974年5月23日、山口組三代目田岡一雄の長男でプロデューサーの田岡満と大阪ロイヤルホテルで田中清玄夫妻の媒酌で結婚、芸能界を引退して一女をもうけた。
赤塚 真人(あかつか まこと、本名は同じ、1951年〈昭和2… 赤塚 真人(あかつか まこと、本名は同じ、1951年〈昭和26年〉3月19日 - 2024年〈令和6年〉7月4日)は、日本の俳優。劇団裏長屋マンションズ座長。 本名同じ。「まさと」と読まれがちだが「まこと」である。命名の由来は、ろくに働かず家に居つかなかった父親が、久しぶりに帰宅した時に誕生したため、「真人間になりますように」の願いを込めて名づけられたという。 血液型はO型。趣味は水彩画、作詞、ギター、茨城弁、釣り。 茨城県日立市出身。少年期に家族とともに上京し、東京都江東区で育つ。 1966年、江東区立深川第三中学校を卒業。東京工業高等学校(現・日本工業大学駒場中学校・高等学校)中退。 『男はつらいよ』で観た渥美清に共感したことで俳優になることを決意。
櫻井 哲男(さくらい てつお、1948年9月21日 - )は… 櫻井 哲男(さくらい てつお、1948年9月21日 - )は、日本の音楽学者、阪南大学名誉教授。 茨城県日立市出身。東京芸術大学音楽学部楽理科卒、1973年同大学院修士課程修了。和歌山大学教育学部助手、国立民族学博物館助手、助教授、熊本大学文学部教授、総合研究大学院大学併任教授、阪南大学国際コミュニケーション学部教授、同国際観光学部教授を経て、2016年阪南大学名誉教授。 日本音楽学会全国委員、東洋音楽学会理事、同関西支部長、同副会長を歴任。 2003年に聴力を失い、それ以後、公の場に姿を見せていない。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。
柴田 国明(しばた くにあき、1947年3月29日 - )は… 柴田 国明(しばた くにあき、1947年3月29日 - )は、日本の元プロボクサー。茨城県日立市出身。身長163cm。ヨネクラボクシングジム所属。元WBC世界フェザー級王者。元WBA・WBC世界スーパーフェザー級王者。元リングマガジン世界フェザー級・スーパーフェザー級王者。世界2階級制覇王者。 名門ヨネクラボクシングジムが生んだ初の世界王者。敵地メキシコで「赤き鷹」と呼ばれた王者ビセンテ・サルディバルから王座を奪取するなど、2階級に渡って3度世界王座を奪取したうち、2度が日本国外での王座獲得であった。 その才能は青木勝利、海老原博幸らと並んで日本プロボクシング史上屈指と評され、実力・実績に対する評価も極めて高い。
高橋憲一(たかはし けんいち、1946年- )は、日本の科学… 高橋憲一(たかはし けんいち、1946年- )は、日本の科学史家、九州大学名誉教授。 茨城県日立市生まれ。1970年早稲田大学理工学部電気工学科卒業。1979年東京大学大学院理学研究科退学(科学史・科学基礎論専攻)。1990年「中世西欧世界におけるユークリッド『反射光学』の諸伝承」で理学博士(東京大学)。九州大学教養部助教授をへて、同比較社会文化研究院教授を務め、2010年定年退任、名誉教授となる。2006年『ガリレオの迷宮』で毎日出版文化賞受賞。 イムレ・ラカトシュの論を批判した。
樫村 千秋(かしむら ちあき、1944年(昭和19年)1月1… 樫村 千秋(かしむら ちあき、1944年(昭和19年)1月17日 - 2016年(平成28年)11月8日)は、日本の政治家。元日立市長(3期)。 茨城県日立市出身。1966年(昭和41年)関東学院大学経済学部経営学科卒業。経営学科1期生となる。卒業後は茨城県庁に就職。1993年(平成5年)茨城県総務部知事広報室課長、1996年(平成8年)茨城県総務部地方課長、1998年(平成10年)茨城県総務部知事公室長を歴任。 1999年(平成11年)2月、茨城県庁を退職。同年4月、日立市長選挙に初当選。2003年(平成15年)、2007年(平成19年)の市長選はいずれも無投票当選。2011年(平成23年)4月まで3期に渡り日立市長となる。
松光 正文(まつひかり まさふみ、1943年4月11日-没年… 松光 正文(まつひかり まさふみ、1943年4月11日-没年不明)は、茨城県日立市出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒澤 政文(くろさわ まさふみ)。172cm、111kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、押し。 日立市立多賀中学校ではサッカー部に所属して主将を務めたが、相撲も好きだったのでどちらを取るか考えた結果、相撲を取り、自分で部屋に手紙を書いて入門を願った。当初は同郷の大関・大内山がいる時津風部屋に入門しようと考えたが、大部屋であったので自分の実力でやっていけるか不安だったので、小さくても関取がいる若松部屋なら活躍できるだろうと踏んで入門を決意した。1959年5月場所に初土俵、1964年5月場所に十両昇進。
井上 たかひこ(いのうえ たかひこ、1943年 - )は、日… 井上 たかひこ(いのうえ たかひこ、1943年 - )は、日本の水中考古学者。 茨城県日立市生まれ。法政大学経済学部卒業。米国テキサス州立テキサスA&M大学大学院文化人類学部(水中考古学専攻)修了。同大併設の水中考古学研究所にて「水中考古学」の父と呼ばれるジョージ・バス(考古学者)(英語版)に師事し、水中考古学の学位を授与される。この間、トルコのウルブルン難破船、ジャマイカのポート・ロイヤル海底都市、元寇船など水中遺跡の発掘調査に参加。その後、筑波大学歴史人類学研究科研究生、茨城大学非常勤講師、カルチャースクール講師など。現在は千葉県勝浦沖の黒船ハーマン号(ハーマン号事件)を調査中。日本水中考古学調査会会長。
黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は… 黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 茨城県日立市にて日立製作所に勤める技術者の息子として生まれる。1960年代から1970年代に掛けて自動車競技で活躍した後、評論家に転向した。「ガンさん」のニックネームでも知られる。2012年からSUPER GTに関わり、LEON RACINGの監督も歴任した。 年齢が2025年8月で85歳となった現在においても、ビデオマガジンやYouTubeなどで高度な運転技術を披露する。 ホンダ系チームで2輪ライダーとして活動。1962年に鈴鹿サーキットで初開催された、第1回全日本選手権ロードレースの50ccクラスで優勝するなどの実績がある。
宮本 征勝(みやもと まさかつ、1938年7月4日 - 20… 宮本 征勝(みやもと まさかつ、1938年7月4日 - 2002年5月7日)は、茨城県日立市出身のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。サッカー日本代表として44試合に出場し、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した。 茨城県立日立第一高等学校でサッカーを始め、1956年の第35回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝し、得点王および最優秀選手に選出された。 1957年、早稲田大学第二商学部に入学。在学中は早稲田大学ア式蹴球部に所属し、在学中の1958年にサッカー日本代表に選出され、同年12月の香港代表戦で初出場した。 大学卒業後、1961年から長沼健や大学の先輩・八重樫茂生ら代表選手の揃った古河電気工業サッカー部(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団した。
久米 博(くめ ひろし、1932年 - 2023年9月16日… 久米 博(くめ ひろし、1932年 - 2023年9月16日)は、日本の哲学者、翻訳家。 ポール・リクールを中心に多くのフランス現代思想を翻訳した。 茨城県日立市生まれ。1957年、東京大学文学部哲学科卒業。1962年、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。1967年、ストラスブール大学プロテスタント神学部で宗教学博士。桐朋学園大学教授。1995年、立正大学教授。2003年、定年退職。 2023年9月16日、死去。
飯山 利雄(いいやま としお、1931年 <昭和6年> 5月… 飯山 利雄(いいやま としお、1931年 <昭和6年> 5月6日 - 2001年 <平成13年> 6月26日)は、日本の政治家。元茨城県日立市長。位階は正六位。勲等は勲四等瑞宝章。 日立市出身。早稲田大学政経学部卒業。 日立市に入り、都市計画部長、市長公室長、教育長を経て、1991年(平成3年)日立市長に当選。1999年(平成11年)4月まで務めた。 2001年6月 死去。死没日付をもって正六位に叙され、勲四等瑞宝章追贈。
田村 晃祐(たむら こうゆう、1931年2月5日 - 202… 田村 晃祐(たむら こうゆう、1931年2月5日 - 2022年7月1日)は、日本の仏教学者。学位は、文学博士(東京大学・乙種・1989年)。東洋大学名誉教授。専門は日本仏教史。最澄と徳一研究の第一人者。その他に聖徳太子、親鸞、井上円了も研究。茨城県多賀郡日立町(現、日立市)生まれ。 1931年2月、茨城県多賀郡日立町の真宗大谷派の寺院に生まれる。1949年、茨城県立日立第一高等学校を卒業後、東京大学文学部印度哲学梵文学科(現:インド哲学仏教学専修課程)に進む。1954年に同大学院人文科学研究科修士課程に進み、1961年に同博士課程満期退学。1989年に『最澄教学の研究 - 最澄,徳一論争を通じて-』で文学博士(乙種、東京大学)。
黒木 曜之助(くろき ようのすけ、1928年 - 没年不明)… 黒木 曜之助(くろき ようのすけ、1928年 - 没年不明)は、日本の作家・ノンフィクション作家。本名塚野 昭、別名筑波 昭。 茨城県日立市生まれ。日本大学芸術学部中退。茨城新聞に入社、編集局次長などをつとめる。 1957年「クレオパトラの毒蛇」が『宝石』懸賞の最終候補になる。1967年、江戸川乱歩賞で最終候補作となった「野望の接点」を刊行。 1989年以降目立った著作はなく、日本推理作家協会においては物故会員とされている。2012年には、茨城新聞記者として1957年に担当した原子力平和利用博覧会について朝日新聞の取材に答えている。
安島 友義(安嶋友義、あじま ともよし、1922年(大正11… 安島 友義(安嶋友義、あじま ともよし、1922年(大正11年)2月7日 - 1999年(平成11年)6月9日)は日本の政治家。衆議院議員(1期、日本社会党)。 茨城県日立市生まれ。日立製作所に入社後、同社労働組合では中央執行部の幹部として活動する。茨城県労働会館を建設する際には実行委員会の副委員長を務め、組合桔成十五周年の記念事業として行った『組合史』の編纂では小委員会の委員を務め、安島が戦後編における各章の概説の執筆を担当した。 日本社会党の衆議院議員石川次夫の死去を受け、日立労組顧問だった安島が後継となり、1976年(昭和51年)、第34回衆議院議員総選挙に茨城2区から立候補。日立労祖の組織票を受け、同選挙で1位の塚原俊平に次ぐ70,600票を得票し当選した。
吉原 正(よしわら ただし、1922年 - 2014年)は、… 吉原 正(よしわら ただし、1922年 - 2014年)は、日本の建築家。中村順平のボザール教育を受け、同級の松本陽一と親交をもつ。鹿島建設時代に、天野太郎や樋口清と親交をもち、天野がフランク・ロイド・ライトのもとから帰国した後、共に設計活動を行う。天野がパーキンソン病で死去するまで設計活動を支え続けた。
川崎 寅雄(かわさき とらお、1914年 - 1976年)は… 川崎 寅雄(かわさき とらお、1914年 - 1976年)は、日本のアラビストの草分けとされる人物。第二次世界大戦中は外務省職員、海軍司政官の職務に就き、戦後は石油関連の通訳などを経て、創価大学でアラビア語を教えた。アラビア語・日本語の言語辞典(英語版)としては初となる『アラブ語辞典』を完成させ、1963年自費出版により出版した。 川崎寅雄は1914年に茨城県久慈郡久慈町(現 日立市)の漁師の網元の家に生まれた。名古屋高等商業学校(学制改革後は名古屋大学に統合)に進学し、すべての学費を免除される優秀な成績で卒業した。外務省留学生試験に合格し、21歳でエジプトの国立カイロ大学に留学した。カイロ大学卒業後はエジプト、レバノン、バグダードなどアラビア語圏の公使館に勤務した。
遠山 喜一郎(とおやま きいちろう、1909年(明治42年)… 遠山 喜一郎(とおやま きいちろう、1909年(明治42年)11月22日 - 1999年(平成11年)9月15日)は、元体操選手。ラジオ体操を考案した人物のひとり。位階は正四位。 茨城県多賀郡日立村(現・日立市)出身。東京高等師範学校を卒業し、熊本師範学校教諭となる。教諭時代に1936年ベルリンオリンピックに出場。 1954年(昭和29年)世界選手権の日本代表団監督、1956年メルボルンオリンピック体操国際審判員などを歴任したのち千葉大学教授となり、1975年(昭和50年)に退官する。退官後は東京女子体育大学教授に転じ1982年(昭和57年)まで務めた。ほか、日本体操協会副会長なども務めた。1999年死去。
五来 重(五來 重、ごらい しげる、1908年〈明治41年〉… 五来 重(五來 重、ごらい しげる、1908年〈明治41年〉3月7日 - 1993年〈平成5年〉12月11日)は、日本の民俗学者。大谷大学名誉教授。専門は日本仏教史、仏教民俗学。 茨城県久慈郡久慈町(現:日立市)に生まれる。旧制茨城県立太田中学校(現:茨城県立太田第一高等学校・附属中学校)、旧制水戸高等学校文科甲類を経て、1932年に東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業。高野山大学助手に就任するも、歴史学を修めるため京都帝国大学文学部史学科に再入学し、1939年に京都帝国大学文学部史学科国史学専攻を卒業。卒業論文は「中世に於ける神仏習合思想の変遷と元寇の影響」。 以後、京都師範学校教諭、高野山大学助教授、同教授を経て、1955年、大谷大学文学部教授に就任。
三代 義勝(みよ よしかつ、1905年(明治38年)11月2… 三代 義勝(みよ よしかつ、1905年(明治38年)11月25日 - 1967年(昭和42年)11月3日)は、福島県磐城市(現・いわき市)長。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 現在の茨城県日立市の漁師の子に生まれる。23歳で魚の行商を始め、小名浜に来てその後、水産加工場を建てる。精力的な努力の末、規模を拡大し、イワシ漁の船を持ち、漁業に乗り出し、マグロ、サバ用などの漁船を多く持ち、全国屈指の漁家となる。小名浜漁業組合長など多くの漁業関連団体の役員を務めた。ほか、1938年2月に東日本漁業取締役となり、同年3月に小名浜町議に当選した。 1956年の磐城市長選挙に立候補し、対立候補を251票差で破った。
橋本 正武(はしもと まさたけ、1903年〈明治36年〉1月… 橋本 正武(はしもと まさたけ、1903年〈明治36年〉1月13日 - 1983年〈昭和58年〉7月11日)は、日本の武道家(剣道、居合道)、林野技術官僚。 茨城県多賀郡十王町(現日立市)で生まれる。曾祖父、祖父は1864年(元治元年)、天狗党の乱に参加。父熊之介は私塾輔仁学舎で水戸学を学び、水戸東武館で剣道を修めた。その弟の統陽は東京美術学校で彫刻を学びながら有信館で剣道、居合を修行していた。 1920年(大正9年)、県立水戸農学校を優秀な成績で卒業し、進学するために叔父の統陽を頼って上京。統陽の口利きで有信館の二階の部屋を与えられ、予備校に通いながら中山博道に剣道、居合を学ぶ。 1921年(大正10年)、東京帝国大学農学部林学実科に入学。
大内 竹之助(おおうち たけのすけ、1888年12月12日 … 大内 竹之助(おおうち たけのすけ、1888年12月12日 - 1965年11月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 茨城県多賀郡、のちの高鈴村(助川町を経て現日立市)出身。1907年茨城県立水戸農学校(現・茨城県立水戸農業高等学校)卒。高鈴村議、助川町議、茨城県会議員、同農会議員、助川町長となる。 1937年の第20回衆議院議員総選挙において茨城2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選。衆議院議員を1期務めた。1942年の第21回衆議院議員総選挙には立候補せずに引退。終戦後、公職追放となった。 このほか常陸セメント(株)常務取締役、同社長、茨城いすゞ自動車(株)取締役、茨城相互銀行(現・筑波銀行)取締役会長を務めた。
大津 淳一郎(おおつ じゅんいちろう、1857年1月18日(… 大津 淳一郎(おおつ じゅんいちろう、1857年1月18日(安政3年12月23日) - 1932年(昭和7年)1月29日)は、日本の衆議院議員(立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党→立憲同志会→憲政会→立憲民政党)、貴族院勅選議員。大東文化学院総長(第6代)などを歴任した。族籍は茨城県平民。 常陸国多賀郡折笠村(のちの茨城県多賀郡豊浦町、現在の日立市)出身。茨城県士族・大津正則の二男。1874年(明治7年)、分かれて一家を創立する。 水戸で漢学を修めた後、江戸に遊学した。1877年(明治10年)、小学校の教員となるが、まもなく退職した。その後、板垣退助の民権論にふれ、1879年(明治12年)から水戸で政談演説会を開いて、自由民権運動を推し進めた。
志村 知幸 は、日本の声優、俳優。茨城県日立市出身。賢プロダ… 志村 知幸 は、日本の声優、俳優。茨城県日立市出身。賢プロダクション所属。
小池 博史(こいけ ひろし、男性)は、日本の空間演出家・作家… 小池 博史(こいけ ひろし、男性)は、日本の空間演出家・作家・振付家・映画監督。 1982年パフォーミングアーツグループ「タラフマラ劇場」を設立(1987年に『パパ・タラフマラ』に改称)。2012年5月の同グループ解散まで全55作品の作・演出・振付を手掛ける。2012年6月に6月に『小池博史ブリッジプロジェクト』を立ち上げる。(2023年6月、『小池博史ブリッジプロジェクトーODYSSEY』に改称)現在までに同プロジェクトにて38作品を創作。北南米、欧州、アジア18カ国にて創作。アフリカを除く42カ国をツアーしている。数多くの多国籍かつバックグラウンドの異なるアーティスト、俳優、舞踊家、音楽家、美術家、映像作家、プロデューサーと共同制作を行ってきた。
佐々木 ひとみ(ささき ひとみ)は日本のコピーライター、児童… 佐々木 ひとみ(ささき ひとみ)は日本のコピーライター、児童文学作家。 茨城県十王町(現在の日立市)生まれ、宮城県仙台市在住。1985年東北福祉大学福祉心理学科卒業。広告制作プロダクションへ勤務ののち、フリーのコピーライターに。 『ぼくとあいつのラストラン』で、第1回 「新・童話の海」公募入選、第20回 椋鳩十児童文学賞を受賞。ニッサン童話と絵本のグランプリにおいて、「バラ園の魔女」が第15回童話部門佳作入賞、「さくらもり」が第20回の童話部門佳作入賞している。 2016年8月、『ぼくとあいつのラストラン』が「ゆずの葉ゆれて」として映画化。 日本児童文芸家協会会員、日本児童文学者協会会員、「季節風」同人。
加藤 善孝 は、日本の元プロボクサー。茨城県日立市出身。第4… 加藤 善孝 は、日本の元プロボクサー。茨城県日立市出身。第45代OPBF東洋太平洋ライト級王者。第57代日本ライト級王者。角海老宝石ボクシングジム所属。茨城県立太田第一高等学校卒業。
はなわ ちえは、日本の津軽三味線奏者。茨城県日立市出身。 9… はなわ ちえは、日本の津軽三味線奏者。茨城県日立市出身。 9歳のときに佐々木光儀に師事し、津軽三味線を習い始める。1998年に津軽三味線全国大会C級部門のチャンピオン、2000年に同大会A級女性部門に初挑戦して17歳で最年少のチャンピオンとなる。 東京芸術大学音楽学部邦楽科長唄三味線専攻に入学、在学中の2004年に1stアルバム「月のうさぎ」でメジャーデビュー。 並行してヴァイオリンの沖増菜摘と和洋ユニット『hanamas(ハナマス)』、尺八の辻本好美と和楽器ユニット『fuga(フーガ)』を結成し、演奏活動をスタート。 2005年には皇居内桃華楽堂での御前演奏やカンヌ国際広告祭に招かれ演奏、また国際交流基金や在日本大使館主催あるいは企業招聘により20カ国を超える海外公演を行うなど、その活動は多岐にわたる。