綱島 龍生(つなしま りゅうせい、2000年1月21日 - … 綱島 龍生(つなしま りゅうせい、2000年1月21日 - )は、新潟県糸魚川市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学1年時から軟式野球を始め、中学では捕手としてプレーした。 新潟県立糸魚川白嶺高等学校では1年春から「3番・捕手」を任され、夏の県予選では同校の4年ぶりの勝利に貢献した。1年秋に遊撃手に転向した。高校時代は春夏を通じ甲子園出場経験はないものの、巧打で俊足強肩の遊撃手としてプロスカウトから評価されていた。 2017年度プロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズより6位で指名を受け、11月15日に仮契約を結んだ。背番号は63。 2018年は二軍で56試合に出場し、110打席で打率.238であった。
加藤 竜太(かとう りょうた、1993年2月3日 - )は、… 加藤 竜太(かとう りょうた、1993年2月3日 - )は、新潟県糸魚川市出身のバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。 糸魚川市立大和川小学校の3年の時にバスケットボールを始めた。糸魚川市立糸魚川東中学校を経て糸魚川高校から新潟工業短期大学に進学した。 新潟工業短期大学在学中の2012年10月、新潟アルビレックスBBのトライアウトで合格し、練習生となった。 2013年、ドラフト2巡目で指名されプロ契約を結んだ。 2016年7月、バンビシャス奈良に期限付き移籍。 2017年7月、岩手ビッグブルズに移籍。 2018年11月、プロバスケットボール選手を引退する事を、本人と思われるTwitterアカウントでTweetがあった。
RIEHATA(リエハタ、1990年8月9日 - )は、新潟… RIEHATA(リエハタ、1990年8月9日 - )は、新潟県出身の日本の女性ダンサー、振付師である。 神奈川県内にある中学校を卒業後、単身アメリカ・ロサンゼルスへ渡りダンスを学ぶ。ロサンゼルスで人気のダンサーLyle Benigaが行うレッスンを撮影した動画がYouTubeにアップされ、その中でアメリカのストリートシーンで話題となっていたムーブ(一連の動き)であるドギー(英語版)などの最先端のダンスを取り入れて踊る姿が注目された。まだ"SWAG"という単語や最先端のムーブに馴染みがなかった日本で流行りを生む一人となる[要出典]。 2009年からスタートしたアメーバブログでは、個性溢れるファッションスナップを始めとしたクールな私生活の写真を多くアップし日本のファンを虜にした[独自研究?][要出典]。
ながさき 一生(ながさき いっき、1984年 - )は日本の… ながさき 一生(ながさき いっき、1984年 - )は日本のタレント、魚の専門家である。 東京海洋大学講師、株式会社さかなプロダクション代表、一般社団法人さかなの会理事長代表、おさかなコーディネータ。「魚と食のコンテンツで、世界をちょっと楽しくしてます。」をテーマに活動しており、2006年からは、ゆるい魚好きのコミュニティ「さかなの会」を主宰し、魚と食に関するイベントを開催。参加者は延べ1000人を超える。新潟県糸魚川市出身。 1984年、新潟県糸魚川市にある「筒石」という漁村にて誕生。 2003年、新潟県立高田高等学校を卒業。 2006年、「さかなの会」立ち上げ。 2007年、東京海洋大学を卒業。
五十嵐 かおる(いがらし かおる、1976年 1月5日 - … 五十嵐 かおる(いがらし かおる、1976年 1月5日 - )は、日本の漫画家。新潟県出身。血液型はB型。 1999年、小学館の『ちゃおDX』夏の増刊号にて掲載された、「はっぴい2フェスティバル」でデビュー。 『ちゃお』で作品を発表し始めた当初はギャグ要素の強いコメディー系の作品が中心だったが、いずれの作品も長期連載には至らなかった。その後、作品の内容を問題提起型や、社会風刺系のものに移行。こげどんぼ*と仕上げてた。 2005年からは主に『ちゃおデラックス』でいじめ問題に関する作品(詳しくは『いじめシリーズ』)を発表している。 同年、同じく『いじめシリーズ』として武内昌美にて刊行された、小説『いじめ-もう涙はいらない-』(かおるは原作・イラストを担当)は、全国学校図書館協議会選定図書に指定された。
やまもと かずや(本名: 山本 一也、1975年3月21日 … やまもと かずや(本名: 山本 一也、1975年3月21日 - )は、日本の男性漫画家。新潟県糸魚川市寺町出身。
四月朔日 義昭(わたぬき よしあき、1973年1月1日 - … 四月朔日 義昭(わたぬき よしあき、1973年1月1日 - )は日本の音楽プロデューサー、ギタリスト、作曲家、編曲家。新潟県糸魚川市出身。(株)アルファノート代表。多数のギター教則本の著作者である。 四月朔日という苗字はあたたかくなる4月に着物の綿を抜くことから来ている。 ギタリスト/作編曲家/プロデューサー/(株)アルファノート代表取締役。新潟県糸魚川市出身。あったかくなる4月に着物の綿を抜く習慣のあった雪国ならではの名字(富山出身)。 ギタリスト/作編曲家としてAAA、若旦那(湘南乃風)、リュ・シウォン、森重樹一、神田沙也加、吉岡亜衣加ら(敬称略)らなど数多くのアーティストへの楽曲提供やギターレコーディングを行っている。
保坂 秀樹(ほさか ひでき、1971年8月5日 - 2021… 保坂 秀樹(ほさか ひでき、1971年8月5日 - 2021年8月2日)は、日本のプロレスラー。 関東学園附属高校時代、アマチュアレスリングに精を出し、インターハイなどに出場。レスリング推薦で東京農大に入学する。当時からプロレスラー志望で、1990年5月、高校の先輩である木村浩一郎に誘われてS.A.W.に入門。1年間に渡り修行を積み、同道場から派遣される形で1991年8月7日、W★INGプロモーション後楽園ホール大会での格闘技マッチでプロデビューした。 旧W★ING崩壊後、所属していた選手達の殆どがW★INGプロモーションに移籍する中、保坂はW★INGプロモーションと別れたWMAに所属するものの、WMAは一試合も行うこと無く活動停止してしまう。
若松 英輔(わかまつ えいすけ、1968年 - )は、日本の… 若松 英輔(わかまつ えいすけ、1968年 - )は、日本の批評家・文芸評論家・随筆家で、詩の執筆も行う。 新潟県糸魚川市出身。出生40日に幼児洗礼を受けたカトリック信徒。新潟明訓高等学校を経て慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業。 ピジョン・クオリティ・オブ・ライフ株式会社社長、シナジーカンパニージャパン代表取締役を歴任。 2013年10月から2015年12月まで「三田文學」編集長。読売新聞読書委員。 2018年から2022年3月まで東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授も務めた。
牧村 英雄(まきむら ひでお、1967年9月23日 - 20… 牧村 英雄(まきむら ひでお、1967年9月23日 - 2011年6月29日)は、日本の元プロレスラー。新潟県糸魚川市出身。身長184cm、体重98kg。 幼少時よりプロレスラーにあこがれ、1987年に全日本女子プロレス子会社に入社。リング設営に関することが一通りできるようになった1990年をもって退社。プロレスラーの夢を叶えるために、全日本プロレスへ入門した。 しかし練習中に受け身を失敗して急性硬膜下血腫となり、練習生復帰後もジャイアント馬場から許しがないためにデビュー出来ず、それでもレスラーの夢を叶えるため1995年に新日本プロレスへ入門。過去に急性硬膜下血腫を患ったことを伝えた上の入門だったが、同年すぐに権瓶広光練習生の事故死があったことからデビューが出来ないことを伝えられ退団する。
伊藤 聡子(いとう さとこ、1967年7月3日 - )は、日… 伊藤 聡子(いとう さとこ、1967年7月3日 - )は、日本のテレビタレント、コメンテーター、キャスター。事業創造大学院大学客員教授。地域経済の活性化、および国際協力が得意領域。伊藤聡子事務所所属。 新潟県糸魚川市出身。両親共に糸魚川市出身。小学4年生の頃に長野県へ引っ越す。新潟県立新潟高等学校、東京女子大学文理学部英米文学科卒業。大学3年時の1989年から、TBSの『サンデーモーニング』にリポーターとして出演。 1993年10月より、テレビ朝日『スーパーモーニング』のメインキャスターを担当( ~2000年3月)。 2000年4月10日より、『ベストタイム』の総合司会を担当 ( ~2001年3月30日)。
林 浩実(はやし ひろみ、1965年7月9日 - )は日本の… 林 浩実(はやし ひろみ、1965年7月9日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。現在は、結婚により前田浩実としてマラソンインストラクター・マラソンコーディネーターをしている。娘は元AKB48Team4の前田美月。 新潟県糸魚川市生まれ。小学校5年生までは運動会で最下位ばかりだったが、練習により走るのが速くなったことで走ることが好きになる。高校から本格的に取り組むようになり陸上競技部に所属、8000メートル走を専門とする。県大会突破するが北信越大会で予選敗退。高校2年生のときに始まった全国都道府県対抗女子駅伝競走大会に長野県代表として参加、10年連続で出場した。高校卒業後も陸上を続け上田無線に入社、大阪国際女子マラソンで2時間50分58秒を記録、その活躍によりリクルートランニングクラブへ入った。
横沢 彰(よこさわ あきら、1961年 - )は、日本の小説… 横沢 彰(よこさわ あきら、1961年 - )は、日本の小説家、児童文学作家。日本児童文学者協会会員。「うまごやし」「サークル・拓」同人。全国児童文学同人誌連絡会「季節風」同人。 駒澤大学文学部卒業後、中学校教員(国語)となる。1983年に『まなざし』で第16回日本児童文学者協会新人賞受賞。娘はお笑い芸人の横澤夏子。新潟県糸魚川市出身。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
建部 知弘(たてべ ともひろ、1957年4月15日 - )は… 建部 知弘(たてべ ともひろ、1957年4月15日 - )は、日本の作曲家、編曲家、吹奏楽指導者。 1957年、新潟県糸魚川市生まれ。糸魚川市立糸魚川中学校、新潟県立糸魚川高等学校を経て、駒澤大学文学部国文学科卒業。神奈川県相模原市在住。在学中、サクソフォーンを冨岡和男、作曲・編曲を岩井直溥と上埜孝に師事。吹奏楽のための作編曲、管楽器のための室内楽作品を発表し、吹奏楽指導者として活動する。 1989年の第44回国民体育大会(北海道はまなす国体)、2009年の第64回国民体育大会(トキめき新潟国体)に式典音楽参加。 2002年より、盛岡吹奏楽団音楽監督。また、富山大学吹奏楽団、糸魚川吹奏楽団でも音楽監督も務め、新潟県警察音楽隊講師でもある。
黒坂 幸夫(くろさか ゆきお、1955年10月8日 - )は… 黒坂 幸夫(くろさか ゆきお、1955年10月8日 - )は、新潟県糸魚川市出身の元プロ野球選手(投手)。 糸魚川商工高校(現・糸魚川白嶺高校)では1972年、2年生の時、夏の甲子園にエースとして出場。1回戦で東海大工に0-3で敗れる。翌年夏の甲子園にも連続出場したが、同じく1回戦で日田林工の渡辺麿史投手に0-1で完封負けを喫する。同年秋、巨人からドラフト2位指名を受けるが入団を拒否した。当時はプロで活躍する自信もなく、即戦力になってからという意向であったという。しかし、湯口事件が入団拒否の理由にもなったとも取材で話している。高校卒業後は鷺宮製作所に入社。しかし鷺宮には山本良材、池田弘などの好投手がおり、あまり大舞台は経験できなかった。
関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は… 関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は、新潟県糸魚川市出身の元プロ野球選手(投手)・指導者・解説者・評論家。大洋時代の登録名は関本 充宏(せきもと みつひろ)。 糸魚川商工では3年次の1967年、エースとして夏の甲子園予選北越大会準決勝に進出するが、新湊高に完封を喫し甲子園には届かなかった。 同年のドラフト10位で読売ジャイアンツに入団。ドラフトで指名されながら、打撃投手としての扱いしか受けず3年間は一軍登板が無かった。 1971年に一軍ローテーションに抜擢され、10勝・防御率2.14(リーグ5位)の成績を残して、ヤクルトの若松勉との新人王争いを制す。入団4年目での新人王受賞は小関竜也(1998年、西武)と並ぶ記録であるが、同期入団で1年目に新人王になった高田繁からは「セキ、お前のは新人王じゃない。
米田 徹(よねだ とおる、1949年〈昭和24年〉2月26日… 米田 徹(よねだ とおる、1949年〈昭和24年〉2月26日 - )は、日本の政治家。元糸魚川市長(5期)、元糸魚川市議会議員(5期)。 1949年(昭和24年)2月26日、新潟県糸魚川市出身。新潟県立糸魚川高等学校を経て、1971年(昭和46年)、金沢工業大学工学部土木工学科を卒業。同年、米田組に入社。 1987年(昭和62年)、糸魚川市議会議員選挙に立候補し、初当選。以降、5期18年務め、2001年(平成13年)からは糸魚川市議会議長を務めた。 2005年(平成17年)3月19日、旧糸魚川市と能生町、青海町が新設合併し、新市制の糸魚川市が誕生。合併に伴い4月24日に行われた糸魚川市長選挙に立候補し、旧糸魚川市長の吉岡静夫と山岸美隆を破り、初当選。
渡辺 秀樹(わたなべ ひでき、1948年12月26日 - )… 渡辺 秀樹(わたなべ ひでき、1948年12月26日 - )は、日本の家族社会学者、慶應義塾大学名誉教授、帝京大学教授。 新潟県糸魚川市出身。1967年新潟県立糸魚川高等学校卒業、1968年東京大学理科二類入学、1972年東京大学教育学部教育学科教育社会学コース卒業、1978年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部社会学科助手、1983年電気通信大学助教授、1990年慶應義塾大学文学部助教授、1995年教授。2014年定年退任、名誉教授、帝京大学文学部教授。2010-13年日本家族社会学会会長。日本学術会議連携会員。
黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 … 黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 - 2019年4月25日)は、新潟県西頸城郡青海町(現在の糸魚川市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は田中 秀男(たなか ひでお)。現役時代の体格は182cm、147kg。得意手は押し、右四つ、寄り。最高位は東関脇。四股名の由来は出身地旧青海町の黒姫山から。 幼少期はプロレスラーに憧れており、プロレスの新聞記事の切り抜きを集めたり、兄弟とプロレスごっこをして過ごしていた。出稼ぎに出た父親が戻ってこず、中学卒業後に家の家計を助けるために大相撲入りを決断し、1964年3月場所において初土俵を踏んだ。 入門前の田中にとってヒーローはとにかく力道山であり、相撲は全く好きではなかった。
藤田 善六(ふじた ぜんろく、1948年4月12日 - )は… 藤田 善六(ふじた ぜんろく、1948年4月12日 - )は、日本の弁護士。日本弁護士連合会副会長、関東弁護士会連合会理事長、コメリ監査役等を務めた。 新潟県糸魚川市出身。1972年中央大学法学部卒業。1980年新潟県弁護士会弁護士登録。2007年新潟県弁護士会会長。2011年日本弁護士連合会副会長。2015年からは関東弁護士会連合会理事長を務め、日本の集団的自衛権行使を容認する閣議決定を否定する決議を行うなどした。コメリ監査役なども務めた。2019年、旭日中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山田 紀之(やまだ のりゆき、1941年(昭和16年)9月1… 山田 紀之(やまだ のりゆき、1941年(昭和16年)9月15日 - 2018年(平成30年)12月7日)は、日本の政治家。新潟県糸魚川市長(1期)。位階は従五位。旭日小綬章。 新潟県糸魚川市出身。法政大学法学部卒。糸魚川市議会議員、同議長を務め、1997年糸魚川市長選挙に立候補し、初当選する。市長を1期務め、2001年の市長選に立候補し、再選をめざしたが、元糸魚川市議の吉岡静夫に敗れた。2011年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2018年に死去した。死没日付をもって叙従五位。
サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugi… サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugiyama、本名:杉山 恒治 / すぎやま つねはる、1940年7月23日 - 2002年11月22日)は、日本のプロレスラー、アマチュアレスリング選手。 新潟県糸魚川市出身。明治大学農学部農業経済学科卒業。第2代IWA世界ヘビー級王者、第3代第7代IWA世界タッグ王者。レスリングで1964年東京オリンピックに出場後、プロレスラーに転向。現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功した。一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構では、連絡先を求めている。 東海高校から同志社大学に入学して柔道部に所属していたが、1年の終わりに部を辞めている。
吉岡 静夫(吉岡 靜夫、よしおか しずお、1936年〈昭和1… 吉岡 静夫(吉岡 靜夫、よしおか しずお、1936年〈昭和11年〉5月21日 - 2023年〈令和5年〉7月2日)は、日本の政治家。元新潟県糸魚川市長(1期)。 新潟県糸魚川市出身。慶応義塾大学法学部(通信制)中退。1958年(昭和33年)糸魚川市役所に入り、26年間勤務する。1984年(昭和59年)に退職。タウン誌を発行する。糸魚川市議会議員を3期務めた。 1997年(平成9年)糸魚川市長選挙に立候補するが、元市議会議長の山田紀之に敗れて落選した。※当日有権者数:-人 最終投票率:78.40%(前回比:-pts) 2001年(平成13年)に再び立候補し、現職を破って初当選する。同年11月5日に市長に就任した。
木島 長右ェ門(きじま ちょううえもん、1932年(昭和7年… 木島 長右ェ門(きじま ちょううえもん、1932年(昭和7年)2月9日 - 2017年(平成29年)12月12日)は、日本の政治家。新潟県糸魚川市長(3期)。 新潟県糸魚川市出身。早稲田大学政経学部卒。糸魚川市議会議員を4期、同議長を務め、1985年糸魚川市長選挙に立候補し、初当選する。1989年と1993年の市長選はともに無投票で当選。市長を3期務め、1997年に退任した。 在任中の実績として、『フォッサマグナと地域開発構想』が挙げられる。この構想は、フォッサマグナやヒスイなどを糸魚川市特有の地域資源として、地域振興はもとより教育に活用することを目指すものである。この構想によって、まず1990年にフォッサマグナパークが造られた。
利根川 裕(とねがわ ゆたか、1927年3月28日 - 20… 利根川 裕(とねがわ ゆたか、1927年3月28日 - 2024年1月29日)は、日本の作家である。テレビ朝日系の深夜番組「トゥナイト」の司会を長く務めた。 新潟県糸魚川市出身。日本ペンクラブ会員。代表作は『宴』(ISBN 978-4122007079)、『十一世市川団十郎』(ISBN 978-4480802002)。 新潟県立糸魚川中学校、新潟高等学校を経て、1950年東京大学文学部哲学科卒業、同大学院中退。東京都立上野高等学校教員ののち、1959年中央公論社に入り、『婦人公論』副編集長など、1966年編集局次長で退職し、作家となる。1968年「糸魚川心中」で直木賞候補、1969年「B少年の弁明」で直木賞候補。
細井 宗一(ほそい そういち、1918年1月2日 - 199… 細井 宗一(ほそい そういち、1918年1月2日 - 1996年12月26日)は、労働運動家。 新潟県糸魚川市出身。陸軍士官学校卒業。陸軍では後に内閣総理大臣を務める田中角栄の上官だった。共に新潟出身で1918年(大正7年)年生まれという共通点があり堅い友情に結ばれていた。終戦時は関東軍第5軍司令部付陸軍中尉であった。 シベリア抑留を経験した。日本に引き揚げた後に日本国有鉄道(国鉄)に入り、国鉄労働組合(国労)へ加入した。1952(昭和27)年国労本部中央委員に就任。岩井章と共に国労内の日本共産党系勢力を指導した。1957(昭和29)年の新潟闘争で国鉄を解雇された。その後は総評反主流派の中核的な論客となったり、現場協議制度を国鉄で行ったり、国労新綱領の策定を指導したりした。
堀江 正夫(ほりえ まさお、1915年〈大正4年〉6月16日… 堀江 正夫(ほりえ まさお、1915年〈大正4年〉6月16日 - 2022年〈令和4年〉3月20日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官、政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。位階勲等は正四位勲二等。日本会議代表委員。アジアと日本の平和と安全を守る全国フォーラム初代会長。 新潟県糸魚川市出身。水産学校校長堀江英一の次男として生まれた。7歳から12歳まで樺太で過ごし、糸魚川中学、東京陸軍幼年学校(34期)、陸士予科を経て、陸軍士官学校を卒業(第50期、35番/426名)。旧軍時代は歩兵科士官で、太平洋戦争中に陸軍大学校を卒業し(57期)、第18軍参謀としてパプアニューギニアで終戦を迎えた。 終戦後、1946年(昭和21年)3月に復員し、妻の郷里宮崎県日南市で林業に従事した後、警察予備隊及び保安隊を経て陸上自衛隊で勤務。
倉若 晴生(くらわか はるお、本名:倉若貞司、1912年4月… 倉若 晴生(くらわか はるお、本名:倉若貞司、1912年4月27日 - 1982年11月26日)は、日本の作曲家。新潟県西頸城郡糸魚川町(現在の糸魚川市)出身。東京府立化学工業学校出身。 江口夜詩に師事し、ポリドールレコード専属作曲家となる。昭和時代初期 - 中期に活動した。 作詞家・詩人の清水みのる、歌手の田端義夫(バタヤン)とのトリオで数々のヒット曲を世に送り出した。生涯に作曲した作品は千曲を超える。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
富江 利直(とみえ としなお、1910年〈明治43年〉8月1… 富江 利直(とみえ としなお、1910年〈明治43年〉8月15日 - 没年不明)は、新潟県糸魚川市出身の陸上競技(中距離走)選手。1936年ベルリンオリンピックに800メートル競走と1500メートル競走で出場した。 新潟県西頸城郡糸魚川町大町(現在の糸魚川市大町)出身。糸魚川小学校を経て、糸魚川中学校(現在の新潟県立糸魚川高等学校)卒業。明治大学に進学。 明治大学体育会競走部に所属し、1931年・1932年には日本学生陸上競技対校選手権大会(インカレ)800m走で優勝。東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)には1931年の第12回大会から1935年の第16回大会まで4回出場している(1934年の第15回には出走していない)。
越ノ海 東治郎(こしのうみ とうじろう、1906年7月1日 … 越ノ海 東治郎(こしのうみ とうじろう、1906年7月1日 - 1973年1月24日)は、新潟県西頸城郡根知村(現:新潟県糸魚川市)出身の元大相撲力士。本名は渡邊 東治郎(わたなべ とうじろう)(旧姓:加藤)。 1906年7月1日に新潟県西頸城郡根知村(現:新潟県糸魚川市)で生まれる。1925年1月場所で若藤部屋から初土俵を踏んだ。1931年5月場所で新十両昇進を果たすも1場所で幕下に陥落したが、1932年1月6日に勃発した春秋園事件によって、2月場所の改正番付では十両に格上げされ、1932年5月場所で新入幕を果たした。右四つからの上手投げは豪快かつ強力だったが、連敗癖のために幕内上位へは上がれなかった。
玉田 美郎(たまだ よしお、1891年9月23日 - 198… 玉田 美郎(たまだ よしお、1891年9月23日 - 1989年8月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。新潟県糸魚川市出身。法学者の玉田弘毅は息子。 歩兵大隊長のときに短期の戦車補備教育をうけ、戦車第4大隊付として一年余勤務して歩兵にもどり、また昭和11年、陸軍戦車学校で師団軽装甲車要員の教官となって、以後戦車拡張期における部隊長たるべき人の標準的コースを歩んだ。 ノモンハン事件において独立混成第1旅団麾下の戦車第4連隊連隊長として戦史上初の装甲部隊による大規模な戦車夜襲を決行した。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月1… 相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は、明治期から昭和期にかけての日本の文学者、詩人、歌人、評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県西頸城郡糸魚川町(現糸魚川市)出身。早稲田大学大学部文学科英文学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や、「春よ来い」などの童謡の作詞者としても知られる。 1883年、新潟県西頸城郡糸魚川町大町(現糸魚川市)に生まれる。相馬徳治郎の長男。高田中学(現新潟県立高田高等学校)を経て早稲田大学に進む。中学以来の学友に小川未明がいる。在学中の1903年に岩野泡鳴らと雑誌「白百合」を創刊した。
桂山 勘五郎(かつらやま かんごろう、1882年5月8日 -… 桂山 勘五郎(かつらやま かんごろう、1882年5月8日 - 1926年8月5日)は、新潟県西頚城郡能生町(現在の糸魚川市)出身で尾車部屋、朝日山部屋、再度尾車部屋に所属した力士。本名は笠原 嘉三(舟三とも)。165cm、79kg。最高位は西前頭6枚目。 入門前は金融業に就いていたが、元大関大戸平廣吉の尾車門人となり、陣立の四股名で1900年5月初土俵。1909年6月十両昇進、1910年1月新入幕。その後1911年10月に大坂相撲に加入したが、復帰して桂山に改名、6枚目まで躍進する。再び陣立に改名したのち、1915年6月を以て廃業した。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
江田 鎌治郎(えだ かまじろう、1872年6月22日(明治5… 江田 鎌治郎(えだ かまじろう、1872年6月22日(明治5年5月17日) - 1957年(昭和32年)5月7日)は、日本の技術者、実業家。速醸酛の発明者として知られ、「酒聖」「酒造界の大恩人」と賞される。 1872年(明治5年)、新潟県糸魚川に生まれる。新潟師範学校、東京高等工業学校応用化学科(現・東京工業大学)卒業。東京税務監督局、大蔵省醸造試験所、大阪工業大学講師などを歴任。1909年、速醸酛を開発した。大蔵省を退官後、1933年(昭和8年)に江田醸造研究所(後の江田醸造株式会社)を設立。1916年に勲六等瑞宝章、1955年に紫綬褒章を受賞。 没後、日本生物工学会による生物工学奨励賞(江田賞)が創設された。
比護 与三吉(ひご よさきち、1871年〈明治4年〉 - 1… 比護 与三吉(ひご よさきち、1871年〈明治4年〉 - 1937年〈昭和12年〉5月20日)は、日本の料理人、駅弁販売者。明治後期に北海道札幌駅で駅弁の販売を開始し、北海道の食材にこだわった駅弁を考案したり、大正期には飯とおかずを別々の容器に詰める弁当箱「二重折り箱」を発案したりするなどの工夫により、日本全国の駅弁の歴史に大きな影響を与えた。 比護与三吉は1871年(明治4年)に、新潟県の糸魚川で誕生した。長男でなく、家を継ぐ立場になかったため、手に職をつけて1人立ちしようと、料理人の道を目指した。 修行の末に料理人として十分な技量を身につけた後、知人から「札幌は人が集まり、活気があるので、新たな商売の地に良い」と勧められて、1897年(明治30年)、妻子を連れて北海道へ移り、札幌駅近くに日本料理の店を開店した。
高鳥 順作(たかとり じゅんさく、1868年5月5日(明治元… 高鳥 順作(たかとり じゅんさく、1868年5月5日(明治元年4月13日) - 1958年(昭和33年)2月8日)は、日本の政治家、実業家。位階は正四位。 新潟県能生谷村平(現糸魚川市平)の高鳥半五郎の長男として生まれる。実家は貧しい農家であり小学校卒業後も親の手伝いをしながら夜学に通う生活であった。農村の開田工事をしていたが24歳の時に登記所の整地工事を入札したのが土木請負いのはじまりで高鳥組をおこし、新潟県下の公共事業を請負っていくようになる。主だった工事として明治末期の加治川改修工事、直江津-富山間の鉄道(北陸本線。現在のえちごトキめき鉄道日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線)建設工事がある。
松山 高吉(まつやま たかよし、弘化3年12月10日(184… 松山 高吉(まつやま たかよし、弘化3年12月10日(1847年1月26日) - 昭和10年(1935年)1月4日)は、日本の国学者、牧師。文語訳聖書の翻訳に関わった。日本における賛美歌事業の草分けである。 1846年(弘化3年)に越後国糸魚川で生まれ、国学者平田鐵胤に学ぶ。京都の白川家学館で国史律令を、江戸の黒川真頼の下で国文学を修めた。1872年(明治5年)、キリスト教排斥を志し、その実態を探るために神戸のアメリカンボード宣教師D.C.グリーンの日本語教師となったが、回心して1874年(明治7年)に洗礼を受けた。このとき受洗した松山ら11名は摂津第一基督教会(のちの神戸教会)を設立した。 組合教会系の信徒としては最も早くから新島譲と親交があり、新島がアメリカから帰国した際に「譲」は「ゆずる」と誤読される恐れがあるとして「襄」と改めるように忠告したといわれている。
銀林 綱男(ぎんばやし つなお、1844年5月6日〈弘化元年… 銀林 綱男(ぎんばやし つなお、1844年5月6日〈弘化元年3月19日〉 - 1905年〈明治38年〉9月20日)は、幕末の尊攘運動家、明治期の内務官僚・実業家。官選埼玉県知事。孫に数学者の銀林浩、曾孫に政治家の片山さつきがいる。同郷の前島密と親交があった。 越後国頸城郡青海村(後の新潟県西頸城郡青海町→糸魚川市)の青海神社の宮司銀林玄類の息子として生まれる。江戸で医学、詩文を学んだ。戊辰戦争では新政府側の居之隊に属して転戦した。 慶応4年(1868年)8月、新政府に出仕し民政方御用掛に就任。以後、新潟県少属、同一等警部を歴任。1876年、東京府に転じ、同大属、同戸籍掛長、同学務課長、同建築調査委員、同官報通信主任、同会計主務官代理などを務めた。
滋野 七郎(しげの しちろう、1836年2月5日(天保6年1… 滋野 七郎(しげの しちろう、1836年2月5日(天保6年12月19日)- 1886年(明治19年)3月16日)は、江戸時代の幕末から明治時代の尊攘運動家、僧侶、神職。 越後国糸魚川寺町に生まれる。18歳のとき、糸魚川藩の祈願所である持明院の院主となった。院は近郷近在の修験院の頭で、天津神社の祭りにはこの院主が先導しなければ巡行ができないほどの格があった。同郷の田村弥平や小川長秋、銀林綱男などと親交を結び、国学を修め、勤皇の大義を論じた。1868年、戊辰戦争が起こると院を捨て、親兵隊の方義隊を組織して官軍のために斥侯を務めた。また京都で暗殺された大村益次郎の襲撃犯を隠匿したとして投獄された。維新後は神職となり、筑波山神社を最初に、天津神社祭祠、弥彦神社の宮司、皇典講究所などを歴任した。
壱弥 ゆう(いちや ゆう、5月3日 - )は、OSK日本歌劇… 壱弥 ゆう(いちや ゆう、5月3日 - )は、OSK日本歌劇団の男役スター。新潟県糸魚川市出身。AB型
晴川 シンタ(はれかわ シンタ)は、日本の漫画家。新潟県糸魚… 晴川 シンタ(はれかわ シンタ)は、日本の漫画家。新潟県糸魚川市出身。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
間嶋 里美 は、日本の元女性声優。夫は声優の古谷徹。