平林 清澄(ひらばやし きよと、2002年12月4日 - )… 平林 清澄(ひらばやし きよと、2002年12月4日 - )は、日本の陸上競技選手。福井県越前市出身。國學院大學経済学部卒業。ロジスティード陸上部に所属し、専門種目は長距離走。 越前市立武生第五中学校、福井県立美方高等学校、國學院大學出身。 2021年10月10日の第33回出雲駅伝ではルーキーながら最終6区に抜擢され、大学三大駅伝デビューを果たす。3位で襷を受けると出雲大社前で東洋大・柏優吾を抜き2位に浮上。一時は3位グループの柏と青学大・横田俊吾を引き離したものの、終盤ペースを落とし再び差が詰まる。残り600mで横田にかわされると、ゴール手前の直線では柏にも抜き返され4位でフィニッシュ。区間5位と粘りの走りを見せたが、惜しくも表彰台には届かなかった。
田中 悠登(たなか ゆうと、2002年8月1日 - )は、福… 田中 悠登(たなか ゆうと、2002年8月1日 - )は、福井放送(FBC)のアナウンサーで、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。福井県越前市出身。敦賀気比高等学校、青山学院大学経営学部経営学科卒、青山学院大学陸上競技部・男子長距離ブロック元主将。 大学時代にアナウンサーを志し、在学中から「中町2丁目ニュース」の題名で、陸上部の様子をニュース番組風に編集した動画をSNSに投稿していた。FBC入社後の2025年12月にも、アディダスとのタイアップ企画で「中町2丁目ニュース」を復活させ、同期の太田蒼生へのインタビューなどを行っている。また、元青学陸上部という立場で、FBC及び同局所属の系列局が制作している番組にも出演することが多い(後述)。
河端 悠(かわばた はるか、2002年3月9日 - )は、福… 河端 悠(かわばた はるか、2002年3月9日 - )は、福井県越前市出身の、日本人の女子柔道選手。階級は44kg級。身長148cm。組み手は左組み。血液型はO型。得意技は袖釣込腰。 柔道は5歳の時に父親の影響で一つ年上である姉の風とともに實心館仲保道場で始めた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会の45kg級に出場したが2回戦で敗れた。姉を追って大成中学へ進むと、2年の時には全国中学校柔道大会40kg級の決勝で野沢温泉中学2年の上倉舞知を指導2で破って優勝した。この際に姉は57kg級で2位にとどまったので姉妹優勝はならなかった。3年の時には決勝で沖縄尚学中学3年の宮城杏優菜を指導1で破って2連覇を達成した。
上坂 瑠子(うえさか るりこ、1999年9月7日 - )は、… 上坂 瑠子(うえさか るりこ、1999年9月7日 - )は、日本の女子バレーボール選手。 福井県越前市出身。3人兄妹の長女。小学4年生のとき、母の影響でバレーボールを始めた。 福井工業大学附属福井高等学校を卒業。同学公式サイトに掲載された「先輩からのメッセージ」に著名な卒業生のうちの1人としてメッセージを寄稿した。 2018年、日立リヴァーレ(現・Astemoリヴァーレ茨城)への入団内定が発表された。入団1年目は途中出場が多く、最初は緊張で思うようなプレーができなかったが、次第に緊張がほぐれプレーの手応えをつかめるようになった。3シーズン目(2020-21シーズン)になると試合出場も増えスタメンで出場するようになった。
長谷川 凌汰(はせがわ りょうた、1995年11月8日 - … 長谷川 凌汰(はせがわ りょうた、1995年11月8日 - )は、福井県越前市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 福井工大福井高校の選手として甲子園に出場した父の影響もあり、越前市立北新庄小学校2年から父が監督を務める軟式野球チーム「北新庄ヒーローズ」に所属。越前市立万葉中学校では軟式野球部に所属した。 福井商業高校進学後、当初は外野手だったが、長身に注目した北野尚文元監督の勧めもあり、投手に転向。1年秋から控え投手としてベンチ入り。3年夏の福井県大会では1イニングの登板にとどまったが、エースの中村文英の活躍もあり、第95回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の帯広大谷高校戦で中村文が右肘を痛め、7回から登板し、3イニングを4奪三振1失点に抑え、逆転勝利に繋げた。
谷口 つばさ(たにぐち つばさ、1993年3月7日 - )は… 谷口 つばさ(たにぐち つばさ、1993年3月7日 - )は、日本の文筆家、お笑いタレント。福井県越前市出身。 14歳の頃、M-1グランプリ2006の決勝でチュートリアルが1本目に披露した漫才「冷蔵庫」を見てお笑いに興味を持つ。大学進学を機に上京し、都内で開催されているお笑いライブを頻繁に観に行くようになる。進学した東京学芸大学ではお笑いサークルGOCに所属。大学では、中学校・高等学校の国語科教員免許を取得した。2014年、「東京学芸大学お笑いサークルGOC チームのしす」として大学芸会団体戦準優勝。大学卒業後、2年間は正社員として働いたが、本人曰く「全部無理になり」退職し芸人としての活動を開始した。
中條 裕章(なかじょう ひろあき、1993年 - )は、日本… 中條 裕章(なかじょう ひろあき、1993年 - )は、日本の実業家。 2017年、東北大学在学中に株式会社ALLIを設立。福井県越前市生まれ。 大学在学中より経営者を志す。ITを学ぶために2年間インドに留学。現地のIT企業にてインターンとして活躍。帰国後、自身の株式会社ALLIを設立。 ウェブマーケティングを軸に複数の事業を立ち上げ。 現在は、成果報酬型のウェブ広告代理サービス「マジゼロ」、及びリスト獲得サービス「アドリスト」が主な事業となっている。
棗 佑喜(なつめ ゆうき、1988年11月18日 - )は、… 棗 佑喜(なつめ ゆうき、1988年11月18日 - )は、福井県武生市 (現:越前市)出身のサッカー選手。ポジションはFW。
山本 翔也(やまもと しょうや、1988年10月12日 - … 山本 翔也(やまもと しょうや、1988年10月12日 - )は、阪神タイガースに所属する福井県武生市(現:越前市)出身のプロ野球選手(投手)。
見延 和靖(みのべ かずやす、1987年〈昭和62年〉7月1… 見延 和靖(みのべ かずやす、1987年〈昭和62年〉7月15日 - )は、現役の日本のフェンシング選手。福井県越前市出身。種目はエペ。武生商業高等学校を経て、法政大学法学部を卒業。Nexus所属、マネジメントはスポーツビズ。左利き。 2021年開催の東京オリンピックフェンシング男子エペ団体金メダリスト。全個人種目を通じて日本選手として初めて年間ランキングで世界1位を獲得した。 最初に熱中していたスポーツはバレーボールだったが、父親のアドバイスにて高校でフェンシングを手にする。2008年に国際大会のデビューを果たし、日本のナショナルチームへ加入。 2021年に開催された東京オリンピックのフェンシング男子エペ個人では3回戦まで進んだが、韓国の朴相永に6-15で敗れ準々決勝進出を逃した。
飯田 達郎(いいだ たつろう、1987年5月14日 - )は… 飯田 達郎(いいだ たつろう、1987年5月14日 - )は、日本の俳優である。福井県武生市(現越前市)出身。劇団四季所属。血液型はA型。兄は元劇団四季所属の飯田洋輔。 武生市立武生第一中学校(現越前市立)在籍の時、当時高校生だった兄の洋輔と共にアカペラグループ「ブラスターズ」を結成し、ハモネプリーグ第2回・第3回に出場(第3回は予選通過も決勝辞退)。中学生離れしたボイスパーカッションに注目が集まる。 2004年、NHKのど自慢 in敦賀にて優勝。 2005年、クラウンレコード主催のオーディション中部北陸大会トップ通過、全国大会では惜しくも2位。(1位とは1点差) 2006年、同オーディションの中部北陸大会はトップ通過、全国大会で優勝。
伊藤 裕規(いとう ひろき、1987年4月19日 - )は、… 伊藤 裕規(いとう ひろき、1987年4月19日 - )は、福井県越前市出身の実業家。 株式会社EXCELLENT INNOVATION 代表取締役、株式会社SUNSHINE WORKS 創業者、フェアリープロジェクト 総合プロデューサー、音楽プロデューサー、マーケティング講師、元ジャニーズJr.。 趣味はネットサーフィン、バイク、足つぼマッサージ。 在学中にフリーランスでのWEB集客事業、ブログアフィリエイト事業を開始し年間2000万円以上の収益を達成する。 その後、インターネットを用いたアフィリエイト事業、コンテンツマーケティング事業、ブログ集客事業、オウンドメディア運営事業、国内外OEM物販事業を展開し、当時としては異例の20代起業家にして年間10億円以上の売上を達成する。
せりかな(1987年3月14日 - )は、日本の女性シンガー… せりかな(1987年3月14日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。福井県越前市出身。所属レコードレーベルはnom-records。
中島 康晴(なかじま やすはる、1984年12月27日 - … 中島 康晴(なかじま やすはる、1984年12月27日 - )は、福井県越前市生まれの自転車競技選手(キナンサイクリングチーム所属)である。 ファン感謝イベントを全国各地で開催している。 2008年から。ファンと共にそば打ち体験に参加するイベント。南青山291(福井県アンテナショップ)で開催。※2019年は三重県いなべ市 2009年から。感謝イベントとして自作のパンを振る舞うイベント。パンの店〜琥八(福井県鯖江市)にて。 2013年に開催。北条鉄道(兵庫県加西市)の貸切サイクルトレイン&沿線サイクリング。農家で摘み取ったイチゴを用いてゴール後にご当地オリジナルプロテインで乾杯。 2017年に日本海側最大級のイベントホール、サンドーム福井(福井県越前市)で挙式を行った。
藤田 佳代(ふじた かよ、1983年4月16日 - )は、福… 藤田 佳代(ふじた かよ、1983年4月16日 - )は、福井エフエム放送(FM福井)のアナウンサー。 福井県越前市(旧武生市)出身。福井工業高等専門学校卒業後、東京のアナウンススクールを経て、2005年に福井エフエム放送入社。 2019年6月18日、自身が担当している『Life Is』において2018年に結婚し放送時点で妊娠していることを公表。6月で番組を降板することも公表した。なお、番組ブログでは『Life Is』に担当になった2012年からというウィキペディアの情報も記載した。なお、2019年8月から2020年6月まで出産・育児に伴い休職し、2020年7月に復職した(収録番組のみ出演)。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
奥田 雄一郎(おくだ ゆういちろう、1982年8月27日 -… 奥田 雄一郎(おくだ ゆういちろう、1982年8月27日 - )は、日本の学校コンサルタント。コアネット教育総合研究所第一研究室プロジェクトリーダー。血液型B型。 福井県越前市出身。福井県立武生高等学校卒業後、早稲田大学教育学部に入学。小松郁夫に師事し、教育政策や学校経営について学ぶ。2005年、コアネット教育総合研究所に入所。私立中高の生徒募集、教員研修、教員採用、マーケティング調査、学校評価などの支援に携わり数多くのプロジェクトを成功に導く[要出典]。
牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、… 牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、福井県越前市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)。コーチ。 大阪近鉄バファローズの最終年(2004年)に同球団へ所属していた選手の1人で、東北楽天ゴールデンイーグルスには創設1年目の2005年から在籍。現役引退後の2017年からは楽天の球団職員として「楽天イーグルスアカデミー」ジュニア部門のコーチを務める傍ら、野球解説者としても活動している。 1982年に福井県越前市に産まれる。北日野小学校に通いつつ、地元の少年野球チーム「北日野マウンテンズ」で小学2年生から野球を始める。ポジションは主に投手。部活動で野球を続けながら越前市立万葉中学校から高校は鯖江市にある鯖江高校に進学した。
加藤 直也(かとう なおや、1981年9月29日 - )は、… 加藤 直也(かとう なおや、1981年9月29日 - )は、福井県を拠点に活動する日本のタレント、俳優。福井県越前市出身。所属事務所はM&Mエージェンシー、所属劇団は劇団福井青年劇場。 主に福井放送 (FBC) のラジオ番組でリポーターやラジオパーソナリティとして活動。福井を本拠とするサッカークラブやフットサルクラブのスタジアムDJも務め、さらにはサウンドクリエイターやサウンドエンジニアとしての顔も持つなど、活動内容は多岐にわたる。他にNAOYA名義でバンド活動もしている。 俳優としての活動は、舞台、ラジオドラマ、CMへの出演が主となっている。ナレーションも数多く手がける。2009年には、所属劇団の公演『恋愛喜劇 青猫物語』と福井県演劇連盟プロデュース公演『親の顔が見たい』での演技を評価され、福井県演劇連盟から個人の部で演技賞を受賞している。
谷口 雅人(たにぐち まさと、1979年7月25日 - )は… 谷口 雅人(たにぐち まさと、1979年7月25日 - )は、福井県武生市(現:越前市)出身の放送作家。 元『西川貴教のオールナイトニッポン』や『ナインティナインのオールナイトニッポン』などのハガキ職人。鈴木あみの『鈴木あみ RUN!RUN!あみ〜ゴ!』へもハガキを書く。理由は「絶対読まれるから」とのこと。 ハガキ職人時代のペンネームは「谷口まさと」。『ナインティナインのオールナイトニッポン』で、コーナー開始当初から理解できない意味不明なネタ(普通はコーナー末期に送られてくる内容)を送り、パーソナリティの岡村隆史(ナインティナイン)から「(コーナーの)壊し屋」と呼ばれる。 1999年3月25日放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』木曜一部最終回「ハガキ職人大賞」で、他のハガキ職人と共にラジオに登場。
堀川 ひとみ(ほりかわ ひとみ、本名同じ、1977年6月25… 堀川 ひとみ(ほりかわ ひとみ、本名同じ、1977年6月25日 - )は、日本のシンガーソングライター。福井県越前市出身。福井県立武生高等学校卒業、昭和女子大学卒業。血液型B型。 愛称は「ひーたん」。 主に武蔵小杉(神奈川県川崎市)・関内(神奈川県横浜市)・蒲田でストリートライブを行う。全国ツアー開催[弘前・仙台・福井・静岡・名古屋・大阪・等]多忙のスケジュールをこなす活動をする。 ブログ等において自身がアスペルガー症候群であることを公表していて、発達障害の理解を広める活動もしている。 二十歳より東京でシンガーソングライターとしての活動開始。ソロやユニットで活動する傍らプレイステーションソフトpop'n music(KONAMI)やインディーズアーティストへ楽曲提供を行う。
萬谷 法英(まんたに のりひで、1974年12月2日 - )… 萬谷 法英(まんたに のりひで、1974年12月2日 - )は、日本のミュージカル俳優。福井県越前市出身。 1997年から俳優として活動を開始。英国ANGRO WORLD EDUCATION[原文ママ]での留学を経験した後にミュージカル座に入団。現在は退団している。 ミュージカル座に所属していた経歴があるが、2005年に退団。その後も客演として『RANGER レンジャー』や『月に歌えば』、『ハートスートラ』、『ひめゆり』など多数のミュージカル座作品に出演している。 代表的な役であるテナルディエ役について、当時の演出家から「お笑いにしないで、悪の部分を全面に出してくれ」と指導され、意識して演じていた。
大槻 マキ(おおつき まき、1973年〈昭和48年〉5月11… 大槻 マキ(おおつき まき、1973年〈昭和48年〉5月11日 - )は、日本の歌手、作詞家。福井県武生市(現・越前市)出身。福井県立武生商業高等学校卒業。元銀行員。シングル、アルバムのほとんどの楽曲の作詞も手掛ける。 「大槻真希」として1999年にアニメ『ONE PIECE』(1999年10月20日/第1話~2000年6月28日/第30話)のエンディング主題歌でデビュー。続いて担当した『RUN!RUN!RUN!』(2000年7月12日/第31話~2001年3月21日/第63話)で知名度を一気に上げ脚光を浴びるもその後は活動を縮小。現在は、名前の表記を「大槻マキ」に改め活動中。 2006年8月よりCASSIS(カシス)のボーカルとして活動、2009年解散。
平林 透(ひらばやし とおる、1965年6月6日 - )は、… 平林 透(ひらばやし とおる、1965年6月6日 - )は、日本の政治家。福井県越前市長(1期)。 越前市出身。福井大学工学部卒業。卒業後は福井県庁に入庁し、道路保全、道路建設各課長、土木部長等を歴任した。 2025年12月、越前市長山田賢一が福井県知事杉本達治の辞職に伴う福井県知事選挙への立候補を表明。越前市長選挙に立候補するため県土木部長の平林は26日付で辞表を提出し、翌27日に市長選挙への立候補を表明した。 2026年2月1日に告示された越前市長選挙に自民、公明、立民などの各党の推薦を受け無所属で立候補したが、ほかに立候補の届け出がなく、無投票での初当選が決まった。2月8日に任期開始。
天谷 一夫(あまや かずお、1961年7月2日 - )は、日… 天谷 一夫(あまや かずお、1961年7月2日 - )は、日本のギタリスト。福井県越前市出身。ヘヴィメタルバンドGENOCIDE nipponのギターを担当している。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
竹内 稔浩(たけうち としひろ 1961年 - )は、日本の… 竹内 稔浩(たけうち としひろ 1961年 - )は、日本のミュージシャン。福井県 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
林 正博(はやし まさひろ、1957年〈昭和32年〉4月16… 林 正博(はやし まさひろ、1957年〈昭和32年〉4月16日 - )は、日本の銀行家。福井銀行頭取を務めた。 福井県武生市(現・越前市)出身。福井県立武生高等学校を経て、1981年(昭和56年)に大阪大学経済学部を卒業し、4月に福井銀行に入行。 初配属は武生支店。東京国際部や京都などでの勤務を経て、福井中央支店の開設に携わる。2003年経営管理グループ法務室長(初代)。2004年経営管理グループ法務チームリーダー兼お客さま相談室長。2006年経営企画グループ法務チームリーダー兼お客さま相談室長。2007年3月監査グループ監査チームリーダー。同年6月監査グループマネージャー。 2008年取締役。
出川 昌人(でがわ まさと、1957年 - )は、日本の実業… 出川 昌人(でがわ まさと、1957年 - )は、日本の実業家、ポートフォリオマネージャー。ブラックロック日本法人代表取締役社長を務めた。 福井県越前市出身。1973年福井県立武生高等学校入学。アトランティック・カレッジを経て、1979年オックスフォード大学理学部工学・経済学科大学院修了、修士。松下政経塾第1期生を経て、1982年ブルッキングス研究所入所。 モルガン・スタンレー・ジャパンの株式アナリストや、JPモルガン・アセット・マネジメント・シニア・ポートフォリオ・マネージャー等を経て、2007年ソシエテジェネラルアセットマネジメント(現アムンディ・ジャパン)社長。 2010年からアムンディ副社長兼最高運用責任者を経て、ブラックロック・ジャパン代表取締役社長を務め、2015年に退任したのちは、ヤラ・キャピタル・マネジメント上級顧問兼取締役、ユナイテッド・ワールド・カレッジ日本協会理事を経て、2018年アフィリエイティッド・ マネジャーズ・グループ日本担当上級顧問に就任。
松原 正樹(まつばら まさき、1954年6月27日 - 20… 松原 正樹(まつばら まさき、1954年6月27日 - 2016年2月8日)は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家。福井県越前市(旧武生市)出身。ヤマハ・ネム音楽院(現・ヤマハ音楽院)出身。妻はキーボーディストで作曲家の南部昌江。 1970年代後半よりスタジオ・ミュージシャンとして活動。そのセッション活動の幅は広く、松任谷由実、松山千春、さだまさし、辛島美登里、德永英明、岡村孝子、永井真理子、松田聖子、中森明菜、小泉今日子、光GENJI等、ほとんどのジャンルの日本の主要アーティストに関わっていた。レコーディングに参加した楽曲は優に1万曲を超え、キャンディーズの「微笑がえし」、松田聖子の「時間の国のアリス」、松任谷由実の「恋人がサンタクロース」、松山千春の「長い夜」などの楽曲が1970 - 80年代の音楽ランキング番組を賑わせていた。
野路 由紀子(のじ ゆきこ、1952年(昭和27年)10月2… 野路 由紀子(のじ ゆきこ、1952年(昭和27年)10月20日 - )は、日本の歌手。福井県越前市(旧武生市)出身。ミュージックオフィス合田所属。 魚屋の娘として生まれ、小さな頃から同じ境遇の美空ひばりに憧れて歌手を志す。高校を中退し、歌手を目指して上京し、聖川湧に出会いレッスンを受ける。 1971年(昭和46年)、デビュー曲の「私が生まれて育ったところ」がいきなりヒットした。この年は同じ福井県出身の五木ひろしをはじめ、小柳ルミ子、天地真理、南沙織、野口五郎などがデビューした新人豊作の年であった。この曲は“ディスカバージャパン”と言われていた当時の日本が見直されたことを反映したヒット曲であった。
奥山 喜久夫(おくやま きくお、1948年 6月1日- )は… 奥山 喜久夫(おくやま きくお、1948年 6月1日- )は、日本の工学者。工学博士(大阪府立大学・1978年)。専門は化学工学、微粒子工学。広島大学ではナノ粒子を合成・機能化する研究を行っていた。広島大学名誉教授。パナソニック(旧・松下電工)の『ナノイー(nanoe)』技術の共同開発者。2003年に発表された論文が同技術の科学的基盤となった。 福井県 武生市 (現在の越前市)出身。 1971年に金沢大学工学部化学工学科を卒業後、1973年に同大学大学院修士課程を修了。同年より大阪府立大学工学部化学工学科の助手として研究キャリアをスタートさせた。1978年に同大学より工学博士の学位を取得(学位論文「静電沈着法によるエアロゾル粒子の粒度分布測定に関する研究」)。
宮坂純一(みやさか じゅんいち、1948年2月26日- )は… 宮坂純一(みやさか じゅんいち、1948年2月26日- )は、日本の経営学者、元奈良学園大学教授。 福井県越前市生まれ(新潟県)。1970年神戸市外国語大学ロシア語科卒、1977年神戸大学大学院経営学研究科博士課程、北海学園大学経済学部専任講師、79年助教授、1985年奈良産業大学経済学部教授、99年経営学部教授、奈良学園大学教授。83年「ソ連邦における社会主義競争の研究」で神戸大学より経営学博士の学位を取得。ソ連・ロシアの経営、経営倫理学を専門とする。
南 正時(みなみ まさとき、1946年〈昭和21年〉8月24… 南 正時(みなみ まさとき、1946年〈昭和21年〉8月24日- )は、日本の鉄道写真家・紀行作家。日本旅行記者クラブ会員、日本アニメーション協会会員。ふんどしに関するペンネームは越中 文俊(こしなか ふみとし)。 福井県南条郡武生町(現越前市)で生まれ、1967年にアニメーション制作会社のAプロダクション(現・シンエイ動画)に入社し、楠部大吉郎社長付アシスタントとして、真田芳房(後のシンエイ動画プロデューサー、あにまる屋創業者)の下に付きながら設定・資料の作成や進行管理業務に従事。同年に愛知県名古屋市にて同人アニメサークル「東海アニメーションサークル」を結成し、1970年の第1回全国アニメーション総会開催にも参加した。
石川 九楊(いしかわ きゅうよう、男性、1945年〈昭和20… 石川 九楊(いしかわ きゅうよう、男性、1945年〈昭和20年〉1月13日 - )は、昭和・平成時代の日本の書家・書道史家。京都精華大学客員教授。同大学表現研究機構文字文明研究所所長。 福井県今立郡粟田部町(1956年以降は同郡今立町。現在の越前市粟田部町)出身。京都大学法学部卒業。 福井県今立郡粟田部町に生まれる。5歳で木村蒼岳塾に学ぶ。8歳で杉本長雲に入門。越前市武生第三中学校在学中から、垣内楊石に師事。1963年、福井県立藤島高等学校を卒業し、弁護士を目指して京都大学法学部に入学。進学に際して、師の垣内楊石から九頭竜川にちなんだ「九楊」の名を授かる。京都大学では書道部に入部し、新入生歓迎書道展では自作が展示された。
池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日… 池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日 - )は、日本の漫画家。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務めており、劇画家と紹介されることもある。 福井県越前市(旧:武生市)出身。小学生のころから貸本漫画に慣れ親しむ。 中学卒業後、大阪に移り看板屋の仕事をしながら漫画を描き始める。1962年、漫画短編誌『魔像』(日の丸文庫)に掲載された「魔剣小太刀」で貸本漫画家デビュー。岩井しげおらのアシスタントをしながら漫画を描くが生活苦で断念、看板屋の仕事に戻る。 1966年、投稿した読切作品「罪の意識」が『ガロ』に掲載され、これを読んだ水木しげるが青林堂の長井勝一にスカウトを依頼。水木のアシスタントになるべく上京する。
南部 英夫(なんぶ ひでお、1939年9月7日~ )は、日本… 南部 英夫(なんぶ ひでお、1939年9月7日~ )は、日本の映画監督、脚本家。福井県武生市(現:越前市)出身。 福井県立武生高等学校、早稲田大学法学部卒業後、スライド制作会社勤務を経て、1965年に松竹大船撮影所に入社する。入社当時は、かつての最盛期には年間11億を超えた映画人口が、テレビの普及や娯楽の多様化に押されて、3億台にまで落ち込んだ映画のドン底時代だった。入社直後に給料遅配となり、自宅待機などの合理化で撮影所のスタッフは激減した。 学生時代に観た映画「にっぽん・ぱらだいす」(松竹作品)に感銘を受けていたことで、当該作品の監督である前田陽一に師事する。以降、前田作品に加えて、先輩助監督で監督に昇進した田向正健・山根成之監督などの共同脚本に参加する。
藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936年9月20日 -201… 藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936年9月20日 -2018年4月26日)は、美術評論家、武蔵野美術大学名誉教授。本名は藤枝照容(ふじえだ てるかた)。 福井県越前市出身。実家は陽願寺で、シベリア抑留経験者の父を持つ。東京都立戸山高等学校、東京芸術大学美術学部卒業。卒業論文はマルセル・デュシャンについて扱い、装丁は石岡瑛子が担当した。在学中にはモダニズム詩に熱中し、北園克衛発行の「VOU」に参加。京都大学大学院を経てペンシルベニア大学大学院に留学、2002年「ジャクソン・ポロック」で大阪大学文学博士。 専攻はポロック、ブラック、草間彌生など。1960年代後半から『美術手帖』などに論評を寄せた。
田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017… 田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017年7月8日)は、福井県出身の日本の編集者。 福井県武生市に生まれる。1955年(昭和30年)、武蔵野美術大学に入学するが学校の方針に反発し中退。その後日本文学学校で文章の基礎を学び、平凡社の雑誌『太陽』など多くの編集の仕事に携わる。 1968年(昭和43年)、自身の他にデザイナー、カメラマンらと編集プロダクション「ル・マルス」を設立し、富士ゼロックスの発行するPR誌『グラフィケーション』の編集を始める。以降、48年にわたり同誌の編集責任者を務めた。 2017年(平成29年)7月8日、大腸癌により死去。享年81歳。 美術評論家の藤枝晃雄、直木賞作家の有明夏夫とは勝山精華高等学校(現福井県立勝山南高等学校)時代の同窓。
かこ さとし(加古 里子、1926年3月31日 - 2018… かこ さとし(加古 里子、1926年3月31日 - 2018年5月2日)は、日本の絵本作家、児童文学者、工学博士、技術士(化学)。本名は中島 哲(なかじま さとし)。ペンネームの「里子」は俳号。 福井県今立郡国高村(後の武生市、現在の越前市)に生まれ、8歳より東京府東京市(現在の東京都)板橋区に育った。東京府立第九中学校(現在の東京都立北園高等学校)、旧制成蹊高等学校から、東京大学工学部応用化学科に学ぶ。成蹊高校時代の教師に中村草田男がいた。1945年、疎開先の三重県で終戦。この年の9月より大学の授業が再開された。1946年、演劇研究会に入り、舞台装置デザイン・作製子供向けの演劇脚本を書き始める。
立野 留志子(たての るしこ、1919年 - 2009年10… 立野 留志子(たての るしこ、1919年 - 2009年10月27日)は、フランソア喫茶室の装用者である立野正一の妻。 福井県武生(現越前市)で1919年に生まれた。兄は日本画家の佐藤晴行。兄の紹介で16歳の時に、京都のフランソア喫茶室にウエイトレスとして勤務。戦時中は物資不足でコーヒーのかわりに番茶を提供して営業を続けた。徴兵で知り合った永井東三郎(洋画家)と晴行は、結婚していた留志子に会いにフランソアへ通った。 晩年、パーキンソン病を患った。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
いわさき ちひろ(本名:松本 知弘 まつもと ちひろ、旧姓:… いわさき ちひろ(本名:松本 知弘 まつもと ちひろ、旧姓:岩崎)、1918年12月15日 - 1974年8月8日、女性)は、子供の水彩画に代表される日本の画家、絵本作家。岩崎ちひろ、岩崎千尋、イワサキチヒロで発表された作品もある。父は陸軍勅任建築技師の岩崎正勝。母・文江は大日本連合女子青年団(のちの大日本青少年団)主事。前夫は東洋拓殖職員、後夫は日本共産党元衆議院議員で弁護士の松本善明。孫は絵本作家の松本春野。 1918年、雪の降る師走の朝にちひろは日本帝国陸軍築城部の建築技師の父親、女学校の教師の母親という当時としては珍しい共働き家庭における三姉妹の長女として福井県武生町(現在の越前市)橘で生まれた。
土田 帆山(つちだ はんざん、1918年12月15日 - 2… 土田 帆山(つちだ はんざん、1918年12月15日 - 2008年2月6日)は、日本の書家、福井県越前市出身。本名は土田 修(- おさむ)。代表作は『剛』、『驪』、『春 一生青春』、『閑古錐』、『天上十分月』。地方文化功労による文部科学大臣賞を受賞。 死去直前の役職は、独立書人団参事、毎日書道展名誉会員、全日本書道連盟評議員、洗心書道会代表、若越書道会薫事、越前市書道連盟会長、武生書作家協会名誉会長、越前市文化協議会顧問、丹南芸術家協会常任顧問。 1940年杉本長雲に師事、高志書道会に入会。1948年文部省主催の書道講習会に福井県代表として小林抱牛(独立書人団元代表)、稲村雲洞、木村蒼岳とともに受講。
安久 榮太郎(あんきゅう えいたろう、1901年(明治34年… 安久 榮太郎(あんきゅう えいたろう、1901年(明治34年)6月5日 - 1945年(昭和20年)4月13日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争で潜水艦輸送を23回成功させた伊38潜水艦長である。最終階級は海軍少将。 安久は福井県出身の海兵50期生である。海軍兵学校時代の校長は鈴木貫太郎、千坂智次郎で、安久は272名中95番で卒業した。練習艦隊は谷口尚真司令官に率いられ、片桐英吉、岸本鹿子治、田中頼三らの幹部に指導を受けた。術科学校で初級士官教育を受け、中尉進級後に呂59(駒沢克己艦長)に乗組んだのが潜水艦歴のはじまりである。水雷学校高等科、潜水学校乙種を履修し、安久は潜水艦専攻士官となる。 潜水学校乙種は潜水艦水雷長を養成する課程である。
秋山 徳蔵(あきやま とくぞう、1888年〈明治21年〉8月… 秋山 徳蔵(あきやま とくぞう、1888年〈明治21年〉8月30日 - 1974年〈昭和49年〉7月14日)は、日本の料理人。大正期から昭和期にかけて宮内省(のち宮内庁)で主厨長を務めた。位階・勲等は正四位勲三等。フランス料理アカデミー名誉会員。 その生涯を描いた小説やドラマ化作品のタイトルから「天皇の料理番」として知られる。皇室の食卓を預かり、宮中で行われる公式行事の料理を掌るのみならず、日本における西洋料理の普及にも大きな足跡を残した。 1888年(明治21年)、福井県今立郡村国村(国高村村国、現・越前市村国三丁目)において、裕福な料理屋の次男として生まれる。旧姓は高森。高森家は大地主で庄屋だった。
西野 藤助(にしの とうすけ、1878年(明治11年)12月… 西野 藤助(にしの とうすけ、1878年(明治11年)12月27日 - 1934年(昭和9年)9月18日)は、日本の実業家。福井県を人絹織物王国にした立役者。福井県今立郡岡本村(現・越前市定友町)にて、西野市兵衛(源助)の四男として誕生。 福井撚糸染工を経て福井精錬加工(現在のセーレン株式会社(英: SEIREN CO.,LTD.))、福井紡績(現在のダイワボウホールディングス株式会社)などを設立し、代表を務める。 1932年(昭和7年)に福井人絹取引所を開設し初代理事長となる。1934年(昭和9年)9月18日死去。享年57歳。福井県多額納税者、没後に正六位の位記を追賜。
石橋 重吉 (いしばし じゅうきち、1872年1月5日〈明治… 石橋 重吉 (いしばし じゅうきち、1872年1月5日〈明治4年11月25日〉 - 1953年〈昭和28年〉11月21日)は、日本の教育者。郷土史家。号は咬菜(こうさい)、豊洲、酔逃。 福井県今立郡粟田部(現・越前市)に生まれる。1887年真宗大谷派学場で英語、漢文、数学を学ぶ。1888年病に倒れ、福井中学の受験を断念し、郷里に戻り病床で独習する。1889年名古屋の小堀蓬髪の漢学塾に入門。1893年名古屋で嚶鳴塾を開き、塾師になる。講義の間には、書生のために炊事もし、近隣から食べ物をもらった際には牡丹餅を作って配った。愛読書はスマイルズの『自助論』。1896年、文部省教員検定試験に合格し、1896年福井中学で倫理と漢文を教える。
森 広三郎(旧字体: 森 廣三郞、もり ひろさぶろう、187… 森 広三郎(旧字体: 森 廣三郞、もり ひろさぶろう、1871年1月4日(明治3年11月14日)- 1939年(昭和14年)7月13日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・広輔。 越前国今立郡稲寄村(福井県今立郡稲寄村、国高村稲寄、武生市を経て現越前市)で、豪農、先代・森広三郎の長男として生まれた。1901年(明治34年)8月、家督を相続し広三郎を襲名した。父の反対を受けながらも上京して英吉利法律学校(現中央大学)で学んだが、ついに父の意思に従い中退して帰郷した。 今立郡会議員に就任。1903年(明治36年)9月、福井県会議員に選出され、1905年(明治38年)5月まで在任し、同参事会員も務めた。
望月 信亨(もちづき しんこう、1869年10月28日〈明治… 望月 信亨(もちづき しんこう、1869年10月28日〈明治2年9月24日〉 - 1948年〈昭和23年〉7月13日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶。浄土宗総本山知恩院第82世門跡。 1869年、福井県今立郡国高村(現:越前市)で生まれた。本名は松原勝次郎。小学校を卒業した12歳の時に坂井郡新保村の円海寺に入り、加納法宣師のもとで得度。名を信亨と改め、浄土宗の僧籍に加わった。 18歳の時、京都に出て浄土宗西部大学林に入学。20歳の時、大正大学の前身たる浄土宗学本校に入り、仏教学を学んだ。25歳の時に望月有成(兵庫県藤之寺住職)の養子となった。1896年、27歳の時に浄土宗学本校全科を卒業した。 その後は浄土宗高等学院教授となった。
西野 久右衛門(久右衞門、にしの きゅうえもん、1868年3… 西野 久右衛門(久右衞門、にしの きゅうえもん、1868年3月26日(慶応4年3月3日)- 1900年(明治33年)2月1日)は、明治期の医師、政治家。衆議院議員。 越前国今立郡北村(福井県今立郡北村、北新庄村、武生市を経て現越前市)で生まれた。済生学舎で医学を修めた。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(福井県第3区、山下倶楽部)で当選し、衆議院議員に1期在任。同年8月、第6回総選挙(福井県第3区、無所属)では次点で落選した。 その後、帝国党が結成されるとこれに参加し幹事を務めた。
土生 彰(はぶ あきら、元治元年2月22日(1864年3月2… 土生 彰(はぶ あきら、元治元年2月22日(1864年3月29日) – 1943年(昭和18年)7月20日)は、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、福井県武生町長。ジャーナリスト。 越前国南条郡武生(現在の福井県越前市)に初代武生町長となる土生忠の子として生まれる。京都で漢学などを学んだ後、福井県師範学校を卒業した。「富山日報」「福井新報」、日刊新聞「福井」の主筆を務めた後、1898年(明治31年)に武生町長に就任した。翌年に町長を辞して、「若越新聞」「福井新聞」に筆を執った。1911年(明治44年)より県会議員。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。1期務めた後の1930年(昭和5年)に武生町長に再任された。
渡辺 忠三郎(わたなべ ちゅうざぶろう、1860年1月23日… 渡辺 忠三郎(わたなべ ちゅうざぶろう、1860年1月23日(安政7年1月1日) - 1940年(昭和15年)3月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 越前福井藩領南条郡府中町(福井県南条郡武生町、武生市を経て現越前市)出身。渡辺等の三男、渡辺洪基の弟としてのちの福井県に生まれる。1874年(明治7年)陸軍幼年学校に入ったのち、1877年(明治10年)陸軍士官学校に入学し(旧3期)、1879年(明治12年)12月、陸軍砲兵少尉に任官する。日清戦争では大総督府兵站総監部附として従軍した。 1901年(明治34年)5月、駐米公使館附を経て、同年11月、大佐に進み、陸軍砲工学校教官に転じるが、日露戦争の勃発を受け1904年(明治37年)2月、大本営幕僚部勤務を拝命する。