田名部 生来(たなべ みく、1992年〈平成4年〉12月2日… 田名部 生来(たなべ みく、1992年〈平成4年〉12月2日 - )は、日本の女性タレント、女優。女性アイドルグループ・AKB48の元メンバーである。滋賀県近江八幡市出身。オムニアに業務提携の形で所属。 チームB 1st Stage「青春ガールズ」 チームB 2nd Stage「会いたかった」 チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」 チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」 THEATRE G-ROSSO「夢を死なせるわけにいかない」公演 研究生公演「アイドルの夜明け」 チームK 6th Stage「RESET」 梅田チームB ウェイティング公演 チームB 6th Stage「パジャマドライブ」公演 田原総一朗「ド〜なる?!ド〜する?!AKB48」公演 チームB 7th Stage「ただいま 恋愛中」公演 リバイバル公演「僕の太陽」 チーム4 4th Stage「夢を死なせるわけにいかない」公演 小嶋陽菜「好感度爆上げ」公演
井上 千沙(いのうえ ちさ、1992年5月31日 - )は、… 井上 千沙(いのうえ ちさ、1992年5月31日 - )は、福島中央テレビのアナウンサー。 滋賀県近江八幡市出身。京都女子中学校・高等学校、立命館大学文学部卒業。大学在学中、大阪市のアナウンススクール声光塾に通う。大学卒業後の2017年4月、NHK長野放送局の契約キャスターとなり、ひるとく、ラジオニュースなどを担当。 2017年12月、熊本県民テレビに入社。2021年12月、熊本県民テレビを退社した。 2022年4月、福島中央テレビに入社。 趣味はプロレス観戦。日本酒利き酒師の資格を持つ。タロット占い。中学時代にかまいたちに衝撃を受け、お笑い芸人を目指して中学3年生でNSCを受験するも不合格になった。
東 弘明(あずま ひろあき、1992年2月20日 - )は、… 東 弘明(あずま ひろあき、1992年2月20日 - )は、滋賀県近江八幡市出身のプロ野球選手(内野手)。
乾 友紀子(いぬい ゆきこ、1990年12月4日 - )は、… 乾 友紀子(いぬい ゆきこ、1990年12月4日 - )は、滋賀県近江八幡市出身の日本のアーティスティックスイミング選手。 幼稚園の時にシンクロナイズドスイミング(当時)に興味を持ち、小学校1年の時に滋賀シンクロクラブへ通い始めた。小学校時代は全国大会を目標に遊ぶ間もなく練習の毎日で「シンクロをやっていて一番つらかった時期」と回想している。小学校6年の時に大阪の井村シンクロクラブに所属し、片道2時間の距離を通った。 2008年7月、ロシアで開かれた世界ジュニア選手権大会に出場しデュエットで銀メダル、チームでも銅メダルを獲得した。2009年近江兄弟社高等学校を卒業し、立命館大学に入学。同年日本選手権デュエット優勝、2010年ワールドカップデュエット3位となる。
乾 貴士(いぬい たかし、1988年6月2日 - )は、滋賀… 乾 貴士(いぬい たかし、1988年6月2日 - )は、滋賀県近江八幡市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。 サッカー関係者からは、ラ・リーガで初めて地位を確立した日本人選手とされており、日本人で初めて「通算100試合出場」「通算二桁得点」「通算二桁アシスト」を達成し(通算成績166試合出場16得点11アシスト)、公式戦でFCバルセロナから得点を記録した選手である。セレッソ大阪の5代目8番。 小中学生時代に地元滋賀県のセゾンフットボールクラブに所属していた。2004年、滋賀県立野洲高等学校に進学。2年生で左ウイングのレギュラーをつかみ、一学年上の楠神順平、青木孝太や同級生の田中雄大らとともに、2005年度の第84回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、大会優勝を経験した。
馬場 悠企(ばんば ゆうき、1986年8月2日 - )は、滋… 馬場 悠企(ばんば ゆうき、1986年8月2日 - )は、滋賀県出身のサッカー選手。ポジションはMF。 草津東高校から京都産業大学を経て、2009年よりJFLのSAGAWA SHIGA FCに加入。加入初年度から中盤の守備的なポジションで起用され、2009年、2011年の2度のJFL優勝に貢献した。 2012年からはタイに活躍の場を求め、タイ・ディヴィジョン1リーグのスパンブリーFCに移籍。中盤の要として活躍し、チームのタイ・プレミアリーグへの昇格に貢献した。2013年シーズンはディヴィジョン1のバンコクFCに移ってプレーした。 2014年にはタイ・プレミアリーグの強豪チョンブリーFCに移籍して大学同期の櫛田一斗とともにプレーし、通年でのレギュラー獲得はならなかったものの17試合に出場した。
アマサワ トキオ(1985年 - )は、日本のSF作家。滋賀… アマサワ トキオ(1985年 - )は、日本のSF作家。滋賀県近江八幡市安土町出身。 ゲーム制作会社勤務。2017年および2018年に開講された、「ゲンロン 大森望 SF創作講座」第一期および第二期受講生。同講座を経て2018年、トキオ・アマサワ名義の「ラゴス生体都市」で第2回ゲンロンSF新人賞を受賞。2019年、トキオ・アマサワ名義の投稿作「サンギータ」で第10回創元SF短編賞を受賞。2019年、名義をアマサワトキオに改めた。2021年より、名義を漢字表記の天沢時生に改めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田中 理紗(たなか りさ、1982年12月27日 - )は、… 田中 理紗(たなか りさ、1982年12月27日 - )は、新潟や滋賀で活動していたアナウンサー・キャスター。現在は育児をしながら、フリーアナウンサーとして活動している。滋賀県近江八幡市出身。 以下、新潟放送在籍時 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
山田 幸代(やまだ さちよ、1982年8月18日 - )は、… 山田 幸代(やまだ さちよ、1982年8月18日 - )は、日本のプロラクロス選手。滋賀県近江八幡市出身。京都産業大学広報大使。京都国際観光大使。 中学、高校ではバスケットボール部に所属。長浜北星高校では1年からレギュラーとして3年連続でウィンターカップに出場。主将も務めた。 京都産業大学進学後、友人に勧められラクロスを始め、1年でU-20日本代表、2年でA代表に選ばれる。関西リーグでも得点王、ベスト12、MVPも受賞。 大学卒業後の2005年には大手通信会社に入社。営業職として社内トップセールスを上げるほど活躍する[要出典]一方で、選手としてクラブチーム「FUSION」の旗揚げに参加。仕事と両立を図りつつ活躍。
吉田 譲(よしだ じょう、1981年9月17日 - )は、日… 吉田 譲(よしだ じょう、1981年9月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 滋賀県近江八幡市出身。兄の影響で、武佐小学2年の時にバレーボールを始める。 1999年、アジアユース大会準優勝、2003年、ユニバーシアード大会準優勝などを経験し、2004年、Vプレミアリーグのサントリーサンバーズに入団。2011年退団するとともに、チームマネージャーに就任した。 2024年現在は地域連携/パートナー事業グループ担当の事務局スタッフを務める。
山本 篤(やまもと あつし、1980年10月2日 - )は、… 山本 篤(やまもと あつし、1980年10月2日 - )は、日本の男性総合格闘家。滋賀県近江八幡市出身。フリーランス。近江高等学校卒業。 バックボーンはレスリングと柔道。過去に山梨学院大学レスリング部の先輩である山本"KID"徳郁主宰のKRAZY BEEに所属していた。なお、KIDと同姓だが血縁関係は無い。 2004年2月6日、パンクラスでプロデビュー。 2004年7月25日、パンクラスのネオブラッド・トーナメント フェザー級(-64kg)決勝で藤本直治と対戦し、判定勝ちを収め優勝を果たした。 2005年3月12日、D.O.Gで戸井田カツヤと対戦し、ドロー。 2005年9月7日、HERO'Sのオープニングファイトで戸井田と再戦し、判定勝ち。
川村 慎二(かわむら しんじ、1978年5月2日 - )は、… 川村 慎二(かわむら しんじ、1978年5月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。 滋賀県近江八幡市出身。両親のすすめで武佐小学2年(武佐ガッツ)よりバレーボールを始める。 全日本ユース代表としてアジアユース準優勝などを経験、大阪商業大学を経て、2001年に松下電器・パナソニックパンサーズに入団した。 2007-2008年Vプレミアリーグ、2008年黒鷲旗大会の優勝に貢献し、最高殊勲選手賞(黒鷲賞)とベスト6に選出。2012年の同大会でも、黒鷲賞とベスト6に輝いた。 2014年5月の黒鷲旗大会まで13年間パナソニックでプレーし、直後に(2014/15シーズンより)南部正司監督を引き継ぐ形で同チームの新監督に就任した。
西川 進(にしかわ すすむ、1962年7月9日 - )は、日… 西川 進(にしかわ すすむ、1962年7月9日 - )は、日本のギタリスト、スタジオ・ミュージシャン、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。滋賀県近江八幡市出身。音楽事務所「Smash Room」代表。 1986年、バンド「SCOOP」でメジャー・デビュー。1990年代以降はスタジオ・ミュージシャンとして様々なアーティストのサポートやレコーディングに参加するようになる。 1998年5月、CHAGE初となるソロライブ「大いに歌う」中国・上海体育館と日本武道館の2公演に参加。以降も、2008年の「アイシテル」から2021年現在の「Boot up!!」に至るまでツアーに参加しており、バンドマスターも兼任している。
小西 理(こにし おさむ、1958年〈昭和33年〉8月22日… 小西 理(こにし おさむ、1958年〈昭和33年〉8月22日 - )は、日本の政治家、実業家。滋賀県近江八幡市長(2期)。総務大臣政務官(第2次小泉内閣)、衆議院議員(2期)等を務めた。 滋賀県近江八幡市生まれ。母は薬屋をしていた。滋賀県立彦根東高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1983年、三菱重工業株式会社に入社。1991年に三井海上火災保険(現三井住友海上火災保険)に入社し、2000年に退職。同年より兄である小西哲衆議院議員の公設第一秘書を務める。 2001年、兄・哲の死去に伴う衆議院滋賀2区補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、民主党新人の田島一成を破り、初当選した。当選後、橋本派に所属。
西 つよし(にし つよし、1957年4月8日 - )は、日本… 西 つよし(にし つよし、1957年4月8日 - )は、日本の作曲家、歌手。本名:西 猛(にし つよし)。 滋賀県近江八幡市出身。 岐阜市柳ケ瀬で流しをやっていた父の影響で幼少期よりドラムやギター等の楽器演奏をたしなむ。中学2年生の時にフォークバンド、ベルヤングを結成し音楽活動を始める。高校3年生の時に京都リバーズプロダクションにスカウトされソロのフォークシンガーとして活動。その後、演歌の作曲家を志し滋賀歌謡スタジオを立ち上げ、歌唱指導の傍ら作曲活動を続ける。39歳で一念発起し東京での作曲活動を始めた。 作曲活動の傍らライブ活動も精力的に行い、ファンキーパパ、とんちんかんず、風見鶏ブルースバンド、つよしGAとおる、すぎもとバンド等多くのユニットで活躍。
中江 滋樹 (なかえ しげき、1954年(昭和29年)1月3… 中江 滋樹 (なかえ しげき、1954年(昭和29年)1月31日 - 2020年(令和2年)2月20日)は、日本の元証券ジャーナリスト、相場師、実業家、詐欺師。元投資ジャーナル会長。滋賀県近江八幡市出身。 父親が証券会社の社員だった関係で小学生の頃から株を始め、中学生の頃にはすでに株の値動きを示す「チャート」を描いていた。滋賀県立彦根東高等学校時代から名古屋の投資顧問会社「三愛経済研究所」(犬塚芳嗣所長)の会員となり、投資を学ぶ。当時すでに信用取引をやっており、1000万円以上を稼ぎ出した。同級生の証言によると、株式市場の動向を聞くために短波放送のラジオを学校に持ちこみ、授業中もこっそりラジオを聞いて、株価をチェックし、当時は、インターネットや携帯電話のない時代で、休み時間には公衆電話に急いで走って行き、電話で株の売買注文を出していた。
原田 多加司(はらだ たかし、1951年6月3日 - )は、… 原田 多加司(はらだ たかし、1951年6月3日 - )は、日本の檜皮葺師(ひわだぶきし)、杮葺師(こけらぶきし)。 公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会(国連教育科学文化機関「ユネスコ」の無形文化遺産登録団体)の理事、常務理事、副会長などを歴任。伝統建築工匠の技と、木造建造物を受け継ぐための伝統技術の継承を指導しており、著作・講演等も多い。日本建築学会、日本民俗建築学会、建築修復学会会員。 滋賀県近江八幡市で檜皮葺師・杮葺師の9代目・原田年浩(はらだ としひろ)の長男として生まれる。大学卒業後、銀行員を経て、1982年(昭和57年)に「10代目・原田 真光(はらだ しんこう)」を襲名。国宝・重要文化財・宮内庁関係等の指定建造物の保存修理を多数手掛ける。
井狩 吉雄(いかり よしお、1951年5月14日 - )は元… 井狩 吉雄(いかり よしお、1951年5月14日 - )は元競輪選手。滋賀県近江八幡市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第35期卒業。現役時代は日本競輪選手会滋賀支部所属。師匠は田中広光(21期・引退)。ホームバンクは大津びわこ競輪場。 中学生時代はハンドボール選手として滋賀県民体育大会で優勝、また駅伝ランナーとして、滋賀中学駅伝で2位を経験している。滋賀県立八日市高等学校に進学してから自転車競技を始め、中京大学自転車競技部時代は主将を務めた。同大学時代の主な実績として、カナダ・ブリティシュ・コロンビア3日間ロードレース日本人選手総合第1位、全国地域対抗自転車競技選手権大会・ポイントレース優勝などがある。
来住 英俊(きし ひでとし、1951年 - )は、日本のカト… 来住 英俊(きし ひでとし、1951年 - )は、日本のカトリック教会の司祭。 滋賀県近江八幡市生まれ、神戸市育ち。灘高等学校から東京大学法学部に進む。司法試験に数次失敗、日立製作所に勤務。1979年、「パック旅行で訪れたイタリアの教会に魅せられ」、1981年、カトリック板橋教会で洗礼を受け、同年、カトリックの修道会である御受難修道会に入会。上智大学神学部で神学を学び、1989年に司祭に叙階される。 「祈りの学校」を主宰。
松田 保(まつだ たもつ、1948年 - )は、滋賀県近江八… 松田 保(まつだ たもつ、1948年 - )は、滋賀県近江八幡市出身のサッカー指導者。学校法人ヴォーリズ学園副学園長。 滋賀県立彦根東高等学校ではアメリカンフットボール部に所属。金沢大学教育学部特別体育学科にてサッカー指導者としての教育を受ける。教師として初赴任先の甲南高校では初年度からサッカー部監督に就任。その後は守山高校サッカー部、守山北高校サッカー部監督を歴任。1982年度には守山高校を率いて全国高校選手権ベスト4進出、1994年度には守山北高校でもベスト4進出を果たす。 1993年から1995年までは小野伸二、稲本潤一ら「黄金世代」を擁したU-17日本代表監督を務め、FIFA U-17世界選手権に出場した。
岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年〈昭和21年〉7… 岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年〈昭和21年〉7月22日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。血液型はO型(本人はA型に近いO型と語っている)。滋賀県近江八幡市出身。 実家は教会で、父親は牧師。現在は京都府亀岡市在住。 父の岡林勝治は新潟県の出身で、30歳まで新潟で農業をしていた。しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し、滋賀県の紡績工場に就職。その時期に宣教師のウィリアム・メレル・ヴォーリズに出会い、牧師となるため大阪の神学校に通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を建てた(近江金田教会の礼拝堂は現存し、2012年(平成20年)に国の登録有形文化財に登録されている)。
川端 達夫(かわばた たつお、1945年〈昭和20年〉1月2… 川端 達夫(かわばた たつお、1945年〈昭和20年〉1月24日 - )は、日本の政治家。国民民主党顧問。 衆議院議員(10期)、民主党国会対策委員長、民主党幹事長(第6代)、文部科学大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策)、総務大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進)、民社協会理事長、衆議院副議長(第66代)などを歴任、国民民主党顧問。 滋賀県蒲生郡(現・近江八幡市)生まれ。生家は薬局を営んでいた。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学工学部卒業。京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、東レに入社した。開発研究に携わる傍ら、労働組合運動にも取り組んだ。
土川 健之(つちかわ けんじ、1944年6月28日 - )は… 土川 健之(つちかわ けんじ、1944年6月28日 - )は、日本の獣医師。日本中央競馬会(JRA)理事長(第14代)。
林潤(はやし じゅん 1935年〈昭和7年〉-)は、日本の実… 林潤(はやし じゅん 1935年〈昭和7年〉-)は、日本の実業家。奈良生駒高速鉄道代表取締役社長、近畿日本鉄道株式会社専務取締役、土木学会理事。滋賀県近江八幡市出身。 1935年滋賀県近江八幡市生まれ。1953年近江兄弟社高等学校を卒業後、京都大学工学部土木工学科に入学。 1958年、近畿日本鉄道に入社。専務取締役を経て、1998年奈良生駒高速鉄道代表取締役社長に就任し、土木学会理事も務めた。
福井 達雨(ふくい たつう、1932年3月25日 - 202… 福井 達雨(ふくい たつう、1932年3月25日 - 2022年9月6日)は、日本の教育者。滋賀県近江八幡市生まれ。
志村 ふくみ(しむら ふくみ、1924年(大正13年)9月3… 志村 ふくみ(しむら ふくみ、1924年(大正13年)9月30日 - )は、日本の染織家、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)、随筆家。 草木染めの糸を使用した紬織の作品で知られる。 滋賀県近江八幡市生まれ。1942年(昭和17年)文化学院卒業。文化学院の1学年上級には女優の高峰秀子がいた。 31歳のとき、若い頃に柳宗悦の民芸運動に共鳴し、織物を習っていた母・小野豊の影響で織物を始める。 1957年(昭和32年)の第4回日本伝統工芸展に初出品で入選し、その後第5回で奨励賞、第6回・第8回で文化財保護委員会委員長賞、第7回で朝日新聞社賞と4度の受賞を重ね、特待者となった。随筆の名手としても知られ『一色一生』で第10回(1983年度)大佛次郎賞を受賞している。
木川 かえる(きがわ かえる、本名:木皮 一夫〈きがわ かず… 木川 かえる(きがわ かえる、本名:木皮 一夫〈きがわ かずお〉、1923年〈大正12年〉8月22日 - 2005年〈平成17年〉3月4日)は、日本の元漫画家、ジャズ漫画家。滋賀県近江八幡市出身。日本漫画家協会参与 京都支部長。1992年から1999年まで京都精華大学芸術学部漫画学科の講師を務めていた。 父は銀行員でヴァイオリン、尺八を演奏するなど風流人であった。自身もそんな縁で演芸などに興味を持つ。子供の頃から絵を描く事も好きで学生時代から新聞等に投稿をしていた。滋賀県立八幡商業高等学校卒業後、父の勧めで銀行員になる。戦時中は従軍、終戦を中国で迎え、復員。戦後は進駐軍でジャズや映画音楽をBGMに米軍相手に絵を描く漫画ショウを始める。
中村 伊一(なかむら いいち、1920年4月7日 - 200… 中村 伊一(なかむら いいち、1920年4月7日 - 2005年4月14日)は日本の実業家。ワコール創業メンバーで、同社副社長や、社団法人京都経済同友会代表幹事、京都証券取引所理事長を務めた。 滋賀県近江八幡市出身。八幡商業(現滋賀県立八幡商業高等学校)首席卒業を経て、横浜高等商業学校(現横浜国立大学)卒業、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。 学徒出陣で満州に渡る。シベリア抑留を経て、母校八幡商業で教鞭をとっていたところ、八幡商業の同級生塚本幸一にさそわれ、相学の先生からの託宣もあり、1949年にワコールの前身である和江商事に入社。1963年から1984年まで副社長を務め、同年取締役相談役に退く。
福永 兵蔵(ふくなが ひょうぞう、1904年10月〈明治37… 福永 兵蔵(ふくなが ひょうぞう、1904年10月〈明治37年〉 - 2005年〈平成17年〉)は、日本の実業家。株式会社フクナガ創業者。リプトンの喫茶店を経営し、日本に紅茶を広めた人物とされ、「京都の紅茶王」として知られる[出典無効]。 滋賀県近江八幡市出身。地元の小学校から商業実習学校に入学。卒業後は五条の瀬戸物屋「萬珠堂」の貿易部で働き始める。 取引先であったイギリスのウォーカー商会からリプトン紅茶の喫茶店経営を薦められ、1930年に「リプトン本社直轄喫茶部 極東支店」(現:サー・トーマス・リプトン ティハウス)をオープン。日本で初めてのロイヤルミルクティーの提供や、ラジオ出演などで京都にリプトンの名を広める。
山岸 巳代蔵(やまぎし みよぞう、1901年〈明治34年〉8… 山岸 巳代蔵(やまぎし みよぞう、1901年〈明治34年〉8月12日 - 1961年〈昭和36年〉5月4日)は、昭和時代の農業家。幸福会ヤマギシ会の創始者。 滋賀県蒲生郡老蘇村大字東老蘇(現・近江八幡市)にて生まれ、1922年より養鶏を中心に農業を始める。1950年にジェーン台風が日本を襲った際、山岸の田地が無事だったことが注目され、以後講演活動を始める。 1952年、山岸会を創立する。これが、「幸福会ヤマギシ会」の始まりである。1954年、『山岸式養鶏法・農業養鶏編(前編)』を、名古屋の中禽社より出版する。1958年3月には、三重県阿山郡伊賀町(現・伊賀市)にて「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」が実現するが、1959年7月に山岸会は不法監禁容疑で警察の強制捜査を受け、山岸会幹部9名が逮捕され、代表の山岸にも逮捕状が出された。
茨木 杉風(いばらき さんぷう、明治31年(1898年)2月… 茨木 杉風(いばらき さんぷう、明治31年(1898年)2月8日 - 昭和51年(1976年)8月12日)は、近藤浩一路に師事した水墨画家。日本美術院院友を辞し『新興美術院』を創設した。 滋賀県野洲市小篠原出身の茨木家。移り住んだ近江八幡市博労町の初代から数えて五代目の芳蔵こと茨木杉風。菩提寺の近江八幡市東漸寺から長男陽介の意志により大先祖の菩提寺で、本堂に近江八景の襖絵を残す養専寺の墓地に移し眠る。 茨木杉風は、明治31年(1898年)2月8日に滋賀県蒲生郡八幡町(現滋賀県近江八幡市)の商家 梅田屋に生まれた。嫡男として家業である海産物商を継ぐところ、幼少時より絵が好きで大林千万樹に入門、後に大林より近藤浩一路を紹介され、大正9年(1920年)同人に師事した。
今井 耕(いまい こう、1896年〈明治29年〉2月28日 … 今井 耕(いまい こう、1896年〈明治29年〉2月28日 - 1976年〈昭和51年〉1月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、自由民主党)。 滋賀県蒲生郡岡山村(現近江八幡市)で、農業・今井吉太郎の長男として生まれた。長浜農学校卒。卒業後は同校教諭や栗太農学校教諭を務める。1946年の第22回衆議院議員総選挙で滋賀県から無所属で立候補して当選し、それから国民協同党に入った(その後、国民民主党→改進党→日本民主党→自由民主党に所属)。以来当選6回。第2次鳩山一郎内閣建設政務次官、衆議院決算委員長などを歴任した。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選、政界から引退した。 1966年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
伊吹山 末吉(いぶきやま すえきち、1895年1月3日 - … 伊吹山 末吉(いぶきやま すえきち、1895年1月3日 - 1930年1月16日)は、現在の滋賀県近江八幡市出身で入間川部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は坂本 末吉。8代藤島。189cm、116kg。最高位は西前頭11枚目。 長身で骨格も発達した巨人型の体躯で、上背を利しての突っ張りは強烈であった。1918年5月幕下付出で初土俵、1921年1月十両昇進。1922年1月新入幕したが、病気の為に十両と幕内を往復。1923年1月場所前に起きた三河島事件では横綱・大関を除く全力士が協会と対立したが、ひとり師匠に反旗を翻すのを拒んだという意志強固な性格の持ち主であった。1926年5月に引退し藤島を襲名したが、1929年1月に廃業した。
南 梅吉(みなみ うめきち、1877年(明治10年)5月10… 南 梅吉(みなみ うめきち、1877年(明治10年)5月10日 - 1947年(昭和22年)10月24日)は、日本の社会運動家、部落解放運動家、水平運動家。全国水平社初代委員長、日本水平社初代会長。 滋賀県蒲生郡桐原村(現近江八幡市)の農家に生まれた。孤児となり親族に保育される。小学校卒業後、京都に出て徒弟奉公ののち竹皮草履の仲介業をはじめる。 1894年(明治27年)、京都市上京区鷹野北町に移り化粧品製造に従事。1902年(明治35年)から部落改善運動(融和運動)に携わり、青年団を結成。青年団長や村議会議員を務めた。 1922年(大正11年)、全国水平社(全水)の初代委員長となり、京都の自宅に総本部が置かれた。
西川 吉之助(にしかわ よしのすけ、1874年9月3日 - … 西川 吉之助(にしかわ よしのすけ、1874年9月3日 - 1940年7月18日)は、日本の教育者。大正から昭和初期に日本の聾学校/聾教育に口話教育の普及を推進した教育者。大阪市立聾学校(学校名は当時。現在は大阪府立中央聴覚支援学校)校長の高橋潔とは、『手話の高橋、口話の西川』と対比された。 1874年、滋賀県蒲生郡八幡町(現・近江八幡市)生まれ。父は八十二郎、母はきち(西川吉輔の五女)。東京の私立商業素修学校卒業後、1895年に私立小樽商業夜学校を設立するが2年で廃校となる。その後、西川傳右衛門家を継ぎ、西川貞二郎の長女・君と結婚した。 元からの教育者ではなく、耳が聴こえない三女の濱子(はま子)のために始めた口話法が当時の社会で評判を博したため、教育者の道に進んだ人物である。
12代 西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1870年7月1… 12代 西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1870年7月11日(明治3年6月13日)- 1942年(昭和17年)11月17日)は、明治から昭和時代戦前の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。滋賀県蒲生郡八幡町長。西川甚五郎家山形屋12代、諱・嘉重。 滋賀県蒲生郡八幡町大杉町(現・近江八幡市大杉町)で、西川重威の長男として生まれた。1898年(明治31年)家督を相続した。大阪商業学校を卒業し、その後、東京の欧文正鵠学館(サンマー英学校)で学んだ。漢学は中村栗園、山本太造に師事した。 1902年(明治35年)以降、八幡町長、同町会議員、滋賀県会議員、大日本蚕糸会滋賀支会副会頭、同評議員などを歴任した。
西川 貞二郎(にしかわ ていじろう、1858年5月31日(安… 西川 貞二郎(にしかわ ていじろう、1858年5月31日(安政5年4月19日)-1924年(大正15年)3月9日)は、明治期の起業家・近江商人。西川傳右衛門家の10代目、諱は昌一。カニ缶を初めて商品化、八幡銀行(後の滋賀銀行の一部)・帝国水産等を創業した。 1858年5月31日((旧暦)安政5年4月19日)、近江国野洲郡江頭村(現近江八幡市江頭町)の井狩只七の次男定次郎として誕生した。母は蒲生郡中野村(現東近江市)小泉弥右衛門の娘。1864年(元治元年)、定次郎は第9代西川傳右衛門昌武(1862年(文久9年)死去)の後継となるため西川家に入る。定次郎の祖母は第5代傳右衛門昌康の娘に当たり、定次郎の叔母は西川家分家善六家に嫁ぎ、西川家と井狩家は姻戚関係にあった。
沢田 耕治郎(さわだ こうじろう、1850年10月12日(嘉… 沢田 耕治郎(さわだ こうじろう、1850年10月12日(嘉永3年9月7日) - 1926年(大正15年)3月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 近江国蒲生郡、のちの滋賀県蒲生郡桐原村(現近江八幡市)で生まれる。漢学と法律学を学ぶ。戸長、桐原村会議員、同村長、滋賀県会議員、徴兵参事員、地方森林会議員、近江米同業組合会議員、蒲生倉庫(株)取締役社長、蒲生銀行頭取となる。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において滋賀県郡部から憲政本党公認で立候補して初当選した。1903年の第8回衆議院議員総選挙で再選を果たした。1904年の第9回衆議院議員総選挙で三選した。衆議院議員を3期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙で落選した。
11代西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、諱は重威(しげたけ… 11代西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、諱は重威(しげたけ)、1849年1月10日(嘉永元年12月16日) - 1905年(明治38年)4月6日)は、江戸時代末期から明治期の近江商人。西川甚五郎家山形屋11代、明治維新動乱期を越えて西川への発展の基礎を固めた。 1849年1月10日((旧暦)嘉永元年12月16日)に近江国蒲生郡八幡(現近江八幡市)において山形屋10代西川甚五郎の二男二女の第四子次男として誕生、長男夭折に伴い跡継ぎとして育てられ、幼名は伊三郎と称した。 1840年代(天保弘化年間)、越前国において近江より熟練工を招き蚊帳織りを開始したことから近江蚊帳の営業者は1878年(明治11年)当時5軒まで減っていた、加えて1866年(慶応2年)には徳川幕府の長州征伐のための御用金1千8百両の上納を求められ経営環境は極度に悪化していた。
伊庭 貞剛(いば ていごう、1847年2月19日(弘化4年1… 伊庭 貞剛(いば ていごう、1847年2月19日(弘化4年1月5日) - 1926年(大正15年)10月22日)は、近江国出身の明治時代の実業家、第2代住友総理事である。 「別子銅山中興の祖」と言われ、「東の足尾、西の別子」と言われた、住友新居浜精錬所の煙害問題の解決にあたった。植林など環境復元にも心血を注ぎ、企業の社会的責任の先駆者とも言われている。 近江源氏佐々木氏支流伊庭氏の一族である。 1847年(弘化4年)、近江国蒲生郡西宿村(現・滋賀県近江八幡市)に伯太藩代官伊庭正人の長男として、母、北脇田鶴子の実家で生まれ、7歳まで母方の実家で育つ。幼名は耕之助。 八幡町の児島一郎に剣道を、西川吉輔に国学を学んだ。
初代 中小路 与平治(なかこうじ よへいじ、1845年(弘化… 初代 中小路 与平治(なかこうじ よへいじ、1845年(弘化2年6月) - 1922年(大正12年)12月18日)は、明治時代滋賀県の政治家。貞章(さだあき)と改名。 中小路与平治は、1845年(弘化2年)近江国蒲生郡西庄村(後の金田村、現滋賀県近江八幡市)に村井又兵衛の三男として生まれ、幼名を直次郎と称した。北脇醒斬に漢詩、儒学を修め、1867年(慶応3年)に郷総代を務める中小路健治の養子となり、1870年(明治3年)名を与平治に改める。 1871年5月23日(明治4年4月5日)に戸籍法施行の翌年戸長に就任し、1879年(明治12年)府県会開設後蒲生郡より第一回選出滋賀県会議員64名の一人として当選、その後常置委員に選出された。
井狩 弥左衛門(いがり / いかり やざえもん、1844年1… 井狩 弥左衛門(いがり / いかり やざえもん、1844年11月27日(弘化元年10月18日) - 1901年(明治34年)5月23日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。9代井狩弥左衛門。 近江国野洲郡江頭村(北里村を経て、現在の近江八幡市)に生まれる。富豪として桑園や水田を拓き米質改良組合を組織するなど農業発展に尽力する。1873年(明治6年)以降、滋賀県野洲郡第五区副区長、同区長、同郡七十八箇村連合村会議員、滋賀県会議員、野洲郡所得税調査委員、滋賀県農工銀行設立委員などを歴任する。近江帆布会社の設立にも尽力した。 1897年(明治30年)9月、滋賀県多額納税者として貴族院議員に互選され、同月29日に就任したが、在任中に死去した。
岡田 魯人(おかだ ろじん、天保11年10月14日(1840… 岡田 魯人(おかだ ろじん、天保11年10月14日(1840年11月7日) - 明治38年(1905年)5月8日)は、明治時代の俳人。 義仲寺無名庵14世庵主となり無名庵復興に尽くした。 天保11年10月14日(1840年11月7日)近江国蒲生郡船木村(後の岡山村、現滋賀県近江八幡市船木町)に生まれる 。本名存修、別に魯台、梅下庵、泊船居、椿杖斎、種々庵宗碩と号した。青年時多くの勤王家と交わり、明治維新後、兵部省に勤め、糾問使、陸軍省軍務局理事、軍務局大録事を歴任した。 幼い時より俳諧に親しみ寛揚、柴人に師事し、陸軍省を退官した明治18年(1885年)東海道・山陽道・西海道などを俳諧行脚し、近江八幡に草庵を結ぶ。