川本 智徳(かわもと とものり、1959年5月1日 - )は… 川本 智徳(かわもと とものり、1959年5月1日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本県の八代工では、1977年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、専大玉名高に9回サヨナラ負け。甲子園には出場できなかった。 本格派右腕として期待され、1977年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズに4位指名され入団した。 1983年に一軍初登板、同年には初勝利をあげる。 1984年オフ、日本ハムを戦力外となり西武ライオンズと打撃投手として契約した。 1985年シーズン途中に選手契約、現役復帰を果たした。 1986年には5先発を含む17試合に起用され、日本シリーズでも第3戦に登板している。
中村 博生(なかむら ひろお、1958年〈昭和33年〉10月… 中村 博生(なかむら ひろお、1958年〈昭和33年〉10月9日 - )は、日本の政治家、実業家。元熊本県議会議員(4期、副議長)、元八代市議会議員(2期)、前八代市長(3期、3代目)。 熊本県旧八代市出身。熊本県立小川工業高等学校卒業。1979年3月、中九州短期大学卒業。同年、株式会社中村組に就職。1991年、同社の代表取締役に就任。 1998年から旧八代市議会議員を2期務める。2002年、熊本県議会の補欠選挙に出馬し当選。県議を4期務める。 自由民主党八代地域支部などから八代市長選挙への出馬要請を受け、2013年7月に県議を辞職。同年9月1日に行われた同市長選挙に自民党と公明党の推薦を得て無所属で出馬。
荻原 正也(おぎわら まさや、1958年7月22日 - )は… 荻原 正也(おぎわら まさや、1958年7月22日 - )は、日本の実業家。アイ・ティー・エックス代表取締役社長、同社取締役会長、ニフティ代表取締役社長を経て、同社取締役会長。 熊本県八代市出身。兵庫県立西宮高等学校を経て、1980年神戸大学法学部卒業、日商岩井(現双日)入社。前川一博元パナソニックインフォメーションシステムズ代表取締役社長は、高校のバスケットボール部の2年先輩。2003年アイ・ティー・テレコム(現アイ・ティー・エックス)業務本部副本部長。2009年アイ・ティー・エックス取締役常務執行役員。 2010年からアイ・ティー・エックス代表取締役社長を務め、オリンパス事件を受けオリンパス傘下から日本産業パートナーズ傘下となり利益水準を向上させた。
渡辺 長助(わたなべ ちょうすけ、1956年10月11日 -… 渡辺 長助(わたなべ ちょうすけ、1956年10月11日 - 2011年6月28日)は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・スコアラー。
三山 のぼる(みやま のぼる、1956年1月7日 - 200… 三山 のぼる(みやま のぼる、1956年1月7日 - 2007年12月2日)は、日本の漫画家。 熊本県八代市出身。高卒後に上京してデザイン会社に勤務したのち、村野守美に師事し、池沢さとしのアシスタントを経て、1981年に週刊少年ジャンプにて「男文太」でデビュー。代表作に『メフィスト』など。 2007年に急性心不全で急逝した。
國村 隼(くにむら じゅん、本名:米村 喜洋、1955年〈昭… 國村 隼(くにむら じゅん、本名:米村 喜洋、1955年〈昭和30年〉11月16日 - )は、日本の俳優、ナレーター。大阪府大阪市出身(熊本県八代市生まれ)。 熊本県八代市にて母・リツ子、父・洋の子として生まれる。 0歳のうちに兵庫県尼崎市に転居。 小学校2年の時に大阪市へ移った。 大阪放送劇団付属研究所9期生。 1981年、『ガキ帝国』(井筒和幸監督)で映画デビュー。 1989年、『ブラック・レイン』にヤクザ役で出演し、リドリー・スコット監督と松田優作から映画俳優としての表現について影響を受けた。のちに香港の映画関係者からオファーが増えて数本の映画に出演した。 1997年、河瀨直美監督が第50回カンヌ国際映画祭で日本人初のカメラ・ドールを受賞した『萌の朱雀』では田原孝三役で映画初主演。
永島 暎子(ながしま えいこ、1955年〈昭和30年〉7月2… 永島 暎子(ながしま えいこ、1955年〈昭和30年〉7月28日 - )は、日本の女優。熊本県下益城郡出身。フリーランス。 熊本県立八代東高等学校を卒業後、東北地方でのこけし制作や北海道での牧場労働を経験。 1976年、日活テレビ映画芸術学院(現・日活芸術学院)へ入学。同年、『四畳半青春硝子張り』のヒロインに抜擢されて映画デビュー。 1977年、日活ロマンポルノ『女教師』でエランドール賞新人賞を受賞した。 1983年、『竜二』の演技で国内の各種助演女優賞を総なめにした。
麻原 彰晃(あさはら しょうこう、1955年〈昭和30年〉3… 麻原 彰晃(あさはら しょうこう、1955年〈昭和30年〉3月2日 - 2018年〈平成30年〉7月6日)は、日本の宗教活動家、政治活動家(真理党党首)、テロリスト、元死刑囚。本名は松本 智津夫(まつもと ちづお)。熊本県八代市高植本町出身。 宗教団体「オウム真理教」を創設し、教祖として政治活動や宗教活動を行った一方、宗教的に殺人を肯定し、自らの信者を利用して、国家転覆を最終目標とする数多くの犯罪事件を起こした。坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件を初めとするこれら一連の事件は、オウム真理教事件と称される。麻原は地下鉄サリン事件の首謀者として、1995年(平成7年)5月16日に逮捕された。
佐々木 宏(ささき ひろし、1954年10月18日 - )は… 佐々木 宏(ささき ひろし、1954年10月18日 - )は、日本のクリエイティブディレクター、電通出身。 1954年、熊本県八代市生まれ。 1973年、東京都立小石川高等学校卒業。 1977年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業、電通入社。 電通では新聞雑誌局に6年。宣伝会議のコピーライター養成講座を受け、クリエーティブ局に転局。 以後20年にわたり、電通でコピーライター、クリエーティブディレクター、クリエーティブ局長職を歴任。 2003年、電通の100%子会社である「シンガタ」を設立。 2019年、自身の個人事務所である「連」を立ち上げた。 2020年12月23日、東京五輪組織委員会は、東京五輪(オリンピック・パラリンピック)の開閉会式の演出につき、新たに佐々木を総合統括に起用すると発表した。
市川 俊英(いちかわ としひで、1954年9月27日 - )… 市川 俊英(いちかわ としひで、1954年9月27日 - )は、日本の実業家。東京ミッドタウンマネジメント代表取締役社長、三井ホーム代表取締役社長を経て、同社常任相談役兼三井不動産グループ顧問。住宅生産団体連合会副会長、日本ツーバイフォー建築協会会長。藍綬褒章受章。建設事業関係功労者等国土交通大臣表彰受賞。 熊本県八代市出身。八代市立第二中学校、熊本県立熊本高等学校を経て、1977年一橋大学商学部を卒業し、三井不動産株式会社に入社。人事部門を経て、建築物管理部門を担当。 2003年4月三井不動産株式会社六本木プロジェクト推進部長、2005年4月三井不動産株式会社執行役員六本木プロジェクト推進部長、2005年8月三井不動産株式会社執行役員東京ミッドタウン事業部長。
釘谷 肇(くぎたに はじめ、1954年4月30日 - )は、… 釘谷 肇(くぎたに はじめ、1954年4月30日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 八代東高から1973年ドラフト2位でヤクルト入団。二軍暮らしが長かったが長打力には定評があり、キャンプでは「和製大砲」、「アリゾナの星」と期待された。1975年、1976年と2年連続でジュニアオールスターにも出場。1981年には一軍に定着、5月末から外野手として7試合連続で先発に起用され、24打数9安打と活躍するが直後に故障欠場。1983年も5月から27試合に先発出場、打率.304、5本塁打の成績を残すが、またも8月に故障し先発から外れる。その後もレギュラーには定着できなかった。1985年限りで現役引退。
柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 -… 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。 実家はイグサ農家で、母親は代用教員をしていたという家庭だった。4人きょうだいの第3子(姉、兄、妹がいる)。高校から本格的に野球を始め、八代東高校では3年次の1970年、春の選抜にエースとして出場。1回戦で日大三高の渡部良克(日大)と投げ合うも0-2で完封負けを喫した。同年の夏の甲子園県予選では、準々決勝で熊本一工に延長15回の末、敗退した。 同年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け、外野手として入団。当時は中央球界ではまだ無名の存在で、地元のファンがたまたま訪れていた南海のスカウトに紹介したことがそのままプロ入りに繋がったという。
八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日… 八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日 - 2023年〈令和5年〉12月30日)は、日本の演歌歌手、女優、タレント、画家。熊本県八代郡金剛村出身。 幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ。この影響もあり歌が好きで、地元の歌唱コンクールに出場していた。 八代亜紀が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。ハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。 八代市立第六中学校卒業後、九州産業交通にバスガイドとして就職する。
川添 永子(かわぞえ えいこ、旧姓:桑原 1950年〈昭和2… 川添 永子(かわぞえ えいこ、旧姓:桑原 1950年〈昭和25年〉 - )は日本の剣道家、教師。 女子剣道黎明期に活躍した女流剣士のパイオニア的存在として知られている。夫は剣道家の川添哲夫。 熊本県八代市生まれで、小学4年生で剣道を始める。熊本県立八代東高等学校在学中の1967年、出場した玉竜旗高校剣道大会において女子選手として初めて男子選手を破り、話題となる。 翌1968年には新設された女子個人戦にて優勝し、初代女王となった。翌1969年には国士舘大学進学し、大学1年生ながら全日本女子剣道選手権大会にて優勝。その後、1970年、1971年と3連覇を果たす。この優勝回数3回の記録は村山千夏が2011年に4回目の優勝を遂げるまで、最多記録であった。
吉王山 修(よしおうやま おさむ、1949年5月20日 - … 吉王山 修(よしおうやま おさむ、1949年5月20日 - )は、熊本県八代市迎町出身で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は吉村 修(よしむら おさむ)。現役時代の体格は185cm、131kg。最高位は東前頭2枚目(1972年3月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 幼少の頃から体が大きく、小学校3年生の時、三保ヶ関親方(元大関・増位山(先代))に見初められた。以来、近所の人達から「将来は相撲取りに」と大相撲入りを勧められ、地元の中学校を卒業後三保ヶ関部屋へ入門。1965年3月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の大関・大受らがいる。 序ノ口当初から「吉王山」を名乗り、以後、引退まで一度も改名する事は無かった。
巖虎 寛一(いわとら かんいち、1948年1月27日 - 2… 巖虎 寛一(いわとら かんいち、1948年1月27日 - 2023年12月8日【訃報報告日】)は、熊本県八代郡千丁村(※現役当時。現・同県八代市)出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は松岡 一智(まつおか かずとも)。最高位は東前頭7枚目(1973年5月場所)。得意手は押し、突っ張り、叩きなど。現役時代の体格は177cm、111kg。 貧しい家庭で生まれ育ち、小学生の頃から新聞配達、港湾荷役で家計を支えていた。 中学3年生の時に、春日野部屋の力士・栃ノ巖(近隣の、八代市出身)からスカウトを受けて角界入り。1962年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、「松岡山」。 その後、幕下中位まで番付を上げた。
泉 幸甫(いずみ こうすけ、1947年 9月4日- )は、日… 泉 幸甫(いずみ こうすけ、1947年 9月4日- )は、日本の建築家。博士(工学)。熊本県八代市生まれ。
田上 高(たのうえ たかし、1947年4月30日 - 200… 田上 高(たのうえ たかし、1947年4月30日 - 2009年2月19日)は、日本のレスリング選手、テニス選手。熊本県八代市出身、八代高校卒業。 レスリングを始めたのは日本体育大学進学後ながら、1969年から全日本レスリング選手権大会で4連覇を達成、同時期に開催されているレスリング世界選手権では1970年のカナダのエドモントン大会、1971年のブルガリアのソフィア大会のグレコローマンの68kg級において2大会連続の銅メダルを獲得した。大学卒業後は高校教諭となり、鹿児島県立甲南高等学校教諭時には1972年のミュンヘンオリンピックに出場が決まった。1回戦でモロッコのモハメド・マラモー、2回戦でスイスのハインツ・リンに勝利したものの3回戦でハンガリーのアンタル・ステアに敗れた。
小川 和久(おがわ かずひさ、昭和20年(1945年)12月… 小川 和久(おがわ かずひさ、昭和20年(1945年)12月16日 - )は、日本の軍事アナリスト。特定非営利活動法人国際変動研究所理事長。静岡県立大学グローバル地域センター特任教授。
白田山 秀敏(しらたやま ひでとし、1943年12月15日 … 白田山 秀敏(しらたやま ひでとし、1943年12月15日 - )は、熊本県八代郡鏡町(※現役当時、現・同県八代市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は白田 秀敏(しらた ひでとし)。現役時代の体格は187cm、105kg。最高位は東前頭4枚目(1971年5月場所)。得意手は左四つ、出し投げ、外掛け。 現役引退後は、年寄・谷川として後進の指導に努め、停年(定年)まで日本相撲協会に在籍した。 地元・鏡町の中学校を卒業後、進学した八代第一高校(現・秀岳館高校)を僅か3ヵ月で中退して上京し、高砂部屋に入門。1959年7月場所に於いて、15歳で初土俵を踏んだ。新弟子時代は17貫(約64㎏)の小さい体であり、2場所前に初土俵を踏んだ朝嵐に目をかけられて精進した。
岩本 憲児(いわもと けんじ、1943年7月25日- )は、… 岩本 憲児(いわもと けんじ、1943年7月25日- )は、日本の映画史研究者、早稲田大学名誉教授。専攻は映画史、映像論。 熊本県八代市生まれ。飯島正に師事。1971年早稲田大学大学院博士課程満期退学、文学部助手、1977年専任講師、1980年助教授、1985年教授、2002-2006年に日本映像学会会長、2006年退職、2008年日本大学芸術学部教授。2014年退職。
坂口 拓史(さかぐち たくし、1942年 - )は、日本の警… 坂口 拓史(さかぐち たくし、1942年 - )は、日本の警備会社経営者、著作家、評論家。坂口れい子の長男。 台湾生まれ。熊本県八代市出身。九州学院高等学校卒、法政大学二部文学部中退、セコム(訓練担当)をへて日本平和警備保障社長、のち顧問。 裏社会についての著作多数。
本田 大三郎(ほんだ だいさぶろう、 1935年2月17日 … 本田 大三郎(ほんだ だいさぶろう、 1935年2月17日 - 2025年8月10日)は、日本のハンドボール・カヌーの選手。熊本県八代郡坂本村出身。日本初のオリンピックカヌー選手で、1964年東京オリンピックで正式種目として採用されたカヌー競技へ出場した。 熊本県立八代高等学校・日本体育大学体育学部体育学科・自衛隊体育学校卒業。横浜市消防訓練センター体育訓練担当教官(課長)定年退職。その後は各大学のカヌー部コーチを経て、神奈川県の三浦市にあるマホロバ・ホンダカヌースクールの代表役を務めている。 息子はレスリング選手・プロレスラーの本田多聞、サッカー選手の本田圭佑は兄の孫。 八代高校時代にはハンドボールをして、キャプテンを務めた。
森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 -… 森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 - 2018年8月19日 )は、日本の作曲家、編曲家。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校卒業。指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事。 「君といつまでも」「恋のしずく」「ブルー・シャトウ」「今日でお別れ」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。作・編曲の傍ら、映画やテレビ番組の音楽監督・プロデューサーとして活動。主な作品に、映画音楽「若大将シリーズ」「宇宙からのメッセージ」「山下少年物語」「典子は、今」など。 またカーティア・リッチャレッリのレコーディング、サルバトール・アダモのコンサートのプロデュースなど外人アーティストの音楽制作プロデュースも積極的に手がける。
福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 -… 福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 - 2005年1月21日)は、日本の作曲家。熊本県八代市出身。 終戦後に結核に侵され、23歳まで療養生活を送る。この間、東京音楽学校(現・東京藝術大学)の通信教育で作曲を学び始める。回復後、東京に出るまでは保険の勧誘員やミシンのセールスマン、五木の山に行って飯場の仕事などをしていた。 東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)卒業。作曲を箕作秋吉、指揮法をアルベルト・レオーネに師事。1962年、「ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー」で第2回TBS賞(日本を素材とする管弦楽曲募集)入賞。1963年、「オーケストラのための<三連画>」で第32回日本音楽コンクール第3位入賞。
渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 19… 渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。熊本県八代市出身。旧制八代中学、明治大学法学部卒業。 坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年、第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。
坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日… 坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日 - 2004年〈平成16年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 衆議院議長(第64代)、法務大臣(第40代)、防衛庁長官(第33代)、文部大臣(第91・92代)、厚生大臣(32代)、衆議院議員(17期)等を歴任した。 父は衆議院議員や八代市長を務めた坂田道男。 坂田道男の長男として熊本県八代市で生まれる。旧制八代中学校、旧制成城高等学校(現・成城大学)、1938年東京帝国大学文学部独文科卒業。石井光次郎商工大臣の秘書官を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に熊本県全県区から出馬し、初当選した。以後、17期連続当選。
谷口 睦生(たにぐち むつお、1913年(大正2年)3月5日… 谷口 睦生(たにぐち むつお、1913年(大正2年)3月5日 - 1943年(昭和18年)10月2日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。昭和初期の日本陸上短距離界においては、吉岡隆徳とともに「双璧」と見なされた選手で、200m直走路で日本記録を更新、100mで日本学生記録タイをマークした。第二次世界大戦で戦死。 熊本県八代郡鏡町(現在の八代市)生まれ。宇土中学校(現在の熊本県立宇土中学校・高等学校)在学中より競技で頭角を現し、九州選手権(100・200メートル)の保持者であった。同窓の戸上研之(三段跳、山鹿出身)とともに、関西大学に入学。 「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳と並び、昭和初期日本陸上短距離界の双璧と見なされた選手で、1933年(昭和8年)には日比対抗東京大会で200メートル優勝。
耕 治人(こう はると、1906年8月1日 - 1988年1… 耕 治人(こう はると、1906年8月1日 - 1988年1月6日)は、日本の小説家・詩人。本名の姓は「たがやす」と読む。 熊本県八代市生まれ。明治学院英文科卒業。千家元麿に師事して詩作を始め、1930年(昭和5年)『耕治人詩集』を上梓する。 戦前の1937年(昭和12年)から川端康成を頼り、1939年(昭和14年)7月には、『文學界』に初めての小説を載せてもらうなど世話になっていた。 戦中の1945年(昭和20年)3月に、左翼思想犯として逮捕される。 戦後、主として私小説を書き始め、長く不遇だったが、1970年(昭和45年)に『一条の光』で読売文学賞、1972年 (昭和47年に『この世に招かれてきた客』で平林たい子文学賞受賞。
小山 寛二(こやま かんじ、1904年8月3日 - 1982… 小山 寛二(こやま かんじ、1904年8月3日 - 1982年11月27日)は、熊本県八代市出身の小説家。 八代中学校卒業。早稲田大学中退。クロポトキンの影響を受け、アナキズム、左翼運動家の道を歩むが、1928年(昭和3年)、転向する。 三上於菟吉に師事し、大衆文学などを執筆した。作品に、1934年(昭和9年)に映画化された「明暦名剣士」、宮崎滔天を主人公とした「波浪の歌」、細川忠興の妻ガラシャを描いた「細川ガラシャ」、「曠野の父」、「風雲万里」、「江南碧血記」などがある。 随筆雑誌「騒友」主宰。1982年(昭和57年)、東京にて没した。
松野 賢吾 (まつの けんご、1902年2月28日 - 19… 松野 賢吾 (まつの けんご、1902年2月28日 - 1993年11月9日)は、日本の経済学者。松野新次郎の長男。熊本県八代市生まれ、神奈川県湯河原で逝去。
上野 慧賢(あがの えけん、1896年6月3日 - 1981… 上野 慧賢(あがの えけん、1896年6月3日 - 1981年6月2日)は、日本の教育者。駒澤大学高等学校名誉校長。学校法人駒澤大学理事、東京私立中学高等学校協会監事などを歴任。熊本県出身。 八代市生まれ。1917年、熊本県第一師範学校本科卒業。葦北郡日奈久尋常高等小学校訓導。1920年、津奈木尋常高等小学校。1923年、広島高等師範学校教育科卒業。熊本県阿蘇高等女学校教諭。1924年9月、熊本県第58番極楽寺林の慧禅について得度。1926年4月、東京帝国大学伝染病研究所看護婦養成所(のち東京大学第三厚生女学部)嘱託講師を兼任(1951年3月迄)。1927年3月、駒澤大学卒業。同年4月、日出高等女学校教諭。
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日… 加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。空母「飛龍」艦長としてミッドウェー海戦で戦死し、一階級特進で最終階級は海軍少将。 1893年11月8日、熊本県八代郡松高村に生まれた。外交官・加来美知雄は兄。熊本県立八代中学校2年に在学中、有明海に練習艦隊が入港したのを見て感激したのが契機となり、中学校卒業後、1911年9月に海軍兵学校42期に入学する。同期生には加賀艦長として加来と共にミッドウェー海戦で戦死する岡田次作がいた。18歳での入学はやや遅く受験では苦労したようで入学席次も入校時120名中98番である。しかし、卒業時には席次も117名中43番まで上がった。
坂田 道男(さかた みちお、1887年(明治20年)5月18… 坂田 道男(さかた みちお、1887年(明治20年)5月18日 - 1973年(昭和48年)1月4日)は、日本の政治家(元衆議院議員)、教育者で八代市長、名誉市民。長男は防衛庁長官、衆議院議長を務めた坂田道太。 熊本県八代郡植柳村(現在の八代市)に生まれる。父は明治新田製造の功労者たる坂田貞である。 八代中学校(現・熊本県立八代中学校・高等学校)時代から秀才の誉れが高かった。1905年(明治38年)9月、第五高等学校第一部独法科に入学する。 1908年(明治41年)7月、同科を卒業し、ただちに東京帝国大学法科大学独逸法科に入学する。 1912年(明治45年)7月、同大学を卒業する。 1913年(大正2年)9月、第五高等学校教授(法制経済・独逸語担当)に任ぜられる。
マティ・マツダ (Matty Matsuda、1887年 -… マティ・マツダ (Matty Matsuda、1887年 - 1929年10月15日) は、アメリカ合衆国で活躍した、20世紀初頭の著名な日本人プロレスラー、柔道家で本名は松田萬治郎(まつだ まんじろう、松田万次郎の表記もみられる)。 日本人プロレスラー初の世界王者になった人物。スポーツ記者から、熟練したレスラーであり紳士と評され、アメリカ合衆国での故郷となるテキサスエルパソの人々からは故郷からやってきた英雄として迎えられ、そして非常にクリーンで上品、そして賢いレスラーという印象だったという。現役時代の身長は170センチメートル、体重は85キログラム。得意技はフライング・メア(アームスピン投げ)。
中島 照寛(なかしま てるひろ、1881年(明治14年)3月… 中島 照寛(なかしま てるひろ、1881年(明治14年)3月6日 – 1948年(昭和23年)4月16日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。熊本県荒尾市長。 熊本県葦北郡日奈久町(現在の八代市)出身。中央大学に学んだ。平井村(現・荒尾市)長、荒尾町(現・荒尾市)長、玉名郡会議員、熊本県会議員を務めた。その他、玉名郡畜産組合長、玉名郡家畜保険組合長を務めた。 1922年(大正11年)、熊本5区(当時)から衆議院議員に補欠当選を果たした。1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙で落選した。1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙では熊本1区から立候補したが落選した。 1942年(昭和17年)より荒尾市会議員を2期務め、議長を務めた。
守山 又三(もりやま またぞう、1869年4月30日(明治2… 守山 又三(もりやま またぞう、1869年4月30日(明治2年3月19日) - 1940年(昭和15年)5月19日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 肥後国八代郡、のちの熊本県八代郡太田郷村(太田郷町を経て現八代市)出身。東京高等商業学校で学ぶ。熊本軌道(株)取締役、讃岐電気軌道(株)監査役、京都電気(株)取締役社長となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において熊本県郡部から大同倶楽部公認でで立候補してトップで初当選した。つづく1912年の第11回衆議院議員総選挙では中央倶楽部公認で立候補して再選。衆議院議員を2期務め、1914年に議員を辞職した。1940年に死去した。
坂田 貞(さかた ただす、1863年9月13日(文久3年8月… 坂田 貞(さかた ただす、1863年9月13日(文久3年8月1日) - 1937年(昭和12年)9月25日)は、明治から昭和時代戦前の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 肥後国八代郡植柳村(熊本県八代郡植柳村を経て現八代市)出身。橋本寛の長男として生まれ、先代範英の養子となり1872年(明治5年)家督を相続する。 1891年(明治24年)以降、植柳村会議員、同村農会長、熊本県会議員、同県農会長、八代郡会議員、郡参事会員、同農会評議員、帝国農会議員のほか、九州商業銀行取締役、九州新聞社監査役などを歴任した。 1925年(大正14年)9月には熊本県多額納税者として貴族院議員に互選され同年9月29日に就任し、交友倶楽部に所属し1932年(昭和7年)9月まで務めた。
松岡 長康(まつおか ながやす、1856年9月6日(安政3年… 松岡 長康(まつおか ながやす、1856年9月6日(安政3年8月8日) - 1908年(明治41年)4月26日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 肥後国八代郡高田村(現・熊本県八代市)の地主の家に生まれる。漢学を学ぶ。農業と商業を営み、学区取締、熊本県会議員、熊本県御用掛、県収税属、八代郡所得税調査委員となる。日清戦争後の1895年、台湾総督府雲林支庁長、同法院雲林支部審判官、台中県支庁書記官となり、従七位に叙せられる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において熊本5区から自由党公認で立候補して当選する。同年8月の第6回衆議院議員総選挙で再選。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。
まさやんは、熊本県を拠点に活動しているフリーのローカルタレン… まさやんは、熊本県を拠点に活動しているフリーのローカルタレントで、ディレクター、ディスクジョッキーなどとしても活動中。本名は田中 将史(たなか まさふみ)。 女性スタッフのスタッフ11号もまさやんの事を度々いじっており、まさやんの母親からまさやんへの手紙とみせかけて、実はスタッフ11号さんからの手紙で本名の「将史(まさふみ)」と呼びすてし、まさやんを苦笑させていた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小林 健和(こばやし けんと、12月25日 - )は、山陰放… 小林 健和(こばやし けんと、12月25日 - )は、山陰放送のアナウンサー。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校に通っていた。また学生時代には、RKB毎日放送のアナウンサーたちが講師を務めるRKBアナウンススクールを受講していた。 2018年に山陰放送に入社し、同局のアナウンサーになる。入社1年目から『テレポート山陰』のキャスターを務めている。 2021年2月5日、さんいん中央テレビアナウンサーの岡部楓子と結婚した。そして同年8月に長男が誕生し、1児の父になる。
石田 えり は、日本の女優。本名:内田 恵理子。
山部 俊文(やまべ としふみ)は、日本の法学者。専門は経済法… 山部 俊文(やまべ としふみ)は、日本の法学者。専門は経済法。学位は、法学修士(一橋大学)。明治大学法学部教授。一橋大学名誉教授。 熊本県八代市生まれ。北方町立北方小学校、岐阜県本巣郡北方町・岐阜市学校組合立北方中学校を経て、1975年岐阜県立岐阜高等学校卒業。1980年一橋大学法学部卒業、伊藤忠商事入社。1983年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。1986年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得、日本学術振興会特別研究員。1987年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程退学。指導教官は久保欣哉。 1988年一橋大学法学部専任講師。1991年同助教授。1993年から1994年までミュンスター大学客員研究員。
有田 雅明 は、NHKのチーフアナウンサー。
陣内 貴美子 は、日本のスポーツジャーナリスト・タレント、ニ… 陣内 貴美子 は、日本のスポーツジャーナリスト・タレント、ニュースキャスター。元バドミントン選手である。本名、金石 貴美子 旧姓、陣内。マネージメントはハイタイド。
太田 未来 は、日本の女性歌手である。2000年に日本コロム… 太田 未来 は、日本の女性歌手である。2000年に日本コロムビアより未来-MIKU-(みく)の芸名でメジャーデビューし、2021年より現在の芸名に改名して活動する。熊本県八代市出身。
本岩 孝之(もといわ たかゆき、(生年月日は非公開) - )… 本岩 孝之(もといわ たかゆき、(生年月日は非公開) - )は、熊本県八代市出身の日本のクラシック歌手、声楽家。日本では数少ないカウンターテナー歌手でありながら、バス、バリトン、テノールまでの声域を誇る。 東京学芸大学教育学部D類音楽科卒業(バリトン及びテノール専攻)、のち東京藝術大学音楽学部声楽科卒業(テノール専攻)、東京藝術大学大学院修士課程古楽科バロック声楽専攻修了(カウンターテナー専攻)。バス及びバリトンを佐藤幹一に、テノールを森恭子、森眞一、平和孝嗣、嶺貞子、荒道子、鈴木寛一、天野秋雄、パリデ・ヴェントゥーリに、カウンターテナーを野々下由香里に師事。
政木 ゆか(まさき ゆか)は、日本の女優・ナレーター・朗読家… 政木 ゆか(まさき ゆか)は、日本の女優・ナレーター・朗読家。熊本県八代市出身。2010年 着物コンサルタントと礼法講師 免許習得 イベント・パーティー・披露宴など多数。
MARINA(マリナ)は、日本の女性歌手、ダンサー、モデル。… MARINA(マリナ)は、日本の女性歌手、ダンサー、モデル。熊本県八代市出身。身長170cm。血液型A型。 幼少期に入団した合唱団で、音楽に触れた事から歌に目覚める。また、入団の際に祖母に合唱団に無理矢理連れて行かれ、泣きながら入団したというエピソードがある。 合唱団でコーラスやミュージカルを学んだ事により、歌手になるという思いに駆られるようになった。以降、独学で歌を学んでいく。 高校卒業に伴い、東京に上京。 2016年、ROZEのメンバーとしてデビュー。その後、グループが2020年に活動休止した事を受け、同年4月よりソロ活動を開始した。 エド・シーランの『Shape of You』を日本語カヴァーした事がきっかけとなり、公式にオファーを受けて、エド・シーランの『Overpass Graffiti』のMVのラストシーンにて同カヴァー曲が起用された。
山部 光彦(やまべ みつひこ)は、日本の音楽家。日本のバンド… 山部 光彦(やまべ みつひこ)は、日本の音楽家。日本のバンド「白虎隊」のリーダー兼ボーカル、(後の「KAPLANS」「山部光彦&KAPLANS」)。アパレル産業の実業家。熊本県八代市出身。 山部はバブル時代が始まる数年前から東京原宿に住居を構え、音楽、ファッション(新品/古着含む)、車、バイク(ハーレーダビッドソン)の4本柱で若者文化の流行に携わり音楽のコンセプト作りの為アンテナを張りながら、同時期に六本木シンガポールナイト店にバンド「B-3」でハコバンを務めていた。 歩行者天国ブームの頃の1986年10月20日、読売新聞の社会欄にて「原宿は今バンド族」という見出しで、原宿に登場したのは山部光彦=リーダー「白虎隊」が始めて以来、新たなホコ天パフォーマンスで「バンド族」が生まれた』と掲載され、その後数十バンドがパフォーマンスを始め一大ブームとなり、全国にバンドブームが巻き起こる。