阿部 弘一(あべ こういち、1927年10月28日 - 20… 阿部 弘一(あべ こういち、1927年10月28日 - 2022年2月18日)は、日本の詩人。 東京府世田谷羽根木生まれ。陸軍学校を経て、中央大学文学部卒。1957年、詩誌『貘』に参加。渡仏してフランシス・ポンジュの知遇を得る。1996年『風景論』で第14回現代詩人賞受賞。
職業が詩人:1,122人
阿部 弘一(あべ こういち、1927年10月28日 - 20… 阿部 弘一(あべ こういち、1927年10月28日 - 2022年2月18日)は、日本の詩人。 東京府世田谷羽根木生まれ。陸軍学校を経て、中央大学文学部卒。1957年、詩誌『貘』に参加。渡仏してフランシス・ポンジュの知遇を得る。1996年『風景論』で第14回現代詩人賞受賞。
粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日… 粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日 - 2024年(令和6年)4月19日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。「歴程」同人。法政大学名誉教授。 1927年、愛知県西尾市生まれ。京都府立第一中学校、第三高等学校で学び、卒業した。1948年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。1952年に東京大学を卒業し、その後はフランス文学の翻訳、美術評論等を多く手掛けた。 1964年に法政大学経済学部助教授となり、後に教授昇格。1997年に法政大学を定年退職して名誉教授となった。草野心平と1960年代に出会って以降、生涯にわたって交友が深く、後にいわき市立草野心平記念文学館長を務めた。
呉 美代(くれ みよ、1927年8月1日 - 2017年11… 呉 美代(くれ みよ、1927年8月1日 - 2017年11月21日)は、日本の詩人。 東京生まれ。鎌倉女学院卒。本姓・土橋。現代詩人会会員。『詩と思想』編集参与。土橋治重に師事し、のち再婚。
森 菊蔵(もり きくぞう、1927年〈昭和2年〉5月4日 -… 森 菊蔵(もり きくぞう、1927年〈昭和2年〉5月4日 - 1997年〈平成9年〉1月21日)は昭和・平成期日本の詩人、作詞家、ラジオパーソナリティ。日本詩人クラブ会員。 別名義に槍 一之(やり かずゆき)がある。 群馬県桐生市出身。旧制桐生中学校を経て、慶應義塾大学在学中より地元の群馬2区選出であった衆議院議員・長谷川四郎の秘書を務める。福田正夫の知遇を得て主観社文学会へ入会し、後に『日本詩壇』復刊へ参加した。1955年(昭和30年)、詩集『背後』を刊行。 詩人として活動する傍ら日本抵抗器工業振興会事務局長やNETテレビ番組企画委員を務め、1965年(昭和40年)に株式会社東京企画を設立して以降はいわゆる「代議士ソング」や市町村歌、音頭の企画を精力的に売り込んでいた。
岩崎 昭弥(いわさき しょうや、1927年4月26日 - 1… 岩崎 昭弥(いわさき しょうや、1927年4月26日 - 1996年11月13日)は、日本の政治家、詩人。日本社会党参議院議員(1期)。一級建築士。 滋賀県出身。1948年彦根工専卒。1951年岐阜市役所に入り、岐阜市労組委員長を経て、岐阜市議会議員を2期務めた後、1966年から岐阜県議会議員を9期務める。この間1974年の第10回参議院議員通常選挙で岐阜県選挙区から日本社会党公認で立候補して落選。 その後、1993年に藤井孝男および高井和伸が第40回衆議院議員総選挙に立候補したために欠員が2名生じた参議院議員補欠選挙で、第2位で当選した(このため、1989年の第15回参議院議員通常選挙で当選した高井の残り任期を務めることとなる)。
森崎 和江(もりさき かずえ、1927年4月20日 - 20… 森崎 和江(もりさき かずえ、1927年4月20日 - 2022年6月15日)は、日本の詩人、ノンフィクション作家、元放送作家。 ASLE-Japan/文学・環境学会会員、日本放送作家協会会員。日本脚本家連盟会員。 日本統治時代の朝鮮の大邱で教師の子として生まれ、17歳で単身日本に渡る。1947年、福岡県女子専門学校(現・福岡女子大学)保健科卒。 太平洋戦争下の学生動員中、結核に感染し、戦後の3年間、療養所生活を送る。退所後、1950年、丸山豊が主宰する詩誌『母音』同人となる。1956年ごろから、NHK福岡放送局でラジオのエッセイや、ラジオドラマの脚本を担当。 1958年、『母音』で知り合った谷川雁ともに筑豊の炭坑町に転居。
尾花 仙朔(おばな せんさく、1927年4月9日 -2018… 尾花 仙朔(おばな せんさく、1927年4月9日 -2018年5月22日)は、日本の詩人。 本名・三浦敬二郎。東京に生まれ、幼少期は宮城県七ヶ浜町で育つ。札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)卒。仙台市在住。1957年「ユリイカ」に作品が掲載され、『荒地詩集』に参加。岡崎清一郎編集の詩誌『近代詩猟』『世界像』同人を経て、鈴木漠編集の『海』や塚本邦雄主宰の『玲瓏』に随時寄稿。
堤 清二(つつみ せいじ、1927年〈昭和2年〉3月30日 … 堤 清二(つつみ せいじ、1927年〈昭和2年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉11月25日)は、日本の実業家、小説家、詩人。筆名は辻井 喬(つじい たかし)。学位は博士(経済学)(中央大学・1996年)。日本芸術院会員、財団法人セゾン文化財団理事長、社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長。国土計画取締役、西武鉄道取締役、京浜急行電鉄社外取締役、西武流通グループ(後のセゾングループ)代表などを歴任した。異母弟は西武鉄道グループ元オーナーの堤義明。 1927年、西武グループの創業者堤康次郎と、康次郎の妾(後に本妻)・青山操の間に生まれる。
富田 正一(とみた しょういち、1927年3月30日 - 2… 富田 正一(とみた しょういち、1927年3月30日 - 2021年4月7日)は、日本の詩人。日本国有鉄道(国鉄)に勤務する傍ら、19歳から91歳までの72年間、北海道を代表する詩誌『青芽』(せいが)の発行を続けた。 小熊秀雄賞選考委員、旭川市民文芸選者、日本現代詩歌文学館振興会評議員、旭川文学資料館館長を歴任。日本現代詩人会、北海道詩人協会、北海道文学館、旭川文学資料友の会等多くの会や詩誌に参加交流。日本鉄道OB会連合会認証文学(詩)インストラクターを務め、旭川ポエムの会等で指導した。発表した詩は約1200篇、随筆約800篇。 現在の北海道名寄市に生まれる。 1944年、陸軍航空通信学校を卒業し、特別幹部候補生の陸軍兵長として従軍した。
松田 幸雄(まつだ ゆきお、1927年3月25日 - 201… 松田 幸雄(まつだ ゆきお、1927年3月25日 - 2013年4月29日)は、日本の詩人、翻訳家。 千葉県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。 三井物産に勤務。『荒地』『詩学』同人。1966年、『詩集 1947 - 1965』で第6回室生犀星詩人賞受賞。2002年、D・H・ロレンス『鳥と獣と花』の翻訳で日本詩人クラブ詩界賞受賞。また、「H氏賞」の選考委員なども務める。
石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年(昭和2年)3月1… 石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年(昭和2年)3月11日 - 2018年(平成30年)2月10日)は、日本の小説家・詩人・環境運動家。 主婦として参加した研究会で水俣病に関心を抱き、患者の魂の訴えをまとめた『苦海浄土ーわが水俣病』(1969年)を発表。ルポルタージュのほか、自伝的な作品『おえん遊行』(1984年)、詩画集『祖さまの草の邑』(2014年)などがある。 石牟礼道子は1927年3月11日白石亀太郎(当時34歳)と吉田ハルノ(当時24歳)の長女として、熊本県天草郡河浦町(現・天草市)に生まれる。父や祖父は石工であり、道子という名は道路が完成することを予祝して、 家族全員が考えて、名付けられた。
土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日… 土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日 - 2014年(平成26年)7月30日 )は、日本の詩人・劇作家・社会運動家。本名:吉沢四郎(旧姓堀井)。 山形県鶴岡市出身。陸軍航空士官学校在校中に終戦を迎え、復員して、旧制新潟高等学校に編入、そこから東京大学法学部卒。1962年(昭和37年)、詩「十年たったら」でデビューした。この詩は、20歳代の日本共産党員を語り手とした詩だったので、それを読んだ壺井繁治が、作者も主人公と同じ境遇だと勘違いしたというエピソードがある。その後、詩人会議運営委員長、同顧問を歴任した。 1964(昭和39)年9月より1966(昭和41)年9月まで、中国 遼寧省大連市 大連日本語専科学校(現大連外国語大学)にて日本語教師を勤めた。
中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、… 中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、日本の弁護士・弁理士・詩人・評論家。中村合同特許法律事務所パートナー、日本商標協会顧問、公益財団法人日本近代文学館名誉館長、第二東京弁護士会所属、日本芸術院会員、文化功労者。 中松特許法律事務所弁護士、中村・山本・武田合同特許法律事務所代表パートナー、中村合同特許法律事務所代表パートナー、日本商標協会会長(初代)、財団法人日本近代文学館理事長(第6代)、社団法人日本商事仲裁協会常任理事、日本芸術院第二部部長などを歴任した。 千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事。東京府立第五中学校から第一高等学校を経て、1950年、東京大学法学部法律学科卒業。
森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007… 森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007年11月26日)は、日本の経済学者、俳人、詩人。 北海道岩内郡岩内町出身。俳号・句城子。日本大学卒、1959年同大学院金融論専攻博士課程満期退学、75年「庶民金融思想史」で経済学博士。日本大学商学部助教授、教授。1997年定年、名誉教授。俳人として、1943年原石鼎、原コウ子に入門、鹿火屋に所属。そのほか、叙事詩も書いた。
村上 昭夫(むらかみ あきお、1927年1月5日 - 196… 村上 昭夫(むらかみ あきお、1927年1月5日 - 1968年10月11日)は、日本の詩人。 岩手県東磐井郡大東町(現:一関市)出身。生地は現在の陸前高田市。両親は叔父と姪の関係であった。岩手中学校(現:岩手高等学校)を卒業。第二次世界大戦中、日本鋳造鶴見工場に学徒動員。工場の寮に募集斡旋があったことから満州国哈爾濱省官吏となるが、8月に終戦。ソ連のシベリアで二年間の過酷な抑留生活を送る。 1946年に帰国後、1947年に盛岡郵便局に勤務、労働組合機関誌を編集して小説や詩を発表する。しかし1950年に結核が発病し、退職を余儀なくされる。この結核との闘病生活は41歳で亡くなる最期まで続く。村上の創作活動は闘病生活の中、サナトリウムでの俳句から始まり、やがて同じサナトリウムに入院してきた詩人の高橋昭八郎の影響から詩に転じた。
八木 浩(やぎ ひろし、1927年 - 1986年4月4日)… 八木 浩(やぎ ひろし、1927年 - 1986年4月4日)は、日本のドイツ文学者、詩人。元大阪外国語大学教授。 大阪府生まれ。1946年大阪明星高校卒業。1950年京都大学文学部ドイツ文学科卒業。1952年大阪外国語大学講師、助教授、教授(1972年)。 大阪外国語大学学生課長、同付属図書館長。日本独文学会理事、阪神ドイツ文学会幹事、クヴェレ会(ドイツ文学研究グループ)会員。劇団「潮流」、劇団「どろ」と協同活動、ワイマル友の会会長、日本原水協全国理事、大阪原水協理事長、大阪平和を守る会理事。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉山 参緑(すぎやま さんろく、1926年(大正15年)11… 杉山 参緑(すぎやま さんろく、1926年(大正15年)11月14日 - 1990年(平成2年)4月14日)は、日本の詩人。祖父は政財界のフィクサーともいわれた杉山茂丸、父は作家の夢野久作、兄はインドの緑の父(Green Father)と呼ばれる杉山龍丸である。 1926年、夢野久作の三男として福岡市に生まれる(長男・杉山龍丸、次男・三苫鐵児)。1945年(昭和20年)、福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)卒業後、陸軍に従軍し終戦を迎える。その後福岡に戻り、1949年(昭和24年)、西南学院専門学校商業科を卒業する。大学卒業後は志賀島村立西戸崎小学校に1年間勤務し、退職後筥崎宮・宇美八幡宮で神官の見習いとなり、1951年(昭和26年)、福岡市のバプテスト教会で洗礼を受ける。
大関 松三郎(おおぜき まつさぶろう、1926年9月7日 -… 大関 松三郎(おおぜき まつさぶろう、1926年9月7日 - 1944年12月19日)は、日本の詩人。新潟県出身。 1926年(大正15年)9月7日、古志郡黒条村下下条(現・長岡市下々条)に小作農・大関仁平次の三男(7人兄弟)として生まれた。古志郡黒条村黒条尋常高等小学校(現・長岡市立黒条小学校)在学中に、生活綴方運動に参加していた恩師・寒川道夫と出会い、生活詩の指導を受けた。小学校卒業直前に浄書・装幀し、詩集として纏めた。 黒条尋常高等小学校卒業後、1941年(昭和16年)に新潟鉄道教習所に入学。教習所卒業後は、機関助手として勤務した。その後、軍属を志し1943年(昭和18年)に山口県防府市に新設された海軍通信学校へ入学。
遠丸 立(とおまる たつ、1926年9月6日 - 2009年… 遠丸 立(とおまる たつ、1926年9月6日 - 2009年12月30日)は日本の詩人、文芸評論家。本名は進 隆(すすむ たかし)。 妻は詩人の貞松瑩子。筆名の呼称は、かつて「とおまる りつ」、「とうまる たつ」、「とおまる たかし」、「とおまる りゅう」の4つの読み(=別名)があった。 福岡県出生。1955年 東京大学経済学部卒。1957年 明治大学大学院文学研究科修士課程了、日本文学専攻。 1961年から1993年まで、『方向感覚』同人、『未知と無知のあいだ』編集人を務めた。 1964年から1967年まで『犀』同人。 2009年、心筋梗塞のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年… 相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年5月23日)は、日本の詩人・随筆家・国文学者。本名・出川光治。 長野県須坂市出身。旧制上高井農学校(長野県須坂園芸高等学校)を経て、1950年立命館大学文学部日本文学科卒業。京都市立中学校国語教諭を経て、京都聖母女学院短期大学助教授、教授、図書館長を務めた。詩の他、京都文化についての随筆を多く残した。
茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、192… 茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、1926年(大正15年)6月12日 - 2006年(平成18年)2月17日)は、日本の詩人、随筆・童話・脚本も執筆。 主な詩集に、『見えない配達夫』(1958年)、『鎮魂歌』(1965年)、『自分の感受性くらい』(1977年)、『倚(よ)りかからず』(1999年)など。 大阪回生病院で、宮崎洪(ひろし)、勝の長女として生まれる。1937年12月、のり子が11歳の時に、母、勝が結核で死去。。 1939年、愛知県立西尾高等女学校(現・西尾高等学校)入学。卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現・東邦大学)薬学部に入学する。19歳の時に終戦を迎え、1946年に同校を繰り上げ卒業。
舟知 恵(ふなち めぐみ、1926年3月30日 - )は、日… 舟知 恵(ふなち めぐみ、1926年3月30日 - )は、日本の詩人、インドネシア文学翻訳家。 奈良県出身。本姓・五百沢。1943年長生高等女学校(現・千葉県立茂原高等学校)卒、1970年アテネ・フランセ卒。72-76年ジャカルタ滞在。1977年「現代インドネシア詩集・恋人は遠い島に」で日本翻訳文化賞受賞。
宮崎 雄行(みやざき ゆうこう、1926年3月13日 - 2… 宮崎 雄行(みやざき ゆうこう、1926年3月13日 - 2006年12月14日)は、日本のイギリス文学者、詩人である。武蔵大学名誉教授。 イギリス文学の研究・教育を進めるとともに、小川国夫らの雑誌『青銅時代』に参加して詩の創作活動を行う。 詩集に、『黄金の雨』(1975年)、『泉聲』(1983年)、『幻の塔』(1990年)、『海山の光』(1996年)がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
鈴木 満 (すずき みつる、1926年3月3日 - 2017… 鈴木 満 (すずき みつる、1926年3月3日 - 2017年5月29日) は、東京市深川区 (現:東京都江東区) 出身の詩人である。 3人兄弟 (妹1人、弟1人) の長男として東京市深川区で生まれた。太平洋戦争中は現在の茨城県稲敷市に疎開していた一方、1945年3月10日の東京大空襲で父母および弟が亡くなった。 1948年に中央大学経済学部を卒業し 、茨城県庁に入庁して県職員として勤務した。1969年に茨城文芸家協会 (現:茨城文芸協会) が創設され理事に就任、1991年より同協会の副会長に就任した。 褒章としては1981年に詩集『吉野』で茨城文学賞、1987年に詩集『翅』で第20回日本詩人クラブ賞をそれぞれ受賞。
黒田 喜夫(くろだ きお、1926年2月28日 - 1984… 黒田 喜夫(くろだ きお、1926年2月28日 - 1984年7月10日)は、日本の詩人。 山形県寒河江の生まれ。高等小学校卒業後、上京して京浜工業地帯で工場労働者として働く。戦後は日本共産党に入党、郷里で農民運動に参加するが胸を病み、療養しながら詩作を行う。関根弘、菅原克己らの同人誌『列島』や新日本文学会の雑誌『現代詩』などに参加、注目される。1959年、第1詩集『不安と遊撃』を刊行、翌年H氏賞を受賞する。プロレタリア詩と前衛詩の結合において戦後詩の一つの極北を示す詩人である。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中山 知子(なかやま ともこ、1926年2月25日 - 20… 中山 知子(なかやま ともこ、1926年2月25日 - 2008年5月24日)は、日本の童謡詩人、翻訳家。 東京生まれ。三重県出身。父は経済学者の中山伊知郎。日本女子大学卒業。同人誌「近代童話」などに短編を発表するかたわら、川端康成の知遇を得て(川端は『星の木の葉』に序文を寄せている)、多くの外国児童文学の翻訳を行う。また、作詞活動も並行して行い、NHK「みんなのうた」で放送された「ピエロのトランペット」など、童謡の訳詞・作詞を数多く手がける。日本音楽著作権協会のデータベースには、800件を超える詞の登録がなされている。 1950年代半ばからNHKラジオ番組の制作に関わるとともに、同人誌や新聞で創作童話を発表。
内海 久二(うちうみ きゅうじ、1926年2月1日 - 20… 内海 久二(うちうみ きゅうじ、1926年2月1日 - 2007年6月19日)は、歌謡曲を主体にした日本の歌謡詩人。竹久夢二の研究家。本名は内海久次。 ふるさとに生き、根付いて確かな人生を送る人びとに共感し、それぞれの郷里を応援する村おこし町おこしの歌謡詩を生涯にわたって作詩した。福島県郡山市の、音楽を中心とする青年文化活動の興隆を通じた街づくりに仲間とともに努力し、暴力団との対決を経て音楽都市・郡山の発展に貢献した。一方で、幼児の折に邂逅した竹久夢二との思い出を終生の奇貨として、夢二とそのゆかりの女性の足跡をたどって旅を重ね、その生涯を詩作に謡った。 1930年夏、父栄次郎が郡山駅前で旅館業を営んでいた時に、白い洋服を着て蝶ネクタイをした男性が駅に降り立ち、折から遊んでいた誰とも知れないオカッパ頭の内海を撫でてくれた。
吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日… 吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日 - 2014年〈平成26年〉1月15日)は、日本の詩人。 山形県酒田市生まれ。1938年(昭和13年)酒田市琢成第二尋常小学校を総代として卒業し、1942年(昭和17年)12月、山形県酒田市立酒田商業学校を戦時繰り上げ卒業した。若いころ高村光太郎の「道程」を読んで感銘を受ける。商業学校卒業後、1943年(昭和18年)1月に帝国石油に就職した。1944年(昭和19年)に徴兵検査に合格するが、入隊5日前に終戦を迎えた。戦後は労働組合運動に専念していたが、1949年(昭和24年)に過労で倒れ、肺結核のため3年間療養した。入院中に詩人の富岡啓二と親しくなっている。
長野 規(ながの ただす 1926年1月13日 - 2001… 長野 規(ながの ただす 1926年1月13日 - 2001年11月24日)は編集者、詩人。『週刊少年ジャンプ』初代編集長。
窪田 般彌(くぼた はんや、1926年1月6日 - 2003… 窪田 般彌(くぼた はんや、1926年1月6日 - 2003年1月22日)は、日本のフランス文学者・詩人・翻訳家。早稲田大学名誉教授。 早稲田大学フランス文学科卒。早稲田大学教授を務めた。カサノヴァの「回顧録」、伝記ほか、アポリネール、象徴主義詩などの訳書多数。またフランス文学、フランス史他、近代日本の象徴詩人関連についても著作多数。カミュ『異邦人』の翻訳で知られる窪田啓作は兄。
立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤… 立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤규、1926年1月6日 - 1980年8月12日)は、朝鮮半島出身の日本の小説家・随筆家・詩人・編集者。 1926年(大正15年)1月6日、朝鮮の慶尚北道安東郡で生れた。自著などでは大邱市生れとされていたが、武田勝彦や高井有一の調査によると、安東郡である。早稲田大学専門部国文科中退(入学時は法律学科)。 小林秀雄を導き手として世阿弥の芸術論や謡曲をはじめとする中世の日本文学に深く沈潜し、「中世」をみずからの創作活動の原点とした。 父の死後、母が再婚して渡日したため、叔父(母の弟)の家などに引き取られて育ち、その後、1937年(昭和12年)の11歳のときに内地(日本)に渡り、母たちと同居し横須賀で育った。
新国 誠一(にいくに せいいち、1925年12月7日 - 1… 新国 誠一(にいくに せいいち、1925年12月7日 - 1977年8月23日)は、日本の詩人、画家。旧字体で新國誠一とも表記され、新国自身は晩年旧字体での表記にこだわっていたとされる。1960年代の国際的な前衛詩運動であるコンクリート・ポエトリーの運動に関わり、象形詩や視覚詩、音声詩などの実験的な作品を制作した。世界的には重要な詩人の一人として位置づけられており、日本やドイツの教科書などにも作品が掲載されている。 1925年12月7日、宮城県仙台市で生まれる。仙台工業学校(現:仙台工業高等学校)に進学し、建築を学ぶ。高校卒業後、1948年に東北学院大学文経学部英文学科に入学、1951年に卒業。
山本 太郎(やまもと たろう、1925年(大正14年)11月… 山本 太郎(やまもと たろう、1925年(大正14年)11月8日 - 1988年(昭和63年)11月5日)は、日本の詩人。父は画家の山本鼎。母方の祖父は北原白秋。 1925年(大正14年)、画家の山本鼎と、北原白秋の妹イヱ(家子)の長男として、東京府荏原郡入新井町(現:東京都大田区大森北)に生まれる。旧制佐賀高校から東京大学文学部独文科卒。詩誌『零度』ののち、1951年(昭和26年)に『歴程』同人となり、1954年(昭和29年)に第一詩集『歩行者の祈りの歌』を刊行。以後数多くの詩集・評論を上梓した。 両親が共に国柱会の信者だったこともあり、1968年(昭和43年)に「霊廟讃歌」を献詩した。 1970年(昭和45年)、『覇王紀』で読売文学賞受賞。
阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 20… 阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 2005年3月22日)は、日本の詩人、小説家、児童文学作家として、小説・詩・作詞など幅広く執筆した。 大阪府大阪市に生まれた。阪田家は、代々紺屋の屋号であり安芸国忠海(現:広島県竹原市忠海)で海運業を営んでいた。寛夫の祖父・阪田恒四郎が38歳の時、広島から大阪に出て興したのが阪田インキ製造所(後のサカタインクス)。寛夫の父・素夫は同社の二代目社長であった。600坪の屋敷で3人兄弟の末弟として育つ。 熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、母・京は同志社女子専門学校英文科の卒業生で、アメリカから来た教師に西洋料理をたくさん学んだハイカラな女性だった。
江口 季好(えぐち すえよし、1925年(大正14年)10月… 江口 季好(えぐち すえよし、1925年(大正14年)10月9日 - 2014年(平成26年)6月4日)は、日本の詩人、国語教育研究者。
星野 徹(ほしの とおる、1925年8月25日-2009年1… 星野 徹(ほしの とおる、1925年8月25日-2009年1月13日)は、日本の詩人、英文学者、茨城大学名誉教授。 1925年、茨城県生まれ。茨城大学文学部英文科を卒業。1957年より詩誌『白亜紀』を創刊し、編集発行人となる。一時歌誌「アララギ」にも属した。研究の面では英国詩を研究テーマとした。 1962年に茨城大学助教授となった。1973年に教授昇任。1991年に茨城大学を定年退職し、名誉教授となった。その後も、茨城キリスト教大学教授として教鞭をとり、2001年に退職した。
各務 章(かがみ あきら、1925年6月1日 - 2012年… 各務 章(かがみ あきら、1925年6月1日 - 2012年2月7日)は、日本の詩人。教育者。 福岡市に生まれる。1943年福岡県中学修猷館を卒業。1944年召集されて満洲へ出征するが、翌年肺結核のため帰国。1945年旧制福岡高等学校を経て、1948年九州大学法文学部法科を卒業。 胸部外科手術を受けた後、1952年福岡県立鞍手高等学校教諭となり、福岡県立教育研究所(福岡県教育センターの前身)研究員、福岡県立修猷館高等学校教頭、福岡県立福岡高等学校教頭、福岡県教育庁主任指導主事、福岡県立筑紫中央高等学校校長、福岡県立筑紫丘高等学校校長、九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)校長を歴任。 学生時代の1944年に、湯川達典、田中小実昌らと回覧誌『止里加比(とりかひ)』を出版。
谷口 謙(たにぐち けん、1925年5月28日 - 2022… 谷口 謙(たにぐち けん、1925年5月28日 - 2022年10月3日)は、京都府中郡口大野村(現・京丹後市大宮町口大野)出身の医師・詩人。京丹後市名誉市民。 1925年(大正14年)5月28日、京都府中郡口大野村(現・京丹後市大宮町口大野)に生まれた。父は開業医の谷口海山、母はしん。父方の曽祖父は峰山藩士の儒医であり、母方の曽祖父は姫路藩勘定奉行、母方の祖父は姫路町収入役だった。夭逝した兄、2人の姉がいた。2歳だった1927年(昭和2年)3月7日に北丹後地震を経験したが、幼少だったため地震の記憶はないという。 1932年4月(昭和7年)に口大野尋常高等小学校に入学し、1938年(昭和13年)3月に卒業した。
伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 201… 伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 2014年12月15日)は、日本の俳人・詩人。本名・岩田 きみ子。俳人の伊丹三樹彦は夫、同じく俳人の伊丹啓子は長女。 高知県出身。兵庫県立伊丹高等女学校(現・兵庫県立伊丹高等学校)卒業。1946年、三樹彦に師事。同年、三樹彦編集・発行の同人誌「まるめろ」創刊。1949年、日野草城主宰の俳誌「青玄」が創刊され、「まるめろ」は合流。2005年の「青玄」解散後は、2006年に啓子が創刊した「青群」に参加。1972年、現代俳句協会賞受賞。また、詩を村野四郎に師事。2014年12月15日、心不全のため死去。
高田 榮一(たかだ えいいち、1925年3月23日 - 20… 高田 榮一(たかだ えいいち、1925年3月23日 - 2009年10月13日)は、詩人、爬虫類研究者。ヘルスカウンセラー。 高田栄一と表記される場合もある。「へび博士」として知られる。 東京生まれ。東洋大学文学部卒業。 歌人、詩人として多くの作品を発表するかたわら、小説、エッセー、評論なども手がけていた。一方で、幼少の頃から野生動物、とりわけ爬虫類に興味をもち、飼育を始めて、独学で爬虫類の研究を行う。 1960年ごろ、爬虫類研究のために、東京・根津の自宅に「高田爬虫類研究所」(爬虫類友の会/高田爬虫類研究所/高田動物生態研究所)を創設。日本人専門家として初のコモド島調査を成功させ、コモドオオトカゲの紹介に尽くし、マダガスカルではマダガスカル・ボアやカメレオンの生態を調査する。
工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 200… 工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 2008年7月5日)は、日本の詩人、ロシア・ポーランド文学者、翻訳家。元多摩美術大学教授。別筆名に仲谷鴻介(なかや こうすけ)、篠 ひろ子。 大連にて南満州鉄道社員の家庭に生まれる。旧制中学校卒業後、第一高等学校受験に3度失敗し、1944年善隣外事専門学校露西亜科に入学。その後城北補習学校を経て、1946年9月、第一高等学校文科甲類三組に入学し、1952年頃東京大学仏文科卒。 1954年共同通信社外信部に入り13年勤め、その間ロシア、ポーランドの文学を翻訳する。1967年ワルシャワ大学に日本語講師として赴任、7年間滞在し、1975年帰国。翌年多摩美術大学教授となるが、その前には、ブレイクリー・セント・ジェイムズ『女友だち』(フランス書院、1978年)などのポルノ小説を篠 ひろ子の変名で訳し、糊口を凌いだという。
御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 201… 御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 2015年1月18日)は、日本の詩人、医師。広島共立病院名誉院長。医師としては本名の丸屋博名義での著書もある。 山口県岩国市出身。岩国中学校から広島高等学校に学び、1945年、岡山医科大学に入学。帰省中のその年8月、近隣の住人の消息を探りに被爆直後の広島に入り入市被爆する。1949年、峠三吉と知りあい、峠たちの詩誌『われらの詩』に1950年から寄稿をはじめる。1951年、肺結核で入院中の岩国病院の患者自治会報に掲載した詩「失われた腕に」が、政令325号(占領目的阻害行為処罰令)違反にあたるとして逮捕される(不起訴となった)。 1952年、詩集『岩国組曲』を上梓、詩誌『列島』のグループに加わる。
伊藤 海彦(いとう うみひこ、1925年(大正14年)1月1… 伊藤 海彦(いとう うみひこ、1925年(大正14年)1月1日 - 1995年(平成7年)10月20日)は、放送作家、詩人。東京府出身。伊藤松雄の子。日本大学卒。NHK専属作家、のちフリー。放送詩劇で活動し、1958年「言葉と音楽のための三つの形象」でイタリア賞、65年「飛翔」で芸術祭賞受賞。『同時代』『地球』同人。
原 子朗(はら しろう、1924年12月27日 - 2017… 原 子朗(はら しろう、1924年12月27日 - 2017年7月4日)は、日本の詩人、日本近代文学研究家、早稲田大学名誉教授、元宮沢賢治イーハトーブ館館長、早稲田大学出版部取締役。宮沢賢治、文体論などを研究する。 長崎県出身。早稲田大学文学部卒業、早稲田大学大学院中退。 日夏耿之介、吉田一穂に師事。1950年『詩世紀』創刊に参加。『文藝首都』編集同人として近代詩論などを執筆。立正女子大学、早稲田大学政治経済学部教授を歴任。 1986年『石の賦』で現代詩人賞受賞。 1993年『宮沢賢治語彙辞典』で宮沢賢治賞受賞。 1995年、早稲田大学を定年退職し、名誉教授。昭和女子大学教授に転じる。 2012年、瑞宝小綬章受章。
吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年〈大正13年〉11… 吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年〈大正13年〉11月25日 - 2012年〈平成24年〉3月16日)は、日本の詩人、評論家。「隆明」を音読みして「りゅうめい」とも。著書に『共同幻想論』(1968年)など多数。東京工業大学世界文明センター特任教授。第二次世界大戦後、東京下町の生活と文化を思想の下地に、多方面の時代の問題について積極的に批評を展開し、長きにわたって日本の論壇をリードした。長女は漫画家のハルノ宵子、次女は作家の吉本ばなな。 東京市月島生まれ。兄2人姉1人妹1人弟1人の6人兄弟。実家は熊本県天草市から転居してきた船大工で、貸しボートのような小さな船から、一番大きいのは台湾航路で運送の航海をするような船 を作っていた。
志摩 直人(しま なおと、1924年11月10日 - 200… 志摩 直人(しま なおと、1924年11月10日 - 2006年9月14日)は詩人、競馬評論家。 徳島県出身。関西学院大学文学部英文学科卒、同大学院美学研究科修士課程修了。 詩を数多く発表するとともに競馬に対する造詣も深く、競馬中継(関西テレビ)では1960年代からメイン解説者として出演。競馬に関する詩を番組内で数多く取り上げた。 競馬詩集「風はその背にたてがみに」は競馬書籍として空前のベストセラー商品となった。 競走馬テンポイントのファンでもあった。 2004年、JRA50周年功労賞を獲得。 2006年9月14日、心筋梗塞のため死去。81歳没。 同年、関西テレビの第67回菊花賞の中継内において馬場鉄志アナウンサーが「この実況を志摩先生に捧げたいと思います。
中田 敬二(なかた けいじ、1924年9月15日 - )は、… 中田 敬二(なかた けいじ、1924年9月15日 - )は、日本の詩人。 サハリン生まれ。1944年東京帝国大学に入学、在学中徴兵され、サハリンで敗戦。ソ連の捕虜収容所から脱走し、復員。のち復学、文学部哲学科を卒業する。40歳頃から詩を本格的に書き始め、1968年第一詩集『埠頭』を上梓。高校教師、農業、自営業などさまざまな職をへた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - … 畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - 2013年8月7日)は、日本の政治家・詩人。秋田県北秋田郡下大野村村長(1期)、同郡合川町町長(10期)を歴任した。 1924年8月、下大野村で8人きょうだいの4男として生まれるが、次兄・長姉以外は夭折した。3歳の時に母が脳卒中で倒れ半身不随になり、また小学校入学前後に祖父を亡くし、また父も脳卒中に倒れる。 木戸石尋常小学校を卒業後、1939年に鷹巣農林学校林業科(後の秋田県立鷹巣農林高等学校、現秋田県立秋田北鷹高等学校)に入学するが、ほどなくして肺結核を患い、1940年に中退する。 療養中の1941年には月刊詩誌『詩叢』(しそう)を主宰(~1943年)。
平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2… 平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2025年4月6日)は、日本の詩人。草鹿 宏(くさか ひろし)の名で作家としても活動。 横浜市生まれ。横浜市立商業学校卒業。戦中に詩作をはじめ「四季」などに発表。戦後、第一次「ユリイカ」創刊と同時に編集に携わる。1993年、詩集『磔刑の夏』で富田砕花賞、2005年、『舟歌』で現代詩人賞、2009年、『戦中戦後 詩的時代の証言』で桑原武夫学芸賞受賞。2012年、第18回横浜文学賞受賞。2015年、『ツィゴイネルワイゼンの水邊』で小野十三郎賞受賞。 草鹿宏名義ではジュニア向けノンフィクション、漫画のノヴェライゼーションなどを書き、『翔べイカロスの翼』や『神様なぜ愛にも国境があるの』は映画化もされ話題になった。
鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - … 鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - 2015年8月31日)は、日本の詩人、編集者。 東京生まれ。1949年國學院大學文学部哲学科卒。角川書店に勤務、1957年に編集部次長で退社、知性社出版部長、表現社出版部長、新人物往来社編集局長。1995年日本現代詩人会会長。詩誌『火牛』代表。2002年『思い川の歌』で丸山薫賞受賞。