時雨 音羽(しぐれ おとは、1899年(明治32年)3月19… 時雨 音羽(しぐれ おとは、1899年(明治32年)3月19日 - 1980年(昭和55年)7月25日)は、昭和期の作詞家。出生時の戸籍上の名前は池野 音吉(いけの おときち)であるが、1961年(昭和36年)に筆名を本名に改名したため、没年時の本名も時雨音羽である。 北海道利尻島沓形村番外地出身。5人兄弟の末っ子として生まれる。父邦蔵は、新潟県佐渡郡の出身。 新湊小学校、沓形小学校高等科卒業。1916年(大正5年)沓形村役場に附属員として勤めていたが、1918年(大正7年)秋頃上京する。日本大学法科に検定で合格し、1923年(大正12年)卒業後、大蔵省主税局織物課に勤めた。 1925年(大正14年)、新大衆誌『キング』9月号に講談社の依頼で民謡詩「朝日をあびて(後の出船の港)」を掲載。
藤浦 洸(ふじうら こう、1898年9月1日 - 1979年… 藤浦 洸(ふじうら こう、1898年9月1日 - 1979年3月13日)は、昭和時代の作詞家、詩人。長崎県北松浦郡平戸町(現在の平戸市)出身。 長崎県北松浦郡平戸町(現在の平戸市)に生れる。長崎県立中学猶興館(現長崎県立猶興館高等学校)、私立岡山県興譲館中学卒業(現岡山県興譲館高等学校)。同志社大学神学部に入学してほどなく中退、3年の放浪を経て慶應義塾大学文学部に入る。在学中は児童小説を書いたり、尾崎士郎らと共に雑誌「令女界」や「若草」に少女小説、音楽物語などを執筆していた。その他、ピアノ演奏のアルバイトをするなどしていたという。 大学卒業後は、音楽評論家伊庭孝に師事し、浅草オペラの俳優等を経て、1930年から、コロムビアレコード文芸部のエドワードの私設秘書となり、ジャズソングの訳詞などを手掛けていた。
松村 又一(まつむら またいち、、1898年(明治31年)3… 松村 又一(まつむら またいち、、1898年(明治31年)3月25日 - 1992年(平成2年)9月30日)は昭和期の作詞家、民謡作家。妻は歌人の松村君代。独特の作風から土の詩人と評される。
喜志 邦三(きし くにぞう 1898年3月1日 - 1983… 喜志 邦三(きし くにぞう 1898年3月1日 - 1983年5月2日)は日本の詩人、作詞家。 長男は京都大学文学部名誉教授の喜志哲雄。 1898年(明治31年)大阪府堺市に生まれる。1915年(大正4年)大阪府立堺中学校を卒業後、早稲田大学高等予科入学。翌年英文学科第二部に入学。1917年(大正6年)在学中に三木露風が主宰する第三次「未来」「リズム」の同人となる。1919年(大正8年)早稲田大学卒業、同年に大阪時事新報社に入社。1925年(大正14年)大阪時事新報社を退社し、神戸女学院大学部専任講師に就任。以降、中断期間も挟みながら1963年(昭和38年)定年まで教授を務める。1966年(昭和41年)園田学園女子大学文学部教授に就任。
島田 芳文(しまだ よしふみ、1898年(明治31年)2月1… 島田 芳文(しまだ よしふみ、1898年(明治31年)2月11日 - 1973年(昭和48年)5月3日)は昭和期の作詞家。本名は島田義文。 福岡県豊前市黒土生まれ。島田芳文の実家は黒土の大地主の家であった。早稲田大学出身。中学時代に島田青峰、若山牧水に短歌を学ぶ。1927年(昭和2年)、処女詩集「農土思慕」刊行。 1929年(昭和4年)、コロムビアレコードの専属作詞家になる。1931年(昭和6年)には、古賀政男と組んだ一連の作品「キャンプ小唄」、「丘を越えて」、「スキーの唄」が大ヒット。藤山一郎の歌声でたくさんの人々に愛唱された。 1941年(昭和16年)に「雪の満州里」を発表後、しばらくの間作詞家としての活動を休業。
堀内 敬三(ほりうち けいぞう、1897年(明治30年)12… 堀内 敬三(ほりうち けいぞう、1897年(明治30年)12月6日 - 1983年(昭和58年)10月12日) は、日本の作曲家、作詞家、訳詞家、音楽評論家。「あやしいぞ」をもじった安谷 鎮雄という筆名もある。
本間 一咲(ほんま かずさく、1896年12月13日 - 1… 本間 一咲(ほんま かずさく、1896年12月13日 - 1973年12月16日)は、日本の作詞家。新潟県佐渡島出身。 1896年(明治29年)、新潟県加茂郡新穂村(現在の佐渡市)に生まれる。1918年(大正7年)に東京府青山師範学校を卒業。 東京都内で45年にわたって教員を務める傍ら作詞の懸賞公募でたびたび入選し、戦前の懸賞歌謡界では「本間さんをしらない者はモグリといわれてもしかたがない」と評される存在であったと言われる。戦後は作詞と並行してふるさと詩社発行の雑誌『ふるさと』を中心に詩を発表している。 1973年(昭和48年)死去。享年78(満77歳没)。
大木 惇夫(おおき あつお、1895年〈明治28年〉4月18… 大木 惇夫(おおき あつお、1895年〈明治28年〉4月18日 - 1977年〈昭和52年〉7月19日)は日本の詩人・翻訳者・作詞家。本名は軍一(ぐんいち)。1932年までは篤夫(あつお)と名乗っていた。太平洋戦争(大東亜戦争)中の戦争詩で有名だが、児童文学作品他、「国境の町」などの歌謡曲、「大地讃頌」をはじめとした合唱曲、軍歌(戦時歌謡)、社歌、校歌、自治体歌の作詞も多い。1967年紫綬褒章、1972年勲四等旭日小綬章。 広島県広島市天満町(現在の西区天満町)出身。生家は裕福な呉服商であったが、彼が物心付く頃には没落しており、貧しい暮らしの中で育った。少年時代に『アラビアン・ナイト』や巖谷小波の『世界お伽噺』を読み、文学者を志す。
浅原 六朗(あさはら ろくろう、1895年2月22日 - 1… 浅原 六朗(あさはら ろくろう、1895年2月22日 - 1977年10月22日)は、日本の小説家、作詞家、俳人、大学教授。 代表作は「ある自殺階級者」「H子との交渉」「混血児ジヨオジ」など。童謡「てるてる坊主」の作詞者、浅原鏡村としても知られる。 1982年(昭和57年)3月27日 てるてる坊主の館浅原六朗文学記念館が竣工。同年6月1日に開館となった。館内には浅原六朗の蔵書・ノートに書かれた青春日記・交友のあった作家たちの書簡及び写真、自筆の書や筆記用具なども展示されている。また、隣接する池田町文化財資料館にも「町ゆかりの文学者」として紹介されており、長野県池田町を代表する文学者である。 また、町役場の屋上で鳴らされていたサイレンも、「てるてる坊主」のメロディーに替わった。
倉田 政嗣(くらた まさつぐ、1894年(明治27年)3月8… 倉田 政嗣(くらた まさつぐ、1894年(明治27年)3月8日 - 1932年(昭和7年)10月16日)は、日本の作詞家。秋田県出身。 1894年3月8日、秋田県平鹿郡沼館町(現、横手市雄物川町)に生まれ、幼時に生家の小沢家から仙北郡横沢村(現、大仙市太田町)で酒造業を営み、親戚でもあった倉田亦五郎へ養子に入った。幼少期を横沢村で過ごして秋田師範学校に入学、師範学校では剣道に熱中した。1913年(大正2年)に師範学校を卒業し、県下雄勝郡西馬音内(にしもない)小学校及び秋田市中通小学校で教諭をつとめた。中通小学校勤務時代には、秋田市商業学校の体操講師も務めている。1920年(大正9年)に病気(結核)のため退職、神奈川県茅ヶ崎市で療養したのち郷里にもどった。
庄武 憲太郎(しょうたけ けんたろう、1893年2月22日 … 庄武 憲太郎(しょうたけ けんたろう、1893年2月22日 - 1952年5月27日)は、昭和時代戦前の日本の作詞家、歌人、旧制中学校教諭。号は春鳥(しゅんちょう)。大分県出身。 1893年(明治26年)2月、大分県西国東郡朝田村(現在の杵築市大田地区)の農家に四人兄弟の長男として生まれる。小学校を卒業後、田原村の準教員養成所を経て西国東郡高田町(現在の豊後高田市)で代用教員を務め、大分師範学校へ進学する。 大分師範学校を卒業した後は日本大学へ進み国語と漢文を学んだ。帰郷後は県立臼杵高等女学校(現県立臼杵高校)や徳島師範学校、旧制宮崎中学(現在の宮崎県立宮崎大宮高等学校)で教諭を務める。旧制宮崎中学在職中の1933年(昭和8年)、宮崎市で開催された祖国日向産業博覧会のテーマ曲募集で応募作「祖国日向の四季」が一等入選となる。
横山芳介(よこやま よしすけ、1893年〈明治26年〉 - … 横山芳介(よこやま よしすけ、1893年〈明治26年〉 - 1938年〈昭和13年〉1月30日)は、日本の作詞家。農林省技師。東京出身。
林 柳波(はやし りゅうは、1892年〈明治25年〉3月18… 林 柳波(はやし りゅうは、1892年〈明治25年〉3月18日 - 1974年〈昭和49年〉3月27日)は、日本の童謡作詞家、詩人、薬剤師。本名は林 照寿(はやし てるひさ、旧字体: 林 照壽)。沼田市名誉市民。兄は陸軍獣医少将の林里二。作詞は1千編を超え、レコードに吹き込まれたものは500余りあるとされる。 1892年(明治25年)、群馬県利根郡沼田町材木町(現・沼田市)の農家・林菊三郎の三男として生まれた。父菊三郎は帰農はしていたものの階級は士族であったという。早くから雑誌へ童謡詩の投稿を行う文学少年だった。1905年(明治38年)沼田小学校高等科を卒業。県立前橋中学校利根分校(現・群馬県立沼田高等学校)に学ぶが中退し、兄・里二を頼って上京。
西條 八十(さいじょう やそ、新字体:西条、1892年1月1… 西條 八十(さいじょう やそ、新字体:西条、1892年1月15日 - 1970年8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者、小説家。早稲田大学文学部文学科元教授であった。 長男の西條八束は陸水学者。長女の三井ふたばこ(西條嫩子)も詩人。孫の西條八兄はエレキギター製作者。 自費出版した処女詩集『砂金』(1919年)が好評を博し、抒情性に富んだ清新な詩風で、象徴詩人としての地位を確立。童謡、歌謡曲の作詞も多く手がけた。作品に詩集『一握の玻璃』(1951年)など。 東京府東京市牛込区牛込払方町(現:東京都新宿区払方町)出身。石鹸の製造販売業で財を成したが、父親の死後、家庭は没落した。1898年、桜井尋常小学校に入学。
佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1890年〈明治23年〉1… 佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1890年〈明治23年〉12月3日 - 1942年〈昭和17年〉5月15日)は、日本の詩人、作詞家。 神奈川県橘樹郡川崎町砂子(現在の川崎市川崎区)にて於いて佐藤慶次郎・うめ夫妻の二男として出生。佐藤家は川崎宿砂子の本陣を預かる家柄であった。 1897年(明治30年)川崎尋常小学校入学。1903年(明治36年)3月、高等科1学年修了。4月、東京市麻布区飯倉町の糸商「万文」に丁稚奉公開始。住み込み、この頃から句作をする。1904年(明治37年)俳句雑誌『半面』に関与し、千家元麿と識り、ともに『新潮』俳句欄に投稿するとともに、同欄選者佐藤紅緑に師事する。1906年(明治39年)渡米を志し、身体検査を受けるも、眼疾のため不合格となる。
米山 治(よねやま はる、1890年11月21日 - 196… 米山 治(よねやま はる、1890年11月21日 - 1968年1月)は、日本の銀行員、作詞家。島根県出身。本名は米山 豊蔵(よねやま とよぞう)。 1890年(明治23年)、島根県神門郡杵築町(現在の出雲市大社町)の旧家に生まれる。1907年(明治40年)に京都市立商業実修学校を卒業し、大阪の三十四銀行へ入行。京橋、次いで神田支店長に就いた。三十四銀行は1933年(昭和8年)に鴻池・山口の両行と合併して三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)となり、船場支店長を経て天満、朝日橋、中央市場支店長を歴任する。 定年退職後は島根へ帰郷し悠々自適の生活を送っていたが、1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約発効記念事業として島根県が懸賞募集を行った県民歌で応募作「薄紫の山脈」が宮田隆の応募作「青い空なら」と並んで準入選で採用された。
下山 懋(しもやま つとむ、1890年2月23日 - 198… 下山 懋(しもやま つとむ、1890年2月23日 - 1987年1月19日)は、日本の教育者、国語教育学者、国文学者、郷土史家、作詞家。 埼玉県入間郡芳野村谷中(現在の川越市)生まれ。父は飯能戦争で新政府軍として参加した川越藩士の下山忠行。 1910年、埼玉県師範学校を卒業。1914年、埼玉県女子師範学校附属小学校で訓導となり、埼玉県立浦和高等女学校で教鞭を執り、東京帝国大学選科に進んだ。その後、埼玉県立越ヶ谷高等女学校、埼玉県大宮高等女学校、浦和市立高等学校、埼玉県立浦和高等学校、別所幼稚園、武南幼稚園・武南中学校・武南高等学校などの学校で校長・園長を歴任した。元埼玉県教育委員会教育委員。元川口市教育長。
伊庭 孝(いば たかし、1887年(明治20年)12月1日 … 伊庭 孝(いば たかし、1887年(明治20年)12月1日 - 1937年(昭和12年)2月25日)は、日本の俳優、演出家、作詞家、音楽評論家。佐々紅華、田谷力三、藤原義江らとともに「浅草オペラ」を築き上げた。 1887年(明治20年)12月1日、東京市神田駿河台に雑誌社経営者の伊庭真の次男として生まれる。幼少期に両親を相次いで亡くし、本家である心形刀流宗家当主伊庭想太郎の養子となる。番町小学校から東京府立一中に進学し、谷崎潤一郎らと同期だった。14歳のとき、養父の想太郎が刺殺事件を起こしたため府立第一中学を中退し、実兄で医師の伊庭秀栄がいた大阪に移り、天王寺中学に転校する。折口信夫や緒方章らと親交を結び、校友会雑誌『桃蔭』に中学生とは思えぬ端麗な随想を幾編も寄稿した。
長田 幹彦(ながた みきひこ、1887年3月1日 - 196… 長田 幹彦(ながた みきひこ、1887年3月1日 - 1964年5月6日)は、日本の小説家、作詞家。
畑 耕一(はた こういち、1886年5月10日 - 1957… 畑 耕一(はた こういち、1886年5月10日 - 1957年10月6日)は、大正・昭和時代前期日本の小説家、劇作家、作詞家。俳号は蜘盞子、別名義に多蛾谷 素一。 1886年(明治19年)、広島市堀川町で漆問屋の家庭に生まれる。生年については1887年(明治20年)、1896年(明治29年)など複数の説があったが、後年の研究で戸籍上の生年が「明治19年」であることが確認されている。父の平蔵は商業を学ばせるためとして耕一を大阪の商家へ奉公に出し、大阪府師範学校附属小学校(現在の大阪教育大学附属天王寺小学校)を経て市立大阪高等商業学校へ進学させる。大阪高商の予科を卒業した後、広島へ帰郷し中国新聞の「中国文壇」欄投稿者の親睦会「詞友会」結成に参加し、幹事を務める。
野口 雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月2… 野口 雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は、詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。 本名・野口英吉。廻船問屋を営む名家(楠木正季が先祖と伝えられているが不明)の長男として茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)に生まれる。父・量平、母・てる。 4年制尋常小学校・4年制高等小学校を終了後に上京。東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し坪内逍遥に師事するが、1年余りで中退し詩作を始める。このとき1901年(明治34年)、英吉は19歳であった。 1904年(明治37年)、父の事業失敗と死により故郷に帰り家督を継ぐ。
小林 愛雄(こばやし あいゆう、1881年11月30日 - … 小林 愛雄(こばやし あいゆう、1881年11月30日 - 1945年10月1日)は、日本の詩人、作詞家、翻訳家。元早稲田実業学校校長。家族・友人間の親称は ちかお。 日本で初めてオペラの創立に尽力したことで知られる。 1881年11月30日、東京市に生まれる。父親は旧幕臣、後に東京府府会議員、大蔵省局長、万世生命保険会社社長となった小林好愛。 1892年に東京高等師範学校附属小学校尋常科(現・筑波大学附属小学校)、1899年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。第六高等学校(現・岡山大学)を経て東京帝国大学英文科にて夏目漱石、佐佐木信綱に師事。父親の小林好愛と共に樋口一葉とは家族ぐるみの付き合いがあり、慈雲寺 (甲州市)にある樋口一葉女史文学碑には田山花袋、森鷗外、与謝野晶子と共に愛雄の名も刻まれている。
乙骨 三郎(おつこつ さぶろう、1881年(明治14年)5月… 乙骨 三郎(おつこつ さぶろう、1881年(明治14年)5月17日 - 1934年9月19日)は、日本の作詞家・音楽教育者。 1881年、旧幕臣、英学者で沼津兵学校教授の父太郎乙と母つきの間に東京府牛込区牛込横寺町(現・東京都新宿区横寺町)で生まれた。太郎乙には5男5女(うち長男と四男は幼い頃に亡くなっている)がおり、三郎はその三男であった。 開成中学卒業後、1898年、第一高等学校一部文科に入学、ピアノやオルガンに親しんだ。卒業後の1901年には東京帝国大学文科大学哲学科に入学し、カール・フローレンツ、ラファエル・フォン・ケーベルらの薫陶を受ける一方、日本の音楽レベルを向上させるべく、歌劇研究を行う「ワグネル会」を結成。
青木 存義(あおき ながよし、1879年8月15日 - 19… 青木 存義(あおき ながよし、1879年8月15日 - 1935年4月19日)は、日本の国文学者、唱歌作詞家、小説家、教育者。童謡『どんぐりころころ』の作詞者として知られる。 宮城県宮城郡松島町幡谷新田出身。宮城県尋常中学校(現在の宮城県仙台第一高等学校)、東京帝国大学文科大学卒業(1906年)。1917年に東京音楽学校教授就任。その後は文部省図書編集部長(1924年)、旧制新潟高等学校校長(1934年)などを歴任。文部省在職中に『どんぐりころころ』などを始め、文部省唱歌を数多く作りあげた。また青木苫汀(せんてい)の名で『我や人妻』などの小説も書いている。 180cmの長身で温和な性格だったと伝わる。
犬童 球渓(いんどう きゅうけい、1879年4月20日 - … 犬童 球渓(いんどう きゅうけい、1879年4月20日 - 1943年10月19日)は、日本の詩人、作詞家、教育者。熊本県人吉市出身。1901年、熊本師範学校卒業し、宇土郡網田小学校に勤務する 。1905年、東京音楽学校卒業。本名は「犬童信蔵(いんどう のぶぞう)」というが、球磨川の渓谷に生まれたことから「球渓」というペンネームをつけた。1943年、人吉市で自殺。
真下 飛泉(ましも ひせん、1878年〈明治11年〉10月1… 真下 飛泉(ましも ひせん、1878年〈明治11年〉10月10日 - 1926年〈大正15年〉10月25日)は、日本の教員・作詞家。本名は瀧吉(たききち)。京都府加佐郡河守町新町(現:京都府福知山市大江町新町)出身。代表作は『戦友』など。 1878年(明治11年)10月10日、京都府加佐郡河守町新町の貧しい農家の次男として生まれる。生家では農業の他、蝋燭製造や製紙業を営んでいたとされている。 1885年(明治18年)、河守学校初等科に入学〈翌年「小学校令」により尋常科に改名〉。河守尋常小学校を卒業後は、糸問屋に奉公し、その後実家の蝋燭製造に従事した。 1892年(明治25年)河守地方六ヵ町村組合立高等小学校3年に編入学。
東 くめ(ひがし くめ、旧姓:由比(ゆい)、1877年6月3… 東 くめ(ひがし くめ、旧姓:由比(ゆい)、1877年6月30日 - 1969年3月5日)は、和歌山県東牟婁郡新宮町(現:新宮市)出身の童謡作詞家。日本で初めて口語による童謡を作詞した。1899年に東京女子高等師範学校教授・東基吉と結婚し、東くめとなる。
高野 辰之(たかの たつゆき、1876年〈明治9年〉4月13… 高野 辰之(たかの たつゆき、1876年〈明治9年〉4月13日 - 1947年〈昭和22年〉1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。文学博士(東京帝国大学・論文博士・1925年)(学位論文「日本歌謡史」)。号は斑山(はんざん)。 1876年、長野県水内郡永江村(現・中野市永江)の豪農の家に生まれた。1887年、豊津学校永江支校小学中等科を卒業。1890年3月、下水内高等小学校高等小学科を卒業。 1890年5月、永田尋常小学校授業生(代用教員)となった。しかし3年後の1893年、長野県尋常師範学校に入学。1897年3月には同師範学校を卒業した。1897年4月からは下水内高等小学校訓導となった。1898年6月、国語科の師範学校・尋常中学校・高等女学校教員免許状を取得。
林 古溪(はやし こけい、1875年〈明治8年〉7月15日 … 林 古溪(はやし こけい、1875年〈明治8年〉7月15日 - 1947年〈昭和22年〉2月20日)は歌人、作詞家、漢文学者、立正大学教授、東洋大学講師。本名は竹次郎。東京・神田出身。哲学館(現東洋大学)教育学部卒。 林羅山に連なる家系で、代々学者の家柄である。林家の次男として東京神田に生まれる。 幼少時代を神奈川県愛甲郡古沢村(現厚木市)で過ごし、古渓の筆名はこの古沢村から採ったという。 10歳の時に父を失って以来、池上本門寺に入って修行。さらに哲学館(現東洋大学)に入学すると国漢を学んだ。漢詩に非凡な才を見せたが、一方で新体詩のグループを作っては積極的に活動を始めた。卒業後、同校付属の京北中学校で国漢科教員となり、生徒たちから「達磨さん」と呼ばれて慕われたという。
中内 蝶二(なかうち ちょうじ、1875年5月5日 - 19… 中内 蝶二(なかうち ちょうじ、1875年5月5日 - 1937年2月19日)は、日本の小説家、劇作家、ジャーナリスト、作詞家である。本名は中内 義一(なかうち ぎいち)。 1875年(明治8年)5月5日、高知県に「中内義一」として生まれる。 旧制・東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業し、博文館に入社し、その後、『萬朝報』の記者となった。戯曲『大尉の娘』は、1923年(大正12年)、井上正夫、初代水谷八重子が演じ、評価を得た。同作は、八重子の当たり役となり、「八重子十種」の演目のひとつとなった。 新派のための戯曲のほか、小説を執筆し、長唄の作詞も手がけている。 1937年(昭和12年)2月19日に死去した。
柏木 亀蔵(かしわぎ かめぞう、1875年4月13日 - 1… 柏木 亀蔵(かしわぎ かめぞう、1875年4月13日 - 1955年6月19日)は、日本の大正から昭和時代前期にかけて活動した歌人、作詞家。鳥取県出身。 1875年(明治8年)、鳥取市藪片原町に生まれる。1896年(明治29年)に鳥取県尋常師範学校を卒業後、県内各地の小学校訓導を経て東京高等師範学校国文科へ入学し、1903年(明治36年)に卒業する。 旧制都城中学校で教諭を1年間務めた後、1904年(明治37年)に岐阜高等女学校へ転任。和歌や長詩を嗜み、1908年(明治41年)に文部省が懸賞募集した新体詩で第一部二等に入賞する。1915年(大正4年)11月に執り行われた大正天皇の御大典記念事業として京都市が歌詞を募集した「京都市歌」で応募作が二等に入賞したが、一等は「該当作なし」となったため柏木の応募作が採用となり、1951年(昭和26年)に現行の市歌へ代替わりするまで歌い継がれた。
八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 19… 八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 1953年12月7日)は、日本の日本文学研究者、国語教育学者、作詞家。旧制第四高等学校教授、旧制第五高等学校名誉教授。
吉丸 一昌(よしまる かずまさ、1873年(明治6年)9月1… 吉丸 一昌(よしまる かずまさ、1873年(明治6年)9月15日 - 1916年(大正5年)3月7日)は、日本の作詞家、文学者、教育者。代表作は「早春賦」など。東京府立第三中学校教諭、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。大分県北海部郡海添村(現・臼杵市海添)出身。 日本基督教団の牧師で讃美歌第二編の委員長の藤田昌直の実父。 大分県の旧臼杵藩下級武士・吉丸角内の長男として生まれる。小学校尋常科から小学校高等科卒業までの成績は非常に優秀で、県から度々表彰を受けるほどだった。1889年、大分県立大分中学校(のち大分県立大分上野丘高等学校)を経て1894年、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)に進学する。
武島 羽衣(たけしま はごろも、明治5年11月3日(1872… 武島 羽衣(たけしま はごろも、明治5年11月3日(1872年12月3日) - 昭和42年(1967年)2月3日)は日本の詩人、国文学者、作詞家。宮内省御歌所寄人。本名・武島 又次郎。
桑原 節次(くわはら せつじ、1872年10月26日 - 1… 桑原 節次(くわはら せつじ、1872年10月26日 - 1954年2月26日)は、日本の地方公務員、作詞家、郷土史家。現在の宮崎県出身。 明治5年9月24日(西暦1872年10月26日)、美々津県那珂郡広瀬村(現在の宮崎市佐土原町)で佐土原藩士族の家に生まれる。東京の共立学校を卒業した後、宮崎へ帰郷し尋常小学校校長を経て宮崎県庁に入庁、西臼杵郡、児湯郡、南那珂郡、北諸県郡の郡長を務める。西臼杵郡長在職時には県立高千穂実業学校の校長を兼務し、同校の後身に当たる宮崎県立高千穂高等学校へ引き継がれた校歌(作曲:陸軍戸山学校)を作詞している。定年退職後は日本赤十字社宮崎県支部主事を経て、日本生命保険宮崎支社に勤めながら財団法人旧佐土原藩教育会の会長の職に在った。
北村 季晴(きたむら すえはる、1872年5月22日(明治5… 北村 季晴(きたむら すえはる、1872年5月22日(明治5年4月16日) - 1931年(昭和6年)6月17日)は、明治・大正期日本の作曲家、作詞家、演出家。東京府銀座出身。 明治5年4月16日(西暦1872年5月22日)、東京府銀座(東京市京橋区を経て現在の東京都中央区)に漢学者で14代将軍・徳川家茂の侍講を務めた北村季林・鉞夫妻の一子として生まれた。江戸時代前期の国文学者・北村季吟は7代前の先祖で、季晴は季吟から見て仍孫(じょうそん)に当たる。 父と親交のあったジェームス・カーティス・ヘボンが開設したヘボン塾の後身であるジョン・C・バラの築地大学校で学ぶ。その後、ヘボンが開校した明治学院に入学し、同級生となった島崎藤村と親交を結ぶが季晴に音楽の才能を見出したヘボンの薦めもあり学院を中退。
堀沢 周安(ほりさわ ちかやす、1869年2月18日 - 1… 堀沢 周安(ほりさわ ちかやす、1869年2月18日 - 1941年4月14日)は日本の作詞家、教育者。名前は「しゅうあん」と音読される場合もある。号は鹿峡(ろくきょう)。 明治2年1月8日(西暦1869年2月18日)、尾張国丹羽郡善師野村(現在の愛知県犬山市)に生まれる。犬山城下稲置村の丹羽葉栗第一番高等小学校を卒業した後、尋常小学校の教員手伝いを経て1891年(明治24年)に上京、東京国語伝習所(大成高等学校の前身校)で上田萬年に師事して国文学を学んだ。 卒業後は長野県や北海道、香川県、愛媛県で旧制中学校や高等女学校の教員を務め、特に香川・愛媛の両県で校歌や市町村歌を多数作詞した。旧制三豊中学校(現在の香川県立観音寺第一高等学校)の校長職に在った1921年(大正10年)、大阪市が3代目市庁舎落成を記念して公募した「大阪市歌」で応募作が一等入選する。
石原 和三郎(いしはら わさぶろう、慶応元年10月12日〈1… 石原 和三郎(いしはら わさぶろう、慶応元年10月12日〈1865年11月29日〉 - 大正11年〈1922年〉1月4日)は日本の作詞家。号に、翠江、万岳。「兎と亀」「花咲爺」「金太郎」などの童謡の作詞で知られる。 上野国勢多郡東村花輪(現・群馬県みどり市東町花輪)に、父・伝六、母・さだの長男として生まれる。花輪小学校に学び、1881年(明治14年)に高等小学校を卒業。日本鋼管の創立者・今泉嘉一郎は同郷の友人。 1885年(明治18年)に花輪小学校教員となり、1887年(明治20年)群馬県師範学校入学。1891年(明治24年)に卒業し、花輪小学校校長に任命された。 1894年(明治27年)に『小学校歌集註解』を出版。
大和田 建樹(おおわだ たけき、安政4年4月29日(1857… 大和田 建樹(おおわだ たけき、安政4年4月29日(1857年5月22日) - 明治43年(1910年)10月1日)は、日本の詩人、作詞家、国文学者。東京高等師範学校(現・筑波大学)教授。「鉄道唱歌」「故郷の空」「青葉の笛」などの作詞者として知られている。 1857年(安政4年)4月29日、伊予国宇和島に生まれた。父の大和田水雲は宇和島藩士であり、その影響で幼少期から書道・四書・和歌・俳句を学び、1869年(明治2年)には培寮に入学して漢学を学ぶ。同時期に穂積重樹や清家堅庭について国学や和歌を学ぶ。 1873年(明治6年)頃、翻訳書によって外国事情を知り、宇和島藩校明倫館卒業後、1876年(明治9年)広島外国語学校(後の広島県立広島国泰寺高等学校)に入学するも、1878年(明治11年)母の死亡のため退学(持病とも言われる)。
鳥山 啓(とりやま ひらく、天保8年3月25日(1837年4… 鳥山 啓(とりやま ひらく、天保8年3月25日(1837年4月29日) - 大正3年(1914年)2月28日)は、紀伊田辺藩(現和歌山県田辺市)出身の博物学者、教育者、作詞家。南方熊楠の恩師であり、「軍艦(軍艦行進曲)」の作詞者としても知られる。 天保8年3月25日(1837年4月29日)、田辺の大庄屋田所佐平の次男として生まれる。幼名は象次郎。名を為助、字を明郷とした。田辺藩士鳥山純昭の養子となり、藩主安藤直裕の近従として召し出される。8歳の頃から真砂丈平から漢学を、医師石田三郎から本草学を学び、15歳からは和歌山に出て本居内遠と熊代瑞穂に就き国学を修め、その傍らで天文学や科学、地理学、英学なども幅広く学んだ。
姫宮 さら沙(ひめみや さらさ、12月11日 - )は、日本… 姫宮 さら沙(ひめみや さらさ、12月11日 - )は、日本の作詞家、モデル。兵庫県出身。血液型は、A型。 2歳からピアノを習う。17歳から声楽、聴音、作曲、音楽理論を習い始めたが、J-POPに転向し、渡辺プロダクション「東京音楽学院」にてヴォーカルレッスンを受ける。 28歳の時に作詞講座を開始。作詞家の松井五郎に師事。講座では「特別構成賞」や「敢闘賞」を受賞する。この頃から、作品が書籍化されることになる。その後、ビクター音楽カレッジに通学。作詞家の伊藤あきらに師事。「ビクター音楽カレッジ作詞大賞 銀賞」を受賞する。 作家事務所に所属し、2005年にテレビアニメ『IZUMO -猛き剣の閃記-』のオープニング曲のカップリング曲「Everything's all right」にて、作詞家としてメジャーデビューを果たす。
小栗 さくら(おぐり さくら、11月27日 - )は、日本の… 小栗 さくら(おぐり さくら、11月27日 - )は、日本の歴史タレント、歌手、作詞家、声優、歴史小説家。アクタープロ「亮」所属。 東京都府中市出身。鹿児島と東京・多摩出身の父母のもとに生まれる。駒澤大学文学部卒業。博物館学芸員の資格をもつ。 ※歴史系アーティスト さくらゆき としての出演は「さくらゆき」を参照。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
T4K(タク、11月20日 - )は、日本のボーカリスト、作… T4K(タク、11月20日 - )は、日本のボーカリスト、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、トラックメイカー。東京都町田市出身。主にアニメソングやアイドル楽曲をはじめ、声優・VTuberなど多様なアーティストへ楽曲提供を行っている。 近年はボーカリストとして、『モンソニ!』(『モンスターストライク』関連プロジェクト)にてキャラクター「コクウ」の歌唱を担当している。 高校在学中にスカウトされ、ファンキー末吉がプロデュースによる激鉄オムニバスに参加。シャウトボーカルとしてバンド活動を行っていたが、バンド解散を機に本格的に作曲活動へ転身する。 2021年頃よりアニメやゲーム作品への楽曲提供を始め、幅広いジャンルに対応できるアレンジ力を武器に活動の場を拡大している。
吉木 絵里子(よしき えりこ、11月13日 - )は、日本の… 吉木 絵里子(よしき えりこ、11月13日 - )は、日本の作曲家、編曲家、作詞家。La Gauno所属。 東京芸術大学音楽学部器楽科バイオリン専攻を卒業。 ZAIN PRODUCTS所属を経て現在はLa Gaunoに所属している。
まつもと ななみ(本名:松本 菜々美(読み同じ)、10月31… まつもと ななみ(本名:松本 菜々美(読み同じ)、10月31日 - )は、岡山県高梁市出身の日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家である。所属レコード会社はユニバーサルミュージック合同会社、所属事務所はメロネストである。 血液型はAB型、身長153cmである。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
森 由里子(もり ゆりこ、10月26日 - )は、日本の女性… 森 由里子(もり ゆりこ、10月26日 - )は、日本の女性作詞家。作詞以外の活動として音楽集団SEIRIOS(セイリオス)主宰&音楽プロデューサー、エッセイ、本の執筆(下記参照)。J-POP、アイドル、アニメソング、ゲーム主題歌、キャラクターソング、舞台、訳詞、コマーシャルソング、野球球団公式応援歌、教科書用、子供番組まで、様々な分野に作品提供。2022年までの発売楽曲は約1300曲を数える。別ペンネーム 「Lily Forest」。 深みのある心象風景や、時代に即したメッセージ性のある作品、ドラマティックな世界の構築に力量を発揮。アイドル、ロック系、韻を踏むフレーズや英詞、言葉遊び、さらに古典に造詣が深いことから古語を使った作品など多様な世界観を描き分ける能力にも定評がある。
蘭華(らんか、9月28日 )は、日本の女性シンガーソングライ… 蘭華(らんか、9月28日 )は、日本の女性シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ、作詞・作曲家、出雲観光大使、なかつ応援サポーター、温泉ソムリエ。大分県中津市出身。 透明感溢れる歌声と、唯一無二な音楽を創り出すシンガーソングライター。 家族愛、人生、故郷、生命、平和をテーマにした普遍的な歌詞の世界が世代を越えて幅広く支持されている。楽曲は、二胡や和楽器、民族楽器を取り入れたオリエンタルなサウンドに、親子の絆を歌う家族愛や人間愛、人生を綴ったバラードを自ら作詞・作曲。海蔵亮太や三月のパンタシア、瀬口こころ(仮面女子OG)への楽曲提供も行っている。これまでに「釣りロマンを求めて」「朝だ!生です 旅サラダ」他、数々の番組テーマソングを担当。
Uyu(ウユ、9月15日 - )は、北海道旭川市出身の作詞家… Uyu(ウユ、9月15日 - )は、北海道旭川市出身の作詞家、歌手。 2006年より『ACRYLICSTAB』のメンバーとして、主にボーカル、作曲を担当。 最近では自身の活動以外にも、ゲーム、女優や声優への作詞提供を行うなど活動の幅を広げている。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
有森 聡美(ありもり さとみ、9月2日 - )は、日本の作詞… 有森 聡美(ありもり さとみ、9月2日 - )は、日本の作詞家。JASRAC正会員。 愛知県名古屋市出身。小学校低学年時から作詞、作曲作業を行っていた経験を有しており、何気なく制作した楽曲を小学校教諭に譜面として書き起こして貰った経験がある。大学進学にあたり芸大進学を目指し、現役入学が目標だった事もあり、短大のグラフィックデザイン学科に進学。卒業後は渡仏して、画家を目指していた。 しかし、学生時代から趣味で行っていた音楽バンド活動で、アマチュアではあるが名古屋での人気を得ていた事もあり、オリジナルレコーディングするために音楽業界関係者が多数所在する東京とを往復する機会が多く「東京に行けばメジャーデビューできる」と思慮した結果、有森のみ東京に進出。
稲﨑 エマ (いなさき えま、8月27日生)は、日本の女性歌… 稲﨑 エマ (いなさき えま、8月27日生)は、日本の女性歌手、作詞家。大阪府出身。血液型はO型。愛称は「姫」。旧芸名、カサンドラ。 主にゲームとTV/CM/主題歌のボーカル、作詞、コーラスを担当。また、モデル・読者モデルとしての活動も行っている。 帝塚山学院高等学校音楽コース卒業、同志社女子大学学芸学部音楽学科声楽専攻卒業。大学在学中にウィーン・コンセルヴァトリウム(ウィーン音楽院)に短期留学。主にドイツ歌曲を勉強しており、フランツ・シューベルトとフェリックス・メンデルスゾーンの歌曲を好む。ウィーン音楽院にて演奏会出演、アクティスドリームコンサートなど多数の演奏会に出演している。大学卒業後にユニバーサルミュージックのオーディションに合格。