加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年… 加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年)7月7日 - 1997年(平成9年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。 北海道上川郡当麻町出身。屯田兵・農業、加登川春吉の長男として生まれる。旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)を経て、1930年(昭和5年)7月、陸軍士官学校(42期)218名中を皇王族(恒德王・李鍵公)を除いて9番の成績で卒業し、同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第25連隊付となる。1938年(昭和13年)5月、陸軍大学校(50期)卒業後、戦車学校教官に就任した。 その後、北支那方面軍参謀を務め、太平洋戦争時には陸軍省軍務局軍事課員(予算班)、第2方面軍、第35軍、第13軍参謀としてニューギニアの戦い、レイテ島、インドシナ、中国を転戦し中佐で敗戦をむかえる。
明田川 孝(あけたがわ たかし、1909年6月22日 - 1… 明田川 孝(あけたがわ たかし、1909年6月22日 - 1958年8月13日)は、日本の彫刻家・音楽研究家。 新制作協会彫刻部創立会員。東京美術学校在学中より気鳴楽器オカリーナを研究・制作し、「12穴式オカリーナ」の開発に成功。日本にこの楽器を広め根づかせた「アケタオカリーナ」の創始者であり、「日本のオカリーナの父」と呼ばれている。長男はジャズ・ピアニストの明田川荘之。
菅 忠道(かん ただみち、1909年4月18日-1979年1… 菅 忠道(かん ただみち、1909年4月18日-1979年11月20日)は、児童文学研究家。 東京生まれ。父は陸軍軍人。1927年福岡県中学修猷館、1930年第五高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部教育学科中退。学生時代から東大セツルメントなどの児童文化運動に関わり、1936年保育問題研究会に参加し、事務局長格の仕事をする。1936-42年岩波書店の雑誌『教育』の編集に参加。1937年からは教育科学研究会生活教育研究部会に所属、その傍ら同じ頃から同研究会の校外教育研究会に参加し、児童文学に取り組む立場から校外の子どもの生活や教育活動を研究した。幼児教育を研究対象とすることから、保育問題研究会と教育科学研究会の双方をつなぐ役割を果たす。
村上 信彦(むらかみ のぶひこ、1909年(明治42年)3月… 村上 信彦(むらかみ のぶひこ、1909年(明治42年)3月30日 - 1983年(昭和58年)10月31日)は、日本の作家、女性史研究家、医事評論家。 大衆作家村上浪六の三男として東京市下谷に生れる。「父浪六が手をつけようとした女中を救い出して父と義絶、その少女と結婚」したとされているが、このエピソードは彼の小説『音高く流れぬ』に登場するフィクションである。本小説は確かに村上本人とその周辺人物がモデルとなっており、村上の妻は女中として村上家に勤めていたが、エピソード自体は創作である。作中では女中に手を付けようとしたのも父ではなく叔父であり、主人公に父母はいない。村上が後年、彼の日記をもとに執筆したドキュメント小説『黒助の日記』にもこのエピソードはない。
吾郷 清彦(あごう きよひこ、1909年1月2日 - 200… 吾郷 清彦(あごう きよひこ、1909年1月2日 - 2003年6月5日)は、超古代文献研究家、古神道研究家。島根県大田市出身。本名は吾郷哲夫(あごう てつお)。旧姓は三谷。吾郷家には養子として入った。 島根県邇摩郡宅野村立宅野小学校、旧制大田中学、旧満州の旅順工科大学電気工学科卒業後、満州電業の電気技師として、奉天市(現在は瀋陽市)などの火力発電所に勤務。日本の敗戦により帰国し、島根県および三重県にて新制中学・新制高校の教員を数年勤めた後、1952(昭和27)年から島根県営の水力発電所の建設と稼動に中心的役割を果たす。本職は電気技師であったが、定年退職後、在職中より取り組んでいた「日本の超古代史」「日本の神代文字」「古神道」の研究に専念した。
永田 逸郎(ながた いつろう、1909年 - )は、日本の翻… 永田 逸郎(ながた いつろう、1909年 - )は、日本の翻訳家、アフリカ問題研究家。愛知県岡崎生まれ。1931年東京外国語大学フランス語科卒。1963-69年アフリカ、主としてカメルーンに滞在。
平野 光雄(ひらの みつお、1909年 - )は、時計史研究… 平野 光雄(ひらの みつお、1909年 - )は、時計史研究家。秋田県秋田市生まれ。小学校卒業後、鎌倉、東京に住む。1927年旧制鎌倉中学(現:鎌倉学園)卒。1931年東洋大学支那哲学科卒。株式会社第二精工舎嘱託。戦前からの時計収集家であり、戦後は『精工舎史話』などの社史をまとめる傍ら、1951年に発足した日本時計倶楽部の中心メンバーとして『時計文化』『日本時計倶楽部通信』などのガリ版刷機関誌を発行。時計に関する著書も多い。
牧 幹夫(まき みきお、1909年 - 1970年6月14日… 牧 幹夫(まき みきお、1909年 - 1970年6月14日)は、日本のバレエダンサー、インド文化研究家である。エリアナ・パヴロワのもとでバレエを始め、草創期の日本バレエ界で活躍した。妻は同じくエリアナ・パヴロワ門下の橘秋子。橘との間の一女、牧阿佐美も父母と同じくバレエの道に進んだ。1938年に単身でインドに渡航したが、日本への帰国が叶わないまま1970年にボンベイで死去した。 宇都宮の出身。本名は北沢 牧三郎といい、1909年に弁護士の三男として生まれた。生後すぐに母が死去し、父が顧問をしていた宇都宮四條町教会のE・C・フライ牧師夫妻に引き取られた。フライ牧師夫妻は、1904年に宇都宮に赴任した後に女学校や幼稚園を設立するなど、この地の教育に功績があった。
宇都宮貞子(うつのみや さだこ、1908年12月3日 - 1… 宇都宮貞子(うつのみや さだこ、1908年12月3日 - 1992年2月12日)は、日本の民俗学者、草花研究家、随筆家。 長野県長野市生まれ。旧制県立長野高等女学校卒。東京女子大学中退。民俗学の一環として野の草花を研究し、60歳以後多くの著作を執筆した。1984年エイボン教育賞受賞。1992年、脳梗塞のため死去。
三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 19… 三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 1995年12月14日)は、日本の作家、健康研究家。 兵庫県神戸市生まれ。本名・敏夫。父親の三橋信三は三菱倉庫に勤務で、後、同社社長、三菱本社理事などを歴任。父親の影響で武術をはじめるが、一方で文学少年でもあった。 慶應義塾大学経済学部卒。在学中にヨーロッパへの留学経験がある。1940年ごろから同人誌『三田文学』、『文芸世紀』などに創作を発表し、終戦後の1948年には林房雄の紹介で『新青年』に「腹話術師」が掲載され、商業誌にデビューした。「不思議小説」と銘打った奇妙な作風で好評を博し、同誌の常連執筆者となる。『新青年』1949年6月号から同誌休刊の1950年7月号まで、横溝正史の命名による「まぼろし部落」のタイトルで不思議小説を毎号連載した。
小林 桂助(3代)(こばやし けいすけ、1908年〈明治41… 小林 桂助(3代)(こばやし けいすけ、1908年〈明治41年〉6月6日 - 2000年〈平成12年〉1月10日)は、日本の鳥類研究家。旧名・小林賢三。位階は従六位。 1908年、神奈川県横浜市生まれ。1923年(大正12年)の関東大震災後、1927年に神戸市に移住。1932年(昭和7年)に神戸商業大学(現・神戸大学)を卒業した。 翌1933年(昭和8年)、薄荷輸出業「小林桂」(1883年に初代小林桂助が創業)に入社した。小林桂助3代目を継ぎ、家業の傍ら鳥の生態を調査した。1947年から1981年まで日本鳥学会評議委員をつとめた。2000年死去。死没日付をもって従六位に叙された。 このほか、鳥類に関連する著書多数。
稲葉正夫(いなば まさお、1908年〈明治41年〉5月1日 … 稲葉正夫(いなば まさお、1908年〈明治41年〉5月1日 - 1973年〈昭和48年〉10月10日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。
奥田 久司(おくだ ひさし、1908年(明治41年) - 1… 奥田 久司(おくだ ひさし、1908年(明治41年) - 1987年(昭和62年)9月10日)は日本の映画プロデューサー、映画史研究家。 1908年(大正15年)生まれ。旧制京都一中を卒業後、映画界か小説家か進路に迷った末に、早稲田大学ロシア文学科に入学。 1934年(昭和9年)、早大を病気で中退し、銀座にあった映画の通信社の「日本演芸通信社」に入社。デスクを務め、7年間在籍する。 1941年(昭和16年)、映画界への夢をあきらめられず、友人の紹介で北京の国策映画撮影所「華化映画」に入所。 1944年(昭和19年)、「大日本映画製作株式会社」に入社。監督志望だったが、企画部に配属となる。 1945年(昭和20年)、日本敗戦。
高橋 鐵(高橋 鉄、たかはし てつ、1907年11月23日 … 高橋 鐵(高橋 鉄、たかはし てつ、1907年11月23日 - 1971年5月30日)は、日本の小説家、性風俗研究家。 東京出身。日本大学卒業。小説を書き、社会主義に関心を抱くが、のちフロイトに関心を抱く。第二次世界大戦後は性科学の研究を始め、1950年に日本生活心理学会を設立、『あるす・あまとりあ』がロングセラーとなる。また同年に『人間探求』(第一出版社、1950年5月~53年8月)を創刊する。日本生活心理学会の機関誌『Seishin report』を刊行した。 性風俗、性科学に関する多数の著作は一世を風靡してよく売れ、1950年代~1980年代は高橋の著作が古書店にも多数並べられていた。戦前は阿部定事件に関する著作もある。
伊藤 芳夫(いとう よしお、1907年4月18日 - 199… 伊藤 芳夫(いとう よしお、1907年4月18日 - 1992年4月4日)は、日本の植物研究家である。サボテンの交配や研究を行い、サボテンに関する多くの著作を行った。 山口県宇部市に生まれた。旧制中学卒業後、独学でサボテンの研究を行った。1952年、中井猛之進の推薦で「南米産サボテンの新分類法」の学位請求論文を提出した。1957年の『サボテン図説 南米物サボテンの分類』はドイツのサボテン研究家で、網羅的なサボテンの事典を作ったドイツのクルト・バッケベルクの著書『サボテン科』("Die Cactaceae: Handbuch der Kakteenkunde")に引用された。新種のサボテン450種を作出し、200以上のサボテンの属や1000以上の種の命名をおこなった。
服部 敏良(はっとり としろう、1906年11月15日 - … 服部 敏良(はっとり としろう、1906年11月15日 - 1992年6月16日)は、日本の医師、医学史研究家。医学博士、文学博士。 岐阜県山県郡高富町(現・山県市)生まれ。名古屋医科大学(現・名古屋大学医学部)卒業。1936年、「アドレナリンとヒスタミンの胃液分泌に及ぼす拮抗作用に就いての臨床的並びに実験的研究」で同大学より医学博士を授与される。愛知県一宮市の山下病院に勤務、1942年から1976年まで院長を務める。 医業のかたわら日本医学史の著作を多く著し、1965年「日本医学史、とくに鎌倉時代医学史の研究」で第18回中日文化賞を受賞。1973年「日本中世医学史の研究」で文学博士(駒澤大学)を取得した。
山辺 知行(やまのべ ともゆき、1906年10月27日 - … 山辺 知行(やまのべ ともゆき、1906年10月27日 - 2004年10月1日)は、日本の染織研究家。東京出身。京都帝国大学卒業。東京帝室博物館(のち東京国立博物館)退官後、多摩美術大学教授、遠山記念美術館館長。日本、インド、インドネシアの染織品・人形のコレクター。
金澤 覚太郎(かなざわ かくたろう、1906年(明治39年)… 金澤 覚太郎(かなざわ かくたろう、1906年(明治39年)6月23日 - 1970年(昭和45年)9月15日)は、日本の放送人、放送研究家である。岡山県高梁市出身。姓は常用漢字体で「金沢」とも表記される。 岡山県高梁市に生まれる。1919年(大正8年)、地元の旧制岡山県立高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)に進み、同期に石川達三などがいた。1924年(大正13年)に旧制第六高等学校文科乙類に進み、1927年(昭和2年)に卒業する。東京帝国大学へ進学し、1930年(昭和5年)に東京帝国大学法学部を卒業した。 1933年(昭和8年)に満洲電信電話に入り放送に従事、新京中央放送局長、満州放送総局副局長などを務めた。
大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英… 大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英文:Ohmura Hama)1906年(明治39年)6月2日 - 2005年(平成17年)4月17日)は、日本の国語教師、国語教育研究家。西洋中世哲学、ドイツ哲学、キリスト教神学の研究者大村晴雄は実弟。 横浜市出身。父親は大村益荒、北海道の尋常師範学校の教師を経て、ミッションスクールである共立女学校(現横浜共立学園)の幹事から教頭になっていた。母親はくらといい、北星女学校を卒業していた。両者クリスチャンという関係で結婚した。母くらは、後に「婦人の友」となる「家庭の友」の創刊号からの読者であり、父は潔癖さが強く、不器用であり、うそが嫌いであったという。
針ヶ谷 鐘吉(はりがや かねきち、1906年(明治39年) … 針ヶ谷 鐘吉(はりがや かねきち、1906年(明治39年) - 没年不詳)は、日本の西洋造園研究家。曽祖父は田安家に仕えた庭師の家系。
小野武雄(おの たけお、1906年 - 1979年)は、日本… 小野武雄(おの たけお、1906年 - 1979年)は、日本の英文学者、近世風俗研究家、翻訳家。帝京大学名誉教授。 東京生まれ。1929年早稲田大学卒業。早稲田大学講師、目白女子短期大学助教授、帝京大学教授、同図書館長、1977年定年退任。 初期は英文学を研究、多くの翻訳を刊行、後年はセクソロジー(性科学史)を軸とした訳書や、江戸期の風俗研究の著述活動を行った。
岡田 甫(おかだ はじめ、1905年〈明治38年〉10月8日… 岡田 甫(おかだ はじめ、1905年〈明治38年〉10月8日 - 1979年〈昭和54年〉12月4日)は、川柳・雑俳研究家。 東京府日本橋に生まれる。本名は千葉治。号は三面子。[要検証 – ノート]1928年に早稲田大学高等師範部国語漢文科卒。長崎のミッションスクール東山学院教師となる。1934年に文筆活動を始め、芝書店、三笠書房、大観堂書店、青磁社などで編集長を歴任する。1950年に戸塚にオランダ書房を開き、近世庶民文化研究所を開設。1951年に雑誌『近世庶民文化』を創刊。1967年より鎌倉市に住む。 川柳・雑俳の評釈に活躍するほか近世軟文学の紹介も行った。柳田良一の名も用いた。
小平 萬榮(こだいら まんえい、小平 万栄、1905年6月2… 小平 萬榮(こだいら まんえい、小平 万栄、1905年6月28日 - 1997年9月9日)は、日本の教育者、野鳥研究家。日本野鳥の会理事を務めた。雅号は倉塩(そうえん)。 長野県茅野市出身。名古屋逓信講習所卒業。1926年小学校教員となり、1948年に諏訪探鳥会を設立する。日本野鳥の会諏訪支部を発足させた1954年には、塩嶺地区で野鳥を楽しむ「小鳥バス」を地元の岡谷市に提案して実現し、バスでは自ら解説をおこなった。 1975年に、「野鳥愛護の啓蒙を広めた功績」により、勲六等単光旭日章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
犬塚 又太郎(いぬづか またたろう、1905年5月1日 - … 犬塚 又太郎(いぬづか またたろう、1905年5月1日 - 1994年)は、日本の漢学研究家、(財)致道博物館初代館長理事・常任顧問。
東郷 豊治(とうごう とよはる、1905年4月28日 - 1… 東郷 豊治(とうごう とよはる、1905年4月28日 - 1969年3月17日)は、日本の心理学者、良寛研究家。 福井県敦賀市生まれ。1930年京都帝国大学文学部心理学科卒。1945年新潟県高田師範学校教授、1955年大阪外国語大学教授。 伝記『良寛』で1957年度読売文学賞受賞。堀口大學、鈴木虎雄と協力し良寛全集編さん・研究を行った。
龍村 謙(たつむら けん、1905年4月28日 - 1979… 龍村 謙(たつむら けん、1905年4月28日 - 1979年)は、日本の織物研究家。同じく織物研究家である龍村平藏の息子で二代目龍村平藏を襲名した。号は光翔。 1929年、東京帝国大学文学部美術史科を卒業する。梶井基次郎らの同人誌『青空』に参加した。 卒業年から翌年にかけ外遊した。帰国後織物製作、織物研究に専念する。ゴブラン織の研究のため渡仏した際、神戸港まで見送りに来た梶井は『榛名丸』の甲板上で、「行きたいなあ」と何度もつぶやき、「僕の代わりに見て来てくれ」と泣いたという[要出典]。 二代目龍村平蔵を襲名し、龍村織物美術研究所長となった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
瀬川 功(せがわ こう、1905年3月26日 - 1984年… 瀬川 功(せがわ こう、1905年3月26日 - 1984年11月2日)は、日本の小児科医師、陶磁器研究家、医学博士、医療法人瀬川小児病院第3代院長、社団法人日本陶磁協会 第4代理事長。常陸宮正仁親王と清宮貴子内親王の元主治医。旧姓:加瀬。
天野 秀延(あまの ひでのぶ、1905年 - 1982年)は… 天野 秀延(あまの ひでのぶ、1905年 - 1982年)は、日本の音楽研究家。 福島県相馬郡小高町(現・南相馬市小高区)出身。相馬中学校卒、関西学院大学文学部英文科卒。卒業後帰郷し農業に従事。1940年から1945年にかけて福浦村の村長を務め、恩師の豊田君仙子を助役に迎えた。イタリア音楽の研究家であり、1960年『現代イタリア音楽』で芸術選奨文部大臣賞受賞。小高町の町民歌や浜通り地方の学校の校歌を作曲しており、各地方の小中学校の音楽指導も行っていた。郡山女子短期大学教授。
正岡 容(まさおか いるる、1904年(明治37年)12月2… 正岡 容(まさおか いるる、1904年(明治37年)12月20日 - 1958年(昭和33年)12月7日)は、日本の作家、落語・寄席研究家。歌舞伎役者の6代目尾上菊五郎の座付作者ともいわれた。前名は平井 蓉(ひらい いるる)。芥川龍之介に褒められ、永井荷風を激怒させ、安藤鶴夫を妬み、稲垣足穂、金子光晴を友とした大衆芸能研究者。 詩人の平井功(1907〜32)は実弟。翻訳家の平井イサクはその子で、正岡にとっては甥にあたる。 東京市神田区生まれ[要出典]、医師平井成の長男。3歳の時、浅草花川戸に住む母方の大叔父・正岡藤蔵家にあずけられると乳母の手で育てられ、1910年(明治43年)12月27日、正岡家の養子に入る。
光吉 夏弥(みつよし なつや、1904年〈明治37年〉11月… 光吉 夏弥(みつよし なつや、1904年〈明治37年〉11月20日 - 1989年〈平成元年〉3月7日)は、日本の翻訳家、絵本研究家、舞踊評論家。本名・積男。 大阪府北区北野茶屋町で生まれる。1929年慶應義塾大学経済学部卒業。専門は児童文学・写真・舞踊。 1953年岩波書店で「岩波の子どもの本」絵本シリーズを石井桃子とともに創立する。ほか児童書の翻訳、バレエの入門書など多数がある。1990年『絵本図書館(世界の絵本作家たち)』で日本児童文学学会賞特別賞受賞。 岩波書店刊の絵本『ちびくろ・さんぼ』(1953年初版)の翻訳者として知られる。同絵本は、1988年に人種差別の指摘を受け、絶版となったが(いわゆるサンボ一斉絶版問題)、2005年に瑞雲舎からほぼそっくりそのままの形で復刊された。
平山 諦(ひらやま あきら、1904年8月13日 - 199… 平山 諦(ひらやま あきら、1904年8月13日 - 1998年6月22日)は、日本の数学者、和算史研究家。 千葉県成田生まれ。第二高等学校を経て、1930年東北帝国大学数学科卒業。1950年「和算に関する研究」で理学博士(理学)の学位を取得。林鶴一、藤原松三郎に師事。中学校教師をへて、1941年東北帝大講師。1968年退任。息子は天文学者の平山智啓(東京天文台)。
栗生 純夫 (くりう すみお、1904年(明治37年)4月2… 栗生 純夫 (くりう すみお、1904年(明治37年)4月20日 - 1961年(昭和36年)1月17日)は、日本の俳人、小林一茶研究家。本名は神林 新治(かんばやし しんじ)。須坂市名誉市民。 長野県上高井郡須坂町(現在の須坂市東横町)の農業・繭糸商の家に生まれる。小諸市出身の臼田亜浪に師事。実作者の立場から小林一茶を研究し、軍隊入営中に『一茶新考』を出版するなど、書物を数多く発表。1946年(昭和21年)、郷里の長野県須坂町で俳誌『科野』(しなの)を創刊し、『信濃毎日新聞』俳壇選者を長く担当するなど、信濃俳壇の中心となって活躍した。一茶研究により日本俳文学会会員に推挙される。1961年死去。
石堂 清倫(いしどう きよとも、1904年4月5日 - 20… 石堂 清倫(いしどう きよとも、1904年4月5日 - 2001年9月1日)は、日本の評論家、社会思想研究家、社会運動家である。 1904年、石川県石川郡松任町(現白山市)生まれ。第四高等学校で先輩である中野重治を知り、東京帝国大学在学中、新人会で共に活動する。1927年東京帝国大学文学部英文科卒業後、関東電気労働組合に勤務、東京府荏原郡馬込村で西田信春、大間知篤三、岩田義道、栗原佑との5人で共同生活。同年10月、日本共産党入党、11月無産者新聞の編集に携わる。1928年、「三・一五事件」に連座し逮捕。その後釈放と逮捕を繰り返し、執行猶予となって、1933年11月保釈。獄中でロシア語や中国語を独学、ペンネームでウラジーミル・レーニンなどの著作を翻訳。
更科 源蔵(さらしな げんぞう、1904年1月27日(戸籍上… 更科 源蔵(さらしな げんぞう、1904年1月27日(戸籍上は2月15日) - 1985年9月25日)は、日本の詩人、アイヌ文化研究家。 北海道川上郡弟子屈町にて、新潟県からの開拓農民の家に生まれる。役場までの道が雪で閉ざされていたため出生届の提出が遅れ、2月15日生まれとされた。東京の麻布獣医畜産学校を中退し、帰郷する。詩誌『リリー』『潮霧』などを刊行、高村光太郎、尾崎喜八らに私淑し、詩作を始める。1925年に「抒情詩」の尾崎喜八選に入選したのをきっかけに、真壁仁、伊藤整らと交流を始める。1927年、『港街』創刊。1930年開拓農民とアイヌの現実を描いた詩集『種薯』を刊行。1929年から31年にかけて地元で代用教員となるが解雇され、札幌市に移り様々な職を転々としながら詩作とアイヌ文化研究を進める。
深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、… 深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、日本のこけし研究家・版画家・童話作家。本字での表記は深澤要。 東京市下谷区池之端七軒町に生まれる。少年期は、医師である父に従って九州で育った。1917年、福岡県嘉穂中学校に入学するが病気のため退学。1921年、大阪泰西学館に入学するも病気のため退学。 1925年、大阪市立工業学校(現大阪市立都島工業高等学校、翌年、大阪市立都島工業学校と改称)に勤務。かたわら童話研究を志す。1929年、都島工業学校を退職。行人社書店を設立するが病気のため閉店。『古本屋の棚』『子供考』を出版。1933年、東京に移る。1934年、このころより、こけしの収集研究が始まり産地訪問が始まる。
今村嘉雄(いまむら よしお、1903年12月20日 - 19… 今村嘉雄(いまむら よしお、1903年12月20日 - 1997年11月19日)は、日本の体育史・剣術研究家。 高知県出身。号は雨嶽、抱川。1932年東京文理科大学教育学科卒、1961年「十九世紀における日本体育の研究」で東京教育大学文学博士。1942年東京高等師範学校教授、1949年東京教育大学教授、のち体育学部長、63年名誉教授。専修大学教授、日本体育指導者連盟理事長、日本武道学会会長、日本学校体育研究連合会会長などを務めた。この間、東京体育専門学校長を兼任。1974年勲三等旭日中綬章受勲。 柳生家の剣術についても研究した。
庄司 浅水(しょうじ せんすい、1903年11月10日 - … 庄司 浅水(しょうじ せんすい、1903年11月10日 - 1991年9月7日)は、日本の書誌学研究家、ノンフィクション作家。ミズノプリンティングミュージアム名誉館長。日本出版学会、日本ペンクラブ、グロリアクラブ、各会員である。 元京都外国語大学専任講師。書物研究の傍ら、世界の奇談を紹介した。 宮城県仙台市出身。本名は喜蔵。三田英学校(現在の錦城学園高等学校)卒業。1925年、南葵音楽文庫に勤務。 1929年に「ぐろりあそさえて」から実質的な処女作『書籍装釘の歴史と実際』を刊行。1930年に装釘同好会を結成。1931年に佐々木幸四郎、斎藤昌三らと雑誌「書物展望」を創刊。また、書誌出版を志してブックドム社を設立。
深田 久弥(深田 久彌、ふかだ / ふかた きゅうや、190… 深田 久弥(深田 久彌、ふかだ / ふかた きゅうや、1903年〈明治36年〉3月11日 - 1971年〈昭和46年〉3月21日)は、石川県大聖寺町(現・加賀市)生まれの小説家、随筆家および登山家、チベット・ヒマラヤ研究家である。 戦前は小説家、編集者として活躍し、戦後は主に山やスキーに関する随筆をもって著名がある。山をこよなく愛し、読売文学賞を受賞した著書『日本百名山』は特に良く知られている。俳号も山の入った九山であり(愛称である「久さん」のもじりで、荏草句会の永井龍男による命名)、自宅の書斎を兼ねた書庫には「九山山房」の名があり、山房の主とも称した。1971年(昭和46年)3月21日、登山中の茅ヶ岳山頂直下で脳卒中のため68歳で死去。
綿谷 雪(わたたに きよし、1903年〈明治36年〉1月17… 綿谷 雪(わたたに きよし、1903年〈明治36年〉1月17日 - 1983年〈昭和58年〉5月18日)は、日本の作家、時代考証家、日本武術(古武道)史研究家。 和歌山県和歌山市出身。牧師だった父に「キヨシ」と名付けられるも、生後間もなく死別。母の再婚に伴い、綿谷家に入る。旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)を経て、1930年に早稲田大学政治経済学部卒。在学中、教授の山口剛から推薦を受け真山青果に師事し、創作、歴史考証を学ぶ。 戸伏 太兵(とぶし たへい)の筆名で小説や戯曲も書き、『戯曲集 天ノ川辻』所収の「天ノ川辻」「十津川秋雨の譜」「遊撃四番隊」の3作が第11回直木賞の候補になっている。
原一郎(はら いちろう、1902年8月5日-1984年1月3… 原一郎(はら いちろう、1902年8月5日-1984年1月31日)は、日本の英文学者、神秘思想研究家。 東京出身。少年時代にキリスト教に関心をもち、ユニテリアン運動に関わる。1927年東京帝国大学文学部英文科卒。東亜同文書院、早稲田大学理工学部教授。1973年定年、名誉教授。ワーズワスが専門。ジョン・クーパー・ポウイスと親しく交わった。義兄(姉の夫)に遠山元一がいる。
淡川 康一(あわかわ こういち、1902年6月1日 - 19… 淡川 康一(あわかわ こういち、1902年6月1日 - 1976年12月3日)は、日本の経済学者・地理学者・禅画研究家、立命館大学名誉教授。 京都府生まれ。京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)で学び、1921年、20歳の時、名古屋高等商業学校に一期生として入学して、宮田喜代蔵 (1896-1977) の経済学などを学んだ。1924年、京都帝国大学経済学部独逸経済学科に入学。財部静治 (1881-1946) 教授の統計学に傾き、経済地理学へと向かう。1927年京都帝国大学経済学部卒。立命館大学教授、1967年定年退任、名誉教授、大阪学院大学教授。 禅画の研究、蒐集を行った。
南江治郎(なんえ じろう、1902年4月3日 - 1982年… 南江治郎(なんえ じろう、1902年4月3日 - 1982年5月26日、別名筆名、南江 二郎)は京都府亀岡市出身の、大正・昭和期の日本の詩人、人形劇研究家。1934年(昭和9年)NHKに入局、企画部長、編成局長、専務理事を歴任し、1953年(昭和28年)顧問となる。 元財団法人都民劇場理事。元CBC嘱託。元南海電鉄顧問。文部省芸術祭実行委員、文部省「芸術選奨」選衡委員、日本詩人クラブ常任理事、日本文芸家協会員。ITI国際演劇協会日本センター理事。 早稲田大学で坪内逍遙、小山内薫らに学び、中退。1921年(大正10年)に処女詩集「異端者の恋」を出版、1922年(大正13年)に詩誌「新詩潮」を主宰。
足立 勇(あだち いさむ、1901年〈明治34年〉11月2日… 足立 勇(あだち いさむ、1901年〈明治34年〉11月2日 - 1968年〈昭和43年〉1月11日)は、日本の食物史研究家。 大分県大分町(現大分市)出身、1929年早稲田大学文学部英文科卒。文筆や編集に従事。 1945年豊山中学校(現・日大豊山高校)教師。 (著作したものの権利は現在はなし)
山崎 清(やまざき きよし、1901年6月30日 - 198… 山崎 清(やまざき きよし、1901年6月30日 - 1985年2月22日)は、日本の歯科医、画家、顔の研究家。 埼玉県越谷市生まれ。春日部中学校を経て、1923年に日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)卒業。 1920年に風景画で二科展に入選。1924年から1930年にかけてフランスで歯科と絵画を学ぶ。 1937年に「日本人下顎骨の増齡殊に齒牙発生脱落に伴ふ形態変化の研究」で新潟医科大学より医学博士を授与される。 1931年日本歯科医学専門学校講師、助教授、教授、外科部長、1964年鶴見大学教授、1972年定年、名誉教授。
龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう、1901年4月27日 - 1… 龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう、1901年4月27日 - 1992年6月3日)は茨城県出身の作家、サボテン研究家。龍膽寺雄とも表記。 千葉県印旛郡佐倉町(現在の佐倉市)味噌部屋生まれ。茨城県真壁郡下妻町(現在の下妻市)育ち。本名は橋詰雄(はしづめ ゆう)。父橋詰孝一郎は長塚節の親友で、雄の出生当時は千葉県立佐倉中学校の国語教師だった。母の兄の連れ合いは松原姓で、その実兄にジャーナリストの松原二十三階堂がいる。 生後まもなく、父の転任に伴って下妻に移住。1918年、茨城県立下妻中学校卒業。第二高等学校 (旧制)を受験したが失敗し、その翌年、水戸高等学校 (旧制)受験の途次、急性の結核性頸部淋巴腺腫に倒れて受験を断念し、東京の順天堂医院に入院。
浦野理一(うらの りいち、1901年4月22日-1991年)… 浦野理一(うらの りいち、1901年4月22日-1991年)は、日本の染織研究家、染織プロデューサー。飛鳥時代から江戸末期までの染織物数万点を収集して研究し、作品づくりや著作に反映させた。そのコレクションは日本で唯一ともいわれた。雑誌『ミセス』誌上で長期にわたって連載を持ち、小津安二郎の映画では衣装を担当した。 1901年4月22日、群馬県高崎市にて、父・彦三郎、母・たきの長男として生まれる。美に敏感で、小学生の頃からきものに興味を持ちはじめた。東京・神田の錦城商業学校を卒業し、1918年(大正7年)、日本橋白木屋(元東急百貨店日本橋店)に入社し、呉服部に勤めた。染織研究のためのきものやボロきれ集めに熱中し、古着屋や骨董屋を巡って月給の大半を注ぎ込んだ。
川並 秀雄(かわなみ ひでお、1901年〈明治34年〉4月9… 川並 秀雄(かわなみ ひでお、1901年〈明治34年〉4月9日 - 1984年〈昭和59年〉1月24日)は、日本の文学研究家。愛知県出身、関西大学卒業。 関西大学大学院でアメリカ・イギリス文学研究を納めた後、1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)にかけてアメリカ合衆国のロチェスター大学、ケンブリッジ大学で比較文学研究を納めた。 1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)まで、アメリカの大学で客員教授として教壇に立った。帰国後は関西大学、大阪商業大学、関西学院大学の講師を歴任。日本国内外で日本文学、特に石川啄木の生涯と文学についての講義を行なった。一方で啄木や有島武郎の研究家としても知られ、資料の発掘に貢献、啄木研究の最長老ともいわれた。
野村 実(のむら みのる、1901年2月16日 - 1996… 野村 実(のむら みのる、1901年2月16日 - 1996年2月19日)は、日本の医師、シュヴァイツァー研究家。 東京生まれ。1925年九州帝国大学医学部卒。1934年東京で結核病院を開業。1951年白十字会村山サナトリウム院長。1954年アフリカにシュヴァイツァーを訪ね、翌年のノーベル賞受賞に随行した。1959年東京コロニー理事長。キリスト教海外医療協力会会長。1970年日本シュヴァイツァー友の会会長。1983年にキリスト教功労者を受賞。
吉田 暎二(よしだ てるじ、1901年〈明治34年〉2月5日… 吉田 暎二(よしだ てるじ、1901年〈明治34年〉2月5日 ‐ 1972年〈昭和47年〉9月30日)とは、大正から昭和にかけての浮世絵・歌舞伎の研究家。 東京本所区(現在の墨田区)の東両国で生まれる。父は東海銀行支店長の吉田源次郎。1907年(明治40年)相生尋常小学校に入学、1914年(大正3年)東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校・附属中学校)に入学。1919年(大正8年)早稲田大学露文科に入学したが、のちに関東大震災により中退する。1924年(大正13年)東京歌舞伎座に入社、雑誌『歌舞伎』、『歌舞伎研究』の編集を担当する。1927年(昭和2年)に歌舞伎座を退社、その後高見沢木版社、また北光書房に勤務することがあった。
山路 閑古(やまじ かんこ、1900年10月13日 - 19… 山路 閑古(やまじ かんこ、1900年10月13日 - 1977年4月10日)は、化学者、俳人、古川柳研究家。 静岡県鷹匠町(現・静岡市葵区)出身。本名は萩原時夫。1925年、東京帝国大学理学部化学科卒。川柳を阪井久良伎に、俳句を高浜虚子に、連句を根津芦丈に学び、古川柳を紹介した。1962年大磯鴫立庵十九世庵主。東京高等商船学校教授、共立女子大学教授(化学)、1971年定年。