三遊亭 生之助(さんゆうてい しょうのすけ、1935年8月2… 三遊亭 生之助(さんゆうてい しょうのすけ、1935年8月22日 - 2009年5月22日)は、落語家。東京都足立区出身。本名∶布施 吉英。落語協会所属。出囃子は『いやとび』。 元兄弟子春風亭一柳と同い年である(一柳は10月12日生まれ)。 蓮田中学校を卒業する。 1959年2月、六代目三遊亭圓生に入門。前座名は六生。前座名にちなみあだ名は「六ちゃん」で、晩年までこのあだ名で通った。 1962年5月 橘家三蔵と共に二ツ目に昇進。生之助に改名する。 1973年9月 林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥、金原亭桂太の十人で真打昇進。
春風亭 扇枝(しゅんぷうてい せんし、1934年〈昭和9年〉… 春風亭 扇枝(しゅんぷうてい せんし、1934年〈昭和9年〉8月26日 - 2002年〈平成14年〉7月13日)は、群馬県吾妻郡中之条町出身の落語家。生前は落語芸術協会所属。本名∶本多 五夫、出囃子∶『三下がり鞨鼓』。 1934年、群馬県吾妻郡中之条町五反田に生まれる。伊参中学校を卒業後、生家の農業を手伝う。 1952年6月 - 二十四代目昔々亭桃太郎に入門、「昔々亭桃吾」を名乗る。 1957年 - 二ツ目昇進、「笑亭桃朗」と改名。 1964年9月 - 六代目春風亭柳橋門下に移籍、「春風亭扇枝」に改名。 1972年4月 - 真打昇進。 2002年7月 - 死去。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
8代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9… 8代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9年〉4月3日 - 2015年〈平成27年〉10月7日)は、日本の落語家。本名:大山 武雄(おおやま たけお)。生前は落語協会所属。出囃子は『虎退治』。 前名の5代目 月の家圓鏡としても広く知られていた。 東京府東京市(現在の東京都江戸川区)平井に生まれる。生涯を通して平井に在住していたため、「平井の師匠」という通り名があった。 家業の紙芝居屋を経て、1952年12月14日、4代目月の家圓鏡(のちの7代目橘家圓蔵)に入門。橘家竹蔵との前座名を与えられる。 1955年3月に金原亭馬太郎とともに二ツ目に昇進し、橘家舛蔵と改名。1965年3月に真打に昇進し、5代目 月の家圓鏡を襲名。
4代目 桂 文紅(かつら ぶんこう、1932年4月19日 -… 4代目 桂 文紅(かつら ぶんこう、1932年4月19日 - 2005年3月9日)は、上方落語の落語家(上方噺家)。出囃子は『お兼晒し』。本名:奥村 須賀男、もしくは奥村 寿賀男。 大阪府立四条畷高等学校卒業。立命館大学に通いながら電線会社に勤務していた時に、組合の文化祭で落語を演じ、後に素人コンクールで2位となった。上方落語の世界初の大学卒業の噺家だった。 1955年(昭和30年)3月、4代目桂文團治に入門。桂文光を名乗る。 1959年2月、4代目桂文紅を襲名。1970年代前半に、3代目桂文我と二人会を催し、「文文コンビ」と称された。 上方落語においては、「上方落語四天王」(6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂米朝、3代目桂春団治)とその弟子たちの中間の世代であった。
三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭… 三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭和7年〉1月10日 - 2017年〈平成29年〉4月23日)は、日本の落語家、俳優、日蓮宗僧侶。本名は中澤 信夫であるが、出家後の資料では中澤 圓法(円法)としている場合がほとんどである。出囃子は「二ツ巴」。定紋は片喰。 生年については1932年説と1929年説があり、落語協会公式サイト では1932年1月10日となっている。これに対して1929年説は「空襲で役所が焼け、戸籍を再度届け出た際に家族が間違え、戸籍上3歳若くなったためである」としている。一般的には1929年説が通っているともされていたが、4代目圓歌によれば、3代目の通夜が終わった後、飲み屋で会った岩倉鉄道学校の卒業生が1931年生まれで圓歌のことを「1年後輩」と言ったこと、かつて手伝いに来ていた圓歌の母に1929年生まれが正しいのか聞いたところ「そんなに早く産んだ覚えはない」と言われたことに加え、1929年説は5代目春風亭柳朝との確執の末に出てきたものだという。
3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年… 3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年〉3月25日 - 2016年〈平成28年〉1月9日)は、上方落語の落語家。本名:河合 一。大阪府大阪市出身。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員で死去時点で相談役、1977年から1984年までは第3代会長を務めた。出囃子は『野崎』。2代目桂春団治は実父であり師匠。 2代目桂春団治は実父、河本寿栄は義母。実母とは死別している。兄が早世したため、長男の扱いであった。 浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商高等学校)では野球部で夜まで練習する生活を送った。卒業後、兵庫県宝塚市の自動車部品販売会社でサラリーマンとなる。本人にも父にも落語家の道に進む考えはなかった。
五代目 春風亭 柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう、1929… 五代目 春風亭 柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう、1929年10月29日 - 1991年2月7日)は、東京市芝区(現:東京都港区)新橋出身の落語家。本名:大野 和照。生前は落語協会所属。出囃子は『さつまさ』。 旧制正則中学在学中に、志願して海軍に衛生兵として入隊。 その後は職を転々とし、1950年3月、五代目蝶花楼馬楽(後の八代目林家正蔵、林家彦六)に入門し小照を名乗る。翌1951年に一旦は転職するも、翌1952年に再入門。林家正太を名乗る。翌1953年5月、二ツ目に昇進し、照蔵に改名。1962年5月、真打に昇進し、五代目春風亭柳朝を襲名する。 亭号が「春風亭」になったのは、師匠が「林家正蔵」の名跡を七代目正蔵の遺族である初代林家三平より一代限りの条件で借り受けていたことから、三平に配慮して自分の弟子が真打に昇進したときは他の亭号に変えさせていたためである。
三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)… 三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)3月19日 - 2022年(令和4年)8月27日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会顧問、日本演芸家連合5代目会長、日本芸能実演家団体協議会顧問。本名は松本 龍典。出囃子は『翁千歳三番叟』。前名の三遊亭金馬としては4代目。 柳家小袁治による「当代金馬は、自分の大師匠を知っている大ベテラン」との発言からも窺える通、令和期まで生きた唯一の戦中入門の落語家であった。 子供の頃は兵隊に憧れ予科練を夢見たが、柳家金語楼のSPレコードを聴いたことで落語に興味を持つようになる。家族や近所の人に落語を披露しては爆笑をとっていた。 1941年7月、小学校卒業の12歳のとき、寄席の支配人の伝手で3代目三遊亭金馬に入門。
5代目柳家 つばめ(やなぎや つばめ、1928年4月30日 … 5代目柳家 つばめ(やなぎや つばめ、1928年4月30日 - 1974年9月30日)は、落語家。本名∶木村 栄次郎。出囃子は『外記猿』。 宮城県石巻市の出身。大学卒の落語家第一号。國學院大學卒業後、神奈川県藤沢市の中学校の教師を経て1952年4月、5代目柳家小さんに入門して小伸を名乗る。 1954年3月に二ツ目昇進、5代目柳家小山三を襲名。1960年2月に夢月亭歌麿と改名する。 1963年3月、7代目立川談志とともに真打昇進、5代目 柳家つばめを襲名。 1974年に肝硬変により死去。享年46。 字心、絵心もあって楽屋の楽屋帳もビラ文字(寄席文字)で丁寧に書いていた。高座では似顔絵を描く演出も試み、漫画家清水崑にも入門し雑誌等に絵や文章が掲載されるほどの腕前であった。
二代目 古今亭 圓菊(ここんてい えんぎく、1928年4月2… 二代目 古今亭 圓菊(ここんてい えんぎく、1928年4月29日 - 2012年10月13日)は、静岡県出身の落語家。出囃子は『武蔵名物』。紋は『裏梅』。本名∶藤原 淑。長男は同じく落語家の三代目古今亭圓菊。 昭和を代表する落語家・五代目古今亭志ん生の弟子として、志ん生から多くのネタを継承。体をよじる、ボクシングのファイティングポーズのようなコミカルな仕草と、独特な「圓菊節」とも言われる口調で人気を集め、「寄席の爆笑王」の名を恣にした落語家である。また、手話落語を創案。刑務所篤志面接などのボランティア活動も続けていた。 静岡県志太郡伊久身村(現:島田市)に生まれる。生家はしいたけ農家。静岡県立島田商業高等学校を卒業し、一時三菱重工に就職。
二代目 柳家 さん助(やなぎや さんすけ、1926年8月6日… 二代目 柳家 さん助(やなぎや さんすけ、1926年8月6日 - 2011年9月9日)は、埼玉県大里郡寄居町出身の落語家。本名:松本 光春。落語協会所属。出囃子は『春藤』。 昭和50年代まで、頭に丁髷を結っていたことで知られている。二ツ目時代に探偵のアルバイトをしていたが、丁髷が目立って仕事にならなかったため、すぐに辞めている。 将棋は三段の腕前。テレビで米長邦雄と対局したこともある。 晩年はほとんど活動しなくなったが協会に籍を置き続け、まれに高座に上がってファンや同僚を喜ばせた。 真打昇進は兄弟子四代目柳家小せんと同時。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
3代目 桂 米朝(かつら べいちょう、1925年〈大正14年… 3代目 桂 米朝(かつら べいちょう、1925年〈大正14年〉11月6日 - 2015年〈平成27年〉3月19日)は、落語家。本名∶中川 清。出囃子∶『三下り鞨鼓』→『都囃子』。俳号は「八十八」。所属は米朝事務所。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興に大きく貢献した。その功績から、1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。位階は従三位。 旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身。1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。
三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 -… 三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 - 2005年10月28日)は、岐阜県岐阜市出身の落語家。生前は落語芸術協会に所属。本名∶渋谷 滉。出囃子は『筑摩祭』。 錦城商業学校卒業。映画カメラマンの成島東一郎は中学時代の同級生。 幼少時代に馬賊に憧れていたことから、1942年より単身中国北京へ移住。敗戦後帰国し、農林省開拓局に入局。 永井荷風を通じて正岡容を知り、その紹介で、1949年3月に五代目古今亭今輔に入門する。前座名は「今夫」。しかし、当の本人は新作落語、古典落語の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日柳家金語楼から渡された新作の台本を「八っつぁん」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線に転向する。
十代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1924年1月14日 - … 十代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1924年1月14日 - 2004年1月31日)は、東京都豊島区出身の落語家、南画家(雅号:籬風)。落語芸術協会会長(第4代)。落語江戸(東京)桂派宗家。血液型はO型、本名∶関口 達雄。父は同じく落語家初代柳家蝠丸。出囃子は『武蔵名物』。 早くから噺家志望であったが、軍需工場工員を経て1944年に召集令状を受ける。終戦後日本に帰国後の1946年6月、2代目桂小文治に師事し、父の名であった柳家小よしを名乗るが、後に師の亭号が桂だったために桂小よしに改名。1948年10月、2代目桂伸治に改名し二つ目昇進。1958年9月、春風亭柳昇、2代目桂小南、三笑亭夢楽、三遊亭小圓馬、4代目春風亭柳好とともに真打昇進。
七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921… 七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921年1月2日 - 1962年9月27日)は、落語家。本名∶染谷 晴三郎。出囃子は『喜撰』。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)、一時TBSの専属だった時期もある。俗に『染谷の小柳枝』。 軽く飄々とした芸風で「甲府い」「野ざらし」などを得意とした。大食漢であったが、それがもとで晩年は糖尿病と結核に悩まされたため、若くして没した。「医者から結核なので栄養をつけなきゃいけないってんですがね。そしたら糖尿がひどくなっちまうンで、あたしゃどうしたらいいんだ。」とこぼしていた。 性格は大変粗忽で物忘れ勘違いが多かったという。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
6代目 三升家 小勝(みますや こかつ、1908年8月3日 … 6代目 三升家 小勝(みますや こかつ、1908年8月3日 - 1971年12月29日)は、東京都出身の落語家。本名は吉田 邦重。生前は落語協会所属。出囃子は『井出の山吹』。 通称「右女助の小勝」「糀谷の師匠」。妻は日本舞踊の花柳一衛。 東京の本所太平町に生まれる。神田錦町の電機学校(現在の東京電機大学)卒業後、東京市水道局(現在の東京都水道局)に勤務。金町浄水場の技師を務める。 1931年3月、曲芸の春本助次郎を通じて8代目桂文楽に入門。一番弟子となる。文楽の「文」と中村の「中」から一字ずつ取って「桂文中」と名乗り、常磐亭で初高座。1932年、「桂文七」で二つ目に昇進する。1936年5月にキングレコード専属となり、最初の吹き込みレコードを発売。
8代目 雷門 助六(かみなりもん すけろく、1907年4月2… 8代目 雷門 助六(かみなりもん すけろく、1907年4月22日 - 1991年10月11日)は、東京府東京市本郷区壱岐殿坂出身の落語家、喜劇役者。本名∶岩田 喜多二。旧姓は青木。出囃子は『助六ばやし』。愛称は「六さん」。 父は6代目雷門助六。5歳だった1912年から父の門下で小助六の名で人形町末広で初舞台、以降小噺やかっぽれで舞台に立った。 1917年には5代目柳亭左楽の門人となり、小学校の頃は一時中断していた時期もあったが1921年10月には16歳の若さながら睦の五郎の名で真打に昇進。この時睦ノ太郎、睦の三郎とで若手三羽烏として売り出される。 1928年には父の6代目助六が睦会を脱退し独立した際、自身は睦の五郎を返上し雷門五郎に改名する。
3代目 桂 三木助(かつら みきすけ、1902年3月28日〈… 3代目 桂 三木助(かつら みきすけ、1902年3月28日〈戸籍上は1903年2月17日〉- 1961年1月16日)は、日本の落語家。本名:小林 七郎。出囃子:「つくま」。日本芸術協会所属だったが最晩年に脱退し、フリーを経て落語協会に移籍。 当時さほど注目されていなかった落語『芝浜』を独自に練り上げ得意にした。それ以降『芝浜』は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになった。現在でも3代目桂三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」。他にも通称は「田端の三木助」、「隼の七」。 実家は床屋。後日、養子であることを知るが両親には最後まで聞かなかったと告白している。
初代雷門福助(かみなりもん ふくすけ、1901年(明治34年… 初代雷門福助(かみなりもん ふくすけ、1901年(明治34年)10月20日 - 1986年(昭和61年)6月11日)は、落語家。本名は川井初太郎。通称「落語界のシーラカンス」。 東京の深川の芝居道具師の家に生まれた。生年月日は口伝えでは2月3日の初午の日で、それゆえに初太郎と名付けられた。 奉公に出た後は陸軍省大臣・田中義一の運転手の助手をしたり、徳川夢声の元で活動弁士の下働きなどをしていた。 1922年(22歳)頃から幇間をしていた友人の薦めで六代目雷門助六に入門して福助を名乗る。二つ目のときに師匠が名古屋に「助六興行部」を設立したので同行した。関東大震災が起こった際は東京に戻らずそのまま名古屋に住み着いた。
5代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、1898年〈明治… 5代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、1898年〈明治31年〉6月12日 - 1976年〈昭和51年〉12月10日)は、群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名:鈴木 梧郎(旧姓:斎藤、旧名:五郎)。日本芸術協会会長を務めた。出囃子は『野毛山』。実子は曲芸師の鏡味健二郎。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。 群馬県佐波郡境町の銘仙織元「藤本屋」の斎藤松右太・かんの三男として生まれる。第5子であったことから五郎と名付けられる。母は1904年(明治37年)に死去。自身は太田中学校、陸軍士官学校と進学し、軍人になることを望んでいたが、父が米相場に手を出して失敗したことにより、進学の道は諦めることとなった。
3代目 三遊亭 金馬(さんゆうてい きんば、1894年10月… 3代目 三遊亭 金馬(さんゆうてい きんば、1894年10月25日 - 1964年11月8日)は、日本の落語家。大正・昭和時代の落語家。本名∶加藤 専太郎。出囃子は「本調子カッコ」。当初は落語協会に所属、のちに東宝名人会に所属したが、実質的にフリーであった。 東京府東京市本所(現・東京都墨田区本所)生まれ。初代三遊亭圓歌の門下だが、名人と呼ばれた初代柳家小せんや、橋本川柳にも多くを学んだ。読書家で博学。持ちネタの幅が広く、発音や人物の描き別けが明瞭で、だれにでもわかりやすい落語に定評がある。 1894年10月25日、東京府東京市本所に生まれる。家業は洋傘屋。 小学校卒業後、本所林町の実家を出て本所相生町で経師屋をしていた伯父の元で奉公修行。
8代目 桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)… 8代目 桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、東京の落語家。本名∶並河 益義。位階は従五位勲四等、勲章は瑞宝章および旭日小綬章(死没時追贈)。 自宅住所から、「黒門町」「黒門町の師匠」「黒門町の文楽」などと呼ばれた。演じた演目の種類は多くはなかったが徹底的に練りこまれているとの定評がある。 落語における戦後の名人のひとりといわれ、2歳年上の5代目古今亭志ん生と併び称された。志ん生の八方破れな芸風とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、寸分もゆるがせにしない完璧主義により、当時の贔屓を二分する人気を博した。 母は並河いく。並河家は武家で、常陸宍戸藩主松平家の家来筋。
9代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1892年9月7日 - 1… 9代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1892年9月7日 - 1978年3月8日)は、落語家。本名∶高安 留吉。生前は落語協会所属。定紋∶結三柏。出囃子∶『野崎』。通称「留さん(文治)」。 東京日本橋小伝馬町の生まれ、実家は魚屋。十思小学校を卒業。1904年、錦城中学校入学も1年ほどで退学し、蕎麦屋などの奉公に出るもそこも転々、父の魚屋を手伝いながら天狗連に出るようになる。 1915年に橘家圓三(「品川の馬鹿銀」)の紹介で一門の総帥の4代目橘家圓蔵に入門し、橘家咲蔵を名乗る。1918年12月、7代目翁家さん馬門下に移って翁家さん好と改名する。後に初代立花家橘之助の一座に加わり巡業に出るが、御難にあい東京に帰れなくなり、1921年大阪に流れつき2代目桂三木助門人となり桂三木弥となる。
二代目 三遊亭 円歌(さんゆうてい えんか、1890年〈明治… 二代目 三遊亭 円歌(さんゆうてい えんか、1890年〈明治23年〉4月28日 - 1964年〈昭和39年〉8月25日)は、日本の落語家。本名∶田中 利助。出囃子は『踊り地』。新潟県新潟市出身。 新潟県立新潟中学校卒業。当時の落語家には珍しく旧制中学校卒業の高学歴で、家は洋館三階建ての裕福な両替屋であったが、祖母が米相場で失敗して破産し、神奈川県横浜市で貿易商館員として働くも、女性問題を起こしたことがきっかけで北海道札幌市に移り、京染屋を始める。花柳界相手の商売を通じて、元噺家の松廼家右喬と出会ったことで、落語に興味を抱き、素人演芸の集団に加わる。 北海道に移り住んだ後は旅回りの一座に入り、勝手に「東京落語の重鎮・三遊亭柳喬」と名乗っていたが、小樽市で巡業中の二代目三遊亭小圓朝に見つかり、それがきっかけとなり落語家の道に入る。
5代目 三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1884年1… 5代目 三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1884年10月1日 - 1940年1月23日)は、東京の落語家。本名∶村田 源治。弟は5代目三遊亭圓窓。また一時兵役逃れで三遊亭桃生の養子になっていた。 下総国八街(現・千葉県八街市)の宿屋「梅屋」の家に生まれ、父は入婿で東京市の芝愛宕下で大工をしていた。6歳で実父は出奔、親戚に預けられ14歳で日本橋蛎殻町の足袋店に奉公するなど、波瀾に満ちた少年時代を送る。 1902年、19歳で奉公先を飛び出す。剣舞の日比野雷風一座(日比野雷風正吉)に1、2年程加わったり、旅回りの一座に加わるなどの苦労を重ねる、1905年に旅回りの一座で知り合った4代目橘家圓蔵一門に入り、橘家二三蔵となる。
三代目 柳家つばめ(やなぎや つばめ、1884年〈明治17年… 三代目 柳家つばめ(やなぎや つばめ、1884年〈明治17年〉9月17日 - 1942年〈昭和17年〉2月15日)は落語家。本名∶宮尾 正造。息子は漫談家の宮尾たか志(宮尾すすむの師匠)。 生まれは群馬県伊勢崎の機織業「宮商」の若旦那。 30歳の時に一念発起で上京し、1913年1月に三代目柳家小さんに入門、前座名「小三太」。同年に人形町末広亭で初高座。さん三から1916年ころに歌太郎を名乗り旅回りに行く。1918年に「睦会」発足と共に帰京し五代目柳亭左楽門下に移籍。同年11月に東橋亭で柳家さくらで真打昇進披露を行った。 1928年7月に研成会で三代目柳家つばめ襲名。1940年に中風にかかり、2年後死去。
6代目雷門 助六(かみなりもん すけろく、1882年9月9日… 6代目雷門 助六(かみなりもん すけろく、1882年9月9日 - 1934年5月6日)は、東京出身の落語家。本名は青木 鏡太郎。8代目助六は弟子で実子。 東京本郷に生まれる。生家は水戸徳川家直属の請負師だった。一時、静岡県沼津に住む。 尋常小学校を出てすぐ11歳で伯父の草履屋に奉公に出ていたがまともに勤まらなかった。15歳の1897年ごろに母の弟であった4代目柳亭左楽(オットセイの左楽)の門下に入って左太郎となる。約5年ほど前座修行を経て1902年に二つ目で左市に改名する。 1904年、5代目助六(後の3代目志ん生)門下に移って3代目都家歌六の名で真打に昇進する。その後日露戦争に従軍したが復員。
三代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、明治2年6月27… 三代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、明治2年6月27日(1869年8月4日) - 大正13年(1924年)8月18日)は、落語家。本名:村田 政次郎。 浅草代地に住んでいたことから俗に「代地の今輔」やせっかちなエピソードが多いことから「せっかちの今輔」。 東京深川の生まれ、子供の時の1883年~1884年ころに二代目古今亭志ん生の門に入り志ん丸を名乗った。志ん丸は二代目今輔の前座名で待望されていたことが分かる。1889年3月に志ん猫と改名。 師匠志ん生死去に伴い4月に四代目三升亭小勝の門で三升亭小つね、さらに1896年1月に柳家小文吾となり1897年に柳派の出世名である三代目柳家小三治襲名。
四代目 橘家 圓喬(たちばなや えんきょう、1865年11月… 四代目 橘家 圓喬(たちばなや えんきょう、1865年11月9日(慶応元年9月21日) - 1912年(大正元年)11月22日)は、落語家。本名:柴田 清五郎。 1865年11月9日(慶応元年9月21日)、本所柳原(現在の東京都墨田区江東橋近辺)の生まれ、父は江戸幕府の御家人。元の名字は桑原で、養子になり柴田になったと思われる。近所に義理の姉婿であった四代目橘家圓太郎が住んでおり、叔父が三遊亭圓朝の贔屓客だった関係で幼いころから寄席の楽屋に出入りするようになった。 1872年に7歳で三遊亭圓朝門下に入門し三遊亭朝太を名乗る。1878年に二ツ目昇進し、二代目三遊亭圓好に改名。このころから四代目三遊亭圓橘の助言で素噺に転向するが、周囲の評判が悪く廃業。
三遊亭 圓鶴(さんゆうてい えんかく、1850年 - 190… 三遊亭 圓鶴(さんゆうてい えんかく、1850年 - 1901年9月21日)は、武州所沢(現:埼玉県所沢市)出身の落語家。本名は倉片順六。兄は同じ落語家の三遊一朝。 明治初期に兄と同じ三遊亭圓朝の下に入門して、兄が名乗った三遊亭勢朝を名乗り、1877年ころに圓鶴と改名する。 1901年9月21日盲腸で死去。享年51。亡くなる直前『噺家は自分一代で沢山、子孫は落語家になってはいけない』と遺言と『亡き父の月と変らぬ死出の旅』と言う辞世の句を残した。 なお、一朝は圓鶴よりも長寿であり、圓鶴が死去してから29年後の1930年に亡くなった。一朝は圓朝一門でも最も長寿であった。 長男助次郎は父の遺言に背向き4代目橘家圓蔵門下で落語家になり、鶴蔵を名乗ったが、前座で廃業した。
桂 文左衛門(かつら ぶんざえもん、 1844年 - 191… 桂 文左衛門(かつら ぶんざえもん、 1844年 - 1916年5月16日)は、紀州粉河(現在の和歌山県紀の川市)生まれの上方噺家。本名: 渡辺 儀助。享年72。 最初初代桂萬光門下で初代桂南光を名乗る。明治2年に立川三光(3代目立川三光)門下で初代立川三木助の後、明治5年9月に初代桂文枝門下で初代桂文三、1881年12月に2代目桂文枝を経て、1904年に桂文左衛門を名乗る。同門の2代目桂文都(後の2代目月亭文都)、初代桂文之助、初代桂文團治と共に、当時の「四天王」と呼ばれる。 1874年4月3日、師匠の初代文枝が亡くなると、一門の桂文都との間で2代目襲名問題が起こり、勝利した文三が2代目文枝を名乗り、「桂派」の総領に就任。
立川 だん子(たてかわ だんこ、8月15日 - )は、落語立… 立川 だん子(たてかわ だんこ、8月15日 - )は、落語立川流に所属する落語家。立川談四楼門下の二ツ目。談四楼の三番弟子。本名は大塚 美保。東京都文京区出身。出囃子は『ぎっちょんちょん』。 大妻女子大学卒業。弟子入り前は20年以上会社勤めをしていた。介護していた大叔母の認知症が落語を聴くうちに改善したことで、落語の持つ力に驚き、寄席に通い詰めるようになった。寄席に通うなかで「自分の人生これでいいのか」という思いが強くなり、また2011年の東日本大震災と立川談四楼の『師匠!』を読んだことがきっかけとなり、入門を決意。 仕事を辞め、断られたら落語家の道を諦める覚悟で、2013年1月に立川談四楼に弟子入りを願い出るも、すぐに許しは出ず、2014年4月にようやく入門を許された。
古今亭 志ん彌 は、落語協会所属の落語家。東京都荒川区日暮里… 古今亭 志ん彌 は、落語協会所属の落語家。東京都荒川区日暮里出身。本名∶成島 寛。出囃子は『元禄花見踊り』、紋は『裏梅』。
柳家 喬之助(やなぎや きょうのすけ)は、落語家の名。
三笑亭 可風 は、静岡県磐田市出身の落語家。本名∶安江 正。… 三笑亭 可風 は、静岡県磐田市出身の落語家。本名∶安江 正。落語芸術協会の真打。
三遊亭 栄馬(さんゆうてい えいば)は、落語家。
6代目 三遊亭 圓楽 は、日本の落語家、俳優。
三遊亭 遊之介(さんゆうてい ゆうのすけ)は、埼玉県三郷市出… 三遊亭 遊之介(さんゆうてい ゆうのすけ)は、埼玉県三郷市出身の落語家である。本名∶鈴木 光浩。出囃子は『越後獅子』。
桂 右團治(かつら うだんじ、10月24日生まれ)は、日本の… 桂 右團治(かつら うだんじ、10月24日生まれ)は、日本の落語家。公益社団法人落語芸術協会理事、同協会初の女性真打。血液型はA型。出囃子は「元禄花見踊り前弾き」。 兵庫県神戸市出身。東京都在住。早稲田大学法学部卒業。 神戸市立歌敷山中学校、兵庫県立星陵高等学校卒業。 早稲田大学在学時、司法試験の勉強中に気分転換のためにラジオで聴いたのをきっかけに落語に興味を持つようになり、在学中の1986年11月に10代目桂文治に弟子入りし、小文(こふみ)となる。入門時、覚悟を示すため髪を五分刈りにしたという。翌1987年2月に前座となり、1991年2月に二つ目に昇進。2000年5月に落語芸術協会初の女性真打となり、芸名を右團治に改める。
参遊亭 英遊(さんゆうてい えいゆう、本名:石倉 英樹(いし… 参遊亭 英遊(さんゆうてい えいゆう、本名:石倉 英樹(いしくら ひでき)、9月9日 - )は、埼玉県さいたま市出身の相続を専門とする税理士、公認会計士であり、社会人落語家。専修大学経営学部出身。相続を専門とした石倉公認会計士事務所を主宰している。講演や取材などにおけるマネジメント窓口はYeahGo!(ヤゴー)が担当。 創作落語を演じており、相続専門の税理士であることを生かした落語で相続、落語で防犯、落語で振り込め詐欺対策などの落語などを演じる。 2014年に会計事務所を立ち上げた事をきっかけに、もともとファンだった漫談家の綾小路きみまろに憧れ、話を演じることを学びたいと三代目三遊亭遊三主催の落語教室にて落語を習い始めた。
月亭 天使(つきてい てんし、8月26日 - )は、日本の落… 月亭 天使(つきてい てんし、8月26日 - )は、日本の落語家。血液型はB型。本名は福田 和栄。上方落語協会会員。 大阪府豊中市出身。大阪府立渋谷高等学校、龍谷大学文学部哲学科を卒業後、京都の出版社に勤務した。退社後、派遣会社で働きながら大阪シナリオ学校で漫才・落語の台本を学んだ後、2008年から天満天神繁昌亭にてアルバイト。その傍ら、新作落語の会「もぎた亭」に参加したり、ピッコロ演劇学校で演劇を学んだ。 一方で、台本を書くことにより「女性の気持ちを書きたい。ならば、自分がやった方が早い」と思うようになり、落語家への転身を決め、2010年2月16日に月亭八天(現:7代目月亭文都)に弟子入り。「天使」の名は師匠の当時の名・八天の字を取ったもので、師匠によって名づけられた。
六華亭 遊花(ろっかてい ゆうか、4月18日 - )は、日本… 六華亭 遊花(ろっかてい ゆうか、4月18日 - )は、日本の落語家、アナウンサー、女優。旧芸名:かわのめえりこ、川野目亭南天。落語芸術協会仙台事務所所属。 岩手県遠野市出身。岩手県立花巻南高校、宮城学院女子大学日文学科卒業。 大学在学時にNHK仙台放送局の専属パーソナリティーとして活動を開始し、地域情報番組を中心にアシスタント、レポーターとして活動。 近年は舞台女優としての活動にも力を入れており、「かわのめえりこ実験劇場」などの小劇場公演や「23世紀☆仙台☆恋愛のススメ」「ラン・フォーユア・ワイフ」「リタの教育」での主演を務めている。 話し方教室の講師を経て1997年12月、東方落語に入門、落語家「川野目亭南天」としても東北を中心に活動。
林家 時蔵(はやしや ときぞう)は、落語家の名。代数をつけて… 林家 時蔵(はやしや ときぞう)は、落語家の名。代数をつけて呼ぶことはない。 林家 時蔵(1948年3月2日 - )は、日本の落語家。落語協会所属。本名:中川 義隆。出囃子は『外記猿』。千葉県千葉市出身。 両国小学校、両国中学校、東洋高等学校、1972年3月に東洋大学文学部国文学科卒業。 1973年2月、八代目林家正蔵に入門。4月より前座になる、前座名は本名より「林家よし蔵」。 1977年3月、橘家六蔵、桂文太、入船亭扇好と共に二ツ目に昇進、「時蔵」に改名。1982年3月に師匠彦六が死去したことより、一門の総領弟子であった五代目春風亭柳朝門下に移籍するが12月に師匠柳朝が脳梗塞に倒れたため、兄弟子の初代林家木久蔵一門に再度移籍。
橘家 二三蔵(たちばなや ふみぞう)は、落語家の名。代数をつ… 橘家 二三蔵(たちばなや ふみぞう)は、落語家の名。代数をつけて呼ぶことはない。 橘家 二三蔵(1945年6月20日 - 2023年3月30日)は、東京都出身の落語家、俳優。落語協会に所属していた。本名∶寺田 多三男。出囃子は『半染め』。 秋田県横手市で生まれ、東京都文京区で育つ。実家は東京でクリーニング店を営んでいた。國學院高等学校では落語研究会に所属。プロになった後に、落研後輩のさだまさしに落語の指導をしている。 1964年3月、高校卒業後八代目桂文楽に入門。前座名「桂小多み」。 1968年3月、柳家小丸、柳家とんぼと共に二ツ目昇進し楽之助に改名。1971年12月12日に師匠文楽が死去したため、1973年1月に兄弟子桂小益、桂文平と共に兄弟子七代目橘家圓蔵門下に移籍、橘家二三蔵に改名。
三笑亭 笑三(さんしょうてい しょうざ)は、落語家の名。 三… 三笑亭 笑三(さんしょうてい しょうざ)は、落語家の名。 三笑亭 笑三(さんしょうてい しょうざ、本名:斧田 道男、1925年〈大正14年〉10月28日 - 2018年〈平成30年〉10月24日)は、東京都新宿区早稲田出身の落語家。 所属は日本芸術協会より落語協会へと移籍した後、1958年2月以降は再び日本芸術協会(現:落語芸術協会)に在籍し、同協会相談役。出囃子は『並木駒形』。 旧制早稲田第二高等学院在学中に学徒出陣にて出兵する。 終戦後、新作落語で一世を風靡した二代目三遊亭円歌に憧れて落語家になろうと決意する。しかし、仲介してくれた人物(人形町の芸者置屋)が紹介してくれたのは日本芸術協会所属の八代目三笑亭可楽だったので、そのまま可楽に入門した(1946年4月)。
柳家 さん生(やなぎや さんしょう)は、落語家の名。過去に亭… 柳家 さん生(やなぎや さんしょう)は、落語家の名。過去に亭号が異なるが7人ほどが「さん生」を名乗っている。 柳家 さん生(やなぎや さんしょう、1957年3月7日 - )は、落語家。富山県富山市出身。本名∶杉江 正嗣。落語協会所属。出囃子は『多摩川「晒しの合方」』。紋は『剣片喰』。 1957年、富山県富山市西町の歯医者の家に生まれる。1975年、富山県立富山東高等学校を卒業する。 1977年、日本大学藝術学部を中退し、10月に5代目柳家小さん門下の3代目柳家小満んに入門する。前座名は小勇。 1982年に柳家はん治、川流亭かっぱとともに二ツ目に昇進。 1993年、真打に昇進し、さん生に改名する。
林家 正雀(はやしや しょうじゃく)は落語家の名である。 林… 林家 正雀(はやしや しょうじゃく)は落語家の名である。 林家 正雀(1951年12月25日 - )は、山梨県大月市出身の落語家である。落語協会所属。本名∶井上 茂。出囃子は『都風流』。 林家彦六最後の弟子であり、師匠・彦六の怪談噺、芝居噺の継承者としても知られている。 山梨県立都留高等学校時代に、進学するか、落語家に入門するかで悩み、六代目三遊亭圓生宅を訪ねて弟子入り志願するも、断られたため日本大学文理学部国文学科に進学を落研(日本大学文理学部落語研究会)入りした。 1974年2月、八代目林家正蔵に入門。入門時の正蔵の年齢は78歳だった。前座名は「茂蔵」、後に「繁蔵」に改名。 1978年9月、柳家〆治、古今亭菊弥、立川談之助と共に二ツ目昇進。
立川 小談志(たてかわ こだんし)は落語の名。当代は二代目。… 立川 小談志(たてかわ こだんし)は落語の名。当代は二代目。 二代目 立川 小談志(1976年9月8日 - )は、岐阜県揖斐郡生まれの落語家。本名∶寺田 政春。 1999年3月、愛知大学経済学部卒業。在学中は落語研究会に所属し、同期に柳家権太楼門下の柳家燕弥がいた。 1999年5月、落語立川流Aコースに入門し、立川 談吉と命名される。2002年5月21日、第三次前座全員破門騒動により立川流を破門となるが、その翌月、破門騒動により前座が一人しかいないという事態に対し立川談志の判断により、立川流一門共有前座という形で復帰。「談一」と改名する。同年7月には「千弗」に改名する。 2007年7月、立川キウイ、立川談大、立川平林、立川吉幸、立川談奈、立川らく里、立川志らべ、立川らく次と共に二ツ目昇進し「泉水亭 錦魚」に改名する。
春風亭 昇太 は、落語芸術協会に所属している落語家、タレント… 春風亭 昇太 は、落語芸術協会に所属している落語家、タレント、俳優。2019年より落語芸術協会会長。現・『笑点』司会者。出囃子は「デイビー・クロケット 」。定紋は「五瓜に唐花」または「クラゲ」「赤鳥紋」。血液型O型。妻は元宝塚歌劇団雪組娘役の宝珠小夏。静岡県静岡市清水区(旧・清水市)出身。
桂 しん華(かつら しんか)は、落語芸術協会に所属する落語家… 桂 しん華(かつら しんか)は、落語芸術協会に所属する落語家。本名∶谷口 日麻。出囃子は「お伊勢参り」。 長野県長野市に生まれ、三重県四日市市で育つ。三重県立四日市南高等学校を卒業、玉川大学文学部芸術学科を中退し演劇活動をしていた。 2008年3月に三遊亭歌る多に入門、10月21日に前座として楽屋入り。前座名は「多ぼう」。 2013年6月11日に林家まめ平、林家扇と共に二ツ目昇進し、「歌も女」を名乗るが、12月1日に「日るね」と改名する。 2017年1月に落語協会を退会し、同年7月に三代目桂伸治に入門する。前座名「しん乃」で8月に楽屋入り。初高座は、浅草演芸ホールの看板猫「ジロリ」の取材で「猫の名前」(ジロリに向かって。