吉井 功治(よしい こうじ、1970年9月24日 - )は、… 吉井 功治(よしい こうじ、1970年9月24日 - )は、東京都出身の自転車競技選手、同指導者。 東京都立駒場高等学校を経て、2浪の末、明治大学(以下、明大)商学部に入学。入学後、明大のラグビー部への入部を試みるも断られてしまう。その後、マウンテンバイクを購入する目的で自転車ショップを訪れたところ、ロードバイクが目にとまり、それを購入したことがきっかけとなり、自転車競技への道へと歩むことになった。 大学3年時に明大の自転車競技部に入部。その後、当時は受験資格の年齢上限が24歳未満という制約があったことから、最初で最後の受験機会となった日本競輪学校入学試験に失敗したため、自ら自転車チームを結成して活動することになった。
橋川 健(はしかわ けん、1970年5月8日 - )は、千葉… 橋川 健(はしかわ けん、1970年5月8日 - )は、千葉県流山市出身の自転車プロロードレース選手・指導者である。1990年代に欧州で活躍。現在はチームNIPPO-デローザのコーチを務める傍ら、チームユーラシアの監督としてベルギーを中心に活動している 中学生時に自転車の機材としての興味を持ち、高校生時からロードレースを始める。早くから日本トップクラスのレースに出場し活躍する。1990年に全日本アマチュア選手権で2位になり、世界選手権の出場資格を得るがこれを断って欧州へ渡る。ベルギーを拠点としてクラブチームに所属しレース活動を行う。1991年にプロチームのモトローラと契約するが、あくまでスポット契約だったため、まだ主な出場レースはアマチュアレースだった。
安藤 康洋(あんどう やすひろ、1969年12月13日 - … 安藤 康洋(あんどう やすひろ、1969年12月13日 - )は、宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身の自転車ロードレース選手。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)にある自転車競技の名門・古川商業高校で活躍後、チームミヤタに加入。 1990年ツール・ド・北海道で個人総合山岳賞を獲得。欧州も転戦し、1991年の西ドイツ・シュトゥットガルトで男子シニア日本記録となる4km4分36秒570を叩き出す。 1992年にバルセロナオリンピック4000mチームパシュートに出場。15位。 1992年からスイスに渡欧し4シーズン地元チームに所属する。 その後引退しダイワ精工に入社、一度現役を引退するが、2004年、新設チームのユーキャン・スペシャライズドで働きながら現役復帰し、2年の選手活動を行う。
小嶋 敬二(こじま けいじ、1969年11月9日 - )は、… 小嶋 敬二(こじま けいじ、1969年11月9日 - )は、石川県金沢市出身の競輪選手、自転車競技選手である。日本競輪学校第74期卒業。日本競輪選手会富山支部所属で、登録地は石川県。師匠は横長勇(42期)。初出走は1994年8月5日の花月園競輪場で初勝利は同開催の8月6日。血液型はA型。練習地は内灘自転車競技場。 金沢高等学校在学時から自転車競技で数々の成績を収め、卒業後はソウルオリンピック出場を目指して日本大学文理学部社会学科に進学したが在学中の出場はかなわず、卒業後もアマチュアとして活躍を続けた。 1992年のバルセロナオリンピックでは1000mタイムトライアルは順当だったが、当時スプリントで無敵を誇った齋藤登志信の予選落車によってスプリント代表も手にし2種目出場を果たした。
竹谷 賢二(たけや けんじ、1969年11月7日 - )は、… 竹谷 賢二(たけや けんじ、1969年11月7日 - )は、東京都出身の自転車競技(MTB・クロスカントリー)選手。埼玉県立草加南高等学校出身。 サラリーマンライダーとしてMTBクロスカントリーレースに参戦。1999年、チーム・スペシャライズドに加入。2000年に全日本選手権初優勝。31歳でプロライダーに転向後、2003年、2006年、2007年と全日本選手権を制し、計4度の全日本チャンピオンに輝く。2004年、日本代表としてアテネオリンピックに出場。2009年の全日本選手権を最後にMTBプロライダーを引退後は、スペシャライズド契約アドバイザーとして活動している。2012年より本格的にトライアスロンに参戦。
住田 修(すみだ おさむ、1969年10月14日 - )は、… 住田 修(すみだ おさむ、1969年10月14日 - )は、香川県出身の自転車ロードレース選手である。182cm、65kg。 香川県立三本松高等学校在学中に自転車競技を始め、立命館大学卒業後、シマノに入社。1996年アトランタオリンピック日本代表に選ばれる。個人ロードレースに出場し、結果は棄権。 その後はCCDキナン・バイクシステム、NEX-COLNAGOなど移籍を繰り返しつつ国内で活躍。 2006年、同じくアトランタ五輪代表だった安原昌弘が設立したマトリックスへ移籍。 2007年退団。自転車雑誌「ファンライド」に連載記事を持っていた。
阿部 良之(あべ よしゆき、1969年8月15日 - )は、… 阿部 良之(あべ よしゆき、1969年8月15日 - )は、大阪府出身の自転車プロロードレース選手、血液型A型。愛称は「あべちゃん」。ベロチスタ-アベル所属。174 cm、65 kg。 大阪府立市岡高等学校時代はバスケットボール部に所属し、トレーニングの一環で自転車競技を始める。大阪のクラブチームシクルアミやT&Hスギノから実業団レースに参戦を始める。大阪工業大学卒業後にシマノからプロデビュー。 1997年には当時最強チームと謳われたマペイGBに移籍し、イタリアを拠点にポーランド一周ステージ優勝や、国内では全日本選手権とジャパンカップで優勝を決める(2020年現在、ジャパンカップ唯一の日本選手優勝者)。
宮本 文晴(みやもと ふみはる、1969年3月31日 - )… 宮本 文晴(みやもと ふみはる、1969年3月31日 - )は、和歌山県出身の元自転車競技選手。 和歌山県立和歌山北高等学校在籍時代、1986年の全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・個人追抜で優勝。 日本大学在籍時代、1988年のソウルオリンピック・団体追抜に出場し15位。 1991年、日本鋪道(チームNIPPO)に加入。 現在、日本学生自転車競技連盟の理事を務めている。
三船 雅彦(みふね まさひこ、1969年1月8日 - )は、… 三船 雅彦(みふね まさひこ、1969年1月8日 - )は、京都府城陽市出身の自転車プロロードレース選手。過去に欧州で活躍し、ロンド・ファン・フラーンデレンなどに日本人として初めて出場した。現在は株式会社マッサエンタープライズ代表。 中学生時に自転車ロードレースに興味を持ち、自転車部のある花園高校に進学。本格的に競技を始める。インターハイや近畿大会で入賞。1987年、高校卒業とともにプロを目指してオランダへ渡る。1989年に一旦日本に戻って国内実業団チームで活動し、全日本選手権6位、ツールド北海道総合9位などの成績を残す。1992年に再びオランダへ。1994年、念願のプロチーム入りを果たすが、この時はチームが活動開始前に予算不足で解散したため、この年は個人選手として活動する。
神山 雄一郎(かみやま ゆういちろう、1968年4月7日 -… 神山 雄一郎(かみやま ゆういちろう、1968年4月7日 - )は、日本の元競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪選手養成所所長(第24代。2025年4月1日 - )。血液型B型。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第61期生。現役時代は日本競輪選手会栃木支部所属、ホームバンクは宇都宮競輪場。師匠は荒川博之。 栃木県小山市生まれ。生家は自転車屋で、父親は熱心なサイクリング愛好家だった。神山も父親とともにサイクリングをするようになり、休日になると自転車に乗って遠出していた。幼稚園時代から運動神経と脚力は抜群だったという神山は、小学校時代には休日になると筑波山や太平山まで片道40-50kmの道のりを往復するようになり、さらに長野県や岐阜県まで野宿をしながら1日200kmを走破して移動することもあった。
森本 朱美(もりもと あけみ、1968年2月22日 - )は… 森本 朱美(もりもと あけみ、1968年2月22日 - )は、鳥取県出身の自転車競技選手である。学校教諭を本職としながらも、第一線で活躍。ロードが主戦場だが、トラックでもシドニーオリンピックに出場した。競技選手としてはチームラバネロ所属。 鳥取西高校、東京学芸大学卒業後、中学校教諭となり、クラブチーム入り。 1998年、三笠宮杯ツール・ド・とうほく優勝。 1999年、アジア選手権ロード3位。 2000年、全日本選手権ポイントレース優勝。シドニーオリンピック出場(16位)。 その後、鳥取湖陵高に赴任。自転車部の監督を務める一方、選手としてもなお第一線で活躍している。 2009年、全日本選手権・ポイントレース優勝。
藤田 晃三(ふじた こうぞう、1967年11月21日 - )… 藤田 晃三(ふじた こうぞう、1967年11月21日 - )は、岩手県出身の自転車競技(ロードレース)選手。 岩手県立大迫高等学校を経て、チーム・ブリヂストンアンカーに加入。 1992年、バルセロナオリンピック・個人ロードレースに出場し84位。 現在は第一線級の競技大会からは退いているが、市民レース級のロードレースには随時参加している。
佐々木 一昭(ささき かずあき、1967年7月17日 - )… 佐々木 一昭(ささき かずあき、1967年7月17日 - )は、岩手県花巻市出身の元自転車競技選手、元競輪選手。日本競輪学校第67期卒業。現役時は日本競輪選手会岩手県登録(青森支部所属)。初出走は1991年4月21日の函館競輪場で初勝利は翌日の同場。 岩手県立紫波高等学校(現・岩手県立紫波総合高等学校)在学中に国体の少年ロードレースで優勝し、早稲田大学在籍時の1988年にはソウルオリンピック・団体追抜に出場し15位となる。この実績により大学卒業後は日本競輪学校に試験免除で第67期生として入学した。在校成績は50勝で4位だったが、同期に金古将人や三谷幸宏らがいた中で卒業記念レースを優勝する。 競輪選手としてデビューしてからの実績はS級に昇格して出場したGIIのふるさとダービー1回のみとなったが、自転車競技では1993年にトラックレース世界選手権のドミフォン種目に出場したり、個人でロードレースの大会に出場するなど活躍を見せていた。
関 ナツエ(せき なつえ、1966年6月10日 - )は、北… 関 ナツエ(せき なつえ、1966年6月10日 - )は、北海道鵡川町(現・北海道むかわ町)出身のスピードスケート・自転車競技選手である。三協精機(現日本電産サンキョー)所属。 駒大苫小牧高校ではインターハイ1500mで3連覇を達成。1988年カルガリーオリンピックに1500m・3000m・5000mで出場し、同年に開催されたソウルオリンピックにも自転車ロードレースで出場した。高校の2年先輩でもある橋本聖子とともに、日本人初の夏冬オリンピック出場となった。
飯島 規之(いいじま のりゆき、1966年4月15日 - )… 飯島 規之(いいじま のりゆき、1966年4月15日 - )は、日本の元競輪選手、元自転車競技選手、ワイン醸造家。日本競輪学校第61期卒業。現役時は日本競輪選手会埼玉支部に在籍。 東京都で出まれ、その後は川口市、浦和市(現在のさいたま市桜区)へと移り住む。浦和市立南高等学校(現 さいたま市立浦和南高等学校)を経て日本競輪学校に第61期生として入学。同期に神山雄一郎、山田裕仁、紫原政文らがいる中で、在校成績は1勝すら挙げられなかった。 1988年5月8日花月園競輪場にでデビューし4着。初勝利は翌9日の同場。以降の競輪選手としての実績は芳しくなかったが、これは本人の脚質が競輪向きでなかったことによるもので、それでも長い間選手として活躍し続けた。
中込 由香里(なかごめ ゆかり、1965年10月30日 - … 中込 由香里(なかごめ ゆかり、1965年10月30日 - )は、女子自転車競技(MTB・クロスカントリー)選手。京都府出身。旧姓・三田村(みたむら)。 東久留米市立南中学校、東京都立保谷高等学校、東海大学体育学部社会体育学科卒業。もともとはロードの選手であったが、マウンテンバイクのクロスカントリーレースに転向後、1995年から1997の3年連続で全日本選手権を制して第一人者となる。2001年、夫の中込辰吾と共にMTBのteam Sy-Nak Specializedの発起人となり、そのベースとなるペンション「Sy-Nak Cabin」をオープンした。2003年に4度目の全日本選手権に勝利し、翌2004年のアテネオリンピック女子マウンテンバイククロスカントリー代表選手となる。
円谷 義広(つむらや よしひろ、1964年10月1日 - )… 円谷 義広(つむらや よしひろ、1964年10月1日 - )は、福島県郡山市出身の元自転車競技選手。 日本大学商学部在学時、 その後、日本鋪道(チームNIPPO)に加入。 現在、福島県須賀川市で物流企業を営んでいる。
俵 信之(たわら のぶゆき、1964年9月22日 - )は日… 俵 信之(たわら のぶゆき、1964年9月22日 - )は日本の元競輪選手、自転車競技選手。 北海道函館市出身(旭川市生まれ)。日本競輪学校(当時)第53期生。現役時代は日本競輪選手会北海道支部所属(元支部長)。師匠は新井雄司。初出走は1984年5月3日の函館競輪場で初勝利も同日。血液型はO型。 函館大谷高等学校在学中から自転車競技ジュニア世界選手権のスプリント種目に出場し、競輪選手としてデビュー後の1986年には、世界選手権自転車競技大会のスプリント種目に初出場し、中野浩一・松井英幸に次いで3位に入賞。翌年1987年の同大会では優勝し、前年までの中野のV10に続く日本人選手V11を達成した。 競輪選手としては1984年にデビュー。
小倉 輝美(おぐら てるみ、1963年10月7日 - )は、… 小倉 輝美(おぐら てるみ、1963年10月7日 - )は、日本の元女子自転車競技選手。 静岡県浜松市出身。高知大学を経て、高知市にあるサイクルショップ ヤマネに就職。同社在籍時代の1988年、ソウルオリンピック・個人ロードレースに出場し、30位に入った。 この項目は、自転車に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
今中 大介(いまなか だいすけ、1963年7月24日 - )… 今中 大介(いまなか だいすけ、1963年7月24日 - )は、元自転車ロードレース選手、実業家。広島県広島市安佐北区可部出身。愛称は「イマニャカ」。 広島市立可部中学校~広島城北高等学校~大分大学大学院工学研究科卒業。 「日本人で初めて近代ツールを走った」人物でもある。 叔父(今中の母の弟)に漫画家のあすなひろしがいる。 大分大学で修士号を取得した後、シマノに入社する。シマノではテストライダーをしていたと自著で回想しており、ロードレーサーにもMTBにも散々乗ったという。 シマノの社員としてツール・ド・北海道総合優勝(1990年・1991年・1993年)を始めとする国内の自転車レースタイトルを次々と獲得したあとの1994年、31歳の時に渡欧する。
片山 右京(かたやま うきょう、男性、1963年5月29日 … 片山 右京(かたやま うきょう、男性、1963年5月29日 - )は、神奈川県相模原市出身のレーシングドライバー、登山家、自転車競技選手。KATAYAMA PLANNING株式会社 代表取締役。 神奈川県相模原市の名誉観光親善大使、白山ジオトレイル名誉顧問、大阪産業大学工学部客員教授。 東京都生まれ、神奈川県相模原市(南区)鵜野森育ち。相模原市立鹿島台小学校に通い、登山愛好家だった父の影響もあり、この頃から自転車や登山にいそしむ。将来は植村直巳のような地球をめぐる冒険をしたいと憧れていた少年だった。 中学・高校は、日本大学第三中学校・高等学校に進学。陸上部に入部し、長距離走の選手だった。大学の体育学部への進学を志望していたが、受験日直前にオートバイの転倒事故を起こし負傷。
鈴木 光広(すずき みつひろ、1963年2月2日 - )は、… 鈴木 光広(すずき みつひろ、1963年2月2日 - )は、福島県古殿町出身の元自転車競技(ロードレース)選手。 学校法人石川高等学校在籍時の1980年、ジュニア世界選手権自転車競技大会に出場。 その後、ブリヂストンサイクル(チーム・ブリヂストンアンカー)に加入。 1984年、全日本アマチュア自転車競技選手権大会(全アマ)・個人ロードレース優勝 1985年、全アマ・個人ロードレース 優勝 1988年、ソウルオリンピック・個人ロードレースに出場、25位。 1992年、国際サイクルロードレース(ツアー・オブ・ジャパンの前身大会) 総合優勝 1993年、ブリチストンサイクルの選手兼任監督となる。
猿館 貢(さるだて みつぎ、1962年12月18日 - )は… 猿館 貢(さるだて みつぎ、1962年12月18日 - )は、岩手県出身の元自転車競技選手。 岩手県立紫波高等学校(現・岩手県立紫波総合高等学校)を経て、日本大学在学時の1984年、ロサンゼルスオリンピック、団体追抜に出場し11位。 現在は大迫高校の社会科教諭を勤める傍ら、同校自転車競技部の顧問として生徒を指導している。
坂本 勉(さかもと つとむ、1962年8月3日 - )は、日… 坂本 勉(さかもと つとむ、1962年8月3日 - )は、日本の元競輪選手・元自転車競技選手。現在の青森県三戸郡南部町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期卒業。日本競輪選手会青森支部所属。師匠は実兄の坂本典男。初出走は1986年5月10日の青森競輪場で初勝利も同日。血液型はO型。 同県所属94期生坂本貴史は長男、100期生坂本周輝は次男、117期生坂本紘規は四男。三男は高校で自転車競技部の顧問をしている。同県所属91期生坂本昌宏・105期生坂本周作は甥(典男の子息)。周作と同期の磯島康祐も勉の甥に当たり自身が師匠。 学生時代から自転車競技を始め、青森県立三戸高等学校を経て日本大学に進学し、在学中に出場した1984年のロサンゼルスオリンピックでは、自転車競技の1000mタイムトライアルで出場権を掴んだが、共産圏諸国のボイコットのため追加で出場権を得たスプリント種目において、敗者復活戦から勝ち上がり、3位決定戦でフィリップ・ヴェルネを下して銅メダルを獲得。
滝川 一夫(たきかわ かずお、1962年5月4日 - )は、… 滝川 一夫(たきかわ かずお、1962年5月4日 - )は、福島県石川町出身の元自転車競技選手、高等学校保健体育教諭。 学校法人石川高等学校、日本大学を経て、山梨県立北富士工業高等学校の教員となる。 1988年、ソウルオリンピック・団体追抜に出場し15位。 その後、山梨県立石和高等学校に移り、同校自転車部を指導。今は山梨県立石和高校と山梨県立山梨園芸高等学校の統廃合で誕生した山梨県立笛吹高等学校で教師をする傍ら、同校自転車部を指導している。
大門 宏(だいもん ひろし、1962年2月16日 - )は、… 大門 宏(だいもん ひろし、1962年2月16日 - )は、石川県出身の元自転車競技(ロードレース)選手、自転車競技指導者。現在はTEAM NIPPO-PROVENCE-PTS CONTI(SUI)の監督。日本を代表する名選手・名監督として知られている。 中京大学時代にはインカレ(全日本大学対抗選手権自転車競技大会)で連覇を果たし、1984年にシマノレーシングに加入。しかし1985年8月12日に日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落した事故で、辻昌憲が死亡した影響を受けて、同チームを離れることを決意。1986年より、スイスを拠点とするチームに移籍した。それ以降、南スイスを拠点にスイスのチームで長年活躍する。
市川 雅敏(いちかわ まさとし、1961年1月11日 - )… 市川 雅敏(いちかわ まさとし、1961年1月11日 - )は、東京都出身の元自転車ロードレース選手。現在は自転車店(バイクショップ)を経営。 高校1年生の時にいわゆるフラッシャー付き自転車を購入し、以後自転車のスピードの虜となる。日本大学在学時は自転車競技部に所属。在学中、国際ロードで雨中の軽井沢で外国選手や実業団選手を置き去り独走で優勝する。日本大学卒業後、単身ヨーロッパへ渡った。2000年代には日本人レーサーがヨーロッパに自転車留学・遠征に行くのは珍しくなくなったが、当時ではあまり前例がなく、同時代に活躍していた鉄沢孝一とともにその先駆者となった。 1983年のシーズン終了後、アマチュア世界選手権に出場する。
桑沢 秋雄(くわざわ あきお、1959年7月22日 - )は… 桑沢 秋雄(くわざわ あきお、1959年7月22日 - )は、福島県石川町出身の元自転車競技選手。 学校法人石川高等学校を経て、島野工業(シマノレーシング)に加入。 1984年のロサンゼルスオリンピックに出場。
山宮 正(さんぐう ただし、1959年3月25日 - )は、… 山宮 正(さんぐう ただし、1959年3月25日 - )は、東京都目黒区出身の日本の元自転車競技選手。ベルギー居住。 東海大学付属相模高等学校を経て東海大学へ進学。同大学時代に自転車選手としてのキャリアをスタート。高校時代はサイクリング部に所属。 大学卒業後、宮田工業に入社し、「ミヤタ・レーシングチーム」に所属するが、大学の卒業旅行で訪れたイタリアで、トラックレースを観戦したことをきっかけに、海外でレース活動を行いたいとの夢が膨らみ、留学を志望していたところ、1983年、自転車ウェアの製造会社、パールイズミの支援を受けてアメリカのコロラドへと渡米。コロラドではパールイズミ社がスポンサーになっていたPedal Pushersのメンバーとして、ロッキー山脈の山岳ロードレースを中心に活動。
池浦 敏秋(いけうら としあき、1958年9月10日 - )… 池浦 敏秋(いけうら としあき、1958年9月10日 - )は、新潟県三島郡和島村出身の元自転車競技選手。 和島村立北辰中学校、新潟県立吉田商業高等学校(現吉田高等学校)、法政大学卒業。 全国高校総合体育大会(インターハイ)、全日本学生選手権、全日本大学対抗選手権(インカレ)、国民体育大会(国体)で軒並み優勝。 香港国際競技大会、アジア競技大会で優勝するなど国際大会でも活躍。 こうした実績から、世界選手権自転車競技大会の日本代表に選出。 1978年に西ドイツのミュンヘンで開催された世界選手権の自転車競技トラックレースに出場。岡堀勉、斉藤邦夫、添田広福とともに日本代表の団体追い抜きチームを構成。このチームは当時、日本の自転車競技史上「最強」と呼ばれていた。
坂東 晃(ばんどう あきら、1956年7月21日 - )は、… 坂東 晃(ばんどう あきら、1956年7月21日 - )は、福島県石川郡古殿町出身の元自転車プロロードレース選手。学校法人石川高等学校卒業。全日本選手権やアジア大会で優勝した実績がある。シマノレーシング終身名誉監督である。 自転車に乗り始めたのは高校生のときで自転車部の顧問だった担任に誘われる。インターハイでは2年生で5位になり、3年生で2位となる。1975年 株式会社シマノへ入社する。1981年全日本アマチュア自転車競技選手権大会4000m速度競争とポイントレースで優勝する。特に4000m速度競争では「敵無し」と言われた為、「4速の神様」の異名を持つほどであった。シマノレーシングでプロ選手として活動する。
中野 浩一(なかの こういち、ラテン文字表記:Koichi … 中野 浩一(なかの こういち、ラテン文字表記:Koichi Nakano。1955年11月14日 - )は元競輪選手・自転車競技選手。競輪選手登録番号8959。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第35期生。現在は公益財団法人JKA顧問、競輪解説者、日刊スポーツ競輪担当評論家、公益財団法人日本自転車競技連盟理事(元副会長)、スポーツコメンテーター・タレント(所属は(株)アルカンシェル(社長は尚美夫人)、業務提携は浅井企画)。家族は尚美夫人。子供はいない。2006年春に全ての公営競技及び競輪選手出身者では初の紫綬褒章受章。血液型B型、身長172 cm、体重85 kg。 世界選手権個人スプリント (UCI Track Cycling World Championships – Men's sprint) 10連覇、特別競輪12勝(GP1勝、GI11勝)、賞金王6回(歴代最多)を達成している。
高橋 松吉(たかはし まつよし、1955年9月13日 - )… 高橋 松吉(たかはし まつよし、1955年9月13日 - )は、秋田県出身の元自転車競技(ロードレース)選手。 大曲東高等学校卒業。ミヤタ自転車工業に入社後、レーシング部の一員として活躍。実業団レースでは常に逃げて独走優勝がスタイルだった。1984年のロサンゼルスオリンピックにおいて、1964年の東京オリンピック以来、20年ぶりとなるオリンピック大会の男子個人ロードレース出場を果たし45位。同年日本人初の、近代ステージレース、アメリカのクアーズクラシックにパールイズミチームで出場して完走を果たす。翌年1985年もサンツアーチームの一員として森幸春、ボブ・ロール、ギャビン・ティルコット等と参戦して完走する。
長義和(ちょう よしかず。1953年10月3日- )は、日本… 長義和(ちょう よしかず。1953年10月3日- )は、日本の元自転車競技選手。 後述の通り、モスクワオリンピックに関する悲劇の選手としてよく言及される。 大阪府出身。大阪府立城東工業高等学校を経て、法政大学に進んだ。1972年のミュンヘンオリンピックに出場した後、1976年に杉野鉄工所(現 スギノエンジニアリング)に入社。モントリオールオリンピック・スクラッチ(現スプリント)種目において、日本人選手としてオリンピック大会史上初めて自転車競技で6位入賞を果たした。 1977年に日本競輪学校第41期に合格するも、3年後に開催されるモスクワオリンピックへの夢が断ち切れず、競輪学校入学を辞退。当時競輪学校の受験資格年齢条件が24歳未満であったことから、このことはモスクワオリンピック後における競輪選手への道は閉ざされたことを意味した。
井上 三次(いのうえ さんじ、1948年3月10日 - )は… 井上 三次(いのうえ さんじ、1948年3月10日 - )は、東京都出身で日本競輪選手会埼玉支部に所属していた元競輪選手であり、1968年メキシコシティーオリンピックの自転車競技・日本代表選手。東京工業高等学校、法政大学出身。 大学時代は短距離種目を中心にインターカレッジ大会等で活躍。また日本短距離界の第一人者でもあった。1968年にウルグアイ・モンテビデオで開催された世界自転車選手権のアマチュア・タンデムスプリントにおいて、当時ライバルだった日本大学の班目隆雄とコンビを組んで3位入賞。班目とともに日本人選手として同大会初のメダリストとなった。また同年のメキシコオリンピックでは日本人選手としてただ一人自転車競技の代表に選ばれ、個人スプリント(二次予選敗退)と1kmタイムトライアル(19位)に出場した。
辻 昌憲(つじ まさのり、1946年3月24日 - 1985… 辻 昌憲(つじ まさのり、1946年3月24日 - 1985年8月12日)は、日本の元自転車競技選手。 金沢高等学校を経て、中京大学在籍時代の1964年、東京オリンピック・個人ロードレースに出場(途中失格)。 大阪府警に警察官として勤務した後、島野工業(現・シマノ)に入社。その後、1973年に創設されたシマノレーシングの初代監督に就任した。 指導者として、1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表選手を3人送り込んだ。 1985年8月12日、グリーンピア三木で行われるシマノグリーンピアロードレース大会開催のため東京に所在する日本アマチュア自転車競技連盟での打ち合わせを終えた後、その帰途のために日本航空123便に搭乗するが、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ、同僚社員共々死亡した。
大沢 鉄男(おおさわ てつお、1936年11月14日 - )… 大沢 鉄男(おおさわ てつお、1936年11月14日 - )は、北海道、岩内町出身の元自転車競技選手。 1956年、メルボルンオリンピックに出場。 その後、片倉自転車に入社。 1958年、東京アジア大会、1000mタイムトライアル優勝(1分14秒8)[リンク切れ][出典無効]。 1960年、ローマオリンピックに出場。 この項目は、自転車に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
岡本 雄作(おかもと ゆうさく、1935年2月22日 - )… 岡本 雄作(おかもと ゆうさく、1935年2月22日 - )は、日本の自転車競技指導者。元オリンピック自転車競技日本代表監督。神奈川県出身、法政大学工学部卒業。 1976年のモントリオールオリンピック、日本が不参加となった1980年のモスクワオリンピック、1984年のロサンゼルスオリンピックと、3大会連続で代表監督を歴任。 また、モントリオール大会では長義和がスクラッチ(現 スプリント)で6位入賞、ロサンゼルス大会では坂本勉が同じくスクラッチで銅メダル獲得を果たしたことによる一連の実績を讃えられ、2001年にオリンピック・オーダーの銀章を受章した。 現在は、日本自転車競技連盟顧問。日本オリンピック委員会名誉委員。
杉原 鏘一郎(すぎはら しょういちろう、1929年7月3日 … 杉原 鏘一郎(すぎはら しょういちろう、1929年7月3日 - 2006年9月19日)は、日本の元自転車競技選手。東京都八王子市出身。 八王子市千人町の自転車店に生まれる。杉原一郎の長男で、長篠の戦いにおいて武田方足軽大将として討ち死に(参考:「信長公記」長篠の戦)した杉原日向守直明(正直とも)の末裔。日向守直明の母親は豊臣秀吉の正妻高台院の生家との関連も指摘されている。武田家の滅亡後は旗本200俵で番士として徳川幕府に仕え、幕末の当主平助直養は儒学者として知られ、青木昆陽(甘藷先生)の曽孫にあたる。 立教大学在学時代、1951年に行われた第1回アジア競技大会(インド・ニューデリー)、1000mタイムトライアルで優勝。
出宮 順一(でみや じゅんいち、1917年 - 1945年6… 出宮 順一(でみや じゅんいち、1917年 - 1945年6月)は、日本の自転車競技選手。岡山県の旧玉島町(現・倉敷市)出身。 1936年ベルリンオリンピック日本代表選手に選出され、同大会の開会式には参加したが、役員の登録ミスでレースに出場できなかった。その3ヵ月後、結果的に日本人選手として、オリンピックも含めて初めて自転車競技の世界大会出場となった、スイスのチューリッヒとベルンで開催された同年世界選手権自転車競技大会に、石塚隆春、村上二三九、困見辰夫の3人とともに参加。スクラッチ及び145kmロードレース(いずれもアマチュア部門)に出場し、ロードレースにおいて7位に入る健闘を見せた。 その後、第二次世界大戦が始まると陸軍に召集されて出征。
月岡 朝太郎(つきおか あさたろう、1911年3月7日 - … 月岡 朝太郎(つきおか あさたろう、1911年3月7日 - 1984年)は、日本の自転車競技選手、指導者。 長野県下水内郡岡山村(現飯山市)に生まれ、1928年に上京し、法政大学専門部第二部政治経済学科卒業後、様々な職業を転々とする。1937年月刊雑誌『鉱業冶金』の編集長となり、1941年三井鉱業北越鉱山事業部長となる。また1937年には、日本自転車競技連盟関東支部が主催した第1回関東自転車断郊競走の実用車部門に出場したのをきっかけに、自転車競技に取り組み、1940年に予定されていた東京オリンピックの候補選手になった。 戦後、1947年に雑誌『自転車』を創刊、1949年には大宮競輪場の開設と同時に競輪予想紙「競輪新聞」(現在の赤競)を創刊。
高木 三千成 は、埼玉県出身の日本の自転車競技選手。
山本 さくら は、埼玉県出身の女子自転車競技選手。
大野 直志(おおの なおし)は、青森県十和田市出身の元自転車… 大野 直志(おおの なおし)は、青森県十和田市出身の元自転車競技選手で、現在は高等学校教員。 青森県立十和田工業高等学校時代に弓道部を経て、同校の「自転車愛好会」に加入したことがきっかけとなって自転車競技へと取り組むようになった。東北学院大学に進学後は、全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インカレ)などで優勝を経験。その後日本鋪道に加入。同チーム在籍時代は、全日本アマチュア自転車競技選手権大会(全アマ)や国民体育大会などで優勝を経験した。 その後、1993年に青森県立八戸工業高等学校(八戸工高)の実習助手となったため日本鋪道を退団し、チームFETラバネロに転じた。1994年のツール・ド・北海道において、総合優勝と個人総合ポイント賞を併せて獲得。
竹花 敏(たけはな さとし)は、日本の自転車競技指導者。 岩… 竹花 敏(たけはな さとし)は、日本の自転車競技指導者。 岩手県滝沢村(現・滝沢市)出身。 初代日本大学自転車部監督・濱中一泰の後を受け同校同部の監督に就任。全日本大学対抗選手権自転車競技大会・男子の部において、第39回から2009年開催の第65回まで、監督並びに総監督として同校に総合優勝をもたらした。 1988年にはソウルオリンピック自転車競技日本代表監督を務めた。 1952 北沢清 • 1956 北沢清 • 1960 林譲四郎 • 1964 杉原鏘一郎 • 1968 杉原鏘一郎 • 1972 杉原鏘一郎 • 1976 岡本雄作 • 1980(ボイコット) 岡本雄作 • 1984 岡本雄作 • 1988 竹花敏 • 1992 藤原英興 • 1996 松本秀人 • 2000 班目秀雄 • 2004 ウエスト・ゲーリー • 2008 フレデリック・マニェ • 2012 松本整 この項目は、自転車に関連した書きかけの項目です。