岩井 壽照(いわい よしてる、1949年〈昭和24年〉 - … 岩井 壽照(いわい よしてる、1949年〈昭和24年〉 - )は、日本の画家、日本美術家連盟会員。妻は絵画修復師(英語版)の岩井希久子。
職業が美術家:322人
岩井 壽照(いわい よしてる、1949年〈昭和24年〉 - … 岩井 壽照(いわい よしてる、1949年〈昭和24年〉 - )は、日本の画家、日本美術家連盟会員。妻は絵画修復師(英語版)の岩井希久子。
田窪 恭治(たくぼ きょうじ、1949年 - )は、日本の美… 田窪 恭治(たくぼ きょうじ、1949年 - )は、日本の美術家。愛媛県今治市生まれ。1972年、多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。初期は個人による現代美術的な作品やパフォーマンスが多かったが、建築家や写真家と協力し領域的に広い活動を始め、過去の建造物を修復再生するような活動を行っている。1999年村野藤吾賞受賞。金刀比羅宮文化顧問。京都造形芸術大学客員教授。 学生時代に同級生の実家である金刀比羅宮の書院で伊藤若冲の壁画などを見たことが、美術家になる決意をしたきっかけであると語っている。
緒方 良信(おがた よしん、Yoshin Ogata、194… 緒方 良信(おがた よしん、Yoshin Ogata、1948年11月18日 - )は、宮崎県都城市出身の彫刻家、現代美術家である。 1971年からイタリアに在住。詩人の湾と呼ばれるレーリチで制作を続けている。 一滴の滴は流れとなり、成長して洋々たる海の如き形態となり、蒸発し蒸気は水滴となり水に戻る、水の循環を生命の循環にたとえ、輪廻をテーマに主に大理石、ブロンズ、木などを使って彫刻制作をしている。 水博物館にて2人展 リスボンのイタリア大使館 イタリア文化会館後援 (ポルトガル)
ヒロ・ヤマガタ/HIRO YAMAGATA(1948年5月3… ヒロ・ヤマガタ/HIRO YAMAGATA(1948年5月30日 - )は、画家・美術家である。滋賀県米原市出身。アメリカ在住。本名山形 博導(やまがた ひろみち)。
吉永 裕(よしなが ゆたか、1948年 -)は、日本の画家、… 吉永 裕(よしなが ゆたか、1948年 -)は、日本の画家、美術家。小浜逸郎、篠原有司男、関根伸夫、平賀敬、種村季弘、豊田豊、眞板雅文、 最上壽之らとの交友関係がある。 長崎県佐世保市生まれ。長崎県立諫早高等学校を卒業。最初の展覧会は、1972年に新人発掘として行われた銀座4丁目銀彩堂画廊での企画展である。1983年、現代美術今立和紙展優秀賞。1985年、第5回ハラ・アニュアル原美術館に出品。同年、現代美術今立和紙展85大賞。1992年、横浜県民ギャラリー《現代作家シリーズ》、ギャラリー上田/銀座店 (東京) 。1996年に神奈川県真鶴町に移り住み、2000年に海を追求したブルーの連作を発表している。
堀 研(ほり けん、1948年-)は、山口県出身の日本の洋画… 堀 研(ほり けん、1948年-)は、山口県出身の日本の洋画家、行動美術協会会員、日本美術家連盟会員、広島市立大学芸術学部名誉教授。 ※本名は、堀 研(ほり みがく) 1948年 山口県豊浦郡豊浦町湯玉(現在 下関市)に生まれる 1973年 多摩美術大学(グラフィックデザイン科)卒業 1974年 宇部女子高等学校美術教諭となる 1975年 第1回西日本新人ビエンナーレで「イスとヤツデ」が大賞受賞(宇部市蔵) 1979年 第34回行動展で「包む―風」が奨励賞受賞 1980年 第35回行動展で「風の中ゆく」が新人賞受賞(豊浦町蔵) 1981年 第13回山口県芸術文化振興奨賞受賞 第36回行動展で行動美術賞受賞 1982年 第25回安井賞展で「風の中ゆく」が佳作賞受賞(下関市立美術館蔵) 第1回小林和作賞を受賞 1983年 第18回昭和会展で「うづくまる」が昭和会賞受賞 1984年 昭和会展受賞記念個展(日動画廊本店、銀座) 1988年 個展「アメリカ、メキシコシリーズ」(日動画廊、東京、大阪、福岡) 1993年 第48回行動展で「風と歩く」が文化庁買い上げ作品となる(東京国立近代美術館蔵) 1994年 宇部市芸術文化奨励賞受賞 1995年 個展「風・樹木シリーズ」(日動画廊、東京、大阪、福岡) 2000年 個展「さくらシリーズ」(日動画廊、銀座、名古屋、大阪) 2004年 広島県立美術館(県民ギャラリー)にて「大地の詩―堀研展」開催 2005年 安芸高田市立八千代の丘美術館にて2年間に渡る個展 個展(日動画廊、銀座、福岡) 2008年 はつかいち美術ギャラリー企画「堀研展―人と木と風と」開催(廿日市市文化センター) 2010年 個展「気を描く」(日動画廊、銀座、福岡) 2011年 「イタリアの風―堀研スケッチ展」を広島市立大学芸術資料館で開催 2012年 安芸高田市立八千代の丘美術館企画「堀研展」開催
川井 昭夫(かわい あきお 、1948年 - )は、日本の現… 川井 昭夫(かわい あきお 、1948年 - )は、日本の現代美術家。竜舌蘭の世界有数のコレクター。 1970年代から、観葉植物に興味を持ち、植物を主題とした制作を始める。1979年、ジャパンアートフェスティバル優秀賞受賞。 1980年代〜90年代半ばにかけて、支持体の地色に限りなく近い絵の具を用い、表面にシステマチックに塗り重ねた絵の具の痕跡だけをのこす絵画シリーズを手掛けるようになる一方で、植物の造形性や表現媒体としての可能性を探究し始める。 1992年から2002年にかけて北陸の山深い過疎の村で「表現と場の関係を問い直す」プロジェクト「野積」(本来置かれるべき処ではない「場」に一時的に仮置きするという意味)を計6回企画し、セシル・アンドリュ、伊藤公象、角偉三郎らが参加。
堀本 惠美子(ほりもと えみこ、1947年 - )は、日本の… 堀本 惠美子(ほりもと えみこ、1947年 - )は、日本の美術家。東京都生まれ。東京都立豊多摩高等学校、東京女子大学短期大学部教養科卒業、武蔵野美術学園修了、日本美術家連盟会員、国際平和展日本事務局代表、東京Ⅲゾンタクラブ会員。 1980年より国内外の美術館・百貨店(三越・髙島屋・小田急デパート・丸善・阪急・松坂屋他)・ギャラリーなどの個展開催は110回以上。 1982年日仏現代美術展(パリ)、1991年サージマルジス賞受賞展(ニューヨーク)、2002年~2003年フランス・パリ及びナントで個展。コソボへ行くきっかけとなる。 2003年~2005年日本人として初めて、国連軍主催で、コソボ(旧ユーゴスラビア)の主要3大都市において「コソボ国際平和展“宇宙の愛のメッセージ”堀本惠美子展」を開催。
杉浦 イッコウ(すぎうら いっこう、本名:一弘(かずひろ)、… 杉浦 イッコウ(すぎうら いっこう、本名:一弘(かずひろ)、1946年11月17日 - )は、日本の現代美術家。愛知県碧南市出身。アクリル絵の具を用いた「A SPACE ODYSSEY」シリーズを基調とし、独自の創作活動を展開する。 「A Space Odyssey 86-I」 「A SPACE ODYSSEY 90 BLACK RIVER」 「A SPACE ODYSSEY 90-III」 「A SPACE ODYSSEY 87-V」 「A SPACE ODYSSEY 86-V」 「A SPACE ODYSSEY 92 BLUE-30」 「A SPACE ODYSSEY 87 K-II」 「A SPACE ODYSSEY 88-I」 「A SPACE ODYSSEY 88-III」 「A SPACE ODYSSEY 88-5」 「A SPACE ODYSSEY 93 NCG」
原口 典之(はらぐち のりゆき、1946年8月15日 -20… 原口 典之(はらぐち のりゆき、1946年8月15日 -2020年8月27日)は、日本の美術家。 神奈川県横須賀市[要出典]に生まれる。日本大学芸術学部美術学科を卒業した。 もの派の主要アーティストとして知られる。1960年代後半から美術家として活動を始め、1977年、ドイツ・カッセルの美術展「ドクメンタ6」に初めて日本人作家として選ばれ、出展した作品「オイルプール」(廃油を満たした巨大な鉄のプール)は「美術界に衝撃を与えた」と評される。作品「オイルプール」は、展覧会終了後はイランのテヘラン現代美術館(英語版)に展示されている。 続いてパリ市立近代美術館でも「第10回パリ青年ビエンナーレ」に参加し、1978年にはデュッセルドルフのGalerie Alfred Schmelaで海外での初個展を成し遂げた。
島 次郎(しま じろう、1946年4月6日 - 2019年4… 島 次郎(しま じろう、1946年4月6日 - 2019年4月9日)は、日本の舞台美術家。 北海道生まれ。武蔵野美術大学卒業。当初は油絵に取り組んでいた。 1970年代から、平面・立体の造形作品に取り組みながら、テント劇団「走狗」で舞台美術に関わった後、1980年代半ばから本格的に舞台美術にたずさわる。 2011年には、「島次郎 舞台美術 1986-2010」と題した展覧会が、座・高円寺地下のギャラリー・アソビバで開催された。 晩年は武蔵野美術大学客員教授、日本工学院専門学校非常勤講師として教鞭もとっていた。 2019年4月9日、悪性リンパ腫のため死去。73歳没。
龍村 光峯(たつむら こうほう、1946年〈昭和21年〉 -… 龍村 光峯(たつむら こうほう、1946年〈昭和21年〉 - 2019年3月5日)は、織物美術家。 1946年宝塚市生まれ、元の名は龍村順。祖父は初代龍村平蔵(号・光波)、父は二代龍村平蔵(号・光翔)。早稲田大学文学部卒業。国際交流基金勤務後、1976年(昭和51年)に後継者として京都に戻り、(株)龍村平蔵織物美術研究所を設立。1982年(昭和57年)に、「(株)龍村光峯」に改称し代表取締役。日本伝統織物保存研究会理事長。 2000年(平成12年)に財団法人日本文化藝術財団より、日本伝統文化振興賞を受賞、2002年(平成14年)に財団法人全国税理士共栄文化財団より、全税共地域文化賞受賞。 錦織美術の第一人者として錦織額、タペストリー、緞帳などを制作。
野村 仁(のむら ひとし、1945年1月26日 - 2023… 野村 仁(のむら ひとし、1945年1月26日 - 2023年10月3日)は、日本の現代美術家。京都市立芸術大学名誉教授。1960年代末から、写真を使った芸術表現に取り組み、写真、映像、音などの様々なメディアを使って表現するマルチメディアアーティストである。 1945年兵庫県生まれ。 1969年京都市立芸術大学彫刻科を卒業、大学修了制作でダンボールの風化、重量による崩壊の過程を写真に記録する「Tardiology(遅延論)」を発表、本作品に続き、昇華するドライアイスと沃素を対象とした記録から「道路上の日時(time on acurved line)」を制作する。1970年代より、空、宇宙、DNAを対象として、映像、音などの媒体にて作品を制作。
高山 登(たかやま のぼる、1944年6月29日 - 202… 高山 登(たかやま のぼる、1944年6月29日 - 2023年1月8日)は、日本の前衛美術、現代美術家。 1944年6月29日、東京都豊島区長崎に生まれた。 1960年4月、都立北園高校入学。美術部に入る。 1963年3月、都立北園高校卒業。 1963年4月、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻入学。 1968年3月、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業(山口薫教室)。 1970年3月、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(野見山暁治研究室)。 1972年、日本国へ帰化。 1973年‐1980年、創形美術専門学校講師。 1975年‐1980年、東海大学教養部非常勤講師。 1978年‐1979年、東京藝術大学美術学部非常勤講師。
中垣 克久(なかがき かつひさ、1944年 - )は、日本の… 中垣 克久(なかがき かつひさ、1944年 - )は、日本の彫刻家・美術家。飛騨市立中垣克久彫刻庭園美術館名誉館長。 1944年飛騨に生まれ飛騨で育つ。1968年東京藝術大学大学院彫刻家修了。1978年第1回ロダン大賞展を皮切りに、長野野外彫刻特別賞など受賞。1987年芸術と文化に貢献したとして中曽根内閣総理大臣より表彰。イタリア・ミラノ国立ブレラ美術学校で学び、全国各地にモニュメントを制作建立。
榎 忠(えのき ちゅう、1944年 - )は、日本の現代美術… 榎 忠(えのき ちゅう、1944年 - )は、日本の現代美術家。本名は、榎忠(えのき ただし)。 香川県善通寺市生まれ。16歳から現在に至るまで兵庫県神戸市に住む。美術教育の経験は20歳から通い始めたデッサン教室のみである。1965年から二紀展に作品を発表し、1968年に初個展「生成」を開催。このときは幻想的な絵画作品を主としていた。 1969年、鴨居玲らと洋画研究所〈0〉を設立。公募展のあり方に疑問を持って二紀会を脱退し、「グループZERO」を結成。『裸のハプニング』などのパフォーマンスを展開するようになる。1977年、頭髪や髭から陰毛に至るまで全ての体毛を半身分だけ剃り落としてハンガリーに入国しようとする『ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く』を発表し、奇才として一躍その名を高めた。
関根 伸夫(せきね のぶお、1942年9月19日 - 201… 関根 伸夫(せきね のぶお、1942年9月19日 - 2019年5月13日)は、日本の現代美術家、彫刻家。多摩美術大学客員教授。埼玉県大宮市(現・さいたま市)生まれ。埼玉県と米カリフォルニア州に在住した。 1968年から1970年にかけて「もの派」をリードする作品を次々に発表。その後、「公共空間を活性化させるアート」に関心を移し、1973年、環境美術研究所を設立。東京都庁舎シティーホール前の《水の神殿》をはじめ、さまざまなモニュメントやプロジェクトを実現している。 1962年から1968年まで、多摩美術大学絵画科に在籍し、斎藤義重と高松次郎に師事する。 高松次郎のイリュージョニスティックな絵と立体作品は当時の東京のアートシーンで中心的な存在だった。
上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版… 上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版画家、現代美術家。 1942年東京都杉並区に生まれる。小学校低学年より油彩をはじめ、中学、高等学校の頃は抽象画を描く。 東京都立工芸高等学校卒業後、東京写真専門学校へ通う。画家・小野木学(叔父)の思想概念に影響を受けた。 国画会展、モダンアート展へ抽象絵画を出品。写真製版による捺染技術を知り、シルクスクリーン技法に興味を示す。 1960年代以後、美術界は写真の時代に入り、ベンヤミンの著書「複製技術時代の芸術」などに翻弄され芸術はアウラを超え「写真」と「版画」の時代に変革していった[独自研究?][要出典]。 そんな中で上矢津も油彩の抽象絵画から離れ、剥製や標本の写真をシルクスクリーンに転写、1970年『シリーズ博物詩』を制作。
岡部 昌生(おかべ まさお、1942年 - )は、日本の現代… 岡部 昌生(おかべ まさお、1942年 - )は、日本の現代美術家。北海道根室市出身。北海道学芸大学(現北海道教育大学)卒業。札幌大谷大学短期大学部教授。建物の壁面や路上に紙をあて、その凹凸を鉛筆で擦りとるフロッタージュの手法による作品で有名。 1942年、北海道根室市に生まれる。北海道札幌東高等学校在学中に北海道美術協会展に出品し入選。1977年より、フロッタージュ作品の制作をはじめる。1979年、パリに滞在し、169点の「都市の皮膚」を制作。1980年代後半からは、広島の原爆跡地を積極的に作品化しているほか、1996年、パリのユダヤ人街で拉致の史実を刻む銘板を擦りとった作品も制作している。2007年、第52回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館代表展示作家に選ばれた。
井田 照一(いだ しょういち、Shoichi Ida、194… 井田 照一(いだ しょういち、Shoichi Ida、1941年9月13日 - 2006年6月5日)は、日本の京都市出身の現代美術家。 「Surface is the Betweenー表面は間である」というコンセプトを掲げ、版画を中心に油彩、ペーパーワーク、陶、ブロンズなど様々なメディアへと作品を制作している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月3… 柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月30日 - )は、日本の版画家、美術家、学者。武蔵野美術大学造形学部教授。 静岡県浜松市にて誕生。浜松市立高等学校を経て、1965年、東京藝術大学大学院を修了。その後、アメリカ合衆国ニューヨーク州に渡り、デザイン、版画といった美術への造詣を深める。帰国後は静岡県掛川市に居を構えアーティストとして活躍し、精力的に作品を発表する。 東京芸術大学では林武に油彩を学び、当時「最も影響を受けたのはゴーギャン」「版画の様々な制約の中自分が日常感じている矛盾、情念的なものをどれだけ表現出来るか」に意欲がわき、版画を志す。(「出会い」 静岡新聞 1982年1月12日) 東京芸術大学四年から大学院時代に、駒井哲郎に銅版画のてほどきをうける。
荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年〈昭和15年〉5月2… 荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年〈昭和15年〉5月25日 - )は、日本の写真家、現代美術家。「アラーキー」の愛称で知られ、丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。 父の長太郎は下駄職人で、アウトローというわけではなかったが若気の至りで刺青を入れていた。長太郎は近所でも有名なアマチュアカメラマンとしても活躍し、荒木がカメラマンになるきっかけを与えた。生家の近所に位置する「投げ込み寺」として有名な浄閑寺が、彼の死生観を決定付けたと語っている。 高校時代からカメラ雑誌やオートバイ雑誌への写真投稿を始め、本人曰く「大学の学費は全て写真投稿による賞金で賄った」という。大学は「写真をやっているところ」として日本大学芸術学部、写真短期大学(現・東京工芸大学)、千葉大の3つが候補に上がったが「国立なので学費が安い」ということで千葉大を選んだ。
田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5… 田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5月13日 - 2019年〈令和元年〉8月23日)は、日本の現代美術家、彫刻家。 1960年代の「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を経て、ミニマリズムやインスタレーションの分野で活動。国内外で評価された。 1940年東京生まれ。太平洋戦争末期に茨城県日立市へ疎開し、茨城県立日立第一高等学校卒業。その後上京し、1959年二紀展に入選しデビューする。1960年より読売アンデパンダン展に出品し、篠原有司男らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」で活動する。 1960年代後半、ミニマル・アート的作風へ転向。1968年の個展「点・線・面」や、1970年の第10回日本国際美術展「人間と物質」展へ参加。
河口 龍夫(かわぐち たつお、1940年2月15日 - )は… 河口 龍夫(かわぐち たつお、1940年2月15日 - )は、日本の前衛美術、現代美術家。筑波大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。1958年に多摩美術大学(絵画科)に入学。卒業後は神戸を拠点に作家活動を開始。1965年にグループ<位>を結成。 1960年代から作品の発表を始める。関係をテーマに制作活動を実施。芸術表現を単にひとつのスタイルにすることや、視覚にのみ依存する芸術のあるように抗する芸術表現を模索し、作品を精力的に発表する。 1983年より筑波大学芸術学系助教授、1991年教授。2003年3月退官。筑波大学名誉教授。2003年4月より、京都造形芸術大学客員教授及び倉敷芸術科学大学教授。 2016年度毎日芸術賞受賞。
田島 征三(たしま せいぞう, 1940年1月9日 - )は… 田島 征三(たしま せいぞう, 1940年1月9日 - )は、日本の絵本作家、美術家。同じ絵本作家の田島征彦は同年生まれの双子の兄弟だが、苗字の読み方は征三が「たしま」、征彦が「たじま」を名乗っている。本来の読み方は「たしま」だが、征三が先に「たしま」で世に出たため、征彦はそれと区別する意味で「たじま」と改めた。血液型はB型。辰年生まれ。山羊座生まれ。力強いタッチで描かれた作品に定評がある。
キヌコヤマベ・クラフト(Kinuko Yamabe Craf… キヌコヤマベ・クラフト(Kinuko Yamabe Craft、1940年 - )は、日本生まれのイラストレーター、現代美術家。石川県出身。 レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエル前派などに影響を受けた幻想的な作風のイラストレーションで、主にアメリカにて活躍。2011年に世界幻想文学大賞の芸術部門で最優秀賞を受賞。 1962年、金沢美術工芸大学を卒業。1964年、渡米しシカゴ美術館附属美術大学で学ぶ。以降現在に至るまで制作拠点をアメリカに置いている。 1970年代、パトリシア・A・マキリップやタニス・リーらによるファンタジー小説や絵本の表紙を数多く手がけ注目を集める。 その後さらに活動の幅を広げ、TIME・ニューズウィーク・ナショナルジオグラフィックなどメジャー雑誌の表紙を担当して人気を博した。
中本 誠司(なかもと せいし、1939年11月10日 - 2… 中本 誠司(なかもと せいし、1939年11月10日 - 2000年4月3日)は、日本の芸術家、現代美術家。 1939年11月に鹿児島県屋久島で生まれた。1972年から海外放浪の旅に出た。1976年6月モニュメント(作品)として仙台市青葉区に「我々の家 中本誠司個人美術館」を完成させた。2000年4月3日逝去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
鯉江 良二(こいえ りょうじ、1938年7月27日 - 20… 鯉江 良二(こいえ りょうじ、1938年7月27日 - 2020年8月6日)は、日本の陶芸家、現代美術家。愛知県常滑市出身。 14歳のときにアルバイトにより右手指二本の第一関節を失う。「制作に支障はないが、就職では心を傷つけられた。このハンディを背負ったことが、ぼくの今の底力になっている。」と鯉江自身が語る。タイル工場に5年間勤めた後、常滑市立陶芸研究所に入所するが、1966年に退所し独立開窯する。伝統陶芸、前衛陶芸という言葉にこだわらない作風が特徴である。「土に還る」シリーズは、衛生陶器を粉砕したシェルベンという粒状の材料を自らの顔でとった型で押し固め釉薬をかけずに焼成している。反核を題材とした「チェルノブイリシリーズ」等の代表作を持つ。
宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - … 宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - )は、日本の画家、イラストレーター、テレビ美術家。長野県安曇野市出身。 長野県松本県ヶ丘高等学校を経て東京芸術大学美術学部図案計画科卒業後、TBSに入社し、昭和を時代背景にした名作を数多く残した作家で脚本家の向田邦子、作家で演出家の久世光彦のテレビドラマの美術を担当する。 サロン・ド・プランタン賞受賞。パリ国際青年ビエンナーレ展出品ほか、個展9回、グループ展に多数出品。 サンケイ新聞婦人欄にイラストを連載したほか、池田弥三郎著『わが街銀座』等の挿絵、TV番組「日本レコード大賞」、水曜劇場「ムー一族」、「世界・ふしぎ発見!」等の美術を担当する。
鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -202… 鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -2021年5月24日)は、日本の女性画家、浮世絵師、舞台美術家。鳥居派9代目当主。本名は、鳥居せつ子。鳥居派8代目・5代清忠の娘で、鳥居派で初の女性浮世絵師である。東京都町田市在住。日本舞台美術家協会会員、国際浮世絵学会会員、日本演劇協会会員木版画や鳥居派伝統の歌舞伎絵看板だけでなく、歌舞伎の衣裳や舞台美術も手がけ、舞台装置図のような立体図も制作。鈴本演芸場番組表の表紙絵も描いていた。 東京都出身。鳥居派8代目・5代清忠(言人)の娘として生まれる。幼少より家業の手伝いをしていたが、兄・元宏が映画監督の道に進んだため、鳥居派を滅ぼすまいとした父から画法を伝授された。
野中 ユリ(のなか ゆり、1938年 - )は日本の美術家。… 野中 ユリ(のなか ゆり、1938年 - )は日本の美術家。銅版画、平版、印刷版画、デカルコマニー、コラージュ、パステル、油彩、タブロー・コラージュ、オブジェ、装丁、挿画の分野で活動。 画家の野中曜子の娘として東京府に生まれる。東京都立駒場高等学校卒業。1953年頃から銅版画を始め、関野凖一郎や駒井哲郎や瀧口修造に師事。それ以来、正規の美術学校には入らず、独学で研鑽を積む。1957年、瀧口の推薦で瀧口企画のグループ展「銅版画展」(タケミヤ画廊)に出品。同年「第1回東京国際版画ビエンナーレ展」(東京国立近代美術館)にも出品。1959年の第1回個展で澁澤龍彦の知遇を得る。
久保田 成子(くぼた しげこ、1937年8月2日 - 201… 久保田 成子(くぼた しげこ、1937年8月2日 - 2015年7月23日)は、新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)出身でニューヨークを拠点に活動した美術家・映像作家である。映像と彫刻を組み合わせた「ヴィデオ彫刻」の先駆的な存在として国際的に評価された。夫は同じ美術家のナム・ジュン・パイク。 1937年、新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)に生まれる。 母方久保田家の曾祖父・十代右作(久保田右作)は貴族院議員、地元小千谷市の発展に尽力した。母方の祖父・久保田彌太郎は水墨画家(雅号は翁谷)。成子は祖父の影響で芸術的な雰囲気の家庭に育つ。高校から新潟大学教授に絵を習い、在学中「二紀展」に入選。高校の美術教員が彫刻家であったことと、女性の彫刻家が少なかったという理由から、久保田は彫刻の道を志すようになる。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7… 荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7月6日 - 2010年〈平成22年〉5月19日)は、日本の美術家である。愛知県名古屋市出身。 1936年、名古屋市に生まれる。生家はうどん屋。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業で元ロサンゼルス在住の現代石彫家、国島征二と同窓だった。武蔵野美術学校中退。1957年、読売アンデパンダン展に初出品し、1960年、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの結成に参加。1961年、渡米し、滝口修造の仲介でマルセル・デュシャンに会い以後ニューヨークを拠点に活動を続けた。渡米後、マドリン・ギンズと知り合い1962年頃から共同制作を始める。1970年、ヴェネツィア・ビエンナーレで代表作となる『意味のメカニズム』を発表。
横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は… 横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本の美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。 実弟の成瀬政博は画家・イラストレーター。長女の横尾美美も美術家。日本芸術院会員。 兵庫県西脇市出身。20歳までを西脇で過ごす。幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験。死の世界に憧れを抱く。 神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。三島由紀夫に出会い三島の「聖俗一体」的言動に触発される。1970年の三島の死をきっかけにその後の15年間をオカルティズムや神秘主義まで包括した精神世界に傾斜してゆくが、それらが大いなる錯覚だったと気づき「私」の探求の延長線上で絵画に出会う。
高松次郎(たかまつ じろう、昭和11年(1936年)2月20… 高松次郎(たかまつ じろう、昭和11年(1936年)2月20日 - 平成10年(1998年)6月25日)は、前衛美術、現代日本美術家。本名は新八郎。 東京都に生まれ、1954年に東京藝術大学絵画科(油画専攻)に入学。在学中は小磯良平に師事した。卒業後の1958年より第10回読売アンデパンダン展へ作品の出品を開始し、以後1959、1961、1962、1963年に出品している。はじめ前衛芸術に傾倒し、中西夏之、川仁宏らと共に、有名な「山手線事件」というハプニングを行った。また中西、赤瀬川原平らと芸術集団ハイレッド・センターを結成し、数多くのパフォーマンスを実践した。 作品はインスタレーションから絵画、彫刻、壁画、写真、映画にまで様々なスタイルに至り、多くの作品が抽象的かつ、反芸術的な色合いが濃いもので、実体の無い影のみを描いた作品「影」シリーズが脚光を浴び、石や木などの自然物に僅かに手を加えただけの作品、遠近法を完全に逆にした作品など、あえて「思考させる」「思考する」ことにより、作品と世界との間に新しい関係を作りだすことに成功し、1960年代以降の日本におけるコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えた。
山本 圭吾(やまもと けいご、Keigo Yamamoto、… 山本 圭吾(やまもと けいご、Keigo Yamamoto、1936年2月4日 - 2025年1月29日)は、日本の現代美術家である。福井県足羽郡出身。 1971年より「ネットワーク・アート・ゲーム」、1976年より「ネットワーク・サウンド・インスタレーション」、1988年より「通信連画連歌」、1996年より「通信風景楽譜、通信図形楽譜」、1997年より通信サイコロ楽器、1998年より「通信障子楽器」、1994年より携帯電話を導入した「ユビキタス・ネットワークアート」、2004年より「通信連画連歌屏風」、2005年より「通信パノラマ障子楽器」などの「田農作家・電脳作家」であり、教育者。 小学校、中学校、高校、短期大学、大学、大学院の各教育機関で教鞭を取った経験がある。
李 禹煥(リ・ウファン、朝: 이우환、1936年 -)は、大… 李 禹煥(リ・ウファン、朝: 이우환、1936年 -)は、大韓民国慶尚南道に生まれ、日本を拠点に世界的に活動している美術家。多摩美術大学名誉教授。本貫は仁川李氏。 日本の現代美術の大きな動向(アート・ムーブメント(英語版)、芸術運動)である「もの派」を理論的に主導したことで有名である。個展および国際展への出品多数。代表作は『点より』『線より』シリーズ。 直島に安藤忠雄とのコラボレーションによる李禹煥美術館を開館。釜山市立美術館敷地に「李禹煥ギャラリー(Space LeeUFan)」を開設している。 また、1970年代韓国人アーティスト達によって創られた「単色画」というモノクローム・ペインティング(英語版)(単色抽象絵画)での平面作品でも知られている。 ミニマリストの画家、彫刻家、哲学者であり、その作品群は、素材性、制作過程、場所との関係、そして現象学的な鑑賞体験への徹底した注視により国際的に高く評価されている。
伊藤 慶二(いとう けいじ、1935年〈昭和10年〉10月1… 伊藤 慶二(いとう けいじ、1935年〈昭和10年〉10月19日 - )は、日本の陶芸家、現代美術家。岐阜県土岐市出身で、同地で創作活動を続ける。本名の読みは「よしじ」。 岐阜県土岐郡和泉町大富(現・土岐市泉町)に次男として生まれる。二男二女の4人きょうだいだった。10歳で終戦を迎えた時に父から聞かされた「広島という町に原子爆弾が落とされ、何万人もの人間が亡くなった。」との話が強い記憶として残る。これが後の「HIROSHIMA」シリーズを創作するきっかけとなる。 1954年に岐阜県立多治見工業高等学校図案科を卒業して武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に進む。美術学校の油画科では森芳雄、山口長男、棟方志功らに学ぶ。
島 州一(しま くにいち、1935年8月26日 - 2018… 島 州一(しま くにいち、1935年8月26日 - 2018年7月24日)は、日本の芸術家、美術家。 20世紀最大の発明コンピューターの出現による情報社会の到来を予見し、1970年代から情報を批判し、情報処理をメインテーマに自らの作品で、その方法を実践提示し続けた。 1935年8月26日、東京都千代田区麴町に父島眞一、母タイの長男として生まれる。1959年、多摩美術大学絵画科卒業。在学中は絵画より石版に熱中した。 1969年、カルピスの商標である黒人の扮装で画廊に座り、自分自身を作品として出品した。1971年、第10回現代日本美術展(東京都美術館)、芸術生活画廊コンクール展で「月と企業」により各コンクール賞受賞。
中西 夏之(なかにし なつゆき、1935年(昭和10年)7月… 中西 夏之(なかにし なつゆき、1935年(昭和10年)7月14日 - 2016年(平成28年)10月23日)は、日本の前衛美術・現代美術家。東京藝術大学名誉教授。女子美術大学客員教授。元倉敷芸術科学大学特任教授。美学校の設立にも奔走した。
秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22… 秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22日 - 2020年4月3日)は、日本の現代美術家。本名は秋山 祐徳(あきやま すけのり)で、雅号は聖徳太子をもじって付けた。1970年代の東京都知事選挙へ出馬したことでも知られている。見世物学会理事。 選挙に立候補した際の選挙ポスターが国立国際美術館などに収蔵されている。2002年には著書『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』を出版。落選後も自ら「泡沫のソムリエ」と称した。
工藤哲巳(くどう てつみ、1935年2月23日 - 1990… 工藤哲巳(くどう てつみ、1935年2月23日 - 1990年11月12日)は、日本の現代美術家。大阪に生まれ、、少年期を父の出身地青森で暮らし、1945年に父が早世した後、母の郷里岡山で高校までを過ごした。本名は工藤哲美。 祖父は青森県長橋村村長、父は画家の工藤正義。岡山県立岡山操山高等学校在学中に小磯良平に師事。東京藝術大学では林武に師事した。その在学中から、東京都美術館で開催されていた読売アンデパンダン展に出展し注目を浴びた。東野芳明は1960年(第12回展)に出展された工藤の『X型基本体に於ける増殖性連鎖反応』を評し最初に「反芸術」の語を用いている。 1958年、東京藝術大学油画科を卒業。
菅野 聖子(かんの せいこ、1933年〈昭和8年〉10月17… 菅野 聖子(かんの せいこ、1933年〈昭和8年〉10月17日 - 1988年〈昭和63年〉6月1日)は、日本の仙台出身の美術家。前衛美術グループ・具体美術協会後期の「第三世代」メンバーとしても知られる。製図用品を用い、細く均一な線の集積によって画面を構築する、繊細で詩的な画風が特徴。 宮城県仙台市大町生まれ。旧姓、相澤。1940年から46年の間、太平洋戦争の影響で転居を繰り返す。尚絅女学院高等学部在学中から絵画を学び始め、1954年、福島大学学芸学部図工科に入学。1956年卒業後は仙台に戻り、石巻服飾技芸専門学校に入学。当時尚絅女学院短期大学教授で〈水彩聯盟〉会員であった海老原省象の美術教室に通い、色面構成による叙情的な抽象画で「水彩聯盟展」や「創元会展」に初入選。
金森 馨(かなもり かおる、1933年9月3日 ‐ 1980… 金森 馨(かなもり かおる、1933年9月3日 ‐ 1980年11月1日)は、日本の舞台美術家。1980年に胃癌のため47歳で死去。 東京都江古田生まれ。中国青島で育ち、実相寺昭雄と出会う。終戦後北京で過ごした後宮城県白石市に引き揚げる。宮城県立白石高校では演劇部在籍後、1950年に東京立正高校に転校。文化学園美術科中退。1951年文学座舞台美術研究生。1952年文学座公演「恭しき娼婦」でデビュー。1954年劇団四季に入団。 1955年「野生の女」で、初めて衣装デザインを手がける。このころ土方巽や河原温が住む赤坂(港区)の「赤坂梁山泊」(進駐軍専用の連れ込み宿)と呼ばれるアパートに住み彼らと交友する。
村上 善男(むらかみ よしお、1933年3月14日 - 20… 村上 善男(むらかみ よしお、1933年3月14日 - 2006年5月4日)は、日本の画家・現代美術家。岩手県盛岡市出身。岩手大学学芸学部卒業。弘前大学名誉教授。 岡本太郎に師事。1953年に二科展に初入選。1960年、第4回シェル美術賞展で佳作。東北を拠点に前衛美術家として活動した。また、詩人としての執筆活動もある。 2006年5月4日に心不全で死去。享年73。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吉原 通雄(よしはら みちお、1933年2月15日 - 19… 吉原 通雄(よしはら みちお、1933年2月15日 - 1996年2月18日)は、日本の現代美術家。具体美術協会のメンバーであった。美術家の吉原治良の息子(次男)である。 1933年2月15日兵庫県芦屋市生まれ。芸術家吉原治良の息子(次男)である。灘高等学校、関西学院大学出身。 具体美術協会の会員であった。 1996年2月18日、脳内出血のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
河原 温(かわら おん、(1932年12月24日 - 201… 河原 温(かわら おん、(1932年12月24日 - 2014年6月27日)は、日本の美術家。コンセプチュアル・アートの第一人者として海外で高い評価を得ている。 公式なバイオグラフィーは「29,771 days」とだけ記載されている。 愛知県刈谷市の生まれ。生年は1933年1月2日とする説もある。愛知県立第八中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)卒。 1950年代から芸術活動を始め、グロテスクな「浴室」シリーズ、「物置小屋の出来事」などの鉛筆素描の連作は現在でも高い評価を得ている。その後、「印刷絵画」の実験的な試みや、言語による作品を制作した時期、数年間のメキシコ滞在を経て、1965年頃からニューヨーク市を拠点として活動していた。
ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik、漢字表記:… ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik、漢字表記:白南準、1932年7月20日 - 2006年1月29日)は、韓国生まれのアメリカ合衆国の現代美術家。ビデオ・アートの開拓者であるとともに、その代表的な存在である。 本貫は水原白氏。「白」が苗字で「南準」が名前なので、通常の表記形式では「ペク・ナムジュン」などとなるが、ドイツで活動を始めた時に名乗った名前がナム・ジュン・パイクであり、これが公称として定着している。 1932年7月20日、日本統治時代の京城(現在のソウル)で、繊維業を営む裕福な家庭に生まれる。1950年、朝鮮戦争の戦禍を逃れて一家で香港に移住。後に日本に移住。1956年、東京大学文学部美学・美術史学科を卒業。
吉村 益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2… 吉村 益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2011年3月15日)は、昭和後期に活動した美術家。大分県大分市出身。1960年に登場した過激な前衛芸術集団「ネオ・ダダ」の発案者であり、主宰者。 実家は大正初期創業の医薬品卸売の吉村薬品という裕福な環境で育つ。大分第一高等学校(現在の大分県立大分上野丘高等学校)在学中の17歳のときに河北倫明が著した青木繁の画集を見て美術にのめり込む。昼は学校の美術室に、夜は地元大分の画材店キムラヤの美術サークル「新世紀群」で活動した。ここには、同郷の磯崎新、赤瀬川隼(両者は同じ高校の1年先輩)風倉匠らが集っていた。当時から鷹揚で人をひきつけ、親分肌で面倒見がよくスポーツ万能。