吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日… 吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、明治末期から昭和中期の日本の歌人、劇作家、小説家である。元伯爵(華族)。宮中歌会始選者、日本芸術院会員。本名の読み仮名は「よしい いさみ」。 “いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)”の歌詞で知られる『ゴンドラの唄』の作詞者。北原白秋らと「パンの会」を結成。石川啄木らとは雑誌「スバル」を発行して耽美派の拠点とした。京都の祇園を愛し、「祇園歌人」の異名で呼ばれた。人生享楽の世界を歌った代表作『酒ほがひ』(明治43年)のほか、『祇園歌集』(大正4年)、『人間経』(昭和9年)、『天彦』(昭和14年)などがある。
仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 19… 仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 1954年4月28日)は、日本の劇作家、編集者である。 1886年(明治19年)9月11日、仲木之稙の子として、石川県に生まれる。山口県に転じ、旧制・山口県立徳山中学校(現在の山口県立徳山高等学校)を卒業後、上京し、早稲田大学英文科を卒業する。 1910年(明治43年)、24歳のころ、新聞『萬朝報』の懸賞戯曲に応募し、『世の終り』が1等当選した。読売新聞社に入社、同新聞の記者をつとめる傍ら、秋田雨雀らと『劇と詩』を創刊している。その後、芸術座に入るが、1919年(大正8年)には同劇団は島村抱月と松井須磨子の死により解散した。のちに新国劇に参加し、座付作家として『飛行曲』、女優・伊沢蘭奢の当たり役『マダムX』などの戯曲を発表、劇場運営にも関わった。
畑 耕一(はた こういち、1886年5月10日 - 1957… 畑 耕一(はた こういち、1886年5月10日 - 1957年10月6日)は、大正・昭和時代前期日本の小説家、劇作家、作詞家。俳号は蜘盞子、別名義に多蛾谷 素一。 1886年(明治19年)、広島市堀川町で漆問屋の家庭に生まれる。生年については1887年(明治20年)、1896年(明治29年)など複数の説があったが、後年の研究で戸籍上の生年が「明治19年」であることが確認されている。父の平蔵は商業を学ばせるためとして耕一を大阪の商家へ奉公に出し、大阪府師範学校附属小学校(現在の大阪教育大学附属天王寺小学校)を経て市立大阪高等商業学校へ進学させる。大阪高商の予科を卒業した後、広島へ帰郷し中国新聞の「中国文壇」欄投稿者の親睦会「詞友会」結成に参加し、幹事を務める。
池田 大伍(いけだ だいご、1885年(明治18年)9月6日… 池田 大伍(いけだ だいご、1885年(明治18年)9月6日 - 1942年(昭和17年)1月8日)は、歌舞伎の劇作家、劇評家、翻訳家。甥は池田弥三郎。 池田鉸三郎・乃婦の次男に生まれた。家は幕末から続く銀座の天ぷら屋「天金」で、兄が金太郎、本人の幼名が銀次郎だった。1891年から私塾の鍋町小学校に通い、公立の麹町小学校を卒業した。その後商工中学を経て、1907年早稲田大学英文科を卒業した。東京毎日新聞の劇評を2年書いた後、1911年(明治44年)、坪内逍遙らの文芸協会の演芸主事となった。1913年(大正2年)の文芸協会解散後は、東儀鉄笛・土肥春曙らと劇団「無名会」を組織し、翌1914年、第一作『滝口時頼』を上演した。
木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)… 木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)は、静岡県出身の詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家。 東京帝国大学医科大学で学ぶ傍ら「パンの会」を興し、これと前後して『明星』『中央公論』『スバル』『白樺』で、詩のほか短歌・戯曲・小説などを発表。作風は南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的などと評された。のち、自費によるヨーロッパ留学を経て愛知医科大学、東北帝国大学、東京帝国大学の医学部教授を歴任し、傍らで文明批評や随筆紀行を著述した。筆名はほかに、堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、北村清六などがある。
長田 秀雄(ながた ひでお、1885年(明治18年)5月13… 長田 秀雄(ながた ひでお、1885年(明治18年)5月13日 - 1949年(昭和24年)5月5日)は、詩人、小説家、劇作家。 東京出身。獨協中学校卒業後、明治大学にて学ぶ。『明星』の詩人として北原白秋、木下杢太郎らとともに活躍。パンの会、『スバル』にも参加。最初の戯曲「歓楽の鬼」が自由劇場で上演され、以後劇作家として活躍、新劇運動に加わった。1920年(大正9年)には大作「大仏開眼」を発表、以後多くの歌舞伎劇の史劇を書く。1939年築地小劇場が会社組織となるに際して代表取締役。新協劇団(第一次)の代表者にも就任。1936年(昭和11年)には、井上正夫が立ち上げた井上演劇道場にも参加した。 1940年(昭和15年)8月20日、警視庁特高第一課は長田を呼び出し、社会主義思想を基調とした新協劇団を自発的に解散するように強要した。
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、旧字体: 武者小路… 武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、旧字体: 武者小路 實篤、1885年〈明治18年〉5月12日 - 1976年〈昭和51年〉4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、「新しき村」を建設して実践運動を行った。伝記や美術論も数多い。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。名誉都民。名誉三鷹市民。贈従三位(没時叙位)。 姓の武者小路は本来「むしゃのこうじ」と読むが、実篤は「むしゃこうじ」に読み方を変更した。しかし、一般には「むしゃのこうじ」で普及しており、本人も誤りだと正すことはなかったという。
岡田 八千代(おかだ やちよ、1883年(明治16年)12月… 岡田 八千代(おかだ やちよ、1883年(明治16年)12月3日 - 1962年(昭和37年)2月10日)は、明治 - 昭和期の小説家、劇作家、劇評家。芹影(きんえい)、芹影女、伊達虫子などの筆名を用いた。
秋田 雨雀(あきた うじゃく、1883年〈明治16年〉1月3… 秋田 雨雀(あきた うじゃく、1883年〈明治16年〉1月30日 - 1962年〈昭和37年〉5月12日)は、日本の劇作家・詩人・童話作家・小説家・社会運動家である。本名は徳三(とくぞう)。 産科医である父玄庵(全盲であった)と、母まつの長男として青森県南津軽郡黒石町(現黒石市)に生まれる。黒石尋常小学校、青森県立第一尋常中学校(青森県立弘前高等学校の前身)を経て東京専門学校(早稲田大学の前身校)英文科に入学する。在学中の1904年、詩集「黎明」を刊行。 1908年、恩師の島村抱月の推薦により、『早稲田文学』6月号に小説「同性の恋」を発表。小山内薫のイプセン研究会の書記をつとめ、戯曲への関心を深める。
鈴木 善太郎(すずき ぜんたろう、1883年1月19日 - … 鈴木 善太郎(すずき ぜんたろう、1883年1月19日 - 1950年5月19日)は、日本の小説家、劇作家、翻訳家。雅号は秋風。 福島県郡山市大町生まれ。旧制安積中学校を中退、旧制海城学校に転校し卒業。早稲田大学文学部英文学科卒業。卒業後は、国民新聞、朝日新聞社の記者として活躍し、大正7年に短篇小説『幻想』を発表して作家としての地位を確立する。『文章倶楽部』にて、菊池寛や野村愛正と並んで三大新進作家に数えられた。新劇運動にも参加し、日本近代演劇界に多大な貢献をした。 大正10年欧米各国を歴訪、帰国後、松竹顧問、コロムビア文芸部顧問となる。フェレンツ・モルナールの紹介に貢献した。
水谷 竹紫(みずたに ちくし、1882年(明治15年)10月… 水谷 竹紫(みずたに ちくし、1882年(明治15年)10月8日 - 1935年(昭和10年)9月14日)は日本の劇作家、演出家、編集者。第2次芸術座の中心人物として活動した。 女優の水谷八重子は義妹。 長崎県長崎区(現・長崎市)出身。岡山尋常中学(現・岡山県立朝日高等学校)、県立大村中学(現・長崎県立大村高等学校)を経て、1901年(明治34年)、東京専門学校(現・早稲田大学)予科に入学。本科では早稲田大学文学部哲学科。同級に詩人の相馬御風が居た。 1906年(明治39年)、早稲田大学を卒業し、姫路連隊に一年志願兵として入隊。翌年には神楽坂の名妓と結婚するが、この夫人の妹が後の水谷八重子である。
生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月… 生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月21日 - 1936年(昭和11年)1月11日)は、日本の評論家・翻訳家・劇作家・小説家。 父喜平治と母かつとの三男一女の末子として、鳥取県日野郡貝原村(現・日野町根雨)に生まれた。1895年(明治28年)(13歳)、地元の日野郡高等小学校を卒業し、翌年、次兄がいる大阪へ出て、1897年、桃山学院の2年生になった。 本名は弘法大師(空海)に因んだ「弘治」ながら、1898年、プロテスタント系のユニバーサリスト教会で受洗し、聖書に親しんだ。翌年上京して青山学院中学部の4年生となり、1900年、第一高等学校文科に入り、1903年、東京帝国大学文科大学哲学科へ進み、美学を専攻した。
岡村 柿紅(おかむら しこう、1881年(明治14年)9月1… 岡村 柿紅(おかむら しこう、1881年(明治14年)9月14日 - 1925年(大正14年)5月6日)は日本の劇作家・劇評家。狂言をもとにした歌舞伎舞踊の作品「身替座禅」「棒しばり」等は今日でもよく上演される。1915年以降、市村座の運営に関わった。 本名久寿治。高知市北奉公人町に生まれ、5歳のとき、両親と叔母に従い東京へ移った。叔母『加藤はま』は、初代竹本綾之助らと女義太夫を盛んにした『竹本東玉』である。 中学卒業後独逸学協会に在籍したものの、叔母の感化で芸能界に親しみ、1901年から1909年まで中央新聞に勤め、次に二六新報に転じて劇評を書いた。1908年の有楽座開場時には、顧問を引き受けた。
小山内 薫(おさない かおる、1881年〈明治14年〉7月2… 小山内 薫(おさない かおる、1881年〈明治14年〉7月26日 - 1928年〈昭和3年〉12月25日)は、明治末から大正・昭和初期に活躍した日本の劇作家、小説家、演出家、批評家、詩人。 日本の演劇界の革新にその半生を捧げた"新劇の父" 。 1909年に「自由劇場」を、1924年に土方与志らと「築地小劇場」を設立し、新劇運動に尽力した。戯曲に『第一の世界』(1920年)、『息子』(1922年)などがある。また、1919年に松竹本社理事兼松竹蒲田撮影所撮影総監督となり、1920年松竹キネマ俳優学校校長、松竹キネマ研究所設立を通して、トーキー(発声映画)が登場する日本映画黎明期に深く関わった。 1881年(明治14年)7月26日、広島陸軍衛戍病院長・小山内建の二男として後の広島市細工町(現在の大手町一・二丁目付近)に生まれた。
正宗 白鳥(まさむね はくちょう、1879年(明治12年)3… 正宗 白鳥(まさむね はくちょう、1879年(明治12年)3月3日 - 1962年(昭和37年)10月28日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、文学評論家。本名は正宗 忠夫(まさむね ただお)。別号は剣菱、影法師。岡山県生まれ。東京専門学校文学科卒。虚無的人生観を客観的に描く自然主義の代表作家として出発。批評精神に満ちた冷徹な境地を拓いた。評論にも優れている。戯曲も知られる。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 旧家の長男として生まれる。虚弱で、幼時からの生への不安が、後のニヒリズムの気質を育てたという。読売新聞社で文芸時評を書いたのち、『塵埃』(1907年)で自然主義文学の代表的作家に。
田村 西男(たむら にしお、1879年2月11日 - 195… 田村 西男(たむら にしお、1879年2月11日 - 1958年1月21日)は、日本の劇作家、小説家、劇評家。 東京日本橋生まれ。本名・喜三郎。東京法学院(現中央大学)卒。1903年より『文藝倶楽部』に小説を発表。1907年、光村合資出版より滑稽文芸雑誌『笑』を創刊し花柳小説を書く。『中央新聞』の劇評を担当し、劇界・花柳界の通であった。女優の田村秋子は長女。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
若月 紫蘭(わかつき しらん、1879年2月10日 - 19… 若月 紫蘭(わかつき しらん、1879年2月10日 - 1962年7月22日)は、日本の劇作家、演劇研究家、翻訳家、歌人。本名の若月 保治での著作も多い。 山口高等学校を経て、1903年東京帝国大学卒業。兵庫県洲本中学校教諭、石川県七尾中学校校長代理ののち、1908年「万朝報」の記者となり、1921年「人と芸術」を創刊。1922年万朝報を辞職、新劇研究所を設立した。 千代田高等女学校教諭、1928年東洋大学教授として国文学を教え、1933年千代田女子専門学校および帝国女子専門学校教授を兼任。紫蘭の号を捨てて人形浄瑠璃の研究に専念した。 1945年戦災に遭い帰郷、1950年より山口大学講師。メーテルリンクの『青い鳥』を翻訳した。
真山 青果(まやま せいか、旧字体:眞山 靑果、1878年(… 真山 青果(まやま せいか、旧字体:眞山 靑果、1878年(明治11年)9月1日 - 1948年(昭和23年)3月25日)は、日本の劇作家・小説家。本名は、真山 彬(まやま あきら)。日本芸術院会員。 宮城県仙台市裏五番町三番地に生まれる。父・寛は旧伊達藩士の士族で小学校の校長だった。1895年宮城県尋常中学校を中退。1896年に上京し、1897年日本中学校を卒業。同年、第二高等学校医学部に入学するも、小説や詩の習作に熱中して落第。1904年、佐藤紅緑に師事し「青果」の号を与えられる。翌年には小栗風葉門下となる。1907年、仙台市に近い農村を舞台とした農民文学の『南小泉村』(「新潮」1907年5月号)で注目されるも、1908年原稿二重売り事件を起こす。
中村 吉蔵(なかむら きちぞう、1877年5月15日 - 1… 中村 吉蔵(なかむら きちぞう、1877年5月15日 - 1941年12月24日)は、日本の劇作家、演劇研究家。文学博士。早稲田大学教授。 島根県津和野生まれ。後田今市にあった魚屋の岩崎屋に生まれた。大阪に出て為替貯金管理所に勤めるかたわら、雑誌へ小説を投稿する。大阪で高須梅渓らと雑誌「よしあし草」を発行。1899年、作家の広津柳浪を頼って23歳で上京し、東京専門学校(現・早稲田大学〉文学科に入学。在学中から春雨と号して「無花果」など多くの小説を発表。1903年(明治36年)で卒業(27歳)、同年結婚。妻のこうはバイオリニストで晩香女学校などで講師をした。 1906年(明治39年)からアメリカ、ドイツ等で留学し、雑誌記者や日本人倶楽部の文書係などをしながら、演劇を研究する。
行友 李風(ゆきとも りふう、明治10年(1877年)3月2… 行友 李風(ゆきとも りふう、明治10年(1877年)3月2日 - 昭和34年(1959年)12月13日)は、大正、昭和期の劇作家、小説家。広島県尾道市土堂町出身。本名は直次郎。 家は岩子屋という藍商で、その総領息子だった。学歴は小学校卒業とされる。明治39年(1906年)大阪新報社入社。社会部記者となり演芸欄を担当。大正5年(1916年)退社、大阪松竹合名会社(松竹)文芸部を経て、大正初期、田村木国(俳人)らと洗堰吟社をおこす。 大正6年(1917年)、芸術座を退団した沢田正二郎が、より一般大衆に親しまれる"新しい国劇"を目的とし新国劇を結成。松竹の白井松次郎の考えから新国劇に派遣され、大正8年(1919年)正月の大阪弁天座公演から、行友は座付き作者として迎えられた。
栗島 狭衣(くりしま さごろも、1876年4月5日 - 19… 栗島 狭衣(くりしま さごろも、1876年4月5日 - 1945年11月6日)は、日本の俳優、新聞記者、劇作家、脚本家である。本名は栗島 山之助(くりしま さんのすけ)、出生名は川村 山之助(かわむら さんのすけ)である。 1876年(明治9年)4月5日、東京府東京市日本橋区蛎殻町(後の東京都中央区日本橋蛎殻町)に力士の綾瀬川山左衛門(本名 川村藤次郎)の長男「川村山之助」として生まれる。当時の綾瀬川は割烹旅館を営んでいたが、出身地の大阪に帰り、長男の誕生から1年に満たない1877年(明治10年)3月8日に死去した。 1898年(明治31年)、旧制・國學院(後の國學院大學)国文科を卒業、東京朝日新聞社に入社する。
益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ、1875年(明治8年)9月… 益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ、1875年(明治8年)9月25日 - 1953年(昭和28年)5月18日)は、日本の実業家・劇作家・音楽家。貴族院議員。男爵。東京都出身。本名、太郎。
中内 蝶二(なかうち ちょうじ、1875年5月5日 - 19… 中内 蝶二(なかうち ちょうじ、1875年5月5日 - 1937年2月19日)は、日本の小説家、劇作家、ジャーナリスト、作詞家である。本名は中内 義一(なかうち ぎいち)。 1875年(明治8年)5月5日、高知県に「中内義一」として生まれる。 旧制・東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業し、博文館に入社し、その後、『萬朝報』の記者となった。戯曲『大尉の娘』は、1923年(大正12年)、井上正夫、初代水谷八重子が演じ、評価を得た。同作は、八重子の当たり役となり、「八重子十種」の演目のひとつとなった。 新派のための戯曲のほか、小説を執筆し、長唄の作詞も手がけている。 1937年(昭和12年)2月19日に死去した。
藤沢 周次(ふじさわ しゅうじ、1875年4月10日 - 1… 藤沢 周次(ふじさわ しゅうじ、1875年4月10日 - 1945年11月29日)は明治・大正期日本の英文学者、劇作家。学習院名誉教授。号は古雪(こせつ)。 1875年(明治8年)、新潟県士族(元佐渡奉行所幕臣)・藤沢親之の次男として東京府に生まれる。幼名は菊丸(きくまる)。東京帝国大学文学部英文科に入学し、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)から英語を学んだ。在学中、英作文の優秀者に与えられる賞を受賞しているが、その理由は英文の正確さ以上に「内容が優れている」と評されてのものであった。同期には森清(子爵、森有礼長男)、内ヶ崎作三郎(衆議院議員)、小日向定次郎(英文学者)、栗原基(同)、小島武雄(旧制第五高校教諭)らがいる。
田口 掬汀(たぐち きくてい、1875年1月18日 - 19… 田口 掬汀(たぐち きくてい、1875年1月18日 - 1943年8月9日)は、日本の小説家、劇作家、美術評論家である。本名は田口 鏡次郎(たぐち きょうじろう)。息子に画家の田口省吾、孫に小説家の高井有一。 1875年(明治8年)1月18日、秋田県仙北郡角館町(現在の同県仙北市角館町)に生まれる。。 角館の小学校を卒業し、商家に奉公するなどして、1900年(明治33年)ころ、雑誌『新声』への投稿が認められて上京、佐藤義亮の新声社(新潮社の前身)に入社。編集・記者業務に従事する傍ら創作活動を開始した。 1903年(明治36年)朝報社に入社。1904年『萬朝報』に小説『女夫波』を連載、1905年『伯爵夫人』を連載、これらの家庭小説で人気作家となった。
杉谷 代水(すぎたに だいすい、1874年8月21日 - 1… 杉谷 代水(すぎたに だいすい、1874年8月21日 - 1915年4月21日)は、日本の詩人、劇作家、翻訳家。本名は虎蔵。号の「代水」は鳥取市を流れる「千代川」に由来するという。アミーチスの「クオーレ」中の一篇を「親を尋ねて三千里」のタイトルで翻訳したり、文部省唱歌となる「星の界(ほしのよ)」の歌詞などを書いた。 また長女の恵美子は選集の編集をしたり、佐々木恵美子の名前で脚本家として活躍した。
佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年〈明治7年〉7月6日… 佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年〈明治7年〉7月6日 - 1949年〈昭和24年〉6月3日)は、日本の劇作家・小説家・俳人。本名:洽六 1874年(明治7年)、現在の青森県弘前市親方町に、旧弘前藩士の父・弥六、母・支那(しな)の次男として出生。 父の佐藤弥六(1842年 - 1923年)は、幕末に福沢諭吉の塾(慶應義塾)で学び、帰郷して県会議員となり産業振興に尽力、また『林檎図解』『陸奥評話』『津軽のしるべ』などの著書も著し、森鷗外の作品「渋江抽斎」にも郷土史家として登場する、弘前を代表する人物だった。 1890年東奥義塾を中退、青森県尋常中学校(後の青森県立弘前中学校 現・弘前高校)に入学。
岡本 綺堂(おかもと きどう、1872年11月15日〈明治5… 岡本 綺堂(おかもと きどう、1872年11月15日〈明治5年10月15日〉 - 1939年〈昭和14年〉3月1日)は、日本の小説家、劇作家。本名は岡本 敬二(おかもと けいじ)。別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など。新歌舞伎の作者として知られ、また著名な作品として小説「半七捕物帳」などがある。帝国芸術院会員。 養子の岡本経一は、出版社「青蛙房」の創業者で、社名は綺堂の作品「青蛙堂鬼談」に由来している。 元徳川幕府御家人で維新後にイギリス公使館に書記として 勤めていた敬之助(後に純(きよし)、号は半渓)の長男として東京高輪の泉岳寺の近くに生まれる。1873年、公使館の麹町移転とともに飯田町をへて麹町元園町に移って育つ。
島村 抱月(しまむら ほうげつ、1871年2月28日〈明治4… 島村 抱月(しまむら ほうげつ、1871年2月28日〈明治4年1月10日〉- 1918年〈大正7年〉11月5日)は、日本の文芸評論家、演出家、劇作家、小説家、詩人。新劇運動の先駆けの一人として知られる。旧姓は佐々山、本名は瀧太郎。 島根県那賀郡小国村(現・浜田市)に佐々山一平の長男として生まれる。実家は貧しく、小学校卒業後、苦学して浜田町裁判所書記となる。同裁判所検事・島村文耕から学資の援助を受け、上京。1891年(明治24年)に文耕の養子となる(後に文耕の姪と結婚)。 増田藤之助が塾主を務める日本英学院を経て、東京専門学校(現・早稲田大学)文学科で坪内逍遙、大西祝から文学、美学を学び、1894年(明治27年)に卒業。
松居 松葉(まつい しょうよう、1870年3月19日(明治3… 松居 松葉(まつい しょうよう、1870年3月19日(明治3年2月18日) - 1933年(昭和8年)7月14日)は、劇作家、演出家、小説家、翻訳家。別号に、松翁・駿河町人・大久保二八など。 父真房・母鶴子の長男として、陸前国塩釜(現・宮城県塩竈市)に生まれた。幼名は雄児、2歳のときに真玄(まさはる)と改めた。養子だった父は、1876年生家に戻り、真玄は親戚に預けられた。母は再婚した。 1877年(明治10年)(7歳)、宮城県師範学校付属小学校に入り、1880年、宮城県尋常中学校に進んだが、経済的事情から1883年中退して、丁稚奉公に出た。 1887年(17歳)上京して専修学校に、次いで国民英学会に学び、1889年卒業した。
土肥 春曙(どい しゅんしょ、1869年11月9日(明治2年… 土肥 春曙(どい しゅんしょ、1869年11月9日(明治2年10月6日)- 1915年(大正4年)3月2日)は、日本の新派俳優、劇作家である。春曙は芸名で、本名は庸元。 書家であった土肥直康(樵石) とその妻のカジュの長男として、肥後に生まれる。東京専門学校(現在の早稲田大学)文科一期生として入学後、坪内逍遥に師事した。卒業後は読売新聞に勤務し、ジャーナリストとしての活動を経て、1901年(明治34年)には川上音二郎が座長を務める一座の座員となり、ヨーロッパ巡業に参加し、通訳等を務め俳優への道を志した。 帰国後は、大学時代の師匠である逍遥に再度師事し朗読会である「易風会」を創設に携わり、1906年(明治40年)には逍遥らが創設した文芸協会の設立時の俳優として、多くの作品に出演し主役を務め、端正な容貌や近代的な演技として名を馳せた。
曾我廼家 十郎(そがのや じゅうろう、1869年6月6日〈明… 曾我廼家 十郎(そがのや じゅうろう、1869年6月6日〈明治2年4月26日〉 - 1925年〈大正14年〉12月4日)は日本の俳優、劇作家。本名は大松福松。劇作家としては和老亭当郎と名乗った。 伊勢国松阪出身。家業は合羽、煙草の販売だった。 1900年(明治33年)、3代目中村歌六の弟子となり中村時代()を名乗る。歌舞伎の下積み役者として活動するなかで中村珊之助と出会い、2人で喜劇に舵をとる。曾我兄弟にあやかり、年上の時代が曾我廼家十郎、珊之助が曾我廼家五郎を名乗る。1904年(明治37年)2月、道頓堀「浪花座」にて狂言『無筆の号外』を上演して人気を得る。この際、時期が日露戦争の開戦と重なって十郎は尻込みしたが、五郎の牽引で興行した。
右田 寅彦(みぎた のぶひこ、慶応2年2月6日(1866年3… 右田 寅彦(みぎた のぶひこ、慶応2年2月6日(1866年3月22日) - 大正9年(1920年)1月11日)は大正時代の劇作家、歌舞伎狂言作者、小説家。 豊後国(現・大分県)臼杵に臼杵藩士の子に生まれる。右田年英の実弟。柳塢亭、矮亭主人と号す。明治10年代、11歳時には上京、三田英学校や漢学塾に学んだ後、高畠藍泉に師事する。めざまし新聞、都新聞において多くの戯曲の脚本、艶種(つやだね)や雑報などを執筆した。その後、東京朝日新聞に入社して主に小説を書いた。明治38年(1905年)には栗島狭衣らと文士劇の劇団、若葉会を結成する。明治42年(1909年)に帝国劇場が開場されるのに伴い、立作者となって多数の戯曲を執筆した。
坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙、1859… 坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙、1859年6月22日(安政6年5月22日) - 1935年(昭和10年)2月28日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。小説家としては主に明治時代に活躍した。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。本名は坪内 雄蔵(つぼうち ゆうぞう)。別号に「朧ろ月夜に敷くものぞなき」の古歌にちなんだ春のやおぼろ(春廼屋朧)、春のや主人など。俳句も詠んだ。
福地 源一郎(ふくち げんいちろう、天保12年3月23日(1… 福地 源一郎(ふくち げんいちろう、天保12年3月23日(1841年5月13日) - 明治39年(1906年)1月4日)は、日本の政論家・劇作家・小説家。幼名八十吉(やそきち)。号星泓のち櫻癡(おうち、新字体:桜痴)、別号吾曹。福地桜痴の名で知られる。東京日日新聞社長、最晩年は衆議院議員。 「江湖新聞」発刊で筆禍を得、大蔵官僚を経て東京日日新聞社主筆・社長に就任。当時の言論界・政界に大きな影響力を揮ったが、のち声望傾き、退社後は演劇改良運動に傾注して活歴劇を創始。改修物、翻案物のほか時代物や世話物を創作して劇壇の第一人者となった。 天保12年(1841年)、長崎新石灰(しっくい)町(現在の長崎市油屋町)で長門国豊浦郡府中(現 山口県下関市)出身の儒医・岸田苟庵(福地苟庵)の息子として生まれた。
依田 学海(よだ がっかい、旧字体:學海、天保4年11月24… 依田 学海(よだ がっかい、旧字体:學海、天保4年11月24日(1834年1月3日) - 明治42年(1909年)12月27日)は、日本の漢学者、文芸評論家、小説家、劇作家。幼名は幸造、信造。通称は七郎、右衛門次郎。諱は朝宗(ともむね)。初め字を百川(ひゃくせん)といったが後にこれを本名とした。学海は雅号で、柳蔭とも号した。
藤沢 文翁(ふじさわ ぶんおう、Bun-O FUJISAWA… 藤沢 文翁(ふじさわ ぶんおう、Bun-O FUJISAWA、4月19日 - )は、日本の劇作家、演出家、音響監督、作詞家 東京・六本木生まれ。祖父は藤沢武夫。 ロンドン大学(Goldsmiths)を卒業したバイリンガルの劇作家・舞台演出家である。 VOICARION、READING HIGHの設立者であり、「音楽朗読劇創作の第一人者」とされている。公益財団法人十四世六平太記念財団理事(能・喜多流の財団)である。 エージェントはソニー・ミュージックエンタテインメント傘下のroom NB。 東京都港区六本木生まれ。幼少期は祖父、藤沢武夫に預けられて育つ。母親の住むパリで演劇を学んだ後、イギリスへ渡り、ロイヤル・ホロウェイにてファンデーションコースを修了。
ニノキノコスター(4月16日 - )は、日本の劇作家、演出家… ニノキノコスター(4月16日 - )は、日本の劇作家、演出家。オレンヂスタ所属。 小劇場の俳優が落語をやる会"小名古屋落語会"「ナゴヤはいゆう寄席」席亭、日本劇作家協会 東海支部員。 愛知県豊田市出身。名古屋学芸大学メディア造形学部 映像メディア学科 一期生。 5歳~15歳まで「豊田シティバレエ団」にてクラシックバレエを習う。 愛知県立豊田西高等学校在学時に演劇と出会い、名古屋大学劇団新生で俳優、作・演出、制作、宣伝美術として活動。 2004年3月に名古屋学生劇団協会(NGK)事務局メンバーとしてNGKプロデュースvol.2 『彼女の愛した百鬼夜行』に出演。作・演出の竹内佑(デス電所)の元で、名古屋大阪二都市公演を行う。
加藤 道夫 は、日本の劇作家。代表作『なよたけ』が高い評価を… 加藤 道夫 は、日本の劇作家。代表作『なよたけ』が高い評価を受け、カミュやミュッセの翻訳、ジャン・ジロドゥ研究や演劇評論などでも知られる。芥川比呂志や三島由紀夫、矢代静一らと共に、岸田国士が発足した文学立体化運動「雲の会」の同人としても活躍したが、最後は自宅書斎で縊死自殺した。妻は女優の加藤治子。姪は作家の加藤幸子。
松枝 佳紀(まつがえ よしのり、- 2025年6月?日)は、… 松枝 佳紀(まつがえ よしのり、- 2025年6月?日)は、日本の劇作家、脚本家、演出家。劇団アロッタファジャイナ主宰。映画・映像の現場では、助監督、監督助手、監督補、脚本協力など様々な肩書きを持つ。近年は演劇のオムニバス公演「ProjectBUNGAKU太宰治」(2010年)や「日本の問題」(2011年)などを企画製作するなどプロデューサーとしても活動している。また、2005年より、映画プロデューサーの木村俊樹と組んで映画俳優向けの「4人の現役映画監督による実践的ワークショップ」を不定期に主催している。 京都大学経済学部卒業。日本銀行に入行したものの退職。退職理由が謎となっており、通常の自己都合退職ではないことを覗わせている。
木内 宏昌(きうち ひろまさ)は、日本の劇作家、脚本家、舞台… 木内 宏昌(きうち ひろまさ)は、日本の劇作家、脚本家、舞台演出家である。 以上、企画制作/tpt 以上、企画制作/映画演劇文化協会 以上、企画制作/千葉県南総文化ホール。 以上、企画制作/地人会新社。 以上、まつもと市民芸術館・TCアルププロジェクト
やの ひでのり(矢野英理)は日本の、劇作家・脚本家。鍼灸師。… やの ひでのり(矢野英理)は日本の、劇作家・脚本家。鍼灸師。劇団参人芝居主宰。福岡県出身。年齢、非公開 病院を舞台とした、精神世界を描く作品が多い。これは、やのの親族に医療関係者が少なくなく(やの本人は鍼灸師の国家資格所有)、幼少の頃から病院に関わることがあったためと推測される。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
しおつか こうへい は、日本の劇作家、演出家、俳優、声優。茨… しおつか こうへい は、日本の劇作家、演出家、俳優、声優。茨城県取手市出身。東京俳優生活協同組合(俳協)所属。以前は塩塚 晃平(読み同じ)名義で活動しており、賢プロダクションに所属していた。
岡野 勇(おかの いさむ)は、日本の劇作家、脚本家。
田中 はくどう(たなか はくどう)は、福岡県柳川市出身の、劇… 田中 はくどう(たなか はくどう)は、福岡県柳川市出身の、劇作家・演出家・プロデューサーである。田中 博道の表記を使っていた時期もある。 日本芸能教育センターからメジャーデビューしたレッスン生 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
福山 桜子(ふくやま さくらこ、9月10日 - )は、日本の… 福山 桜子(ふくやま さくらこ、9月10日 - )は、日本の劇作家、演出家、映画監督。アクティング・コーチ。立教大学講師。 東京都生まれ。ニューヨーク・東京在住。 東京都世田谷区鷗友学園女子高等学校卒業。立教大学文学部日本文学科卒業。 小劇場で劇作家・演出家として活動。日生劇場、青山劇場などで上演されるミュージカル、デヴィッド・ルヴォー率いるT.P.T.(Theater Projecut Tokyo:シアタープロジェクト・トーキョー)などの演出スタッフとして舞台業界にて活動。 三谷幸喜のもと、フジテレビドラマ『子供、ほしいね』にてテレビ脚本デビュー。 1990年代に渡米。渡米後、ニューヨークにて舞台作品に携わり、『February』『Non-Fiction』『LINK』などのオフ・ブロードウェイ公演の劇作・演出を行う。
池田 建太(いけだ けんた、8月25日 - )は日本の演出家… 池田 建太(いけだ けんた、8月25日 - )は日本の演出家、劇作家、作詞家、俳優、殺陣道場宗家。 出生地は東京都葛飾区。 ・合同会社ケルスプロモーション代表および総合プロデューサー ・劇団SAKURA前戦の代表および演出、俳優、殺陣振り付け ・士剣流殺陣道場 宗家 ・不知火シリーズ「花てまり」「鳥かぐら」「仇討ち・しぐれ傘」 ・パンドラの乙女たち ・幕末疾風伝MIBURO~壬生狼~ おもに代表を務める「劇団SAKURA前戦」のアトリエ公演作品として執筆。 ・うっかりあきらのさわやか青春日記(1999年) ・ヒーロー列伝(1999年) ・ファンタスティック☆らんぷ(2000年) ・サイボーグあかり(2003年) ・ベースマン(2003年) ・THE 射的!!!(2004年) ・☆闘源郷☆(2007年) ・宝塚ドリーム(2008年) ・ハッピー同窓会(2013年) ・ヒーロー列伝改訂版(2015年) ・1999年9月 紫雲の涯て(NTT夢天神ホール)‐ 武蔵坊弁慶 ・2000年4月 Heart Land~あなたがいた風景~(NTT夢天神ホール)- 新三郎、立花(二役) ・2001年2月 紫雲の涯て2001(NTT夢天神ホール)‐ 武蔵坊弁慶 12月 ポセイドンの娘(NTT夢天神ホール)- シュウジ ・2002年5月 ポセイドンの娘(NTT夢天神ホール)- シュウジ 10月 サンセットシンドローム(スカラエスパシオ)- 土方歳三 11月 紫雲の涯て(福岡市立平尾中学校)- 武蔵坊弁慶 ・2003年5月 サンセットシンドローム(福岡市早良市民センター)- 土方歳三 11月 サンセットシンドローム|筑陽学園創立記念公演(福岡サンパレス)- 土方歳三 ・2004年6月 永遠 -えいえん-(福岡市中央市民センター)- 黒崎 9月 永遠 -えいえん-(NTT夢天神ホール)- 黒崎 ・2005年6月 紫雲の涯て2005(福岡市早良市民センター)- 武蔵坊弁慶
伊緒里 優子(いおり ゆうこ 2月7日 - )は日本の劇作家… 伊緒里 優子(いおり ゆうこ 2月7日 - )は日本の劇作家,舞台プロデューサー,俳優。 福岡県遠賀郡岡垣町出身。高校は福岡県立宗像高等学校、大学は福岡大学人文学部日本日本文学科を卒業。 おもに所属する「劇団SAKURA前戦」の上演作品として執筆。2010年以前は「石井 亮(いしい りょう)」のペンネームを使用していたが、現在は「伊緒里 優子」の名前で執筆。 ・紫雲の涯て(1999年) ・Heart Land~あなたがいた風景~(2000年) ・ポセイドンの娘(2001年) ・サンセットシンドローム(2002年) ・永遠 -えいえん-(2004年) ・まほろば物語(2008年) ・100年目の眠り姫(2009年) ・MOON ~鬼が棲む森~(2010年) ・コープスナイト(2013年):短編 ・暁のワルプルギス(2013年):短編 ・不知火一家シリーズ Vol.1「花てまり」(2015年) Vol.2「鳥かぐら」(2019年) ・幕末疾風伝MIBURO~壬生狼~(2017年) ・1999年9月 紫雲の涯て(NTT夢天神ホール)‐ 源義経 ・2000年4月 Heart Land~あなたがいた風景~(NTT夢天神ホール)- かや乃 ・2001年2月 紫雲の涯て2001(NTT夢天神ホール)‐ 源義経 12月 ポセイドンの娘(NTT夢天神ホール)- カナメ ・2002年5月 ポセイドンの娘(NTT夢天神ホール)- カナメ 10月 サンセットシンドローム(スカラエスパシオ)- 沖田総司 11月 紫雲の涯て(福岡市立平尾中学校)- 源義経 ・2003年5月 サンセットシンドローム(福岡市早良市民センター)- 沖田総司 11月 サンセットシンドローム|筑陽学園創立記念公演(福岡サンパレス)- 沖田総司 ・2004年6月 永遠 -えいえん-(福岡市中央市民センター)- ホクト 9月 永遠 -えいえん-(NTT夢天神ホール)- ホクト
清水 マリコ(しみず マリコ、1月28日生)は、日本の劇作家… 清水 マリコ(しみず マリコ、1月28日生)は、日本の劇作家、演出家、ライトノベル作家。劇団「少女童話」主宰。日本大学藝術学部演劇学科卒。 1988年、自作の脚本による舞台「戦争に行く前にすべき2・3の事柄」が上演され、そのメンバーで「少女童話」を結成する。以降、主宰として「少女童話」の全作品の脚本と演出を担当する。 1996年に『超神伝説うろつき童子』のノベライズで作家デビューし、以後もアダルトゲームを中心に多数の作品のノベライズを手掛ける。 2002年に初のオリジナル長編『嘘つきは妹にしておく』を発表。作中では「少女童話」で上演された劇の台本が重要な役割を果たしている。2003年の『君の嘘、伝説の君』、2006年の『侵略する少女と嘘の庭』を合わせて『「嘘」シリーズ』、『「嘘」三部作』等と称される。
柳 美里 は、在日韓国人の劇作家、小説家である。韓国籍を持つ… 柳 美里 は、在日韓国人の劇作家、小説家である。韓国籍を持つ。劇団「青春五月党」主宰。