坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は… 坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は、日本の新左翼活動家、元連合赤軍中央委員会書記長(連合赤軍のナンバー3)、歌人、テロリスト。確定死刑囚。 千葉県富津市出身。中学1年の時に父親を病気で亡くす。子供の頃は日本共産党の動向に関心を持ち、60年安保においては民主社会党を支持していた。 千葉県立木更津高等学校卒業後、1965年4月に東京水産大学水産学部増殖学科(現東京海洋大学海洋科学部)に入学、水泳部に所属する。同部に所属していた川島豪に近づくためだった。当時4年生で自治会で後援会費闘争を行っていた川島を慕うようになる。その後、日韓条約反対闘争に参加し初めての集会とデモを経験。
阿部 一司(あべ かずし、1946年10月6日[要出典] -… 阿部 一司(あべ かずし、1946年10月6日[要出典] - )は、アイヌ民族活動家。元北海道アイヌ協会副理事長。アイヌ政策推進会議構成員などを務めている。 執筆、講演などの際は阿部ユポという名前を使うことがある。北海道鵡川村(現むかわ町)萌別生まれ。 2020年2月に行なわれた「第71回さっぽろ雪まつり」において、札幌アイヌ協会が受託するはずの事業の一部が、阿部一司の実妹の多原良子副会長が主宰する団体「メノコモシモシ」で受託されていたという事実が発覚し、幹部による不透明な金の流れを、複数の理事が実名で告発する異例の事態が発生している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
阿部 勉(あべ つとむ、1946年(昭和21年)8月30日 … 阿部 勉(あべ つとむ、1946年(昭和21年)8月30日 - 1999年(平成11年)10月11日 )は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫が結成した「楯の会」の1期生で第5班(のち10班の憲法研究班)班長。一水会結成参加メンバー。古本店「閑人舎」代表。 1946年(昭和21年)8月30日、秋田県仙北郡雲沢村字雲然(現・仙北市角館町)で父・羹栄と母・俊子の次男として誕生。雲沢村役場に勤めていた父・羹栄は勉がまだ俊子の腹の中にいる時に病死。小学校教諭の母は当初「彊」と名付けようとしたが、役所から当用漢字にもなく誰も読めないから同じ意味の「勉」にしたら、と勧められて「勉」となった。秋田県立角館高等学校を経て、1965年(昭和40年)4月、早稲田大学法学部に入学。
遠山 美枝子(とおやま みえこ、1946年8月12日 - 1… 遠山 美枝子(とおやま みえこ、1946年8月12日 - 1972年1月7日)は、日本の新左翼活動家、共産主義者同盟赤軍派メンバー。赤軍派最高幹部高原浩之は夫。 神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒。明治大学法学部卒。 幼くして父を亡くした貧困から、高校卒業とともにキリンビールに勤めながら明大の夜間に通う。大学在学中に赤軍派に参加。明治大学現代思想研究会で重信房子や上原敦男らと活動した。赤軍派では主にプロパガンダ映画の上映会などの後方支援を行っていた。 1971年2月には「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作るために日本を出国する重信を羽田空港で見送る。 1972年1月7日、連合赤軍幹部の永田洋子らによって山岳ベース事件により死亡。
栗原 君子(くりはら きみこ、1946年1月13日- )は、… 栗原 君子(くりはら きみこ、1946年1月13日- )は、日本の市民運動活動家、政治家。元参議院議員、前新社会党中央執行委員会委員長。
池尻 泰顔(いけじり たいがん、1946年 - )は、東京世… 池尻 泰顔(いけじり たいがん、1946年 - )は、東京世田谷区奥沢出身の右翼活動家である。 日本大学鶴ヶ丘高等学校在学時に、60年安保闘争で社会党の浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢に憧れ、田園調布の防共挺身隊の福田一門に入門、右翼運動のいろはを学ぶ。 1966年日本大学農獣医学部に入学、右翼学生を組織し桜友会を結成、学内の極左、日共勢力に攻撃を加え全共闘に潜り込み極左の内ゲバを煽動し日大闘争分断活動を行った。駒澤大学では全共闘のバリケード封鎖を実力で破壊、極左勢力を学外追放した。日大桜友会の学生を中心に防共挺身隊青年行動隊の安藤忠男、桶忠等と軍国主義学生同盟を結成し反共武装闘争を叫び街宣車で連日のように極左集団に突撃を加えた、羽田、成田、王子等極左の出没する所には必ず軍学同の黒旗とナチスのハーケンクロイツ旗が翻った。
佐藤 和夫(さとう かずお 1946年 - )は、日本の反ワ… 佐藤 和夫(さとう かずお 1946年 - )は、日本の反ワクチン活動家。 石川県出身。金沢泉丘高等学校卒業、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 三島事件が起きたことをきっかけとして自衛隊に入隊する。当時はサラリーマンであったのだが、国のために何かしなければならないと思い目覚めたとのこと。2025年1月には三島由紀夫の生誕100周年のイベントが行なわれていたのであるが、そこで佐藤は講演を行っていた。クーデターには賛同できないが、三島の残した文をもっと検証するべきであると述べていた。 2021年7月には、東京都銀座で新型コロナウイルスのワクチンを接種することに反対をするデモ活動を主催。この活動には親子連れなどの多くの人々が参加していた。
大窪 一志(おおくぼ かずし、1946年 - )は、日本のフ… 大窪 一志(おおくぼ かずし、1946年 - )は、日本のフリー編集者、著述家、翻訳家、左翼活動家。 神奈川県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。実存哲学を専攻。 筑摩書房、日本生協連広報室などの編集者を経てフリーの編集者・著述家として活動する。
福武 總一郎(ふくたけ そういちろう、1945年12月14日… 福武 總一郎(ふくたけ そういちろう、1945年12月14日 - )は、日本の実業家、慈善活動家。ベネッセホールディンクス名誉顧問。 進研ゼミで成功した福武書店(現ベネッセコーポレーション、ベネッセホールディングス)創業者・福武哲彦の長男として生まれる。命名の由来は、同郷の実業家大原總一郎。岡山県出身。早稲田大学理工学部卒業。日製産業、日本生産性本部勤務を経て、1973年福武書店に入社。出版業は嫌いで教育にはまったく興味はなかった。 1986年、福武書店社長であった父の急死に際し、東京から岡山の本社へ戻る。代表に就任し、英会話教室のベルリッツを買収、社名を福武書店から「ベネッセ」に変え、上場をし、介護事業にも参入、教育・介護の大手企業に育てた。
中尾 ハジメ(なかお はじめ、1945年10月13日 - )… 中尾 ハジメ(なかお はじめ、1945年10月13日 - )は、日本の社会心理学者、社会運動家、翻訳家、元京都精華大学学長。 本名、片桐充。思想の科学研究会会員。 兄は詩人・翻訳家の片桐ユズル。元妻は写真家・反核運動家のアイリーン・美緒子・スミス(ユージン・スミスの妻だった)。 東京都北多摩郡生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科心理学専修卒業。 1972年に岡林信康、甲斐扶佐義らと京都で喫茶店「ほんやら洞」をオープンする。 1973年、甲斐扶佐義、寺田勇文とともに「南ベトナムの政治犯を釈放する運動・京都」を立ち上げる。 1974年から、中川五郎フォークリポートわいせつ裁判をサポート。 以上のような自称「ヒッピー生活」を経て、1975年京都精華大学講師。
重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年〈昭和20年〉9月2… 重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年〈昭和20年〉9月28日 - )は、日本のテロリスト、新左翼活動家。元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部。 2000年11月8日に旅券法違反容疑で逮捕。ハーグ事件の共謀共同正犯として有罪となり、懲役20年の判決を受けた。東日本成人矯正医療センターなどで服役していたが、2022年5月28日に刑期満了で出所した。重信メイは娘。 東京都世田谷区で4人兄弟の次女として生まれた。父の末夫は四元義隆と同郷の鹿児島県出身で、第二次世界大戦前の血盟団事件に関与した右翼団体金鶏学院の門下生であった(血盟団メンバーと報じられることがあるが、メンバーではなく事件にも一切関与していない)。
森田 必勝(もりた まさかつ、自称読み:ひっしょう、1945… 森田 必勝(もりた まさかつ、自称読み:ひっしょう、1945年〈昭和20年〉7月25日 - 1970年〈昭和45年〉11月25日)は、日本の政治活動家。三島由紀夫が結成した「楯の会」の第二代学生長。三島と共に憲法改正のための自衛隊の決起を呼びかけた後に割腹自殺した(詳細は三島事件を参照)。 三島の単なる伴走者や主従関係の「従」ではなく、むしろ森田必勝が「主」となり三島らを引っ張っていったのではないか、という見解もしばしば見受けられる。 1945年(昭和20年)7月25日、三重県四日市市大治田町905番地(現・大治田2丁目7-21)に、父・森田和吉と母・たまの間に次男として誕生。父・和吉(明治33年生)は、市内の国民学校・内部小学校の校長をし、母・たま(明治39年生)は女学校の代用教員をしていた。
奥平 剛士(おくだいら つよし、1945年(昭和20年)7月… 奥平 剛士(おくだいら つよし、1945年(昭和20年)7月21日 - 1972年(昭和47年)5月30日)は、日本の新左翼活動家、テロリスト、革命家。日本赤軍創設メンバーで最高幹部。同じく日本赤軍メンバーの重信房子は戸籍上の妻、奥平純三は弟。重信など関係者の手記、支援者間の会報等ではアラブ名「バーシム」と書かれていることがある。 山口県下関市生まれ。1960年に山口県立下関西高等学校に入学したが、6月に岡山県立岡山朝日高等学校に転校。 1964年、京都大学工学部に入学。在学中の奥平は京都・九条でセツルメント活動をしており、日本共産党系の青年団体である日本民主青年同盟(民青同盟)の同盟員にもなっていた。
荒 岱介(あら たいすけ、1945年6月26日 - 2011… 荒 岱介(あら たいすけ、1945年6月26日 - 2011年5月3日)は、日本の新左翼活動家。「共産主義者同盟 (戦旗派)」(通称「日向派」「荒派」)代表、市民団体BUND代表。組織名は日向翔、赤目猫蔵、緒方哲生。 1945年6月、母親の疎開先の千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)で生まれる。母親は陸軍中野学校の電話交換士、父親は運送業者だが小児マヒの後遺症による障害者であった。 渋谷区立幡代小学校、代々木中学、都立駒場高校に進む。中学と高校時代は野球部。1965年早稲田大学第一法学部入学。現代文学会に所属し文学活動を志していた。その年の秋よりベトナム戦争を背景に早大学費学館闘争がはじまり苦学生として闘争に参加。
滝崎 武光(たきざき たけみつ、1945年6月10日 - )… 滝崎 武光(たきざき たけみつ、1945年6月10日 - )は、日本の実業家・慈善家。キーエンス創業者。キーエンス取締役名誉会長。キーエンス財団代表理事。兵庫県芦屋市出身。兵庫県立尼崎工業高校を卒業後、外資系のプラント制御機器メーカーに勤めた後、1度目の起業にチャレンジしたが倒産の憂き目に遭う。2度目の起業も、1回目と同様に失敗。3度目に設立した現キーエンスを日本トップクラスのメーカーにまで育て上げた。
安江 明夫(やすえ あきお、1945年4月5日 - 2021… 安江 明夫(やすえ あきお、1945年4月5日 - 2021年1月29日)は、日本の図書館員、国会職員。第19代国立国会図書館副館長。 石川県金沢市の金箔職人の家に生まれる。1969年、国際基督教大学教養学部社会科学科を卒業し、国立国会図書館入館。カナダ・モントリオール大学派遣、米国・コロンビア大学図書館学校留学、逐次刊行物部長、総務部関西館準備室長、関西館長などを経て、2004年12月同館副館長。2006年2月同館副館長を退任し顧問となる。 その後、専門図書館協議会顧問、学習院大学大学院講師、企業史料協議会副会長、日仏図書館情報学会長等を歴任。 2015年国際基督教大学同窓会第10回DAY賞受賞。
宮田 雪(みやた きよし、1945年3月3日 - 2011年… 宮田 雪(みやた きよし、1945年3月3日 - 2011年2月14日)は日本の脚本家、漫画原作者、社会活動家。秋田県出身。早稲田大学文学部中退。 農林省林野庁官僚の父と母の次男として秋田県大曲市(現・大仙市)に生まれる。父の転勤にともない函館市・前橋市などを経て、現在の札幌市豊平区平岸に移り、高校時代まで過ごす。父は短歌の私家集を発行するなど文人としての面も持つが、「文学では飯は食えない」と常に厳しく接していた。雪は厳格な父に反感をおぼえるが、その才を受け継ぎ、密かに脚本家を志すようになる。北海高等学校から早稲田大学文学部へ進学し、「ワセダミステリクラブ」に所属。曽根忠穂(のち「奇想天外」編集長)や石上三登志(のち、CM作家、評論家)らと、映画・漫画などを論じる同人誌『OFF』を上梓。
榎 美沙子(えのき みさこ、1945年(昭和20年)1月23… 榎 美沙子(えのき みさこ、1945年(昭和20年)1月23日 - 消息不明)は、日本の女性解放運動家、薬剤師、薬事評論家。中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(略称:中ピ連)代表として知られる。なお「榎美沙子」はペンネームで、結婚時の本名は木内公子(きのうち きみこ)である。旧姓は片山。 徳島県名西郡神山町下分生まれ。実家は裕福な材木商。徳島県立城東高等学校卒業後一浪して、1964年に京都大学薬学部に入学。1968年の同大学卒業後は関東圏に転居し、友田製薬(現・共創未来ファーマ)に就職。大学卒業記念帳に記した夢は「人民軍総司令官」と「かわいい奥さん」で、1969年には徳島大学医学部を経て医師となった高校時代の初恋の男性と結婚した。
深津 泰彦(ふかつ やすひこ、1945年1月8日 - )は、… 深津 泰彦(ふかつ やすひこ、1945年1月8日 - )は、日本のバスケットボール選手、労働運動家、実業家。トヨタ自動車労働組合書記長や、トヨタアドミニスタ代表取締役社長、東京トヨタ自動車代表取締役会長、日本バスケットボール協会会長等を歴任した。 愛知県出身。安城市立安城西中学校、愛知県立安城高等学校を経て、名古屋大学卒業。トヨタ自動車男子バスケットボール部選手を経て、1979年トヨタ自動車労働組合副委員長。1982年トヨタ自動車労働組合書記長。トヨタ自動車常務取締役を経て、2003年トヨタアドミニスタ代表取締役社長。2007年東京トヨタ自動車代表取締役会長。2008日本バスケットボール協会副会長。
内田 雅敏(うちだ まさとし、1945年 - )は、日本の弁… 内田 雅敏(うちだ まさとし、1945年 - )は、日本の弁護士、社会運動家。 愛知県蒲郡市生まれ。愛知県立時習館高等学校卒業。1968年、早稲田大学法学部卒業。1975年、東京弁護士会登録。1978年、四谷総合法律事務所を設立した。 日弁連人権擁護委員会委員、同接見交通権確立実行委員会委員長、関東弁護士会連合会憲法問題協議会委員長を経て、日弁連憲法委員会幹事、西松安野友好基金運営委員会委員長を務める。弁護士としての通常業務の他に、中国人労働者の戦後補償問題、靖国問題などに関与した。 1992年の第16回参議院議員通常選挙では、PKO法案に賛成していた森田健作の野党統一候補(社会・民社・社民連)としての推薦に反発し、反対派候補として社会党、社民連の一部議員の支援を得て東京都選挙区から立候補したが、落選した。
本吉 良吉(もとよし りょうきち、1945年月日 - )は、… 本吉 良吉(もとよし りょうきち、1945年月日 - )は、日本の社会活動家・元ベトナム反戦運動活動家。通訳。行政書士。日本ベトナム友好協会理事長。 1945年千葉県生まれ。神奈川大学卒。1960年代にはベトナム反戦運動の活動家であった。その後、日本とベトナムの友好親善交流活動、日本ベトナム友好協会神奈川県支部設立に参加し、ベトナム研修生の未払賃金請求裁判の法廷通訳、医療通訳スタッフ(かながわ医療通訳派遣システム自治体推進協議会、MIC)、東京都外国人結核患者に対する治療・服薬支援員、横浜市国際交流協会、行政専門通訳、神奈川県横浜市南区で行政書士事務所を経営、日本ベトナム友好協会理事長として様々なベトナムをテーマとした催しに出席し、ベトナムの広報、日本企業のベトナム進出セミナー通訳など友好活動を続ける。
椛島 有三(かばしま ゆうぞう、1945年 - )は、日本の… 椛島 有三(かばしま ゆうぞう、1945年 - )は、日本の政治活動家、社会運動家。日本会議事務総長、日本青年協議会・日本協議会会長、美しい日本の憲法をつくる国民の会事務局長。 佐賀県出身。1965年に長崎大学に進学して新左翼系の学生運動に対抗して右翼系の学生運動に参加、1970年に長崎大を中退して衛藤晟一らと日本青年協議会を結成。月刊誌『祖国と青年』を主宰し、同誌に多数の寄稿を行う。曰く、 1978年に石田和外が中心になって結成された「元号法制化実現国民会議」、それを改組して1981年に結成された日本を守る国民会議で事務局長を務め、1997年にその後身として結成された日本会議では事務総長となった。
藤島隆(ふじしま たかし、1945年- )は、日本の図書館員… 藤島隆(ふじしま たかし、1945年- )は、日本の図書館員、図書館研究者。 北海道札幌市生まれ。1970年、北海学園大学法学部を卒業し、北海道大学附属図書館勤務。旭川医科大学、山梨医科大学、山形大学、徳島大学等を経て、2005年富山大学附属図書館を退職。図書館・貸本業を研究した。
磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地… 磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地方公務員、社会起業家、市民活動家。元北海道副知事で、北海道農業企業化研究所理事長などを務める。北海道旭川市出身。 北海道富良野高等学校卒業。1967年明治大学法学部卒業。1967年北海道庁に入庁。1988年北海道庁企画振興部地域振興室振興課課長補佐。1989年同渡島支庁地方部長。1991年同生活福祉部生活文化課課長。1994年同企画振興部企画室参事。1996年同企画振興部対策室室長。1997年同総合企画部政策室室長。1999年同上川支庁支庁長。2000年総合企画部長。2001年北海道副知事。2003年2月に北海道庁を辞職し、堀達也知事退任の後を受けて、第15回統一地方選挙の北海道知事選挙に出馬。
石井 ポンペ(いしい ポンペ、1945年 - )は、日本の社… 石井 ポンペ(いしい ポンペ、1945年 - )は、日本の社会運動家。 のりこえねっと共同代表。のりこえねっとの書籍である『ヘイトスピーチってなに?レイシズムってどんなこと?』には石井も執筆する。 反原子力発電所の立場である。 1945年に北海道穂別町で生まれる。アイヌ民族の集落で生まれ育つ。 1960年に中学校を卒業し、同級生のほとんどは東京に集団就職をしていったものの、北海道の地元に残った。それから飯場で寝泊りする生活をして実家に戻る。実家に戻ってからは鉄道の工夫をする。17歳で母親に背中を押され札幌に求職に出る。1968年、アイヌの戸塚美波子が北海道新聞に投書した北海道百年記念事業への違和を綴った文章を見て、民族運動に向かった。
磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地… 磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地方公務員、社会起業家、市民活動家。元北海道副知事で、北海道農業企業化研究所理事長などを務める。北海道旭川市出身。
山浦 嘉久(やまうら よしひさ、1945年 - 2019年9… 山浦 嘉久(やまうら よしひさ、1945年 - 2019年9月15日)は、民族派の思想活動家。評論家。研究者。主に日本文明と国際政治研究を課題に活躍している。 1945年、長野県上田市に生まれる。長野県上田高等学校を経て、1969年、早稲田大学政治経済学部卒業。2019年9月15日、脳梗塞のため病院にて死去。74歳没。 学生時代から民族派学生組織『日本学生会議』議長を務め従事、卒業後も主に民族派社会運動の発展に人生を託す。その間商社業務を手がけ、欧米アジアを歴訪、国際政治、地政学、古代史、古伝などを学び「日本文明の本質と世界性」をライフワークと定める。北朝鮮事情やヤルタ会談について詳しい。文明地政学協会代表を務め同協会発行の世界戦略情報誌 みち 言論活動に従事。
ルース 利子(ルース としこ、1945年(昭和20年)- 1… ルース 利子(ルース としこ、1945年(昭和20年)- 1987年(昭和62年)12月18日)は、日本の社会事業家である。旧姓は沢田。 富山県富山市に生まれ、同志社大学に入学する。卒業後は富山キリスト教青年会(YMCA)に勤務し、同地で英語の教鞭を執った。後にロナルド・ルースと同教会で結婚し、その後は夫と共にボランティア活動のためイギリス領香港およびベトナムに活動拠点を移す。特にベトナムでは当時ベトナム戦争の真っ只中であり、1975年4月30日のサイゴン陥落まで同地の戦災者のためのボランティア活動に携わった。 後に渡米しニューヨークおよびヒューストンのYMCAの平和教育担当者として活動し、ボランティア活動を行ったベトナムおよびカンボジアの4人の孤児の救済にも携わる。
森 恒夫(もり つねお、1944年〈昭和19年〉12月6日 … 森 恒夫(もり つねお、1944年〈昭和19年〉12月6日 - 1973年〈昭和48年〉1月1日)は、日本のテロリスト。新左翼活動家。連合赤軍中央委員会委員長。 大阪市電気局(後に大阪市交通局)に勤務していた父親のもと、大阪市大淀区(現・北区)長柄中に生まれる。長柄中には電気局(交通局)の公舎があった。中学・高校の同窓生の回想では、その時期には公舎は鉄筋コンクリート5階建の団地のような建物だったという。兄2人、妹1人の4人きょうだいだった。連合赤軍幹部時代に「共同軍事訓練」後に経歴を披露した際、小学生の時に在日朝鮮人の友人がいて民族差別に接したことを話したとされる。 大阪市立豊崎中学校から大阪府立北野高等学校に進学した。
上野憲正(うえの のりまさ、1944年11月28日 - 20… 上野憲正(うえの のりまさ、1944年11月28日 - 2008年1月22日)は、日本の政治活動家、大蔵官僚。 北海道財務局長、大蔵省大臣官房審議官(大臣官房担当)、総理府行政改革委員会事務局首席参事官、大蔵省大臣官房企画調整主幹などを務めた。 埼玉県出身。東京都立九段高等学校、東京大学経済学部卒業。1968年 大蔵省入省(主計局調査課)。1973年7月 滝川税務署長。 1989年6月 内閣官房内閣調査官(内閣情報調査室)。1992年6月26日 北海道財務局長。1993年6月25日 大臣官房参事官(大臣官房担当)。1994年9月1日 大臣官房参事官(大臣官房担当)兼大臣官房審議官(大臣官房担当)。
楠 敏雄(くすのき としお、1944年11月15日 - 20… 楠 敏雄(くすのき としお、1944年11月15日 - 2014年2月16日)は、日本の教育者、社会運動家である。 1944年、北海道岩内町に生まれる。2歳の時に罹った結膜炎の治療ミスにより、視覚障害者(全盲)となった。1952年、1年間の就学猶予をへて、小樽盲学校小学部入学。1961年、札幌盲学校高等部本科理療科入学。1964年、大阪府立盲学校(現・大阪府立大阪南視覚支援学校)理療化専攻科入学。1966年、京都府立盲学校理療化専攻科入学。 1966年、当時、視覚障害者にも門戸を開いていた数少ない大学の一つである同志社大学を受験するが、不合格となる。1年間の浪人生活をへて、今度は龍谷大学に入学願書を提出。
大滝 則忠(おおたき のりただ、1944年9月27日 - )… 大滝 則忠(おおたき のりただ、1944年9月27日 - )は、日本の図書館員。第15代国立国会図書館長(2012年-2016年)。元東京農業大学教授。専門はアメリカ図書館史。公益社団法人米沢有為会会長。2016年11月瑞宝重光章を受章。 山形県東置賜郡川西町玉庭御伊勢町に生まれる。川西町立玉庭小学校、川西町立玉庭中学校、山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1964年、東京教育大学文学部社会科学科法律政治学専攻卒業。 1968年、国立国会図書館に入職。2001年、同館総務部長、2003年、同館副館長。2004年、同館を定年退職。2006年、東京農業大学教授に就任(2012年退職)。2011年、日本図書館協会理事(2012年退任)、2012年4月~2016年3月に国立国会図書館館長。
小西 隆裕(こにし たかひろ、1944年7月28日 - )は… 小西 隆裕(こにし たかひろ、1944年7月28日 - )は、日本の革命家。元赤軍派幹部。よど号グループのメンバー。 東京都立小石川高等学校から東京大学理科三類に進学。一時野球部に在籍し捕手としてプレーしていたが、後に退部して東大全共闘、医学部共闘会議議長となる。1969年に赤軍派が起こした東京戦争で警視庁本富士警察署火炎瓶投擲事件に関与。1970年によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。よど号グループではリーダー田宮高麿に次ぐサブリーダー格であった。 1976年によど号事件の前から恋人だった女性と結婚。1995年に田宮が死亡した後はリーダー格となる。 現在も平壌に在住しているが、警察庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている。
又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月1… 又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月18日 - 2023年〈令和5年〉9月18日)は、日本の政治家、労働運動家、地方公務員。参議院議員(3期)、社会民主党幹事長(第5代・第7代)、副党首、党首(第5代)を歴任。 1944年7月18日、富山県富山市生まれ。1962年、富山県立富山高等学校卒業。1965年、富山県庁就職。1974年、自治労富山県本部書記長に就任。1995年、自治労富山県本部執行委員長就任。 2001年、第19回参議院議員通常選挙に社会民主党公認で比例区から立候補し、初当選した。 2003年、幹事長・福島瑞穂の党首就任により、幹事長就任。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙で再選(比例区)。
稲垣 浩(いながき ひろし、1944年5月5日 - )は、日… 稲垣 浩(いながき ひろし、1944年5月5日 - )は、日本の労働運動家。釜ヶ崎地域合同労働組合委員長、北大阪合同労働組合執行委員長。釜ヶ崎炊き出しの会代表。
横山 やすし(よこやま やすし、1944年〈昭和19年〉3月… 横山 やすし(よこやま やすし、1944年〈昭和19年〉3月18日 - 1996年〈平成8年〉1月21日)は、かつて吉本興業大阪本社に所属していた漫才師、タレント、政治活動家。愛称は「やっさん」。 やすしと同じく高知県で生まれ、大阪府で育った西川きよしとの漫才は、漫才ブームの到来とともに爆発的な人気を博し、「やすきよ漫才」として20世紀を代表する天才漫才師と呼ばれるまでになった。波乱万丈な人生から破天荒芸人との異名をもつ。 初妻(のちに離婚)との間に俳優の木村一八(長男)と長女をもうけた。再婚した妻とはやすしの事務所契約解除等を挟み、逝去まで連れ添った。エステティシャンで漫才師さゆみ・ひかりの木村ひかり(次女)は、後妻との子である。
又吉 イエス(またよし イエス、1944年〈昭和19年〉2月… 又吉 イエス(またよし イエス、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 2018年〈平成30年〉7月20日)は、日本の政治活動家、宗教家、教育者。世界経済共同体党代表で、本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称してイエス・キリストを謳い、政治活動などを行った。 沖縄県宜野湾市で、雑貨店の5人兄弟の末子として生まれる。1963年に琉球政府立普天間高等学校を卒業、1968年に中央大学商学部を卒業したのちに、東京の商社や設計事務所で勤務した。兄の又吉辰雄は元沖縄県総務部長と宜野湾市助役を務めた。 その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた。
富野 暉一郎(とみの きいちろう、1944年〈昭和19年〉2… 富野 暉一郎(とみの きいちろう、1944年〈昭和19年〉2月2日 - )は、日本の社会運動家、福知山公立大学副学長、龍谷大学名誉教授。元逗子市長。専門は地方自治。 在日米軍施設である池子弾薬庫跡地への住宅建設に反対する住民運動に推されて、1984年に市長となった。1992年に次期市長選への不出馬を表明して退任し、その後は、島根大学教授、龍谷大学教授を歴任した。 1944年、当時は横須賀市の一部となっていた神奈川県逗子の旧家に長男として生まれる。小学生の頃から天文学を志し、京都大学理学部宇宙物理学科へ進み、1966年に卒業して、さらに東京大学大学院理学系研究科で天文学を専攻したが、1973年には博士課程中退に至った。
藤本 敏夫 (ふじもと としお、1944年(昭和19年)1月… 藤本 敏夫 (ふじもと としお、1944年(昭和19年)1月23日 - 2002年(平成14年)7月31日)は、日本の学生運動指導者、政治活動家。有機農法実践家、大地を守る会初代会長、兵庫県立鳴尾高等学校卒業、同志社大学文学部新聞学科中退。 鴨川自然王国設立者。妻は歌手の加藤登紀子。娘は歌手のYae。 大地を守る会(オイシックス・ラ・大地の前身の一つ)の活動を通じて、三里塚闘争を行っている農家が結成した「三里塚農法の会」から有機農法の農産物を買い付けていた。大地を守る会が会社化した後は、活動内容が変質したことから、反対派と疎遠になった。
友永健三(ともなが けんぞう、1944年1月10日 - )は… 友永健三(ともなが けんぞう、1944年1月10日 - )は、日本の人権活動家。部落解放・人権研究所名誉理事。 大阪市生まれ。大阪市立大学文学部哲学科入学。大学在学中の1967年2月、部落解放運動に参加。同大学卒業。1982年2月、部落解放研究所理事に就任、1993年4月部落解放・人権研究所所長に就任。反差別国際運動(IMADR)事務局次長などを務める。大阪市立大学非常勤講師。部落差別の撤廃をはじめ、人権確立社会の実現に尽力。
朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1944年 - )は、日本… 朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1944年 - )は、日本の新左翼活動家。フロント (社会主義同盟)共同代表。本名・山田勝。 群馬県前橋市生まれ。営林署職員であった父親の転勤に伴い那須、東京、伊豆、高萩で転勤生活を送る。茨城大学附属中学校に一学期通った後、港区立高松中学校に転校。1960年、東京都立日比谷高校に入学。統一社会主義同盟(統社同)系の社研に入部。一浪して1964年、東京大学文科Ⅰ類に入学、統社同に加入。のち東大卒業。統社同は1960年代後半に構造改革路線を捨てて急進化・新左翼化した。 統社同が1970年12月に名称変更した日本共産主義革命党の政治局員となり、労働運動路線を主張したが、統社同的体質が抜けない傾向だとして1972年3月に政治局員を解任された。
太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年… 太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の宗教家、政治活動家、日韓古代史研究家。全国大学連合原理研究会(J-CARP)の初代会長を務めた。国際勝共連合会長、世界平和連合会長、世界日報社取締役などを歴任。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「777双」の一人。 東京都に生まれる。直後に熊本県に疎開。熊本県立熊本高等学校卒業。1963年、京都大学工学部原子核工学科に入学。在学中は片山泰久教授に師事した。当初は日本共産党系の日本民主青年同盟(民青)で活動し、のちに反共主義に転向した。 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の教理「統一原理」を研究する団体である全国大学連合原理研究会(J-CARP)が発足。
ケンジ・ステファン・スズキ(Kenji Stefan Suz… ケンジ・ステファン・スズキ(Kenji Stefan Suzuki、日本名:鈴木健司、1944年 - )は、社会起業家、環境活動家。S.R.A.Denmark代表、風のがっこう代表。
北山 晴一(きたやま せいいち、1944年 - )は、日本の… 北山 晴一(きたやま せいいち、1944年 - )は、日本の社会学者、歴史学者、社会運動家。 立教大学名誉教授、文化ファッション大学院大学客員教授、社会デザイン学会会長。 専門と研究分野は、社会学、歴史学(歴史社会学、社会史)、社会デザイン学、比較文明学。 東京都生まれ。1945年3月、東京大空襲で九死に一生を得る。1968年、東京大学文学部仏文学科卒業。1977年、同大学院博士課程満期退学。 1972年、フランス政府給費留学生としてフランス留学(1976年まで)、クレルモン・フェラン大学で歴史家ミシュレJules Michelet研究の第一人者ポール・ヴィアラネー(fr:Paul Viallaneix)教授に師事。
要 宏輝(かなめ ひろき、1944年 - )は、日本の労働運… 要 宏輝(かなめ ひろき、1944年 - )は、日本の労働運動家。元総評全国金属オルグ。連合大阪副会長。 香川県坂出市出身。1967年横浜市立大学商学部経営学科卒業。総評全国金属労働組合大阪地方本部書記局に入局。60年代末、大阪の反戦青年委員会運動に参加。1977年の『労働情報』発刊時の呼びかけ人の1人。1991年全国金属機械労働組合大阪地方本部書記長。1999年連合大阪副会長(専従)、JAM大阪副委員長。2003年連合大阪なんでも相談センター相談員。2009年1月連合大阪を定年退職。その後も連合大阪なんでも相談センター相談員を務める。1993年から2003年、大阪地方最賃審議会委員。1999年から2008年、大阪府労働委員会労働者委員。
江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月… 江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月24日)は、昭和から平成時代の社会運動家、ジャーナリスト。政治グループ・MELTの中心メンバー。『労働情報』編集長。 東京都杉並区、埼玉県川口市で育ち、中学生のとき隣家の共産党員から影響を受けた。1960年、埼玉県立浦和西高校に入学。1962年、日本社会主義青年同盟に加盟。1963年、高校の先輩で後に全国反戦委員会世話人となる村上明夫により社青同構造改革派(後の主体と変革派)の一員となった。高校卒業後、一浪して法政大学文学部に入学。1966年頃に村上の誘いで社青同の専従となり、1968年に埼玉県反戦青年委員会事務局長となった。 70年闘争の後は左翼運動から離れてサラリーマン生活を送っていたが、社青同に加入していた第四インターメンバーと再会したことが契機となり、1974年に第四インターナショナル日本支部に加盟した。
日高 敏彦(ひだか としひこ、1944年 - 1976年10… 日高 敏彦(ひだか としひこ、1944年 - 1976年10月2日)は日本のテロリスト、日本赤軍のメンバー。 日本の警察は遺族の訴えを退けて司法解剖を拒否し、そのまま火葬に附される。1977年「団結をめざして -日本赤軍の総括-」によると遺体の灰からは長さ十数センチの金属針が発見された、とある。 好きなハナシ・・・ゾウリムシとワラジムシの話 嫌いな食べ物・・・ネギ
神津 陽(こうづ あきら、1944年 - 2025年4月14… 神津 陽(こうづ あきら、1944年 - 2025年4月14日)は、日本の社会評論家・運動家。元駿台予備学校講師。 愛媛県宇和島市出身。愛媛県立宇和島南高等学校、中央大学法学部一部法律学科卒業。 三上治(味岡修)とともに新左翼の党派である共産主義者同盟(ブント)叛旗派の理論的指導者として、中大闘争、三多摩闘争、三里塚闘争等を主導する。著書『蒼氓の叛旗』はベストセラーとなった。70年代以降ブント内でも赤軍派に見られるような急進的軍事革命路線と、その他穏健派閥の中で対立が生まれ、新左翼グループ内で内ゲバが横行するようになると、これに嫌気をさした神津は1976年叛旗派を解散。以後在野の社会評論家として活動した。
浦野 修(うらの おさむ、1943年(昭和18年)10月27… 浦野 修(うらの おさむ、1943年(昭和18年)10月27日 - 2025年(令和7年)1月29日)は、日本の郵便局長、公務員、政治活動家。2008年から2009年まで全国郵便局長会会長を務めた(後任はのちに参議院議員となる柘植芳文)。日本会議東京都西多摩支部長、日本防災士会会長。 東京都出身。昭島中神郵便局の前局長。日本防災士機構が認証する防災士の第1号。 この項目は、日本郵政グループに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 日本郵政グループ)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
奥 浩平(おく こうへい、1943年〈昭和18年〉10月9日… 奥 浩平(おく こうへい、1943年〈昭和18年〉10月9日 - 1965年〈昭和40年〉3月6日)は、日本の学生運動家。遺稿集『青春の墓標』で知られる。 1943年10月9日、東京都に4人兄弟(姉1人、兄2人)の末っ子として生まれる。世田谷区立守山小学校(現:世田谷区立下北沢小学校)、目黒区立第六中学校(現:目黒区立目黒中央中学校)を卒業。1959年4月、東京都立青山高等学校に入学。高校2年時の1960年6月、樺美智子の死に触発されて安保闘争に参加する。 1962年3月、都立青山高校を卒業。1年間の浪人生活ののち、1963年4月、横浜市立大学文理学部に入学。史学研究部やマルクス主義研究会でのクラブ活動を経て、同年7月に中核派に加盟し、原潜寄港阻止闘争や日韓会談反対闘争などに参加する。