江口 克彦(えぐち かつひこ、1940年2月1日 - )は、… 江口 克彦(えぐち かつひこ、1940年2月1日 - )は、日本の実業家、政治家、経済学博士。おおさか維新の会所属の前参議院議員(1期)。元みんなの党最高顧問(両院議員総会長)。地域政党自由を守る会顧問。PHP総合研究所・PHP研究所前社長。
2月1日生まれ:462人
江口 克彦(えぐち かつひこ、1940年2月1日 - )は、… 江口 克彦(えぐち かつひこ、1940年2月1日 - )は、日本の実業家、政治家、経済学博士。おおさか維新の会所属の前参議院議員(1期)。元みんなの党最高顧問(両院議員総会長)。地域政党自由を守る会顧問。PHP総合研究所・PHP研究所前社長。
藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大… 藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
山本 紘(、1940年2月1日 – )は、東洋工業(現マツダ… 山本 紘(、1940年2月1日 – )は、東洋工業(現マツダ)の自動車技術者。京都府宮津市出身。ユーノスコスモ主査。元商品本部副本部長。マツダモータースポーツの生みの親の一人で、レース監督まで務めた。 1962年、大阪工業大学機械工学科卒業、卒業論文にはロータリーエンジン (RE) の設計図を描いた。同年東洋工業入社、実験研究部に配属され、内燃機関燃焼研究を担当。 1963年の日本グランプリよりモータースポーツ活動に専念、以後エンジニアとして海外・国内のレースに関与し、後にレース監督まで務めた。 1964年、日本グランプリにキャロル360/600で参戦。1966年(マツダの海外レース初戦)、1967年のシンガポールグランプリ、マカオグランプリにファミリア800と1000クーペで参戦し、いずれもクラス優勝を果たした。
武腰 敏昭(たけごし としあき、1940年2月1日 - 20… 武腰 敏昭(たけごし としあき、1940年2月1日 - 2021年7月28日)は、日本の陶芸家。位階は従四位。 日本藝術院会員、金沢学院大学名誉教授。 石川県出身。金沢美術工芸大学卒。泰山窯3代。1957年、日展初入選。1963年、日本現代工芸展初入選。1996年、日展評議員、北國文化賞受賞。1997年、「春来るらし」で日工会展内閣総理大臣賞。2001年、「静寂(しじま)」で日展内閣総理大臣賞。2005年、金沢学院大学教授、美術文化学部長。2010年、「湖畔・彩釉花器」で日本芸術院賞、芸術院会員。2011年、日展常務理事。2021年7月28日、大腸癌のため81歳で死去。叙従四位、旭日中綬章追贈。
林 政志(はやし まさし、1940年〈昭和15年〉2月1日 … 林 政志(はやし まさし、1940年〈昭和15年〉2月1日 - 2018年〈平成30年〉5月13日)は、日本の政治家。北海道芦別市長(4期)。旭日中綬章綬章。 北海道出身。1964年(昭和39年)、早稲田大学商学部卒。帰郷し、星の降る里芦別社長、芦別青年会議所理事長を経て、芦別市議会議員となる。1995年(平成7年)の芦別市長選挙に立候補して当選する。1999年(平成11年)に再選。2003年(平成15年)、2007年(平成19年)は無投票で当選した。2011年(平成23年)の市長選では元芦別市議の清沢茂宏に敗れた。2018年に死去した。
川喜多和子(かわきた かずこ、1940年(昭和15年)2月1… 川喜多和子(かわきた かずこ、1940年(昭和15年)2月1日 - 1993年(平成5年)6月7日)は、日本の実業家であり、海外の映画を日本国内に数多く配給したことで知られる。元夫は俳優・映画監督の伊丹十三。 東京都出身。父・川喜多長政、母・川喜多かしこの一人娘として聖路加病医院で生まれる。父の仕事の都合で、中国の上海・北京で育つ。上海で暮らした3歳の頃にはロシア人の先生についてバレエを習いだす。第二次世界大戦の敗戦により、引き揚げまでの2ヶ月は収容所で過ごした。1946年(昭和21年)2月に帰国。生家であった麻布の邸宅は空襲により焼け落ちていたため、鎌倉へ一家で転居した。1947年(昭和22年)御成小学校入学、その後、御成中学校へ進学し、東勇作バレエ団に入団。
岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月… 岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月1日 - )は、日本の官僚。厚生事務次官を経て、収賄罪で懲役。出所後、ウィーティービーフーズ株式会社を設立し、同社社長や会長を務める。 広島県呉市出身。呉海軍工廠に勤務していた父親が、岡光1歳の時に亡くなり、親ひとり子ひとり、女手ひとつで育てられ、苦学して広島県立呉三津田高等学校に進学、東京大学法学部卒業後、1963年(昭和38年) 厚生省に入省した。社会局援護課に配属された。厚生省を選んだ理由は、子供の頃、呉の実家近くに岸信介らが設立した東洋パルプの工場があり、大量の汚水を瀬戸内海に流す光景が頭から離れず、豊かで美しい瀬戸内海を取り戻したいという思いからだという。
牛島 定信(うしじま さだのぶ、1939年2月1日 - )は… 牛島 定信(うしじま さだのぶ、1939年2月1日 - )は、日本の医学者・精神科医・精神分析家。学位は、医学博士(九州大学・課程博士・1970年)。福岡大学医学部教授・東京慈恵会医科大学教授・東京女子大学教授等を歴任。
白井 捷一(しらい しょういち、1939年2月1日 - 20… 白井 捷一(しらい しょういち、1939年2月1日 - 2025年2月20日)は、日本の政治家。元北海道長万部町長(2期)。愛知県豊橋市出身。町長在任時はまんべくんが人気があったためファンの間で”長万部超長という愛称で親しまれていた。 戦後開拓農家として長万部町で育つ。長万部町立双葉中学校(現・長万部町立長万部中学校)卒業。長万部農業協同組合(現・新函館農業協同組合)の参事を務めていた1995年4月23日、長万部町議会議員選挙に初当選した。以後、1999年、2003年にも当選した。2003年5月に議長就任。 2006年7月23日の長万部町長選挙において当選、町長に就任した。※当日有権者数:5,726人 最終投票率:84.09%(前回比:-pts) 前回と同じ構図になったが、2010年7月18日に再選を果たした。
乙川 弘文(おとがわ こうぶん、英語: Kōbun Chin… 乙川 弘文(おとがわ こうぶん、英語: Kōbun Chino Otogawa、1938年2月1日 - 2002年7月26日)は、アメリカで活躍した日本の曹洞宗の禅僧。別姓:知野(ちの)。道号は鳳雲。新潟県加茂市出身。 アメリカ合衆国カリフォルニア州で活動し、Apple社のスティーブ・ジョブズとの交流でも知られた。 新潟県加茂市の曹洞宗「定光寺」の三男として生まれる。1951年に13歳で乙川瑾映(のちの大本山總持寺独住20世貫首)に就いて得度。1960年、駒澤大学仏教学部卒業。1964年に京都大学大学院文学研究科で長尾雅人に師事して修士号(大乗仏教)を取得した。大学院在学中に地域の同宗派寺院耕泰寺の養子になり、知野に改姓。
桐村泰次(きりむら やすじ、1938年〈昭和13年〉2月1日… 桐村泰次(きりむら やすじ、1938年〈昭和13年〉2月1日- )は、日本の翻訳家、哲学研究者、創価学会の人物。 京都府福知山市生まれ。1960年東京大学文学部社会学科卒。創価学会に入り、聖教新聞の記者となり、のち編集主事。フランス文化史の翻訳を多く行っている。
30代 木村 庄之助(さんじゅうだい きむら しょうのすけ、… 30代 木村 庄之助(さんじゅうだい きむら しょうのすけ、本名は鵜池 保介(ういけ やすすけ)、1938年2月1日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は2001年11月〜2003年1月。佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身。出羽海部屋所属。 1955年3月場所、後に「泉の親方」と呼ばれた名行司22代木村庄之助に入門。兄弟子に28代木村庄之助が、同期生には31代庄之助、32代庄之助、33代庄之助がおり、32代庄之助は同部屋で同期である。翌5月、木村保之助(初代)の名で初土俵。保之助を11年名乗って1966年9月師匠の前名である3代木村林之助を襲名、翌11月に十両格に昇格。
谷本 稔(たにもと みのる、1937年2月1日 - 2010… 谷本 稔(たにもと みのる、1937年2月1日 - 2010年)は、愛媛県八幡浜市出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。 八幡浜高校1年次の1952年に板前であった父親を亡くし、「母親を楽にするために」と大学進学を諦めてプロを志す。3年次の1954年に行われた夏の甲子園県予選では打率.660と打ちまくったが、準々決勝で宇和島東高に惜敗。1955年、高校の監督が藤本定義監督の兄であった事から大映スターズに入団。1年目の同年は3月27日の東映戦(駒澤)に捕手で開幕戦スタメンデビューを果たすが、これは日本プロ野球史上初の「高卒ルーキー捕手の開幕戦スタメンデビュー」であり、2006年の炭谷銀仁朗(西武)まで51年間なかったという非常に稀な出来事でもあった。
西尾 裕(にしお ゆたか、1937年2月1日 - 2009年… 西尾 裕(にしお ゆたか、1937年2月1日 - 2009年6月11日)は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。元八幡大学硬式野球部監督。 1955年に小倉南高から南海ホークスに入団。 宅和本司、皆川睦雄と肩を並べる実力のある新人投手として期待されたが、入団早々肩を壊してしまい、一軍での成績は0勝1敗に終わり、芽が出ないまま1957年に退団。 その後は、北九州市の企業に就職し社会人野球を経験。 1960年に八幡大学に入学し硬式野球部に入部。1961年の九州六大学野球春季リーグ初優勝に貢献。3学年時から選手兼監督を務める。 1964年に八幡大学を卒業。その後も同大の野球部監督を継続、後就職課長、学部事務長を務めた。
星野 展弥(ほしの のぶや、1937年2月1日 – 2020… 星野 展弥(ほしの のぶや、1937年2月1日 – 2020年2月22日)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む計4個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は9位タイ。段級位は9段。 1958年度、全日本卓球選手権大会シングルス決勝で成田静司に1-3で敗れ準優勝。 1959年度、ドルトムント (西ドイツ) で行われた世界選手権ではシングルスで16強。成田と出場した男子ダブルスでは準々決勝敗退。難波多慧子と出場した混合ダブルスでも準々決勝敗退。団体で成田、村上輝夫、荻村伊智朗と金メダル。世界ランキング13位タイ。
二瓶 綾子(にへい あやこ、1937年2月1日 - )は、福… 二瓶 綾子(にへい あやこ、1937年2月1日 - )は、福島県福島市出身の日本の女子プロゴルファー。 日本女子プロゴルフ協会 (JLPGA) 元会長。 庭塚中学校卒業。20歳の頃、福島県のゴルフ場でキャディになったことからゴルフを始める。 1967年、第1回プロテストでは樋口久子に次ぐ2位で合格。女子部創立記念競技に参加し、2位タイ。 1968年、日本女子プロゴルフ選手権大会2位など、賞金ランク3位 (自己最高位) 。1969年は同6位、1970年は同7位、1971年は同9位、1972年は同4位と一桁順位が続くも優勝なし。 1973年は日本女子プロゴルフ選手権大会3位タイ、JSG女子オープン2位と惜敗が続くも、諏訪湖女子オープンで初優勝。
松本 泰造(まつもと たいぞう、1936年〈昭和11年〉2月… 松本 泰造(まつもと たいぞう、1936年〈昭和11年〉2月1日 - )は、日本の政治家。元和歌山県有田市長(1期)。元和歌山県議会議員(2期)。旭日小綬章受章。 和歌山県出身。1959年(昭和34年)和歌山県立箕島高等学校卒。有田市議会議員、同第26代議長(1988年9月から1989年9月まで)を経て、1995年(平成7年)和歌山県議会議員に当選、2期務める。2000年(平成12年)有田市長選挙に立候補し無投票で当選する。同年9月17日に市長に就任した。2004年(平成16年)の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、前市長の玉置三夫に453票差で敗れた。同年9月16日に市長を退任した。2008年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
藤岡 貞彦(ふじおか さだひこ、1935年2月1日 - )は… 藤岡 貞彦(ふじおか さだひこ、1935年2月1日 - )は、日本の教育学者。東京都出身。専門は社会教育学、公害教育論、環境教育論。一橋大学名誉教授。 1953年茨城県立水戸第一高等学校卒業。1954年東京大学教養学部文科2類入学、1959年東京大学教育学部卒業、1964年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。 1965年東京大学教育学部助手、1970年一橋大学社会学部助教授、1978年一橋大学社会学部教授、1989年から1991年まで一橋大学社会学部長。1998年一橋大学を停年退官し一橋大学名誉教授の称号を受ける。同年帝京平成大学情報学部教授。2004年から2010年まで学校法人湘南学園の第8代学園長を務めた。
多田 修人(ただ なおと、1934年2月1日 - )は、日本… 多田 修人(ただ なおと、1934年2月1日 - )は、日本の実業家。日本システムウエア株式会社創業者・名誉会長。同社元代表取締役会長兼社長。元東京商工会議所渋谷支部会長。 広島県尾道市出身。広島県立尾道北高等学校入学 1964年東京経済大学経済学部卒業、東洋計算センター入社。1966年事務計算センター(現日本システムウエア)設立、同社代表取締役社長就任。1976年ナカヤ代表取締役社長。1991年システムウエアリンケージ株式会社(現NSWテクノサービス)代表取締役社長就任。2004年タダ・インベストメント取締役社長就任。2005年日本システムウエア代表取締役会長就任。2007年日本システムウエア代表取締役会長兼社長就任。
渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watan… 渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watanabe、1933年〈昭和8年〉2月1日 - )は、日本を代表するジャズサクソフォーン奏者、ジャズミュージシャン、作曲家、写真家である。 栃木県宇都宮市出身。 「ナベサダ」の愛称でサックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。世界的な人気を誇る。 写真家としても知られ、これまで6作の写真集を出版している。 ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。 父親は薩摩琵琶奏者。ビング・クロスビー主演の映画「ブルースの誕生」を観て、クラリネットを始める。栃木県立宇都宮工業高等学校を卒業後、1951年に上京。
佐藤 光夫(さとう みつお、1933年2月1日 - 2002… 佐藤 光夫(さとう みつお、1933年2月1日 - 2002年10月20日)は、大蔵官僚。アジア開発銀行総裁(第6代)、東京証券取引所副理事長などを歴任。 群馬県出身。渋川高校、東京大学法学部卒業後の1955年、大蔵省に入省。振り出しは大臣官房日本専売公社監理官室。 1965年ハーバード大学国際租税講座留学、1970年から1973年までIMF財政局租税政策課エコノミスト。国税庁長官官房事務管理課長、大阪国税局直税部長、主税局調査課長、証券局業務課長などを歴任し、1979年7月証券局総務課長、1980年6月福岡国税局長1981年6月に大臣官房審議官(関税局担当)。1983年6月に国際金融局次長。1984年6月に日銀政策委員会大蔵省代表委員。
小関 智弘(こせき ともひろ、1933年2月1日 - )は、… 小関 智弘(こせき ともひろ、1933年2月1日 - )は、日本の作家・ノンフィクション作家。 東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。東京都立大学附属高等学校卒。大田区周辺の町工場に旋盤工として勤務。1960年代から『新日本文学』や同人誌『塩分』などを舞台に小説を発表、1977年『錆色の町』で直木賞候補、1978年『地の息』で同、1979年「羽田浦地図」で芥川賞候補、1981年「祀る町」で同、同年『大森界隈職人往来』で日本ノンフィクション賞受賞。2004年『職人学』で日経BP・BizTech図書賞、2015年『町工場のものづくり』で産経児童出版文化賞・産経新聞社賞受賞。
谷口 茂(たにぐち しげる、1933年2月1日 - 2019… 谷口 茂(たにぐち しげる、1933年2月1日 - 2019年)は、日本のドイツ文学者、宗教学者、小説家。明治学院大学名誉教授。 鹿児島県大崎町生まれ。鹿児島県立志布志高等学校を経て、1959年東京大学文学部ドイツ文学科卒業。1964年同大学院宗教学科博士課程満期退学。大学院ではマルティン・ルターの宗教改革について研究した。 明治学院大学一般教育部講師、助教授を経て教授となる。2001年に定年退任し、名誉教授。 大学在学中から文学サークルで活動し、1959年には季刊誌「雙面神」の同人となって長編「彼岸花」の連載や椎名麟三論の発表をおこなっていた。1961年「めじろ塚」で芥川賞候補となり、1968年に作品集『若き医師の告白』を刊行。
中江 俊夫(なかえ としお、1933年2月1日 - )は、日… 中江 俊夫(なかえ としお、1933年2月1日 - )は、日本の詩人。
前田 耕作(まえだ こうさく、1933年2月1日 - 202… 前田 耕作(まえだ こうさく、1933年2月1日 - 2022年10月11日)は、日本の西南アジア文化研究者。アフガニスタン文化研究所所長・和光大学名誉教授。 1933年、三重県亀山市生まれ。名古屋大学文学部哲学科で学び、美学・美術史学を専攻。1957年、名古屋大学文学部を卒業。1964年、名古屋大学アフガニスタン学術調査団の一員としてバーミヤンを訪れる。以降、アジアやオリエント諸地域においてフィールドワークを行った。 1975年、和光大学教授となる。2003年3月に和光大学を退職し、名誉教授となった。アフガニスタン文化研究所を設立し、主催した。 2022年10月11日、右腎臓がんにより死去。蔵書は「シルクロード文庫」(東京都中野区)として管理されている。
西野 善雄(にしの よしお、1933年(昭和8年)2月1日 … 西野 善雄(にしの よしお、1933年(昭和8年)2月1日 - )は、日本の元政治家。大田区長等を歴任。 東京都大田区生まれ。1951年12月、大田区役所に臨時吏員として雇用される。その後働きながら日本大学法学部の夜間部に通い、東京都の幹部試験を受験。都職員となり大田区役所に正式配属された。 大田区役所内の要職(大田区議会事務局長、企画調整課長、企画部長、1980年助役)を歴任して、1987年から2007年までの5期20年、大田区長を務めた。1999年と2006年の2回にわたって特別区長会会長。 区長辞任後、特別区人事委員会委員長及び大田区体育協会会長を務めていた。趣味は読書・囲碁。
影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 200… 影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 2005年9月13日)は、日本の社会評論家、和光大学名誉教授。 長く日本電信電話公社に勤務し、調査役、国立電報電話局長などを歴任して女性管理職の先駆的存在として知られ、評論家としても活動し、女性の社会進出を訴え、後には和光大学教授となった。 影山は、女性の社会進出の妨げになるとして、労働時間に関する女子の保護規定撤廃を唱えるなど、男女雇用機会均等法(1986年)を先取りする主張を早くから展開していた。 長野県小諸市出身(出生地は北海道)。長野県松本深志高等学校を経て、1954年に東京大学経済学部を卒業し、成績トップで日本電信電話公社に入り、経営調査室に配属された。
箱田 淳(はこだ じゅん、本名:箱田 弘志(はこだ ひろし)… 箱田 淳(はこだ じゅん、本名:箱田 弘志(はこだ ひろし)、1932年2月1日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手、投手)・野球解説者。
広田 良吾(ひろた りょうご、1932年2月1日 - 201… 広田 良吾(ひろた りょうご、1932年2月1日 - 2015年1月17日)は、日本の数学者、物理学者、工学者。専門は非線形波動、差分学、離散可積分系。非線形偏微分方程式を双線形化し直接的に解く独自の手法は非常に有名であり、その名を冠して広田の方法と呼ばれる。 広田良吾 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
金子敬生(かねこ ゆきお、1932年2月1日 - 1991年… 金子敬生(かねこ ゆきお、1932年2月1日 - 1991年7月21日)は、日本の経済学者。 広島県三原市出身。1961年神戸大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、68年「経済変動過程の産業連関分析」で経済学博士。1961年愛知大学講師、1963年名古屋市立大学助教授、1968年中央大学教授、1979年早稲田大学教授、1983年広島経済大学教授を務めた。
三和 一博(みわ かずひろ、1932年〈昭和7年〉2月1日 … 三和 一博(みわ かずひろ、1932年〈昭和7年〉2月1日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の法学者・弁護士だった人物。専門は民法。兵庫県姫路市出身。指導教授は中島弘道。弟子に遠藤研一郎がいる。 1954年中央大学法学部卒業。1956年同大学院法学研究科修士課程修了後、東洋大学法学部助手に就く。1957年同法学部専任講師。1964年同法学部助教授。1973年同法学部教授となる。1982年同大学院法学研究科教授。1989年中央大学法学部教授。1990年同大学院法学研究科教授。1994年中央大学法職講座運営委員会委員長(~2002年)。2002年中央大学定年退職。同名誉教授。2003年弁護士登録。
楠井 敏朗(くすい としろう、1932年2月1日 - )は、… 楠井 敏朗(くすい としろう、1932年2月1日 - )は、日本の経済学者、横浜国立大学名誉教授。 長崎県長崎市生まれ。1961年和歌山大学卒、1965年東京大学大学院経済学研究科博士課程中退。1970年「イギリス農業革命史論 近代的農業成立過程の研究」で経済学博士。1965年東京大学経済学部助手。1968年横浜国立大学経営学部助教授、1979年教授、1997年定年退官、名誉教授、横浜商科大学教授。
川口 喬一(かわぐち きょういち、1932年2月1日 - )… 川口 喬一(かわぐち きょういち、1932年2月1日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。筑波大学名誉教授。 北海道空知郡上砂川町生まれ。北海道砂川北高等学校卒業。東京教育大学大学院博士課程満期退学(英文学)。1995年「「ユリシーズ」演義」で筑波大文学博士。成城大学講師、助教授、教授を経て、1974年筑波大学教授、1995年定年退官、名誉教授、目白大学教授、大学院教授、大学図書館長、大学院客員教授を経て2005年退職。
中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 … 中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。本名:中村 雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。畑中良輔に師事。 オペラデビューは1959年(昭和34年)ロッシーニ『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵。オペラでの出演歴はきわめて多数にのぼり、二期会、東京室内歌劇場を主に、昭和音楽大学オペラ情報センターに記録されているだけでも127回を数える。主演したオペラは70曲を超えているという。「オペラ界での長年の活躍と日本初演作上演への貢献も著しい往年の名テナー」である。
小森 香子(こもり きょうこ、1930年2月1日 - 20… 小森 香子(こもり きょうこ、1930年2月1日 - 2023年6月28日)は、詩人、社会運動家。旧姓・相本。代表作は『母の友 2012年 02月号』 『青い空は青いままで子どもらに伝えたい―母と子で語る昭和といま』 『陽子』などがある。 東京雑司ヶ谷生まれ。父は相本修平、母は桂島ふじ(桂島不二の名で雑誌に投稿していた)で、三女として生まれる。東京都立第十高等女学校在学中に学徒動員を経験。空襲で関西へ疎開したが、再び動員される。 神戸女学院家政学部卒業後、大日本紡績本店に勤務するが、レッドパージに遭う。社会主義者の小森良夫(1926年 - 2008年)と結婚し、新日本文学会で詩や小説を発表。1961年から、夫が世界労働本部の常駐スタッフに就任したため4年間プラハに住む。
濱中昭一郎(はまなか しょういちろう、1930年2月1日 -… 濱中昭一郎(はまなか しょういちろう、1930年2月1日 - )は、日本の実業家。初代東京地下鉄株式会社代表取締役会長、日本通運株式会社相談役。
野沢 協(野澤 協、のざわ きょう、1930年(昭和5年)2… 野沢 協(野澤 協、のざわ きょう、1930年(昭和5年)2月1日 - 2015年(平成27年)11月18日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。17・18世紀フランス思想史を専攻。 1930年、神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校で学び、高等学校時代からの友人に出口裕弘、澁澤龍彦がいる。1953年、東京大学文学部仏文科を卒業。 1962年、(旧)東京都立大学人文学部仏文科助手に就いた。後に助教授、教授に昇進。1990年から2001年まで、駒澤大学外国語部教授をつとめた。2015年に死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高田 正一(たかだ まさいち、1930年2月1日 - )は… 高田 正一(たかだ まさいち、1930年2月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1953年に新潟大学人文学部を卒業し、同年3月に北越銀行に入行した。1981年6月に取締役に就任し、1986年4月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1999年4月には相談役に就任。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河野友美(こうの ともみ、1929年2月1日-1999年2月… 河野友美(こうの ともみ、1929年2月1日-1999年2月23日)は、日本の食品研究家。 兵庫県出身。関西学院大学卒。大阪市立大学助手などをへて、1968年大阪薫英女子短期大学教授。1964年河野食品研究所を設立し所長となる。食品学,栄養学・調理科学・嗜好学をベースに生活文化を研究した。
牟礼 慶子(むれ けいこ、1929年〈昭和4年〉2月1日 -… 牟礼 慶子(むれ けいこ、1929年〈昭和4年〉2月1日 - 2012年〈平成24年〉1月29日)は、日本の詩人・教師。主な著作として『見えないだけ』『鮎川信夫 路上のたましい』『満身創痍』『夢の庭へ』など。 本名は谷田慶子で、ペンネームの牟礼は三鷹市の牟礼町に因む。夫は堀辰雄の研究者で「新潮」の編集長なども務めた、文芸評論家の谷田昌平。2012年、82歳で脳梗塞のため死去。 東京府出身。4人兄弟の長女として生まれる。出生名殿岡慶子。 東京市立啓明小学校、 東京都立北野高等女学校、 實践女子専門学校(現在の実践女子大学)国文科卒業。 学生時代は井坂洋子の母親らと回覧雑誌に参加して短歌を作っていたが、のちに詩に転向した。
宇田川 芳雄(うだがわ よしお、1929年2月1日 - 20… 宇田川 芳雄(うだがわ よしお、1929年2月1日 - 2021年4月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、東京都議会議員(6期)を歴任した。 東京府南葛飾郡葛西村(現在の東京都江戸川区)生まれ。中央大学経済学部卒業。大学卒業後は衆議院議員の島村一郎の秘書を21年間務めた。 1976年、島村が政界引退を表明。島村はかねてから世襲に反対しており、六男の宜伸の衆院選出馬にも強く反対した。宇田川は島村の後継に名乗りを上げたが、島村後援会は宜伸の擁立を決定し、島村一郎も最終的には宜伸の立候補を容認したため、自由民主党に公認を申請したものの認められなかった。同年の第34回衆議院議員総選挙に旧東京10区(定数5)から無所属で出馬したが得票数8位で落選し、宜伸は5位(当選者中の最下位)で初当選した。
佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈… 佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈昭和4年〉2月1日 - 2013年〈平成25年〉2月15日)は、日本の合気道家、神道家。山蔭神道上福岡斎宮(埼玉県ふじみ野市)宮司、合気道神明塾塾頭。合気道(合気会)八段。雅号は、乾舟(けんしゅう)。 1929年(昭和4年)山形県長井市成田に生まれる。太平洋戦争(大東亜戦争)下の小学生の頃特攻隊への入隊を目指し陸軍幼年学校を受験するが失敗、14歳で徴用により動員され、名古屋の三菱重工で飛行機の部品(ネジ)製造業務に就き、そこで終戦を迎える。戦後、大工となったが、19歳の時、飛んできた釘が当たって左目を失明する。その後は古本屋・黒板塗り・闇米売りなど、あらゆる仕事で食いつなぐ。
八馬 望(はちうま のぞむ、1929年〈昭和4年〉2月1日 … 八馬 望(はちうま のぞむ、1929年〈昭和4年〉2月1日 - )は、日本の実業家。多聞酒造会長。 兵庫県西宮市久保町、八馬汽船相談役・三代八馬兼介の三男。1952年、同志社大学美学科卒業。宝梅園農場常務となり、1953年に社長となった。1976年から1987年まで多聞酒造社長を務めた。 八馬啓、八馬理の弟である。趣味は音楽鑑賞、読書。宗教は真宗。兵庫県西宮市在籍。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 20… 鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 2008年1月17日)は、日本の男性脚本家、小説家。シナリオサークル鳳工房主幹、早稲田シナリオ義塾講師、代々木アニメーション学院講師、日本シナリオ作家協会会員、日本放送作家協会会員。 主にテレビアニメの脚本を執筆。『昆虫物語 みなしごハッチ』『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』など、アニメ制作会社タツノコプロの草創期から1970年代まで黄金時代のほぼ全ての作品を企画文芸の中核として支えた。また、1970年に師匠である脚本家・陶山鉄の長男で、日活企画室に勤務していた陶山智、同じく日活で陶山の上司だった陣野修、SF作家の広瀬正をタツノコプロへ招聘して、人材面でも大きな役割を果たした人物でもある。
佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1… 佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1928年〈昭和3年〉2月1日 - 2011年〈平成23年〉5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、運輸政務次官、国務大臣総務庁長官(第20代)、自民党総務会長(第34代)、自由民主党行政改革推進本部長などを歴任した。 北海道瀬棚郡北檜山町(現久遠郡せたな町)出身。旧制函館中学定時制、明治大学政治経済学部政治学科卒業。 自民党の実力者・河野一郎の秘書を経て、1963年の衆院選で旧北海道3区から初当選し以後11期当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
大塚 滋(おおつか しげる、1928年2月1日 - 2023… 大塚 滋(おおつか しげる、1928年2月1日 - 2023年8月8日)は、日本の食品化学者、食物史研究者、『文学雑誌』同人。元武庫川女子大学教授。専攻は食文化論、食品化学。 新潟県生まれ。大阪大学理学部卒。1961年「肝臓ニトロ基還元酵素系に関する研究」で理学博士。大阪府立大学助教授、東洋食品工業短期大学教授、米国マサチューセッツ州ウースター生物学研究所研究員、武庫川女子大学教授、同生活美学研究所研究員、1998年退職。 2023年8月8日死去。95歳没。
田中 晃三(たなか こうぞう、1928年2月1日 - 201… 田中 晃三(たなか こうぞう、1928年2月1日 - 2018年9月25日)は日本の政治家。板橋区議(3期)、東京都議(6期)、第38代都議会議長を歴任した。位階は正五位。 1928年2月1日、埼玉県加須市に生まれる。1952年に京都大学工学部冶金学科を卒業。1971年から板橋区議会議員を3期10年務める。1981年、東京都議会議員選挙に板橋区選挙区から立候補して初当選する。都議会では、警務消防委員会委員長(1987年から1988年)、都議会自民党総務会長(1990年から1991年)、各会計決算特別委員会委員長(1991年から1992年)、都議会自民党幹事長(1994年から1995年)、議会運営委員会委員長(1994年から1995年)、予算特別委員会委員長(1995年)、臨海副都心開発特別委員会委員長(1995年から1997年)を歴任した。
阿部 肇一(あべ ちょういち、1928年2月1日 - 201… 阿部 肇一(あべ ちょういち、1928年2月1日 - 2014年11月7日)は、日本の歴史学者、博士。駒澤大学学長、社会文化史学会会長を歴任。専門は中国禅宗史。 埼玉県大宮町(現さいたま市大宮区)に、普門院住職の長男として生まれる。1944年、駒澤大学専門部地理歴史学科に入学。1947年3月、駒澤大学専門部歴史地理科歴史学専攻卒業。文学部の同期に歴史科の芥川龍男、地理科に中島義一や陶芸家の井高帰山がいる。1947年4月、駒澤大学専門部地理専修科に入学し、翌年修了。 1948年、駒澤大学文学部人文学科に入学。1950年、同大学を中退し、東京文理科大学歴史学科に転学。1953年、東京文理科大学大学院研究科に進学。
吹田 愰(ふきだ あきら、1927年〈昭和2年〉2月1日 -… 吹田 愰(ふきだ あきら、1927年〈昭和2年〉2月1日 - 2017年〈平成29年〉6月19日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、自治大臣(第41代)、国家公安委員会委員長(第51代)、山口県議会議員(4期)、山口県議会議長、山口県熊毛郡城南村長、田布施町長を歴任した。 衆議院議員の西村康稔は娘婿。 山口県熊毛郡城南村(現:田布施町)生まれ。旧制柳井商業学校中退後、甲種飛行予科練習生防府海軍通信学校に入隊した。終戦後は城南村の青年団長を勤め、1948年(昭和23年)ごろにA級戦犯として郷里に戻った岸信介に講演を依頼した。これをきっかけに岸との交流を深め、また、敗戦後の岸の政界復帰に尽力した。
安部 和寿(あべ かずとし、1927年2月1日 - 2016… 安部 和寿(あべ かずとし、1927年2月1日 - 2016年11月7日)は、日本の経営者。近畿日本ツーリスト社長を務めた。 島根県出身。1950年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に近畿日本鉄道に入社。1981年6月に取締役、1983年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1989年6月に副社長に就任。1991年3月に近畿日本ツーリスト取締役に就任し、同年6月副社長を経て、1993年3月には社長に昇格。1997年3月に取締役相談役に就任し、1998年3月には相談役に就任。 2016年11月7日に老衰のために死去。89歳没。