長谷川 康司(はせがわ こうじ、 1940年5月5日-)は、… 長谷川 康司(はせがわ こうじ、 1940年5月5日-)は、日本の経営者。元首都高速道路株式会社代表取締役会長兼最高経営責任者、トヨフジ海運代表取締役社長、トヨタ自動車専務取締役。 東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、トヨタ自動車販売(現在のトヨタ自動車)入社。主にアジア畑を歩み、アジア部長や常務取締役(アジア統括)等を歴任。 専務取締役を経て、2002年にグループ会社のトヨフジ海運社長に就任。 2005年10月、道路関係4公団が民営化されて高速道路6社が発足することに伴い、民間を代表して首都高速道路の会長兼最高経営責任者に就任した。2010年6月に退任。 2022年、旭日中綬章受章。
田島 毓堂(たじま いくどう、1940年5月5日 - )は、… 田島 毓堂(たじま いくどう、1940年5月5日 - )は、日本の国語学者、名古屋大学名誉教授。 中国・北京市生まれ。1968年名古屋大学大学院文学研究科国語学単位取得満期退学、1973年「正法眼蔵の国語学的研究」で名古屋大学文学博士。東海学園女子短期大学講師、助教授、教授を経て、1978年名古屋大学文学部助教授、1987年教授となり、2004年定年退官、名誉教授、愛知学院大学教授を務め、2013年退職。2003年8月から、社会福祉法人ラ・エール理事長。同9月から、語彙研究会代表。桂芳院住職。
小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日… 小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。茨城県下妻市長(2期)。位階は正六位。 下妻市生まれ。日本大学理工学部卒。下妻市で自動車部品加工会社を経営、社長となる。下妻市監査委員、下妻二高PTA会長などを務める。 2002年(平成14年)2月、当時の下妻市長が図書館建設工事の価格を業者に漏らしたとして競売入札妨害の容疑で逮捕された(業際研事件)。4月の出直し選挙に立候補し、市長選挙は17年ぶりの選挙戦となり、元市議会副議長を破って当選した。 ※当日有権者数:28,088人 最終投票率:58.34%(前回比:-pts) 同月14日に就任した。
伊藤 龍男(いとう たつお、1940年5月5日 - 2021… 伊藤 龍男(いとう たつお、1940年5月5日 - 2021年3月4日)は、日本の工学者。専門は電磁波工学。元UCLA教授、元テキサス大学オースティン校教授。 東京都出身。1964年に横浜国立大学工学部電気工学科を卒業、1966年に同大学院修士課程を修了後、1969年イリノイ大学アーバナシャンペン校博士課程修了(電気工学)。1977年ケンタッキー大学准教授、1981年テキサス大学オースティン校教授、1991年よりカリフォルニア大学ロサンゼルス校教授を務めた。 米国電気電子学会IEEEのマイクロ波部門でプレジデントを務めるなど、電磁波工学の分野で世界的に活躍、発展に貢献した。アクティブアンテナ、メタマテリアル等価回路理論など優れた業績をあげ、約1500報の論文を発表し、「電磁波工学の世界的パイオニア」と評される。
今岡 睦之(いまおか むつゆき、1939年(昭和14年)5月… 今岡 睦之(いまおか むつゆき、1939年(昭和14年)5月5日 - )は、日本の政治家。初代伊賀市長(1期)、元上野市長(3期)。勲等は旭日中綬章。三重県伊賀市諏訪出身。
林ヶ谷 昭太郎(はやしがたに しょうたろう、1938年5月5… 林ヶ谷 昭太郎(はやしがたに しょうたろう、1938年5月5日 - 2017年2月26日 )は、日本出身の民族学者。カリフォルニア州立大学サクラメント校名誉教授。 福井県小浜市に生まれる。関西大学法学部第2部を卒業。語学学習に通っていた大阪YMCA所長の勧めで「日米文化の考えの違い」という論文を執筆してロックフェラー財団の懸賞に応募したところ、優等賞となり、奨学金を得て1963年8月に船で渡米した。カリフォルニア大学バークレー校国際学部を卒業する。元は国際弁護士志望だったが、奨学金が半年分しかなく、バークレー校東洋語専攻の日本人教授の助手となったことで民族学に進むこととなった。1969年、34歳でカリフォルニア大学サクラメント校の民族研究センター(Ethnic Studies Center)を設立して、教授となる。
花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、… 花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、日本の宗教哲学者、大阪府立大学名誉教授。 広島県生まれ。1957年広島国泰寺高等学校卒、1963年京都大学文学部哲学科卒、同大学院に学び、1965年より西独ハンブルク大学留学、1968年京大博士課程中退、1973年ハンブルク大学神学博士。1981年花園大学助教授、1986年教授、1992年大阪府立大学教授、1994年「心の宗教哲学 -心の自然な構造に即して」で京大文学博士。2002年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2009年退任、名誉教授。別に亡夫の姓である川村永子名義の著作もある。西田幾多郎の影響が強い。
市原 清彦(いちはら きよひこ、1936年5月5日 - )は… 市原 清彦(いちはら きよひこ、1936年5月5日 - )は、東京都出身の日本の俳優、声優。身長170 cm。体重63 kg。血液型はB型。 東京都立立川高等学校卒業後、俳優座養成所に11期生として入所。1962年に劇団三期会(現 - 東京演劇アンサンブル)に入団。初舞台は『日本人民共和国』の矢田部一役。 かつては東京演劇アンサンブル、独立企画、アクターズ・カンパニー、希楽星に所属していた。 特技はジョギング。趣味は野球。
桑原 敏明(くわはら としあき、1936年5月5日 - 20… 桑原 敏明(くわはら としあき、1936年5月5日 - 2019年7月27日)は、日本の教育制度学者、筑波大学名誉教授。フランス教育制度の研究を専門とする。愛媛県生まれ。 1960年東京教育大学教育学部卒、1966年東京教育大学大学院教育学研究科博士課程中退。同年東京教育大学教育学部助手に就任し、1968年から愛知教育大学教育学部講師・助教授・教授を経て、1975年に東京教育大学教育学部助教授。1976年に筑波大学教育学系助教授、1986年に教授を経て、筑波大学副学長の後に定年退官。昭和女子大学教授も務めた。日本教育制度学会創設に尽力し、1999年から会長。日本フランス教育学会理事も歴任。2019年7月27日、心不全のため死去。
飯島 英胤(いいじま ひでたね、1935年5月5日 - )は… 飯島 英胤(いいじま ひでたね、1935年5月5日 - )は日韓経済協会第七代会長、株式会社東レ特別顧問。 早稲田大学教育学部卒業。1959年、東洋レーヨン(現・東レ)に入社。同社入社後は主に人事、労務畑を歩み、同社の人事政策の策定に携わる。人事部長、経営企画室長、東レ経済研究所社長・会長、東レ代表取締役副社長などを経て、2003年6月より現職。社団法人日韓経済協会会長を務めるとともに日本経団連統計部会長、日本軽金属社外取締役、日本バレーボール協会副会長も兼務する。また、「製造業のあり方を考える会」の会員(他の会員は千速晃新日鉄会長や張富士夫トヨタ自動車会長ら計12名)や各種の政府審議会委員を歴任。
高橋 正雄(たかはし まさお、1935年5月5日 - )は、… 高橋 正雄(たかはし まさお、1935年5月5日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。 成田高校では1952年に夏の甲子園へ出場した。 1953年に毎日オリオンズへ入団。1953年退団した。
岡嶋 博治(おかじま ひろじ、1935年5月5日 - )は、… 岡嶋 博治(おかじま ひろじ、1935年5月5日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 父親を早くに亡くし、母子家庭で育った。中学時代は投手で両打ちだった。 伏見高校では左腕エースの太田武を擁し、遊撃手として1953年春の選抜に出場。準決勝まで進んだが、片岡宏雄らがいた浪商に敗れた。同大会では選手宣誓を務めた。同年夏は京都府大会決勝で西舞鶴高に完封負け。 卒業後は立命館大学へ進学し1年春からレギュラーを掴み打率.342、3本塁打を記録するも1954年7月に僅か4か月で大学を中退して中日ドラゴンズに入団し、入団の翌日から一軍ベンチ入りする。同年は21試合のみ出場も終盤の巨人戦でサヨナラ打を放つなどリーグ優勝に貢献。
倉島 節尚(くらしま ときひさ、1935年5月5日 - 20… 倉島 節尚(くらしま ときひさ、1935年5月5日 - 2020年4月)は、日本の国語辞典編集者。三省堂において国語辞典、古語辞典の編集を担当し、『大辞林』初版刊行時の編集長として知られる。三浦しをんの小説『舟を編む』の主人公のモデルの1人ともいわれる。大正大学教授、国立国語研究所「外来語」委員会の委員も務めた。 1935年現在の長野県佐久市に生まれる。 1959年に東京大学文学部国語国文学科を卒業し、三省堂に入社、新人研修後三省堂編修所に配属される。初めての担当は、1962年に刊行された『明解古語辞典』新版のための改訂作業。その後、当時書名の決まっていなかった辞典、企画番号#231(後の『大辞林』)の編集担当となる。
赤澤 計眞(あかざわ かずま、1934年5月5日 - 201… 赤澤 計眞(あかざわ かずま、1934年5月5日 - 2012年5月14日)は、日本の歴史学者。専門はイギリス中世史。 新潟県十日町(現十日町市)に生まれる。実家は「的新」という老舗の仕出屋であった。1938年1月1日に発生した十日町映画館崩壊事故で九死に一生を得た。十日町高校から東京大学文学部へ進学し、1961年には西洋史学科を卒業、さらに1963年には同言語学科を卒業し大学院へ進んだ。西洋中世史を堀米庸三に学びながら、経済史の演習にも参加し、大塚久雄・松田智雄・岡田与好らに信頼されていた。 1972年4月、学生紛争の余波の残る新潟大学に着任し、人文学部史学科西洋史専攻の助教授となった。翌月に同学部は新潟市西大畑町から五十嵐二の町へ移転している。
坂本 盛明(さかもと もりあき、1934年5月5日 - 19… 坂本 盛明(さかもと もりあき、1934年5月5日 - 1987年11月3日)は、熊本県出身のプロ野球選手。
海老沢 勝二(えびさわ・かつじ、1934年(昭和9年)5月5… 海老沢 勝二(えびさわ・かつじ、1934年(昭和9年)5月5日 - )は、日本の元ジャーナリスト。公益財団法人日本相撲協会評議員、一般財団法人世界少年野球推進財団理事、一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員長(会長)、一般社団法人日本外交協会理事、NPO法人日本グローバル・コミュニケーション・センター理事[3]。
藤島 勇一(ふじしま ゆういち、1933年5月5日 - 20… 藤島 勇一(ふじしま ゆういち、1933年5月5日 - 2002年9月24日)は、福岡県出身のラグビーユニオン選手・指導者。主なポジションはセンター(CTB)およびフルバック(FB)。
有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東… 有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。東京音楽大学名誉教授。本名は日暮禮子。師匠は下総皖一、伊福部昭。祖先に有馬晴信。著名な教え子に作曲家の神山奈々、福島弘和らがいる。 1933年5月5日に東京市中野区に生まれる。家族と満州に移住したが、1946年に帰国した。高校在学時に演劇部で作曲した曲が評価されたことを契機に、東京芸術大学音楽部作曲科に入学し、下総皖一に師事する。卒業後に東京音楽大学へ勤務し、学長に就任した伊福部昭に弟子入りした。1965年から1968年に日本コロムビアのディレクターを兼務する。音楽理論、民俗音楽の研究を行い、戦後日本の女性作曲家の先駆的存在として数多くの作品を手掛けた。
峰岸 純夫(みねぎし すみお、1932年〈昭和7年〉5月5日… 峰岸 純夫(みねぎし すみお、1932年〈昭和7年〉5月5日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。東京都立大学名誉教授。元歴史学研究会委員長。学位は、文学博士(慶應義塾大学・1990年)。 群馬県伊勢崎市出身。1951年群馬県立前橋高等学校卒、1959年慶應義塾大学文学部卒業。1961年慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。卒業論文は赤城山麓の用水遺構である「女堀」に関する研究で、さらに新田荘や新田氏研究を通じた中世東国史研究を行う。 1961年横浜市立港高等学校教諭、1966年に慶應義塾志木高等学校教諭となる。1971年から宇都宮大学教育学部専任講師、1973年に同助教授を経て、1975年に東京都立大学人文学部助教授となる。
小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 -… 小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 - 2001年(平成13年)3月3日)は、昭和から平成前期の実業家、政治家。大垣市長(4期)。大垣市名誉市民。
木戸 蓊(きど しげる、1932年5月5日 - 2000年6… 木戸 蓊(きど しげる、1932年5月5日 - 2000年6月10日)は、日本の政治学者。神戸大学名誉教授。第11代日本国際政治学会理事長。専門は、国際関係論、バルカン地域の政治。 1932年、愛知県名古屋市生まれ。1955年に京都大学法学部を卒業。1957年名古屋大学大学院法学研究科修士課程修了。国際政治史を専攻した。 卒業後、1957年に名古屋大学法学部助手に着任。1958年より日本国際問題研究所研究員。ユーゴスラヴィア国際政治経済研究所客員研究員を経て、1968年に神戸大学法学部助教授に就任1970年に教授昇任。1988から1990年まで、神戸大学法学部長を務めた。学界では、1992~1994年、日本国際政治学会理事長。
島野 敬三(しまの けいぞう、1932年5月5日 - 199… 島野 敬三(しまの けいぞう、1932年5月5日 - 1995年1月7日)は、日本の経営者。シマノ社長を務めた。 大阪府出身。1955年に慶應義塾大学工学部機械工学科を卒業し、同年に不二越鋼材工業に入社。1957年に島野工業(現在のシマノ)に転じ、1958年に取締役に就任。1970年に専務となる。シマノでは長らく技術部門のトップを務め、デュラエースやアルテグラなどのコンポーネント製品、シマノトータルインテグレーション(STI)などの技術が敬三の指揮下で世に送り出された。 1992年2月に、兄・島野尚三の退任に伴い社長に就任。 1995年1月7日、心不全のために死去。62歳没。後任は弟の島野喜三が継いだ。
出光 昭(いでみつ あきら、1932年5月5日 - )は、日… 出光 昭(いでみつ あきら、1932年5月5日 - )は、日本の経営者。出光興産社長、会長を務めた。第2代社長出光計助の二男である。いとこに、第4代社長大和勝、第6代社長出光裕治、名誉会長を務めている出光昭介、新出光の社長を務めた出光芳秀と出光豊、スケート選手の別所純子がいる。。 東京都出身。1955年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に住友銀行に入行。1961年に出光興産に転じ、1981年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1995年6月に副社長に就任し、1998年5月には社長に昇格した。2002年6月に会長に就任し、2007年6月から相談役を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 201… 吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 2013年4月7日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 ジャンプの名門北海道小樽潮陵高等学校で本格的にジャンプを始め、早稲田大学教育学部卒業後、同和鉱業で競技を続ける。冬季オリンピックに2回連続で出場した。 初出場の1952年オスロオリンピックでは36位タイ。旗手を務めた1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは1本目9位に付けたものの2本目18位で結局13位に終わった。 全日本スキー選手権を1953年第31回、1955年第33回、1958年第36回、1960年第38回と合計4回制している。
山口 静一(やまぐち せいいち、1931年5月5日 - )は… 山口 静一(やまぐち せいいち、1931年5月5日 - )は、美術史家、埼玉大学名誉教授。 1931年、東京生まれ。1954年東京大学文学部英文科を卒業。成城学園高校教諭、1965年、埼玉大学教養学部講師、1966年助教授、1973年教授。1997年に定年退官し、名誉教授となる。 日本フェノロサ学会会長、顧問。
永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998… 永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998年8月22日)は日本の政治家、官僚。参議院議員(3期)。自由民主党小渕派に所属した。 富山県新湊市生まれ。富山県立射水中学校、富山高等学校を経て、東京大学法学部入学。在学中に司法試験合格。 1954年、大学卒業後、建設省入省。熊本県に3年、日本道路公団に4年、茨城県に5年勤務。1982年、建設省計画局長に就任。その後、国土庁に移り、土地局長、官房長を務める。1985年、国土事務次官に就任。 1986年、国土庁を退官。同年7月6日の第14回参議院議員通常選挙富山県選挙区に同年6月28日に死去した沖外夫の後継候補として立候補し、初当選。1992年の第16回参議院議員通常選挙再選。
嘉地 久晴(かじ ひさはる、1931年5月5日 - 没年不明… 嘉地 久晴(かじ ひさはる、1931年5月5日 - 没年不明 )は、島根県邇摩郡(現在の大田市)出身で中村部屋(のちに二所ノ関部屋)所属の元大相撲力士、日本の元プロレスラー。大相撲時代の四股名は天山 久晴(てんざん ひさはる)で、本名は嘉地 久治(かじ ひさはる)。最高位は西十両5枚目。身長183cm、体重107kg。得意技は右四つ、寄り。 空手、柔道などの経験を経て、山口利夫の全日本プロレス協会に入門、パワーファイターで人気があったと言われる。全日本プロレス協会を脱退後は、中村部屋(師匠は元前頭1・楯甲)の元幕下・甲潟にスカウトされたのを機に角界入り。大相撲からプロレスへの転向は多いが、その逆という非常に珍しいパターンとなった。
田中 純夫(たなか よしお、1930年〈昭和5年〉5月5日 … 田中 純夫(たなか よしお、1930年〈昭和5年〉5月5日 - )は、日本の元競泳選手。 広島市に生まれる。5歳頃から水泳を始めた。広島市立広瀬小学校、広島県立広島第二中学校を経て、1949年(昭和24年)早稲田大学に入学する。 大学在学中、1952年ヘルシンキオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場し14位に終わった。
川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日… 川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日本のロシア文学者、著述家。早稲田大学名誉教授。 福岡県に生まれる。1948年福岡県中学修猷館、1954年早稲田大学第一文学部露文学科卒業、1964年同大学大学院文学研究科露文学専攻博士課程単位取得満期退学。同年同大学教育学部非常勤講師となり、1965年同大学第一、第二文学部、法学部非常勤講師、1967年同大学教育学部専任講師、1970年同大学教育学部助教授。1971年9月から1973年3月にかけてパリ大学・早稲田大学交換制度による在外研究の後、1974年早稲田大学大学院文学部露文学専攻を兼担。1975年同大学教育学部教授に就任。1984年9月から1985年7月にかけてモスクワ大学・早稲田大学交換制度による在外研究を行う。
関本 昌弘(せきもと まさひろ、1930年5月5日 - )は… 関本 昌弘(せきもと まさひろ、1930年5月5日 - )は、日本の経営者。服部セイコー(現在のセイコーグループ)社長を務めた。 東京都出身。1955年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に服部時計店(現在のセイコーグループ)に入社。1981年6月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年7月に専務、1991年4月に副社長を経て、同年6月に社長に就任。1997年6月に取締役相談役に就任。
坂田 英治(さかた えいじ、1930年(昭和5年)5月5日 … 坂田 英治(さかた えいじ、1930年(昭和5年)5月5日 - 2024年(令和6年)10月31日)は、日本の医師。埼玉医科大学名誉教授。順天堂大学医学部卒、東京大学大学院博士課程修了、医学博士。静岡県生まれ。 「めまい」「耳鳴り」の治療研究に精力的に取り組み、その先駆者として後進の指導にあたった。 めまいの原因である病巣の位置の確認に取り組む。フレンツェル眼鏡の診察による病巣の位置と、外科的に開かれた脳における病巣の位置を確認し、眼振の診断と脳の外科手術で眼振診断が正しいことをまとめた論文内容が「内科診断学」という専門書に掲載された。 「めまい」「耳鳴り」の治療研究 『臨床神経耳科学入門』坂田英治著(医歯薬出版)
和泉 模久(いずみ ひろひさ、1930年5月5日 - )は、… 和泉 模久(いずみ ひろひさ、1930年5月5日 - )は、東南アジア諸語の研究者。 東京生まれ。1957年東京大学文学部西洋史学科卒。1963年大阪外国語大学講師。1967-1970年カンボジアに滞在、プノンペン大学客員教授。カンボジア語(クメール語)、フィリピン語(タガログ語)、インドネシア語、タイ語、マレー語などを研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐久間 昭(さくま あきら、1930年5月5日 - 2016… 佐久間 昭(さくま あきら、1930年5月5日 - 2016年2月7日)は日本の臨床薬理学者。東京医科歯科大学の名誉教授の称号を受けている。専門は薬理学、臨床薬理学、薬効評価学、生物統計学、計量生物学。 1958年、フルブライト奨学生としてミシガン大学に留学。2010年春の叙勲で瑞宝中綬章を受ける。 埼玉県浦和市で生まれる。東京大学医学部薬学科卒業。同大学院化学系研究科修士課程修了後、ミシガン大学で薬理学を研究。1958年、東京大学大学院化学系研究科博士課程を修了、薬学博士を取得した。留学中に現地の大学院学生を対象に生物統計学の講義を担当、後に推論の多重性の研究などもまとめて「生物検定法」を著し、その後の「薬効評価I・II」:東大出版会で近代的手法を用いた生体データの解析法を網羅的に纏めた。
友松 建吾(ともまつ けんご、1929年 <昭和4年> 5月… 友松 建吾(ともまつ けんご、1929年 <昭和4年> 5月5日 - 2003年 <平成15年> 4月3日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 愛知県名古屋市出身。1952年に東京大学法学部を卒業し、同年に古河電気工業に入社。1977年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1985年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、1999年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2003年4月3日呼吸不全のために死去。73歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
小西 宏(こにし ひろし、1929年5月5日 - 1998年… 小西 宏(こにし ひろし、1929年5月5日 - 1998年11月21日)は、日本の翻訳家。元専修大学法学部法律学科教授。本名は小西 基弘。 中国・上海生まれ。東北大学法学部卒業、1956年一橋大学大学院中退。 1966年リーゼ賞受賞。国際経済法専攻の学者だったが、30代の間に、E・S・ガードナー、フレドリック・ブラウン、E・R・バロウズ、E・E・スミスなど多数を創元推理文庫に翻訳した。40歳以後は翻訳をやめた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山崎 賢二(やまざき けんじ、1929年5月5日 - 200… 山崎 賢二(やまざき けんじ、1929年5月5日 - 2000年3月21日)は日本の実業家、桐原書店創業者。 長野県上水内郡桐原村(現・長野市)生まれ。昭和28年(1953年)法政大学文学部英文学科卒業。岩波書店入社が内定していたが、母から帰郷を厳命され、長野女子高等学校の英語教諭となる。昭和38年(1963年)に上京し、都内の私立高校教諭を経て、昭和41年(1966年)に故郷にちなんで「桐原書店」を創業した。英語の副教材を主力とする教育書や学習分野を出版していたが、『積木くずし』(穂積隆信著)のベストセラー化を契機に、人生全般にわたる文化に寄与する総合出版社に転換した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
小林 莞爾(こばやし かんじ、1929年 <昭和4年> 5月… 小林 莞爾(こばやし かんじ、1929年 <昭和4年> 5月5日 - 2014年 <平成26年> 5月10日)は、日本の政治家。田無町議会議員(2期)、田無町議会副議長、田無町議会議長、田無市議会議員(1期)、田無市議会議長、東京都議会議員(5期)、第33代東京都議会議長を歴任した。位階は従五位。 1929年5月5日、東京都に生まれる。1949年に早稲田大学高師部(現在の早稲田大学教育学部)卒業。1959年から田無町議会議員を2期7年務める。この間、副議長(1964年から1965年)、議長(1965年から1966年)を歴任する。1967年から田無市議会議員を1期2年務める。任期中は議長も務めた。
古館 清吾(ふるだて せいご、1928年(昭和3年)5月5日… 古館 清吾(ふるだて せいご、1928年(昭和3年)5月5日 - 2019年(令和元年)11月16日)は、日本の元裁判官・弁護士。元宇都宮家庭裁判所所長。北海道立倶知安中学校卒業。北海道大学法学部卒業。同大学院法学研究科修士課程修了。北海道蘭越町出身。第一東京弁護士会所属。 1958年司法修習修了。1958年山形地方裁判所判事補、その後、仙台法務局や法務省訴訟局訴訟検事、広島法務局訴訟部長などを経て、1971年法務省民事局参事官。1976年東京高等裁判所判事。1977年(昭和52年)東京地方裁判所部総括判事。1983年(昭和58年)横浜地方裁判所部総括判事。1987年(昭和62年)宇都宮家庭裁判所所長。
斎東 満(さいとう みつる、1928年5月5日 - 2010… 斎東 満(さいとう みつる、1928年5月5日 - 2010年10月24日)は、浪曲師。本名は、東野一 巳(ひがしの かずみ)。浪曲親友協会元理事長。 和歌山県海南市出身。1933年12月初代日吉川秋斎に弟子入り。1934年3月大阪千日前愛進館で初舞台。少年浪曲師として全国を巡業した。 海南中学卒業し日本大学に進学したが、戦中のどさくさのため中退。戦後本格的に浪曲師として再修行した。 その後、NHK浪曲台本研究会や、民放の「浪花節天狗道場」の指南役をやり、1953年に新日本放送の浪曲コンクール第1期で第2位になり、翌年1954年の決選投票で第4位に入賞した。(その時の第1位は酒井雲坊(のちの村田英雄)である。
能登ノ山 竜三(のとのやま りゅうぞう、1928年5月5日 … 能登ノ山 竜三(のとのやま りゅうぞう、1928年5月5日 - 1971年7月20日)は、石川県珠洲郡(現在の珠洲市)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は出村 竜三(でむら りゅうぞう)。身長193cm、体重129kg。最高位は東十両13枚目(1950年1月場所)。得意技は左四つ、割り出し。引退後は世話人となり、立浪部屋で後進の育成に務めた。 1946年11月場所に18歳で初土俵。順調に出世して1950年1月場所に21歳で十両に昇進。しかし、2場所続けて5勝10敗と負け越して幕下に陥落。幕下陥落後は長い間低迷していたが、1956年頃から調子を戻し始めて、1957年3月場所に7年ぶりに十両に復帰した。
四ツ谷 光子(よつや みつこ、1927年5月5日 - 201… 四ツ谷 光子(よつや みつこ、1927年5月5日 - 2017年12月23日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党所属、2期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(日本AALA)副理事長・代表理事。
上田 章(うえだ あきら、1926年(大正15年)5月5日 … 上田 章(うえだ あきら、1926年(大正15年)5月5日 - 2014年(平成26年)3月10日)は、衆議院法制局長。弁護士。位階は従三位。京都市出身。
秀湊 忠司(ひでみなと ただし、1926年5月5日 - 19… 秀湊 忠司(ひでみなと ただし、1926年5月5日 - 1995年6月4日)は、徳島県板野郡栄村(現役当時、現・同郡板野町)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は平野 忠(ひらの ただし)。最高位は東前頭17枚目(1955年1月場所)。現役時代の体格は173cm、105kg。得意手は右四つ、下手投げ、下手捻り。 地元の公立農業学校(板西農蚕学校、現・徳島県立板野高等学校)を中退後、同じ徳島県出身の元小結・東雲衑藏の勧めにより、15歳の時に出羽海部屋へ入門。 1942年5月場所で初土俵を踏み、翌年1月、本名に因んだ「小平野」の四股名で序ノ口に付いた。 1945年6月より徴兵され、約5ヵ月後に戦場より帰還。
岩島 久夫(いわしま ひさお、1926年(大正15年)5月5… 岩島 久夫(いわしま ひさお、1926年(大正15年)5月5日 - 2018年(平成30年)11月26日)は、日本の軍事評論家である。 岐阜県の生まれ。幼年期に朝鮮に移り、第二次世界大戦中は大日本帝国海軍の少尉となった。終戦直前には特攻艇要員となり、戦後は東京大学に入学しアメリカ合衆国の政治史を学ぶ。卒業後の1966年(昭和41年)防衛庁防衛研修所(現在の防衛研究所)に勤務し、後に戦史部長に就任した。 同研修所退職後の1987年(昭和62年)には岩手大学の教授となり、1992年(平成4年)には南山大学の教授となりそれぞれ軍事に関する学問の教鞭を執る。1998年(平成10年)にはアレン国際短期大学(2007年に廃止)の学長に就任し、2001年まで務めた。
村田 昇(むらた のぼる、1926年5月5日 - 2017年… 村田 昇(むらた のぼる、1926年5月5日 - 2017年3月28日)は、日本の教育学者、滋賀大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1951年広島文理科大学教育学科卒。「シュプランガー政治教育思想の研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。滋賀大学学芸学部講師、助教授、教育学部教授。1990年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授。滋賀オペラ協会会長、大津管弦楽団指揮者。
市村 美津子(いちむら みつこ、1926年5月5日 - 没年… 市村 美津子(いちむら みつこ、1926年5月5日 - 没年不詳)は、日本の元子役、女優である。本名は松田 光子(まつだ みつこ)。 1926年(大正15年)5月5日、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区)出身。1930年(昭和5年)3月、3歳で松竹蒲田撮影所に入社、小津安二郎監督の『その夜の妻』でデビューする。1931年(昭和6年)の『マダムと女房』に渡辺篤と田中絹代の娘役で出演し注目を集める。1932年(昭和7年)の『残されたお菊ちゃん』では主演を務めるなど、数々の作品で活躍。蒲田名子役の一人となる。 1938年以降は出演記録が無く、1940年(昭和15年)に退社。1943年(昭和18年)の『愛機南へ飛ぶ』に端役で出演しているが、その後の消息は不明である。
榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 19… 榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 1977年7月27日)は、日本の牧師。アシュラム運動の普及に貢献した。「ちいろば牧師」の愛称で知られる。三浦綾子の「ちいろば先生物語」で広く知られるようになった。 配偶者はアシュラムセンター主事の榎本和子(1925-2023)。榎本栄次牧師は実弟。後宮俊夫牧師は義弟。娘は実践神学者の榎本てる子(関西学院大学准教授、1962-2018)。 1925年、兵庫県三原郡神代村(現南あわじ市神代)に生まれる。1938年に旧制洲本中学校に入学する。少年時代は軍国少年だった。1944年に徴兵検査を受け、満州に出征する。1945年満州で敗戦を迎える。帰国後、敗戦の喪失の中で虚無感に陥っていた。
平田 幸正(ひらた ゆきまさ、1925年5月5日 - 201… 平田 幸正(ひらた ゆきまさ、1925年5月5日 - 2014年2月15日)は日本の医師、医学博士、元日本糖尿病学会会長、初代東京女子医科大学病院糖尿病センター所長。 山口県小郡町(現山口市)出身。幼少期に開業医であった実父が急逝し、結核の母と自給自足で戦前戦中期を過ごした。同時期に多数の親類や知人を病で失い、「人命を救いたい」として自らも医者を目指し、九州大学医学部に進学した。 1948年9月に同学を卒業後に大学院に進み、助手、講師などを務めた。1960年から二年間の米国留学を経験し帰学。1970年に世界で初めてインスリン自己免疫症候群の症例を報告した。1953年7月、九州大学医学博士。1969年10月から鳥取大学第一内科教授。
増沢 洵(増澤 洵、ますざわ まこと、1925年〈大正14年… 増沢 洵(増澤 洵、ますざわ まこと、1925年〈大正14年〉5月5日 - 1990年〈平成2年〉10月12日)は、東京都生まれの日本の建築家。1952年発表の自邸吹抜けのある家『最小限住居』などで著名。
坪井 直(つぼい すなお、1925年〈大正14年〉5月5日 … 坪井 直(つぼい すなお、1925年〈大正14年〉5月5日 - 2021年〈令和3年〉10月24日)は、日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原爆被害者団体協議会理事長。広島市名誉市民。元中学校教諭。 1925年、広島県音戸町(現・呉市)生まれ。 広島市に原爆が投下された1945年8月6日、広島工専(現在の広島大学工学部)への通学途中、爆心地から1.5kmの地点で直接被爆し、顔や両腕に大やけどを負いながら生き延びた(原爆投下から3時間後、中国新聞カメラマン松重美人が御幸橋西詰めの欄干付近を撮影した写真に、救援を待ちながら坐っている坪井の姿が写っている)。NHKスペシャル『きのこ雲の下で何が起きていたのか』(2015年8月6日放送)でその時の様子を語っている。