佐藤 東洋士(さとう とよし、1944年8月13日 - 20… 佐藤 東洋士(さとう とよし、1944年8月13日 - 2020年10月18日)は、日本の教育者。学校法人桜美林学園の学園長・理事長を務めた。 中国・北京生まれ。母は北京にあった桜美林学園の前身校で教師を務めており、戦後すぐに帰国した。 慶應義塾大学経済学部で1年学んだ後、桜美林大学文学部に入学。在学中にカリフォルニア大学バークレー校への10ヶ月の留学を経験。1970年桜美林大学文学部英語英米文学科卒業後、1973年日本大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。文学修士。 日本大学大学院在学中の1972年、母校・桜美林大学文学部の助手に採用。1976年、文学部専任講師。1984年、文学部助教授。
善竹 十郎 (ぜんちく じゅうろう、1944年〈昭和19年〉… 善竹 十郎 (ぜんちく じゅうろう、1944年〈昭和19年〉8月13日 - )は、狂言方大蔵流能楽師。善竹圭五郎の長男。本名は茂山 十郎(しげやま じゅうろう)。重要無形文化財総合指定保持者。公益社団法人能楽協会、一般社団法人日本能楽会会員会員。 大阪市出身。祖父善竹彌五郎、父および伯父・二十四世宗家大藏彌右衛門に師事。早稲田大学政経学部卒業。 1983年芸術選奨文部大臣新人賞、1993年大阪市文化祭賞をそれぞれ受賞。 2014年夏まで桐朋学園芸術短期大学で48年間、狂言を教えてきた。その他にも、次男・大二郎と共に全国幼稚園、保育園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校、大学を周り狂言の特別講演を行い、狂言の普及に尽力する。
岡部 洋一(おかべ よういち 1943年8月13日- )は、… 岡部 洋一(おかべ よういち 1943年8月13日- )は、日本の工学者、神経科学者。専門は、超伝導エレクトロニクス・生体磁気・ニューラルネットワークス。学位は、工学博士(東京大学・1972年)。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授兼顧問兼学生。東京大学では先端科学技術研究センター長、情報基盤センター長ほかを務め、放送大学では教授から副学長、学長を歴任した後、2016年より学長であると同時に放送大学生となった。2019年瑞宝中綬章受章。東京都生まれ。 電気電子工学の研究により電子デバイス・電子機器の開発に関わる基礎研究から、システム工学に通じる人間を対象とした医工学、医用生体工学・生体材料学へ、また双方の領域を結ぶ神経科学一般にも目を配る。
青木 章泰(あおき あきひろ、1942年8月13日 - )… 青木 章泰(あおき あきひろ、1942年8月13日 - )は、日本の経営者。四国銀行頭取を務めた。 高知県出身。1965年に中央大学商学部を卒業し、同年4月に四国銀行に入行した。1997年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2002年6月に専務を経て、2004年6月には頭取に就任。2010年6月に会長に就任。 2021年11月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伴 次雄(ばん つぐお、1941年8月13日 -)は、日本の… 伴 次雄(ばん つぐお、1941年8月13日 -)は、日本の農林水産技官。林野庁長官や、緑資源公団理事長、緑資源機構理事長、全国森林レクリエーション協会理事長等を歴任した。 北海道札幌東高等学校卒業後、1965年北海道大学農学部林学科卒業。林野庁業務部長や、林野庁次長、林野庁長官、緑資源公団理事長、独立行政法人緑資源機構理事長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会理事長、公益財団法人地球環境戦略研究機関参与等を歴任した。鈴木宗男元衆議院議員から鈴木宗男事件に関し虚偽の証言をしたとして訴えられたが、2012年に東京地方裁判所で請求棄却が言い渡された。2015年秋の叙勲で瑞宝重光章(農林水産行政事務功労)受章。
丸山 茂雄(まるやま しげお、1941年8月13日 - )は… 丸山 茂雄(まるやま しげお、1941年8月13日 - )は、日本の実業家。株式会社REDMusic取締役。(元:株式会社BREAKER)現:株式会社オーフイアム・ジャパン取締役。 株式会社エピック・ソニーの創始者であり、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)取締役会長、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)代表取締役社長などを歴任。また、S.M.エンタテインメント・ジャパンの特別顧問も務めた。 1941年、丸山ワクチンの開発者である丸山千里の長男として生まれる。幼少期は同潤会江戸川アパートで過ごしつつも、太平洋戦争中は父親の故郷である長野県に疎開。戦後再び同アパートで暮らした。
樫山 文枝(かしやま ふみえ、1941年〈昭和16年〉8月1… 樫山 文枝(かしやま ふみえ、1941年〈昭和16年〉8月13日 - )は、日本の女優である。劇団民藝所属。本名は綿引 文枝(わたびき ふみえ、旧姓:樫山)。夫は俳優の綿引勝彦。 1966年 NHK連続テレビ小説『おはなはん』の演技でゴールデン・アロー賞特別賞、ラジオ・テレビ゙記者会賞個人賞受賞。舞台では2008年に『海霧』の演技で第43回紀伊國屋演劇賞個人賞 受賞。テレビドラマ、映画、舞台などで活躍するほか、ナレーションや朗読の仕事でも知られる。 東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺(現:東京都武蔵野市吉祥寺)生まれ。父親は早稲田大学教授・同野球部長を歴任し、ヘーゲルの研究者として著名な樫山欽四郎。両親とも長野県小諸市の出身。
牧本 英輔(まきもと えいすけ、1941年8月13日 - 2… 牧本 英輔(まきもと えいすけ、1941年8月13日 - 2025年4月3日)は、熊本県宇土市長浜町出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。新十両時の四股名は、轟 亘(とどろき わたる)。身長181cm、体重150kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭12枚目(1972年9月場所)。角界関係者からは「マキさん」の呼び名で親しまれていた。 幼い頃から相撲を始め、地元の中学では相撲部に所属し実家が農家であったため中学卒業後は、熊本農業高校に進学。高校の相撲部では、3年時に九州大会で優勝するなど、活躍を見せた。 時津風親方(元横綱・双葉山)の再三の勧誘もあり、高校卒業と同時に時津風部屋へ入門。
下仲 順子(しもなか よしこ、1941年8月13日 - )は… 下仲 順子(しもなか よしこ、1941年8月13日 - )は、日本の心理学者。文学博士(関西学院大学・1986年)、臨床心理士。専門は、高齢者心理学・人格心理学・心理検査。大阪府生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
関 稔(せき みのる、1941年8月13日 - )は、日本… 関 稔(せき みのる、1941年8月13日 - )は、日本の哲学者・仏教学者。専門はインド哲学・仏教学。苫小牧駒澤大学第3代学長。北海道生まれ 1959年北海道士別高等学校卒業。1963年北海道大学文学部卒業。1968年北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1968年駒澤大学附属岩見沢高等学校教諭。1974年駒澤大学北海道教養部専任講師。1977年岩見沢駒澤短期大学専任講師。1977年インド・ナーランダ仏教研究所客員研究員。1978年岩見沢駒澤短期大学国文科助教授。1985年駒澤大学北海道教養部教務課長1986駒澤大学北海道教養部教授。1993年駒澤大学北海道教養部8代部長を経て、2000年苫小牧駒澤大学国際文化学部教授。
小島 秀夫(こじま ひでお、1941年8月13日 - 202… 小島 秀夫(こじま ひでお、1941年8月13日 - 2022年5月13日)は、日本のヴァイオリニスト、指揮者。広島県広島市出身。元広島交響楽団首席コンサートマスター。 広島市東雲に生まれ、3歳の頃に広島市への原爆投下で被曝する。流しのギターに憧れを抱いて楽器をせがんでいたところ、学校の先生の勧めで8歳の頃よりヴァイオリンを始める。中学時代はスポーツに夢中になり、一時期楽器から離れるが、高校は広島音楽高等学校に進学。 高等卒業後、武蔵野音楽大学で福元裕、ヴォルフガング・シュタフォンハーゲンに師事。大学卒業後、1964年にNHK交響楽団に入団。ベルリン国立音楽大学室内楽科へ入学し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスター、レオン・シュピーラー(フィンランド語版)に師事。
山岸 寛(やまぎし ひろし、1941年8月13日- )は、日… 山岸 寛(やまぎし ひろし、1941年8月13日- )は、日本の経済学者。専攻は物流論(海運経済、国際物流)。流通経済大学流通情報学部教授、東京海洋大学名誉教授、日本海運経済学会・副会長。新潟県出身。
江渡 辰郎(えと たつお、1940年8月13日 - )は、兵… 江渡 辰郎(えと たつお、1940年8月13日 - )は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。
今西 紘史(いまにし ひろし、1940年8月13日 - )は… 今西 紘史(いまにし ひろし、1940年8月13日 - )は日本の実業家。任天堂の元取締役。 同志社大学法学部卒業後、1963年に任天堂に入社する。経理、企画など、様々な部署を経験する。『ウルトラハンド』を生み出した横井軍平のために開発課を発足させた際、今西が経理関係を担当した。 1975年5月総務部長に就任。1994年6月、広報室長に就任。強面の顔をした広報室長として知られ、任天堂のスポークスマンとして活躍する。同社の取締役も務めた。 2002年5月、取締役を退き、顧問に就任。 この項目は、ゲーム関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
光永 久之(みつなが ひさゆき、1939年8月13日 - )… 光永 久之(みつなが ひさゆき、1939年8月13日 - )は、日本の実業家。元三井木材工業社長、三井物産取締役。長崎県出身。 1939年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学経済学部を経て、1962年三井物産入社。同社では主に建設資材を担当し、米国における木材取引の拠点であったシアトルに長く駐在した。同社取締役を経て、1998年三井木材工業社長。親会社である三井物産からの社長就任は23年ぶりであった。就任時には、赤字分野の人材配置転換や製造の内製化、非住宅分野の強化を進めるとしていた。2000年、収益不振のサイディング事業について業界トップのニチハに支援を求める形で業務提携を行った。さらに2001年3月、住宅・木質建材・大型木構造の3部門について三井物産に譲渡する一方、窯業系サイディングと繊維板の2部門についてニチハの完全子会社となる方針を発表した。
2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ と… 2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ とおる)、1939年(昭和14年)8月13日 - 1999年(平成11年)4月19日)は、兵庫県神戸市生まれの落語家。3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後2代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも、超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する。出囃子は『昼まま』。実の弟はマジシャンの松旭斎たけし。長男は桂りょうば。
丹下 隆一(たんげ りゅういち、1939年8月13日 - 1… 丹下 隆一(たんげ りゅういち、1939年8月13日 - 1987年5月2日)は、日本の社会学者。 兵庫県出身。1965年早稲田大学文学部社会学科卒、デュルケームに関する卒論で小野梓記念賞受賞、1973年同大学院博士課程中退、早稲田大学教育学部専任講師、1975年助教授、1980年教授。 がんのため47歳で死去した。遺著『ある社会学徒からの手紙』は、J・Fという謎の人物にあてた連続書簡の形で書かれている。 1983年に宮台真司が丹下研究室を訪ねた際、丹下が客となってホテトル嬢をラブホテルの一室に呼んで会話したカセットテープを聴かせたという。
森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - )は、広島… 森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - )は、広島県福山市生まれ、広島市育ちの元サッカー選手。木之本興三と共にJリーグを創設した最大の功労者である[3][4][5][6][7][8][9]。
前岡 勤也(まえおか きんや、1937年8月13日 - )は… 前岡 勤也(まえおか きんや、1937年8月13日 - )は三重県亀山市出身の元プロ野球選手。旧姓、旧登録名(1958年まで)は井崎勤也(いざき きんや)。
梁 石日(ヤン・ソギル、ヤン・ソクイル、양석일、1936年8… 梁 石日(ヤン・ソギル、ヤン・ソクイル、양석일、1936年8月13日 - 2024年6月29日)は、日本の小説家。在日朝鮮人。本名は梁正雄(ヤン・ジョンウン)、通名:梁川正雄。 大阪市猪飼野で生まれる。両親は済州島から大阪市に移住してきた。戦後、一家は蒲鉾製造で成功したが、父はほどなく愛人を作り、妻子を棄てて家を出た。 大阪府立高津高等学校定時制在学中に、内灘闘争に参加。1954年に猪飼野で詩人の金時鐘に出会う。その後、金が主宰する同人誌『ヂンダレ』に詩を投稿し、手ほどきを受ける。梁石日という筆名は「石の上にも三年、日が照るまで粘り強く書く」の含意で、金時鐘が名付け親である。なお、後に作家として成功してからも親交は続いた。
寿里順平(壽里順平、すさと じゅんぺい、1936年8月13日… 寿里順平(壽里順平、すさと じゅんぺい、1936年8月13日- )は、日本のスペイン語学者、早稲田大学名誉教授。 東京出身。1959年早稲田大学政経学部卒、1964年同大学院法学研究科修士課程修了。南米エクアドル遠征隊などに参加し、1968年早大法学部専任講師、1972年助教授、1976年教授。2007年定年、名誉教授。NHKスペイン語講座講師を務めた。
関口 正巳(せきぐち まさみ、1935年8月13日 - )は… 関口 正巳(せきぐち まさみ、1935年8月13日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 熊谷商工高校から1954年に入団。 1955年に大洋ホエールズへ移籍。1958年に再び読売ジャイアンツへ移籍し、同年退団した。
關 淳一(せき じゅんいち、關の字は新字体で「関 淳一」とも… 關 淳一(せき じゅんいち、關の字は新字体で「関 淳一」とも表記される、1935年(昭和10年)8月13日 - 2024年(令和6年)6月9日)は、第17代大阪市長。医学博士。 大阪府大阪市出身。祖父は社会政策学者で第7代大阪市長の關一(ただし、出生前に一が死去したため、直接の面識はない)。 医師から行政職に転じた経歴を持つ。 2期8年にわたって市長をつとめた磯村隆文の下で助役を務め、磯村の後継候補として2003年の市長選挙に日本共産党を除く各政党の相乗り推薦を得て出馬、元大阪城天守閣館長の渡辺武(日本共産党推薦)らを破り当選。就任当初、助役に弁護士の大平光代を起用し、異例の市役所外部からの人事として話題となった。
秋山 智史(あきやま ともふみ、1935年8月13日 - )… 秋山 智史(あきやま ともふみ、1935年8月13日 - )は、日本の経営者。富国生命保険社長、会長を務めた。 東京都出身。1959年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に富国生命保険に入社。1984年7月に取締役に就任し、1989年3月に常務を経て、1998年7月に社長に就任した。2010年7月に会長に就任。 2013年4月に旭日中綬章を受章。
小林 充(こばやし みつる、1934年 <昭和9年> 8月1… 小林 充(こばやし みつる、1934年 <昭和9年> 8月13日 - 2013年 <平成25年> 12月28日)は、北海道出身の日本の刑事法学者。弁護士。元裁判官。位階は正三位。 専門は、刑法及び刑事訴訟法。元東洋大学及び元北海学園大学教授。北海道生まれ。 古希祝賀刑事裁判論集刊行会編『刑事裁判論集 上巻』(判例タイムズ社、2006年)
新田 昌玄(にった しょうげん、本名での読み:にった まさは… 新田 昌玄(にった しょうげん、本名での読み:にった まさはる、1934年〈昭和9年〉8月13日 - 2004年〈平成16年〉11月18日)は、徳島県海部郡木頭村(現:那賀郡那賀町)出身の日本の俳優、声優。旧芸名:新田 昌(にった あきら)。 徳島県立城東高等学校卒業。慶應義塾大学法学部中退。 劇団文化座を経て、1960年から劇団民藝に所属。舞台活動の傍ら、映画、テレビでも主に脇役・敵役として活躍。 2004年11月18日、食道癌のため東京都渋谷区の病院で死去。70歳没。
松本 暁司(まつもと ぎょうじ、1934年8月13日 - )… 松本 暁司(まつもと ぎょうじ、1934年8月13日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。
仁科 和雄(にしな かずお、1933年8月13日 - 202… 仁科 和雄(にしな かずお、1933年8月13日 - 2023年7月16日)は日本の実業家。元髙島屋代表取締役会長。 東京都立大泉高等学校を経て、一橋大学卒業。大学時代は準硬式野球部に所属、大学4年時には東都大学一部リーグ戦で準優勝した。 三和銀行副頭取を経て、1993年髙島屋代表取締役副社長就任。横浜高島屋との合併を指揮した。仁科は次期社長とみられていたが、その後、高島屋商法違反事件が起き、事件当時総務統括の代表取締役であったことため社長就任が困難になり、代表取締役会長に就任。1996年にはタカシマヤタイムズスクエアを開設。高島屋相談役、特別顧問、特別区人事委員会委員、自由時間倶楽部代表等も務めた。
小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、… 小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、日本の考古学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1980年)(学位論文「九州考古学研究 歴史時代篇」)。福岡大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1957年九州大学文学部史学科卒業。1960年同大学院博士課程中退、九州大学文学部助手、1971年別府大学文学部助教授。1980年「九州考古学研究 歴史時代篇」で九州大学より文学博士の学位を取得。1983年北九州市立考古博物館館長。1988年福岡大学人文学部教授。1995-1999年下関市立考古博物館館長を兼ねる。2004年福岡大学定年退職、名誉教授。1977年西日本文化賞団体賞、1992年『日韓交渉の考古学』で雄山閣考古学賞受賞。
長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2… 長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2019年4月27日)は、日本の実業家。キューサイの創業者。京都府京都市出身。 1957年に同志社大学商学部を卒業し、同年に大沢商会に入社。1963年に退社し、煎餅の製造・販売事業を開始し、1965年10月には福岡市で菓子製造販売会社長老製菓(のちのキューサイ)を創業し、2006年5月までに社長を務めた。1982年にはのちの主力商品となる「青汁」を製造・販売を開始。らでぃっしゅぼーや会長も務めた。 2019年4月27日、死去。85歳没。
渡辺 昭夫(わたなべ あきお、1932年8月13日 - )は… 渡辺 昭夫(わたなべ あきお、1932年8月13日 - )は、日本の国際政治学者。東京大学および青山学院大学名誉教授。専門は国際政治学、日本外交論。
保坂 幸永(ほさか ゆきなが、1931年8月13日 - )は… 保坂 幸永(ほさか ゆきなが、1931年8月13日 - )は、山梨県塩山市赤尾出身の元プロ野球選手(捕手、投手)。 山梨県立日川高等学校では、捕手として1949年の春の選抜に出場。1回戦で北野高に敗退。同年夏の甲子園県予選を勝ち抜き山静大会決勝に進むが、静岡城内高に敗れ甲子園出場を逸する。 卒業後は立教大学へ進学。1年上に堀川瑛(東洋レーヨン)がおり、4年生から正捕手となる。東京六大学野球リーグでは、1953年春季リーグで優勝を経験するが、その後は明大、早大に圧倒され、優勝には届かなかった。大学同期に大沢昌芳、古田昌幸がいる。2年後輩の杉浦忠ともバッテリーを組んだことがあった。 1956年大映スターズに入団。
あまん きみこ(本名(旧姓):阿萬 紀美子(読み同じ)、19… あまん きみこ(本名(旧姓):阿萬 紀美子(読み同じ)、1931年〈昭和6年〉8月13日 - )は、日本の児童文学作家。 旧満洲撫順市に生まれる。父は宮崎県出身で南満洲鉄道(満鉄)系列会社の社員だった。あまんは一人娘で、祖父母や叔母も含めて満鉄の社宅で暮らした。小学校入学時は新京(現在の長春市)在住だったが、当時は病弱だったという。小学3年生の時に大連市に移り住み、(病弱だった新京時代に対し)「私の記憶には大連の日々しかありません」と述べている。その一方、病床で家族から民話・寓話の語りを聞いたり本を読んだことがきっかけで「窓から空を眺めながら、空想でお話を作ることが好きでした」とも述べている。2020年に刊行した絵本『あるひあるとき』は満州時代の体験がモチーフとなっている。
相馬健一(そうま けんいち、1931年(昭和6年)8月13日… 相馬健一(そうま けんいち、1931年(昭和6年)8月13日 - )は、日本の実業家。元山形新聞社社長、会長。
平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 19… 平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)は、日本の演奏者、ソングライター、編曲家である。日本作曲家協会会員。 1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。実業家であり三味線奏者で東明節(とうめいぶし)の創始者として知られる、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 - 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である。シロフォン奏者・平岡養一(1907年 - 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 - 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」とするのは誤り。初代東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 - 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる。
藤井 保憲(ふじい やすのり、1931年8月13日 - 20… 藤井 保憲(ふじい やすのり、1931年8月13日 - 2019年7月20日)は、日本の物理学者。主な専門は、重力理論。理学博士(名古屋大学)。東京大学名誉教授。2019年、叙従四位、瑞宝小綬章追贈。兵庫県神戸市出身。神奈川県横浜市青葉区在住であった。 この当時、藤井保憲は中性ベクトル場を用い、場の理論の観点から基本粒子(坂田模型)間の強い相互作用を媒介する場を創っていた。さらに、この場をゲージ場と見なしていた。 しかし、力の有限到達距離をだすためには媒介粒子の固有質量に帰着させざるを得ず、対称性の自発的破れが知られていない当時は無理であった。そして、その頃の雰囲気もあって埋もれてしまったのであった。
上村 洸(かみむら ひろし、1930年〈昭和5年〉8月13日… 上村 洸(かみむら ひろし、1930年〈昭和5年〉8月13日 - 2025年〈令和7年〉11月22日)は、日本の物理学者。専門は固体物理学。東京大学名誉教授。東京理科大学名誉教授。英国物理学会名誉フェロー。アメリカ物理学会終身フェロー。第40期日本物理学会会長。理学博士。 1930年8月13日、兵庫県芦屋にて生まれた。1948年に東京都立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を卒業した。1954年に東京大学理学部を卒業し、1959年に同大学院数物系研究科の博士課程を修了した。同年に東京大学理学部物理学科の助手に着任し、1967年に助教授に、1978年に教授に昇任した。東京大学では、改革室員や理学研究科委員会委員、理学部物理学科主任、理学部付属中間子研究センター長、物性研究所協議会委員などを歴任した。
中村 明(なかむら あきら、1930年8月13日 - 202… 中村 明(なかむら あきら、1930年8月13日 - 2020年2月15日)は、日本の生物学者(細胞遺伝学)。静岡県立大学名誉教授。 静岡県立浜松北高等学校、静岡女子短期大学での勤務を経て、静岡県立大学短期大学部教授などを歴任した。 細胞遺伝学を専攻する生物学者である。ニホンウズラの系統に関する研究で知られている。静岡県立浜松北高等学校、静岡女子短期大学、静岡県立大学短期大学部で教鞭を執っていた。 1930年8月13日に生まれ、静岡県立浜松第一中学校に進学した。 1963年4月より、母校である静岡県立浜松第一中学校の流れをくむ静岡県立浜松北高等学校にて教鞭を執った。教科は理科を担当しており、部活動では軽音楽部や生物部の顧問を務めた。
久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989… 久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989年4月5日)は、日本の経営者。内田洋行社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法経学部経済学科を卒業し、同年に内田洋行に入社。1961年6月に取締役に就任し、1963年4月に専務を経て、1966年5月には社長に就任した。 1989年4月5日、心不全のために死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
安居 洋(やすい ひろし、1929年(昭和4年)8月13日 … 安居 洋(やすい ひろし、1929年(昭和4年)8月13日 - )は、日本の経済学者。専門は、経済政策および財政学・金融論。神戸市外国語大学名誉教授(法経商コース)、元岡山商科大学教授。 神戸大学名誉教授の三木谷良一(三木谷浩史 楽天代表取締役会長兼社長の父)は、旧制神戸経済大学予科からの同期であり親友。
大藪 郁子(おおやぶ いくこ、1929年〈昭和4年〉8月13… 大藪 郁子(おおやぶ いくこ、1929年〈昭和4年〉8月13日 - )は、日本の脚本家。 本名は斎藤郁子。出身地は旧朝鮮京城(現ソウル)。 香川県立丸亀高等学校、東京女子大学英米文学科卒業。大学では、有吉佐和子と同級だったという。 学生時代から芝居好きであった。大学卒業後にアメリカ人の秘書を務めるが、会社の近くでテレビドラマ研究所のポスターを見つけて惹かれ、そこの第一期生として入所。同研究所の卒業制作として自ら制作した韓国人差別問題を扱ったストーリー『船着き場』が雑誌に掲載され、それがテレビ局関係者の目に留まり、脚本家デビューのきっかけをつかむ。1962年にNHK教育テレビで放送された創作劇場『うわさ島』で脚本デビュー。
今村 治輔(いまむら はるすけ、1929年8月13日 - )… 今村 治輔(いまむら はるすけ、1929年8月13日 - )は、日本の経営者。清水建設社長を務めた。 大分県出身。1954年に東京大学工学部建築学科を卒業し、同年に清水建設に入社。1983年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1987年1月に専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1990年6月には社長に昇格。1999年1月に会長に就任し、2004年6月に相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
長戸路 政行(ながとろ まさゆき、1929年8月13日 - … 長戸路 政行(ながとろ まさゆき、1929年8月13日 - )は、日本の弁護士。敬愛大学名誉教授。 千葉県千葉市生まれ。長戸路政司の三男。千秋、長戸路信行の弟。1955年東京大学法学部卒。東京弁護士三会交通事故処理委員、毎日新聞社交通事故法律相談所嘱託相談員、千葉敬愛経済大学教授、千葉県土地収用委員、千葉県建築紛争審査委員。1996年兄信行の死による学校法人千葉敬愛学園理事長・敬愛大学学長。2001年退任。2009年4月旭日中綬章受章。
高橋 崇(たかはし たかし、1929年8月13日 - 201… 高橋 崇(たかはし たかし、1929年8月13日 - 2014年7月29日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。 静岡県生まれ。1953年、東北大学文学部国史学科卒業。1963年、「律令官人給与制度の研究」で東北大学文学博士。弘前大学講師、東北大学教養部助教授、岩手大学教授を歴任。
正司 歌江(しょうじ うたえ、本名:平井歌江、1929年〈昭… 正司 歌江(しょうじ うたえ、本名:平井歌江、1929年〈昭和4年〉8月13日 - 2024年〈令和6年〉1月19日)は、日本の漫才師であり、漫才トリオ「かしまし娘」の長女である。 旅役者だった両親の巡業先・北海道歌志内市で生まれと多くの出版物などに記載されているが、2003年(平成15年)6月18日に北海道天塩郡遠別町で行われた、遠別町民大学第1講座で正司が講演した際のことが掲載された「広報えんべつ」平成15年7月号によると遠別町字歌越(うたこし)生まれとある。正司はこのことを知らなかったらしく地元住民から告げられた。3歳で初舞台を踏む。1941年(昭和16年)頃、妹の正司照枝と組んだ姉妹コンビは天才少女漫才と喝采をあびた。
野口 幸一(のぐち こういち、1929年〈昭和4年〉8月13… 野口 幸一(のぐち こういち、1929年〈昭和4年〉8月13日 - 1993年〈平成5年〉10月29日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。 滋賀県彦根市生まれ。旧制滋賀県立彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)中退。1950年(昭和25年)逓信講習所卒。その後、郵政事務官になり、全逓滋賀県委員長、滋賀地評議長などを経て、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙で滋賀全県区から日本社会党公認で立候補して当選。5期務めた。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界から引退する。 1993年10月29日、死去。64歳没。同年11月12日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された。
稲葉 右二(いなば ゆうじ、1928年8月13日 - 201… 稲葉 右二(いなば ゆうじ、1928年8月13日 - 2017年1月8日)は、日本の獣医師。学位は医学博士(順天堂大学・1961年)。元日本大学教授。 畜産農家に恐れられていた牛の伝染病「牛流行熱」「イバラキ病」「アカバネ病」の原因がアルボウイルスであることを突き詰め、診断法やワクチンを開発した。家畜衛生試験場製剤研究部長、日本ウイルス学会理事、日本大学生物資源科学部教授、獣医師免許審議会委員などを歴任した。 1971年、「牛の流行熱の研究」により日本獣医学会賞を受賞。1977年、「牛流行熱及び牛伝染性鼻気管炎の予防液の開発」により農林水産省職員功績者。1994年、「各種牛のウイルス病の防除技術の開発及び実用化に関する研究」により日本農業研究所賞を受賞。
速川 和男(はやかわ かずお、1928年8月13日 - )は… 速川 和男(はやかわ かずお、1928年8月13日 - )は、日本の比較文学者・英語学者。立正大学名誉教授。日本英学史学会第6代会長。 東京市有楽町生まれ。青山学院大学中退後、高校教師をしながら研究、のち再入学して卒業。英語雑誌編集などをへて1974年立正大学教養部教授、97年文学部教授、99年定年、名誉教授。
藤原 菊男(ふじわら きくお、1926年8月13日- 201… 藤原 菊男(ふじわら きくお、1926年8月13日- 2012年8月13日 )は、日本の経営者。島津製作所社長、会長を務めた。 京都府竹野郡丹後町出身。1952年に京都大学経済学部を卒業し、同年に島津製作所に入社。1979年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格した。1998年6月から会長を務め、2002年6月から相談役を務めた。 日本経済団体連合会常任理事、関西経済連合会常任理事なども歴任した。 1992年11月には藍綬褒章を受章し、1998年4月には勲二等瑞宝章を受章した。 2012年8月13日、京丹後市の海岸で遊泳中に死去。86歳没。
斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 20… 斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 2017年10月20日)は、日本の宇宙物理学者、宮沢賢治研究家。新潟大学名誉教授。岩手県北上市出身。 岩手県立黒沢尻中学校を経て、東北大学理学部卒業、同大学院で1962年、理学博士の学位を取得。博士論文は「夜光発光機構の研究」。オーロラの研究者として南極観測隊(第5次夏隊、1960年 - 1961年)に加わったのち、新潟大学理学部教授を務める[要出典]。 詩人でもあり、詩誌『歴程』同人。宮沢賢治の研究家としても知られ、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの設立発起人(1990年)や宮沢賢治イーハトーブ館の初代館長(1992年-1994年)も務めた。