森山 輝久(もりやま てるひさ、 1942年3月17日 - … 森山 輝久(もりやま てるひさ、 1942年3月17日 - )は、日本の元バレーボール選手。元バレーボール全日本選手。 広島県出身。崇徳高等学校3年の時、ジャンプ力のある強打のエースアタッカー兼主将として国体優勝。1960年、中央大学1年時の、第1回日ソ対抗バレーで全日本に初選出された。その後も6人制へ切り替え期の全日本選手として1962年第5回世界選手権(モスクワ)、第4回ジャカルタアジア競技大会(金メダル)などで活躍した。中大4年時には大学王者の勢いで当時の最強チーム・日本鋼管を天皇杯(全日本総合選手権)で破って日本一となるなど中大黄金期の礎を創った。中大を卒業し入団した松下電器(現・大阪ブルテオン)でも1964年、チームの全日本都市対抗、全日本総合、国体、全日本実業団の国内4大タイトル独占の原動力となった。
柏原 正之(かしはら まさゆき、1942年(昭和17年)3月… 柏原 正之(かしはら まさゆき、1942年(昭和17年)3月17日 - 2018年6月25日)は、日本の政治家。元兵庫県加西市長(1期)。元兵庫県議会議員(自由民主党、2期)。位階は正六位。旭日双光章。 兵庫県出身。神奈川歯科大学卒。加西市で歯科医院を開業する。1995年兵庫県議会議員選挙に立候補し、初当選。2期務める。 2001年加西市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務めた。 2005年加西市長選挙で再選を目指したが、松下政経塾出身で長野県知事選挙と大阪市長選挙に立候補した(いずれも落選)中川暢三に敗れた。当時は「泡沫候補が現職に勝った」と話題になった。 2007年4月、市長の中川の市職員の採用に関する疑惑が報道されたため、加西市議会は百条委員会を開き、市議会は市長の不信任案を決議し、可決された。
吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )… 吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )は、日本の旗章学者。 バングラデシュなどのアジア諸国、また、世界各国の国旗事情に詳しい。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学第一政治経済学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。 国際赤十字バングラデシュ・ベトナム各駐在代表、日本赤十字中央女子短期大学助教授、埼玉県立大学教授を経て、ユーラシア21研究所理事長、拓殖大学客員教授、難民を助ける会特別顧問、世界の国旗普及協会理事、日本国際フォーラム評議員などを歴任。 スポーツ関係の仕事も多く、第18回夏季オリンピック東京大会組織委員会国旗担当職員、第18回オリンピック冬季競技長野大会大会組織委員会式典担当顧問を務め、東京パラリンピック(1964年)では組織委員会のメンバーとして大会運営を担当している。
筒井 勝美(つつい かつみ、1941年3月17日 - )は、… 筒井 勝美(つつい かつみ、1941年3月17日 - )は、日本の教育者、進学塾英進館館長・会長。
河野 昭(こうの あきら、1941年〈昭和16年〉3月17日… 河野 昭(こうの あきら、1941年〈昭和16年〉3月17日 - 2009年〈平成21年〉9月27日)は、日本の元行政管理(総務)・内閣府官僚。初代内閣府事務次官。 1941年3月17日生まれ。1965年、東京大学文学部卒業。1966年、行政管理庁に入庁。1990年、総務庁行政管理局企画課長。1991年、総務庁長官官房総務課長。1992年4月、総務庁長官官房審議官(行政監察局担当)。1993年6月、関東管区行政監察局長。1994年7月、総務庁長官官房審議官(行政管理局担当)。1995年、総務庁長官官房長。1997年、総務庁行政管理局長。1998年、中央省庁等改革推進本部事務局長。同年、内閣審議官。
伊部 幸顕(いべ さちあき、1941年3月17日 - )は、… 伊部 幸顕(いべ さちあき、1941年3月17日 - )は、日本の実業家、ゼリア新薬工業株式会社代表取締役会長兼CEO。 1941年3月17日生まれ。東京都出身。立教大学卒業[要出典]。 ゼリア新薬工業株式会社入社後、1972年3月、同社取締役に就任。 1978年4月、常務取締役、1981年4月、代表取締役専務取締役を歴任後、1982年4月、代表取締役社長に就任。2014年6月、代表取締役会長兼CEOに就任。 社長就任以来、消化器系領域に特化した医療用医薬品事業と、特長ある製品群を主体としたコンシューマーヘルスケア事業を両輪に据え、さらにグローバル展開を推進した積極的な経営で事業拡大と企業体質の強化に努め、将来に向けた発展基盤を作ってきた。
秋山 忠右(あきやま ただすけ、1941年3月17日 - 2… 秋山 忠右(あきやま ただすけ、1941年3月17日 - 2013年6月25日)は、東京都出身の写真家。 1941年3月17日、東京都品川に生まれる。早稲田大学政治経済学部を卒業後、1964年に東京綜合写真専門学校研究科を卒業する。石元泰博の師事となったが、1965年にフリーランスとなった。同年には、佐藤晴雄と共同で制作した「若い群像(東京都写真美術館に作品収蔵)」で第2回太陽賞を受賞、1991年には第31回ACC全日本CMフェスティバルのテレビCM部門において優秀賞となるなど、数々の受賞歴を持つ。さらに、1992年に第39回カンヌ国際広告映画祭ファイナリストに入賞、1998年には伊奈信男賞特別賞を受賞している。
梶田 功(かじた いさお、1940年(昭和15年)3月17日… 梶田 功(かじた いさお、1940年(昭和15年)3月17日 - )は、日本の政治家。元大阪府箕面市長(1期)、B&G財団元会長。 大阪府出身。大阪府立園芸高等学校卒。箕面市役所に入り、職員課長、市民生活、生涯教育推進、総務の各部長、消防長、助役などを務める。 2000年箕面市長橋本卓が病気を理由に辞職。これに伴う市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務め、2004年の市長選挙では再選を目指したが、元箕面市議の藤沢純一に敗れた。2004年より2017年までブルーシー・アンド・グリーンランド財団会長。 2010年、旭日双光章を受章。
小林 辰興(こばやし たつおき、1940年3月17日 - 2… 小林 辰興(こばやし たつおき、1940年3月17日 - 2023年5月2日)は、日本の実業家。(株)栃木銀行相談役会長。前取締役会長。元頭取。公益社団法人栃木県経済同友会筆頭代表理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
郷田 勇三(ごうだ ゆうぞう、1940年(昭和15年)3月1… 郷田 勇三(ごうだ ゆうぞう、1940年(昭和15年)3月17日 - )は、日本の空手家で、極真会館(松井派)最高顧問である。東京都出身。極真空手九段。 東京都豊島区雑司が谷生まれ。高校時代に「牛と戦う空手家の大山倍達」の噂を耳にするも、道場移転の関係で入門できず、高校卒業直後の1959年(昭和34年)4月、大山道場へ入門した。ボクシングか空手かで迷った結果、月謝の安かった大山空手を選択したという。これが空手家として生きていく運命のきっかけとなる。 入門後は大山以下、石橋雅史・安田英治・黒崎健時らの指導を受けながら修行し、黒帯を取得をする。一時空手から離れるが、芦原英幸に中村忠の渡米の見送りに誘われ、羽田空港で大山と再会、これが縁で道場に復帰する。
俵木 浩太郎(たわらぎ こうたろう、1939年3月17日- … 俵木 浩太郎(たわらぎ こうたろう、1939年3月17日- )は、日本の教育哲学者、元玉川大学教授。 東京生まれ。1962年慶応義塾大学法学部法律学科卒業、日東ユニカーKKで10年間のサラリーマン生活を送る。1972年同大学院教育学専攻に入学し、ひきつづき同博士課程に学ぶ。1976年ロンドン大学に留学、88年「「教育」と「好学」」で慶大教育学博士。1978年玉川大学講師となり、81年助教授、91年教授となる。
河野 顕子(こうの あきこ、1939年〈昭和14年〉3月17… 河野 顕子(こうの あきこ、1939年〈昭和14年〉3月17日 -2022年〈令和4年〉10月11日 )は、神奈川県平塚市出身の政治家。藤沢市議会議長を務めた。 神奈川県横須賀市発祥の百貨店さいか屋会長で、衆議院議員、横須賀市長を歴任した岡本傳之助の娘。 藤沢市議会において環境・災害対策特別委員会委員長、文教常任委員会委員、防災会議委員などを歴任し、湘南なぎさシティ計画の中止、奥田公園マンション転用計画の中止、藤沢独自の平和学習ノートの作成中止、教育委員会定例会の傍聴・.議事録の作成公開、自身の居住地である鵠沼の緑化、特別養護老人ホーム鵠生園の鵠沼から片瀬への移転、モーガン邸の保存、旧後藤医院の保存活用等を推進したとされる。
三浦 宏文(みうら ひろふみ、1938年 <昭和13年> 3… 三浦 宏文(みうら ひろふみ、1938年 <昭和13年> 3月17日 - 2020年 <令和2年> 3月5日)は、日本の工学者。位階は従四位。 東京大学名誉教授。元工学院大学学長。元日本ロボット学会会長。専門はロボティクス、マイクロ技術、スペーステクノロジー、メカトロニクス。 徳島県徳島市出身。東京大学工学部機械工学科卒業。同大学院数物系研究科機械工学専攻博士課程修了。 東京大学助教授、NASA客員研究員、東京大学工学部教授を経て、2003年~2009年工学院大学学長。1993年~1995年日本ロボット学会会長。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。現在は昆虫の動きを研究し、それを真似て虫型ロボットを研究する。
柄崎 英樹(つかざき ひでき、1938年3月17日 - )は… 柄崎 英樹(つかざき ひでき、1938年3月17日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 福岡県立戸畑高等学校から日本大学へ進学。大学時代は主将として活躍した。1961年に大洋ホエールズへ入団したものの、1年限りで引退。
利光 國夫(としみつ くにお、1938年3月17日 - )は… 利光 國夫(としみつ くにお、1938年3月17日 - )は、日本の経営者。小田急電鉄代表取締役会長兼グループCEO、小田急百貨店社長、会長を務めた。東京都出身。 1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1967年8月に小田急電鉄に入社。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、2001年6月に副社長に就任した。その一方で、1997年5月に小田急百貨店社長に就任し、2001年3月には小田急百貨店会長に就任。2003年6月27日には小田急電鉄代表取締役会長兼グループCEOに就任したが、2005年6月、有価証券報告書の虚偽記載問題の責任を取り小田急電鉄代表取締役会長兼グループCEOと小田急百貨店会長を辞任。
灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月… 灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月17日 - )は、日本の競技麻雀のプロ雀士、エッセイスト、漫画原作者、歌手。日本プロ麻雀連盟名誉会長(第2代会長)。同団体内での段位は九段。 北海道札幌市生まれ。国鉄勤務の父に従って幼少期は道内各地を転々とした後に室蘭市に移る。小学5年生の頃に大人が打つ麻雀を後ろで見てルールを覚える。 北海道室蘭栄高等学校を経て、北海学園大学経済学部に入学。大学在学中よりすすきののキャバレーで支配人らと麻雀を打ちステージで歌を歌うという生活を送り、麻雀で生計を立てることを誓う。卒業後7年間は各地を転々としいわゆる麻雀放浪をする。 1976年、第1期最高位戦で優勝(順位率部門)。
伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、… 伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、日本の女優、声優。東京市四谷区(現・東京都新宿区)出身。 東京都立戸山高等学校、早稲田大学教育学部歴史科卒業。 教員志望であったが、母親が新劇好きだった影響で学生劇団自由舞台に参加。自由舞台に入った理由は高校時代の先輩が在籍していたことから。 自由劇場の舞台を鑑賞した母親から「教師より俳優になった方が良いんじゃないかしら」と言われたことでプロの俳優となることを決める。1958年10月、NHKが設立した俳優養成所に入所。1960年、劇団三十人会の創立に参加し、1973年に同劇団が解散した後はフリーで活動。 夫は劇団俳優座の加藤剛。加藤とは「自由舞台」以来の付き合いである。
佐藤 和彦(さとう かずひこ、1937年3月17日 - 20… 佐藤 和彦(さとう かずひこ、1937年3月17日 - 2006年5月13日)は、日本史学者。東京学芸大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校を経て、1959年早稲田大学第一文学部卒業。1965年同大学院文学研究科博士課程単位修得退学。68年東京大学史料編纂所入所、69年助手、75年東京学芸大学教育学部助教授、教授、2000年定年退官。帝京大学文学部教授。在職中の2006年5月13日、和歌山県立図書館で開かれた小山靖憲追悼シンポジウムに参加した際、討論時間に質問した直後に倒れ、病院に運ばれたが間もなく急性心不全のため死去した。 1981年「南北朝内乱史論」により、早稲田大学から文学博士の学位を授与される。
久野 能弘(くの よしひろ、1937年3月17日 - 201… 久野 能弘(くの よしひろ、1937年3月17日 - 2017年9月24日 )は、日本の行動療法家。臨床心理士・専門行動療法士。金沢大学名誉教授。専門は行動療法。京都府生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
今田 忠 (いまだ まこと、1937年3月17日 - 201… 今田 忠 (いまだ まこと、1937年3月17日 - 2017年11月18日)は、日本の市民活動家。市民社会研究所所長。有限会社みみずく舎代表取締役。 大阪府豊中市生まれ。1959年、東京大学教養学部卒業。 日本生命保険、日本生命財団企画調査部長、助成財団資料センター企画委員、NPO研究フォーラム事務局長、笹川平和財団プログラム・ディレクター、主席研究員を経て、1996年5月より阪神・淡路コミュニティ基金代表。1999年5月に基金が閉鎖となり退職。 この他、羽衣国際大学客員教授、中京女子大学客員教授、関西学院大学非常勤講師、愛知学泉大学講師、同志社大学非常勤講師などを務めた。 2017年11月18日9時46分、癌性腹膜炎のため兵庫県神戸市の病院で死去。
明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は… 明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は、日本のアニメーション演出家、映画監督。 愛媛県松山市出身。9人兄弟の三男として生まれるが、兄弟は若くして全員亡くなったという。 日本大学芸術学部文芸学科卒業。同郷の佐伯清の伝手を頼り、1959年に東映に入社。東京撮影所にて佐伯清、渡辺祐介、石井輝男、今井正らの下で助監督(サード、フォース)を務める。 映画産業の斜陽化に伴い、1964年に東映動画(現:東映アニメーション)に転籍する。転籍組の同期に日大の先輩であった久岡敬史や京都撮影所から移ってきた田宮武、勝間田具治らがいる。 アニメ初仕事となった『狼少年ケン』では山本寛巳の助手に就くが、山本が組合運動のためにしばしば会社を抜け出していたため、明比が仕事を肩代わりするようになり、第46話「ジャングルの友情」で早くも演出として一本立ちする。
多田 ヒロシ(ただ ヒロシ、1937年3月17日 - )は東… 多田 ヒロシ(ただ ヒロシ、1937年3月17日 - )は東京都出身の絵本作家、漫画家。本名は多田寛。 武蔵野美術大学デザイン科を卒業。絵本の他に環境漫画も手がける。 寺村輝夫作品は「寺村輝夫」を参照。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
斎藤 博(さいとう ひろし、1936年3月17日 - 201… 斎藤 博(さいとう ひろし、1936年3月17日 - 2015年6月26日)は、日本のアニメーション監督、脚本家、演出家。京都市立紫野高等学校卒業。 中国(当時は満洲国)の日本租借地であった関東州大連市生まれ。太平洋戦争終戦後の1946年に日本へ引き揚げ、京都府に住む。 20代前半、油絵の勉強に専念し画家をめざすが、結婚後の1960年、漫画家の横山隆一 主宰するおとぎプロへ入社し、1961年放送開始のテレビアニメ『インスタント・ヒストリー』や劇場作品の作画を数本担当する。 1963年『鉄腕アトム』の放映が開始されると、おとぎプロの先輩アニメーターで1961年に設立された虫プロダクションの創設メンバー山本暎一の紹介で虫プロダクションへ入社。
久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3… 久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3月17日 - 没年不明)は、日本の洋画家。「久下田の塚田」を略して「久下塚」とした。「青蘭」は東郷青児から与えられた雅号である。 1936年(昭和11年)3月17日、栃木県芳賀郡久下田町(1954年に町村合併で芳賀郡二宮町になり、2009年に真岡市に編入)に生まれる。養子縁組して塚田貞輔・富美子夫妻の長男となる。資産家の一人息子として育った久下塚は何一つ不自由のない少年時代を過ごした。しかし、陸軍大尉であった父・貞輔が28歳の若さで戦死を遂げた。久下塚が中学2年の時には母の富美子が子供よりも女としての幸せを選んで再婚。久下塚は父母の愛情に満たされずに育った言わばおばあちゃん子であり女中っ子であった。
横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 20… 横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 2017年7月8日)は、日本の作曲家、編曲家である。広島県広島市出身。 両親とも学校の教員。小学3年生の時に父親の転勤により呉市に転居したため、1945年の原爆被災を免れる。本人は呉から原爆のキノコ雲をもろに見て覚えていると話している。 小学6年生の時に再び父親の転勤により同じ広島県の甲奴郡に転居、甲奴郡には中学3年生の時まで暮らす。ある日に父親の勤務していた上下高等女学校(現・広島県立上下高等学校)で行われた、オペラ歌手の藤原義江と大谷洌子が出演する演奏会を父親と一緒に観に行き、魅了される。これに元々音楽が好きだったこともあって、中学2年生の時の進学指導で先生に「歌手になる」と答えたところ、先生から「音楽をやるなら作曲家にならなきゃだめだ」と言われ、広島音楽高等学校を勧められて同校に創立2期生として入学。
大隅 正子(おおすみ まさこ、1935年3月17日 - )は… 大隅 正子(おおすみ まさこ、1935年3月17日 - )は、日本の生物学者。専門分野は細胞生物学。学位は、医学博士。日本女子大学名誉教授。夫は鯨類研究者の大隅清治、長女は神経科学者の大隅典子。 日本女子大学附属豊明幼稚園、日本女子大学附属豊明小学校、日本女子大学附属中学校・高等学校を経て、1957年、日本女子大学家政学部家政理学科Ⅱ部(生物農芸学専攻)卒業。在学中、湯浅明の指導を受ける。 日本女子大学家政学部家政理学科生物学教室助手、南イリノイ大学生物学研究所研究助手、日本女子大学家政学部家政理学科専任講師、同助教授を経て、1975年、教授。1983年、「酵母細胞の微細構造と機能の研究」の業績により、第3回猿橋賞を受賞する。
井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )… 井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )は、日本の実業家。ダイキン工業代表取締役会長兼社長を経て、同社取締役会長兼グローバルグループ代表執行役員、関西フィルハーモニー管弦楽団理事長。ダイキン工業で1994年の社長就任時に3千億円台だった売上高を4兆円超に育てた。 京都市生まれ。同志社中学校・高等学校を経て、1957年同志社大学経済学部卒業、大阪金属工業(現ダイキン工業)入社、淀川製作所総務部配属。人事部長等を経て、1979年取締役に昇格。1985年常務取締役。1989年専務取締役。 1994年から代表取締役社長を務め、経営危機にあったダイキン工業を世界トップクラスの空調機メーカーに成長させ、同社中興の祖とされる。
鴨下 信一(かもした しんいち、1935年3月17日 - )… 鴨下 信一(かもした しんいち、1935年3月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー・演出家・TBSテレビ相談役。東京都出身。
渡辺 邦彦(わたなべ くにひこ、1934年3月17日 - 2… 渡辺 邦彦(わたなべ くにひこ、1934年3月17日 - 2017年3月28日)は日本の映画監督。京都府京都市出身。
まつい のりこ(松井紀子、1934年3月17日 - 2017… まつい のりこ(松井紀子、1934年3月17日 - 2017年2月12日)は、日本の絵本作家、紙芝居作家。 絵本の代表作は『じゃあじゃあびりびり』、『かずのほん』、『とけいのほん』など。紙芝居では『おおきくおおきくおおきくなあれ』などを発表し、紙芝居の普及に努めた。 1934年3月17日、和歌山県和歌山市生まれ。和歌山大学学芸学部を卒業後、東京で小学校教員(図工)となる。 子育ての中で絵本に関心を持ち、28歳で絵を学ぶべく武蔵野美術大学に入学、卒業。 自分の子供に手作りの絵本を作ったことが、のちに絵本作家に進む出発点となる。絵本作家となる。1976年、『ころころぽーん』でボローニャ世界児童図書展エルバ賞を受賞。
木幡 陽(こばた あきら、1933年3月17日 - )は、日… 木幡 陽(こばた あきら、1933年3月17日 - )は、日本の生化学者。薬学博士。東京大学名誉教授。東京都老人総合研究所名誉所長。北海道根室市出身。
伊藤 鑛二(いとう こうじ、1933年3月17日 - 200… 伊藤 鑛二(いとう こうじ、1933年3月17日 - 2001年1月21日)は、日本のアナウンサー。日本放送協会(NHK)チーフアナウンサー。 鑛ではなく、金編に黄を組み合わせた文字(機種依存文字)を充てる場合もある。 満州国大連市(のちの中華人民共和国旅大市)出身。南山大学文学部英文科卒業。 1955年(昭和30年)にNHKへ入局。以来、アナウンサーとして活動。その間、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)への第6期派遣日本語アナウンス担当者として乗兼英史や民放在職の宇多光雄(毎日放送)とともに出向した。1971年にチーフアナウンサーへ就任。 NHKを退局し1988年4月、日本人のための2年制大学のCICカナダ国際大学理事に就任。
鯨井 久美子(くじらい くみこ、1933年〈昭和8年〉3月1… 鯨井 久美子(くじらい くみこ、1933年〈昭和8年〉3月17日 - )は、日本の理美容師、実業家。 東京府東京市品川において、理容師の母鯨井江つと歌舞伎役者の髪結職人の父の間に生まれる。父とはそりが合わず、小学4年生まで叔母の元に預けられた。 継父の転勤に従って名古屋に移住した。名古屋で終戦を迎え、戦後は名古屋栄にあった進駐軍向けのPXに出入りし、異国からもたらされたファッション、音楽、食べ物に溺れた。1949年(昭和24年)には特例試験により理容師免許を得、高校を中退した。 1958年(昭和33年)、物部高信と結婚。夫に従い岡山に移住するが、母の理容室が経営不安となったため、夫婦で鯨井家に養子に入り、名古屋に戻った。
森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17… 森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17日 - 1989年〈平成元年〉12月11日)は、日本の俳優、男性声優。本名同じ。 満洲国哈爾浜市出身。明治大学英文学科卒業。 第二次世界大戦まで満洲国で過ごし、戦後は広島県に引き揚げて広島県立呉三津田高等学校を卒業。 明治大学入学後は、のちに俳優となる金内吉男たちと演劇活動を行い、大学卒業後の1952年に東京演技研究所に入所。その後は、劇団現代派、劇団中芸を経て1961年に劇団演劇座に所属する。東京芸術座、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、劇団四季、タドポール企画、プロダクションエム・スリー、モリヤマ企画、エムワイ企画、MOU企画、大沢事務所にも所属していた。
烏賀陽 正弘(うがや まさひろ、1932年(昭和7年)3月1… 烏賀陽 正弘(うがや まさひろ、1932年(昭和7年)3月17日 - )は、日本の国際ビジネスコーディネーター、ライター、翻訳家。ジャーナリストの烏賀陽弘道は息子。京都大学名誉教授の烏賀陽然良は祖父。 フィリピン・マニラ生まれ。横浜正金銀行元行員で江商(現:兼松)取締役や東京皮革社長を務めた烏賀陽恒正の長男として生まれる。父親の仕事の関係で、生後すぐアメリカ合衆国に渡り、幼少期をニューヨークとロサンゼルスで過ごす。京都大学法学部卒業。東レ入社、国際ビジネスに従事。帰国後、同社マーケティング開発室長などを経て独立。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
赤木 昭夫(あかぎ あきお、1932年3月17日 - )は、… 赤木 昭夫(あかぎ あきお、1932年3月17日 - )は、日本の科学史家、評論家、翻訳家。NHK職員、慶應義塾大学教授、放送大学教授等を歴任。 専攻は科学史、技術論、メディア論。 京都市生まれ。1955年東京大学文学部英文科卒業後、NHK入局。NHK科学番組プロデューサー、NHK科学技術担当解説委員(NHK解説委員)を経てNHKを退職。 慶應義塾大学環境情報学部教授、放送大学教授、コロンビア大学ジャーナリズム大学院フェローを歴任。 慶應義塾大学での教え子に、吉川浩満、山本貴光ら慶応SFC一期生がいる。
今永 清二(いまなが せいじ、1931年3月17日 - 20… 今永 清二(いまなが せいじ、1931年3月17日 - 2018年3月16日)は、日本の東洋史学者、広島大学名誉教授。 大分県生まれ。広島大学卒。1974年「中国回教社会史研究序説」で広島大学文学博士。別府大学助教授、広島大学文学部助教授、教授、1994年定年退官、名誉教授、広島市立大学教授、県立広島女子大学学長。2004年退任。2007年秋瑞宝中綬章叙勲。2018年3月16日、呼吸不全のため、大分市内の病院で死去、86歳。叙正四位。
伊原 吉之助(いはら きちのすけ、1930年3月17日 - … 伊原 吉之助(いはら きちのすけ、1930年3月17日 - )は、昭和、平成の台湾問題学者、比較近代史学者。 大阪府堺市生まれ。大阪府立堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)、大阪市立都島工業専門学校電気科(現在の大阪市立大学工学部)を経て、1950年、神戸大学経済学部入学。1959年、神戸大学大学院経済学研究科修了。 大学院修了後、龍谷大学経済学部講師を経て、1964年帝塚山大学教養学部助教授。1971年、同教授。2000年、定年退職し名誉教授。日亜協会会長
川﨑 春彦(かわさき はるひこ、1929年3月17日 - 2… 川﨑 春彦(かわさき はるひこ、1929年3月17日 - 2018年10月2日)は、日本画家。位階は従四位。日本藝術院会員。 東京都杉並区出身。父は川﨑小虎。父方の曽祖父は川崎千虎。兄は川崎鈴彦という日本画家の一家に生まれ、長女の川崎麻児も日本画家となった。親戚に元京成電鉄社長の川﨑千春。 父と義兄の東山魁夷に師事。東京美術学校(現東京藝術大学)卒。日展を中心に日本画院展、日本美術協会展などで活躍。 戦時中に父・小虎などと一家で山梨県中巨摩郡落合村(現・南アルプス市)へ疎開し、復員してきた兄・鈴彦や義兄・東山魁夷などと共に自然の写生を励んだことから画才が開いた。代表作の「朝明けの湖」など、力強い色彩による自然の生命力あふれる風景画で知られ、特に富士山を描いた多くの作品を残した。
鐸木 能子(すずき よしこ、1928年〈昭和3年〉3月17日… 鐸木 能子(すずき よしこ、1928年〈昭和3年〉3月17日 - 2008年〈平成20年〉)は、日本の人形作家。 木彫木目込み衣装人形という伝統技法を現代の雛人形制作に取り入れた。長男は作家・音楽家・狛犬研究家の鐸木能光。 1928年3月、群馬県佐波郡伊勢崎町(現・伊勢崎市)で蝋燭問屋・細野家の四女(7人きょうだいの6番目)として生まれる。聖路加女子専門学校(後の聖路加看護大学、現在の聖路加国際大学)を卒業。 終戦後は立教女学院に就職。その後、看護師として福島県白河市の病院に勤務。結核で入院していた患者(福島県職員)と結婚後、病院を退職し福島大学附属中学校で養護教諭を務める。離婚を経て、理科の中学校教員と再婚。
芳賀 綏(はが やすし、1928年3月17日 - 2017年… 芳賀 綏(はが やすし、1928年3月17日 - 2017年10月3日、日本の日本語学者。東京工業大学名誉教授。 福岡県北九州市出身。1953年に東京大学文学部を卒業し、1957年に東洋大学助教授となったのち、藤女子大学助教授、法政大学助教授、東京工業大学教授を歴任。1992年に定年退官、静岡県立大学教授に就任。その間西ドイツ・ボーフム大学客員教授、NHK部外解説委員も務めた。保守的な立場での政治評論も多く書いている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高木実(たかぎ みのる、1928年3月17日 - )は、日本… 高木実(たかぎ みのる、1928年3月17日 - )は、日本の中世ドイツ文学研究者、早稲田大学名誉教授。 東京出身。早稲田大学第一文学部独文科卒、同語学教育研究所助教授、文学部教授。99年定年、名誉教授。
熊谷 賢一(くまがい けんいち、1927年3月17日 - )… 熊谷 賢一(くまがい けんいち、1927年3月17日 - )は、日本の射撃競技(クレー射撃)選手。1960年ローマオリンピックに出場した。 愛知県出身。早稲田大学中退。1960年ローマオリンピックには、日本クレー射撃協会所属(常任理事)としてクレー・ピジョン種目に参加、19位の成績を残した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
桐原 久(きりはら ひさし、1925年3月17日 - 198… 桐原 久(きりはら ひさし、1925年3月17日 - 1987年1月1日)は、南日本放送代表取締役社長。同局アナウンサー、マーケティング理論家、鹿児島経済大学講師。 鹿児島県薩摩郡東郷町(薩摩川内市)生まれ。熊本陸軍幼年学校を経て、1945年陸軍航空士官学校卒業(58期)、陸軍少尉任官。1949年旧制第七高等学校文科卒業。1955年神戸大学経営学部卒業。
小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014… 小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014年9月28日)は、日本の天文学者(天体物理学)。理学博士(1956年)。東京大学名誉教授。 東京府(現・東京都)出身。萩原雄祐の弟子だが、同じく萩原門下で小尾の兄弟子にあたる畑中武夫にも師事した。 本郷区立誠之小学校、成城高等学校 (旧制)卒業。東京帝国大学理学部天文学科卒業後、技官として東京天文台(現・国立天文台)で活動していた事からも分かるように戦後の東京天文台における観測装置復旧の最初期の技術者でもあった。そのことから萩原雄祐から習った天体物理学のみならず畑中武夫の観測装置開発手法を学んだ。どちらかと云えば研究者としてより教育者として知られ、そのため多くの啓蒙書を翻訳または著述し多くの天文家に親しまれている研究者でもある。
稲田 三吉(いなだ さんきち、1925年3月17日 - 20… 稲田 三吉(いなだ さんきち、1925年3月17日 - 2013年8月3日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学仏文科卒。早稲田大学教育学部助教授、教授。1985年、「アラゴンにおけるリアリズム観の変遷について」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。1992年、退任、名誉教授。 主としてシュールレアリスムを研究、ほか翻訳も数多い。
三重野 康(みえの やすし、1924年(大正13年)3月17… 三重野 康(みえの やすし、1924年(大正13年)3月17日 - 2012年(平成24年)4月15日)は、第26代日本銀行総裁。 現在の東京都生まれ。満鉄に勤務した父親の転勤で、生後間もなく 満洲に渡り、小学校卒業まで満州で育った。中学1年から2年の1学期までの1年あまりを大分県の伯母宅で過ごし、大分中学校に通う。この時の同級生に前大分県知事の平松守彦がいる。中学2年の2学期から卒業までを満州に戻って地元の鞍山中学を卒業。当時父は鞍山市長を務めていた。一高に進む。三重野自身は、故郷は満州、大分は第二の故郷と話していた。 一高時代の同クラスには、髙木友之助、作家の清岡卓行、青山行雄、牟田口義郎らがいた。
木下 茂德(きのした しげのり、1924年(大正13年)3月… 木下 茂德(きのした しげのり、1924年(大正13年)3月17日 - 1999年(平成11年)4月25日)は、日本の建築学者。工学博士。日本大学名誉教授。第8代日本大学総長。1989年から1990年まで日本建築学会会長(第41代)を務めた。位階は正四位。 出生地は愛知県犬山市。出身地は香川県小豆郡池田町(現小豆島町)。 旧厚生省・中央児童福祉審議会委員、旧科学技術庁参与、総務庁・老人問題懇談会委員、厚生省・中央心身障害者対策協議会委員、日本不動産学会副会長などを歴任。 専門は高齢者・福祉施設の建築計画。 建築経済学のうち建築生産学。
石田 茂樹(、1924年〈大正13年〉3月17日 - 199… 石田 茂樹(、1924年〈大正13年〉3月17日 - 1997年〈平成9年〉)は、日本の俳優、僧。本名は石田 千尋。長男は俳優・声優の石田太郎。 石川県金沢市出身。龍谷大学文学部真宗学科卒業。 大阪市立枚方中学校(現:枚方市立枚方中学校)の教諭を経て、毛利菊枝が主宰する劇団くるみ座や、森繁久彌の森繁劇団などを経て、東宝の専属俳優となる。 東宝の映画では、ほとんどが端役での出演であるが、特撮映画やクレージー映画などに常連出演して活躍した。1960年代以降はテレビドラマにも出演している。 俳優引退後は、地元の金沢市にある浄土真宗本願寺派乗敬寺の住職を務めていた。 1997年、死去。乗敬寺の住職は長男の太郎が俳優業の傍ら引き継いだ。
永野 健(ながの たけし、1923年3月17日 - 2008… 永野 健(ながの たけし、1923年3月17日 - 2008年5月12日)は、日本の実業家。従三位勲一等工学博士。広島県安芸郡下蒲刈町三之瀬(現呉市)出身。 東京府立五中、第二高等学校を経て、東京帝国大学第一工学部卒業。父は運輸大臣を務めた永野護。元日本経済新聞編集委員の永野健二は次男。 大学卒業後の1945年、三菱鉱業に入社。コロンビア大学工学部冶金学科に留学。1962年工学博士(九州大学)。1982年に三菱金属の社長に就任。無公害などの特徴を持つ最後の銅精錬技術「三菱連続製銅法」の商業化を手がけた。また社長在任中、旧本社ビル建て替え・再開発(大手町ファーストスクエア)を主導し、大阪アメニティパークを建設した。