塩川 徹也(しおかわ てつや、1945年10月19日 - )… 塩川 徹也(しおかわ てつや、1945年10月19日 - )は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、日本学士院会員。パスカルを専門とする。
10月19日生まれ:321人
塩川 徹也(しおかわ てつや、1945年10月19日 - )… 塩川 徹也(しおかわ てつや、1945年10月19日 - )は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、日本学士院会員。パスカルを専門とする。
小林 道夫(こばやし みちお、1945年10月19日 - 2… 小林 道夫(こばやし みちお、1945年10月19日 - 2015年6月2日)は、日本の哲学者。専門は、西洋近世哲学・科学哲学。学位は、Doctorat de troisième cycle(パリ大学・1979年)。京都大学名誉教授、日本学士院会員。 大阪市立大学文学部教授、京都大学大学院文学研究科教授、龍谷大学文学部特任教授などを歴任した。 デカルトと自然科学の関係、科学哲学を専攻する哲学者である。1994年より日本科学哲学会理事。大阪市立大学教授、京都大学教授を経て、京都大学名誉教授、龍谷大学特任教授。日本学士院会員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
戸張 捷(とばり しょう、1945年10月19日 - )は、… 戸張 捷(とばり しょう、1945年10月19日 - )は、日本のゴルフトーナメントプロデューサー、ゴルフキャスター。東京都港区出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。株式会社ランダムアソシエイツ代表。日本ゴルフ協会常務理事。テレ朝チャンネル放送番組審議会委員。 東京都港区高輪生まれ。父の影響で慶應義塾高校1年生の時にゴルフを始め、高校・大学とゴルフ部に所属した。大学卒業後の1968年、住友ゴム工業に入社した。その5年後の1973年にゴルフトーナメントをプロデュースする目的で同社子会社として設立されたダンロップスポーツエンタープライズの設立に携わる。 1986年から1989年までリクルートの役員も務め、岩手県の同社関連のゴルフ場開設にも尽力した。
小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )… 小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )は、日本の彫刻家・インスタレーション・アーティスト。京都市立芸術大学名誉教授。 愛媛県生まれ。小清水は1980年から京都市立芸術大学の専任教員であったが、後に、宝塚大学の教員となり、2011年7月末に前任者の西村武が健康を害して学長職を退いたのを受けて学長代行となり、10月には学長となって、2014年までその任にあった。 また、1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」 グループの中心メンバーとしても知られている。「もの派」とは、作家の干渉を最大限に排除し、主に石、砂、木、綿、ガラスや鉄といったありのままの物質をそのままの形で配置した彫刻やインスタレーションで主に構成された反モダニズム的な作品を発表していた作家達のゆるやかな集まりのことを指す。
菊地 信義(きくち のぶよし、1943年10月19日 - 2… 菊地 信義(きくち のぶよし、1943年10月19日 - 2022年3月28日)は、日本の装幀家(菊地は「装幀者」と称する)。東京都出身。 多摩美術大学を中退後、広告代理店に入社。大学1年のとき、モーリス・ブランショの『文学空間』で、装幀に魅了される。1977年に装幀家として独立後、2008年までに1万数千冊の装幀を手がけた。タイトルの文字をぼかしたりゆらぎを持たせたりするデザインや、著者名のローマ字表記など、さまざまな特徴的なデザインを考案した。1984年、装幀の業績により第22回藤村記念歴程賞を受賞。1988年、第19回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞。2019年、菊地を取り上げたドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』が公開された。
坂井 東洋男(さかい とよお、1943年10月19日 - )… 坂井 東洋男(さかい とよお、1943年10月19日 - )は、日本の中国文学者。京都産業大学名誉教授、追手門学院大学名誉教授。京都産業大学学長や、追手門学院大学学長、追手門学院学院長、大学コンソーシアム京都副理事長などを歴任した。 京都市生まれ。1969年神戸市外国語大学外国語学部中国学科卒業。1972年京都大学大学院文学研究科中国語学中国文学専攻修士課程修了。1975年京都産業大学外国語学部講師。京都産業大学外国語学部助教授を経て、1987年京都産業大学外国語学部教授。1994年京都産業大学図書館長・生涯学習センター室長。1997年私立大学図書館協会会長。1998年京都産業大学外国語学部長・外国語学研究科長。
森田 豊(もりた ゆたか、1943年10月19日 - 200… 森田 豊(もりた ゆたか、1943年10月19日 - 2009年12月14日)は、日本の経営者、銀行家。住友信託銀行社長を務めた。大阪府出身。 1967年に京都大学法学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。ライフコーポレーションへの出向を経て、1993年に取締役に就任し、1998年に専務を経て、2002年に副社長に就任し、2005年から2008年までに社長を務めた。 2009年12月14日食道癌のために死去。66歳没。
斉藤 真(さいとう しん、1943年10月19日 - )は、… 斉藤 真(さいとう しん、1943年10月19日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業。劇団俳小代表。 1967年、劇団俳優小劇場に入団。『わが心高原に』で初舞台を踏み、役者としての第一歩を歩みだす。同劇団の解散後、早野演劇研究所を経て、1973年に早野寿郎を中心に旗揚げした劇団俳小に参加。役者の傍ら同劇団の代表も務めている。 『快傑ズバット』(東京12チャンネル)では東条刑事役でレギュラー出演したほか、『特捜最前線』(テレビ朝日)など、東映作品を中心にテレビドラマの出演も多い。谷崎潤一郎の『痴人の愛』を映画化した『ナオミ』(1980年、東映セントラルフィルム)では主演を務めた。
近藤健彦(こんどう たけひこ、1941年10月19日 - )… 近藤健彦(こんどう たけひこ、1941年10月19日 - )は日本の大蔵官僚。 新潟県柏崎市出身(父母も新潟県)。柏崎市立第二中学校、新潟県立柏崎高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(行政)と外交官試験に合格。1965年 大蔵省入省(主税局国際租税課)。1969年 グルノーブル大学法律経済学部大学院修士課程修了。法学修士修得。1970年7月 浜松税務署長。1989年6月23日 関税局総務課長。1990年6月29日 横浜税関長。1991年6月11日 大臣官房審議官(関税局担当)。1992年6月26日 退官。同年7月 日本貿易振興会(JETRO)理事(アジア地域担当)(〜1998年)。
西尾 理弘(にしお まさひろ、1941年〈昭和16年〉10月… 西尾 理弘(にしお まさひろ、1941年〈昭和16年〉10月19日 - 2024年〈令和6年〉11月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は従四位。 元出雲市長。島根県出雲市出身。 島根県立出雲高等学校卒業。東京外国語大学外国語学部英米科卒業。ウィスコンシン大学教育行政学修士課程修了。文部省入省。 1995年(平成7年)3月2日付で文部省を高等教育局主任視学官の役職で辞職した。その後、同年の出雲市長選挙に無所属で立候補して、自民党、社会党の推薦で初当選を果たした。2003年(平成15年)に3選を果たした。合併に伴う(新)出雲市発足に伴い、2005年(平成17年)3月21日に市長を退任した。翌月の(新)出雲市の市長選挙に立候補して、無投票で当選した。
小池 恒男(こいけ つねお、1941年10月19日 - )は… 小池 恒男(こいけ つねお、1941年10月19日 - )は、日本の農業経済学者、滋賀県立大学名誉教授。近畿農協研究会代表・農業開発研修センター副会長。 東京府生まれ。長野県育ち。信州大学農学部卒業後、1967年京都大学大学院農学研究科修士課程専攻農政学修了。同年滋賀県立短期大学助手となり、1984年助教授、1988年教授、1995年滋賀県立大学環境科学部兼任教授。2007年定年退官、名誉教授となる。1982年「水田農業組織化の構造分析 滋賀県における実態調査をふまえて」で農学博士の学位を取得。
田中 伸尚(たなか のぶまさ、1941年10月19日 - )… 田中 伸尚(たなか のぶまさ、1941年10月19日 - )は、日本のノンフィクション作家。東京出身。 1967年、慶応義塾大学法学部卒業。朝日新聞記者を経て、独立。2002年、『憲法を獲得する人びと』(岩波書店)により第8回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞。2011年『大逆事件 死と生の群像』により日本エッセイスト・クラブ賞受賞。別筆名・成瀬伸次。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
万波 誠(まんなみ まこと、1940年10月19日 - 2… 万波 誠(まんなみ まこと、1940年10月19日 - 2022年10月14日)は、日本の医師。元宇和島徳洲会病院泌尿器科部長。岡山県備前市出身。 1940年、岡山県の生まれ。岡山県立閑谷高等学校卒業。1969年に山口大学医学部卒業。1970年、愛媛県宇和島市立病院に勤務。1975年、アメリカ・ウィスコンシン大学留学、インドネシア出身のオランダ人外科医ベルツァー(Folkert O. Belzer)の元で腎臓移植を学ぶ。日本に帰国後の1977年、宇和島市立病院で初めて腎臓移植手術を行った。その後、これまでに約1,000件の腎臓移植手術を行ったと言われている。2004年、新規開院した宇和島徳洲会病院に転職し現職となる。
松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2… 松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2017年8月11日)は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー指導者。鹿児島実業高等学校サッカー部総監督。鹿児島県サッカー協会副理事長、九州サッカー協会常任理事、全日本ユース選手権大会実施委員。 市立甲南中学校時代にサッカーを始める。鹿児島市立鹿児島商業高等学校2年次の1958年に高校選手権に出場したが、2回戦で静岡県立藤枝東高等学校に敗れた。卒業後は一般企業に就職するが、知人の勧めもあり無線通信士を目指す様になった。上級資格試験まであと一歩の時に、鹿児島実業高校の教員に採用。当初は国家試験までの半年間の約束であったが、サッカー部の顧問も同時に引き受け、九州大会予選で優勝したことから本格的にサッカー指導者の道へ進む事になった。
伊藤 竜彦(いとう たつひこ、1940年10月19日 - )… 伊藤 竜彦(いとう たつひこ、1940年10月19日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。
宮島 喬(みやじま たかし、1940年10月19日 - )は… 宮島 喬(みやじま たかし、1940年10月19日 - )は、日本の社会学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は社会学。とくにエミール・デュルケームやピエール・ブルデューなどフランス社会学の研究で知られる。 東京府生まれ。横浜国立大学学芸学部附属横浜中学校、東京教育大学附属高等学校、東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。1973年よりお茶の水女子大学文教育学部助教授、1985年同教授、1995年より立教大学社会学部教授、2006年より法政大学大学院社会学研究科教授。日本学術会議連携会員。 父は哲学者の宮島肇。弟に経済学者の宮島洋、政治学者の宮島泉がいる。また、折り紙作家の宮島登は次男。
菊地 雅章(きくち まさぶみ、1939年10月19日 - 2… 菊地 雅章(きくち まさぶみ、1939年10月19日 - 2015年7月7日)は、日本のジャズ・ピアニスト、キーボード奏者。「プーさん」の愛称で親しまれている。実兄の菊地雅春は東京藝術大学音楽学部作曲科出身の作曲家。実弟の菊地雅洋も東京藝術大学音楽学部作曲科出身のジャズピアニスト。ベーシスト菊地雅晃の叔父。
鶴岡 博(つるおか ひろし、1939年10月19日 - 20… 鶴岡 博(つるおか ひろし、1939年10月19日 - 2017年12月16日)は日本の実業家である。横浜スタジアム開設に尽力し、横浜のジャズ文化の発展にも貢献した。 1939年(昭和14年)10月19日、横浜市中区末吉町に生まれる。小学校低学年の頃、隣接する若葉町に終戦後にできた米軍飛行場の整備庫から流れてきた音楽が、ジャズに接するきっかけとなった。中学・高校では野毛のジャズ喫茶「ダウンビート」をよく訪れた。 1964年に日本大学を卒業。1965年に若葉運輸常務取締役、1976年には同社代表取締役社長に就任した。 1970年代後半、当時川崎球場を本拠地していたプロ野球球団「大洋ホエールズ」(のちの横浜DeNAベイスターズ)の横浜への移転の話が持ち上がると、商店街などを回りオーナーズシートの提供を条件に出資を集め、球場建設に向けた資本金20億円を2週間で調達した。
安西 愈(あんざい まさる、1938年10月19日 - )は… 安西 愈(あんざい まさる、1938年10月19日 - )は、日本の弁護士・元官僚。安西法律事務所所長。イカイほか企業顧問を多く務める。元・中央大学教授。香川県出身。専門は、労働法や社会保障法(特に労働保険法)。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人 この他、東京基督教大学神学部兼任講師、中央労働災害防止協会参与会議長、法務省司法書士簡裁訴訟代理等能力認定考査委員、厚生労働省特定社会保険労務士紛争解決手続代理業務試験委員なども務めた
米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日… 米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日- )は、日本の理論物理学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で国際的に知られる。理学博士(京都大学)(1966年)。大阪府吹田市生まれ。旧姓名、奥 富美子。
西村 靖雄(にしむら やすお、1938年10月19日 - )… 西村 靖雄(にしむら やすお、1938年10月19日 - )は、日本の経営者。コナミ社長、会長を務めた。東京都出身。 1962年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に大和銀行に入行した。1991年2月にコナミ工業(のちのコナミ)に転じ、同年5月に常務を経て、1992年5月には社長に就任。1994年6月に三期連続減益の責任を取る形で社長を退任。後任には上月景正が復帰した。
阿奈井 文彦(あない ふみひこ、1938年10月19日 - … 阿奈井 文彦(あない ふみひこ、1938年10月19日 - 2015年3月7日)は、ノンフィクション作家、エッセイスト。本名・穴井典彦(あない ふみひこ)。自称「アホウドリ」。朝鮮(現・韓国)全羅南道筏橋生まれ。 1945年、敗戦後、大分県に引き揚げる。大分県立森高等学校卒業、同志社大学文学部(哲学専攻)入学。教壇に立っていた鶴見俊輔と出会い、「朝鮮半島で生まれ育ち、戦後、大分県に引き揚げてきた自分の体験」を文章にまとめたところ、鶴見の紹介で雑誌「思想の科学」に掲載される。大学中退後、東京でクズ屋に就職。 1965年、ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)発足と同時に参加。開高健の知遇を受け、ベ平連の事務局員となる。
林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉1… 林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長である。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼、自身は青森県への疎開など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。
滝 進太郎(たき しんたろう、1937年10月19日 - 1… 滝 進太郎(たき しんたろう、1937年10月19日 - 1998年11月24日)は、日本の実業家、元レーシングドライバー、レーシングチームオーナー。日本のモータースポーツの黎明期、ビジネスとしてプライベートチームを成立させることに挑戦した先駆者と評価されている。 愛知県名古屋市生まれ。立教大学卒業後はスーパーマーケット経営をしていたが、車に興味を持ち箱根などに走りに行くようになる。日本スポーツカークラブ (SCCJ) でジムカーナなどを体験後、本格的なサーキットレースに参戦する。 1964年8月16日にロータス・エラン26で第3回ナショナル・ストックカー・レース(川口市営自動車競技場)でデビュー。
神山 茂(かみやま しげる、1936年10月19日 - 20… 神山 茂(かみやま しげる、1936年10月19日 - 2024年11月18日)は、日本の実業家。株式会社ジャステック創業者・取締役会長。元情報サービス産業協会副会長。藍綬褒章受章。 山梨県立甲府第一高等学校を経て、1960年横浜国立大学教育学部数学科卒業、伊藤忠電子計算機(現伊藤忠テクノソリューションズ)入社。1962年日本ビジネスオートメーション(現東芝情報システム)入社。1971年ジャステックを設立し、代表取締役社長に就任。1997年情報サービス産業協会理事。2002年日本経済団体連合会評議員。2003年には東京証券取引所市場第一部に上場。2007年情報サービス産業協会副会長。2010年ジャステック取締役会長。
本城 靖久(ほんじょう のぶひさ、1936年10月19日- … 本城 靖久(ほんじょう のぶひさ、1936年10月19日- )は、日本の旅行学研究者。大学教員も務めた。 母・本城はつは、人見絹枝らと第3回国際女子競技大会に出場した陸上選手だった。甥は写真家の本城直季。 京都市生まれ。京都大学法学部卒業。自治省に入省。1967年から1971年まで、フランスに留学、パリ国際行政学院アジア部卒。国連職員としてセネガル、ケニアで勤務。 1983年に『グランド・ツアー』でサントリー学芸賞受賞。同作は漫画化(石ノ森章太郎作画・仲倉重郎脚本『グランド・ツアー 英国式大修学旅行』中央公論社〈中公コミック〉、1997年)もされた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小西 博行(こにし ひろゆき、1936年10月19日 - 2… 小西 博行(こにし ひろゆき、1936年10月19日 - 2022年1月23日)は、日本の政治家。参議院議員を2期12年務めた。 香川県善通寺市生まれ。 1959年に高知大学農学部農芸化学科を卒業後、淀川製鋼所に入社する。近畿大学の講師を経て、1977年7月に行われた第11回参議院選挙で広島県選挙区から民社党公認で立候補したが落選する。1980年6月に行われた第12回参議院選挙に立候補して初当選を果たした後、1986年の第14回参議院選挙で再選。1992年7月の第16回参議院選挙では「連合の会」から立候補したが落選した。2009年、旭日中綬章受章。 2022年1月23日16時30分、肺炎のため、広島県呉市の病院で死去。
佐藤 大五郎(さとう だいごろう、1936年10月19日 -… 佐藤 大五郎(さとう だいごろう、1936年10月19日 - 2010年9月1日)は、将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下。棋士番号は74。北海道函館市出身。 8歳で小学3年の頃、父と兄から習い、将棋を始める。 1953年に16歳でアマチュア名人戦北海道代表になり、全国大会で準優勝。1954年1級で渡辺東一名誉九段に入門。1957年四段(プロ入り)。 第14期(1959年度)C級2組順位戦と第15期(1960年度)C級1組で各々1位の成績を収め、2期連続昇級でB級2組へ昇級。 第11期(1961年度)王将戦でリーグ入り。4勝3敗で勝ち越すが、同星の加藤博二・二上達也との残留決定戦で敗れ、リーグ陥落。 1964年、第4回「最強者決定戦」で二上達也・丸田祐三らを破り決勝進出。
伊藤 慶二(いとう けいじ、1935年〈昭和10年〉10月1… 伊藤 慶二(いとう けいじ、1935年〈昭和10年〉10月19日 - )は、日本の陶芸家、現代美術家。岐阜県土岐市出身で、同地で創作活動を続ける。本名の読みは「よしじ」。 岐阜県土岐郡和泉町大富(現・土岐市泉町)に次男として生まれる。二男二女の4人きょうだいだった。10歳で終戦を迎えた時に父から聞かされた「広島という町に原子爆弾が落とされ、何万人もの人間が亡くなった。」との話が強い記憶として残る。これが後の「HIROSHIMA」シリーズを創作するきっかけとなる。 1954年に岐阜県立多治見工業高等学校図案科を卒業して武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に進む。美術学校の油画科では森芳雄、山口長男、棟方志功らに学ぶ。
村田 純一(むらた じゅんいち、1935年10月19日 - … 村田 純一(むらた じゅんいち、1935年10月19日 - )は、日本の実業家。村田機械会長、京都商工会議所名誉会頭、京都文化交流コンベンションビューロー理事長、国立京都国際会館副理事長を務めている。 京都府京都市出身。1958年に慶應義塾大学法学部を卒業し、アメリカのバブソン大学大学院での修了を経て、1960年に村田機械に入社した。 1970年に社長に就任し、2003年から会長に就任した。この間、1999年から2004年まで日本繊維機械協会会長を務めた。 2001年から2007年までに京都商工会議所会頭や日本商工会議所副会頭を務め、「古典の日」の制定を宣言するなど古典の普及にも力を入れ、退任後、京都商工会議所名誉会頭。
吉田 富夫(よしだ とみお、1935年10月19日- )は、… 吉田 富夫(よしだ とみお、1935年10月19日- )は、日本の中国文学者。佛教大学名誉教授。現代中国研究会代表。中国現代文学専攻。 1935年、広島県賀茂郡福富町(現・東広島市)で生まれた。京都大学文学部中国文学科で学び、1958年に卒業。同大学大学院へ進み、1963年に博士課程を単位取得満期退学。 1967年、京都大学文学部助手に採用された。1972年に佛教大学文学部講師となった。1974年に助教授、1979年に教授昇格。2008年に佛教大学を定年退任し、名誉教授となった。莫言の著作の邦訳を多数手がけており、2012年12月に莫言のノーベル文学賞受賞に際しては、莫言の推薦でノーベル賞授賞式ならびに受賞パーティーに夫妻で出席した。
宇野 順一郎(うの じゅんいちろう、1935年10月19日 … 宇野 順一郎(うの じゅんいちろう、1935年10月19日 - )は、元レーシングライダー、実業家。大阪府大阪市出身。 全日本クラブマンレース(アマチュアライダーと市販マシンが対象)などで活躍した後、ヤマハと契約してワークスライダーになり、国内のレースやモトクロスに出場。選手を引退後は、家業である自動車の電装品の修理販売業を行いながら、レースの競技役員などを務め、中高年に達してからも各種のイベントレースに出場した。 1935年に兵庫県尼崎市に生まれ、大阪府八尾市で終戦を迎える。実父が病死したため、母親が父方の親戚(継父)と再婚した。継父は大阪府大阪市で自動車用バッテリーの再生や新造(当時はバッテリーを何度も再生するのが普通だった)などを行っており、宇野は中学卒業後に自動車の電装品店などに勤め(丁稚奉公)、自動車の電装品の修理技術を身に付けた後、継父と共に電装品の修理販売を行う。
篠原 欣子(しのはら よしこ、1934年10月19日 - )… 篠原 欣子(しのはら よしこ、1934年10月19日 - )は、日本の実業家、学校法人理事長。テンプスタッフ創業者。テンプホールディングス取締役会長。篠原学園専門学校理事長。
園田 保男(そのだ もりお、1934年〈昭和9年〉10月19… 園田 保男(そのだ もりお、1934年〈昭和9年〉10月19日 - )は、日本の実業家。元東洋エンジニアリング社長、同会長、同相談役。 園田保・富子の長男として北海道に生まれる。1958年(昭和33年)北海道大学工学部機械工学科を卒業し、東洋高圧に入社。1961年(昭和36年)東洋エンジニアリングに転じ、モスクワ事務所勤務、海外プロジェクト・プロジェクトゼネラルマネージャー、建設本部副本部長、施設事業本部副事業本部長、特設本部本部長、FS本部長、取締役、常務、代表専務を経て、1994年(平成6年)6月、社長に就任した。その後、1999年(平成11年)4月に会長、同年10月、相談役に就任した。 ほか、エンジニアリング振興協会理事長を務めた。
大原 博志(おおはら ひろし、1933年10月19日 - )… 大原 博志(おおはら ひろし、1933年10月19日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。 伊都高校から1952年に大阪タイガースへ入団。
中井 明孝(なかい あきたか、1933年10月19日 - 2… 中井 明孝(なかい あきたか、1933年10月19日 - 2025年12月30日)は、日本の経営者。古河機械金属社長、会長を務めた。 東京都出身。1957年に東京大学法学部を卒業し、同年に古河鉱業(のちの古河機械金属)に入社。1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1996年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格。2001年6月に会長に就任し、2003年6月には顧問に就任。 2001年11月に藍綬褒章を受章。 2025年12月30日、老衰のため死去した。92歳没。
中村 光男(なかむら みつお、1933年10月19日 - )… 中村 光男(なかむら みつお、1933年10月19日 - )は、日本の文化人類学者、千葉大学名誉教授。東南アジアのイスラーム、特にインドネシアのイスラーム社会運動の研究者として国際的にも著名。 旧関東州大連市生まれ。父中村繁次は満州電業技師、のち北満支社長、戦犯としてソ連に抑留、20年の重労働刑、1955年帰国後、キリスト教牧師となる。家族は敗戦後1947年まで、中国東北部長春市で過ごした。1947年8月東京に引き揚げ。 1949年東京都立国立中学校卒業、1952年東京都立新宿高等学校卒業を経て、同年、東京大学入学。中学・高校時代より、青年共産同盟(青共)に加入、わだつみ会、反戦学生同盟で活動。
石井 茂雄(いしい しげお、1933年10月19日 - 19… 石井 茂雄(いしい しげお、1933年10月19日 - 1962年2月8日)は、日本の画家。東京都文京区出身。オノ・ヨーコは従姉。 1950年に文化学院を卒業。 第28回日本版画協会展(東京都美術館)にて「タレントたちA、B」が協会賞を受賞。会友となった。 主な作品に「暴力シリーズ」、「戒厳状態シリーズ」などがある。 持病の喘息が悪化し、1962年に28歳で夭折した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
長谷川 五郎(はせがわ ごろう、本名:長谷川敏、1932年〈… 長谷川 五郎(はせがわ ごろう、本名:長谷川敏、1932年〈昭和7年〉10月19日 - 2016年〈平成28年〉6月20日)は、日本のボードゲーム研究家、ボードゲーム開発者。特にオセロのパッケージを開発したことで知られる。五郎はペンネームであり、オセロに関しては本名の長谷川敏で商標権を取得している。 日本オセロ連盟元会長。オセロ名誉十段。オセロ以外にも88オセロ、グランドオセロ、ソクラテス、ミラクルファイブ、セルゴ、大碁(だいご)といったボードゲームを開発した。将棋・囲碁共にアマチュア五段でもある。 茨城県水戸市出身。英文学研究者で、茨城大学教授の長谷川四郎を父として生まれる。旧制水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)に入学。
福田 豊(ふくだ ゆたか、1932年10月19日 - )は、… 福田 豊(ふくだ ゆたか、1932年10月19日 - )は、日本の経済学者。社会主義協会の機関誌『社会主義』の編集長を務めた。法政大学名誉教授。 熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て、1955年に九州大学経済学部を卒業後に同大学大学院に進み、1960年に博士課程を修了した。九州大学経済学部助手、法政大学第二教養部助教授、教授を経て、社会学部教授となる。 学生時代より向坂逸郎に師事し、1960年代前半に構造改革論批判などで頭角をあらわす。福田の論文にはカール・マルクスやウラジーミル・レーニンの著作からの豊富な引用が行われているが、それは社会主義協会の理論が向坂の指導でマルクス・レーニン主義へ転化していくのにたいしマルクス・レーニン主義の歴史的・理論的限界を明らかにし、この理論の援用にたいして慎重であるべきことを求めたものであった。
戸沢 充則(とざわ みつのり、1932年10月19日 - 2… 戸沢 充則(とざわ みつのり、1932年10月19日 - 2012年4月9日)は、日本の考古学者である。明治大学名誉教授。元明治大学学長。長野県茅野市尖石縄文考古館名誉館長。 長野県岡谷市出身。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、明治大学文学部卒業。藤森栄一に師事した。旧制中学在学中、土器と出会ったことが考古学研究の始まりとなった。1961年明治大学講師。1967年「先土器時代文化の構造」により明治大学から文学博士の学位を授与される。1968年同教授。のちに考古学博物館長、文学部長、学長を歴任した。 豊富な発掘現場歴を持ち、遺跡調査や保護に大きく貢献している。2000年 - 2002年、日本考古学協会「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」委員長として旧石器捏造事件の検証調査にあたった。
天田 満明(あまだ みつあき、1932年10月19日 - )… 天田 満明(あまだ みつあき、1932年10月19日 - )は、日本の経営者。アマダ社長を務めた。東京都出身。 1951年に早稲田高等工学校を中退し、同年に天田製作所(現在のアマダ)に入社。1961年4月に監査役に就任し、1963年に取締役、1973年に常務、1979年1月に専務、1980年6月に副社長を経て、1983年11月には社長に就任。1993年6月に会長、2003年6月に取締役相談役を経て、2007年6月には相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田淵 義久(たぶち よしひさ、1932年10月19日 - 2… 田淵 義久(たぶち よしひさ、1932年10月19日 - 2023年11月8日)は、日本の実業家。野村證券(現在の野村ホールディングス)代表取締役社長やSBI子ども希望財団理事長などを務めた。 同姓で出身都道府県も同一である前任の田淵節也(大タブチ<おおタブチ、だいタブチ>。血縁関係はない)との区別のため、「小タブチ」(こタブチ、しょうタブチ)との愛称がある。 1956年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に野村證券に入社。中期国債ファンドの開発などに携わった。 梅田支店長、福岡支店長を経て、1977年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年12月に副社長に就任し、1985年12月には社長に昇格した。
宮城 淳(みやぎ あつし、1931年10月19日 - 202… 宮城 淳(みやぎ あつし、1931年10月19日 - 2021年2月24日)は、東京都大田区出身の男子テニス選手。早稲田大学卒業。身長172cm、体重61kg。早大卒業後はゼネラル物産に勤務。 1955年の全米選手権男子ダブルスで加茂公成とペアを組んで優勝し、日本人のテニス選手として唯一の4大大会男子ダブルス優勝者になった名選手である。 姉の宮城黎子もテニス選手。 芝浦製作所(のち東京芝浦電機)の技術者・宮城喜三郎の長男として大田区田園調布に生まれる。先祖に梅素亭玄魚がいる。父親がテニスを趣味とし、宮城家は有名なテニス一家であったが、淳がテニスを始めたのは早稲田大学入学後であった。早大のテニス部で福田雅之助に師事した宮城は、1952年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップの日本代表選手に選ばれた。
塩井 末幸(しおい すえゆき、1931年10月19日 - 2… 塩井 末幸(しおい すえゆき、1931年10月19日 - 2016年12月7日)は、日本の経営者。プレナスの創業者。長男は塩井賢一、次男は塩井辰男。 長崎県佐世保市出身。塩井家は江戸時代は御家人の家柄であった。祖父の民次郎は上野精養軒の厨士長(料理長)を経て、日本橋区南茅場町に西洋料理店「彌生軒」を開業した。やよい軒の店名は祖父の開いた店に由来する。父の和助は巡洋艦「出雲」や鎮海水交社のレストランでの料理人を経て、戦後は佐世保将校クラブの料理長を務めた。 1948年に西海学園高等学校を卒業し、1960年3月に太陽事務機(のちのプレナス)を設立し、社長に就任。1998年5月には会長に就任。 2016年12月7日、心不全のために死去。
三浦 浩(みうら ひろし、1930年10月19日 - 199… 三浦 浩(みうら ひろし、1930年10月19日 - 1998年3月24日)は、日本の作家。東京生まれ。 父はコーヒー店主の三浦義武。父親の出身地である、島根県浜田市の旧制浜田中学(現在、島根県立浜田高等学校)を卒業。1949年に京都大学文学部英文科に入学。同学在学中には高橋和巳・小松左京・北川荘平らと京大作家集団に在籍。この時期の活動については、のちに『記憶の中の青春 -小説・京大作家集団-』として小説化を行っている。 1953年に同学を卒業し産経新聞に入社、文化部に所属した。当時の文化部長は福田定一(のちの司馬遼太郎)であった。在職中に休職しノースウェスタン大学に一年間留学、オックスフォード大学にも二年間の留学経験がある。
杉山 邦博(すぎやま くにひろ、1930年〈昭和5年〉10月… 杉山 邦博(すぎやま くにひろ、1930年〈昭和5年〉10月19日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサーで日本福祉大学生涯学習センター長・客員教授、中京大学体育学部大学院非常勤講師。東京相撲記者クラブ会友、相撲ジャーナリスト。福岡県出身。実弟は教育学の研究で知られ元日本教育学会会長の堀尾輝久東大名誉教授。 1930年、福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。熊本陸軍幼年学校、福岡県立小倉高等学校、早稲田大学文学部を経て、1953年、NHKに入局。初任地は名古屋局で、この時の上司(放送部長)が1933年の1月場所から大相撲実況をしていた山本照だった。スポーツ実況のアナウンサーとして進むことを希望していた杉山にとって、この時の出会いが、子どもの頃にラジオで聞いて憧れた大相撲実況への道に進む端緒となり、自身初の大相撲実況は、1954年2月に金山体育館で行われた大相撲名古屋準本場所だった。
豊島 格(とよしま とおる 1930年10月19日 - )は… 豊島 格(とよしま とおる 1930年10月19日 - )は、日本の通産官僚。元資源エネルギー庁長官。妻は政治家小泉純一郎(元総理大臣)の姉。
堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 20… 堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 2025年1月10日)は、日本の詩人、女性史研究家である。 広島県広島市生まれ。父は陸軍軍人の堀場一雄。東京で育つが、縁故疎開先の広島で原爆被害を目撃する。早稲田大学文学部国文科卒業。鹿野政直の妻で本姓は鹿野。共同通信社勤務を経て詩作・評論に専念する。詩誌『いしゅたる』主宰。1990年、『イナグヤ ナナバチ/沖縄女性史を探る』で第5回女性史青山なを賞、1993年『首里』で第11回現代詩人賞受賞。2010年、第14回女性文化賞受賞。ほか高群逸枝、原爆被害の研究をおこなう。 2025年1月10日、老衰のため千葉県の高齢者施設で死去。94歳没。
川上 秀光(かわかみ ひでみつ、1929年10月19日 - … 川上 秀光(かわかみ ひでみつ、1929年10月19日 - 2011年9月11日)は、日本の都市計画家。都市計画学者。東京大学名誉教授。 京都府出身。1954年東京大学工学部建築学科卒業。その後、大学に残り研究に従事。 1963年、東京大学助教授。1971年「都市基本計画の目標設定・構成内容と関連諸計画」で東大工学博士。1975年教授。1988年退官、名誉教授、芝浦工業大学教授。 1981年、建築審議会委員。1981年から1984年まで、日本都市計画学会学術委員長、1985年副会長、1987年会長。 その他都市域の研究代表や都市圏や環境計画の体系化の研究、特に東京に関する要職として東京都長期計画専門委員会委員、新長期構想懇談会委員、東京湾未来像、隅田川将来像、都民大学設定懇談会委員、東京湾地域の開発・環境保全専門部会長を歴任した。