青山千景(あおやま ちかげ、1986年1月17日 - )は、… 青山千景(あおやま ちかげ、1986年1月17日 - )は、フリーアナウンサー、リポーター、観光活動家。北海道札幌市出身・在住。北海道観光大使を務める。 2007年度ミスさっぽろ。青山プロダクションの代表である青山夕香は実姉で、姉妹でミスさっぽろに選ばれた。北海道観光を応援・推進するプロジェクト「リモ旅北海道」の設立者で、実行委員長をつとめる。 北海道の観光推進のために観光活動家として多方面で活動している。また、「旅コミ北海道」のリポーター、STVラジオ、FM NORTH WAVE、AIR'Gのパーソナリティ、新聞ライターの他に企業研修のマナー講師や学生向け就職支援講師なども務めている。2009年には、実姉の青山夕香と共演で毎日新聞北海道支社版の朝刊の新装刊のイメージキャラクターを務めた。
岸 真紀子(きし まきこ、1976年3月24日 - )は、日… 岸 真紀子(きし まきこ、1976年3月24日 - )は、日本の政治家、労働運動家。立憲民主党所属の参議院議員(2期)。自治労の組織内候補で、党内グループ「サンクチュアリ」に所属している。 北海道栗沢町(現・岩見沢市)に生まれる。栗沢町立栗沢小学校、栗沢町立栗沢中学校卒業。1994年(平成6年)3月、北海道岩見沢緑陵高等学校商業科卒業。同年4月、栗沢町役場に奉職。2004年(平成16年)、自治労北海道空知地方本部の女性部長に就任。 2006年(平成18年)3月27日、栗沢町が岩見沢市に編入される。岩見沢市役所庶務課統計係に勤務。 2011年(平成23年)、連合北海道空知地域協議会の副会長に就任。
高遠 菜穂子(たかとお なほこ、1970年1月14日 - )… 高遠 菜穂子(たかとお なほこ、1970年1月14日 - )は、日本のボランティア活動家。 1970年1月14日 、北海道千歳市に生まれる。1982年千歳市立桜木小学校卒業、1988年、北海道千歳高等学校卒業。麗澤大学外国語学部英語学科を卒業。1年間の会社勤務を経て、アメリカ合衆国に渡り、田尻成芳のもとを訪ねる。その後、千歳市にあるカラオケボックス(実家の家業)の経営にたずさわる。 2000年にインドに行き、カルカッタにある「マザーテレサの家」でボランティア活動を行う。2001年にカンボジアを訪れ、エイズホスピスで活動を始める。同年、インド西部地震のあとにカルカッタのボランティア仲間とともに救援活動にたずさわる。
中鉢 悟(ちゅうばち さとる、1969年11月10日 - 2… 中鉢 悟(ちゅうばち さとる、1969年11月10日 - 2007年11月7日)(別名:春日亮二。ハンドルネーム「がんすけ(GunSUKE)」の呼び名もある)は、北海道根室市出身の事業家・活動家・ミュージシャン。男性同性愛者。 1999年9月9日、当時のパートナー(通称ヤス)と婚姻の代わりに養子縁組みを行い、その後、センチュリーハイアット(東京都新宿区)で人前式の「結婚式」を行ったことが、雑誌の取材などで大きく取り上げられた。[要出典] この項目は、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:LGBT/PJ:LGBT)。
千代 信人(せんだい のぶひと、1964年6月30日 - )… 千代 信人(せんだい のぶひと、1964年6月30日 - )は、日本の右派・保守系の政治運動家である。北海道出身。札幌第一高等学校卒業。健康食品販売会社ハートリー・オン・テラピー株式会社社長。維新政党・新風北海道本部代表経験者だが既に離党している。
鈴木 賢(すずき けん、1960年5月23日 - )は、日本… 鈴木 賢(すずき けん、1960年5月23日 - )は、日本の法学者、LGBT人権活動家。北海道大学名誉教授、明治大学教授、北海道LGBTネットワーク顧問、自治体にパートナーシップ制度を求める会世話人。専門は中国法、台湾法、アジア法。 北海道美唄市生まれ。札幌市で育つ。1985年、北海道大学法学部卒業。同年、同大学大学院に進学。1990年、同大学院法学研究科博士課程単位取得退学、北海道大学助手。1991年1月、北海道大学助教授に就任。同年、「現代中国相続法の原理」で北海道大学博士(法学)を取得。1998年、教授に就任。2015年、同名誉教授、明治大学法学部教授。2022年より国立台湾大学法律系客員教授。
工藤 仁美(くどう ひとみ、1955年5月31日 - )は、… 工藤 仁美(くどう ひとみ、1955年5月31日 - )は、日本の政治家、労働運動家。元衆議院議員(1期)。 北海道出身。北海道札幌旭丘高等学校、藤女子短期大学(現・藤女子大学短期大学部)国文科卒業。 1996年より2009年まで北海道職業能力開発促進センターものづくり人材育成協議会委員を務める。札幌地区ユニオン書記長、パート労働者のための労働組合である札幌パートユニオンの会長を務めた。 2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙の比例北海道ブロックで民主党は4議席を獲得。重複立候補者11人中10人が選挙区で当選。北海道7区の仲野博子が比例復活で当選し、単独12位の山崎摩耶、単独13位の山岡達丸、単独14位の工藤が同ブロックでいずれも初当選した。
逢見 直人(おうみ なおと、1954年2月10日 - )は、… 逢見 直人(おうみ なおと、1954年2月10日 - )は、日本の労働運動家。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校を経て、1976年一橋大学社会学部卒業。一橋大では依光正哲人口問題専任講師の前期ゼミ及び津田真澂労働問題教授の後期ゼミ、体育会ボート部に所属。趣味は落語、クラシック音楽鑑賞。 当初は労働ジャーナリストを志していたが、ゼミの指導教官の紹介で大学卒業後はゼンセン同盟書記局に入局。労働政策部長、千葉県支部長、1988年常任中央執行委員(政策局長)、2004年UIゼンセン同盟副会長、2005年-2011年日本労働組合総連合会(連合)副事務局長(政策局長)、2011年UIゼンセン同盟会長付(副会長)、2012年全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟(UAゼンセン)会長、連合副会長を経て、2015年10月より連合事務局長を務め、働き方改革関連法案に関し菅義偉内閣官房長官との交渉を担当した。
櫛部 武俊(くしべ たけとし、1951年 - )は、日本の社… 櫛部 武俊(くしべ たけとし、1951年 - )は、日本の社会運動家。元釧路市職員(ケースワーカー)。釧路社会的企業創造協議会副代表。 北海道富良野市出身。北星学園大学文学部社会福祉学科卒業。1975年に釧路市職員に採用される。当初障害児施設に勤務。1988年より保護課に異動。以後、生活保護を受け持つ業務を担当する。1990年代以降、釧路市では産業構造の変化に伴い、生活保護世帯数が増加した。その状況下で、2004年より厚生労働省による生活保護者自立支援プログラムのモデル事業を釧路市で実施することとなり、生活福祉事務所主幹としてこれに携わった。櫛部は「親や子どもの自助努力に問題を転嫁させないアプローチの創造が必要であることを学んだ」と述べている。
大道寺 あや子 (だいどうじ あやこ、1948年10月20日… 大道寺 あや子 (だいどうじ あやこ、1948年10月20日 - )は、日本の政治活動家、新左翼系武装組織である東アジア反日武装戦線の元メンバー。 ダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置により釈放され日本赤軍に合流、2024年現在国際手配中である。 旧姓・駒沢。北海道釧路市生まれ。北海道釧路湖陵高等学校を卒業。在校中は成績優秀、スピードスケート部での活躍が認められて卒業生総代を務める。星薬科大学に推薦入学し、ワンダーフォーゲル部に所属。自治会活動、学費値上げ反対闘争などに参加した。この頃に高校時代の同級生であった大道寺将司に高校の同窓会で「研究会」にオルグ (勧誘) される。高校在校中にはほとんど接点がなかった二人が、この会をきっかけに交際を始めて同棲するに至る。
佐々木 規夫(ささき のりお、1948年8月27日 - )は… 佐々木 規夫(ささき のりお、1948年8月27日 - )は、日本の政治活動家、元東アジア反日武装戦線「狼」部隊メンバー、元日本赤軍メンバー。北海道小樽市出身。 小樽市の呉服行商人の子として生まれる。北海道小樽潮陵高等学校卒業。大学入試に失敗後、家業を手伝ったあと上京、兄が参加していた第三世界革命の文献を紹介する「レボルト社」に関わるようになる。その兄の証言では、1967年頃に齋藤和と知り合う。齋藤の大学の友人で日本朝鮮研究所の研究生竹田賢一と「朝鮮革命研究会」を結成し、1960年代後半から度々韓国に渡航し、日本の朝鮮侵略と抵抗運動史を学ぶ。 1972年、斎藤と共にアイヌモシリを巡り、日本のアイヌ侵略史を学ぶ。
大道寺 将司(だいどうじ まさし、1948年〈昭和23年〉6… 大道寺 将司(だいどうじ まさし、1948年〈昭和23年〉6月5日 - 2017年〈平成29年〉5月24日)は、日本の政治活動家、東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバー。同部隊のリーダー格だった。 北海道釧路市出身。小学生時代より、新聞を丹念に読んではスクラップ帳を作る公務員の父親や、北海道議会議員だった継母の義理の兄、そしてその息子で高校生ながらに60年安保反対運動の先頭に立っていた太田昌国らの影響から、政治への関心を持つようになる。中学校入学後は学区の中にアイヌ居住区が含まれていたため、多くのアイヌの同級生たちと交流する中で、その厳しい暮らしぶりや中学3年時でのアイヌに対する就職差別を目の当たりにし、問題意識を抱くようになった。
工藤 慶一(くどう けいいち、1948年(昭和23年) ‐)… 工藤 慶一(くどう けいいち、1948年(昭和23年) ‐)は、日本の教育者、社会運動家、フリーランスの学者。 1948年、旭川市出身。国立北海道大学(理学部)の学生時代、教育制度への疑問やベトナム戦争反対を訴え学生運動に身を投じ、3年生の時、大学を中退した。印刷会社のアルバイトを経て、ガソリンスタンドを展開する石油販売会社の総務部に所属し、資金繰りや決算などを担当する。90年には、市民有志で、「札幌遠友塾 自主夜間中学」を発足させ、1996年から2010年まで代表を務めた。 2023年現在、「北海道に夜間中学をつくる会」で共同代表を務めている。 「2010年5月 工藤慶一さん〜札幌遠友塾自主夜間中学代表 ‐ お独り様会」に掲載の記事が、工藤慶一という人物を端的に物語っている。
齋藤 和(さいとう のどか、1947年11月14日 - 19… 齋藤 和(さいとう のどか、1947年11月14日 - 1975年5月19日)は、日本の政治活動家。男性。 元東アジア反日武装戦線 “大地の牙” メンバーで、同部隊の事実上のリーダーであった。1974年の三井物産爆破事件をはじめ、同部隊による連続企業爆破事件において、主導的役割を担ったとされる。 北海道室蘭市出身。北海道室蘭東高等学校では生徒会長を務めた。高校時代にアナキズム理論に出会い、松田政男、山口健二、川仁宏、笹本雅敬らの東京行動戦線に賛同し、シンパとなった。夏休みには上京し東京行動戦線の母体である現代思潮社でアルバイトをするほどの熱心さだった。 東京都立大学人文学部に進学し上京。東京行動戦線から派生した笹本、朝倉喬司らのベトナム反戦直接行動委員会にも参加し、1966年10月19日に東京都田無市(現:西東京市)の日特金属工業(現:住友重機械工業)を襲ったメンバーの一人だったが、逮捕はされなかった。
古賀 浩靖(こが ひろやす、1947年〈昭和22年〉8月15… 古賀 浩靖(こが ひろやす、1947年〈昭和22年〉8月15日 - )は、日本の政治活動家、宗教家。三島由紀夫が結成した「楯の会」の2期生で第5班副班長。1970年(昭和45年)11月25日の三島事件に参加し、三島由紀夫と森田必勝の割腹自殺の介錯をした。仮釈放後、谷口清超の長女の佳代子と1980年(昭和55年)3月に結婚。荒地浩靖と改姓し、生長の家札幌教区の教化部長となった。 1947年(昭和22年)8月15日、父・幸利と母・幸の次男として北海道滝川市字北滝の川862番地に誕生。父・幸利は元小学校校長で、宗教法人「生長の家」の本部講師をしていた。浩靖は、二男五女の末っ子であった。 高校時代に、「生長の家」練成会に入り、合宿生活をしたこともあった古賀は、小・中学校の授業では教わることのなかった「真の人間の存在価値」に触れ、日本の歴史の生命と自分の生命の一体化を知り、人生観が変化していった。
阿部 一司(あべ かずし、1946年10月6日[要出典] -… 阿部 一司(あべ かずし、1946年10月6日[要出典] - )は、アイヌ民族活動家。元北海道アイヌ協会副理事長。アイヌ政策推進会議構成員などを務めている。 執筆、講演などの際は阿部ユポという名前を使うことがある。北海道鵡川村(現むかわ町)萌別生まれ。 2020年2月に行なわれた「第71回さっぽろ雪まつり」において、札幌アイヌ協会が受託するはずの事業の一部が、阿部一司の実妹の多原良子副会長が主宰する団体「メノコモシモシ」で受託されていたという事実が発覚し、幹部による不透明な金の流れを、複数の理事が実名で告発する異例の事態が発生している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤島隆(ふじしま たかし、1945年- )は、日本の図書館員… 藤島隆(ふじしま たかし、1945年- )は、日本の図書館員、図書館研究者。 北海道札幌市生まれ。1970年、北海学園大学法学部を卒業し、北海道大学附属図書館勤務。旭川医科大学、山梨医科大学、山形大学、徳島大学等を経て、2005年富山大学附属図書館を退職。図書館・貸本業を研究した。
磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地… 磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地方公務員、社会起業家、市民活動家。元北海道副知事で、北海道農業企業化研究所理事長などを務める。北海道旭川市出身。 北海道富良野高等学校卒業。1967年明治大学法学部卒業。1967年北海道庁に入庁。1988年北海道庁企画振興部地域振興室振興課課長補佐。1989年同渡島支庁地方部長。1991年同生活福祉部生活文化課課長。1994年同企画振興部企画室参事。1996年同企画振興部対策室室長。1997年同総合企画部政策室室長。1999年同上川支庁支庁長。2000年総合企画部長。2001年北海道副知事。2003年2月に北海道庁を辞職し、堀達也知事退任の後を受けて、第15回統一地方選挙の北海道知事選挙に出馬。
石井 ポンペ(いしい ポンペ、1945年 - )は、日本の社… 石井 ポンペ(いしい ポンペ、1945年 - )は、日本の社会運動家。 のりこえねっと共同代表。のりこえねっとの書籍である『ヘイトスピーチってなに?レイシズムってどんなこと?』には石井も執筆する。 反原子力発電所の立場である。 1945年に北海道穂別町で生まれる。アイヌ民族の集落で生まれ育つ。 1960年に中学校を卒業し、同級生のほとんどは東京に集団就職をしていったものの、北海道の地元に残った。それから飯場で寝泊りする生活をして実家に戻る。実家に戻ってからは鉄道の工夫をする。17歳で母親に背中を押され札幌に求職に出る。1968年、アイヌの戸塚美波子が北海道新聞に投書した北海道百年記念事業への違和を綴った文章を見て、民族運動に向かった。
磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地… 磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地方公務員、社会起業家、市民活動家。元北海道副知事で、北海道農業企業化研究所理事長などを務める。北海道旭川市出身。
秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年9月12日 - )は… 秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年9月12日 - )は、日本の社会運動家、アイヌ民族運動家。 旧姓は成田。 函館の船大工、成田萬九郎と、タラバ蟹缶詰工場の女工、秋辺ミサの子として、得撫島上陸直前の船で生まれる。なお、母方の祖父母である秋辺福治と秋辺サヨはアイヌで、夫婦の会話はアイヌ語であった。 幼少期から高校卒業まで釧路で育つ。戸籍名は、1990年まで『成田得平』であった。1972年より、札幌で木彫品の製作と販売を手がけるのと同時に、アイヌ復権運動に携わる。1973年10月『ヤイユーカラ・アイヌ民族学会』設立にかかわり、会長として現在に至る。『ヤイユーカラ』とは、「自ら行動する」の意味である。
加藤 一夫(かとう かずお、1941年4月27日 - )は、… 加藤 一夫(かとう かずお、1941年4月27日 - )は、日本の国際政治学者、社会運動家、静岡福祉大学名誉教授。専門は国際関係論、ナショナリズム論、国際福祉論。 北海道岩内郡共和町生まれ。1968年東京外国語大学ロシア語科卒、1973年東京大学大学院社会学研究科国際関係論博士課程満期退学。国立国会図書館調査員を経て1992年に静岡県焼津市へ。静岡精華短期大学教授、副学長を経て、静岡福祉大学学長、名誉教授。1960年代からボランティア活動や社会運動に参加。PARC(アジア太平洋情報センター)機関紙編集委員、季刊『クライシス』編集委員、中東欧反体制支援『QUO』の編集委員などを務める。
唐牛 健太郎(かろうじ けんたろう、1937年2月11日 -… 唐牛 健太郎(かろうじ けんたろう、1937年2月11日 - 1984年3月4日)は、日本の学生運動家。60年安保闘争当時の全学連委員長。
小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7… 小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7月25日)は、北海道(アイヌモシリ)浦河町生まれのアイヌ民族運動家。アイヌ民族共有財産裁判原告団長、アイヌ民族文化伝承の会会長、北海道教育大学非常勤講師を務めた。妻はアイヌ文様刺繍家の小川早苗。 日高地方浦河町のコタンに生まれる。父は戦時下に渡日しタコ部屋の強制労働から脱走した朝鮮人李秀夫、母は浦河のコタンに住むアイヌ民族の夏子。幼い頃に父秀夫は朝鮮へ戻り、以来音信不通となる。その後9歳で母も失い、兄弟と支えあいながら青春期を送る。幼くして両親を亡くした後の生活は貧困を窮め、学校への通学も断念せねばならなかった。 職を転々とした後、25歳で定職に就くが就学機会を奪われたため、漢字もろくに読めなかったという。
石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) … 石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) は日本の教育評論家、政治運動家、右翼。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丸山 康雄(まるやま やすお、1926年 <大正15年> 2… 丸山 康雄(まるやま やすお、1926年 <大正15年> 2月26日 - 1994年 <平成6年> 6月25日)は、昭和時代の労働運動家。位階は従四位。 札幌市出身。1943年(昭和18年)、北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1948年(昭和23年)に北海道庁に入庁し、労政課に勤務した。1955年(昭和30年)全道庁労組書記長、1975年(昭和50年)全日本自治団体労働組合(自治労)委員長、1976年(昭和51年)日本労働組合総評議会(総評)副議長を歴任。1981年(昭和56年)に第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員を務める(2年間)。労働界からは総評副議長の丸山と、同盟副会長の金杉秀信の2人が委員となった。
門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日… 門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日 - 2018年〈平成30年〉10月1日)は、昭和後期から平成時代にかけて活躍した日本の社会活動家。北海道出身、アイヌ民族。 小冊子『アイヌの叫び』の著者貝澤藤蔵と川村コヨの長男。日高管内の沙流郡平取町生まれ。北海道旭川東高等学校(旧制旭川中学)卒業。 1939年(昭和14年)から朝鮮の炭鉱会社で働いた。戦後は旭川営林局にはいり、測量審査などにあたる一方、人権擁護委員も務めた。1972年(昭和47年)10月、旭川市で起こった「風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件」を機に旭川アイヌ協議会の創設に尽力し、その初代会長となった。1975年(昭和50年)、北海道アイヌ文化伝承保存会副会長となった。
泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年(大正10年)8月1… 泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年(大正10年)8月10日 - 1991年(平成3年)10月5日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 北海道幌別郡、現在の登別市出身。1944年(昭和19年)日本国有鉄道札幌鉄道教習所運輸高等科を修了。 北海道大学医学部附属登別分院勤務、室蘭駅助役、副鉄道官補、運輸事務官、国鉄労働組合北海道地評議長、全北海道労働組合協議会議長、北海道交通運輸労働組合協議会議長、北海道産業教育審議会委員、北海道環境衛生適正化審議会委員、札幌陸運局自動車運送協議会委員、北海道開発審議会委員などを務めた。 1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
寺尾 五郎(てらお ごろう、1921年〈大正10年〉7月4日… 寺尾 五郎(てらお ごろう、1921年〈大正10年〉7月4日 - 1999年〈平成11年〉8月21日)は、日本の社会運動家。 北海道室蘭市出身。1938年、早稲田大学文学部哲学科に入学後、共産主義運動に参加。1940年に治安維持法違反で検挙。 1943年に召集されるが、1945年に満洲のチチハル航空部隊で反戦活動を行ったかどで憲兵隊に拘束され、東京憲兵隊総本部へ送還。8月15日の敗戦の2日後、警視庁特高課に身柄移管され、治安維持法最後の被告となる。10月10日に豊多摩刑務所から出所し、以後日本共産党本部の専従活動家となる。 1950年にコミンフォルムの『日本の情勢について』をめぐる対立に巻き込まれて「国際派」として除名されるが、「国際派」と「所感派」の統一(日本共産党第6回全国協議会を参照)により5年後に復帰。
宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10… 宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10日-1984年(昭和59年)6月2日)は、日本の政治家・俳人・市民運動家。北海道紋別郡生田原町出身。旧制北海道野付牛中学校(現、北海道北見北斗高等学校)を経て、早稲田大学政経学部卒業。北海道北見市長(1967年-1975年、2期)。 早稲田大学卒業後、市の職員として北見市立東陵中学校などの中学校教諭に就く。教師時代から、市民運動・住民運動に力を入れ、1956年(昭和31年)に北海道教職員組合北見市支部執行委員長に就き、その後、全北海道労働組合協議会副議長を歴任。1967年(昭和42年)北見市長選挙に出馬し現職の滝野啓次郎を破って革新系首長として初当選する。
引間 博愛(ひきま ひろよし、1920年3月1日 - 201… 引間 博愛(ひきま ひろよし、1920年3月1日 - 2011年12月3日)は、日本の労働運動家。元全国貨物自動車労働組合委員長、統一労組懇常任代表委員、全労連顧問。 北海道夕張市生まれ。高等小学校卒。大夕張鉱業購買会・東京貨物運送統制組合勤務を経て、戦後の1946年に神田運送で労組を結成。同年東京貨物運送労働組合(東貨労)本部役員。1954年、全国貨物自動車労働組合(全自労)委員長。1977年、全日本運輸一般労働組合(全自労の後身)委員長。 1980年、統一労組懇常任代表委員。同団体の中心人物として、1989年の全労連結成に大きな役割を果たした。以後、全労連顧問、全日本年金者組合委員長(初代)、全国革新懇・東京革新懇各代表世話人などを歴任した他、原水爆禁止運動にも尽力した。
原 茂(はら しげる、1920年1月8日 - 2007年12… 原 茂(はら しげる、1920年1月8日 - 2007年12月23日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本炭鉱労働組合(炭労)委員長。 北海道夕張市生まれ。1935年夕張市鹿の谷高等小学校卒業。北海道の中小炭鉱に入り、兵役を経て、1944年北海道炭礦汽船平和鉱業所に入社。1946年平和炭鉱労組書記長、1947年同労組委員長。1950年北海道炭鉱汽船労働組合連合会(北炭労連)副委員長。1951年日本炭鉱労働組合(炭労)副委員長。1952年の破防法をめぐる炭労の左右対立では左派を代表する立場にたち、同年の炭労スト、1953年の三井炭鉱労連の「英雄なき113日の闘い」などを指導。1956年炭労委員長となり、1959年から1960年の三井三池闘争を指導したが、最終的に中労委の藤林斡旋案(会社は指名解雇を撤回し、該当者は自発的に退職する)を受諾して、炭労は敗北した。
柄沢 とし子(からさわ としこ、本名:松島 登志子(と志子と… 柄沢 とし子(からさわ としこ、本名:松島 登志子(と志子とも)、1911年5月7日 - 2013年12月2日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(日本共産党公認)を2期務めた。夫は日本共産党名誉幹部会委員の松島治重(1994年死去)。日本で最初に女性参政権が認められた、1946年総選挙で当選した日本最初の女性国会議員(39人)の一人。共産党女性国会議員第1号としても知られる。 北海道札幌市出身。北海道庁立札幌高等女学校(現・北海道札幌北高等学校)を卒業後、道庁などでタイピストをしながら日本労働組合全国協議会に参加。三菱美唄炭鉱などでストライキに関わるが、非合法活動により1929年以来数度検挙される。
斎藤 一郎(さいとう いちろう、1911年(明治44年)3月… 斎藤 一郎(さいとう いちろう、1911年(明治44年)3月15日 - 1968年(昭和43年)8月30日)は、昭和時代の労働運動家、労働評論家。 北海道長万部町生まれ。1930年山形県立新庄中学校(現山形県立新庄北高等学校)卒業。 1931年秋田で農民運動に参加。1932年全農全国会議秋田地方委員会を組織、日本共産党に入党。同年11月に治安維持法違反で検挙されて懲役5年の判決を受け、1939年に出獄。 敗戦後の1945年、共産党に再入党。1946年の結成時から産別会議の書記となり、党フラクションの責任者として労働運動を指導。1947年の二・一スト挫折の渦中に立つ。 1949年に労働組合政策をめぐって党中央と対立し、産別会議を離れ、共産党東京都委員に就任。
山内 広(廣、やまうち ひろし、1907年(明治40年)9月… 山内 広(廣、やまうち ひろし、1907年(明治40年)9月16日 - 1974年(昭和49年)5月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 北海道室蘭郡室蘭町(室蘭区を経て現室蘭市)で生まれる。4歳の時に函館市に転居。1925年(大正14年)北海道庁立函館商業学校(現北海道函館商業高等学校)を卒業。 鉄道省に入省し函館駅貨物掛に就任。大山郁夫の演説に感銘を受け、1929年(昭和4年)濱口内閣の官吏減俸政策への職場の反対運動を主導した。太平洋戦争中に函館駅助役館俊三らと社会主義研究グループを結成し、戦後の労働運動解禁を受けて指導者となる。1946年(昭和21年)函館地方労働組合会議議長に就任。
田中 清玄(たなか せいげん、1906年〈明治39年〉3月5… 田中 清玄(たなか せいげん、1906年〈明治39年〉3月5日 - 1993年〈平成5年〉12月10日)は、日本の実業家、政治活動家、CIA協力者。フィクサーともいわれる。 戦前期の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)中央委員長。転向後は政治活動家となり、戦後は実業家として三幸建設工業株式会社社長、光祥建設株式会社社長をつとめる。ロイズ保険の会員でもあり、日本人でロイズの会員になれたのは、田中と南方哲也(元長崎県立大学教授。南方熊楠の大甥)のみと言われている。モンペルラン・ソサイエティー会員。1993年12月10日、脳梗塞で死去した。 資金を得た田中は、党の武装化を進め、川崎武装メーデー、東京市電争議の際における幹部暗殺計画、車庫放火事件、中央メーデー暴動化、小銃弾薬類の略奪計画など数多くの暴動を既遂未遂した。
菊川 君子(きくかわ きみこ、1905年(明治38年)9月1… 菊川 君子(きくかわ きみこ、1905年(明治38年)9月18日 - 1990年(平成2年)10月17日)は、日本の婦人運動家、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・巽。 北海道亀田郡戸井村汐首(現函館市)で生まれる。1924年、函館大谷女学校を卒業した。 その後上京して、看護婦見習いなど多くの職業に従事し、社会運動に関わるようになった。全国婦人同盟、無産婦人同盟の結成に加わり、無産婦人同盟常任委員、同財務部長を務めた。1931年、中野区に中野組合病院の設立に尽力し、会計を担当した。 戦後、日本社会党の結党に加わる。1947年の衆院選に夫の菊川忠雄が旧東京4区から社会党公認で立候補し初当選した。君子は党の婦人部員として運動を推進し、婦人問題研究会常任理事、東京家庭裁判所調停委員を務めた。
西田 信春(にしだ のぶはる、1903年1月12日 - 19… 西田 信春(にしだ のぶはる、1903年1月12日 - 1933年2月11日)は、日本の戦前の社会運動家・平和運動家。 北海道新十津川村出身。出生は岩見沢市で4歳から新十津川で幼児期をすごす。札幌第一中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学文学部倫理学科に入学。東大時代はボート部に所属し、社会科学、社会主義を学ぶ。小樽高等商業学校での軍事演習に対する抗議行動に端を発した軍事教育批判が全国の大学に広がる中、治安維持法改悪により私有財産制の否定や平和運動が処罰の対象となった1925年秋、新人会に参加し、石堂清倫らと活動を始める。1926年5月より大衆教育同盟本部書記などを務め、社会科学研究会でも活動。
違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) … 違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) - 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。 アイヌ民族の地位向上のための運動に一生を捧げ、その思想を新聞や雑誌に短歌の形で発表して、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えた。また道内のアイヌコタンを廻って、まずアイヌ自身が自覚し、団結することが必要であると説いた。 バチェラー八重子、森竹竹市と並ぶ、「アイヌ三大歌人」の一人。「アイヌの啄木」と称されることもある。著作に『違星北斗遺稿 コタン』(昭和5年・希望社出版部、現在は草風館より復刊)、『違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を』(角川ソフィア文庫)がある。 違星北斗は1901年(明治34年)、北海道後志支庁余市町大川町1丁目に、父甚作と母ハルの間の三男として生まれる。
荒井 源次郎(あらい げんじろう、1900年12月20日 -… 荒井 源次郎(あらい げんじろう、1900年12月20日 - 1991年8月31日)は、昭和期の日本の社会運動家。アイヌとして近文アイヌ地返還運動に尽力した。 北海道士別市上士別にて、父ケトンチナイと母レタルオソラの長男として生まれる。1907年に上川第三尋常小学校に入学し、1913年に上川第五尋常小学校(アイヌ児童のみの学校)を卒業。1915年に上川第三尋常高等小学校を卒業し、その4月に旭川商工補習学校に入学し、1917年に卒業する。その年の12月には旭川区裁判所に採用される。源次郎の育った地元ではそれまで民間のサラリーマンや公務員は一人もおらず、アイヌ民族では初めてのことだった。1919年に第七師団司令部事務職に転じ、1924年に第七師団に入隊。
境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日… 境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大正・昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 北海道小樽区(現小樽市)で生まれる。1920年(大正9年)小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業。その後、早稲田大学政経科で学んだが中退した。割箸製造販売業を営む。その後、岸鉄工所庶務課長、小樽物産取締役、北海道配電小樽支店経営協議会委員などを務めた。 1926年(大正15年)日本労働組合評議会北海道地方評議会議長に就任。同年5月1日、北海道初のメーデー実行委員長を務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
稲村 隆一(稻村隆一、いなむら りゅういち、1898年3月7… 稲村 隆一(稻村隆一、いなむら りゅういち、1898年3月7日 - 1990年11月20日)は、日本の農民運動家、政治家、衆議院議員(4期)。政治家の稲村順三は弟、稲村稔夫は甥。 北海道虻田郡喜茂別町出身。 1918年北海中学校(旧制)、1923年早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学在学中から建設者同盟に参加、その後農民運動に入った。その間日本共産党に入党し、1926年に労働農民党に入党。 1928年の三・一五事件で検挙された後、社会大衆党に移った。 1937年に新潟県日本農民連盟を結成し、皇国農民連盟と連携を図った。 1940年に東方会、石原莞爾の東亜連盟運動にも参加。戦後、日本社会党に入ったが、公職追放を受けた。
若木 勝蔵(勝藏、わかき かつぞう、1897年〈明治30年〉… 若木 勝蔵(勝藏、わかき かつぞう、1897年〈明治30年〉1月10日 - 1969年〈昭和44年〉11月9日)は、大正・昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 北海道岩内郡、のちの岩内町で生まれる。1916年(大正5年)札幌師範学校本科一部を卒業した。 虻田第一小学校、札幌北九条小学校、札幌師範学校訓導、小樽市潮見台小学校長、札幌市中央創成小学校長、同市西創成小学校長を歴任。この間、教材の改良などを行い、児童の自発的な活動を重視した教育を実践した。 1945年(昭和20年)12月、札幌市教職員組合委員長に就任。1946年(昭和21年)北海道教員組合(現北海道教職員組合)初代委員長となる。
吉田 菊太郎(よしだ きくたろう、1896年7月20日 - … 吉田 菊太郎(よしだ きくたろう、1896年7月20日 - 1965年1月8日)は、昭和時代のアイヌ民族運動家。北海道幕別村のアイヌの首長・トイペウク(庄吉)の子。 十勝国中川郡幕別村字白人(チロット)村に、父トイペウク(庄吉)・母アシマツ(マツ)の長男として生まれる。白人小学校・幕別高等小学校を卒業し、父を継ぎ農業を営む。若い頃はその父への「ある反感から」「他の人が驚き怪しみもしたほど」酒におぼれ、すさんだ生活をしたが、1927年(昭和2年)2月8日に泥酔して自分の家を焼いてしまったことをきっかけに禁酒を誓い、2月15日には厚内方面に出稼ぎに出る。 断酒に成功し8月には故郷に帰る。その頃に創立された十勝アイヌ旭明社(社長・喜多章明)に参加し、翌年には精神修養と生活改善を目的とする白人古潭矯風会を創設し会長に就任する。
貝澤 藤蔵(かいざわ とうぞう、1888年〈明治21年〉- … 貝澤 藤蔵(かいざわ とうぞう、1888年〈明治21年〉- 1966年〈昭和41年〉)は、アイヌ民族の社会活動家。小冊子『アイヌの叫び』の著者。藤蔵の妻・コヨは旭川、近文アイヌの長・川村カ子トと才登の妹であり、砂沢クラの親友。門別薫は、藤蔵の子。 カリワウクの子として北海道日高の二風谷で生まれる。宣教師ジョン・バチェラーが団長となって設立された「アイヌ伝導団」の第1回総会(1921年)で二風谷委員として出席しているので、34歳までは二風谷で生活していたとみられる。二風谷時代は平取村役場に勤務。この時期にコヨと結婚し、1922年に長男が生まれた。 1926年(大正15年・昭和元年)頃に、熊坂シタッピレにならって木彫を試み、木彫り熊とクワ(アイヌ語で杖の意)を残す。
天川 恵三郎(あまかわ けいさぶろう、1864年〈元治元年〉… 天川 恵三郎(あまかわ けいさぶろう、1864年〈元治元年〉 - 1934年〈昭和9年〉4月5日)は、アイヌの民族活動家。旭川の近文で、第7師団の移転に伴うアイヌの土地の詐取的な取り上げに対する返還要求運動に関わり注目され、金田一京助らから「アイヌの佐倉惣五郎」と呼ばれる。アイヌ名はイサラ。 現在の北海道小樽市の領域にあたるオタルナイにて生まれ、1873年(明治6年)、量徳小学校に第1期生として入学する。勉学に秀でていた天川は、小学校を視察した大隈重信、西郷従道、白仁武らの目に留まる。特に大隈は、「成長して東京へ出たら必ず寄れ」と言うほどであった。のち石狩支庁の浜益村に移住し、農業を営んだ。 旭川の近文には、アイヌへの給与地が存在した。
岡田 健蔵 は、日本の社会事業家、郷土史家。北海道函館市の函… 岡田 健蔵 は、日本の社会事業家、郷土史家。北海道函館市の函館市中央図書館の初代館長(当時の名称は函館市立図書館)であり、同図書館の前身である函館毎日新聞緑叢会付属図書室、および私立函館図書館の設立者のひとり。北日本屈指の図書館人ともいわれる人物であり、私財を投じて函館の郷土資料の収集に努めた。また、函館の火災の多さを考慮して耐火構造の図書館を提唱し、貴重な資料の多くを火災から守り抜いた。函館区鰪澗町(たなごまちょう、後の函館市入舟町)出身。
煙突男(えんとつおとこ)は、1930年(昭和5年)に神奈川県… 煙突男(えんとつおとこ)は、1930年(昭和5年)に神奈川県川崎市(現:川崎区域)の紡績工場の労働争議の際に、争議の支援活動として工場の煙突に登り、そのまま6日間にわたって居座る事件を起こした人物(田辺潔、1903 - 1933)につけられたあだ名。 1930年の事件以降も同様の事件が複数発生しており、それらの当事者についても煙突男と呼ばれる場合がある。 以下、川崎の事件の経過と、田辺の経歴について説明する。 1930年当時の日本は世界恐慌の渦中にあり、多くの労働者が解雇され、それに反対する労働争議も多発していた。富士瓦斯紡績川崎工場でも6月に最初の解雇通告がなされ、これに対して労働組合が争議団を結成して会社と交渉に当たり、調停を得て一度は妥結する。