小林 陵二(こばやし りょうじ、1932年 - )は、日本の… 小林 陵二(こばやし りょうじ、1932年 - )は、日本の工学者。石巻専修大学元学長。東北大学名誉教授。工学博士(東北大学)。専門は、流体工学・流体力学。岩手県盛岡市出身。 1955年東北大学工学部機械工学科卒業。1960年東北大学大学院工学研究科博士課程修了。 1960年東北大学高速力学研究所講師。1962年東北大学高速力学研究所助教授。1972年東北大学高速力学研究所教授。1985年(昭和60年)東北大学工学部教授。1996年(平成8年)東北大学停年退官。同名誉教授。 石巻専修大学理工学部教授。1998年石巻専修大学理工学部長。2001年石巻専修大学大学学長。2007年石巻専修大学退職。 2012年4月瑞宝中綬章受章。
蜂谷清人(はちや きよと、1932年 - )は、日本の国語学… 蜂谷清人(はちや きよと、1932年 - )は、日本の国語学者。 岩手県一関市生まれ。1955年東北大学文学部国語学科卒、1959年東北大学大学院文学研究科博士課程中退。同年に共立女子大学専任講師。 以降、同大学文芸学部一筋に勤め、2003年退官。中世・近世の国語、とりわけ狂言資料の研究を行った。
円子 修平(圓子修平、まるこ しゅうへい、1931年12月2… 円子 修平(圓子修平、まるこ しゅうへい、1931年12月24日 - 2003年9月28日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。東京都立大学名誉教授。 岩手県立盛岡第一高等学校卒。トーマス・マン、ロベルト・ムージルなどを研究、翻訳した。1995年に東京都立大学教授を定年退任後は、明治大学法学部兼任講師を務めた。
川口 民一(かわぐち たみかず、1931年〈昭和6年〉7月2… 川口 民一(かわぐち たみかず、1931年〈昭和6年〉7月23日 - 2022年〈令和4年〉5月30日)は、日本の政治家。岩手県雫石町長(2期)や岩手県議会議員(1期)を歴任。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県岩手郡雫石町出身。旧制岩手県立盛岡農学校(現・岩手県立盛岡農業高等学校)卒。卒業後の1949年御所村役場に入る(のち合併で雫石町役場勤務)。1971年雫石町議会議員に当選。4期務め、副議長、議長を務めた。 1986年、雫石町長選挙に立候補し、現職を破って当選。1989年に鶯宿温泉開発(株)社長と雫石町観光協会会長に就任した。雫石町長は2期務め、1994年の町長選挙で元岩手県議会議長の川口善弥に敗れた。
山折 哲雄(やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11… 山折 哲雄(やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11日 - )は、日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・思想史。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、21世紀高野山医療フォーラム副理事長、総合研究大学院大学名誉教授、平城遷都1300年記念事業評議員。教育改革国民会議委員。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。1997年に白鳳女子短期大学赴任以降は行政職に就くことが続いた。岩手県花巻市出身。京都市在住。 日本人の宗教意識や精神構造を研究し、現代社会論や文明論を精力的に展開する。著書に『日本人の霊魂観』(1976年)、『悲しみの精神史』(2002年)、『義理と人情』(2011年)など。
佐藤 彰(さとう あきら、1931年〈昭和6年〉4月29日 … 佐藤 彰(さとう あきら、1931年〈昭和6年〉4月29日 - 2002年〈平成14年〉5月3日)は、日本の教育者、文学者(国文学・近世文学)。学位は文学修士(北海道大学・1961年)。静岡県立大学名誉教授。 北海道札幌星園高等学校教諭、釧路工業高等専門学校助教授、静岡女子短期大学教授、静岡女子短期大学学生部部長、静岡県立大学短期大学部教授、大谷女子大学文学部教授、大谷女子大学大学院文学研究科研究科長、園田学園女子大学国際文化学部教授、園田学園女子大学近松研究所所長(第3代)などを歴任した。 国文学を専攻する文学研究者である。古浄瑠璃の研究や近松門左衛門が遺した作品の研究で知られる。農村舞台や人形芝居についての研究でも知られ、「近世文学の権威」と謳われた。
三好 京三(みよし きょうぞう、1931年(昭和6年)3月2… 三好 京三(みよし きょうぞう、1931年(昭和6年)3月27日 - 2007年(平成19年)5月11日)は、日本の小説家。本名、佐々木 久雄(ささき ひさお)。日本文芸家協会、日本ペンクラブ会員。岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)出身。 岩手県生まれ。家業は農業兼荷馬車業であった。生家の周囲は貧しい家ばかりで、その中では新しがりの父が蓄音機を買ったり、ハイカラな風呂場を建てたりして目立っていた。生い立ちについて、三好によると「私は貧困どん底の家に生まれ育ったと、少年時代から思い続けている。昭和10年に父、父の弟、私の幼い弟が死亡し、1年間に3つのお弔いを出してから我が家はダメになったと聞いている。
常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日… 常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日 - 2013年〈平成25年〉1月22日)は、日本の作家・翻訳家・アメリカ文化研究者。別名に、大原寿人(おおはらとしひと)。 岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。母親は福島県の出身。税務署員だった父親の転勤に伴って生後半年で水沢を離れ、山形県長井町、宮城県石巻市と転居した。小学校時代に仙台市に落ち着き、高校卒業までを同地で過ごした。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文科卒。同大学院修了。 早川書房に入社。1961年には新雑誌「ホリディ」の編集長になるが11号のみの発行となる。都筑道夫、生島治郎の後任として、ミステリー小説誌 『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(日本版)の三代目編集長を、1963年(昭和38年)から6年間務めた。
藤原 哲郎(ふじわら てつろう、1931年 - 2024年1… 藤原 哲郎(ふじわら てつろう、1931年 - 2024年11月19日)は、日本の医師。岩手医科大学名誉教授。岩手県盛岡市出身。 1996年キング・ファイサル国際賞、2008年武田医学賞を受賞した。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
平井 俊榮(平井俊栄、ひらい しゅんえい、1930年〈昭和5… 平井 俊榮(平井俊栄、ひらい しゅんえい、1930年〈昭和5年〉11月20日 - )は、日本の曹洞宗の僧侶、仏教学者。駒澤大学名誉教授。中国仏教専攻。 岩手県岩手郡雫石町出身。盛岡中学、駒澤大学仏教学部卒。東京大学大学院印度哲学博士課程中退。1974年「吉蔵を中心とする三論学派の研究」で東大文学博士。1964年に駒澤大学仏教学部講師、1970年仏教学部助教授、1976年教授、1986年副学長を経て、1990年学長に就任。2001年名誉教授となる。以後山田町に住所を移し現在に至る。 1979年より岩手県山田町豊間根の鞍東山宝珠院(あんどうさん ほうじゅいん)の住職を務める。 1980年「阿毘達磨倶舎論索引」(平川彰ら全5名での共同研究、全3巻、大蔵出版)で日本学士院賞受賞。
斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年>… 斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年> 8月27日 - 2011年 <平成23年> 5月14日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1954年に東北大学法学部を卒業し、同年に岩手殖産銀行(のちの岩手銀行)に入行。人事部長を経て1979年4月1日に仙台支店長に就任。1981年4月1日に本店営業部長となり、同年6月26日には取締役に就任。1985年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1996年6月には頭取に上り詰める。2001年には佐藤光の後任として、2月に盛岡商工会議所の会頭、6月には岩手銀行の会長に就いた。 2004年5月には、岩手の経済発展・産業振興に貢献したとして、岩手県より平成16年度県勢功労者に選ばれた。
藤井 黎(ふじい はじむ、1930年〈昭和5年〉8月24日 … 藤井 黎(ふじい はじむ、1930年〈昭和5年〉8月24日 - 2010年〈平成22年〉4月4日)は、日本の政治家。第29代 - 31代仙台市長(在任期間:1993年8月22日 - 2005年8月21日)。 岩手県釜石市出身。東北大学大学院修士課程修了後、仙台市役所に奉職。 1993年(平成5年)、ゼネコン汚職事件に絡んで石井亨が辞職した後の出直し市長選挙に立候補して初当選し、仙台市長に就任。3期(第29期 - 31期)を務めた後、引退した。 2008年(平成20年)春の叙勲で旭日中綬章受章。2009年(平成21年)春に肺癌の手術を受ける。2010年(平成22年)3月上旬に再入院、同年4月4日午後1時30分、仙台市青葉区の仙台厚生病院で肺炎のため死去、79歳。
長岡 新吉(ながおか しんきち、1930年〈昭和5年〉4月1… 長岡 新吉(ながおか しんきち、1930年〈昭和5年〉4月19日 - 2015年〈平成27年〉11月1日)は、日本の経済史学者、北海道大学名誉教授。 岩手県盛岡市出身。1953年東京大学経済学部卒、58年同大学院博士課程満期退学、1973年「明治恐慌史序説」で経済学博士。1958年弘前大学文理学部講師、62年助教授、1963年北海道大学経済学部助教授、70年教授、86 - 87年経済学部長、1996年定年退官、名誉教授、北海学園大学経済学部教授。2001年退職。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 栗本慎一郎著『間違いだらけの大学選び』の北海学園大学の頁で、退官した北海道大学における看板教授として評価されていた。
後藤 晨(ごとう あきら、1930年〈昭和5年〉3月3日 -… 後藤 晨(ごとう あきら、1930年〈昭和5年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉6月15日)は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(3期)。 岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)出身。1946年(昭和21年)、岩手県立花巻中学校(現・岩手県立花巻北高等学校)卒。岩手県庁に入り、児童婦人、地方の各課長補佐、金ケ崎町助役、県成人福祉、人事の各課長、東京事務所長、県議会事務局長、土地開発公社副理事長、住宅供給公社理事長を歴任した。 1992年(平成4年)の水沢市長選挙に立候補し、無投票で当選した。同年1月に市長に就任した。1996年(平成8年)の市長選挙も無投票で当選。 2000年(平成12年)の市長選挙では新人との選挙戦になったが、これを破って3選を果たした。
浅沼 圭司(淺沼 圭司、あさぬま けいじ、1930年- )は… 浅沼 圭司(淺沼 圭司、あさぬま けいじ、1930年- )は、日本の美学者、成城大学名誉教授。専攻は映画理論、美学。 岩手県盛岡市生まれ。東京大学大学院修士課程修了。成城大学講師、助教授、教授、2001年定年、名誉教授、倉敷芸術科学大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
兼平 慶一郎(かねひら けいいちろう、1930年 - 198… 兼平 慶一郎(かねひら けいいちろう、1930年 - 1985年10月6日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。岩手県盛岡市生まれ。 盛岡中学校から陸軍幼年学校へ入るが、終戦。盛岡中学校へ戻って、1948年、第二高等学校(仙台)へ進むが、1949年、学制改革となり、東京大学理学部地質学科へ進学。1953年、東京大学理学部地学科(地質学課程)卒業。鉱床学の渡辺武男教授の指導を受けて大学院へ進学し、1958年、博士課程を修了(理学博士)、理学部地質学教室助手となる。1962年、千葉大学文理学部地学科へ移り、1978年、教授となる。1985年、病に倒れ、死去。 研究のテーマは、卒業論文以来一貫して、日本の別子型と呼ばれる塊状硫化物鉱床の成因であった。
新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 19… 新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 1999年5月13日)は、日本のジャーナリスト、ジャーナリズム研究者。 岩手県盛岡市出身。東京大学文学部独文科卒業。在学中に同大学新聞研究所の第1期研究生となった。1951年共同通信入社。社会部、文化部を経て文化部次長、科学部長、編集委員、調査部長を歴任し、1978年退社して創価大学文学部教授、1993年東京女子大学現代文化学部教授。日本ジャーナリスト会議設立時には共同支部幹事を務め、1973年から1979年まで同会議副議長を務めた。 評論家の樋口恵子とは事実婚の関係にあった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
菅野 恒雄(かんの つねお、1929年頃 - 2011年3月… 菅野 恒雄(かんの つねお、1929年頃 - 2011年3月11日)は、日本の数学者。専門は代数学。東京工業大学名誉教授。 岩手県生まれ。1945年に盛岡中学を卒業、1953年に東北大学理学部数学科を卒業。同大学院を経て東京工業大学で長年にわたり教鞭を執った。代数学(特に群論・体論など)の教育・研究に貢献した。 主な著書に『代数学 I・II』(森北出版、数学全書)があり、長期間にわたり大学教育で広く用いられた。 退官後は故郷である岩手県陸前高田市に戻って生活していた。 2011年3月11日の東日本大震災の際、陸前高田市の自宅で津波に巻き込まれ死去した(82歳没)。自宅は津波で流失した。 妻の菅野樅子は外出先で難を逃れた。
沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 19… 沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 1928年12月14日 - 2004年8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)出身。沢藤幸治・ウメの長男。父親は同町の町長であった。黒沢尻中学校を経て海軍兵学校(77期)に進んだ。在学中に広島市への原子爆弾投下による犠牲者を見て反戦の意識が強まったという。戦後、盛岡農林専門学校(現・岩手大学農学部)に入り、1948年に卒業。1951年に母校の黒沢尻高校で定時制教諭になり、その後花巻農業高校の教諭などを務めた。また、沢令二のペンネームで執筆活動を行なっている。1961年に岩手県高教組の書記長、1968年同委員長に就任。
太田 愛人(おおた あいと、1928年8月20日 - )は、… 太田 愛人(おおた あいと、1928年8月20日 - )は、日本の牧師。 岩手県盛岡市生まれ。盛岡中学を経て、東京神学大学大学院修士課程修了。日本キリスト教団大町教会牧師、柏原信濃村伝道所牧師を経て、横浜上星川教会牧師。月刊通信誌「辺境通信」発行人。1980年『羊飼の食卓』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
波岡 維作(なみおか いさく、英: Isaac Namiok… 波岡 維作(なみおか いさく、英: Isaac Namioka、1928年4月25日 - 2019年9月25日)は、位相空間論と函数解析学の研究に携わった日系アメリカ人数学者である。ワシントン大学名誉教授。 岩手県の遠野に生まれた。のちに両親に連れられて、兵庫県の姫路に転居した。父の三郎はバプテスト教会伝道師で日ノ本女学校(現・日ノ本学園高等学校)の校長だった。大学院はカリフォルニア大学バークレー校で、ジョン・ルロイ・ケリー(英語版)の指導の下、1956年に博士号を修得している。大学院生のとき、のちに著名な小説家となる、中国系アメリカ人のレンシー・ナミオカと結婚している。 波岡は1963年ワシントン大学に移るまで、コーネル大学で教鞭を執った。
片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、… 片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、日本の電気技術者、電気通信学者、システム工学者、文筆家、翻訳家。成安造形大学名誉教授。 情報文化学会会長、名誉会長。高崎商科大学客員教授、金城学院大学特任教授、日本DEVNET協会会長。 専門の電気通信以外にも、ビジネス書、子供向け、伝記、英語、酒、話し方、仏教などについて多くの一般向け著作をなしている。 書道の雅号は片方 大幹。 岩手県北上市生まれ。 カーネギーメロン大学卒業後、同大学院電子工学専攻修士課程修了、コロンビア大学大学院通信システム工学専攻修士課程修了。1966年「狭帯域符号化変調方式に関する研究」で北海道大学工学博士。日本電信電話公社勤務、1960年同計画局のち、工学院大学講師、1969年助教授。
工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 20… 工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 2012年4月17日)は、岩手県盛岡市出身のスピードスケート選手。早稲田大学卒業。 予科練から戻ってからスケートを始めた。1948年の国民体育大会では1500mで2位となった。岩手県立盛岡農業高等学校(当時 岩手県立柏高等学校)教諭を務めていた1952年に、オスロオリンピックに出場。男子500mで15位、1,500mで33位という記録を残した。 現役引退後は、日本スケート連盟スピードスケート委員長を務めたり、1998年から2007年まで岩手県スケート連盟会長を務めた。 盛岡市が1998年冬季オリンピックの開催地に立候補した際、誘致活動に携わっている。
横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14… 横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14日 - 2017年(平成29年)6月17日)は、日本共産党岩手県議会議員(6期) 。盛岡市議会議員(1期) 。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県岩手郡米内村(現在の盛岡市)に無産運動家の横田忠夫とチエ(のち岩手県議)の子に生まれる。一家はその後、盛岡市に移る。盛岡市立仁王小学校を経て、旧制盛岡中学(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)に入る。在学中に父忠夫が死去する。盛岡中学を3年で中退。仙台市にある私立南光学園東北中学校(現在の東北高等学校)に編入し、同校を卒業する。卒業後は仙台工業専門学校(現在の東北大学工学部)に入る。在学中は日本社会党に入り、同校生徒自治会総合委員長、社会党宮城県連常任書記となる。
中里 信男(なかさと のぶお、1927年7月10日 - 20… 中里 信男(なかさと のぶお、1927年7月10日 - 2013年7月15日)は、青森県の政治家。青森県議会議員、元八戸市長で淀地区顧問。 盛岡工業学校機械科を卒業後、日本砂鉄に就職。1954年に東北建機工業所(後に東北建機工業)を設立した。1967年に八戸市議会議員に初当選し、青森県議会議員を経て1985年(昭和60年)11月の市長選で現職秋山皐二郎に敗れるも、1989年(平成元年)11月に初当選を果たす。3期務め、長期政権を築いた市長と短命に終わった市長とで繰り返す交代の例外となった。市長在任中は八戸市医師会に距離を置かれつつあった日本共産党候補のみ対抗馬として立候補していたため、八戸戦争は休戦に至った。
野田 武義(のだ たけよし、1927年(昭和2年)6月27日… 野田 武義(のだ たけよし、1927年(昭和2年)6月27日 - 2005年(平成17年)5月8日)は、日本の政治家。釜石市長(3期) 。位階は従四位。 岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)出身。1945年、岩手県立釜石商業学校(のち岩手県立釜石商業高等学校、現・岩手県立釜石商工高等学校)卒。釜石市議会議員を4期務め、1971年、岩手県議会議員に当選し、4期務める。1987年、釜石市長に当選し、市長を3期務める。1999年に市長を退任した。2005年に死去。死没日付をもって従四位に叙された。
宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 19… 宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 1992年7月6日)は、岩手県宮古市出身で高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した大相撲力士。本名は野澤 浩(のざわ ひろし)。最高位は西小結(1955年1月場所)。得意手は左四つ、寄り。現役時代の体格は171cm、119kg。 実家は、酒や米を売る商店を営んでいた。 1942年(昭和17年)5月、元横綱・宮城山福松が率いる芝田山部屋に入門した(同年1月場所初土俵説もある)が、程なく親方が逝去。それにより宮城山の師匠・早瀬川(元関脇)の高田川部屋に預けられ、その後、彼の死去に伴って高砂部屋に移った。 序ノ口に付いた時の四股名は、出身地・岩手県の名峰(早池峰山)に因んだ「早地峯」。
浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月2… 浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月25日 - 2019年(平成31年)3月16日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。一関市長。 岩手県一関市出身。1950年(昭和25年)中央大学専門部中退。郷里に帰り、石油製品販売業を営む。1995年(平成7年)岩手県議会議員に当選、1期務めた。1999年(平成11年)の一関市長選に立候補して初当選した。2003年(平成15年)でも再選。2005年(平成17年)に一関市は近隣の6町村と合併し、新一関市が発足。合併直後の一関市長選挙では無投票で当選した。2009年(平成21年)に引退した。2010年(平成22年)に建設事業関係功労者として国土交通大臣表彰を受賞。
滝浦 静雄(たきうら しずお、1927年1月19日 - 20… 滝浦 静雄(たきうら しずお、1927年1月19日 - 2011年6月14日)は、日本の哲学者。東北大学名誉教授。 フランス及びイギリスの哲学を研究、メルロ=ポンティの翻訳を多く行った。 岩手県紫波郡紫波町出身。1951年、東北大学文学部哲学科卒業。1962年岩手大学助教授、1971年東北大学教授を経て、1985年東北大学文学部部長に就任。1989年定年退官、名誉教授。 その後岩手県立大学盛岡短期大学部学長、日本哲学会委員、日本現象学会委員などを務め、2005年秋に瑞宝中綬章受勲した。 2011年6月14日、胃癌のため宮城県仙台市内の病院で死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
村上 昭夫(むらかみ あきお、1927年1月5日 - 196… 村上 昭夫(むらかみ あきお、1927年1月5日 - 1968年10月11日)は、日本の詩人。 岩手県東磐井郡大東町(現:一関市)出身。生地は現在の陸前高田市。両親は叔父と姪の関係であった。岩手中学校(現:岩手高等学校)を卒業。第二次世界大戦中、日本鋳造鶴見工場に学徒動員。工場の寮に募集斡旋があったことから満州国哈爾濱省官吏となるが、8月に終戦。ソ連のシベリアで二年間の過酷な抑留生活を送る。 1946年に帰国後、1947年に盛岡郵便局に勤務、労働組合機関誌を編集して小説や詩を発表する。しかし1950年に結核が発病し、退職を余儀なくされる。この結核との闘病生活は41歳で亡くなる最期まで続く。村上の創作活動は闘病生活の中、サナトリウムでの俳句から始まり、やがて同じサナトリウムに入院してきた詩人の高橋昭八郎の影響から詩に転じた。
菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 … 菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 - 2019年6月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。位階は従四位。 同志社大学神学部卒業。岩手県東磐井郡東山町(現在の一関市)長を経て、1979年の総選挙に当時の岩手2区から出馬するも落選。翌1980年の総選挙でも落選し、民社党に入党して1983年の総選挙で初当選した。しかし民社党が社会党や公明党・社民連との野党連合路線に向かうことに反発し、1992年3月に民社党を離党。自民党入党を目指して加藤六月グループに入るものの、翌1993年の総選挙では自民党の公認を得られぬまま無所属で戦うことを強いられる。定数4の岩手2区は定数を3に削減された上に民社党も独自候補を擁立、自民党を離党して新生党を結成した小沢一郎の大量得票も影響し落選に終わった。
高橋 貞子(たかはし さだこ、1926年〈大正15年〉8月2… 高橋 貞子(たかはし さだこ、1926年〈大正15年〉8月27日 - 2017年〈平成29年〉5月または6月)は、日本の作家、民話収集家。岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉乙茂出身。岩手県立盛岡高等女学校(現・岩手県立盛岡第二高等学校)卒業。岩手県庁地方課勤務。日本口承文藝学会・日本民話の会・岩泉民間伝承研究会 会員。 1926年8月27日、岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉乙茂に生まれる。1944年3月、岩手県立盛岡高等女学校卒業。同年4月より岩手県庁地方課勤務。 幼少時に両親や祖父母から多くの昔話を聞いて育つ。母親として子宝に恵まれたことを機に、幼少時に聞いた昔話や、周囲の人々からの昔話の採集を始める。 岩手県庁勤務時代、郷土史家・平野直の薦めで昔話集『火っこをたんもうれ』(1977年)を出版。
村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21… 村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21日 - 2002年(平成14年)9月30日)は、日本の政治家。岩手県稗貫郡大迫町(現花巻市)長(9期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県稗貫郡大迫町に生まれる。旧制盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1950年早稲田大学政治経済学部卒。1951年旧大迫町議会議員に当選し、合併までの2期務める。1955年の合併後も町議会議員を2期務める。1960年大迫町長に当選。1988年まで8期連続で務める。町長時代は特産品のブドウ栽培やワイン造りに力を入れ、エーデルワインを設立し、社長に就任した。また、町長在任中には早池峰神楽の国の重要無形文化財指定や早池峰山の国定公園の指定、早池峰山に自生する高山植物ハヤチネウスユキソウが縁でオーストリアのベルンドルフ市との姉妹都市の締結、山岳博物館の開館などがあり、福祉向上と町の発展に努めた。
伊藤艶子(1926年 - 2016年1月)、芸名藤間千政は、… 伊藤艶子(1926年 - 2016年1月)、芸名藤間千政は、日本の古典舞踊家、教師。 伊藤艶子は1926年、日本の釜石市に生まれた。彼女は名門の家柄の出身で、曽祖父は県議会議員であり、岩手県上代郡キジツチ町の2代目町長を務めた。父親は裁判所書記官だった。幼い頃、彼女はよく父親に連れられて釜石の高級レストラン「コロ」へ出かけた。伊藤つや子の祖母は歌舞伎鑑賞が好きだったため、彼女は3歳から日本の古典舞踊を習い始めた。伊藤家は彼女の教育を非常に重視しており、14歳で県立釜石女子高等学校に1年生として入学した。伊藤艶子が12歳の時、父親が重病になり、14歳で学校を中退し、家族を支えるために釜石の高級レストラン「コロ」で芸妓になった。
27代 木村 庄之助(にじゅうななだい きむら しょうのすけ… 27代 木村 庄之助(にじゅうななだい きむら しょうのすけ、1925年(大正14年)12月3日 - 2023年(令和5年)6月22日)は、大相撲の立行司の一人である。木村庄之助としての在位期間は1977年11月〜1990年11月。立浪部屋所属。本名:熊谷 宗吉(くまがい そうきち)、岩手県盛岡市出身。 1935年の夏に「ひげの伊之助」こと19代式守伊之助(当時は8代木村庄三郎)にスカウトされ、そのまま弟子入り。弟弟子に10代式守与太夫(元三役格)、31代木村庄之助がいた。1936年1月場所、「木村宗吉」の名で初土俵。幕下格時代1947年11月に4代木村玉治郎を襲名。1950年9月に十両格。1956年5月に幕内格。
斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 20… 斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 2017年10月20日)は、日本の宇宙物理学者、宮沢賢治研究家。新潟大学名誉教授。岩手県北上市出身。 岩手県立黒沢尻中学校を経て、東北大学理学部卒業、同大学院で1962年、理学博士の学位を取得。博士論文は「夜光発光機構の研究」。オーロラの研究者として南極観測隊(第5次夏隊、1960年 - 1961年)に加わったのち、新潟大学理学部教授を務める[要出典]。 詩人でもあり、詩誌『歴程』同人。宮沢賢治の研究家としても知られ、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの設立発起人(1990年)や宮沢賢治イーハトーブ館の初代館長(1992年-1994年)も務めた。
太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6… 太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6月30日 - 2001年 <平成13年> 12月17日)は日本の政治家。盛岡市長(4期) 。位階は従五位。 岩手県盛岡市出身。1948年京都大学農学部卒。同年盛岡市役所に入り、経済課に配属され、産業部農林課長代理、農林課長、庶務部職員課長、財政部財政課長、産業、財政の各部長や市助役を歴任する。1979年、盛岡市長選挙に立候補して初当選した。市長は1995年まで4期務めた。市長在職中は全国市長会理事、副会長、相談役を歴任、東北市長会副会長、岩手県市長会会長も務めた。 市長在職中の主な出来事として東北自動車道盛岡IC開通(1979年)、東北新幹線盛岡開業(1982年)、盛岡市動物公園開園(1989年)、都南村との合併(1992年)が挙げられる。
中居 清(なかい きよし、1925年4月6日 - 2017年… 中居 清(なかい きよし、1925年4月6日 - 2017年1月8日)は日本の杜氏、画家、陶芸家[要出典]。岩手県出身の南部杜氏である。 1925年(大正14年)4月6日、岩手県更木村(現在の北上市更木)の農家に生まれた。 1942年(昭和17年)11月5日、17歳のときから宮城県米谷町(現在の登米市)の酒蔵、佐藤酒造店で働き始めた。1943年(昭和18年)3月20日から徴用されて横浜の高射砲を製作する工場で働き、1944年(昭和19年)4月に徴兵検査を受けて甲種合格。終戦後は岩手に戻った後、宮城県石巻市の平孝酒造で平野佐五郎のもと働いた。1948年(昭和23年)から岩手県の喜久盛酒造で働いた後、1954年(昭和29年)11月から宮城県塩竈市の浦霞に移っていた平野佐五郎に再び入門した。
田江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15… 田江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15日- )は日本の歌人。岩手県宮古市出身で盛岡市に在住。2025年(令和7年)12月1日、永眠。享年100. 1925年岩手県川井村(現在の宮古市西部)に生まれる。結婚後は盛岡に住む。1961年、新墾社に入社。1973年、未来短歌会に入会。1974年、『北宴』文学会の復刊に参加。1982年、『岬』創刊に参加。1984年、季刊個人誌『淼』を発刊し、1988年に終刊。翌1989年、季刊個人誌『漨』を発刊、1994年に終刊。1982年、第28回角川短歌賞に応募し、474人中の34人の候補に残る。 第一歌集『美しと思う花いくつ覚えしか』の刊行は著者50歳の時。
田畑 ヨシ(たばた ヨシ、1925年〈大正14年〉1月6日 … 田畑 ヨシ(たばた ヨシ、1925年〈大正14年〉1月6日 - 2018年〈平成30年〉2月28日)は、日本の岩手県宮古市田老地区出身の津波防災教育活動家。 昭和三陸津波体験をもとに紙芝居『つなみ』を自作し、地区内外の児童に講演で津波の恐怖を語り続け、地域の防災教育に貢献してきた。東日本大震災を機に、30年以上にわたる彼女の地道な啓発活動が脚光を浴び、「津波の語り部」として全国的に知られることになった。社団法人・全国海岸協会による「海岸功労者」の2006年度表彰者の1人。 岩手県下閉伊郡田老村(現・宮古市田老地区)に生まれる。幼少時からかつて明治三陸地震の大津波を体験した祖父より、津波の恐ろしさを毎晩のように言い聞かされながら育った。
小原 繁男(おばら しげお、1925年頃 - 2010年5月… 小原 繁男(おばら しげお、1925年頃 - 2010年5月4日)は、岩手県花巻市矢沢在住の農家、農業研究者。2009年5月10日、56枚葉のクローバーを発見し、ギネス世界記録に認定された。 1925年頃、代々続く農家の長男として生まれる。花巻農学校卒業。「農家の子は大学に行かせてもらえなかった」(本人による)が、それでも研究がしたくて親を説得の上北海道農業試験場で働く。ここでは稲の品種改良に携わる。 1947年より岩手県職員。岩手県種畜場(現・岩手県農業研究センター)で飼料作物を研究。そんな折、多葉(4枚から8枚)が6割以上の確率で出現するクローバーの株を発見。踏まれると四つ葉になるという話は聞いているが、遺伝によるのではと疑問を持ち、その株を持ち帰りクローバーの多葉性に関する研究に没頭するようになる。
金野 靜一(きんの せいいち、1924年9月15日 - 20… 金野 靜一(きんの せいいち、1924年9月15日 - 2021年5月18日)は、日本の歴史学者、教育者。元岩手県立博物館長。 岩手県大船渡市出身。立正大学地理歴史科卒業。岩手県立高校教諭、岩手県立盛岡第二高等学校校長、岩手県立博物館長。盛岡大学短大部教授、岩手県文化財保護審議会長、岩手県教育弘済会理事長を歴任。 2021年5月18日、急性心筋梗塞のため死去。
菊池 正(きくち しょう、1924年〈大正13年〉8月26日… 菊池 正(きくち しょう、1924年〈大正13年〉8月26日 - 2004年〈平成16年〉4月17日)は、日本の政治家。岩手県遠野市長(2期)。岩手県議会議員(4期)。遠野市議会議員(4期)。 現在の岩手県遠野市出身。旧制岩手県立遠野中学校(現在の岩手県立遠野高等学校)卒業。1963年(昭和38年)遠野市議会議員に無所属で立候補して当選。同年4月30日に就任した。4期務める。また、1975年(昭和50年)5月19日から1979年(昭和54年)3月27日まで市議会副議長を務めた。同日、岩手県議会選挙立候補のために辞職した。同年、県議選に遠野選挙区から自民党公認で立候補して、無投票で当選を果たした。
大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8… 大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名は菅野 民子(かんの たみこ)。日常の風景をあらわした短歌で知られる。 1924年(大正13年)5月8日、岩手県盛岡市八幡町に、父・菅野佐介、母・カネの三姉妹の次女として生まれる。 盛岡市立城南尋常小学校、岩手県立盛岡高等女学校(現岩手県立盛岡第二高等学校)を経て、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)へ進む。石川啄木に憧れ、在学中に前川佐美雄の短歌指導を受ける。卒業後、岩手県立釜石高等女学校(現岩手県立釜石高等学校)の教諭となり、終戦を迎えた。1947年(昭和22年)結婚、男児を早死産し半年あまり病床にあった。
山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月1… 山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉12月13日)は、いわゆる「津波てんでんこ」を広めた日本の津波災害史研究家。元日本共産党中央委員会文化部長。『津波ものがたり』で「日本自然災害学会賞」功績賞、「平成15年度防災功労者表彰」などを受賞。 1924年1月16日生まれ。岩手県気仙郡綾里村(現大船渡市三陸町綾里)出身。1896年の明治三陸津波では、山下の祖母ら親族3人を含む一族9人が溺死した。1933年の9歳の時にも昭和三陸津波に遭い、高台に登って難を逃れた。この時期の昭和東北大凶作も体験している。 1967年の善隣学生会館事件について、「井上清の中傷に答える 厳然たる事実にもとづいて」を著し、歴史学者井上清による日本共産党と日中友好協会への批判に反論した。
後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 -… 後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 - 2011年2月10日)は岩手県出身の弁護士(東京弁護士会所属)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)生まれ。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業、旧制第一高等学校文科および理科卒業、東京大学法学部を経て、1954年に弁護士となる。 かかわった主な事件として松川事件、八海事件、青梅事件、土田・日石・ピース缶爆弾事件、警視総監公舎爆破未遂事件、日大闘争警官傷害致死事件などがある。1992年に東京弁護士会人権賞受賞した。神戸連続児童殺傷事件では冤罪を主張しており、A少年を偽計による「自白調書」で逮捕・勾留した警察官・検察官を告発している。
田丸謙二(たまる けんじ、1923年11月2日 - )は、日… 田丸謙二(たまる けんじ、1923年11月2日 - )は、日本の化学者、理学博士。専門は触媒化学および表面化学。父はフリッツ・ハーバーに師事し、東京工業大学や学術振興会の設立にも携わった田丸節郎。教え子に環境工学を専門とし文化功労者に選ばれた中西準子がいる。
菊地 規(きくち のりみ、1923年〈大正12年〉2月17日… 菊地 規(きくち のりみ、1923年〈大正12年〉2月17日 - 1989年〈平成元年〉1月26日)は、日本の教育者。作詞家。『北上夜曲』作詞者。 岩手県江刺郡田原村(現在の奥州市)出身。岩手県立水沢農学校(現岩手県立水沢農業高等学校)を経て、岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒。羽田、藤里各国民学校、藤里、厨川各中学校に勤務。1961年(昭和36年)日本音楽著作権協会正会員、1963年(昭和38年)日本作詞家協会会員、1967年(昭和42年)岩手県教育委員会社会教育主事、のち、葛巻小、雫石中の各校長を務め、1983年(昭和58年)に緑ヶ丘小校長で定年を迎えた。定年後は岩手県社会教育指導員協議会会長、県民運動協議会参事などを歴任した。
佐藤 圀夫(さとう くにお、1922年 <大正11年> 8月… 佐藤 圀夫(さとう くにお、1922年 <大正11年> 8月16日 - 2006年 <平成18年> 1月24日)は、日本画家、日本芸術院会員。岩手県出身。日展理事。名古屋芸術大学教授。主に風景を題材とし、重厚な色感ながら情感あふれる作品を描いた。位階は正五位。 岩手県九戸郡野田村出身。1946年東京美術学校日本画科首席卒業、同年第31回院展初入選。1948年に髙山辰雄らの日本画研究団体一采社に参加。1949年日展初入選。1951年から山口蓬春に師事。1954年、第10回日展で「冬」が特選・白寿賞を受賞。1959年第2回新日展「津軽の浜」が特選・白寿賞となり、1962年第5回新日展「夕凪」で菊華賞を受賞。
白坂 長栄(しらさか ちょうえい、1922年7月23日 - … 白坂 長栄(しらさか ちょうえい、1922年7月23日 - 2015年7月8日)は、岩手県二戸郡一戸町野田坂出身のプロ野球選手(内野手)・二軍監督・スコアラー。 一戸町で広大なリンゴ園を営む農家の三男として生まれる。兄が通っていた福岡中学に進み、野球部に入部。在学中は甲子園出場はならなかった。卒業後、仙台鉄道局へ就職するが、1年勤務したのち、先輩の誘いで華中鉄道に移籍。その後応召され、近衛歩兵第1連隊に配属となり、北支戦線で5年ほど軍隊生活を送った。復員後はかつて在籍していた仙台鉄道局盛岡に復帰し、投手として活躍。のち沢藤光郎(後に近鉄パールスに入団)が入団すると、遊撃手に転向した。 1948年のシーズン中に大阪タイガースに入団。