川村 禎三(かわむら ていぞう、1922年7月14日 - 2… 川村 禎三(かわむら ていぞう、1922年7月14日 - 2003年1月16日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 岩手県矢巾町に生まれ、旧制盛岡中学校(のちの県立盛岡第一高校)へ進学。中学時代には、東北の団体戦柔道大会で圧倒的な体格と強さを発揮し、旧制盛岡中学を優勝に導いた。また中学5年次の1940年6月には、岩手県予選を勝ち抜き府県選士として紀元二千六百年奉祝天覧武道大会にも出場、予選リーグ戦を勝ち抜くには及ばなかったものの、20代・30代の精鋭が集う中にあって弱冠17歳(最年少)での川村の出場は快挙であった。 1941年に東京高等師範学校体育科二部(柔道専攻)に入学し、また同年5月に講道館へ入門して僅か2カ月後には4段位を許された。
工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18… 工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18日 - 1998年(平成10年)8月25日)は、日本の政治家。岩手県知事(1期)、衆議院議員(5期)、盛岡市長(3期)。 文教政策に精通。衆議院議員時代には文教委員長を務めたほか、知事在任中には岩手県立大学の総合大学としての設立を決めた。 盛岡中学校、第一高等学校、東京大学法学部卒業後、岩手県立盛岡高等学校に教師として赴任。その後岩手県庁に入庁。企画部長などを経て、1969年盛岡市長に立候補して当選。 3期目途中の1979年、政界を引退した野原正勝の後継者として旧岩手1区から衆議院議員選挙に立候補し初当選。以後5回連続当選。自由民主党の河本派に所属し、国土政務次官、文部政務次官、衆議院文教委員長、党人事局長、政務調査会副会長などを歴任。
高橋 富雄(たかはし とみお、1921年7月28日 - 20… 高橋 富雄(たかはし とみお、1921年7月28日 - 2013年10月5日)は、日本の日本史学者。東北大学名誉教授。福島県立博物館名誉館長。 東北古代史研究の第一人者である。永年歴史上の謎とされて来た前九年の役の古文書に記述されている阿久利川事件発生地の比定に携わり、地道な郷土史研究と発掘作業により宮城県栗原市志波姫の迫川流域(阿久戸)の地域同定に至った。[要出典] 岩手県北上市生まれ[要出典]。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業[要出典]、1943年、東北帝国大学法文学部国史学科卒業。同大学大学院特別研究生を経て、旧制第二高等学校講師。1949年、東北大学教養部講師、その後同大助教授、教授となる。
須知 徳平(すち とくへい、本名:須知 茂(すち しげる)、… 須知 徳平(すち とくへい、本名:須知 茂(すち しげる)、1921年7月28日 - 2009年3月17日)は、日本の小説家、児童文学作家。 岩手県盛岡市出身。國學院大學専門部卒業。軍隊から復員後、岩手県や北海道で中学、高校の教師をしたのち上京する。 1962年、『ミルナの座敷』で講談社児童文学作品受賞(当時は佐川茂名義)、同作品はNHKのNHK少年ドラマシリーズ(1972年4月1日 - 4月29日放送)にもなった。 ほかには小林旭の監督で映画化された『春来る鬼』で、1963年毎日新聞社主催の第一回吉川英治賞を受賞(現在の吉川英治文学賞とは別)。1988年から盛岡大学の教授および非常勤講師を務めた。
鷹觜 テル(たかのはし テル、1921年3月7日 - 200… 鷹觜 テル(たかのはし テル、1921年3月7日 - 2000年3月24日)は、日本の栄養学者。岩手大学で初の女性助教授となった研究者で栄養学研究に生涯を捧げ、後年は「長寿村」研究をし「健康長寿の秘訣は雑穀を中心とする日本型食事」の実践的解明。医学博士。岩手大学名誉教授。 岩手県江刺郡田原村(のち江刺郡江刺町→江刺市、現在の岩手県奥州市江刺)に生まれ、岩谷堂高等女学校(現在の岩手県立岩谷堂高等学校)を経て、岩手女子師範学校卒業。卒業後は愛宕小、仁王小、盛岡高等女学校(現在の岩手県立盛岡第二高等学校)各教諭を経て、岩手大学の前身のひとつである岩手師範学校女子部の教員となり、新制大学移行後に岩手大学で初の女性助教授となった。
三鬼 彰(みき あきら、1921年2月16日 - 2000年… 三鬼 彰(みき あきら、1921年2月16日 - 2000年6月22日)は、日本の実業家。八幡製鐵の初代社長を務めた三鬼隆の長男で、後身会社である新日本製鐵の会長や、日本経済団体連合会副会長を務めた。また、タレントの出川哲朗の外従父に当たる。 岩手県釜石市出身。官立新潟高等学校、京都帝国大学法学部を経て、戦時中の1943年に日本製鐵へ入社。過度経済力集中排除法による日本製鐵解体後は富士製鐵で秘書室長、総務部長など主に管理畑を経験した。 新日本製鐵発足後は、父・隆が八幡製鐵社長だった人脈を通じて社内融和に尽力。専務、副社長就任以降はプラザ合意による円高不況対策などに努め、高炉休止など合理化を推進した。
藤井松一(ふじい しょういち、1921年〈大正10年〉1月1… 藤井松一(ふじい しょういち、1921年〈大正10年〉1月17日 - 1980年〈昭和55年〉10月6日)は、日本の日本近代史学者。 岩手県花巻市出身。東京帝国大学文学部卒。立命館大学教授を務めた。歴史科学協議会に属し、左翼的な立場から近代日本史を研究したが、59歳で死去した。
中嶋 英夫(なかじま ひでお、1920年(大正9年)10月2… 中嶋 英夫(なかじま ひでお、1920年(大正9年)10月26日 - 1988年(昭和63年)4月18日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。中島と表記される場合がある。 青森県三戸郡三戸町で、中嶋武兵の息子として生まれる。小学校4年次に母の実家の所在地・盛岡市に転居した。1940年(昭和15年)岩手県立盛岡工業学校(現岩手県立盛岡工業高等学校)土木科を卒業し、日本鋼管(現JFEスチール・JFEエンジニアリング)に入社し川崎製鉄所で勤務した。 1946年(昭和21年)1月、日本鋼管労働組合の発会式で書記長に選出され、以後、川崎市労働組合協議会議長、鉄鋼産業労働組合連合会副執行委員長、日本鋼管労働組合執行委員長などを務めた。
高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2… 高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2013年5月24日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 岩手県花巻市出身。花巻農学校(現岩手県立花巻農業高等学校)卒。近衛兵となった後、笹間農業協同組合専務理事、同組合長理事となり、1959年から岩手県議会議員を7期務め、自民党岩手県連幹事長、同副会長。1974年に議長に就任し3期務め、1984年に全国都道府県議会議長会会長に就任した。1986年の参院選に岩手県選挙区から立候補して現職の増田盛らを破って当選する。第1次海部内閣で科学技術政務次官を務めた。参議院議員は1期務め、1992年に引退した。同年、秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。
明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日 - 2019… 明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日 - 2019年7月14日)は岩手県釜石出身の女優で、ムーラン・ルージュ 新宿座の看板スターとして人気を博す。後半生は日本舞踊家として過ごし、正統五條流宗家家元・五條 珠淑(ごじょう たまとし)を名乗った。 1920年(大正9年)3月、警察署長を務める父・小野寺円之助と母・とらえの娘、小野寺とし子として岩手県釜石に生まれる。尺八を嗜む父と義太夫を嗜む母の影響で5歳から三味線と日本舞踊を習う。9歳で父を亡くした後は母が税関通りで東洋軒という店を始め生活を支えた。13歳のとき釜石市において地方巡業中だったムーラン・ルージュの俳優、有馬是馬にスカウトされたことが舞台人生へのきっかけとなる。
沢藤 光郎(さわふじ みつろう、1919年8月10日 - 1… 沢藤 光郎(さわふじ みつろう、1919年8月10日 - 1987年12月5日)は、岩手県出身のプロ野球選手(投手)。 盛岡商業学校時代の1936年、夏の甲子園にエースとして出場するも、初戦で全国制覇した岐阜商業学校に大敗した。 高校卒業後は、日本製鐵釜石へ進み、盛岡鉄道管理局へ移籍するとエースとして活躍。1948年の全国鉄道大会では優勝に貢献した。 1950年に創設したばかりの近鉄に入団した。チーム公式戦の第2戦、1950年3月13日の対南海戦に先発完投勝利を挙げ、これが球団および自身の公式戦初勝利となる。この年は50試合に登板、チーム最多の18勝をマークするも、チーム自体は首位毎日から37.5ゲーム差の最下位だった。
山口 秀和(やまぐち ひでかず、1919年〈大正8年〉4月1… 山口 秀和(やまぐち ひでかず、1919年〈大正8年〉4月1日 - 2004年〈平成16年〉4月30日)は、日本の社会慈善活動家、朝日新聞社嘱託社員。岩手県出身。 戦災孤児支援を目的として山口児童文化研究所を設立し、その活動は子どもにとどまらず、障がい者や高齢者など社会的弱者へと広がった。サンタクロースの姿で北海道から沖縄まで全国の保育園や福祉施設を巡ったことから、「山口サンタ」の名で親しまれた。 1979年「国際児童年」に、児童福祉の功績により、内閣総理大臣・大平正芳から表彰を受けた。 1919年、4月1日、岩手県岩泉町(母親の実家とされる)に生まれる。幼少期を奥州市前沢区で過ごした後、一関市に移る。
佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 200… 佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 2002年1月19日)は、日本の俳人。岩手県釜石市出身。本名は喜太郎。 塩竈町立商業補習学校(現・塩釜市立第一小学校)卒業。10代からロシア文学を耽読する一方で俳句に目覚め、1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1936年より長谷川天更の「東南風」同人。1940年、徴兵により入隊、中国・南方に転戦。なお占領地の南京でそれまで面識のなかった鈴木六林男に出会っている。 戦後は西東三鬼に師事し、「青天」「雷光」「梟の会」などに参加。1953年「風」同人。1954年、第3回現代俳句協会賞受賞。1955年、「天狼」同人。
岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25… 岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、日本の政治家。全国農業協同組合中央会(JA全中第六代)会長。岩手県議会議員(5期)。1989年(平成元年)勲二等旭日重光章受賞。旧姓沼倉。 岩手県西磐井郡萩荘村(現・一関市)に生まれる。3歳の時に父を事故で失い、以後、母は女手一つで7人の子供を育てる。1933年(昭和8年)市野々尋常高等小学校卒。1937年(昭和12年)宮城県農学校(現・宮城県農業高等学校)入学。1941年(昭和16年)同校卒業。同年官立盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)入学。1943年(昭和18年)同校卒業。同年農林省(現・農林水産省)に入り、農政局農業保険課に勤務する。
岩渕 克郎(いわぶち かつお、1919年〈大正8年〉2月 -… 岩渕 克郎(いわぶち かつお、1919年〈大正8年〉2月 - 2001年〈平成13年〉4月28日)は、岩手県東磐井郡猿沢村(現・一関市)出身の教育者。満州国にあった建国大学を卒業。在学中は学内の緑化を推進した。1946年(昭和21年)8月農業に就くかたわら「鶏鳴塾」を開く。1948年(昭和23年)8月、「鶏鳴塾」を閉じ、国家公務員(法務官)に就職。退職後、白河市で公証人を務める。晩年に福島県白河市の「(財)立教志塾」の初代塾頭に就任。 旧制中学校を2年で中退した後、師範学校を目指したが、二度受験に失敗したため水沢農学校(現・岩手県立水沢農業高等学校)に進学。1938年(昭和13年)3月に卒業後、同年5月満州国立建国大学政治学科に第一期生として入学した。
高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 20… 高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 2002年4月11日)は、日本のアナウンサー、政治家、参議院議員(1期)。位階は正五位。 呉服店の三男として生まれる。作家の宮沢賢治とは遠縁にあたる。幼い頃は病弱な子供であったという。花城尋常小学校(1931年3月)、組合立花巻中学校(1938年3月)、高千穂高等商業学校を卒業後、富士電機へ就職。 1942年10月、アナウンサー募集の新聞広告に目が止まったのがきっかけでNHKに入局。入社試験面接官・養成所校長は和田信賢(後に『話の泉』の和田の後任を引き受けた)。1944年5月27日、結婚。1948年1月19日、長女・光が誕生。1950年1月から1954年9月まで慶應義塾大学病院で療養。
柏戸秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年… 柏戸秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年12月11日)は、春日山部屋に所属していた岩手県九戸郡種市町(現洋野町)出身の元大相撲力士である。本名は佐々木秀剛。最高位は東前頭筆頭(1947年6月場所)。現役時代の体格は186cm、96kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。
小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 200… 小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 2002年11月24日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)を歴任。 岩手県和賀郡東和町(現花巻市)生まれ。岩手師範学校(現岩手大学教育学部)卒業。小学校教諭を経て、1959年に岩手県教職員組合委員長。1961年(昭和36年)に中学生の全国一斉学力テストの反対闘争を組織し、地方公務員法違反容疑で逮捕される。ほかに日本教職員組合副委員長、総評副議長、公務員共闘事務局長などを務めた。 1971年の第9回参議院議員通常選挙と1974年の第10回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から日本社会党公認で出馬したが、落選。
福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日… 福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日 - 1991年〈平成3年〉11月13日)は、岩手県出身の染絵作家、美術教師である。 1917年(大正6年)、岩手県遠野市に生まれ、翌年に家族で盛岡市に移り住んだ。1930年、旧制盛岡中学校に入学し、絵画部に入部。その当時に京都から赴任していた中井汲泉の薫陶を受けた。1939年に日本大学芸術科に進学し油絵を専攻したが、戦争のため繰上げ卒業となり、軍に入隊。満洲で終戦を迎えたのち、ソビエト連邦によりシベリアに抑留され、日本に帰国できたのは1948年であった。盛岡に戻ると実家のある法泉寺(現在の 北山)に居住し、盛岡高等学校の美術科の教員職に就いた。
中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月… 中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月27日 - 2007年(平成19年)1月2日)は、政治家。元日本社会党衆議院議員。岩手県宮古市出身。 1935年、岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。早稲田大学に入るが中退する。中退後は帰郷し、家業の(株)中居製材所を継ぎ、社長となる。戦後、日本社会党に入党し、1947年、岩手県議会議員に当選し、2期務める。その後、石川金次郎の後継として1953年の衆議院議員選挙に当時の岩手1区から右派社会党公認で出馬し初当選。2期務めた後に民主社会党に参加し、1970年から1974年、1989年から1993年まで通算2期、地元の宮古市長を務めた。
高田山 惠助(たかだやま けいすけ、1917年3月25日 -… 高田山 惠助(たかだやま けいすけ、1917年3月25日 - 1983年12月7日)は、岩手県東磐井郡千厩町(現・一関市)出身の昭和時代の元大相撲力士。白玉部屋→芝田山部屋→高田川部屋→高砂部屋所属。本名は金野 恵助。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、寄り。 同郷の横綱宮城山が引退直後に部屋を興した白玉部屋(のち芝田山部屋)に入門。1931年5月場所に初土俵を踏んだ。当初の四股名は師匠が以前名乗った「岩手川」。幕下時代の1940年1月場所に「高田山」と改名した。1941年5月場所に十両に昇進。この場所8勝7敗と勝ち越した。翌1942年1月場所には東十両8枚目まで番付を上げたが、右膝を捻挫して途中休場。
小林 美代子(こばやし みよこ、1917年3月19日 - 1… 小林 美代子(こばやし みよこ、1917年3月19日 - 1973年8月18日)は、日本の小説家。 岩手県釜石市出身。1924年に福島県伊達郡保原町(現伊達市)に移住。1929年、母の癌再発に伴って一家窮乏し、尋常小学校高等科1年で中退、単身上京して子守となる。家業の破産や家族の病死、逐電、精神錯乱などが相次ぎ、転々と職を変えた末、戦時下は速記者として生計を立てる。 戦後は三鷹市井の頭に自宅を構えるが、1955年、メニエール病で倒れ、以後入退院を繰り返す。1962年、近隣トラブルからノイローゼになり、精神病院に入院。1966年、閉鎖病棟の中で書き上げた処女作が『文芸首都』に掲載され、以後、同誌同人の中上健次、勝目梓らと切磋琢磨する日々をおくる。
吉田 タキノ(よしだ たきの、1917年3月11日 - 20… 吉田 タキノ(よしだ たきの、1917年3月11日 - 2008年1月23日)は、日本の児童文学作家。「タキノおっぱ」と慕われた。岩手県宮古市鍬ヶ崎出身。岩手県立宮古高等女学校卒。
久慈 義巳(くじ よしみ、1917年(大正6年)2月21日 … 久慈 義巳(くじ よしみ、1917年(大正6年)2月21日 - 1979年(昭和54年)2月16日)は、日本の政治家。岩手県久慈市長、岩手県議会議員(自由民主党所属)。 岩手県久慈市生まれ。1937年麻布獣医専門学校(現在の麻布大学)卒業。同4月農林省獣疫調査所(現在の動物衛生研究所)技手、1948年侍浜町農協組合長および侍浜町漁協組合長、1949年久慈市農業委員を歴任。1951年侍浜村議となり、1954年久慈市議会議員となる。1967年岩手県議会議員に当選する。 岩手県議3期を務めた後、1978年(昭和53年)に久慈市長選に自民党、社会党、公明党、民社党の推薦を得て立候補し、市制施行以来6期連続で市長を務めていた保守系無所属の現職、山内堯文を破り初当選した。
小田野 柏(おだの かしわ、1917年1月14日 - 201… 小田野 柏(おだの かしわ、1917年1月14日 - 2013年9月)は、岩手県二戸郡一戸町出身のプロ野球選手(外野手)。1938年から1942年まで投手も兼任した。 岩手県二戸郡一戸町の生まれ。小学校時代に少年野球の全国大会に出場し、その活躍が認められて福岡中学に進学。 福岡中学時代に第17回全国中等学校優勝野球大会に出場した。その後、青森営林局、仙台鉄道局を経て、1938年に阪急軍へ投手として入団。同年に応召され、1942年にプロに復帰し外野手へ転向。青森営林局時代に、東京ジャイアンツの沢村栄治と対戦した(三球三振)。肩を壊す前の全盛期の沢村と対戦した貴重な証人である。ちなみに川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏である(結果はライトフライ)。
稲庭 桂子(いなにわ けいこ、1916年(大正5年)12月1… 稲庭 桂子(いなにわ けいこ、1916年(大正5年)12月18日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の紙芝居作家で保育紙芝居の提唱者。童心社創業者。結婚後の本名は村松桂子。稲庭桂子の筆名で活動を続けた。 稲庭桂子は1916年(大正5年)12月18日に岩手県盛岡市で生まれた。1928年(昭和3年)、桂子が12歳の時に、朝日新聞の記者であった父稲庭謙治が東京本社詰になり東京府世田谷区に移る。1934年(昭和9年)、18歳で、青山女学院を卒業。劇作家を志し亀屋原徳に師事。稲庭桂子の筆名で紙芝居の脚本も手掛けた。1942年(昭和17年)、25歳で日本教育紙芝居協会に入社。当時は日中戦争から第二次大戦に至る時代で、稲庭も国策に沿う紙芝居を書くことが求められる時勢であった。
菊地 利夫(きくち としお、1916年8月10日 - 201… 菊地 利夫(きくち としお、1916年8月10日 - 2011年10月30日)は、日本の地理学者。 岩手県一関市生まれ。北海道名寄中学校卒、東京高等師範学校卒、1942年東京文理科大学理学部地理学科卒、海軍予備学生として入営、大尉で敗戦。46年市川市立国府台高等学校教諭、47年千葉師範学校助教授、1950年千葉大学教育学部助教授、57年教授、「新田開発の地理学的研究」で東北大学理学博士、1976年筑波大学教授、79年定年退官、名誉教授、流通経済大学教授。
菊池俊吉(きくち しゅんきち、1916年5月1日 - 199… 菊池俊吉(きくち しゅんきち、1916年5月1日 - 1990年11月5日)は日本昭和時代の写真家である。 1916年(大正5年)、岩手県花巻市御田屋町生まれ。1937年(昭和12年)、オリエンタル写真学校を卒業後、1938年(昭和13年)東京光芸社写真部に入社し、報道写真家として始まり。1941年(昭和16年)岡田桑三が設立した東方社写真部に入社、1942年(昭和17年)2月に創刊された陸軍参謀本部の対外宣伝グラフ誌『FRONT』の写真部員となる。戦時中、日本本土及び外地の部隊、産業記録撮影など幅広く活躍した。 1945年(昭和20年)敗戦後、解散の東方社スタッフは文化社として再建。同年9月、文部省の学術調査団のもとで原爆被災地の医療状況を記録映画撮影、スチール写真担当として医学班に属し、10月1日~10月22日被爆後の広島を撮影。
落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1… 落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1993年6月10日)は、昭和時代の労働運動家、評論家。 筆名は北 竜平。全国産業別労働組合連合(新産別)書記長、国際自由労連東京事務所所長。 岩手県岩手郡葛巻町生まれ。1936年横浜高等工業学校応用化学科卒、三井化学三池染料工業所に入社。兵役を経て、1943年東京芝浦電気(東芝)に入社。1945年12月東芝堀川町工場従業員組合の結成に参加、委員長。 1946年10月全日本電気工業労働組合(全電工)初代委員長。全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員を兼務。1947年の2・1スト以降、日本共産党のフラクション活動に反対し、産別会議の民主化運動に取り組む。
浜川 才治郎(濱川、はまかわ さいじろう、1915年〈大正4… 浜川 才治郎(濱川、はまかわ さいじろう、1915年〈大正4年〉3月29日 - 2006年〈平成18年〉8月30日)は、日本の政治家。釜石市長(3期) 。勲四等旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1931年、私立釜石夜間中学校(現・岩手県立釜石高等学校)卒。卒業後は漁業に従事する。1947年から釜石市議会議員を3期務め、1971年、岩手県議会議員に当選し、1期務める。1975年、釜石市長に当選し、市長を3期務める。1987年に落選した。ほかに全国鮭鱒流網漁業組合連合会常務理事、釜石商工会議所会頭などを務めた。2003年に勲四等旭日小綬章を受章。2006年に死去した。
内村 皓一(うちむら こういち、大正3年(1914年)7月1… 内村 皓一(うちむら こういち、大正3年(1914年)7月15日 - 平成5年(1993年)12月29日)は20世紀に活躍した写真芸術家。 陰翳を重視する姿勢から作品はモノクロのみであり、カラーのものは一点もない。満州時代の作品は戦争という過酷な状況に生きる名もない人間の姿を写しながら荘厳な印象をあたえるものが多い。帰国後のものは神社仏閣・人物表現を通して日本の風習・礼節の描写に力を入れ、「東洋の幽玄美」と評された。
熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 … 熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者、東京大学名誉教授。 岩手県盛岡市出身。1932年に盛岡中学を卒業。1940年に東京帝国大学工学部卒業、1943年東京帝国大学大学院満期退学。戦後東京大学教授となり、定年後名誉教授となる。その後は岩手大学で教授を務め、退職後はノーリツ基礎研究所所長もつとめた。 内燃機関研究を主に行い、国際燃焼学会で活躍した。 一般向け著作として、「火」(1979年)、「エンジンの話」(1981年)(いずれも岩波新書)がある。
神谷 尚男(かみや ひさお、1914年4月17日 - 201… 神谷 尚男(かみや ひさお、1914年4月17日 - 2015年2月6日)は、日本の検察官。元検事総長、弁護士。岩手県出身。位階は正三位。 盛岡中学、旧制静岡高等学校、1937年東京帝国大学法学部卒業。法務省人事課長、東京地方検察庁検事正、法務事務次官を歴任。 ロッキード事件では東京高検検事長として、検察首脳会議では布施健検事総長と共に事件の積極的な解明を主張した。1977年、布施の後任として検事総長に就任後は、ダッカ日航機ハイジャック事件、ダグラス・グラマン事件などに関わる。1979年に退官し、帝京大学教授、弁護士となった。 2015年2月6日、老衰のため死去。100歳没。没後に正三位を追叙された。
及川 舜一 (おいかわ しゅんいち、1914年 <大正3年>… 及川 舜一 (おいかわ しゅんいち、1914年 <大正3年> 2月14日 - 1999年 <平成11年> 3月11日) は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(3期)。位階は正六位。 岩手県東磐井郡大東町(現・一関市)生まれ。1931年岩手県立工業学校(現・岩手県立盛岡工業高等学校)卒。卒業後は岩手県庁に入る。一関、大船渡、水沢各土木事務所長、一関市建設部長、同助役を経て、1983年一関市長に当選する。 当選後は岩手県市長会監事、一関地方衛生組合管理者、三陸地方地域産業開発促進協議会会長、一関地区土地開発公社理事長、北上川上流改修期成同盟会会長などを歴任した。北上川の改修や一関遊水地事業を進めた。
高橋 延清(たかはし のぶきよ、1914年2月6日 - 20… 高橋 延清(たかはし のぶきよ、1914年2月6日 - 2002年1月30日)は、日本の森林学者。東京大学名誉教授。東京大学の北海道演習林(富良野市)で林長を務め、「森こそ教室」として東京での授業や教授会よりも現場観察を重視し、いつも泥まみれで歩く姿と、自らを「のろまでも、こうだと決めたらこつこつとやる」と亀にたとえていたことから「どろ亀さん」(ドロ亀さん)、「どろ亀先生」」の愛称で、多くの人に親しまれた。 氷雪や雪崩の研究家でエッセイストの高橋喜平は兄、元沢内村長の太田祖電と直木賞作家の高橋克彦は甥である。 1914年(大正3年)、岩手県和賀郡沢内村(現:西和賀町)に生まれる。出生届を出すのに数年かかったので、正確な生年月日は不明という(戸籍上は1914年2月6日生まれ)。
岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月… 岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月15日 - 1987年〈昭和62年〉1月25日)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党衆議院議員(1期)・参議院議員(4期)。科学技術庁長官。 元衆議院議長林譲治の女婿。元衆議院議員岸田正記の妻・和子は従姉妹に当たる。 岩手県紫波郡赤石村(現・紫波町)に生まれた。岩動康治の二男。 盛岡中学、旧制府立高校を経て、1939年、京都帝国大学法学部卒業、大蔵省に入省。為替局属。広島税務署長、吉田内閣総理大臣秘書官、主計局主計官(文部・厚生担当)、管財局閉鎖機関課長、管財局特殊清算課長、外務省在英国大使館参事官などを歴任。1960年2月1日、東海財務局長。
小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 197… 小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 1976年1月17日)は、日本の都市計画家研究者・交通計画研究者・歌人。岩手大学教授・北海道大学教授を歴任。 岩手県生まれ。学生時代から短歌をよくして、歌誌「地中海」や「満州短歌」の同人として活動。1975年には「カルル橋」で第11回「短歌研究賞」を受賞した。 1937年(昭和12年)、北海道帝国大学工学部土木工学科卒。在学中の満州事変勃発を契機に大陸に志を抱いたという。満州や朝鮮へ実習をかねて訪れている。大学卒業後、南満州鉄道株式会社へ入社する。 1943年、現職のまま大東亜省嘱託として東南アジア諸国の交通実態調査を命じられ、翌1944年から1946年まで、ベトナム、カンボジア、タイ王国、マレーシア、ビルマ(ミャンマー)などで調査にあたる。
臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24… 臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24日 - 2004年(平成16年)5月20日)は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(3期)。 岩手県大船渡市出身。高小卒。卒業後は、郵便局に勤務し、その後、気仙郡広田村役場に入り、書記となる。戦時中の1939年に召集され、4年後に帰還、復職し、収入役、助役となる。。戦後は盛岡市役所に転じ、文書、審査の各係長を務めた。1953年に市制施行後の大船渡市に戻り、市役所に勤務。福祉事務所長、産業、総務、財務の各課長を経て、収入役、助役となり、1976年、大船渡市長に当選した。市長は3期務め、3期途中の1986年に病気のため退任した。1987年秋の叙勲で勲四等瑞宝章受章。
増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991… 増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991年9月23日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、自由民主党)、農林官僚。 岩手県胆沢郡前沢町(現奥州市)出身。 岩手県立一関中学校、京都帝国大学法学部卒。大学在学中滝川事件に対する教授らへの対応に抗議し、無期停学処分を受ける。 1937年大学卒業後、農林省に入省。振興局長などを務めて退官。 1963年、岩手県知事選に出馬するも落選。衆議院議員選挙にも落選し、5年間浪人生活を送る。 1968年の第8回参議院議員通常選挙に当選してから、参議院議員を3期、農水・行政管理・北海道開発各政務次官を務めた。1986年の第14回参議院議員通常選挙には無所属で出馬したが落選し、政界から引退。
斉藤 澄子(さいとう すみこ、1913年(大正2年)1月10… 斉藤 澄子(さいとう すみこ、1913年(大正2年)1月10日 - 1942年(昭和17年)8月22日)は、日本の元騎手、元厩務員(京都競馬場)。岩手県岩手郡厨川村(現在の盛岡市)出身。 一度もレースで騎乗することのなかった、日本及び世界初の女性騎手として知られる。 なお、苗字については「斎藤」、名については「すみ」「すみ子」の表記がある。 実家は農家で、幼少の頃から馬に親しんだ生活を送った。10代の前半に父が死亡し母も病気で体調を崩したため、学校をやめて馬喰に弟子入りした。修業中に訪れた黄金山競馬場(旧・盛岡競馬場)で競馬のレースを見たことをきっかけに騎手を志すようになり、1929年に福島競馬場の調教師に弟子入りした。
中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 19… 中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 1996年8月3日)は日本の政治家。衆議院議員(1976年~)、岩手県知事(1979年~1991年)を務めた。身長180センチ、体重80キロ(1984年の記録)と大柄だった。 1912年、岩手県紫波郡紫波町で生まれる。岩手県農学校、産業組合学校を卒業後、産業組合職員などを経て1938年に岩手県職員となる。岩手県副知事や岩手銀行専務を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙で岩手県第1区から出馬し当選。2年3ヶ月の代議士生活の後、1979年に岩手県知事となって3期12年間を務めた。 鈴木善幸を政治の師と仰ぎ、知事在任中は三陸鉄道を鉄道としては全国で初の第三セクターにしているほか、岩手めんこいテレビの開局に尽力した。
鈴木 銀之助(すずき ぎんのすけ、1912年6月5日 - 1… 鈴木 銀之助(すずき ぎんのすけ、1912年6月5日 - 1959年8月13日)は、岩手県出身のプロ野球選手。ポジションは三塁手。 1929年に旧制岩手県立福岡中学校(現在の岩手県立福岡高等学校)を卒業後、明治大学などを経て、1950年に発足したばかりの広島東洋カープへ入団。しかし当時すでに38歳となっていて、結局一軍公式戦は3試合の出場となり1年限りで引退。 指導者として非凡な才能を発揮し、昭和6年、昭和15年、昭和22年の母校福岡中学の甲子園出場は鈴木の指導に追うところが多かった。「練習は厳しく、試合はリラックス」を指導方針とし、選手が試合中に失敗しても決して怒ることがなかったが、練習では伝説の猛ノックで選手を鍛えた。
加藤 新平(かとう しんぺい、1912年〈明治45年〉3月2… 加藤 新平(かとう しんぺい、1912年〈明治45年〉3月29日 - 1999年〈平成11年〉4月2日)は、日本の法学者(法理学・法哲学)。京都大学名誉教授。1983年から日本学士院会員。1971年から1975年まで日本法哲学会理事長。沢内村名誉村民第一号。 1912年、岩手県和賀郡沢内村生まれ。1927年、宮城県白石中学校(宮城県白石高等学校の前身)4年修了、同年第一高等学校(一高)文科甲類入学。1930年11月、思想事件により一高を中途退学、1932年、第二高等学校文科甲類卒業検定合格。同年4月、京都帝国大学文学部哲学科入学、1933年、同大学法学部入学。1935年、高等試験行政科合格、1936年、同大学法学部卒業、直ちに同法学部助手に任用。
小牧 正英(こまき まさひで、1911年9月25日 - 20… 小牧 正英(こまき まさひで、1911年9月25日 - 2006年9月13日)は、日本のバレエダンサー、振付家である。 本名を菊池榮一といい、1911年に岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺市を経て、現在の奥州市)の素封家に生まれた。1928年に上京し、翌1929年、目白商業学校2年編入。中学生の頃、大田黒元雄著『ロシア舞踊』という本に出会い、感動する。1933年21歳のとき、目白商業を卒業し画家を志してパリ留学を計画し、シベリア鉄道に乗り込もうと大連まで行き貨車に忍び込むが、その企図は失敗に終わり強制送還された。翌1934年彼はハルピンでバレエ学校のハルピン音楽バレエ学校に入学し、キャトコフスカヤ女史のクラスで1939年の卒業まで研鑽を積む。
煤孫 伝(すすまご つとう/でん、1911年6月16日 - … 煤孫 伝(すすまご つとう/でん、1911年6月16日 - 没年不明)は、岩手県花巻市出身のプロ野球選手。ポジションは一塁手、外野手。 盛岡商業学校(現・岩手県立盛岡商業高等学校)在学中は、1930年の甲子園東北大会決勝で、東北中学を相手に猛打を振るい語り草となった(試合自体は敗れ、甲子園出場とはならなかった)。卒業後は、日本大学、仙台鉄道局(現・JR東日本東北硬式野球部)でプレーした。 1937年春、大東京軍に入団。岩手県出身者としては初のプロ野球選手となった。1937年5月1日の名古屋戦(洲崎球場)で一塁手の守備(浅原直人の代役)としてデビュー。5月8日の金鯱戦(上井草球場)ではプロ初打席初安打をマークし、6月1日の金鯱戦(甲子園球場)では初ホームランを打つなど、前評判通りの打棒を見せ、1937年春季シーズンはレギュラーとして定着した(規定打席にも到達し26位だった)。
照錦 富治(てるにしき とみじ、1911年6月15日 - 1… 照錦 富治(てるにしき とみじ、1911年6月15日 - 1971年3月9日)は、伊勢ノ海部屋、花籠部屋に所属した元力士。また11、13代放駒、10代花籠。本名は照井 富治(てるい とみじ)。現在の岩手県花巻市出身。164cm、105kg。最高位は西十両4枚目。得意技は右四つ、寄り、下手投げ。 1926年5月場所に初土俵。1932年5月場所に十両昇進。1937年に右腕の関節を痛め、更に右大腿部を脱臼して一時は三段目まで陥落したが、そこから奮起して1940年1月場所に十両に復帰した。その後は入幕を果たせぬまま1943年1月場所に引退。その後は11代放駒を襲名、以後10代花籠、そして放駒を再襲名した。
岩船 雅一(いわふね まさいち、がいち、1911年〈明治44… 岩船 雅一(いわふね まさいち、がいち、1911年〈明治44年〉1月25日 - 1978年〈昭和53年〉6月9日)は日本の作曲家、ヴァイオリニスト。本名岩船 正治(いわふね しょうじ)。 1911年(明治44年)1月25日、岩手県下閉伊郡磯鶏村(現在の宮古市)に生まれる。帝国音楽学校卒業。ヴァイオリンを鈴木鎮一、指揮を尾高尚忠、作曲を大木正夫、細谷一郎に師事した。鈴木鎮一主宰の東京弦楽団を引き継ぎ同楽団の主宰を勤め、演奏活動を行う傍ら、後進への指導に尽力しており、1961年(昭和36年)3月26日には小野豊文らと共に日本弦楽指導者協会を設立し、その後17年会長を務めた。松本善三はこの協会の創立を「彼の最高の業績」と評している。
鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年〈明治44年〉1月1… 鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年〈明治44年〉1月11日 - 2004年〈平成16年〉7月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 郵政大臣(第15代)、内閣官房長官(第26代)、厚生大臣(第42代)、自由民主党総務会長(第15・17・23代)、農林大臣(第48代)、自由民主党総裁(第10代)、内閣総理大臣(第70代)などを歴任した。 岩手県下閉伊郡山田町で、アワビ、スルメ漁、水産加工業を営む網元の家に生まれた。鈴木家は屋号「黒米屋」と呼ばれる米屋も兼ねていた。父の善五郎は日露戦争に従軍した際の戦傷で漁に出られなくなったこともあり、男手の無かった妻・ヒサの実家の商売を切り盛りしていた。
菊池 信(きくち しん、1911年(明治44年) - 198… 菊池 信(きくち しん、1911年(明治44年) - 1981年(昭和56年)1月4日)は、日本のホッケー選手。1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場した。 1924年に旧制盛岡中学校に入学。在学中はフットボールに親しんだ。 1929年に中学を卒業し、東京商科大学予科(現・一橋大学)に進学。大学在学中にフィールドホッケーに転向し、全日本選手権で連覇を達成するなど頭角を現した。得点の6割を占めるポイントゲッターとしてチームを牽引した。 1936年に開催された1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場。グランドホッケー競技で予選リーグを戦い、2勝1敗の成績を収めたが、決勝トーナメント進出はならなかった。
高橋 喜平(たかはし きへい、1910年4月25日 - 20… 高橋 喜平(たかはし きへい、1910年4月25日 - 2006年2月1日)は、日本の雪崩研究家、エッセイスト。 独学で長年、雪崩の研究に従事。雪氷学・氷雪研究の権威であり、日本雪氷学会賞受賞、吉川英治文化賞を受賞。また、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した、エッセイストでもある。日本雪氷学会名誉会員で、岩手県在住。 東京大学名誉教授の高橋延清は弟、直木賞作家の高橋克彦は甥にあたる。 1910年、秋田県六郷町(現・美郷町)に生まれる。7歳で、母の郷里である岩手県沢内村(現・西和賀町)に移る。1929年、岩手県立黒沢尻中学校(現・岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業後、卯根倉(うねくら)鉱山で代用教員をしながら独学。