藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12… 藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12月26日 - 1997年(平成9年)1月26日)は、日本の小説家。山形県鶴岡市出身。本名:小菅 留治(こすげ とめじ)。 江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した。とくに、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。 山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下(現在の鶴岡市高坂)に生まれる。父小菅繁蔵と母たきゑの第四子(兄弟は順に繁美、このゑ、久治、留治、てつ子、繁治)。実家は農家で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになる。
赤木 由子(あかぎ よしこ、本名:富樫 菊、1927年11月… 赤木 由子(あかぎ よしこ、本名:富樫 菊、1927年11月1日 - 1988年9月13日)は、日本の児童文学作家。 1927年11月1日、山形県西田川郡豊浦村三瀬(現鶴岡市)に生まれる。幼少期に両親を亡くし、満州に渡り現地で戦争を体験。鞍山常盤高等女学校卒業後、上京して雑誌・新聞記者となる。その後は創作活動に専念。 主な著書に処女作『柳わたとぶ国』をはじめ、『はだかの天使』、『ひまわり愛の花』、『二つの国の物語』三部作、『草の根こぞうの仙吉』(野間児童文芸推奨作品賞受賞作品)、『ぼくら三人にせ金づくり』、『生きるんだ!名犬パール』など多数。中でも理論社大長編シリーズとして1980年に刊行された三部作『二つの国の物語』は代表作の一つであり、1995年に同社より全一冊シリーズとして新たに刊行された。
佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021… 佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021年3月2日)は、日本の政治家、教諭。山形県高校教職員組合執行委員長を経て、衆議院議員を3期務めた。1998年勲三等旭日中綬章受章。 山形県鶴岡市出身。山形師範学校、東北大学を卒業。山形県立鶴岡工業高等学校教諭、県高校教職員組合執行委員長等を歴任。1971年・1974年・1977年の参院選落選を経て、1979年の第35回衆議院選挙で旧山形2区から、安宅常彦の引退を受け日本社会党公認で立候補。トップ当選した自由民主党の加藤紘一に400票弱に迫る僅差で、初当選。以後当選3回。 旧山形2区は、1967年の第31回衆議院選挙以降、定数4議席を自由民主党と野党(日本社会党、社会民主連合)とで2議席ずつ分け合ってきたが、1986年の公職選挙法の部分改正による8増7減で減員区となった。
無着 成恭(むちゃく せいきょう、本名同じ、1927年3月3… 無着 成恭(むちゃく せいきょう、本名同じ、1927年3月31日 - 2023年7月21日)は、日本の教育者、禅宗の僧侶。生活綴方の代表的な文集『山びこ学校』を刊行し、『全国こども電話相談室』の回答者を28年間務めた。 山形県南村山郡本沢村(現在の山形市本沢)沢泉寺に長男として生まれる。山形県立山形中学校(現在の山形県立山形東高等学校)卒業。1948年、山形師範学校(現在の山形大学地域教育文化学部)卒業し、山形県南村山郡山元村(現在の上山市)立山元中学校(僻地1級校)に赴任した。国語教育として須藤克三からの助言を得て、「生活綴方運動」に取り組む。クラス文集『きかんしゃ』所収の「母の死とその後」(江口江一作)が文部大臣賞を受賞する。
谷村 昌彦(たにむら まさひこ、1927年〈昭和2年〉2月2… 谷村 昌彦(たにむら まさひこ、1927年〈昭和2年〉2月25日 - 2000年〈平成12年〉8月6日)は、日本の俳優、タレント、コメディアン。山形県山形市出身。血液型はB型。旧芸名は谷村伸一。本名は武田忠。 1941年に上京。文化座に入団。 浅草公園六区の舞台で役者としての活動を始め、同時に高輪工業学校(現・高輪中学校・高等学校)に通ったが、最終的には中退。 1944年に森川信一座へ入団。その後は空気座に所属し、1954年に金星プロに所属。 田舎訛りのキャラクターや東北弁を使っているのが受けて、刑事ドラマや時代劇のレギュラーとして活躍。 日本喜劇人協会の理事も務めていた。 『Gメン'75』には多くゲスト出演があったが、晩年に古田刑事としてレギュラーに迎えられる。
土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日… 土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日 - 2014年(平成26年)7月30日 )は、日本の詩人・劇作家・社会運動家。本名:吉沢四郎(旧姓堀井)。 山形県鶴岡市出身。陸軍航空士官学校在校中に終戦を迎え、復員して、旧制新潟高等学校に編入、そこから東京大学法学部卒。1962年(昭和37年)、詩「十年たったら」でデビューした。この詩は、20歳代の日本共産党員を語り手とした詩だったので、それを読んだ壺井繁治が、作者も主人公と同じ境遇だと勘違いしたというエピソードがある。その後、詩人会議運営委員長、同顧問を歴任した。 1964(昭和39)年9月より1966(昭和41)年9月まで、中国 遼寧省大連市 大連日本語専科学校(現大連外国語大学)にて日本語教師を勤めた。
梅木 壽雄(うめき としお、1927年(昭和2年) - )は… 梅木 壽雄(うめき としお、1927年(昭和2年) - )は、日本の民俗学者。庄内民俗学会・幹事。山形県鶴岡市錦町在住。 山形県鶴岡市に生れる。 鶴岡市周辺町村で中学校・社会科教諭を勤める。1982年(昭和57年)に山形県教育委員会・調査員となり、語り部の昔話を録音する。 2008年(平成20年)に鶴岡市「良い歯の長寿賞」を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
渡辺 三郎(ワタナベ サブロウ、1926年12月23日 - … 渡辺 三郎(ワタナベ サブロウ、1926年12月23日 - 2003年2月14日)は、日本の元政治家。衆議院議員(5期)。
竹中 久二雄(たけなか くにお、1926年11月4日 - )… 竹中 久二雄(たけなか くにお、1926年11月4日 - )は、日本の農業経済学者。 山形県山形市生まれ。東京農業大学卒、1959年同大学院修士課程修了、同助手、講師、助教授、1975年教授、1987年常務理事、1994-1995年理事長。農学博士。
石坂 照子(いしざか てるこ、1926年9月28日 - 20… 石坂 照子(いしざか てるこ、1926年9月28日 - 2019年6月4日)は、日本の免疫学者。ジョンズ・ホプキンズ大学教授などを歴任、在米時代の愛称はテリー (Terry)。フルブライトフェロー。 夫の石坂公成とともに免疫グロブリンEの機序を解明、発表した。夫妻の功績を記念し毎年2月20日を「アレルギーの日」に、またその週は「アレルギー週間」に指定された。 旧姓松浦、1944年3月旧山形第一高等女学校卒業、東京女子医学専門学校(東京女子医科大学の前身)に進む。1949年に卒業し1957年月3月22日、東京大学で医学博士号を授与される。大学卒業後の1951年から1957年にわたり国立予防衛生研究所(国立感染症研究所の前身)で血清の研究を進め、フルブライト奨学金を得てアメリカ合衆国カリフォルニア工科大学へ研究留学するのは1957年から1959年までである。
近岡 理一郎(ちかおか りいちろう、1926年〈大正15年〉… 近岡 理一郎(ちかおか りいちろう、1926年〈大正15年〉9月7日 - 2016年〈平成26年〉6月8日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。 山形県最上郡真室川村(現・真室川町)の造り酒屋に生まれ、1944年3月6日に陸軍士官学校入校(第60期)。 戦後は県議だった父・理吉、貴族院多額納税者議員・県議だった伯父・近岡理三郎の影響もあり、31歳で真室川町議となる。1959年に山形県議会議員に当選。以後6期連続で当選し、在職中には県議会議長も務めた。 1980年6月22日、松沢雄蔵の後継として第36回衆議院議員総選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選した。以後第42回衆議院議員総選挙まで7期連続当選した。
稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日-200… 稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日-2001年3月6日)は、日本の建築史家、東京大学名誉教授。 山形県出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て東京大学工学部卒。1961年「明治時代における西洋建築導入過程に関する研究」で工学博士。太田博太郎、堀口捨己に師事。東京都立大学助手、東大工学部助教授、73年教授。87年定年退官、明治大学教授。 69年神社建築史の研究で建築学会賞。著作「日本の近代建築」で近代建築の始まりを大正時代とする説を唱えた。
榎本 和平(えのもと わへい、1926年6月23日 - 20… 榎本 和平(えのもと わへい、1926年6月23日 - 2006年4月24日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。1996年勲三等旭日中綬章。2006年従五位。 山形県天童市出身。中央大学経済学部卒業後、山形新聞に入社。整理部記者などを歴任。木村武雄秘書を経て、山形県議会議員を4期務め、自民党県連幹事長、県議会副議長等を担った。 1983年の衆議院議員総選挙山形1区で木村武雄の後継として田中角栄派(木曜クラブ)から出馬。67300票を獲得し初当選。 1985年1月27日、竹下登は田中に「若手といっしょに勉強会をやりたい」と告げた。田中は「いいだろう」と答え、竹下らは翌日から入会勧誘を開始した。
井山 計一(いやま けいいち、1926年4月23日 - 20… 井山 計一(いやま けいいち、1926年4月23日 - 2021年5月10日)は、日本のバーテンダー。世界的に知られるカクテル「雪国」の考案者として知られる。2018年にはカクテル「雪国」の誕生秘話と井山の半生を描いたドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』が製作された。2020年にはバーテンダーとして現代の名工を受賞している。 1926年、山形県酒田市に産まれる。山形県立酒田商業学校を卒業後、神奈川県横浜市の東京芝浦電気軍需工場で働く。召集令状が届いたのは終戦の2日後であり、従軍はしていない。戦後は叔父が経営するダンスホールでプロダンサーとして指導を行う。そこの生徒であった女性と結婚して仙台市へ移住し、バーテンダー見習い募集の貼り紙を見て、これに応募し採用される。
若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没… 若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没年不明)は、日本の女優である。本名勝田 英津子(かつた えつこ)。女優時代の初期には、若杉 須美子(わかすぎ すみこ)、若杉 紀英子(わかすぎ きえこ)の芸名を使っていた。 1926年(大正15年)3月23日、山形県南陽市に生まれる。誕生の日に母を亡くし、1928年(昭和3年)、2歳で東京市大塚の勝田家に養子に出された。幼時の記憶をなくしていたために長らく勝田家の実子と思い込んでいたが、女学校時代に戸籍謄本を偶然目にして養子であることが判明する。出生時の真実については、2000年(平成12年)のインタビューで初めて明らかにしたため、それ以前に出版されたキネマ旬報社・刊『日本映画人名事典』(1995年)の若杉嘉津子の項目などでは「1928年東京市出身」となっている。
吾妻 兼治郎(あづま けんじろう、1926年3月12日 - … 吾妻 兼治郎(あづま けんじろう、1926年3月12日 - 2016年10月14日もしくは10月15日)は、イタリア在住の日本人の彫刻家。ミラノに在住し、抽象作家として国際的にも高い評価を受ける。作品に『MU(無)』『YU(有)』『慈悲心の美徳』など。彫刻表面に腐食で出来たようなくぼみをあしらう作品に特徴がある。山形市生まれ。 鋳物屋の7人兄弟の二男。夜間中学中退後に予科練志願入隊、神風特攻隊になるが、終戦になり山形に復員、中学復学卒業後、東京芸術大学入学、東京芸大卒。芸大副手を休職し、1956年に山形で初の個展を開催し、イタリアに留学、ブレラ美術学校でマリノ・マリーニに師事(その後休職期間経過後もイタリアに残るために芸大退職)。
宮城野 由美子(みやぎの ゆみこ、1926年3月2日 -)と… 宮城野 由美子(みやぎの ゆみこ、1926年3月2日 -)とは元宝塚歌劇団花組・星組主演娘役クラスで宝塚歌劇団卒業生の元女優である。本名は關キヨ子(せき・きよこ)。夫は映画監督の蔵原惟繕。東京都小石川区(現・文京区)出身。山形県立鶴岡高等女学校(現・山形県立鶴岡北高等学校)中退。
黒田 喜夫(くろだ きお、1926年2月28日 - 1984… 黒田 喜夫(くろだ きお、1926年2月28日 - 1984年7月10日)は、日本の詩人。 山形県寒河江の生まれ。高等小学校卒業後、上京して京浜工業地帯で工場労働者として働く。戦後は日本共産党に入党、郷里で農民運動に参加するが胸を病み、療養しながら詩作を行う。関根弘、菅原克己らの同人誌『列島』や新日本文学会の雑誌『現代詩』などに参加、注目される。1959年、第1詩集『不安と遊撃』を刊行、翌年H氏賞を受賞する。プロレタリア詩と前衛詩の結合において戦後詩の一つの極北を示す詩人である。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日… 吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日 - 2014年〈平成26年〉1月15日)は、日本の詩人。 山形県酒田市生まれ。1938年(昭和13年)酒田市琢成第二尋常小学校を総代として卒業し、1942年(昭和17年)12月、山形県酒田市立酒田商業学校を戦時繰り上げ卒業した。若いころ高村光太郎の「道程」を読んで感銘を受ける。商業学校卒業後、1943年(昭和18年)1月に帝国石油に就職した。1944年(昭和19年)に徴兵検査に合格するが、入隊5日前に終戦を迎えた。戦後は労働組合運動に専念していたが、1949年(昭和24年)に過労で倒れ、肺結核のため3年間療養した。入院中に詩人の富岡啓二と親しくなっている。
松野 良寅(まつの よしとら、1926年(大正15年) - … 松野 良寅(まつの よしとら、1926年(大正15年) - 2012年(平成24年)3月12日)は、日本の英学者。日本英学史学会第7代会長、我栄記念館館長。豊田實賞、米沢市功績章を受章。 山形県出身。米沢中学から、海軍兵学校入校。松野は海兵75期で、在校中に第二次世界大戦の終結を迎え卒業証書を授与されている。 戦後は東北大学法文学部英文科を卒業し、母校の教員や山形県教育庁主事などを務める。1967年(昭和42年)から山形大学工業短期大学部助教授、同教養部教授、1992年(平成4年)から東北芸術工科大学教授を歴任。 英学者としては『興譲館世紀』で第1回豊田實賞を受賞。また日本英学史学会会長を務めた。
伊勢 辰雄(いせ たつお、1925年(大正14年)10月1日… 伊勢 辰雄(いせ たつお、1925年(大正14年)10月1日 - 2006年(平成18年)11月26日)は、昭和から平成時代の政治家。山形県東根市長。勲五等瑞宝章。 東根市出身。日本大学専門部卒業。 東根町職員、山形県建築士会副会長、建築設計事務所会長、東根市振興審議会委員を経て、1990年(平成2年)東根市長に当選。2期務め、1998年(平成10年)引退した。2002年春の叙勲で勲五等瑞宝章を受章。2006年(平成18年)11月26日死去、81歳。死没日をもって正六位に叙される。
鈴木 貞敏(すずき ていびん / さだとし、1925年〈大正… 鈴木 貞敏(すずき ていびん / さだとし、1925年〈大正14年〉8月12日 - 2009年〈平成21年〉10月24日)は、日本の警察官僚、政治家。第11代警察庁長官、参議院議員(2期、自由民主党)。位階は従三位。勲等は勲二等。 山形県寒河江市生まれ。両親は昭和の頭に満州に渡り、地元にとどまる。 山形県立寒河江中学校(18期)を経て、東京帝国大学に進学するも数日で学徒出陣し、前橋陸軍予備士官学校に入学(砲兵第2中隊第4区隊)。1945年6月に卒業後、独立山砲第12連隊に配属され間もなく終戦を迎えた。 戦後復学し、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業。 同年4月、国家地方警察に入る。
渡里 杉一郎(わたり すぎいちろう、1925年3月28日 -… 渡里 杉一郎(わたり すぎいちろう、1925年3月28日 - 2017年4月12日)は、日本の経営者。東芝社長を務めた。 山形県山形市出身。1958年、東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年、東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。1978年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1984年6月に副社長に就任した。1986年4月に社長に昇格したが、1987年7月に東芝機械ココム事件における責任を取り、社長を辞任。1987年からは相談役を務めた。 1991年から1999年までに経団連副会長を務め、東京電力監査役、日中経済協会会長なども歴任した。 1992年4月に藍綬褒章を受章した。 2017年4月12日心不全のため死去。
芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012… 芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012年2月4日)は、日本のシャンソン歌手、声楽家。本名:羽鳥廣。
渡部 雄吉(わたべ ゆうきち、1924年(大正13年)2月1… 渡部 雄吉(わたべ ゆうきち、1924年(大正13年)2月18日 - 1993年(平成5年)8月8日)は、日本の写真家。 山形県酒田市生まれ。1943年、写真工房東京光画社へ入社し、写真家となる。1950年にフリーとして独立後、雑誌や写真集で作品を発表。1992年、紫綬褒章受章。1993年、死去。 茨城県水戸市千波湖のバラバラ殺人事件を捜査する刑事を撮影し、雑誌『日本』(大日本雄弁会講談社刊、1958年6月号)に掲載された写真が、2011年、写真集『A Criminal Investigation』(Éditions Xavier Barral)としてまとめられ、再度注目を集める。
庄司 永建(しょうじ えいけん、1923年(大正12年)7月… 庄司 永建(しょうじ えいけん、1923年(大正12年)7月6日 - 2015年〈平成27年〉9月15日)は、日本の俳優。本名:庄司 永建(しょうじ ながたけ)。娘はフリーアナウンサーの庄司麻由里。 山形県出身。上智大学卒業。 1948年(昭和23年)、民衆芸術劇場附属養成所を経て劇団民藝に入り、俳優デビュー。1970年(昭和45年)に民藝を退団してフリーとなる。プロダクションエムスリーを経て、希楽星に所属していた。 日活時代に3度共演した石原裕次郎の信任が厚く、『西部警察』での捜査係長・二宮武士警部補役が当たり役となる。 晩年は俳優業以外にも山形の民話の語り部として、故郷で毎年民話を伝承していた。
中村 恒也(なかむら つねや、1923年(大正12年)3月8… 中村 恒也(なかむら つねや、1923年(大正12年)3月8日 - 2018年(平成30年)12月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 山形県酒田市出身。山形県立酒田中学校(現・山形県立酒田東高等学校)を経て、1944年日本大学理工学部機械工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1945年に、別会社である株式会社第二精工舎諏訪工場(第二精工舎諏訪工場→諏訪精工舎→セイコーエプソン〈現〉)に転籍した。1956年機械式腕時計「マーベル」を独自に設計し商品化。1959年自動巻腕時計「ジャイロマーベル」を開発。 1963年に諏訪精工舎取締役に就き、1964年東京オリンピックで使用するクォーツ時計の開発プロジェクトリーダーを務めた。
大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10… 大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10日 - 2011年(平成23年)9月1日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(7期)、特別区長会会長を務めた。 現在の山形県最上郡舟形町出身。1940年、東京市経済局に入局。同局に在籍しながら日本大学法学部を卒業した。1943年に世田谷区役所に配属され、農務係長、広報係長、区議会事務局長を歴任した。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。社会・共産・民社3党の推薦と公明党の支持を受け、世田谷区長選挙に立候補。自民党推薦の前選任区長の佐野保房、諸派の高田巖を破り初当選した(大場:129,894票、佐野:123,803票、高田:4,231票)。
小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教… 小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教学者、東北大学名誉教授。 山形市生まれ。1945年東北帝国大学法文学部文科(教育学専攻)卒業。1962年「教養と実存」で、文学博士の学位を取得。東北大学教育学部助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授、東洋英和女学院大学教授。
今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - … 今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - 2012年10月13日)は、日本の美学者および中世哲学研究者である。「エコエティカ」(生命倫理による人間学・倫理学)を提唱したことで知られる。東京大学名誉教授、聖トマス大学名誉教授、国際形而上学会会長、国際美学会終身委員兼名誉会長、国際エコエティカ学会名誉会長といった多くの要職を歴任した。かつては哲学美学比較研究国際センター所長、日本美容専門学校校長を務め、日本アスペン研究所特別顧問でもあった。 今道は離婚歴があり、実子としてギタリストで元BARBEE BOYSのメンバーであるいまみちともたか、ピアニストの川口信子がいる。再婚したドイツ人のクリスティネとの間には、ドイツ在住の今道友紀子と、心理学者でニューヨーク市立大学教員である今道友昭がいる。
永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月1… 永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月17日 - 1998年〈平成10年〉12月29日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(4期)、元自由民主党山形県議会議員(2期)。位階は従五位。 山形県南村山郡上山町(現上山市)出身。山形県立山形中学校(現山形東高校)卒、1944年に日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)卒業。なお、1944年に軍隊入隊、陸軍軍医学校に入学し、1945年修了。復員後、永田歯科医院で歯科医師に従事。1964年に上山市歯科医師会長に就任。1966年山形県歯科医師会理事。 1955年から1983年まで自由民主党に所属。上山支部長や山形県支部連合会の総務会や政務調査会の各副会長などを務めた。
中谷 瑾子(なかたに きんこ、1922年8月23日 - 20… 中谷 瑾子(なかたに きんこ、1922年8月23日 - 2004年6月23日)は、日本の法学者。専門は刑法。学位は博士(法学)(慶應義塾大学・論文博士・2001年)(学位論文「21世紀につなぐ生命と法と倫理:生命の始期をめぐる諸問題」)。慶應義塾大学名誉教授、大東文化大学名誉教授。山形県酒田市出身。 長男は慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)特任教授で前WHO(世界保健機関)執行理事会議長を務めた中谷比呂樹(慶應義塾大学医学部卒業)。 1970年4月から翌年3月まで、ヨーロッパ諸国の大学、矯正施設を視察。厚生労働省の諮問機関「厚生科学審議会」の委員として医療法分野での功績の他、公安審査委員会委員としてオウム真理教の破壊活動防止法適用の審査(オウム真理教破壊活動防止法問題)を行った。
柿崎 実(かきざき みのる、1922年(大正11年)8月3日… 柿崎 実(かきざき みのる、1922年(大正11年)8月3日 - 1945年(昭和20年)5月2日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。大東亜戦争(第二次世界大戦)の末期、人間魚雷「回天」で出撃して戦死した。死後二階級特進し、最終階級は海軍少佐。 1922年(大正11年)8月3日に山形県酒田市で生まれる。旧制酒田中学校を経て海軍兵学校に入校する。性格は温厚・無口で、あまり感情を表に出さなかったとされる。1943年(昭和18年)9月15日に海軍兵学校(72期)を卒業後、同日中に空母「瑞鶴」へ乗り組んで実習を続けるが、1944年(昭和19年)8月に海軍潜水学校学生の発令を受け、そのまま人間魚雷「回天」搭乗員に転じた。
阿部 文男(あべ ふみお、1922年6月23日 - 2006… 阿部 文男(あべ ふみお、1922年6月23日 - 2006年12月6日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、北海道開発庁長官(第53代)、沖縄開発庁長官(第22代)、宏池会事務総長などを歴任した。 山形県東根市出身。北海道帝国大学附属農林専門部を卒業した。 函館市議会議員などを務めた。1963年の北海道議会議員選挙に立候補し、函館市選挙区から当選した。以来、連続2期当選を果たした。北海道議会では、商工労働委員会や予算特別委員会において、それぞれ副委員長を務めた。第32回衆議院議員総選挙立候補のため、2期目の1969年12月6日に辞職した。 北海道議会議員辞職後、1969年の衆議院議員総選挙に立候補し、旧北海道第3区にから当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正1… 勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正11年〉1月4日 - 2019年〈平成31年〉2月2日)は、室町時代に栄えた日野家分家である烏丸家の分家に当たる勘解由小路家11代目の当主、子爵。山口県に在住し、日本一長い五文字の名字を持つ人物の一人であることでも知られていた。山形県山形市生まれ。 出生時の名は松村淳二。大分県知事や貴族院勅選議員を務めた松村義一の次男であり、戸籍上の父である勘解由小路資承は母方の祖父にあたる。4歳で資承の養嗣子となり、資淳に改名し、勘解由小路家11代目当主となった。 母の松村好子(まつむら いつこ)は子爵勘解由小路資承の長女であり、副島種臣の外孫でもあった。
伊藤 啓介(いとう けいすけ、1922年(大正11年)- 没… 伊藤 啓介(いとう けいすけ、1922年(大正11年)- 没年不詳)は、日本の外交官、軍属、スパイ。 タイのシンゴラ領事館に外交官として赴任、現地で諜報活動を行う。太平洋戦争においてF機関に参加。インド国民軍の編成や戦後のインド独立に影響を与えた藤原岩市を補佐した。戦後、日本バングラデシュ協会事務局長。2008年時点で在命。 山形県酒田市生まれ。1938年、東亜経済調査局付属研究所こと大川塾の一期生として入学。1940年、同研究所卒業後、助手として採用。1941年8月、タイのシンゴラ領事館に赴任。開戦に備えるためスパイとなり、タイの田舎を回り兵要地理の視察を行う。伊藤の調査対象は飛行場の立地、滑走路の長さ、井戸の位置や道路の状況、シャム湾の気候、風の方角であった。
遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 200… 遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 2005年5月5日)は、日本の法学者。専門は民法。学習院大学名誉教授。山形県米沢市出身。 米沢市の実家(鍛冶町)の斜向かいに我妻栄の生家(鉄砲町)があった。米沢興譲館中学校3年時に肋膜炎・肺結核を患い、以後三十数年間は持病を抱えながらの生活となる。第一高等学校、東京帝国大学法学部卒。法学部大学院で我妻に師事した。 学習院大学名誉教授。元司法試験考査委員(任:1968年 - 1984年)および元国家公務員上級試験(現在の国家公務員第I種試験)考査委員(任:1970年 - 1972年)。元弁護士。勲三等瑞宝章受章。 米沢高等学校で教師と野球部監督を務め、プロ野球で活躍する皆川睦雄(南海ホークス)を指導した経歴を持っている。
高橋 剛(たかはし ごう、本名の読み:たかはし たけし、19… 高橋 剛(たかはし ごう、本名の読み:たかはし たけし、1921年(大正10年)8月31日 - 1991年(平成3年)9月5日)は日本の彫刻家。山形県酒田市出身。 バレリーナをモチーフとした彫刻で知られ、昭和30年代(1955年 - 1964年)中頃まで木彫を中心に制作したが後に塑像へ転向した。 1921年(大正10年)8月31日、神社仏閣の木彫を生業とする生家に生まれる。祖父は宮彫師、父は日本美術院所属の仏教彫刻家。父に師事し木彫を始める。 1940年(昭和15年)上京、翌1941年(昭和16年)東京美術学校入学、関野聖雲に師事。1946年(昭和21年)東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。 1947年(昭和22年)、第3回日展に初入選。
田澤 一二(たざわ かつじ、1921年〈大正10年〉3月 -… 田澤 一二(たざわ かつじ、1921年〈大正10年〉3月 - 2007年〈平成19年〉12月3日)は、日本の政治家、獣医師。第3代立川町長(4期) 1939年(昭和14年)に山形県立庄内農業学校を卒業。1942年(昭和17年)、麻布獣医専門学校(現:麻布大学) 卒業。狩川家畜診療所長を経て立川町議会議員を5期務めた。この間、同議会副議長を1期務めた。 町長選挙に立候補して、前収入役など新人3人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:94.57%(前回比:-pts) 前町議との争いとなったが、これを破って再選を果たした。 ※当日有権者数:6,298人 最終投票率:94.43%(前回比: 0.14pts) 1977年(昭和52年)は無投票で3選を果たした。
福王寺 法林(ふくおうじ ほうりん、1920年11月10日 … 福王寺 法林(ふくおうじ ほうりん、1920年11月10日 - 2012年2月21日)は、日本画家、日本芸術院会員、日本美術院理事。名誉三鷹市民。位階は従三位。山形県米沢市生まれ。本名は福王寺雄一。 代表作は、『島灯』『ヒマラヤの花』等。息子の福王寺一彦も日本画家。
降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年… 降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年不明)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官を経て、自由民主党参議院議員(2期)。 山形県山形市出身。山形県立山形中学校、旧制山形高等学校を経て、1942年に東京帝国大学法学部を卒業。高等文官試験に合格し内務省に入省(地方局配属)。しかし、翌年に応召され、1947年の復員までシベリアに抑留された。1950年に静岡県商工課長。 その後、自治庁行政課長、自治大臣官房参事官、自治省選挙局長、同税務局長、自治大学校長等を歴任。1970年に消防庁長官、1973年に自治事務次官を最後に退官。安孫子藤吉山形県知事が国政に転じるにあたって、その後継として一時、擬せられた。
高橋 敬典(たかはし けいてん、1920年9月22日 - 2… 高橋 敬典(たかはし けいてん、1920年9月22日 - 2009年6月23日)は、日本の金工家。 山形県山形市銅町出身。茶の湯釜で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。本名は高橋高治(たかじ)。 映画監督の村川透は女婿。 社団法人日本工芸会参与、山形鋳物工業団地協同組合副理事長、山形市輸出入組合理事、山形県物産協会理事等を歴任。
安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月3… 安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月31日 - 1998年〈平成10年〉10月18日)は、昭和期の労働運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。全電通東北地方本部委員長、山形県労働組合評議会議長、日朝国交正常化国民会議事務局長を務めた。 現在の山形県村山市で生まれる。1936年(昭和11年)仙台逓信講習所普通科を卒業。山形楯岡郵便局、山形電気通信部で勤務した。 1952年(昭和27年)全電通東北地方本部委員長、1955年(昭和30年)山形県労働組合総評議会議長に就任する。 1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。以来、旧山形2区から日本社会党の公認を受け立候補し、連続6回当選する。
南雲 克郎(なぐも かつろう、1920年〈大正9年〉5月20… 南雲 克郎(なぐも かつろう、1920年〈大正9年〉5月20日 - 2009年〈平成21年〉11月20日)は日本の陸軍軍人および陸上自衛官。陸士54期卒(歩兵)。最終階級は陸軍大尉、陸将補。 山形県米沢市出身。父は陸軍少将・満洲国軍中将の南雲親一郎。真珠湾攻撃などを指揮した海軍の南雲忠一大将は父の従弟とされ、本人も南雲大将の甥として紹介されている。 原隊は歩兵第7連隊。少尉任官後、62代連隊旗手を拝命する。 大戦末期に予科士官学校区隊長に発令され、1945年春より群馬県新鹿沢に疎開。食糧不足からニラやノビル、カエルやマムシを食するような状況で、営内に漂う悪臭に閉口していたという。 7月末より各中隊より選抜された60期~61期生徒50名を引率し、山形県飽海郡本楯村の海岸にて製塩作業中に終戦を迎える。
北 廉太郎(きた れんたろう、1920年(大正9年)3月20… 北 廉太郎(きた れんたろう、1920年(大正9年)3月20日 - 1940年(昭和15年)9月15日)は昭和期の歌手。 現在の山形県鶴岡市出身。 1936年(昭和11年)タイヘイレコードから紀多寛として「男の涙」でデビュー。ポリドールレコード移籍と共に瀧廉太郎をもじった北廉太郎に改名。 「潮来夜船」の大ヒットで知られ、他にも「青春の丘」、「出船の唄」、「追憶の馬車」、「シナの町」、「ヴォルガ旅愁」などヒット曲多数。アイドル歌手として人気を得たが、1940年(昭和15年)、白血病で急逝。享年20。 後に2代目北廉太郎の名前でポリドールよりデビューした小川耕平がいる。 ビクターから「雨の夜船」でデビューした後、ポリドールに移籍。
佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 20… 佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 2005年6月30日)は日本の洋画家。大正9年3月4日に山形県酒田市中之口町12番地(現-本町)に生まれる。旧制琢成第一小学校、山形県立酒田中学校、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。山形師範学校(現・山形大学地域教育文化学部)助教授となる。山形大学を退職後、東京へ移住。上京後は美術団体展や個展等で作品を発表。昭和34年に同志とともに洋画の公募美術団体「蒼騎会」を創立。1978年には第18回蒼騎会展が文部大臣賞を受賞。練馬区文化事業功労者表彰。
柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本… 柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本の経済学者。 山形県酒田市出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒。1969年「多数国貿易の理論」で大阪市立大学経済学博士。富山大学経済学部助手、講師、助教授、教授。大阪市立大学教授、84年定年退官、名古屋学院大学教授、日本大学国際関係学部教授。
菊地 吾郎(きくち ごろう、1920年1月14日 - 201… 菊地 吾郎(きくち ごろう、1920年1月14日 - 2014年7月24日)は、日本の医学者。日本医科大学学長、東北大学名誉教授。 1920年、山形県生まれ。1931年、旧制京華中学校に進学。1937年、旧制日本医科大学予科入学。1944年、同大学卒業。東北大学教授を定年退官後、同大学名誉教授となる。のち、母校に招かれて、日本医科大学学長を務める。 2014年7月24日、急性呼吸不全のため東京都荒川区の病院で死去。94歳没。
寒河江 善秋(さがえ ぜんしゅう、1920年 - 1977年… 寒河江 善秋(さがえ ぜんしゅう、1920年 - 1977年)は、日本の社会活動家、作家。 山形県東置賜郡吉島村(現・川西町)生まれ。置賜農学校を卒業。18歳で満州拓殖公社に入社。訓練局訓練課に勤務し満蒙開拓青少年義勇軍の訓練等に従事した。太平洋戦争開戦に伴い1941年に軍属となり、愛知県豊橋市陸軍予備士官学校を経て、少尉としてハルマヘラで従軍し、当地で終戦を迎えた。1946年復員。 戦後、生地の吉島村にもどり、1947年に吉島村の青年団長となった。翌1948年にGHQの教育改革部門であるCIEが日本の教育指導者を対象として開催していたIFEL(The Institute for EducationalLeadership)講習会に参加し、グループワーク理論を学び、さらに満州での開拓経験を基に、1951年(昭和26年)深刻化していた農村の二・三男の失業対策として、かつ戦後の国土を青年の手で復興させるため、山形県産業開発青年隊運動を開始した。
結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月… 結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月13日)は、日本の童謡詩人。童謡『ないしょ話』(山口保治作曲)の作詞者であるが、童謡が広く知られているのに対し、作詞者の知名度は高くない。 生涯で5000曲を超える童謡を作詞し、そのうち30数曲がレコード化されている。 本名は結城 芳夫(ゆうき よしお)。 歌人・結城健三と妻・えつの長男として山形県東置賜郡宮内町(現在の南陽市)で生まれる。父の仕事の都合で鶴岡町(現在の鶴岡市)、酒田町(現在の酒田市)へ移り、1930年より山形市内に移り住む。1934年に山形市立第四尋常高等小学校(現在の山形市立第四小学校)高等科を卒業すると「好きな本が読める」という理由から山形市内の八文字屋書店で住み込みの店員となる。