秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平… 秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平成30年(2018年)3月30日)は、元大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍一等兵曹(通信兵)。 全国各地で自身の戦争体験を伝える講演活動を行っている。 2018年3月30日午前0時7分、老衰のため栃木県足利市の病院で死去。90歳没。
栃木県:25人
秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平… 秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平成30年(2018年)3月30日)は、元大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍一等兵曹(通信兵)。 全国各地で自身の戦争体験を伝える講演活動を行っている。 2018年3月30日午前0時7分、老衰のため栃木県足利市の病院で死去。90歳没。
舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30… 舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30日 - 2006年〈平成18年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、剣道家、実業家。最終階級は陸軍軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。 特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。 栃木県上都賀郡西方村で農家の三男として生まれて育つ。幼少期からきかん坊で近所のガキ大将であった。小学校と尋常高等小学校を終えて公民学校を卒業すると、さらに早稲田中学講義録で独学し、専門学校入学者検定試験に合格する。
篠原 弘道(しのはら ひろみち、1913年〈大正2年〉8月1… 篠原 弘道(しのはら ひろみち、1913年〈大正2年〉8月15日 - 1939年〈昭和14年〉8月27日)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少尉。通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」。 日本陸軍のトップ・エースの一人として総撃墜数58機を誇り、これは1939年5月27日の初陣から同年8月27日に戦死するまでのわずか3か月の間に達成された。また、1回の空戦で11機の敵機を撃墜した記録をもつ。 1913年8月15日栃木県河内郡雀宮村大字東谷(現:宇都宮市東谷町)生まれ。父庄蔵、母はる。雀宮尋常小学校東校(現:宇都宮市立雀宮東小学校)を経て1931年(昭和6年)下野中学校卒業後、12月に騎兵の現役志願兵として羅南の騎兵第27連隊に入営。
斎藤 兼之助(さいとう かねのすけ、1912年(明治45年)… 斎藤 兼之助(さいとう かねのすけ、1912年(明治45年)6月28日 - 1986年(昭和61年)1月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。 海兵団(4等兵)から士官に昇進した。 1912年(明治45年)6月28日、栃木県那須郡金田村小滝(現在の大田原市)で生まれる。尋常小学校を卒業後、地元の東野鉄道に勤務した。 1930年(昭和5年)6月に、横須賀鎮守府(横鎮)にある横須賀海兵団へ入団。新兵教育を終えて同年12月に重巡洋艦「加古」に3等機関兵として配属される。1931年(昭和6年)10月、戦艦「比叡」に転属。 1932年4月に、横須賀の海軍工機学校に入校し、9月に卒業すると軽巡洋艦「多摩」に乗り組む。
人見 豊治(ひとみ とよはる、1901年 - 1943年11… 人見 豊治(ひとみ とよはる、1901年 - 1943年11月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
田村 久三(たむら きゅうぞう、1897年10月1日 - 1… 田村 久三(たむら きゅうぞう、1897年10月1日 - 1972年3月23日)は、日本の海軍軍人、海上保安官、警備官。機雷専門。最終階級は海軍大佐、警備監(後の海将)。 栃木県出身。田村徳吉の三男として生まれる。(旧制)栃木県立栃木中学校卒業を経て、1918年に海軍兵学校(46期)を卒業。海軍大佐として終戦を迎える。戦後は、第二復員省、海上保安庁と警備隊(海上自衛隊の前身)で掃海作業の責任者として活動した。 日本海軍は、田村久三元海軍大佐を最高指導者として機雷関係のスタッフを揃え、米海軍司令部との折衝を続けながら、占領軍指揮による掃海作業の準備へ入った。まず掃海艇の整備を行うと共に、当時解散しつつあった海軍軍人の中から人員の補充確保に努め、全国各地に所在する掃海関係船艇合計360隻、人員約1,900名をもって新たに掃海部隊を編成し、1945年(昭和20年)9月から10月にかけて占領政策のために一時中断されていた掃海作業を再開。
山本 岩多(やまもと いわた、1896年(明治29年)5月1… 山本 岩多(やまもと いわた、1896年(明治29年)5月15日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
吉原 矩(よしはら かね、1893年(明治26年)10月27… 吉原 矩(よしはら かね、1893年(明治26年)10月27日 - 1984年(昭和59年)8月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 茨城県出身。吉原文平の二男として生まれる。栃木県立真岡中学校(現栃木県立真岡高等学校)、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、工兵少尉に任官し鉄道連隊付となる。1918年(大正7年)11月、陸軍砲工学校高等科(24期)を卒業。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業し鉄道第1連隊中隊長に就任。 1925年(大正14年)1月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員、工兵監部員、陸大教官、陸軍省整備局課員、軍務局課員(兵務課)などを務め、1934年(昭和9年)8月、工兵中佐に昇進。
落合 甚九郎(おちあい じんくろう、1892年(明治25年)… 落合 甚九郎(おちあい じんくろう、1892年(明治25年)3月28日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 栃木県出身。栃木中学校(現栃木県立栃木高等学校)卒業を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第59連隊付となる。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した。 1928年(昭和3年)8月、陸士付となり、さらに同教官を務め、1929年(昭和4年)8月、歩兵少佐に昇進。1930年(昭和5年)2月、応聘により支那出張となり北京陸軍大学教官に就任。1931年(昭和6年)3月、第7師団司令部付となり、歩兵第26連隊付、支那駐屯軍司令部付を経て、1934年(昭和9年)8月、歩兵中佐に進み第2師団参謀に就任。
瀬谷 啓(せや ひらく、明治22年(1889年)10月3日 … 瀬谷 啓(せや ひらく、明治22年(1889年)10月3日 - 昭和29年(1954年)5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
村上 啓作(むらかみ けいさく、1889年(明治22年)6月… 村上 啓作(むらかみ けいさく、1889年(明治22年)6月16日 - 1948年(昭和23年)9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 栃木県喜連川町鷲宿(現:栃木県さくら市鷲宿)出身。農業・村上角次の四男として生れる。鷲宿小学校、陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校本科を経て、1910年5月、陸軍士官学校(22期)を優等で卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第3連隊付となる。1916年11月、陸軍大学校(28期)を優等で卒業した。 陸軍技術審査部付(軍事調査部)、歩兵第3連隊付(ロシア出張)、ロシア駐在、陸大教官、兼参謀本部員、参謀本部員、陸大教官、陸軍省軍務局課員(軍事課)、歩兵第34連隊長、陸軍歩兵学校教導隊長、陸軍省兵務課長などを歴任し、二・二六事件当時は軍事課長であった。
麦倉 俊三郎(むぎくら しゅんざぶろう、1888年(明治21… 麦倉 俊三郎(むぎくら しゅんざぶろう、1888年(明治21年)11月1日 - 1969年(昭和44年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 栃木県出身。麦倉奉蔵の四男として生れる。宇都宮中学校卒を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第65連隊付となる。1920年(大正9年)11月、陸軍大学校(32期)を卒業。 1921年(大正10年)5月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、第19師団参謀、陸軍兵器本廠付(軍事調査部)などを経て、1927年(昭和2年)10月、歩兵少佐に昇進。1928年(昭和3年)12月、歩兵第61連隊大隊長となり、歩兵第27連隊付、第1師団参謀、陸軍歩兵学校教官などを歴任し、1936年(昭和11年)3月、歩兵大佐に昇進し独立歩兵第11連隊長に就任した。
安藤 三郎(あんどう さぶろう、1883年(明治16年)12… 安藤 三郎(あんどう さぶろう、1883年(明治16年)12月24日 - 1963年(昭和38年)8月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 旧黒羽藩家老・安藤小次郎の長男として生れる。東京府立第四中学校を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第8連隊付となる。歩兵第66連隊付などを経て、1917年(大正6年)11月、陸軍大学校(第29期)を卒業した。 歩兵第66連隊中隊長、陸士教官、参謀本部員、中国政府招聘(北京陸軍大学校教官)、歩兵第40連隊付などを歴任し、1925年(大正14年)5月、航空兵科に転じ航空兵少佐となり下志津陸軍飛行学校教官に就任した。
小嶋 時久(こじま ときひさ、1881年2月1日 - 196… 小嶋 時久(こじま ときひさ、1881年2月1日 - 1962年4月13日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年〈明治13年〉3月2… 小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年〈明治13年〉3月22日 - 1950年〈昭和25年〉11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。山形県士族。山形県新庄市出身。 陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官を歴任後、予備役に編入された。その後平沼内閣と米内内閣で拓務大臣、朝鮮総督(第8代)を務め、太平洋戦争中にサイパン失陥を受け辞職した東條英機の後継として1944年(昭和19年)に内閣総理大臣に就任した(小磯内閣)。悪化の一途をたどる戦局を挽回できず、中華民国との単独和平交渉も頓挫し、1945年(昭和20年)4月に総理を辞任し鈴木貫太郎に後を譲った。
鶴見 宜信(つるみ よしのぶ、1879年〈明治9年〉8月28… 鶴見 宜信(つるみ よしのぶ、1879年〈明治9年〉8月28日 - 1941年〈昭和16年〉8月14日)は、日本の軍人、政治家。 陸士10期。栄典は正五位勲三等。最終階級は陸軍歩兵大佐。第14代日光町長。 栃木県上都賀郡日光(現日光市)士族出身。1898年(明治31年)11月、陸軍士官学校(10期)を卒業。翌32年6月に少尉に任官され、歩兵第3連隊附。のち新潟県中頸城郡高田町の歩兵第58連隊に転属。 中隊長であった1911年(明治44年)、オーストリア=ハンガリー帝国陸軍(英語版)少佐テオドール・エードラー・フォン・レルヒよりスキー専修員班長として指導を受ける。また、ドイツ語が堪能だった鶴見は、レルヒ少佐の通訳に抜擢され、彼を補佐しながら各地で指導に当たった。
小山 満雄(おやま みつお、1877年(明治10年)3月9日… 小山 満雄(おやま みつお、1877年(明治10年)3月9日 - 1936年(昭和11年)12月25日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争では第三軍の一員として戦い、のち歩兵第十六連隊長を務めた陸軍少将である。 旧会津藩藩士小山満峻の長男として宇都宮に生まれる。満峻は戊辰戦争後に栃木県に勤務した。小山は陸軍士官学校9期で、稚松会創立会員の一人。陸士同期では武川寿輔などが同様であった。小山の原隊は歩兵第十五連隊(高崎)、兵科は歩兵であり、1898年(明治31年)6月に歩兵少尉へ任官している。中尉時代に日露戦争に出征し、旅順で二〇三高地の攻略戦に加わった。1904年(明治)37年8月大尉に進級し、奉天会戦では田義屯の戦いに功績があった。
奈良 武次(なら たけじ、1868年4月28日〈慶応4年4月… 奈良 武次(なら たけじ、1868年4月28日〈慶応4年4月6日〉- 1962年〈昭和37年〉12月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。 農業を営み、村議会議員を務めた奈良彦一郎と母ふみ子(宇都宮藩士の娘)の次男として下野国都賀郡南摩村上南摩(現:栃木県鹿沼市)に生れる。兄は彦作。6歳で村の寺子屋で、元日光の士族入江裕次郎に四書五経を学ぶ。進文学舎、陸軍有斐学校を経て、1889年(明治22年)7月、陸軍士官学校(旧11期)を卒業、砲兵少尉任官、近衛野砲兵連隊付となる。1893年(明治26年)11月、陸軍砲工学校高等科を優等で卒業。日清戦争では、臨時徒歩砲兵第2大隊副官として出征した。
浄法寺 五郎(じょうほうじ ごろう、1865年5月22日(慶… 浄法寺 五郎(じょうほうじ ごろう、1865年5月22日(慶応元年4月28日) - 1938年(昭和13年)1月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階は従三位、勲等は勲二等、軍功は功三級。 下野国那須郡黒羽町(現栃木県)出身。浄法寺氏の末裔で、黒羽藩の城代家老を代々務めた浄法寺操の次男として生まれる。先祖に松尾芭蕉の門下であった浄法寺高勝がいる。父操は維新後、旧藩主大関子爵家の家扶を務めた。五郎は藩の重臣であった三田称平の家塾である地山堂で学んだ。 1887年(明治20年)7月、陸軍士官学校(旧9期)を卒業し歩兵少尉に任官。1892年(明治25年)12月、陸軍大学校に入学するが、日清戦争開戦のため1894年(明治27年)7月に中退。
宇津木 秀次郎(うつぎ ひでじろう、生年不明 - 1943年… 宇津木 秀次郎(うつぎ ひでじろう、生年不明 - 1943年〈昭和18年〉8月4日)は、日本の海軍軍人(海兵52期卒)。太平洋戦争において伊号第一七八潜水艦長として戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。
柴田 文三(しばた ぶんぞう)は、日本の海軍軍人。最終階級は… 柴田 文三(しばた ぶんぞう)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
高山 忠三(たかやま ちゅうぞう)は、日本の海軍軍人。最終階… 高山 忠三(たかやま ちゅうぞう)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
山田 盛重(やまだ もりしげ)は、日本の海軍軍人。最終階級は… 山田 盛重(やまだ もりしげ)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
若色 伊三郎(わかいろ いさぶろう、- 1944年)は、日本… 若色 伊三郎(わかいろ いさぶろう、- 1944年)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
大竹 嘉重郎(おおたけ かじゅうろう)は、日本の海軍軍人。最… 大竹 嘉重郎(おおたけ かじゅうろう)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 1917年(大正6年)3月31日、旧制栃木県立栃木中学校卒業。1920年(大正9年)7月16日、海軍兵学校(48期)卒業。1940年(昭和15年)11月15日、香取副長就任。1943年(昭和18年)10月、大村海軍航空隊司令就任、博多海軍航空隊司令を兼務。その後、死去。